わが国社会教育制度の改革について
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(2) 2. 田. 代. 元. 弥. つくることに方策を集中せざるを得ない。このさい,考えられる学校とは,青少年向けの 基礎教育施設である学校と,成人教育棟関とを合わせた未分化のそれであって,必ずしも 今日の法律で規定する学校教育のみを目的とし,それに専念するものとはみなされないの ●. ●. ●. ●. である。理論的にいうならば,学校数育と社会教育とを相補もしくは相対関係においてみ ることは誤まりであって,そのいずれかに偏し,あるいは一方を充実することによって他 方を欠く理由とすることはできない。にもかかわらず,教育制度の未開発の場面において は,往々にして一方を欠く現象が他方を顕在祝させ,比較・相補的な把撞をゆるすことに なりがちであった。. わが明治新政府が統一政権の確立と国力の充実を期すために,国民教育制度の樹立とそ の普及を重要な国策として採用したことは当然のなりゆきであった。一方では官僚組織に 投入すべき人材の養成をはかるための高等教育機関に多大の関心をはらいつつ,他方にお いて欧米なみの近代的な普通教育を全国民に授けるための学校設置に多大の力を憤注して いる.廃藩置県後1年にして頒布にいたった学制は,維新政府当事者の初志を集大成しか つ明文化した第1良階のものとして注目されるのである∩ しかるに,この学制の内容は,その国民的基底における教育制度の構造を学校形態に集 中したために,必然的に社会教育施設を特立する配慮を欠くことになった。 19世紀後半 にいたってようやく現実化し,ひきつづき法制化の過程にあったドイツ・フランス両国の 学校制度のひきうつしともいうべき学制制定の経緯からしても,このことは容易にうなず. けるものがある。さらに,欧米諸国においても早くから成立していた社会教育施設である 図書館・博物館などは,そのほとんどが私設のものであって,法制の規定をともない,公 的な支持とそれにともなう公権力の支配をうけないものが多かった。たまたまその支持が. なされている場合において,それが教育行政のわくにはめられる例はをまとんどなかった。 (米国において最初に州の公費によって設立された図書館は1833年ニュー-ソプシャ州ピーターバラPeterboroughのそれであるといわれている1)0) したがって,学校形態の輸入と時を同じくしてわが国に持ち込まれた図書館・博物館な る近代様式の社会教育施設2)ち,明治政府が強調した文明開化の一般政策に結びついて成 立はしたが,一時直接的な教育行政のわくには入らなかった経緯もある程度理解をするこ とができる。しからば,この図書館(当時いわゆる書籍館)および博物館の創設と,それ 以後の変遷ほどうであったか。以下それについて要約した結果を記してみよう。 明治3年(1870)博物館(博覧会)業務を担当する物産局仮事務所設置(大学両校内)さ ・. 5. れ,翌年第1回公開展覧会を開催した。 (1872)博物館開設(2月),別に博物局内に書籍館を置き(4月),人材教育, 文化進歩のため追々和漢洋の群書を収集し,衆人の看読を差し許すこ ととした。. 〝. 6. (1873)書籍館・博物館を博覧会事務局の管理とした。. u. 8. (1875)書籍館を文部省の所管に改めた(2月)o だし明治10年に廃止)0. これを東京書籍館と改称(た.
(3) わが国社会教育部魔の改革について 明治10. 3. (1877)博物館を東京博物館と改称oその後東京高等師範学校に東京教育博物 館を併設したが,文部省の所管となったのは大正3年(1914年)であ る。. なお帝窒博物館が開設されたのは明治22年(1889),東京科学博物 、L館は昭和6年(1931年)の設置というように博物館の増設,分化には 長年月を要している。. 〟. 12. (1879)日本教育令に,書籍館などを文部卿の管轄とする旨の規定をうち出さ れた.. 13. v. (第1条). (1880)改正教育令に,その第20-22条にまたがり,公立ならびに私立の学 校,幼稗(椎)園とともに書籍館などの設置廃止の規則をきめた。この 頃から大阪府をはじめ諸地方においてもようやく書籍館を置くように. なった(明治15年の調査によると,公立16,私立1館ができてい 〟. 30. る). (1897) 帝国図書館官制公布. u. 32. (1899) 図書館令制定。図書館に関する規程は(明治39年),図書館令施行規 則などとともにいわゆる通俗図書館の普及を促した。. 39年の調査に. 〟. 37. よれげ,館数127,冊数1,449,598と伸張している。 (1904) 山口図書館が巡回文庫を開始。. 〟. 44. (1911) 通俗教育調査委員会設置。そこで,文部省普通学務局の内部で所管し ていた通俗教育に関する事項が検討を加えられた。その事項の中に,. 映画フイルム,講演会などとならんで,通俗図書館,巡回文敵. 展覧. 会事業,大衆読物のことがらがふくまれていた。. 以上で,社会教育の領域における万国共通の代表的施設というべき図書館・博物館にっ いて,その明治期における動向の概要をみた。とくに32年(1899)に図書館令が公布され たことは,すべての学校について制定されていた勅令形式の規定が,ただ1事例とはいえ 社会教育施設に対しても通用された点で注目すべきものである。 もっとも図書館今の内容は,きわめて簡潔なもので,下に引用するものがその全容をし めしている。したがってこの規定のねらいは職員配置に関する条項を除いては,総体とし て,公共図書館(通俗図書館)の新設を促進することにあったと判断してよいであろう.. 図. 書. 館. 令. (岩繁i2急1旨月11日) 第1条. 北海道府県郡市町村薫苧雷謂聖二於テ-図書ヲ蒐集シ公衆ノ閲覧二供セムカ為. 図書館ヲ設置スルコトヲ得 第2条. 明治26年勅令第33号ノ規定-図書館二関シ之ヲ準用ス. 第3条. 私人-本令ノ鹿足二依り図書館ヲ設置スルコトヲ得.
(4) 田. 4. 代. 元. 弥. 第4条. 図書館-公立学校叉-私立学校二附設スルコトヲ得. 第5条. 図書館ノ設置廃止-其ノ公立二係ルモノ-文部大臣ノ認可ヲ受ケ其ノ私立二係. ルモノ-文部大臣二開申-シ 第6条. 公立図書館ニ-館長及書記ヲ置キ地方長官之ヲ任免ス. 館長書記-判任文官卜同一ノ待遇ヲ受ク其ノ等級配当二関シテ-館長ニ-明治25年 勅令第39号中判任文官卜同一ノ待遇ヲ受クル公立中学校数諭二関スル規定,書記ニ -公立中学校書記二関スル規定ヲ準用ス. 第7条 附. 公立図書館二於テ-図書閲覧料ヲ徴収スルコトヲ得. 第8条. 則. 諸学校通則第3条中及小学校令中書籍館及図書館二閑スル規定-之ヲ廃止ス. ここにみるとおり,この勅令によって明確化されたことは,. 1)明治20年代までは名称も書籍鼠図書館などと混用されていたのをようやく図書館 に統一する時期に到達したこと. 2)職員の身分待遇を明示することにより,図書館制度を行政上相当の位置に定著しよう としたこと. 3)学務局(明治20年以降は普通学務局)の1隅においてかろうじて所掌されていた通 俗教育事務のなかから,ようやく図書館が全国的に,また公私双方の手によって開設さ れるようになった機運に対応して,従来諸学校通則などの条文にf)TJ-)召規定されていたも. のを独立の法令に移行制定することができたという事実 である。. このように図書館ほ,明治の新政府創業以来30年の蓄積を経て法制的地位を確立する にいたった。しかし,これにいたる道程においては,館の当事者の努力が営々とつづけら れたことはもちろんであるが,さらにそれに先立って中古以来,文化施設の象徴的存在と. して維持されてきたいくつかの文庫およびそれと密接な関係において同種の活動をつづけ てきた寺院などの先例を無視することはできないo文化史にその名をとどめる芸事(うん てい,宝亀年間770-780石上宅嗣がその邸内に設け一般に公開したといわれるもの)辛 金沢文庫(鎌倉時代,称名寺境内に北条実時,顕時,貞顕の3代にわたり創建・育成され たと伝えられる),足利学校(15世紀初め上砂憲実が再興したというのが通説)あるいは 紅葉山文庫(1602年徳川家康が江戸城内に設けたもの)のほか,民間有志の手で開設され ていた諸文庫の活動は,それらが近代的図書館の性格や構造とは趣を異にしていたとはい え,明治以後の図書館事業の普及にとって重要な伏線となっているo 博物館に関してもほぼ同様の先例をみることができるoとくに正倉院(752年頃奈良東 大寺の大仏開眼にちなんで設けられたという説をとる)のような規模・管理のうえで別格 のものを除き,多くの社寺が収集保存し,開帳(展示)した書画・記録・彫刻などの文化 財をあつかった事業は,重要な意味をも-ているoしかし,公共団体(政府および地方自 治体)が国民に対しておこなう社会教育施設を通ずる活動にねらいをおく本論においてほ, 近世以前にあらわれたものはこれを先綻として通覧するのにとどめておきたいo.
