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ハーフェズ詩注解(6)

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ハーフェズ詩注解(6)

佐々木 あや乃

はじめに 1. ガザル 297 2. 第 5 ベイトをめぐる議論 おわりに はじめに

14 世紀のイラン南部シーラーズに生を享けた詩聖ハーフェズ(

ִ

Hāfeż Shirāzi; Shams al-Din Mu∆ammad ibn Mu∆ammad1), 1326?-90 頃)の遺した詩作品は、ペルシア語文化圏において、永く 読み継がれ、いまもなお数多の人々の記憶に留まり、日常生活を送るうえでの精神的拠りどこ ろとなっている。9 世紀以来 15 世紀までのペルシア古典文学史においても、ハーフェズの作品 は異彩を放ち、詩人も作品も別格として扱われ、イラン人にとってコーランに次ぐ聖なる精神 的地位を占めてきた。詩的言語をちりばめ、言語のもつ音楽性という魅力を存分に披露するこ とに成功しただけでなく、ハーフェズはペルシア語の単語がもつ意味の重層性(’īhām)を最大 限に生かすことによって、「ハーフェズ・ワンダーランド」ともいうべき、人間の心・熱情が支 配する自由な世界を読者に提供し続けているのである。 しかし、ここで「ワンダーランド」と称したのは、夢に溢れたファンタジーの世界という意 味合いではない。彼の編み出した言語表現は、ペルシア語話者にとってあまり馴染みのない一 種新鮮な言い回し2)であったり、読者のおかれた状況により幾通りにも解釈可能な語句の選定 であったりする。またあまりにも耳に心地よい響きやリズムを呈するため、その作品に親しん だ者誰もが、まさに「不思議」としか言い表せないような感覚に捉われてしまうのである。 それゆえ、ハーフェズの時代から大きな変化のみられない「ペルシア語」が公用語であるに もかかわらず、現代イラン人にとってハーフェズの作品は難解であり、これまで数多の解釈や 注釈が出版されてきた。1つの詩全体ではなく、その作品の中のわずか1行(ベイト)または 1フレーズをめぐり、研究者たちが論争を繰り広げてきたというハーフェズ詩研究の特徴的伝 統が存在するのである。2001 年にイランで『パルデ・イェ・ゴルリーズ(parde-ye golrμz)』と

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題された「ハーフェズの言辞におけるテーマの反復」をとりあげた研究が著されたのも、こう した研究動向が続いている証である3) 実は、この研究書のタイトル「パルデ・イェ・ゴルリーズ」は、あるハーフェズ詩で用いら れたハーフェズ特有のフレーズであり、多くの文人たちがこの一節乃至はこの一節が含まれる ベイトに込められたハーフェズの意図を理解しようと努めてきた。 そこで、本論考では、この句が含まれているガザル(抒情詩)297 をとりあげ、問題とされ るベイトを詳察することにより、ハーフェズの真意を探っていきたい。 1. ガザル 297 まず、筆者の試訳とペルシア語の音の転写を挙げておこう4)。古典詩はアラビア詩もペルシ ア詩も、1 行が 2 つの句(メスラー)から構成される形式をもつため、訳と転写でもその形式 を踏襲することとした。 1-愛しい人の香りをかぎ、再会のしるしたる稲妻を見た おお、北からそよ吹く風よ、さあ、その香りにわが身を捧げん shamamtu raw∆a widādin wa shimtu barqa wi≠āl

biyā ke bū-ye torā mīram ey nasīm-e shomāl

2-かの人の駱駝を歌で追う者よ、歩みをとめ、降りよ

恋人の美に焦がれ、ただ待つことなどできはせぬ ’a∆ādiyan bijimālil-∆abībi qif wanzil

ke nīst ≠abr-e jamīlam ze eshtiyāq-e jamāl

3-再会の日が 帳とばりをあげたことに感謝し

別離の夜の話はやめるがよい ∆ekāyat-ē shab-e hejrān forū gozāshte beh

be shokr-e ’ānke barafkand parde rūz-e ve≠āl

4-かの人が和解を望み、弁解を求めるなら

いつでも恋人の番人の非情など赦せるというもの cho yār bar sar-e ≠ol∆ ast o ‘ozr mī-ªalabad

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5-おいで、私は目の七層の小花模様の 帳とばりを 想像の仕事場の装飾

