日本人の文字生活史序章 : 漢字の伝来と定着(奈良時代まで)
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(2) ( 78 ). 日本人の文字生活史序章. 3 中 世 前 期 ︵ 鎌倉 時代 ︶ 4 中 世後 期 ︵ 室 町時代 ︶ 5 近 世 ︵ 江 戸時 代 ︶ 6 近 代 ︵ 明 治 o大 正 ・昭和 [ 前 ・中 期 ∪ 7 現 代 ︵ 昭和 後 期 ・平 成 ︶ そ れ ぞ れ の時 代 の文 字 生 活 の特 色 を 簡 単 に示す と 、 次 の通 り であ る。 1 古 代 前 期 文 字 の獲 得︱ ︱ 漢 字 の伝 来 漢 字 の定 着 万 葉 仮 名 の発 生 2 古 代 後 期 仮名 ︵ 片 仮 名 ・平 仮 名 ︶ の発 生 国字 ︵ 日本 製 漢 字 ︶ 3 中 世 前 期 仮 名 遣 問題 の発 生 4 中 世後 期 ロー マ字 の伝 来 寺 子 屋 教育 は じ ま る 5 近 世.
(3) 敏 直 田 西 ( 79 ). 出 版 が盛 行 す る 寺 子 屋 教育 発 達 神 代 文 字論 6 近 代 印 刷文 化 新 聞 ・雑 誌 盛 行 義 務 教育 国字 問 題 国 語 運 動 起 こる 7 現 代 コンピ ュー タ、 ワ ープ ロ盛 行. 右 のよう な 展 望 を 持 ち つ つ、本 稿 では 、奈 良 時 代 ま で に お け る 漢 字 の伝 来 と 日本 人 の文 字 生 活 への定 着 の種 々. 相 、 そ の中 か ら 発 生 し てく る 万葉 仮名 の問 題 、文 字 への呪 術 的 な 信 仰等 の問 題 に ついて述 べる こと と す る。.
(4) (80) 日本人の文字生活史序章. 古 代 前 期 の文 字 生 活 一一. 戻字 の伝来 日 一. 日本 には、固有 の文字 がなか った。 八〇八年 ︵ 大同三年︶ に斎部廣成は ﹃ 古語拾遺﹄ の序 に、次 のよう に記し て いる 。. 蓋 聞 、 上 古 之 世 、未 有 文 字 。 貴 賎 老 少 、 日 口相 伝 、前 言 往 行 、存 而 不忘 。 書 契 以 来 不好 談 。. 日本 の記 事 を 載 せ る中 国 の史 書 に は 、 成 立 年 代 か ら 見 て、 三 世 紀 の ﹃ 三 国 志 ・魏 志 ・東 夷 伝 ﹄、 五 世 紀 の ﹃ 後漢. 書 o東 夷 伝 ﹄ には 、文 字 に つ いて の言 及 が全 く な い。 七 世紀 の ﹃ 隋 書 ・東夷 伝 ﹄ に、次 のよう に記 さ れ て いる。 無 文 字 、 唯 刻 木 結 縄 、 敬 佛 法 、於 百 済 、 求 得 佛 経 、始 有 文 字 。. 漢 字 の伝 来 に つ いては 、 ﹃日本 書 紀 ﹄ 応 神 天皇 十 六年 春 二月 の条 に、次 のよう にあ る。 王 仁 来 之 、 則 太 子蒐 道 稚 郎 子 師 之 。 習 諸 典 籍 於 王 仁 、 莫 不 通 達 。 こ のと こ ろを ﹃ 古事 記 ﹄ では 、. 又 科 賜 百 済 国 、若 有 賢 人 貢 上 、故 受 命 以 貢 上 人 、名 和 迩 吉 師 、 即論 語十 巻 、 千 字文 一巻 井 十 一巻 、 付 是 人 即 貢 佳一. と 記 し て いる 。. ﹃ 隋 書 ﹄ に記 さ れ た 仏 教 の百 済 か ら の伝 来 に つ いては、 ﹃日本 書 紀 ﹄ 欽 明 天皇 十 三年冬 十 月 の条 に. 百 済 聖 明 王 要磁、 遣 西 部 姫 氏 達 率 怒 悧 斯 致 契 等 、献 釈 迦 仏 金 銅 像 一躯 ・幡 蓋 若 干 ・経 論若 干 巻.
(5) 田 直 敏 西. (81). と あ る。. し か し な が ら 、 周 知 の如 く 、 漢 字 は こ の時 に伝 わ った の では な い。 ﹃ 後 漢 書 ﹄倭 伝 の、建 武 中 元 二年 、 光 武 帝 が. ﹁ 賜 以 印 綬 ﹂ の印 は 、 これま た 有 名 な ﹁ 漢委 奴 国 王﹂ の金 印 と し て現 存 す る。 こ の印 字 を 漢 字 と し て認 識 し た か 否. か に つ いては 、 中 国 に外 交 使 節 を 送り 、 そ の文 物 、文 化 を 見 聞 し て使 節 が帰 ってく る以 上、 奴 国 の王 の宮 廷 では 、. 文 字 の認 識 があ った と 考 え る べき であ る。 ま た 、 ﹃ 魏 志 ﹄倭 人 伝 に、 明 帝 景 初 三年 ︵ 二三九 ︶ に卑 弥 呼 は 、 詔 書 、. 印 綬 を 給 わ り 、 使 者 に因 って上 表 し詔 恩を 謝 し て いる。 こ のこと は 、卑 弥 呼 の使 者 大 夫 難升 米 ら 一行 には 、 中 国 語. を 話 す 人物 、 中 国 語 が読 め る 人 物 が いたと 思 わ れ 、 ま た、 明 帝 の詔 書 に応 え て ﹁ 上 表 文﹂ を 書 け る人 物 が いた こと にな る。. 貿 易 ・通 商 と いう こと では な く 、 政治 ・外 交 に お いて、漢 字 は 、 中 国 語 の文 字 と し て、 日本 にも た ら さ れ た 。 従 って、 そ の文 字 には 、特 に印 に は 政治 的 権威 の重 みと 輝き があ った と 考 え ら れ る。. 日本 にお け る漢 字 の最 初 の使 用 が い つであ るか が、 近年 の開発 に伴 う 発 掘 調査 によ って、次 々と 新 発 見 の発 表 が. 行 わ れ て いる。 一九 九 八年 に は 、 三重 県 安 濃 町 の大 城 遺 跡 か ら 出 土 し た 二世 紀 前 半 の土 器 片 に ヘラ書 き さ れ た ﹁ 奉 ﹂ と 読 む こと が でき る文 字 が 現在 のと こ ろ最 古 のも のであ ると さ れ た 。. 0 日本 で書 か れ た漢 字︱ ︱ 五、 六 世紀︱ ︱. 一九 八 八年 一月 に発 表 さ れ た 千 葉 県 市 原市 稲 荷 台 出 土 の鉄 剣 に ﹁ 王 賜 □ □ 敬 □﹂ の銘 のあ る こと が発 表 さ れ 、 五. 世 紀 半 か後 半 と さ れ た 。 これ よ り 前 、 一九 七 八年 には 、埼 玉 県 行 田市 の埼 玉 古 墳 群 の稲 荷 山 古 墳 か ら 出 土 し た 鉄 剣 に、次 の銘 文 が 見 出 さ れ た 。.
(6) (82) 日本人の文字生活史序章. 辛 亥 年 七 月 中 記 乎 獲 居 臣 上 祖 名 意 富 比 坑 其 児 多 加 利 足 尼 其 児 名 三 己 加 利 獲 居其 児 名 多 加 披 次 獲 居 其 児 名 多 沙 鬼 獲 居其児 名 半 三 比 ︵ 表︶. 其 児 名 加 差 披 余 其 児 名 乎 獲 居 臣 世 々為 杖 刀 人 首 奉 事 来 今 獲加 多 支 歯 大 王寺 在 斯 鬼 宮 時 吾 左 治 天 下令 作 此 百 練 利 裏︶ 刀記吾奉事 根 原也 ︵. 右の ﹁ 獲 加 多 支 歯 大 王﹂ は雄 略 天皇 と 解 さ れ て いて、 ﹁ 辛 亥 年﹂ は 四七 一年 と さ れ て いる。. こ の鉄 剣 の銘 文 の発 見 によ って、 熊 本 県 玉名 郡 菊 水 町 の江 田船 山 古 墳 出 土 の太 刀 の銘. □ 因 下猿 □ □ □ 歯 大 王 也 、 奉 □ 典 曹 人 名 元 □ 三 、 八 月 中 、 用 大 銃 釜丼 四 尺達 刀 、 八 十 練 六 十 据 三 寸 上 好 拍. 刀 、 服 此 刀 者 長 寿 、 子孫 注 々得 三恩 也 、 不失 其 所 統 、 作 刀者 名 伊 太 日、書 者 張 安 也. にお け る ﹁ 獲 □ □ □ 歯 大 王﹂ が 従 来 読 ま れ て いる ﹁ 弥 都 歯 大 王﹂ 即 ち 反 正 天皇 では な く 、雄 略 天皇 に改 め ら れ た 。. 雄 略 天皇 は 、 ﹃ 宋 書 ・倭 国伝 ﹄ の ﹁ 武 ﹂ であ る。 順 帝 の昇 明 二年 ︵ 四七 八︶ に使 を 遣 わ し て上表 文 を 奉 った 。. 封 国 偏 遠 作 藩 千 外 、自 昔 祖 禰 男 操 甲 冑 、 跛 渉 山 川 、 不 違 寧 処 、 東 征 毛 人 五 十 五国 、 西 服 衆 夷 六 十 六 国 、 渡 平 海. 北 九 十 五 国 、 王 道 融 泰 廓 土 還畿 、 累 葉 朝 宗 不 葱 千歳 、 臣 雖 下愚 恭 胤 先緒 、 駆率 所 統 、帰 崇 天極 、道 遥 百 済 、 装. 治 船 肪 、 而 句 騒 無 道 、 欲 見 呑 掠 抄 辺隷 、虔 劉 不 已 、毎 致 稽 滞 、 以 失 良 風 、雖 日進 路 、或 通或 不 、 臣 亡 考 済 、 実. 盆 寇 離 奎 天 路 、 控 弦 百 万義 声 感 激 、 方 欲 大 挙 、奄 喪 父 兄 、使 垂 成 之 功 不獲 一費 、 居在 諒 間 、 不動 兵 甲 、 是 以 恨. 息 未 捷 、 至 今 欲 練 甲 治 兵 、 申 父 兄 之 志 、義 士 虎 貢 、 文 武 数 功 、 白 刃 交 前 、 亦 所 不 顧 、若 以 帝 徳 覆 載 、 擢 此 彊 敵 、 靖 方 難 、 無 替 前 功 、霜 自 仮 開 府 儀 同 三 司 、 其 余 成 仮 授 、 以 勧 忠 節. 雄 略 天皇 の宮 廷 には 、 こ のよう に堂 々と し た る中 国 文 を 書 け る 人 物 が いた 。 江 田船 山 古 墳 の太 刀銘 の筆 者 張 安 は. 朝 鮮 半 島 か ら の渡 来 人 であ ろう 。 刀 鍛 冶 伊 太 □ 、 稲 荷 山 古 墳 の太 刀 名 にあ る獲 居 臣 、 以 富 比塊 、多 加 利 足 尼 、 三 己. 加 利 獲 居 、多 加 披 次 獲 居 、多 沙 鬼 獲 居 、半 二 比 、 加 差 披 余 と いう 人 名 は 、仮 借 の方 法 で、 漢 字 の音 のみを 用 いて書.
