歴 史 研 究 第 五 十 号 別 刷 二〇〇四年
世界史教育への問い
原
田
智
仁
世界史教育への問い
1 今 な ぜ 世 界 史 教 育 を 問 う の か 用 ﹁世界史﹂から世界史へ 高等学校の教育課程に科目﹁世界史﹂が登場︵一九四九 年︶ して半世紀余りが経過した。今や世界史は多くの日本 国民に認知されたと言ってよい。だが、彼︵女︶ らに認知 された世界史とは一体何なのだろう。 私の高校教員時代の話である。年度もかなり進んだ頃、 ある生徒に﹁あ、世界史が来た﹂と言われたことがある。 掃除か何かの見回りで校庭を歩いていた時である。私はい まだ教科担任の名前すら覚えていないことを苦々しく思う 反面、﹁世界史﹂と言われたことには嬉しさを感じた。私自 身、世界史が好きだったこともあるが、それ以上に生徒に も世界史を好きになってほしいとの思いで教材づくりに取 り組んでいたからだ。あれからもう四半世紀になるが、あ の生徒にとって今、世界史とは何だろう。原
田
智
﹁世界史﹂に限らず、授業科目といえば生徒には卒業要 件の単位であったり大学入試科目であって、用が済めば途 端に無関係なものとなる。無論、学校時代の授業をきっか けに、一生それに関連する研究や仕事に従事する場合もな くはないが、それはごく稀なケースであり、多くは日に日 に忘れられていく。﹁世界史﹂も例外ではない。ただし、﹁国 語﹂ や﹁数学﹂などでは、難しい古典文法や一一次関数は忘 れてしまっても、文章読解力や関数的な考え方が意外と身 についていたりする。﹁世界史﹂ の場合、折に触れて延るも のが果たしてあるのだろうか。あるとすれば、それは何か。 歴史の知識か思考力か、それとも歴史意識のようなものか。 最近、学校知という言葉をしばしば耳にする。実社会で 生きて働く知識=社会知に対し、学校の中だけで生まれ、 消費される知識を指して批判的に言うのである。私は知識 のこうした単純な一一分法や、知識を知と呼び学習を学びと 称するような言い換えを好まないが、言わんとすることは よくわかる。つまり、﹁世界史﹂が学校知なら、世界史は社
全知である。仮に学校知としての﹁世界史﹂が認知された としても、社会知としての世界史はどうか。それを問いた いのである。いや、問わずにはいられない。﹁知識爆発﹂﹁知 の揺らぎ﹂と言われる社会状況、﹁学びからの逃走﹂ ︵佐藤 学﹃﹁学び﹂から逃走する子どもたち﹄岩波ブックレット、 五二四号、二〇〇〇年︶ と称される子どもの現状を踏まえ た時、それこそが世界史教育の最重要を問いだと考えるか ら で あ る 。 刷 新教育課程の理念は変質したのか 一九九九年に改訂された高等学校の新教育課程︵小・中 学校は一九九八年︶ では、﹁ゆとりの中で生きる力を育成す る﹂ことが基本理念として掲げられた。それは臨時教育審 議会︵一九八四∼八七年︶以来の、いわゆる﹁ゆとり教育﹂ 改革の総仕上げを意味するものであった。その社会的背景 は今更言うまでもないが、﹁ゆとり﹂とは学校五日制に伴う 教育内容の削減を、﹁生きる力﹂とは自ら学び自ら考える力 を指している。そして、この理念を最も明確に具現したの が﹁総合的な学習の時間﹂ の創設である。 だが、周知の通り、新教育課程は実施前から激しい学力 論争に揺さぶられ、ついに二〇〇一年正月、時の遠山文部 大臣は﹁学びのすすめ﹂と称する緊急アピールを声明する に至った。それでも新教育課程への批判は収まらず、結局 文部科学省は昨年十二月、学習指導要領史上例を見ない実 施一年︵小・中は二年︶目にしての改訂を余儀なくされた。 改訂の内容は、′ いわゆる﹁歯止め規定﹂ の撤廃など小規模 に留まったが、その理念は﹁ゆとり﹂から﹁確かな学力﹂ へと大きく転換し、人々にゆとり教育の崩壊を強く印象づ けた ︵小松夏樹﹃ドキュメント ゆとり教育崩壊﹄中公新 書 ラ ク レ 、 二 〇 〇 二 年 ︶ 。 では、この ﹁ゆとり改革﹂ の後退は、かつてのような知 識・理解を中心とした基礎・基本論への回帰を意味するの だろうか。もとより文科省自体は方針転換とは言わない。 むしろ、知徳体からなる﹁生きる力﹂ のうち、知的側面の 重要性を再確認したものにすぎないとの姿勢をとっている ︵中教審答申、二〇〇三年十月七日︶。そこには、政策の継 続性を何より重視し、自らの過ちを決して認めようとしな い官僚主義が見て取れる。私見では、それは方針転換には 違いないが単純な逆コースを意味しない。だとすれば、何 が従来の基礎・基本論とは異なるのか。 ー 2 −
