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日本家政学会誌 Vol. 61 No ~ 44 (2010) ブラッシング ローズを纏う ブラッシング ローズを纏う ヴィクトリア朝後期イギリスに於ける若い女性のキャラクター表出 坂井妙子 ( 日本女子大学人間社会学部 ) 原稿受付平成 21 年 9 月 2 日 ; 原稿受理平成 21

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1. はじめに  ヴィクトリア朝後期(1870 年代後半から 1901 年ま で)のイギリスでは,「ブラッシング・ローズ」(blushing rose)と呼ばれるバラをドレスや帽子に飾ったり,ブーケ としてブライズメイド(花嫁に付き添う未婚の若い女性) に持たせることが流行した.「ブラッシュ」または,「ブラッ シング」は「赤面する」の意で,「ブラッシング・ローズ」 は薄赤のバラの総称である.本稿では,ファッション・ア イテムとしてのこのバラの流行を検証し,その社会的・文 化的意味を探る.  数あるバラの中で,薄赤色に特別な価値が付与されたの は,ロマンティシズム時代以降の表情としての「ブラッシ ング」の解釈と,バラのシンボリズムの確立,その商品化 との連関によるところが大きいようだ.つまり,ブラッシ ング・ローズは,「ブラッシング」の解釈の破綻と「ローズ」 のシンボリズムの間に立ち現れ,それはモノとして実体化 され,着用者の望ましいキャラクター(心理,性格,本質 など)表出の道具として大衆化していったのである.この ことを,ブラッシング・ローズの流行の把握,表情として のブラッシングの解釈の変遷,バラのシンボリズムとその 実践としての花言葉集の分析から素描し,さらに,植物と してのバラの位置付け,モノ(アクセサリーとしてのバラ) とキャラクター表出の関係の考察を重ねることで明らかに する. 2. ブラッシング・ローズの流行  図 1 は,ファッション誌『レディーズ・ガゼット・オブ・ ファッション』(1884 年)掲載の舞踏会用ドレスである. 右のドレスの胸元と腰にブラッシング・ローズが飾られて いる.このドレスは,「シェルピンク(shell pink)色のゴー ス,グレナディン,チュール,フーラード[フラール生地] 製で,スカートの裾部分はホニトンレース,またはブレト ンレースでできている.ボディスはホルバイングリーン (Holbein green)のヴェルヴェット製で,トップが波形に 仕上げられている.ヴェルヴェット,または,サテンのリ ボン付きで,ブラッシング・ローズ,または菊」1)を飾る,

ブラッシング・ローズを纏う

—ヴィクトリア朝後期イギリスに於ける若い女性のキャラクター表出—

Dressing up with Blushing Roses

Representations of Ideal Characters for Young Women in the Late Victorian Period

坂 井 妙 子

Taeko SAKAI

(日本女子大学人間社会学部)

原稿受付 平成 21 年 9 月 2 日;原稿受理 平成 21 年 11 月 10 日

Faculty of Integrated Arts and Social Sciences, Japan Women’s University

In the late Victorian period, adorning one’s dresses and parasols with blushing roses became increasingly popular with young British women. Although not an unusual rose species, blushing roses acquired a symbolic value, and were widely commercialized in the form of a book (Language of Flowers). The language of blushing roses, “ If you love me, you will find me,” emphasised ideal womanhood, so that the roses immediately became an acceptable fashion for young women.

The blushing rose transformed itself from just another flower in the rose family to a symbol of young, modest, and beautiful women, as well as to fashionable commodities. This process was, however, complicated. It entailed the changing interpretation of facial expressions (blushing), the establishment of the symbolism of roses, the horticulture of roses, and the ways of representing ideal characters through one’s dresses and accessories. This essay examines the ideological structures of blushing roses, and through it, explores Victorian desires and values.