か ざ り

にした biyā ke parde-ye golrīz-e haft khāne-ye chashm

keshīde’īm be ta∆rīr-e kārgāh-e khiyāl

6-寂しい心に想うはそなたの唇だけ

誰も、私のように手の届かぬ像を求めぬように bejoz khiyāl-e dahān-ē to nist dar del-e tang

ke kas mabād cho man dar pey-ē khiyāl-e ma∆āl

7-愛しい人を思い、苦悩するのは当然

誰も本気で自分の命を失くして寂しいとは思わぬもの malāl-e ma≠la∆ati mī-namāyam az jānān

ke kas be jed nanamāyad ze jān-e khīsh malāl

8-哀れなハーフィズはそなたを思い続けて命を落としたが

わが墓を通るがよい、わが血はそなたを赦すから qatīl-e ‘eshq-e to shod ∆āfeż-ē gharīb valī

be khāk-e mā gozarī kon ke khūn-e māt ∆alāl

ハーフェズのガザルを音読したり耳で聞いたりする際にたいへん重要な「韻律」について、 ここで簡単に触れておきたい。短音節を◡、長音節を—で表すと、このガザルの韻律を以下の ように記すことができる。 ◡ — ◡ — /◡ ◡ — — /◡ — ◡ — /◡ ◡ — (読む方向 ⇒) これは、モジュタスというグループに属した韻律5)で、アラビア詩、ペルシア詩ともに、頻繁に 用いられてきた。短音節を 1 拍、長音節を倍の 2 拍と数えると、6 拍子が 2 度反復されるa-b-a-b’ 形式とみなすことができ、身体が思わず左右にゆったりと揺れるようなリズムである。 では、このリズムも念頭におきつつ、第 1 ベイトから順を追って解説していこう。

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第 1 ベイト: この作品は開句と第2ベイトの前半はアラビア語でうたわれている。ペルシア詩では、半句 または行全体をアラビア語で語る手法を「二国語による詩(molamma‘)」6)と呼び、これはイス ラーム期以降のペルシア詩におけるレトリックの1つ―詩人のアラビア詩精通の証となる技法 ―であることは言を俟たない。しかし、韻律にしたがって声に出して詠むと、「ペルシア語」で はなく「アラビア語」という違和感をおぼえることはほとんどない。まるで一種のマジックで ある。これが、このレトリックをハーフェズが好んで用いる理由の1つであるのかもしれない。

また、このベイトに多用されているsh と s の音(shamamtu, shimtu, wi≠āl, nasīm, shomāl)は、 吹き来るそよ風の音を再現したかのように美しく耳に残る。詩人が、shamamtu(「においをか ぐ」という動詞shamm の 1 人称過去形)と、shimtu(「見る、特に遠くから稲妻を見る7)、稲妻 や雷鳴を見聞きしどこから雨が降ってくるのか見上げる8)という動詞shaym の 1 人称過去形) という、人間の五感を表す、類似した音の動詞を並べたことにより、聞き手の想像力は存分に くすぐられる。 第 1 ベイト全体は、次のように説明できよう。 北からそよぎくる風が愛しい人の香りをのせてきた。空には稲妻が見える。この稲妻はき っとじきにあの人に会えるというしるし。さあ、あの人の住む小径から立った、やさしくさ わやかな北風よ、さあ、吹き来るがよい、この命をお前の香りに捧げよう。 愛しい人から匂い立つ香り、雷鳴と稲妻というモチーフから、心がわきたつ春の到来が連想さ れる、詩の幕開けである。 第 2 ベイト: 第 1 ベイトに続き、第 2 ベイトにも「二国語による詩(molamma‘)」の技法が用いられてい る。 このベイトで、ハーフェズは音の効果を狙ったのであろう、jimāl「駱駝」の複数形と jamīl 「美しい、良い」、jamāl「美」という、同じ語源 j-m-l を持つ 3 語が用いられている。とりわけ

jimāl と jamāl はアラビア文字では全く同一の綴りであり、これは「同綴異義語」(jenās/tajnis)

と呼ばれるレトリックの手法の 1 つである9)

第 1 メスラーの∆ādī とは、タフリール唱法という、声を転がすヴィブラートのような歌い方 で歌いながら駱駝に歩を進めさせる人をさす。中東地域で古来より最も活躍してきた移動手段 は駱駝だったため、駱駝追いの姿もその歌声も日常の風景の 1 コマにすぎない。愛しい人を乗