㈱ 学力論争は何をもたらしたか この問題を考えるには、そもそも﹁ゆとり教育﹂ のねら いがどこにあったかを確認しておく必要がある。多くの教 員を含め、一般には知識偏重の教員主導型教育から、作業 的、体験的な学習や問題解決的な学習など、子どもの主体 的学習を重視する生徒中心型教育への転換と受け止められ た。それは誤りではないが、その帰結を理想主義に弱い教 員は見抜けなかった。自らを振り返ってみればわかるよう に、飴か鞭でもなければ誰も主体的に学んだりはしない。 それでもなお主体的な学習に拘れば、結局一握りのできる 子どもが授業をリードし、できない子、わからない子は置 いてきぼりにされる。金子勝の批判する﹁強い個人の仮定﹂ ︵﹃反グローバリズム﹄岩波書店、一九九九年︶ にでも立た ない限り、看板倒れに終わるのは目に見えている。 しかも中高一貫校の創設に見られるごとく、単線 ︵段階︶ 型から複線︵分岐︶ 型へと学校体系自体が徐々に変わりつ つあり、学校選択制も拡大する中で、豊かな階層の子ども ほど中高一貫校や私学に流れる傾向の強いことが指摘され ている︵苅谷剛彦﹃階層化日本と教育危機﹄有信堂高文社、 二〇〇一年︶。結局、ゆとり教育はどちらに転んでもエリー ト養成に道を開くものとなっていかざるを得ない。そのこ とに現実感覚に富む庶民が気づき始め、反乱の声をあげた。 それが学力論争が大きな社会的反響を呼んだ理由と考えら れ る 。 庶民の反乱は、文科省の ﹁確かな学力﹂ への転換を勝ち 取って成功したかに見える。果たしてそうか。確かに理想 主義的な教育を夢見た官僚にとって、それはある種の挫折 を意味しょう。しかし、臨教審以来の新自由主義的改革を 望む連中には、一歩後退二歩前進の結果的には更なるエ リート養成に弾みをつける結果をもたらした。なぜなら今 や正面から堂々と発展的学習や学力向上フロンティア・プ ランを提起し、推進していけるからである。国立大学の独 立行政法人化を見ても、もはやこの動きを止めることはで きない。では、学力論争の流れに樟さした庶民は墓穴を掘っ たのか。否、時代の趨勢がそうさせたのだと言うしかない。 市場経済の世界化と脱産業化の進展により、﹁勝ち組﹂ のエ リートは国境を越えた能力主義競争︵グローバル・メリッ トクラシー︶ に邁進し、﹁負け組﹂ の庶民は表層的な個性に 囚われて即時充足的な生活︵イディオシンクラシー︶ に追 い込まれる。そうした社会の二極化が進行する時代に私た ちは立ち至ったということなのだ ︵岩木秀夫﹃ゆとり教育 から個性浪費社会へ﹄ちくま新書、二〇〇四年︶。
2 新 し い ﹁ 世 界 史 ﹂ の 新 し さ と は 何 か 用 新時代に必要な基礎・基本とは 文科省の方針転換は学校現場に衝撃を与えた。﹁生きる 力﹂を正直に実践しょうとした教員には、梯子をはずされ た思いであろう。その反動か、今巷の学校では漢字の書き 取りや百ます計算など、﹁読み・書き・算﹂ の反復練習を徹 底する陰山メソッド ︵陰山英男﹃本当の学力をつける本﹄ 文聾春秋、二〇〇二年︶ が注目を集めている。だが、小学 生段階の子どもに漢字や計算を徹底することの意義は今更 言うまでもなく、それが注目されること自体異常であろう。 先にも述べたように、文科省の説く﹁確かな学力﹂は決し てそうした旧来型の基礎・基本を意味するものではない。 否、旧来型の捉え方では、結局庶民は ﹁負け組﹂ に振り分 けられることになる。それに抗しょうとするなら、新時代 にふさわしい基礎・基本を確立するしかないのである。 そこで、基礎と基本を分けて論じてみたい。まず、基礎 とは人間の社会生活に不可欠な能力のうち学校で育てるべ きもの、基本とは基礎の上に各教科等で培うべき必須の知 識・技能と捉えておく。無論、基礎・基本とも、学校段階、 学年段階、教科等に応じてできるだけ系統的に育成しなけ ればならない。その意味で、全国標準としての学習指導要 領には基礎・基本の系統性が問われていると言える。 では、現代にふさわしい基礎的学力とは何か。それにつ いては多様な見方があろうが、旧来の ﹁読み・書き・算﹂ に加え、少なくとも以下のような能力の育成が期待される。 ・プレゼンテーションやコミュニケーションの技能 ・社会のルール ︵公共性︶ を理解し、積極的に社会に参 加する態度 ︰ネット社会のマナーを理解し、コンピュータを操作す る技能︵コンピュータ・リテラシー︶ ・テレビ映像や新聞などを批判的に読み解く技能と態度 ︵ メ デ ィ ア ・ リ テ ラ シ ー ︶ ・外国人や自分と立場の異なる人 ︵異性、子ども・老人、 健常者・障害者等︶ を理解し共生しようとする態度 これを﹁世界史﹂に適用すれば、例えば史資料や年表を 正しく読み解くこと、教科書や資料から問題を発見し議論 すること、図書館やインターネットを活用して問題を調べ 成果を的確に表現すること、教科書をメディアと捉え記述 を批判的に分析すること、などが考えられる。 次に、こうした基礎の上に立つ ﹁世界史﹂ の基本的学力 とはいかなるものか。本来、個々の教員ないし学校が規定 すべきであるが、当面は学習指導要領に依拠するしかない。 − 4 −
