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A. Stifterの世界(Ⅱ) -主として"Das sanfte Gesetz"について-

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(1)

  A.

Stifter の 世 界

一主としでDas

sanfteGesetz”

青  野  永 ・晴

 (文理学部独文学研究室)

(D

について一一

       A. Stifters Welt (II)

       hauptsachlich iiber “ Das sanfte Gesetz ”-       Nagaharu AONO

(Abteiμ切g far German図法, Fakuμおz・on Philosりみなund NaturwissenschがZ)

・ , 。 ゝ

      Resumee

  Manche Gestalten Stifters werden ・in den harmonischen Zusammenhang von Natur und! Menschen oder von Menschen und Menschen emporgeholfen, nachdem sie sich doch       ●  ● ・  4  ● ●●      こ

meist miihsam durch die Krisen des Lebens einen Weg gebahnt haben. Aber man neigt       ●      ●  ●        I  ● ● dazu,. den Blick des Dichters voU von dem schwermiitigen dunklen Schatten zu iibersehen. Stifter hat eigentlich das Menschendasein als den kritischen Zustand・ in dem zweifachen Sinn aufgefaBt, einerseits von dem gleichsam schicksalhaften Ungliick der Natur gefahrdet, anderseits von der dem Menschen innewohnenden Neigung zu dem Untergang.

  Zwar suchte Stifter sein ganzes Leben hindurch, sowohl an die gnadigen heilenden Wirkungen in der Natur wie an die Anlagen in dem Menschen zu Ordnung und Harmo-nie zu glauben, aber sein Blick gegen Natur und Menschen war so voll von Ehrfurcht, Erschrecken und Wehklage, als ob es das Unglaubliche Starr ansahe. Der Dichter konnte keinesfalls von den finsteren Seiten der beiden Welten absehen, vielmehr konnte‘ nicht anders, um die Auseinandersetzung mit jenen zu haben und dariiber hinwegzukommen.

  “Das sanfte Gesetz ”, wie er sagt, das .in der Vorrede von den “ Bunten Steinen ” kundgegeben wurde, besteht wesentlich auch in solch einem Gesichtspunkt. Es kommt daher dem Menschen ‘darauf an, dieses Gesetz zu erkennen und diesem Gehorsam zu leisten, damit der Mensch nicht nur im einzelnen auch im ganzen vor Gefahrdung und Untergang beschiitzt bleibt.

  Die wahre Absicht der Schriften Stifters liegt, scheint es, nicht sowohl darin, daB er die einzelnen Gestalten darstellt, die durch die Krisen des Lebens den Gang bis zur Selbstiiberwindung und Selbstlauterung gehen, oder die wegen der unbedingten Hingebung an Leidenschaften den Krisen zum Opfer fallen, als darin, daB er den Gestalten nach “das sanfte Gesetz ”,das in der Natur-und Menschenwelt allgemein und giiltig waltet,

gegenstandlich und anschaulich macht.

  Auf welche Weise ist die Tragik des Menschendaseins in der !Afelt Stifters aufge-faBt ? 1st die eigentliche Tragik denn da ? Das Verhaltnis zwischen der Tragik um das Menschendasein und dem “ sanften Gesetz ” ist fiir den Weg nach dem Kern der

(2)

26

高知大学学術研究報告  第22巻  人文科学, 第3号

Welt Stifters ziemlich betrachtenswert.

(I)

 Stifterは。Der Waldganger ” の冒頭において「青空にそそり立つ岩肌や緑の谷や底知れぬ湖 の光景」によって人眼をひく華やかな風景とは対照的に,奥深い山ふところに抱かれた地味な風景 の捨てがたい持ち味を次のように描いている。

  。... aber es gibt auch andere, unbedeutendere, gleichsam schwermiitig schone Teile,   die abgelegen sind, die den Besucher nicht rufen。ihn selten sehen, und wenn er   kommt, ihm gerne weisen, was im Umkreise ihrer Besitzungen liegt : wer sie einmal   gekannt und geliebt hat, der denkt mit suBer Trauer an sie zuruck, wie an ein be-  scheidenes liebes Weib, das ihm gestorben ist, das nie gefordert, nie geheischt, und   ihm alles gegeben hat.”(1)

 ここにはすでにLandschaft -ひいては自然界-をみつめるStifterの眼差しの特色が見ら れる。即ち華やかな人眼につきやすい風景に,辺境のみすぼらしい風景をはっきりと対置させ,そ の風景にいっそうの温かい眼差しを注ごうとする傾向である。Iこのような視点は自然界一般の諸現 象に対する場合も共通している。。Katzensilber ” 9舞台を占めるめ。は農場であり,りんぼくやは        u      ● ● ● ●  ● んの木が繁り,甲虫やはえや蝶々が飛び交い,ほおじろやみそさざいの嘲ずる丘であり,そのほと りにせきれいが跳びはね,とんぼが飛び灰色のすばしこい小魚が泳ぐ小川の流れる草地であり,さ

らには白樺やとねりこやはしばみの生えているくるみ山(Nufiberg)の森などである。

くるみを食

べる赤味がかった小ねずみ,大枝の中を飛ぶみやまかけす,草の上を跳ねだり枝に止まるりす,聯

ずる鳥たち,そして緑の大技についているくるみの実の光景ま・でStifterの描写は精緻を極めてい

る。これらの自然の姿は,喜びや楽しみを探す無数の生物で満‘も満ちた平和と調和の楽園を思わせ る。      ∧  しがしある晩秋の日の夕方このような楽園に,突倣として巨大な窓が落ちる。それはぬ音と雷鳴 を伴いながら葉や枝を打ち落とし,馬鍬ですくように芝生に溝を作り,・抵抗するものを圧しつぶし 動きのとれないものを粉砕し,生あるものをことごとく滅ぼす凄まじい降電であった。

  。Und auf den ganzen Berg und auf die Taler fiel es so nieder. Was Widerstand   leistete, wurde zermalmt, was fest war, wurde zerscKmettert. Was Leben hatte, wurde   getotet. Nur weiche Dinge widerstanden, wie die durch die Schlossen zerstampfte   Erde und die Resigbiindel.”(l)

 この描写は生命と形を持つすべてのものを生み育てる自然の「恵み」の中に,予測できない「破 滅」の一面がひそんでいることを示そうとする Stifterの手法のひとつである。例えば村人に’さ まざまな効用を提供し,村人の憧れと誇りの対象として四季の装いをこ・らす平和の象徴たる雪山 (Schneeberg)が,ひとたび豪雪のうちに二人の子供の生命を呑み込もうとする魔神の山と変る様 相もその一であり(, Bergkristall ’),いつもはみすぼらしいSteinkarの窪地を流れる水量め乏し いヽZirder川が,豪雨の後には通学の子供たちの生命を脅やかす奔流と化する様相も軌を一に,して いるC, Kalksteinつ。このことは自然の測り知れない神秘を表現しよ≒うとするStifterの意図を示 している。  対象をその対極性の相の下に捉えようとする視点は,当然の・ことなから人間にも向けられる。小 品。Zuversicht ” の中で白髪の老人が語る人間観がその好例である。

