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沈黙の美学へ : ジョイスの この人を見よ ( エッケ ホ Title モ ) 論に見る 劇 とエピファニーの埋葬 Author(s) 金井, 嘉彦 Citation 言語文化, 53: Issue Date Type Departmental Bulletin P

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Academic year: 2021

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Hitotsubashi University Repository

Title

沈黙の美学へ : ジョイスの『この人を見よ(エッケ・ホ

モ)』論に見る〈劇〉とエピファニーの埋葬

Author(s)

金井, 嘉彦

Citation

言語文化, 53: 17-34

Issue Date

2017-03-15

Type

Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL

http://doi.org/10.15057/28425

Right

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沈黙の美学へ

 ― ジョイスの『こ

エ ッ ケ ・ ホ モ

の人を見よ』論に見る     

         

〈劇〉とエピファニーの埋葬 ― 

金 井  嘉 彦

 ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の『若き日の芸術家の肖像』(A Portrait of the Artist as a Young Man, 以下『肖像』と略す)は完成に至るまでに 10 年を 要した。『肖像』のおおもとになるのは,1904 年に書かれた「芸術家の肖像」(“A Portrait of the Artist”)と題された(小説ではなく)エッセイで,ジョイスはジョ ン・エグリントン(John Eglinton は William Kirkpatrick Magee 1868︲1961 のペン ネーム)が編集していた雑誌『ダーナ』(Dana)にそれを載せてもらおうとするが, エグリントンに「自分でも理解できないようなものを載せることはできない」との 理由で掲載を拒否される(Eglington 136; Ellmann 1982 147)。確かに,今日エッ セイ「芸術家の肖像」を読み返してみると,言葉と言葉を組み合わせるジョイスの 表現の仕方には見るべきものが感じられるものの,高邁な芸術家の姿を描いている のであろうことが感じ取れるだけで,その内容が伝わってこない。書いている当人 には当然のごとくわかっているのであろうが,それをなにやら高尚な文章に飾り立 てているだけで,読む者に理解をしてもらおうとする姿勢が感じられない。おそら くはニーチェの超人のような英雄的芸術家の実践として,その姿を描き出そうとし ているのであろうが,その内容と形式を正当化するものが作品自体の中に見当たら ない。雑誌への掲載を断られたエッセイをジョイスはすぐさま小説へと書き直し始 める。全部で 63 章からなる長編へと仕立て上げようと構想するが,それも結局 25 章までで挫折し,1906 年にジョイスは執筆を断念する(1)。そうして残った草稿が 『スティーヴン・ヒアロー』(Stephen Hero)である。表題に含まれた「ヒアロー」 は,エッセイ「芸術家の肖像」の高邁な英雄的芸術家像を描く意図を引き継いでい ることを示唆している。  ちょうどその頃,のちに『ダブリナーズ』(Dubliners)としてまとめられること

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18 言語文化 Vol. 53 になる短 の執筆が進行していた。『ダブリナーズ』は 15 からなる短 集である が,当初は 10 の短品集として構想された。1904 年夏から書き始められ,10 作目 は 1905 年 9 月下旬に脱稿を見る。1905 年末から出版社に原稿を送る際,段階的に 新しい作品を加え,『ダブリナーズ』最後の作品「死者たち」(“The Dead”)は 1907 年春に完成を見る。これで『ダブリナーズ』の全 15 が書き終わったが,本 として出版されるまでには,さらに 7 年を要する(吉川 13︲14)。  『ダブリナーズ』の原稿がひとまず った 1907 年以降に,『スティーヴン・ヒア ロー』から『肖像』への書き直しが開始され,ガブラー(H. W. Gabler)が「失わ れた 7 年」(“the seven lost years”)と呼ぶ(Gabler 25︲60)期間を経て,ようやく 形をなす。1914 年から雑誌『エゴイスト』(Egoist)に掲載された『肖像』は, 1916 年に単行本として出版された。  かくして 2016 年は『肖像』出版 100 周年の年にあたる。本稿はそれを機に,ジ ョイスの,とりわけ初期の,小説において大きな意味を持つエピファニー(epiph-any)について再考を試みる。具体的には,ジョイスの初期の評論に現れる「劇」 の概念とエピファニーとの関係について考察をするとともに,その「劇」の概念が 内包する「脱神学化」の契機の意義を確認する。 エピファニー  まずはジョイスのエピファニーについてまとめておこう。エピファニーといえば 未完作品『スティーヴン・ヒアロー』における「話す言葉やジェスチャーの卑俗さ であれ,精神それ自体の記憶の相においてであれ,突然現れる精神的顕現」(“By an epiphany he [Stephen] meant a sudden spiritual manifestation, whether in the vulgarity of speech or of gesture or in a memorable phase of the mind itself.”) (SH 216)という定義が有名であるが(2),そこでスティーヴンが「これらのエピフ

ァニーを細心の注意をもって記録することを文人の務め」(SH 216)とするように, ジョイスは一群のエピファニーを書きため,それらを「エピファニー集」(“The Epiphanies”)と呼んでいた。ロバート・スコールズとリチャード・M・ケイン (Robert Scholes and Richard M. Kain)が示すところによれば,もともとあったエ ピファニーの数は 70 以上にものぼっていた(3︲5)。ジョイスはそれらを『スティ ーヴン・ヒアロー』の構想にそって並べ替え,ナンバーリングを施し,それらに肉 付けをして『スティーヴン・ヒアロー』を書き上げようとした(5︲6)。現存してい