各科目の目標に着目すると、﹁世界史A﹂に固有の基本は、 ①近現代史を中心とする世界の歴史を日本の歴史と関連付 けながら理解すること、②人類の課題を多角的に考察する ことであり、﹁世界史B﹂に固有の基本は、①世界の歴史の 大きな枠組みと流れを日本の歴史と関連付けながら理解す ること、②文化の多様性と現代世界の特質を広い視野から 考察することである。またA・B両科目に共通する基本は、 ①歴史的思考力を培うこと、②国際社会に主体的に生きる 日本人としての自覚と資質︵いわゆる国際的資質︶ を養う ことである。これらの基本的学力は、各単元の内容や事例 に応じて具体化されるのは言うまでもない。 こうしてみると、従来のように基礎的学力への視野を欠 いた基本の指導では、どんなに繰り返し徹底したとしても、 新時代にふさわしい学力の保障にはならないことが了解さ れよう。つまり単純な知識・理解重視への回帰ではないの で あ る 。 聞 ﹁世界史﹂のどこが変わったか 一九九九年改訂の新しい ﹁世界史﹂は従前と比べてどこ が変わったのか。それは、新時代にふさわしい学力をどの ように保障しようとしているのだろうか。 まず、A・Bの科目構成と標準単位数︵Aが2単位、B が4単位︶ は従前と同じである。また、目標の文言は若干 変わったが、諸科目を束ねる地理歴史科の教科目標が従前 のままであることからもわかるように、科目の基本理念は 変わっていない。大きく変わったのは、内容構成である。 以下、内容構成を中心に新しい ﹁世界史A﹂、﹁世界史B﹂ の特質を簡潔にまとめてみよう。 ア 世 界 史 A の 内 容 構 成 新しい ﹁世界史A﹂ の内容項目を示すと、次頁のように なる。この特質として五点を指摘することができよう。 ①十五世紀までの世界については、主要な地域世界と交流 圏ごとに、それぞれの歴史的特質を扱っている。 ②﹁ユーラシアの交流圏﹂が新設された。この項目は、﹁海 域世界の成長とユーラシア﹂、﹁遊牧社会の膨張とユーラ シ ア ﹂ 、 ﹁ 地 中 海 海 域 と ユ ー ラ シ ア ﹂ 、 ﹁ 東 ア ジ ア 海 域 と ユ ー ラシア﹂ の小項目からなり、ここから二つ程度選択して 学習するよう規定されている。 ③十六世紀から十九世紀までを、世界の一体化の時代とし てひとつながりに捉えている。 ④二十世紀のいわゆる現代史を重視している。中項目数で も全体の四割を現代史が占めている。
⑤現代史の最後に位置づく人類の課題に関する二つの項目 が主題学習に指定されている。 ︵世界史Aの内容︶*は主題学習の項目 1 諸 地 域 世 界 と 交 流 圏 ア 東 ア ジ ア 世 界 イ 南 ア ジ ア 世 界 ウ イ ス ラ ー ム 世 界 エ ヨ ー ロ ッ パ 世 界 オ ユーラシアの交流圏 2 一 体 化 す る 世 界 ア 大 航 海 時 代 の 世 界 イ アジアの諸帝国とヨーロッパの主権国家体制 ウ ヨーロッパ・アメリカの諸革命 エ アジア諸国の変貌と日本 3 現 代 の 世 界 と 日 本 ア 急 変 す る 人 類 社 会 イ 二 つ の 世 界 戦 争 と 平 和 ウ 米ソ冷戦とアジア・アフリカ諸国 工 地球社会への歩みLL日本 * オ 地 域 紛 争 と 国 際 社 会 * カ 科 学 技 術 と 現 代 文 明 うになる。この特質として五点を指摘することができる。 ①導入項目として﹁世界史への扉﹂を新設して主題学習に 指定し、身近なところから生徒の世界史への関心を高め よ、ノとしている。 ②前近代史に関しては、従前の文化圏別の通史構成に代わ り、地域世界別の同時代史的構成になっている。特に、 内陸アジアやイスラーム世界を重視し、中国とヨーロッ パ中心の伝統的な世界史構成とは異なっている。 ③世界史の全体は、諸地域世界の動向に着目し、その形成 ︵六世紀まで︶、交流と再編︵七∼十五世紀︶、結合と変 容︵十六∼十九世紀︶、地球世界の形成︵二十世紀以降︶ という四期に時期区分されている。 ④世界史Aと同じく、十六∼十九世紀をひとつながりの時 代︵=長期の近代︶と捉え、従来、近代史の画期として 重視されてきた十九世紀史を相対化している。 ⑤世界史Aと同じく、現代の課題に関する三つの項目が主 題学習に指定されており、世界史学習の導入と終末の双 方で主題学習を行う構成となっている。 − 6 − イ 世 界 史 B の 内 容 構 成 同様に、新しい ﹁世界史B﹂ の内容項目を示すと下のよ ︵世界史Bの内容︶*は主題学習の項目 1 世 界 史 へ の 扉 * ア 世 界 史 に お け る 時 間 と 空 間
