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本願寺順如裏書の方便法身尊像 (三)

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Academic year: 2021

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(1)  本 願 寺 順 如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 (三)                           吉   田  一   彦                           脊   古   真   哉 ( 承前) ﹁ 本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (一)﹂﹃ 名古屋市 立 女 子短 期大 学研 究紀要﹄第 五六集   一九九 六年 ﹁ 本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (二)﹂ ﹃ 名古屋市 立 女 子短 期大 学研 究紀要﹄第 五七集  一九九七年   以 下 本 稿 で は、 (一) を前 々稿 、 (二) を 前 稿 と 称 す る こと と す る。. 新潟県新潟 ︵九 市︶西  厳 寺 蔵 方 便 法 身 尊 像. く つか の知 見 を得 る こ と が でき た。 裏 書 の釈 文 を 掲 げ ると 、 次 の よう に な って いる 。. 寺. (花 押 )﹂.   こ の裏 書 (四七 ・六 × 二七 ・九 セ ン チ メ ー ト ル) の第 一行 目 は、 料. 紙 の向 か って右 より の部 分 が 剥 落 し て い るが 、 ﹁ 本. と 判 読 でき 、 ﹁ 本 願 寺釋 順如 (花 押 )﹂ と 記 さ れ て い た と 見做 し て問 題. る 。 こ の絵 豫 お よび 裏 書 に つい て は、 す で に ﹃新 潟 市 文 化 財 調査 報 告. 方 便法 身 尊 像 が 所 蔵 さ れ て お り、 裏 書 が 貼 付 さ れ て い る。 写 真 C であ.   新 潟 市 島 見 町 の 西厳 寺 ( 単 立 ・も と 大 谷 派 ) に は、 写 真 B に掲 げ た. のも の 、 な ど と 同 一の花 押 であ ろう と 判 断 し得 る。 これ は順 如 の花 押. よ く残 って お り、︵三 浄︶ 性 寺 蔵 のも の、︵五 等︶ 覚 坊 蔵 のも の、︵六 万︶ 福寺蔵. 他 の 順如 の 署名 と共 通 す る。 ま た花 押 の部 分 は、 幸 い に料 紙 が 比 較 的. ﹁順﹂ の偏 の ﹁川﹂ は第 三画 目を 左 下 に長 く 引 く 筆 跡 と な って い て、. な か ろ う。 署 判 の部 分 の拡 大 写 真 を 御 覧 い ただ け れ ば わ か る よ う に、. 書 ﹄ 寺 院Ⅲ に 写真 が提 示さ れ 、 ま た金 龍 静 氏 も 裏 書 の写 真 を掲 げ て見. と見 て問 題 が な い。 と こ ろ で、 これ ま で紹 介 し てき た 順 如 の署 判 は み.                             一九 九 八年 七 月 三〇 日調 査 ・写真 撮 影. 解 を述 べ て いる。 ま た 、木 村 壽 ・上 場 顕 雄 両 氏 も こ の裏 書 に言 及 し て. な ﹁釋順如 (花 押 )﹂ と な って い て、 ﹁ 本 願寺 ﹂ ﹁大 谷 本 願 寺 ﹂ の文 言 は. 4 (). いる 。筆 者 た ち も 、最 近 、 同寺 蔵 の文 化 財 に接 す る機 会 に恵 ま れ 、 い.                                    . 一.       名古 屋市 立大 学研究紀要  5  一九九 入年.

(2) 在 知 ら れ る 順 如 裏 書 の 初 見 事 例 と し て 貴 重 で あ る 。 筆 跡 も 、 ﹁文 ﹂. は 、 こ れ ま で紹 介 し てき た順 如 裏 書 の中 で最 も 早 いも の であ って、 現.   第 二行 目 に は ﹁ 文 明 三年 子庚 十 一月 廿 八 日﹂ と あ る。 こ の 下付 年 月 日. 味 に つ いて は後 に触 れ る こと と し た い。. の文 言 が付 され て い る。 これ は注 目す べき こと と 思 わ れ るが 、 そ の意. 付 され て いな い。 ひと り こ の西 厳 寺 蔵 のも の の署 判 の み に ﹁ 本願寺﹂.      本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (三). の は ﹁□ 住 物 也 ﹂、︵八 真︶ 光寺 蔵 のも のは ﹁ 常 □ 物 也 ﹂と いう 文 言 で充 所. 現 であ る よう に感 じ ら れ る。 他 の順 如 裏 書 を 見 ると 、︵七 西︶ 岸 寺 蔵 のも. 常 住 ﹂ で書 き 終 え ら れ て いる こと と な るが 、 これ はや や 舌 足 ら ず な 表. さ れ て いな か った と判 断 し て よ い。 そ う であ る な ら 、 充 所 は ﹁本 遇 寺.   こ の充 所 の末 尾 ﹁ 常 住 ﹂ の下 に は、 墨 痕 は な く 、 当 初 か ら 文 字 は 記. と あ る から 、 □ は ﹁ 中 ﹂ であ った 可能 性 が 高 い。. 番 ﹂  (﹁ 中 之 番 ﹂ と も 書 く) が知 ら れ て お り、 こ こも □ の下 に ﹁ 之番﹂.                             二. るが 、 金 龍 氏 は これ を ﹁中 ﹂ と 推 定 し て いる 。茨 田 郡中 振 郷 出 口村 の. 住 ﹂ と 記 さ れ て いる 。 □ の部 分 は 磨滅 のた め に判 読 でき な く な って い.   充 所 を 記 す 二行 は 、 ﹁ 河 内 國 茨 田郡 中 振 郷 出 口村 / □ 之 番 本 遇 寺 常. そ の筆 跡 は他 の順 如裏 書 と よく 共通 す る。. を 踏襲 し た も のと考 え ら れ る。 ﹁方 ﹂ ﹁ 便 ﹂ ﹁法﹂ ﹁ 身﹂ ﹁ 尊﹂ ﹁ 像﹂とも、. 如 下 付 の方 便法 身 尊 像 裏 書 の主 題 の ほと んど が ﹁像 ﹂ を 用 い て い る の. ﹁ 形 ﹂ で は なく 、 ﹁ 像 ﹂が 用 い られ て い る。 これ は順 如 期 に先 行 す る蓮.   上 段 の主題 は ﹁ 方 便 法 身 尊 像 ﹂ と な ってお り 、 他 の順 如 裏 書 と 同 様 、. 寺 蔵 のも の、︵十 東一 本︶願 寺 蔵 のも の、 に干 支 の誤 り が 見 ら れ る 。. な って いる。 他 に は、︵一 西︶ 琳 寺 蔵 のも の、︵二 光︶ 恩 寺 蔵 のも の、︵十 勝︶ 楽. に は干 支 の誤 り が しば し ば 見 ら れ 、 む し ろ そ れ が 特 色 の 一つと さ え. な ら 問 題 と な る と ころ で あ る が 、 前 々稿 で 述 べ た よ う に 、 順 如 の裏 書. つま り こ の裏 書 には 誤 った 干 支 が 記 さ れ て いる ので あ る 。 こ れ は 通常. 文 明 三 (一四七 一) 年 の干支 は ﹁辛 卯﹂ であ って ﹁ 庚 子﹂ で は な い。. 上 に ﹁釋﹂ の 一字 を 付 し て いな いこ と であ る。 こ れ は本 願 寺 下 付 物 の. る。 こ の 一行 で注 目 す べ き は 、 願 主 の名 を ﹁ 賢 秀 ﹂ と の み記 し、 そ の. ﹁ 願 主 ﹂ の下 に 一文 字 分 程度 の空白 が なく 、 連 続 し た記 載 と な って い.   願 主 名 の記 載 は ﹁願 主賢 秀 ﹂ と な って お り、 他 の 順 如 裏 書 と 同 様 、. な 変 化 が 生 じ た ので あ ろ う。. く いず れ か の時 点 で 、裏 書 の各 行 を記 す 順 序 を 変 え た た め、 こ の よう. バ ラ ン スを 欠 いて いるが 、 後 期 のも の はそ う な って は いな い。 お そ ら. いた 字 配 り と な って い る。 順 如 裏 書 は、 初 期 のも のは 充 所 の字 配 り が. だ 別稿 で紹 介 し た松 橋 家 蔵 のも の はそ う な って お らず 、 バラ ン スを 欠. 列 す る の が 通例 であ る。 他 の順 如 裏書 も 多 く は そ う な って いる が 、 た. こ れ は 異例 の字 配 り であ って、 主 題 の下 に左 右 二行 にバ ラ ン スよ く配. る と、 二行 と も が 主 題 の ﹁ 方 便 法 身尊 像 ﹂ の右 下 に配 列 さ れ て いる。. 用語 法 が こな れ て いな か った のか も し れ な い。 こ の 二行 の字 配 り を見. が おさ ま りが よ いが 、 順 如 と し て は、 まだ 裏 書 を 書 き 始 め たば か り で. が 書 き 終 え られ て いる 。言 葉 遣 いと し て は、﹁物 也 ﹂の 二文 字 を 記 す 方.    . ﹁明 ﹂ ﹁ 年 ﹂ ﹁月 ﹂ ﹁日﹂ な ど 他 の順 如 裏書 と よ く 共 通 す る。 と こ ろ で、. 地名 と し て は、 こ のわ ず か後 に出 口坊 が 造 立 さ れ る ﹁出 口 の村 中 の.

