漱石初期の浪漫主義ご﹁夢十夜﹂の解繹
山
本
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三
一、浪漫的及び現蟹r的純埣性 ご、初期の浪漫圭義 三、﹁夢十夜﹂の解縄 の 文學作品が経験的現實を超克し、何らか人間情念の感化純粋化を志向する高次の精神的・感鴨島世界を表現す ることを目的とすることはいふまでもない。 夏目漱石の文學はまさにそのやうな﹁純粋﹂・﹁浮魚﹂の文學性を ・一下實超克の檬相と度合において一具有するものと思はれるが、今その純粋志向の性質を大別要約するとき 8浪漫的と口前實的との爾性に分つことができる。この場合、浪漫的純心性は漱石の魂の愴悦即ち﹁美しい夢﹂目 ﹁詩﹂の憧れとして圭に初期の諸短篇・小品︵﹁倫敦塔﹂以下﹁夢↑夜﹂にいたるころまで︶に現れてをり、現 質的純粋性は理智的批評精神︵皮肉・滑稽・諏刺・ユーモア︶の活動する﹁わが輩は猫である﹂や、さらにその 漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 五三漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 五四 上に道義的純粋感として正義感の躍動する﹁坊つちやん﹂の初期から見えつつ、浪漫主義の漸次の退潮に応じて 現實的深化を増大してゆく中・後期の諸作品に現れてみる。 漱石初期の文學の内奥に巣食ふこの浪漫的及び現實的純粋性の世界一たと.へそれが﹁猫﹂や﹁坊つちやん﹂の やうに漱石の日ごろの憤態や酒落・滑稽・皮肉等の多彩な蓮華を外見的に所有するものであってもfは、本質的 にはかく上記の如き高次の丈學性を共通の土壌として磯芽し成長したところの、一つは美を、一つは眞實を最高の 目標とする二つの大枝に過ぎない。土中にある根抵と大幹とはまさに右にいふ純輝そのものを志向する精榊的・ 感畳的磁化の文學性自禮一現實の醜悪を痛切に意識し實感ずるが故の一に外ならない。唐木順三氏の批評に よれば・漱石の。マンテ・シズムは﹁彼の足は全く地上を離れ・過去と夢と怪奇に遊滋ところの﹁窮屈な現實 と就會からぬけだして、假睡の夢心地に酔ってみる﹂性質のものであり、﹁猫﹂﹁坊つちやん﹂の正義感は﹁侠客 的・封建的﹂で﹁勃興期のブルジョアジイの必然的にかもし出す暴君的勢力を憎んで、これに封建イデオロギイ を封識せしめた﹂ところのものであり、また日夏歌之介によれば﹁浪曼期の漱石文學は、何となく洒に酵はされ ただけのもので、心の底からその浪漫的精紳が硬礁として人を全禮的に襲ふ程の強い魅力に訣けてるるところが ︵3︶ 物足らなかった﹂と批評される性質のものではあるが、やはりそれらの底に俗悪な現量と宇戸とに抵抗する純情 が底流してみる事實は認められざるをえない。帥ち人間性の純粋を志向する理想の、現實に毒する抵抗の姿態と して。 漱石の胸中に組む﹁美しい夢﹂“﹁詩﹂への憧れと、かっこれを信じようとする浪漫的心柱・、邸ち純粋心はそ
の初期の諸作品.﹁倫敦塔﹂︵38・帝國丈學︶・﹁幻影の盾﹂筒・ホトトギス︶・﹁一夜﹂︵同・中央公論︶・﹁雍露行﹂ ︵同・同︶にそれぞれの特性をもつて最も著しく現れてみることは周知のことであるが、舞毫がはるかに散丈的で ハィ 難癖が家常的︵小宮豊隆氏評︶である﹁カーライル博物館﹂︵38・學燈︶にしても現益的・客観的に倣存する封象を 観照する態度は極めて浪漫的である。そのことを同氏は﹁それを現實的に客観的に、精到に観照するといふより ら も、例へば著物かなぞのやうに、その封象の上に自分の﹃夢﹄を、すぽりとかぶせて観照する﹂と読明してみる。 また結果において題名どほり懸愛の神秘・心.盤の感慮の可能性が否定され、作者の現寳諸念的精紳を示す﹁琴のそ ら音﹂︵38︶にしても、その否定以前には病死する妻の魂瞬が出征の夫に逢ひにいった不思議や、未払の妻の死を拮 出して不安がる不安の浪漫的幻想が語られてをり、更に翌年の﹁趣味の遺傳﹂︵39・帝國丈學︶−話の中心は一目 逢つπだけの小野田令嬢と浩さんとの懸愛的蜜感の不思議 にしても、懸愛の紳恒性奇蹟の可能性を信じよう とし、かっこれを科學的に遺傳學上から読明しようと試みたものであり、いつれもみな漱石初期の浪漫主義0濃 厚さもしくはその片鱗を明かに示すものである。なほ漱石の浪漫圭義的情操や文學性は、鍛裕趣味の立場から東 ︵6︶ 洋的﹁非人情﹂の藝術の立場と意義とを強調しながら、しかも弁論的には﹁憐れ﹂即ち情の合流を以て藝術の完 成境とみるーーしたがって完全な藝術的表現の原理は客観的観照と圭観的感動との融合にあるとする﹁草枕﹂︵39・ 新小説︶にも、また﹁坊つちやん﹂の中心テエマたるモラルの蛮展として、道義的純粋−第一義の人生は正義・誠 實にあると信ずる∼を理想とする小指﹁虞美人草﹂︵40・朝日新聞︶にも濃厚に現れてみるばかりでなく、その鯨 勢は漸く現實的傾向を彊めいく﹁坑夫﹂・﹁三四郎﹂︵41.同︶にも獲見できよう。これに塾して﹁猫﹂にいちはや 漱石初期の浪漫主義と﹁夢+夜﹂の解繹 五五
漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 五六 く環れた皮肉・滑稽・調刺・ユーモアの文學精神は漱石の面面である現實遺手的合理性・理智性を虚してるる。 ︵ユーモアは有情化を特徴とするものではあるがその根砥にはやはり理智作用を含んでみる。︶あの﹁坊っちゃん﹂ の江戸つ児的正義慈︵道義性︶もまた道徳的であるだけに現頭並義的である。た黛これはその道義性の故に特に 理想圭.義的かつ現實圭義的であるといへよう。したがってニュアンスの相違はあるが、﹁坊っちゃん﹂コ一百十日﹂ ア ﹁野分﹂︵39︶一聯の道義的純粋感一牛封建的資本主義勢力たる金力・権力の暴力に反抗する一に基く人生批 判・面心批制の丈學性は﹁猫﹂などの含む皮肉・滑稽・湿糠・自嘲等の理智圭義的批勃と並んで、漱石の詩的ロ マンティシズムと鉗暗し交流する現實圭義的傾向と呼びえよう。上述の浪漫的に封ずる現知的とはまさにこの謂 であり、か\る文學精神から入生杜會の諸矛盾不合理が或は道義的に或は理智的に脆く批判された.のである。 ︵た黛し圭題的比重から作品史的にみると、この現心的の理智面は道義的純粋面の側面性、もしくはその効果的 ︵8︶ 副次性といへるのではなからうか。 ﹁虞美人草﹂から進んで﹁それから﹂︵42︶・﹁心﹂︵犬正3︶等の嚴粛なモラ ルを考へるとき、漱石文學の焚展にみる圭動的イデエは道義的性格を核心とするものといへようから。︶ 漱石文學がかくの如く表現する基本的爾性一浪漫的と現實的、詩的純粋と道義的純粋一について、後述の ﹁夢十夜﹂の準備として今少し設明するならば、前者の浪漫的世界は無記の人生のカオスに詩的想像力の光を照 明し、そこに或は光明的なる美しい夢の世界を現前させ、或は暗示をもつて幽冥不可思議なる世界の秘奥を顯現 せしめ、それによて愛や藝術の神秘・蓮命の秘義・生死の哲學的・心理的意味等、総じて明暗爾様の浪漫的人生 哲學の詩的表現を意圖したものといふことができる。後者の現實的世界は﹁夢十夜﹂に翻する限りさして問題矯
はないが、道義的眞實を根太とするだけに、より行爲的であり、意志的であり、實振掛である。さればその感情 性も前者の神藤感や美的陶酔感は排除されて、緊張的な神聖感や嚴粛感が支配するQ別言すれば前者は﹁夢幻的 浮化﹂の世界、後者は﹁畳醒的浮化﹂の世界とも呼びえるであらう。 (ゴ 漱石初期の文學において、浪漫性と飽託性とが或は封督し、或は交錯してみるといふ考は、多少の相違はある にしても、小宮氏へ全集巻末解説︶や岡崎氏︵﹁漱石の微笑﹂︶等の批評などにも見られる。特に小宮氏は漱石のロ マンティシズムが﹁猫﹂の笑ひを背景とする特殊なロマγティシズムであることを指示してみる。︵全集皿、解説 四六三頁。︶それによれぽ漱石内部の﹁夢﹁と﹁詩﹂、 そしてそれを阻む現實的な心、ごの二つの心の孚ひに堪へ かねて磯した叫びのやうなものが﹁猫﹂であり、その叫びによってわっかに鎭静され均衡を保たれた内部が油然 として前景に押し出されてきたロマンティシズムの世界が初期の短篇だつたといふのである。更に、漱石の﹁夢﹂ は﹁現實﹂に脅やかされ、追ひまくられ、踏みにじられさうになる度毎に、反って愈その色を濃くしその輝きを 増していったやうに見える。彼の﹁夢﹂への愛着は﹁現實﹂から虐げられて感じれば感じるほど愈高まっていく のである。かくして﹁現實﹂からは少しも害はれる事のない美しい﹁夢﹂の國を建設しようとした︵同、四九八頁︶ と述べられてみる。また﹁坊つちやん﹂にしても、自分の夢を夢として歌ひ上げるのでなく、内むる﹁夢﹂に合 はせてその夢に合はない﹁幽玄﹂を批評しようとしたものであるへ同四九八︶。この考察は十分認められていいと 泌⋮石初期の浪漫主冊義と﹁藤ク十巾伐﹂の解鯉伴 五七
漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 五八 思ふ。漱石は一方に冷静な批制恥辱實精紳をも持ってるたが、 一方にはまたかくの如く﹁醜い現實を憎むが故に 美しい夢を愛する﹂心を最初から死に至るまで持ちつ穿けてるた。漱石ロマンティシズムの純輝さやその浮化的 文學性はまさにご﹂に根源してみるものである。 しかし更に﹁倫敦塔﹂以下のロマンティシズムを用意する最初期のそれを求めるのを順序とすれぼ、すでに十 数年以前より着手せられた好情詩︵多数の俳句・相當敷の漢詩・少数の英詩・連句・俳盟詩・薪盃事・和歌︶の 中に獲見される。漱石が晩年まで馴染んだ詩形は漢詩と俳句の二つであるが、爾者の初出はともに明治二十二年 へ二+三オ、一高時代︶であって、漢詩は英國留壷中の明治三十四年から瞬直後の四十二年まで約十年間の室白時代 までのものが長短四十二篇ほどあり、俳句は漱石の松山の家に正岡子規が寄寓した明治二十八年から急に盛にな り、その後鼻年間が最も熱心に多作せられた。英詩の創作は明治三十四年より現れ、三十六年に最も多く数篇を 藪へ、三十七年で絡ってみる。この英詩は上の如く一時休止された漢詩の代りをなすものとして注意されるが、 それと同時に英文學の養分を吸うた漱石の初期ロマンティシズムの性質なり特徴を一時的ながら磯露したもので これが﹁倫敦塔﹂以下の諸短篇に油然として展開せられるロマンティシズムの素地を威してみる事實は特に看通 されてはならない。 まつ漢詩に現れたロマンティシズムについていへば、その多くは白雲悠汝底の東洋的自然愛や脱俗精神或は人 生的感慨を表白したものであるが、その初期においては青春の情の磯露にふさはしく美しい浪漫的夢想を好した ものもなくはないのである。例へば