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せた駱駝を歩ませる駱駝追いの節回しのついた、哀愁を帯びた歌声を聴いて、「進むな、歩みを 止めよ、歌うな」と詩人は駱駝追いに呼びかけるのである。 第2 メスラーの≠abr-e jamīl は直訳すると「忍耐の善」となり、聖典コーランのヨセフ章に由 来する「不平や不満を一切含まない辛抱」10)のことである。つまり「いまさらどれほど文句を 言っても事態は好転しない。取り返しのつかない不幸や試練に対しては、ただひたすらじっと 耐えることが肝心」という意味である。第 2 メスラー全体では、この「忍耐の善」を否定した 表現(nīst)であるため、「私にはじっと耐えることは無理」と告白していることになる。何を 辛抱するのか。それは「美への熱望(eshtiyāq-e jamāl)」すなわち愛しい人に会いたいという熱 い恋心である。 第 1 ベイトの明るい色調から一転して、熱い思いに胸を焦がし思い悩む詩人の姿が思い浮か ぶ。 風の運んできた愛しい人の香りをかぎ、再会の期待に胸躍らせていたのに、聞きなれてい るはずの駱駝追いの哀愁を帯びた歌声が遠ざかっていくのを耳にすると、それがあの人を乗 せた駱駝に思えてくる。歌声はなぜか一層胸に沁み、さきほどまで再会を期待した愛しい人 にも二度と会えないのではないかという不安が心をよぎる。頼む、行かないでおくれ。そう 叫んで駱駝追いを呼び止め、駱駝から引きずり降ろしたくなる。ああ、もう私には愛しい人 との別れに耐える気力など残っていないのだ。 第 3 ベイト: ベイトの最後の語 ve≠āl には「再会、恋人と結ばれること」の意味がある。これと真逆の語 が第 1 メスラーにあるhejrān「別離」であり、この 2 語は恋愛を主たるテーマとするペルシア のガザルでは頻繁に登場する。また、このベイトでは他にも対義語であるshab「夜」と rūz「昼」 が用いられている。 parde という語は、「ヴェールや覆い」「カーテン、幕、帳」「(演劇等での)一幕」「見聞きす る時にそれを妨げるもの(比喩的に用いる)」「(身体の)膜」「音階、旋律、調べ」「ハーレム」 「謙虚さ」11) 等、実に多岐にわたる意味をもつため、「イーハーム(=各語のもつ意味の重層 性)」を生かした詩作に長けていたハーフェズが、好んで使用した語の 1 つである。第 5 ベイト にもこの語は登場する。 ここでは、「いつ会えるとも知れなかった恋人との再会の日、すなわち恋人と結ばれる日が parde を打ち捨てた」と表現されていることより、「愛しい人にいつ会えるのか明らかになった」 さらには「愛しい人と再会できた(結ばれた)」と解釈するのが妥当である。

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あの人に再び会い見えたことに感謝し、別離の夜については語らずにいよう。 第 4 ベイト: yār は「友」を意味するが、ガザルでは通常「恋人、愛しい人」をさす。raqīb は主として「競 争者、ライバル」、またそこから意味を拡大させ「恋人の見張り役」あるいは「恋敵」を表すこ ともある。ペルシア詩では思いを寄せる対象は美女として描出される。その見目麗しい姿とと もに最も特筆されるべき性格の 1 つが、恋人に対する冷酷さである。このベイトでは、日頃冷 淡に振舞う女性が、自分と親しくしようという意思表示をし、赦しを乞うなどというしおらし い様子を見せているのなら、raqīb の残酷な仕打ちなどたいした痛手にはなるまい、と詩人は言 いたいのであろう。文脈から、このraqīb は「恋人の見張り役」と解釈するのが適している12) 日頃は女性が主導権を握る恋の駆け引きにおいても、時に相手が歩み寄ってくることがあ る。そういう時は自分に限らず誰にとっても、恋人の見張り役に辛い仕打ちをされたことな ど、とるに足らぬことではないか。 恋する者の心中を見事に言い表すことに成功したベイトといえよう。 第 5 ベイト:

golrīz は「花、バラ」という意味の gol という名詞と「注ぐ、流す、撒く」という動詞 rīkhtan

の現在語幹rīz から成る複合形容詞で、「バラの撒かれたような」すなわち「色とりどりな」さ

まを表すと考えられる。したがって、parde-ye golrīz で「花が撒かれたように、色とりどりの美

しい模様の描かれた帳や幕」13)と解釈できる。haft khāne-ye chashm は、直訳すれば「眼の七つ の家」となる。が、何をさすのか一読しただけでは理解しきれない表現である。第 1 メスラー は冒頭の呼びかけの部分以外は、第 2 メスラーの目的語ととるのが妥当であろう。 さらに意味を把握しづらいのが第 2 メスラーである。「想像の工場の装飾に描いた」が直訳と なるが、これでは日本語として意味をなさない。人が想像(khiyāl)という作業に携わる時、最 も活発に活動する身体機能は脳である。では、脳はどこから情報を得るか。人間の五感からで ある。しかし、五体満足な人間であれば、おそらく目から取り入れる情報が脳に最も大きな影 響を与えうるのではなかろうか。詩人は、想像という作業に携わる場所すなわち脳を芸術家の 仕事場に見立て、「目の七つの家」を通して脳に刻まれるさまざまな映像や情報を「色とりどり の布」と表現し、芸術家のアトリエを飾るカーテンまたはデザイナー工房に溢れた布地のよう

