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イラン現代史 -- 権威主義に抗議する社会 (特集 イランの民主化は可能か)

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イラン現代史 -- 権威主義に抗議する社会 (特集

イランの民主化は可能か)

著者

アブドリ ケイワン

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

182

ページ

16-20

発行年

2010-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004378

(2)

  イランでは一八九一年のタバコ ボイコット運動以来、数多くの抗 議運動が起こってきた。これは何 よりも権威主義体制が市民の意見 を く み 上 げ る 装 置 を 備 え て こ な かったからである。イラン近代史 上最大の抗議運動は、言うまでも なく一九七九年の革命に帰結した 運動である。この革命は微 び 視 し 的 てき に 見 れ ば、 公 開 書 簡、 詩 の 朗 読 会、 あるいは小規模な抗議デモという 様々な形態の抗議行動が巨大な社 会的抗議運動に発展した結果であ る。革命が成就する以前から、革 命 指 導 者 ホ メ イ ニ ー は 幾 度 も 民 主 的 な 体 制 の 樹 立 を 公 約 し て い た。 し か し イ ス ラ ー ム 共 和 国 は そ の 樹 立 か ら 間 も な く 権 威 主 義 的 な 傾 向 を 強 め る よ う に な り、 国 民 の 政 治 的 権 利 を 制 限 す る よ う な 過 程 を 辿 っ た。 革 命 か ら 三 一 年 を 経 て、 イ ラ ン で は 再 び 大 規 模 な 社 会 的 抗 議 運 動 が 生 ま れ て お り、 国 民 は 統 治 者 に 三 一 年 前 の 公 約 の 実 行 を 求めている。小論ではイスラーム 共和国の権威主義化を振り返った うえで、この運動の背景と現状に ついて述べたいと思う。

 一

体制の権威主義化

  一 九 六 〇 年 代 初 頭 に 完 成 し た シャー(国王)を中心とする開発 独裁体制はイランの社会経済に大 きな変化をもたらした。農地改革 や女性の選挙権等画期的な社会改 革を推し進め、持続的経済発展を 実現した。しかし一九七〇年代後 半となると政治発展を妨げてきた 開発独裁体制は明らかに限界に達 し て い た。 こ れ は 横 行 す る 腐 敗、 システマティックな人権侵害、貧 富格差の悪化、西洋文化の流入に よる宗教的社会層の疎外感などの 問題に対応できなくなっていたか らである。これらの矛盾によって 生じた不満は一九七八年の冬頃か ら 抗 議 行 動 と い う 形 で 表 面 化 し、 この抗議行動は徐々にうねりをあ げ、その年の秋は巨大な社会的抗 議運動まで発展した。国民は案外 早く勝利を実現し、革命は翌年の 二月に成就した。しかし政治への 参画、結社の自由、言論の自由な どの民主的な価値を実現しようと して革命運動に参加した社会層の 絶望もまた案外早くおとずれた。   革命の絶対的指導者だったホメ イニーと宗教勢力にとっては一九 七九年のイラン革命は「イスラー ムの革命」であり、この革命はイ ラン社会を「イスラーム化」する ための手段に過ぎなかった。彼ら がいう「イスラーム化」は市民の 権利の侵害と表裏一体のものだっ た。女性の権利を大幅に認め、当 時のイスラーム世界で最も進歩的 だった「家族法」が革命成就の直 後に改定されたのは象徴的なこと である。その後、革命の勝利から 六カ月も経たずに野党や独立系の 活字メディアは大量の発行禁止処 分を受け、報道の自由の大幅な制 限がなされた。シーア派ウラマー の間でもコンセンサスを得られて いない「イスラーム法学者による 統治」 (ヴェラーヤテ ・ ファギーフ) という条項がイスラーム共和国憲