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るエピファニーはその数にして 40 になる(3)。  ジョイスがエピファニーと呼んだものが具体的にどのようなものであったかを見 るなら,たとえば「エピファニー集」28 番は以下のように書かれている。  月のない夜に波が弱々しく光る。船がいくらか光のある港に入ってきている。 穏やかではない海は,容赦のない自らの空腹の餌食となって飛びかかろうとし ている動物の目のような鈍い怒りを帯びている。陸は平らで木はまばら。多く の人が岸に集まって自分たちの港に入ってこようとしている船がどんな船か見 ようとしている。(Scholes and Kain 38)

港に入ってくる船と,それを迎える人々の間の関係を,「穏やかではない海」と, そこに含まれる怒りを「鈍い」といいながらも,獲物に飛びかかろうとする凶暴な 動物の目に喩えることで表すこのエピファニーは,『肖像』においては,第 1 章で スティーヴンが病気で医務室で寝ているときに,パーネルの死を幻視する場面で使 われている(P 1.695︲715)(3)  「エピファニー集」に収められたエピファニーには,いくつかのタイプがある。 スコールズとケインは「物語的エピファニー」(narrative epiphany)と「劇的エピ ファニー」(dramatic epiphany)に大別している(3︲8)。前者は物語形式でエピフ ァニーを描くものであり,後者は劇的形式で描くものを指す。上に挙げた 28 番は 前者のうち,さらに「夢のエピファニー」(dream-epiphany)と呼ばれる,文字通 りジョイスが夢で見たエピファニーに分類される(4)  「劇的エピファニー」の例としては「エピファニー集」の 1 番を挙げられる。こ れは,まだ羽振りのよかった頃のジョイス家がブレイ(Bray)のマーテロ・テラ ス(Martell Terrace)に住んでいた頃の出来事を記録している。 ヴァンス氏―(ステッキを持って入ってくる)……奥さん,彼には謝っても らわないといけませんな。 ジョイス夫人―そうですね……ジム,聞こえた? ヴァンス氏―さもないと―謝らないなら―鷲がやってきて彼の目をくり ぬくことでしょう。 ジョイス夫人―ええ,でも彼は謝りますわ。 ジョイス―(テーブルの下で,自分に向かって)

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20 言語文化 Vol. 53 ―彼の目をくりぬけ 謝罪せよ,   謝罪せよ, 彼の目を目をくりぬけ。 謝罪せよ 彼の目を目をくりぬけ 彼の目を目をくりぬけ,

謝罪せよ      (Scholes and Kain 11)

ジョイス家の隣人ヴァンス氏(Mr Vance)が求めた謝罪の要求とそうしなければ 鷲が目をくり抜きにくるという脅しに対して,テーブルの下に逃げ込み,「謝罪せ よ」という言葉(“Apologise”)と「目をくりぬけ」(“Pull out his eyes”)という言 葉に韻を踏ませて,拙いとはいえ,詩の原型といってもよいような言葉のまとまり に仕上げるジョイスの姿は(5),教会や国家と対峙し芸術の道へ入るスティーヴンの

未来を予言する(Beja 96, 97)。このエピファニーは,『肖像』冒頭(P 1.27︲41) において登場人物を入れ替えて使われることになる(Scholes and Kain 11)。 時代的概念としてのエピファニー―エコー・オーギュアリーと炎のエピファニー  エピファニーという概念自体は,ジョイスの独創とは言えない。たとえば,同時 代に生きた,世代としては一つ上の,アイルランド作家ジョージ・ムア(George Moore)が,それによく似たものを早くから使用している(6)。1888 年に出版され

た『ある若い男の告白』(Confessions of a Young Man)は,ムア自身が「罪深い 生活の記録」(“[a] record of sinful life” [322]),「精神の軌跡の記録」(“a record of my mental digestions” [326])と呼ぶように,ムアがどのような肉体的・精神的 遍歴を経ながら自己形成をしてきたかを描く自伝的小説で,まずは画家を志したと きにフランスで受けた印象派の影響や,作家として自立していくときに自然主義の 影響を受けた様子などを若者らしいみずみずしい感性で描く。芸術家として身を立 てるまでの自伝という意味でジョイスの『肖像』と重なり,ジョイスへの影響が考 えられるこの小説のなかで(南谷 8︲10),ムアは画家を志したときに「もし画家に なりたいなら,フランスに行かなくてはならない―フランスだけが芸術を学ぶと

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ころだから」という声を聞く(10)。それを彼は「エコー・オーギュアリー」(“echo augury”)という名前で呼ぶ。それを彼は「われわれの理性に訴えることなく,否 応なく信じさせる,探してもいないところから聞こえる言葉」(“words heard in an unlooked-for quarter, that, without an appeal to our reason, impel belief.”)(11) と説明する。後に同じことが起こったときにも,「エコー・オーギュアリー。予期 しないところから聞こえてくる言葉だが,難しいその時の状況への見事な答えを示 してくれるものである(Words heard in an unexpected quarter, but applying mar-velously well to the besetting difficulty of the moment.)。……三度私は突然の内な る光(a sudden and inward light)の苦しみと喜びを経験した」(113,中略は筆 者)と記す。

 ムアの『いざ,別れの時』(Hail and Farewell)と題された 3 巻本の小説は(7)

