海辺の生活環境史 : ローカルな資源管理の現場から
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(2) 海辺の生活環境史. 目次. B次 序章 1 .. 2 .. 第一章 1 . 1 .1 1 .2 1 .3 1 .4. 2 . 2 . 1 2.2 3 . 3 .1 3 . 2 4 . 5 . 第一 1 .. 2 . 2 .1 2.2 (1) (2) (3) 3 . 3 .1 3.2. 1 .1 1 .2. 2 . 2 .1 2.2 (1) (2) (3) (4). 問題意識の所在 関定されたイメージの払拭 考察の対象. 1 3 4. 資源管理をめぐる考察の系譜 資源管理のそデル 資源を問うということ 資源の f 所 有 j について コモンズ概念の広がり モデル化された口一カルルール 資源化と高品化 地域おこしの現場 保存至上主義 海辺の資源管理論 農村との対比 漁業/水産物から見る海辺 論点の整理 本論文の構成. 7 ? 7 8 1 0 1 2 1 4 1 4 20 2 3 2 3 24 2 6 28. 日本の海浜環境をめぐる法制度とローカルノレーパ 3 3 3 3 管理の主体 36 海浜政策の系譜 3 6 海浜環境の現在 3 7 「土地 J としての海浜空間 3 7 海か、渡か 40 さの象徴 4 1 法以前の権利 42 慣習法を引き継いだ漁業権 42 磯は地付き、沖は入会 44 漁業権をめぐる法整備の歴史. 熊野灘の生活世界 はじめに 地理的状況 異なる社会集団の共存 むらの構造 棺賀浦地区として ウラの来歴 ニワ浜の集落 記録から読み取るウラの生活の糧 現在の生業の様子 漁業を通じたつながりと組織編成. 5 1 5 1 5 1 5 3 5 5 5 5 5 5 5 5 5 8 60 6 1.
(3) 3 .1 3 .2 3 .3. 4 . 5 .. 3.4. 門. i 門. 門. ウ tQUQUQVAVQUFhU. i 門 門 QdAV1i i. 5.2. i i ウt ウt06060606060606nud ハ y. 6 .. み. 5 .1. 円 ノ. (2). w. 5 .. 山 ︹ 呂. 1234. 4.3 (1). 方と ν 3 り置 あ放 のと 理話 管神 源人う 資い個い ういととと いもらけ然こ立 とでうむか白浜のう一向て側 )しあのきといもいのしう りかきて働み近ぐとと鷺とこ 守らっしな歩、なるび放し向 (たとと的の海っす人とぽの りつ然体極らいがりと話滅置 モ放自主積む遠浜モ浜世罪放. 章1212123 mm2233444A 2345 信用1. 97 97 97 99 1 0 3 1 0 3 104 106 106 108 109 109 1 1 1 1 1 3. イセエピ料し縄漁、の記憶と記録 「エピ、網はおもしろし ¥ J イセエピ縄漁の概要 浜のアミゴヤへの思慕 待問と空間の規定 時間の切り取り 解禁に先立って 空間の使い分けーホンバとヒロイバ ホンバで、の漁 ヒロイノく j 魚、で得られるものと与えるもの 楽しみと生き甲斐の生成 教えることと養うこと イセエピ漁から見えること一生活の理念の描写4.1 4 .2. カマの来歴 62 平家落人伝説と八ヶ竃 62 八ヶ竃内の関係性と八ヶ竃八幡祭り 65 カマ(相賀竃)の社会構造 70 議方による製塩業 7 1 自然環境の所有と利用権をめぐる棲み分けと相主 72 まとめ 7 3 3 .. 7781i112344568 1112222222222. 性 続 連 の. カな. り更 わ変. か肢 j f 択度か と選制や 一史るヤる安 変ぐウゆ不 のめト﹁きる 度をの入ると募しい話 制化区導う容ぐのに押想噂 jに 文 地 の 担 内 め 断 持 後 る と 加めの浦制でのを決維のすヤ 参じ域賀番場部則更度更錯ウ. f は地棺輪近役原変制変交ト. 34. 悼み. d444AA A吐. 章' 1 2 3 4 1 2 3 4. い つ. ﹂¥つ 一 ノ. 第L.
(4) 7. カマによるジンサイ ヤジと見守り ッタイの存在 トウヤを支えるネットワークとチームワーク 連続したかかわり 準備がもたらす意味 テッタイとしづ立場 制度の素地の共有 制度の外への埋め直し. 1 2 9 1 2 9 1 3 1 1 3 2 1 3 3 1 3 3 1 3 4 1 3 5 1 3 6. 終章 1 . 1 .1 1 .2 1 .3 2 . 2 . 1 2 . 2 3 .. 「 生 j との現代的な向き合い方 各事例研究 おける論点のまとめ 資源との分かちがたいつながり(第四章より) し、まの生活の充足(第五章より) より) 制度化されないかかわりの内実 海辺の生活環境史として 柔軟な生活の組み立て方 近代的論理が譲歩せざるを得ない世界 まとめ. 1 3 9 1 4 0 1 4 0 1 4 3 1 4 4 1 4 5 1 4 5 1 4 6 1 4 9. 5 . 5 . 1 5 . 2 5 . 3 6 6 . 1 6 . 2 6 .3. 1 5 1. 参考文献. 図・. リスト. 1 5 7.
(5) 序章. 問題意識の所主. 本論文の主題は、海浜地域におけるローカルな資源管理のあり方とその変還を考察する ことを通じて、現代社会における人と資源とのつきあい方をあきらかにすることにある。. 1 9 8 0年代の環境汚染問題の顕在化やその解決の模索にはじまり、近年では地域の再生や活 性化などと結びつき、ローカノレな社会や資源は注目されつづけてきた。ここでいうローカ ) 過疎/高齢化としづ社会的問題を抱えつつ ルな社会とは、1)地方に位援し、いわゆる 2 ) その社会に生きる人びとがそれらの問題とどうにか折り も 、 3. j. 合いをつけ、 4 ) 歴史に. 依拠し構築する日常世界を意味するしたがって、ここでいうローカノレな社会については 行政区分としての村と重なる部分はあるものの、固定された枠組みというよりは、「自らそ の一員として共属感情を維持し、構成員相互の家族にもおよぶ生活史を熟知している J( 吉 川 2 0 0 4 :2 91)ような集団、あるいは関係性として定義しておきたい。そして、このよう. J と表現する。 に定義づけられるローカルな社会を本論文では、「むら 2 たいていのむらでは、直接/間接にかかわらず、日常的な生活と「資源 J とのあいだに 密接な関係が認められる。自らの生活が何によって成り立っているのかということが非常 に分かりやすい暮らしが営まれている。よって、資源の可能性と限界を読み取りやすい環 境であるとも言えるだろう。むらにおける資源とのつきあい方は、土地図有の歴史と文化 から影響を受け(また与え)、受け継がれてきた。 この点についてここでもう少し、具体的に考えてみたい. Q. むらをむらとして成り立たせ. る要閣は、生活の基盤としての資源の脊在と、その資源とのかかわりから繰り出されてき た文化の生成にある. D. そこで、本論文で生活の基盤となる資源をローカル・コモンズとし. て以下のようにいったん定義しておく. O. 第一に、一定の集団(地域)にアクセスできる権. 9 9 7 )、第二にその集団(地域)のしくみによって、 利が限定されているものであり(井上 1 地域が持続可能性に配慮、して共同管理される対象となるものである(桑子 2 0 1 0 )。 ある時代まで、ローカルな社会のなかで、生じた自然環境をめぐる問題は、その問題が生 じた社会のなかで解決されていた。このとき、問題の内容にしても規模にしても、ローカ ノレな人び、との経験と知恵、で、十分に対応可能だ、ったと言えるだろう。その後、深刻な公害の 顕在化や大規模開発の強引な推進などに見られるように きれないような自然環境問題が引き起こされてして. D. 口一カルな社会だ、けで、は対応し. この頃、自然破壊や環境問題はすで. にローカルな社会の問題というよりは、国家的な問題として語られるようになっていた。. 1 9 9 0年代以降、特に冷戦が終了とともに自由貿易圏が拡大し、人とそノ、カネ、そして情 報の世界的な移動や流通が活発になると、向時に、自然環境をめぐる問題は国家の枠組み を超え、世界的な問題として認知されていったC グローパルな問題解決の糸口はまず、普. 1.
