The Story of
TOKYO KAIKAN
〒100-0005
東京都千代田区丸の内3-2-1
tel.
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(代)
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http://www.kaikan.co.jp
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お問い合わせ
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〒105-6139
東京都港区浜松町2- 4-1
世界貿易センタービル38F・39F
tel. 03-3435-2611
如水会館
〒101-0003
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大手町営業所
〒100-0004
東京都千代田区大手町2-2-2
アーバンネット大手町ビル21F
tel. 03-5255-1515
東商営業所(2014年12月閉店)
〒100-0005
東京都千代田区丸の内3 -2-2
東京商工会議所ビル8F
tel. 03-3211- 4851
銀行倶楽部
〒100-0005
東京都千代田区丸の内1-3-1
東京銀行協会ビルヂング内
tel. 03-5252-3791
◆
主要営業所
三越日本橋本店営業所
〒103-8001
東京都中央区日本橋室町1- 4-1
日本橋三越本店 本館7F
tel. 03-3274-8495
銀座営業所
〒100-0006
東京都千代田区有楽町2-10-1
東京交通会館15F
tel. 03-3212-2775
富国ビル営業所(2014年12月閉店)
〒100-0011
東京都千代田区内幸町2-2-2
富国生命ビル1F・M2F
tel. 03-3508- 0886
東宝日比谷ビル営業所
〒100-0006
東京都千代田区有楽町1-2-2
日比谷シャンテ1F
tel. 03-3501-1345
千石工場
〒135-0015
東京都江東区千石1-3-15
tel. 03-3699- 0111
東京會舘
おもてなしの系譜
マッカーサー元帥が愛したカクテル
會舘風ジンフィズは、マッカーサー元帥もお気に入りだったといわ
れているカクテルですが、もとは、昼間にこっそりお酒を飲むGHQ
の将校たちのためにバーテンダーが気
を利かせて作ったのが誕生のきっか
け。ミルクとジンという意外でいて絶妙
な組み合わせは、 後の1950年代から
はじまるカクテルブームの先駆けでし
た。マティーニをオンザロックで楽しむ
のも、 東京會舘伝統のスタイルです。
東京會舘の味 ● ソールボンファム
東京會舘が創業した大正11年11月1日、そのわずか二週間後に
行われた結婚披露宴の献立にもソールボンファムが登場してい
ました。当時の献立には「舌比目魚洋酒蒸」と書かれています。
まだ横文字も普及していない時代、 フランスの有名レストランに
伝わるボンファムが味わえた
のは画期的なことでした。現
在も、 メインダイニング 「プル
ニエ」のスペシャリテとして多
くの方に愛されています。
東京會舘の匠 ● 田中徳三郎
パリのレストラン・プルニエ、ホテル・リッツで3年間修行を重ね、
帰国後、 旧本舘に日本初の鮮魚介料理店 「プルニエ」を開設。
現在に受け継がれる東京會 舘の味
の礎を作ったばかりか、 日本のフラン
ス料理界のお手本となったのが田中
徳三郎です。シェフの代表的な料理
"ソールボンファム"は、レシピそのまま
に継承され、 現在も多くのグルメに愛
されるプルニエの看板料理です。
1920年 4月
株式会社東京會館設立
1922年 11月
東京會館旧本館竣工、 創業
1923年
旧丸ビル竣工、 関東大震災
1925年
日本初のラジオ放送開始
1926年
大正天皇崩御、 「昭和」と改元
1927年 4月
関東大震災により一時営業中断の
本館建物を復旧し営業再開
1927年
日本初の地下鉄開通
1929年
世界大恐慌はじまる
1931年
満州事変
1932年
五・一五事件
1934年 11月
旧本館にて日本初の鮮魚介料理店
「プルニエ」営業開始
1935年
第1回芥川賞・直木賞発表
1936年
二・二六事件
1937年
日中戦争勃発
1940年 11月
東京會館営業中止
1941年
真珠湾攻撃、 太平洋戦争勃発
1942年 5月
内閣情報局の命により
「大東亜会館」と改称し営業
1944年
サイパン陥落、東京初空襲
1945年
ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結
1945年 12月 「東京會館」の名称復帰後、
GHQの接収を受け、
「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」
として受託営業
1947年
日本国憲法施行
1949年 5月
東京証券取引所に上場
(1963年
10月基準改正により市場第二部上場)
1949年
湯川秀樹 日本人初の
ノーベル賞受賞
1920-1940's
「結婚式は東京會舘で」という時代