(7) 敏 直 田 西. (83). か れ たも の で、 万 葉 仮 名 では な い。 剣 と 銘 文 は 、 雄 略 天 皇 の上表 文 の通 り に王権 の支 配 下 にあ る こと を 示 す も の であ る。. 日本 で作 ら れ た 漢 字 の遺 物 には 、太 刀銘 のほ か 、 鏡 銘 、 土 器類 に刻 ま れ たも の、 墨 書 さ れ たも のな ど があ る。 鏡. の銘 には 、 中 国 鏡 を 模 倣 し て作 ら れたも の ︵ 傍 製 鏡 ︶ の中 には、 工人 によ って十 二支 を 誤 ったも の ︵ 奈良県 北葛 城. 郡 新 山 古 墳 出 土 、 方 格 四神 鏡 ︶、文 字を 誤 った も の ︵ 佐 賀 県 東 松 浦 郡 谷 口古 墳 出 土 、 三神 三 獣 鏡 ︶ な ど が あ る こ と か ら 、 日本 の工人 が漢 字 を 図柄と しか 考 え て いな か った た めと 言 わ れ て いる。. が 、 鏡 の銘 の全 てが 間 違 って いるわ け では な い。卑 弥 呼 が魏帝 に与 え ら れ た 鏡 か と いう 景 初 三年 と 記 さ れ た 三角. 縁 神 獣 鏡 に は 、 景 初 四年 と な って いるも のがあ り 、 改 元を 知 らな か った 日本 で作 ら れ たも のかと さ れ て いる。 が 、. 四世 紀 後 半 ︵ 三 六 三年 ︶ には 、 百済 国 か ら の奈 良 県 石上 神 宮 の七支 刀 の銘 文 や和 歌 山 県 隅 田八幡 宮 の人 物 画 像 鏡. そ の銘 文 は 渡 来 人 に よ つて書 か れ たも のであ ろう 。. 銘. 癸 未 年 八 月 日十 大 三 年 幼 弟 王 在意 紫 沙 加 宮 時 斯 麻 念 長 奉 遣 開 中費 直 械 人 今 州 利 二人等 所白 上 同 三百 早 所 此 克 があ る ︵ 癸 未 年 は 四 四 三年 説 、 五 〇三年 説 な ど あ る︶。. 中 国 語 の文 字 であ る漢 字 は 、朝 鮮半 島 を 経 由 す る中 国と の往 来 、中 国 の漢 字 文 化 の洗 礼 を受 け 、 既 に漢 字 文 化 圏. に属 し て いた朝 鮮 半 島 特 に百 済 と の密 接 な 関係 によ って、 日本 に伝 来 し た 。 文 物 と とも に人も 渡 来 し た 。 漢 字 が伝. わ れ ば 、当 然 、 そ の読 みと意 味 と が問 題 にな る。 日本 語 への翻 訳も 行 わ れ た に違 いな いが 、 そ の痕 跡 はま だ 見 つか って いな い。. ﹃日本 書 紀 ﹄ 雄 略 天皇 紀 七年 に百 済 か ら 献 ぜ ら れ た ﹁ 手 末 才伎 ﹂ に住 み所 を 与 え た 記事 に、 ﹁ 訳 語卯 安 那﹂ が 見 え 訳 語﹂ は ﹁ 通 訳 ﹂ であ る。 る。 ﹁.
(8) (84) 日本人の文字生活史序章. これ よ り 先 、 ﹃日本 書 紀 ﹄ 履 中 天皇 紀 四年 には 、 ﹁ 始 之 於 諸 国 置 国史 、 記言 事 達 四方 志﹂ と あ って、諸 国 の情 勢 を. 記 録 す る こと が 始 め ら れ て いる。 こ の文 章 は 中 国 の杜 預 の ﹃ 春 秋 左 氏伝 序﹄ の ﹁ 周 礼 有 史 官 、 掌 邦 国 四方 之 事 、 達. 四方 之 志 、 諸 侯 亦 各 有 国 史 ﹂ 等 によ って いる。 津 田左 右 吉 は ﹁ 国﹂ と いう 行 政 区 画 の定 め ら れ た 大化 改 新 以 後 に考. え ら れ たも のと し た と いう が ︵ 日本 古 典 文 学 大 系 ﹃日本 書 紀 上 ﹄ 補 注 ︶、 日本 と 親 密 な 関 係 にあ った 百済 は ﹃ 三国. 史 記 ﹄ 巻 二十 四 の近 肖 古 王 紀 に ﹁ 古 記 云 、 百 済 開 国 己 来 、 未 有 以文 字 記事 、 至 是 、得 博 士 高 興 、始 有 書 記 、 然 高 興. 未 嘗 顕 於 他 書 、 不 知 其 何 許 人 也﹂ と あ る。 近 肖 古 王 は 、 四 世 紀 半 に在位 した 王 であ る。 履 中 天皇 は 、倭 王 讃 に比 定. さ れ る こと も あ る 五世 紀 前 半 の天皇 であ る。 国内 情 勢 の記 録 は 、単 数 も しく は複 数 の渡 来 人 によ つて十 分 可能 な 仕. 事 であ ると す れ ば 、 宋 書 の倭 の五王 の時 代 にそう いう 記 録 が始 め ら れた 可能 性 を 否 定 す る こと は でき な い。. 外 交 文 書 に用 いら れ て いた 漢 字 を 国 内 の記 録 ︵ 歴 史 は 記 録 か ら始 ま る︶ に用 いる こと は自 然 のなり ゆき であ る。. 記 録 が 始 ま る と 、 地 名 、 人 名 は 、 仮 借 の方 法 で表 記 す る こと にな る。 ﹁ 意紫 沙 加 宮 ﹂ ﹁ 斯 鬼 宮﹂ ﹁ 獲 加多 支 歯 大 王 ﹂ など。 一字 一音 式 の字 音 仮 名 の成 立 は こう し た と こ ろか ら 始 ま った と推 定 さ れ よう 。. こ の 一字 一音 式 の字 音 によ る漢 字 表 記 は 、前 述 し た 如 く 仮 借 によ る中 国式 表 記 であ って、 万 葉 仮名 と 称 す べき も. の では な い。 漢 字 の 日本 語 訳 つま り 訓 を 宛 てる こと に よ って成 立 す る訓 仮名 と あ いま って、 ﹁ 万 葉 仮 名﹂ と 称 す べ き も の であ る。. 五世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 にか け て の須 恵 器 や埴 輪 に漢 字 が 刻 さ れ た遺 物 が各 地 で ︵ 愛 知 県 春 日井 市 勝 川遺 跡 、 大 阪. 府 堺 市 野 々井 遺 跡 ︶ 発 見 さ れ て いる 。 こ の時 期 にな ると 、 傍 製 鏡 のよう に漢 字 の認 識 がな か った り 、漢 字 を 誤 ると いう こと が な く な り 、 工 人 た ち の間 に漢 字 が文 字 と し て使 わ れ て いた こと が わ か る。. 六 世 紀 には 、 五経 博 士 段 楊 爾 が百 済 か ら 貢 上 さ れ た ︵ 継 体 天皇 紀 七年 ︿五 一三 ﹀六 月 ︶。 継 体 天皇 十年 ︿五 一六 ﹀. 九 月 に、 五経 博 士 漢 高 安 茂 が段 楊 爾 と 交 代 。 欽 明 天皇 元 年 ︿五 四 〇 ﹀八月 に秦 人 七 千 五十 三 戸 の戸籍 を 作 る。 同 五.
(9) 金 銅釈 迦 仏 像 一 ︿五 四 四 ﹀九 月 、 百 済 丈 六 仏 像 を建 立 。 同 十 三年 ︿五 五 二 ﹀十 月 、 百 済 聖 明 王 よ り 仏 教 伝 来 ︵. 経 巻 若 干 巻 等 ︶、 同 十 五年 ︿五五 四 ﹀六 月 、 百 済 に、医 博 士 、易 博 士 、 暦 博 士 、卜 書 、 暦 本 、 薬 物 の貢 上 を 求. 、朝貢 の記事 、翌年、文林郎斐清を遣す。倭 国王 の国書 に ﹁ 日出処天子致書 日没処 年 ︵ 六 〇七、推古 天皇十 五年 ︶. 隋書 ・倭 国伝﹄ には、大 業 三 野臣妹 子、使節装世清を伴 って帰国。但、場 帝 の国書 は、百済 で盗まれたと いう 。 ﹃. 国書 ︶、種 々の書物など があ ることは、以上 に見 てきた通り であ る。 ︵. は、竹簡 、木簡 に書 か れた。また、絹布 にも 書 かれた。 日本 人 が目 にした 漢 字 は、鏡 銘 のほか に、印 、外交 文 書. 中 国 では、紙 の発明以後 、そ の製法 は門外 不出とされ て いた。紙以前は、外交文書、政治的通達、記録、 五経等. 。 生産 の文化史﹄ 一九九 一年 丸善 ライブ ラリー︶. 阿辻哲次 ﹃ 知的 倫 以前 の時代 の紙 が発見 された ことから、察倫 は紙 の製法 の改良者 であ ると されるよう にな った ︵. 中国 で紙を はじめ て作 った のは、後漢 の茶倫 ︵ ?︱︱ 一二 一頃︶ であ ると され てき たが、最近 の発掘調査 で、茶. ると は書 かれ て いな いので、紙 の製法 そ のも のは、早く伝 わ って いたこと にな る。. は、 五経を知り、よく彩色 、紙、墨、眠磋を 作 った。 ﹁ 蓋造眠程、初千是時 欺﹂ とあり、紙 の製法 がこ の時 に始ま. 天子無恙 云云帝覧之不悦﹂ の有名な記事 があ る。同十 八年 ︿六 一〇﹀三月、高一麗王、僧曇徴、法定を貢上す。曇徴. 敏. 月 、冠位 十 二階制定。同十 二年 ︿六〇二 ﹀四月、聖徳太子、憲法十七条作成 。同十 六年 ︿六 〇六 ﹀四月、遣隋使小. 推古 天皇 十年 ︿六 〇二 ﹀十月、百済 僧勧 勒 、暦本、天文 地 理書、遁 甲方 術 書 を 貢 上。同十 一年 ︿六 〇三 ﹀十 二. あ ててそ の字を写しと ったと いう。. がよく読 み釈 いた。 こ の国書 は鳥 の羽 に書かれ て いた ので読めなか ったが、辰爾 は飯 の気 に蒸し て、畠 を羽 におし. 、高一麗から の表疏 ︵ 国書︶を史 たち が三日かか っても読 めな か ったが、船史 の祖王辰爾 敏達 天皇 元年 ︿五七 二 ﹀. む 躯 年 直 田 西. (85).
