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近江湖南村落における宮座と象徴空間

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近 江 湖南 村 落 にお け る宮座 と象 徴 空 間

八 木 康 幸

I は じ め に II 問 題 の所 在 (1) 分 析 の 枠 組 (2) 対 象集 落 と調査 方法 III 祭 祀 組 織 と儀 礼 的 空 間秩 序 (1) 氏 子 組 織 と宮 座 組 織 (2) 右 座 の優 越 IV 民 俗方 位 と して の 上/下 V 社 会 関係 と祭 祀 組 織 (1) 通 婚 関 係 (2) 経 済 階 層 と政 治 的 リー ダ ー シ ッ プ (3) 宮 年 寄 の交 代 VI 空 間 秩 序 に お け る持 続 と変 化 (1) ふ た つ の空 間 秩 序 (2) 均 衡 化 の論 理 (3) 空 間 秩 序 の衰 弱 VII お わ り に I は じ め に 古 くか ら指 摘 さ れ て い る人 々 の主 観 的 な世 界 1) の存在 は, 人文 主義を標 傍す る地理学者達 に よ 2) って, 哲 学 的理 解 が は か られ つ つ あ る。 しか し, subjective な空 間や 意 味 に満 ちた 場 所 の姿 を 取 り出す 具 体 的 手続 きにつ い て は, そ の研 究 に 必 ず し も充 分 な成 熟 が 見 られ て い るわ け で は ない。 例 え ば 山 野 正彦 は, E.Relph や Y.F.Tuan が 実存 空 間 の もつ 難 点 を 回避 す るた め に,「 本 質 」 を と り出す 代 りに 「構 造 」 を と らえ る 試 み に 向 か って い るか に 見 え る こ とを 指 摘 し, Levi-Strauss の構 造 主 義 の方 法 に 代 表 され る 「隠 れ た構 造 」 の発 見が, 主 体 的 な 空 間 や 場所 の 研 究 に お い て, 選択 され うるひ とつ の道 で あ る と述 3) べ て い る。 確 か に, 実証 主 義 の概 念 に 負 うだ け で は, あ るい は また 主 観 的 な世 界 に専 ら委 託 す るだ け で は, な お 明 らか に しえ な い よ うな, 事 物 の基 底 に潜 む構 造 が存 在 す る こ とは, 構 造 主 4) 義 の長 く主張 し続 け て きた こ とで あ った。 意 味 連 関 と して の象 徴 的空 間 を, 人 々 の持 つ 空 間 認 識 の 深 層 に 横 たわ る構 造 の側 面 か ら再 構 成 しよ うとす る試 み は, 地 理 学 に とっ て な お多 くの 成 〔注3〕,5) 果 を期 待 し うる もので あ る と考 え られ る。 わ が 国 の伝 統 的 社 会 や 民 俗 村 落 を め ぐる空 間 的枠 組 を, この よ うな象 徴 的 空 間 の隠 れ た構 造 を 抽 出す る こ とに よって 明 らか に す る方 向 に つ い て も, 近 年 い くつ か の業 績 が 蓄 積 され つ つ あ

1) Wright, J.K., ‘Terrae Incognitae: the place of the imagination in geography’, Human Nature in Geography, Harvard Univ. Pr., 1966, pp.68-88. Lowenthal, D., ‘Geography, experience, and imagination: towards a geographical epistemology’, A.A.A.G. 51-3, 1961, pp.241-260.

2) 例 え ば Tuan, Yi-Fu, ‘Geography, phenomenology, and the study of human nature’, The Canadian Geographer 15-3, 1971, pp.181-192 や Relph, E., Place and placelessness, Pion Limited, 1976.

3) 山 野 正 彦 「空 間 構 造 の 人 文 主 義 的 解 読 法-今 日 の 人 文 地 理 学 の 視 角-」, 人 文 地 理31-1, 1979, 46-68頁。 な お, 「本 質 」 と 「構 造 」 に 関 し て は Entrikin, J.N., ‘Contemporary humanism in geography’, A.A.A.G. 66-4, 1976, p.630が 言 及 し て い る。

4) Billinge, M., ‘In search of negativism: phenomenology and historical geography’, Journal of Historical Geo-grdphy 3-1, 1977, p.63.

5) 佐 々 木 高 明 「空 間 認 識 の 原 像-民 族 地 理 的 序 説-」, 立 命 館 大 学 文 学 部 地 理 学 教 室 ・立 命 館 大 学 地 理 学 同 巧 会 編 『地 表 空 間 の 組 織 』, 古 今 書 院, 1981, 14-22頁。 千 田 稔 「地 理 的 「場 」 の 始 原 性 を 求 め て 」, 人 文 地 理32-1, 1980, 47-62頁。 櫛 谷 圭 司 「空 間 の 「意 味 」 の 構 造 と構 造 主 義 の 方 法 」, 人 文 地 理36-3, 1984, 73-85頁。

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-27-る。具体的には, 村人の持 つ世 界観 を幾何学的 6) 図形 に 抽 象 化 して理 解 しよ うとす る営 み や, 民 7) 俗方位や方位観をめ ぐる研究, 特別な意味や価 8) 値 を 担 う場 所 の 性 格 を探 ろ うとす る作 業 な どが 数 え られ る。 これ らは, いず れ も空 間 の分 類 と そ の 象 徴 化 を対 象 とす る論 議 に お け る サ ブ カ テ ゴ リーを形 成 して い る。 民 俗 方 位 の研 究 を 見 て も, す で に 人類 学 や 社 会 学 か ら得 られ て い る成 9) 果 の 多 く が, E. Durkheim と M. Mauss, さ ら 10) に Levi-Strauss な どに 遡 及 しつ つ 自 らの位 置 付 け を は か っ て い る の は, 当該 研 究 の本 来 的 に 目指 す ものが, 空 間 の分 類 原 理 で あ る こ とを 示 して い る。 しか しそ れ は, これ らの 研 究 が地 理 学 の領 域 を 逸 脱 す る こ とを 意 味 す る もの で は な い。Tuan は, Merlaue-Ponty を 引 用 しつ つ, 身 体 が 空 間 を 含 意 す る こ とを説 き, 上下 ・左 右 な どの 身 近 な 空 間 の 区 分 か ら, や が て 神話 的空 11) 間 に 至 る多 次 元 に 亘 る空 間 を論 じて い る。 この こ とは, 身 体 レベ ル か ら神話 レベ ル に至 る空 間 の 分 類 と, そ れ に対 す る意 味 付 けや 価 値 付 け を, 広 く空 間 分 類や 空 間秩 序 とい う概 念 の も とに 整 理 し, 地 理 学 の 包括 的 な視 野 の 中 に収 め うる こ 12) とを示 す もの で あ る。 本 稿 で は, 以 上 の よ うな基 本 的 理 解 の 上 に, 近 畿地 方 の宮 座 を持 つ 村 落 を 対 象 に して, 祭 祀 や 儀 礼 に 表 象 され る空 間 秩序 を軸 に, 村 落 を め ぐる象 徴 的 空 間 の 構 造 に迫 ろ うとす る もので あ る。 II 問 題 の 所 在 13) (1) 分 析 の枠 組 宮 座 の 問題 は, 神 社 祭 祀 と 村落 社 会 の構 造 的 連 関 を考 え る上 で 重 要 で あ る の み な らず, 民 俗 方 位 や 象 徴 空 間 と も関 連 し, 村 落 の空 間 認 識 を 理 解 す るた め のひ とつ の 手 が か りを提 供 す る可 能 性 が あ る。 と くに 注 目 した い の は, 宮 座 に おけ る双 分 制 や 三 分 制 で あ っ て, 祭 祀 組 織 や 儀 礼 に おけ る二 分 や 三 分 が, 広 く当 該 村 落 の社 会 的 ・象 徴 的 な 空 間秩 序 と どの よ う に 連 関 して い るか に つ い て, 今後 検 討 を 深 め て ゆ く必 要 が あ る。 滋 賀 ・奈 良 ・京 都 ・大 阪 や そ の周 辺 の兵 庫 ・ 三 重 ・和 歌 山 の一 部 な どが, 宮 座 の と くに 稠 密 14) な 分 布 域 で あ る こ とは よ く知 られ て い る。 そ の 中 に は, 宮 座 が い くつ か の祭 祀 単 位 を も って構 成 され, 区分 され た単 位 が右 座 と左 座, 東 座 と 西 座, 南 座 と 北 座 の よ うに 双 分 を 呈 し, あ る い は例 え ば 中座 とい った 今 ひ とつ の 単位 を加 え て三 分 の形 態 を とる ものが 少 な くない。 そ の 分 布 は, 和 歌 山県 紀 ノ川 流 域 か ら大 阪 府 泉 南地 方, 奈 良 盆地 か ら 奈 良京 都 府 県 境, 滋賀 県 で は 湖 6) 近 年, 民 俗 学 の分 野 か らの研 究 が 目立 っ てい る。 そ の 内 容 は 福 田ア ジオ 「村 落 空 間 に お け る 領 域 と境 界 」, 民 俗 フ ォ ー ラム 創刊 号, 1985, 2-5頁 に手 際 よ くま と め られ て い る。 7) 例 えば 馬 淵 東 一 「琉 球 世 界 観 の再 構 成 を 目指 して 」,『馬 淵 東 一 著 作 集 』3, 社 会思 想社, 1974, 425-453頁, 村 武 精 一 『神 ・共 同体 ・豊 穣-沖 縄民 俗 論 』, 未 来 社, 1975, 鈴 木 正 崇 「南 西 諸 島に 於 け る方 位 観 の 研 究-空 間認 識 の視 点 か ら-」, 人 文 地 理30-6, 1978, 61-74頁 な ど, 南 島 を フ ィー ル ドに した も のが 多 い。 8) 千 田稔 「古 代 日本 に お け る土 地 分 類-「 山 口」 とい う場 所 を め ぐっ て」, 石 田寛 教 授 退 官 記 念事 業 会 編 『地 域-そ の 文 化 と 自然 』, 福 武 書 店, 1982, 613-621頁。 八 木 康 幸 「村 境 の 象 徴 論 的 意 味 」, 人 文 論 究34-3, 1984, 1-22頁。 山 野 正 彦 「日常 景観 の な か の 恐 怖 の 場所-墓 地 と閻魔 堂 」, 石 川 栄 吉 他 編 『生 と死 の人 類 学 』, 講 談社, 1985, 27-51頁。 9) Durkheim, E. and M. Mauss, Primitive Classification, translated by R. Needham, The Univ. of Chicago Pr.,

1963, エ ミール ・デ ュル ヶ ー ム 『分類 の未 開形 態 』, 小 関 藤 一 郎 訳, 法 政 大 学 出版 局, 1980.