*イ *ウ 2 ア ウ 3 ア イ ウ 4 ア イ ウ エ オ 5 ア ウ 日常生活に見る世界史 世界史と日本史とのつながり 諸 地 域 世 界 の 形 成 西 ア ジ ア ・ 地 中 海 世 界 イ 南 ア ジ ア 世 界 の 形 成 東アジア・内陸アジア世界の形成 諸 地 域 世 界 の 交 流 と 再 編 イスラーム世界の形成と拡大 ヨーロッパ世界の形成と変動 内陸アジアの動向と諸地域世界 諸 地 域 世 界 の 結 合 と 変 容 アジア諸地域世界の繁栄と成熟 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 世界市場の形成とアジア諸国 帝国主義と世界の変容 地球世界の形成 二 つ の 大 戦 と 世 界 イ 米 ソ 冷 戦 と 第 三 勢 力 冷戦の終結と地球社会の到来 国際対立と国際協調 科学技術の発達と現代文明 これからの世界と日本 畑 内容構成が示唆するものは何か こうした新しい ﹁世界史﹂ の内容構成は一体何を示唆す るのだろうか。次にそれを探ってみよう。 ﹁世界史﹂に限らず学習指導要領の改訂に影響を及ぼす 要因には、大きく言って三つある。すなわち、①教育の論 理︵教育的要請︶、②社会の論理 ︵社会的要請︶、③学問の 論理 ︵関連諸科学からの要請︶ の三つである。 まず、教育の論理の最たるものは主題学習の充実である。 基礎・基本との関連で言えば、主題を設定して自ら追究す るその︵方法︶は基礎的学力に、現代の地球的課題や身近 な生活の中から主題を選択するその人内容︶は基本的学力 に該当しよう。特に、導入部の主題学習は世界史への関心 を高め、学習意欲を育てることにねらいが置かれている。 また、終末部の主題学習は、それまでの学習で身に付けた 世界史の知識や思考法を応用して、更に深化・発展させる ことをねらいにしている。これらはまさに﹁生きる力﹂と しての確かな学力を育てる工夫と言えよう。 次に、社会の論理によるものとして、﹁世界史A﹂につい ては前近代史を概括的に扱い、近現代史を重視する構成が 挙げられる。これは前項で考察した﹁世界史A﹂ の基本的 学力の一つでもあるが、それ以上に国際社会の一員として
必要な社会的教養と捉えられる。韓国・朝鮮、中国、東南 アジア諸国との永続的な友好関係を構築するためにも、健 全な近現代史認識が不可欠なことは納得されよう。また、 ﹁世界史B﹂については、四期の時期区分法が挙げられる。 この方法は﹁日本史﹂ における古代、中世、近世・近代、 現代の時期区分にほぼ対応しており、世界の歴史の大きな 流れを日本の歴史と関連付けながら理解するという﹁世界 史B﹂ の基本的学力にも合致する。そして、これも近現代 史の重視と同じく、日本国民にとっての世界史認識という 点で、社会的教養と言ってよいだろう。 さらに学問の論理によるものとして、諸地域世界の動向 に焦点化した世界史構成、交流圏やネットワークへの着目、 十六∼十九世紀を長期の近代とする捉え方が指摘できる。 ここでは地域世界に着目した背景を考察しょう。一九七〇 年版の学習指導要領以来、世界史構成の基本的枠組みとし て﹁文化圏﹂が採用されてきた。当時、日本の歴史学界で はマルクス主義的なヨーロッパ中心史観や発展段階論が優 勢であったため、それへの対抗策として文化人類学の文化 圏概念が導入されたものと考えられる。しかし、各文化圏 の特質を構造的に把担するのではなく、通史的に把握しよ うとしたため、文化圏概念の特質を生かすことはできな かった。まもなく歴史学界においてマルクス主義は退潮し、 社会史や文化史が関心を集めるようになり、歴史を捉える 枠組みの点でも、国家から地域へと重心が移った。もとよ り、この場合の地域とは固定的な領域概念ではなく、場の 概念ないしは関係概念として把櫨されねばならない ︵濱下 武志﹁中国の経済と歴史−地域研究と中国経済史﹂﹃地域研 究と第三世界﹄慶應通信、一九八九年︶。つまり、そうした 柔軟な場の概念を用いれば、世界史の多系的な展開と地域 相互の関係をダイナミックに捉えられるのではないか。そ れが地域世界に着目した理由である。 以上、学習指導要領に影響する三つの要因について簡単 に考察してきた。それは、変動著しい社会の中で、公教育 としての ﹁世界史﹂が高校生に何を培うべきかを明確に、 あるいは間接的に示唆していた。しかし、個々の世界史教 員に求められるのは、学習指導要領を所与の制度として捉 えて無批判に従うことではなかろう。むしろそれを一つの 参照基準と捉え、教員自身が教育・社会・学問からの要請 に主体的に応えていく姿勢が必要であろう。では、具体的 にどうすればよいのか。それを次に考察したい。 一 8 −