(6) 遍的な尺度にもとづき思案された。その例としては、徹底的な公的管理という非常にスト イックなものがあげられる。その後、このような画一的な対応では、問題解決に至らない ことに気付きはじめる。そこで、深刻な問題に対応するためのヒントやモデルを、自然環 境とのつきあいを日常の一部としているような口ーカルな現場に求めることになった。な ぜなら、自然環境のような資源へのアクセスはたいてい、ある集団に限定されており、そ の集団ごとにつくりあげられてきた利用と管理をめぐるルールがあるからである。 現在、資源というタームは学際的な様相を呈している。人文・社会科学、自然科学とい う学問分野にかかわらず、それぞれの問題関心にもとづき、資源管理のあり方(資源との つきあい方)について調査研究が積み重ねられてきている。また、それぞれの分析視角は に示唆的である。日本の場合、環境社会学が「所布j という観点から、資源管理のあ. 1. り方を考察してきた功績は大きい。環境社会学的な資源管理の分析では、制度に組み込ま れている資源所有のあり方(権力関係や領土管理など)が焦点となり、それら所有の様式 が歴史的・空間的にたどってきた変化過程が考察されてきた。 本論文は、所有という観点から資源管理のあり方を問うという、従来の環境社会学的分 析視角を引き継ぐものである。ただし、第二章で詳述するが、これまでの諸研究が描いて きたものと、本論文が考察の対象として射程に入れているものには、大きな違いがある。 これまでの諸研究が資源とのつきあい方として提示してきたものは、いわゆる環境問題を 解決するためのモデルとしての資源管理のあり方や、積極的な地方社会像、さらに権力に 抗うタフな当事者像(むらの姿)などが主流だった。このような分析視角は社会的要請を 受けてのことであり、意図的にその偏重を許してきたわけではないはずである。しかし、 本論文はこうした積極的で強いモデルというよりはむしろ、こういった事象とは異なる状 況、つまり、土地のしがらみのなかで、戸惑い、葛藤し、ときにはあきらめざるを得ない という一見消極的で、マイナスイメージを伴う資源とのつきあい方の現状にたいして、さら なる関心が向けられる必要があると考える c なぜなら、現実的に考えてみれば、多くの口 ーカノレな社会は、意欲的な運動者でもなければ、他所の問題解決に応用可能な「手本 J で もなし 1からである。 むらのなかに入ってみると、そこで目の当たりにする知恵や方法の大半が言語化/具現 化しにくいものであるということを知る。自然環境としづ資源についても、持続性を意識 的/意欲的にめざしているというよりは、これまでの経験から紡ぎだされてきた結果とし て暫定的に営まれている資源とのつきあい方が持続可能性へとつながっているととらえる 方が、より現実に近い. G. よって、それらの営みが工夫やアイデアということばで表現され. たとしたら、第一にその工夫やアイデアを生み出し実践している入び、とこそが違和感を覚 2.
(7) えるかもしれない。 たとえば、禁漁区域の選定の理由を、現地の漁師たちにたずねてみたとしよう。おそら くさまざまな答えが出てくるに違いないむそれらはいずれも経験にもとづいたものであり、 「正しく妥当なもの」とそうではないものを峻別することはできないだろうむあるいは、 全員が口裏を合わせたかのような、それでいて科学的に根拠づけにくい観念的な理由を異 口同音に返されるかもしれない。そもそもロ…カノレな知や規範をシステムやノレールといっ たことばで表象した途端に、それらがあたかも論理的でどの土地においても置き換え可能 なもののように錯覚してしまう。しかし、むらの営みは、その土地でなければ成り立たな いようなこと、「なんとなく. j 根付き、継承されていることの集合体である。むしろ、あい. まいなことが多く、自に見えないようなことですら、行動選択や判断基準の論理として成 これは神さんの木だから切ってはいけなしリ、 り立っている世界こそが、むらだと言えよう o r 「毎月障の日には、イエセビ、が列を作って,海を移動しているので大漁になる j など、告 に見えないことと自に見えることが違和感なくつながり、そこから生活の論理が編み出さ れている場が、むらなのだ。. 1 . 酪定されたイメージの払拭 ただし、このような特徴ゆえに、むらを浮世離れしたものとして撒く傾向に焔りやすい ことには留意しておかなければならない。むらの現実は決して平穏無事な世界とは限らず、 生々しい人開くささが渦巻く世界であるむ生活と歴史を共存しているからこそ生まれてく るしがらみやいざこざがある。また、外部の世界や異なる規範とも地つづきに位置してい て、さまざまなレベルにおけるインタラクションがみられる。 しかし、いまや都市部に暮らす者にとっては、日本の地方社会は海外と同じほど、遠い 存在となってしまったようだ。よって、むらのイメージをめぐる誤解が生じやすい。むら を牧歌的で平和な世界かのように手放しに賞賛することもあれば、内部のかかわりやつな がりを重視するということを閉鎖的で改善しなければならない「遅れた文化」だと夜裁し がちである。もしくは、共向性を最優先し、偲の自立を認めないような封建的なものとし て、むらの構造が疎まれることもあるだろう。このような偏ったむらのイメージはこれま で幾度も批判されてきたにもかかわらず、いまだに拭いきれないものがある c むらの連帯 の強さはむしろ、そこ. と生活のシステムとを関連づけながら γ寧に考察されるべき. (鳥越 2007) であり、そうすることでより広い視点でむらをとらえることが可能になるに もかかわらず、こうしたステレオタイプが先行しがちである。. 3.
(8) 特に、むらを考察するうえで注意しなければならないことは、より現実的な視点を持つ ということだ。言い換えるならば、これまで通りに物事をこなしさえすればなんとなくう まく回っていたむらの生活がすでに行き詰まっているという点に気付かない振りをしてい てはいけないということだ。過疎や高齢化の問題が叫ばれるようになって久しい現代社会 において、アクセス可能な資源と f 対話J しながら生産活動をおこない、それに関連する 規範を次の世代へと引き継いで、いくような生活を営むことは、容易ではなくなった。こう した当たり前の実践にすら、物理的・精神的に棺当のパワーを要する。むらにおける資源 と人間、人間向士、生産と消費、実践と信仰などがつながり、循環するような営みには、 すでに多くの綻びが生じはじめているのが現状である。 資源を管理していくという観点に立てば、現代のむらは、非常に厳しい状況にある。本 論文では、このような現状を念頭に置きながら、その状況を憂いだり、ぼやいたりする前 に現場の想いを丹念に開き書きするということを重視したい。それは、「資源、とは何か」と いうことを問う作業でもあるむ 何を資源とみなすのか、資源を持続的に利用するための規 範はどのような内容か、その内容を誰がいつ決定するのか。こういった潤いをもとに地域 の生活をあらためて見ていくと、結果としてあらわれている現状の背後に潜む本音が浮き 彫りになってくるのではないだろうかむ結論を先取りするならば、おそらくその本音は、 前向きで明るいものばかりではないはずだ。 本論文では、こういったむらの本青についての感度をあげ、むらを主体的に看取るとい むらじましリ、 f まちじましリ う議論も見据えた考察をおこないたいと考えている。近年、 f ということばを自にするようになった。このことば(概念)をめぐってはまだまだ議論の 余地があるが、発展や再生をめざすことに終始する地域づくりのあり方には回収しきれな い志向性があるという点においては、本論文に示唆的である。. 2 . 考察の対象 ローカノレな資源について議論するとき、わたしたちは常にその利用と管理の主体性と向 き合うことになる。それは資源管理の所在を問うということである。むらに入札口一カ ノレな資源をめぐる諸実践を開き書きしていると、個人の行動や想い以上に、「むらとしての 意思」の大きさに気づかされる。つまり、資源の管理は個人的な実践や判断によって成す には限界があるが、そこにむらの規範があることによって、守られでもいるし、反対に制 限されてもいるということであるとしかし、むら主体性を存分に発揮することができた従 来の資源管理を、むらそのものが崩壊の危機にさらされる現代で実践することはやはりむ 4.