無題 明治二十二年九月二卜日正岡子規宛書簡素 も セ リ カ カ 抱剣嘉龍鳴 護書罵儒生 如今室高逸 入一﹄夢美人聲 無題 明治二十七年三月九日菊池謙二郎宛書簡素 つ カ カ セ つ う し 閑却花紅柳緑春 江橦何暇酔芳醇 猫憐冊子多情意 猫駅亭休夢美人 また感傷的な浪漫的憂愁の野情としては次の如きものがある。 失題 明治三十一年三月
︵前略︶夢軽量孤臣匝底鳴慨然嚢起登窯薙薙憶見黎難壁︵鵬撤去舞+四巻︶
漱石の初期俳句は俳句本來の性質として必ずしも彊烈なロマンティシズムではない。爲生的傾向の多い中に、た 穿その詩的想像やファンタジーが珍奇さを有し、或は美的陶酔感を與へるものをもって漱石の俳譜的ロマンティ シズムと呼ぶ。その中特に艶情を叙する句が浪漫的になりがちなのはいふまでもない。その一、二を拾へば 尼寺に有髪の僧を尋ね來よ ︵二十七年子規宛︶ 花に酔ふ事を許さぬ物思ひ 俳聖史上ロマンティック・ファンタジイに富んでみた蕪村の句趣を追ふものとして次のやうなものがみられる。 白魚や美しき子の鱗れて見る ︵二十八年十一月十三日︶ 朝櫻誰そや紹鞘の落しざし り しかるに最も浪漫的異趣をそなへる句作として注意されるのは三十七年の作﹁小羊物語に題す十句﹂とあるもの 漱石初劃期の平滑一主義と﹁夢十夜﹂の解繹 五九漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 六〇 ﹂中の数句であらう。これはシェークスピヤの劇の内容をうけるだけあって人間臭の濃い浪漫的構想−聖句の 懸の句にあたるやうな一を孕んでみる。例へばロ死守とジュリエットにつけては、 罪もうれし二人にか﹄る朧月 ︵幻OヨOO昌昌島日ロ一一〇紳 ︾Oけ・ 一一。 ω6● 一一︶ を始めとして、 伏す萩の風情にそれと畳りてよ ︵↓ミ。鳳鋳≧戴け︾oρ一一・Qao・一く︶ 世を忍ぶ男姿や花吹雪 ︵︾ω団O口 ︼﹃臨ハ① 一け︾Oけ。 一一。ωO。 一一一︶ 等があって漱石のロマンティシズムが躍動してみる。古く芭蕉や蕪村等が源氏物語や李杜の詩等和漢の古典故事 を取りそれを佛にしたのに似て、漱石が西洋文學の内容や情感を俳句化した鮎は一つの創意であり、しかもその 句風がみな浪漫圭義によってみる。後の﹁草枕﹂中の句でも那美さんの風情に想を凝らすものにはとの浪漫的匂 が濃く漂ってみる。 花の影、女の影の朧かな 春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪 海業の精が出てくる月夜かな このやうに漱石の頭の中に懸愛や美人の悌があるとき、その句はつねに濃やかな浪漫黒色調美や幻想美を形成し がちであった。このことは更に詩形的にも拝情の自由をより多くもつ英詩の作にいたってはもっと署しく、しか も漢詩・俳句の東洋的・日本的性格に益して西叢書美の性格をさへ帯びる浪漫的詩想の純粋性を有しでるる。
さて英詩における質マンティシズムとその純粋美を求めるとき、三十六年︵一九〇三︶の数篇が印象的である。 その中の一つ、た穿一度だけ夢現の間に瞬間みつめ合った女を忘れされない男の情を歌った詩の中で漱石は、夢 は絶えず現實によって追ひやられるにも拘らす、﹁現實が夢の中に溶け入る﹂夢幻のなつかしく美しい世界を思 ひ、その棄て切れない情感を好べてるる。 一一8閃Φ幽暮冨﹃器魯。δo閃。自9ヨΦ鱒\ ミ①δo片。山ロσ月旦曾§餌ヨoBoロ計\ 田δ侍箋O①臥ピ一楠Φ凶昌岱一︶﹃①o摩日● 箋。旨①︿o﹃目。けooヨ8”\ 鴫。け。牒一ロ。け§α\ 冒昏①娼ユ日8ω①b9◎誓\ ミず。δ記ho日。①房∪﹃o鎚日・ Oず与簿=隔08巳畠\ 竃。犀一ロ8Uお麟ヨ︾\ 目ω8潜島ohU器9δ日\ 冨8ロω9出自団\ Oげ9ΩωoΩ9箋9鴇σ鴇日龍①回 ︵ワ嗣◎<ObPσO吋 bo刈ワ HりOQ◎︶ ︵汀線筆者︶ 同じ心情はまた同日作の他の詩の末句 ω暑OΦけ話︼BOヨび同簿鐸8擁O臨一餌曾ロ茜ぴσ.ロ。脅。鋤B畢 からも想像されよう。 和歌はとるに足りないが、少数の新禮子中、 ﹁水底の感﹂︵37・2、寺田寅彦宛︶や﹁鬼笑寺の一夜﹂はやはり ロマンティックである。前者は水底に永久の愛の棲家を求め、後者は族人が一夜の宿の夢に、死せる懸人︵女︶ が現れて、題しく過ぎし二十年、未了の懸をうち嘆く。前者が永遠の清純な愛を美しく憧憬的に歌ひ出てみるの に乱して、ζれは未了の懸の痛恨を歌うて悲肚である。憧憬に生きる清純感と、憧憬と現實との分裂がかもす悲 漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂ の解縄π 六一