|権

・ア

可能か

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イラン現代史―権威主義に抗議する社会

法に組み込まれたことにより、国 民間の政治的不平等は最終的に制 度化された。   他方、政治団体や市民団体、職 業団体等の存在は 革命後もしばら く は 権 力 の 独 占 を 目 指 す ホ メ イ ニー主義勢力の意図を抑制する力 を維持していた。しかしまもなく 両者の対決がはじまった。体制内 の権力闘争の末、一九八一年六月 にバニーサドル大統領が罷免され た事件をきっかけに、徹底的な弾 圧と排除が行われ、二、三年のう ちには体制支持集団および伝統的 組織を除くほとんどすべての政治 組織、市民団体、労働組織が抹殺 された。まさに「革命が自らの子 供たちをむさぼり食い始めた」の である。 広範な検閲体制が敷かれ、 自立したメディアはほとんど無く なっていった。   対 イ ラ ク 戦 争 の 終 結 と ホ メ イ ニーの死去を経て、イスラーム共 和国体制は一九九〇年代初めには 安定し、独自の政治システムを形 成していた。このシステムにおい てエスタブリッシュメントの中心 を成していたのは高位聖職者であ る。憲法の規定により多くの政治 的 利 権 を 独 占 し た 高 位 聖 職 者 は、 この頃までに特権階級としての地 位を確立した。かれらを中心とし たパトロン・クライアント関係を 基本原理とする人的ネットワーク はエスタブリッシュメントの全体 に広がり、そのネットワークの影 響力によって政治的権力の配分だ けではなく、経済利権の取り分も 決定されていた。政府は石油収入 に よ る「 レ ン ト 」 を 配 分 す る 際、 特権階級の意向を決して無視でき ないからである。このメカニズム は現在に至るまでネポティズムと 腐敗の温床となっている。   しかし、やがてこれらのネット ワークの間に政治権力や経済利権 を巡る争いだけでなく、これにま つわるイデオロギー的闘争も生じ て く る。 さ ら に 新 し い 世 代 や グ ル ー プ の 登 場 に よ っ て、 ネ ッ ト ワーク間の均衡が崩れることがあ るものの、その基本的原理は未だ に変わってない。   ネットワーク間の利権争いは党 派政治という原理を体勢内に持ち 込むことになった。しかし男性と 女性、聖職者と非聖職者、ムスリ ムと非ムスリム、シーア派とスン ナ派など、イスラーム共和国は近 代市民社会の理念からみれば差別 的原理に基づいたシステムである ために、政治競争に参画できる層 は厳しく制限されている。さらに 政治参加には「不文のルール」が あ っ て、 か つ て の「 反 革 命 分 子 」 は「 よ そ 者 」( gheir -e kho dī ) に 分類され、政治競争に参画できる の は「 革 命 分 子 」 で あ り、 「 自 分 た ち 」( kho dī ) に 属 し て い る 者 だ けである。   そして護憲評議会、司法府、治 安機関や革命防衛隊は体制を「侵 入者」 からまもる役目を与えられ、 このシステムの番人役を担ってい る。だがこれらの機関は透明性も なければ中立性もなく、説明責任 を問われることもない。さらにこ の数年革命防衛隊はシステムの番 人という役割からも逸脱し、独自 の政治ネットワークを築き、利権 の争いに参加するプレーヤーに変 質してきているのである。