(5) 5. わが国社会教育制度の改革について. 明治期に入るとまもなく,政府当路老は公の手で社会教育の施設をととのえる方針を明 らかにしているoたとえば前記のように明治5年4月,文部省が創設した書籍館(じょじ ゃくかん)について,その主旨を公表した連(たっし)によれば, 方今人材教育文化進歩ノ為メ今般東京湯島博物館中二於テ書籍館ヲ建設セラレ従来府 醇収蔵ノ和漢洋ノ群書-申スニ及-ス其他遺漏スル所ノ書-追々之ヲ館内二蒐集シ普ク 衆人ノ此処二釆テ望ム所ノ書ヲ看読スルヲ差許ス条各其意ヲ体シ有志ノ輩-無悼借覧願 出可申事 とあって,この全文からうかがわれるとおり,かって幕府の所蔵になる文書を母体とし, かつ新規図書の増加をはかり,一般人の知的文化の向上と人材開発を企図した状況が浮き ぼりにされている。. さらにその後の経過をたどってみると,これも前記のとおり,いったん博覧会事務局に 移管(明治6年3月)され,同8年2月ふたたび文部省の管轄にもどったうえ,同年4月 に東京書籍館と改称されたものについて,文部省第三年報(8年)はつぎのように記して いる。. 客歳2月本館ノ百事更姶二係ルニ方り速二内外人民ヲシテ所蔵ノ書籍ヲ覧閲セシメソ ト欲シ党属員二命シテ其書目ヲ編纂セシム'5月二及ヒ粗其業ヲ終ルヲ得タリ是二於テ規 則ヲ定メテ館ヲ開ク爾来人民項背相望ミ覧閲ヲ乞フ老目二増シ月二加-リ英人民二益ア ルヤ砂々ナラス実二我邦千古未夕曽テ有サルノー美挙卜為ス-キナリ是固ヨリ文運隆興 ノ日二際スルニ由ルト錐モ豊閣下ノ盛意卜属員ノ勉励トニ出ルニ非スヤ夫レ更始末夕久. シカラサルニ人民ノ公益ヲ資クル既二己二此ノ如シ況ヤ本年百事漸ク緒二就ケルヲヤ若 シ之ヲシテ積年累月勉蔦倦マサラシメ-終二欧米各国ノ公立書籍院二此肩スルニ至ルモ 亦甚夕難シトセサルナリ また文部省第十年報(明治15年)によれば, 古今ノ図籍幾万巻ナルヲ知ラス皆官私ノ庫中二存シテ未夕公衆ノ縦覧ヲ許スキノナシ. 英之ヲ許スモノ-東京書籍館ヲ以テ晴矢トス蔽フニ該館-明治5年ノ創立ニシテ爾後規 制若シク-所轄ノ変更等アリタレトモ現今二及ヒテ-諸般ノ事項頗ル整頓シ其ノ書籍ノ 閲覧二充ツ可キモノ-和漢書2万1百22部洋書4千5百4部其他重複ノ和漢書及ヒ洋 書ノ尚ホ精査ヲ経サルモノ数千部アリ而シテ其閲覧人員-8万8百50名アリテ之ヲ開 館日数二除スレ-1日,平均2百57名二該リ1名ノ閲覧書-5冊弱二当レリ 大阪府二府立1箇,新潟・埼玉・栃木・愛知・静岡・滋賀・宮 地方所管ノ書籍館城・秋田・島根・徳島・高知・福岡ノ12県二県立各1箇青森二町村立3箇私立1箇計 17箇アリ其内書籍及ヒ閲覧者ノ最モ多キモノ-大阪・宮城・秋田・高知ノ書籍館ニシ テ其他愛知・徳島等ノ書籍館-蔵書頗ル富メリト維モ閲覧者ノ数猶ホ未夕多カラス故二 各館所蔵ノ書籍ヲ給計スレ-和漢苫4万1千16部洋書7千2百97部計4万8千3百 13部ニシテ其閲覧者-. 5万3千8百7名トシ之ヲ開館日数二除スレ-. 1日ノ平均僅カ. ニ14名二過キス然レトモ之ヲ前年二比較スレ-書籍-6千4百9部閲覧者-1万6百 名ヲ増加シテ亦頗ル開進ノ帰向アルカ如シ.
(6) 6. 代. 田. 元. 弥. といわれ,中央のみならず地方においても,図書館の設置と,その利用状況が次第にひろ がっていることをしめしているo. もちろん本省の年報に組み入れられない小図書館があり,. また年報所載の嘩計数字がどの程度まで正確なものであるかは,今日これをたしかめる方 法がないので,個々の数字についてはそれによっておよその傾向をみる材料とするよりほ. かはない。ただし,中央官庁の統計以外に,わが国においては社会教育施設に関するもの さえも採用するに足るものがないので,つづいて図書館に関する官庁統計を主として蔵前 の分について引用してみよう。それによって,図書館の消長の状況が大観されるからであ る。 l. 図書館関係統計写 館数は分館を含む,なお冊数は明治23年までは部 数,それ以後ほ冊数として処理されている。空欄ほ 官庁の調査未了の部分をしめす。 (計). (私立) fl12222一15. 01. 55981. 137 ,208 146 , 953 152.202 203 258 198,948 327 331. ,548 ,891. 721 ,670 993, 141. 119,238 113,749 119,002 136,229 148 ,036 163 ,308 196,310 241 , 593 324 445 564, 591. 一. 093,638. 703. 一. 277. 704,. 415,524. 92020212225273. 441 491. ,034. ,822 510,561 522 , 004 546,557 525, 971 619,232. 54657. 111122. :ロリ日当t. 901453▲ 679038.. 005647 333469▲. 1008. 1 1.. 80, 129 79,971 101 ,303 125!810 116,681. ,. 1. 111122. 1275. 111122J. 1 1. 189,905. ,375 179,005. 5469025408. 2223334568. 5571383076. 7ハ古9012 333444,. 1. 156,878. 151. 1 1. 1. 142,377 159,448. 6. 6231 49978775. 72020別2. 7〔090123456 2223333333. 1 1 1 1 1. 145,722 158,381. ,257. 5一1. 6201. 3222222211. 2525211. 81920212223別252. 1 1. 93,477 119,398. 14,919 32,697 88,616 84,057. 123. 01 ll 61 9 1. (閲覧人員). 186,025. 61 6. 1. 00o. (蔵書数) 12,626. 52r20別. 516. 171. (公立). 一33551. 01 01. 101. (国立) 1113334一33. 1551. 治68901234561121 3141. 件明. 慶 pロ】. ,010 449, 598 616,401 021771 997335 タ. ,. 949. タ. l. ∩り. ●す. 【」-d. ,. ,. 602 516. 798. 1. 1. ,030,648 ,375,455. 2,048,125.