当時の上流階級の結婚式は、 会社ぐるみ、 家ぐるみで大がかり
に行われるのが普通。旧本舘の宴会場は一度に500のテーブル
セットが組めるキャパシティを誇り、 大勢の招待客を招いて豪華
な披露宴を、という風潮に東京會舘ほどマッチしていた場所は
他にありませんでした。多くの
方々が憧れたこの宴会場で、
八代目松本幸四郎さんが結婚
披露宴を挙げたのは、 昭和15
年のことです。
物語のはじまりは
大正デモクラシーとともに
▲
旧本館 中宴会場(格天井の間)
▲
GHQ接収時代のバー(奥にゲーム機が見える)
▲
GHQ接収時代の屋上風景
▲
旧本館3階 貴賓室(現本舘12階 コレニアルーム)
▲ 旧本館 正面玄関
▲
旧本館越しに皇居を臨む
▲
旧本館 大宴会場(ローズルーム)
▲
後に明治村に寄贈された大シャンデリア
▲
接収解除後の屋上では納涼園を開催
昭和の文豪が行き交う場所
井上靖は東京會舘を舞台とした小説を執筆。 現本舘11・12Fエレ
ベーターまわりの壁面に使われるコレニア大理石について描写して
います。三島由紀夫は食事の後ラウン
ジでトムコリンズを楽しむ光景をしたた
めました。昭和の文豪に東京會舘が愛
されたのは、ここが長い間、 芥川賞・直
木賞の受賞者の記者会見、授賞式の
場であったことも理由のひとつ。現代の
小説家にとってまさに憧れの場所です。
東京會舘の匠 ● 中川三郎
東京五輪が開催された1964年。五輪を機に東京を訪れる人々に
本物のフレンチを広めたいと考えた仏政府は、 東京會舘に白羽の
矢を立てました。食材はもちろん、壁紙やシャンデリアまで本場から
直輸入して営業された「イル・ド・フランス」では、 料理の魔術師レイ
モン・オリヴェと、 後に「現代の
名工」として表彰された中川三
郎をはじめ東京會舘のシェフ
が交流し、 生粋のパリの調理
法・サービスを体得しました。
東京會舘の味 ● ガトー
「フランス料理のデザート菓子を、 家族のために持ち帰りたい」
そんなお客様のご要望から生まれました。贅沢な材料にたっぷ
りのバター。注文販売が基本なので保存料なども一切使わず、
丁寧に手作りされたガトーは、またたく間に評判を呼びました。
現在のプティガトーは手作り
されるのは一部となりました
が、 当時のレシピと味そのまま
で、 バターの風味としっとりソ
フトな口当たりが人気です。
ここは にぎやかに甦る
東京のシンボルでした
1950-1960's
1950年
朝鮮戦争勃発
1951年
マッカーサー元帥解任、
対日講和条約調印(日本の独立)
1952年 7月
GHQの接収解除、
東京會舘の営業再開
1953年
NHKテレビ本放送開始
1953年 12月
皇太子殿下外遊帰国歓迎午餐会
1954年 10月
旧本舘1Fに「コーヒー・ショップ」開店
1955年 1月
東京會舘クッキングスクール開校
1956年
「もはや戦後ではない」が流行語に
1956年 10月
フランス菓子「ガトー」発売
1958年
東京タワー完成
1959年
皇太子殿下御成婚
1959年 10月
貿易庁より営業受託(1948年8月)
していた国営ホテル「ホテルテート」
の土地払下げを受け、 新会社
「株式会社パレスホテル」に譲渡、
分離独立
(1960年2月)
1960年
安保闘争、ダッコちゃんブーム
1961年
「巨人・大鵬・卵焼き」
「地球は青かった」が流行語に
1961年 1月
東京商工会議所ビル
「東商スカイルーム」営業開始
1963年
ケネディ大統領暗殺
1964年 9月
本舘カトレアルームを改装、
「イル・ド・フランス」期間限定開店
1964年
東海道新幹線開通、
東京五輪開催
1965年 6月
有楽町・東京交通会館
「銀座スカイラウンジ」営業開始
1966年
総人口一億人突破、
ビートルズ来日
1968年 3月
株式会社霞が関東京會舘設立
1968年
川端康成 日本初の
ノーベル文学賞受賞
1969年
東名高速道路開通、
アポロ11号 人類初の月面着陸
民間施設ではじめての皇族御宴会
昭和天皇第四皇女順宮様と池田隆政氏との御婚儀披露宴が
行われたのが昭和27年10月のこと。それまで皇族が民間施設を
利用して宴を催すことはありませんでしたが、その栄誉を担った
東京會舘はその後、皇室、 皇族の方々にたびたびご利用いただ
くようになりました。そうした
信頼と実績の証として、国際
的な賓客をお迎えしてのレセ
プションも飛躍的に増加しま
した。
▲
クッキングスクール 調理実習風景
▲
旧本舘1階 日比谷通りに面したコーヒーショップ
▲
イル・ド・フランスで歓談するレイモン・オリヴェ
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東京會舘運営のホテルテート
▲ 旧本舘ローズルームで行われた東京會舘クッキングスクール第1期生入学式
▲
イル・ド・フランス エントランス
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当時珍しい回転レストランの銀座スカイラウンジ ▲
昭和30年のクリスマスパーティ
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イル・ド・フランス 店内