  。Wir alle haben ein tigerartige Anlage, so wie wirレeine himmlische haben, und wenn   die tigerartige nicht geweckt wird, so meineh wir, sie sei gar nicht da, und es her‘rsche

(3)

       A. Stlfterの 世 界(UI)=(青野)`   ・,  。’     ,27

 ブbloB die himmlische, ... wir alle konrien nicht wissen, wie wir in den gegebenen   Fallen hahdeln wiirden, weil wir nicht wissen, welche unbekannte Tiere durch die   stfhreckliche Gestalt der Tatsachen in uns empor gerufen werden konnen ; so wenig   wir wissen, was wir im Falle eines Nervenfiebers reden oder tun werden.”(3に  ここには人間の本性を,神性と獣性の対極の相のもとに捉えようとするStifterの「人間性の恐 ろしい秘密の洞察」が示されている(4)。 この小品は互の深い信頼によって固く結ばれているかに見 えた父と息子の関係が,息子の恋人の問題からこじれ,やがてフランス革命の混乱の中で敵味方に 別れて戦う羽目となり,息子が父親を殺し自らも命を断つというHandlungを持っている。ここ で示される・人間の姿には,「状況の力のもとで人間が驚くべき豹変性を示す危険性」がうかがわれ る(5)。 この危険性CGefahrdung)は当然そり意味からして自己の存在の危険と,他者の存在への 危険との両方の可能性を含んでいる。したがって人間の危険は,本来的に内在する「虎のような素 質」が,状況の圧力のもとで瞬時に触発されるというニ重ないし三重の構造を持つこととなる。  ,Stifterが創造した悲劇的な人物たち一例えば地上の富に妄執し復讐の鬼と化したAbdias

CAbdias'),嫉妬による人間不信から自閉的な孤独の境地に落ちこ。んだ〇・heini' (, Der Hagesolz'). 自律的な思想に捉われ,基本的な人間関係を犠牲にしたGeorgとCorona (, Der Waldganger'). 名誉心の権化となって人間性を無視するHu・go(。Das alte Siegelつ,妻の無理解を克服すること のできなかったProkop (, Prokopus').自分の家族だけを疫病から助けようとして森へ逃げ込ん だPechbrenner C. Granit').そして不倫の妻への恨みと人生への絶望から心の均衡を失なった Rentherr (, Turmalinつ,-これらの人物たちに共通する点は,錯乱した激情のとりことなっ て心の統一と調和を失ない,あるいは是非り見分けがつかない盲目状態となって共同体と断絶して しまう点である。 Stifterはこのような人物たちの体験する地上の悲しみ,苦しみ,災難,威嚇, 死などの実相を飽くことなく描くことによって,人間の危機的状況がいかに恒常的であり一般的で あるかを示そうとしたのである○       ,      ’       !。  ところでStifterの作品にお・いて,このような危機に落ち入った人物たちの救済される一般的な 姿は,永い放浪と苦闘の末に分裂と弱さを克服し,犯した罪過を償なった人間の晩夏的幸福の姿で ある。それはまた調和と節度を獲得し,共同体との連帯を回復する姿ともいえる。われわれはこの

典型をObrist C, Mappe meines UrgroBvaヽters')。Major (, Brigitta'), Der Pfa・rrer(, Kalk-stein ')などに見出すことができる。 なるほどかれらの成長と成熟の過程は,自己の意志と努力に 負うところが多い。しかしStifterは人物たちのたどる過程にあって,偶然の果たす働きに重要な 意味を認めようとする。例えば暴れん坊として醜名を流していたObristが,決闘の相手から想像 もしない和解の手をさしのべられたり,失恋による自殺を図ろうとする折に,部下から思いやりあ る諌言を受けるという偶然の契機を度外視しては,かれの自己克服と自己浄化の経過は考えられな いし,またMajorがBrigittaとの真の和解と赦しを得る決定的な契機も。愛息Gustayが狼・の 群れに襲われるという偶然の出来事なのである。       。

  。Es war ja bloB naturlich, es ist ein sanftes Gesetz der Schonheit, das uns ziehtグ(6)。  これはBrigittaがMajorとの和解の抱擁の際に語る言葉である。 この言葉からわれわれは, Stifterが人間の。内在的な復元力と向上力への全能性を信じるのではなくて,外部からあるいは上 層から人間をけん引し,導いてゆく「あるもめ」の存在を認めていることが知れる。  ふつう偶然の契機に対する場合,おおまかにいって二つの立場が考えられる。偶然によづてわれ われの心の中に生じる衝撃や契機を,未来的にがのように処理してゆくかを探る立場と,偶然に対 してひとつの超自然的な意味を認め,それに従う立場とである6 この問題は。Abdiasり以・来一貫 して追求された問題であって, Stifterは「偶然(Zufall)はなくて当然の帰結(Folge)あるのみ。 不幸(Ungluck)はなくて罪過CVerschulden)あるのみ」とする結論に達していた),そしてこ

(4)

28

高知大学学術研究報告  第22巻  人文科学  第3号

の法則の存在と実態を認識しそれに従うことが,人間め,生存と成熟のために不可欠なのであった。

次の言葉もこのような根拠に基いていると考えられる。

  。Wir

wollen das sanfte Gesetz zu erblicken suchen, wφ‘durch

das menschliche

Gesch-  lecht geleitet wird.”(8)

      (n)

 。Bunte Steine ” の第二作。Kalkstein ” は,このようなGesetzの見事な芸術化とみることが

できる。 主人公は荒涼とした遠隔の地Steinkar O教区を担当する無名の老司祭(Pfarrer)であ る。かれは誰からも嫌われたこの地区の司祭を27年間も勤めており,社交嫌いの世間知らずである。 おまけにいつもみすぼらしい身なりをし,赤貧の暮らしに明け暮れる風変わりな吝嗇宗と見られて いる。かれは聖務のかたわら暇をみては付近を散歩し,この地方を流れる唯一つのZirder川の増 水の折には,通学の子供たちの水先案内を勤める。かれの単純で敬虔な日常生活は,身につけてい るすり切れた僧服と同じように,十年一日の如く変わらない。しかしかれの死後はじめ七洪水や風 雪の折にZirderを渡らなければならない通学の子供たちの危険を除くため,新らしい校舎を建設 することがかれの赤貧と貯蓄の目的であったことが知れる。かれの生活を充実させていたのは,自 分に対する高貴な謙虚さと隣人に対する献身的な愛であった。  Steffenは「色」の持つ象徴性を利用しながら大要つぎのような秀れた解釈を試みている。まず GrauぱSteinkarの風景の支配的な色であると同時に,古びてすり切れた聖服をまとうPfarrer の姿の色である。埃りにまみれて散歩するかれの姿は, SteinkarのLandschaftと完全に溶け合 っている。 Grau は色の中で最も目立たない色であるが,このことは光り輝くことなく隠されたま まで「存在する(sind)」だけのLandschaftとPfarrerの外観を示している。  RotはGrauと対照的な色であり,後者がかれの見すげらしさを浮き彫りにしているとすれば, 前者はかれの燃えるような愛の能力(Liebesfahigkeit),即ちかれの教区への愛と若き頃の恋人 Johanna (洗濯屋の娘)への愛の熱さとを示している。しかしこの場合もRotは,独りきりで摂 る貧しい夕餉のオラソダいちごのそれのように,まだ人眼を忍ふでJohannaと会っていた折,