(9) ずかしい。では、従来通りにはし功瓦ないということを重々承知のうえで、むらという主体 がいま守ろうとするもの、または、あきらめざるを得ないとみなすこととは侭かむまた、 それを判断する基準や志向性はどこから生まれ、どこに向かおうとしているのか。現代の むらを考察するうえでは、この「あきらめざるを得ない状況のなかで何を志向するのか J ということが重要な間いとなるだろう。 もう 1点、資源との向き合い方を問ううえでポイントとなることは、どのようなむらを 対象とするのかということである。いわゆる迷惑施設の立地や、深刻な環境破壊が進んで、 いる地域社会についての研究は年々充実してきている。それらは日々、社会問題としてマ スメディアによっても広く報道されている。また、資源の利用と管理の持続性が認められ るような場、つまりローカノレな知が生かされているような場についても研究者は多くの関 心を払ってきた。なぜなら、問題が起こっている場も、問題に巧みに対応している場も、 学問的に問う意義が十分にあるからである。うがった見方をすれば、それらの事象が放っ 学問的な意義というある種の派手さにわたしたちは引き寄せられるとも言えるのではない だろうか。しかし、こういったセンセーショナルな問題や目立ったチャームポイントはな いながらも、平凡な暮らしを繰り返しているむらの数は、これまで考察の対象として取り 上げられたむらよりも遥かに多いのではないだろうか。さらに、誤解を恐れずに言えば、 こういった平凡な暮らしが繰り返されている現場には、学問的な魅力を感じない研究者は 少なくないのではないだろうか。なぜなら、資源の利用や管理にたいする「積極的な姿勢 j を見いだしにくいことにある。よって、問題解決型、あるいはそデ、ノレ提示型の視点にたっ 限り、残余範嬬としか位罷づけられない。そこで、本論文ではあえて、このような平凡な むらの日常から、現代の資源管理のあり方を考え、人と資源とのつきあい方を記述したい。 そうすることで、日常的な行動のなかにしみこんでいる負の感覚や言動をすくいあげ、入 と資源とのつきあい方のリアリティを示すことにつながると考える。本論文は、このよう な問題意識からはじまるものである。. 本論文で「ローカルな社会 J という場合、地理的、歴史的、構造的にある程度限定されてい る「むら J としづ生活世界を指すことに加え、一般的に「地方社会 J として表現されるような ものも含まれる場合がある。 2 また、むら/地区/集団という 3つのタームを以下の意味で使用する。 ( A ) むら:自治機能 が備わった家々の集団(集落と向義)。ただし、行政区分(町や村、大字なのとは必ずしも一 致しない。 ( B ) 地区:行政的区分にもとづき、かつ、自治機能をもっ集落。 ( C ) 集団:何らか の何らかの共通点を持った複数のむらの集合体。 とりあげた資源の「総有 J という考え方がこれに当たる。 i. 5.
(10) 6.
(11) 第一撃. 資源管理をめぐる考察の系譜. 1 . 資源管理のモデル 1 .1 資源を問うということ. むらの人びとの生活を成り立たせるための基盤は、そのむらが有する資源にある。そし て、むらの資源には、そこに暮らす人びとをめぐる社会関係が歴史的に堆積している(池 2007)0 よって、むらの資源について考えるということは、むらの生活、特に生産活動. に絡む社会関係を読みとくことにつながる。この点にかんして、たとえば、農村における 水資源を対象とした水利システムを分析した山本早苗は、上流優位が主流とされてきた一 般的な水利システムとは異なる、下流が水の管理責任者となることによって平等な水の分 配が可能となる事例を紹介し、単純な水の手Ij用・管理に留まらない、土地や人びとをつな ぐ社会的な仕組みと水を介した社会関係をあきらかにした(山本 2003)。漁業の現場にお いても問じような例がある。本論文第六章で取り上げるイセエビ刺し鰐漁をめぐるさまざ まなルールは、イセエどとしづ資源、の保全を目的とするというよりはむしろ、地域の生産 活動自体の維持を促すような仕掛けとして存在している。平等性をめざすことを意図した ノレールは、その意図に反して競争心を促す。与えられ、決められた条件のなかで、し、かに 人より多くの水揚げ量となるのかということに人びとの関心が向くからだ. D. このように、. 資源のあり方や資源をめぐるルールを分析することによって、その資源、をめぐる人間関係 や人びとの心情、むらの仕組みが自ずと見えてくる。 資源をめぐってより多くの主体と価値観が絡み合う現場の例として、観光開発の現場を とりあげることもできる。その場合まず、観光産業を展開するための資源が何かという問 いからはじまるだろう。観光開発の資源とみなされるものはいまや、自然環境、伝統文化、 食物など実に多様で、ある。それらのバラエティに富んだ資源とかかわってきた/(今後も) かかわってし、く主体、さらに観光産業そのものがその土地の資源となるプロセスなど、さ まざまな角度から分析が可能となる。その分析から、わたしたちは当該地域の可能性と、 同時に抱えている課題や限界といったものを知ることができる。たとえば、エコツーリズ ムでは、伝統的な生業のなかで資源としてみなされてきた自然環境が、第三次産業(観光 産業)と結び、っき、資源化・商品化されている。この過程においては、その資源の利用・ 管理に携わる人びとの多様性に気づかされる。その土地に暮らしながら従来の生産活動(第 一次産業)を営みつづける者、観光業にシフトした者、外部からの新規参入者(む/1ター ン者や企業など)、さらには観光客といったように、多様な人びとがひとつの資源をそれぞ、 れの角度から認識し、それぞれの目的に沿って行動しているからだ。よって、その多様な 主体同士の関係性、さらに各主体と対象となる資源とのあいだに生成される関係性、とい ?.
(12) ったように複雑で重層的なかかわりのあり方が認められる。当然のことながら、これらの 関係性において車L 駿が生じることも少なくない。したがって、エコツーリズム研究は、観 光産業の展開プロセスの分析に留まらず、観光産業と人びととのかかわりを通じて、その 現場が抱えている問題群やそれらの問題が発生するメカニズムの解明につながるものであ. 9 9 6、吉田 2 0 0 4 ) る(田中 1. 0. このように、むらの資源は、状況や目的に応じた生活基盤であり、人びとの関係性が凝 縮し堆積する場そのものである。換言すれば、資源管理のあり方を具に観察することは、 その資源をめぐる人びとが織りなす社会的な関係性や歴史的背景を紐解くことである。本 論文が、地方社会のいまをとらえるうえで¥人と資源とのかかわりの考察にこだわる理由 はここにある。. 1 .2 資源の「所有J について. 資源管理をめぐる考察のなかでも、環境社会学は、特に土地所有という点に関心を払っ てきた学問分野である。ここでいう土地所有とは、法的な所有ではなく、実態としての所 有を指す。厳密にその内容を記した実定法と、不明瞭で、あることを認めるような慣習(法) とのあいだでは、所有概念の解釈が異なる。資源管理を問ううえで、環境社会学が重視し てきたものは、後者の慣習(法)における所有のあり方である。ただし、「所存 j という概 念は実は、非常に観念的であいまいであり、また慣習的な所有のあり方は暖昧模糊とした r 用/管理Jという 様相を呈している。よって、より具体的に理解しようとするならば、「手j. 実践からとらえることが賢明だろう. G. そこで本論文では、「所有Jということばの使用を極. 力避け、より具体的な実践としての「利用と管理(あるいはそのどちらか一方)Jという表 現を用い、資源、と人とのかかわりについて考察することとする。 総有 j としづ概念の 鳥越は)1本彰の議論を援用しながら、農地の利用と管理における、 f 意義を説明した。まず、鳥越が指摘したことは、先述したような近代法的に登記されてい る土地所有のあり方と、現実的な土地所有とのあいだにみられるズレである。むら社会の なかでは、傭人有の土地には「むらの土地 J という「織掛け j がされているという。つま り、むらのなかの土地は基本的にむらの土地なのだ。そして、そのむらの土地の各地片が 個人のものになっているという発想がむらの規範としてある。このような土地所存のあり 方を「総有j と呼ぶ c 総有に注留する理由は、この「網掛け j としづ発想に加え、共有地 の位置づけにも見出される。総有という考え方のなかでは、個人存と共存の土地がそれぞ れ切れたものとして存在していない. むしろ、それらすべての土地はむらの土地としてつ. 8.
