大興安嶺兩側地方の經濟地理的視察-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

︼ 序 備支方面の俳風は現今各方面に於て行はれ、其の調査報告は汗牛充棟である。経て極く局部的な報骨の如j之 を設表の要はないのであるが、然したとへ夫は極く局限された地域であり概括的な祀察であるにせよ、.躇蒸した 魔は最確賓であり、叉其の槻察も人に依勺興るものであるから、決して集つべきものでない、この意味に於で増 分の視察は満洲困の∵小部分に過ぎないとは云へ、愚感を述ぶることは必ずしも塵益の柴ではないと信じ、先年 茶話禽席上でも話した次第であるが、今叉この誌に掲載の英を得たので、杓時機を失した感はあるが寄賓には甚 説 一、序 二、硯鹿釈地状況−ハd︶濱洲銀粉緑地刀−ハロ︶平野線沿線地方−︵ご海拉爾地方1︵ニ︶滴路地概胡 三、北満地方の経済溌汐・・︵イ農産衷源1︵ロ︶畜産安掘1ハハ︶林産資源−︵ニ︶嫉産資源−︵ホし水産資源1 四、経済賛源利用の堺状況 ︵イ︶農耕共1ハロ︶牧畜発I︵ハ︶商工兼及鏡染 五、、経済票源利用の婚家 大典安嶺両側地方の鐸済地理的硯藤 六、結

太輿安嶺南側地方の経済地理的視察

貞 次

寺 田

︵四九︶ 四九

(2)

しき担化はないと思ふので、渾愚感を述ぶること∼する。ヘ 〓 硯・察 地 状 況 百分の滞洲固頼察奔命は昭和十二年の番で、其の八月十三日に出立、同甘五日に膵任したのであり、僅々二週 日に過ぎない、短時日の硯察であるため、先年一度紹察した南浦地方を割愛、北浦の祀察に局限し、北浦中の廠 く仙小部分を視察する番にとゞめた、即ち預て踏査を希望して居に大興安嶺を中心とし、其の両側の地を視察す ることにしたのである、政治的寓割で申すならば■・龍江省、興安東省、典安北省並に異安硝省の北部の叫角にな る○ 自分は此地方を理解するため、濱洲級により恰爾濱を痙て海拉繭まで行き、引きかへして、所々恰感より畢奔 級に依り四窄衛に出たのである、従て自分の祀察と申すのは、王としてこの蹄鉄に過ぎない。然し沿線の風物はこ の地方の地理的性質をあらはし雄藩の自然を理鹿し得るものと侍するので、左に串中よりの滑緑風光を筒⋮単に記 載する。 然し其の前に理解し畳くべき審は、此地方も渚洲大盆地の一部であるために、地形は甫溝の地形と興りはない 鮎である、奥津滅洲の盆地は完洪税原で、初回の山脈から流出した微細な報土が水の作川によつて此低地完叩 に機械し、退水と共に平坦互炎上地としてあらはれ、共虚に蒋水路を生じ、所謂健江系を生じ、之誉依つで流域 地がきざまれ仁鹿である。経て溝洲南部に於けると同様、此地方は完何に綾砂たるや塊原をなし、其題に低く轍 第十四番 第 山 渋 ハ語○︶ 五〇

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江の本文洗が喪服の如く流れてゐる状態であり、興安嶺山脆か此地方の西端を東北酉南の方向に発って土地を東 西輌部に分ってるのである。 この興安菊山脈は地質上皮古い地盾に魔してゐるもので、多年の星霜を経て、全く削られ政利面の地形を形成 したのであるから、此蓮の地形を観るとどこまでも砂々として平坦で、仝鰻としでは大なる綬斜面地をなし、一 部としては平坦地をなし、造に見ゆる山脈も亦同株綬斜面をなし、樹木がないために砂々たる防野を呈してゐる のである。全慣の地形はどこに至っても右のやうであるが、扱て其の地理的性質は如何であるか、先づ滞洲線に より硯察する。 ︵ィ︶ 濱洲線沿線地方 朝の八時十分恰蘭濱ぉ姿す、隠ぐ松花江を渡る、河岸の柳楊繰濃かに、牧馬の朝霧に尾をふりつゝ歩める爽快 である。渡れば淡々たる綬斜面の草野、穐粗ながら耕地は実はしく開けてゐる、極トなき畝は綬斜耐を越して遥 絞してゐる、廟台千騨を通過す、排他は漸次牧場地にかばる、牧童の朝霧を踏んで飼革を刈れる豚の子と戯れる など趣がある。九時制青山騨に着く、廣漠たる綬丘陵中の盆地、二帯の牧場をなし、丘陵は排作され苛々とし て、恰もイングランドの如き風光を賞してゐる、莱、大豆の類が栽増されてゐるのである.濱北紬の分岐鮎だけ に活動の色を呈してゐる、牧場は今や牧草刈入時と見へ、牧馬に乗じて歩ゆる、枯草を曳く教頭の牧馬など興味 ある景色である。牧草は渦高く積まれ、山の如き感がした。 大興安嶺南側地方の経済地理的親痙 ︵五一︶ 五︼

(4)

︵五二︶ 五二

第十四谷 姉−㍍

次で婁家︵C訂angChia︶を通る、同じく牧草部落、附近は開く鞘され、耕畝の番に縛ける内地には見られぬ光 ビート、 景であり、此魔では勧炎が栽増されてゐに。十時過浦薄に着く、此速も傭耕作地開け、辟附近にはアンベラにて 萩へる大規模な倉庫風物が数多く眼につく、附近出廻大豆の仮傑作痛であると、乗客の叫人は敢えてくれた、こ の遼では甜栗も霹し叉杢且も柄常の庶出のあることが知れる。 之より叫滞の放牧地に入り、土質の白色を蓋してゐるのが注意を引く、はてしなき放牧地かなの感にゎたれ る、.刈取をなす住民も多く見受られた、然し傭所々耕作地も交り、大豆、業など眼につく、枯草を角形にプレス し、貨埠に積み込める、緬羊を追ふ流人の姿なと眼新く、かくて耕地は漸く少くなり、今や茫漠たる牧草地とな 完岬に平坦で、山本の樹木もなく、畢なる牧草原驚に肺漠たる景色である、退層な牧食通癖の穐過かなと旬 る。 感を生する位である。十仙時廿分宋鼓に着く、相攣らすの牧草原附近には牧草の大雄姉があら、桐羊の群集せる 面白く眺めた、侍こゝで注意を引いにのは住宅である、何れも粘土製で平埋なる屋根、城柴式に迫れる恰をアラ ビヤ遼にでも行った感がする9十二時には安辻へAm・tP︶に着く、飛び交ふ燕が︰作意を引く、従来の平原地に比し 碑性質の変化を物語るものであろう、附近には多少跡地もあり、栗太貢が眼につい仁が、之よりは〓彗で男の葦 原地と化し、朗々粥樺が沖意を引くのである。花草など其の問に交り、恰も北撞遣の熊異地乃至はカムチャッカ の原野を想像せしむる.然し叉攣じて立派な牧草地を点する慶もあるが、級じて樹林もなく、人家もなく、略蛙 漠たる草原中花革の色彩谷々濃かなるに沖意を引くのみである。桔梗、女郎花、常亦紅、滞等眼につく、叉不忠

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談にも池畔は二常に白色に見えるのが注意を引く。

仙時牛酪簡閲に若く、牧草僚申の土部落、土壁を外郭とし、幣集居住する有様、原始人民の防御冨活を思ひ出

し、物淋し㌢感に打たれる、然し騨は珍らしくも花草で飾られ、白樺高く枝を交へ、綺蝿な小部落であるの感を

喝すと此ハに、栽培せば植物の生育必すしも不可能に非ることを兇えしめ、叉附近の牧場には乳牛を蔑見し、沼津

に富賜る地方とT此種牧場に洒するものかと健らしめた。次で捌腑何千に着く、相攣らす牧草中の一駅で、殆ど

民家も見えす、宛士にて築ける部落の外郭を柳樹下に眺め得るのみ、沼博捜は俄各所に見らる。

牛後三時小高ナに着く、相攣らサ牧野中の小部落ではあるが、柳楊の下自動韓の走れるを教ガ、旅愁を慰め

た、族は各家に飼養されい之を追ふ村人子供等趣を添へるα此蓮より少しづゝ桝作地を眺め得るに挙り、草原中

に磨居の址も見られ向日葵の美はしく喚ける、高梁畑、大豆畑、替穿畑の紬感につくられたる愉快である。然し

此風光は暫くにして、滞牧草原と打アり、四時噴煙筒屯に着く、こ∼も街沼繹地、寄茶の紛塩に嘆ける、鳩の群れ る、敬構の悠々にる趣があつた。四時期十五分昂力演︵Ang・An甘hsi︶に着く、この附近には耕地も相常に開け居 るものと見え、鰐内には西瓜店が開かれ、﹁構内に西瓜の市や昂々渓﹂の句を蟹せしむ、此魔にて莱憑へ、.五時 焚、昭和六年十劇月構パ山軍に紺青る戦跡たる稔樹屯︵Y苧Sh已un︶を粁、五時五十分所々恰踊に着く、恰鏑濱