 一

選、

革派の出現とその教訓

  対イラク戦争の終結後、経済再 建を目指す政府はチェスや音楽演 奏など一部の娯楽を合法化し、社 会 的 制 限 の 緩 和 の 姿 勢 を み せ た。 この時バーザルガーン革命政権初 代首相をはじめ数十人の政治活動 家は政治自由化の気運が高まって いると判断、ラフサンジャーニー 大統領に公開書簡を送り政治シス テムの自由化を求めた。だが体制 側はこの要求に対して厳しく対処 し、政治自由化の意思がないこと を示した。その後経済自由化の失 敗が主な原因で一九九四年や一九 九五年には大規模な都市暴動が頻 繁に起こり、テヘラン大学を中心 に 大 学 生 に よ る デ モ も 発 生 し て、 強制力のみに頼る社会の統治とコ ントロールの限界が露呈した。   こ う し た 状 況 下 で イ ラ ンは 一 九 九 七 年 の 大 統 領 選 を 迎 え た 。 この 選 挙 で体 制 内か ら政 治 自 由 化を標 榜 す る勢 力 を代 表し て立候 補し た の がハ ー タ ミ ー で あ り 、 エ ス タ ブ リ ッ シ ュ メ ン ト 勢 力 側 の 候 補 者 だ っ た のが最 高 指 導 者に支 持 され た ナ ー テ グ ヌ ー リ ー で あった 。こ の 選 挙 に お い て 、国 民 は 体 制 の 権 威 に 対 し て 「 ノ ー 」 と い う 抗 議 の 一 票 を 突 き つけ る 機 会 を 与 え ら れ た 。こ の 選 挙 で はハ ー タ ミ ー が 圧 勝 し 、 こ れ に 続 く 二 〇 〇 〇 年 の 国 会 選 挙 で も 改 革 派 が 勝 利 、変 化 を 求 め る国 民 の意 志は選 挙 結 果に 反 映 さ れ た 。 確 か に ハ ー タ ミ ー 就 任 直 後 に 検 閲 が 緩 ん だ こ と で 、 新 し い 新 聞 、雑 誌 や 書 籍 は 数 多 く 発 行 さ れ る よ う に なった 。 ま た 政 治 組 織 や 市 民 的 結 社 の 結 成 も 相 次 ぎ 、 市 民 社 会 は再 生し つ つ あると思 わ れ た 。 し か し 間 も な く 政 治 改 革 に 反 対す る保 守 派 勢 力は 司 法や護 憲 評 議 会 、革 命 防 衛 隊 な ど を 介 して

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始 し 、報 道 と 結 社 の 自 由 限 す る こ と に 成 功 し た 。 再 び 強 ま っ て き た 体 制の 化 に 対 し 、 この 間 さ ま ざ 行 動 が 起 こ った 。 そ の 最 一 九 九 九 年 お よ び二〇 学 生を中 心 に連日 行 わ デ モ で あ る 。 だ が この 時 抗 議 デ モ は未 だ社 会 的 ま で 発 展 す る こ と は な そ の 大 き な 理 由 は 改 革 派 これに 合 流 し な か っ た こ 。 改 革 派 はエス タ ブ リ ッ 内 部で の 政 治 取 引 を 通 を 進 める こ とを目 指 し て 議 運 動 の 広 が り につい て 望 ん で い な かった 。 し か ら は 改 革 の 実 現 に 失 敗 の 中 枢 か ら も 追 い 出 さ れ な っ た の で あ る 。

 二

民社会の参加

  二〇〇五年の大統領選において は典型的なポピュリスト・スタイ ルの選挙戦を貫いたアフマディネ ジャードが当選した。彼は体制内 部 に 独 自 の 権 力 基 盤 が な い た め に、それを築き上げようとしたと 同時にライバル勢力の基盤になり う る よ う な 組 織 の 牽 制 に 動 い た。 そ の 一 方 で 彼 は 革 命 防 衛 隊 や バ シ ー ジ ュ に 巨 大 な 経 済 利 権 を 与 え、自らを支持する宗教団体を重 点的に支援した。他方で自らの政 治的利害や思想信条に適わない市 民 組 織 の 弱 体 化 や 解 体 に 着 手 し た。例えば N G O組織や政治政党 の支援金制度を廃止し、テヘラン の 市 営 バ ス 会 社 の 組 合 を 解 体 し た。また改革派政党や大学生組織 に対して圧力を加え、かれらの行 動を制限した。さらに検閲を強化 し、多くの書物や新聞・雑誌を発 行禁止にして、大学教員をはじめ とする世俗派や改革派知識人の発 言の場を制限した。またイランの 伝 統 的 な 社 会 組 織 で あ る ダ ル ヴィーシュの修行所も何カ所で破 壊している。   こうして政府から標的とされた 市民社会の代表者たちは、総じて 二〇〇九年の大統領選に 積極的に 関わった。女性運動の活動家、知 識人、大学生活動家、ジャーナリ スト、人権派弁護士、ダルヴィー シュの指導者等、市民社会を代表 す る 人 た ち は ム ー サ ヴ ィ ー と キ ャ ッ ル ー ビ ー に 対 話 の 場 を 求 め、彼らも若干の躊躇の末それに 応 じ た。 こ の 時 の 対 話 を 通 じ て、 両候補は従来取り上げられてこな かった彼らの主張、例えば「市民 の権利」 、「女性の権利」 、「宗教マ イノリティの権利」 、「民族的マイ ノリティの権利」等を公約に盛り 込むことになった。こうして二〇 〇九年の大統領選はまさに市民的 社会諸権利の命運がかかる選挙の 様相を呈したのである。