(3)   次 に絵像 の像 様 に つ い て触 れ てお き た い。 こ の絵 像 は 、 現 状 で は料. のは 大 き な 収穫 と 言 え る であ ろ う 。. 月 時 点 で の本 遇 寺 の住 持 が賢 秀 と いう 名 の人 物 で あ る こ と が知 ら れ た. 今 後 調 査事 例 を増 加 さ せ て 、検 証 し て いき た い。 な お 、文 明 三年 十 一. は 、中 期 の事 例 が な いた め に は っき り と年 次 を 画す る こ とが でき な い。. さ れ て いる こと は確 認 でき るが 、 で は い つか ら そ う な る の か に つい て. 主 の名 に ﹁釋﹂ が 付 さ れ て い る。 こ の よ う に後 期 の裏 書 に ﹁釋﹂ が 付. 下 付 年 月 日 不明 の︵三 浄︶ 性 寺 蔵 のも の、︵八 真︶ 光 寺 蔵 のも の、 に は みな 願. 恩 寺 蔵 のも の、︵六 万︶ 福 寺 蔵 のも の、 同 十 五年 の︵十 東一 本︶ 願 寺 蔵 のも の、. な い。 これ に対 し、 文 明 十 二年 の︵五 等︶ 覚 坊 蔵 のも の、 同 十 三年 の︵二 光︶. 裏 書 料 紙 の中 に は願 主 名 の記 載 が な く 、 判 断 材 料 に用 い る こと が でき. であ る 。 次 の文 明 十 年 十 一月 三日 下 付 の︵四 安︶ 明 寺 蔵 のも の は、 現 状 の. 六年 頃 ま では 、 願 主 の名 に ﹁釋﹂ を 付 さ な い記 載 を 行 な って い た よう. 善 妙 ﹂ と な って い て、 ﹁釋﹂が 付 さ れ て いな い。ど う や ら 順 如 は、文 明. う であ る。 ま た 同年 八 月 二十 八日 下 付 の︵一 西︶ 琳 寺 蔵 の も の は 、 ﹁願 主. 読 不能 だ が 、 お そ ら く 二文 字 で 、 し か も 一文 字 目 は ﹁釋﹂ では な いよ. わ ち文 明 六年 閏 五月 六 日 下付 の松橋 家 蔵 のも の は、 ﹁願 主 ﹂ の 下 は判. 付 さ れ て いるが 、 初 期 のも の は そ う な って いな い こと に気づ く 。 す な. 順 如 裏 書 を 年 代 順 にあ ら た め て見 て いく と 、後 期 のも の には ﹁釋﹂ が. 裏 書 に記 さ れ る願 主 名 の記 載 法 と し て は 異 例 のよ う に思 わ れ る 。 だ が. え られ る。 こう し た光 明 の改 変 は、︵六 万︶ 福 寺 蔵 の も の、︵十 東一 本︶願 寺 蔵. が ﹀字 型 (下 方 は く字 型 ) に照 射 さ れ る形 式 へと 改 変 さ れ たも のと 考. 式 であ ったも のを 、 いず れ か の時 点 で上 から ぬ り直 し て、 上 方 の光 明. と な って い る。 こ の絵 像 は、 元来 は光 明 が 真 上 ・真 下 に突 き 抜 け る形. く いが 、 こ の系 統 の光 明 は、 真 上 ・真 下 に ま っす ぐ に突 き 抜 け る形 式. あ う よう に、 そ の下 側 にも う 一系 統 の光 明 が 見 え る。 写 真 で は判 り に. 照 射 さ れ て いる 。 し か し な が ら 、 子 細 に観 察 す ると そ の光 明 と 重 な り. と 、真 上 ・真 下 に突 き 抜 け てお ら ず 、 上 方 は V字 型 、 下 方 は ︿字 型 に. これ には 四十 八条 の光 明 が 描 か れ て い るが 、 上 方 ・下 方 の光 明 を 見 る.   こ の絵像 で最 も 検討 し な く て はな ら な い のが 、 光 明 の形式 であ る 。. 像 の総 高 は 、 文 明 三年 のも のと し て ふさ わ し いと 考 え ら れ る 。. ン チ メ ート ルを超 え る も のが 、む し ろ 通 例 であ る ( 表 3参 照 )。 こ の絵. 本 願寺 下 付方 便 法身 尊 像 の総 高 は、 後 年 のも の より 大 き 目 で、 六 〇 セ. 下 付 の方 便 法身 尊 像 と し ては 少 し 大 き 目 であ る。 だ が 文 明 初年 ま で の. ( 蓮 台 下 端 か ら光 輪 上 端 ま で ) は 六 六 ・五 セ ン チ メ ー ト ル で、 本 願寺. 寺 下付 方 便法 身 尊 像 と し て特 に問 題 は な か ろ う 。 阿 弥 陀 如 来 の 総 高. 部 切断 し た と判 断 でき る か ら 、 推 定 さ れ る 当 初 の形 態 は 文 明 期 の本 願. ラ ン スを考 え る と 、絹 を 足 し て増 幅 し た 際 に、 も と の絹 を縦 横 とも 一. の大 き さ は通 例 のも の よ り や や 小 さ 目 であ る が 、 阿 弥陀 如来 像 と のバ. と の絹 は 、 七 三 ・三 × 二六 ・八 セ ン チ メ ート ルが 現 在残 って いる。 こ.                             三. のも の にも 見 られ る。 これ ら が い つ、 いか な る 理由 で光 明 を改 変 し た. 要  5. 絹 が一一 四 ・五 ×四 五 ・三 セ ンチ メ ー ト ルも あ る大 型 のも ので あ る が 、. 紀. か に つい て は史 料 を欠 く 。 ただ 西厳 寺 蔵 のも の は 、補 絹 にも 真 上 ・真 究. 観 察 す ると 、 四辺 に絹 を 足 し て全 体 を 大 き く 増 幅 した 跡 が 見 え る 。 も     研.

(4) 仁 二 (一四 六 八) 年 に継 職 し て から 死 去 す る ま で の ﹁十 余 年 ハカ リ﹂. て は、 Aが 死 去 す るま で の ﹁ 十 年 ハカ リ﹂ と 述 べ る のに 対 し 、 B は応. る ま で本 願 寺 住 持 の地 位 にあ ったと 考 え て いる 。 た だ そ の期間 に つい. 以 上 を 論 拠 に、 筆 者 た ち は、 順 如 は文 明 十 五年 五月 二十 九 日 に 死去 す. 願 寺 住 持 と な り 、 亡 く な る ま でそ の職 にあ った 、 と 明 記 さ れ て いる。. 上 人 仰 条 々﹄ 一八七 や 、 B ﹃蓮 如 上 人 御 一期 記﹄ 四 八 に は 、 順如 は本. を 継 承 し た 本 願 寺 住 持 のみ が な し う る 営 為 で あ った。 ま た 、 A ﹃蓮 如. る も の であ ろ う 。 前 稿 で も 述 べ た が 、裏 書 を書 く こ と は本 願 寺 留 守 職. 順 如 が い つ本 願 寺 住 持 と な った か を考 証 す る 上 で 重要 な 歴史 史 料 と な. だ が 今 回 の西 厳寺 蔵 のも のは 、 そ れ を 三年 近 く も 早 め る事 例 であ って、. て は 、 文 明 六年 閏 五 月 六 日 下付 の松橋 家 蔵 の も のが 初 見 事 例 であ った 。. 一つは そ の下 付年 月 日 であ る。 こ れ ま で 順如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 と し.   次 に 、裏 書 か ら得 ら れ る いく つか の知 見 に つ いて述 べ て おき た い。. う。. と な って 現存 す る遺 品 であ って 、 た い へん貴 重 な も のと 言 え る であ ろ. 当 寺 蔵 の方 便法 身 尊 像 は 、文 明 三年 順如 下付 の絵 像 お よび 裏 書 が 一体. わ し い。 こ の絵 像 は裏 書 に対 応 す るも の であ ると し て問 題 な か ろう 。. 抜 け る様 式 であ ったと 考 え ら れ 、 文 明 三年 のも の と し て ま こと に ふさ.   以 上 、 西厳 寺 蔵 の方 便 法 身 尊 像 は、 当 初 は光 明が 真 上 ・真 下 に突 き. に は卍 繋 ぎ 文 が 見 ら れ 、 これ は当 初 のも のと 見見做 し て よ い。. よ り増 幅 さ れ て から の ち の こと であ る。 な お、 衣 の袈 裟 田相 部 の截 金. 下 に突 き 抜 け る光 明 が 見 ら れ る の で、 現 状 の光 明と な った の は補 絹 に.       本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (三). つい て調 査 し たと こ ろ、 未 調 査 のも の 二点 、 な お検 討 を 要 す る も の 二. ま で の期 間 で、 従 来 蓮 如 下 付 であ ると 報 告 さ れ てき た方 便 法 身尊 像 に. き な く な る。 前 稿 でも 述 べ たが 、 これ 以 降 、 文 明 十 五年 五月 二十 九 日. 裏 書 の方 便 法 身 尊 号 、 方 便 法 身 尊 像 の確 実 な 事 例 を 確 認 す る こと が で. の長 久 寺 蔵 のも のを 最 後 に、 これ 以 降 順 如 死 去 ま で の期 間 で は 、蓮 如. 長 久 寺 蔵 のも の、 が 確 実 な 事 例 と し て確 認 でき る。 し か し な が ら 、 こ. 県 長 野 市 西 厳 寺 蔵 のも の、 文 明 二年 十 一月 八日 の岐阜 県安 八 郡神 戸 町. 不破 郡 垂 井 町徳 法 寺 蔵 のも の、 文 明 元 (一四 六九 )年 十 月 八 日 の長 野. 新 井 市 照 光 寺蔵 のも の、寛 正 二 (一四 六 一) 年 八月 二十 一日 の岐 阜 県. の岐阜県不破郡垂井町専精寺蔵 のも の、長禄 四年口月十 四日 の新潟県. 身 尊像 は 、筆 者 た ち の調 査 によ れば 、 長禄 三 (一四 五 九) 年 七 月 二日. で、 いく つか の道 場 に下 付 し て い った 。 こ の期 間 の蓮 如 下付 の方 便 法. 如 来 立像 を 、 こ れ ま た 本尊 と し て、 ﹁ 方 便 法 身 尊 像 (形 )﹂ と いう 名 称. 方 便 法 身尊 号 と 並 行 し て、光 明 四十 八条 の正 面 向き の絹 本 著 色 阿 弥 陀. 年 の所 謂 ﹁ 寛 正 の法難 ﹂ ま で基 本 的 に続 け ら れ て い った。 そ の 一方 、. 国 を 中 心 に各 地 の道 場 へ下付 し て い った 。 そ れ は寛 正 六 (一四 六 五). 本 著 色 十字 名 号 を 、本 尊 と し て 、﹁方 便 法 身 尊 号 ﹂と いう名 称 で、近 江. こう 。蓮 如 は 、継 職後 ま も な く 、籠 文 字 ・放光 ( 光 明 四十 八条 ) の絹.   こ こで 、蓮 如 裏 書 の方 便法 身 尊 号 ・方 便法 身 尊 像 を 年 代 順 に見 て い. と であ った と し て よ い。. 住 持 就 任 は 、 こ の裏 書 か ら考 え て、文 明 三年 十 一月 二十 八 日以 前 の こ. であ った と 述 べ 、彼 此合 致 せず 判 然 と し な い。 し か しな が ら 、 順 如 の.                             四.