より此眩まで約▲ガ時聞を要しに。所々恰繭は地方唯山の大都市、筒市術も規模大㌢く、轟政務西亜時代より浦鎗

時代につゞき、新市構の建学b着々進捗、騨の如きも規模関大内地にては見られぬ立沢さである。然し附近は倫 大興賓碩南側地方の挿画地租的観象 ︵五≡︶ 嵐三

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漠然たる荒野、東都市の事とて多少の耕地を見るが、伺∴楷の草原たるを免れす、南端地方に見る農耕地に比す べぐもない。︵節々恰繭案内︶ 要するに、恰爾濱より所々恰繭に至る汽串九時間杜の問は朗々小部落を見ると邸、何れも眞の寒村で、都市と して籾るべきものは叫つもなく、部落附近には多少の跡地は開けてゐるが、主に散薬地であり、其の他は見渡す 限りの草原をなし、樹木すらもなく、僅に小部落に於ける教本の柳楊、白樺の類を見るに過ぎない、草原他には 卵により滑津鞄を混する虚があり、白色土壌の礪がれる魔のある有様である。 ︵ロ︶ 半解鎌沿線地∴万 次に舛々恰鰭より蹄途通過した乎舛級滑紬′曾槻察する。此魔は平く云はゞ興安嶺山批に滑へる東南の斜面平地 と申すことが出来る、朝九時に出立、昂々瑛で乗懲へる、相攣らすの葦原地、街門屯、三間虜遼セは多少の耕地を 見、溝洲風の大鎌を獲けて社葬する頻発なと珍らし、乗客の仙人は怒切に詮明してくれた、﹁大輔をかつぎて行く や大花野﹂.九特大興膵に着く、小部落附近は皇軍の戦跡、我が忠男将士の墓標八ケ朗も並んでゐるのにはそヾろ 感慨に堪へなかつた。十時には江橋に潜き、やがて轍江を渡る、水滴く汽船の旗風に諷へる肛観である。却々の 大河であるが防芹工事とでもなく、自然のまゝに放任され、両岸は全くの断崖をなし、基地形に簡捷せる河岸の 綬丘陵地よりは、苗象化石を療見しだと聞き興味を引く。民屋は清洲級地方と同株土壁蓮華屋根式であるが前地 方に此すると清潔の感に打たれに。十時週番釆に着く.草膀小の山部落、相常の人家が密集して見える、卒発生 第十四谷 第一耽 ︵弄四︶ 五四

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松本艮市君の就職地、串にも目迎へられ、吹騨まで同乗されにので、紆滴事情を聞く事が出来た、此附近は多少

とも耕地を施、大豆、小蓼、高雄の漆を有すと聞けど、まだ′1草原たるを免れてゐない。十二障過自城子︵P? c訂ngふ邑に若く、此魔は蒙古に適香る白混線の分岐鮎で、稗張って居り、民岸は失張b此地方表に見る土壁

迫であるが、組成であり、邦人の滞住も少なかぬものと見へ、赤瓦屋根の伴宅瀞に紳敢も限についた、然し囲闇

は佃煉漠にる草原、飴りの・単層さに睡気を廠す許である。二時頃開通に発く。渡避止等丘威死之地と墨痺鮮かな

慕標に眼を億ます感慨。三時太平川に着く、始めで煉瓦遭の家屋を鼠、従釆の土壁部落と興り、杓都食らしき感

に打仁れに。孜時十五分鄭豪屯に着く、附近には石詐時代の遺跡としで知らる\部将山の小丘陵横はり、梢無趣

味を破つで居り、市術も相常であり、白樺の樹林も各所に見られ、排他も流石に閃け、南満に近きの感を抱かし

ぬるが、蘭絆淡は極く粗放的であ・り未開の状態を推しでゐない。遮河を渡り、やがて西中術に若く、七時頃であ

った。所々恰爾より此虎まで約十時間、喩濱、/轟々恰蘭問と略同叫肝離と忍はれ、両者共に大草原地なれど、前

者に比すればすべてが綺麗で、何となく費達せるの印象を輿えた。

︵ハ︶ 梅 捜 爾 地 方

次に轡々一恰蘭より異安雄を経て、海拉繭に至る鴻洲銀治紙を観る、夜の八時隼に出立したので、興安嶺は夜中

に通過することになり、沿線の風物は不明である。二時五十分頃札蘭屯につき、朝の六時頃眼を静首すと、汽串

は珍らしく谷間を縫ふて下ってゐる。昨日の平原とは興り流宥に山は迫ってゐるが、相攣らすの綬丘陵で樹木と

大興東嶺南側地方の経済地理的間数 ︵五畢︶ 五五

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第十四谷 第 丁渋 ︵鼠六︶ 五六 、 てはなく全くの草山恰む我が莞草山の如く礫濃かに谷間に訂劣のたなびける蜜に莫はしい、唯〓肋の細道を組 む土人の一人二人﹁唯00本花野を通る土人遣﹂。博光風︵P?katu︶を通る、木材町と見え、丸太の騨内に横はれ る、流石は山地、然し何鹿から尿するものかと不審に思はるゝ柑である。故荒木大尉記念碑を涙ながらに辞する と、餓路は大迂曲をなす、乗客も常時を追懐して常に談り合ふ、愈々此鹿で興安嶺を越すのであると。流石の草 原も此魔のみは樹林を見る、白樺、落葉松の閣らしい、然しこゝとても未聞練油紙に糊るが如き密林に比すべく 針仏く、盛夏の候とは云へ伺冬枯力栽分にて寧物さみしい、隊遺を通る◎一九血た年の開通、堅固なる蝿柴的に 築かれてある.八時頃輿安騨に着く、之より灘段丘陵性の草原地となり、九時牛には免渡河に清く。和犬きな町、 象屋は縦糸と興り、山間地だけに木造、恰も北漏遣に見る屯田兵村の感がある。附近の山地は全く無樹の草山で あるが、乗客の紛に依れば沿線は匪賊防備のため伐採し仁もので、現今山本の樹木すら張臆しないが、沿線を隔 るに給ひ密林を有してゐるとの事であり、白樺の木材の油紙に切り附されTゐるのを鼠受け仁。この墟からぼつ く天幕生活者を張施する、蒙古人の生活は始めでの賓とて珍らしく、愈々蒙古に踏み込んだ感に打たれ愉快で あつた。前に見た犬餓をかついで通る土人の数も多く見られ、草原谷には各所隼が放牧され趣を準える。十時十 五分には牙克石に、十仙時囲十分には博克に発、十二時十五分描線備に発した。卒発生石井訳の案内で市術を祀 察したのであるが、町は帝政鰐酉軍陣代のま∼で、霹酉麗式木造礫築物が軒を並べて屠り、相常の町ではあるが 淋しい、海挽歯河の沿岸で附近には段丘隙も起伏してゐるが、何れも檎林なく寒山を呈しでゐる、唯市の北方に

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横はる丘陵上に小輩の松林が眼につく、附道には見られぬ珍現象、案内の石井君も之には特に注意し説明しでく れた。霊此地方森林の可能件を物語るものと有益に眺めた。 ︵ニ︶ 硯 察 地 概 観 以上通過痛の糊察によると、恰繭濱以西の地は興安嶺の両側共に耕地は一般に少く、牧場地哲なすか、然もな が、此鹿に釆て始めて手薄過りの革原を槻少甘からす驚 き、最初は人為的に牧草でも播秩しにものでなかろうか ′ど と考へたのであるが、決して人為的ではぢい、唯優良なる草を得る日的で、秋季柿草を焚く.俗に野火と柄し 批職で、内地では到底見られぬ現象を呈するのみで、全く自然の革原であるとのことである。其の原因は矢張り 気候閲係であろうが攫に不旧議な現象である。夫は兎も角か∼る贋漠たる中原が全部碓草で充たされてゐる事は いかにも不思議であるが、然しこれは決して此魔だけの不思議ではない、すべて未開の地はか∼るもので、夫が 乗仮の紺係で、樹林の密生する魔と、この地方の如く樹木なく雅葦原をなす廃とを生するわけであると考へれば 別に不思議はないわけである、犬よゎも何故に之を利川しないのであろうかと云ふ事の方が忘不思議に思はれ るのである。 然らば此草原は果して利用が酌衆ないのであろうか、勿論気候が冷気に失するため、作物の生育がよくないと か、興安嶺の北側では乾煉に失して是亦植物の生育に適しないとか云ふ理由もあるのであるが、今通過した地方 ︵五七︶ 五七 大興安森南側他力の経済地理的観象