澱⋮石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解縄 六二 批感、その趣は異るけれどもいつれも漱石の遺マンティシズムの表れであることには間違がない。漱石の求めて 止まぬ﹁夢﹂11﹁詩﹂の浪漫的世界はかく明暗二相を備へてるるが、これを詩の浮化作用、純粋感の上からいへば 前者の明調ある憧憬性のものこそ最もそれにふさはしく、後者の暗調的悲肚性のものは現實的暗愁によってそれ を阻害され易いものといへよう。この経緯は﹁夢十夜﹂の中でも、 ﹁第一夜﹂の前者的なるものと、 ﹁第五夜﹂ ﹁第九夜﹂などの後者的なるものとの封比にも見出される。このことは根源的に漱石の内部にはーロマンティ シズムだけに限っても一明暗興起の心が早生共存し闘ひ合ってみたことに起因する一つの現象とみられる。晩 し ロ リ ロ カ リ 年の現實的心理解剖の小読に﹁明暗﹂︵大正5︶と名づけた所以も漱石の一生を貫くこの明るい心と暗い心との封 立に基くものと思はれる。 漱石ロマンティシズムの多檬性については今こ\に詳節する暇をもたないが、かく漢詩に潜在し、俳句に俳譜 的に現れ、英詩または新童詩にその片鱗を明示する漱石のロマンティシズムが時をえて堰を切る勢をもつて奔浴 したのが、上に掲げた﹁倫敦塔﹂以下の諸短篇や小品類であったのである。 日 ﹁夢十夜﹂は一夜に一つの夢をみる話で、それが十夜にわたる十篇の小品集である。形式的には必ずしも﹁千 一夜物語﹂﹁十日物語﹂などに倣ったものではあるまいが、それに似たといへぼいへる形式であって、その一つ 一つの小品の中に漱石初期のロマンティシズムによる審美感・人生観・蓮命観・藝術観の一端もしくはかなりの 、
全貌が簡明に表現されてみる。上述初期仔情詩及び短篇﹁倫敦塔﹂﹁幻影の盾﹂﹁擁露行﹂コ夜﹂﹁草枕﹂などを 受けて漸く漱石の夢ほ詩の、脚ちロマンティシズムのフィナーンの感を與へるのである。その理由は﹁幻影の盾﹂ や﹁薙露行﹂に見られる西洋的で濃厚情熱的なロマンティシズムの残照も例へば﹁第五夜﹂の如くなきにしもあ らすであるが、漸くその熱が薄れて主題の多くは不可知的な生の紳秘・秘義の観照に傾いてみるからである。 先行作品の中﹁夢十夜﹂と題名的に最も近い性質を有するものは﹁一夜﹂であらう。しかし﹁一夜﹂では夢そ のものの内容は語られす、夢”超現實的夢想と藝術的表現の成否に還する考が封話されたり、人生の太不は凡て を忘れる眠りにあるとか、人生を知るには百年を要せす、 ﹁一刻を知れば正に人生を知る﹂といふやうな直観的 人生哲學が語られたりするものであって、その根砥は俳譜隠絵裕趣味といへよう。漱石はすでに浪漫的な人生の 美しい夢をそれ以前の諸仏晶︵倫敦塔・幻影の盾・藏随行等︶に表現したが、それは前にもいふやうに西洋的匂の青 いもので、心中にはいっか東洋的もしくは東西昏昏的な性質をもつ夢の世界、或は夢と現實との中間世界を描き 出したいと思ってみたであらう。その貼上記の作品の後を追った﹁一夜﹂は大そう俳諮的な作晶であって、漱石 のそのやうな内面的希望を叶へるものであった。とすればその後にも夢の東洋的性格をもつ世界が描かれる可能 う い う 性は多分にある。翌三十九年の﹁草枕﹂の非人情の世界はまさにこのやうな東洋性を備へる作晶であったことは いふまでもない。しかし﹁草枕﹂の形式は﹁一夜﹂の蛮農としては飴りに長大すぎるものであったから、漱石は 再び構想を塵点して小品の集合形式である﹁夢霊液﹂の構想を意固したものと考へられるのである。漱石の浪漫 室義については必ず一汝先行の諸短篇についても詳述しなければならないのであるが、そのやうな論論はすでに 漱石初期の浪⋮愛・王曲我と﹁苫軍十夜﹂の解繹 , 山畑三
漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 六四 へれ 諸家にもあり、紙数も制限されてるるので一まつ割愛し、こ﹂では特に﹁一夜﹂との獲展的關係に論旨をおいて 考を進めてみよう。 ﹁一夜﹂は五月のある夜、八聾の座敷に幽した髭のある男と髭のない男と眼の涼しい女とのロマンティックな 或は二五な封談を中心として描き、それもぐっすり寝込んでしまへば太李無事の世にかへるといふ筋で、その後 に前述のやうな作者の人生観と﹁人生を書いたので小難を書いたのでない﹂といふやうな作者の態度とを書き添 へたものである。 一見してこの作品の文學性は漱石の﹁美しい夢﹂目﹁詩﹂の世界を描いたものであることが分る が、それが同時に極めて俳諮的性格を帯びるものである所に特色があり、鼻柱的浪漫美と俳階的佃島味とを示し てみる。その貼を少し読明してみよう。髭σある男が﹁美しき多くの入の、美しき多くの夢を・:・﹂と漱石浪漫 主義の憧れを見せつ﹄微吟すると、酒脆な髭のない男が﹁描けども、描けども、主なれば、描けども、成りがた し﹂と俳諮的に酒脆に受ける。 ⋮方式は﹁書家ならば絃にもしましよ。女ならば絹を枠に張って、縫ひとりまし よ﹂と浪漫圭義を受け、 ﹁縫ぴとらば誰に贈らんQ贈らん誰に﹂とつfける。さらに髭の男が﹁女の夢は男の夢’ よりも美しかろ﹂といふと、女は﹁せめて夢にでも美しき國へ行かねば﹂と此世の磯悪を思ふ顔付である。漱⋮石 のロマンティシズムはこの鴬の男と夢の女との鷹答に代表されてみる。しかもこの男はまた忌辰は﹁夢にすれば すぐに活きる﹂といふ詩的信念を抱いてみる。この二人が漱石の純美なロマンティシズムを代表してみるものと すると、夢の非現實性を指摘する溝のない男は、漱石の他の一面である俳量的酒脆の精神を代表してみる。それ は裏の輝寺の方へ鳴いてゆく古画の聲を、前の男が﹁一山でほととぎすだと嵌る。二聲で好い聲だと思うた﹂と