かの女の母親の非難の言葉。Johanna, Schame dich ! ” を聞いて二人が赤らめた頬のそれのよう

に,本来的に羞恥を含んだRotなのである。      ‥  WeiBはオラソダいちごと一緒に食卓に出される抑レタの色であり,寝台や食卓のカバーのそれ であり,恋人Johannaへの憶い出につながるリンネルの下着りそれである。即ち清貧と純粋を意 味する。しかし下着の上等さが信条に反するものとして, Pfarrer-の唯一の負い目となり羞恥の源 となっている。この人間的な弱味はかれの永遠の若さというよりも,老人となった現在もなお実ら なかった青春の恋を神聖視する貞節(Keuschheit)を象徴している。・かれが恥じらいながら癖の ように袖口に押し込むリンネルの袖飾りは「貧しい服装と貧しい才能の形をとりながらも,秘めら れた純粋さと明るさの相貌をおびて輝くPfarrerのこよなく美しい目印」なめであり,さらにこ のリンネルは「自らの誠実さと善良・さを人々に恥じらいながら隠そうとするPfarrerのこよなく 美しい目印」でもある。世間は誰一人としてかれの生前中,かれが本来いかなる人間であったか, 何のために生きたかを知らずに終ったからである(9)。     。

,Wie ein jeder Mensch auBer seinem Amte urid seine皿Berufe noch etwas findet。

  oder suchen soil, das er zu verrichten hat, damit er alles tut, was er in seinem Leben

  zu tun hat,, so habe auch ich etwas gefunden, was ich neben meiner Seelsorge ver。

  richten muB 。‥’劇       し

(5)

A. Stifter の 世 界(U) (青野) " . ・ ● 2 9 る子供たちの危険を除くための新しい校舎の建築の資金づくりであり, さし当っては洪水の折に子 供たちの水先案内を勤めることであった。かれの聖務以外の余暇と精力は,すべてこのことに,向け られていたのである。極貧の生活と副収入の間貸料からの可能な限りの貯蓄,いつまでも体力を維 持するための散歩,増水で見えなくなる地形の日頃からの検分,そして天候の研究など,このこと と無関係なものは何ひとつなかったのである。  Pfarrerの生活と業績は規模小さく,ささやかであり,むしろ世間知らずの児戯の類と見られる ような面を持っている。しかしStifterは本来,人間をも含めて物事の偉大さの基準として,その

規模や華やかさや激しさなどを目安にしようとぱしなかったのであるo ,,Bunte Steine ” のVor-redeの中で,自然の偉大さの印として嵐や地震よりも,風のそよぎ(Das Wehen der Luft),水

のせせらぎ(Das Rieseln des Wassers),空の輝き(Das Glanzen d&s Hi㎡mels),星のまたた き(Das Schimmern der Gestirne)などの静かで柔和な現象をあげていることり申には,。深い 意味がこめられている。Stifterにとっては,何がgroSであり何カトkleinであるかの判断と評価 の根拠は,人間の介入を拒否する彼岸の問題であった。事物の尺度は人間の側にあるのではなく, 神の側にあるのである“)。       ●   ツ 。  Hebbelを中心とする当時の価値基準は,あくまで人間の判断によっており,人間がその前にあ って興奮し驚愕するものをgroSとみなしていた。 Stifterぱこのような基準を真向から斥けたの である。神の前において最もgroBなものは「恒常的なもの,即ち人間の生活の中で道義として作

用する静かな,世界を維持する力(die leise welterhaltende Kraft)」なのである“。・この力は生 命という生命が依り所とする力であり, Stifterはこの力を持つGesetzを。sanft”と呼んだので ある“。 Staigerの。sanft”についての見解は,このGeset!が人間にとって従い易い柔和な性質 を持つ必要があること,本来人間にとって「従うこと(Gehorsam)」が幸福を約束するものである ことなどの点を指摘している。つまりこの柔和さは, Kantの義務概念のようにrigorosではなく, 人間が順応するのを友交的にいつまでも待っていてくれる柔和さなめである“。‘ ,。  こ!の柔和さはすでに見たよ似こ, GroBeの基本的な目印しである以上,力(Kraft)の代名詞に 他ならない。 StifterがAllgemeine Zeitung の編集長Buddeusに宛てた手紙には,こめ辺の事 情にかかおる。das sanfte Gesetz ” の理念が,すでに明確な形で表現されている。’

  。... denri das Merkmal jeder Kraft ist MaB, Beherrschung, sittliche Organisierung”叫 このような姿をとる力こそ。sanft”なGesetzの力に他ならず,人間に備えられる力も,この Gesetzに触発され導れることによって初めて与えられるものに他ならない。 Pfarrerの偉大さも この力の賜物である。「大低の場合,偉大なものはそうであることを自らは知らない」゛’  ところでPfarrerの生活からは,職業や生業によって生活を支え,余暇を自由な趣味に生きる といった優雅な市民生活の一端を覗くことはできない。そこには見すぼらしくはあっても,柔和と 節度に支えられた日常の生活を通して,共同体と積極的に連帯しようとするstoischなまでの倫理 性が隠されている。「職務と生業の他にこめ世において果たすべき物事を見出さねばならない」と する遺書の冒頭の言葉には,まるで天来の声の如く超人的なひびきがこめられている。Stifterは 同じ手紙の中でHebbelを批判して「大いなる形象も 鋭い思想も,そして悲劇的な閃めきさえも

が,共に調和して仕えなければならない「究極的かつ唯一のもの(das Letzte und Eine)」がここ

にはありません。つまりは「神の摂理の反映としての客観的な人間性の描写(die Darstellung der

objektiven Menschheit als Widerschein des gottlichen Wakens)がないのです」と述べてい る゜゛。この言葉から。, Kalkstein ” に託すStifterの真の意図がPfarrerの姿を通して神の摂理の 具体像を描くことにあったと解することができるように思われる。このことはKunstをReligion に次いでこの世における最高のものであるとし,詩人を高位の司祭,人類の恩恵者であるとみな していたStifterの信念からしても当然の帰結といえるかもしれない“。従ってここまでくれば

(6)