ぐば全部草原地であると申してよい、自分は敬愛に於てよくステップとが串原とか云ふ寄を謁してゐた

のである

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︵五入︶ 五入 第十四番 第 劇 既 の如きは葦原であり、雑帝の成育は寧旺盛であるから、他の作物のみが生育しない理由はなかろうと考へられ、泉 僚は兎も角土壌に至っては植物の生育に不適であるとは考へられない。論より誇掘で、沿線の部落附近には多少 耕作地が開かれて屠り、作物も相常生育し、花も閃き驚をも結んでゐるのである。平轡級の泰釆で、松本長苗許 が此附近は未開ではあるが耕作さへすれば牧穫はあげ得るのである。甥に春水では資金を樹墟し農柴をやらせて ゐるのであるが、仙人の耕作地一笠ハ町歩とし、地主の方で小作人の生計費を負培し、努力だけを供給せしめ、収 穫は之を皆に分数する方淡をとつてゐると云ふてゐたのを吟味すると、矢張り土蛾の作物に不適と云はんよりも 寧ろ努力の不足を物語つでゐる事が知れるのである。侍此地方は大部分が所謂蒙古地帯に属し、充釆原始的な遊 牧地帯であつたのであるが、近時済民族の北進につれ漸く耕作地にならつゝある鷹で、僅々百年乃至百瓦十年釆 ・の事であり、日倫蔑いた一め、耕地は発だ少く、家電人の土着者或は遊牧者が何層任してゐるのであるから、経て 有畜農薬地借は未忘く〓郡分で、大部分は原妬的な遊癌感材たしてゐるのである去はれてゐるが︵路鮎醐硝 緻即断掴硝㌔︶此等怠然芹地として利川し得る土苦る雷物語るものであぇ。果して警とせば、此の土 地資滋が現今の慶未だ遊ばせてあるものと申すことが出水る事となり、之が利用を講やる嬰があると云ふ事に蹄 潜するわけである。 然んかゝる翫漠たる土地資源の存してゐると云ふ事は将来人間の張展上希望のあると云ふ寄であるから、そう 告ぐ必−婁は決しでない、洒洲に於ては耕作郷地は南方から次第に閃蟹せられ、甥に我が移炸地としては牡丹江方

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簡から松花江下流地方等まで行はれてゐると開くが、将来は本地方も閃額さるべき道命にある鷹とたのもしく感 じに。 三 北浦地方の経済資淑

︵ィ︶ 農 産 資 源

然らば本地方は眞に農排地としで利用し得べき土地であろうか、之を文献に捜するに、普通作物の耕作可能雨 畳は二〇呵︵五〇〇粍︶で、此限鼎扱は藩洲に於ては南部は熟河省の凌渥から取北に進み、鄭家屯の酉方、挟傲の 南束を過ぎ、恰繭潤の北西を経て、愛嘩の方に進んでゐるのである。堆て本地城内は桐螢少く降水澄は恰簡横国 二八粍・所々恰廟二〇二托・兢㍑璧附二八鎧で、何れも耕作可能盈た達してゐない︵即断口謁㌍︶故に此地 方は耕作不可能と云ふことになるわけでみる。然し降水壌は少くとも又之に適する作物はないでもなかろうと考 へられるのであり、現に清洲は気候が﹁般に大陳的であり来者の差が大であり、日脚時間多く、卒索乾燥蒸張屋 大なるに反し降水最が少い焉に、水田の如きは不可髄であるが、大意、粟、小変、雫萄黍、高紫の如き、比校的 蔑に耐へ得る作物苦ば栽培し得ると云糸鋸鵠染︶、叉龍江省は清洲中北緯血涙す∵九度 に亙つて屠り、其位置に於て恰も北米加奈陀萌部に相常しでゐる、経て龍江省南部は杢且。北部は小穿の栽増に

警るはすであると云ふて居り︵雛綱領Y警降憲晶ると、沸洲の降釜は蒜に支那至の二分の元

至二分の叫で、龍正常の如き八年平均約正仙○粍で多い方ではない、無雑期間の如きも浦洲では奉天では〓旦0 大輿安嶺南側地方の経済地理的硫爽 へ五九︶ 五九

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日、螢ロセは二〇〇日なるに反し、帆‖繭濱では叫五〇日、寵江省二些ニH、易々渓﹂五〇口内外、札蘭屯、藩洲洩 〓○日内外を示し、北部に至るに従って其の期問は減少してゐる、従て雨滴地方では大京、高梁、粟等の作物以外 に綿花、果樹の如き霜審を受け易い作物も栽増し得るに反し、北端では壊作物は大に局限されるわけであり、結 局番線の如嘉落する抗力の強い作物か或は告期聞の比瞭的短い作物なれば栽増し得るこ﹂に誉︵鯛配銅 謂︶音して居り、何れも仝然耕作不可能とほ申して屈ないのである。否寧比較的乾燥に推し得る作物溜ば 可能であると絶てゐるのである。然し収蛍に至つでは誰が考へでも多魔であるとは考へられない、軍使両税魔の 収益を加古と、日本内地では叫的より平均七百聞の牧樟あるに反し、沸洲では百聞であり、内地では山町歩を以 で盤民の京水警するが薔では約七町歩を必管すると云ふてゐる︵新船開牒︶然れば此地方の如き極く理 想的な好蔑耕地と申す事は勿論不可能ではあるが、然し幾耕地として利川し得る土地であると云ふことは申して も喜支がないと思はれる。 唯注意すべきは之歓利川すべき人間の関係である、此地方の人口を観るに、平轡練磨席地帯の蘭種は囲、川≒八 万平方粁、轡北極地帯の南柏宍、七〇八萬や方粁で、人口は前者は二八九萬人、後者は∴〇八萬人で、人口 密度は〓埋嵩り草癖級○、川二七人、舛北観○、仙六仙人と官、鮮度の稀謝なるを馨らし誓。︵㌍㈹鯛発 糊絹及︶然らばこの地方は人間の屈性は不可能であえであらうか、琴の住民に就て榊療するに、この地方は光 .ンウふィ 釆索軍旗の居住地であり、原始的な農畜柴一ダ僻んでゐたのであるが、常時大典安嶺より轍狂以西には蒙古族、強 節十四巻 第 血 簡 ︵六〇︶ 六〇

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ソングース 花江より長白山泳に至る地域には通嵩斯旗が居住しで屠り、軍帝政は其の影響を受けて懲展し得す↓近時には佳

に所々恰繭を中心とし仁赦江沿岸に居住するのみであつにが、霹酉並の西比利亜紀常に懲り叉其の耶迫を蒙り、

遂に清朝に嵐するに至つた、簡明では速攻防備の必要上此地を屯由兵的機構の妖軍に編入し、此等旗人保護の

篤、浦洲内に於ける天然資淑の開拓を禁七、叉洪人の移民をも禁止しに、然るに放人の弊風としで幾析に親しま

す、遽言二九〇四年︵光紺三十年︶には二阪土地の貸下、資質並に移民の土地所有をも認可するに至り、之より洪

族の移民増加し、現今の開張材見るに至つたのである。甥今傭人口稀薄ではあるが之は漢族移佳許可後日傭湧き

が馬であぇと申すから

︵離酎相卵胡鯛朋蛸内︶㌦しの地方の如き決して人跡屈伏に不讐云ふ事はだのである串が知

れる、然れば労働力が入り込み、人間居住に嫡する保温の設備が完備し、液漑設備も〓粥たねらば蔑桝地として

相皆の収穫を挙げ得るものと考へられ、松本氏の桝作さへすれば収穫をあげ得るが努力が不足で机来ないと云は・

れたのは常を得にことゝ考へた。

それで沿線の可耕地鴎を計算したものを見ると、平舛餓七〇〆、舛北線九六%であつた、其の申眈緋地は平舛

級≡四%、舛北繰言誉誓て皆のであるから

︵潜蒜甜鍼舶銅管馴相︶滞米浦洲の産業開藩計藤の進歩して移

民政策が徹底し、蒙古人の土着等が出来るにつれ、脚氷大に見るべきものがあろうと児はれる。何分にも地勢気

温の関係で耕作物は自ら制限を受くる地方が多いのであるから、純農薬地とならしむことは困難な柴で、大部分

は畜産を主鹿盲する塵取盤地顔は純牧柴地としで利川する方が得策であろうと考へる。︵瑚如鮒産︶ 大興愛蔵南側地方の経済地理的観象 ︵六劇︶ 六一

(14)