Keywords: accessory アクセサリー , rose バラ , blushing 赤面 , the 19th century 19 世紀 ,

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とキャプションは指示している.ピンクの薄地に,緑のヴェ ルヴェットをあしらったこのドレスは一輪の瑞々しい野バ ラのようだが,それに薄赤色の生花を添えるという趣向で ある.このドレスは若い女性用として提案された.ファッ ション誌『クイーン』(1886 年)は,ブラッシング・ロー ズの実用例を報告している.ある若い既婚夫人が,「ブラッ シュ・ローズの花綱をつけた,柔らかい白チュールのドレ ス」2)を舞踏会で着用した.これを,この会で見られた「い くつかの可愛らしいドレス」の最初の例として挙げている.  ブラッシング・ローズはドレスだけでなく,帽子やパラ ソルのアクセサリーとしても人気が高かった.『クイーン』 (1882 年)はロンドンの最新ファッションを紹介するコー ナーで,サウス・ケンジントン(ロンドンの文教地区兼, 高級住宅地)にある小間物商,ミス・バーナンドが「片方 に繊細な色合いのブラッシュ・ローズをあしらった」帽子 を扱っていると,読者に伝えている3).同誌は「ファッショ ナブルな」商品として,「暗い色のヴェルヴェットの葉が ついた,ブラッシュ・ローズの花輪をあしらった」ブロケー ド製パラソルも紹介している(図 2).このパラソルの柄 は錨の形(maritime handle)なので,海浜のリゾート用 と思われる.  しかし,ブラッシング・ローズがもっとも頻繁に使用さ れたのは結婚式のようである.花嫁がオレンジの花でドレ スやベールを飾り,オレンジの花のブーケを好んで持った のに対し,ブライズメイドはブラッシング・ローズを選ん だ.オレンジの花は豊穣の印であり,純潔の象徴である4) 『クイーン』はブライズメイド用のブラッシング・ローズ のブーケや,帽子に飾った例を,1886 年の夏だけで少な くとも三件報告している5).また,『レディーズ・ガゼット・ オブ・ファッション』(1886 年)は,ブライズメイドの ドレスを紹介する記事の中で,「可愛らしいのは薄いピン クで,ファイユ地にドレープし,ブラッシュ・ローズの花 輪を付けたものです」6)と,読者に伝えている.  総じて,ブラッシング・ローズは生花であれ造花であれ, 若い女性が好んで用いたアクセサリーで,白や淡い色のド レスに飾られることが多かったことがわかる.特に,ブラ イズメイドに頻繁に用いられたことから,若い未婚女性が 自己イメージとして抱くキャラクターや,彼女たちに期待 された特異な価値基準を視覚化していたことが窺われる. 次節では,表情(ブラッシング)とローズのシンボリズム がこの花に付与した内面性を探る. 3. ブラッシング・ローズの成り立ち (1) 赤ブラッシング面 のロマンティシズム的解釈とその後  『慎みのフィクション』(1991 年)の著者,ルス B. イ エイゼルによると,18 世紀後半から 19 世紀初頭の文学, 雑誌や説教集のディスコースでは,赤面は善良な若い女性 図 1.ブラッシング・ローズを飾ったドレス(右) 図 2.ブラッシング・ローズを飾ったパラソル

出典:“Coloured Plates and Illustrations,” The Ladies’ Gazette of Fashion, 1884.

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の「慎み」(modest)と「イノセント」(innocent)の表 示に収斂されたという7).たとえば,説教集『父から娘た ちへの遺産』(1774 年)の著者,ジョン・グレゴリーは, 女性美の本質を慎みとイノセントと捉え,赤面するか否か でこの美徳の有無を量ることができると考えた. 女性のキャラクターで主な美の一つは慎み深さ (modest reserve)であり,遠慮がちな優美さだ. それは人目を避け,賞讃の眼差しにあっても,ま ごつく.(中略)少女が赤面しなくなったら,彼 女は美のもっとも強力な魅力を失ったことにな る.それが示す極度の感受性は我々男性にとって は弱点で,妨げになるとしばしば感じるが,女性 の場合は特に興味をそそる.哲学者を自認する学 者ぶった人は,なぜ,女性は罪を犯していない事 を意識すると赤面するのかと尋ねる.欠点がない という罪を冒す時に,自然があなたに赤面させ, そのために我々はあなたを愛さずにはいられない と言えば充分だろう.赤面は罪に付随するものと は到底考えられず,通常,イノセンス(innocence) の伴侶である.8) 内面に秘められた女性特有の美徳は赤面という表情によっ て顔に表示され,他者の知るところとなる.赤面は,女性 が慎みとイノセンスの美徳を所有していることの証左とな るのである.似たような見解は 19 世紀に入っても見られ る.エチケットブック『美徳の鏡』(1811 年) は,「女性美」 の章で,「慎み深い赤面が可愛らしい少女の頬を豊かに 染め上げ,香しくほとばしって,内面の無垢(the purity within)を見抜く真の証人たることを感知しない人,賞讃 しない人がいるだろうか」9)と,赤面と「内面の無垢」の 照応関係を強調している.その後,著者は「振る舞い」の 章で再びこの話題を取り上げ,慎み深い女性を精霊に例え ている.「おずおずした,内気な歩み,伏し目,様々に変 わる顔色,『じっと見つめられて引き寄せる赤面』,これら すべては,この種の女性のものだ.それらは真に女性的で, あまりに愛らしいので,完璧な女性美と対をなすものとし て,精霊を思わずにはいられない」10)  もっとも,このような男性中心的解釈に異議を唱える者 がいなかったわけではない.メアリ・ウルストンクラフト は『女性の権利の擁護』(1792 年)の中で,「伏し目,バ ラ色の赤面や内気な優美さは若い盛りにはふさわしい.し かし,慎みは理性の子供であるために,熟慮によって調節 されていない感受性と長く共存することはできない」11) と指摘し,若い女性の頬を染める赤面に永続的な真の美 徳と呼べるようなものを認めていない.別の箇所で彼女 は,人は少女の顔に「快活さと内気な慎み」(vivacity and bashful modesty)しか見ないが,若い盛りを過ぎれば, そんなものよりも彼女の顔に「より深い思慮」,「情熱の痕 跡」や「キャラクターの個性」12)を求めるようになると 述べる.また,「イノセント」は子供が持つ性質であり,「こ の形容詞句が男性や女性に用いられる場合は脆弱の丁寧な 言い方にすぎない」13).貞節を守る唯一の美徳は「清らか