10) 例 え ば ク ロー ド ・レ ヴ ィ=ス トロー ス 『構 造 人 類 学』, 荒 川 幾 男 他 訳, み す ず 書 房, 1976, エ ドマ ン ド ・リーチ 『文 化 と コ ミュニ ヶー シ ョン 構 造 人 類 学 入 門』, 青 木保 ・宮坂 敬 造 訳, 紀 伊 國屋 書 店, 1981.

11) Tuan, Yi-Fu, ‘Space and place: humanistic perspective’, Progress in Geography 6, 1974, pp.211-252. 12) す で に 山野 正 彦 「分 類 体 系 と して み た 村 落 の 空 間構 成-丹 波 ・吉 備 高原 地 域 を事 例 と して-」, 人 文 研 究29-6, 1977, 1-23頁 に は, この 関心 が 窺 え る。 13) 福 田 ア ジ オ は, 特 定 の地 域 社 会 の神 仏 を そ の地 域 の住 民 の 中 の一 定 の資 格 を有 す る 男子 が 一 座 して まつ る行 事 お よび そ の組 織, と定 義 して い る。 福 田 ア ジ オ 「宮 座 の社 会 的 機 能 」, 桜 井徳 太 郎 他 編 『講 座 日本 の 民 俗 宗教5 民 俗 宗 教 と社 会 』, 弘 文 堂, 1980, 77頁。 14) 広 域 に亘 る 宮 座 の 研 究 成 果 に 以 下 の もの が あ る。 肥 後 和 男 『宮 座 の研 究 』, 弘文 堂, 1960. 大 越 勝 秋 『宮 座-和 泉 地 方 に お け る総 合 的 研 究-』, 大 明 堂, 1974. 原 田 敏 明 『村 祭 と座 』, 中 央 公 論 社, 1975. 高 橋 統 一 『宮 座 の構 造 と変 化-祭 祀 長 老 制 の社 会 人 類 学 的 研 究 』, 未 来 社, 1978.

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南 か ら湖 東地 方 に か け て の広 が りを 見せ て い る (第1図)。 空 間 の 分 類 に ち なむ もの と して, 左 右 の 基 本 方 位 の ほ か に, 上座 ・下 座 の 区分 を 加 え れ ば, 100を 越 え る事 例 数 とな る。 これ らの 区 分 の多 くに は, 地 域 単 位 や 特 定 の家 集 団 が重 な り, 錯 綜 した 多様 な展 開 を 示 す。 さ らに, 区 分 され た 単 位 が 必 ず しも対 等 な 関 係で は な く, 地 位 の 上 下 や 優 劣 に 結 び つ くもの が 見 られ る。 一 般 に, 神 事 や 祭 礼 に お い て 見 られ る祭 祀 単 位 の二 分 や 三 分 は, あ る もの は 綱 引 きや 舟 漕 ぎ 競 争 な どに代 表 され る競 技 的 側 面 を 伴 な い つ つ, 互 酬 と対 立, カオ ス と コス モ ス な どの具 現 化 す 第1図 近 畿 地 方 に お け る右 座 と左 座 の 分 布 宮座 が2つ 以上 の単 位 か ら構 成 され る ものの うち、 ● 「右」「左」を冠 す る単位 をもつ もの。 □ 「東」「西」あ るい は「北 」「南 」を冠 す る単位 をもつ もの。 △ 「上」「下」を冠 す る単位 をもつ もの。 (資料: 肥後 和男, 大 越勝 秋, 高 橋統 一 〔い ずれ も注14)〕)

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-29-る宗 教 学 ・社 会 学 ・人 類 学 な どに ま たが る貴 重 15) な テ ーマ を提 供 し続 け て き た。 宮 座 に関 連 して 16) も, 北 原 真知 子, W. Davis, 野 沢 謙 治 らに よ っ て, 近 畿地 方 の い くつ か の宮 座 祭 祀 が 取 り上 げ られ て い る。 と くに 近 年, 社 会 人 類 学 の 高 橋 統 一 は, 宮 座 祭 祀 に 双 分 組 織 や 祭 儀 の 二 元 性 が 結 び つ く数 多 くの事 実 に 着 目 し, この 分 野 の 研 究 の 必 要 性 を説 い て い る 〔注14)265-266頁〕。これ を 具 体 的 に 深 化 させ る試 み は 少 な い が, 宗 教 人 17) 類 学 者 伊 藤 幹 治 に よる もの が注 目さ れ る。 伊 藤 は 左 座 と右 座 に よっ て構 成 され る宮 座 を事 例 と して と りあ げ, わ が 国 の文 化 に おけ る右 と左 の シ ンボ リズ ム に お い て, 左 右 が 対 立 で は な く相 対 的 に対 比 され る構 造 を 持 つ こ とを 指 摘 し, 一 般 に左 座 が 優 越 す るか に 見 え る宮 座 の 祭 祀 的 世 界 も, そ の理 解 が 容 易 で な い こ とを 強 調 して い る。 右 と左 の 象 徴 性 の テ ーマ は, フ ラ ンス社 会 学 18) 派 の R. Hertz に 始 ま り, そ の 後1960年 代 に な っ て, イ ギ リ ス の 社 会 人 類 学 者 R. Needham 19) とオ クス フ ォ ー ド学 派 に よっ て大 き く進 展 させ られ た もの で あ る が, わ が 国 に おけ る研 究 は 未 だ 充 分 な展 開 を 見せ る に は至 って い ない。 これ に は, 従 来 双 分 制 を 扱 って きた 文 化 史 的 関 心 か ら, 象 徴 論 的 関 心 へ の研 究 視 点 の 転 換 が 不充 分 で あ る こ と も考 え ね ば な らな い が, む しろ, わ が 国 の 民俗 文 化 ・社 会 ・宗 教 な どに 内在 す る特 性 が, 厳 密 な 分析 概 念 の適 用 を必 ず しも 自 由に しな い 点 を考 慮す べ きで あ ろ う。す なわ ちそ の ひ とつ は, 伊 藤 の言 うよ うに, わ が 国 の 文 化 に 見 られ る右 と左 の分 類 が, 男 性 ・女 性 な どの 分 類 と と もに, 峻 別 され るべ き宗 教 的 両 極 性 を示 す に は至 らず, そ の優 劣 関 係 に つ い て も状 況 や 文 脈 に応 じて 相 対 化 され る例 の 多 い こ とで あ る 〔注17)753-757頁〕。い まひ とつ は, 第一 の点 に深 く関 係 す る もの で あ り, 右 と左 が社 会 の単 位 や 男 性 と女 性, 基 本 方 位, さ らに は聖 俗 や 浄 不 浄 な ど と連 合 して, 一 貫 した 明確 な二 項 対 立 の 構 造 連 関 を呈 す 例 に 乏 しい ので は な いか と予 想 さ 20) れ る こ とで あ る。 しか しなが ら, そ の よ うな推 測 に もか かわ ら ず, 宮 座 に お け る右 座 と左 座 の問 題 は, 空 間秩 序 の理 解 とい う地 理 学 的 関 心 の 上 で, な お重 要 な意 義 を 含 ん で い る。 な ぜ な らば, 祭 祀 や 儀 礼 に お け る空 間 の 分 類 は, 全 体 と して の村 落 の空 間秩 序 の 聖 の 側面 を 代表 して い る点 で, これ を 無 視 す る こ とが で きな い か らで あ る。 い ま仮 りに, 祭 祀 や 儀 礼を 中心 とす る非 日常 21) も し くは超 日常 を, 文 化 レベ ル と社 会 構 造 レベ 22) ル に 分 け る こ とが で き る とす れ ば, 宮 座 祭 祀 に

15) 松 平 斉 光 『祭 』, 日光 書 院, 1944. Sonoda, Minoru, ‘The traditional festival in urban society’, 国学 院 大 学 日本 文 化 研 究 所 紀 要35, 1975, pp.1-34. 伊 藤 幹 治 『宴 と 日本 文 化 比 較 民 俗 学 的 ア プ ロ ーチ 』, 中 央 公 論 社, 1984. 16) 北 原 真 知 子 「双 分 制 の 一 例-滋 賀 県 中 山 の 芋 まつ り-」, 史 論4, 1956, 223-238頁。Davis, Winston, ‘The miyaza

and the fisherman: ritual status in coastal villages of Wakayama prefecture’, Asian Folklore Studies 36-2, 1977, pp.1-29. 野 沢謙 治 「宮 座 行 事 と年 齢 階 梯 制」, 近 畿 民 俗95, 1983, 1-17頁。

17) 伊 藤 幹 治 「宮 座 の シ ンボ リズ ム 」, 安 津 素 彦 博 士 古 稀 記 念 祝 賀 会 編 『神 道 思 想 史 研 究 』, 安 津 素 彦博 士 古 稀 記 念 祝 賀 会, 1983, 743-762頁。 な お 他 に 村 武 精 一 「集 落 の 祭 祀 的世 界 と風 土-島 根 半 島 ・美 保 神 社 の 事 例 か ら-」, 九 学 会 連 合 日 本 の 風 土 調 査 委 員 会 編 『日本 の 風 土 』, 弘文 堂, 1985, 229-238頁。

18) R・ エ ル ツ 『右 手 の優 越-宗 教 的 両 極 性 の 研 究 』, 吉 田禎 吾 ・内藤 莞 爾 訳, 垣 内 出版, 1980.