 選

と「

的抗議運動」の特徴

  昨 年 選 挙 の結 果 を巡 っ て発 生し た デ モ は 、 一 九 八 一 年 以 来 初 め て の 大 規 模 な 抗 議 デ モ で あっ た 。 最 初の 二 カ 月 間 非 常 な 勢いを も っ て 行 わ れ て い た 抗 議 デ モ は 、ア フ マ ディ ネ ジ ャ ード の宣 誓 式 を 契 機に 勢 い を 失 い 、 散 発 的 と な り そ し て 一 二 月 三 〇 日 を 最 後 に 沈 静 化 し た 。   し か し 実 は、 ア フ マ デ ィ ネ ジャードの一期目の任期中におい ても抗議行動は盛んに行われてい た。野党政治家や知識人による公 開書簡、人権活動家からの人権侵 害に対する抗議、大学性による抗 議デモ、労働者や学校の教員たち によるストライキなどの伝統的な 形態の抗議行動から「投石刑廃止 キャンペーン」 、「未成年者処刑廃 止 キ ャ ン ペ ー ン 」、 そ し て 女 性 主 導の「一〇〇万人署名キャンペー ン 」 の よ う な 新 し い タ イ プ ま で、 この数年間、様々な抗議行動がイ ランに蔓延していた。昨年の大統 領 選 は こ れ ら の 抗 議 行 動 が 結 集 し、社会的抗議運動にまで発展す る ひとつの きっかけを作ったとい えよう。ここでは昨年の抗議デモ の報道からこの運動の特徴を探り たいと思う。 ①まずこの運動は改革派の運動で はない。大統領選に参加した勢力 も、 それをボイコットした勢力も、 改革派支持の勢力も、リベラルも 左派勢力も、特に政治的アイデン ティティがない勢力まで含めてす べ て が こ の 運 動 に 加 わ っ て い る。 「アッラーは偉大なり」と「独立、 自由、イラン共和国」という二つ のスローガンが同時に叫ばれてい たのはそのためである。 ②もうひとつの特徴は、二、三人 を除けば高位聖職者がこの運動と の積極的関わりを避けていること である。選挙直後にムーサヴィー

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イラン現代史―権威主義に抗議する社会

は数回コムを訪問して高位聖職者 と面会し支持を求めたが、ほとん ど 成 果 を 得 ら れ な か っ た。 一 方、 宗教界はこの運動に関して本心が 何なのか、外部に漏れ伝わる情報 が非常に少ない。 その理由として、 今日宗教界はその歴史的自立性を 失っており、経済面においてもか なり国家に依存しているため、自 由に政治的見解を表現することを 躊躇しているのではないかと考え られる。 ③つぎは運動の明確な反暴力的な 姿勢である。確かにデモ隊の一部 は暴動化した場面もあったが、こ のような行動は真っ先に運動の内 部から糾弾されている。 ④ い ま ひ と つ は 女 性 の 役 割 で あ る。昨年の抗議行動でもみられた ように、時に男性をも凌駕するほ ど、女性は積極的にこの運動に参 加している。そしてこの女性参加 の特徴として、世俗的な女性と宗 教的な女性との協力という新しい 現象にも注目すべきであろう。こ の 現 象 は 二 〇 〇 八 年 に 出 さ れ た 「 家 族 法 改 正 法 案 」 に 対 す る 反 対 運動においても顕著にあらわれて いる。 ⑤ 最 後 に 運 動 の 支 持 基 盤 で あ る が、昨年の抗議行動以来この運動 が中産階級の青年層、若年層と女 性層に立脚しているという見方が 支配的になっている。女性の参加 については前項で触れたが、青年 層はどこでも多くの場合社会的抗 議運動の中核を成しており、必ず し も イ ラ ン に 特 有 な 現 象 で は な い。ただしこの運動が中間階級の 運 動 で あ っ た か ど う か に つ い て は、イランにおける中間階級の定 義ひとつをとっても不明確なとこ ろが多く、現時点においては断定 を避けるべきであろう。   イランでは現在大規模な抗議デ モ行動は終結しており、イスラー ム体制は表面上危機を乗越えて安 定 を 取 り 戻 し て い る よ う に み え る。しかし政治的な不安定化の材 料 は 政 界 に 蔓 延 し て い る。 他 方、 現時点ですでにイランの社会的抗 議運動の長所と短所もある程度み えてきており、今後いかに短所を 補い、長所を伸ばしていけるかが 抗議運動側にとって重要なポイン トとなるだろう。