(5) 裏 書 が こ れ に貼 付 さ れ た ので あ ろ う 。 一方 、後 者 は 、 上 下 に讃 を 付す. よ り 判 読 し が た いが 、 実 如 の筆 跡 であ る 。 お そ ら く 何 か 別 の法 宝物 の. いな い。 ま た裏 書 (五 二 ・五 × 二 三 ・○ セ ンチ メ ート ル) は 、磨 滅 に. 筆 跡 と し て よ さ そ う で あ る が 、 光 明 は 描 か れ ず 、 上 下 に讃 も付 さ れ て. セ ンチ メー ト ル) が 誤 認 さ れ た も のと 推察 さ れ る 。 こ の名 号 は蓮 如 の. 同寺 に 所蔵 さ れ る裏 書 貼 付 の紙 本 墨書 十 字 名 号 (八 七 ・五 ×三 三 ・九. 査 し た と こ ろ 、 前 者 は 別稿 で述 べ た 通 り 、該 当 す る も の は存 在 せず 、. 号) の 二点 が 、各 種 裏 書 集 な ど で 報告 さ れ てき た 。 こ れ に つ いて も調. 年 四月 五 日 の奈 良 県吉 野 郡吉 野 町本 善 寺 蔵 のも の ( 奉修複方便法身尊. れ ま で、 文 明 三年 月 日 不 明 の滋 賀 県 長 浜 市徳 満 寺 蔵 のも のと 、 文 明九.   ま た、 こ の期 間 に 下付 さ れ た蓮 如 裏 書 の方 便 法 身 尊 号 と し て は 、 こ. 含 め て、 計 十 三点 に のぼ る。. の誤 り であ った。 こ の 期間 の 順如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 は新 出 のも の を. 点 はあ るが 、 そ の他 はす べ て 順如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 、も し く は報 告. 線 の拡 大 と いう文 脈 で 理解 さ れ 、 そ れ 故 そ れ は ﹁ 吉 崎 進 出﹂ など と 表. への出 発 は 、 こ れ ま で の学 説 で は 、 北陸 布 教 を 目 的 と し た積 極 的 な 教. の出 発 は密 接 に連 関 し て いる ので は な いか と考 え て いる。 蓮 如 の吉 崎. 三年 初 夏 の こ と であ る。 筆 者 た ち は 、 順如 の住 持 就 任 と蓮 如 の吉 崎 へ.   と こ ろ で 、 こ の間 の で き ご と に 、蓮 如 の吉 崎 への出 発 が あ る。 文 明. 十 一月 八 日 以降 、文 明 三年 十 一月 二十 八 日 以 前と いう こ と にな る。. ら に他 な ら な い。 そ う考 え る な ら 順如 の本 願 寺 住 持 就 任 は、 文 明 二年. え て い る。 それ は 順如 が 史料 に 記 さ れ る 通 り 、本 願寺 住 持 であ った か. 尊 ( す べ て方 便 法 身 尊 像 ) に裏 書 を し て いた の は、 順 如 であ ったと 考. 確 認 でき るも の は な いの であ る 。 そ れ 故 、筆 者 た ち は、 こ の期 間 、 本. 断 し て い る。 以 上 、 こ の 期間 に 下 付 さ れ た本 尊 で 、確 実 に蓮 如 裏 書 と. こ の 二点 を蓮 如 裏 書 方 便 法身 尊 号 の事 例 と見 なす こと は でき な いと 判. 日等 の記 載 内 容 を史 料 と し て採 用 す る こ とが でき な い。 筆 者 た ち は、. 如 の筆 跡 に似 て いる。 現 在 の裏 書 は 正文 と は見 な しが たく 、 下 付 年 月. であろうか。. 現 さ れ てき た。 蓮 如 は 、 こ れ 以降 、 前 に も増 し て布 教 の最 前 線 で大 車. 野 郡 / 勧 請 部 飯 貝 ﹂ と あ るが 、 筆 跡 ・花 押 に不 審 な 点 が 多 く 、 蓮 如裏.   京 都 東 山 の大 谷 の地 か ら 退 却 し 、 都 にほ ど 近 い近 江 国 で の布 教 も断. 絹 本 著 色 十 字 名 号 (一〇 六 ・三 × 三七 ・九 セ ンチ メー ト ル) で 、裏 書. 書 の筆 跡 と は見 な しが た い。 ま た、 干 支 にも 誤 り が 見 ら れ る 。 な お 、. 念 を余 儀 な く さ れ て 、 草 深 い北 陸 越 前 の吉 崎 の地 に 赴 く こと を 、 ﹁進. 輪 の活 躍 を し 、 そ の結 果 、 北 陸 地 方 に 本 願寺 教 団 の勢 力 が急 速 に展 開. こ の方 便 法 身 尊 号 は、 一度 火 災 に遭 った 跡 が あ り 、 上 下 の讃 も 当 初 の. 出 ﹂ と い った表 現 で 理解 ・説 明 し よ う と す る のは 、筆 者 た ち に は適 切. が 貼 付 さ れ て いる 。 裏 書 (四九 ・五 × 二〇 ・○ セ ンチ メ ート ル) に は 、. 部 分 と 補 修 さ れ た部 分 と が 混 在 し て いる 。 当 初 の部 分 は蓮 如 の筆 跡 と. だ と は 思 え な い。 そ れ は 、 む し ろ 教 線 の第 一線 か ら の撤 退 と いう べき. し た と しば しば 説 明 さ れ る 。 し か し な が ら 本 当 に そ う 理解 し て よ い の. 見 られ るが 、 補 修 し た部 分 は蓮 如 の筆 跡 で はな く 、 強 い て言 う な ら 実.                                 五. ﹁ 奉 修 複 方 便 法 身 尊 號 / 陰 士 (花 押 )/ 文 明 九 年 酉丙 四月 五日/ 大 和 國 吉.       研  究 紀  要  5.

(6) 順 如 には 男 子 が いな か った 。本 願寺 住持 に は、 再び 蓮 如 が 復 帰 す ると. 五年 、 順 如 は 長 年 の深 酒 が 禍 し た のか 、 四十 二歳 で死 去 し て しま った 。. 順 如 で あ った 。 し か し 山 科 の本 願寺 の堂 舎 が ほぼ 完 成 と な った文 明 十. 山 科 の地 に 本 願寺 が造 立さ れ る こと と な るが 、 そ の間 の本 願 寺 住 持 は. 本 願寺 の 再建 計 画も 少 しつ つ進 展 し た よう で、 や が て文 明 十 年 頃 か ら. で あ る。 こ れ 以降 、本 願 寺 教 団 は少 しつ つ勢 力 を 伸 長 し、 破 却 さ れ た. い った 。 こ の 西厳 寺 蔵 方 便 法 身 尊 像 裏 書 に見 え る本 遇 寺 が 所 在 し た 村. か ら下 向 し た順 如 に付 き 添 わ れ て、 河 内 国 茨 田郡 出 口村 へと 移 居 し て.   蓮 如 は、 文 明 七 年 、 加 賀 ・越 前 両 国 が 一揆 で混 迷 を 極 める 中 、 大 津. 史 を理 解 す る上 で、 看 過 でき な い重 要 事 項 であ ると 思 わ れ る 。. こな か った よう であ るが 、 こ の こと は本 願 寺 教 団 の歴 史 や 蓮 如 の個 人. 実 に気 づ かず 、 あ る い は形 式 的 な 隠 居 な ど と し て過 少 にし か 評 価 し て. これ は蓮 如 にと って は隠 居 に他 な ら な い。 これ ま で の研 究 は 、 こ の事. し かも 、 ほぼ 時 を 同 じく し て、 順 如 が 本 願 寺 住 持 と な った の であ る 。. あ る い は閑 居 と でも 言 う 類 のも のと 理 解 す べき な の で はな か ろ う か 。. ば 、 蓮 如 の吉 崎 への出 発 は ﹁進 出 ﹂ と 表 現 す べき も の で はな く 、 退 去. も っと 時 代 が 下 が り、 実 如 期 以 降 と 見 る べき な の であ る。 と す る な ら. な い。 実 のと こ ろ、 北 陸 地 方 に おけ る真 宗 道 場 の広 範 な 成 立 ・展 開 は 、. 法 身 尊 像 は、 北 陸 地 方 へ下 付 さ れ た も の は 現 在 一例 も 確 認 さ れ て い. 急 増 し て い った と いう わ け で はな い。 蓮 如 吉 崎 時 代 の年 紀 を 持 つ方 便. 数 多 く の新 設 の道 場 が 造 立 さ れ 、 本 尊 が 下 付 さ れ て、 末 寺 ・末 道 場 が. であ ろ う 。 ま た 北 陸 地 方 への布 教 と 言 っても 、 これ 以 降 、 こ の地 方 に.       本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (三). た も のは す べ て ﹁大 谷 本 願寺釋 蓮 如 (花 押 )﹂ と いう署 判 が 用 いら れ て. の本尊 ( 方 便 法 身 尊 号 ・方 便 法 身尊 像 ) の裏 書 は 、筆 者 た ちが 確 認 し. 所謂 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ に よ って 大 谷 の本 願寺 が破 却 さ れ る寛 正 六年 ま で. 文 明 二年 十 一月 八 日 ま で の、蓮 如裏 書 の 署判 を年 代 順 に見 て み よう 。.   こ こ で 、蓮 如 継 職 以後 、 神 戸 町 長 久寺 蔵 方 便 法 身 尊 像 が 下 付 さ れ た. と を 承 認 し て いた 、 と し て よ か ろ う 。. 寺 に 下付 さ れ た ので あ る か ら 、教 団 と し て 順如 が 本 願 寺 住 持 であ る こ. 自 身 、本 願寺 住 持 で あ る と 認識 し て いた こ と は疑 いな く 、 そ れ が 本 遇. いう こ と であ る 。 自 ら ﹁本 願寺 順如 ﹂ と 署名 し て い る のだ から 、 順 如. 付 、文 明 三年 十 一月 二十 八 日 の時 点 で 、 順如 は本 願 寺 住 持 であ ったと. 考 えさ せ る が 、 ま ず指 摘 し て おき た いの は、 少 な く と も こ の裏 書 の日. 押)﹂ と 、 ﹁ 本 願寺 ﹂ の文 言 が付 さ れ て いる。 こ の署 名 は様 々な こと を. (花 押 )﹂と な って いた。 これ に対 し、 こ の裏書 には ﹁ 本 願 寺釋 順 如 (花. 判 であ る。 こ れ ま で紹 介 し てき た 順 如 裏 書 の 署 判 は す べ て ﹁釋順 如.   さ て 、 下付 年 月 日 と あ わ せ て 、 こ の裏 書 で注 目 さ れ る のが 順 如 の署. そ蓮 如 教 団 の基 盤 が築 か れ た と し な く て はな らな い の であ る。. の滋賀 県 ・岐阜 県 ・愛 知 県 を中 心 と す る 地方 であ って、 こ の地 方 に こ. り 北陸 地方 で は な い。表 3 を 一覧 す れば 明 ら かな よう に、 そ れ は現 在. 彷 彿 と さ せ る 馬 力 と速 度 で あ った 。 そ の布 教 の中 心 は、 し か し、 や は. て い った 。 そ れ は 所 謂 ﹁ 寛 正 の 法難 ﹂ 以前 の南 近 江 で の盛 んな 布 教 を. のよ う に 、精 力 的 な布 教 活動 を 展 開 し 、末 寺 ・末 道 場 は急 速 に増 加 し. こ ろ と な った 。復 職後 の蓮 如 は蓄 え た エネ ルギ ー を 一気 に放 出 す る か.                             六.