故国アイルランドを離れロンドンで執筆活動をしていたムアが,W・B・イェイツ (W. B. Yeats)とエドワード・マーティン(Edward Martyn)から,のちにアイ ルランド文芸座となる運動に参加するよう誘われ,それを機にダブリンに戻り,ア イルランド語復興運動と関わりながら活動をし,結局は失望に至る 10 年を描く自 伝的な小説である。ここでもムアは,自身が向かうべき場所がアイルランドである との声をロンドンの街中を歩いているときに聞き,それをきっかけとして故国に戻 ったいきさつを描いている。  以上の 2 例は,ムア自身の人生において重要な転回点となるときに彼が経験した ある種のインスピレーション・啓示で,それは「声」や「エコー・オーギュアリ ー」といった言葉を充てなくても,誰しもが多かれ少なかれ経験することであろう。 ムアはそれを小説の登場人物がある種の悟りを得る場面にも使用する。たとえば, 『未耕地』(The Untilled Field)中の作品「野鴨」(“The Wild Goose”)で,登場人 物が霧の中で聞く羊飼いのもの悲しげな歌が聞こえる中で飛び立つ野鴨は,彼がア イルランドから旅立つ運命を示し,霧はアイルランドを覆うものを意味する(8)。こ

こには「エコー・オーギュアリー」の象徴主義的な使い方への展開が見られる。  エピファニーはジョイスが大きな影響を受けたとされるガブリエーレ・ダヌンツ ィオ(Gabriele D’Annunzio, 1863︲1938)も使っていた(Ellmann 1982 88; Ellmann 1977 105︲06)。1900 年に出版された,女優と英雄的天才詩人との恋愛を描く小説 『炎』(Il fuoco, 英訳は The Flame of Life: A Novel)は,女優エレオノーラ・ドゥ ーゼ(Eleonora Duse)との作者自身の恋沙汰を描いた小説として読まれるが,こ の小説の価値はそれだけではない。この小説は水の都ヴェニスを舞台に,水と炎の

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22 言語文化 Vol. 53 妖しく絡み合う象徴を用いながら,死(あるいは荒廃・退廃)へと向かう力と生の 力との対立を描く。舞台となるヴェニスは昔栄華を誇ったものの今はそれを失って いる。季節が秋に設定されているのはその表現となっている。美しい女優もまた人 生の秋を迎えている。暗さを意味するラ・フォスカリーナ(la Foscarina)あるい は喪失を意味するペルディータ(Perdita)といった名前で彼女が呼ばれるのは (Lucente 22; Lobner 62, n36),生の光を失っていることを示唆する。それに対し て詩人ステリオ(Stelio Effrena)がもたらすのは,生の力である。あるときには 「炎の王」(“the Lord of the Flame”),またあるときは「命を与える者」(“the Life-Giver”)と呼ばれるのはそのことを示す。小説冒頭に描かれるフェスティヴァルで 行ったスピーチにおいて彼は,千の目を持つキメラのような大衆の前に,天才のみ が持つ命持たぬものに命を与える力を使って熱狂のうねりを現出させ,街全体を生 の炎に包み込む。その奇蹟のような出来事を彼が心を寄せる女優は「炎のエピファ ニー」と呼ぶ(D’Annunzio 90, 92)。それに飲み込まれるのは街だけではない。衰 えを意識し,自らの体ではステリオの愛をいつまでも自分のものにしておけないで あろうことを感じている女優をも飲み込み,愛の激情へと駆り立てる。エピファニ ーとはこうして芸術家の,無から生を生み出し,形ないものに実体を与える力の顕 現を表し,英雄的・超人的詩人の,現実を芸術に置き換えようとする唯美主義へと つながる。  このようにエピファニーに類するものがジョイス以外の作家によっても使われ, エピファニーという言葉自体もほかの作家によって使われていた歴史的文脈からす れば(9),エピファニーは,その概念においても,また呼び名においても,ジョイス の独創とは言えない(Beja 13)。ジョイスはすでにあるものを使った。しかし,そ れはジョイスのエピファニーに見るべき点がないことを必ずしも意味しない。 エピファニーと「劇」  ジョイスの初期批評を読み直してみると,ジョイスのエピファニーへと通ずる考 えが早くから姿を現していることに気がつく。ジョイスがユニヴァシティ・カレッ ジ・ダブリン(University College Dublin)に入学した 1899 年に書いた,「王立ヒ ベルニア・アカデミーの『この人を見よ』」(“Royal Hibernian Academy ‘Ecce Homo’” CW 31︲37)と題されたエッセイに早くもその原型を見ることができる(10)