 30      高知大学学術研究報告  第22巻  人文科学  第3号

。das sanfte Gesetz ” と 。das gottliche Walten ” とが完全に重なり合っていることも理解され てくるのである。   この作品に描かれているPfarrerの人間像は,人間嫌いのキリスト者の持つstereotypなそれ とはおよそ縁遠い,むしろ人間的魅力に満ち満ちた人間像といえる。 Pfarrerの人間像は。生来の 劣等感を見事に克服しながらも,なおかつ自らの無能と無力を忘れない謙虚さと,純白のリンネル に象徴されるように昔の恋人への慕情を捨て切れない弱さと,子供の世界へ抵抗なく没入できる素 朴さと無邪気さなどを垣間見せる現実性を持っている。Pfarrerの像は終末的な希望に頼り,諦念 に生きる像ではなく,むしろ来世的な希望に支えられつつ,力ある安らかさの中に永遠の現在を生 きつづける現実主義者のそれなのである。  Steffenは。Kalkstein ” を「大地の熱とエロスが,そして神と人間に対する志操の神聖さが, この作品ほど簡素さと謙虚さの許に啓示されている作品はない」とする賛辞すら呈している。“   ところでこのGesetzが。sanft”と呼ばれるいまひとつの根拠は,このGesetzが柔和に静か に作用しかつ存在するために,「愛」を持たない眼に対しては,常に隠さIれているということであ る。 。Kalkstein ” は,自然の中に秘められている美しさを発見することがそのまま自然への愛に 通じ,人間の中に秘められている美しさを発見することがそのまま人間への愛に通じる世界を,ま た逆にいかなる自然の姿にもいかなる人間の姿にも畏敬と愛をもって接することが,そのままそこ に秘められている美しさを発見することに通じる世界とを描こうとした作品と見ることができる。

Stifterにとって自然ないし風景(Landschaft)は神の衣裳(Gottes Gewand)であった。 Pfarrer は一見みすぼらしい荒涼とした風景を。Sie (Gegend) ist,トwie sie Gott erschaffen hat”であ るが故に愛し,愛するが故にjl・・. und zuweilen ist sie schorl‘erals alle・andern in. der ぺVelt.” と感じるのである゛。この作品の語り手となっている測量師に対してPfarrerが語る言葉には,深

大ヽ意味がこめられている。

  。Sie (Leute) sagen, die Gegend sei haBlich, aber auch das ist nicht wahr, man muS   sie nur gehorig anschauen.”帥       ‥

 測量師がみすぼらしいPfarrerに対して最初抱いていた好奇な眼が,尊敬と愛の眼に変えられて ゆく過程は,みすぼらしい風景の美しさが,次第次第に強く意識されてゆく過程。とも符合している。 このことはとりもなおさず。語り手である測量師が「ふされしい眼で物を見ること」を学んでゆく 過程に他ならない。

       `。      (Ill)

   第四作。Bergkristall ” は奇蹟の物語りである。

Roedlはこの作品のMotivを「子供の無垢な

  信頼感」と「山の世界の破滅的な暴力」であるとし,いたいけな子供たちを谷間の安全な場所から

  迷い出させ,混沌とした雪と氷の世界へ登らせ,迫り来る死の危険と虚無の中へと誘い込む測り難

  い力を,その主要なThemaとみている。すでに触れたように,恵みと破滅の両極を持つ自然の神

  秘が,。この作品ほど大規模に。,精密に,そして徹底的に描き尽くされた作品は,まず他に見当らな

  いといってよい。子供たちを呑み込んでしまう雪山(Der

Schneeberg)は特色ある角をその頂上

  とし,四季のただずまいを示しながら常に変らぬ自然の営みの象徴として,山合いの寒村Gschaid

い・を見下ろしている。雪山はまた村人の憧れと誇りの対象であ,り,恵みの源ともな。つている。Stifter

  は百年に一度の豪雪と子供たちの遭難の模様を,こともなげな前触れの現象を伏線としながら,物

  静かに,微笑ましく,冷静に,圧倒的に,畏怖をこめて,そして一気呵成に書き上げる。

   子供たちの出発の朝。季節はずれの暖さと澱んだ空気。赤味を帯びたおぼろげな太陽。高い山奥

  り強い寒気を示す谷川の澄んだ水。早目の帰途。無風。帰り道での降雪の始まり。子供たちの喜び。

(7)

       A● S!ifter の世界(n)(青野)       31で。

刻々と激しくなる降雪。乾いた固い雪。やがてタライタックス。相変らず無風。

  “Sie blieben r!un stehen, aber sie horten nichts. Sie blieben noch ein wenig langer   stehen, aber es meldete sich nichts, es war riicht ein einziger Laut auch nicht der   leiseste auBer ihrem Atem zu vernehmen, ja in der Stille, die herrschte, war .es, als   sollte sie den Schnee horen, der auf ihre Wimpern fiel.”

  。Es war wieder nichts um sie als das WeiS, und ringsum war kein unterbrechendes   Dunkel zu schauen.  Es schien eine groSe Lichtfiille zu sein,ヽ‥。; alleswar, wenn   man so s昭en darf, in eine einzige weiBe Finsternis gefullt,..。”叫

 兄Konradの沈着と勇気。不安と恐怖を知らぬ無邪気さ。妹Sannaの兄への絶対的な信頼。混 沌と虚無の極致を示す氷河。子供たちの驚き。洞窟の内部の不思議な暖かさ。祖母の心尽くしのパ ソ。睡魔の襲来。母への土産のコーヒ。晴れ上った空に描かれる神秘な星の絵模様。

  ‘’‘Auchin andere Gegenden des Himmels sandte er (der Bogen) einen Schein, der   schimmergrun sachte und lebendig unter die Sterne floB. Dann standen Garben   verschiedenen Lichtes auf der Hohe des Bogens wie Zacken einer Krone, und brannteri   ... Hatte sich nun der Gewitterstoff des Himmels durch den unerhorten Schneefall so   gespannt, daB er in diesen stummen herrlichen Stromen des Lichtes ausflpB, oder war   es eine andere Ursache der unergriindlichen Natur ?”叫