(7) 7. わが国社会教育制度の改革について. Fu. 14. 15. 2,390 2,937 3,404 3,904 4,337. 2,645. 2,445,719 2,950,377 3,954,148. 37. 3,359,998 3,689,667 4,059,972 4,324,583 4,420,849 4,775,266 5,022,767 5,161,530 5,651,525. 5,317,043 5,773,801. 1 1. 640. 1 1 1 1 1. 1 1 1. 517. 8,566,695 8,470,851 9,516!504 10,021 ,653 10,911 ,323 12,701. 758 877 1,064 1 ,228. 1,420 1,666 2,117 2,546 2,933. 5,939,821 6,168,641 7,038!228 7,191,532 7,623,371. 14,827 ,595 16 ,886,450 19,208 ,897 21 ,058,426 20,964, 153. 8,181 ,878 8,591 ,612 9,275,529 9,635, 566. 22, 164,595 22,847 ,089 22,835, 323. 10,130,231 10,563,410 10,762, 194 ll ,375,795 12,318,600 12,647 ,973 12,984, 565 13,549,797 14,212,963 14,561. 24,979,214 24,765,773 24,949,457 24,667 ,963 24,201 ,836 24,126,160. 9訟574認諾跳. 11 12 13. 2,055. 245 293 393. 969 1. (閲覧人員). 508 223. 6 7 8 9 10. 1 ,092 1,237 1,359 1,511 1,670. 1 1 1 1. (蔵書数). ,264 2,750,205 3 ,050,602. 482. 451 744. 345. 朋槻岩4. 625 708 900. 2 3 4 5. (私立). (公立). 1 ,270 ,286 1,357 1,403. 6,939,325. ,031. ●′. タ. o69053o9. 3456. 4444. 和2345. 昭. ブ. ー. 44444. 678901. 4,609 686 634 ′. , タ. '. 11. !794 759 4,730 ナ. ■. 1111. 2345. 4,752 4,753 4,794 4,776. 1. 1 1 1 1 1 1 1 1. 1 1. 2,962 3,152 3,191 3,234. 1 ,343 1,337 1,361 1 ,374. 3,265. 1. 3,296 3,277 3,347 3,350 3,344. 1 ,343. ,389 1,356 1 ,446 1 ,408 1 ,385 1 ,371 1 ,347 1 ,334 1 ,324. 1. 3,380 3,405 3,459. 1. 3,451. 1. 1,386. 164. 15,265,464 9,092,668. 1. 22. 1,551. 25. 972. 935. 37. 29. 742. 7. 34. ,8. ,857. 12, 120. ,686. 23. ,354,767. 24, 550,847 24,158,212 24,086,342 24,972,535 8,553,468 11. ,487,869. 20,299,545. この表についてみると,廃止または合併・機構改革などに基因して累年増加の傾向が一 時中断し,ときには後退している場合もあるが,明治20年代以降大正末期にいたるまで, 図書館なかんずく地方および私立の館数・蔵書数は著増の傾向をしめし,閲覧者数も大体 において算術級数的に上昇している。これは読書人口の増加,出版書の漸増債向と比例し. てJ、るが,昭和期に入ってからは,館数の増加はほぼ頭打ちとなり,不況や戦争の影響も あって私立図書館の減少もみられるようにった。 第2次大戦後においてほ戦災図書館の復旧により,実質的には充実しているのであるが, 法律第118号)の規定にもとづき, 昭和25年(1950)以後は図書館法(昭和25・4・30.
(8) 8. 田. 代. 元. 弥. 法定図書館のわくに入るもののみが統計にのるようになったので,その数がいちじるしく 制限されたoしかしその範囲内に限られても蔵書数において従前とかわらず,閲覧人員も 漸増しているのであるoまた国立のそれは,国会図書館に改編されたため実際にはそれを 合わせてみることもできるのであり,さらに閲覧者の統計は館内扱いのみとなっているが 現実には日動串文庫その他の便法による利用者がこれに多数追加されるべきものであるo 伝統的な図書館活動の中心におかれる書籍の貸出・閲覧状況については,ほぼその概況 を明らかにしたが,近時図書館は視聴覚ライブラリーの併置,講演・展示などの一般成人 教育事業ならびに相談事業(レフアレンスワーク)にも乗り出しているので,その社会教 育施設としての性格・機能はいっそう拡大されている。これに対して,図書館とならぶも う一方の代表的施設形態として考えられるところの博物館の推移はどうであったろうか。 明治4年(1871). 9月文部省発足と同時に博物館事務を所管とした博物局が,同5年2. 月最初の博覧会を開催した際の達し文には要点つぎのようなことばがある。 博覧会ノ旨趣-天道人工ノ別ナク宇内ノ産物ヲ蒐集シテ英名称ヲ正シ共用法ヲ弁シ人 ノ知見ヲ広ムルニ在り就中古器苗物二至テ-時世ノ推遷制度ノ沿革ヲ追徴ス可キ安物ナ ルニ因り・-周ク之ヲ羅列シテ世人ノ放観二供セント欲ス然モ其各地ヨリ徴集スルノ期 二至テハ之ヲ異目二待タサルヲ得スシテ現今存在ノ旧拾-社寺二道伝スル什物ノ外共用 皇国従来博覧会ノ挙アラサルニ因り珍品奇物ノ官俸二貯 二充ツ可キ物少ナク加フルニ フル所亦若干許二過キス因テ古代ノ器物天道ノ奇品漢洋舶載新造創製等ヲ諭セス之ヲ蔵 スル老-博物館二出シテ此会ノ欠ヲ補ヒ以テ世俗ノ阿見ヲ啓キ且古今ノ同異ヲ知ラシム ノ賛助卜為スヲ請フ これによってみても,博物館を充実するのには,図書館以上の困難を感じ,その対策に 苦心をはらったことがわかる。それとともに,博物館は文部省の手をはなれて一時博覧会 事務局のもとに入り,. 8年4月文部省にもどって東京博物館としておちつき,. 10年1月. 湯島から上野へ新築移転して教育博物館と改称するまでの数年間,その経営にはかなりの 困難がつきまとった(この場合の教育とは学術の意味であったという)。明治9年の文部 省年報に手島精一(東京博物館長補)が記すところにもその事情はあらわれているoすな わち,. 伏テ惟ルニ世二博物館ノ設ケ多クシテ其或-博物美術医学教育等ノ名称ヲ冠スルモ之. ■. ヲ要スルニ各学科上親シク実物二就テ学-サレ-隔靴掻症ノ歎ヲ免レサルカ故ナリ-国愈文明二進歩スルニ随ヒ博物館ノ設多キ所以ニシテ国ノ文不文-博物館ノ多少ヲ以テ. トスルニ足レリ我文部省モ夙二此二見ル所アリテ初治8年ヲ以テ東京博物館ヲ再設セリ ト蛙モ如何セソ物品ヲ艦列シ庶人ヲシテ来観セシム-キ厚岸アラサリシカ故二既二蒐集 セシ物品モ空シク蓄積スルノミナリシカ明治9年6月ヲ以テ文部省新築ノ業ヲ創メ今既. 二道営ノ功成り開館ノ期近キニ有ル-シ今ヤ本邦教育ノ進歩セル前日ノ血ニアラサレハ 我博物館二来観スル老衆多ニシテ且之ヲ益スルノ多キ敢テ疑-サル所ナレ-之二排列ス. -キ物品-金額ノ許多ナルヲ顧ミス人力ノ許多ナルヲ厭-スー時二之ヲ蒐乗セ,/カ日ク.