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ハンガリーの画家ムンカーチ(Michael von Lieb Munkácsy, 1844︲1900, ジョイス は Munkacsy と表記している)の作品「この人を見よ」(“Ecce Homo”)を論じた ものである。  ジョイスはまず,同作品を「『ピラトを前にしたキリスト』および『カルヴァリ の丘のキリスト』とともに,受難の終盤を描いた完璧な三部作」(CW 30/38)と した上で,それほどまでに高い評価をする理由を,絵の中に描かれている人物が生 きていると見まごうほどにリアリスティックに描かれている点にあるとする。ジョ イスはそれをこの「絵のなかでももっとも人の心を打つのは,その生命感,ありの ままの現実と思わせる幻覚的手法であろう。男も女も血肉を具え,それが魔術師の 手によって,無言の忘我状態に留め置かれた,とも空想できるほどだ」(CW 31/38)と表現している。ジョイスがこのように書くとき,「この人を見よ」に描か れる人物は,「魔術」的リアリズムの力によって命が与えられ,二次元的絵画的表 象に留め置かれることを止めて,ジョイスの目の前に動きださんばかりの情景とな って現れている。  絵の本当らしさ・迫真性(verisimilitude)は,抽象絵画を除けば,すぐれた作 品のいずれにも見られる性質であろうから,今さら特筆する必要もないのだが,と りわけ注目すべきはここでジョイスが使う「劇」という概念である。ジョイスは言 う。「それ故この絵画は,欠点のない形式が実現されたものでも,また心理がカン バス上で再現されたものでもなく,まず第一に劇的なものである4 4 4 4 4 4 4 4」(CW 32/38, 強調は筆者)。「劇」という言葉を聞いて誰しもが思い浮かべるのは,舞台の上で演 じられる劇であろう。それを一枚の絵を指す言葉として使うことが読者に与えるで あろう違和感については,ジョイス自身も十分に自覚している。ゆえにジョイスは, 「劇を舞台に限るのは誤りである。劇は歌われ,演じられるのと同様,描かれもす るのだ。『この人を見よ』もまた,ひとつの劇なのである」(CW 33/39)と言う。 そのように言えるのは,ジョイスが「劇という言葉で……考えているのは,情念の 相互作用」(CW 32/38,中略は筆者)であるからである。つまり個々の人間が持 つ思惑や意志・感情の食い違いが,その場にもたらすなにかしらの動き,そのこと によってその場が持つことになる意味のことを劇と呼んでいるのである。したがっ て「劇とは,どのように展開されようとも,相克であり,進化であり,動きである。 劇は独立したものであり,場に条件付けられていても場に支配されてはいない」 (CW 32/38)ことになる。以上のジョイスの主張は,「ひとつの戯曲が,あるいは 楽曲が,あるいは絵画が,人間の抱く永久不変の希望や欲望や憎しみに関与するも

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24 言語文化 Vol. 53 のであるならば,つまりは,われわれ人間のあまねく語られてきた本性の,象徴的4 4 4 な描写を扱うものであるならば4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4,たとえその本性の一面にすぎなくとも,それは劇 なのである」(CW 32/38,強調は筆者)という言葉にまとめられる。ジョイスは これによって「劇」を芸術一般に適用しうる普遍的な概念へと高めるとともに,三 つの要素が幸運な調和を見せる希有な昇華を果たす状態を示す語へと変換する。そ のひとつは「魔術」的リアリズムであり,もうひとつは劇の本質的な要素としての 「情念の相互作用」である。この二つに加え,それらが「象徴的な描写4 4 4 4 4 4」への統合 がなされたとき,ジョイスが「劇」という言葉で表すものが現出する。  ジョイスが一枚の絵の中に見ているのは,「情念の相互作用」,すなわち「劇」が, ムンカーチの絵の「魔術」的とも言えるリアリスティックな写実性により見事にと らえられ,またそれが一瞬へと凍結され,魔法が解ければ一気に命を帯びて動き出 しかねない象徴性を帯びるその一点である。それは,なんのことはない,ジョイス がエピファニーと呼ぶものの別の表現にほかならない。「話す言葉やジェスチャー の卑俗さであれ,精神それ自体の記憶の相においてであれ,突然現れる精神的顕 現」と定義されるエピファニーは,隠れた人間の本性,欲望,思惑,つまりは「情 念」が「精神的顕現」すなわち象徴的に現れるようにしたものにすぎない。「人間 の抱く永久不変の希望や欲望や憎しみに関与するものであるならば,つまりは,わ れわれ人間のあまねく語られてきた本性の,象徴的な描写を扱うものであるならば4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4, たとえその本性の一面にすぎなくとも,それは劇なのである」(CW 32/38,強調 は筆者)とムンカーチの絵を説明する言葉の中の「劇」は「エピファニー」という 言葉に置き換えてもなんら支障がない。ジョイスがここで「劇」という言葉で表し ているものが,『スティーヴン・ヒアロー』において「エピファニー」の名を与え られるのである。 人間的まなざしがエピファニーにもたらすもの  ジョイスの『こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ』論にはもう一点特記しておかなくてはならないこと がある。ジョイスは,「人間性に対して大胆にメスを入れ」,「人間が具えるあさま しい情念の一切を,恐ろしいほどリアルに描写」(CW 35/43)するムンカーチの 目により,「ピラトは利己的であり,マリアは母性的であり,涙を流す女は悔恨者 であり,ヨハネは大きな悲しみに胸を引き裂かれた強い男であり,兵士たちは征服 という頑迷な非アンアイディアリティ観 念 性を刻印され」る点に注目をする(CW 35/43)。「強烈に,

