タイトル
メデ ィア研究と心理学の接点:『探索モデル』
著者
柴田, 崇; SHIBATA, Takashi
引用
年報新人文学(17): 50-67
はじめに 二 〇 二 〇 年 のキーワードは﹁コロナ﹂と 言 って 間違 いない。 第三四半期 が 終 わった 現在 もなお、 収束 の 兆 しが 見 えないどころか、ヨーロッパでの 感染者数 は 一度目 よりも 高 い 二度目 のピークを 目指 してお り、 北海道 では 第三波 の 到来 が 危 ぶまれている。 歴 史 に 悪 名 高 い 疫 病 と 比 較 す れ ば、 そ の 死 亡 率 が 有 意 に 高 い も の で な い こ と は 明 ら か で あ る。 た だ、 この 疫病 が、 地域 や 国 ごとに 程度 の 差 こそあれ、 世界全体 で 人間 の 生活 を 麻痺 させていること、そして、 そのしわ 寄 せが 真 っ 先 に﹁ 弱者 ﹂に 及 んでいることは 無視 してはならない。 今回 の 流行 を﹁ 猖獗 を 極 め る﹂と 形容 することを 躊躇 させ、より 緩慢 で 慢性的 なニュアンスのことばを 選 ばせる 何 かがあるとすれ ば、それは、 一部 の﹁ 強者 ﹂に 与 えられたかりそめの 特権 と 考 えるべきだろう。 今回 の 流行 が 大学教育 の 在 り 方 に 変革 を 迫 るきっかけになることも 間違 いない。 講義形式 やゼミ 形式
メ
デ
ィ
ア
研
究
と
心
理
学
の
接
点
:『
探
索
モ
デ
ル
』
柴田
崇
の 授業 の 歴史性 を 考 えるとき、 二 〇 二 〇 年 の 試行錯誤 の 中 に、 現在 の 技術環境 に 相応 しい 新 しい 形式 の 授業 の 種 があることは 想像 に 難 くない。 研究 の 現場 でも、 出張 を 伴 う 学会 の 活動 がオンラインに 切 り 替 わるという 事態 が 生 じた。ただ、 近年 の 動向 を 振 り 返 れば、 紙 の 学会誌 は 廃止 される 傾向 にあり、オンライン 化 の 軌道 は 既 に 敷 かれていたと いうべきかもしれない。 多 くの 研究者 が、 研究論文 をネットで 公開 し、また 公開 された 論文 を 手軽 に 読 めることに 加 え、 遠隔地 の 研究者 とのメールでの 意見交換 やリアルタイムの﹁ 対話 ﹂ 等 、ネットメディ アのメリットを 享受 してきた。オンラインの 大会 も、こうした 趨勢 の 一部 として 実現 されるべくして 実 現 されたものとも 考 えられる。 前置 きが 長 くなった。 本稿 は、 二 〇 二 〇 年一 〇 月 から 一一月 にかけて 開催 されている 日本心理学会 で の 発表 を 文字 にまとめたものである。 今回 、 同学会 は 第八四回大会 のすべてのセッションをオンライン で 実施 した。 非学会員 の 筆者 が 話題提供者 として 参加 した 公募 シンポジウムについて 言 えば、 動画 デー タを 事前 に 大会事務局 に 提出 し、 大会事務局 はこれを 約一 か 月 の 大会会期中 にホームページで 公開 、そ の 間 、メンバーはネット 掲示板 を 使 って 大会参加者 と 質疑応答 を 行 う、という 形式 が 採用 された。リア ルタイムの 緊迫 した 雰囲気 がない 反面 、 時間 をかけて 質問 を 用意 できるというオンディマンド 式特有 の メリットもあり、 今後 の 学会発表 の 形式 を 考 える 上 での 材料 ともなるだろう。ともあれ、この 形式 の 効 果 を 云々 するのは 時期尚早 だろうから、ここでは、 筆者 の 発表部分 のみを 文字 におこし、 大会参加者以 外 の 読者 との 議論 の 糧 とすることを 目的 にしたい。 公 開 シ ン ポ ジ ウ ム︵ SS-014 ︶﹁ ネ ッ ト メ デ ィ ア の 生 態 心 理 学 ﹂ の 筆 者 以 外 の メ ン バ ー の 役 割 と お 名 前 は