感心すると、女が﹁ひと目見てすぐ濁れるのもそんな事でしょか﹂と受けるのに帯して、この男が﹁あの聲は胸 がすくよだが、盗れたら胸に瘡へるだろう。悦れぬ事。胱れぬ事・:・。﹂と洒脆に癒答するのでも明かであらう。 帥ちこの場合髭のない男を表す漱石の創造精紳は現射的といふよりも、むしろ酒壷一−俳聖的といふべきもので あって、それは長年の飴掛戸俳諮趣味に負ふものである。髭ある男と美しい女との一封が示すやうな夢幻的ロマ ンティシズムと後者の示すやうな東洋的悟脆的ロマンティシズムとの爾面はそれまでの英詩・漢詩・新参詩・俳 句に見られたそのやうな詩的性格のそれぞれの纏承で,あることは言を満たない。 漱石のロマンティシズムの中にはこのやうに夢幻的ロマンティシズムと、東洋的俳諮的悟脱着ロマンティシズ ムとの共存がうかがはれるが、 ﹁草枕﹂の表現世界はまさにこれらの複合を東洋的靴型趣味・客観的非人情の藝 翰墨をもつて統一したものである。︵この﹁草枕﹂の女主人公那美さんは、コ夜﹂の俳句を作り、﹁蚕になるの もやはり骨が折れます﹂といふ女を原型として、より非人情的に書展させ造型した女性と解することができよ う。︶とにかく漱石の人生観照はこ﹂でも一貫して浪漫主義的な美と純粋とを渡悔してるるのであるが、 これを 6に響いた浮化の﹁夢幻的﹂と﹁ 覚醒的﹂とに關聯づけるならば、髭男及び女の夢想性はいふまでもなく前者で あり、髭のない男の筆硯性は後者に類する。それだけ孝なき男は現心的傾向を有するとも考へられるが、むしろ 今もいふやうに楽界的・畳塁上といふ方が適當で、この意味では東洋的理想主義と交流する東洋的浪漫引解の現 れとみることができる。 ﹁一夜﹂の後牟部に出てくる漱石の世界観一睡眠は忘却、凡ての忘却は太干。或は粟 粒芥.穎のうちに蒼夫もある、大地もある。思ふに百年は一年の如く、一年は一刻の如し。一刻を知れば正に人生 漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 六五
漱石初期の浪漫主.義と﹁夢十夜﹂の解繹 六六 を知る。iの如きもその哲男性や語氣において明かに東洋的性格が濃厚で、これらもまπ漱石の東洋的浪漫圭 義を形威する思想的地盤でもあった。晩年の﹁明暗﹂︵大正5︶が暗示する﹁則天去私﹂の東洋的倫理的イデエへ の憬憧的到達の由來もまたこの邊から論明することができるであらう。 さて﹁夢十夜﹂は﹁一夜﹂のロマンティシズム︵純美的及び酒脱俳階的︶の磯展として、十夢に構想された本 質としては浪漫的事誤の集威である。﹁夢十夜﹂の書かれた時期︵41.7−8︶は漱石の浪漫圭義の中に漸く現實騰 馬的傾向が擾謝し、次第に現實圭義の中に一抹の浪漫圭義を焦すやうになる、その過渡期にある。郎﹁ち浪漫的か つ道義的理想圭冠の﹁虞美人草﹂︵40.6110︶から、なほ塞想的ながら青年人公が坑夫生活といふ杜會的現實に 直面する﹁坑夫﹂︵41.114︶に移り、青春の﹁夢﹂と青年男女特有の﹁無意識の儒善者﹂︵暮6§88uoげ回℃8旧里︶ の心理的台割を試みる現實的、理智直書的傾向の﹁三四郎﹂︵41.9︶を書く、そのやうな﹁坑夫﹂とコニ四郎﹂ とのちょうど中間に位する時期に書かれたのが﹁夢十夜﹂である。この事實としかもこれが小叩の集合形式であ る鮎とを併せ考へると、漱石はこxで一鷹ロマンティシズムそのもののフィナレーとして、小読中に並存するロ てンティシズムを思ひ切り凝集的に小品形式の中に表現し、さうすることによってこれまで﹁夢﹂ロ﹁詩﹂といふ詩 的ロマンティシズムそのものからの傍出を試みたものと判署することができる。小品としても翌四十二年の﹁永 日小品﹂1やはり小品の集合形式一の創作精神及び態度の根本はすでに明かに現儲主義的かつ理智福屋的に 憂化してみる。 汕剛にもいふやうに﹁夢十夜﹂のロマンティシズムの表現世界は英詩及び﹁倫敦⋮拾﹂﹁幻影の盾旧﹂コ難露淫しなど
の系統の西洋的匂の著しいもの一その情熱は大いに沈静されたが一と、俳句・漢詩及び﹁一夜﹂から﹁草 枕﹂に糸をひく東洋的もしくは日本的匂の著しいものとの二つを含んでみる。前者は﹁第一夜﹂が代表してみる が﹁第五夜﹂などもこれに傾いてみる。後者は﹁第二夜﹂以下の多数がさうである。撒からいふとむしろ後者の 方であるが、 ﹁第一夜﹂を勢頭においた事實からみると、質的に漱石の﹁夢﹂日﹁詩﹂の中から罰し難い西洋的匹 英詩・英文學的な要素の現存が直感される。しかしまた量的に多い後者の側からみると、質量ともに東洋性の重 みある運命観.紳秘感が聞落になる。1例へば縄でいふ父母未生以前の運命の直播に類するもの。したがって その爾面からいへばこの作品は漱石の東西爾洋的なロマンティシズムの綜合といひえるのではあるまいか。かく してこの十個の夢の世界はすでに8に前言しておいた﹁運命のカオス﹂の紳秘性を、ω或は詩的想像力の光をも って明るく照明し、㈲或は宿命観的入生哲學をもつて幽暗の中に暗示しようと試みたものと理解することができ る。 ﹁第一夜﹂はまさにこの浪漫圭義的詩的想像力による運命の神秘性の開明︵イ︶である。