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力強く,人間的」であることを志向するまなざしが,「情念の相互作用」という言 葉でジョイスが意味しようとしていた情念の渦巻き・対立を炙り出すのみならず, 宗教画において「マリアを母親として,ヨハネを一人の男として描」く(CW 35/43)ことをもたらす。ジョイスはそこに「最高の天才の証し」を見る(CW 35/43)。「こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ」は宗教画では定番とも言えるテーマで,多くの画家が手 がけてきたものである。あまたある「こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ」をテーマとする絵の中で,ジ ョイスがムンカーチを取り上げる理由は,まさにこの点にある。つまり,通常であ れば宗教的にとらえられ,その宗教的役割という点から考えられるキリスト,マリ ア,ヨハネを,それぞれ感情を持つ生身の人間として見るムンカーチをジョイスは 評価しているのである。「この絵に何か超人的なもの,人心を超えた何ものかを登 場させようとするなら,それはキリストの中に現されよう。しかし,このキリスト をどう眺めようと,彼の容貌にそのような形跡はいささかも見当たらない。表情に 神聖なものは何もなく,超人的なものも一切ない」点をジョイスは評価している。 それをまたジョイスは「画家の側の技量の欠如ではけっしてない。……これは画家 が主体的に選んだ立場なのだ」(CW 36/43)中略は筆者)と言い切る。それはム ンカーチの意志であるかどうかよりも,ジョイスこそがそのような見方をしている ことをなによりも明確に示している。ジョイスは通常は神聖なものとして考えられ るキリスト,マリア,ヨハネを,ムンカーチと同程度か,それ以上に,人間として 見ている。  ムンカーチが描く『こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ』にこのように人間的ドラマを見いだすジョイ スは,現代に生きるわれわれが想像するよりも重く,大胆な主張をしている。ただ しそれはジョイスが独自に行ったものではない。「エッケ・ホモ」というトポスに 限って言うだけでも,そこには,とりわけ 1860 年代半ば以降激化した論争を引き 継いでおり,歴史を背負っている。  1865 年に「こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ」という言葉をタイトルに用いた宗教書『エッケ・ホ モ―イエス・キリストの生涯と御業についての概察』(Ecce Homo: A Survey of the Life and Work of Jesus Christ,以下『エッケ・ホモ』と略記)が匿名で公刊さ れる(11)。この本は,前書きにあるように,「流布しているキリスト観に不満を持」

った著者が,「その主題を根本から考え直し,キリストがまだキリストと呼ばれず, 単なる若者―ただし,有望で彼を知るものには人気が高く,神の寵愛を受けてい るように見える―でしかなかった時代に身を置いて,彼の伝記を一点一点たどり, 教会の神学者や使徒たちが権威でもって固めた結論ではなく,批判的検討をした

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26 言語文化 Vol. 53 (critically weighed)事実が間違いないと保証してくれるように思える結論のみを 受け入れ」ようとした本である(Seeley v)。「神学的な問題は一切扱わず」「現代 の神学と宗教を生み出した人としてのキリストはもう一冊の本で扱う」ことにして, 「キリストが今彼の名をもって呼ばれる共同体[即ち教会]を創設した目的は何で あったか。そしてその目的を達成するためにそれがどのように形を変えられたか」 という問いに答えるべく,人間としてのキリストをたどった書である(Seeley vi)。  この本は,ジョン・ヘンリー・ニューマン(John Henry Newman)のレヴュー にある言葉を借りるならば,「宗教関係者にセンセーションを起こし」,「八つ折り 本で目立って安いということもないのに数ヶ月で 3 版を重ねた」(364)(12)。その勢

いは止まることなく,『マクミランズ・マガジン』(Macmillan’s Magazine)1866 年 5 月号によれば 7 ヶ月で 7 版,『ビブリカル・レパートリー・アンド・プリンス トン・レヴュー』(Biblical Repertory and Princeton Review)によれば 1 年で 12 版を重ねた。『エッケ・ホモ』の続編『自然宗教』(The Natural Religion)が 1882 年に出たときにその書評を掲載した『エディンバラ・レヴュー』(Edinburgh Review)1882 年 10 月号によれば,その年までに 16 版が出た。  これほどまでにこの本が多く売れたのは,『コンテンポラリー・レヴュー』 (Contemporary Review)1866 年 5 月号に書評を載せたエドワード・ヴォーン (Edward T. Vaughan)が言うように,この本が「神学を読まない人にも興味を持 って読まれ……どこでも熱心に読まれ,激しく攻撃されたが,それよりも熱烈に賞 賛された」(40,中略は筆者)からである。ジョージ・ウォリントン(George Warrington)も同書を宗教的懐疑に悩む人にはうってつけの本であるとして,独 立した小冊子にまとめたレヴューでこの本の内容を丁寧に紹介している。宗教に多 少なりとも関心のある人達,教会関係者には論争の種となった。雑誌はこぞってこ の本を取り上げ,書評をする。上記の『コンテンポラリー・レヴュー』はこの本を, キリストの魅力を十分に伝えていない点,問いとして出しているものへ十分な答え を出していない点など欠点があるものの,よい本とする好意的なレヴューをする。 『フォートナイトリー・レヴュー』(Fortnightly Review)1866 年 6 月号は,『エッ ケ・ホモ』を英国で過去 25 年に現れた宗教的な本の中でもっとも重要な本とし, 英国の生命力ある進歩的な考え示す本としてこれ以上のものはなく,退廃したドイ ツやフランスとは違い英国の未来の希望を示すと評する。これに対し『ウェストミ ンスター・アンド・フォーリン・レヴュー』(Westminster and Foreign Review) は,「批判的検討を施した」(“critically weighed”)というその意味を不明とし,キ