19) Needham, R. (ed.), Right and Left: essays on dual symbolic classification, The Univ. of Chicago Pr., 1973. な お 長 島 信 弘 「遠 似値 へ の接 近-右 と左 の象 徴 分 類 に 関す る ニ ー ダ ム の所 論 を め ぐっ て」, 一 橋 論 叢77-3, 1977, 75-83頁, が 参 考 に な る。

20) 南 西 諸 島 の例 〔注7〕 は, む しろ例 外 的 で あ る。Needham は, 非 単 系 社 会 に お い て は 社 会 的 秩 序 に対 す る 象徴 的秩 序 の 関 係 が不 明瞭 か 最 小 限 で あ る こ とを 示 唆 して い る。Needham, R., ‘The left hand of the Mugwe: an analytical note on the structure of Meru symbolism’, 〔注19〕, p.111. な お 本 土 の研 究例 と して松 永 和 人 「日本 農 村 社 会 に お け る 『左 』 の二 つ の原 理-福 岡県 八 女 市 近 郊 農 村 の氏 神 祭 祀 ・葬 制 上 の 『左 』 に つ い て-」, 江 淵 一 公 ・伊 藤 亜 人 編 『儀 礼 と象 徴-文 化 人 類 学 的 考 察-』, 九 州 大 学 出版 会, 1983, 489-512頁, 同 「大 分 県 日田 郡 中 津 江 村 に お け る 氏神 祭祀

・葬 制 上 の 「左(手)」 の 習俗 に つ い て」, 福 岡 大 学 人 文 論 叢16-2, 1984, 1-38頁。

21) 伊 藤 幹 治 は, 祭 を 日常 的世 界 を越 え る とい う点 で超 日常 化 を指 向す る と と らえ, 黒 不 浄 な どの 脱 日常 化 の 指 向 と区 別 して い る 〔注15)22-54頁 〕。

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表 わ れ る右 と左, 東 と西 な どの空 間 観 念 は, す な わ ち文 化 の レベ ル に属 し, 祭 祀 集 団 の よ うな 社 会構 造 レベ ル と接 合す る こ とに よって 儀 礼 の 中 で 意 味 を獲 得す る こ とに な る。 他 方, 日常 的 世俗 的 生 活 に お い て も, 空 間 観 念 と社 会 形 態 の 間 に, 同様 の関 係 構 造 が 成 立 し うる と考 え られ る。 この よ うな仮 説 的 規 定 に基 け ば, 第2図 に 掲 げ た よ うに, 文 化/社 会, 聖/俗 の 座 標 軸 に 位 置 を与 え られ た2組 の関 係, (1) 儀 礼 的 空 間 秩 序-祭 祀 組 織 ・集 団 (II) 日常 的 空 間 秩 序-社 会 組 織 ・集 団 を 得 る こ とが で き る。 さ らに この2組 の 関 係 を 検討 す る こ とに ょっ て, (III) 祭 祀 組 織 ・集 団-社 会 組 織 ・集 団 (IV) 儀 礼的 空 間 秩 序-日 常 的 空 間 秩 序 とい うあ らた な2組 の関 係 を 得 る こ とが で きる。 本 稿 で求 め よ うとす る のは, (IV) の 関 係 構 造 で あ り, も しあ る とす る な らば, そ の 背 後 に 隠 さ れ た構 造 を 成 りた た しめ る論 理 で あ る。 さ らに 検 討 の際 に は, 持 続 と変 化, 言 葉 を 代 え て 言 え ば構 造 に対 して 過 程 とい うい まひ とつ の 分 析軸 を 用 意 して 臨 む こ とが 必 要 で あ ろ う。 (2) 対 象 集 落 と調 査 方 法 こ こで対 象 と して みや じ り と りあ げ る の は, 滋 賀 県 甲賀 郡 信 楽 町 宮 尻 の 集 落 と宮 座 で あ る。 宮 尻 を 選 ん だ の は, 右 座 と左 座 が 見 られ る とい う条 件 以 外 に も, い くつ か の 理 由 が あ る。 従 来 の数 少 な い 右 座 と左 座 に 言 及 した 事 例 研 究 が, 同 じ湖 南 で 得 られ て い る こ と 〔注17〕 が そ の ひ とつ で あ る。 伊 藤 の 取 り上 げ て い る 甲 西 町 妙 感 寺 の ほ か, 高 橋 の 扱 って い る信 楽 町 多 羅 尾 〔注14)57-79頁 〕で も右 座 と左 座 の詳 細 が 明 らか とな って い る。 また 高橋 は, 宮 尻 と旧村 を 同 じ, くす る 朝宮 地 区 三所 神社 の宮 座 に おい て, 7つ の 座 の建 物 配 置 に右 側 左 側 の区 別 の あ る こ とを指 摘 して い る 〔注14)98-127頁 〕。湖 東 に な る が, 竜 王町 弓 削 の右 の座 ・左 の座 も比 較 的 近 く の事 例 で あ る 〔注14)198-207頁〕。 次 に, 宮 尻 の宮 座 に 関 して は, 昭 和40年 23) (1965) に 報 告 が あ り, 右 座 と左 座 へ の 注 目は な い もの の, 変 化 の側 面 を 見 る上 で 有 利 な こ と を あ げ うる。 さ らにつ け加 えた い のは, 後 述 の よ うに, 宮 尻 に お け る右 座 と左 座 で は 右 座 が優 越 す る か に 見 え る こ とで あ り, これ まで の 研究 で 報 告 され て い る左 座 の優 越 とい う一 般 的事 実 に反 す る点 が, 宮 座 に お け る右 と左 の シ ンボ リ ズ ム の理 解 に対 して, 解 明 の糸 口を 提 供 す る可 能 性 が あ る と思 わ れ た こ とで あ る。 また, 宮 尻 の宮 座 がそ の名 に右 左 を 冠 さ ない3つ の座 組織 に よっ て構 成 され, そ れ ぞ れ が 右 座 と左 座 に双 分 され る点 も, 当初 か ら右 と左 を 冠 した座 組織 を もつ 他 の事 例 とは異 な って い る。 お そ ら く精 査 を 待 て ば, 宮 尻 の よ うな 例 が な お多 く発 見 さ れ るで あ ろ う とい う意 味 で も, こ こで と り上 げ る意 義 は大 きい と判 断 され る。 宮 尻 は信 楽 町 の 西 端 に 位 置 し, 瀬 田川 に合 流 す る大 谷 川 (信楽川) に 沿 って, 東 す なわ ち上 流 の じ り お け い の野 尻 の集 落 と, 約1km下 流 の桶 井 の集 落 か ら構 成 され て い る (第3図)。 近 世 に は野 尻 村 ・ 桶 井 村 と呼 ば れ て い た が, 明 治 に 合併 して野 尻 村 とな り, 明治7年 (1874) 宮 尻 村 と改称, 同 22年 (1889) に は 朝 宮 村 宮 尻, 昭和29年 (1954) 町 村 合 併 に よ って 信 楽 町 宮 尻 とな って 現在 に至 っ て い る。 第2図 分 析 の 枠 組

social system,, American Sociological Review 23-5, 1958, pp.582-583, お よび伊 藤 幹 治 「「氏 子 」の 社会 人 類 学 序 説 (上)」, 国 学 院 大 学 日本 文 化 研 究 所 紀 要25, 1970, 1-29頁 と くに7-10頁。

23) 池 田 昭 「宮 座 の変 貌 過 程 (村 落構 造 との 関連)-滋 賀 県 甲 賀 郡 信楽 町 宮 尻-」, 社 会 と伝 承9-2, 1965, 13-20頁。

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の 集 落 ■大 座 所 属 戸 ←分 家の派生 ●和 田座所属戸 ←奉 公人分家の派生 ▲桶 座 所 属 戸 アル ファベ ッ トと数字 で任意の各戸記号とする。 ただ し同 じアル ファベッ トは同姓 を表わす。 (な お 大 座 ・和 田座 ・桶 座 に つ い て ば 第III章を参照。) < 川 エ 道 --- 字 界 …… 野 尻 の 上 ・下 の 境((c)) --- 組 の 境((e)) の 集 落

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-33-野 尻 ・桶 井 と もに平 坦 地 に 乏 し く, 明治 期 に は 茶 と薪 炭 の 生 産 を 主 た る産 業 に して いた。 現 在 も茶 が 農 業 の 中心 を な し, 斜 面 の多 くが 開 折 され て 茶 畑 とな って い る。 町 の 中心 信 楽 と瀬 田 川 の 関 津 は, 宮 尻 か らほ ぼ等 距 離 に あ り, 町 村 合 併 前 に は瀬 田 方 面 との 結 び つ き も強 か った。 か み の か い と し も で 野 尻 で は, 上 ノ垣 内 ・小 山 ・西 出 ・下 出 に 家 し じゆ うが り 屋 が 展 開 し, 桶 井 で は 四十 刈 に 戸数 が 集 中 して し も け で か み で い る。 桶 井 で は, か つ て下 ヶ 出 ・上 出 に多 くの 家 数 を 見 た 時期 もあ った が, 現 在 は下 ヶ出 ・上 出 と も1戸 ず つ とな り, 残 りの戸 は 四十 刈 に あ って, しか も全 体 で は減 少 しつ つ あ る。 野 尻 は, 桶 井 と対 照 的 に, 昭和 戦前 期 まで は戸 数 を 増 加 させ て い た もの の, 戦後 は減 少 に転 じた。 野 尻 内 の家 屋配 置 に も若 干 の変 遷 を認 め うるが, 桶 井 ほ ど顕 著 で は な い。 川 流 れ に沿 っ て, ほ ぼ東 か ら西 に地 番 が ふ ら れ て い るの に並 行 して, 各 戸 は上 流 か ら下 流 に 一番 組 か ら六 番 組 の近 隣組 織 に分 か れ る。 一 組 は 家 並 原 則 に よ って, 6∼9軒 で 構 成 され て い る。 同姓 戸 の 卓越 す る の は, 宮 尻 の特 徴 で あ る。 過 表1世 紀 近 くの 間 に, いわ ゆ る一 軒 前 の資 格 を 認 め られ た, つ ま り共有 林 や 村 仕 事 へ の権 利 義 務 と, 氏 神 大 宮 神社 や 檀 那 寺 との関 係 を 認 め られ た 戸 は, 67に の ぼ る が, 1戸 のみ の姓 は7 に 過 ぎな い (第4図)。 同姓 戸 や そ の一 部 を 示 す 語 と して カ ブが あ り, 本 分 家 は オ モ ヤ ・イ ンキ ョと呼 ば れ て い る。 イ ソキ ョの 中に は, オ トコ シ (男子衆) を 独立 させ た と伝 え る奉 公 人 分 家5 例 が 含 まれ て い る。 調 査 方 法 は, 主 に古 老 に 対 す る聴 取 りとい う 民俗 学 的手 法 に拠 った。 正 確 を 期 す た め, 同 じ 内 容 に つ き必ず3人 以上 に尋 ね た。 変 化 の 側 面 に つ い て は, 聴 取 り調 査 で溯 り うる限 界 と, 土 地 台 帳 ・役場 資 料 等 の客 観 デ ー タ の得 られ る範 囲 が ほ ぼ 合致 す る の で, 明治 中頃 か ら昭 和59年 (1984) 現在 まで の90年 余 りを とる こ とに した。 年 次 を 限 って資 料 を呈 示 す る必 要 か ら, 明 治 ・ 大 正 ・昭和20年 以前 ・昭和20年 以 後 の各 時 期 よ り, 明 治21年 (1888)・大 正5年 (1916)・ 昭 和15 年 (1940)・ 昭和40年 (1965) を 選 んで 区 切 りと し 第1表 戸 数 の 変 遷 (単位: 戸) (明治初期は 『滋賀県物産誌』, 他 は土地台帳 と聴取 りに よる。) 第4図 同姓 戸 とオ モ ヤ ・イ ンキ ョ ア ル ファベ ッ トと数字 で任 意 の各 戸記 号 とす る。 た だ し同 じア ル フ ァベ ッ トは同姓 を表 わす。 (なお、 大 座 ・和 田座 ・桶 座 につ い て は第III章参 照。) →分 家 の派 生 →奉 公 人分 家 の派生