第十四懲 第 鵬耽

︵六二︶ 六こ

以上は興安嶺以東の箪でぁるが、以西の地、即ち描線繭を中心とした地方は気候も仙盾酷烈であら楷働力も州

原少くなる為に、例へ夏季の問多少の耕作をなし得るにせよ、嶺東地方の如き望みは考へ難い、海蛍勘の絨路認

局洗毛撤の藤井鋭故に依れば先年某氏が濾拉繭川支流のオイナ川畔で四冒町歩許の農園を経常したが、不幸失敗

に録したとや﹂とであつた、此等は〓埜鱒常淡の不備にもよることであろ,フが、又気候等地規約関係にもよるこ

とであろうと考へられ、之より少し以西になると愈沙漠の性質を教癒し耕作は全然不可能となるのである。故に

硯今では食料‖m即ち小穿の顆は之を輸入に仰いでゐるわけであるから、此地方の如きは従来通り寧ろ牧発砲とし

て蟹達を計った芳が得策であろうと考へる。

然らば本地方の関金は軍膵釆に厳し、大息別途遮速の感を抱かしむるものであるが、か∼る将来性の土地の廣

漠たることは清洲経営上から観れば其の有望を示すものであ畠から、自分共は甥今葡未開張であるからと申して

決して急ぐ必要はないと考へてゐる、飴り早く閑資されることは如何にも結構には相導甘いが、其の反間には又

光れだけ早く人口の飽和を来し将来移民地としての有望さを滅するわけであるから、自分は膵釆牲あるこの土地

の駅摸さを槻察し大に疎隔する次第である0

︵ハ︶ 畜 産 資 漁、

然らば本地方は農耕以外に経済的資源はないであろうか、次に観察すべき関越である。先づ鎗側に考ふべきは

牧畜であろう。牧畜は畠耕に比し敢適督である為に、従来相常に行はれて釆た、沿線各地に於て欣。草・牛など

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の飼養を目撃したのであるが、然しこの方は農耕とは反封に輿安嶺の西側の方が仰隠有望視されるわけである、

鷲興安嶺の西側は束候こそ冷気であるが乾煉で、蒙古人の居住地をなし、古来遊牧に利用し多数の群畜を飼草し

て釆た盛で、この方は嶺射には見ることの出来ない盛況である、家畜には糀顛は多いが、就中馬・学は液之に適

し、経て酪要請壷な畜空誉芝てゐるし︵踊酎川鍋謂朋捕内︶

この牧薬に踊する利川としては鈴叫牧草安東を勘げねばならぬ。この地方は至る應草原であるから之を巧に利

用する時、牧草の天資滋地たることは申すまでもない、現に沿線各所に於て精華の堆積を見たのは之を物語るも

ので、現今扱多く利用されてゐるのはルーサンと柄する筆︵綱脚請綱照︶で、此種子を配付し増警喫拗 ヰゐる。︵雛銅関綱醐窮謂鮎酎納爾︶

家畜では馬○牛○挙が塾げられる、馬は俗に蒙古馬と和するもので、饅馳は飴り大でないが、農秋川として地

方的に使用されてゐる、牛も蒙古牛と稲するもので、露酉亜時代に於ては之が雅趣をつくり飼養したものであ

る、然し慣質は良好でない、餞僧霹人は乳を利川バクーを興し自家用に供しでゐる梓度である。豚も飼養される

が在来種は肉の畳少いのでバークシャ糀︵黒衣︶にかへつ∼あると云ふ事であら、毛は米闊で絨鮭原料として使川

されてゐる。葦も飼蕃されるが之れも森永顧は毛が粁恵で洋服他に適しない、又劇頭よりの毛澄も多くないの

で、輌草根に改良しつゝある。梅独断繊路沈毛廠の藤井氏に依れば、現今蒙古では約二百萬預の緬草を飼聾して

ゐるが、牧草が良・質でない為に毛の蚊は粗悪で、混毛川として利用されてはゐるものゝ、晶慣から申せばせ界中

大典安山領南側地方の経済地理的観象 ︵六三︶ 六三

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弟十四容 罷−渋 ︵六四︶ 六四 でも政劣等品と申すべきである、烈し蒙古人にとつては之が船二の靡薬であるから、叫家族に五首璃を⋮即位とし て飼凄し、水草を追て移動する、叫日に水よユニ里程の瑚を移動する五壊も隔れば孤児がよくないと云はれてゐ げノゾル る、一この移動の道筋は年々暑叫定、醤八月仙日には各移動者は骨珠蘭廟と栴するラマ廟に集る習慣になつでゐ る、廟倉と和し、約二蔵人が集り、同時に市を開き、併せて家運の長久、鮎薗息災を所願し、廟を巡り、非常の 管掌るのである∴鵬耕獅宅︶ り′ラキジ 叉此地方は各桝沼礫に富んでゐるので水禽が農冨である、鶉、雉、山七面鳥なと税額に富み、食用に供し得る もの少からす、雉の如きは二手萬網の収穫があら、殊に英人によりて常要せられ、クリスマス用として多ぐ使用 される、然し濫麓︹讐弊があるので禁撤地を制嘉する計警あると云ふ︵爛桝︶かゝる有様で輿安緒の需でも 牧蕃は勿論、鼻耕ですら奨励の除地があるのであるから、まして山肱以東の他に於ては将来大に開拓、之を利用 するの時期の来るべき理と考へる。

︵ハ︶ 林 産 資 源

然らばこの幾枚以外には特殊の資源はないであろうか、次は森林を観察する要がある。 沿線は至る庭草原で森林を見ない、輿安嶺と錐、絨邁沿線は殆ど全部伐採され純魔な草丘をなし、僕に随遣附 近に於て梢森林らしき感に打たれにのかである。然し此地方は樹木が全然成育しないと云ふのではないらしい、 現に海抜磯田の北に横はる丘陵上には立派な松林が山ケ朗ある、日本での鎮守の森の如き形営農しでゐる、此遮

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、では珍らしい甥象だと案内のポ非常は談てゐたが、之れを観てち樹木は増寒さへすれば成育し得ることは事嘗で あり、甥に沿線以外の興安嶺には森林があり、輿安兼帯並に北省には六十億ぉの蓄的撮があると見械られて居 ら、叉九十億宥内外とも推誉れて管︵綱調㌔本︶位であるが、志不僻のため如川に適しだのである、然 し浦洲に於ける木材の璽妥は仙ケ年初育成有と云ふので命り、今後開城と共に益需要を増すことは明であるに も拘はらす、現今園内の出材は棚ケ年三好戯石内外に過ぎないので.年々多濃密輸入に仰いでゐる有様であるか ら、脾来春山脈の利用は最必要なことゝ誓わけであると云はれでゐる。︵欝相謂謂捕内︶

︵こ、糠 床 資 源

ジャラー丁−.−− 次に鍼躇資源を徹るに、沿線通過の際限にづいにのは札蘭屯のラダウム溜泉である、ラヂウふは放射仲兄素で 古去ノラウムと花崗岩中酸化物として存するものである。≠界では自領コンゴー・北米合衆囲・チエツコ・英普利 .領ナクール打てどが主蕨均であるが本地方に於てこの席のあることほ珍らしいことである。叉悔拉繭附近にはポ次 の跨が雪。翫郵脚豊とし、其の他赦江脛・龍鍼警面に怠菅てゐると開く︵鮒酎相詣謂相打︶、欝 ︰礼賛詳細のは礼賛詐術兼藤と稲し、甥に北浦鋳造で紆常されてみる、丁修問境に潜る満洲里膵の西北四郎の鹿に 正し、露蒜で探誉れて屈り、甘米の農芸し、哩蜜は三億萬讐為られて居h︵附酎師詣譜溝︶、年 川・五萬麗を採掘しで居る、然し家質は禍果に威するもので、燃焼不完全、甘風化し易く貯果にたへない紋鮎が ・ある、然し此附泥では是以外に石果の席がないのであるから.この遼で股に使用せられ、殊に本鞘方には樹林なく 大興安雄南側地方の経済畑線的東森 ︵エハ嵐︺ 六五