3 ﹁ 世 界 史 ﹂ を 世 界 史 に す る に は ど う す れ ば よ い か 用 カリキュラムからのアプローチ ﹁世界史﹂ の学習を通じて、社会知としての世界史を身 に付けさせるにはどうすればよいか。ここではカリキュラ ムの面からアプローチする。結論から言えば、われわれの 中にある歴史教育に関する固定観念を打破することがまず 必要であろう。ここでは、二点を指摘したい。 第一は、歴史は常に古い方から順に年代を迫って教えね ばならないとする考えである。﹁日本史﹂なら縄文・弥生か ら始め、古墳時代、大和政権、飛鳥文化と続き、﹁世界史﹂ なら人類の誕生から、農耕・牧畜の開始、古代オリエント、 ギリシア・ヘレニズム文化、ローマ帝国へと続く。この方 法では、結局近現代にたどり着くまでに相当の時間を要し、 往々にして現代史の学習に必要な時間が足りなくなる。だ が、この固定観念をひっくり返し、生徒の生きている現代 世界の特質や課題を理解するための ﹁世界史﹂学習と考え れば、カリキュラム構成も自ずと変わってこよう。無論そ れは現代から過去にさかのぼる倒叙的なカリキュラムを絶 対視するものではない。 肝心なのは、過去の出来事を扱う際に、できるだけ現代 の問題と関連付けて考えさせることである。そのためには、 カリキュラム開発に関して主体的に取り組む姿勢が必要だ ろう。因みに、米国の歴史教科書の大半は年代史的に構成 されているが、各単元ごとに ﹁過去と現在をつなぐ ︵Li昇. i n m P a s t t O 等 e s e n t ︶ ﹂ と い っ た コ ラ ム が 設 け ら れ 、 テ ー マ と 現 代との関わりを示すエピソードや問いが示される場合が多 い。これなどは、仮に大学受験への対応で、教科書に沿っ たカリキュラムを組まざるを得ない状況だとしても、教員 の工夫次第で十分実施可能ではないだろうか。 固定観念の第二は、歴史とは歴史学が明らかにした過去 の事実であり、それを客観的かつ系統的に記述した歴史教 科書こそ、歴史カリキュラムの基準だとする考え方である。 確かに、偏った歴史観に基づく教育は公教育では避けねば ならない。その点で、学習指導要領に準拠した検定済み教 科書なら、カリキュラムの基準として安心かもしれない。 しかし、ここには二つの誤解がある。一つは、歴史を過去 の事実と捉えているが、歴史とは過去に関する解釈に他な らないことである。もう一つは、学習指導要領は教育課程 の基準とされているが、教科書はあくまで ﹁主たる教材﹂ であってカリキュラムではないことである。 つまり、教科書が学習指導要領という基準に従って記述 されるとしても、そこにはそれぞれの教科書執筆者や編集
者の選択と解釈が働くのであり、それをそのままカリキュ ラムにすることはできないのである。しかも、検定制度下 とはいえ教科書は〓疋の市場原理に左右されるから、日本 全国の特性や学校の実態に配慮してはいられない。それゆ え、カリキュラムは個々の教員の関心や専門性、地域と学 校の特色に応じて、独自に開発されねばならない。例えば、 学級内にヴェトナム、ブラジル、韓国・朝鮮など、外国籍 の生徒が複数いるとしよう。そうした中で行う﹁世界史﹂ のカリキュラムはどうあればよいのか ︵拙稿﹁社会科にお ける多民族学習﹂社会認識教育学会編﹃社会科教育のニュー パースペクティブ﹄明治図書、二〇〇三年︶。それこそ歴史 教育のプロとしての腕の見せ所であろう。カリキュラムが、 そうした地域や学級に根差したものであってこそ、﹁日本人 なのになぜ外国の遠い昔のことを学ばねばならないの?﹂ という生徒の問いに答えることができるのではなかろう か。また、そうした問いに答えうる﹁世界史﹂こそ、生徒 にとって生きて働く世界史と言えるだろう。 展開される。なぜなら、歴史教科書は出来事を時間の順に 記述しながら、各時代、各地域世界の特質をコンパクトに まとめているからである。それゆえ、教員には教科書の内 容を整理して解説しようとする意識はあっても、独自に授 業を構成しようという意識は低いことが予想される。 因みに、﹁イギリス産業革命﹂を事例に考えてみよう。 最も一般的な授業構成は次のようになるのではないか。 佃 授業構成からのアプローチ 授業構成の面では、いかなる手立てが必要であろうか。 通常、中等段階の﹁歴史﹂ の授業は教科書の構成に従って ︵一般的な﹁産業革命﹂ の授業構成︶ ①産業革命とは何か ②産業革命の原因︵ィギリスで最初に起こったわけ︶ ③産業革命の展開 ・綿工業の発達︵紡績機、織機の発明︶ ・蒸気機関の発明 ・重工業の発達︵機械工業、鉄工業︶ ⊥父通機関の発達︵蒸気船、蒸気機関車の発明︶ ④産業革命の影響 ・資本主義社会の成立 ・人口の都市集中 1 社会問題、労働問題 ⑤産業革命の波及 ー10一 授業は五つの項目からなっているが、おそらく中心をな