次 の 通 りである︵ 敬称略 ︶。 企画代表者 、 司会 三嶋博之 ︵ 早稲田大学 ︶、 企画者 森直之 ︵ 札幌学院大学 ︶、 企画者 、 話題提供者 河野哲也 ︵ 立教大学 ︶、 話題提供者 田中彰吾 ︵ 東海大学 ︶、 指定討論者 染谷昌 義 ︵ 高 千 穂 大 学 ︶。 本 セ ッ シ ョ ン で は、 ま ず、 趣 旨 説 明 と 話 題 提 供 の パ ワ ー ポ イ ン ト 資 料 ︵ 趣 旨 説 明 五 分以内 、 話題提供各二五分以内 ︶を 担当者 が 各自 で 作成 した。 次 に、それらの 資料 を 全員 が 共有 した 上 でウェッブ 会議 を 開 き、 指定討論者 からのコメント︵ 約二 〇 分以内 ︶と 全体討論 ︵ 二 〇 分以内 ︶の 動画 を 撮 って 一 つのコンテンツにまとめ、これを 大会事務局 に 提出 した。 尚 、 同学会 ではシンポジウムの 予稿集 を 制作 しないため、 本稿 が 二重投稿 になるおそれはない。シン ポジウムの 性格上 、 全体討論 の 場面 にこそ 妙味 があり、 本来 なら 各発表 とそれを 踏 まえた﹁ 濃厚 な﹂ 議 論 のすべてを 収録 すべきところだが、 一登壇者 の 資格 でそれを 行 うのが 適当 でない 以上 、 企画代表者 の 許可 を 得 て、 筆者 の 発表部分 のみを 研究 ノートの 形 で 公表 する。 指定討論者 からは 確認 のための 質問 も いくつかあった。 話題提供 の 発表内容 の 不足 を 補 う 上 で 採録 すべきだが、これも 割愛 した。 日本心理学会 という 心理学 の 領域 では 国内最大 の 学会 の 大会 で、 ﹁ネットメディアの 生態心理学 ﹂のシ ンポジウムが 開 けたことは、 時宜 に 叶 い、メディア 研究 と 生態心理学 とを 専門 にする 筆者 にとっては 望 外 の 機会 となった。このような 企画 を 立 て、お 声掛 け 下 さったメンバーの 皆様 と、シンポジウムの 企画 を 採択 して 下 さった 学会 の 関係者 の 皆様 に 感謝申 し 上 げたい。
概 要 北海学園大学 の 柴田 と 申 します。 本日 はメディア 研究者 として﹁ネットメディアの 生態心理学 ﹂に 対 して 話題提供 いたします。 要約 です。マーシャル ・ マクルーハン︵ 一九一一 ∼ 一九八 〇︶のメディア 研究 ︵ 以下 、メディア 研究 ︶ の 特長 は、 ﹁メディア﹂という 概念 を 再定義 し、メディアを 使用 するエージェントと、それを 包摂 するメ ディア 環境 を 同時 に 理解 するための 理論 の 構築 を 目指 したところにある。この 発表 では、メディア 研究 とジェームズ・ギブソン︵ 一九 〇 四 ∼ 一九七九 ︶の 生態心理学 の 接点 となる﹁ 探索 ﹂モデルの 意義 を 説 明 するところから、メディア 研究 との 接合 による﹁ネットメディアの 生態心理学 の 可能性 ﹂を 論 じます。 これから 紹介 するメディア 論 は、マーシャル・マクルーハンのメディア 論 、 心理学説 の 方 は、ジェーム ズ ・ ギブソンの 生態心理学 です。メディア 論 と 生態心理学 を 接合 することで、 互 いの 成果 を 活用 し、 ネッ トメディアを 理解 するための 理論 について 展望 が 開 けるものと 考 えます。 両者 の 接点 となる﹁ 探索 モデ ル﹂を 説明 するのが、 本日 の 私 の 発表 の 主題 です。 まずマクルーハンのメディア 研究 の 特長 を 簡単 にご 説明 します。 次 に、 ﹁ 探索 モデル﹂に 注目 してギブ ソンの 生態心理学 について 説明 します。 最後 に、 ﹁ネットメディアの 生態心理学 ﹂を 展望 します。
1.メディア 研究 とは? 1 −1.マクルーハンとは? マクルーハンという 名前 は 聞 いたことがあると 思 います。しかし、その 経歴 や 理論 の 概要 などは 意外 に 知 られていません。ちなみにウィキペディアの 記述 はかなり 怪 しいと 言 わざるを 得 ません。 大学 の 授 業 ではそのあたりのことから 話 を 始 めます。いわゆるメディア 論 を 講 ずる 先生 の 中 にさえ、マクルーハ ンの 理論 を 正確 に 理解 しているのか、 怪 しい 方 を 多 く 見 かけます。 本邦 でのマクルーハンの 受容 を 含 め、 簡単 な 経歴 、 及 び 業績 と 併 せ、 必要範囲 で 理論 の 概要 をご 説明 いたします。 ﹁ 探索 モデル﹂がその 核 であ ることをご 理解 いただければまずはOKです。 経歴 です。 