な心」(purity in mind),または,「純粋な繊細さ」(genuine delicacy)であり,これはイノセンスよりも高貴で,「無 知による媚ではなく,繊細な熟慮である」14)とも指摘し ている.ウルストンクラフトはルソーやグレゴリーなどの, 女性教育やマナーについて説く男性著述家を「女性をより 人工的で弱いキャラクターに仕向け,結果として,社会の いっそう役に立たない成員にしている」15)と非難してお り,女性の美徳や赤面を解釈する際にも,女性蔑視批判の 視点が活かされている.しかし,グレゴリーの前掲書は, 19 世紀に入るまで女性教育に多大な影響を与えたという から16),ウルストンクラフトのような解釈は 18 世紀には 少数派だっただろう.  ヴィクトリア朝期になると,赤面のロマンティシズム的 解釈の有効性は明らかに揺らぐ.T. H. バージェスは,赤 面を生理学的に分析した著書,『赤面の生理学,及び,メ カニズム』(1839 年)の中で,社交界に入りたての若い 男女はしばしば「慎み」や「内気」(bashfulness)のため に赤面すると観察している.また,若い女性の頬に広がる 赤面を「魅力的」と認めている.しかし,この表情が明か すはずの内面の美徳について,次のように否定する.「そ れは純粋やイノセンスの試金石などではない.もっとも純 粋で徳の高い人同様,放蕩者や娼婦が真っ赤に頬を染める ことも見られようからである」17).この著書を参照して, さらに研究を進めたチャールズ・ダーウィンは,生物的な 問題としてさえ受け付けていない.著書,『人及び動物の 表情について』(1872 年)の中の赤面を扱った章で,赤 面は「乙女の顔に美しさを添える」が,「性的装飾ではな い」18)と断じている.『人及び動物の表情について』は, 下等動物から人間に至るまでの情動の連続性を生理学的に 明らかにしようとした著書である19)  ダーウィンは,赤面の要因に「自己注意」(self-attention) を措定している.自己注意とは,単に自分の外観を思案す ることではなく,他者が自分の容姿なり,振る舞いに与え る評価に対する反応である.彼は,自己注意の心理状態を 三つに分類した.「はにかみ」(shyness),「羞恥心」(shame), 「慎み深さ」(modesty)である.たとえば,「羞恥心」が 引き起こす赤面は,冒した違反そのものに対してよりも, 予想される他者の批判に恥じ入って頬を赤らめると解釈さ れる20).赤面を生起させる心理はいずれも,他者の評価 に対する感受性の問題(どの程度,敏感か)として扱われ たのである.