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た。 これ らは お よそ4分 の1世 紀 ず つ離 れ あ っ て い る。 次 章 以 下 で は, 前 節 で示 した4つ の関 係 群 か ら(1)・(II)・(III)に つ い て概 観 し, 分 析 作 業 の中 で(IV)を 探 って ゆ くつ も りで あ る。 III 祭 祀組 織 と儀 礼 的空 間秩 序 (1) 氏 子 組 織 と宮 座 組織 上 流 の野 尻 と下 流 の桶 井 は, 檀 那 寺 を こ とに して い る。 と もに浄 土 宗 なが ら, 野 尻 は 本 覚寺, 桶 井 は光 明寺 の檀 家 で あ る。 檀 家 組 織 や寺 有 林 の 権益 へ の関 与 な ど は, 従 って 別 で あ る。 同様 に, 山 の神 や 地 蔵 も双 方 に あ り, 山 の 神 祭 祀や 地 蔵 盆 も個 別 に営 まれ て い る。 しか し, 大 宮 神社 の 氏 子 で あ る こ とは 共 通 して お り, 宮 に 関す る大 小 の祭 や, 祭 祀 組 織 ・諸 役職 な どは, 宮 尻全 体 を ユ ニ ッ トと して 展 開 す る。 大 宮 神社 の年 間行 事 の 中で, 最 大 の も のは, 毎 年10月10日 に 行 なわ れ る 例 祭 (大祭) で あ り, 今 回 と りあ げ る宮 座 の儀 礼 が 見 られ るの も この機 会 で あ る。 例 祭 は, 昭 和29年 (1954) 以 前 に は新 暦11月28日 に行 なわ れ て い た が, 同 年 の 町 村 合併 以降, 隣接 す る朝 宮 地 区 三 所 神社 と と もに, 現 在 の 日取 りに 統 一 され た。 大 宮 神社 の 氏 子 の一 般 組 織 を 氏子 組 織, 例 祭 時 に宮 座 儀 礼 を遂 行 す るた め の組 織 を 宮 座 組 織 と仮 りに呼 んで お くが, 両 組 織 は 密 接 な関 連 を 持 って い る。 こ こで は, 両 者 の連 関 が 明確 に な る よ う留 意 しつ つ, 同 時 に説 明 して ゆ く。 な お, 制 度 や 組 織 に 生 じた 変 化 の 側 面 に つ い て は, さ しあた り昭 和 戦 後 期 の もの に 限 定 して 言 及す る。 み や どし よ り 氏 子 組 織 を 通 じて 重 要 な 役職 に 宮年 寄 が あ り, 昭 和59年 (1984) 現 在, 15人 が 宮年 寄 を つ とめ て い る。 宮 年 寄 は, 大 宮 神 社 の 維持 ・管 理 や 大 小 祭 礼 の 運 営 に 中 心 的 役 割 を 果 たす。 宮 年 寄 の みや ぜ わ 中 の1人 は, 宮 世 話 と呼 ば れ る よ り重 い役 を 兼 ね て い る。 神 主 の よ うに 神 事儀 礼 を 自 ら執 行 す る こ とは な い もの の, 大 小 の祭 の 準備 を始 め, 過 去 に は 常 夜 灯 の 燈 火 の 管理 を 行 な うな ど, 文 字 通 り神 社 の 世 話 役 で あ った。 神 社 本 庁 や 他 の 神 社 との 関 係 に お い て の, い わ ば 対 外 的 な 氏 子 組 織 の 代 表職 で あ る 氏子 総 代 は, 宮 年 寄 か ら4人 を 互選 し, 宮 世 話 を加 えた 計5人 を 届 け 出 て い る。任 期 は3年 で再 任 を 妨 げ ない。 宮 年 寄 の 役職 は, 宮 座 組 織 と深 く関わ って い る。 宮 の 祭 祀 集 団 と して の 宮 座 は, 宮 尻 で は単 に 「座 」 と呼 ば れ て い るが, そ の語 は個 々 の儀 礼 単 位 とな る集 団 を示 す だ け で な く, 例 祭 の あ との 宮 座 儀 礼 そ の もの を 指 した り, 儀 礼 の執 行 され る 建 物 を示 した りす る の に も使 用 され る。 だい ざ わ だ ざ 祭 祀 単位 と して の座 の 集 団 は, 大 座, 和 田座, おけ ざ 桶 座 の 三 座 か らな り, 大 宮 神社 に対 す る義 務 ・ 24) 権 利 を認 め られ て い る戸 は, 全 て 三 座 の い ず れ か に 帰 属 して い る。 昭 和59年 (1984) 現 在, 大 座16戸, 和 田座12戸, 桶 座15戸 とな って い る。 第2表 大宮神社の行事 第3表 座 の構成戸の変遷 (土地台帳 と聴取 りに よる。) 24) 外来戸 も長年居住すれば願い出て, 一定 の権利金 を納 めて部 落 と宮に加入を許 され るのが通例 であ り, この限 りでは 宮尻 の宮座を 「村座」 と考えて よい。

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-35-大 座 ・和 田座 に所 属 す る の は野 尻 の各 戸 で あ り, 桶 井 の 戸 は全 て桶 座 に属 して い る。 た だ1戸 の 例 外 は, 野 尻 のJ4で あ って, 大 正 期 に 桶 井 か ら野 尻 へ転 入 した もの の, 座 へ の帰 属 は 従 前 の 桶 座 を 維持 し続 け て い る。 氏 子 組織 の役 職 で あ る宮 年 寄 は, 昭 和30年 代 の 終 り頃 まで は, 大 座 ・和 田座 か ら各4人, 桶 座 か ら6人 の計14人 で構 成 され て い た。 そ の後, 各 座 か ら5人 ず つ 計15人 とな って 現 在 に至 って い る。 大 座 と和 田座 で は, 固定 した 家 の代 表 者 の 男性 に よって 宮 年 寄 が 世 襲 され る の に対 し, 桶座 で は, 座 の成 員 で あ る全 て の家 の代 表 者 の 男性 の うち, 年 長 の者 か ら順 に5人 が 任 に 就 い て い る。 宮 世 話 は, 大 座 に 属 す る野 尻 のA1家 とA5家 の と もに宮 年 寄 の2つ の家 の 当主 に よ って継 承 され, こ こ2代 は い ず れ もA1家 の 当 主 が務 め て い る。 座 の成 員 資 格 は, 各 座 とも次 三 男 以 下 を 含 む 男性 だ け に与 え られ て い る。 数 え年 で 大 座15歳, 和 田座25歳, 桶 座16歳 とい うのが 加 入 資 格 を 得 られ る年 齢 で あ り, 当家 を つ とめ る こ とが で き た。 当家 とは, 例 祭 か ら次 の 例 祭 まで の 一 年 間, そ の役 割 が 継 続 す る年 番 の 神 役 で あ って, 毎 年 各 座1人 ず つ, 計3人 が 選 ば れ る。 若 い 時 に す る最 初 の 当家 を イ リ ドウ, 隠 退 す る まで に あ と 1回, 場 合 に よ って2回 つ とめ る こ と もあ った。 座 を 退 く直 前 に す る当 家 は, ヒザ クダ リと称 し た。 大 座 ・和 田座 で は, 毎 年 正 月3日 に大 宮 神社 社 務 所 で 開 く座 始 め に お い て, そ の年 の 当家 を 話 し合 い で 決 め, 桶 座 で は, 毎 年 右 座左 座 (後 述) か ら交 互 に 当 家 の 出 る の が な らわ しだ った。 この よ うな原 則 は, 大 座 で は 現在 も維持 され て い る。 しか し, 和 田座 ・桶 座 で は, 戸 数 や 若 年 世 代 の 減 少 を理 由 と して, 昭和30年 代 前 半 に崩 れ て しま って い る。 桶座 で は, 右 座 の戸 の減 少 に よ り左 右交 互 の 原 則 維持 が 困難 とな った た め, 左 右 に 関 係 な く, 当家 を家 の 当番 制 に か え, そ の 順 番 は家 並 び 順 と した。 続 いて 和 田座 は, 昭 和34年 (1959) 頃 を境 に して, そ の時 点 か ら溯 って 最 も長 く当家 を経 験 して い ない 家 の 順 に, や は り当 番 制 に 移 行 した。 和 田座 で は特 に, 加 入 年齢 の 高 い こ とが, 旧慣 の維 持 に障 害 とな っ た。 当家 の 資格 が 次三 男 以下 に も認 め られ て い た の に 対 し, 宮 座 儀 礼 と直 会 の行 なわ れ る座 の 建 25) 物 (以下座 小屋 と呼ぶ) に お け る 席次 は, 家 の 代 表 者 の 男 性 のみ に定 席 が 与 え られ, 次 三 男 以 下 は 末 席 とな る。 座 小 屋 で は 中央 に炉 を は さみ, 三座 の そ れ ぞれ が右 座 と左 座 に分 か れ, 向 い 合 って座 る。 左 右 どち らの座 に着 くか は, 三 座 と も各 家 ご とに決 って い る。 大 座 ・和 田座 で は, 席 次 も家 に よっ て 固定 して お り, 桶 座 で は, 家 の代 表 者 の年 齢 の高 い者 か ら順 に, 上 座 か ら着 席す る。 第5図 に は, 昭 和 戦 前 の和 田座 と戦 後 の 大座 の座 順 を示 した。 両 座 と も右 左 の 第1, 2席 の 4人 が宮 年 寄 を 務 めて い る。 大 座 の 右 座A14と, 和 田座 の右 座G1が, 後 に 増 員 され る5人 目の 宮 年 寄 で あ る。 桶 座 で は, 右 左 の上 位3人 ず つ 計6人 が 宮 年 寄 とな って い た が, 昭 和30年 代 に 早 く も右 座 左 座 の区 分 が 顧 慮 され な くな り, 同 第5図 座小屋におけ る座順 (□……炉) 大 座 (昭和40年 頃) 和 田座 (昭和15年 頃) 25) 宮尻 では座小屋 と呼 ばないが, 湖南村落には座小屋 と称す るところが多い。 ここでは便宜上, 普通名詞 と して使用す る。