一九一一年 に 生 まれ、 一九八 〇 年 に 亡 くなりました。カナダのアルバータ 州 エドモントン に 生 まれました。マニトバ 大学 から 英文学 の 学士号 と 修士号 を 取得後 、ケンブリッジ 大学 トリニティー ・ ホールに 留学 します。 一旦帰国 し、 一九三七年 、セントルイス 大学 で 教壇 に 立 ちますが、 再度渡英 して ケンブリッジ 大学 から 英文学修士号 ︵ 一九四 〇︶と 博士号 ︵ 一九四三 ︶ 取得 します。アサンプション 大 学 を 経 て 一九四六年 にトロント 大学 に 移 り、 一九五二年 に 同大教授 に 就任 。 一九六 〇 年代 にメディア 研 究 を 提唱 したことで 北米発 の 一大 ブームを 巻 き 起 こしました。ちなみに、ギブソンが 一九 〇 四年生 まれ で 一九七九年 に 亡 くなっていますから、 場所 こそ 違 え、 同時代人 と 言 ってよいでしょう。 一九六 〇 年代後半 にはマクルーハンの 名前 はアメリカにも 知 れ 渡 っていましたので、ギブソンがその 名前 を 耳 にしたことは 間違 いと 思 われます。ただ、 自身 の 研究 と 関係 がある 人物 として 認知 していたか
どうかは 定 かではありません。 他 方 、 マ ク ル ー ハ ン が ギ ブ ソ ン の 名 前 を 知 っ て い た こ と は 資 料 に よ っ て 裏 付 け ら れ て い ま す︵ 柴 田 、 二 〇 一 五 ︶。 一 九 七 四 年 と い う 晩 年 に な っ て は じ め て そ の 名 前 を 知 っ た 模 様 で す。 知 人 か ら ギ ブ ソ ン の 論文 を 送 ってもらったという 資料 は 残 っていますが、その 後 、 自身 の 著書 にその 論文 を 引用 した 形跡 は ありません。つまり、 同時代人 ではありましたが、 生前 に 両者 が 参照 し 合 った 形跡 はない、というのが 事実 です。 マクルーハンの 経歴 は、 大体四期 に 分 けられます。それぞれの 時期 の 成果 を 本 にまとめて 発表 してい ますので、 代表的 な 著書 によってこの 四期 を 説明 することができます。 第一期 は 英文学者 として 活動 した 時代 です。 第一期 と 第二期 の 間 に 大 きな 分岐点 があります。 第二期 に 現在 のことばで 言 えば、いわゆるサブブカルのようなものや 学際研究 に 取 り 組 んでいます。 第三期 に 世界的 に 有名 になる 著書 を 世 に 送 り 出 します。 日本 でも 竹村健一 が 紹介 してテレビや 雑誌 で 盛 んに 取 り 上 げられたようです。 第四期 、この 時期 にはブームが 去 り、 一般 の 人 がその 名前 を 耳 にする 機会 はなくなってしまったよう ですが、この 頃書 かれた 著書 を 読 むと、 理論的 な 進展 が 確 かに 見 られます。 第 一 期 の 特 徴 を 代 表 的 な 著 書
The Mechanical Bride
︵ 1951 ︶︵﹃ 機 械 の 花 嫁 ﹄︶ と と も に 紹 介 し ま す。 ま ずはこの 時期 のマクルーハンの 動静 を、 一九六七年 の 回想録 から 読 み 解 きます。 一英文学者 が 道 を 踏 み 外 し、 結果的 に 稀代 のメディア 研究者 が 生 まれたきっかけが 記 されています。
一九三六年 、 私 は、ウィスコンシン 大学 に 赴任 した。 学部一年生 の 授業 を 担当 してすぐ、 彼 らを 理 解 で き な い の に 驚 か さ れ た。 そ し て、 広 告 や ゲ ー ム や 映 画 な ど の 彼 ら が 慣 れ 親 し む 大 衆 文 化 の 研 究 が 急 務 で あ る と 感 じ た。 こ れ は 教 育 学 で あ り、 私 の 教 育 プ ロ グ ラ ム の 一 部 だ っ た。 ポ ッ プ カ ル チャーの 世界 という 彼 らの 土俵 に 上 ったのは、 教育上 の 方針 からだった。また、 広告 はアプローチ す る の に 極 め て 便 利 な 形 式 だ っ た。 ﹃ 機 械 の 花 嫁 ﹄ で 広 告 を 取 り 上 げ た の も、 広 告 を 使 う の に 許 可 を 必要 としないという 法的配慮 からである。 