(9) わが国社会教育制度の改革について. 9. 然ラス--然-則チ物品ヲ蒐集スル急ナラサルカ日ク否本邦古ヨリ教育ノ道行-レ教科 二亘ルノ物件実二鮮カラス宜シク先ツ本邦教育ノ物品ヲ集メ之力部鞍ヲ分ツテ排列シ叉 博物ノ如キモ本邦禽獣草木金石二冨メリ須ク先ツ本邦ノ動植鉱物ヲ蒐集シ之二学術上ノ 名称ヲ附シ之力類ヲ正シ而テ後教育博物学二係ルノ諸品有余ヲ以テ外国ノ物品卜交換セ ハ金額卜人力トヲ費サスシテ有無相補ヒ彼我相益シ博ク各国ノ物品ヲ集ムルモ亦難キニ アラサル-シー以下略-. といい,やがては東洋中の1大博物館とすることを希望し,その前途を楽観しつつも,文. 部省の当事者にしてなお現状のはなはだ劣弱なることを表明しているのである。中央につ づいて,大阪・京都・金沢・秋田の講地方においても,府県立の博物館があいついで開設 されるようになった。. しかしながら博物館の場合,その数において,また個々の規模・内容に関して,これを 飛躍的に拡大し得る自信とみとおしは誰にもなかったようである。手島精一の文意による と,博物館も庶民一般に沓閑啓発の用をなすべきものであったが,本来専門的・学術的に 構成される施設を利用するものがそれほど多くないことば,今日といえども同様であって, 通俗的な出版物もふくめた図書を媒体とする図書館活動と同列において論ずること自体が. むりなものであった。これが行政上の処置にも反映したものか,明治12年(1879)の日 本教育令草案にも当初は博物館を書籍館とならべて法文にのせる方針であったものが,草 案修正にあたり削除されて書籍館等,と表現された。ただし,博物館の実態は厳然として ●. 存在し,かつ継続しているので,その後の行政事項のうえでは,つねに重要な位置を占zb, 通俗図書館・博物館と併列的にとりあげられてきたことは,文部省普通学務局における通 俗教育関係所掌事項についてはもちろん,明治44年5月に設置された通俗教育調査委員 会においても,その第1部がこの両者に関する調査と施設を主として担当していることに よっても明らかである。. さらに大正6年に設けられ,当面する重要な教育制度上の諸問題を審議した臨時教育会 (関係項目抜すい) 議においても,諮問第8号(通俗教育改善策)の答申には, 2. 通俗教育二関スル施設ノ計画及実行ノ任二当ル為文部省二主任官ヲ置クコト. 6. 通俗図書館博物館等ノ発達ヲ促シ之二備付ク-キ図書及陳列品二閑シ必要ナル注意 ヲ怠ラサルコト. という指摘があって,営造物としてはつねにこの両者が代表的に共存していることがわか る。. 以上の記述において明治維新以来,近代的な社会教育制度の樹立と展開の過程は,学校 制度の優先という事情にさまたげられつつもなお図書館・博物館を前面に押し出し,その 一部を法令化する手続きをともなって,具象化がすすめられ,それをもって施策の中心と したことをみた。ところで富国強兵という明治政府の大方針は,国内統一後対外戦争に勝 利をおさめるまでにこれを推進したので,時間がすすみ,財力がととのうにしたがい,当. ・然幹部要員に対する高等教育の組織のほかに,別の教育系統による下級技能者の訓練と∴.
(10) 10. 田. 代. 元. 弥. 般国民の知的・道徳的開発にも著手しなければならなかったoそれが学校の名を冠してし かも正統の学校ならざる実業補習学校の規程(明治26年),通俗図書藤定規程(大正2年), 幻燈映画および活動写真"フイルム〃認定規程(同上),あるいほ講演会資料の編集配布, 青年会その他の民間団体に対する指導などに拡大されていくのである。ただし最後にあげ た青年団体に対して公共棟閑が接触をすることは,制度論としてはつねに問題となるもの. があるのであって,団体指導を政府が公然と施策のなかにとり入れたのは,明治38年12 月のことであったといわれる。すなわち,このとき文部省普通学務局長名をもって地方長 官に対し,地方青年団体の誘液指導ならびにその設置奨励について通牒を出したのをもっ てはじまりとみるのである。. これは要するに日清・日露両戦争を通じて国民意識の高揚がはかられ,その間青年団体 の銃後奉仕活動がさかんであった事実3)辛,それと前後して山本滝之助ら青年組織活動家 の政府へのはたらきかけを当局がうけて立ち,さらにこれを利用した結果であると考えら れる。なお明治末期から大正初期にかけて青年団その他の教化団体と政府との関係をみる 場合,その窓口が内務・文部両省にまたがっていた事実をみのがすことはできない。とく に内務省(社会局)が,思想対策,国家主義風教対策の一環として男女青年団の組織化に 積極的であり,その背後に軍部の意図が動いていたことは重要である。大正4年(1915) 9月15日付内務省文部省訓令として,共同で発せられたものをみると, 青年団体ノ設置-今ヤ漸ク全国二治ク其ノ振否-国運ノ伸暖地方ノ開発二閑スル所殊 二大ナルモノア1)此ノ際一層青年団体ノ指導二努メ以テ完全ナル発達ヲ遂ケシムル-内 外現時ノ情勢二照シ最モ喫緊ノー要務タル-キヲ信ス--団体員ヲシテ忠孝ノ本義ヲ体 シ品性ノ向上ヲ図り体力ヲ増進シ実際生活二道切ナル智能ヲ研キ剛健勤勉克ク国家ノ進 運ヲ扶持スルノ精神卜素質トヲ養成セシムル-刻下最モ緊切ノ事二属ス 云々とあって,それ以後青*,のちにほ婦人・壮年男子団体の組織強化を政府がおこなう. ようになり,そのための職員・機構が増加されて第2堺大戦にいたるのである. このような近代教育施策のルールからの逸脱もまじえて大正期に入ったわが通俗教育行 政ほ,上述の臨時教育会議を踏み台にして,その体制拡充をいそいだ。臨時教育会読にお ける通俗教育関係答申事項は,前記2項目のほかに, 調査会の設置(項目第1) 主任官の配置【中央・地方】(同2,. 3). 指導者養成施設のこと(同4) 良書普及並に出版物取締(同5) 講演会の奨励(同7) 活動写真其他興業物の取締(同8) 健全な音楽の奨励,俗謡の改善(同9) 劇場寄席などの改善(同10) 学校外体育施設の改善・普及,弊害の除去(同11) が指摘されていて,それらは教化団体の事項とともに,大正8年以臨通俗教育(同10年.
(11) ll. わが国社会教育制度の改革について. 以後社会教育と改称)主管課の独立,さらに昭和4年(1929)社会教育局成立以後の所管 事項にくみ込まれたのであるoつまりこれらの事項は,第1次大戦後の時瓢いわゆる大 正デモクラシーの風潮が広がるのを制御するために役立つものであったばかりでなく・行. 政上の成人教育がしめる範囲を具体的に決定するものでもあったo 4年後には最初の総選挙がおこなわれた 大正13年(1924)には普通選挙法が成立し, が,これに対応する政治教育には見るべきものがないばかりか,教化活動の強化にたよっ たことも注意さるべきであろう。そして昭和4年に文部省の社会教育課が局に昇格し・青 年訓練所・実業補習学校(同10年青年学校に統合された)に関する業務から・労務者教 育をも内務省から引きついで所管するようになったとはいえ,政府の方針と対立する民間 教育活動に対して,形式的に対抗する以外になんら有効な業績をあげることができなかっ た。したがって第2次大戦に近づき,ほぼ臨戦体制下に入った昭和12年(1937). 12月,. ときの内閣に設けられた教育審議会の審議結果をみても,その大部分は観念的で近代社会 教育制度の本質に通ずるものはほとんどなかったo昭和16年6月16日付をもって審議 会が提出した社会教育一般に関する答申の要綱ほ, 1社会教育-国民ヲシテ教育二閑スル勅語ノ聖旨ヲ奉戴シ其ノ実際生活二即シテ皇国 ノ道ヲ修メ臣道実践ノ修練ヲ行-シムルヲ以テ本旨けスコト 社会教育-学校教育卜相供チテ国民文化ノ向上ヲ図り健全有為ナル国民ノ修養体制. 2. タラシムルコト 3. 社会教育-国家ノ指導方針二基キ官民協力シテ教育効果ノ完キヲ期スルコト. 4. 社会教育二関スル指導ノ統一連絡ヲ図ル為文部大臣統轄ノ下二道当ナル官民協力ノ 機関ヲ設置スルコト. 5. 社会教育関係団体ノ統合並二強化ヲ図り社会教育ノ遺憾ナキヲ期スルコト. 6. 大学ヲ始メ各種ノ学校ヲシテ各其ノ磯能二応シ社会教育ノ普及振興二カメシムルコ ト. 7. 市町村二於ケル各種常会等ノ社会教育的機能ヲ発揮セシムル為適切ナル指導ヲ行フ コト. 8. 各種社会教育担当者ノ養成機関並二再教育施設ヲ設クルコト. 9. 社会教育ノ調査研究二当ラシムル為各種ノ社会教育二関スル研究所ヲ設置スルコト. 10. 社会教育振興ノ為中央,地方二於ケル関係行政機関横構ノ拡充強化ヲ図ルコト. 11社会教育二関係アル各官庁及民間ノ施設-相互二十分ナル連絡協調ヲ保ツコト にわたっており,さらに社会教育の各領域一青年学校,青少年団,成人教育,究庭教育, 文化施設-別にそれぞれ要綱をうち出した。ことに文化施設に関する要綱は29項目か ら成る広範なもので,それが図書館・博物館の整備拡充に重点をおくものであることほ当 然であるが,あわせて,映画・演劇・音楽・宗教・文芸・美術・出版・放送などに対する 教育的指導と活用を強軌とくに農山漁村,工場鉱山などにおける文化施設に言及してみ ずから統制癖の本質を暴露している。しかも,このような観念的な政策論は,戦時危急の 11月解体され,教化局もしくは教学 用に立たずとして,社会教育局は昭和17年(1942).