氷河の裂ける高音。やがて夜明け。波のようにうねり続く雪原と氷原。すさまじい日の出の光景。 再び雪原と氷原の中の徘徊。捜索隊による救助。両親・との再会。父親の村人たちへの感謝,化体を 告げる鐘。本当のクリスマス。雪原での一行の感謝。靴屋一家のGschaid村への帰属。  この作品から受ける一種名状しがたい感動はどこから来るのだろうか。死んだと思われていた子 供たちが生き返り,靴屋一家が正真正銘のGschaidの人間になるという大団円のもたらす解放感 からであろうか6あるいは「Stifterの作品の中で形式と内容の一致の頂点を示す」“とされる芸術 性からであろうか。確かに書き出しの落ちついた緩やかな物語的文体は,不変の象徴たる雪山と古 風で平和なGschaidの村の雰囲気を表わし,克明さと精密さを基調とする圧倒的な文体は,子供 たちの難渋と自然の猛威を表わし,急テンポとなって変調する熱っぽい劇的文体は,救出されてか ら大団円にいたる自然と人間への讃歌の結尾にふさわしい。われわれの感動壮もちろんこれらの要 素に負うところ少くはない。しかしやはり,この感動の中心に位置するのは「厳しゅ・くな喜び」と でもいうべき衝撃的な解放感ではなかろうか。  この作品の特色のひとつは,人間的なもの(Das Menschliche)が後退してしまっていることで ある。少くとも中心には位置していない。物語りの主役は子供たちであるよりもむしろ自然なので ある゛。確かに子供たちは,信じ難いまでの勇気と洙着と信頼を失うことなく, Gschaidの両親の 家を目指して歩き続ける。しかしStifterは遮二無二歩き続ける子供たちの姿と,氷河に囲まれて 彷徨する子供たちり姿を次のように描いている。      ・

 ・ 。Sie gingen nun mit der Unablassigkeit und Kraft, die Kinder und Tiere haben, weil   sie nicht・ wissen, wie viel ihnen beschieden ist, und wann ihr Vorrat erschopft ist.”叫   。Sie waren winzigk'eine wandelnc!e Punkte in diesen ungeheuren Stiicken."'^

ここで描かれる子供たちの姿は,勇気と沈着と信頼を持った姿としてよりも,むしろ無知で無垢な 姿として;そしてなによりも広大無辺な宇宙の混沌と虚無の中にお’かれた,倭小で無力な存在とし ての姿である。このような視点は子供たちに向けられているだけではなく,素朴で古風なGschaid の村人にも向けられてい。る。靴屋Sebastian一家は,妻が隣村の出身であるために,旧式で排他的 な村人かり,疎外されていたのである。それは村人の悪意によ。るものでは決してなかったにせよ,年 と共に深庫って。ゆく。他ない奇妙な疎外であった。村とのつながりを持たない子供たかが,隣村の,

(8)

 32      高知大学学術研究報告  第22巻。人文科学  第3号

Milsdorfの祖父母の許へ通う回数が増えるにつれ,この疎外をいっそう強める働きをしたからで

ある。妻Susannaへの遠慮と奇異の念から出たものであるにせよ,それが「無意識の悪意」によ

るひずみであるだけに,どうしても回復不能な人間関係なのであった。クリスマス前夜という冬の

季節に,幼い二人だけで山道を越える子供たちの中に,大人の人間関係の重荷を背負わされた犠牲

者の姿すら見出すことができる。。われわれは無心な子供たちに対する同情以上に,村人の愚昧と無

能に対する苛ら立ちを禁じることができない。

 このような人間関係が解消され,本来の姿に回復されるだめに。は,二人の子供たちが一旦死なな

ければならず,(事実子供たちは死んだと思われた)そして新らしい生命となって生まれ変わらね

ばならなかったのである。かくてKleinも指摘するように,時も同じHeiligeabendにGschaid

の村にクリスマスの出来事が,現実に再現されたのである“。まさに奇蹟である。化体の鐘の音を

聞きつつ,村の一行が靴屋一家を挾んで雪原にぬかづく。場面は,この自然の奇蹟に対する畏怖と感

謝の念の表現といえる。この奇蹟によって村人たちも解放されたのである。不思議(Wunderbar-keit)と奇蹟(Wunder)は,

Stifterにとって峻別さるべきものであった。

  lダ.. , und es hob sich das Gesetz immer

hoher, die Wunderbarkeiten

horten auf, das

  Wunder

nahm

zu.”如

。なるほど子供たちの救出には,子供たち自身の無邪気さと信頼,祖母の熱い思いやり,村人総出

の救出活動などが,見逃すことのできない要素として働いている。 しかしむしろこの場合Stifter

は,それらの人間の善意や思惑を大きく包み込んで,こともなげに導く測り知れない宇宙自然の意

志と力と,を描こうとしたのである。百年に一度の豪雪に風が伴わなかったこと,恐ろしい氷河の中

に温かい洞窟が存在したこと,子供たちの睡魔を防いだ氷の裂ける轟音と神秘な星の絵模様-こ

れらの自然界の作用と人間界の作用のうち,唯のひとつでも欠けることがあれば子供たちの命は失

われていたに違いない。しかしそれらのすべてが,ひとつの糸に操られるように一定の方向一子

供たちの救出と人間関係の回復-へと作用したのであるよ。BergkristalL”は宇宙自然界への頌

歌であり,いわば「自然界,における神の讃美」゛であるといえる。

  「Stifterが作品で示そうとしたのは,時間と空間を越えたものと結びついている,自然と人間

との大いなる奇蹟である」“。このHeuscheleの見解は,そのまま。Bergkristall

” の世界にあて

はめることができる。「静かに休むことなく(still

und

unaufhOrlich)」剽勁き続ける。das

sanfte

Gesetz ” との関係でいえば,子供たちの命を救うと同時に人間関係を回復せしめたのは,先に挙

げた自然と人間界の諸現象であったが,それらはほとんどが自然や人間界の中で常に営まれ,繰り

返される日常的な現象にすぎないのである。

      (IV)

 第三作。Turmalin

” の世界は。, Kalkstein ” の世界とおよそ対照的な世界である。 中心人物

のひとりとして登場する利息生活者(Rentherr)を通して描かれる人間め世界は,無明としかいい

ようのない破滅的混沌の世界である。

StifterはまずRentherrを,詩作し,絵画を鑑賞し, フノレ

ートを奏し,手芸をたしなむ多趣味な都会人として描く。しかし定職もなく,自然や共同体に対し

ていささかの関心も持たない遊蕩児の行為は,すべてが単なる真似ごとであり暇つぶしにすぎない。

Meyerによれば,この行為の本質は「人生の中味を空けること(AusfuUung

des Lebens)」で

あって「人生の中味を充たすこと(Erfullung

des L・ebens)」ではない゛。

 しかしその妻の失踪が,この一見優雅な教養人と思われたRentherrが,実は人生の無能力者で

あったことを示すことになる。かつての親友から妻の誘惑者どなった俳優Dallへの殺意にまで強

められた怒り,自己卑下ともいうべき嘆願の繰り返し,幼な子の娘を伴った失踪は,怨恨と絶望の

(9)