授業 では 広告 の 他 に 映画 や 雑誌 の 画像 も 使用 した。 私 は、 三 〇∼ 四 〇 枚 のスライドを 使 って 短 い 講義 をした 後 で、 学生 に 広告 について 考 えるよう 促 した ︵ McLuhan, 1967, p. 50. ︶。 今 でも 通用 するような 当時 としては 先進的 な 授業 を 実践 したようです。 ﹃ 機 械 の 花 嫁 ﹄ の 主 題 は、 機 械 時 代 が 生 み 出 す 魅 力 的 な 商 品 を 分 析 し、 産 業 化 し た 世 界 に 生 き る 人 間 ︵ 男 ?︶ の た め の 神 話 を 読 み 解 く と こ ろ に あ り ま し た。 ロ ラ ン・ バ ル ト に よ る 同 様 の 研 究 の Mythologies ︵﹃ 神 話 作 用 ﹄︶ が 一 九 五 七 年 、 Système de la mode ︵﹃ モ ー ド の 体 系 ﹄︶ ︶ が 一 九 六 七 年 の 発 表 で す か ら、 一九五一年 に 書 かれたマクルーハンの﹃ 機械 の 花嫁 ﹄はかなり 先駆的 な 仕事 だったと 言 えます。 邦訳 も ありますので 興味 の 沸 いた 方 には 読 むことを 勧 めます。 ﹃ 機 械 の 花 嫁 ﹄ で は、 見 開 き の ペ ー ジ の 左 側 に 広 告 や 漫 画 を 載 せ、 右 側 の ペ ー ジ で そ れ に つ い て 解 説 するという 斬新 なレイアウトが 採用 されています。タイトルから 分 かるように、ジェンダー 問題 にも 斬 り 込 んでいます。コカ・コーラの 広告 も 分析 しています。
さて、この 本 でさらに 重要 なのは、 後 にまとめられるメディア 研究 の 主題 が 示 されているところです。 本書 の 目的 は、 読者 に 機械的作用 がつくり 出 す 旋回 する 景色 の 真 ん 中 に 立 ってもらい、すべての 現 代人 が 巻 き 込 まれている 現在進行中 の 事態 を 観察 してもらうことにある。 実態 の 分析 によって、 具 体的 な 対処法 がおのずと 明 らかになると 期待 する。ただし、 本書 は、そのような 対処法 の 提示 を 念 頭 に 書 かれるものではない︵ McLuhan, 1967(1951), v. ︶。 つまり、この 本 では 個々 の 事例 の 断片的 な 分析 しかできないが、 将来的 には 現代 のメディア 状況 の 総合 的理解 に 進 み、さらにそれに 対処 する 方法 の 開発 が 必要 であることを 明記 していたわけです。 実際 、そ の 後 の 研究 は、このシナリオを 実践 するものになっています。 メディア 研究 の 準備期 にあたる 第二期 を 代表 する 著作 は、 Explorations ︵ 1953 ∼ 59 ︶︵﹃ 探究 ﹄ 誌 ︶です。 学際的 な 研究会 を 主宰 し、そこでの 研究成果 を 年刊誌 にまとめて 発表 していた 時代 です。 後年 、 雑誌論 文 を 抜粋 した 本 が 出 ます。 邦訳 は、その 本 からさらに 論文 を 抜粋 したものです。 そ し て い よ い よ 一 九 六 〇 年 代 に 二 冊 の 主 著 を 世 に 問 い ま す。 す な わ ち、
The Gutenberg Galaxy
︵ 1962 ︶ ︵﹃ グ ー テ ン ベ ル ク の 銀 河 系 ﹄︶ と Understanding Media ︵ 1964 ︶︵﹃ メ デ ィ ア の 理 解 ﹄︶ の 二 冊 で す。 前 者 は、 活版印刷技術 の 影響 についてまとめた 本 です。 後者 は、 活版印刷技術 が 形成 した 時代 が 終焉 した 現代 の メディア 状況 についての 本 です。いずれが 主著 かで 論争 があったようですが、あまり 意味 のある 議論 と は 言 えません。 両者 をセットと 考 えるのが 妥当 です。いずれも 邦訳 があります。