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第十四巻 弟 仙 班 ○ハ六︶ 六六 薪材も乏しいのであるから常勢大である。この他ポ油も海粗閥の吸南囲甘受里なる喚安嶺の谷間に相癒されでゐ バコツl ると露人ハフモン氏の報骨に出てゐると云ひ、叉マグネサイユ輩背土鋤︶も抽光跡附近より渡し、七萬範の環額 ・ダ有し、世界産額七十萬海中の仙○〆宮田してゐるとも云はれて居り、砂金の如きも呼倫員癒には其の席を有す ・品く︵誤棚硝細醐︵智慧︶︶かく此地域には禦も各観之を見るのであるが瑛今の慶未妄しい紆源は驚され でゐない。 唯本地方の鍍産資瀬上見逃す審の州衆ないのは天然常連である、細道清線草原中火臼色⊥加地を目撃したのは 盛大然曹連暦であつたので、土壌中に溶解きれてゐる曹連が、関斯から乾期に移る頃、結晶新旧し、同時に厨化 し、白色粉末状と行アり、地上では薄霜の如く打†り、湖沼では結氷面と被督する馬である、かゝる風光は日東内地 一では見られぬ甥象、本地方から蒙古・新盤等乾燥地帯の拍徴である、本鞘方に於ては天然常連の露出は到る魔多 少共之を址ることが出来るのであるが、殊に採集し得る梓度に露出し・でゐるのは左の地方であると梢せられる。 ︵謂瑠露謂鵬蝿鮎古ぃ=ニ七︶ 仙、替々恰繭−安達閑、晋洲級沿線完仰︵小常子騨両方∴○−三〇椚、大連租城鍋・俄克堀鍋︶ 二、轡々恰繭−眺柄轡挑舛根治級仙帯︵景慮願城南方慧○新通海草、眺安︵自蔵す︶辟晰誓 三、眺南−囚祁森㌫聖∵闘批 根源組二帯︵眺南東南方九五粁、ダブスノール・鄭家屯西北方五〇粁班璃山︶ 川、渥拉繭卜癒洲弔問、清洲級二滞

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鵜投射附近では札麿諾繭蓮の席がよく知られ、結氷期に放て、氷の表面並に裏面に附消するのを搾取するのであ る、叉海拉繭市の鮪方二百粁トスシノホルと云ふ虞にも曹娃湖があり、﹁九〇叫年頃より探取年額二千五百逓を 鹿田し、叉酉方スラブヂル†り湖の碧八十六新の題にでも思されてゐる︵錮謂粘︶。採取法は傭小規模であ ・るが、挽近常連工尭の費展に作ひ或要なエ葉資源と云はねばならぬ。 ヘホ︶ 水 成 資 源 次に散るべきは水揮である、本地方には河川多く湖沼も機密であり、河川は盈に輿安嶺に発掘し、水盤富多く ・魚朔に富でゐる、然し往時住民︵蒙古人︶は宗教上漁捷を禁忌する習慣があったので、漁葉は行はれなかったので あるが、蕗酉亜人の侵入と共に之に汁意し、呼蘭湖の水系に於ご漁業を始め、吹で韓族移件の増加と共に厳正に 放ても漁葉は螢達するに至ったのである。経て漁菓として知られるやぅになつたのは最近の事で、蜜に攻撃二十 缶東ぁことゝ考へてゐる、。︵駅詣謂梵︶諸方の糸は響妬品れ真つかしい名種のもので、脚魚東根 ・魚・育種魚・陣頭魚・自浄鉦尾把梢呼起花魚・獲雑魚︵洗浄魚︶なと多数あげられてゐる。解々恰繭附近では滞虔 顔。賠泰子∴ニ家手放愴・虹橋などの漁場が知られ、大懐手川・五〃に亙る解氷期に於て漁獲され、日本内地に比 し原始的な方法で漁摸すると云はれてゐるのであるが、什民の増加キ共に盈嬰なる稀葉と行了るべきふのであるか

ち栗出窓副姜警しで歪の雷撃ることが必警ある。︵酎滞納鮎瑚瓢湖針慄鮨㌍照︶

以上は北浦即ち典安嶺の両側に於ける自然界の状況で、其の天然資源を榊察したものである、要するに本城方 大典繁機関側埠方の播野地理的硯叡 ︵六七︶ 六七

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第十相客 第一躾 へ六人︶ 六八

はこ仮に地形雄大な嬢斜面地で、部分的に軋れば平坦であり、諸所に河川あり、流水比校的攫富であるから、菊況

ほ杓低きの紋鮎はあるが、定率植物の生育に不適でない、且気候関係が礪側によつで異り、西側即ち梅払腑側は

済々恰南側に比してはげしいから、農耕よゎも牧発砲として勝れでゐる感がある、甥今の嘘は佃耕地としての利

川は進んで居ちす、牧場としての利用は農耕に比すれば進んでゐるやうに鼠受められるが、犬とても未だ充分と

ほ見られない﹂森林は全部草原に化して居り、平地には樹木は少しもない、樫山服地に於て幾分森林を存しTゐ .ると聞くが、利用は未だ行はれてゐないし、夫以上横磯的の利川はなされTゐない。念のため本珊方の件質を今 二塚概括的に見れば次の如の苧っに誉∴鱒酎相認諾獅︶

∵甲軒緑地方は鄭家屯を中心とし繭北に分ち得、以南は地味も肝え蓮耕に適し、以北はアルカリ仲土塊で

毘排不適にして牧畜余光の地、殊に緬苧千鳥の増殖に璃す。

て∵曹北粗・納河級地方は⋮般に地味肥沃、畜慮東地として有望。

テンソ ∵濱州線地方は山南地を含み、盤耕地地少きも、概して磯子山以常は嫌味肥え、綾取僚普加、以西ほ鱒敗

基地と和し得、特に馬・羊・酪莱に適す。

四 紆滞資娠利川の甥況

︵ィ︶ 盤

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佃之に次で、作付両統の大きいのは、大審︵享一二%︶泰子︵享二郎︶常客︵二・七郎︶稗チ︵∵三解︶小話︵〇・八九 〆︶なとで、特川作物としては準大麻・帝肺・芝肺・莱煙草も栽増されてゐる、而本省の碓は牌釆利用すべき可抑 未墾地は紙面鴇の五割三分に憩って屠り、魯この眈黎他に対する人口密度も未だ粕であるから、この輌方から観 で、本地方の題意は柴犬に蔓であること嘉することが出兼る。︵駅齢詣︶ 次に牢奔放地方を観るに、其の地兢は明、囲三八千隋で、就中不可耕地は∴三二二千隋、︵三二〆︶可排未墾

然らば本地方は現今如何に利用されてゐるか、蒐づ農耕方面から瑚察する。 龍蕃

の地は其の耐税⋮六・八八九品で︵俺鍼諸\共の小、不可耕地は先∴八草的︵三〇・七〆︶、可耕 未墾地八・九八三千咽︵塾lT仙〆︶、眈聖地は二・八八八†咽で全面租の二十九舛に覚り、更に省内の人口に比す る宣妄閏の墓地は∵ニ充咽で、興安畳姦き†全図十省申では首位に讐てゐる。︵難酎船場菓︶作物は溝

洲の他の地力と同様、大豆・紫∴鱒粟∴薫勾黍・小穿啓で、左表の如き割合で栽増きれてゐる。

大興安嶺南側地力の繹済地理的硯賂 小 嘉 萄 黍 夢 扇 四嵐○、一四〇桐 三八七、七四六晒 こ洞﹂、八二二胴 こ酬四、五三∵桐 二〇三、三九二的 こ斎・〇% 二丁六% 〓ニ。五% 一㌻九% 一一。三% ︵六九︶ 六九

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而可排未耕地は紙面租の四倒六分に且つT居るから籠江省地方と同株、脾釆有望な慮料地たるを失はない。 次に輿安北街並に某省地方・ぜ梱るに、梅拙繭淡色臓の藤井氏に依れば﹂海独繭附近は毎年亙月十日頃になり等 は漸くとけ、土地の利川はこゝに始まり、稀柿なと約∵ケ月間は遵豪は多忙である、主に小穿を栽増するもの で.高砂約二川〇布度の収穫曽得る、⋮祁庇は約諒に常るから扁妙の収穫は二期○閲と云ふこと.にぢる﹂ 然し放漫の少い鹿にありては∵町歩曇十布度乃至ハ十弗鹿和度の庖もある、先年海挽蘭川支流のオイナ河畔で某 第十F叫巷 第 脚 耽 ︵七〇︶ 七〇 地は二、〇五二千附︵刑人ハ%︶、眈糾地は∴○ふハ二千粕で、紙面杭に勤して廿囲%に賞って居り、作物は高洛・莱・大