(13) ながっていて、そのうちに「偶人有として「空き j の土地が共有地 j ということになる(鳥 越 1 9 9 7 :7 -針。こういった土地の所存をめぐる二重性や共有地の位置づけを認めるような 9 8 3 ) 0 事例は日本のむら社会に多く見られる()1本 1. このむらの「空き J としての共有地には、むらの構成員が平等にアクセスする資格を持 つ. O. そのうえで、すでにある程度の土地を所有している人は、共有地の利用を遠慮すべき. であり、土地を十分に占めていない人にたいして「優先的に利用権や占有権 J を与えても よいとしづ論理が成り立っている。このような論理がもっ機能として、鳥越は「弱者生活 権 J をあげた。端的に言えば、弱者生活権とは、むらのなかで私有地を持たない、あるい は持っているものの生活には十分ではない弱者が、優先的に共有地の利用が許されるとい うことだ。しかもそれは、施しではなく、「権利 j であるという。 資源管理の目的は第一に、資源そのもののサスティナピリィにある。第一次産業を主た る収入源としてきたむら社会では、資源の持続可能性が安定した生活の確保に度結してい る。しかし、こうした所有観が社会の根底にある日本において、資源を徹底的な公的管理 や完全な私的管理のもとで扱うことが適切とは言えないだろう。なぜなら、それらの管理 体系は画一的な側面を持ち、地域ごとの事情に十分に対応できなし、からである。 このような慣習にもとづいた資源管理のあり方は、近年のコモンズ論のなかで積極的に 取り上げられてきた。その一方で、むら社会においても実定法を第一に参照するような傾 向がみられるこ左も事実である。なぜなら、その慣習の共有に限界が生じているからであ る。つまり、先述した観光産業のように資源の利用に携わるアクターが多様になっている ということだ。日常生活と生産基盤を共存し、互いの顔をよく知り、 2 世代前まで、遡った としても身元や人となりがわかるような社会でなければ、慣習的な資源の利用と管理は成 り立たないのかもしれない。よって、むら社会を牧歌的、理想的に語ることを避けるため にも、総有の現代的な有効性については、これまでの論理を念頭に置きつつ、生じた変化 の内容やその背景について丁寧にフォローする必要があるだろう。 日本の環境社会学は、総有をより現代的な議論として展開することを試みている。その 代表例が、「コモンズ論 j であるむ資源、の利用と管理、そして資源をめぐるさまざまな関係 性を論じるうえで、本論文は「コモンズ論 J の知見を参照している。特に、海外のコモン ズ論とはやや異なる日本独自のコモンズ論に多くを依拠している。そこで以下、日本のコ モンズ論の流れとポイントについてまとめておく. 9. O.
(14) 1 .3 コモンズ概念の広がり. B本におけるコモンズ研究は、『環境社会学研究J第 3号の特集「コモンズとしての森)1 1 .海 J で第一のピークを迎えていた。コモンズとは従来、共有地をあらわすことばであ. ったものの、その後、土地のみならず共有の対象となる資源(海、森、)1 1など)や、資源 の所存にかんする制度についても意味するものとして再定義された(井上 2001 ) こうし 0. てコモンズ概念の定義が多様になることで、より多くの事象を資源管理の議論と結びつけ ることが可能となった。日本でコモンズ概念が学問的に広く関われるようになったきっか けは、玉野井芳郎の. r 地域主義の思想』にあるだろう(ただし、玉野井は「コモン j とい. う語を使用)。. (前略). うと、プライベートとパブリックの間に何かがあるという、どうい. う言葉がいいのか、結局コモンとか 3 ミューンとか、何かそういう共通なものがある んじゃないかという気がするんですよねむ l番重要なものは、土地や水の管理はそう いうもので、国がパブリックな形で抑えることもできなければ、個人がプライベート で処理することもできない。従って地域単位でコモンという形でしか、土地と水とい うようなものは処理できない。(後略) (玉野井 1 9 7 9 : 305 下線は筆者よる). 玉野井は 1970年代後半に、すでにコモンズ的な考え方の存在と意義を指摘していた。 井は地域主義というアイデアを練るなかで、コモンズ的な資源利用と管理について言及し ている。当時、地域主義は、中央政府主体の画一的で普遍的なコントロールにたいし、地 方の重要性や独自性を強調する立場として唱えられはじめていた。それは、地方自治を推 進する声が多く開かれた時代だ、った。玉野井が地域主義を主張するなかでコモン(ズ)が 意識していたことからもわかるように、日本におけるコモンズ研究は、当初から地域の良 治、あるいは口ーカルな生活にかんする考察を見裾えていた. G. 近年のコモンズ研究は、過疎や高齢化によってむらが衰退してし、く現象をも射程に入れ、 むらをし 1かに現代的に再構築するのかという、より実践的な観点から進められている。 ここで、コモンズ概念の生みの親とも言える、生態学者であるハーデ、インの f 共有地の 悲劇 ( T h eTragedy of the Common)J に視点を戻してみたい (Hardin 1 9 6 8 ) この論考の 0. なかで、ハーディンは、共有地において牧夫たちが利益を求めるために合理的な行動をとる ことによって過剰放牧が起こり、その結果として牧草地を荒廃させるという比喰を用いた。 ノ¥ーディンはこのたとえ話から、徹底した公的管理か私的管理でなければ、資源は枯渇し てしまうと主張した。このたとえ話と主張はわかりやすく刺激的であったため、その後の 10.
(15) 資源管理における重要なモデ、ルとして位置づけられてし 1く. G. しかし、上述した玉野井によるコモンズの意味付けとハーディンのそれとは正反対であ ることが分かる。実は、本来コモンズとは、「中世イングランドやウエールズに存在した、 『在地の複数の人間が共有?で慣習的に使用する資源とその管理制度』を意味していた j にもかからず、ハーディンはモデル化の過程で、おおきな「誤読 jをしていた(菅 2 0 1 0 :2 6 5 ) 0 その誤読は、誰でも利用可能な「オープン・アクセス」の空間として資源をとらえてしま ったことに端を発する. o. オープン・アクセスとはそもそも、利用と管理の主体が明確で、は. ない状態のことを指す。そうであるならば、ハーディンは、「共有地」の悲劇を論じたわけ ではなく、むしろその反対で、ある「無主地 J (Feeny et al . 1 9 9 8 ) の状態における顛末を 論じたことになる。共有地とは、利用と管理の主体が不明確な空間ではなし 1からだ. G. しか. し、ハーディンによって提示されたコモンズ像は、インパクトも強く、またイメージしや すかった。こうしてコモンズとして想定される資源管理のあり方は、資源を荒廃させ、場 合によってはグローパルな環境問題を引き起こすという考えのもとで一般化されていった。 このコモンズのモデル化は、さらに公有か私有かとしづ単純なニ項対立的図式のなかで、. 9 9 5 ) 0 資源の利用や管理を理解してしまうことにつながった(池田 1 しかし、このニ分法は現実の資源利用と管理からは大きくかけ離れている。むしろ、実 体としてのコモンズは、悲劇として語られるというよりは、資源、の持続性に注意を払うよ うな社会システムであり、かっ、「喜康I J Jの可能性さえも持つものである。 E .オストロムは、 実託的な立モンズ研究を総括する『コモンズのドラマ(" The D r a r n a of the C o r n r n o n s " )~ を著し、コモンズが資源の崩壊としづ悲劇を生み出すこともあれば、反対に、持続的な利 用という喜劇 (thec o r n e d yofco 附 o n s ) として成り立つことを指檎し、そのコモンズの特 徴を「ドラマ j ということばによって表した ( O s t r o r n2 0 0 2 ) 0 コモンズとし 1 う概念が生きてくる場面は、グローバルな環境問題の現場というよりも、 よりローカノレな社会で、あろう。従来のコモンズ論、特にローカノレなコモンズに注目した議 論は、国家的施策を対抗軸とし、地域住民が実践する「伝統的」な資源管理の仕組みゃ論 理をすくいあげてきた。そのうえで、既存の施策を批判的に検証する視点を提供してきたむ 本論文もまた、むら社会の成り立ちを紐解くなかで、ローカノレな社会の仕組みや資源管理 のあり方について論じようとしているむよって、本論文は資源へのアクセス権が一定の集 団に限定されないような、地域社会や国家を超えた利用・管理主体が想定される「グロー パル・コモンズj を分析の対象からは外し、「管理・利用について集団内である規律が定め られ利用に当たって種々の権利・義務関係が伴っている(中路) W タイトなコモンズ~J を 射程に入れている(井上 1 9 9 7 :1 5 ) 0 すでに述べたが、過疎や高齢化が進んで、いる臼本の. 1 1.