﹃ グ ー テ ン ベ ル ク の 銀 河 系 ﹄ の 末 尾 に は、 歴 史 研 究 に 続 け て 現 代 の 状 況 を 考 察 す る 新 し い 研 究 が 必 要 であり、そのための 本 を 準備 していることが 書 かれています。そして 二年後 に 公刊 されたのが﹃メディ アの 理解 ﹄です︵ 邦訳 のタイトルは﹃メディア 論 ﹄︶ 。 ﹃ メ デ ィ ア の 理 解 ﹄ で は、 活 版 印 刷 技 術 の パ ラ ダ イ ム 終 焉 後 の、 最 新 の メ デ ィ ア の 影 響 を 検 証 す る と ころに 主題 が 移 ります。 個々 のメディアについての 分析 とともに 理論 の 概要 が 示 されており、メディア の 理解 のための 理論 の 確立 に 前進 したことが 見 て 取 れます。 1 −2.メディア 研究 の 特徴 ひとまず﹃メディアの 理解 ﹄までの 成果 をまとめます。 まずは 概念 を 再定義 したことがあげられます。この 点 は、マクルーハンの 代名詞 ともいえるキャッチ フ レ ー ズ の “ The medium is the message. ” ︵ メ デ ィ ア は メ ッ セ ー ジ ︶ を 使 っ て 説 明 で き ま す。 ま ず こ こ で 言 うメディウム︵メディアの 単数形 ︶は、マスメディアや、コミュニケーションメディアに 限定 され ません。 すべての 人工物 をメディウムとして 考 えるべきだ、 という 含意 があります。 そしてメッセージも、 通常 のコミュニケーション 理論 などでの 用法 とは 異 なっています。すなわち、しゃべった 内容 や、 人 が 意図 したメッセージではなく、 人間 に 対 する 影響 を 指 します。 このような 意味 でのメディウムのメッセー ジの 解明 こそが 研究 の 主題 になるべきこと 謳 った 命題 です。 繰 り 返 すと、すべての 人工物 をメディアと 考 えるとき、メディアには、 音声言語 やゲーム、 道路 や 自 動車 、ネットワークメディアも 含 まれることになります。そしてそのようなメッセージの 解明 を 主題 に
掲 げたメディアの 研究 は、いわゆるマスメディアやマスコミ 研究 、 既存 のコミュニケーションの 内容分 析 とは 一線 を 画 すものになります。 こうしてメディアのメッセージの 解明 が 主題 となるわけですが、 より 詳 しく、 厳密 にいうと、 マクルー ハンは、メディアがそれを 使用 する 人間 を 変容 させると 考 えました。この 意味 での 影響 を 解明 すること がメディア 研究 の 主題 となるわけです。 で は マ ク ル ー ハ ン は ど の よ う な 方 法 で メ デ ィ ア の 理 解 に 挑 ん だ の で し ょ う か。 こ こ で﹁ 探 索 モ デ ル ﹂ が 登 場 し ま す。 メ デ ィ ア の 影 響 を 考 察 す る に は、 そ れ を 使 う 人 間 が、 メ デ ィ ア を 身 体 の﹁ 延 長 extension ﹂ と し て 使 い、 環 境 を 探 索 す る 事 態 に 注 目 す べ で あ る と マ ク ル ー ハ ン は 考 え ま し た。 こ の 着 眼点 がメディア 研究 の 特徴 です。 言 い 換 えると、 人間 とメディアが 一体 になってエージェントを 形成 す ることを 前提 に、 そのエージェントが 環境 を 探索 する 状況 を 記述 するところに 焦点 を 置 くのが、 マクルー ハンのメディア 研究 です。 1 −3. ﹁ 探索 モデル﹂の 意義 ﹁ 探索 モデル﹂の 意義 、そして 特長 を 説明 しましょう。 ﹁ 探 索 モ デ ル ﹂ の 特 長 の 一 つ 目 は、 メ デ ィ ア の 用 法 は 予 め 決 ま っ て お ら ず、 使 用 を 通 じ て 形 成 さ れ 続 けるものである、と 考 えるところにあります。ラジオや 自動車 、 印刷技術 の 歴史 を 繙 けば 分 かることで すが、 当初 からその 用法 が 決 まっていたメディアは 見当 たりません。 現在私 たちが 使 っているメディア にも 当然同 じことが 当 てはまるはずです。