●イラン体制側の不安材料

  昨 年 の 抗 議 デ モ は 、イ ス ラ ー ム 共 和 国 の権 威 主義 体 制にす で に大 き な 打 撃 を 与 え て い る 。ア フ マ デ ィ ネ ジ ャ ード 大 統 領 の 正統 性 が疑 問 視 さ れ て い る だ け で な く 、 い ち 早 く 彼 の 再 選を承 認し た最 高 指 導 者 ハ ーメ ネ イ ー の正 統 性 ま で が 問 わ れ る こ と に な っ た 。 し か も ハ ー メ ネイー 自 身 が 金 曜 礼 拝に お い て抗 議 デ モ の 弾 圧 を 命 じ た こ と で 、 彼 の最 高 指 導 者 と し て の権 威 はかな り 損 な わ れ て い る 。 昨 年 以 来 の 盛 り 上 がり を 欠 い た 体 制 支 持 デ モ の 様 相 を み て も 、体 制 支 持 層 で す ら 現 状に対し て多 かれ 少 なかれ不 満 を 持 っ て い る こ と が 窺 え る 。   他方で体制内部の分裂と権力闘 争もまた激しさを増している。 ア フマディネジャード 大統領対国会 議 長 お よ び 司 法 長 官( ラ ー リ ー ジャーニー兄弟)の対立は、時に 国家の正常な機能をも損なうほど 深まっており、このような事態を 懸念するハーメネイーは彼らに和 解と協力を呼びかけている。しか し 彼 ら の 対 立 は そ の 社 会 的 な 出 自、政治的背景や思想的傾向の相 違によるものであり、さらに政治 的および経済的利権がそれに絡ん でいるため簡単に収まることはあ り得ない。一方エスタブリッシュ メントの中には革命防衛隊が急速 に政治的影響力を拡大し、巨大な 経済利権を独占していることを憂 慮している勢力もある。必ずしも 声高ではないが、最近保守派の中 からすらも革命防衛隊の経済活動 に対する批判があがるようになっ てきている。革命防衛隊側も自ら の経済活動の正当化に躍起になっ ている。   このような正統性の低下や権力 闘争の激化は、必ず体制の弱体化 に直結する。しかしながらその影 響がいつ体制の暴力装置にまで及 ぶかは明確ではない。   政治的安定を最も脅かしている のが経済情勢の悪化である。史上 空前の石油価格の高騰にもかかわ ら ず、 ア フ マ デ ィ ネ ジ ャ ー ド の 誤った経済運営の結果イラン経済 は二〇〇八年度の上半期、つまり 世界金融危機が勃発する数ヶ月前 から後退局面に入っており、その 後も経済回復の兆しはみえていな い。そのためか政府は未だに二〇 〇八年度の後半の国内総生産の成 長率を発表しようとしない。   最近の指標としては、失業率の 急激な悪化が最も端的に経済の実 態をあらわしているだろう。失業 率の統計にまつわる操作の疑問は ともかくとして、イラン統計セン ターが二〇一〇年八月に発表した 統計によると、今年春の失業率は 前期と比べて三・五ポイント悪化 し、一四・六%に達している。   このような経済状況下で、政府 はこの秋から補助金の大幅カット と現金支払いへの切り替えを実施