(16) 地方社会では、資源、の利用と管理を実践するアクターが地域住民に限定されない状況を迎 えている c その点を鑑みれば、ローカルな現場にこだわりつつも、国家や世界といったよ り広い現場からもたらされる影響や、それらにローカルな現場が与えるインパクト、さら に外部との交渉プロセスをも視野に入れることが肝要であると考える。こうした視点に立 ちながら、本論文を展開することによって、ローカノレな現場を通じたコモンズ論の鍛え直 しにつなげたい。. 1 .4 モデル化されたローカルノレール. 従来のアカデミックな議論のなかで、生産活動を通じた資源への積極的な働きかけは、 ローカルな知とセットで取り上げられてきた(菅 2006、宮内 2001など)。同時に、資源、 特に自然資源とのかかわりのあり方を、むらのなかで伝承される知恵、として一括りにして とらえることがし 1かに予定調和的かということもまた、指織されるようになった(篠原 1 9 9 2、野地 1 9 9 8 )。. これらの指嬬をふまえ、資源に働きかけるということ・かかわるということについて、 あらためて考えてみたい。まず髄意したいことは、資源にたいして人聞が絶えず働きかけ るということは、簡単なことではないことだ。高齢化や過疎化に悩む社会では、資源管理 の「担い手不足 J が叫ばれて久しい。こうした社会状況で何が起こっているかと言えば、 放置される資源の増加である。山の手入れにしても、磯での作業にしても、決して簡単で 安全なものではない。高齢化や過疎化を抱える社会では、こうした手間暇がかかる場との かかわりをあきらめざるを得なくなっている。こうして人間の手が加えられなくなった自 然はたいてい懸念の対象となる。ときには、自然の放置・管理放棄としてみなされ、管理 主体である「べき J 人びとの無責任さとして(地域の外側から)非難されることもある。 たとえば、その「荒れている J土地で、何らかの事故、地滑りのようなこと、が起これば、 どうなるだろうか。まず、関われることは、管理責任の所在だろうむそうして話題の中心 は次第に、いかに責任を負わずに済ませるのかということにスライドし、誰もがその「場J とのつながりを遮断しようとする事態が生じかねない c わたしたちには、人の手が離れてしまった途端に、その自然を荒れたもの・用済みのも のとして認識する傾向がある. D. このような発想は、岳然を働きかけられる客体としてのみ. 措定することと関係する c つまり、自然は常に受け身の存在であり、自然の主体性という 点は一切考慮、されていないということだ。このような発想と自然の所有観との接点につい て考えてみたい。 12.
(17) 資源をめぐるローカルな論理の代表伊!としては、積極的な働きかけによる自然の維持や、 働きかけの具合によって決定づけられる所有のありょうが挙げられる. G. この論理はわたし. 再生 J や「持続性 j と深く結び、ついていること たちに、働きかけるということが自然の f を意識化させ、高い評価を促す。視点を少し変えてみても、それは変わらない。たとえば、 自然とのかかわり方やかかわる理由を経済的側面に特化せず、楽しみや喜びという観点か 9 9 8、菅 1 9 9 8、家中 1996な らとらえようとする視点(マイナーサブシステンス) (松井 1. ど)もまた、自然を継続的に利用・管理する、つまり積極的にかかわるということが前提 となっている。対象への継続的な働きかけにたいするポジティブな評価は、生活の基盤と なり得るような資源全般に共通する。このような評価は、実際に資源と直接的にかかわっ たり、それらを利用することで生活を組み立てているような人びとよりもむしろ、資源に ついて f資源管理 Jという視点から分析する立場にいる者のなかに根付いてしまっている。 すなわち、資源の持続性は、積極的な働きかけによって成り立つということが、当事者で はないほかの誰かによって、モデル化されているということだ。こうしてモデル化された 論理のなかでは、資源の放置については、マイナス評価されざるを得なくなる。 1 9 8 0年代以降、資源の枯渇や環境破壊などの諸問題をなんとか打開しようと、ローカノレ. な現場に自然環境とのつきあい方の手本が求められてきた。この探求のなかで発見され、 見習うべきものとしてピックアップされた自然環境保全の仕組みは本来、それぞれの土地 で生成、熟成されてきたものである。しかし、図らずも、回有の文脈のなかで繰り出され た知や実践は、「積極的な働きかけ Jという lつの理想濯へと収数されていったのではない だろうか。積極的な働きかけがあるからこそ、さまざまな知や実践が生み出されてきたと いうこと、また、それらの知や実践は積極的かっ持続的な働きかけによって支えられ、磨 かれていくということはいまや、自然環境保全の前提となっている。このような普通的な 規範は、個々の事情を鑑みず、 1つの理想、を前提に自然とのつきあい方(保全)を議論す るアリーナの生成を可能にした。 他方、放置のような価値判断しがたい考え方や行為そのものは、自然とのつきあい方の 論理とは全く異なる棺に位寵するものとしてみなされるようになったのではないだ、ろうかむ とするならば、本論文第四章で示す自然を「放ったらかす」としづ実践は、自然とのつき あい方を議論するに組上には到底あがり得ない。 しかし、人びとの行為を直裁することには疑問を禁じ得ない。むしろ、積極性を重視し た評価のあり方、つまりそヂリングの過程とモデル化された内容について、再考する必要 があることを強調したい。特に、むらの実態や日本の地方社会の生活の「し 1まJ をとらえ るうえでは、積極的とはいえない実践も含めた考察が求められるのではないだろうか。な. 1 3.