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じ頃 に 員 数 が1人 減 とな った た め, 年 齢 順 に上 位 か ら5人 が 宮 年 寄 に就 く よ うに な った。 ざが し ら 座 に は 座 の長 と して座 頭 が あ る。 大 座 で は, 宮 世 話 ・宮 年 寄 のA1が これ を務 め, 和 田座 で は, 右 座 筆 頭 の 宮年 寄F1が 世 襲 して い る。 桶 座 で は, 戦後 長 く最年 長 者 が座 頭 を つ とめ て い た が, 現在 のJ13は 座 で の推 薦 に よる もので, 最 年 長 者 で は な い。 さて, 大 座 ・和 田座 に 共通 す る座 の編 成 原 理 と して, (1)男性 本位, (2)長子優 先, (3)特定 の家 筋 の優 越, (4)本家 の優 位 の4点 を 指摘 し うる。 26) 女 性 の 排 除 は, わ が 国宮 座 祭 祀 に普 遍 的 で あ る。 席 次 を もつ こ との で きる の が家 の代 表 者 で あ る 点 か ら, 長 子 の優 先 も明 らか で あ ろ う。大 座 に おい て は, 右 座 左 座 と もA姓 が上 座 を 占め, 戸 数 に お い て も他 を 圧 して い る。 和 田座 に お い て も, 右 座 にF姓 が, 左 座 にH姓 が上 座 を 占 め, い ず れ も世 襲 の宮 年寄 で もあ る点 で, 特 定 の家 筋 の優 越 を示 し うる。 オ モ ヤ ・イ ンキ ョ (本分 家) 関 係 に あ る家 は, 3座 と右 座 左 座 の配 属 を 等 し く して い る。 分家 同士 の座 順 は, 必 ず し も 古 い 分 家 が 上位 とは 限 らな いが, 本 家 は常 に分 家 の 上 位 に あ る。 桶 座 の 編 成 原理 は, (1)男性 本 位, (2)長子 優 先 の イデ オ ロギ ーが認 め られ る点 で, 大 座 ・和 田 座 に 共 通 す る。 しか し, 座 に おけ る席 次 に は, (3)年齢 原理 が貫 徹 され て お り, いわ ゆ る状 況 可 27) 変 の 原 則 を 見 出 し うる。 (2) 右 座 の 優越 以上 の よ うな組 織 や 諸 原 則 を 前 提 と して, 例祭 に お け る祭 儀 と宮 座 儀 礼 の 次 第 を, 三座 と右座 左 座 の関 係 構 造 に注 意 しな が ら概 観す る と次 の通 りで あ る。 例 祭 前 日の10月9日 に は, 三 座 の各 当 家 の 家 ご く で早 朝 か ら餅 を揚 き, 長 円形 の 御 供 と呼 ば れ る 神僕 を作 る。 これ に はそ の座 の 宮 年 寄 の2名 か 3名 が 手伝 い に行 き, 残 りの宮 年 寄 は 大 宮 神 社 に 赴 い て 翌 日の 準備 を整 え る。 御 供 を 作 るの に 女 性 は 関与 しな い。 御 供 がで き上 る と, 当 家 を 手 伝 った宮 年 寄 は, 神社 へ御 幣 を 迎 えに 行 く。 この 時 に は, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 に な る よ う時 間 を 見 計 ら って ゆ く。御 供 箱 に収 め た 御 供 と, 迎 え た御 幣 は, 各 当家 の家 の床 の 間 に 祀 ら れ る。 この 晩 は 宵宮 な の で, 神 社 へ 参 拝 す る者 も多 い。 翌 朝, 当家 は御 供 と御 幣 を神 社 へ 送 って ゆ く。 この 時 に も, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の優 先 順 位 が あ る。信 楽 三 雲 神社 の 神 主 が例 祭 を 司 どるの で, そ の到 着 に よ って 神事 が挙 行 され る。 拝 殿 で は, 正 面 の 本殿 に 向 か って右 側 に大 座 の宮 年 寄 が 着 座 し, 続 い て和 田座 の宮 年 寄 が並 び, 左 側 に は 桶 座 の 宮年 寄 の並 ぶ の が, 本 来 の座 順 とされ て い る。御 供 箱 も同様 に, 右 左 に置 か れ るべ き と い う。 しか し近 年 は, 右左 の別 は お お よそ 守 ら れ る もの の, 座 順 に つ い て は必 ず し も仕 来 た り 通 りに は な って い な い。 拝 殿 の 中 央 に は, 前 ぜん とう ぜ んやく 列 に この1年 間務 め た 当家 (前当あ るいは前役) が, 後 列 に は 向 こ う1年 間 担 当 す る 次 の 当 家 こうとう こうや く (後当, 後役) が, 本 殿 に 向 か っ て右 か ら大 座 ・ 和 田 座 ・桶 座 の 順 に座 る (第6図)。 第6図 拝 殿 に お け る 当 家 ・宮 年 寄 の 座 順 (昭和30年 頃) □御 供 P神 主 K区 長 26) この よ うな 宮座 の封 鎖 性 につ い て は, 原 田敏 明が 指 摘 して い る 〔注14)124-141頁 〕。 27) 年 齢 を 加 え て ゆ く こ とに よ り権 威 あ る地 位 を獲 得 す る よ うなわ が 国村 落 社 会 の一 類 型 にお け る中 心 的 イ デ オ ロギ ー。 蒲 生 正 男 「日本 の伝 統 的社 会 構 造 とそ の変 化 につ い て」, 政 経 論 叢50-5・6, 1982, 11-28頁。

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-37-神 事 が 進 行 し, や が て 献 饌 に な る と, 拝 殿 か ら本 殿 に渡 した 橋 とそ れ に 続 く本殿 に登 る石 段 に宮 年 寄 が 並 び, 神 饌 を 次 々 と手渡 しで本 殿 に 上 げ て ゆ く。 この 宮 年 寄 の 並 び 順 も, 本 殿 の高 い所 に大 座 の宮 年 寄 が 立 ち, そ の下 に和 田座 ・ 桶 座 の宮 年 寄 が 並 ん だ とい わ れ て い るが, 近 年 は余 り顧 慮 され ない。 献 饌 の 最後 は御 供 が運 び 上 げ られ る。 藁 製 の 「輪 」 を 頭 に載 せ た 「御 供 持 ち」 の少 女 を 先 導 に, 前 当 ・後 当 が御 供 箱 の 前 後 を 担 っ て本 殿 に 登 る。 これ に も大 座 ・和 田 座 ・桶 座 の順 が あ り, 現 在 も遵 守 され て い る。 御 供箱 か ら取 り出 した 御 供 は, 本 殿 で や は り右 か ら大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 序 に 並 べ 置 か れ る。 献 饌 を待 っ て, 神 主 立 ち会 い の 下, 本 殿 で 「当 受 け 当渡 し」 の儀 礼 が 行 なわ れ る。 神 主 は まず 大 座 の前 当 に御 幣 を 渡 し, 前 当 は そ れ を後 当 に, 後 当 は それ を再 び 神 主 に 返 す。 続 い て 和 田座 ・ 桶 座 の順 に 同 じ こ とを 行 な う。 当受 け 当 渡 しを も って, 例 祭 の祭 儀 は終 了 す る。 この 間, 各 座 に 属す 一 般 の男 性 は, 境 内に 佇 立 して 神 事 の 進 行 を 眺 め て い る。 神主 が帰 る と座 が 始 ま る。 座 小 屋 内 に仕 切 ら ざ こ れ た3室 に分 か れ, 座 子 (座の成員) が 揃 うと, 前 当後 当 が神 酒 と御 供 を 下 げ て くる。 大 座 の 当 家 か ら 「お神 酒 下 げ ます 」 と声 を 掛 け, 和 田 座 ・桶 座 の順 に神 酒 を 下 げ, 続 い て 御 供 を 同 じ よ うに撤 饌 す る。 各 座 で は座 頭 の 発 声 に よ って, 撤 饌 した神 酒 ・御 供 を い た だ く儀 式 を始 め る。 開始 の合 図 も同 じ三 座 の順 が あ った とい うが, 近 年 は厳 格 に は守 られ て い ない。 神 酒 ・御 供 は 当家 の給 仕 に よって, 右 座 の 最 上 位 か ら左 座 へ, さ らに右 左 と千 鳥 式 に下 が って ゆ き, 一 巡 りす れ ば上 下 の な い直 会 の宴 とな る。 宴 は 午 後 まで も続 くの が通 例 で, 三 々五 々人 々の 去 った後, 最後 に残 った新 旧 の 当家 が あ とか た ず け を 行 な い, 各 座 の 幕 を畳 んで 全 て が 終 了 す る。 祭 儀 ・宮 座 儀 礼 と直 会 を 通 じて, 貫 徹 され て い るの は, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 で の 優 先 順 位 で あ る。 御 幣 の迎 え送 りを始 め と して, 神 事 儀 礼 に お け る献 饌 や 撤饌 の 次 第, 当受 け 当渡 し, 座 始 め の 合 図 な どに, 本 来 は厳 しい順 序 が 存 在 して い た。 さ らに 注 目す べ きは, これ ら三 座 の 順 序 が, 右 と左 の 空 間 分 類 に強 く結 び つ き, 右 の 優 越 とい う形 で 表 象 され て い る こ とで あ る。 空 間 分 類 は, 特 に 拝 殿 に お け る宮 年 寄 や 当家 の 座 席, 献 饌 され た 御 供 の配 置 な どに 明瞭 に現 わ れ, 時 間 的優 先 と結 び つ くこ とか ら, 右 の重 視 が 理 解 され よ う。 座 始 め に お け る神 酒 ・御 供 の順 に表 れ て い る よ うに, 右 の優 先 は 座 の 内 部 に ち見 られ る。 特 に, 大 座 と和 田座 に お い て は, 座頭 が右 座 筆 頭 で あ る こ と, 5人 目の 宮 年 寄 が どち ら も右 座 か ら選 ば れ て い る こ とな どが 注 目 され る。 また, 大 座 へ の 加 入 を 大 正 初 期 に認 め られ た外 来 戸E は, 左 座 に 配 属 され て い る。 和 田座 で は, 同姓 で あ りな が ら右 左 両 座 にG姓 が 見 られ るが, 左 座 のG3, G6, G7の3戸 は, G1の 奉 公 人 分 家 と伝 え られ, 明 治 末 期 に 苗 字 を分 け て も らっ て 座 入 り した とい う。新 規 加 入 の来 住 戸 や 奉 公 人 分 家 を 左 座 に 帰 属 させ る こ とに よ り, ここで は 右 座 の 正 統 性 と威 信 が 暗 黙裡 に 承認 され て い る。 しか し桶 座 に お い て は, 左 座 は伝 統 的 にJ 姓 に よ って 独 占 され て お り, 大 正初 め に座 へ の 加 入 を 認 め られ た 外 来 戸Oは, 右 座 に配 属 され て い る。 空 間 分 類 に 連 合 す る もの で は な い が, 大 座 ・ 和 田座 が 桶 座 に 対 照 を 見 せ る事 実 は, 他 に も存 在 す る。 座 の 儀 礼 に 当 家 の 準備 す る重 箱 の肴 は, 大 座 ・和 田座 が 「え び とか ぶ らの 漬 け物 」 で あ る のに 対 し, 桶 座 は 「す る め とた くあ ん」 で あ る。 また, 各 座 の 建 物 内 に 張 り渡 され る幕 の意 匠 は, 大 座 が 黒 地 に 白ぬ きの 「丸 に 大」, 和 田 座 が 白地 に 黒 で 染 め た 「丸 に和 」 と対 を なす が, 桶 座 は水 色 の 地 に 「上 り藤 」 が 染 め抜 かれ て い る。 昭 和30年 (1955) に 建 て 直 され る 以前 の座 小