(7)       研 究  紀  要 5. こ れ は本 願 寺 住 持 と し て の、 本 願 寺 復 興 の宣 言 と も 解 釈 でき る。 本 願. 寺 ﹂ 呼 称 を復 活 さ せ て ﹁ 本 願 寺釋 順 如 ( 花 押 )﹂ と 署 判 を した た め た。. 人 と し て の署 名 と 理 解 す べき も の であ ろ う 。 と ころ が 、 順 如 は ﹁本 願. が いな い。 ﹁釋蓮 如 ﹂と いう 署 名 は、本 願 寺 住 持 と し て で はな く 、 一個. 故 に、 署 名 に ﹁大 谷 本 願 寺﹂ の文 言 を付 す こ と が で き な く な った にち. こ そ は ゆ る さ れ た も の の 、 ﹁本 願 寺 ﹂ 自 体 が 実 質 的 に 存 在 を 失 った が. 願寺 ﹂ と いう 団体 も活 動 停 止 状 態 とな った か ら であ ろ う 。蓮 如 の 生命. よ って、 本 願 寺 の建 物 が 物 理 的 に姿 を 消 し、 か つ組 織 体 と し て の ﹁ 本. よう に変 化 し た の か。 そ れ は比 叡 山 の衆 徒 に よ る 大 谷 本 願 寺 破 却 に. たと いう こと にな る。 これ は注 目 す べき こと であ る。 で は、 な ぜ こ の. は、 ﹁ 大 谷 本 願 寺釋 蓮 如 (花 押 )﹂ から ﹁釋蓮 如 (花押 )﹂ へと 変 化 を と げ. 如( 花 押 )﹂ であ る。 と す る と 、 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ を 画 期 に 、 裏 書 の署 判. ( 花 押 )﹂ であ る 。 そ の他 、 本尊 以 外 の下 付 物 の裏 書 も 、 署 判 は ﹁釋蓮. 日 下 付 の神 戸 町 長 久寺 蔵 方 便 法身 尊 像 の裏 書 の署 判 は 同 じ く ﹁釋蓮 如. 判 は ﹁釋蓮 如 ( 花 押 )﹂ と あ った と 理解 し て よ い。 ま た 同 二年 十 一月 八. 文 字 は判 読 でき 、 そ の上 に料 紙 はあ って も 墨痕 は な い。 こ の裏 書 の署. で は 、第 一行 目 は料 紙 の剥 落 に よ り読 み にく く な って いる が 、﹁釋﹂ の. な わ ち、 文 明 元年 十 月 八 日下 付 の長 野 市 西厳 寺 蔵 方 便 法 身 尊 像 の裏 書. 法 身 尊 像 が わず か に下 付 さ れ たが 、 そ の署 判 は変 化 を とげ て いる 。 す. は、 比 叡 山 から 問 題 と さ れ た方 便 法 身 尊 号 は下 付 さ れ なく な り、 方 便. 同 様 に こ の署 判 が 用 いら れ て い る。 これ に対 し、 ﹁寛 正 の 法 難 ﹂ 以 後. い ると 判 断 し て よ いも の であ る。 ま た、 本 尊 以 外 の下 付 物 の裏 書 にも.                             七. いう 署 判 を 用 い て いた 。 だ が や が て、 文 明 十 五年 十 一月 二十 六 日 以降 、. 蓮 如 は順 如 在 世 中 と 同 様 、復 職後 しば ら く の間 も 、 ﹁釋蓮 如 (花押 )﹂と. 順 如 の死 後 は蓮 如 が 本 願 寺 住 持 に復 職 し た が 、 前稿 で指 摘 し た よう に、. 死 去 し 、 順 如 の署 名 に ﹁本 願寺 ﹂ 文言 が 再 登 場す る こと はな か った。. た 。 し か し な が ら 、 山 科 本 願寺 が ほぼ 完 成 を み る文 明 十 五年 、 順 如 は. り の部 分 を 吸 収 し た。 こ れ は本 願 寺 の勢 力 拡 大 に大 き な 役 割 を は たし. 寺 経豪 を本 願寺 教 団 に参 入さ せ る こと にも 成 功 し、 仏 光 寺 門 末 のか な. 山 科 に本 願 寺 を 再建 す る こと に成 功 し た。 そ の間 、 順 如 はま た 、 仏光. 続 し、 経 済 力 も 充 実 さ せ、 吉 崎 から 呼 び 戻 し た 蓮 如 と と も に 、 つ いに. 復 興 に向 け て、 地 道 な 努 力 を 余 儀 な く さ れ 、 対外 的 に様 々な 交渉 を継. 認 め られ る に至 って は いな か った の であ ろ う 。 順 如 は 以後 、本 願 寺 の. 順 如 を 住 持 に た て たと は言 え 、 ﹁ 本 願 寺 ﹂ と いう 組 織 体 の復 活 が 広 く. ら 、 ﹁本 願寺 ﹂ 文言 の復 活 は、 や や時 期 尚 早 に過 ぎ た の かも し れ な い。. い て は未 詳 と 言 わ ざ る を え な い のか も し れ な いが 、 あ え て憶 測 す るな. い て、 ﹁ 本 願 寺 ﹂ の文 言 は消 え てし ま って いる 。なぜ な の か。 これ に つ. 明 六年 以 降 の、 現 存 の順如 裏 書 の署 名 は、 す べ て ﹁釋順 如 ﹂ と な って. 明 四 ・五年 の裏 書 の現 存 例が 発 見 さ れ て いな いた め不 明 であ るが 、 文. か 確 認 さ れ て いな い。 こ の署 名 が は た し て い つま で続 いた の かは 、 文.   し か し な が ら、 ﹁本 願 寺釋 順 如 ﹂の署 名 は 、現 在 のと ころ こ の 一例 し. は 順如 を前 面 に立 て る こと に よ って復 興 を 目 ざ し て い った 。. が 本 願 寺 住持 と な り、 蓮 如 は越 前 吉 崎 の地 に去 った 。 以後 ﹁本 願 寺 し. 寺 の復 興 は、 蓮 如 が 前 面 に立 った の で は成 し と げ が た い。 そ こ で 順如.

(8)     谷 本 願寺釋 蓮 如 (花 押)﹂.     蓮 如 復 職 以後 ﹁釋蓮 如 (花 押)﹂ ← ﹁本 願 寺釋 蓮 如 ( 花 押 )﹂ ← ﹁大.     ﹁釋蓮 如 (花 押)﹂ ← 順 如 継 職 以 後 ﹁釋蓮 如 ( 花 押 )﹂ ← 順 如 死 去 ・.   蓮如継職以後 ﹁ 大 谷 本 願 寺釋 蓮 如 ( 花 押 )﹂ ← ﹁寛 正 の法 難 ﹂ 以後. と、. 継 職 ま で の間 の蓮 如 裏 書 の署 判 の変 遷 を 時 系 列 にそ ってま と め て お く. る 上 で基 本 的 な 情 報 を 我 々 に与 え てく れ る 。 今 、 蓮 如 継 職 以後 、 実如.   以 上 の裏 書 の署 判 の変 遷 は 、 十 五世 紀 後 半 の本 願 寺 の動 向 を 考察 す. た い。. が 多 い。 実 如 継 職 以 降 の蓮 如裏 書 に つ い ては 、 今 後 な お 検討 し て いき. だ こ の時 期 の蓮 如 裏書 に は 、 ﹁釋蓮 如 (花 押 )﹂ と 署 判 さ れ て い る も の. でな く 、 今 後 、 事 例 を 確 認 し つ つ検 討 し て いか な く て は な ら な い。 た. す 場 合 も あ った 。 ど のよ う な 場 合 に蓮 如 が裏 書 を 記 し た のか は 明 ら か. 寺釋 実 如 ( 花 押 )﹂ と いう 署 判 が 用 いら れ た が 、 ま れ に蓮 如 が裏 書 を記. れ 続 け た 。な お 、実 如 継 職後 は実 如 が 基 本 的 に裏 書 を書 き 、﹁大 谷 本願. 判 は、 延 徳 元 (一四 八 九) 年 八 月 に 、実 如 に 留 守職 を譲 る ま で 用 いら. 時 点 で署 判 は再 度 変 化 し 、 ﹁ 大 谷 本 願 寺釋 蓮 如 ( 花 押 )﹂と な る。こ の署. が て文 明 十 八年 三月 二十 八 日 以降 、 同 年 九 月 十 二日 以 前 の いず れ か の. き な のか も し れ な い。 こ の署 判 は 、 こ の後 しば ら く 用 いら れ た が 、 や. と ころ と な った 。 あ る いは 、 こ の時 点 を も って 正式 の復 職 と 見 な す べ. 押 )﹂ と いう 署 判 が 用 いら れ る よう にな り 、 ﹁ 本 願寺 ﹂ 文 言 が復 活 す る. 同 十 六 年 六 月 二十 口 日 以 前 の いず れ か の時 点 か ら 、 ﹁本 願 寺釋 蓮 如 ( 花.       本願寺 順如裏書 の方便法身尊像 (三). 史 料 を欠 くが 、 本 遇 寺 は 明治 初 期 に廃 絶 し た と いう か ら 、廃 絶 時 に流. れ る。 そ れが いず れ か の時 点 で寺 外 に流 出 し た。 そ の時 点 に つい て は. 寺 に 下付 さ れ た の であ る か ら、 当 初 は本 遇寺 に伝 わ ったも のと 考 え ら.   次 に、 こ の方 便 法 身 尊 像 の伝 来 に つ いて触 れ て お こう 。 これ は本 遇. 言 え よう 。. の だ ろう 。 こ の裏 書 は、 こ の こと を 明 ら か に し たと いう 点 でも 貴 重 と. 下付 さ れ て い た のだ か ら、 順 如 に と って も、 信 頼 でき る末 寺 であ った. 本 遇寺 の賢 秀 に は、 す で に 四年 弱 以 前 に方 便 法 身 尊 像 が 順 如 に よ って. 父 子 は本 遇 寺 を 頼 って出 口村 中 之 番 に身 を寄 せ たと 理 解 しう る。 そ の. 口坊 であ る。 と す ると 、 す で に金 龍 氏 も 指 摘 し て い るが 、 蓮 如 ・順 如. り 、出 口村 中 の番 に坊 舎 を新 造 し て居 住 す る こと と な った。 これ が 出. 狭 ・丹 波 ・摂 津 を 経 て、 ﹁河 内 国 茨 田郡 中 振 郷 山 本 之 内 出 口村 ﹂ に 至. き た。 蓮 如 は、 文 明 七 年 八月 、 順 如 に付 き 添 われ て吉 崎 を 出 発 し、 若. で、 本 遇 寺 が 河 内 国 茨 田郡 中 振 郷 出 口村 に所 在 し て い た こと が 確 認 で. か った。 し か し、 こ の裏 書 に よ って、 文 明 三年 十 一月 二十 八日 の時 点. か に つい て は、 これ ま で推 測 も な さ れ てき たが 、 な お 不明 の部 分 が 多. れ た伝 記 史 料 にも 本 遇 寺 の名 が 散 見 す る。 本 遇 寺 が ど こ に所 在 し た の. 存 如 ・蓮 如 期 の本 願 寺 の側 近 が 住 持 し た寺 で、 蓮 如 の死 後 にま と めら.   次 に、 裏 書 に見 え る ﹁ 本 遇 寺 ﹂ に つい て触 れ て おき た い。 本 遇 寺 は. 変 遷 を念 頭 に お い て考 察 し て い かな け れ ば な らな い。. こと が でき る。 ﹁ 本 願 寺釋 順如 ( 花 押 )﹂と いう 署 判 は 、こう し た署 判 の. と な る。 これ は蓮 如 の置 かれ た立 場 を 率 直 に反 映 し た変 化 と 理 解 す る.                             入.