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に、読者にとって想像しやすい表現をとったのではないだろうか。それにしても、「目の七つの 家」とは何なのだろうか。このベイトに関しては、さらに詳しく調べ、考察する必要がある。 詳しい考察は本論考の 2 章に譲ることとし、ひとまず続きのベイトを見ていこう。

第 6 ベイト:

tang には「狭い」という第一義があるが、現代ペルシア語の日常表現に del-am tang ast「私は 寂しい」という表現があるように、気持ちが落ち込んで閉塞感に襲われた時の形容にも用いら れる語であることに気付くと、次の解釈も可能ではないだろうか。 私の萎えた心はただ君の小さな口を思い浮かべるだけ。どうか、誰も私のようにありえない 想像を追い求めることのないように。 前半部分を、「君の口はあまりに小さすぎて想像することすら不可能だ」と解する説もある14) ペルシア古典詩の伝統において麗人の口は小さいものと決まっており、ペルシア語のアルファ ベットのミームに喩えられることもままある。しかし、ここでは詩人は愛しい人の口の大きさ に注意を払ってはおらず、またそれを想像できないと告白しているのではなく、逆に愛しい人 の口しか心に描くものがないと言っているのである。 しぼんで小さくなってしまった心では愛しい人の姿形を思い描くことなどできず、小さな 愛らしい唇に思いを馳せ、描いてみるのが精一杯だ。私のように恋に苦しむ人が現れません ように。 第 7 ベイト: 第 1 メスラーは愛に悩む詩人の告白である。「私は何を隠そう、愛しい人に苦しめられてい る。」愛には歓喜もあれば苦悩も伴う。その苦悩をクローズアップして恋愛詩の伝統を築いてき たのがペルシア古典詩の大きな流れでもある。しかし、この詩人の言葉を聞きつけた人がこう 言う。「しかし、自分の命に苦悩する人などいないのではないか?」つまり、真剣に恋をしてい るのであれば、相手は自分の命にも匹敵するほど愛しいはずではないのか、と尋ねたのである。 このベイトは、多くのハーフェズ詩集からは削除されているが、詩の物語性から判断すると、 またこのように対話として成立していると考えた場合、この作品の 1 ベイトとして紹介すべき であると筆者は考える。 第 8 ベイト: ハーフェズは恋するあまり、故郷も家族も何もかもを捨て、愛しい人にすべてを注いだので

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あろう。結果として、愛に生きたハーフェズは自らをも失った(=亡くなった)。相手への愛に 殺されたといっても過言ではなかろう。 ∆alāl はイスラーム法(シャリーア)の上で「許容されたもの」という意味の語であり、反対 語のハラームと対にして用いられることが多い。イスラーム世界では、通常殺人に対しては同 等の科料を求められるが、ハーフェズは「恋する者が愛により死んでも相手に賠償など求めは しない、そなたは赦された身」と語り、死んでからもなお、相手が墓に立ち寄ってくれること を願うのである。 ハーフェズはそなたへの愛ゆえに死んだ。後生だから、一度でよいから、彼の墓を通って おくれ。ハーフェズはお前を赦しているのだから。 2. 第 5 ベイトをめぐる議論 前章でこのガザルの全体像を見てきたが、第 5 ベイトに関しては、上記の解釈だけでは不十 分なことが明白となった。そこで、本章ではこのベイトに関する先行研究にさらに広くあたる ことで、ハーフェズの真意に近づく試みの一つとしたい。オスマン・トルコ時代の詩人スーデ ィー(d.1591)の注釈書15)のペルシア語訳、ペルシア語文法や韻律論を著し、文学誌『ソハン』

の出版にも長く携わったハーンラリー(Parviz Natel Khānlari 1913-90)16)の『ハーフェズ詩集』 ハーフェズ詩集の校訂やペルシア詩の韻律学研究に携わり、数々の英文学作品のペルシア語訳 を手がけ、「四人組」のメンバーでもあった高名な文学者ファルザード(Mas‘ud Farzād 1906-1981) 17) の研究、歴史・哲学・イスラーム学と広く深い専門分野に造詣が深く、20 世紀のイランが誇 る学者の 1 人ザルヤーブ・ホイー(‘Abbās Zaryāb-Khoyi d.1994)の論文をはじめ、ハーフェズ 詩の注釈書を著した文人のハラヴィー(Hoseyn-‘Ali Haravi)に代表されるイラン人研究者らの 論考をとりあげ、ベイトに登場する語または句ごとに、具にみていくことにする。