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屋 配 置 で は, 本 殿 に 向 か って左 に大 座 が, 右 に 和 田座 と桶 座 が, いず れ も独立 棟 を な じて いた。 大 座 内 部 で は 上下 の 座 順 の方 向 が他 の二 座 と逆 に な って お り, 本 殿 に 近 い 方 が 下 座 で あ った (第7図)。 この 場 合 は, 大 座 に和 田座 と桶 座 が 対 比 され て い る とい え よ う。 IV 民 俗 方 位 と しての 上/下 現在 の 宮 尻 に お け る 日常 生 活 に, 最 小 の単 位 を な す家 の 集 団 は, 一 番 組 か ら六 番 組 まで の近 隣 組 で あ る。各 組 は 組 長 を 持 ち, 行 政 連 絡 の末 端 の 単 位 を な す と と もに, 葬 式 組 と じて も機 能 し 28) て い る。 戦 前 に は, いわ ゆ る村 組 で あ る垣 内が, 葬 式 組 を 除 きほ ぼ 同 じ機 能 を 担 っ て いた。 大 正 ・昭和 初期 頃 の垣 内 を小 字 との対 応 で 示 せ ば, む かい で 野 尻 で は東 か ら上 ノ垣 内 (小字 と同 じ)・向 出 (小 せき や 山)・ 関 谷 (西出の北半部)・ 西 出 (西出の南半部)・ 下 出 (下出 と上畑) の5つ の垣 内 が あ っ た。 桶 井 もお そ ら く下 ヶ 出 ・上 出 ・四十 刈 に分 か れ て い た と思わ れ る が, 下 ヶ 出 ・上 出に 戸 数 の 減 少 が 激 じか った た め か, 桶 井 全 体 を 単 位 とす る こ と が 久 じ く続 い た。 社 会 生活 上 の家 々 の繋 が りは, 他 に も よ り大 きな地 域 単位 や 集 団 に お いて 見 る こ とが で き る。 例 え ば, 戦 前 ま で の 葬式 組 は, 現 在 の よ うに 隣 29) 組 で は な く, 念 仏 講 と呼 ばれ る講 組 織 を 単 位 と じて い た。 野尻 で は小 字 西 出 の中 ほ どを 境 に じ て 分 か れ た 上 と下 が, そ れ ぞれ 念 仏 講 を な し, 桶 井 は 全 戸 で ひ とつ の 念 仏 講 を形 成 じて いた。 念 仏 講 の 名 称 が 死 語 化 じた 現在 に お いて も, 野 尻 の 上 ・下 の 区 分 は, 日常 生活 に な お使 用 され て い る (第3図(c))。 野 尻 と桶 井 が 基本 単位 とな る もの に, 野 尻 本 覚 寺 と桶 井 光 明寺 の 檀家 組織 が あ る。 盆 に は, 8月10日 に 野 尻 で本 覚寺 境 内 の掃 除 が 行 なわ れ, 桶 井 は8月5日 に 「盆 の道 作 り」 と呼 ば れ る墓 地 まで の道 の掃 除 が あ る。 男女 は問 わ ない が, 1軒 に1人 が義 務付 け られ, 朝 か ら一 斉 に 行 な わ れ る 共 同作 業 で あ る。 本 覚 寺 で は, 互 選 に よ る 檀徒 総 代4人 の下 に, 一 年 交 代 の年 行 司 が2 人選 ば れ る。 年 行 司 は, 盆 ・彼 岸 を 含 む 年6回 の寺 の行 事 に, 山 か らハ ナ (シキ ビ) を 採 って 来 た り, 寺 の 境 内 の 掃 除 を した りす る こ とを 役 目 と して い る。 年 行 司 は 隣番 制 を とっ て お り, 檀 徒 総 代 を 除 く野 尻 全 戸 を上 か ら下 に 向か って2 軒 ず つ巡 る。 この上/下 は, 念 仏 講 に 一 致 す る 地 域 単 位 と じて の上 ・下 で は な く, ほ ぼ 大 谷 川 の 流 れ に沿 っ た相 対 的 な方 位 で あ り, 一 部 に は 斜 面 の 上 方 ・下 方 とい う意 味 も含 んで い る。 年 行 司 は 上 の垣 内 か ら下 出 まで 巡 れ ば, 再 び 上 の 垣 内 に戻 る。 光 明寺 の檀 家 に は, 檀 徒 総 代 が3人 選 ば れ る。 野 尻 とは異 な り, 桶 井 に は年 行 司 と花 切 りとい う二種 の 役 が あ る。 いず れ も2軒 ず つ1年 間 の 任 期 で, 年 行 司 を1年 務 め る と翌 年 は 花 切 りを す る。 寺 の行 事 が営 まれ る時 に は, 年 行 司 が 掃 除 や 準備 を行 な い, 花 切 りは山 か らシキ ミを採 って来 る。 隣番 順 はや は り上 か ら下 へ で あ る が, 上 出 のL1は 最 後, す なわ ち四 十 刈 の 戸 の あ と に な って い る。 そ れ が いつ か らか とい うこ とに つ い て は, 桶 井 で は もは や 記 憶 され て い な い が, 下 ヶ 出 ・上 出間 の道 が, 戸 数 の 激 減 と大 谷川 沿 第7図 座小 屋の配置 (概念 図) 昭和30年 以前 昭和30年 以 後 矢 印 は右 座 (実線) と左座 (破線) の座 順 を表 わす。 28) 村組 は村 の内部を地域区分する組織, 近 隣組は 村 の家 々を 一定戸数ずつ まとめる組織。 福 田アジオ 「村落生活 の伝 統」, 竹 田旦他編 『日本 民俗学 講座2 社会伝 承』, 朝倉書店, 170頁。 29) 宗教講 とじての機能は記憶 されていない。