(18) ぜなら、国家も地方行政もすでにこの積極性の畏にはまり、そこの視点からのみ施策をお こなっているように見受けられるからである。「再生 Jや「振興 j をキーワードにした地方 社会への助成案などが毎年出され、採択されてし 1く様子からもそれはあきらかである。し かし、実際の現場では想定通りにはし 1かず、それらの施策に振り回されたり、それらがあ らたな重荷としてむら社会を苦しめたりしている状況が多々見られる。よって、わたした ちは、このような「あかるく前向き J な志向性と表裏一体の関係にある「どうしようもな さj や「立ち止まざるを得ない現実 J にも告を向ける i必要がある。どうしようもない現実 のなかで組み立てられている生活のあり方に注目し、そこからの学びと反省をふまえなけ れば、地域の活性化は限定的・表面的なものとなってしまうだろう。さらに、こうした活 性化の波にのれない社会や人びとがいることも忘れてはならない。このように積極性を重 視した論理からは見過ごされたり、切り捨てられたりする存在抜きには、地域活性化を語 ることは不可能といえよう。次節では、社会における「資源化 J と「商品化 J のプロセス を通じて、こうした本来重視されるべきものが罷き去りとなり、ある志向性がイデオロギ ー化してし、く様子について論じることとする。. 2 . 資源化と商品化 2 .1 地域おこしの現場. rooおこし Jということばが一般的に聞かれるようになったのはいつ頃からだろうか。 戦後、日本は国をあげて「豊かな社会 Jづくりを目指してきた。その一方で、大都市の過 密問題と地方(むら)の過疎開題が同時に問題視されるようになった。これを受け、 1 9 7 7 (昭和 5 2 ) 年の第三次全国総合開発計画では就業の機会や所得水準の平均化を図るべく、 都市部に集中している工業を地方へ分散させようとした。その計画は 2度のオイルショッ クの影響を受け、思うようには進まなかった。こうして日本全体が意気消沈するなか、地 方の市町村のなかには中央に頼らない自力の地域の活性化が取り組まれようとしていた。 その典型は、. 「特別町村氏制度 j や「一村一品運動 J などである。これらは、いわゆる. ふるさと運動の一環として 1970~80 年代にかけて爆発的な盛り上がりをみせた。 1985 ( 昭. 和6 0 ) 年の時点で 2 0 0近い市町村が「ふるさと村」として名乗りをあげていたという 2 ( 朝 日新開 1 9 8 5 ) 0 この「ふるさと村」とは、農山村と都市住民との交流を通じ、村の活性化 を図ろうとするむらおこし運動の 1っとして数えられる。小山によれば、ふるさと会員制 度などを通じ、年会費を支払うことで都市居住者を村氏として扱い、宿泊・民宿の斡旋、 体育・文化施設の利用など、種々の便宜を図るふるさと体験と、年に数回特産品を会員(域. 1 4.
(19) 外村氏)へ送るふるさと使が活動の中心となっている。また、ふるさと村運動には全国的 9 9 6 ) な中心母体がなく、各道府県の観光課が広報を担当していることが多いという(小山 1. 0. 高度経済成長を終えた 1 9 8 0年代の日本はちょうど、それまでの都会志向の価値観を転換 させる時期を迎えていた。「住Jを選択することについて論じた菅康弘は、その顕著な例と. J ブームを挙げる。この「田舎 J ということばには、ノスタルジアとオ して「田舎暮らし 3 ーセンティシティに支えられたイメージがつきまといがちである。ふるさと運動における 「ふるさと J ということばもまた、同じような印象を与える。よって、郷愁感や「ほんも のらしさ」を十分に「演出 J することが、ふるさと運動の要となる。なお、総務省と過疎 地域問題調査会が運営するホームページ「交流居住のススメ(全国田舎暮らしガイド)Jに 0 ) 年 8月現在で市町村など 460毘体が登録されている。バブル経済崩壊と は 2008 (平成 2. ともに訪れた f 田舎ぐらし J の第 3次ブームは、いまだに衰えを見せておらず、むしろじ わじわと広がっているともいえるような状況にある。それは、 1つの社会的潮流と言えよ フ. G. 本論文の考察対象であるむら社会もまた、「田舎 J としてとらえられることが常である o f田舎j ということばと向様に「むら Jにも、幻想的なイメージが付与され、 f 忘れられた. 日本 j であるとか「人間らしさを取り戻す場所j というように美化されがちである。ある いは、マスメテ、イアが過疎や高齢化などの社会問題の現場としてむらを報じることによっ て、不便、閉鎖的といったマイナスイメージとともに語られる。 2010 (平成 2 2 )年 、 2011 (平成 2 3 )年に K大学における村落社会学の講義を受講する大学生におこなったアンケー 1のような結果と いによると、「むら J ということばから連想する上位キーワードは表 1. なった。. r 自然j や「つながり j. といったプラスイメージと、「過疎 j や「高齢化 j などの. 社会的に問題視されるようなマイナスイメージの双方がむらということばから連想されて いる。年度ごとに有効回答数の違いはあるものの、両年ともに似たようなことばが連想さ れているのが見でわかる。 このようなむらが持つ二極のイメージとは、地域政策の現場で活かすべき資源(=プラ スイメージ)と、克綴すべき課題(=マイナスイメージ)と震なる。実際に地域おこしに ついて思案するときには、資源と課題とを対比させながら、資源がもたらしてくれる「何 かJ に期待が寄せられ、過疎や高齢化はどうにかして解決すべき課題としてみなされる。 マイナスイメージとして連想されるものが問題化され、こうした社会問題に抗うことが、 地域おこしの大前提となり、誰も疑うことのない普遍的な課題として再定位される. G. しか. し、地域の活性化がむらの第一の課題ではない地域もあるのではないだろうか。あるいは、 活性化を実施するマンパワーが不足していて、どうしようもないという地域もあるだろう。. 1 5.
(20) にもかかわらず、これらの地域にたいしでもこの普遍的課題が一律に課せられてしまう傾 向がある。. 表1 1. r むら j を連想するキーワード. ( K大学における 2 0 1 0、2 0 1 1年度のアンケート結果より) 2010. 1位. 田舎. 2位 過練(化) ~ 3立 イ 田知 4位 (少子)高齢化; 5伎 つながり 6位. 共同体. 7位 農業 8位 自然 9位. 山(農山). 3 2 2 E. 2 0 1 1 92回知. 34. 7 1 田舎. 25. 6 1 山(霊山). 1 8. 60(少子)高齢化;. 1 7. 52つながり. 1 5. 471 1 1. 1 3. 4 1 自然. 1 2. 39過謀(化). 1 2. 3 1直業. 1 0. 活性化が推進されている現場では、活性化の具体的な内容が暖味だ、ったり、経済の活性 化一辺倒であることが少なくない。こうした状況でも試行錯誤しながら、前進できる地域 社会もあるだろうが、残念ながら、そこで暮らしている人びと(大半は高齢者)のやる気 がそがれてしまうケースもある。東北地方で活動する、保健師 Aは自らの活動や暮らしそ のものを通じて、実感として描く地域社会について次のように述べた。. 高齢者にとっては地域活性化なんてどうでもよいことで、やる気ないわけじゃあない んです。. よき日を 撲かしみ、仲間はずれにならないように配慮、し地域での役割を J. 果たす。日々体力が低下し、病気ともつきあい、病院・買い物も大変なんです。. 5. これは、まさに現場の声そのものであり、地域おこしを現実的に考えるうえで非常に示唆 的である。こういった生の声は、地域活性化がブームのように巻き起ころうとしたときか ら、すでに聞かれていたはずにもかかわらず、その声に十分に耳を傾けてきたとは言いが たい。. rooおこし J ブームが起こってから、数十年が経過している現在においても、地域を 「興す j としづ発想、はその後も大きな転換を迎えることなく、継続している。本論文の対. 1 6.
(21) 象地である三重県度会郡相賀浦地区8は近年、 2度、回が出資する地域活性化関連のプロジ ェクトに採用され、助成金を受け取っている。 1度臣は、内閣府が提案、募集した「全国 7 ) 年度採択分として、 2度自は、 2009 (平成 21 ) 都市再生モデ、ノレ調査 7J の 2005 (平成 1. 年度に国交省による市新たな公』によるコミュニティ倉IJ生支援モデル事業勺としての採 択である。いずれのフ。ロジェクトも、地域の自発性が重視されているが、実際には地区外 からの提案を受けて応募したという経緯がある九さらに、 2つのプロジェクトともにコン サルタント的立場としてかかわった地域外の人びとが存在する。 1度巨のコンサノレタンテ イングへの報醗は、支給された助成金の約半分だ、った。つまり、地域おこしはいまやピジ ネスの lつとなりつつある。 次に具体的なプロジェクト内容について見ておく. o. 1度目のプロジェクトでは、「高齢者. の知恵を生かした伊勢の南玄関地域の「交流・継承・体感 j 事業 J の展開が試みられた。 取り組みの概要としては次のような内容である。. 相賀浦が将来に向けて存続して行くにあたって、解決しなければならない課題を解決 し、地区を再生するに最も必要なもの(原点となるもの)は、相賀滞に「コミュニテ ィ(連帯)J と「自信 j を取り戻すことであると考え、本調査はそのための「きっか けづくり. j. と位置づけ、「連帯と自信 J を取り戻すに最も地区住民が共鳴できるもの. を具体化することとしました。地域の若者と高齢者が協力し合い、相賀浦田有の歴 史・文化・伝統を掘り起こすこと、これが地域の高齢者の精神的な再興に繋がり、ま た若者の郷土愛、自らの地域のへの良信に繋がると考え、本調査を全閥、実施してい ます。(地区作成の資料・・年慶より、下線筆者). 下線部分にあるように、まず、住民がむらの魅力や財産として誇ることができるものの掘 り起しがおこなわれた。その結果にもとづき、 3つのイベントが立案、実行された c その 3 っとは、1)浜辺での観月と俳句の会、 2 ) イセエピ網漁体験と平家ゆかりの場へのハイキ ング、そして 3 ) 竃方 10の弓引き神事である。つまり、相賀地区においては、浜辺、イセエ ピ網漁、竃方という 3つが地域活性化の資源としてみなされたのである。奇しくも、本論 文が取り上げる事例もこの 3つの資源に対応している. これら 3つのイベントは地元メデ. ィア(新開・ケーブルテレピ)でも積極的に広報された。また棺賀浦地区側も、俳句やハ イキングへの参加者をむらの外からも募るなどし、むらの外とのつながりを重視していた。 実際、ハイキングではむらの中よりも外からの参加者が多数を占めた。 ただし、一時的な地域活性化に終わらせないようにするためには、これらのイベントは 17.