      A . S t i f t e r の 世 一 界 ( n ) ・ ( 青 野 )       3 3 犠 牲 と な っ た 人 間 の 混 乱 の 姿 で あ る 。   こ の 混 乱 は , J o d o k C N a r r e n b u r g ' ) の 場 合 と 同 じ よ う に   F 抑 制 の な い 過 剰 一 つ ま り は 自 分 の 喜 び と 悲 し み へ の 無 条 件 の 耽 溺 」 “ と E m i l ( , Z u v e r s i c h t ’ )   の 場 合 と 同 じ よ う に 「 状 況 の 圧 力 下 に お け る 人 間 の 心 の 驚 く べ き 豹 変 性 」 ゛ の 相 方 に 。 起 因 し て い る 。   ’ や が て か な り の 歳 月 を 経 て , 父 と 娘 と は 再 び 登 場 す る こ と に な る が , 行 方 を く ら ま し て 以 来 R e n t h e r r が ど の よ う な 想 い で ど の よ う な 生 活 を し て い た か , S t i f t e r は 直 接 そ の 内 側 を 覗 こ う と は し な い 。 地 下 室 か ら 蜀 こ え て く る も の 悲 し い , ま と ま り の な い フ ル ー ト の 音 色 と , 父 親 の 死 後 引 き と ら れ た 養 家 の 主 婦 に 語 る 娘 の 口 を 通 し て 暗 示 す る だ け で あ る 。 し か し そ こ で 語 ら れ る 父 親 と し て の R e n t h e r r の 姿 は , 人 生 へ の 絶 望 と 妻 へ の 遺 恨 と い う 二 つ き り の 激 情 ( L e i d e n s c h a f t e n ) に 支 ヽ え ら れ た 偏 執 狂 の 姿 で あ っ た 。 廃 屋 寸 前 の 館 の 門 番 と し て , 世 間 か ら 見 捨 て ら れ る よ う に 死 ん で い っ ’ だ R e n t h e r r が こ の 世 に 残 し た の は , 醜 い 姿 の 白 痴 の 娘 で あ っ た 。   ’ 。 T u r m a l i n ” は 構 成 的 に も や や 統 一 に 欠 け , 展 開 に も 不 自 然 さ が 目 立 ち , ま た 理 念 的 方 向 に 傾 ・ き す ぎ て い る 感 が 否 め ず , む し ろ 「 倫 理 的 警 告 」 ’ ? ? と し て 読 ま れ る べ き 作 品 か も し れ な い 。 し か し   こ の 作 品 に は 。 d a s s a n f t e G e s e t z ” の 理 念 か ら す れ ば , 極 め て 重 要 な 問 題 が 提 示 さ れ て い る の で   あ る 。 問 題 は 後 に 残 さ れ た 娘 が , 近 所 の 無 名 の 一 主 婦 の 家 庭 に 養 女 と し て 引 取 ら れ , 看 護 と 養 育 を 受   け る こ と に よ っ て 正 常 化 へ の 道 を 歩 む と い う H a n d l u n g を , ど の よ う に 受 け 止 め る か で あ る 。   作 ・ 品 の 構 成 上 の 一 貫 性 か ら み れ ば , こ の 作 品 は R e n t h e r r が 死 ん だ 後 , 白 痴 の 娘 が 遺 棄 さ れ る 段 階 で 終 る べ き と こ ろ で あ る 。 ど う し て S t i f t e r は 無 名 の 慈 悲 深 い 主 婦 を , あ え て 登 場 さ せ る 必 要 が あ っ た の だ ろ う か 。 わ れ わ れ は こ の 問 題 を 考 え る 前 に , S t i f t e r が 「 悲 劇 的 な も の ( d a s T r a g i s c h e ) 」 に つ い て , ど の よ う な 見 解 を も っ て い た か を 考 察 す る 必 要 が あ る よ う に 思 わ れ る 。   S n f t e r   の 場 合 , 登 場 人 物 が 不 安 と 後 悔 と 孤 独 の う ち に 生 涯 を 終 え る と い う , い わ ゆ る 悲 劇 的 H a n d l u n g を 持 つ 作 品 は 。 , D i e N a r r e b u r g ”以 後 の 作 品 り う ち 。 A b d i a s ” 。 , D a s a l t e S i e g e l ” 。 , D e r H a g e l s t o l z ” 。 , T u r m a l i n ” 。 “ K a t z e n s i l b e r ” 。 , D e r W a l d g a n g e r ” , , P r o k o p u s ” な ど い く つ か の 数 に の ぼ る ‘ 4 .   こ れ ら の 作 品 に 共 通 す る S t i f t e r の 手 法 の 特 色 は , 人 物 た ち を ほ と ん ど と い っ て よ い ほ ど , 後 悔 と 償 い と に よ る 回 心 の 行 為 を 通 し て 救 い 上 げ よ う と す る 点 で あ る 。 も し く は そ の 過 程 に お い て , ど の よ う に 人 物 た ち が 愛 す る た め の 努 力 を 払 っ た か を 描 く こ と に よ っ て , 人 物 た ち を 倫 理 的 に 浄 化 さ せ よ う と す る 点 で あ る 。 例 え ば S t i f t e r 自 身 の 最 も 暗 い 生 活 感 情 を 示 し て い る と さ れ る “ “ D e r H a g e s t o l z ” の O h e i m は , 人 間 不 信 と 孤 独 の 中 で 近 づ い て 来 る 死 に お び え る 老 人 か ら , 解 放 的 な 調 和 あ る 人 生 哲 学 を 甥 V i c t o r に 諭 す 人 生 の 先 達 へ と 脱 皮 す る 。 し か し O h e i m ’ 自 身 が , こ の 開 放 的 な E t ・ h o s を も は や 自 ら の 生 涯 に お い て 実 現 で き ず , た だ 青 年 V i c t o r に 対 す   る 教 え と し て し か , 自 ら の 残 り 少 な い 人 生 航 路 に 携 え て ゆ く こ と が で き な い 点 に , か れ の 苛 酷 な   T r a g i k が 示 さ れ て い る “ ゜ 。   。 P r o k o p u s ” の 場 合 も 同 様 で あ る 。 主 人 公 P r o k o p の 生 活 を 支 え る の は , 父 と も 友 と も 頼 む 師 匠 B e r n d h a r d へ の 敬 愛 の 念 と , 無 理 解 で は あ る が 愛 ら し い 妻 G e r t r a u d へ の ひ た む き な 愛 で あ る 。 し か し B e r n h a r d の 死 と , そ の 死 に 対 す る G e r t r a u d の 冷 淡 な 態 度 に よ っ て , P r o k o p は 一 挙 に 人 生 の 支 え を 失 な っ て し ま う 。 塔 の 上 に 巨 大 な 風 琴 を 作 ら せ , ・ 周 囲 の 森 に 反 響 す る 無 気 味 な 音 色 を 聞 き な が ら , 星 空 を 仰 い で 呪 咀 す る P r o k o p の 姿 は , か れ の 狂 気 の 深 さ と 激 し さ を 示 し て い る 。 し か し 同 時 に S t i f t e r は , P r o k o p が い か に G e r t r a u d を 愛 し た が , つ ま り は P r o k o p の 愛 の 熱 さ と 真 面 目 さ と を 示 す こ と に よ っ て , そ の 狂 気 を 柔 ら げ 浄 化 し よ う と し て い る の で あ る 。 そ し て そ の 結 果 , 作 品 の T r a g i k は い っ そ う 深 め ら れ る の で あ る 。       ノ     。 S o h e i B e r d i e L i e b e , s o h e i B e r d e r S c h m e z . ' " " '   S t i f t e r は D a s T r a g i s c h e の 条 件 と し て 「 倫 理 的 な 深 さ 」 「 倫 理 的 な 偉 大 さ 」 さ ら に は 「 倫 理 的   な 威 厳 ( s i t t l i c h e W u r d e ) 」 を 不 可 欠 な も の と し て 重 視 し た の で あ り , も し そ れ が な い と す れ ば ,   一 見 大 い な る 悲 劇 的 な 結 末 と 思 わ れ る も の で も 「 厭 わ し い も の ( D a s W i d e r w a r t i g e ) 」 と し て 斥