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リストの神学的問題を扱わず人間的な面を扱うにも批判に欠け,不満が残る,との 厳しい評を下す。『クォータリー・レヴュー』(Quarterly Review)1866 年 4 月号 は,『エッケ・ホモ』と聖書の食い違いを指摘し,著者が独創的であろうとする野 心のあまり,間違った理論を作り,それに合わない事実を抑えている点を批判し, 誤った表象・誤 に満ち,一貫性もない本と酷評する。J・K・グレイズブルック (J. K. Glazebrook)もまた小冊子を出して,神学を扱わずにキリストの生,目的は 書けないとする立場から,この本にはキリストの神性否定に満ちているとし,この 本の人気の原因はこの異端性にあるとする。ニューマンは,『エッケ・ホモ』の議 論を丁寧に紹介した上で,キリスト教のある面は示し,ある面は示さないこの本の 恣意性を批判し,意図したことが果たされていない本とする(13)  『エッケ・ホモ』をめぐる論争は,匿名で出されたこの本の著者が一体誰かとい う下世話な関心に支えられた部分も少なからずあったが,その中心は,どこまでそ の主張がリベラルかという点にあった。「批判的検討」という言葉に著者・評者双 方が注目していたことは,この本がどれほどまでに聖書を他の歴史的な書と区別す ることなく批判的に見る当時の実証主義やラショナリズムと関わっているのかを見 定めようとしていたことを示す。よく比較に使われたのは,『エッケ・ホモ』より も前に大陸で出ていたシュトラウス(D. F. Strauss)の『イエスの生涯』(1835︲36 年)とルナン(Ernest Renan)の『イエスの生涯』(1863 年)であった。この二人 が奇蹟を認めない立場を取ったのに対して,『エッケ・ホモ』は,人間としてのキ リストを見ると言いながらも,奇蹟を認める立場を取ったことは,大陸のイエス伝 を行きすぎ(退廃的)ととらえる人には,英国的良識を示す好ましいイエス伝に見 えた。ハックスレー(Huxley)に代表される科学的無神論や懐疑主義への警戒も 示された。『エッケ・ホモ』にそちらに通ずる面もあるとしながらも,それへの回 答となっている面を見いだし,妥協的に好意的にとらえる批評家もいた。『エッ ケ・ホモ』をよく思わない側がこの本が匿名で出されたことを逆手に取って,この 本自体を無効化あるいは書き換えをしようとした試みは,この本をめぐる攻防の興 味深い例として挙げておいてもよいいかもしれない。『エッケ・ホモ』が出た 2 年 後に,その名も『エッケ・デウス』(Ecce Deus)と題された本がこれまた匿名で 出される(14)。「この人を見よ」という意の『エッケ・ホモ』に対して,「この神を 見よ」を意味するこの本は,『エッケ・ホモ』が神としてのキリストについては別 の本で扱うとしていたのに乗じて,あたかも同一著者がその続編で『エッケ・ホ モ』で示した考えを改めたかのように見せかける本であった。その策略どおり,

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28 言語文化 Vol. 53 『レィディズ・レポジトリー』(Ladies Repository)1866 年 7 月号は 2 冊を同一著 者によるものと考え,『エッケ・デウス』を『エッケ・ホモ』の見解を修正した本 と見て,好意的にとらえる。この後『エッケ・ホモ』をめぐる論争は,グラッドス トーン(W. E. Gladstone)の『エッケ・ホモ』論も出てさらに拡大していく(15)  ジョイスがムンカーチの絵を見ながらそこに描かれているキリストを人だと言う とき,彼は『エッケ・ホモ』論争がひとつには歴史の中で示してきた宗教的懐疑と ラショナリズムに自らを接合し,キリストを人間とする歴史的な議論を背負いつつ, キリスト教の抱える本質的な問題に改めて問いかけをしている。ジョイスが『エッ ケ・ホモ』を(ルナンの『イエスの生涯』同様)読み,また所有していたことは (SH 180, 194; Ellmann 1977 126),ジョイスがムンカーチの絵に描かれるキリスト を人と言うとき,『エッケ・ホモ』の主張の延長線上において行っていることを示 す(16)。大学に入ったばかりのジョイスがこのような意見表明をしていることは注 目に値する。それを一つの論評にまとめていることは,ジョイスの宗教的姿勢と今 後の自身のあり方を取り返しのつかないほど重大な宣言にまとめているものとして 重く受け止めるべきであろう。ここには保守的なカトリックの国アイルランドに対 し宣戦布告を行い,国を出るジョイスの意志の萌芽がある(17)  ジョイスの宗教的姿勢を示すという意味において重要な「こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ」論であ るが,エピファニーとの関係で重要なのは,これまで見てきたようにエピファニー がジョイスの「劇」の概念と重なるのであれば,本来宗教的な顕現を意味し,その 意味において宗教性を帯びたその言葉には実は宗教性の否定の契機が書き込まれて いたことが確認できることである。たとえエピファニーがその宗教的な意味合いを 残すことになろうとも,そこにはすでに神としてのキリストはいない。エピファニ ーは脱神学化の契機を内に含む。ジョイスの初期小説を特徴付けるキータームとし てエピファニーがもてはやされるのとは裏腹に,ジョイスの作品から実のところエ ピファニーが消えていくことはひとつの として残っていた。つまり,エピファニ ーという言葉はもっぱら(公刊されていない私的な「エピファニー集」と),ジョ イスが生きている間は公刊されることのなかった『スティーヴン・ヒアロー』で使 われた語で,『肖像』で芸術のあり方を論じるときには使われないのである。この は,本来宗教的な言葉「エピファニー」に,脱神学化の契機が含まれることを確 認するのであれば,自ずと解けるのであろう。『肖像』最終部においてスティーヴ ンが宣言するように,アイルランドの宗教に彼が背を向けることは,エピファニー に含まれる脱神学化の契機から一直線に延ばしたその線の先にあるものであり,そ