それは多分に英詩的 な美しい想像をもつて、運命的な愛の神秘と信仰を描軽してるる。死際に﹁百年目私の墓の傍に坐って待ってみ て下さい。屹度逢ひに來ますから、﹂と約束した女の嬢魂は約束通ゆ墓の下から白百合の花に生れ攣ってきて、百 年目の曉の星の下で男の接吻を受ける。 ﹁百年差もう來てるたんだな﹂と男は始めて氣つく。このやうな詩的運 命の表現は餓魂の永遠性⋮美と愛の神秘的永遠性に鍋れたものでロマンティシズムの根源に⋮叢れてみる。これ を前出口の項の考からいへば、現實と無との境界にある死といふ危機的野實に追ひまくられながらも、絶島に美 の しい夢一心の中の詩を守りつ樽けようとする人間の魂の哀切な黒字を叙したものといへよう。芥川的にいへば 漱石初期川の浪漫・王義と﹁夢﹂T夜しの解⋮絆 山ハ
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泌隅石初川期の泊一箇宅義と﹁夢十夜﹂の栩贋囎梓 六八 ﹁永遠に守らんとするもの﹂11﹁マリヤ的﹂な精神といへよう。この夢の美しさは最も根本的にさういふ精神美に 由來するものであるが、油島墨画の描爲にも詩的苦心が梯はれてをり、この爾者が渾然として作品の全龍的弓 を、魂の浪漫的純粋化を印象的ならしめてみる。︵差肥的美の表現は露を含んだ眞白な百合の花はいはすもがな、 墓を掘るとき月光を反射する眞珠貝、星の破片で墓標をつくるといふ風の詩的描爲に美しく表れてみる。︶ しかし現實の﹁生﹂−そのものはこのやうな美しい夢の憧れ、詩的念願の實現や擁護を無惨にも抱暗し破卜する のが常である。 ﹁第五夜﹂や﹁第九夜﹂はこのやうな生の暗面の表現を代表する。曉までに最後の一目をと、愛 人の來會を待ち焦れる敗將の生命は、疾走する女の馬が夜明の鶏鳴と同時に岩に乗り上げ、忽ち断崖から人馬も ろとも墜落する瞬間に噺たれてしまふ。︵第五夜︶。幼兇をか﹄へた妻が夫の無事の録画を所って毎夜お百度詣を あまのじゃく つfけてるるのに、その夫はとうの昔に浪士の手で殺されてみた。︵第九夜㌔このやうに一瞬に魚探女がひき起 す人生の不幸︵前者︶や、人聞の哀切な心願を怠れた所でむごたらしく噺ち切ってしまふ蓮命の手の残酷さ︵後 者︶、さうした人生の不合理を繰る人間力を越えた不可知不可思議な蓮命の力を表現しようとした漱石の心境は どう理解すべきであらうか。これは第一夜の示すやうな美しい詩の世界、魂の憧れ・浮化の表現とはいへない。 前者は天々女に封ずる敵意を、後者は運命の淺酷な超人力性に封ずる作者の暗い恐怖心を内包するものである。 とすればかく蓮命に封ずる漱石の深い怖れや敵意、それにせつば詰ったどうしょうもない諦めとは、あの幽暗な ﹁運命のカオス﹂の宿命的i梢現赤味をもつ浪漫下士的−解羅を暗示︵ロ︶するものといふほかはない。このや うな蓮命観は﹁第三夜﹂において一そう人間罪業の暗い重荷として暗示的に表現されてみる。夢の中で、自分の背
負ふ盲目の小信︵しかもそれが自分の子.が、百年前お前は自分を殺したのだと、その時と場所を指摘するや、忽 ち記憶が蘇り背中の子が急に石地藏のやうに重くなる。この象徴的暗示の思想性はキリスト教的原罪観に基くも のであらうか、それとも佛教的罪業観に依るのであらうか。この作晶としては恐らく後者と思はれるが、こ﹂に も宿業的懸命に封ずる漱石の恐怖感が現れてみる。一﹁その小僧が自分の過去、現在、未來を悉く照して、寸分 の事實を洩らさない鏡の様に光ってみる。・:・自分は堪らなくなった。﹂と。︵序ながら、大磐石の如き畏みの童 子を負ひ機んだ﹁きりしとほろ﹂を描いた芥川はキリスト敏精粗の理解者であった。 ﹁おぬしは今宥といふ今宥 こそ、世界の苦しみを身に荷うた﹃ぜす・きりしと﹄を負ぴないたのちや。﹂・1一きりしとほろ上人傳、大正8。︶ ﹁第四夜﹂は、生の期待は極めて漠然としてみて、酔ってみる中こそ何かの期待につかれてみるが、それも途 に﹁無﹂の中に塗る外はないといふ東洋的虚無同録の思想を暗示してみる。酒に酔った爺さんが﹁あっちへ行く よ。﹂と店を出て、その中に﹁今になる、蛇になる、・:・深くなる、夜になる、眞直ぐになる﹂と謎めいた文句 を唄ひながら、だんく河の深みへ進んでいったが、とうく上って來なかったといふのである。この謎めいた 言葉の暗示的意味を求めるとき、世界のカオスの深奥に内在する根源的無の純一性の暗示としてうけとられよ う。そして、とう一上って來なかった、といふのはか﹄る無への無限の同齢を意味するものとみられよう。 ﹁第二夜﹂は人生は無か有か、人間存在の意義を決定しよう、悟らうと生命がけに努める侍の、しかし途に悟り えぬ瞬聞を描いてみる。輝の悟りは漱石の精神の安定、選り救濟として重硯されたものである。近代個人圭義思 想の理想を抱きながら、深刻な醜いエゴイズムの現實的心理の渦中に喘ぎ苦しんだ漱石の聖算は中後期の小詮の 漱石初期の浪漫主義と﹁夢+夜﹂の解繹 六九
漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 七〇 中にまざくと現れてみる。しかし毬にそのやうな悟りに達し切れながつた彼は、生々しい小読世界の反面に、 面隠の安定、魂の救濟の道として文學的に酒脱な俳句、超然たる漢詩の世界を求めた。 ﹁第二夜﹂はその間にお ける彼の眞創な努力と壁面の焦燥、人生の探求的意志と不可知的絶望感との危瞼な緊張的均衡の頂鮎が崩壊する 瞬間を描いてみる。漱石の眞創が常に危機を孕むそれである一例である。 ﹁第二夜﹂の侍が決死であるのに封して、 ﹁第七夜﹂の船上の自分は人生は﹁詰らないから死なう﹂と海中に 身を投げる、ところが投身の直後急に命が惜しくなりつつ、 ﹁無限の後悔と恐怖を抱いて黒い波の方へ静かに落 ちて行った﹂といふ夢である。これは人生の退屈感にとらはれながらも、人間は生の執着を絶ち切れない。倦怠 の生にとって死は一面魅力であるが、いざ死に直面するとやはり無限の恐怖にとらはれる。しかも自殺の瞬間人 間は猛烈な生の執着を感じ、したがって無限の後悔を感ずるといふ生死の生理的かつ哲學的心理を表現したもの である。第二夜が短刀に手を掛けるところまでの懸命の精紬肌的緊張を描いたのに尽して、これはその後の死への 瞬闇を一條件は違ふが一描いたものである。晩年の﹁心﹂︵大正。・︶の先生の自殺は嚴粛なモラルの結果とし て死して悔なき嚴粛な自殺であるが、このころの漱石における死の問題はまだそのやうなモテルにまでは十分に いたってをらす、た黛翠玉的もしくは心理的問題の領域に止まってみたことを示してみる。自殺的行李の直後か ら死に至るまでの瞬時の心理が無限の恐怖と悔恨であれば、たとへ亭凡な生が詰らなく退屈であるとしても、そ れに堪へてゆく忍耐が必要であらう。そのことを漱石はこの夢の絡りの方で、﹁矢つ張り乗って居る方がよかつ つ たと始めて悟りながら、しかも其の悟りを利用する事が出來すに﹂と書いてみる。しからばとの夢は人生とは何
らかの悟りをもっこと以外にないといふ考の逆読的表現と解する可能性もあらう。しかし結局はその悟りの難し さをこの話は第二夜と並んで暗示してみるQ 一盤﹁夢十夜﹂の凡てはモラル以前の人間の心理的もしくは運命的 哲學的享有に絡止してみることは、今まで各の夢の世界について詮明してきた通りであるが、このことこそこの 全篇がただ夢といふ題名ばかりでなく内容的に漱石の道義的作品系列とは趣旨を異にする、ロマンティシズムの 夢幻的作品系列に圏するものであることを立号してみるのである。 しかるに、床屋の鏡面に映る数個の人間光景を頭を刈られながら静かに爲生的に凝興し、また諾諜的に圭観を 働かせてみる﹁第八夜﹂は十夜中最も浪漫的傾向の稀薄なものである。邸ちどちらかといへば、 ﹁猫﹂の笑に通 するものである。女をつれて得意さうに見える背年、頬を蜂にさ﹂れたやうにふくらませて行く豆腐屋、おつく りをしてみない導者、十圓紙⋮幣を百枚いつまでも繰返し勘定してみる帳場の女、ちっとも動かぬ金魚費一、ど れもこれもどこか間の抜けた滑稽感を孕むものばかりの描爲である。そこでロマンティックとは異風のこの小品 の書かれた理由を考へてみると、これまでの夢の各、が図りに命がけの懸や悟りや、自殺や、暗い宿業観や、禰 秘的な懸命観、或は恐怖感・後悔・悲劇的不幸などを書きすぎたため、しばらくそのやうな精一の緊張の息抜の ためこのやうな爲生的笑ひの軽い世界を黙出したのではあるまいかと思はれる。ちょうど﹁倫敦塔﹂や﹁幻影の 盾﹂に並行して﹁猫﹂が書かれてみたやうに。でこれはまあこれとしておいて第十夜に移らう。 ﹁第十夜﹂はパナマの帽子を被って夕方になると水菓子屋の店先に腰かけて、往來の女の顔を眺めて感心する のが道樂といふ庄太郎青年が、女にさらはれて七日目の晩にふらりと撃ってきて、急に熱を出して床につく妙な 漱石勅期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 七一
漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 七二 話である。彼が女について行くと断崖から飛び込め、飛び込まねと豚に舐められると女がいふが、尻込みしてみ ると次々と豚が現れるので洋杖で一汝叩き落す。幾萬匹の大群を七日六晩叩いたが、途に精根導きて豚に舐めら れてしまひ絶壁の上に倒れた。そして七日目の晩にやっと起ってきたといふのである。 一下この夢は何を暗示し てみるのか。ちよつと分りにくいが、豚はどうも女の性的誘惑を暗示してみるものらしく、豚に祇められたのは とうく庄太郎が女の誘惑に落ちたことを暗示するものと考へ当れまいか。帥ち庄太郎は青年に内在する無意識 な性的危機を象徴してみるといへよう。この小品はすでに構想自髄がロマンティックである。さういふ構想の中 に作者は青年と女の問題を盛り込んだのである。しかもそれをありのま\に書けば生々しい小詮になるほかはな いので、それを夢として室想化し、ロマンティック化し、現毒味を抜き去ってしまったのであらう。こ﹄にも當 時の文壇の風潮であった自然圭義に聯立する漱石ロマンティシズムの相貌がはっきり現れてみる。 最後に残るのは﹁第六夜﹂である。この小品の解読を最後に残したわけは、これが特に漱石の藝選民を匂はし てみるからである。荒筋は昔の名工運慶が明治の現代に護國寺の山門で仁王を刻んでみるといふ評制をきいて、 自分もいってみた。實際運慶が見物人の感心にかまはす難と槌とを動かしてみる。自分も名工の手腕に感嘆して 猫言をいふと、一人の若い男が﹁なに、あれは眉や鼻を馨で作るんぢやない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っ てみるのを、馨と槌の力で掘り出す迄だ﹂といふ。そこで自分も臨宅後、薪に彫り始めたが、不幸にして仁王は 見當らない。そこで明治の木には仁王は埋ってみないものだと悟り、蓮歩が今日まで生きてみる理由も略解つた 乏いふのである。これは古典的名品名工の時庭を越えた不滅性と、名工の紳技が示す単騎的表現の不可思議性を