(12) 12. 田. 代. 元. 弥. 局に席をゆずって敗戦にいたるのであるoここまでにいたるあゆみは,端的にいえば,社. 会教育制度は,内容・形態を独自にととのえた図書館・博物館の施設によるものを除いて は・まったく近代化の傾向に逆行し,無策にひとしいがために自壊作用をいとなむ過程を たどったというほかはないのである。 Lfl. 第2次大戦彼のわが国社会教育制度の状況をみるとき,大局的にほ昭和24年(1949)か ら同28年(1953)にかけて制定された社会教育法をはじめとする一連の法律(図書館法・. 博物館法・青年学級振興法)および教育委員会法などの関係法規にあらわれている立法の 趣旨とその内容における特質を中心におくべきであることはいうまでもないことであり, それらの根源である教育基本法(B7R}和22年)第7条の規定にすべてが帰結することも白 明であるoしたがって論理的には,法定主義の基底にあるものをとりあげることに集中す べきであるが・しかしそれと平行に行政の現実的な様相に着目しなければ,事情を十分に 解明することができないのが,社会教育法規の性格でもある。そこで一般にいわれる法解 釈について,ここに多くを述べるよりは,その周辺にあって,制度の現実化に強く影響し. ているものをとり出して考察することに主力を注ぐことにする。それによって,戦後とい えども戦前とかわりない官僚支配の実態,制度と民間教育活動の離反の様相を明らかにす ることができるからである。. 昭和20年(1945) 設の教育方針のうち,. 9月15日,敗戦後政府が最初に発表した教育文書である掛二l本建 7. 社会教育の部分をみると, 国民道義ノ昂揚卜国民教養ノ向上-新日本建設ノ根底ヲナスモノデアルノデ成人教育,. 勤労者教育,家庭教育,図書館,博物館等社会教育ノ全般二亘り之ガ振作ヲ図ルト共二 葉術・音楽,映画,演劇,出版等国民文化ノ興隆二付具体案ヲ計画中デアルガ差当り最. 近ノ機会二於テ芙術展覧会等ヲ盛二開催シタキ意向デアル と述べられている。そのうち前段はあとで教育基本法の第7条(社会教育)の内容にひき 移されたものと解せられるが,後段については,文化国家として焦土のなかから起ちあが る気力を与えることと敗戦国民の心情緩和の一策として付加されたものとみてさしつかえ ないであろう。. しかし当時の官僚の心底にあったものは,ほだ占餌軍の意向が明確に把垣できない時期 において)国体の護持を基調とする平和国家の建設(方法としては国民道義の昂揚と国民 教養の向上)であったoそのことは・実際には陽の目をみなかったものであるが,. 20年. 10月15日文部省に社会教育局が復活するやただちに局内において立案の作業がすすめら れた"日本新生社会教育5カ年計画大綱"4'にも陪々裡にもり込まれている。また同年9 月25日文部次官から地方長官にあてて発せられた通牒-青少年団体ノ設置並二育成二 関スル件一においても,新生青年団の組織を奨励しつつ,運営上の留意事項として"国. 体護持の精神〃に加えて地域に基盤を置いた郷土愛をもってするようにと念をおしている ところにもそのあらわれをみることができる。.
(13) わが国社会教育制度の改革について. 13. さて,うえのように社会教育局の復活以前からはじまって,復活後の時期になるといっ そうさかんに発せられた通牒5)をおしなべて共通に流れている発想の特色は,戦前からの. 精神主義と旧来のむら体制に依存した民衆教化施策であった。形式的には,図書館・博物 館・各種講座・学校の開放というような近代社会教育方式にそうものがふくまれているが, それをおおように,またいろどるように採用されたものは,哉後の社会における指導的理 念となるであろうと想定された民主主義の表面(外形)的な教化に便利なしくみであった。 それは経済的な窮迫という非常事態に対応して,官製の新生活運動(22年(1947)以降) と平行して強化され,また21年7月5日付文部次官通牒によって公式を羊しめされ,設置 を奨励された公民館の構想にも通じている6)0 それよりまえ,. 20年10月22日に連合軍総司令部は日本政府に対して,日本教育制度. に対する管理政策と題する覚書を出している。そのなかには,. --議会政治,国際平和,個人ノ権威ノ思想及集会,言論,信教ノ自由ノ如キ基本的 人権ノ思想二合致スル諸概念ノ教授及実践ノ確立 を奨励し,. 政治的,公民的,宗教的自由ヲ含ム各般ノ事項ノ自由討議ヲ許容 すべきことが指摘されていた。そのため,昭和21年に入ると,社会教育の施策にも,国 民の頭脳および態度の民主化をはかり,かつこれを支持する具体案が強調されるようにに なる。同年1月29目付局長通牒,公民啓発運動ノー環タル青年常会ノ開催二関スル件は その皮切りをつとめたものであった。すなわち,. 来ルべキ総選挙ニニ当リサキニ部落別「公民の集ひ」ヲ開催セシムルヤウ指示致シ置 キタル処更二石部落会ノ特殊形態トシテ青年層ヲ主体トスル政治討論会ノ如キモノヲ開 催シ自主的二青年層二於ケル政治的関心ヲ昂提セシメ度可然御坂計相成度此段及通牒 といい,この青年公論会の開催斡旋などの参考として,青年公論会(青年常会)の開き方 を別紙にのせている。その解説の内容は,民主政治の根本は,国民個人の自由な意志を尊 重するところにあり,国民の総意によって政治がおこなわれるべきであるという原則のも とに,個人の思考,他人との意見交換,相互批判の態度をやしなう必要を述べ,以下順次 その開催要領,選挙その他話題となるべき事項の列挙におよんでいるo. 戦後約半年にわたる期間の動向はほぼ上記のようなところであるが,そこに民主主義を 旗印として日本占卸このぞんだ連合軍の方針,覚書,勧告の趣旨と,おなじく民主主義を 表面にまとってこれをうけとめてきた行政官の心意とのあいだに,明らかな断層があった ことは否定できない。たとえば,公民教育とはいうまでもなく米国人がさかんに主唱する 市民性の教育citizensbip. or. civil participation. and. responsibilityそのものであると. 先方では解しているのに,わがほうでは国体護持という切札を秘めて,官僚の支配力を温 存する手段としてこれをとりあげているように思われるo. したがって表面的なテクニックとしては,自由討論をとりいれ,たくみにこれを利用す ることにより,国民に対してもある種の新鮮味を感じさせつつ,しかも前近代的なむら組. 織や,新生団体と称しながら戦前の教化団体と本質的には異なるところのない関係団体の.