(9)       研 究 紀 要  5. な ど であ る。 さ ら に西 厳 寺 に は、 か つ て蒲萄 村 の仏堂 に懸 け ら れ て い. る )。 実 如 裏 書 方 便 法 身 尊 像 (六九 ・○ ×三 二 ・○ セ ン チ メ ー ト ル). 五 × 三 八 ・ニ セ ンチ メ ート ル、 な お本 像 は金 田吉 郎 右 衛 門 寄 進 と 伝 え. の右 下 に親鸞 座 像 の描 か れ る、 絹 本 著 色 阿弥 陀 如 来 ・親鸞 像 ( 九八 ・. 如 来 立像 (一一九 ・二 ×四 一 ・○ セ ンチ メー ト ル)。 阿 弥 陀 如 来 立 像. 宗 系 の遺 品 と 見 ら れ る、 天 地 に描 き 表 装 を ほど こ し た絹 本 著 色 阿 弥 陀. 弥 陀 如 来 立 像 (八 三 ・ 一×三 六 ・ 一セ ンチ メー ト ル)。 同 じ く 初 期 真. て い る。 蓮 如 期 以 前 にさ か のぼ ると 見 ら れ る初 期 真 宗 系 の絹 本 著 色 阿. こと と し た い。 西 厳 寺 に は、 注 目 す べき いく つか の法 宝 物 が 所 蔵 さ れ.   最 後 に、 西 厳 寺 に所 蔵 さ れ る 他 の文 化 財 に つい て簡 単 に触 れ てお く. の際 に、 近 年 ま で貸 し出 さ れ てき たと いう 。. いる。 本 像 も 、 交 名 に名 を つら ね る者 の子 孫 の家 の、 葬 儀 な ど の法 要. の際方 便 法身 尊 像 は オ タ カ ラ サ マあ る いは ムジ ョウ ブ ツと 呼称 さ れ て. 宅 に、 方 便 法 身 尊 像 が 貸 し出 さ れ る 習 俗 が 現 在 も 実 施 さ れ て お り 、 そ. 名 が 列 記 さ れ て いる。 新 潟 市 島 見 町 で は 、葬 儀 な ど の 法 要 の際 に 門徒. 物 / 願 主 恵 明 ﹂ と いう 修 理 銘 が 記 さ れ 、費 用 を寄 進 し た 門徒 八名 の 交. つ表 装 を 改 め た。現 在 、表 装 裏 に は、 ﹁明治 三十 三年 七 月/ 西厳 寺 常 住. す ると こ ろと な ったと いう 。 恵 明 氏 は 西厳 寺 に戻 った後 、 傷 み の 目立. 深 か った と いう ) の中 で、 こ の方 便 法 身 尊 像 に出 会 い、 縁 あ って 入手. (東 本 願 寺 ) に勤 務 す る こと が あ り、 様 々な 交 友 ( 光善寺とも交友が. た る恵 明 氏 の代 に寺 に入 ったと 伝 え て い る。 恵 明氏 は 明治 年 間 、 本 山. 出 し た のか も し れ な い。 西 厳 寺 で は、 現 住 職 の手 島 恵 昭 氏 の祖 父 にあ.                             九. う るも の であ ろう 。. タ リ ・タ イ シ系 の初 期 真 宗 の動 向 を 考 察 す る上 で、 一つの史 料 と な り. 書 が 失 わ れ て いる のが 惜 し ま れ る 。 他 の 三点 は 新 潟 県 岩 船 郡 の所 謂 ワ. テ ー マと 関 わ る 貴 重 な 遺 品 であ る の で、 写 真 を 掲 げ る こ と と し た 。裏. は不 自 然 で、 何 ら か の伝 来 の事 情 を 想 定 せ ね ば な る ま いが 、 小 論 の. 真 宗 系 の法 宝 物 であ る のに 、 こ の 一点 が 本 願 寺 下 付 物 で あ る と いう の. A が そ れ で あ る 。 蒲萄 村 の遺 品 の内 、 他 の三 点 が 非 本 願寺 系 の、初 期. 年 頃 ま で の本 願寺 下付 方 便 法身 尊 像 と 判 断 し て よ いも の で あ る。 写真. 裏 書 を 失 って いる が 、像 様 は 順如 後 期 か ら蓮 如 復 職 直 後 の、 文 明十 五. 三 五 ・ニ セ ンチ メー ト ル)、 の 四幅 であ る。 こ のう ち 方 便 法 身 尊像 は 、. セ ンチ メー ト ル、光 明 四十 八条 )、絹 本 著 色 方 便 法 身 尊像 ( 七 八 ・ 一×. 明 六十 六条 )、 籠 文 字 放 光 の絹 本 著 色 十 字 名 号 (八 三 ・四 × 三 四 ・ 一. 放光 の絹 本 著 色 六字 名 号 (一〇 三 ・九 ×三 六 ・ニセ ンチ メ ー ト ル、 光. 本 双鈎  墨 十 字 名 号 ( 九 〇 ・○ ×三 〇 ・三 セ ンチ メ ー ト ル)、 籠 文 字. 物 を請 来 し たと 伝 え て い る。そ れ ら は、﹁帰 命盡 十 方 元  光如 来 ﹂ の絹. る。 ま た 八幡 堂 の法 宝 物 が 仏 堂 の法 宝 物 に転 じ たと も 伝 え る) の法 宝. 西厳 寺 で は、 当 寺 の開 基 が 蒲 萄 村 の仏 堂 ( 薬師堂とも観音堂とも伝え. 行 な わ れ 、 鉛 を 産 出 し て い た。 金 掘 り は中 世 以 来 の伝 統 を 引 く ら し い。. 主 な 収 入源 であ ったが 、 十 七 世 紀 初 頭 に は、 村 上 藩 によ って金 掘 り が. た蒲 萄 峠 近 く の山 村 であ る。 当 地 は、 近 世 で は塩 木 (薪 ) の伐 出 しが. 萄 村 は、 現 在 の新 潟 県 岩 船 郡 朝 日 村 蒲 萄 で、 旧 出 羽 街 道 の難 所 と さ れ. たと いう 法 宝 物 が 四点 伝 蔵 さ れ てお り 、 これ ま た 大変 貴 重 で あ る。 蒲.

(10)      本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (三).  新潟県 ︵十 新︶潟 市 勝 楽 寺 蔵 方 便 法 身 尊 像.                                                      一〇.   写 真 を 御 覧 いた だ け れ ば わ か る よう に、 こ の裏 書 (五 一 ・三 × 二五. ・○ セ ンチ メ ー ト ル) はお も て の絵 像 と 比 べ て保 存状 態 が 好 ま し くな. く 、 一見 す ると 、 ま った く 文 字 を 読 み取 る こと が でき な いと 思 わ せ る. 書 の記 載 に つ いて は全 く触 れ ら れ て お ら ず 、 ま た 、 同書 に 掲載 さ れ た. 究 報 告 ﹄ 第 2集 に 、表 裏 の モ ノク ロー ム写真 が 掲載 さ れ て いる が 、裏. 身 尊像 お よ び裏 書 は、 す で に ﹃真 宗 大 谷 派名 古 屋教 区教 化 セ ンタ ー研. 所 蔵 さ れ て お り 、裏 書 が 貼 付 さ れ て いる 。 写真 E で あ る 。 こ の方 便法.   新 潟 市 西 堀通 の大 谷 派 勝 楽 寺 に は 、 写真 D に掲 げ た方 便法 身 尊 像 が. 紙 の残 って い る部 分 はあ まり な い。 比 較 的 よく 料 紙 の残 って いる 右 下. 的 よく 料 紙 が 残 って い るが 、 上 半 分 お よび 左 側 三分 の 一ほ ど には 、料. 表 装 であ る裏 書 の料 紙 であ る。 裏 書 の向 か って右 下 のあ た り に は 比較. は 一つ前 の表 装 であ り 、 そ れ より 暗 く 黒 っぽ く 写 って いる のが 当初 の.   写 真 E で、 白 く 写 って い る部 分 は現 在 の表 装 、 茶 色 く 写 って いる の. 字 を 読 み取 る こと が でき る。. 状 況 と な って い る。 し か しな が ら 、 注 意 深 く 観 察 す る と 、 わ ず か に文. 資 料 の 一部 に つ いて ほ ど こ さ れ て いる解 説 も 、 こ の資 料 には付 さ れ て. の部 分 に は、 き わ め て見 づ ら いが 、 微 か に ﹁□ 順 如 □ ﹂ と いう 文 字 を.                             一九 九 八年 八 月 二四 日 調 査 ・写真 撮 影. いな い。 筆 者 た ち の判読 し た裏 書 の釈 文 を 次 に 掲 げ る 。. 読 み取 る こと が でき る (部 分 拡 大 写 真 参 照 )。す な わ ち 、小 さ な 断 裂 を. 挾 ん でそ の上 と 下 に、 ﹁釋﹂ で あ ろ う 文字 の上部 と 下 部 の 墨 痕 が 残 っ. て お り、 そ れ に続 い て ﹁ 順 如 ﹂ の文 字 が 見 え る。 花 押 は上 部 三分 の 一. 程 度 の墨 痕 が 残 って い るが 、 下 部 は料 紙 が 失 わ れ て い る よ う であ る 。. ﹁釋﹂ と 見 られ る部 分 の上 方 にも 料 紙 は残 って い るが 、 墨 痕 はな く 、. 文 字 は記 さ れ て いな い。 つま り署 名 に は、 ﹁本 願寺 ﹂ ﹁ 大谷本願寺﹂ の. 文 言 は付 さ れ て いな いと 判 断 し て よ か ろう 。 ﹁順﹂ ﹁ 如 ﹂ は、 文 明 十 年. の︵安 四︶ 明寺 蔵 のも の、 文 明十 二年 の︵五 等︶ 覚 坊 蔵 のも の、 文 明 十 三年 の. 万福 寺 ︵蔵 六︶ のも の、 文 明十 五年 の︵十 東一 本︶ 願 寺 蔵 のも の、 お よび 文 明十. 三年 の 可能 性 が 高 いと 判 断 し た︵三 浄︶性 寺 蔵 のも のと 近 似 す る 書 体 と. な って いる。 す な わ ち 、 ﹁順 ﹂ の偏 の ﹁川﹂ の第 三 画 を左 下 に長 く 伸 ば.