豊墓・琴筈還の作付面積並に簑菌は左の通りでJぃる。︵難語諸舶離醐讐

陛 豆 小 社 玉粟 高 大 萄 緒 和 琴 殻 黍 梁 豆 作 朋 面 積 岬七八、七二八附 〓八仙、八六三 二ニ〓ニ、〇九〇 一劇嵐、二三〇 一〇五、七一六 こ、〓四九 五〇、八七一 七川二 一、00曇、八七≡ 生 産 高 劇七九、八血九蒐 ニ〓ニ七、四五〇 三四六、二七閃 一四五、二川≡ 九〇、七八八 匹、勤七二 二町八、八二臣− 五ニ︰○ 劇、〇六八、C六五

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放か約囚督町歩の︰農耕を群脅したが、遺憾なホら失敗に節しにのである、.然し之は耕作に過心花いためではなく しで螢働者として溝洲人を佐川したゝめであったとのこ土である。椅土地の利用鳥は梶衆は白州格民に封しでは 恩典はなかつたのであつたが、今は瀾洲農柴同株小火命が州釆、信州糾合も出奔、組合員には各地のll・.拭菜園牒で 援助を受けることも出来るやうになつてゐるから、盛耕は必ゃしも不滅ではないのでぁるが、現今の題では利川 は右の状況であるから、未だ充分であるとは考へられない。小変の如きは本地方に於ては年約川00乾布度の需 嬰があるのであるが、鷲際本地方の帝朝は未だ二〇〇潟布変鮮度に過ぎないから小変粕﹂打○薦布庭、小答粉〃 ○乾布度は之督愉入にあほいでゐる有杖であり、 菜 高 ︵ロ︶ 牧 次に本地方の牧畜業の現況を観るに、本地方に放ける家畜は隼・里・軍学山羊並に豚等で、其S餉葦数は左の 通りとならてゐる。︵鯛酎相卵謂朋相内︶ 家 畜 飼 葦 数 ︵昭利十∴年︶ 瀧 江 訝 興 安 東 者 興 安 西 者 大典安嶺南側地方の経済地理的偶数 牛 丸四、ニ竜 六、竺九 ニ○誓先四 一 五 ヽ 空 ス惑 駿 1=> ノヽ ⊂⊃ 羊り 山羊 一望﹂天志 望七 完三、豊四 庶 宍﹁窒︵ 六、︵莞 琵、七莞 ︵七こ▼ ふ二

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これに依って宛名と、鞄江省地方では豚以外には鞘が故多く、緬羊、牛、兢、磯の如きは極めで少く、役畜と

して濱牛・轡願文n御しでも純情匹敵のこ芽のこしか寓てゎない、造本地方は運輸械紺及良耕役畜としての馬 次に琴餉警る家畜敦の家畜組数に撃る割合晶ると、警衛に警は︵醐鮒諸鐙牒五︶家諮蛋は九六

九、・パ、〇九肇家禽八二二、川叫七朋で、一基の割合は先の如くなつてゐる。

興 安 岡 者 九慧毛 萱、八ス 団、ニ00 之を土地面魯に比較して見ると、二千附常り家畜頭数は先の如くになる。 鶴 駐 陳 平 興 安 筒 音 邦 安 北 者 興 安 西 者 興 安 東 者 龍 江 者 均 常十Pq巻 郡 山 駅 興 安 北 甘 壷、八〇〇 二窒、○芸 四六●○% 四・.九% 八ニ㌃六% 土地面積へ千附︶ 〓﹁五五三 一〇、六七八 六、四〓八 〟六、〇三九 七、t〓ニ七 鴨 =羊・ヤ 八ノ八 七 四 ○ 九 牛 ● ● ● ● ● ● −・四(つ 九 九 四 七・≡% 四”九% 〓ニ・八% 喝 〓七・六 〇。八 三・七 七・四 山・九 九・≡ 腰 ≡。五 驚・耀 馬 八〓、ニ宕 八三、買∧ ニ 四 ニ ● ● ● 義 一・・六 〆 % % ・山 押・八 千・一 一入・九 四≡・六 一二・七 一し、・二 ︵七〓︶ 七〓 宍岬 六一、買○

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聖霊蔓竃た的であるが、興安川覇ホは反て豚や篤は搬少して羊が政多くト芝に次でゐる二鵬酎錮詣︶警

選別にして望七、平均比率は表蜜の役畜は三重Ⅲ畜は二・〇頭、塞は寺山朋、雷管内議衣

箇耕作面警比べると、警用畜及家禽の檜殖を必誉するのみで守、捷民生活の向上に作ふ自然増緋の趨勢

にある琴特にこの纂は必苦ことであると考へられると云ふて篭︵駅甜㌶︶。して望とこの地方の家

畜の利刷も佃樹氷を杓たねばならぬ。

然し藩洲の方では産業吾年計薮芳ども考へられ既に寵施に入り、織路局完でも滑緑地誓宕薮施し警

戒灘を蓼げつ∼ある状態であり、寄席に関しては兜づ沿線は草讐ある関係上、之を利川して牧革華麗の屈癒着 牧草中ルーサンを選びて、之が組子を配付し栽増指導をなして居り、昭利十=隼には∵関川正妃の挿す

り、

計配布し、七宝二サ歩芯柑せし更と云はれてゐる。︵糟露語棚蒔︶

又清純地に糀轟を貸付、之を奨励してゐる、踵讃貸付頭数を梱ると左の通になつてゐ一る。

牛 豚 同 同 紙 火興家禄南側地方の経済地理的祓療 羊 へメリノー種︶ ︵改良種︶ ︵布宛種︶ ︵バークシャ種︶ ︵乳 牛︶ 牝 牡 牝 同 牡 性 二五 二四 山、四九五 昭和八年 十 年 九 年 山○ 二l 四三〇 劇〇九 四八 脚〇二 二、二七七 一九五 ≡○ 十〟年 一四二 こ、六〓〇 八九

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傭之が喚励の成兼を型ぐるため、各観の施設が鬼されてゐる。即ち濱洲練では 富披繭基股乳製造所、富拉繭基に起き、馬及乳牛を飼暮し、燭乳、牛乳を以て、特殊酸乳を袈し、結核冶疲に 供する他、畜産改良奨励櫻闘としで利別しでゐる昭和十年に北飽から接収した機関である。 札羅木得細羊改良場一滴洲国衆政部の管理する魔で、昭利十年に開設せられた。 梅拉爾蝕馬場、海蝕劇にあり、唱和九年の開設で清洲固軍政部周政局の管理である。 庵挽爾汝毛臓、海投射に蘇り、械路属の経費。 卒研換地方では 白城チ観畜場、白城チに在り、唱和九年の開穀で、メリノー種並改良種緬挙及バークシャ柏應の滞殖甘成、配 貸付、飼育指導をなす機関で、織路属の管理である。 押木常子牛馬試験場、昭和九年の開設で、公主嶺蟄事就職1場の分場で、畜薬部の管理に厳し、牢轡触より分岐 頭首房濾紙蕊爺臓北方に位す、馬匹及讃乎の改良課騒を行ふ。 同 同 同 一同 第十四容 第一畢 ︵同 ︵鹿角輔︶ ︵在 粛〓讐 ︵ホルスタイン楳︶ 牝 牡 牡 牝 ︵七四︶ 七四 酬〇 八 一二〇