(10)

ぷi 高知大学学術研究報告  第22巻  人文科学  第3号

けたのである“。

 ところでStifterは,このようなTragikの深化ないしは純化の段階にとどまらず,その昇華な

いしは解消までも意図しているように思われる。 このとき重要な意味を帯びてくるのがLand・

schaftである。我々はVictorがOheimと別れて辿る山道やその眺望に示さ・れる心和むLand-schaftの中に,そしてProkopが見上げる星空の永劫の相の中に,すでにその一端をうかがうこ

とができる。しかしなんといってもその典型は。Abdias”に示される。晩年の倫理的な浄化にも

かかわらず,愛娘Dithaを失なうAbdiasの悲劇的な姿は,生ける屍となってくる日もくる日も

家の前の床几にすおり続け,いつともなく消えてゆき,やがて草むらに埋もれたかれの墓には,陽

光が注がれる。この光景は,人間の生命の無常を嘲ける自’然の非情を示しているのではない。天寿

を越えてなお生命を保ち,黒色から全身白色へと変貌する,まるで物の怪のようなAbdiasの姿は

すでに人間界を離れて自然界の一部と溶け合っている。草に埋れた墓とその上に注がれる和やかな

陽光は,かれの霊が自然の祝福を受け。「究極的なものが憩・う手」‘“の中に安らかに憩うていること

を象徴している。

 第五作。Katzensilber

” はStifterが。Bergkristall

” と共に,その出来栄えに最も多くの期

待をかけた作品である“。自然の恵みと脅威,およびその奇蹟を表現する手法は,両者とも軌を一

にしている。祖母に従って「くるみ山(Der

NuBberg)」へ登る三人の農場の子供たちの姿は,森

に生きる数えきれない生物や川底の石とさえも見事な調和を示している。子供たちの健康な肉体と

善良な心の成長は,

NuSbergをめぐる森や草原と切り離しては考えられない。 突然どこからとも

なく現われる「とび色の少女(das

braune Madchen)」との交わりの深まりは,この楽園ともい

うべき世界の雰囲気の当然の帰結である。とび色の少女はいねば自然の象徴として捉えられている。

少女の持つ出生の謎と二度にわたる子供たちの危機からの救出は,自然の測り知れない神秘を表わ

している。

 やがてとび色の少女は恩人として農場の邸に引き取られ,・能う限りの愛情をもって養育されるが,

成長するに及び忽然として再び森の中へ去ってゆく。他人を救うことしかできない,天使のような

善意と素朴さを持つかの女は,肌が「とび色」であるという理由だけで世間から無視されたのであ

る。Roedlがこの作品のThemaを「市民的教養の要請と無制限な自由への衝動との間の緊張を

解消する試みの失敗」とじ,またSteffenが「自然を人間の文化と秩序の中へ組み入れようと

する試みの失敗」゛’としている解釈はいずれも当を得ているように思われる。 それにしても「とび

色」の娘と公家一家との別離は,哀切極まりない筆致で描かれている。われわれはどのような人間

の思いやりも善意も,もぱや越えることのできない暗い深淵が,人間の心にあることを知らされる。

しかし同時に「とび色」の娘と長場一家との間に払われ,交わされた愛の堆積が大きければ大きい

だけ,そのTragikも深められているといわねばならない。

 ここでもStifterは,他人を救うこと昧できても自分を救うことのできない自然児「とび色」の

娘を森へ帰らすことによっで,そのTragikを昇華させようとしている。

Waldganger

Georg

を森から立ち去らせる。Der

Waldganger

” のHandlaungと比較するとき,いっそうこの感を

深くする6森はかの女の故郷であり,もはや「傷ういた孤独」を味わうことのない楽園に他ならな

い。この意味で“Katzensilber

” は。Abdias

” の系譜をついでいるといえる。

       (V)

 では。Turmalin

"のRentherrの場合,果たしてtragisch

な存在であったといえるだろうか。

かれの姿は自分の激情を浄化できず,共同体との交わりを回復できないまま,絶望と怨念に生きる

姿として描かれており,そこからは,

Stifterの人物たぢに見られる倫理性の一端さえも・覗うこと

(11)

       A● Stifter の 世 界(n) (青野)      35● ができない。仮に視点を変えてみれば,かれの不幸は妻の不倫に起因しており,その不倫の罪を身 代りとなって背負い,娘を養育しようとして生き続けた受難者の姿と見れないでもない。 しかし Stifterは,孤児として残された痛々しい白痴の娘を示すことによって,このような見方を斥けて いるように思われる。むしろRentherrの姿は, tragischであるよりはtraurigというべきであ ろうか叫。  この場合Stifterにとって重要なことは/白痴の娘を通りすがりの無名の主婦によって,救い上 げることである。主婦の行為は,いささかのためらいも背伸びもなく,絶えず繰り返される日常的 な行為として行なわれる。それだけにこの行為は,単なる思いつきや気まぐれなどから生じたもの ではなく,また対象を自己の好みに応じて選ぼうとする動機ぶら生じたものでもたい。それはもは や「隣人愛」としかいいようのない目立だない行為である。しかしStifterは,その前に身をかが めようとするのである。このような行為も奇蹟のひとつに他ならないからである。

 Stifterが。Bunte Steine ” のVorredeの中で強調している問題点のひとつは,全体(das

Ganze)は部分(Der Teil)よりも高く,善きこと(das Gute)は死よりも偉大であるとする理 念である“。 Stifterが寄るべのない白痴の娘を救う主婦の姿を通して描こうとしたのは,こ・の「全 体」-しかも「善き全体。(das gute Ganze)」゛゜であり,その視点は,古今東西にわたる人聊の 歴史と社会を含めた宇宙的な応がりを持っている。それが人間の手であれ,自然の手であれ,主要

人物以外の「手」によって計画が成就され,生命が救われ,悲しみが解消され,人間関係が回復さ れるという。Bunte Steine ” のHandlungの顕著な傾向も,このような観点から理解されねばな

らない。  Stifterが描くのは,単に主要人物たちのみではない。主人公と係わりながら導き,救い,償う 自然や隣人の姿にこそ重点がおかれており,それらすべての姿を通して,普遍妥当的に存在する法 則を具象化しようとしたのである。この法則がすぐれて日常的な諸関係の中で作用することによっ て,そのままそこに人間の善意と償いの行為が可能な限り多く生じ,可能な限り多くの人間の生命 が維持される可能性を, Stifterは見るのである。