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-39-い の県 道 の 整 備 に よ って利 用 され な くな った こ とに応 じて, L1の 順序 が再 編 され た ので は な い か と考 え られ る。 宮 尻 全 体 を ユ ニ ッ トとす る機 能 契 機 に, いわ ゆ る村 仕 事 と大 宮 神社 の普 段 の清 掃 が あ る。 後 者 は 宮 掃 除 当 番 と呼 ば れ, 過 去 に2軒 ず つ が, 最 近 で は4∼6軒 が一 組 とな り, 1軒 に1人 ず つ が 出 て 大 宮 神 社 境 内 の 掃 除 を行 な うもので あ る。 各 戸 か ら女 性 の 出 る こ とが多 い。 期 限 は定 め られ て お らず, 済 め ば 「宮 掃 除 当 番帳 」 に記 入 して 次 に 回 す。 この 義 務 も宮 尻全 体 を通 して, 上 か ら下 の 方 向 に 巡 って ゆ く。 この よ うに, 上/下 は上 流 ・下 流 に ほ ぼ対 応 す る相 対 的 方 位 と して, 日常 的 空 間 を秩 序 づ け て い る。 野 尻 と桶 井 が互 い か ら上 ・下 と呼 ば れ る こ とが あ るの も, 方位 の相 対 性 を 表 わ す もの に 他 な らな い。 さ らに 旧村 を共 にす る上 流 の 朝 宮 は, 宮 尻 か らは上 と呼 ばれ る こ とが あ り, 上 /下 の 方位 は集 落 レベ ル を越 え て適 用 され うる。 今 ひ とつ 注 意 して お きた い の は, 上/下 に お い て常 に上 が優 先 され た よ うに, 両 者 が 必 ず し も対 等 の 関 係 を示 して い な い こ とで あ る。 そ れ は と くに, 家 々 の本 来 関 係 に関 して 顕 在 化 す る。 同姓 戸 の一 団 を カ ブ と呼 ぶ こ とが あ る。 しか し, オ モ ヤ ・イ ンキ ョす なわ ち直 接 の本 家 分 家 関 係 に あ る家 々を カ ブ と呼 ぶ こ とも あ り, そ の 内容 は広 義 ・狭 義 の間 で 安 定 して い な い。 広 義 の カ ブ は, 同姓 で あ る こ とか ら生 じる漠 然 と し た 同族 観 念 は あ る に して も, 同 族 団 と して機 能 す る こ とは な い。 これ に 対 して 直 接 の 本 分 家 関 係 に あ って は, 日常 付 き合 い の 点 で は 双 系 的 な 親 族 関 係 に埋 没 して い る もの の, 分 家 派 生 時 の 財 産 分 与 に 見 られ る経 済 的 側 面 で の 本 家 の 庇 護 を始 め, 冠 婚 葬 祭 時 にそ の系 譜 関 係 が 意 識 され る な ど, 3代 程 度 の世 代 降 下 度 で は, な お そ の 関 係 の顕 在 化 す る契 機 が 多 い。 系譜 関 係 に深 く関わ る もの と して 注 目され る の は, 上/下 の 民俗 方 位 が, 分 家 派 生 時 の 方 向 規 制 と して表 象 され て い る事 実 で あ る。 宮 尻 全 体 を 通 じて, イ ンキ ョは オ モ ヤ よ り上 に は 家 を 建 て られ な か っ た と伝 え られ て お り, 逆 に 本 末 関 係 の 不 明 な2軒 の家 の 関 係 を, そ の立 地 か ら 類 推 しよ うとす る試 みす ら行 なわ れ て い る。 実 際, 単 な る伝 承 に過 ぎな い もの を 除 いて, 明治 21年 (1888) まで に 生 じた こ との 明 らか な 分 家 8例 は, 例 外 な く下 の 方 向 に 派生 され て い る。 そ の 後, 大 正5年 (1916) まで で は7例 中5例, 昭 和15年 (1940) まで で は4例 中1例, 現 在 ま で の2例 で は1例 が, そ れ ぞ れ下 の 方 向へ の イ ソキ ョ分 出 で あ り, 大 正 初 め まで は規 制 がそ の 効 力 を 発 揮 して い た。 さ らに, 明 治 末 ま で に生 じた と考 え られ る奉 公 人 分 家5例 は, す べ て 下 の 方 向 に 成 立 して い る (第3図)。 野 尻 に お け る 本家 と呼 ば れ る家 々 の多 くが, 上 の 方 す な わ ち 上 ノ 垣 内や 向 出 に集 中す る とい うの も, 住 民 に よっ て強 調 され る と ころで あ る。 な か で も, 現在 は 西 出 に 居 を構 え るA5は, 江 戸 時 代 に は 上 ノ垣 内 よ りさ らに上 に あた る上 ノ 屋 敷 と呼 ば れ る地 に あ った と言 い, しか も現 在 の 最 有 力 家A1を 分 出 した本 家 で あ る と伝 え ら れ て い る。 同様 に, 桶 井 に お い て も, 本 家 筋 で あ って家 格 の高 い政 治経 済 的 に卓 越 して い た 家 々 は, 往 時下 ヶ 出や 上 出 に集 中 して い た もの が, 明 治 中 頃 以降 急 速 に衰 え減 少 した と言 わ れ て い る。 日常 的空 間秩 序 を なす 上/下 の民 俗 方 位 に は, 以 上 の よ うに上 の優 先 のみ な らず, 上 の優 越 と い う非 対 称 を 見 出す こ とが で き, さ らに そ の こ とは, 旧家 や 過 去 の有 力家 の伝 承 に よ って補 強 され て い る の で あ る。 V 社 会 関係 と 祭祀 組 織 本 章 で は, 分 析 枠 組 で 示 した 社 会 の 側 の 関係 構 造 に つ い て 見 てゆ く こ とに す る。 具 体 的 に は, 通 婚 ・土 地 所 有 ・政 治 な ど に現 わ れ る家 々 の諸 関 係 や 階 層 を, 家 々 の三 座 へ の帰 属 を交 叉 させ

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て と らえて み た い。 もち ろ ん, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 へ の 帰 属 は, 例 祭 時 に顕 在 化 す る もの の, 日常 生 活 の 中 で は, ほ とん ど顧 み られ る こ とが な い。 一 部 宮 年寄 が, 年 間10回 を超 す 大 小 の祭 りの 準 備 に 関 連 して座 を話 題 に した り, 当家 を担 当 して い る家 が, 果 す べ き義 務 につ い て 常 に 自覚 を 迫 られ て い る以 外 に は, 日常 に お いて 座 の所 属 が 意 識 され る こ とは な い とい え よ う。 しか し以 下 で は, 関 係構 造 を 吟味 す る とい う目的 か ら, 統 計 を 三 座 の 単 位 に と って考 察 す る。 前 述 の よ うに, も と桶 井 に 居住 し, 後 に野 尻へ 転 入 した1戸 を 除 け ば, 野 尻 の構 成 戸 と大 座 ・和 田座 に属 す る戸 は 等 し く, 桶 井 の 戸 と桶 座 所 属 戸 も重 な って い る。 し た が って, 三座 を単 位 とす る こ とに よって, 野 尻 ・桶 井 の 関 係 に つ い て 見 る こ と も可 能 とな る。 (1) 通 婚 関 係 高 橋 に よれ ば, 上 流 の朝 宮 で は 宮 尻 か らの 婚 入 が 忌避 され て い た といい 〔注 14)99頁〕, 宮 尻 で も, か つ て は 朝 宮 へ は嫁 に行 か ない も ので あ った と伝 え て い る。 しか し宮 尻 の 内部 で は, 上/下 の 方 位 や 座 の 帰 属 に ま つわ る 通 婚 規 制 は 見 られ ない。 た だ, 過 去4代 の 通婚 数 を み れ ば, 偏 向 とは い え ぬ まで も, い くつ か の傾 向 を指 摘 す る こ とが で き る。 第4表 通婚総数 第5表 世代別通婚数 (旧朝宮村: 宮尻を除 く, 信楽 町: 旧朝宮村 を除 く, 甲賀郡: 信楽町を除 く, 滋賀県: 甲賀郡を除 く)

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-41-第4, 5表 は, 現世 帯 主世 代 を含 めて 過 去4 代 の嫁 入 り及 び 聟 養 子 の 婚 姻数 に, 養 子 の縁 組 数 を 加 えて 通 婚 数 と した もの で あ る。 と くに第 4表 通 婚 総 数 は, 三 座 を 単 位 に 転 出 や廃 絶 に よ っ て現 住 を 見な くな った 戸 に つ い て も, 聴 き取 り調 査 を 主 に で き るか ぎ り補 って 得 た数 で あ る。 これ を 見れ ば, 大 座 へ の婚 入 が 卓越 し, 座 内婚 のみ な らず, 和 田座 ・桶 座 か らも10件 以上 の婚 入 が あ る こ と, 和 田座 で は 自座 内 よ りも大 座 へ の婚 出が 大 き く上 回 る こ と, 桶 座 へ は 野 尻 か ら の婚 入 が 少 ない こ とな どが 特 徴 とな って い る。 世 代 別 で は, 4代 前 の 桶 井 か ら野 尻 へ の婚 出, 3代 前 の桶 井 ・野 尻 双 方 へ の 出 入 りな ど, 野 尻 ・桶 井 間 の交 渉 の見 られ る こ とに 対 し, 2代 前 の減 少 と, 現 世 帯 主 世 代 の 通 婚 の な い こ とが 注 目され る。 また, 4代 前 と3代 前 に は, 宮 尻 内 で の 内婚 率 が 高 く5割 以 上 を 占め, 多 少 は あ る が三 座 間 相 互 の 出入 りが 見 られ る。 しか し, 2 代 前 に な る と内婚 率 は なお 高 い もの の, 野 尻 と 桶 井 の交 渉 が 少 な くな り, さ らに 現 世 帯 主世 代 で は, 村 内 婚 そ の もの が著 しい減 少 を 見せ て い る。 以 上 の こ とか ら, 過 去 に お い て 野 尻 ・桶 井 間 の交 渉 が現 在 よ り密 で あ った こ とが わ か り, ま た, 高 か った 内婚 率 が 双 系 親 族 の 日常 に お け る 重 要 性 を強 め る の に大 き く作 用 して い た で あ ろ うこ とが推 測 され る。 しか し, 三 座 の 総 計 に 表 わ れ な い部 分 に は, 無 視 で き ない 偏 りが 窺 え る。 例 え ば, 大 座A姓 へ の過 去4代 の宮 尻 内で の 婚 入 総数 は29件 を数 え る が, そ の 内訳 は 同 じA 姓 か らの 婚 入 が10件, 以下J姓6, H姓5, F 姓4, 1姓2, C・G姓 各1件 とな って お り, 同姓 以 外 に は, 野 尻和 田座 宮 年 寄 のF・H2姓 と, 桶 井 のJ姓 との 関係 が密 で あ る。 同 様 に, 桶 座J姓 へ の婚 入総 数17件 を 見れ ば, 同 じ, J姓 か ら7, A姓5, L・N姓 各2, F姓1と な り, 野 尻A姓 との交 流 が認 め られ る。 この こ とは 戸 数 に 対 応 す る と言 え な く もな いが, む しろ一 部 の姓 か らの婚 入 を欠 く事 を重 視 す べ きで あろ う。 ちな み に, 野 尻 で宮 年 寄 を 出 して い ないC・D ・E・G・I5姓 へ の 通婚 総 数19件 を 見れ ば, A姓 か らの 婚 入 が3件, J姓 か ら も同 じ く3件 しか な く, 戸数 比 率 の み で は説 明で き ない。 こ の よ うな 事 実 は, 特 定 の広 義 の カ ブ の家 々が, 一 定 の 家 格 を形 成 し, 意 識 され な い形 で あれ 通 婚 関 係 に 影響 を与 え た こ とを示 唆 す る も ので あ る。 (2) 経 済 階 層 と政 治 的 リー ダ ー シ ップ 第6 表 と第8図 は, 主 に 土地 台 帳 に よっ て, 野 尻 ・ 桶 井 あ るい は 三 座 の 経 済 力 と家 々 の消 長 を 眺 め よ う と した もの で あ る。 戦後 しば ら くまで の宮 尻 で は, 茶 園 を 中 心 とす る 農 業 と薪 炭 を製 造 す る林 業 に 従 事 す る戸 が ほ とん どで あ り, わ ず か に 明治 に 溯 って のA4の 材 木 業や 二, 三 の商 い が あ るの み で あ った。 大 規 模な 不 在 地 主 は な く, 農 地 改 革 に よ る影 響 も限 られ て い た。 した が っ 第6表 土 地 所 有 の変 化 (単位: 町歩)