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 このように,ダーウィンは精神作用を重視しているが(こ のことは他の表情分析と比較すると一層明らかである), 「自己注意」についてこれ以上論及することはない.「[自 己]注意—おそらく,精神のあらゆる不思議な力の中で最 も驚嘆すべきもの—が,いかなる手段によって発現したか は極めて不明な問題である」21)と述べるに留まっている. 彼は,人の内面の領域はそもそも他者には感知しがたいと 考えたようだ.『序章』でも,人は表情の差異を瞬時に感 知するが,それが何かを正確に言い当てることはできない と述べ,表情研究の難しさを強調している22).表情読解 にはあいまいさがつきまとい,情動表現をする当事者とそ れを読む他者の間には「ずれ」が生じうる.情動表現が発 するメッセージは不完全にしか受け取られず,それゆえ, 「読み」は一方的で,独りよがりになる危険を孕むのであ る.実際,赤面している人を前にして,「はにかみ」,「羞 恥心」,「慎み深さ」のうち,どの解釈コードを使えば真情 を読み取ることができるのか,他者には依然としてわから なかっただろう.赤面している当事者でさえ,「精神が混 乱している」23)ために,自己分析不可能だったのである. 赤面はもはや解釈の対象ではなく,読解すべき記号,しか も正確に解読される保証のない暗号と化した.  表情の読解可能性に対する懐疑とも呼べるこの心性は, なにも学術書にのみ見られる現象ではなかった.美容書, 『姿の美しさ』(1870 年)の著者,D. G. ブリントンと G. H. ナフィーズは,赤面を不都合な瞬間に現われる「やっかい な」生理現象で,時に,誤解を生む危険きわまりない表情 と見なしている.その最たる例として,彼らはマリー・ア ントワネットの従者だった男性の回想を引く.「もし,誰 かが『廷臣よ,ペルシャのカーン暗殺計画の容疑であなた を告発する』と,出し抜けに皆の前で言ったら,私の赤面 と狼狽は有罪宣告となろう」24).ジョン・グレゴリーだっ たら,この種の赤面を潔白の印と捉えただろうが,ここで は罪の告白になり代わっている.この従者は,出し抜けに 突拍子もないことを言われて,肝をつぶした気の弱い人 か,同僚の悪ふざけを真に受けた堅物だったのだろう.し かし,彼の狼狽=赤面は罪の告白に誤訳されてしまったの である.ブリントンらは,赤面を「どんなに強い意志の力 でも阻止することはできず」,「社会のどんな習慣もそれを 克服することはできない」と述べ,赤面が内面の真実を露 にすることを認識しているが,それはもはや他者に正確に 感知されるわけではないことを示している.表情の読解可 能性に対する懐疑と不安は,不如意な赤面を防ぐためのア ドバイス-「辛抱強く自制心を育むことが,不完全ながら も唯一,提供できる忠告である」 25)-にも示されている ように思う.  ヴィクトリア朝後期に入るころまでには,赤面は解釈の 対象から解読の問題へとずらされていったと考えて良いだ ろう.しかし,読めなくなった表情はそのまま放置された わけではない.植バ物ラが表情の読解を引き受けるようになっ たのである. (2) バラのシンボリズムと花言葉  ヴィクトリア朝期には,バラは数ある花の中でも,特に 重視されていた.このことは,様々な花の伝説,歴史的用 途やシンボルの変遷を述べた著書,『フローラル・シンボ リカ』(1870 年)に端的に示されている.著者,ジョン・ イングラムは「バラ」の章の冒頭で,「バラは花々の中でもっ とも素晴らしいと全世界的に認められてきた.『愛の花盛 り』の美しさに賛辞を示さない文学は世の中にほとんどな い」26)と,絶賛している.この最高の植物は,古代ギリシャ には,「愛と喜びとともに,沈黙のエンブレム」27)であっ たという.古代ローマでは,バラは最も珍重された花で,「喜 びの象徴」と考えられ,そのために饗応で用いられた.饗 応の神は,若くハンサムな男性がバラの花輪を頭に戴いた 姿で表されたという28).しかし,古代ギリシャ,ローマ の両方で,バラは墓石を飾るためにも使われた.バラ園は この目的で遺贈され,相続者たちは毎年,遺贈者の命日に 集まって墓のそばで食事をし,園のバラを墓に生けるよう 遺言されることもあったという.紀元後,初期のキリスト 教徒たちは,バラを饗応に使うことも,埋葬で使用するこ とにも強く反対したという29)  この他,イングラムはペルシャの伝説,アントニーとク レオパトラの逸話,ヘブライ文学の寓話から中世ヨーロッ パの習慣,バラ戦争,南イングランドに於ける 19 世紀後 半の慣習,チョーサー,スペンサー,バイロンなどの作品 (詩)におけるバラの描写まで,様々な例を記述する.南 イングランドでは,乙女が亡くなると,少女が白バラでつ くった花輪を遺体に掛け,埋葬の後,それは教会の彼女の 席だった場所に置かれるなどである30)  これらの例からわかることは,バラにはセクシュアリ ティーと死のアナロジー,勇気,愛,献身,宥和,生命の 儚さ,処女の清らかさやはにかみなど,雑多で混乱したシ ンボリズムが寄せ集められていたことである.あたかも, 人間の情緒の複雑さをバラで代弁しているかのようだ.し かし,より大きな意味があるのは,このような歴史的・文 化的多様性を意識した上で,イングラムはバラの象徴性を 一義的にまとめあげるような発言をしていることである. 我々のもっとも繊細な感覚とデリケートな情緒の 解説者であるバラが,喜びと愛の象徴であること を改めて指摘する必要があろうか? 美の女神で あるヴィーナスに捧げられ,彼女のように,若さ とイノセンス,喜びの,もっとも優美なすべての