暗示するものであらう。こ﹄でも夢の構想自盟がすでにロマンティックであるのみならす、か﹄る藝術観自身が また明かに榊秘主義的浪漫圭義的であることはいふまでもない。 かく﹁夢十夜﹂の内容を解繹し來って、更に総括的に各の小品的圭題を分類し、かつ本稿の重貼に關聯的に照 合するとき、次の如く結論づけることができると思はれる。︵左の数字は夢の順番を示す。︶ m㈹蓮命観的なるもの
一、愛の永遠観3、原罪的宿業観5、蓮命の敵覗感9、運命の残酷感
㈲人生観的なるもの 2、騨的悟り 4、厨節的虚無観 7、死に封ずる無限の恐怖と悔恨 8、滑稽的人生断面 10、性的誘惑 ㈲藝術観的なるもの 6、藝術の神秘観 ㈲のqDζそは漱石の最も美しく、最も純粋なロマンティシズムを代表するもので、漱石の胸の中に青む﹁美しい 夢﹂阯﹁詩﹂に卦する無限の憧憬と擁護との本質を含むものである。それは世界−宇宙・人生レのあのカオス︵8、 ラ 五六頁遠略︶の光明的詩的照明である。㈲﹁の㈹・働・働、㈲の働∴陶・⑯・10・は魂胆もしくは人生のカオスの暗面 を提示または暗示するもので、前者の光明的なるに封して幽冥的ロマンティシズムともいひうる性質を有する。 ヘ ヘ へ そこには絡生漱石の心に巣食った孤猫の意識や、自己嫌悪や、懐疑圭義やニヒリズムの暗い心が反映してみる。 ⑲の⑧のみは前述の通り輕い難生平準ひの人生の断面圖であるが、そこにも調和を響いた里桜の動と齢との中に 漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 七三漱石初期の浪漫主義と﹁夢十夜﹂の解繹 七四 一沫の心理的不安感が流れてをり、やはり漱石の聖母な心が感ぜられる。61の㈹はも億やいふまでもないが、漱 石の藝術に封ずる理想的信念と信頼と同時に浪漫主義的夢想性とをほのめかしてみる。 ﹁夢十夜﹂の表現精神はかくの如くロマンティシズムに基調してをり、その表現方法は心理的暗示法に共通し てみる。そして漱石の明暗交替の詩的想像力が小品形式に凝集し、交響樂的集成美、否、日本的にみればむしろ 移り・匂ひ・響き等を附句の氣合とする連句の散文化的構成の妙味を焚減した1少しこちりけすぎ、誇張化し すぎるきらひがあるかもしれぬが一とも考へられるのが﹁夢十夜﹂である。しかもその迎撃にあたる﹁第一夜﹂ にあのやうな美しい夢の浪漫詩的純粋の小謡をおいた心理は、﹁第二夜﹂以後の暗面攣化の表現と封照するとき、 漱石の文學精神及び文學的表現性の本質が窮極的かつ中櫃的には杢くeに述べたやうな浪漫的純粋性の憧爆追求 にあっπことを讃するものであらう。しかしてその他一聯の室想的表現もまたロマンティシズムに基くが、これ らは主として悲観的墜世的傾向を帯び、漱石ロマンティシズムの暗い牛面を示してみる。 ︵この暗面はこの後次 第に彼の現實圭義的態度に吸牧されていった。︶なほ漱石の思想・心理・感情の性質が感畳的に明暗爾性の思立 するカテゴリーに配分せられることは、晩年の大作﹁明暗﹂の名からも直感せられるところであるが、この傾向 はすでに早くその浪漫主義自照の中にも右のやうに再見せられるところのものであることをも一言附加して稿を 結ぶことにする。 i一九五四・三.一〇i ︵註︶ ︵コ︶ 唐木順三氏﹁作家論上﹂︵現代叢書︶夏目漱石、n湛逃と反抗の時代、五一頁。
︵2︶ 同、六〇頁。 ︵3︶ 日夏取之介氏﹁明治大正の小説家﹂︵角川文庫︶、漱石の小論、 一五九頁。 ︵4︶漱石全集︵昭和十一年岩波婁店︶第二巻解説、四七二頁。 ︵5︶ 同、四七三一四七四頁。 ︵6︶ ﹁草枕﹂の非人情はロマンティシズムの一つの修正である。︵作家論上、五三頁。︶ ︵7︶ ﹁野分﹂は逸話と反抗の一つの綜合1﹁草枕﹂と﹁坊つちやん﹂の嵩傾向の綜合である。︵同、六五頁︶ ︵8︶ 漱石は現實の人賜に眼を移さざるを得なくなった一それから・門・行人・心への推移。︵同、六八頁。︶﹁そわから﹂以 後に於て、道徳そのもの、個人と杜會、道徳と砒會の問題を再省せざるを得なくなった。︵同、七七頁。︶ ︵9︶ 小松武治氏謙﹁沙翁物語集﹂序。 ︵10︶小宮豊隆氏︵夏目漱石全集解説等︶、岡崎叢蕪氏︵漱石と微笑其他︶、瀧澤克己氏﹁夏H漱石﹂、森田草雫氏︵夏R漱石・ 漱石の文學︶、唐木・日夏氏の前掲畠青等。 ︵11︶ 芥川龍之介﹁四方の人﹂の②マリア。 へ も ︵12︶ 正宗白鳥氏︵作家論ω、二四二頁︶も晩年の作晶に漱石の心の惑ひ・暗さ・悩みをこそ見ると評され、森田草李氏︵漱 石の交學、四三頁︶もこれを背定してをられる。 徽石初期の浪漫主義と﹁夢+夜﹂の解繹 七五