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‡爺廟紬軍政良場、白濃緑‡爺廟に祈り、由利十年S開設で、各種緬羊の春殖育成横錮で凍り、浦洲闘蒙傲部 の管理である。 此等の基礎的横勘が設足せられ、所帯稀葉上の計許が賓馳せられてゐるのであるが、其の他に、或は畜床の品 評薗を開催して之が壁掛に致するとか、或は貸付桃畜、獣疫預防鉦射施行、畜産講習合の開催、析畜場親祭圃の 衛施、摘草組合、酪蓮如合の助成、生稀物の加工壁拗及墾封斡旋等をも行って揮発の閑静に執ホしrゐるので ある。 ︵ハ︶ 商 工 柴 及 鍛 栄 次に商工業に封する施設状況を細るに、産柴資泌上から削つと、本地域は轡北・平群桁級は農紫地域、濱洲治 級・姐ハ安嶺地域は林蔵地域、海拉繭を鶴心とする呼倫只閻は畜産地域となることは眈述の通りであるが、殊に舛 北沿線地は北浦の穀倉と和せられ、翻幾多の禾聖地もあり、開拓者の来任を縛っでゐる状態ではあるが、その産、 出する農業品は今の廃品質葡低劣の嫌があり、商業上から観察する特大に注意すべき鮎だと考へられて居り、呼 倫貝瀾の羊毛資源の如きも、海挽繭に集散し、満洲第仙の学童療地政なしてはゐるが、其の半モたる概して品質 に於丁劣り、何等規格統丁もなければ、検査制度もないので、商工業上から棚れば、将来大に研究を要する城を 脱してゐないことになる。かく本地方の産品は商工柴上より搬れば翻改良の急務たるを感するものであるが、然 しこの藩洲に於ける特産品は牧畜業家農業家にとつでは其の生活決定標準となるものであり、其地方粁務の中心 大興安壷両側地力の経済地理的祀森 ︵七五︶ 七五

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第十四巻 劣 ㌦ 班 ︵七六︶ 七六 となるものであるから、この粘度‖m庄川の滑慮は輸葉上には液貴史な帥係を有する、例へば溝洲に於ける先年の 水果・匪鍋のため幾家は頚迫に陥り、叉勅産物上に於ける惨批、殊に盤蕨物中の貴なる大意の捌口数小となつた ため農民は疾弊の極に達し、購蛮力減少し、本地方の商業は不況に隋王のである。然るに唱和十年庶に於ては大 富Ⅵ需贋増大、殊に浦職場商協定の埜丑にょり特漆刑場の昂騰を米レ、結果商況は紆晒したと報ぜられでゐるや ぅでめる.。然れば、林学高率資源の閃磯に伴ひ、賂東商業の教連も預渕することが出来ると考へられて桝り、 叉邦商の方も事歩後排日賛歌がなくなり、奥地への交通も便利になり、叉討離により治安も快復し邦人も激檜し たので、考革翠郡市並に新線建設地方に躍進しで番柴を掘張するやうになつたと云はれでぁる。 ︵掴‰珊瑚謂謂謂︶ 次に工業方面を観るに、本地方は琴寧林産の資源に富むでゐるが、工業に或要な燃利並に用水の軌乏と住民 が稀薄である為に工業の黎蓮を阻帯することが多い。愚廃物を原料とする凝粉・製油・軍備工柴等は各所に行はれ てゐるが未だ地方的の牲質を況してゐない、其の他には窒素・獣毛加工・製材・燐寸・製紙・不敵等のエ紫もあるが 何れも小規模であると云ほれTゐる。 次に焼栗を観るに、之は眈に述べた如く確執劇附近の札密謀繭の果痴があるに止まるが、これとても摘果であ って風化し易く瑛今地方では唯⋮の燃料としで佼川はしでゐるが、弄したるものとは考へられない。 本地方に於ける資淑利州の現状を諮報告零に迂トて陶然すると宥のやうであり、未だ充分の利用に到塗してゐ

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ない。′賂東谷利川すべき桝なることを示しでゐる。 五.琴南資淑利・甲¢称泰 然らば本地ガの脾豪は如何であろうか、﹁舛々恰肘錬路局産業S現在及牌釆﹂には本地カのi−脾粟に射しで〃の如 く考察してゐる。本地の大部分を占めてゐる干轡級沿線並に西北緑酒珠の後背地は紙面精に射し、草弊紙地方は .型ハ〆西北紬地方は八五㌔の未墾地を有して居り、農業地として婿釆に向て有誓なるこ美菜してゐるもので、 娩に舛北緑地芳わ如きは土地も肥え有望である。然し本地方の出発は之を商満州地方の出 撃“比べたならば素よ れ不利な自然的保件下にあるLとは轟貨である、夫にも拘はらす、殊に甥今農相節酒の逼迫せる時代に於て、然 rも半開化的な親政的幾菜淡.によつて、∵九五、七八〇附を耕作して、∴て〇二二、囲六延の年率哲旧してゐる と云はれ、庸紆年度と封比した統計晶ると︵禦如諸朋齢︶昭利十〓サ度に於ては耕作面租は昭和十年警比 し、⋮00、九hハ三隅、生産高は⋮川、七三七庇の増加を示してゐる、然し耕作面積の増加に刺する生席高のこの 噛加は寧寡少である。一 千裕∵滞組後背地 作 付 薗 穣 普 通 作 物 大興安嶺南側地力の鱒潜地租的澗療 昭利十 融 年 劇﹂〇六二、四四七阿 九入三∵嵐八 昭 利 十 年 一、∩二〇、○ニ二階 九三〇、七三七 堵 戒 ︵十︶ 五二、、蝕﹂大隅 ︵+︶ 五〓、川ニー ︵七七︶ 七七

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盤唱和十毒度に於ける草霊に雷多過の賛で、奔北銀治級後背地の減収に去ものである去はれてゐて

︵相即菜摘描錮調薬︶かく本地方は凝牒件が不利であ巨、増加率はたとへ少いに㌻淋毒連S仰向箋

てゐることは充分に之を娯せることが椚来るのである。

将来に於ては如何に焚展せしめ得るであろうか、この粁滞資源を閃輩する焉に、将来に於ては本地方にも本邦

人Ⅵ豊栄移民が強調せられイ尻り、我が困の授産に依り満洲金牌で、本邦より二十ケ年間に約葺萬戸の農業移民

が計産寒行されてゐると云ふことであり、其の中本地方は尭づ十ケ年間に於て約二十萬戸牧零し得ると看倣して

大過は⋮軋■へられて登︵断ハ醐綱詔銅撃庸邦人以外に北藩血方の人間も釣十讐位は糞移民政雄

め結魂入植するであろうから、・十ケ年後には本地方の移民は約二十濁声となるわけであり、禦去地方に於ける

作 付 画 境 普 通 作 物 工国勢作物 鍵 塵 高 生 産 高 工園蟄作物 弟十四番 発 則 餌

奔北沿線後背地

七九、∴八九 ∴〇六八、〇六丘囁 昭和.十 叫 年 九四六、九二七隔 へこ四、二六五 一こ〓、六六こ 九五四、四〇岬檻 昭 和 十 年 八九八、≡八〇隔 七六二、こ九≡ 一ニ〓ハ、〇八七 ﹁○仙 ∴ニニ三ハ檻 七九、二九四 九九六、曇九三低 檜 滅 ︵十︶ 四八、諷四七隋 ︵+︶ 荒∴九七〓▲ ︵州し 〓ニ、四こ五 ︵こ 五⊥ハ、九三亙砥 へこ ︵七八︶ 七八 九 ︵十︶七叫八、六七二聴

(31)

﹂戸首耕作面稲は即六・附で、一階常の平均鱒華ざ十︷五癒とすると、十ケ年後には本地方の作付面観け昭和十 仙年の二、0〇九、三七閥陪、蟹澤高二、二二∵両天夫壷よb昭和廿二年には作付衝撃ニ、三八九、ニ石川阿、生産 歳三、八九七、七八〇放と載り∵結房作付郵税に於r⋮、三八〇、○ハ︶0階︵六九解︶、坐席高に於て∵七七五、三一 班聡︵人側%しの増加となる理であるが、細線画稗に勤して所謂ページン、ゾイルは六、∵バ三、五五二階︵反意%︶ を残して居ることゝなるのであるから、この地方の開後は前途遼濠であり、賂塞有望であることを察せしめるの ゼあるこ糟ハ鐸詔棚許婚︶ ▼次に本地方の畜産の将釆に就ては次の如く預想されてゐる、即ち浦洲問鮪〓二空席柴斎ケ年計貰は車にも葦樺の 睦碍もなく、略簡期の成果を得たので、引つゞき箪哀五ケ年計灘も着手され、寄席に於Tは其の仲質上帯仙次 鱒二次期問に於ては基礎的工作︵改良種畜の配給機構及指導機関の賠備、獣疫等封筒等︶に金力を集注することに なり、従て農産に比べると、其の増殖に於て多少不敬達の感を免れなかったのであるが、基礎的工作は略完成に 近き蓬に進捗したので、第二次計蒜完了の昭和≠こ年︵旋律十三年︶唄に於ては政治耗鱒浦方面に於ける外的環境 の有利な展開と第二次五ケ年計姦の飛躇とによつて、海拉繭市場を中心とする濱州銀地方は本城方のみでなく、 金浦洲に於ける畜産の中枢となるであろうと考へられ、其の碓設に於ても靡徳八年設立の満洲餌立畜産詮癒場呼 倫貝爾文場︵渉扱繭︶は畜産に閲する試験、特に摘草・馬面丁畜牛S改良課翰を主とし、叉酪農・牧野の改良等に関 する試験を行ふやうに打サり、康徳二年設立の濱洲蛾乳株式禽配意叩々棋︶は蛾乳製造以外にも活動し、三河地方に 大輿妥嶺南側地力の擁替地現的憫察 ︵七九︶ 七九