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典型である.31) 彼は「改めて指摘する必要があろうか?」と述べ,「喜び と愛」があたかも大昔から継続するバラの普遍的なシンボ ルであるかのように語るが,そうでないことは明らかだ. 初期キリスト教徒の間では,バラは喜びの象徴ではなかっ た.イングラムはローマ神話の愛と美の女神を引き合いに 出して,19 世紀後半の人々がこの花に強く抱いていたで あろうイメージを正当化し,バラの安定したシンボリズム を実質的に捏造している.別の箇所では,19 世紀のアメ リカの女性詩人の作品を引用し,「その通り! 全世界は 美しいバラが愛のエンブレムであることを知っているの だ」32)と,再度強調する.  イングラムが提示した上記のシンボルでは,バラは女性 美と深く結び合わされている.また,情緒読解のためのツー ル-「解説者」-に位置づけられ,中でも,「もっとも繊 細な感覚とデリケートな」部分の解読を担わされている. これらのことは,ヴィクトリア朝期に数多く出版された花 言葉集にも共通に見られる特徴である.そしてこれを踏ま えて分析を進めると,表情としてのブラッシングとバラを 繋ぐ情緒の規範が見えてくる.  ヴィクトリア朝期には,大量の花言葉集が出版された. たとえば,大英図書館には,”Language of Flowers” をタ イトルに含む著作が 144 冊所蔵され,その約 2/3 がヴィ クトリア朝期の出版である.これ以前の出版はわずか3冊 で,残りは主に 1980 年以降の作品である.このことから もわかるように,花言葉集はヴィクトリア朝期に発達した ジャンルのようだ.花言葉は社会的コミュニケーション ツールとして提案されている.たとえば,『花のエチケット: その言葉と感情』(1852 年)は,序文で次のように述べ ている. 花には,言葉では充分に言い表すことができず, 愛する女性の前で口ごもってしまう内気な若者の 胸の内に渦巻く情熱を,花を進呈することで代弁 してくれるかもしれない荘厳さがある.可愛らし い女性の方も,これらの崇高な情緒に無感覚でい るわけではなく,[もらった]花を髪に絡ませたり, 胸元に差すことを好む.恋人の眼差しは情緒を暴 露するが,変化に富む感情を定義することはでき ない.花のボキャブラリーのこだまほど,純粋で 熱心な感情はないのだ33) 花を使って意中の人に想いを伝えるのだが,それは言葉や 表情(眼差し)によるコミュニケーションに加えてではな く,それらの代わり0 0 0の手段として提案されている.ここに は,情緒は言葉では言い尽くせず,眼差しによっても正確 に表すことはできないという情動表現に対する不安と懐疑 があるようだ.さらに,言葉や表情が発するメッセージは 多義性を帯びるので—「恋人の眼差しは情緒を暴露するが, 変化に富む感情を定義することはできない」—,他者には 理解しがたいという問題が加わる.これらのことは,解読 すべき記号と化した赤面が抱える問題でもあったことは, ダーウィンの分析やブリントンらの言表からすでに指摘 した.  花言葉集では,花の品種と色,情緒の対応関係は常に一 義的である.たとえば,『ヤング・レディーズ・ジャーナ ル花言葉集』(1869 年)の「バラ」の項では,アルファベッ ト順に次のような対応付けがなされている. アカシア-エレガンス,オーストリアン・エヴァー -チャーミング… ブライダル-完璧な愛,バー ボン-ハートのクイーン,赤のつぼみ-少女,白 のつぼみ-愛のないハート,つぼみ-秘められた 愛…深紅-内気な愛,野バラ-シンプルさ… メ イドン・ブラッシュ(Maiden Blush) -もし私を 愛するなら,あなたは私を見つけるでしょう…  他,(全 34 種)34) これほど多くの情緒を託された花はバラ以外にはない.こ のことは,バラの歴史的・文化的多様性をある程度,反映 しているのかもしれない.しかし,上記の対応を見て分か るように,女性,美,恋愛に関する情緒が傑出しており, それは,イングラムがバラのシンボルに措定した「喜びと 愛」に接続される情緒である.これらの文言は,他の花言 葉集でも全く同じである35)  加えて,花言葉集では,花を渡す際のルールまで細かく 規定された.『花のエチケット:その言葉と感情』には,「地 面に投げ捨てられた花は,情緒に対して無頓着,もしくは 無関心を意味する」36)など,メッセージを完璧に伝達し, 受容するためのルールが列挙されている.巻末には,“Rose, Bridal- Happy Love,” “Happy Love- Bridal Rose” のように, 相互対照表が用意され,表示すべき情緒との一対一対応を 強く印象付けている.つまり,花言葉集は,特に喜びと愛 に関する情緒の解読コードを社会に提供したのである.若 い女性の恥じらいと優美な繊細さを喚起させる「メイドン・ ブラッシュ」の花言葉は,もはや解読できなくなった赤面 の意味を,やや平板にしてしまったとはいえ,代補したと いえるだろう.   4. ブラッシング・ローズの身体性 (1) レイノルズ・ホール著,『バラについて』(1869 年)  ところで,現在,「アンティーク」に分類されるバラの 多くは,19 世紀にイギリス,フランスで品種改良された ものだという.「ブラッシュ」,または,「ブラッシング」 と名のつく新種も数多く栽培され,たとえば,「ブラッ シュ・ボーソルト」(Blush Boursault)が 1800 年代中頃に,

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「ブラッシュ・ノワゼット」(Blush Noisette)が 1817 年 に品種改良された.1810 年には,「ヒュームズ・ブラッ シュ・ティー・センティット・チャイナ」(Hume’s Blush Tea-Scented China)が広州から輸入されたという37).薄 赤色の花を付ける品種では,「イプシラント」(Ipsilante) が 1821 年 に,「 ス ト ラ イ プ ド・ モ ス 」(Striped Moss) が 1888 年,「 デ ボ ニ シ ス 」(Devoniensis) が 1858 年, 「マダム・アルフレッド・キャリエール」(Mme. Alfred Carriere) が 1879 年,「 ナ ス タ ラ ナ 」(Nastarana) が 1879 年に栽培に成功した38).バラの品評会もさかんに行