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て, 土 地 所 有 を指 標 と して 経 済 階 層 や そ の地 位 の変 動 を 見 る こ とは, 妥 当で あ る と判 断 され る。 念 の た め, 旧朝 宮 村 々役 場 資 料 か ら, 大 正 期 の 「県 税 戸 数 割 追 加 賦 課 額 」 の各 戸 順 位 を, 同 期 の林 野 所 有 規 模 順 位 と比 較 して み た が, 大 きな 食 い違 い を示 す 戸 は なか った。 三 座 あ る い は野 尻 ・桶 井 を 見 れ ば, 明治 中期 以降, 大 座 あ る い は野 尻 の勢 力 の 上 昇 とそ の 持 続 が 明 らか で あ り, 桶 座 も し くは 桶 井 の 凋 落 が 際立 っ た対 照を 見せ て い る。 桶 井 の 林 野 所 有 は, 明治 中期 す で に 宮 尻 全 体 の3分 の1で あ った も の の, 田畑 は戸 数 に 見合 って か つ て は 宮 尻 全 体 の半 分 近 い面 積 を 保 有 して い た。 しか しそ の後 の減 少 ぶ りは 激 し く, 昭 和15年 (1940) に は, 林 野 が宮 尻 全 体 の1割 余 り, 田畑 で す ら3割 に 届 か な い と ころ まで 落 ち込 ん で い る。 大 座 に 属す 家 々 の優 勢 は, す で に 明 治21年 (1888) の林 野 所 有 に現 わ れ て い る。 さ らに 和 田 座 に 属す3, 4戸 を含 め て, 明治 か ら昭和 に か け て の一 部 上 位 ・中 堅層 の 富 の蓄 積 を指 摘 し う る。そ の 中 には, A8, A11, F3, G4の よ うに, 有 力本 家 の 庇護 を 受 け た 分家 の家 々が, 大 き な 財 産 分与 を受 け た り, そ の財 を急 増 させ た もの が 含 まれ て い る。 他 方 桶 井 に お いて は, 上 位 層 でL1が, 中堅 層でJ18が そ の地 位 を 継 続 させ て い る こ とを 除 い て, か つ て 中堅 層 を 構 成 した 多 くの 戸 が転 出 ・廃 絶 を 見て い る。 そ の 結 果, 所 有地 の多 くが 野尻 の有 力戸 や 村 外 不 在 地 主 の 手 に渡 る こ と とな った。 政 治 的 リー ダ ー シ ップ を 明 らか に す るの は 難 しい が, 旧村 時 代 の村 の役 職 者 を 見 る こ とに よ っ て, 宮 尻 に おけ る政 治 的 権 力 の在 り処 を お よ そ知 る こ とが で き る。 第7表 に示 した の は 村 議 会 記 録 か ら明 らか に しえた もので, 明 治 中 頃 か ら昭和 初 期 にか け て の村 役 場 三 役 の うち, 村長 お よび 助 役 に就 任 した 者 (収入役に就 いた者はな い), 村 議 会 議 員 を つ とめ た 者 を 家 単 位 で 表 わ した もので あ る。 これ に よれ ば, 村長 ・助 役 ・ 村 議 の いず れ もが, ほ ぼ 経 済 的 上 位 層 と並 行 関 係 に あ る こ とが わ か る。 この傾 向 は, 戦 中 の翼 賛 選 挙 体 制 以 後 若 干 の 変 化 を 生 じ, 任 期 は不 明 なが ら, A1, A3の ほか, A14, J13, N1な ど経 済 階 層 に 関 わ りな く村 会 議 員 に就 く者 が あ らわ れ た。 戦 後 か ら昭 和30年 代 まで で は, 村長 第8図 林野所有規模順位 (土地 台 帳 に よ り算 出) 第7表 村役場三役 と村会議員 三 役 村会議員 ・三 役 に 就 い た もの は 明 治 25年 (1892) か ら昭 和8年 (1933) ま で の全 て。 ・村 会 議 員 に つ い て は 議 員 名 の明 記 され た 議 会 資料 が 得 られ た 年 次 の み。

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-43-にF1, 助 役 にA14が 就 任 して い る の を始 め, 村 会 議 員 ・町 会 議 員 (昭和29年町村合併)に は, A3, A4, A14, D1, F1, G1, O, L1が 就 い て い る。 宮 尻 の 区長 につ い て は 正 確 な記 録 を 欠 い て い る が, 断 片的 資 料 や 聴 き取 りに よれ ば, 三 役 や 村 議 ・町 議 の傾 向 と変 化 とに, お お よそ 沿 うも の で あ った とみ て よい。 (3) 宮年 寄 の交 代 前 節 で 検 討 を 加 え た政 治 経 済 面 で の家 々 の関 係 の把 握 に よ って, III章で ふ れ た 大 座 と和 田座 に お け る, 昭 和30年 代 終 り に生 じた 宮 年 寄 の増 員 の 背 景 が, あ る程 度 明 ら か に な った と思 わ れ る。 大 座 の5番 目の 宮 年 寄 A14は, 昭 和 初 期 か ら昭 和20年 代 まで 断 続 的 に 区長 を務 め た だ け で な く, 村 議, 助 役, 町 議 を 次 々 と務 め る な ど, 宮 尻 に おけ る政 治 的 リー ダ ーで あ っ た。 例 祭 時 の拝 殿 で の祭 儀 に 区 長 の 列 席 す る の も (第6図), おそ ら く彼 の頃 に 始 ま っ た もの で あ ろ う。和 田座 のG1は, 明治 か ら大 正 ・昭和 を通 じて継 続 的 に成 長 を 遂 げ, 多 くの 分家 ・奉 公 人 分 家 を 派 生 し, さ らに宮 尻 で 唯 一 親 子二 代 の村 長 を 出 した 家 筋 で あ った。 そ の 必 然性 は と もか く, 野 尻 の二 座 が5人 目 の宮 年 寄 を求 め た時, この両 者 が 任 に就 い た の は, 以 上 の意 味 で は順 当で あ った。A14に は, 本 家A3の 庇護 とA1に 連 な る カ ブ の背 景 が あ り, G1は カ ブの本 家 と して 同姓 戸 を 従 えて い た。 この 点 が, 同 じ政 治経 済 的 地 位 を持 ちつ つ も, 座 組 織 か ら距 離 を 隔 て た ま ま に置 か れ て い るCと の 差 異 で あ ろ う。 実 は 同様 な 過 程 に よ って宮 年 寄 の欠 員 が補 充 され る例 が, か な り古 くか ら生 じて い た。 明治 末 頃 に は, F3が 和 田 座 の 右座 第2席 の宮 年 寄 に 就 い て い る。 す で に そ の 間 の事 情 は詳 らか で な い が, 転 出 か 廃 絶 を み て 久 しいF姓 以 外 の戸 が 所 有 して い た 宮 年 寄 の 権利 を, F1が 長 ら く 預 って い た が, や が て 分家 のF3に 譲 渡 した と 伝 え て い る。 大 正 期 に 入 る と, 転 出 した 大 座 の 30) 右 座 第2席 のBの 跡 を, 次 席 のA3が 襲 い 宮 年 寄 とな って い る。 さ らに 戦後 間 もな く, 当主 の 戦 死 で 絶 家 とな ったH1の 和 田座 左 座 首 席 の 宮 年 寄 に, 第2席 のH2が 繰 り上 が り, 次 席 に は そ の 分 家 で あ るH3が 就 くこ とに な った。 また, 一 部 古 老 の 臆 測 に過 ぎな い が, A4はA9の 分 家 ら しい と言 い, 現在 のA4の 大 座 左 座 第2席 の 宮 年 寄 の地 位 は, 明 治 中 頃 に没 落 した 本 家 に 代 り, A4が 譲 り受 け た もの で は な いか とい う。 F3やH3の 宮 年寄 へ の就 任 は, 明 らか に 有 力 家 で あ る本家 の 庇護, ひ きた て に よる もの で あろ う。A3の 場 合 も, 大 座 右座 筆 頭 の宮 年 寄 で あ る本 家A1の 後 押 しが あ った と考 え られ, またA3自 身 に とって は, 急 速 な経 済 的 成 長 を 背 景 と して, 宮 尻 に お け る政 治的 宗 教 的 地 歩 を 堅 め る一 過程 と して, 宮 年寄 の就 任 を位 置 付 け られ よ う。A4の 臆 測 が 事 実 で あ れ ば, これ も 事 情 は 同 じで あ ろ う。 以 上 の よ うに, 野 尻 の 二 座 に お い て生 じた 宮 年 寄 の補 充 や 増 員 は, い ず れ も政 治 経済 的 に有 力 な本 分 家 層 の, 祭 祀 ・儀 礼 上 の要 職 へ の進 出 と して と らえ る こ とが 可 能 で あ る。対 照的 な の は桶 座 で あ って, 明治 後 期 か ら顕 著 とな った 構 成 戸 の転 出や 廃 絶, と くにJ姓 を 中 心 とす る 旧 家 の減 少, 桶 井 の 政 治 経 済 力 の低 下 な どに よっ て, 戦 後 の宮 年 寄 の1名 の 減 員 は, や む を え な い こ と と して 受 け 入 れ られ た。 VI 空 間 秩 序 にお け る持 続 と変 化 (1) ふ た つ の空 間秩 序 聖 俗 二 種 の空 間秩 序 を概 観 した結 果, まず 儀 礼 的 空 間 秩序 と して右 /左 の空 間分 類 と, 右 の左 に 対 す る優 越 が 明 ら か とな っ た。 大 座 と和 田座 に お い て は, 本 家 と 奉 公 人分 家, 旧家 と来 住 家 の対 比 が 右 座 ・左 座 の分 類 と して表 象 され, 桶 座 を 含 め た 三 座 に は 右座 の優 先 が貫 徹 され て い る。 右 の優 先 は, さ 30) 住居をその ままに大正期に転出, 戦 前に一 時帰村 していた。

参照

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