(11) 記 さ れ て い る のが 見 て取 れ る ( 部 分 拡 大 写 真 参 照 )。 まず 上部 の白 く.   次 に 、 裏 書 全 体 の中 央 より 向 か ってや や 右 側 下 方 に、 下 付 年 月 日 が. 残 って いな いと 言 わ ざ るを え な い。. 花 押 に 関 し ては 、 残 念 な が ら 他 の事 例 と 比 較 でき る ほど には 、 墨 痕 が. こ れ ら 文 明 十 年 以 降 の順 如 裏 書 の署 名 と 共 通 す る筆 跡 と な って いる 。. 書 く こ と 、 な ど が 前 述 の順 如 裏 書 に共 通 し て見 ら れ る が 、 こ の裏 書 も 、. ﹁ 如 ﹂ を 横 長 に 、 か つ ﹁順 ﹂ の位 置 か ら す れ ば や や 右 に寄 せ る よ う に. すこと、 ﹁ 順 ﹂ の つく り の ﹁ 頁 ﹂ を き わ め て簡 略 に 一筆 で 書 く こ と 、. こ の裏 書 にも 誤 った 干 支 が 記 さ れ て いる と いう こ と に な る 。 こ れ ま で. う 書 体 に な って いる 。 さ て 、 文 明 十 二年 の干 支 は ﹁ 庚 子﹂ で あ る の で、. 順 如裏 書 のも のに 似 て お り 、通 行 の字 体 と 比 べ て 一画多 く 、 ﹁ ﹂と い. ま った く 同 じ書 体 と な って いる 。 な お 、 蓮如 裏 書 の ﹁ 辛 ﹂ の書 体 も 、. も の、︵六 万︶ 福寺 蔵 のも の の 二点 に ﹁辛 ﹂ が 見 え る が 、 そ れ らも こ れと. 体 は 一風 変 わ って お り 、﹁ ﹂と 書 かれ て いる 。他 にも 、︵浄 三︶ 性寺蔵 の. し ら 墨痕 が あ る が 、 文字 を特 定 す る こ と は で き な い。 こ の ﹁ 辛 ﹂ の書. 干 の ﹁辛 ﹂ が 読 み 取 れ る 。左 側 の支 の位 置 す る で あ ろ う個 所 にも 何 か. 写 って い る小 さ な 断 裂 を 挾 ん で、 ﹁文 明﹂と いう 文 字 が 見 て 取 れ る 。(十一) にも 指 摘 し て き た が 、 順 如裏 書 に は 、 干 支 の誤 り が ま ま見 ら れ 、今 回. いら れ 、 ㈹等 覚 坊蔵 の文 明十 二年 月 日判 読 不能 の も の か ら後 は ﹁ 歳﹂. の表 記 は 、︵四 安︶ 明寺 蔵 の文 明十 年 十 一月 三 日 のも の ま で は ﹁ 年﹂が用. ﹁ 歳 ﹂ の 上部 半 分が 見 え る。 前 稿 でも 述 べ た よう に、 順 如 裏 書 の年 紀. 書 よ りも や や幅 広 く 書 か れ て いる。 ﹁文 明 ﹂ に続 い て、 ﹁ 十 二﹂ お よび. ﹁ ﹂ と 書 かれ て いるが 、 つく り の ﹁ 月 ﹂ は、 順 如 裏 書 の方 が 蓮 如 裏. る こと が でき な い。. ろう あ た り は、 ほと ん ど 料 紙 が 残 ってお ら ず 、 ま った く 文 字 を 検 出 す. る こと は でき な い。 通 例 な ら ば 充 所 お よび 願 主 名 の書 か れ て いた で あ. れ て いた であ ろ う 個 所 には 、 数 文 字 分 の墨 痕 が あ る が 、 文 字 を特 定 す. 文 字 を 見 出 す こと が で き な い。 上 部 の主 題 の ﹁方 便 法 身 尊像 ﹂ と書 か.   署 判 と 下 付 年 以 外 の部 分 は 、 料 紙 の残 り が 良 く な いた め 、 ほ と ん ど. 紹 介 す る 三例 も す べ て 干 支 が 誤 って記 載 さ れ て いる 。 順如 裏 書一三 例. が 用 いら れ て いる 。 こ の勝 楽寺 蔵 のも のも 、文 明十 二年 の下 付 であ っ.   次 に絵 像 の像 様 に つ いて触 れ て お こう 。 まず 光 明 は、 四十 八条 の光. でも 述 べ る よう に、 順 如 裏 書 の ﹁ 文 明 ﹂ は、 蓮 如 裏 書 の ﹁ 文明﹂とよ. て、︵五 等︶ 覚 坊 蔵 のも のと な ら ん で、 ﹁ 年 ﹂ から ﹁歳 ﹂ への移 り変 わ りを. 明 の内 、 二条 が真 上 ・真 下 に ま っす ぐ に突 き 抜 け る形 式 と な ってお り 、. の内 、 年 紀 と 干 支 の部 分 が 判 読 で き る も のは 九 例 あ る が 、 そ の う ち実. 示 す 事 例 と な ろう 。な お 、 ﹁ 歳 ﹂ の下 半 分 以 下 の部 分 には 、断 裂 が あ っ. あ わ せ て 、光 明 が 頭部 の 一点 か ら 照射 さ れ る の で はな く 、 仏 身 全 体 か. く 似 た書 風 であ るが 、 順 如 裏 書 の ﹁ 文 ﹂ は、 蓮 如 裏 書 と 比 し てや や 横. て、 料 紙 が 残 って おら ず 、 残 念 な が ら 月 日 の記 載 を読 み取 る こ と は で. ら 照射 さ れ る 所 謂 身光 の形式 と な って いる こと が 指 摘 でき る 。 これ は. に 五例 の干 支 に錯 誤 が 見 ら れ る と いう こと にな る 。. き な い。 ﹁ 歳 ﹂ の下 の白 く 写 って いる部 分 の向 か って右 の方 に、干 支 の.                                                      =. 長 に書 かれ る傾 向 が あ る。 ﹁明 ﹂ の偏 は、 順 如裏 書 ・蓮 如 裏 書 と も に.       研  究  紀  要  5.

(12) 通 規 の形 式 であ る。 全 体 の造 型 は 、 仏 身 に あ ま り 凹 凸 が 見 ら れ ず 、 平. これ ま で に述 べ てき た よ う に、 こ の時 期 の本 願 寺 下付 方 便 法身 尊 像 の.       本願寺順如裏書 の方 便法身尊像 (三). に 掲げ る。. 〇 セ ンチ メー ト ル) は、 現 在 、 別 幅 に表 装 さ れ て いる。 そ の釈 文 を 次.                                                   一二. 面 的 な 印 象 を受 け るも のと な って いる 。 こ れ は 、︵二 光︶ 恩 寺蔵 のも の、 等 覚 坊︵ 蔵五の ︶も の、︵八 真︶ 光 寺 蔵 のも の、 別 稿 で紹 介 し た 梅 本 一族 蔵 の も の、 な ど と 共通 し、 各 部 位 の実 測 値 も 近 似 し た も のと な って いる 。 な か で も 、 こ の勝 楽 寺 蔵 のも のと な ら ん で比 較 的 保 存 状 態 の良 好 な 、 文 明 十 三年 二月 下付 の光 恩 寺 蔵 のも のと は、 見 た目 の印 象 、 数 値 と も 極 め て近 いも のが あ る。 な お、 衣 の袈 裟 田相 部 の截 金 は、 卍 繋 ぎ 文 と な って い る。 前 稿 付︵一 で︶ 紹 介 し た、 文 明 十 五年 六月 六 日蓮 如 下 付 の光 雲 寺 蔵 のも のも 含 めて 、 ここ に列 挙 し たも のが 、 順 如 後 期 から 順 如 死 去 直 後 ま で の時 期 の、 本 願寺 下付 方 便 法 身 尊像 の標 準 的 な タ イプ と 判. 真 は、 前 掲 の ﹃真 宗 大 谷 派 名古 屋教 区教 化 セ ンタ ー研 究 報 告 ﹄ 第 2集. れ て いる銘 の拡 大 写 真 (写真 G) と を掲 げ て お く。 な お影 像 全 体 の写. F) と 、 影 像 の向 か って 右端 上方 よ り 三分 の 一あ た り の位 置 に墨 書 さ. ×三 八 ・ 一セ ン チ メー ト ル) で あ る 。 こ こ で は、 裏 書 の 写 真 (写 真. し てお き た い のが 、文 明 三年 三月 五 日蓮 如 下 付 の蓮 如 影 像 (八七 ・二. 数 多 く 所蔵 さ れ て い る。 順 如 裏 書 の方 便 法 身尊 像 の紹 介 に因 ん で注 目.   こ の他 に も 、勝 楽 寺 に は、 貴 重 な 史 料 であ り 文 化 財 であ る法 宝物 が. も のが表 裏 一体 と な って今 日 に伝 わ る 、貴 重 な遺 品 と言 え る で あ ろう 。.   以 上、 勝 楽 寺 蔵 方 便 法 身尊 像 お よ び裏 書 は 、文 明十 二年 順如 下付 の. を 考 察 す る 上 で 重 要 な 手が か りと な る であ ろう 。 順 如 死 去 以 前 に、 蓮. と な る 。 こ のこ と は 、方 便 法 身 尊 像 を 下 付 し て い た時 期 の順 如 の立 場. 年 三月 の時 点 で 、蓮 如 は自 ら を ﹁ 本 願 寺 前 住 ﹂ と 位 置 づ け て いた こ と. 書 は 、 本来 的 に 一体 のも のと 判 断 し て差 し支 え あ るま いか ら 、 文 明 三. 如 の筆 跡 で 、﹁本 願 寺 前 住釋 蓮 如 ﹂と 銘 が 記 さ れ て いる。こ の影像 と裏. の蓮 如 裏 書 に見 られ る署 判 の形 式 であ る。 ま た お も て の影像 に は 、蓮. べ た よう に、 所 謂 ﹁ 寛 正 の法 難 ﹂ 以 降 、 順 如 死 去後 の文 明十 五年 ま で. お り、 ﹁本 願 寺 ﹂ ﹁ 大 谷 本 願 寺 ﹂ の文 言 を 伴 って いな い。 これ は︵九 で︶ 述. 影 像 の裏 書 に見 ら れ るも の であ る 。 署 判 は ﹁釋蓮 如 (花 押 )﹂ と な って.   こ の裏 書 は主 題 を 欠 い て いる が 、 こ の様式 は 、文 明初 年 ま で の蓮 如. 断 す る こと が でき よう 。. の 二頁 に掲 載 さ れ て いる ので参 照 さ れ た い。 裏 書 (四 二 二 二× 二六 ・.