  。.. . so sind es hauptsachlich doch immer die gewohnlichen alltaglichen in Unzahl   wiederkehrenden Handlungen der Menschen, in denen dieses Gesetz am sichersten als   Schwerpunkt liegt, weil diese Handlungen die dauernden die griindenden sind, gleich一   砲m die Milionen Wurzelfasern des Baumes des Lebens.”叫

全地上における磁気の璧えのように“,この行為が全地上を覆うことによって,再び地上陽楽園の

生じる可能性が目指されているのである。。Brigitta ” のThemaを, AdamとEva以来,喪失 した楽園を回復しようとする方向を目指すことの中に見たWieseの見解は,やはりStifterの世

界の正鵠を射ているといってよい“。

 。Brigitta ” のMajorおよび。Mappe”のObristの姿が,そのまま。Der Nachsommer ” の Freiherr Risach に受けつがれていることからみても, Stifterの文学的方向は。Bunte Steine ” を経ていっそう固まることはあっても,生涯揺れることはなかったのである“。 従ってStifterの

作品のTragikもまた,このような方向の中で,もしくはこのような方向の中へ,と昇華される傾向 を帯びざるを得ないのである。われわれは,次のような古典主義的な悲劇観のかげりを持つ言葉か ら,人類の永遠の流れの中に合流すること,つまりは崇高性と叙事詩性を得よ・うとするStifterの 芸術的壮図を続み取ることができる。

  , Wenn wir die Menschheit in der Geschichte wie einen ruhigen Silberstrom einem   grofien ewigen Ziele entgegen gehen sehen, so empfinden wir das Erhabene das vor-  zugsweise Epische.”帥

(12)

36. 高知大学学術研究報告  第22巻  人文科学  第3号

 本稿に関して用いた作品および参考文献は次の通りである。なお作品からの引用はAdam Kraft

版によった。

 Adalbert Stifter: Gesamraelte χA^erkein sieben Banden, Insel, Leibrig, 1939 Bd. I Studien l,Bd. II   Studien II, Bd. IV Bunte Steine, Erzahlungen, Bd. V Der Nachsomraer.

 Adalbert Stifters へi\erke,Adam Kraft, Augusburg, 1956, Studien I, Studie 11, Bunte Steine und   spate Erzahlungen.

 Adalbert Stifters Leben und Werk in Briefen und Dokumenten, Insel, Frankfurt a. M. 1962.  Steffen, Konrad : Adalbert Stifter,Deutungen, Birkhauser, Basel und Stuttgart, 1955.  Staiger, Emil : Adalbert Stifter als Dichter der Ehrfurcht, Lothar Stie!nm, Heidelberg, 1967.  Miiller, Joachim : Adalbert Stifter,Weltbild und Dichtung, Max Niemeyer, Halle, 1956.  Heuschele, Otto : Ein Stifter-Brevier,Steinkopf, Stuttgart, 1963.

 Meyer, Hermann:Der Sonderling in der deutschen Dichtung, Carl Hanser, Munchen, 1963.  Roedl, Urban-: Adalbert Stifter,Geschichte seines Lebens, Frar!eke, Bern, 1958.

 Roedl, Urban : Adalbert Stifterin Selbstzeugnissen und Bilddokumenten, Rowohlt, Hamburg, 1965.・  Ischreyt, Heinz ; Welt der Literatur, C. Bertelsmann, Gutersloh, 1961.

 Staiger, Emil : Grundbegriffe der Poetik, Atlantis, Zurich, 1963.

 Wiese, Beno v.:Die deutsche Novelle von Goethe bis Kafka, August Bagel, Dusseldorf, 1963.  Klein, Johannes:Geschichte der deutschen Novelle, von Goethe bis zur Gegenwart, Franz Steiner,   Wiesbaden, 1960.

 Mann, Otto : Deutsche Literaturgeschlchte, Bertelsmann, Gutersloh, 1964.  手塚富雄・藤村宏訳 石さまざま 世界の文学14,中央公論社,昭和40年。  註 1) Spate Erzahlungen, S. 369. 2) Bunte Steine, S. 242. 3) Spate Erzahlungen, S. 360. 4) Steffen, S. 216. 5) ibid, S. 212. 6) Studien II S. 223. 7) ibid. S. 6.

8) Bunte Steine, Vorrede, S. 8. 9) Steffen, S. 144 £f. 10) Spate Erzahlungen, S. 117・ 11) Staiger, S. 26 (Stifter).        ‘’ 12) ibid. 13) ibid. 14) ibid・ 15) ibid.

16) Der Brief an Buddeus, 21 August 1847・ 17) ibid・

18) ibid.

19) Bunte Steine, Vorrede, S. 5. 20) Steffen, S. 147・ 21) Staiger, S. 15 (Stifter)・ 22) Bunte Steine, S. 60・ 23) ibid, S. 108・ 24) ibid. S. 197・ 25) ibid. S. 209 ff・ 26) Klein, S. 251・ 27)このような視点については, Mullerも触れている(MiiUer, S. 67)・ 28) Bunte Steine, S. 196・ 29) ibid. S. 200・ 30) Klein, S. 252.

31) Bunte Steine, Vorrede, S. 7. 32) Mann, S. 427・

33) Heuschele, S. 37.

(13)

       A● Stifter の世界(II)(青野)         37 35) Meyer.S. 183. 36) ibid・ 37) Steffen, S. 213. 38) Meyer, S. 182・ 39) MeyerはStifterの客観的倫理的な方向への転換の契機として。Die Narrenburg”を挙げている   (Meyer, S. 168). 40) Klein, S. 325. 41) Meyer, S. 175・ 42) Spate Erzahlungen, S. 533・

43) Der Brief an Buddeus, 21 August 1847 Stifter はHebbelに対する批判を通して,自己の文学的理念   を述べている.両者の対立については, Roedlも触れている(Roedl : Stifter, Francke, S. 233 ff).

44) Studien II, S. 6・

45) Der Brief an Louise von Eichendorff, 31’Marz 1853・ 46) Roedl, S. 107 (Rowohlt)・

47) Steffen, S. 163. 48) ibid. S. 161・

49) Ischreyt, S. 270 ffなおStaigerなどの見解によれば,このような状況もtragiscbとみなすことができ   る(Staiger, Grundbegriffe, S. 183 ff).

50) Bunte Steine, Vorrede, S. 10. 51) Miiller, S. 87.

52) Bunte Steine, Vorrede, S. 10. 53) ibid. S. 7.

54) Wiese, S. 212・

55) Stifterが単なるIdealistでなかった点についてはHeuscheleも触れている(Heuschele, S. 26ff). 56) Bunte Steine, Vorrede, S. 10.

(14)

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