すのは②・③・④であろう。つまり、﹁産業革命はどのよう にしてイギリスで起こり、どのように展開し、どのような 結果をもたらしたのか﹂を、教師が説明する形で展開して いく。時間的継起の順であり、教科書記述の順である。こ の方法は、生徒の中に産業革命について詳しく知りたい、 もれなく知りたいという欲求︵内発的動機付け︶ があれば うまくいこう。また、これにより大学入試に役立つ知識は 要領よく得られるかもしれない。しかし、そうでなければ、 一方的に教師の説明を聞かされ、退屈な授業になる可能性 が高いのではないか。 次に、教員が教科書以外にテーマに関連する専門書を読 み、自分なりの問題意識を基に授業構成したらどうなるだ ろう。私の開発した産業革命の授業から、主要な問いと答 えを示すと下記のようになる ︵拙稿﹃世界史教育内容開発 研究−理論批判学習−﹄風間書房、一一〇〇〇年︶。先に見た 一般的な授業構成と異なって、この授業は﹁なぜ?﹂とい う問いを探求しながら、現在から過去へと遡及していく構 成をとっている。導入はインドの ﹁死を待つ老人﹂ の写真 の提示から始まる。現在のインドは貧富の差が激しく、発 展途上国に位置づけられる。だが、十九世紀の初頭までイ ンドは世界最大の綿工業国であり、貿易収支も黒字を計上 していた。そうした事実を提示されると、なぜ豊かだった インドが貧しくなったのかという素朴な疑問が芽生えてこ よう。これこそ生徒の学習への動機付けを促す仕掛けであ るが、同時にそれは産業革命を現代の南北間題につながる 出来事として捉えさせることを意味している。つまり、単 に教科書に産業革命の項目があるから教えるのではなく、 現代世界の構造を捉える理論として有用だと考えるからこ そ取り上げるのである。 ︵探求としての ﹁産業革命﹂ の授業構成︶ ①なぜ十九世紀のインドは貧しく、イギリスは豊か だ っ た の か 。 1イギリスの繁栄の源泉は植民地インドの富の徹底的収奪に あ っ た 。 ② な ぜ イ ン ド 綿 工 業 は イ ギ リ ス 綿 工 業 に 敗 れ た の か 。 1インドの綿工業は機械化したイギリス綿工業に競争力で 劣ったため、国内市場・国際市場の双方からインド綿製品は 駆 逐 さ れ た 。 ③ な ぜ イ ギ リ ス 産 業 革 命 は 綿 工 業 か ら 始 ま っ た の か 。 1インド綿布流入による衣料革命を機に、イギリス産業革命 は綿工業分野から始まった。 ④ な ぜ マ ン チ ェ ス タ ー が 綿 工 業 の 中 心 に な っ た の か 。 1マンチェスターはイギリスにおける大西洋奴隷貿易と綿花
輸入の拠点リバプールに近接していたためイギリス綿工業の 中 心 に な っ た 。 ⑤ な ぜ 綿 工 業 の 技 術 革 新 が 大 規 模 な 工 場 制 機 械 工 業 へ と発展したのか。 1蒸気機関の発明は動力革命を引き起こし、大規模な機械別 工 場 の 出 現 を 可 能 に し た 。 ⑥ な ぜ イ ギ リ ス で 産 業 革 命 が 起 こ り え た の か 。 1十八世紀のイギリスは豊富な資源と資本・市場・労働力に 恵まれ、産業革命を起こしうる条件を備えていた。 この授業を開発するに当たり、主として角山栄の研究に 依拠した︵角山栄編﹃講座西洋経済史Ⅱ・産業革命の時代﹄ 同文館、一九八〇年、他︶。もとより、現在の歴史学界では、 産業革命に関しても多様な見方があることは承知してい る。だからこそ、角山氏らによる産業革命論を事実として 教えるのではなく、あくまで解釈=理論として生徒自身に 批判的に探求させるよう教材を構成したのである。 これに対し、一般的な歴史授業を﹁歴史科歴史﹂、筆者の 授業を﹁社会科的歴史﹂と批判し、﹁社会科歴史﹂の重要性 を説いたのが小原友行である︵﹁初期社会科における歴史授 業論−﹁歴史科歴史﹂から﹁社会科歴史﹂へ1﹂﹃広島大学 学校教育学部紀要﹄第−部十二巻、一九九〇年︶。小原氏は 現在の高校歴史教育が直面する問題の根本原因を、歴史が 戦後一旦は否定したはずの ﹁歴史科﹂ の論理で教えられて きたことにあると捉え、再度﹁社会科﹂ の授業論に学ぶべ きだと言う。そして、初期社会科の特質である①課題の現 在性、②学習の主体性、の二点を踏まえた歴史授業論を主 張するのである。氏の提起した産業革命の授業構想案︵部 分︶ を次頁に示そう。 因みに、小原氏は別の書で二二つの歴史授業をそれぞれ ﹁ や ら さ れ る 授 業 ﹂ 、 ﹁ や っ て い る よ う に 思 わ せ る 授 業 ﹂ 、 ﹁ や る授業﹂と称している ︵岩田一彦・今谷順垂・小原友行編 ﹃中学校社会 個を生かす﹁課題学習﹂とは﹄東京書籍、 一九九〇年︶。確かに小原氏の構想では、生徒が自ら問題を 発見して探求し、成果をまとめる展開になっている。その 点で、﹁やる授業﹂と言えるかもしれない。だが、問題はそ の実現可能性にある。教員が指示すれば自ら進んで調べ、 問題の設定から研究方法まで、生徒同士の話し合いで決ま れば言うことはない。それがきわめて難しいからこそ、ま たそうした生徒主体の調べ学習が往々にして活動主義に陥 り、学力低下を招く恐れがあったからこそ、初期社会科は 批判を浴び系統主義に取って代わられたのではなかった か。まさしく小原氏の主張は﹁ゆとり教育﹂推進論者と同 じ論理に依拠していると一書えるだろう。 −12−