(13) 如 に よ って下 付 さ れ た蓮 如 影 像 の銘 お よび 裏 書 の 主題 の文 言 は、 他 の 下 付 物 を含 め た裏 書 の署 判 の形 式 とと も に、 順如 と蓮 如 の 立 場 を考 察 す る上 で の重 要 な史 料 と な る。 今 後 と も 同様 な事 例 の 調査 を進 め て い.  京都市︵ 下十 京一 区︶ 東 本 願寺 蔵 方 便 法 身 尊 像.                       一九九 六年 一一月 二七 日調査.  真宗 大谷派本山東本願寺 には、次に釈文を掲げ た裏書 を貼付す る方. き た い。   裏 書 に 記 載 さ れ た 充 所 は 、 勝 楽 寺 の故 地 で あ る 加賀 国能 美 郡安 宅 の. 便法身尊 像が所蔵されて いる。.                                                      一三. 確 認 し た。 そ の後 、 一九九 七年 五 月 か ら九 月 に かけ て、 福 井 県 立 美 術. のも のと し て出 展さ れ 、 筆 者 た ちも 実 見 し て、 順 如 裏 書 であ る こと を. 九 九 六年 十 一月 に大 谷 大 学 で開 催 さ れ た ﹁ 蓮 如 上 人 展 ﹂ に、 順 如裏 書. と を 前 稿 註 18 で指 摘 し て お い たが 、 前 稿 [補 記 三 ]に記 し た よ う に 、 一. し か し な が ら 、 裏 書 文 言 の内 容 な ど から 、 順 如裏 書 の可能 性 が あ る こ.   こ の方 便 法 身 尊 像 は 、 か つ て蓮 如裏 書 のも のと し て紹 介 さ れ て いた。. 地 名 が 記 さ れ て いる 。 当 寺 が 現 在 地 へ移 転 し た のは 、 近 世 に な ってか ら の こと と 伝 え ら れ る が 、 そ の時 期 は は っき り と は し な い。 現 在 地 の 新 潟 市 西 堀 通 は寺 院 の建 ち 並 ぶ 寺 町 と な って い るが 、 こ の寺 町 の形 成 は江 戸 時 代 初 期 の こと と いう 。 勝 楽 寺 も 寺 町 の形 成 と と も に現 在 地 に 寺 基 を 構 え た の であ ろう 。 な お、 加 賀 以 前 の勝 楽 寺 の ル ー ツ は、 三河 の和 田門 徒 に源 流 を持 つよう であ る。   他 に 、 当寺 に は 、初 期真 宗 系 の遺 品 と 考 え ら れ る ﹁ 帰 命盡 十 方 無礙 如来   ﹂ の絹 本 双 鈎  墨 十字 名 号 (一〇 八 ・七 ×三 三 ・八 セ ンチ メー ト ル)、蓮 如 筆 と判 断 でき る真 書 体 の紙 本 墨 書 九 字 名 号 (九 七 .○ × 三 六 ・七 セ ンチ メ ー ト ル)、 同 じく 蓮 如 筆 と判 断 で き る 双 幅 の紙 本 墨 書正信偶文 ( 九 六 ・ 一× 三七 ・四 セ ン チ メ ー ト ル、 九 六 ・ 一× 三七 ・ 一セ ンチ メー ト ル)、 な ど が 所蔵 さ れ て いる 。.       研  究 紀 要  5.

(14) 録 に は 、 表 裏 の モ ノ ク ロ ー ム 写 真 が 掲 載 さ れ 、 福 井 .高 岡 .岐 阜 で の. ﹃蓮 如 上 人 ﹄﹂で も 、再 度 出 展 さ れ た。最 初 の大 谷 大 学 で の展 覧 会 の図. でも 公 開 さ れ 、 一九 九 七 年 十 一月 に、 大 谷 大 学 で開 催 さ れ た ﹁特 別 展. 館 ・高 岡 市 立 博 物 館 ・岐 阜 市 歴 史 博 物 館 で 開催 さ れ た ﹁ 蓮 如 上 人 展﹂.       本願寺 順如裏書 の方 便法身尊像 (三). ら れ る よう な 状態 と な った のであ ろう 。. に は、 修 補 等 の際 の貼 りあ わ せが 適 切 にな さ れ な か った た め 、 現 在 見. これ と 同 じ よ う な状 態 の裏 書 は往 々に し て見 ら れ る。 こ の事 例 の場合. ・絵 の料 絹 など の影 響 で、 裏 書 の料 紙 が 破 断 し てし ま った も ので あ る。. 切 断 さ れ たも の で はな いよう で、 長 い時 間 を 経 る 間 に 、 お も て の表 装.                                                     一四. と 、 第 一行 目 の署 判 の部 分 が通 例 よ り上 部 に位 置 し て い る こと に気 づ.   さ て 、 こ の裏 書 (五 三 ・○ ×三 〇 ・七 セ ンチ メ ー ト ル) を 一見 す る. 得 て、 こ の方 便 法 身 尊 像 な ら び に裏 書 を 実 見 調 査 す る こと が で き た 。. と な って いた。 こ の折 、 同 大 学 の木 場 明 志 氏 ・草 野 顕 之 氏 のご高 配 を. おも て の絵 像 と 、 裏 に貼 付 さ れ た 裏 書 の双方 が 同 時 に実 見 でき る状 態.   一九 九 六年 の大 谷 大 学 で の展 覧 会 で は 、 展 示方 法 に 工夫 が 凝 らさ れ、. 蔵 のも のも 、 他 の順 如 裏 書 と 同 様 に、 ﹁釋順 如 ﹂ と の み署 名 さ れ て い. 署 名 に ﹁本 願寺 ﹂ ﹁大 谷 本 願 寺 ﹂ の文 言 が 見 ら れな いが 、 こ の東 本 願 寺. し てき た 順 如裏 書 で は 、 文 明 三年 の︵九 西︶ 厳 寺 蔵 のも の 一点 を 除 い ては 、. 五年 段 階 のも のと し て ま こと に相 応 し いと 言 え よう 。 これ ま で に紹 介. のも の、 文 明十 三年 の因 万福 寺 蔵 のも のな ど と 酷 似 し てお り 、文 明十. 極 め て よ く似 たも のと な って い る。 花 押 は、 文 明 十 二年 の︵等 五︶ 覚坊蔵. い。 署 名 ・花 押 と も 、 こ の部 分 の判 読 でき る 他 の順如 裏 書 と 比 較 し て、. ﹁釋順 如 (花 押 )﹂ と 判 読 し て問 題 な く 、 順如 裏 書 であ る こと は疑 いな. 分 は、 花 押 の下 部 が 磨 滅 と 剥落 によ って若 干見 づ ら く な って い る が 、.   次 に、 裏 書 の記 載 内容 を 逐 次検 討 し て み よう 。 第 一行 目 の署 判 の部. 展 覧 会 の図 録 に は 、表 裏 の カ ラ ー 写真 と 裏 書 釈 文 が 掲 載 さ れ た。 再 度 の大 谷 大 学 で の展 覧 会 の図 録 に も 、表 裏 の カ ラ ー写 真 と 裏 書 釈 文 が 掲. く 。 そ こ でさ ら に、 こ の裏 書 を観 察 す ると 、 料 紙 に縦 横 に切 れ 目 のあ. る。. 載 さ れ た 。 写 真 に ついて は 、 こ れ ら の図録 を参 照さ れ た い。. る こと が 見 てと れ る。 縦 の切 れ 目 は 、 釈文 にも 示 し て お いた よう に、. 目 の署 判 は、 現 状 でも 一紙 で あ る か ら 、縦 の切 れ 目 よ り右 側 を 、 = 二. 三 ・五 セ ンチ メ ー ト ルほ ど 上方 に位 置 し て い る。 こ の ﹁癸 ﹂ と 第 一行. ﹁ 癸﹂は、﹁ 歳﹂や ﹁ 寅 ﹂ の位 置 を基 準 と す ると 、切 れ 目 を挾 ん で、 一. 如 裏書 に共 通 す る のだ が 、ただ 順如 裏 書 で は、﹁文 ﹂が 蓮 如 裏 書 の文字. と も よ く 似 て お り 、特 に、 ﹁明 ﹂ の偏 を ﹁い﹂と 書 く の は蓮 如裏 書 ・順. 書 の筆 跡 と酷 似 す る。 こ のう ち ﹁ 文﹂と ﹁ 明 ﹂ は、 同 時 期 の蓮 如裏 書. 記 さ れ て いる。 ﹁文 ﹂ ﹁ 明 ﹂ ﹁十 ﹂ ﹁月 ﹂ ﹁三﹂ ﹁日 ﹂ な ど は 、他 の 順如 裏.   第 二行 目 の下 付 年 月 日 の部 分 に は、 ﹁ 文 明十 五歳寅癸三 月廿 一日 ﹂ と. 第 二行 目 の ﹁ 文 明 十 五歳 ﹂ の行 のす ぐ右 側 に見 ら れ る。 ﹁歳 ﹂ の下 の干. ・五 セ ンチ メー ト ル ほど 下 方 へ移 動 さ せ れば 、 署 判 . ﹁ 癸 ﹂ と も に自. に比 べ てよ り 横 長 の形 態 と な る こ と、 ﹁明 ﹂ の つく り の ﹁ 月 ﹂が 蓮 如裏. 支 は 、 ﹁癸 寅 ﹂ のう ち 、 ﹁ 寅﹂ は ﹁ 歳 ﹂ の左 下 の通 例 の 位 置 にあ るが 、. 然 な位 置 と な る。 こ の縦 の切 れ 目 は 、 横 の切 れ 目と と も に、 意 図 的 に.