(10) (86) 日本人の文字生活史序章. 魏 王 が卑 弥 呼 に与 え た 詔 書 ︵ 景 初 三年 ︿三 二九 ﹀は 、 ﹁ 伝 送 文 書 賜 遺 之物 詣 女 王 ﹂ と あ る の で、 紙 に書 か れ て い. た の であ ろう か 。 正 始 八年 ︿二 四七 ﹀に、 卑 弥 呼 が狗 奴 国 と 対 立 し て使者を 帯 方 郡 に送 った 際 に、塞 曹 嫁 史 張 政等. の使 者 が倭 国 に持 参 し た ﹁ 詔 書 ﹂ と 告 論 のた め に作 ら れ た ﹁ 檄 ﹂ はどう であ った か 、 漢 代 の ﹁ 檄 ﹂ は 二尺 ︵ 約 四六 セ ンチ ︶ の木 簡 に記 さ れ た も の であ った 。. 日本 に お け る漢 字 の使 用 は 、 五世 紀 の鉄 剣 、 鏡 の銘 が 示 す よう に ﹁ 服 此刀 者 長 寿 、 子 孫 注 々得 三恩 也 、 不失 其 所. 統﹂ ︵ 江 田船 山 古 墳 太 刀 銘 ︶ と か 、 ﹁ 念長寿﹂ ︵ 和 歌 山 県 橋 本 市 隅 田 八幡 宮 人 物 画 像 鏡 銘 ︶ な ど 、 そ こ に神 秘 的 な 呪 力 を 感 じ さ せ るも のが あ った 。. 俣字 の定 着︱ ︱ 七 世 紀 口 一. 七 世 紀 にな ると 、 漢 字 の使 用 層 、 識字 層 の広 が り を 思 わ せ る よう な 土器 に漢 字 を 刻 し た り 、 墨 書 したも の、ま た. 銅板 な ど に よ る墓 誌 、 木 簡 が 発 見 さ れ て いる。 宇 治 橋 断 碑 ︵ 大 化 二年 ︿六 四 六 し、 群 馬 県 高 崎 市 の山 ノ上碑 ︵ 天武 十年 ︿六 八 一と な ど の碑 も 建 てら れ た 。. 冨︺ 敏 達 天皇 ︶ ͡. 最 古 の墓 誌 は 、 天 智 七 年 ︿六 六 八 ﹀の船 首 王 後 の墓 誌 であ る。. 惟 船 氏 、 故 、 王 後 首 者 、 是 船 氏 中祖 、 王 智 仁 首 児 、 那 浦 故 首 之 子 也 、生 於 乎 娑 陀 宮 治 天 下 天皇 之 世 、奉 仕 於. 等 由 羅 宮 治 天 下 天 皇 之 朝 、 至於 阿 須 迦 宮 治 天 下 天皇 之 朝 天皇 照 見 知 其 才 異 、仕 有 功 勲 、勅 賜 官 位 大 仁. 品 為 第 ﹂ 三唄 亡 於 阿 須 迦 天皇 之末 歳 次 辛 丑 十 二月 三 日庚 寅 、故 戊 辰年 十 二月 、 噴 葬 於 松岳 山 上 、共 婦安 理故. 能 刀 自 同 墓 、其 大 兄 刀 羅 古 首 之 墓 、 並 作 墓 也 、 即 為 安 保 万 代 之 霊 基 、牢 固永 劫 之 宝 地 也 。 最 後 の句 に、 文 字 に記 す こと によ る呪 力 信 仰 が感 じ ら れ る。.
(11) 田 直 敏 西. (87). 一九 七 九 年 に発 見 中 国 の墓 誌 を 真 似 た威 奈 大 村 墓 誌 ︵ 慶 雲 四年 ︿七 〇七 こ のよう な 三九 二字 のも のも あ る が、 さ れ た 太 安 万 侶 の墓 か ら 出 土 し た墓誌 は、次 のよう に簡 略 なも の であ った。. 左 京 四条 四坊 従 四位 下勲 五等 太朝 臣安 万 侶 以 癸亥 年 七 月 六 日卒 之 養 老 七 年 十 二月 十 五 日 乙 巳. 六 二 〇︶ 十 二月 に、 聖徳 太 子 が蘇 我 馬 子 と と 漢 字 の広 が り と 、 文 字 と し て定 着 し た さま は 、 推 古 天皇 二十 八年 ︵ 国紀 ﹄ な ど を 録 したと あ る こと にも 示 さ れ て いる。 天皇 紀 ﹄ ﹃ もに ﹃. 天皇 紀 ﹄ ﹃ 国紀 ﹄ は、 蘇 我 氏 滅 亡 に際 し 、 焼 か れ た が、 火 の中 文 字 が あ っては じ め て歴 史 が 書 かれ る のであ る。 ﹃. 皇 極 天皇 四年 ︿六 四 五 ﹀六 月 ︶。 か ら船 史 恵 尺 に よ って取 り 出 さ れ たと いう が 、 現存 し な い ︵. 六 二四︶ 九 月 には、寺 仏 教 で は 、 天 皇 と 国 家 の安 寧 のため に仏 像 、 諸 寺 の建 立 が行 わ れ た 。推 古 天皇 三十 二年 ︵. ﹃日本 書 紀 し 。 経 典 の読 誦 、 研 究 四十 六所 、 僧 八 百 十 六 人 、 尼 五百 六十 九 人 、 計 千 三 百 八 十 五人 と 録 さ れ て いる ︵. と と も に写 経 も 行 わ れ た であ ろう 。唐 、高 一麗、 百 済 な ど か ら僧 が来 朝 し僧 正 な ど に任 じ ら れ て いる。. 法華 勝 髪 経 ﹄ を 講 じ 、 三 日 で説き 終 え た。 ま た ﹃ 六 〇六 ︶ 七 月 、天皇 の命 によ り 聖徳 太 子 が ﹃ 推 古 天皇 十 四年 ︵ 経 ﹄ を講 じ た 。. 法 隆寺 伽 ﹃ 造 法 花等 経 疏 七 巻 、 号 日上 宮 御 製 疏 ﹂ と伝え る。 天 平 十 九 年 ︵ 七 四七 ︶ の ﹁ 上 宮 聖徳 法 王 帝 説 ﹄ は 、 ﹁ 藍縁 起 井 流 記資 財 帳 ﹂ に 法 華 経 疏 参 部 各四巻 暮 一 維摩 経疏萱 部 一 勝髪 経 疏 萱 巻 右 上 宮 聖徳法 王御 製者 法 隆 寺 縁 起 井 資 財帳 ﹂ には と あ り 、 ま た 、 天 平 宝 字 五年 ︵ 七 六 一︶ 十 月 一日 の ﹁.
(12) (88) 日本人の文字生活史序章. 法華経疏卑巻征膵 漏師 徹儒 雛 対新納 者 維版露栓疏莫釜巷正本者 峡 一枚著牙 勝 髪 経 疏 萱 巻 峡 一枚著牙 右 上 宮 聖 徳 法 王御 製 者. と あ る。 こ のう ち の ﹁ 法 華 経 疏 ﹂ が 聖徳 太 子 自 筆 と し て伝 え ら れ て いる。 ﹃ 法 華 義 疏 ﹄ と 記 さ れ た こ の全 長 五七 ・. 三 メ ート ル に 及 ぶ巻 物 の総 字 数 八 万 七 五 〇 〇字 が 聖 徳 太 子自 筆 な ら 日本 人 が紙 に書 いた 漢 字 の筆 跡 と し て最 古 の遺. 品 と な る が 、 自 筆 では な いと す る意 見 も 強 い。 最 近 では 、 書 法 、 叙 述 内容 の検 討 か ら ﹃ 法 華 義 疏 ﹄ は 中 国 人 の著 作 で、 遣 隋 使 に よ つても た ら さ れ た も のか 、或 は 、 渡 来 人 によ つて朝 鮮 か ら持 ち こま れ た も のか と す る説 が提 起 さ れ て いる ︵ 魚 住 和 晃 ﹃璽 こ と 漢 字 ﹄ 一九 九 六年 講 談 社 選 書 メチ ェ︶。. 万 葉 仮名 のう ち 、 訓 仮 名 は 、 は じ め 、 固有 名 詞 に用 いら れ 、 そ の後 、 一般 語 にも 用 いら れ る よう にな る。. 一九 八 二年 に、 島 根 県 松 江 市 大 草 町 一号 古 墳 か ら 出 土 し た 鉄 刀 に ﹁ 各 田了 臣﹂ と いう 銀 象 嵌 の銘 文 のあ る こと が. 確 認 さ れ た 。 同 古 墳 は 六 世 紀 のも の で ﹁ 各 田了 ﹂ は ﹁ 額 田部 ﹂ を 示 す も のと 考 え ら れ て いる。 これ によ れば 、 訓 仮 名 は 六 世紀 に出 雲 でも 用 いら れ た こと にな る。. ﹃ 上 宮 聖 徳 法 王 帝 説 ﹄ 所 引 の ﹃天 寿 国 曼 荼 羅 繍 帳 銘 ﹄ には 、 聖 徳 太 子 の母 ﹁孔 部 間 人 公 主 ﹂ の表 記 があ る ︵ 七世 紀 ︶。 白 雉 二年 ︵ 六 五 一︶ の法 隆 寺 旧 蔵 ﹁ 金 銅 観 音 菩 薩 造 像 記﹂ に. 辛 亥 年 七 月 十 日記 笠 評 君 名 大 古 臣 、辛 丑 日崩 去 辰 時 故 、 児 在 布 奈 ﹂ 太利 古 臣 、 又伯 在 建 古 臣 二人 志 願 この ﹁ 大 古 臣﹂ ﹁ 建 古 臣﹂ は 訓 仮 名 であ る。. 天 武 六年 Tハ七 七 ︶の ﹁ 小 野朝 臣 毛 人 墓 誌 ﹂に飛 鳥 浄 原 宮 ﹂、 天 武 十 年 盆ハ八 こ の ﹁ 山 上 ノ碑 ﹂に ﹁ 建守 佐 野﹂﹁.
(13) 田 直 敏 西 ( 89 ). 飛鳥浄原御宮﹂など があ る。 那須造碑﹂ に ﹁ 七 〇〇︶ の ﹁ 大児 臣﹂、天武 四年 ︵ 命﹂ ﹁ 新 川臣﹂ ﹁ 金銅弥勒菩薩造像記﹂ に C の ﹁ 六 〇工 一般語 では、推古 十 四年 ︵ 歳次丙寅年 正月生十 八日記、高屋大夫、為分韓婦夫人名阿麻古願、南元頂礼作奏也 ﹁作奏﹂ であ ろう 。 ﹁ 山 ノ上碑﹂ に、 ﹁定 賜﹂ ﹁母為﹂ があ る。. 〓戻字 に 一訳語と いう形 にならなければ、 漢語︶とそ の訳語と の国定化 の結果 であ る。 訓仮名 の成 立 は、漢字 ︵. 仮借 の方法 による︶とあわせ て、かなり自由 訓仮名 は成立 しな い。訓仮名 の成立 によ って、 これま で の字音仮名 ︵ に日本語を漢字 で書きあらわす ことが可能 になる。. 中国文︶ のほか に、 日本語 の文を漢字と漢文的措辞 によ って書 いたも の ここに至 って、正式 の文章 であ る漢文 ︵. 山 ノ上碑﹄、 ﹃ 野中寺弥勒菩薩造像銘﹄などがそれ であ る。 が現れること にな る。 ﹃ 法隆寺金堂薬師仏光背銘﹄、 ﹃. 池 辺大宮 治 天下天皇大御身労賜時歳次丙午年召於大王天皇与太子而誓願賜我大御病太平欲坐故将造寺薬師像作. 法隆寺金堂薬師仏 仕奉詔然当時崩 賜不堪者小治 田大宮治天下大王天皇 及東宮 聖王大命受賜而歳次丁卯年仕奉 ︵ 光背銘︶. 欲 坐﹂ ﹁ 造不堪﹂ 大 御 身﹂ ﹁ 賜﹂ ﹁ 欲坐﹂ のよう な敬語表 現、ま た ﹁ ﹁ 池 辺大宮﹂ ﹁ 小治 田大宮﹂ のような訓仮名、﹁. ﹁ 受 賜﹂ のよう な語 序 は 日本 語的 であ る。 ﹁ 召於大 王 天皇 典太子而﹂ などは、中国語 の助辞 を 強 いて入 れた感 があ 天皇﹂ の語 のあ る こと か ら、近年 丁卯﹂ は、六 〇七年 であ るが、文 中 に ﹁ る、などと し て著 名 なも のであ る。 ﹁. 六 八七 一六九 天皇﹂ は、六七 四年以降 であ るから、 こ の銘文 は持 統朝 ︵ は、中国 にお け る君主 の称号と し ての ﹁. 。 ﹃日本 の古代 4 七︶以降 に引き 下げ られる考え が有力 にな って いる ︵ 1ことばと文字﹄ 五六 二 ページ︶. 辛 巳歳集 月 三 日記佐 野三家定賜健守命孫黒売 刀自 此新 川臣児斯多 々弥足尼孫大児臣妾生児長利僧母為記定文也.