︵社会科歴史としての﹁産業革命﹂ の授業構成︶ [導入部︵問題の発見︶] ①南北問題の起源について調べ、話し合う。 ②歴史を動かした発明について調べる。 ③世界の人口推移の資料から人口急増期の原因を話し合う。 ④産業革命の頃の病気・平均寿命・森林面積・労働時間などに ついて調べ、現在と比較してみる。 ⑤教科書で日本の開国と産業革命の原因について調べる。 ⑥教科書で日本とイギリスの産業革命を比較してみる。 ⑦ 研 究 問 題 を 構 成 す る 。 ︵ 省 略 ︶ ⑧研究方法を話し合う。 [展開部︵問題の探求︶] ①研究問題を探求するための資料の調査・収集︵教科書や教師 の 説 明 も 資 料 ︶ ②資料に基づく記述・説明・判断 ③研究内容のまとめ・発表・討論 [終結部︵総合的表現︶] ①レポートの作成 ︵﹁産業革命と発明﹂、﹁産業革命と南北問題﹂ 等︶ ②レポートの発表 ③自己評価・相互評価 小原氏の用法を借りるならば、むしろ﹁社会科的歴史﹂ ないし﹁やっているように思わせる授業﹂ こそが、生徒に 歴史を探求する面白さを実感させ、﹁世界史﹂を世界史にし ていくバネになるのではなかろうか。筆者の理解では、﹁ゆ とり教育﹂改革は、小原氏の言う﹁やらされる授業﹂を一 気に﹁やる授業﹂ に転換しょうとして反発を招いた。一部 のエリートのための教育ではなく、賢い主権者としての庶 民を育てるためには、教師の指導の下で ﹁やっているよう に思わせる授業﹂を繰り返し経験させることが、より確か な歴史の見方と学び方を身につける上で有効だろう。 ㈱ 評 価 か ら の ア プ ロ ー チ 私もかつてそうであったが、高校の教員にとって評価と いえば、各学期の中間・期末に出題範囲を限定して一斉に 行われる定期テスト、年度当初や長期休業明けに行われる 実力テスト等のペーパーテストを指している。それゆえ、 思考力や判断力といった知識以外の学力の評価はほとんど 考えないし、まして自らの授業を評価することなど全く念 頭にないのが現状であろう。 その原因として以下の三つが指摘できる。第一に、定期 考査に象徴されるように、出題範囲は教科書を基準に決定
され、テスト問題は授業内容に関わりなく教科書から出題 されるからである。つまり、授業内容をどう考察し理解し たかではなく、教科書の内容をどう理解し知識を身に付け たかが評価の対象とされる。第二に、評価問題は大学人試 問題を基準に作成されるからである。共通一次試験や大学 入試センター試験の例を出すまでもなく、大学人試問題で は短時間に多数の回答が要求される。したがって、それに 好成績を収めるには平素から同様の問題に慣れさせておく 必要がある。あるいは教員自身がこれまで同様のテストを 繰り返し受け、それにパスして教月になってきただけに、 他の出題の仕方が思いつかないのかもしれない。優等生で あるが故の陥穿と言えよう。第三に、教員、生徒、保護者 を含め、日本人の多くが評価における客観性信仰に囚われ ているからである。論述式問題や口頭試問では、評価する 側の主観に左右されやすい。評価から主観を排除するには、 唯一の正答を問う客観テストでなければならない。それな ら、仮に不合格になっても納得がいくのである。 日本の高校教員の評価観は、こうした教科書信仰、大学 入試信仰、客観性信仰の三つに支配されている。しかし、 これらの信仰に囚われている限り、﹁世界史﹂を世界史にす ることは難しい。もとより信仰は心の問題であり、他者が 容易に回心させうるものではない。ただし、社会の変化の 速さからして、回心せざるを得ない時期はもうそこまで来 ているように感じられる。そこで、これからの評価の方向 性に関し若干の提言をして、本稿のまとめとしたい。 第一は、指導と評価の一体化である。学力評価は知能検 査のように半ば生得的な能力を測定するものではなく、あ くまで指導︵=学習︶ の成果を測るものである。それゆえ、 問われるのはまず指導のあり方であろう。ルーティン化し た作業として教科書を教えるのが授業ではない。〓疋の目 標を掲げ、その目標を達成するために最適な教材や学習活 動を組織して臨む。そして、生徒の反応を見ながら適宜軌 道修正しっつ、目標に向かって進む。それが授業である。 したがって、評価とは生徒の学力の評価であると同時に、 教師の授業︵教材、発問、学習活動、授業展開等︶ の評価 でもある。これからは、指導計画の中にきちんとした評価 計画も組み込むことが必要であろう。 第二は、目標に準拠した評価である。指導計画作成の時 点で〓疋の評価計画を立てるとしたら、目標を吟味してお かねばならない。目標が曖昧な努力目標に留まっていれば、 達成度の評価も曖昧にならざるを得まい。それゆえ、目標 が評価規準となりうるよう到達目標を設定することが求め られる。文科省でも、二〇〇一年の児童︵生徒︶指導要録 の改訂に伴い、従来の﹁個人内評価としての絶対評価﹂か −14−