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れ ら の 実 施 に 踏 み 切 れ

動、

か を 如 実 に 証 明 し て い 化 で あ り、 抗 議 運 動 に 大 の 政 治 的 資 源 で あ る。 「 個 人 の 権 利 」、 「 宗 教 、「寛容な社会」 抗議運動の成否は民主的な理念の 浸透だけに左右されるものではな い。この運動の持っている国民的 な 動 員 の ポ テ ン シ ャ ル を 発 現 さ せ、それを持続するために、運動 を支える組織、勇敢で賢明なリー ダーシップ、そして明確な目標が 必要とされている。この運動を支 えるべき市民社会の諸組織は元々 潜 在 的 な 脆 弱 性 を 抱 え て い る う え、現状では体制側からの集中攻 撃によって、その多くは活動停止 に追い込まれている。その最たる ものは各大学におかれた「大学生 イスラーム協会」の上部組織「連 合 強 化 事 務 所 」( Daftar -e Tahkīm-e Vahdat ) で あ る。 元 々 国 家 の 代 理 と し て 大 学 を コ ン ト ロールするためにつくられたこの 組織は、徐々に政府の管理下を脱 し、体制の権威主義に対して批判 的な立場をとるようになった。し かし昨年一度活動停止に追い込ま れた後、現在高等教育省はこの組 織の「再国有化」を進めている。   市 民 社 会 組 織 の代 役と し て ム ー サ ヴ ィー は 昨 年 か ら 度 々 「 社 会 的 ネ ッ ト ワー ク 」 の形 成 と 強 化 を 主 張 し て き た 。 そ れ は 恐 ら く 具 体 的 に は地区や学 校や職 場 を拠 点とす る 組 織 化 さ れ な い( フ ェ ー ス ・ ト ゥ ・ フ ェ ース の )人 間 関 係 を 基にし た ネ ッ トワ ー ク を イ メ ー ジし て い る も の と 思 わ れ る 。 し か し こ の 「 社 会 的 ネ ッ ト ワ ー ク 」と い う ア イ デ ィ アは現 時 点で ど こ ま で 社 会に浸 透 し て い る の か 、 あ る い は こ れ を 通 じ て ど の程 度 人 々 の動 員 が可 能 な の か 、そ の 実 態 と 実 効 性 に 関 し て は 不 明 な と こ ろ が 多 い 。   運 動 の リ ー ダ ー シ ッ プ に 関 し て い え ば 、 確 か に ム ー サ ヴ ィ ー と キ ャ ッ ルー ビ ー は 抗 議 運 動 に と っ て 象 徴 的 な 存 在 で あ り 、 国 際 的 にも よ く 知 ら れ て い る 。 し か し こ の 二 人 は か つ て イ ス ラ ー ム 体 制 の 実 現 に 大 き く 貢 献 し た こ と か ら 、 一 部 か ら は 強 く 敬 遠 さ れ て い る 。 ま た 彼 ら の 側 も 必 ず し も世 俗 勢 力 と の 対 話 を 拒 否 し て い な い に せ よ 、 こ の 勢 力 を 取 り 込 む 姿 勢 も ま た 示 し て い な い 。   こうしたリーダーシップの不在 のため、この社会的抗議運動は 状 況と局面の変化に応じて 実現可能 な共通の目標をつくることが未だ に出来ていない。抗議運動には当 初、 再 投 票 と い う 明 確 な 目 標 が あったが、アフマディネジャード 政権が正式に二期目に入ってから 以降は、当面の目標を失っている 状態である。

●おわりに

  歴史的にイランの権威主義体制 は何よりも石油収入と暴力装置に よって支えられてきた。しかし現 在みられるように、 政治体制が 「む き だ し の 権 力 」( naked power ) のみに頼ることは長期的に不可能 である。いずれどのような形であ れ変化は訪れるだろう。しかしこ の変化の担い手いかんによってイ ランの行方は大きく左右されるこ とになる。その担い手は果たして 革命防衛隊となるのか、体制の中 の不満分子となるのか、あるいは また現行の社会的抗議運動となる のか、現状において我々はその帰 趨を見守るしかない。 ( ケ イ ワ ン・ ア ブ ド リ / 神 奈 川 大 学研究員) 《参考文献》 ① A li G he iss ari & V ali N as r,

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( 『 近 代 と 対 峙 し た 百 年 』 ), ( H am bu rg : N ash r-e Ta lās h, 2 00 6. ③ Fa kh red din A zim i,

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(C am bri dg e, M A: H arv ard U niv ers ity Pre ss, 20 08 ).

参照

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出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所/Institute of Developing Economies (IDE‑JETRO) .

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