(14) (90) 日本人の文字生活史序章. 放光寺 僧 ︵ 山 ノ上 碑 ︶. ﹁ 辛 巳歳 ﹂ は 、 天 武 十 年 ︵ 六 八 一︶ であ る。 全文 が 日本 語 の語 順 に従 って漢 字 で書 か れ て いる。 助 詞 や助 動 詞 の 表 記 は な いが、 ﹁ 定 賜 ﹂ と いう 敬 語 表 現 が あ り 、 買佐 ︶ 野﹂ の ﹁ 建守 ﹂ ﹁ 黒 T匹 ﹂ ﹁ 此﹂ ﹁ 新 川﹂ ﹁ 臣﹂ ﹁ 大児﹂ ﹁ 母﹂ ﹁ 為 ﹂ な ど 漢 字 と そ の訓 に相 当 す る表 記 にな って いる。 ﹁ 山 ノ上 碑 ﹂ は 、以前 は ﹁ 山名 村 碑 ﹂ と 呼 ば れ て いた 。 群 馬. 県 高 崎 市 山 名 町 にあ る。 地 方 の識 字 層 であ る僧 が、 漢 文 の正 し い知 識 が乏 しか つた た め に こ んな 文 章 を 書 いたと い う よ り も む し ろ 日本 語 を 漢 字 を 使 って表 記 し よう と し た 試 みと 考 え る べき であ ろう 。. 丙 寅 年 四月 大 旧 八 日癸卯 開 記 栢 寺 知 識 之 等 詣 中 宮 天皇 大 御 身 労 坐 之 時 誓 願 之 奉 弥 勒 御 像 也 友 等 人 数 一百 十 八是 依 六 道 四生 人 等 此 教 可相 之 也 ︵ 野 中 寺 弥 勒 菩薩 造 像 銘 ︶. ﹁ 大 御 身 労 坐 之 時 ﹂ と いう 敬 語 表 現 は 、 ﹃ 法 隆寺 金 堂 薬 師 如 来 光 背 銘 ﹄ の ﹁ 大 御 身 労 賜 時 ﹂ と 同様 の表 現 ・表 記 、 き であ る。 ﹁ 是依 エ ハ道 四生 人等 此 教 覗 標 之 也 ﹂ は 、 ﹁可 相 ﹂ と いう 表 現 はあ る が、全 体 と し て 日本 語 の語 順 にな っ. て いる。 な お 、 ﹁ 丙 寅 年 ﹂ は 、 天 智 五年 ︵ 六 六 六 ︶ であ る が 、 ﹁ 大 旧 八 日癸卯 開﹂ と あ る こと か ら 旧 暦 の元嘉 暦 と新. 暦 の儀 鳳 暦 の併 用 が 始 ま った 持 統 四 月 ︵ 六 九 〇︶十 一月 以 降 に、 こ の銘 文 が刻 ま れ た こと にな ると いう ︵ 東 野治之 ﹁天皇 号 の成 立年 代 に つ いて﹂ ﹃ 正 倉 院 文 書 と 木簡 の研 究 し 。. 四 律 令 制 と 漢 字︱ ︱ 八 世 紀. 近 年 の発 掘 調 査 に よ つて、大 量 の本 簡 が 発 見 され 、 漢 字 使 用 の状 況 が 明ら か になり つ つあ る。 たと え ば 、 七 世紀. の藤 原 宮 跡 出 土 の木 簡 は 四千 点 以 上 に達 し 、 八世紀 の本 簡 にな ると 、 平 城宮 の東 南 隅 か ら 一万 点 、 長 屋王 邸 関係 の. も のが 五万 点 、 そ の近 辺 か ら 十 万 点 な ど 、全 国的 に は 二十 万点 に及 ぶ膨 大 な 数 にな って いる。 一九 六 一年 には全 国.
(15) 敏 直 田 西. (91). で 四六 点 し か 発 見 さ れ て いな か った の であ るか ら 、今 後 二十 万 点 の木 簡 の分析 によ って、漢 字 使 用 の実 態 が さ ら に 明 ら か にな る こと は 確 実 であ る。 日本 の木 簡 は 七 世 紀 前 半 の難 波 宮 跡 地 か ら 発 掘 さ れ た も のが 最 古 であ る。. 日本 の律 令 制 は、 天 武 十 年 ︵ 六 八 一︶ に律 令 制 定 が命 じ ら れ 、 持 統 三年 ︵ 六 八九 ︶ に至 って、令 が完 成 し た 。 律 の方 は完 成 せず 、唐 律 を 準 用 し て いた と考 え ら れ て いる。. 文 武 四年 ︵ 七 〇 〇︶ に、 大 宝 律 令 の令 が刑 部親 王 、藤 原 不 比 等 によ つて撰 修 さ れ 、 翌大 宝 元年 ︵ 七 〇 一︶ に施 行. さ れ た 。 律 は 同 年 に完 成 し 、 大 宝 二年 に施 行 さ れ た 。 こ の大 宝 律 令 は 、養 老 二年 ︵ 七 一八︶、 藤 原 不 比 等 によ って. 改 修 さ れ 、 天 平宝 字 元 年 ︵ 七 五七 ︶ か ら施 行 さ れ た。 今 日見 る律 令 は 、 こ の養 老 律 令 であ る が 、 そ の後 、 明治維 新 ま で形 式 的 に存 続 し た 。. 律 令 制 度 では 、全 国 に官 僚 制 を 行き わ た ら せ、 中央 の神 祇 官 と 太 政官 を 中 心 に、 地 方 では 、 国 郡 制 が施 行 さ れ、. 全 国 民 の戸籍 と 税 を 徴 収 す る た め の計 帳 が作 製 さ れ た。 こう し た 行 政 組 織 は 、文 書 を 不 可欠 のも のと し た 。紙 と 同. 時 に、 日常 的 な物 品 の送 り 状 、受 け取 り 、物 品 の請 求 、 出 納 記 録 、 荷 札 な ど に木簡 が使 わ れ た 。 二十 万点 に及 ぶと. いう 木 簡 は 、 こう し た 律 令 制 にお いて使 用 さ れ たも ので、 中 には 、 習 字 や落 書 も あ る ︵ 鬼 頭清 明 ﹃ 古 代 木 簡 の基 礎 的 研 究 ﹄ 一九 九 三年 塙 書 房 ︶。. 律 令 制 国 家 体 制 の整 備 と と も に進 め ら れ た のは 、 国家 仏 教 と いう より 仏 教 国家 の建 設と いう べき も の であ った 。. 仏 教 に よ る鎮 護 国 家 、 国 家 安 寧 を 計 って、全 国 的 に寺 院 が 設 け ら れ、 僧 尼 令 に よ って、 僧 尼 を 統 制 し た。 僧 尼. は 、寺 院 内 で の教 典 研 究 と 鎮 護 国家 の祈 祷 を 任 務 と し、 民 間 への布 教 は禁 じ ら れ て いた。 写 経 が盛 ん に行 わ れ た。 天武 二年 ︵ 六 七 三 ︶ 三 月 、 ﹃日本書 紀 ﹄ は こう 記 し て いる。 衆一 書 生 ヽ 始 写 三 切 経 於 河 原寺 ・ 一.
(16) (92) 日本人の文字生活史序章. ﹁ 書 生 ﹂ と は 、 写 経 生 の こと であ る。 写 経 生 によ る 写 経 の最 初 であ る。 国 家 的 事 業 と し て の写 経 が 行 わ れ始 め た の であ る 。 天 武 五年 ︵ 六 七 五︶ 十 一月 には 、 泣 f 使 於 四方 国 、 説 二金 光 明 経 、 仁 王 経 。. と あ る。 全 国 の寺 で、金 光 明 経 、仁 王経 を 説 か せ た と いう のは 、 金 光 明経と 仁 王経 は 、 国家 鎮 護 の経 典 であ った か ら であ る。 寺 には 経 蔵 があ って、 大 寺 では膨 大 な 量 の経 巻 を 所 蔵 し て いた 。 た と え ば 、宝 亀 十 一年 ︵ 七 八 〇︶ の ﹁ 西 大 寺 資 財 流 記 帳 ﹂ には 、 惣 大 小 乗 律 論 疏 肇 部 建衛麟街狂り ・ 一 耐紅巻 と あ って膨 大 な 量 の経 巻 が 所 蔵 さ れ て いる。. 称 徳 天 皇 が藤 原 仲 麻 呂 の乱 の後 、宝 亀 元年 ︵ 七 七 〇︶ に国 家 安 泰 を 願 って造 ら せ 、 十 大 寺 に各 十 万 基 を 分 置 し た ﹁ 百 万 塔 ﹂ に し ても 、実 際 に百 万 塔 を 造 った の であ る。 法 隆 寺 に 五万 基 が現存 す る。. この ﹁ 百 万塔 陀 羅 尼 ﹂ は 、 現存 最 古 の印 刷 物 と さ れ て いる。 そ の印 刷 方 法 は 銅 版 か木 版 百 万 塔 ﹂ に納 め ら れ た ﹁. か と いう 論 争 が行 わ れ てき た が 、 一九 七 〇年 、 天 理大 学 に お け る シ ンポ ジ ウ ム で、木 版 に彫 ら れ て、 そ れ に墨 を つ. け 、 紙 を 押 し たも のと いう 結 論 にな った と いう ︵ 阿次 哲次 ﹃ 知 的 生 産 の文化 史 ﹄ 丸 善 ライ ブ ラリ ー。 詳 細 は 、 天 理 4 ・5号 ︶ ビ ブ リ ア﹄ 第 2 図書 館 ﹃ 2 律 令 制 と 国 家 仏 教 と によ って 八世 紀 の日本 は 、 漢 字 文 化 国 家 と な って い った。 律 令 にお け る漢 字 文 化 の様 相 を 見 て み よう 。. ﹁ 公 式 令 ﹂ は 、 公 文 書 の様 式 、 作 成 、 施 行 上 の諸 規 定 を 主 と す るも のであ る。 ﹁ 詔 書 式 ﹂ の宣 命 体 以 外 の文 章 は 、.