ら﹁目標に準拠した評価﹂ への転換を表明した。ただし、 関心・意欲・態度、思考・判断、資料活用の技能・表現、 知識・理解という四つの観点ごとに、すべての単元で評価 規準を作成させるのはあまりに官僚主義的、形式的と言え よう。これでは現場の教員の反発を招くだけでなく、教科 書指導書の評価規準を丸写しさせることになり、結局教科 書信仰を増幅させることになりかねない。だから、文科省 ︵国立教育政策研究所︶ に対しては、四つの観点の意義だ けではなく限界をも明らかにすることを期待したい。他方、 個々の教員には各単元の授業内容との関連で、当面どの観 点の学力が重要なのか、また達成可能なのかを吟味した上 で、独自の評価規準を作成することを求めたい。 第三は多様な評価手法の開発である。これまでもノート 点検や夏休みの課題レポートの提出などは行われてきた。 だがそれらは生徒の学習を習慣づけたり、長期休暇を無為 に過ごさせないための手立てであって、指導と一体化した 評価ではなかった。今こそ、単元の目標の達成度をできる だけ正確かつ段階的に把糎しうる評価手法の開発が求めら れている。一つの方策として、従来の定期テストに代えて 単元終了ごとにテストを実施し、それを積み上げていくこ とが考えられる。そこでは、知識・理解を問う客観テスト だけでなく、思考力や関心・意欲を問う論述テストも必要 だろう。また二つ目の現実的方策として、思考力・判断力 や技能・表現を問うペーパーテストの開発が挙げられる。 すでに中学校社会科では、事例による学び方学習を積極的 に取り入れた地理的分野を中心に、先導的な取り組みが報 告されている ︵漉澤文隆編著﹃中学校社会科テスト問題の 改革﹄上下巻、明治図書、一九九七年︶。残念ながら、高校 の歴史系科目ではほとんど進んでいない。そうした現状を 踏まえ、筆者は米国の大学進学希望者のための全国共通試 験SATⅡの世界史テスト問題を分析し、選択肢から正答 を回答する形の問題でも歴史的思考力が問えることを明ら かにした︵拙稿﹁歴史的思考力の育成﹂﹃中等教育資料﹄二 〇〇二年一月号、六月号、九月号︶。参照していただければ 幸 い で あ る 。 4 世 界 史 教 育 の 可 能 性 私は社会科教育の中でも世界史教育を専門にしている。 だから世界史教育を大事にしたいのではない。個人的には、 古代オリエントも中世ヨーロッパも、イスラーム支配下の インドも、日本の高校生が学ぶ意義は低いのではないかと 思う。世界史の教科書の中で、どうしても教えたいことだ けを選ぶとしたら、せいぜい五分の一にすぎない。では、
その選択基準は何か。言うまでもなくそれは現代世界の理 解、われわれの日常を取り巻くシステム ︵政治・経済・社 会・文化︶ の探求につながるかどうかである。無論、教え る側に力量さえあれば、古代オリエントからも、中世ヨー ロッパからも、現代世界の構造を探求させることは可能で あろう。しかし、教育は相手を度外祝しては成り立たない。 大半の生徒が物質的に満ち足りた生活を送り、﹁学びからの 逃走﹂どころか﹁学ぶふりからの逃走﹂︵広田照幸﹃教育に は何ができないか﹄春秋社、二〇〇三年︶ さえしている現 状では、かなりの困難が予想される。 加えて、学校五日制や総合的な学習の時間の導入により、 小・中学校の社会科の授業時数は大幅に減ってきており、 真っ先に世界に関する内容が削減されている。したがって、 高校の地理歴史科で﹁世界史﹂を必修にしていると言って も、世界認識がほとんどゼロの段階から始めねばならない。 イラクとイランの違いもわからなければ、中東の位置もわ からない。風土や言語・宗教がわかろうはずもない。そう した彼︵女︶らに古代オリエント史をほんの数時間で教え るのである。その後サーサーン朝からイスラームへと続き、 オスマン帝国やサファヴィー朝の展開を教えるのならまだ しも、オリエントの次はギリシア・ヘレニズムに移り、さ らにはローマへと続く。これではよほど世界史への関心が 高いか、頭がよいか変わり者でもなければ、ついて行くの で精一杯だろう。そしてテストの前には必死でカタカナの 地名や人名を覚えねばならない。こんな﹁世界史﹂教育で、 生きて働く世界史の知が育つはずがない。 こうした問題意識の下、﹁世界史﹂を世界史へと近づける 方法を模索し、私見を述べたのが本稿である。読者諸賢の 厳しいご批判を請いたい。本稿のベースになったのは、昨 年十一月に開催された本学会年次大会での講演﹁新しい世 界史学習と評価﹂ である。お招きいただいた土屋武志先生 を始め役員の皆様、ご静聴いただいた会員の皆様に心より お礼申し上げたい。また、松島周一先生の熱心なお誘いが なければ、拙文が日の目を見ることもなかっただろう。記 して感謝の意を表したい。なお、執筆に当たり講演内容を 大幅に加筆・修正したことをお断りしておく。 ︵二〇〇四年一月二七日脱稿︶ −16一