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こに至るまでいつまでも宗教的な言葉を残しておくことはできない。『肖像』とは, 小説の技法としてはエピファニーを使う小説であるが,そのエピファニーという言 葉自体は抹消する小説なのである。 結びにかえて―エピファニーの受肉化と脱受肉化  ジョイスはムンカーチの「こエ ッ ケ ・ ホ モの人を見よ」に「劇」=エピファニーを見た。しか し,それをジョイスが論じるときのエピファニーは一つではない。そこにはいくつ かのエピファニー,あるいは段階がある。その第一はムンカーチの絵にあると仮定 されるエピファニーである。それはジョイス以外の人にはあるように見えない可能 性があり得るという意味では,ジョイスがムンカーチの絵にあると仮定しているエ ピファニーということになる。第二のエピファニーは,ジョイスが見たエピファニ ーである。この第一のエピファニーと第二のそれは,両者が一致を見る幸運な場合 もあれば,そうではない場合もあり得る。この二つは絵の側のエピファニーに関わ る。それに対し,第三のエピファニーは,ジョイスが経験したものとなる。ジョイ ス自身がこの絵を見たときに,ムンカーチが絵に込めた(とジョイスが考える)エ ピファニーが,エピファニーを見ようとするジョイスの目に触れ,彼自身の前に, まさに顕現という言葉を用いるのがふさわしい感動とともに立ち現れたものだ。  この体験を表すのにジョイスは「劇」という言葉で表現していた。それを『ステ ィーヴン・ヒアロー』執筆の段階では,エピファニーという宗教的起源を持つ言葉 に変えている。この変化を促す要素は,ムンカーチの絵を論じる言葉の中にすでに 現れている。絵の中に描かれている男女は「生命感(the sense of life)」と「血肉 を」与えられているものの,それは「魔術師の手によって,無言の忘我状態に留め 置かれ」,一瞬の中に閉じ込められている。その凍結された「ありのままの現実と 思わせる幻覚(the realistic illusion)」が,ジョイスの目に触れたときに,あたか も魔法から解き放たれたかのように,目の前に生命感をもって立ち現れる。このプ ロセスは,見てすぐわかるように,宗教的なそれときわめて近い。凍結された「あ りのままの現実と思わせる幻覚」が,ジョイスの目に触れ,あたかも魔法から解き 放たれたかのように,目の前に立ち現れるときに帯びる「生命感」と「血肉」とは, 受肉化である。絵の場合に描かれたイメージが血と肉を具え,命を得るその受肉化 のプロセスは,文学でいうなら言葉が受肉をするプロセスである。しかしジョイス にとって,言葉が血と肉を具えた受肉をするプロセスは,すでに見たように,人間

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30 言語文化 Vol. 53 性を透徹するまなざしと結びついていた。聖なるものや言葉に,聖なるものや意味 の受肉をさせるのではない。聖なるものをぬぐい去られた人間的なものに,聖なる 意味ではない,人間的な意味の受肉をさせること,それをジョイスは言祝ぐ。  作品の中に書き込まれたエピファニーが,それを見る/読む者によって感知され, その人の目の前に精神的顕現という意味でのエピファニーで立ち現れるプロセスを, このようにして確認することの意義は,作家ジョイスが読者にエピファニーを経験 させようと作品にエピファニーを書き込むその方法について手がかりを与えてくれ る点にある。エピファニーが言葉に血と肉を具えた受肉をさせるプロセスであるの なら,作品に言葉を書き込むときの方法は,その逆,つまりは受肉化し立ち現れた 意味から,血と肉をそぎ落とし,単なる言葉へと戻すプロセスとなる。それは,言 葉が帯びる重要な意味を消し去り,普通の意味以外にはないかのような見せかけを 施すこと,その言葉が持っている言葉以外の意味が立ち現れないような言葉遣いを することである。これをとりあえず上で述べた受肉化に対し「脱受肉化」と呼ぶこ とにしよう。それは「脱劇化」と呼んでもよいだろう。それは要するに意味を隠す ことを意味する。エピファニーを描こうとするジョイスは,エピファニーであるこ とを書くことはできない。それとは逆にエピファニーを隠さなくてはならない。エ ピファニーがエピファニーであるためには隠されていなくてはならない。ムンカー チの絵の場合のように,エピファニーを「魔術」的リアリズムの中に凍結されたま まの状態で置き,その凍結を解く鍵をそのどこかに仕掛けること,それこそがジョ イスが初期の小説において実践していることである(18) 注 1.この経緯は南谷論文に詳しい。南谷はジョイスが『スティーヴン・ヒアロー』より「若 き生の断章(“Chapters in the Life of a Young Man”)という呼び名を考えていたとの新 しい指摘もしている。 2.『スティーヴン・ヒアロー』からの引用は Jonathan Cape 版を用い,略号 SH の後にペ ージ数を示す。 3.『肖像』からの引用は Norton 版を用い,略号 P の後に章数と各章を通してふられてい る行数を示す。 4.ほかにも 6 番,8 番,16 番,23 番,29 番,32 番,34 番,36 番などがこのタイプに属 す。 5.この「詩」の宗教的ソースについては Gabler 1974; Citino 参照。 6.ジョイスはムアの著作を数多く所有していた(Ellmann 1977 120)。安達(145, 179),

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結城もムアの「エコー・オーギュアリー」にエピファニーの先例を見ている。