(22) あくまでもむらの人びとのためにおこなわれる必要があった。棺賀浦地区は、都市部から の交通の便がよくない c 近くに鉄道はなく、最寄り駅から公共交通機関(パス)を使えば、 2 時間近くを要するむ大規模な観光開発が期待できる土地ではない。ゆえに、第一次産業. が下火になりつつあるいま、「活性化 J ということを思案しなければならない状況にある. g. ただし、むらの人びとが自認する、むらのよさ=資源の価値を他者に伝えることは、実は 容易で、はない。イセエピを食べたいという人はたくさんいるだろうが、持、を体験したいと いう人は多くはないだろう。浜辺での月見というと風'情があるよう聞こえるが、実際夜の 浜辺は明かりが全くなく、湿気も多いため、快適に過ごすことができる場所では決してな い. G. そのうえ、浜辺は砂浜ではなく、磯も混ざっていて長時間腰を下ろすには適していな. いのだ。確かにこのイベントを通じてむらの人びとは、「行事が多くて今年は大変だ j と いながらも、生き生きと活動していた。その点においては、地域活性化の本質をついてい たとも言える。 しかし、それらすべてを継続させるだけのインセンティブはなかった。特に漁の体験や ハイキングなどは、費用や入手がかかる割には、得られるものの実感がなく、継続するこ とがむずかしかったとし、うむ弓引き神事は助成金を受けた年こそ、盛大におこなわれたが、 その後は、やはり従来の規模に戻った。 地域の「資源 J の掘り起こしは、全国各地でおこなわれている。この資源の掘り起こし は、地域社会にとって必要不可欠なこと、有意義なことのように映る。しかし同時に、地 域の生活と歴史のなかから残すべきものとそうではないもの、守るべきものとそうではな いものを大胆にも峻別してしまっているということにも十分に気付かなければならない。 たとえば、文化財保護法をみてみると、わかりやすいだろう。文化財として登録されると いうことや歴史博物館のような公的な場で紹介/展示されるということは、それまで、そ れぞれの集団や土地ごとに意味づけされていたものが回収され、学術的な意味や公的な文 脈のなかに埋め込まれるということを意味する(荻野 2002) 0 つまり、地域的、個人的な 意味が失われてし 1く過程でもあるのだ。 保全や保護を地域政策の主斡とすることを否定はできない。大規模な開発事業の代償と して、多くの自然が汚され失われ、地域生活が一変したというこれまでの経験を振り返っ てみれば、自然を守ろうとしづ運動や歴史を受け継ごうとしづ意識は、むしろ歓迎すべき ことだと言えよう。 しかし、地域社会の現実と向き合うためには、もう lつの間いを発しなければならない。 観光と環境をテーマに、都市と地方の関係性や環境を生かす観光の理論について論じた古 )1彰と松田. 「かけがえのない自然を破壊し地域生活自体を危機に路れるこうした関. 1 8.
(23) 発プロジェクトを、なにゆえに地域は呼び入れたのだろうか J と照しゅ瓦けている(古川・ 松田 2 0 0 3 :3 )。そして、「私たちは、このマクロな構造的選択に対して、地域生活者がい. だく微細な思いと実践に注目する必要がある J (向上:4 )と主張する。つまり、たとえ不幸 な結果を招いたとしても、地域社会がそれを受け入れるということを「主体的に j 選択し たと考えるならば(強し 1 られた可能性はあるにしても)、選択肢のない受け身の「客体 j と しての地域生活者ではなく、(おそらく)苦渋の選択をした「主体」として位置づけるべき であるということだ。 上位行政からの「推し J によってプロジェクトに応募した経緯や、助成金の 50 切をコン サルタントに支払ったことは、受け身の姿勢としてわたしたちには映る。確かに、本論文 の対象地に暮らす人びとは、活性化プロジェクトを通して得られる経済的な成果や持続的 な展開にたいして大きな期待は寄せておらず、そこに積極的な主体性を見出すことは容易 ではない凸しかし、当時の人びとの動きや心の持ちょうを了寧に見ていくと、それぞれの できる範囲で主体性を発揮し、これらのプロジェクトの成功を願う姿が見えてくる。よっ て、一見すると他者には伝わりにくいような、地域活性化のブ。ロセスや事情を解き明かす ことは、地域社会の現実をとらえ、地域活性化そのものについて照い直すことにつながる のではないだろうか。地方社会を歩いていると、地域おこしや環境保全の前線からは退い ているかのように見える地域も増えつつあり、文化財認定が「誇り Jから「重荷 J に変わ ったという話も耳にすることがある[[地域おこしとは前向きで積極的な思想・実践とし て束ねられるものではない。混沌とした状況、入り組んだ事情が、その背景にある。たと えば、原発を誘致するという「悪夢の選択 j をしたケースと、日常のなかでさまざまなも のを徐々にあきらめ手放していくというケースは、同じような文脈で議論できないように も思える。しかし、「選択の背景 j を省察するという点では実は連続的にとらえることがで きるかもしれない。短期的な欲求の充足を重視し、長期的なリスクを甘受したと判断され た社会は、その後、し功¥なる問題を抱えようとも「告己責任j という名のもとで、置き去 りにされてしまう。同様に、資源とのかかわりに距離を龍くと、その後、何があったとし ても地元がきちんと管理していなかったからだと糾弾されてしまうのだ。地域の決断は、 より大きなイデオロギーに覆い隠され、軽視されてしまうというこの現実を再考するヒン トはどこにあるのだろうかむ次に、「文化的資源 j という観点、から、この課題について考え てみる。. 1 9.