(17) 田 直 敏 西. (93). 漢 文 であ る。. 詔 書 式 の最 初 に掲 げ ら れ て いる次 の五 つの形 式 は 、宣命 体 に のみ用 いら れ 、漢 文 体 のも のには 用 いら れ な い。 明 神 御 宇 日本 天皇 詔旨 云 々。 成 聞 。 明神 御 宇 天 皇 詔 旨 云 々。 成 聞 。 明 神 御 大 八 州 天皇 詔旨 云 々。 成 聞 。 天皇 詔 旨 云 々。 成 聞 。 詔 旨 云 々。 成 聞 。. ま た 、文 章 中 で敬 意 を 表 す た め に、 改 行 し、次 行 の行 頭 にそ の語 を 記 す ﹁ 皇 祖 、皇 祖 批 、皇 考 、皇 批 、 平 出﹂ ︵. 乗 妃、 太白 更 人、皇 太 后白 王 太妃、 白 王 太夫人、皇 先 帝 、 天 子 、 天 皇 、皇 帝 、 陛 下 、 至 尊 、太 上 天 皇 、 天 皇 論 、太 皇 太 后 、 太白. 后 の語 は 平 出 す る︶、 ま た 、 敬 意 を 表 す た め に、 そ の語 の上 の 一字 分 を 空 け る ﹁ 開字﹂ ︵ 大社 、 陵 号 、 乗 輿 、 車 駕 、. 、 閉 庭 、朝 庭 、 東 宮 、皇 太 子 、 殿 下、 こ の類 は 、 閥 字 に 斥至尊﹀ 詔 書 、 勅 旨 、 明 詔 、 聖 化 、 天 恩 、 慈 旨 、 中 宮 、 御︿ す る︶ が規 定 さ れ て いる。. ま た、公 文 書 を ﹁ 真 書﹂ 即 ち 楷 書 で書 く こと 、 数 字 は ﹁ 大 字 ﹂ 貧 、 二、 三を 壱 、弐 、参 と 書 く 類 ︶ で書 く こと. が規 定 さ れ て いる ︵ 凡 公 式 、悉 作 二 真 書 Ъ 凡 是 簿 帳 、科 罪 、計 賊 、 過 所 、抄 贖 之 類有 レ数 者 、為 二 大 字 し。. 詔 勅 を 農 村 等 の末 端 の人 々 にま で告 知 す る方 法 と し て、次 のよう に定 め てあ る。 即 ち 、 里 長 ︵ 五 十 戸 の長 ︶、坊. 長 を 巡 歴 さ せ 、 百 姓 に宣 示 し て全 て の人 々に知 ら せ ると いう のであ る ︵ 凡 詔 勅 頒行 、 関 三百姓 一 事 、行 下至 郷 、 皆 令 三 里 長 坊 長 、 巡 歴 部 内 L 官一 示 百姓 一 使 二人 暁悉 じ。 こ の規定 によ つて、 漢 文 体 、宣 命 体 に書 か れ た 詔勅 が 百 姓 に関 る 一 一. 場 合 は 、里 長 、坊 長 のと こ ろま でも た ら さ れ 、 そ れを 百姓 に見 せ 、 読 ん でき か せ て、 わ から せ たと いう こと にな る。. 天皇 に対 す る上 書 ︶以 下、文 書 の誤 には 、笞 刑 が 課 せ ら れ た 。 詔 書 や上 書 ︵ 一般 の公 文 書 でも 、文 字 の脱 乗 、 錯.
(18) (94). 職 制 律 ︶。 失 には 、笞 二十 であ った ︵ 詔 書 は漢 文 体 のも の のほ か 、 和 文 体 の宣 命 があ る。. モ ロ コ オ ノ を ウ リ 好ハ ﹂ 話 懲ル 禦邸ラモ 裁フ 字tI筆チ 3部屋割Чァ 冦πノ だ録手 〓 巧鮒 般礫輝力嵯肇藤短薄郵だ録撃牡 ・ 子. と レ む ル甘 薄郵 ミコノ陸L と部。高応鷹符事郁耐ヽ息ぎ壁↓ ミョ、幅 ィ 7 紺 彫〓止 祖御世 ・午〓 紳 御子之 ネ∬牟州鵬峯符た力嵯配糀殖バ^止. 天都 神 乃御 子 随 母 天 坐 神 之 依 之 奉 之 随 、 此 天 津 日嗣 高 御 座 之 業 上、 現 御 神 止大 八嶋 国 所知 倭 根 子 天皇 命 、. 卜 フ を の を き き 十 レヽァ ♭夕 警塀マ 場Lルォ 禦邸. 年配だ﹂子 [ た針t嚢駄神ヵ 鷺生まヽ順乃 識賜マ 批暁が一 巌支 属難+ 角暁濡ギ暴︸ 手 支 一. 学 会 、 職 員 会 に よ れば 、大 学 では 、 五位 以 上 の子 孫 と 東 西 の史 部 の子 を 大 学 生 と し て五 〇 〇人 、 こ のほ か算 生 三. 秀 才 、 明 経 、 進 士 ︶ を 受 け な け れば な ら な い。 の試 験 ︵. 今 、官 人 にな る 人 々を 例 にし て み よう 。 役 人 にな る には 、大 学 ま た は 地方 にあ る国学 で勉 強 し、役 人 にな る た め. 漢文 ︵ 中 国 語 文 ︶ は 、 天皇 、 皇 族 、貴 族 、官 人 、 僧 侶 な ど に必 須 のも のであ った 。. こ の時 代 の文 章 と いえ ば 、 漢 文 が 普 通 であ って、 和 文 体 の文 章 は 特 殊 なも の であ ったと 言 って い い。. 宣 命 体 は 、 宣 命 使 が読 みあ げ る た め に、 漢 字 の訓 と 音 仮 名 を 用 いて表 記 し た和 文 体 の文 章 であ る。. 木 簡 と 宣 命 の国 語 学 的 研 究 ﹄ 一九 八 六年 和 泉 書 院 ︶。 小谷 博 泰 ﹃ 大 字 体 であ った と いう ︵. 宣 命 は 日本 語 特 有 の助 詞 助 動 詞 を 音 仮 名 で示 し た表 記 体 であ る。 小 書 二行 分 け の表 記 は 、 出 土木 簡 では 、 最 初 は. 天 武 天 皇 即 位 宣 命 ︿六 九 七 こ ︵. ノ と ツ 平輝マ ポ蛋止 認ロ り臨. 誠フ 帯 唯 部4一 種牲鮮牲段厭4 ガ郵だ録ャ モ 尽ヤ 邦硬考辮 喝 〓ム. ェ 詔 大命 乎、 諸 聞 食 止詔 。故 如 此之 状子 聞 食 悟 而 、款 将 以 而 、御 秤 々 而 緩 台心事 無 久、 務 結 而 仕 奉 ト ︲. 咄 蜂蟷 拙 赫 斬義曇鵠墓稀中 聾力一 識籍甜朝一 著割 開 ﹂. 日本人の文字生活史序章.
(19) 敏 直 田 西. (95). ○人 、 国 学 では 郡 司 の子 弟 を 国学 生 と し て全 国 六十 六 国 で 二 五 二 〇人 、 計 二九 五 〇人。 礼 記 、春 秋 左 氏伝 を 大 経 、 毛 詩 、 周 礼 、 儀 礼 を 中 経 、 周易 、 尚 書 を 小 経 と し、 孝 経 、 論 語を 必 須 と 定 め て いる。. 考 課 令 には 、 ﹁ 明 経 ﹂ は 、論 語 、孝 経 に全 く 通 じ て いな い場合 は 、他 の経 が でき ても 不合 格 とあ る。 ま た ﹁ 進 士﹂ は 、 時 務 策 と 文 選 、 爾 雅 か ら出題 さ れ た 。. 官 人 た ち の漢 籍 の必 須 の教養 を 示す も の であ る。 数多 く 出 土 し て いる奈 良 時 代 の木簡 や正倉 院 文 書 には 漢 字 漢 文. の練 習 を し た と 見 ら れ るも のがあ り 、 ﹃ 千字文﹄ ﹃ 論 語﹄ ﹃ 文 選 ﹄ の習 書 が 発 見 さ れ て いる。岩 手 県 水 沢 市 の胆 沢 城. 跡 出 土 の漆 紙 文 書 に ﹃ 文 選 ﹄ の習 書 例 、 ま た 大 宰 府 跡 出 土木 簡 に ﹃ 魏 徴 時 務 策 ﹄ の習書 があ る こと か ら 、 奈 良 の都. 4 だ け でな く 、 全 国 的 な も のであ ったと さ れ て いる。 ︵ 東 野治 之 ﹃ 木簡 が 語 る 日本 の古 代 ﹄ 岩 波 新 書 、 ﹃日本 の古 代 1 こと ば と 文 字 ﹄ 中 公 文 庫 ︶. 律 令 制 は 、 いわ ゆ る公 地 公 民制 で、 公 民 は 、 戸籍 に登 録 さ れ 、 日分 田を 与 え ら れ 、租 税 ︵ 租 o庸 ・調 ・雑 得 ︶ を 収 取 さ れ 、 壮 丁 は 兵 士 と さ れ た。 庚 午 年 譜﹂ ︵ 天智 九年 ︿六 七 〇 と に始 ま る。 戸籍 は、 ﹁ 全 国 の地 名 と そ こ に住 む 人 々 の名 前 が漢 字 で書 か れ た のであ る。. 戸 籍 は 、 六 年 に 一回 作 成 さ れ た が 、 戸 主 を 筆 頭 に妻 子 、 兄弟 、奴 婢 な ど そ の戸 に属 す る ひ と を 登 録 し 、 五 〇 戸 ︵一里 ︶ ご と にま と め た 。. 大 宝 二年 ︵ 七 〇 二︶ の戸籍 を 見 ると 、 地 名 、 人名 が訓 仮 名 音仮名 を 用 いて表 記 さ れ て いる。 御 野 国 味 蜂 間 郡 春 部 里大宝 弐年 戸籍 上 政 戸 国 造 族 石 足 戸 口十 三虹夏 一 分H 〓 緑児 一井 十 紅姓 一 一井 三.
(20) ( 96 ). 日本 人 の文字 生活史序 章. 一 下 々戸 主 石 足 鮮鋤 二 辱王兄 国 足 酢酬四 嫡 子 安 倍 杵秩 一 辱王弟 高 嶋 鮮封七 嫡 子 八十 麻 呂 鮮肛 一 辱王弟 久 留 麻 呂酢耐五 次 大 罷 舛耐 次 広 国舛計九 次 友 乎 舛計八 一 F王甥 奈 世 麻 呂 舛計 戸 主 母 国 造 族 麻 奈 売 酢対七 一 月主 妻 国 造 族 郡. 大 羅 児 阿 尼売 鮮姫 多 女 酢地 . ﹁ 美 濃 国﹂ に改 め 畿 内 七 道 諸 国 郡 名 、着 好 字﹂ の勅 命 で そ の後 、 好 字 の ﹁ 七 一三︶ の ﹁ 御 野 国﹂ は 、 和 銅 六 年 ︵. 奈世 安 倍﹂ ﹁ 久留 麻 呂﹂ ﹁ ら れ る 。 人 名 の ﹁石 足 ﹂ ﹁ 国 足﹂ ﹁ 高 嶋﹂ ﹁ 広 国﹂ な ど は 、 漢 字 訓 を 使 って書 か れ て いる。 ﹁ 阿 尼 売 ﹂ な ど は音 仮 名 、 ﹁八十 麻 呂 ﹂ の ﹁八十﹂ は訓 仮名 であ る。 麻 呂﹂ ﹁ 麻 奈 売﹂ ﹁. 計 帳﹂ 律 令 制 にお け る 税 は 調 ・庸 は 国 税 、 租 は 地 方 税 であ った 。 国 家 財 政 の基 盤 と な る 調 ・庸 の台 帳 と し て、 ﹁ が作 成 さ れ た 。. 計 帳 は 、 大 宝 令 によ って、毎 年 六 月 三 十 日ま で に、各 戸 の戸主 がそ の戸内 の 回数 、年 令 、容 貌 、 課 ・不 課 の別を. 記 し た も のを 作 って、 国 司 に提 出 し 、 国 司 は これを 郡 別 、 国 別 にま と め 、 人 口と 調庸 の総 計 を 出 し 、 八月 三十 日ま. で に太 政 官 の許 に送 る こと にな って いた 。 各 戸 の戸主 は 、 家 族 の名 を漢 字 で書 く 建 前 にな って いた こと にな る。. 見不輸伍人虹夏〓 輸調 紙 市 戸主 出雲 臣 冠 、 年 伍 拾 漆 歳 、残 疾 、 両 耳 聾 、左 食 指 爪 元 妻 木 勝 族 小 玉 売 、 年 弐 拾 捌 歳 、 丁 妻 、 額 下毛 在.