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的壷達し得るであろうと考へられてゐる。︵財

尚林柴に裁ては本地方は﹂帯の草原で洲本の槻木すらないのであるから、槻林の本地方に於て必要な番は申す

までむないことである、織路局の方でも自給南賂の立場より階梯間接に椴樹造林を嘩撤して居卜、微細往事のや

第十西巻 第∵野

︵八〇︶ 八〇 も土場を廊てこと∼打†り、靡穂十年の設立で、減織の経常たる恰蘭怪獣肉加工桝舛々恰爾工場は各種獣肉の加エ

空相等を行ひ﹁靡穂二年の設立、浦織塘路局の経費たる海抜繭洗モ廠は大場張を得竺呼倫貝商学毛の洗毛並に

プレツ言等外、外豪の開放により其の機能を凍太することゝ打でり、鹿徳六年の設立、減織の辟螢たる模範牧

瘍︵横洲線恰宜︶は乳牛・獅羊を主とせる牧場なるが、進で経常の指針を示すと共に、相葉者の進刑を誘導する

ことゝなり﹂又厳徳五年の設立で、沿線酔幾業者の細繊する海抜射酪幾組合聯合脅では酪農工堀を森座し、バ一夕

ー・チーズを袈し.又柵合の金報を司ること1なるであろう、かく畜産機構が具備ずると北へに出席方面に於て訂

北累線方面に於ける薬園鹿戌や平苧濱洲補級の自由農民の増加により、未耕地の約五十勿は開吏せられ、文豪

地に於ける蒙政部め計聾の結果蒙人の土帝巣故に従事する者を増し、其の結兼特産晶の出廻わも増大するであろ

ぅし、叉小奔・馬鈴薯の慮胡が増加し稗々恰廟に於ける製粉並に酒精工場等が張達するであろう、叉愉途方両に

︰於ても餓邁新線の開通と外蒙の開放とにより、大軍方面から海拙繭にも出廻る緬芋牛・唱等の既報準ど妬め、学

事毛隼皮革顛の数患が檜加し、洗毛簸で取扱ふ羊毛のみでも四千庇に達し、殊に其の囲○宛は改良蔓で、殆ど

自本内地に仕向らる、状態になるであろう、経て海挽繭の市場め如きは優に極東に放ける畜揮集散地として彿弗

々喰簡裁路局管内ノ 染ノ現在及贈釆 ﹂

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乙ノではあるが、〓翠千里の革原を数行する放客の我愁を慰むる符砂十月は従弟員の保健・衛生上の山助としで各

姑に練蔭用観賞用各種樹木花草敏枝栽せしめてゐる、此等は自分の汽串旗行中乱撃し㌍魔である。.叉鋳造附近に

ある愛護村、自警村等に封しては各種農薬施設と伴っで跡地防風林、恕数林の造成ぉ目的としで年々多盈の樹苗

を無償配付しでゐる、唱和九年以降三ケ年程の問にドロノキ・カラマツ・ヤナギ等五十二萬本飴を配付し、住民

に植樹の数果を知らしめてゐるが、成績は良好であり、住民の植樹観念は盛になりつゝふγりと云はれてゐる。

︵贈蒜謂購鯛鮒震︶叉従来は本地方の慧は薪炭材晶成せんとの考が亨﹁たから仕方がない﹂去ふ藩洲

︼流の考で居たのであるが、如何な清洲の遊民でも薪の豆穀より燃料として優良なる程度の寄は知てゐるのであ

るから、この薪の優良性を利用して奨励しにならば、農村に於ける薪淡林造成は比較的簡革に賓現し得るものと

考へられて居り、叉防風林の如きも巌怒な魔柴淡の嘗施は現今の清洲円盤村の嘗怖から見て困難と考へられj

が、比較的自由な施薬を営み得る薪洪林を粂ねた防風林の造成ならば意外に成功し得るであろうと考へられてゐ

る。︵網霜即諾銅誓攣飼琵箇月では此等の急林彗の蒙の忘、警喩響始め自警・驚・四千衛

等に苗固を設け言年五十萬本内外の山出し樹苗の養成に努力して居り、輿安嶺山脈地相の国有地の貸付を受

け、又断種行政舵と共に共同してカラマツ・ドロノキ等有用械の造林を行か、叉異聞土地所有者申の希望者を基

て之と共同莞姦魔に賀しでゐるのである。︵細論鯛譜鯛謂空 大興安嶺爾側地方の経済地理的滴賂 ︵八一︶ 八−

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・以上醜く概要ではあるが、自分の沌察により大典安嶺を坤心と躇等親西弼側地芳の地額約性質登経済資源の如 何なる窟のかを観察し、凝にこの地理的性質上経済資濾と脅現今如何なる緯度短軸用もでゐ渇か患硯察し汽ので ある一が、自分の視察によれば本地方は気候が蹄烈であり人淘の盈綺忠にほ困難が多い土と、渾に凝研㍍於でも他 の地方に比すると自然的制限を受くるこ′とが多く不利な條礫にあ名産苓ふことを知たヽ枚に現今の鹿ば侍侠民も 少ぐ土地の利用も未だ充分に出.釆てゐない、日然の草原のまゝr替ちれて車券嫁態であぁが鵠然も如何ほ由 然的制限を受くるにせよ、文夫れ相首の利用の遣はないので.はな▲㌍や盛研樗於で嬢葦の璃然條件粍替る小蓼、 大豆等の耕作も考へられ∴殊に高度に於ては反て通常で、′幣・J義郎撃む有畢であ醗≠ノ殊に率の鮒軒・暗好噂であ 各と考へられ、練達に於ては調査不完全のためか、 自然に露出す為天然常連の利用は本地方の癖穏天興とし︽利用⋮の宴があり、ノ林産の如きも現に無痛きれあ・革興 安嶺の森林砂利肝を始め、遮林の道を講やるならば将来有望なる木材産地となることも考†られる1縫で本地カ は今日こそは未だ仝く未開の原始横路ではあるが、席末に於㌣ほ輝臍羞必ずしを紫づ︰ペき魔でなけこ︰とが祭せら れ、日清支捉携の今日、邦人の移住地として将埜あ方面にむ留意せぼ俊ば多紫野移横を速腎得べ養禦災題額ほ 於ても小変∵大壷面免め益々之が利用を計り′、殊拉羊毛¢動賢ぼ蓑に遭が認厳密評斬我が財草亀押勝砂賓ほ侠ず 帯ザ由各∵∴琴∴﹁ぬ 穴 結 ︵土八︶ 入こ

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ることば敢重要なること∼考へられる、甥に北浦羊毛の中心市場である海挽蘭では緬学殖崖愈を緒撤し之が開署 に熱中して㌢、︵詑謂蛸謂鮒測︶而之に閥保せる梅拉爾洗蒜紛井鋭既によれば、本地葦毛は琴の魔 智UH質劣等であり、日本に供給するの慣依を有しでゐないけ の見込があると云ふことで、既に梅儲緬学殖産倉ヰケ年計毒見別納監警朋宗︶晋作製して居る㌢ あるから、脾釆に於ては必す有望なる供給地としで教法するであろうと考へられる。然しかゝる土地の利用は之 を土着の住民に委して置いたのでは到底達成し得べきでない、これは過言かも知れないけれども目撃する塵によ れば地方の住民は未だ未開であるから、是非とも邦人の出馬之を指導するに非れば相互に有利な開畿は出来ない と考へられる、この鮎よりしても将来邦人の進で彼地に移住し指導以て資泌の開軍に苦らねばならぬ、かくなれ ばこの鯉限の荒地も自然に開蟄され相互に利を得るに至らん、早く日清支の提携成り、此等閑替の達成せられん ことを望む次綿である、然しこの開戦は決して仙朝叫夕の柴ではない、誠に長期建設である、吾人は宜しくこゝ に留意萬嫌を排して之が建設に遇進すべく努力しなければならぬの感を深くする次第である。 大興筆根雨側地溝の経済地理的戒賂 ︵八三︶ 八三

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