また、マニュアルを 読 めば 自動車 を 運転 できるようにならないことを 考 え 併 せれば、メディアの 意味 を、マニュアルに 書 いてある 用法 に 還元 するのが 危険 なことは 分 かるはずです。 ﹁マニュアルモデル﹂に 陥 らない、という 点 に 第一 の 意義 が 認 められます。 特長 の 二 つ 目 は、 ﹁ 拡張 モデル﹂を 回避 するというところです。 ﹁ 拡張 モデル﹂とは、メディアには、 身 体 や 既 存 の メ デ ィ ア の 機 能 を﹁ 増 強 ︵ 拡 張 ︶﹂ す る 効 果 が あ る、 と 考 え る 立 場 で す。 こ う し た 物 言 い は 人口 に 膾炙 していますが、 やはり 問題 があります。 メディアの 効果 は、 身体 や 既存 のメディアの 機能 の﹁ 増 強 ﹂ や ﹁ 拡張 ﹂ の 一言 で 説明 できるほど 明示的 ではないはずです。メディアの 効果 は、 人間 がそれを ﹁ 使 用 ﹂する 状況 において 初 めて 語 り 得 るものであって、 先験的 に﹁ 拡張 ﹂の 語 では 語 り 得 るものではあり ません。こう 考 えると、 ﹁ 拡張 モデル﹂に 則 った 議論 の 言説 が 空疎 であることが 分 かると 思 います。 1 −4. 課題 さて、 一九六 〇 年代 までのマクルーハンの 考 えはだいたいこのようにまとめられます。ここに 七 〇 年 代 の 理論 を 精緻化 する 時代 が 続 くのですが、 精緻化 の 過程 を 経 て 提出 された 理論 は、 実 は 必 ずしも 納得 のいくものではありませんでした。 一言 で 言 うと、マクルーハンは、 ﹁ 探索 モデル﹂を 放棄 してしまうの です。 代 わりに、 脳 と 環境 が 写像関係 にある、との 前提 を 立 て、 脳研究 を 援用 する 方向 に 向 かいました。 こうした 転向自体 を 批判 するつもりはありませんが、もし 適当 な 知覚理論 があったのなら、 ﹁ 探索 モデ ル﹂を 深化 させる 方向 でメディア 研究 の 理論化 が 可能 だったのではないか、と 考 えざるを 得 ません。 以上 を 踏 まえて、 次 に、 生態心理学 が﹁ 探索 モデル﹂を 深化 させるのに 相応 しい 知覚理論 の 候補 であ
ることを 見 ます。 2. 生態心理学 との 接合 2 −1. 接点 ギブソンの 経歴等 については、 日本心理学会 の 皆 さんならご 存 じなので 省略 します。 まず、メディア 研究 との 接点 となる﹁ 探索 モデル﹂の 位置 づけから 見 ていきましょう。 一九七九年 に 書 かれた 最後 の 著作 には、ハサミを 例 にした﹁ 探索 モデル﹂が 見 られます。 使 用 時 の 道 具 は 一 種 の 手 の 延 長 extension で あ り、 手 の 付 着 物 、 ま た は 使 用 者 自 身 の 身 体 の 一 部 に なっている。 従 って、 道具 はもはや 環境 の 一部 ではない。しかし、 一旦使用 を 離 れると、 道具 は 環 境中 の 単 なる 遊離物 になる。このとき、 確 かに 掴 むことも 運 ぶこともできるが、 道具 は 観察者 の 外 に 存 在 す る も の で し か な い。 身 体 に 何 物 か を 付 着 さ せ る 能 力 は、 生 物 と 環 境 の 境 界 boundary が 皮 膚 の 表面 で 固定 されてはおらず、 移動 し 得 るということを 物語 る︵ Gibson, 1986(1979), p. 40. ︶。 実 は 最後 の 著書 から 約四 〇 年前 の、 一九三八年 という 研究者 としてのキャリアの 最 も 早 い 時期 の 仕事 に も、 ﹁ 探索 モデル﹂を 見 つけることができます。こちらはより 複雑 な 機構 を 持 つ 自動車 の 使用 と 熟達 とを
﹁ 探索 モデル﹂で 説明 しています。 高度 な 運転技術 を 身 に 付 けるには、 自動車 の﹁ 場 ﹂について 十分 な 感受性 と 制御能力 が 必要 である。 それらの 要件 が 満 たされるならば、 道具 を 用途 にしたがって 使 う 時 のように、 自動車 はドライバー の 身体 の 一種 の 延長 extension になる︵ Gibson, Crooks, 1938, p. 135. ︶。 2 −2. 生態心理学 の 特長 生態心理学 に 基 づいて﹁ 探索 モデル﹂を 展開 するメリットを 説明 します。 まず、メディア 研究 と 同 じく、エージェントと 環境 の﹁ 境界 ﹂で 生 じる 事象 を 記述 するという 主題 が 立 っています。 