(21) 敏 直 田 西. (97). 男 出 雲 臣 石前 、年 参 拾 参 歳 、 正丁 、 順 黒 子 男 出 雲 臣 石 楯 、 年 参 拾 歳 、 残 疾 、右 足 躁 筋 絶 、左 上 頼 黒 子 男 出 雲 臣 稲 日佐 、 年 拾 萱 歳 、小子 、 額 疵 男 出 雲 巨 人 日佐 、 年 拾 歳 、 小 子、右 頸 黒 子 男 出 雲 臣 価 長 、年 伍 歳 、 小 子 男 出 雲 臣 市 日佐 、年 参 歳 、 緑 子 女 出 雲 臣 稲 虫 売 、 年 参 拾 陸 歳 、丁女 、 順 黒 子 女 出 雲 臣鴨 刀自 売 、 年 漆 歳 、小女 出 雲 臣 忘 奈 売 、年 陸 拾 肇 歳 、老女 、左 頼 黒 子 出 雲 臣 僧 、 年 拾 弐 歳 、 小 子 、 眉間 黒 子 出 雲 臣 広 刀自 売 、 年 拾 弐 歳 、 小子 、 左 目 悪 出 雲 臣 広 宅 売 、年 肇 歳 、 小 子 甥 出 雲 臣 田村 、年 参 拾 参 歳 、 正丁 、右 高 頼 黒 子 甥 出 雲 臣 石竹 、 年 参 拾 歳 、 正 丁、右 頼 黒 子 、 山 背 国愛 宕 郡 雲 上 里 計 帳 ︶ ︵ 神 亀 三年 ︿七 二六 ﹀. 人 名 に ﹁冠﹂ ﹁ 石楯﹂ な ど 訓 仮名 が多 く 用 いら れ て いる。 ﹁ 額 下毛在 ﹂ ﹁ 右 足躁 筋 小 玉 売 ﹂ ﹁石前 ﹂ ﹁ 左 食 指 爪無﹂ ﹁. 絶﹂ な ど 、 日本 語 の語 序 に従 って、漢 字 を 置 いて いる。 な お 、 ﹁ 山 背 国﹂ は 、 後 に ﹁ 山 城 国﹂ に改 字 さ れ る。. 現 存 の計 帳 は 、官 人 によ って整 理さ れ たも の であ る が、 戸主 が提 出す るも のも ﹁ 聾﹂ ﹁ 躁﹂ ﹁ 順﹂ な ど 疾﹂ ﹁ 疵﹂ ﹁ 難 し い漢 字 で記 さ れ て いる の で、最初 か ら官 人 の手 によ って書 か れ た 可能 性 が大 き い。.
(22) (98) 日本人の文字生活史序章. 国 文 字 生活. 八世 紀 ま で の文 字 生 活 は 、 律 令 制 の下 で の文 書 行 政 が 国 民 生 活 に及 ぼした影 響 が大 き か った と 考 え ら れ る。 都 は. も ち ろ ん であ る が 、 地 方 の国 、 郡 の中 心 地 の官 人 が文 字 即 ち 漢 字 の担 い手 であ った 。各 地 の遺 跡 、遺 構 か ら 出 土 す. る木 簡 や墨 書 土 器 によ って、 漢 字 が公 的 な 性 格 を 持 ち つ つ日常 生 活 にま で広 ま り 、 定 着 し て いた様 相 が明 ら か にな ってき た 。. 神 を 祭 り 祈 る 場 合 にも 、 漢 字 が 使 わ れ る よう にな り 、 中 国 伝 来 の吉 祥文 字 や吉 祥 句 が 土 器 に書 か れ た。 ﹁ 平安 ﹂. ﹁ 太 富﹂ ﹁ 加福﹂ ﹁ 万﹂ な ど の類 であ る。皇 朝 十 二銭 の最 初 であ る ﹁ 和 同 開称﹂ ︵ 和 銅 元 年 ︿七 〇 八 こ の ﹁ 和 銅﹂ も 吉 祥 句 と す る 説 が あ る。. こ の時 代 、 和 銅 五年 ︵ 七 一二︶ の太 安 万 侶 に よ る ﹃ 古 事 記 ﹄、 和 銅 六年 ︵ 七 一三 ︶ の ﹃ 風 土 記 ﹄ 撰 進 の勅 命 、養. 老 四年 ︵ 七 二 〇︶舎 人 親 王 等 撰 の ﹃日本 書 紀 ﹄ と 勅 命 によ る書 物 が作 られた。 八年 の間 の こと であ る。. ﹃ 風 土 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ は 、 漢 文 体 で書 か れ て いる。 当 時 の文 章 は 、当然 のこと であ るが 、漢 文 体 で書 か れ て いる のが普 通 であ って、 ﹃ 古 事 記 ﹄ のよう な 文 体 は 、 極 め て特 異 な も の であ った。 そ のた め に、太 安 万 侶 は 、序 にお い. て、 そ の文 章 に つ いて、 説 明 を 加 え て いるc そ のま ま では 、 読 め な いことを 懸 念 し た た め であ る。. 於 レ焉 、 惜 旧 辞 之 誤 作 、 正 先 紀 之 謬 錯 、 以 一和 銅 四年 九 月 十 八 日 、 詔 臣 安 万 侶 、撰 ・録 稗 田阿 礼 所 レ誦 之 勅 語 旧 辞 、 以 献 上 者 、 謹 随 二詔 旨 、 子 細 採 抹 、然 上 古 之 時 、 言 意 並 朴 、敷 レ文 構 レ 句 、於 レ字 即 難 、 已 因 レ訓 述. 者 、 詞 不 レ逮 レ心 、 全 以 上 日連 者 、事 趣 更 長 、 是 以 今 、或 一句 之 中 、交 一 用音 訓 ヽ 或 一事 之 内 、全 以 レ訓録 、 即 、. 辞 里 巨 レ見 、 以 レ注 明 、意 況 易 レ解 、更 非 レ注 、 亦 、於 レ姓 、 日 下 謂 玖 沙 訂 、 於 レ名 帯 字 、謂 一 多 羅 斯 ヽ 如 レ此 之.
(23) 田 直 敏 西. (99). 類、随レ 本 不レ 改。. 安 万侶 の旧辞を漢字 で写そう と した苦心 の文章 は、漢文を見慣 れた日には、珍奇な漢文 と映 じた こと であ ろう。. ﹃ 上宮聖徳法王帝説﹄、 ﹃ 道瑣和上伝纂﹄、 ﹃ 家伝 ﹄、 ﹃ 南天竺波羅門僧正碑丼序﹄、 ﹃ 宝 七代 記﹄、 ﹃ 唐大 和上東征伝﹄ ︵ 亀 十年 ︿七七九 ﹀淡海 三船︶など、﹃ 寧楽遺文﹄所収 の伝記は、全 て漢文 であ る。. 漢詩集 の ﹃ 天平勝宝 三年 ︿七五 一﹀成立 ︶は、当然とし て、﹃ 万葉集﹄ の題詞、左注もまた、漢文 であ 懐 風藻﹄ ︵ Z θ。. 中国語文︶を書く のがあたりまえ であ つた時代な のであ る。 文章と いえ ば 、格 の正し い漢文 ︵ 文学的なも のと し ての和 歌、歌謡 の表記を次 に見 てみよう。. ﹃ 古事記﹄ ﹃ 日本書紀﹄ に見られる歌謡は 一字 一音式 の字 音仮名 で表記され て いる。 ﹃ 上宮 聖徳法 王帝 説﹄ の三首. 、藤原浜成 が勅命 によ って作成 した ﹃ の和歌も 同様 であ る。宝亀 三年 ︵ 七七 二︶ 歌経標式﹄も字音仮名 で書かれ て いる。ま た、 ﹁ 仏足石歌﹂も 一字 一音式 の字音仮名 で刻 され て いる。. 夜久毛多 都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曽能夜幣賀岐哀 ︵ 古事 記 上︶. 夜句 茂多 免 伊弩毛夜 覇餓岐 免麿語味爾 夜 覇餓標都倶慮 贈廼夜覇餓岐廻 ︵ 日本書紀 神代上︶. 同 じ歌 であ るが ﹁ 毛﹂ ﹁ 岐﹂ のみ共 通 であ る。 これは ﹃ 伊﹂﹁ 古事 記﹄ が呉 音、 ﹁ 日本書紀﹄が漢音 に 夜﹂ ﹁ 都﹂ ﹁ 基づく字音仮名 を用 いて いるため であ る。. 伊加留 我 乃 止美能乎何波 乃 多叡婆許曽 和何於保支美 乃 弥奈和須良叡米 ︵ 上宮 聖徳法王帝説︶ こ た こ もろ とのため︲ ま し の びきょ さ ゅす み と くる め︲ こ ︲ ︲ま ︲ ため ︲ 美防 止静 久留 い 志 乃距鼻 伎波 陣米爾卜 太紳 椿無佐 卜由須ね 無 ゎ波 々争多 米爾 毛呂レ止乃多米爾 ︵ 仏足 石歌︶. 和歌や歌謡を 一字 一音式 の字音仮名 で書く ことは、中国 で既 に漢訳仏典 の陀羅尼 に用 いられ て いたも のの影響 で.
(24) (100) 日本人の文字生活史序章. あ ると 言 わ れ て いる ︵ 神 田秀 夫 説 ︶。. 一九 四 八年 、 法 隆 寺 五重 塔 修 理 の際 、初 層 天 丼 裏 に、 ﹁ 奈 ホ 波 都 ホ 佐 久 夜 己﹂ と いう 落 書 が発 見 さ れ 、話 題 にな. った 。 これ は 、 ﹃ 古 今 和 歌 集 ﹄ 仮 名 序 で紀 貫 之 が ﹁てな ら ふ人 のは じ め にも しけ る﹂ と し た ﹁ な に は づ に さく や こ. の花 冬 ごも り いま を 春 べと さ く や こ の花 ﹂ の初 め の部 分 であ る。 そ の後 、平 城宮 跡 出 土 の木 簡 にも 見 ら れ 、 万葉 仮. 名 の手 習 い の手 本 にな って いた こと が 明 ら か にな った 。 工人 た ち の間 にも万 葉仮名 が広 ま って いた こと を 示すも の であ る。 万 葉 仮名 と 言 え ば 、 万 葉 集 の用 字 と いう こと にな る。. ﹃ 万 葉 集 ﹄ の用 字 法 に つ いて、 稲 岡 耕 二氏 は 、 か つて、次 のよう に分 類 した ︵ ﹃ 国文 学 解 釈 と 鑑賞 ﹄ 一九 六 六年 一 〇月 ︶。 A 表 意 文 字 と し て 0 国 語 の意 味 に相 当 し た 漢 字 を 用 いたも の ︵ 訓読 ︶ 0 一語 を 一字 に表 し た も の 日 山 清 ・ ⋮ ︰正 訓 暖 金 疑 ・ ⋮ ︰義 訓 同 一語 を 二字 以 上 で表 し た も の 牙子 白 水 郎 ・ 年魚 一 ⋮ ︰正 訓 丸 雪 恋 水 未 通女 ・ ⋮ ︰義 訓 ② 漢 語 を そ のま ま 用 いた も の ︵ 音読 ︶ 餓 鬼 法 師 布 施 ・ ⋮ ︰字 音 正 字.