(14) 14. 田. 代. 元. 弥. 構造にくさびを打ち込んで,支配をくりかえす意図をすてなかった。また国民の民主的成 長,自主的態度の伸張が簡単にはおこなわれないことをみぬいていたようでもある。. そこで戦後急速に社会教育のセンターとして普及をはかられた公民館の問題にうつろ う。前記のごとく,公民館構想が正式に公表されたのは,. 21年7月の通牒によるのであ. るが,あたかも戦禍のかげから立ちあがる国民の精神的支柱を具象的にうち出す必要が明 白になっていた時期において,当局者のあいだで,国民再教育の場を全国的に設定するこ との意義が強く動き,考えられたことは容易にうなづけるものであった。国土の再興と民 生の安定を焦眉の課題とする政府が,住民の精神的か?物質的開発の拠点を設けることに 着眼するのほ当然のなりゆきでもあったo こうしてまとめられた公民館構想が次官通牒そ の他の公文書を通じて地方当局にしめされ,その設置を勧奨されることになったのである。 本文として一般に伝わっているものほつぎのようである.. 公民館の設置運営について. (要義7i5i虞社122号) 国民の教養を高めて,道徳的知識的並に政治的の水準を引上げ,また町村自治体に民 主主義の実際的訓練を与えると共に,科学思想を普及して,平和産業を振興する基を築 くことは,新日本建設の為に最も重要な問題と考えられるが,此の要請に応ずる為に, 地方に於て社会教育の中枢機関としての郷土図書館,公会堂,町村民集会所等の設置計 画が進捗し,其の実現を見つつあるものも少くない事はまことに欣ばしい事である。よ って本省に於ても此の種の計画が,全国各町村の自発的な創意努力によって,益々力強 く推進されることを希望し,今般凡そ別紙要綱に基く町村公民館の設置を奨励すること となったから,青年学校の運営と併行して,適切な指導奨励を加えられる様,命に依つ て通牒する。. 尚本件については内務省,大蔵省,商工省,農林省及厚生省に於て諒解済であること を附記する。 その別紙公民館設置要綱には,詳細な構想の解説に先立って,冒頭に公民館の趣旨およ び目的をつぎのように述べた部分があるo これからの日本に最も大切なことは,すべての国民が豊かな文化的教養を身につけ, 他人に振らず自主的に物を考えて平和的協力的に行動する習性を養うことである。そし て之を基礎として盛んに平和的産業を興し,新しい民主日本に生れ変ることである。そ の為にほ教育の普及を何よりも必要とする。わが国の教育は国民学校や青年学校を通じ 一応どんな田舎にも普及した形ではあるが,今後の国民教育は青少年を対象とするのみ でなく,大人も子供も男も女も,産業人も教育者もみんながお互に陸.み合い導き合って お互の教養を高めてゆく様な方法が振られねばならない。公民館は全国の各町村に設置 せられ,此処に常時に町村民が打ち集って談論し読書し,生活上産業上の指導を受けお.
(15) 15. わが国社会教育制度の改革について. 互の交友を深める場所である。それは謂わば郷土に於ける公民学校,図書館,博物館, 公会堂,町村民集会所,産業指導所などの機能を兼ねた文化教養の検閲である。それは 亦青年団,婦人会などの町村に於ける文化団体の本部ともなり,各団体が相提携して町 村振興の底力を生み出す場所でもある。この施設ほ上からの命令で施設されるのでなく,. 真に町村民の自主的な要望と協力とによって設置せられ,叉町村自身の創意と財力とに ょって維持せられてゆくことが理想である。. この趣旨と構案をうけて,文化施設を欠く地方(市)町村または民間団体が公民館建設を 決定し,その数もかなりのいきおいで増加していったのである7'。ここでわれわれは,戟 後としては最初の本来的な社会教育施設についての実際的な動向にふれ得ることになるの である。もちろんその官僚の手になる構想に,完全な現代的性格の徹底を求めることは困 難であったが,ともかく現実に公民館を戦後日本の社会教育センタ-として打ち出したこ とは注目すべきものであり,その教育総合施設という着想が他国においても注意をひくに いたった。したがって,制定に多くの時間と困蟹を経験しつつようやく24年(1949)6月 に成立したわが国最初の社会教育法においても,その中心は公民館におかれたのであるo. 社会教育法を成文化する過程においても,多くの粁余曲折があったことはよくしられて いる。とくに日本国憲法第89条と関連して,社会教育関係団体に対して公費から補助金 を支出することを禁止する第13条(昭和34年の改正によりこの禁止を解いた)の存否 について,連合軍司令部(CIE)と日本の政府(文部省)とのあいだに鋭い対立があったば かりでなく,そこにも教育権をめぐるのちの時期の論争の根があったのである。しかしこ のことほ制度を論ずる際の主問題とするのには不適当であるので,これについてさらに検 討を加えることは省略をする。 ふたたび法案起草の時期にもどって,数次にわたり書き改められた社会教育法草案のう ち,その第1次草案ともいうべきもの(昭和22年4月1日)の目次をみると, 第1章. 総則(社会教育の意義,社会教育委員会). 第2章. 社会教育団体(1.社会教育施設維持団体,. 第3章. 社会教育施設(1.学校,. 2.図書館,. 2.社会教育団体,. 3・公民館,. 4・博物館,. 3・教養団体) 5・簡易図書閲. 覧所). 第4章. 社会教育事業(1.講習事業,. 2.通信教育事業). の請項目からなり立っている。ついで同年6月10日作成の第2次案ともみられるものほ, 総則 第1章 第2章. 社会教育委員. 第3章. 社会教育施設(第1節. 簡易図書閲覧所,第5節 第4章. 社会教育団体. 第5章. 通信教育事業. 第6章. 労働者教育の奨励. 図書館,第2節. 博物館,第3節. 公民館,第4節. 学校施設の利用). というような構成であり,ほとんど同工異曲の内容ではあるが,第1次実の社会教育団体.
(16) 16. 田. 代. 元. 弥. の施設維持団体と,直接目的活動にあたるものおよび教養(文化)団体に分けている点, それがさらに第2次実になると,法にいう社会教育団体とは法人とし,しかも社会教育施 設または事業を経常維持するものに限るとしていることに専門的興味を覚える。. 24年に国会を通過成立した本法は,上記草案とは相当に異なったものに改められてい る。すなわち公民館を大きく章としてとりあげるかわりに,おなじく施設の範暗に属する ものでありながら,図書館・博物館を別の法律に押し出したこと,団体を一括して関係団 体の名のもとに,その性格をあいまいなものにLておきながら,なおこれを1章におさめ. たこと,あとで追加規定を設けたけれども,当初専門職員の項を欠いていた点などはとく に目立つとともに,のちにいたって根本的な論議をよびおこした部分である。. しかしともかくも,教育基本法(第7条)の規定する勃労の場所その他社会においてお こなわれる教育に対する国や地方公共団体の奨励の義務を具体的に明示すべく使命づけら れた社会教育法が,社会教育に必然的に内在する私事性を侵さない範囲において何らかの 規定をしようとするとき,教育条件整備のための直接かつ客観的な行政作用として,施設 を中心的位置におき,これに付随して必要な限りの事業を考慮する方式に落ちついたもの である.. なおその事業としては,公民館・図書館・博物館・学校がおこなうもの,教育委員会の 手で開設されるものが列挙されるが,実際には,まず学校が委嘱をうけてはじめた母親学 級,ついで公民館などにおける青年学救および成人学校,社会通信教育,団体指導者らの 研修事業,のちに婦人学級などが一般的にひろくおこなわれた(社会体育はのちに管轄外 となったので,ここではふれなかった).また,図書館奉仕・博物館事業の拡大をふくめ たそれぞれの単独法ほ,着想において十分に現代化された態様をそなえており,さらに占 領軍の命令に発した政令103号(昭和23年)は大量の映写機ならびにフイルムの貸与8) をもたらし,視聴覚教育展開の起動力となった。. その他PTAの結成,学校開放の理念普及は,いずれもアメリカの影響をうけてこれを 模倣したものであるが,その日本的状況は多分に変形され,あるいは未開発におわった。 それのみでなく,独立後の日本社会は,イデオロギーの分裂対立をくりかえし,国政もま た力の政策に転換したため,社会教育の施策にもしばしば政党の利害をからませる憤向が 強まってきている。その結果公教育としての社会教育行政-制度の運営-はみずから 政治的中立をとなえているにもかかわらず,その中立性は行政官白身によって破られ,か つ公教育の場を不毛にするような結果を招来することも少なくない状況となっている。. 最近ようやく社会教育研究者のあいだで,社会教育近代化達成の要件として施設の性格 や構造などに注目する傾向があらわれ,比較研究,実態研究の試みがなされるようになっ た.近代化の要件は他にも求められるべきで,それらによって,内容・方法の分野に関し ても追究され,実質的な近代化の体制が明らかにされる必要がある。その意味で,わが国 社会教育の弱点の最たるものであるところの,大学拡張策について,別に研究がすすめら れるようになったことは特筆にあたいするものである。つまるところは,明治創業以来ま.