一般的 なインターフェイス 論 と 大 きく 異 なることを 確認 しましょう。ドナルド・ノーマ ンに 代表 される 議論 は、アフォーダンスという 語 は 使用 しているものの、 既 に 用法 が 決 まったメディア をいかに 使 いやすくデザインするかに 主題 があり、 必然的 に、 ﹁ 境界 ﹂は 人間 とメディアの 間 にあるもの に 限定 されてしまいます。これは、マニュアルに 書 かれている 通 りの 効果 を 引 き 出 すことに 焦点 を 当 て ているという 点 で、 ﹁マニュアルモデル﹂の 一種 に 分類 できる 議論 です。 人間 と 一体 となったメディアと 環境 との 間 の﹁ 境界 ﹂に 注意 を 向 けたギブソンの﹁ 探索 モデル﹂とは 全 く 別 のモデルだと 言 わざるをえ ません。 二 つのモデルの 差異 は、どこを﹁ 境界 ﹂と 見做 すかに 如実 に 現 れるのです。 新 しいメディアの 登場 、 及 び 古 いメディアの 退場 を 適切 に 記述 できる 点 も﹁ 探索 モデル﹂の 特長 にあ げられます。 ﹁ 拡張 モデル﹂によると、 自動車 は 脚 の︵ 機能 の︶ ﹁ 拡張 ﹂である、とか、コンピュータは 人
間 の 知 的 能 力 を 増 幅 す る 装 置 で あ る、 の よ う に、 身 体 の 機 能 と メ デ ィ ア と 関 連 付 け た 議 論 を 行 っ た り、 自動車 を、 直近 の 相当 する 発明品 である 馬車 と 関連付 けて、 馬車 との 比較 で 論 じてみたり、 最近 では 電 子書籍 の 効果 を 考 えるときに 紙 の 本 を 持 ち 出 してきたりして、メディア 同士 の 単純 な 二項関係 で 入 ・ 退 場 するメディアを 論 じる 傾向 が 見 られます。 対照的 に、 ﹁ 探索 モデル﹂によれば、 行為 のレパートリーの 入 れ 替 えとして 新旧 のメディアを 論 じる 途 が 開 けます。 また、 ﹁ 探索 モデル﹂に 依拠 すれば 熟練 の 度合 いを 記述 することも 可能 です。 本日司会 を 務 めていらっ しゃる 三嶋博之先生 は、 自動車運転 の 熟練 の 度合 いを、 利用 する 情報 の 違 いによって 説明 する 研究 をさ れました ︵
Inou, Sawada, Mishima, 2009
︶。これに 相当 する 成果 は、 ﹁ 拡張 モデル﹂ や ﹁マニュアルモデル﹂ に 依 る 限 り、 期待 できません。 2 −3.メディア 研究 にとってのメリット ﹁ 探索 モデル﹂を 接点 に、メディア 研究 と 生態心理学 が 接合 するメリットをまとめます。 まず、メディア 研究 の 側 から 言 うと、 生態心理学 との 接合 により、 一旦放棄 された﹁ 探索 モデル﹂に 基 づいてもう 一度理論 を 構築 する 途 が 開 けます。 2 −4. 生態心理学 にとってのメリット 生態心理学 にもメリットかあります。ギブソンは、 次 の 引用 にあるように、ハサミなどの 道具 に 比 べ て、より 大 きく 複雑 な 機械類 にも、 ﹁ 探索 モデル﹂が 適用可能 であることを 最後 の 著書 のハサミの 記述 に
続 けて 記 しています。 もっと 語 るべきことがあったかもしれないが、ともあれ、 今後 、 道具 を 考 えるための 導入 にはなっ てくれるだろう。ここでは 議論 を 比較的小 さくて 持 ち 運 びのできる 道具 に 限定 してしまったが、 技 術 的 存 在 で あ る 人 間 は、 も っ と 大 き な 切 断 、 掘 削 、 粉 砕 、 圧 搾 の た め の 道 具 と 機 械 や、 土 木 機 械 、 建設機械 、そしてもちろん 移動 のための 機械 もつくってきた︵ Gibson, 1986(1979), p. 41. ︶。 四 〇 年前 の 自動車 の 研究 を、 長 いキャリアで 培 った 成果 を 傾注 して 再起動 しようとしたかのようではあ りませんか。ギブソンの 死後 、ハサミやハンマーなどの 道具 はともかく、それ 以外 のメディアの 研究 は、 一部 の 例外 を 除 いて 等閑視 されてきたと 言 わざるを 得 ません。 生態心理学 に 基 づくディア 研究 を 展開 す ることは、ギブソンの 遺志 を 継 ぐことだと 言 えるかもしれません。 3.ネットメディアの 生態心理 の 展望 最後 に、 思 い 付 き 程度 ですが、ネットメディアの 生態心理学 について 展望 します。 研究 の 焦点 は、ネットメディアが、それを 使用 する 人間 に 及 ぼす 影響 の 検証 に 当 てられます。その 際 、 検証 すべき﹁ 境界 ﹂の 位置 が 重要 です。ネットメディアの 場合 には、 当然 、キーボードやマウスではな