(25) 敏 直 田 西. (101). B 表音文字と し て 音仮名︶ 0 漢字 の音を 借りたも の ︵. 弥. 夜. 0 一字 互 日のも の 可 波 音 のも の 0 一字 一一 仮名︶ 甘 覧 廉 ・ ⋮︰ 公 天口 0 漢字 の訓を借りたも の ︵ 訓仮名︶. 箕. 目. 0 一字 三 日のも の 杵 砥 0 一字数音 のも の 蟻 夏 温 い 一一 字 三 日のも の 鳴呼 五十 連想 訓︶ C 戯書 ︵ 八十 一 山 上復有山. 略音﹂ ︵ 安 右 のうちB の表 音文 字 が狭義 の万葉仮名 であ る。な お、稲 岡氏 は、下位分類と し て、 ﹁. 、 士国 の類︶. 不 清也﹂ ﹁ 欲焉﹂など助字などを含 むも のを コ夏盟 ﹁ ﹁ 略訓﹂ ︵ 足 跡 の類︶ の別を立 てる場合 があ る こと と、 ﹁ 完読﹂を基準 にし て分類す る場合もあ ることを注意 し て いる。. 義 訓﹂と C戯訓 にあ る。 ﹃ 万葉集﹄ の万葉仮名 の特色 は、稲岡氏 のAO 訓読 における ﹁.
(26) (102) 日本人の文字生活史序章. 一字 一音 式 の音 仮 名 表 記 の多 い巻 は 、 巻 五、巻 十 四東 歌 、 巻 十 七 、巻 十 八、巻 二十 防 人 歌 な ど であ る。. 戯 訓 は 、 謎 のよう な も の で、 一種 の文 字 遊 び 、 こと ば 遊 び の要 素 を 持 つ。 義 訓 にも 似 た と こ ろがあ る。 そ の二、 三 を 示 し て み よう 。. 毎 見 恋 者 雖 益 色 二 山 上 復 有 山 者 一可知 美 冬 夜 之 明 毛 不得 呼 五十 母 不宿 二 香仁 ︵ 巻 九 一七 八七 ︶. ﹁ 山 上 復 有 山﹂ 旧 い訓 の中 には 、 ﹁ヤ マノウ ヘ ニマタ ア ルヤ マ ハ﹂ と 訓 んだ も のがあ る が 、 中 国 で行 わ れ た文 字 謎 ニ ニ で、 ﹁ 出 ﹂ を いう 。 こ の歌 には ﹁ 色 ニ ⋮ ⋮ 一﹂ ﹁五十 母 不寝 ニ﹂ と 数 字 で遊 ん で いると こ ろが あ る。 ネノ ガ コノ ﹂ プ ィモニ 墓 肝 根 之 蹴 我 都 蚕 乃 ざ 縣 ﹁ 駐声 蜂 音 石√ 肝 酢 ャ麟 異 母 ニ有様 耐 ︵ 巻 十 二 一一 九 九 一︶. ﹁ 馬 声 蜂 音 石 花 蜘 颯 荒 鹿 ﹂、 最 も 有 名 な 戯 訓 であ る。 ﹁ 馬士 こ は 馬 の いな な き を ﹁ イ イ ン﹂ と 聞 き な し た も の、. ﹁ン﹂ は 無 表 記。 ﹁ ブ ン﹂ と 聞 いた も の。 ﹁石花 ﹂ は カ メ ノ テ の異 名 。 ﹁ 蜂 音 ﹂ は蜂 の羽 音 を ﹁ 蜘 蝙 ﹂ は ク モ。 コ ォノ ノ モ 〓 社都 緒 之 羅場 ﹂ ん十 ク 一ル 喚 新 万物 どう 臥 ︵ 巻 十 三 一 壬 壬一 一 〇︶ ﹁八 十 一﹂ は ﹁ 九 九 八十 一﹂ で九 九 の声 。. ン灯酢乱囃 ノ メ︵ サロ ︼ 宿藤ル冊 一 螢妊一都擦相 r 蕊晰七 一 々 巻十三 一 壬一 九八︶ ︿里 日 水 葱少 熱 ︵ 巻十 一 一一 五七九 ︶. ﹁二 々﹂ は ﹁二 々 四﹂ であ る。 ﹁八師 ﹂ ﹁ 七 日﹂ と 数 遊 び 的 要 素 があ る。 早 去 而 何 時 君 乎 相 見等 念 之 情. ﹁ 少 熱 ﹂ は ﹁ぬ る む ﹂ の義 訓 。 完 了 の助 動 詞 ﹁ぬ﹂ の連 体 形 ﹁ぬ る﹂ に用 いて いる。 人 言 乎 繁 三毛 人 髪 三 我 兄 子 乎 目者 雖 見 相 因 毛 無 ︵ 巻 十 二 一一 九 三 八︶. ﹁ 毛 人髪 ﹂ は ﹁ 毛 人 ﹂ ︵エミ シ︶ の毛 の多 いのを ﹁こち た し﹂ と 義 訓 し たも の。 ﹁ 毛 無 ﹂ は 、 そ の反 対 で 一種 の遊 び。.
(27) 敏 直 田. 春 霞 田菜 引今 日之 暮 三伏 一向 夜 不 械 照良 武 一 局松 之 野 余 ︵ 巻十. 一八七 四︶. こ んな 義 訓 も あ る。 ョ 一 伏 一向 ﹂ は 、 博 尖 の語 と いう 。 樗 蒲 と いう サ イ コ 口に当 る楕 円 の板 の表 を 白 く 裏 を 黒 く. 塗 り 、 四枚 一揃 いを 投 げ て、裏 が 三枚 、表 が 一枚 、 出 た場 合 を ツクと い い、裏 が 一枚 、表 が 三枚 出 た 場 合 を コ ロと い った と いう 。 そ の歌 も あ る。 巻 十 二 一一 九 八 八︶ 梓 弓 末 中 一伏 三起 不 通有 之 君 者 会 奴 嵯 羽将息 ︵ 印 結 而 我 定 義 之 住 吉 乃浜 乃小 松 者 後 毛 吾 松 ︵ 巻 三 一 二九 四︶. ﹁ 義 之 ﹂ が義 訓 であ る が 、 複 雑 であ る。 ま ず ﹁ 義 之﹂ は 、 書 聖 と 謳 わ れ た 中 国 義 之﹂ は ﹁ 義 之 ﹂ と 通 用 さ せ た。 ﹁. の王 義 之 であ る。 書 家 は ﹁ 大 師﹂ と いえ ば 弘 法 大 師 、 ﹁ 手 師 ﹂ と呼 ば れ た が、 書 家 の代 表 と し て、後 世 、 ﹁ 太 閤﹂ と. いえ ば 、 豊 臣 秀 吉 、 ﹁ 手 師 ﹂ と いえ ば 、 王 義 之 を さ し た の で、 こう し 黄 門 さ ま ﹂ と いえ ば 水 戸光 囲 と いう よう に、 ﹁. た義 訓 が 生 ま れ た 。 王 義 之 の子 工 献 之 も 書 の名 手 であ った の で、 王 義 之 を ﹁ 大 王﹂、 王 献 之 を ﹁ 小 王 ﹂ と い った の で、 ﹁ 大 王 ﹂ と 書 いて ﹁てし﹂ を 訓ま せ るも のも あ る。 心 一乎 今 解 目 八方 ︵ 巻 十 一 一エハ〇 一こ 黒 髪 ノ白 髪 左 右 跡 結 大 王 ヽ. 正倉 院 文 書 の ﹁ 東 大 寺 献 物 帳 ﹂ の光 明皇 后 献 納 品 に ﹁ 楊﹂ は ﹁ 楊 晉 右 将 軍 王 義 之 草 書﹂ が数多 く あ る。 ﹁ 楊 模﹂. で透 か し 写 し のこと であ る。 が 、 中 に、 天 平 宝 字 二年 ︵ 大 小 王真 七 五 八︶ 六 月 一日 に勅 によ つて追 加 奉 献 さ れ た ﹁. と し て、 正 倉 院 文 書 か ら 五 一通 が収 め ら れ て いる。. 人 々啓 状 ﹂ 楽遺 文 ﹄ に ﹁ こ こ で、 文 字 生 活 に お け る コミ ュニケ ー シ ョンと し て、 手 紙 文 を と り あ げ てみよう 。 冒 す. であ る 。. 日 “ 汁 大王﹂は王義之、﹁ 跡一 巻雄 散 縛 林掛 縫 幣 焔 糀 掛瓶耐 桐 榊 任繕跳賄 粁枇 夢 輯 小王﹂は王献之 枇 ﹂がある。現存しないが、﹁. 西. (103).
(28) (104) 日本人の文字生活 史序章. 一般 的 な 書 状 は 、 書 式 に従 い、 漢 文 体 であ る 。 謹頓 首啓 請 好 醤 三 四升 許 右 、 以 今 日 、 私 所 可 斎 食 、 望 請 垂 恩 余 、 附 所 願 成 熟 、 傷 附 鴨 部 、 謹頓 首 啓 六 年 間 十 二月 十 四 日 下道 主 謹 状 謹 上 廣 万呂尊. 天平 宝 字 六年 ︵ 七 六 三︶ に、 造 東 大 寺 司案 主 であ る 下道 主 が好 い醤 油 三 四升 を 乞 う た手 紙 であ る。 超 通 下案 主 御 所 一. 奉 別 以 来 、経 数 日、 恋 念 堪 多 、但 然 当 此 節 、 摂 玉外 耶 可 、 但 下 民 僧 正美 者 、蒙 恩 光 送 日如 常 、但 願 云 、 可 日玉 面参 向 奉 仕 耶. 一佐 官 尊 御 所 申 給 、 勢 多 庄 北 辺地 小 々欲 請 、 又 先 日所 進 大 刀 子 、若 便 使 侍 者 下耳 、若 元、後 日必 々請 給 春 佐 米 乃 阿 波 礼 天 平 宝 字 六 年 潤 十 二月 二 日 下僧 正美 謹 状. 別 れ てか ら の消 息 を た ず ね 、 勢 多 庄 の北 辺 の土 地 を 少 々欲 し いと 請 い、ま た 先 日た てま つ った 大 刀 子 を 便 使 に つ. け て給 わ る よう 願 って いる 。 最 後 に ﹁ 春 雨 のあ は れ﹂ と 万 葉 仮 名 で、感 慨を 述 べ て いる。 こ の書 状 は 、 全 部 朱 で書 いてあ ると いう が 、 な ぜ 朱 書 き し た のか 不 明 であ る。 謹 解 申 請 海 上 郡 大 領 司 仕 奉事. 中 宮 舎 人 左 京 七 条 人 従 八位 下海 上 国 造 他 田 日奉 部直 神 護 我下線 国海 上郡 大 領 司爾仕 奉 止申 故 波、神 護 我祖 父 小 乙.