(17) 17. わが国社会教育儲度の改革をこついて. さに1世紀を経ようとする今日の時点において,当初構想された耗近代的方式の確立が, 上記のような種々の要因によって停滞させられ,あるいぼ変質させられたその経線をたち きるた糾こ,科学(客観)的条件の設定と,自主(民主)的文化の伸張という2特性を確 保する構造的考究を密にしなをナればならないのであるQ. (注) 1). tlomer. Kempfer:. E血cation,. Adult. 1955.. 4,. pp.. in. Milestones. Adult. Education・. 2)すでに幕末において,幕府代表として田中芳男ら恕′くりの万国博覧会(1867年)に派遣するな ど,欧珊の文化施設軒こ対する関心ほ動いていた。田中ほフランスの博物館・動博物開などを調 査し,標本類を持ち蘇り,わが国をこおける近代的博物館-の基礎をつくるのむこ荒猷したo 1952・明治27-28.同37-38年の項. 3)日本青年団協議会(同青年研究所)編:青年団年表, より要約 4)日本新生社会教育5ケ年計麺大綱(塞) l.趣旨. -一哉省略-. 新日本ノ建設ヲ目途トシ昭和20年度ヨ1)昭和24年度二重ル5ケ年ノ計画ヲ以テ思 想及生活ノ両面ヲ一体トシ日本新生運動ヲ展開ス. 2.目標. 日本新生運勢ノ目標ヲ. 1.公民啓発. 2.勤労挺身. 3・科学普及トシ,国民ノ自覚. 自奮二依り民主的国家社会生活ノ裡二新文化建設ヲ期ス 3.方針. 国家社会ノ窯際的要請二滞シ各年度夫々二重点的二運勢主題ヲ定メ之ヲ中核トシテ3 目標ノ綜合的具現ヲ計1)以テ新日本ノ建設二資ス. 4.年次計画 1. 社会発育ノ基礎確立ヲ計ルト英二後遺拳ノ実施ヲ磯トシテ公民教育普及徹. 昭和20年度 底ヲ期ス. 社会教育関係諸施設二閑シ調査ヲ進ムルト共二全国工社会教育網ノ設定二. (1)基礎確立 務ム. イ. (1)基礎的調査 調査書ノ刊行. -. 既設諸施設ノ調査(団体・道場・塾・集会所等ヲ含ム) 関係結社団体等ノ調査. p. 地方別社会教育連絡協議会ノ開催. B. 学校拡寮教育. 励. C. イ. 宗教社会教育事業ノ促進. 能文化再出発講習会ノ開催 展覧会ノ開催 昭和21年度. 二. -. イ. -. 右. 中央及地方社会教育委員ノ設置. イ. 既設「社会教育委員ノ活動状況」刊行 p. 地方学校社会教育困ノ実験奨. 宗教関係社会教育事業ノ調査. 芸能文化ノ振興. D. ロ. 海外社会教育調査. 学校拡張教育要顧ノ作成. 係社会教育協議会開催. 2. 社会教育委農. A. (2)全国的社会教育飼ノ設定. 二. イ. 新芸能文化ノ経基. p. 関係団体協議会ノ開催 コンク-)i,発鍵. 宗教関 p. 芸. 優秀作品逮賞. 公民啓発運動. 前年度ノ公民啓発運動ノ実績二鑑ミ社会教育ノ主対象ヲ青年及婦人二置キ. 現下国家ノ最大要語タル生産増強ヲ目指シテ運動ヲ展開ス ( 1)基礎確立ノ前年度ノ事業ヲ継承シ全国的社会教育網ノ確立ヲ期シ特工学校拡張施設ヲ 充実ス (2)新青年運動. 都市及農村ノ青年二対シ自主的自発的ナル青年ノ団体運動ヲ提唱助成シ.
(18) 18. 代. 田. 元. 弥. 之等ヲシテ生産増強二資シツツ団体訓練ヲ行-シム (1)新青年運動協議会ノ開催 (3)青年産業叢書ノ干Zj行. A(2)勤労青年教育講座開催 (4)褒鼻音年団体及勤労青年ノ表彰. (5)創意工夫賞制定. (6)勤労青年文庫助成. (7)生産増強二閑スル論文等募集. (8)道場集会所ノ活用. (9)青年協働期間ノ奨施. (10)青年芸能文化ノ奨麹. (3)新婦人運動. 愈々逮進セル生活者ノ打開二蔽患セシメッツ生産及消費ヲ主題白トシ政. 治経済ノ実際ヲ家計ノ上二生カシムルヤウ各種運動ヲ行フ (1)新婦人運動協議会ノ開催. (2)母親学顔開催. く3)女性協働期間ノ実施. (4)藻良療入団捧}表彰. (5)家政刷新貞ノ創定. (6)巡回家政指導者ノ派遣. (7). 「婦人ノ朕・たしなみ」. 「実事ノ実際」 「栄養卜育児」ノ幻灯及映画ノ作成. (8)寿人芸能文すヒノ奨磨 3. 昭和22年度. 地方こ於ケル道場及集会所ノ活用卜相侯ツテ学校拡張施設ヲ郷土生活二連. 結セシメテ社会教育ノ基盤二培イ特こ本年度ノ社会教育ノ主題ヲ科学ノ実際化及生活 ノ科学化トシテ各施設壊園ヲ教員ス (1)学校拡張教育ノ発案 (1)市区町村社会教育専任者ノ設置. (2)優良学校拡張施設ノ表彰. く3)地方学校社会教育圏ノ設定. (4)青年学校ノ所管ノ社会教育局-ノ変更. (2)生活科学化運動 (1)生活科学研究所設置. (2)地方科学技術館設置. (3)郷土文化館ノ実験経営奨磨. (4)生活ノ科学豊泉覧会ノ開催. (5)生活科学講習会ノ開催. (6)生活改善創案募集. (7)生活ノ科学化叢書発行. (8)生活ノ科学化二閑スル映画幻灯等作成. (9)生活芸能文化ノ栄藤 4. 昭和23年鹿. 本年度ノ主題目ヲ郷土建設トシ郷土生活ヲ中心トシテ綜合的二社会教育施. 設ヲ整備充実セシメ「全村アゲテ是学校」ヲ目途トシテ進ム (1)全村学校ノ促進 く2)寮土振興社会教育施設ノ表彰 (3)郷土文化館ノ設置 (4)郷土中堅者育成講習会ノ開催 (5)瓢ヒ建設叢書ノ刊行 (6)郷土建設論文ノ募集 (7)郷土調査ノ実施奨励 (8). 「務土糞」. 「よき村」等暁函匁灯等ノ作成. (9)郷土芸能文化ノ奨励 (10)郷土単位ノ宗教社会事業奨励 5. 日召和24年療. 養年度二於テー応捜会教育施設ノ整優ヲ遂ゲ各面二於ケノレ優良施設ヲ表i;_3,. シテ範示スルト英二地方単位ヨリ順次全剛勺二連絡網整ヲ計7)再ビ総選挙ヲ期二公1七. 草発樽動ヲ展開ス.