く、 画面 の 向 こう 側 にある﹁ 境界 ﹂にいかなる 効果 を 及 ぼしているか、あるいは﹁ 境界 ﹂からいかなる 情報 を 受 け 取 っているか、が 研究 の 主題 になります。アフォーダーンスの 語 を 使 えば、ネットメディア が 使用者 に 何 を﹁ 可能 にするアフォードする﹂か、を 問 うことになるはずです。 昨 今 指 摘 さ れ て い る﹁ 情 報 格 差 ︵ digital divide ︶﹂ に つ い て も 特 異 な 視 点 が 提 供 で き る と 思 わ れ ま す。 情報格差 の 問題点 は、まずは 持 つ 者 と 持 たざる 者 の 間 の 格差 です。インフラが 整備 されている 国 や 地域 とそうでない 国 や 地域 の 住人 の 間 に、 大 きな 格差 があることは 間違 いありません。この 格差 は、 行為 の レパートリーの 数 の 違 いとして 説明 できます。 次 に、 持 つ 者 の 中 にも 能力 の 点 で 大 きな 格差 が 見 られま す。 実際 、ハッカーやプラットフォーム 企業 と 一般 の 利用者 の 間 に 埋 めがたい 力 の 差 があります。これ は、 行為 の 熟練 の 度合 いの 違 い、 及 び 利用可能 な 情報 や 資源 の 違 いとして 説明 することができます。 ともあれ、いずれの 説明 も 実証的 なデータに 裏付 けられなければ 説得力 をもち 得 ません。 本日 は 展望 を 示 すに 留 めます。 これで 私 からの 話題提供 を 終 わります。 ︵しばた たかし・ 北海学園大学人文学部教授 ︶
︹
引用
・
参照文献
︺
Gibson, J. J., Crooks, L. (1938). A Theoretical field analysis of automobile driving,
American journal of psychology,
51,
pp.
453-471.
Gibson, J. J. (1986).
The Ecological approach to visual perception,
Lawrence Erlbaum(original work published 1979.).
Inou, H., Sawada, M., Mishima, H. (2009). Gaze coordination between car drivers and passengers: An observation.
In
Wagman J. B. & Pagano, C. C. (Eds.),
Studies in perception and action X,
Psychology Press, pp. 48-51.
McLuhan,
M. (1967).
The Mechanical bride,
Beacon Press(original work published 1951).= ︵ 一九九一 ︶ 井坂学訳 ﹃ 機械 の 花嫁 ﹄ 竹内書房新社
McLuhan, M. (1967). Conversation with McLuhan(by Stearn G. E.),
Encounter, XXVIII, 6, pp. 50-58. 柴田崇 ︵ 二 〇 一三 ︶﹃マクルーハンとメディア 論 ︱︱ 身体論 の 集合 ﹄ 勁草書房 柴田崇 ︵ 二 〇 一五 ︶﹁ 資料紹介 トロント 大学 ﹃マクルーハン 文庫 ﹄ 一見 ﹂﹃ 人文論集 ﹄ 第五八号 、 七三 ︱ 九三頁 染 谷 昌 義 ︵ 二 〇 〇 四 ︶﹁ 拡 張 す る 心 ︱︱ 環 境 ︲ 内 ︲ 存 在 と し て の 認 知 活 動 ﹂﹃ シ リ ー ズ 心 の 哲 学 Ⅱ ロ ボ ッ ト 編 ﹄ 勁 草 書房 、 一七五 ︱ 二二二頁