われ,1876 年には,王立バラ協会(The Royal National Rose Society)が設立された.初代会長のレイノルズ・ ホールはバラの育て方を記した著書,『バラについて』 を 1869 年に出版し,すぐにベストセラーになったとい う39).つまり,ヴィクトリア朝後期までには,ブラッシ ング・ローズと見なされるバラは複数種存在し,人目に触 れる機会も多く,おそらく購入,栽培ともに容易であった と思われるのである.  『バラについて』は実用書だが,ホールは第三章,「我々 の美の女王」の中で,バラをヴィーナスをはじめとする古 代ローマの美神たちにたとえ,その魅力を称えている.章 の後半では,イギリスのバラのすばらしさに言及し,多様 性とハーモニーの重要性を力説する.イギリスのバラ園で は,「白バラ,ストライプ,ブラッシュ・ローズ,ピンク, 濃いピンク,洋紅色,深紅,朱,えび茶,紫,ほとんど黒 や輝く金色」など,変化に富んだ色合いが見られ,それら は小型,巻きつき型,地をはう型などの多様な形態が生み 出すアウトラインの妙によってハーモニーを醸し出すとい う40).これを可能にしたのは,イギリスで行われた品種 改良である.さらに,互いの美を高め合った結果,バラは それぞれ独自のキャラクターを獲得するに至る.「この完 璧な統一の上に,なんと新鮮で,香り高く,純粋で,豪華 であることか.バラは頬を赤らめ,つやつやした葉の間で 光輝く」41)と,彼は感嘆する.バラは人のように「頬を 赤らめ」,人のように表情豊かな花と捉えられたのである.  バラの豊かな表情は,他の花との比較によってさらに強 調される.たとえば,椿は「申し分のない形」だが,「バ ラの持つ優美さ,気安さ,表情に欠ける.それは,目鼻立 ちは完璧だが,感情や知性の移り変わる魅力に欠ける顔の ようだ」42)と,説明される.加えて,バラは「愛される ところではどこでも,その美しさを発揮する」ので,場所 を選ばず,階級の隔てなく栽培可能である.ホールは,「バ ラ園ほど,購入するにも存続させるにも,安上がりな草花 栽培はない」43)と述べ,わずか5ポンドで栽培をはじめ ることができると太鼓判を押している.つまり,バラは階 級の上下を問わずすべてのヴィクトリアンにとって,リア ルな身体性を備えた美のモデル,「我々の美の女王」だっ たのである. (2) キャラクター指標として  特に若い女性の間で,つつましやかな情緒を携えたこの 美のモデルが人気を博したとしても不思議ではない.実 際,ヴィクトリア朝後期には,ブラッシング・ローズのイ メージを喚起させる,若い女性向きの商品が様々に展開し た.『クイーン』(1880 年)は,「ブラッシング・ボンネッ ト」(blushing bonnet)なる,つば付き帽を「自称恥ずか しがりやの女性のための」新製品として紹介している.こ のボンネットには,結び紐の後ろにスチール製のバネが ついており,頭を傾げて側頭部の動脈を擦ると,「いつで もふさわしい瞬間にチャーミングな赤面を生じさせる」と いう44).「シンパセティック・ブラッシュ」(Sympathetic Blush)という名の紅も発売されたようだ.『姿の美しさ』 (1870 年)は,この商品を「健康的なバラ色と完全に似 ている点で他(の紅)を凌ぐ」と絶賛し,「思いやりのあ る赤面」という名称を「ロマンティック」45)と評している. 一方,『レディーズ・ガゼット・オブ・ファッション』(1885 年)には,「ローズ・リーフ・パウダー」の広告が掲載さ れた.これは,「ピュアで害のない化粧パウダー」で,「野 バラの美しい色合いに似た,繊細な色」がついており,「大 いに賞讃される美しい花盛り(beautiful bloom)を与える」 と宣伝している46).「顔色にデリケートで透明感のあるブ ラッシングを授けます」47)と唱ったのは,頬紅,「リチャー ズ・ローズ・ティント」である.  だが,特に身につけるものとしてブラッシング・ローズ が人気を得たのは,服装とキャラクター(心理,性格,本 質など)の親和性によるところが大きいように思える48) たとえば,美容書,『健康,美,ファッションの身繕い』 (1834 年)は,「顔が魂の鏡ならば,ドレスは精神の索引 である」と述べ,服装から読み取りうるキャラクターの多 様性を示唆している.具体的には,贅沢品はプライドや浪 費,だらしない身なりは怠惰,無頓着,気まぐれな服装は むら気,流行のファッションと完全に対立するドレスを着 用することは,「珍しいものを導入する最初の人であろう とするので,虚栄とプライドのまったき証拠」49)である という.似たような指摘は,S. R. ウェルズ著,『観相学新 体系』(1866 年)にも見られ50),服装は着用者の社会階 級や経済状態を表すだけでなく,キャラクター指標と見な されていたことを示している.  キャラクター指標では,ドレスのスタイルと着用者の一 致が重視され,それは人格評価へと連繋された.つまり, 調和していれば,良い趣味と見なされ(→高い評価),不 調和ならば,センスと教養を疑われた.評価基準は,「人

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目につくか否か」である.ローラ・モンテズは『美の技と 秘密』(1858 年)の中で,次のように説いている.