(29) 田 直 敏 西. (105). 下忍、難波 朝庭少領司爾仕奉支、又外正八位 上給三、藤原朝庭爾大領 司爾仕奉支、兄外従六位 下動十 二等 国足、奈 良 ・朝庭大領 司爾仕奉支、神 護我仕奉状、故兵部卿従 二位藤 原卿位 分資 人、始養老 二年 至神亀 五年十 一年 、中宮舎 人、始 天平元年 至今 廿年、合 廿 一歳、是以祖父父兄良我仕奉郡留次爾在故爾海上郡大領司爾仕奉止申. 下総海上郡国造他 田日奉部直神護が祖父以来 の由緒 や自分 の功労を 述 べて、海上郡大領 に任ぜられるよう 願 い出. 波. たも ので、全文 が宣命体 で書かれ ている。 謹啓 若 子弐所恋状 衣笠女者 至夕時父尊者 者 之等 乃未 鳴恋侍 又 エ ハ麻 呂 日 々 知 麻 止 夜 鳴 恋侍 耳 不 別幣 謹 啓 真 瀬女申 状. 戯 書 啓﹂ と よ ば れ 、 ﹁鳴 恋 侍 ﹂ 写 経 生 の落 書 き で恋 文 であ る。 天 平 宝 字 六 年 ︵ 七 六 二︶ 以 前 に書 か れ た も の。 ﹁ と あ る こと でも 知 ら れ て いる。. こ のよう に、 書 状 は 、 正式 な 漢 文体 の書 式 を 守 ったも のが普 通 であ る が、 宣 命 体 を 用 いたも のや漢 字 の訓 と 表 音 戯 書 啓 ﹂ のよう な ごく 日常 的 な も のま であ った 。 仮 名 を 用 いた ﹁. こ のよう に見 てく ると 、 一字 一音式 の万 葉 仮 名 で書 か れ た 正倉 院 蔵 の 二通 り の文 書 は 、当 時 と し ても 特 殊 で、 わ. 漢 語 ︶ の知 識 が あ れ ば 、 ﹁ 戯 書 啓﹂ のよう な 書 き 方 の方 か り にく いも の では な か った か と 思 わ れ る。多 少 の漢 字 ︵. が わ か り やす か つた であ ろう し 、 ﹁ 春 佐 米 乃 阿 波 礼 ﹂ と 書 く こと も でき た。 宣 命 書 き にす る こと も 意 味 を 伝 え や す い形 式 であ った 。.
(30) (106) 日本人の文字生活史序章. 次 の正倉 院 文 書 の万 葉 仮 名 文 は 、 ど う 読 む のか 、 難 解 な も のであ る。 手 紙 文 と す れば 、相手 は 、す ら す ら と 理解 でき た の であ ろう か 。. 和 可夜 之 奈 比 乃 可 波 利 爾 波 於 保 末 之 末 須 美 美 奈 美 乃 末 知奈 流奴 乎 宇 気 典 止於 保 止 己 可都 可佐 乃比 止 伊 布 之 可 流. 可由 恵 爾 序 礼 宇 気 牟 比 止 良 久 流 末 毛 太 之 米 三 末 都 利 伊 礼 之 米 太 末 布 日典 耐 良 毛伊 太 佐 牟 之 可毛 己 乃波 古 美 於 可. 牟 毛 阿 夜 布 可 流 可由 恵 祠 波 夜 久 末 可 利 太 末 布 曰之 於 保 己 可 ツ可 佐 奈 比気 奈 波 比 止 乃太 気 太 可比 止 □ 己 止 波 宇 気 都流. 布 多 止 己 呂 乃 己 乃 己 乃美 美 毛 止 乃加 多 知 支 々多 末 了 爾 多 天 万都 利 阿 久 □ 之加 毛 典 雨 波 夜 末多 波多 万 波 須 阿 良 牟. 伊 比 祠 典 久 加 蘇 マ天多 末 不 マ之 止 毛 知宇 良 波 伊 知 比 爾 恵 比 天美 奈 不 之 天 阿利 奈 利 な故が加 一久 呂 都 加 乃伊 祠 波 々古 非 天伎 一田宇 利 万多 已 雨 波 加 須. 文 字 生 活 にお いては 、参 照す る辞 書 が 必 要 であ る。 輸 入 さ れ 、書 写 さ れた 漢 籍 、 仏 典 の読 解 、ま た文 章 作 成 、特 に漢 詩 の押 韻 に つ いては 辞 書 が 不 可 欠 であ った 。. 天 武 十 一年 ︵ 六 八 二︶ 三 月 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ は 、 丙 午 、 令 境 部 連 石 積 等 、更 肇 偉 造 新 字 一部 四 四巻 ﹂ と 録 し て い る 。 日本 最 初 の辞 書 であ ると 言 わ れ て いる が 、 詳 細 は 不 明 であ る。. 境 部 石積 ︵ 坂 井 部 石 積 ︶ は、白 雉 四年 ︵ 六 五 三︶ 五月 の第 二回遣 唐 使 に学 生と し て渡 唐 し て いる。 ま た 、 天 智 四. 年 ︵ 六 六 五︶ 十 二月 に第 四回遣 唐 使 と し て渡 唐 し 、 天 智 六年 ︵ 六 六 七 ︶ 十 一月 に、大 使 格 で帰 国 し て いる。 ﹃ 新字﹄ は 新 た な 中 国 音 と し て の漢 音 に よ る辞 書 であ った か も 知 れ な い。.
(31) 敏 直 田 西 ( 107 ). 一九 九 八年 九 月 四 日、奈 良 国 立 文化 財 研 究 所 は 、奈 良 県 明 日香 村 の飛 鳥 池 遺 跡 出 土 の八世紀 初 め の木 簡 に漢 字 の. 発 音 を 示 し たも のがあ り 、 字 典 のよう な も のを 書き 写 したも のだ ろう と 発 表 し た 。 木簡 の長 さ 一八 ・七 セ ンチ、 幅. 一 ・五 セ ンチ で、 ﹁ 能蔀 黒 彼 下運村愚 懇蔦 上横 詠螢 詠 ﹂ と 書 か れ て いる。 ﹁ 罷ど に ﹁ 評﹂、 ﹁ 熊﹂ に ﹁ 彼ご 、﹁ 通﹂ に ﹁ 懇﹂、 ﹁ 螢﹂ に ﹁ 景﹂ に ﹁ 詠 ﹂ と あ る。 二行 割 り の小 字 と 大 字 と あ る が、 漢 字 の発 音 を 示 し た も 村﹂ ﹁ 横﹂ に ﹁ ■ 、﹁ ︵. の で、 万 葉 仮 名 のよう に見え るも のも あ る が 、 字 音 仮 名 と し て、当 時 の 日本 人 の漢 字 の発 音 を 示 し たも のと にわ か には 断 定 でき な い。 字 書 的 なも のが確 認 さ れ た意 義 は大 き い。. な お 、奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 は 、 同 時 に、 七 世 紀 後 半 の木 簡 ︵ 長 さ 二十 一セ ン チ、幅 二 ・四 セ ンチ︶ に、表 に. ﹁ 白 馬 鳴 向 山 欲 其 上 草 食 ﹂、裏 に ﹁ 女 人 向 男 咲 相 遊 其 下也﹂ と 書 か れ た漢 詩 風 のも のがあ った こと を 発 表 し た 。. 最 古 の漢 詩 と 新 聞 は報 じ た が、当 時 、 日本 人 が漢 詩 を 楽 し ん で いた こと を 示 す も のであ る。. 音 義 ﹂ も 作 ら れ た 。 現存 の ﹃ 仏 典 の語 注 であ る ﹁ 新 訳 華 厳 経 音 義 私 記 ﹄ は 延 暦 十 三年 ︵ 七 九 四︶ の写 本 であ る が 、 成 立 は奈 良 時 代 と さ れ て いる。 梁 力 将 反 、橋 也 、 二字 波 之 、 霧 煙 上 音 牟 、 訓 奇 利 、 下姻 字 同 、 気 夫 利. 最 後 に、 漢 字 のほ か に、 外 国文 字 と し て の梵 字 が仏 教 と と も に伝 え ら れ た 。 法 隆 寺 の貝 葉 梵 本 があ る。 東 大 寺 大. 仏 開 眼 導 師 を つと め た 婆 羅 門 僧 正 菩 提 倦 那 は 、 天 平 勝 宝 四年 ︵ 現 在 のヴ ェト ナ ム︶ の仏 哲 、 唐 七 五 二︶、 林 邑 国 ︵. の道 塔 と と も に来 日 し 、 大 安 寺 で 一五年 間 にわ た って梵 語 を 教 授 し たと も いわ れ ﹁ 尤 善 呪 術 、弟 子 承 習﹂ と ﹃ 南天. 竺 波 羅 門 僧 正碑 井 序 ﹄ に記 さ れ て いる。 梵 語 によ る呪 のこと であ ろう か 。 平 安 時 代 にな って五大 院 安 然 撰 の ﹃ 悉曇. 蔵 ﹄ 巻 第 三 に、婆 羅 門 僧 正 本 の記 述 があ り 、 ま た仏 哲 が持 ってき たと いう ﹃ 悉 曇 章 ﹄ の記 録 が見え る。. こ のよう に梵 字 が伝 え ら れ た こと は確 か であ るが 、 日本 人 の文 字 生 活 への影 響 は少 な か った。.
(32) (108) 日本人 の文字 生活 史序章. 引 用文 献 ﹃ 魏 志倭 人伝 ・後漢 書倭伝 。宋書倭国伝 ・隋書倭 国伝﹄岩波文庫. 律 令 ﹄ は 日本 思想 ﹃ 続 日本紀﹄は、新 日本 古 典 文 学 大 系 、 ﹃ 万葉集﹄ ﹃ 風土記﹄ は、 日本古典文学大系 、 ﹃ 古事 記﹄ ﹃日本書紀﹄ ﹃ 体系 、そ の他 は ﹃ 寧楽遺文﹄ による。. 参 考文 献. 木簡 が語 る古代史 上﹄ 一九九 六年 士口川弘文館 平 野邦雄 ・鈴木靖民編 ﹃. とばと文字﹄ 一九九 六年 中公文庫 岸 俊男編 ﹃ 日本 の古代 4 ﹂ 1 > 鬼 頭清 明 ﹃ 古代文簡 の基礎 的研究﹄ 一九九 三年 塙書房 石波新書 東 野治 之 ﹃ 木簡 が語 る 日本 の古代﹄ 一九 八三年 山 阿 辻哲 次 ﹃ 知的生産 の文化史﹄ 一九九 一年 九善. 璽こ と漢字﹄ 一九九 六年 講談社 魚 住和晃 ﹃. 児 玉義 隆 ﹃ 梵字 必携﹄ 一九九 一年 朱鷺書房. 鈴 木棠 三 ﹃ことば遊び﹄ 一九七 五年 中公新書 池 田温編 ﹃ 古代を考え る 唐と 日本﹄ 一九 九 二年 士口 川弘文館.
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