(24) 2.2 保存至上主義 近年、文化の母体である地域社会の規範も大きく変わりつつあり、それぞれの社会に根 ざし継承されてきた文化が従来の制度や志向性のなかで維持することが難しい状況に置か れていることは、罵知の通りである c このような f 文化が変化せざるを得なしリ状況に注 目する研究は少なくない。特に、地方社会に焦点を当ててみると、第一次産業が衰退し、 生業という観点から、当該地域の生活をとらえることが難しくなってきた今、生業という 社会をとらえる視点、は、これまで以上に、社会関係や年中行事といった他の切り口とのリ ンクを強めている. な か で も 、 「 お 祭 り 法 の 制 定 ( 19 9 2 (平成 4 ) 年)や文化財保護の. 機運、さらに、地方社会が疲弊する様子への警鐘とそこからの脱出を目論む各種地域活性 化 法 13の制定などの政策的な動きからの影響もあり、伝統的な祭りへの注目は高まりを見 せている。このように国家の政策からの影響を受けつつ、それぞれの現場が抱える事情と 結びつきながら、地域の生活や文化は変化の時を迎えている。本項では、このような地域 の文化が変化する状況が、どのように考察されてきたのかということについて整理してお きたい。 まず、伝統的な祭りと観光との出会い、あるいは、地域活性化という局面を迎えた社会 における伝統的な祭りの再評価をとりあげる議論がある。この議論の主眼は、観光化や地 域活性化のツールとしてローカルな文化を外に向けて「高品化 J するという動きと、従来 の担い手たちが意味を持たせ. 楽しんできた祭りが、見せるための祭り/演じられる祭り. へと変化してし 1く様子の分析にある。これらの議論は、担い手たちが祭りを通して達成し たいこと、いわば、目的の変化の議論として理解することができる。祭りの目的がスライ ドしてし、く状況への研究者の注目は高く、祭りが観光化/見世物化することを「継承すべ き本質の消滅 J (茂木 1 9 9 2 ) と批判するものもあれば、反対に、それを機に祭りへの注目 やかかわる人びとの意識が高まり. J伝統文化の再帰的創造の機会が生まれる J(森田 1990、. 橋本 1 9 9 9、足立 2000、2004、芝村 1 9 9 9、中野 1 9 9 6、2 0 0 3 ) と評価する考察もある。さ らに、伝統文化の再帰的創造は、地域の活性化の契機となるだけではなく、集合的なアイ デンティティの供給という意味においても、注目されてきた(足立 2 0 0 4 ). 0. 南アジア系移民社会の文化のあり方を問うなかで、関根康正は、このように伝統文化が 再評価される現象を「パッケージ化 J の議論としてとらえ、その方向性を大きく 2つに分 け、整理している。 1つは、「口ーカノレな文脈に埋め込まれて伝承されてきた知識を、資本 が産み出す商品に仕立て上げるような資本主義的標準化作用 J としての「上からのパッケ ージ化 Jであり(関根 2 0 0 7 :2 21)、もうひとつは、社会的マイノリティ(たとえば、移民) が工夫し自分たちの「生きられる空間 j を創出するための「手作りの運動 J (向上. 20. 2 3 0 ).
(25) としての「下からのパッケージ化 Jである。このパッケージ化の議論は、文化の変化その もの、または、その変化への対応が、いつ、誰の手によって整えられているのかという変 化の主体性をめぐる聞いを投げかけているの 多様なローカノレ文化の商 上からのパッケージ化の例としては、再帰的近代化のなかで、 f Iまれた悲劇的な歴史や記櫨で、さえも 品化 j が進んで、いること、さらに「ローカノレの地に亥J. 2 2 ) 0上 その地への観光旅行という形で市場化している J ことが指摘されている(同上: 2 からのパッケージ化は、その過程で経済発展などの波及効果をもたらす. G. その意味におい. ては担い手、つまり、当該文化を実践し、継承してきた人びとの志向と反するものではな い。しかし、たいていの場合、文化を担い手から切り離し、商品として切り売りする行為 であるとみなされ、好意的には評価されない。 観光資源となった郡上踊りを例に「地元の踊り離れ J を考察した足立は、宮本常ーの議 パッケージ化 Jに至る前の「楽しみある=望ましき民俗芸能が“そもそ 論を援用しつつ、 f. 0 0 4 :8 5 ) であること指摘している。さらに、「当の伝統文化 も本来あるべき姿勺(足立 2 について“地元住民はいったい何を望んでいるのか勺を問い、〈今・ここ〉においてくみ 上 げ ら れ た げ ア リ テ ィ J としづ性格を有Jすることの意味を強調した(向上:86)0 たと え、上からのパッケージ化のなかに当事者の主体性があることを確認できたとしても、そ れは、強いられた主体性に過ぎず、当事者が引き受けるリアティ抜きには、「あるべき姿j は具体化されないということである. G. 他方、下からのパッケージ化は、担い手ベースの志向性であり、当事者の手から離れず に実践可能であるという点において歓迎される。関根は、下からのパッケージ化が目指す ところは、脱パッケージ化であると強調するむ脱パッケージ化とは、「自分にとってよそよ そしいものを親密なものに飼い慣らし招きょせることで生きられる生活空間を構築するこ とJ であり、「戦略的なパッケージイじだという(関根 2 0 0 7 :2 3 9 ) 0 この「戦略的パッケ ージ化 j と し 1 う実践は、「他者 Jから押し付けられるものではなく、担い手側が用意した選 択肢の 1っとして理解できる。よって、文化継承の選択肢をめぐる課題は、クリアされた かのように見える。 ただし、同時にもうひとつの課題も見えてくる。それは、「保存 J としづ行為や考え方に つきまとうジレンマとでも言うべきものである。文化を引継ぎ実践する者たちの存在を守 るものとして位置づけられる「下からのパッケージ化 J においても、パッケージ化の対象 となる地域の文化や知は、それを可能とする前提を「保存 j に見出している。生きられる 空間の創出や、担い手たちの視点にもとづいた文化のあり方の模索をめざしていたにもか かわらず、保存することそのものに重きが置かれ、保存そのものが一連の実践の自的へと. 21.
(26) すりかわっていくことが少なくない. つまり、保存という志向性そのものが、すでにイデ. G. オロギー化しているということである。この点には、植田今日子の論考が示唆的である(植. 0 0 7 ) 植田は、過疎化が進む集落における民俗舞踊の保存をめぐり、「維持 Jすればす 田 2 るほどよいとしづ素朴な継続至上主義を指檎するとともに、「維持 j と「公開 j を奨励する 文化財に内包されるイデオロギー性を「保存のイデオロギ -J (向上:14) とし、批判的に 検討したむ植田は、継続至上主義、あるいは保存のイデオロギーの反証として、文化財と しての保護を拒否し、自ら幕を引くとしづ期眼付きの文化の維持を目指す例を提示し、 い手のもとを離れない地域の文化のあり方をあきらかにした. D. この例は、担い手の志向の. 多様性を示すとともに、自前の選択肢の重要性を強調している。 地域の社会基盤が脆弱になれば、担い手たちは「地域がおかれている状況を熟慮し、な んらかの対応が必要であると判断すると、いくつもの選択肢を用意しはじめる。(中路)そ のなかで、彼らの生活の便宜にしたがって、 lつあるいは複数の選択肢が浮上し、その実 現に向かつて動き始める J (吉川・松田 2 0 0 3 :2 4 )。ここで指摘される「複数の選択肢j に は、活性化というアクティブなものだけではなく、先の植田の事例にあるような「幕を引 くJ といったものも含まれる。地域の文化の変容をとらえようとするとき、あきらめる・ 手放す・停止するといったことも含んだ文化との向き合い方をめぐる選択肢が論点となる はずである。にもかかわらず、「どのようにして文化を保存するのかj が唯一の課題である かのように担い手たちも、また、それを「外部」から支援する俣j rも思い込んで、しまいがち ではないだろうか。植田の例にあるように、他者や社会の手を借りて保脊することを選択 せず、最後まで見届け、自ら幕を引くという担い手の論理に基づいた文化との向き合い方 も当然、 lつの選択肢として存在する。 こういった志向性は一見「後ろ向き J な様相を呈しているからか、積極性を重視したこ れまでの諸研究において十分に論じられてきたとは言い難い。しかし、文化財として保存 するという考え方や、観光化、地域活性化としづ文脈とも距離を置くということは、担い 手たちの大きな決断の末に起こったことであり、そこには「前向き j な想いが込められて いる可能性がある。視点を変えれば. 消極的・拒否的に見える態度にこそ、担い手たちの. 試行錯誤のフ。ロセスや選択肢の多様性が詰まっているととらえることもできる。にもかか わらず、これまでの文化の維持をめぐる議論のなかでは、文化を実際に引き受けている人 びとを文化継承運動者かのように一律にみなし、アクティブで強い担い手像として描いて いたのではないだろうか。 植田が提示した保存をめぐる葛藤という視点に寄り添いつつ、文化の担い手不足が進む 社会のなかで、いま残っている担い手たちが文化とどのように向きあうことを望んで、いる. 2 2.
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