人目を引くようなやり方でドレスを纏う女性は, 常に着こなしが拙い.容姿と,その人のありのま まのスタイルに調和するよう(harmonizes with the figure and the general natural style of the lady),うまく選ばれたドレスは,適度に目立た ない.ドレスの目的は優美な女性を目立たせるこ とであって,優美に着飾った女性を目立たせるこ とではない.51) この著書は,ヴィクトリア朝期にヨーロッパ中でベストセ ラーになった美容書である.モンテズは,着飾ることで 「優美な女性」(elegant woman)がつくられるわけではな いので,その人の人となりを示すスタイルを着こなすこと が肝要であると述べている.アレグザンダー・ウォーカー も,著書『美容書』(1845 年)の中で,「洗練された趣味 と合致した表情を持つ女性(The woman who possesses a cultivated taste, and a corresponding expression of countenance)は,一般に趣味よく装っている.下品な女 性は容貌もそれなりに粗暴で,婦人帽子屋や仕立屋が注ぎ 込んだ不適切な仮面から,容易に露見するだろう」52) 述べ,内面を服装の調和,不調和から測っている.  特に,ドレスの色は,キャラクターとの調和の程度を測 る重要な要素に位置づけられていた.モンテズは,「色白 で」,「華奢な」若い女性のドレスは,「白,または,グリーン, ピンク,ブルー,ライラックのもっとも淡い色合いである べきだ」53)と主張している.一方,時間の経過によって「可 愛らしさ」(loveliness)が「飛び去ってしまった」中年の 女性には,「豊かな色がふさわしい色合いとして選ばれて きた」(rich colours have been selected as the appropriate tints for that middle age)と述べ,彼女らが白や淡い色を 敬遠するよう,遠回しに教示するエチケットブックもあっ た54)  アクセサリーとしてドレスに飾る花も,エチケット上 の問題だけでなく,キャラクターとの関係で言及される ことが多かった.美容書,『女性美』(1840 年)は,「若 い女性にとって,花輪は一般に最もふさわしく(the most suitable),効果のある装飾です.宝石は年寄りにのみ合い ます」と述べ,花の効果として,「愛らしさと魅力(loveliness and attractions)が加えられる」55)と,キャラクターの領 域に立ち入っている.モンテズも,「若い女性用の装飾と して,もっともデリケートな類の生花か造花に勝るものは ほとんどない」と述べ,淡い色のドレスと組合わせること で,理想的なキャラクター表出が可能と見ている.「これ ら[衣装と装飾]は賢明に選ばれるか,混ぜ合わされれば, 優美な着用者を『息づく若々しさと可愛らしさ』を持った, もう一本のアヤメのようにする」56)  白,または,淡い色のドレスや,パラソルのアクセサリー として使用されることで,ブラッシング・ローズは若い女 性に求められた,そして,彼女たちも希求しただろう理想 的なキャラクター表出の装置となっていたことがわかる. ブラッシング・ローズ—「もし私を愛するなら,あなたは 私を見つけるでしょう」—は,若い女性たちの楚々とした 美しさと精神の高揚を詩情豊かに視覚化し,モノとして実 体化された,類い稀なる商品だったのである. 5. おわりに  花言葉集にあった「メイドン(ズ)・ブラッシュ」とい う品種は,淡いピンク色の二重で,すばらしい香りを放つ らしいが,16 世紀以前から栽培されていた.その色合い から,フランスでは「ニンフの太もも」と呼ばれたという. イギリスでは,「乙女の恥じらい」に改名されたが,その 理由をテイラーは「ヴィクトリア朝イングランドはこの種 の品のなさに対処できずに,やや堅苦しい『乙女の恥じら い』に命名しなおした」57)と説明している.明らかに,ブラッ シング・ローズはヴィクトリアンの感性を映し出している. しかしそれは,お決まりの取り澄ましたよそよそしさで情 緒を偽るのではなく,彼らの情動表現,植物,服を巡る解 釈の力動の産物だったのである. 引 用 文 献

1) “Coloured Plates and Illustrations,” The Ladies’ Gazette of Fashion, 1884, p. 21.

2) “Entertainments, Balls, &c.,” The Queen, Nov. 27, 1886, p. 616.

3) “London Fashions,” The Queen, May 20, 1882, p. 444. 4) 坂井妙子,『ウエディングドレスはなぜ白いのか』勁草書

房,1997 年,pp. 79-83.

5) “Fashionable Marriages,” The Queen, Jul. 3, 1886, p. 18; Jul. 17, 1886, p. 79; Aug. 7, 1886, p. 7.

6) “Society and Fashion, The Ladies’ Gazette of Fashion, 1886, n.p.

7) Yeazell, Ruth Bernard, Fictions of Modesty, Chicago and London, Univ. of Chicago Pr., 1991, pp. 65-77. ロ マ ン ティシズム以前の分析に関しては,たとえば,近代初 期のヨーロッパにおける羞恥心と自意識を未開文化の 感 性 と 比 較 し た,Brian Cummings, “Animal Passions and Human Sciences: Shame, Blushing and Nakedness in Early Modern Europe and the New World,” At the Borders of the Human: Beasts, Bodies and Natural Philosophy in the Early Modern Period. Erica Fudge, Ruth Gilbert, and Susan Wiseman eds., New York, Macmillan Pr., 1999がある. 8) Gregory, John, Gregory’s Father’s Legacy to his Daughters

(8)

9) Anon, Regency Etiquette: The Mirror of Graces (1811), Mendocino, R. L. Shep, 1997 reprint, p. 49.

