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アニル・アナンサスワミー著 藤井留美訳 私はすでに死んでいる―ゆがんだ〈自己〉を生み出す脳―

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Academic year: 2021

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.37.23

163 全員分の苗字・苗字・苗字: ランニングタイトル●●●●●●●●●●●●●●●

アニル・アナンサスワミー著 藤井留美訳

The Man who wasn’

t there. ̶Investigation into the new strange science of the self̶

(邦題: 私はすでに死んでいる―ゆがんだ〈自己〉を生み出す脳―)

紀伊国屋書店,2018

インド大乗仏教中観派の書物『中論』に出てくる,鬼 に食われた男の話から本書は始まる。男の腕や足が鬼に 食われるたびに,他人の死体からその部位を付け足され ていくという陰惨な光景が,食べられている男自身の視 点で描写されていく。最終的に,男の身体は,胴体や頭 も含め,全て赤の他人の身体と入れ替えられてしまう。 このとき,男にとって,その身体は自分のものといえる のか。自己とはいったい何で,どこに存在するのか。本 書の核となる疑問が,冒頭から奇妙なエピソードととも に,読者に投げかけられる。 本書は,Science誌からオリバー・サックスの再来と も評されたインド出身のジャーナリスト,アニル・ アナンサスワミーの最新作「The Man who wasn’t there. ̶Investigation into the new strange science of the self̶」の 日本語版である。「自己とは何か」という,ある種素朴 な問いを中心テーマとして掲げ,神経科学や医学,哲学, さらにはインド仏教の知見も踏まえて,自己の諸側面を 具体的に理解することを試みている。 本書には自己感覚の混乱を呈する様々な神経心理学的 な疾患や障碍が登場する。それらの疾患が持つ症状の実 相と,哲学,心理学,神経科学からの見解を知ること で,自己を構成する様々な要素が見えてくると筆者は考 える。目を惹く邦題が示すのは,第 1章で登場するコ タール症候群の人がしばしば経験するとされる妄想の内 容である。コタール症候群は,ジュール・コタールによ り発見された疾患であり,「自分は死んでいる(精神は 生きているが,脳や身体は死んでいる)」あるいは「臓 器や身体の一部が喪失・腐敗している」というような 「虚無妄想」を症状として示す。本書では数名の症例が 紹介されており,妄想の内容は突飛であるが,キリスト 教的な観念や罹患当時の時代背景に基づくものも多く, 患者自身の成育暦や文化的背景が関連していることが伺 える。最近の神経科学の研究から,内受容と外受容の感 覚を統合する島皮質の損傷や,意識的自己の認識に関わ る前頭頭頂ネットワークの代謝が低下するために,患者 自身の自己経験が変容し,虚無妄想に繋がると考えられ ている。コタール症候群の症例からわかることは,自己 には,「主観としての自己」と「客観としての自己」が あるということである。「自分は死んでいる」と虚無妄 想では,客観としての自己(自身の身体)が失われても, それを経験する主観としての自己はあると解釈できる。 客観的自己とは身体だけでなく,情動や記憶,人格と いった自己に由来するあらゆるものが対象となりうる。 本書で取り上げる疾患や障碍の症状には共通して,客観 的な自己の認識が揺らぐことにより主観的な自己感覚も 混乱する,という解釈が成り立つと筆者は述べている。 第2章では,語られる自己―ナラティブ・セルフ―に 着目し,それを知る手がかりとして,アルツハイマー病 の症例が紹介される。自分がどういう人間なのかを他者 に語るときには,過去から現在までに自分が経験した一 連のエピソード記憶が参照される。このような,自己に 関する一貫した,個人的なストーリーのことをナラティ ブ・セルフという。アルツハイマー病は,ナラティブ・ セルフが更新不可となり,自己性が徐々に溶解していく ため,「自分は誰か」を奪う疾患と考えられている。筆 者は,ナラティブ・セルフを自己性の一部として認めつ

The Japanese Journal of Psychonomic Science

2019, Vol. 37, No. 2, 163–164

書 評

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164 基礎心理学研究 第37巻 第2号 つも,自己を参照する記憶が全て失われた場合にも残存 する,現在を経験する主観的な自己とは何かについて考 察を深めている。 第3章では,身体各部の所有感覚をテーマとして,身 体完全同一性障碍という極めて珍しい症例が紹介され る。この障碍を持つ人は,手や足といった身体の一部 が,自分の身体であると感じられず,その部位を切り落 としたいという強迫的な観念を持つとされている。四肢 切断欲求といった性的倒錯とは異なり,先天的,あるい は発達の初期段階で脳内の身体表象が正常に発達しな かったことにより発現すると考えられている。ここで は,身体完全同一性障碍に苛まれるデヴィッドという男 性が四肢切断を決断し,手術を受けるまでのエピソード が,彼の内的経験とともに詳細に描かれている。身体完 全同一性障碍を持つ人にとって切断手術は唯一の解決策 であり,倫理的な問題があるものの,異質な身体が取り 払われた人はすべて,安 と解放で満たされるらしい。 自身の身体と脳内表象との統一感,哲学の表現では共時 統一という概念が,自己感覚の安定に重要であることを 裏づけると著者はいう。 第 4章以降は,「予測する脳」がキーワードとなる。 脳は感覚情報が入力されると,事前情報をもとにいくつ も予測モデルを立て,確率的に最も高いモデルを選択 し,感覚情報の原因を推論しているという見方がある。 ここでの議論の争点となるのは,脳の予測機構は自己の どの側面まで説明できるかという点だ。行動の動作主が 自分である感覚が阻害される統合失調症(第 4章),自 身の身体と情動に現実感が失われる離人症性障碍(第5 章),感覚過敏や心の理論の欠如がみられる自閉症スペ クトラム障害(第6章)を例に挙げ,脳の予測機構で説 明できる自己の諸側面について,近年の神経科学の知見 とともに議論が行われる。 トーマス・メッツィンガーは,彼の著書「エゴ・トン ネル」において,自己についての研究は,神経科学をは じめとした経験科学上の検討が進む一方,概念的なレベ ルでの考察を進めるために必要な,現象学的な視点(内 的経験そのものの精密で注意深い記述)が抜け落ちてい ると指摘している。この点を補うかのように,著者自身 が行った徹底的な取材と調査をもとにした,精神疾患や 障碍を持つ患者や家族,担当の医師,研究者の内的経験 に関する詳細な記述が多く見られるのも本書の特色の一 つといえる。ブッダによる「無私」の悟りから現代の神 経科学に至るまで,自己に関する研究の歴史をわかりや すく知ることのできる,おすすめの一冊である。 (中央大学研究開発機構 氏家悠太)

参照

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