(19) わカミ国社会教育部度の改革について. 19. (1)各種団体施設ノ表彰 く2)社会教育指定府県市町村ノ設定 (3)壮者少年団婦人会等ノ連合会助成 (4)公民啓発運動 6. 5)昭20.ll.. 文譜次官遠投,社会教育振興二閑スル件. ここで政府ほ地方長官および学校長にあてて,当面各地方における社会教育行政の一般方式 をしめした。その内容は以下のごときものから成り立っているo l.都道府県社会教育主管課の設置 2.青少年団胤婦人教義団体その他各種社会教育団体の設置奨励 3.図書館,博物館等の整備 4.公民講座等各種講座の開設 5.学校の開放 6.町内会,懲落会の指導 それらの各項に関連して,相前後して発せられた局長通牒のうも主要なものを列挙すれば次 のとおりである. 昭20.ll.13. 一般壮年層二対スル社会教育実施要領二閑スル件 昭和20年度婦人教養施設二開スル件*. 同11.24 同11.28 同12.. 帝人教養施設}育成強化二閑スル件 1. 社会教育委員規程. 同 同12.. 青少年団体育成協議会二閑スル件. 7. 縁遠挙二対処スべキ公民啓発運動実施こ開スノレ件. 6)最近の公民館関係者,とくに宮城県本吉町公民館長先勝寺春三氏の作業によれば,公民館構想 が当局において練られている過程において,数回その中間案的なものが地方紅凍出されている ことがほぼ明らかをこなっている¢. したがって正式の次官通牒(21年7月)とのあいだに字句や. 意味の差異ある数種の文章が出廻っていることになり,下記の文案も通牒以前に地方に出たも のの1であるというoそれほ正文よりも藷分的にどぎつく,またそれだけ当事者の素意を反映 しているものがある.. 公民館設置運営二閑スル件 国民ノ知識教養ヲ高メ其ノ政治能力ト文化永準ノ引上ゲヲ囲ヲ以テ日本民主主義体嶺確立ノ 根基ヲ培フト英二科学思想ノ普及二依り平和産業振興ノ基礎ヲ義フ-新日本建設上緊要不可欠 ノ課題ニシテ之ガ要請二応ズル為地方二於テ社会教育中枢施設トシテノ図書館・公会堂・町村 民集会所等}設置ヲ計頭シ既二之ガ実現ヲ見ツツアルそ}夢カラザ/レヤニ察セラ}レル塵今般見 ソ別紙要綱二基ヅク町村公民館ノ設置ヲ奨励致スコトト相成タルニ付テ-各町村民ノ自発的創 意努力ト其ノ自治財政力ェ依り之ガ強力ナル運営ヲ図ラシムル様青年学校ノ運営卜併行シ適切 ナJL,指導奨励ヲ迦-ラt/庶政ノ段俵禽及通牒 迫ツテ公民館ノ整備-資材資金等ノ関係ヨ1)直二万全ナル施設ヲ為ス-頗ル困難ト-思料セ ラルルを漸次町村当局ノ努力ト国及都道府県ノ斡旋助成二俵l)之ガ充実ヲ囲ル稼致シ度国庫助 成金二付テモ目下本省二於テ努力中ナルモ国庫財政窮乏ノ折柄直こ多額ヲ期待シ類キ状況二在 *. このさい用いられている施設の概念ほ毅耗網に亀鮎ミあって,営為物とほ経とんど関係畠ミない9.
(20) 20. 田. 代. 元. 弥. ルヲ以テ専ラ町村自治財政力ニ依ル自主的運営ヲ図ラシムル様督励相成度 尚都市二於テ-本要綱こ依ル公民館ノ構想二依ラズ市立図番館・博物館・公会堂等ノ各国有 機鮭ヲシテ充実発揮セシムル棟之ガ整備ヲ囲ジ併セテ其ノ附帯事業ノ活発ナル運営ヲ図ラジム ル様督励相成度 公民館設置運営要綱 1.r. 趣. 旨. 終戦二困ル国民ノ放心放態ヲ脱却シ民主主義的ナ平和国家ヲ創建スル為ニハ国民ノ知識教 l. 養ヲ高メ其ノ文化水準ヲ引上ゲ以テ産業振興ノ基礎ヲ培フト英二政治的訓練ヲ全フシテ国民 各自ガ相互二協力提携シ新日本建設ノ寛任ヲ自覚シテ其ノ礎石トナラネ/てナラヌo公民館町村二於ケノレ文化教義機関ノ中心施設けテ町村民ガ常二会合シ談論シ読書シ相互ノ啓発ヲ 為シ産業上生活上ノ指導ヲ受ケル所デアリ又町村即日互ノ親睦交友ヲ探メル場所デアルト共 二其ノ機能-図書館・博物館・公会堂・産業指導所・青年療入会等各橡ノ文化団体本部ノ機 能ヲ蓑ネタ綜合冶ナ町村振興ノ推進親閲デアル比ノ施設-専ラ町村民ガ其ノ公民トシテ}自. 覚二基イテ自主的二維持嘩常スルモノデ又其ノ運営-青年学校ノ運営卜不離一体ノ関係二於 テ為サルべキモノデアル 2一. 公民館ノ日め 公民館-町村民ノ知識教養ヲ高メ其ノ文化軌科学的素養ヲ養ヒ相互こ心身鍛錬修養ヲ為. スト共二相互ノ親睦ヲ深メ自治生活ノ充実ヲ図り各種産業活動振興ノ基礎ヲ養フヲ以テ目的 トスル. 3・公民館運営上ノ方針 1・公民館-町村民ノ相互啓発二依り其ノ教養文化ヲ高メル為ノ機関デアルカラ町村民ガ進. γデ糞ヲ受ケ菜シソデ之ヲ活用スル様二努メテ設備ヲ充実シ町寺号民ニトブテ有発イ夜着8ナ 施設トシテ感謝サレル様二運営サレルべキデアル 2.公民館-同時二町村民ノ親睦交友ヲ深メ相互ノ協力和合ヲ培ヒ以テ町村自治向上ノ基礎 トナ}レべキ機関デアルカラ成ルべク壁書シイ窮屈ナ場所デナク弼顔ナ発シイ場所トス7レ楼 二運営サルJiキデアル 3・公民館-亦新日本建設ノ推進力トナルベキ青年層ガ中心トナツテ少年層ヲ導キ壮年層卜 協力シ自ラ修養スルト共二相互二人格ヲ磨キ食フ機関デアルカラ青年学校ノ運営卜不離一 体ノ関係二於テ運営サルベキデアル 4・公民館-其ノ町村ノ特殊性町村民ノ生活状況等二応ジ叉町村民ノ希望欲求等ヲ容レテ怒 メテ民主的こ文頭一助ヂナク適応性アリ融通性アル運営ガ為サルベキデアル 5・公民患-町村民}教養文化ヲ基礎[シタ産業活蓉振興ノ原索カトナルベキ畿閑デア}i,カ ラ町村二於ケル各種ノ教化活動卜産業指導ノ活動ガ綜合的二推進サレル横町村内ノ各種機 関ノ幹部ヤ民間有識者ノ全面的協力ヲ得テ綜合的ナ運営ガ為サルベキデアル ー以下略-. 7)公民館の新設状況:これについては統計が完備していないばかりでなく,本館・地区館・分 館の区別も一定しないので,いまほ1以上をおく市町村数を編年式にたどるよりほか軒こ方法が ・・'こ・、.
(21) わが国社会教育繊度の改革について (昭和 年度). (設置市町村数). 21. (全市町村数に対する百分比) 930729493 134566778. 22.23別25訪2728劫3. 2,016 3 ,475 4,169 5,980 6,212 6,957. %.. 7. ,403 7,192 4,025. 34. 29年度以降. 2,170. 88. 市町村数が減少していて,百分比が上昇しているのほ,市町村合併による全. 市町村数の減少に基因しているoなお県別にみれば,. 100ヲTo設置府県16,. 95 %以上3県,. 90. 7o以上5県をかぞえ,なかにほ占領軍(軍政部)の勧奨により,初年度100ヲ(o (ただし名目的 な館も含む)に達したものもあったo最終的には今日88%台を保持しており,若干の新設, 廃止を通算してほぼ90 8). %の市町村普及率とみてよい。 CIE貸与による視覚教具分布状況(昭23年詞) (ナトコ). 16ミリト-キー映写機. 機. 携帯 用. 大. 型 7622963 2211. 1.020. 灯 ll ー. 4272384 9220851 1211. 1. 幻. 069699 3586537. 北東陸畿国国州 東北. 髄温 北関東近中四九. 5714346 441962 2211. ー. (べスラー). 1. 1. 900. 105.
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