(15)       研  究 紀 要  5. の記 述 を 裏 付 け る史 料 と な る で あ ろ う 。. あ った と す る ﹃蓮 如 上 人仰 条 々﹄ 一八七 や、﹃蓮 如 上 人御 一期 記 ﹄ 四 八. 同 年 三 月 七 日 に 続 く 事 例 と な り 、 順 如 が 死 去 す る ま で本 願 寺 住 持 で. 順 如 死 去 の 二か 月 強 前 のも の と な る。 こ の裏 書 は 、︵七 西︶ 岸寺蔵裏書 の. て いる 順如 裏 書 の中 で 、 も っと も 新 し いも の で、 同年 五月 二十 九 日 の.   こ の文 明十 五年 三 月廿 一日と いう 下 付 年 月 日 は、 これ ま で確 認 さ れ. の 干支 の錯 誤 は 順如 裏 書 の特 色 と す る ほ かな い であ ろう 。. の は九 例 あ るが 、 実 に 五例 に干 支 の誤 りが 見 ら れ る。 こう な ると 、 こ. に確 認 でき た順 如 裏 書一三 例 の内 、 年 紀 と 干 支 の 双方 が 判 読 でき る も. ﹁癸 卯 ﹂ であ るが 、 こ の裏 書 に は ﹁ 癸 寅 ﹂ と 記 さ れ て いる 。 これ ま で. 例 に よ って、 干 支 に は誤 り が 見 ら れ る 。 文 明 十 五 年 の 実 際 の 干 支 は. ﹁歳 ﹂ と な って い る。 干 支 は左 右 に幅 を 広 め にと って書 か れ て いる。. り 、 文 明 十 二年 の︵十 勝︶ 楽 寺 蔵 の も の と 、 こ の東 本 願 寺 蔵 の も の が. 回紹 介 す る 三例 も 、 文 明 三年 の︵九 西︶ 厳 寺 蔵 のも のが ﹁ 年 ﹂ と な ってお. 等 覚 坊︵ 蔵五の ︶も の以降 が ﹁ 歳 ﹂ と な って いる と 前稿 で指 摘 し た が 、今. 明十 年 の︵安 四︶ 明寺 蔵 のも のま で が 、 ﹁ 年 ﹂と な って お り、文 明十 二年 の. ﹁ 歳 ﹂ が 用 いら れ て いる 。 こ の部 分 の判読 でき る 順如 裏 書 のう ち 、文. 様 に、 ﹁ ﹂ と い う 書 体 が 用 い ら れ て い る 。 さ ら に 年 紀 の表 記 に は. 前 稿 でも 指 摘 し た よ う に、︵一 西︶琳寺 蔵 のも の、因 万福 寺 蔵 のも の と 同. 如 裏 書 と 順 如 裏 書 と を判 別 す る 一つ の基 準 と な ろ う。 ま た ﹁ 廿 ﹂ は、. ら れ る。 こ の特 色 は、 単 独 の ﹁ 月 ﹂ の場合 にも 見 て取 れ 、 同時 期 の蓮. 書 に比 べ、 や や横 幅 が 広 く 書 かれ る傾 向 が あ る こと 、 な ど の特 色 が 見.                                                       一五. 郡 ﹂ と 記 さ れ て い る。 こ の裏 書 の ﹁頭 ﹂ は、 誤 字 と も 言 う べき も ので. 如 裏 書 に は比 較 す る例 が な い。 蓮 如 裏 書 の場 合 は通 例 の用 字 で ﹁ 幡豆. て いる も の は現 在 のと こ ろ知 ら れ て いな い。 ﹁ 幡 頭 郡 ﹂に つ いて は、順. 書 には 、 ﹁ 参 河 國 ﹂ ﹁参 川 國 ﹂ ﹁ 参 州 ﹂ の例 はあ るが 、 ﹁三河 國﹂ と な っ. と 表 記 さ れ てお り 、 こ の東 本 願 寺 蔵 のも のと は 異 な って いる 。蓮 如 裏. は 、︵二 光︶ 恩 寺蔵 のも の、︵六 万︶ 福 寺 蔵 のも ので は 、 いず れ も ﹁ 参 河 國﹂. いる 。 充 所 の固 有 名 詞 の用字 法 に つ い て若 干 触 れ てお こ う。 ﹁三河 國﹂. のも の、︵七 西︶ 岸 寺蔵 のも の と 同 様 、﹁ ﹂と いう 独 特 の書 体 が使 わ れ て. 摘 し た よ う に、 こ の文字 の見 ら れ る 、︵二 光︶ 恩 寺蔵 のも の、︵五 等︶ 覚坊蔵. と よ く 共 通 す る筆 跡 と な って いる 。 ま た ﹁ 庄 ﹂ の書 体 は 、前 稿 でも 指. 徒 ﹂ と な って い る。 ﹁河 ﹂ ﹁國 ﹂ ﹁郡 ﹂ ﹁門 ﹂ ﹁徒 ﹂な ど は、他 の 順如 裏 書. る こ と が でき よ う。 充 所 の記 載 は ﹁三 河 國 幡 頭 郡 吉 良 庄 / 勝  寺 門. よ う に な る 文 明十 年 以降 の順如 裏 書 と し て は 、 や や 異例 のも のと も す. 行 の字 配 り は 、書 き 出 し の高 さ と と も に 、字 配 り に安 定 性 が 見 ら れ る. 事 例 と 比較 し て 、蓮 如 裏 書 に近 いよ う な字 配 り と な って いる。 こ の 二. 必ず し も近 接 し て 配列 さ れ て いる と は言 え ず 、 こ れ ま で紹 介 し てき た. 日﹂ と ほぼ 同 じ高 さ か ら 、充 所 が 二行 に 記 さ れ て いる。 こ の 二行 は、. の下 の左 右 に は 、 主題 と や や間 隔 を お いて 、 ﹁ 文 明 十 五歳寅癸三 月 廿 一. て いる。 ま た書 体 ・書 風 も 他 の 順如 裏 書 の筆 跡 と よ く 共通 す る。 主 題. ﹁ 像 ﹂ と な って いる こと も 、 こ の部 分 の判 読 でき る順 如 裏 書 と 共 通 し. ま って いるが 、 方 便 法 身 尊 像 と 書 か れ て いた と考 え て何 ら問 題 はな い。.   上 段 の 主題 の ﹁ 口 便 法 身 尊 像 ﹂ は 、 一文 字 目 が 現 状 で は擦 れ て し.

(16) 描 か れ方 に 明瞭 な差 異が 見 ら れ る こと を 指 摘 し てお いた 。 す な わ ち 、. 如 期 以 前 お よ び 順如 期 のも のと 、 蓮 如 復 職 以 降 のも のと には 、光 明 の. の方 便 法 身 尊 像 の像 様 の変 遷 に つい て は、 別 稿 や 前稿 付︵一 で︶ 述 べ、順. 如 何 にも 新 し い近 世 以 降 のも の であ ると の印 象 を受 け る。 本 願 寺 下付.   次 に絵 像 の像 様 に つ い て触 れ てお き た い。 こ の絵 像 を 一見 す ると 、. は、 一文 字 分 程 度 の空 白 はな く 、 連 続 し て書 か れ て いる。. て い る。 ま た、 他 の順 如裏 書 と 同様 、 ﹁ 願 主 ﹂ と ﹁釋了 頓 ﹂ と の 間 に. 二年 以 降 の他 の順 如裏 書 に見 ら れ る よ う に、 願 主 名 に ﹁釋﹂ が 付 さ れ. であ る 。最 終 行 の願 主 の記 載 は 、﹁願 主釋 了頓 ﹂と な って お り、文 明 十. 蓮 如裏 書 ・実如 裏 書 に は見 ら れ な い、 順 如 裏 書 独 特 の充 所 の記 載 形 式. そ し て こ の東 本 願 寺 蔵 のも の、 の 六点 に こ の特 色 が 見 ら れ る 。 これ は. 明寺 蔵 のも の、 別稿 で紹 介 し た松 橋 家 蔵 のも の、 梅 本 一族 蔵 のも の、. 順如 裏 書 の特 色 であ る。︵二 光︶ 恩 寺 蔵 のも の、︵三 浄︶ 性 寺 蔵 のも の、︵四 安︶. 徒 ﹂ を記 し て終 え る充 所 の記 載 形 式 は、 これ ま で指 摘 し てき た 通 り 、. る。 寺 院 ・道 場 の所 在 地 を 最 初 に記 し 、 次 に手 次 関 係 を 示 す ﹁○ ○門. 書き、次 に ﹁ 勝  寺 門 徒 ﹂ と 手 次 関 係 を 示 し て終 わ る も のと な って い.   充 所 の記 載 形 式 は、 ﹁三河 國 幡 頭 郡 吉 良 庄 ﹂と 、最 初 に 道 場所 在 地 を. 楊 寺 し に近 い書 体 のも のも 見 ら れ る 。. を 実 見 し て いる わ け で は な いが 、多 く は ﹁ 勝 万寺 ﹂と 書 かれ る が 、 ﹁ 勝. も 判 読 す べ き 文 字 が 記 さ れ て いる 。蓮 如 裏 書 の 場合 は、 す べ て の事 例. 蔵 のも ので は 、 こ の東 本 願寺 蔵 の も のと 同様 か、 も しく は ﹁ ﹂ と で. あ ろ う が 、音 通 であ る の で問 題 で はな か ろう 。 ﹁勝  寺 ﹂ は、︵二 光︶ 恩寺.      本願寺順如裏書 の方便法身尊像 (三). 光 恩 寺︵ 蔵二の ︶も の、︵五 等︶ 覚 坊 蔵 のも の、︵八 真︶ 光 寺 蔵 のも の、︵十 勝︶ 楽寺. 像 様 は、 ﹁奉 修復 ﹂ の裏 書 の付 さ れ て い る︵一 西︶ 琳 寺 蔵 のも のを除 けば 、. 浄 性 寺︵ 蔵三の ︶も の に近 い値 と な って いる 。 順如 裏 書 の方 便 法 身 尊 像 の. な 変 更 が 加 え ら れ て いな いな ら ば 、 各 部 位 の実 測値 ( 表 2参 照 ) は、. 近 世 以 降 の こと と 判 断 さ れ よ う 。 ま た 仏身 の大 き さ な ど にさ ほど 大 き. も の であ った の であ ろ う 。 そ れ が 現 状 と な った の は、 像 様 か ら 見 て、. 明 十 五年 のも のと し て ふ さ わ し い、 上 下 に突 き 抜 け る光 明 の描 か れ た. ま っす ぐ に突 き 抜 け る 一条 を見 て と る こと が でき た。 こ の絵 像 は、 文. 実 見 し た 際 に 、 現状 の光 明と 重 な りあ う よう に、 そ の下 側 に、 上 方 に. で き る﹂ と し て いる。 従 う べき 見 解 であ ろう 。 筆 者 た ち も こ の絵 像 を. て いる が 、当 初 の光 背 の影 が 確 認 さ れ る こと か ら 、 原初 のも のと 判 断. そ れ と は 異 な り、 ﹁画像 そ れ自 体 は 江戸 時 代 に大 幅 な 修 補 が 加 え ら れ. 福 井 ・高 岡 ・岐 阜 で の展 覧 会 の図 録 の解 説 ( 草 野 顕之 氏 執 筆 ) で は、. の像 に裏 書 の みが 貼 付 さ れ て伝 来 した ﹂ と の見 解 を示 し て い る。 一方 、. いて、 ﹁ 表 の尊 像 は近 世 のも の で、下付 さ れ た当 初 の像 は 失 わ れ 、後 世. 学 で の展 覧 会 の図 録 の解 説 では 、裏 書 と絵 像 の像 様 と のギ ャ ップ に つ. ば 、 新 し い時 代 のも のと 判 断 さ れ る こ と と な る。 一九 九 六 年 の大 谷大. 光 明 が V字 型 の形 式 と な って いる か ら、 光 明 の形 式 と いう 点 か ら 見 れ. 方 は  字 型 ) に照 射 さ れ る光 明 へと変 化 す る。 こ の絵 像 は 、現 状 で は、. の で は、 上 下 に突 き 抜 け る光 明 は描 か れな く な り、 上 方 は V字 型 ( 下. ま っす ぐ 上 下 に突 き抜 け る光 明が 描 かれ て い るが 、 こ れ ら よ り後 のも. 表 3 の1 か ら 21 ま で の事 例 で は、 後 世 の改 変 な ど のあ る も の を除 け ば 、.                                                     一六.

表 3 (増 補 )  蓮 如 継 職 後 ︑ 蓮 如 死 去 ま で の 本 願 寺 下 付 方 便 法 身 尊 像 に つ い て の 調 査 デ ー タ下 付 年 月 日下付者所蔵老所在 地料   絹総高仏身 肩   幅 裏          書 署           判 備       考1長禄3(一四五九)年7月2日蓮如専精寺岐阜県垂井町90・8×35・465・048・415・446・0×22・0別大谷本願寺釋蓮如口2長禄4(一四六〇)年口月14日蓮如照光寺新潟県新井市90・0×36・661・8

参照

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