7.三巻本にはそれぞれ Ave, Salve, Vale の副題が付けられている。これはカトゥルス (Gaius Valerius Catullus)が戦争で死んだ兄弟の亡骸を目にしながら口にする惜別の言葉 をもとにしている。実際ムアは,第 3 巻で生まれ育ったビッグ・ハウス,ムア・ホールを 訪れ,過去の思い出に浸りながらも,弟モーリスとの生き方の違いから,生きながらにし て弟に別れを告げるときにカトゥルスの言葉を口にする。それは同時にアイルランドとの 惜別の言葉ともなっている。 8.野鴨はアイルランドの歴史においては,同じカトリックの国フランスに亡命したアイル ランドのカトリックの兵士,その国の外人部隊として活躍をする人達のことを指す。ジョ イスの『ダブリナーズ』とムアの『未耕地』との類似性については,拙論を参照。 9.ジョイスはダヌンツィオを読んでいた(Ellmann 59, 88)。ジョイスのエピファニーを 『炎』に由来するとする批評家としては,Eco 25, n17; Zingrone 254 参照。

10.E. Mason と R. Ellmann 編の The Critical Writings of James Joyce からの引用は,略号 CW に続けてページ数を示す。訳は吉川信訳を使用し,スラッシュのあとでそのページ数 を示す。

11.著者は当時ロンドン大学でラテン語を教えていた John Robert Seeley。のちにケンブリ ッジの歴史学教授となる。著者名の は雑誌を賑わす。Macmillan’s Magazine 1866 年 5 月号は,『エッケ・ホモ』を出した出版社が,『エッケ・ホモ』の著者に会えるとして,著 者ではないかとされる 16 人を呼んだディナー・パーティーに言及をし,自社が関わった を っている。North American Review 1866 年 7 月号は著者を Westminster Review 最 新号でコールリッジの書評をした人と類推する。Biblical Repertory and Princeton Review は,注で Richard Holt Hutton を著者とする説を示す。Ladies’ Repository 1867 年 7 月号は Prof. Massey を著者としたが本人に否定されたことを告げている。Jennifer Ste-vens は 1866 年末までに Robert Seeley が著者であることを認めたとし(49),William Baird は第二版が出たときに著者名を明らかにしているとするが(56),Ecce Homo の続 編 Natural Religion が 1882 年出たときにも,その著者名は依然として “the author of Ecce Homo” と記されており,その書評を掲載した Edinburgh Review 1882 年 10 月号も 著者名を明らかにしていないことからすると,その真偽ははっきりしない。シーリーの訃 報を掲載した 1895 年 1 月 15 日付の Times 紙が,彼の著作として Ecce Homo を載せてい ることからすると,その時までには彼が Ecce Homo を著したことが周知の事実となって いたことがわかる。興味深いことに,1920 年になっても Notes and Query には Ecce Homo の著者は誰かという問いが依然寄せられている。(正しい答えが 2 号後に掲載され ている)。

12.Discussions and Arguments on Various Subjects に収められたこの 1866 年 6 月の書評 は,後に触れる Catholic World 3.17 (1866) 618︲34 にも転載されている。

13.このほかにも North British Review 1866 年 3 月号,London Quarterly Review 1866 年 4 月号,Christian Spectator 1866 年 5 月号および 6 月号にもレヴューが確認できる。『エ ッケ・ホモ』の人気は大西洋の対岸まで伝わり,そこでも多くの書評が書かれる。 Ladies’ Repository 1866 年 6 月号,New Englander 1866 年 7 月号,North American Review 1866 年 7 月号,Atlantic Monthly 1866 年 7 月号参照。より広い展開については Stevens,Baird 参照。

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32 言語文化 Vol. 53 14.著者は Joseph Parker であることがわかっている。 15.この展開については Stevens,Baird 参照。 16.このことは,『スティーヴン・ヒアロー』でスティーヴンが言う「イエスを普通名詞に した」(146)という言葉と共鳴している。 17.ジョイスの「教会との戦争」については,『肖像』3 章の一見まともに見える地獄の説 教に誤 を混じらせた描きぶりにすでに現れていることを,説教の原典との詳細な照合に よって示した小林論文が秀逸。 18.このことと関係するのは,『肖像』で叙情的様式,および叙事詩的様式に対置され,ス ティーヴンが最高の芸術様式とする「劇的」様式である(P 5.1414︲23)。そこにおいて作 者が姿を消すことは,エピファニーという意味での「劇」が常に隠される性質を持つこと と関係する。 参照文献

Baird, William. History of New Testament: From Jonathan Edwards to Rudolf Bultmann. Minneapolis: Fortress Press, 2003.

Bayne, Peter. “Ecce Homo.” Fortnightly Review 5.26 (Jun. 1866): 129︲42. Beja, Morris. Epiphany in the Modern Nnovel. Seattle: U of Washington P, 1971.

Citino, David. “Isaac Watts and ‘The Eagles Will Come and Pull out His Eyes.’” JJQ 13 (1976): 471︲73.

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“Ecce Homo.” Catholic World: A Monthly Magazine of General Literature and Science 3.17 (1866): 618︲34.

“Ecce Homo.” Christian Spectator 7.5 (May 1866): 267︲81. “Ecce Homo.” Christian Spectator 7.6 (June 1866): 340︲67. “Ecce Homo.” Ladies’ Repository 27.6 (June 1867): 358︲59. “Ecce Homo.” London Quarterly Review 26.51 (Apr. 1866): 257. “Ecce Homo.” Macmillan’s Magazine 14 (May 1866): 134︲42. “Ecce Homo.” North American Review 103.212 (July 1866): 302︲07. “Ecce Homo.” Quarterly Review 119.238 (Apr. 1866): 515︲29.

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結城英雄「ジョージ・ムアの『一青年の告白』における時代の文脈」『一九世紀「英国」小 説の展開』海老根宏・高橋和久編著,松柏社,2014, 365︲84.

参照

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