10) Ibid., p. 156.

11) Wollstonecraft, Mary, A Vindication of the Rights of Woman (1792), New York. Dover Publications Inc., 1996 reprint, p. 134. 12) Ibid., p. 70. 13) Ibid., p. 19. 14) Ibid., p. 125. 15) Ibid., p. 21. 16) Ibid., p. 21.

17) Burgess, Thomas H., The Physiology or Mechanism of Blushing, London, John Churchill, 1839, pp. 54-55. 18) Darwin, Charles, The Expression of Emotions in Man and

Animals (1872), Ekman, Paul, intro. Definitive Edition, London, Harper Collins, 1998, pp. 335-336.

19) バージェスとダーウィンの赤面理論については,坂井妙 子『赤面:チャールズ・ダーウィン「人及び動物の表情 について」』,『総合研究所紀要』2009 年 No. 12(印刷中) 参照.

20) Darwin, Charles, op. cit., pp. 324-325, 331. 21) Ibid., p. 340.

22) Ibid., p. 19. 23) Ibid., p. 321.

24) Brinton, D. G., and Napheys, G. H., Personal Beauty (1870), Bedford, Massachusetts:, Applewood Books,

1994 reprint, pp. 77-78. 25) Ibid., p. 78.

26) Ingram, John, Floral Symbolica: or the Language and Sentiment of Flowers, London, Frederic Warne and Co., 1870, p. 23. 27) Ibid., p. 25. 28) Ibid., p. 26. 29) Ibid., p. 27. 30) Ibid., p. 27. 31) Ibid., p. 29.

32) Ibid., p. 45. アメリカの女性詩人とは,Lydia Huntley Sigourney (1791~1865)と Frances Sargent Osgood (1811~50)である. 33) Anon, The Etiquette of Flowers; their Languages and

Sentiments, London, Simpkin and Co., 1852, p. viii. 34) Anon, The Young Ladies’ Journal Language of Flowers,

London, E. Harrison, 1869, pp. 221-223.

35) たとえば,Anon, The Language of Flowers: Being a Lexicon of the Sentiments, Edinburgh, Paton and Richie, 1849. The Etiquette of Flowers; their Languages and Sentiments, op. cit. 

  また,シェティールは,19 世紀に流行した花言葉は女 性らしい情緒の敏感さや女性の本性とされた信念など と広く結びついていたと指摘している.Shteir, Ann B., “Sensitive, Bashful, and Chaste? Articulating the Mimosa in Science,” Science in the Marketplace. Aileen Fyfe and Bernard Lightman eds., Chicago and London, The Univ. of Chicago Pr., 2007, p. 183.

36) The Etiquette of Flowers; their Languages and Sentiments, op. cit., p. xv.

37) Wachsberger, Clyde Phillip and James, Theodore, Jr., Rose, New York, Harry N. Abrams Inc., 2004, pp. 21, 53,

37, 35.

38) Ibid., pp. 23, 34, 36, 38.

39) Taylor, Barbara Lea, Old-fashioned and David Austin Roses, Toronto, Firefly Books, 2004, p. 11.

40) Hole, S. Reynolds, A Book About Roses (1869), London, Edward Arnold, 1891, p. 31.

41) Ibid., p. 32. 42) Ibid., p. 33. 43) Ibid., p. 36.

44) “Gazette des Dames,” The Queen, Nov. 13, 1880, p. 449. 45) Brinton, D. G., and Napheys, G. H., op. cit., p. 213.

46) “Advertisement Sheet,” The Ladies’ Gazette of Fashion, 1885, n. p. 化粧に関しては,坂井妙子「化粧で乙女キャ ラをつくる?」『アジア遊学』2009 年,118 号,159-167 頁参照.

47) “Advertisement,” The Queen, Dec. 11, 1880, n. p.

48) これは一種の観相学である.観相学とは,身体上に表れ た表微からキャラクターを読み解く試みである.表微は 主に,容貌と表情だが,観相学が大衆レベルにまで達し た 19 世紀には,衣服にまで拡張され,解釈の対象になった. 49) Anon, The Toilette of Health, Beauty, and Fashion, Boston,

Allen and Ticknor, 1834, p. 188.

50) Wells, S. R., The New System of Physiognomy, 1866, pp. 329-330.

51) Montez, Lola, The Arts and Secrets of Beauty (1858), New York, Charles Hons Publishers, 1969 reprint, pp. 63-64. 52) Walker, Alexander, The Book of Beauty, New York, Henry

G. Langley, 1845, p. 337. 53) Montez, Lora, op. cit., p. 67.

54) Anon, The Habits of Good Society, London, James Hogg & Sons, 1859, p. 174.

55) Walker, Mrs. A., Female Beauty, New York, Scofield and Voorhies, 1840, p. 366.

56) Montez, Lora, op. cit., p. 67. 57) Taylor, Barbara Lea, op. cit., p. 24.

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