2.1. 第 1 メスラー[biyā ke parde-ye golrīz-e haft khāne-ye chashm]をめぐる議論

ファルザードは、多くの学者が採用する版と、自分が信頼を寄せる版とで単語のいくつかが 大きく異なっていることを指摘し、自説を主張する。

haft khāne ではなく、haft gāne の方がよいと考える。なぜなら parde(幕)に関係があるわ けで、それが七重であると描写するのはたやすい。しかし、parde-ye haft khāne であれば、人

は七重の幕のついた khāne(家)を想像してしまう。家(の外見)に幕というものはついて

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このファルザードの説を受けて、「このベイトは難解であり、理解するには数学的注意力と強 い想像力、そしてハーフェズ詩集の中でこれに類したベイトを知ることが必要である」と述べ たのが、ハーフェズのガザル注釈書を著したことでも知られるハラヴィーである。彼は上記の

ファルザードの説に対しkhāne(家)という語に注目しつつ、以下のように述べる。

家をすっぽりと覆う幕というものは存在しえない。が、家の中の幕(カーテン)はある。 そして、haft khāne-ye chashm とは、周知の「目の七層の膜」のことであり、換言すれば「目

の七つの家」「目の七つの小部屋」のことである。ここでは、khāne という語についての説明 が、意味を明確にする助けになるだろう。現代語では「家」を意味するkhāne という語は、 ペルシア古典詩では通常「小部屋」「部屋」という意味に用いられ、部屋や中庭の総体である 「家」という意味では滅多に使われることはなかったのである。・・・または、チェスの 1 マスのようにごく限られた小さな範囲・陣地もkhāne と称した。かつては、目には七つの khāne、 つまり小部屋、採光のための部屋があると考えられていたのである。 また、ハーフェズの別のガザル(ガザル 450): そなたは秘密の部屋に秘めたわが涙を 七つの帳の彼方からバザールに引き出す ashk-ē ∆aram-neshīn-e nehān-khāne-yē marā

zān sū-ye haft parde be bāzār mī-keshī ここでもkhāne と parde の関連性がうかがわれる19)

以上の考察より、ハラヴィーは「parde-ye haft khāne であれば、人は七重の幕のついた khāne (家)を想像してしまう」というファルザードの推測は妥当とは言い難く、やはりこれは目の 小部屋に引かれている幕(膜)をさす」20)と結論づける。 parde という語に関しては、ハラヴィーのみが「壁に吊るすタペストリー」と「幕、カーテン」 という 2 つの意味を明解に提示したうえで、後者を是とし、「目の(七層の)膜」を示す詩人の 意図があったのだろうと付け加える21)。また、「イーハーム(=各語のもつ意味の重層性)」に 着目すると、「音符、楽譜、音階」という音楽関連用語と解釈することも可能である22) golrīz という語は、美しい色とりどりの模様が描かれた布地の一種と解釈できるほか、詩人 が血の涙を流す比喩表現で23)、目も瞼も血で赤く染まった様子を表すとも考えられる24)。音楽 におけるシュール旋法25)のことを暗に仄めかしているとも考える学者もいる26) したがって、parde-ye golrīz というフレーズでは、「バラ色または赤色で模様が描かれた色と

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りどりの幕」、その比喩表現としての「血の涙の流れるさま」「泣きはらした瞼」27)という解釈 ができそうである。

haft khāne-ye chashm について、解説書の多くは眼の構造説をとる28)。外側から強膜、脈絡膜、 網膜、視神経の一部、虹彩、角膜、結膜という眼の構造のうちの七箇所を詩人が念頭において

表現したと考えたのである29)

haft khāne-ye chashm という表現が、相当学者たちを翻弄したフレーズであることは確かで、 ハーフェズ詩集を編纂しハーフェズに精通しているはずのハーンラリーですらも、

haft khāne-ye chashm とは、目の七つに分かれる部分または七層のことを指すのではない か?30)

と疑問符つきの文で疑問を呈したままである。しかし、別のzojājī という語について解釈する

際、目の構造に関係した語をハーフェズが詩的表現として用いている例を挙げている。

葡萄の樹の娘の美がわが目の光だが

彼女はガラスのヴェールとぶどうの帳の中(ガザル 65) jamāl-e dokhtar-e raz nūr-e chashm-e māst magar

ke dar neqāb-e zojājīyo parde-yē ‘enabīst

このベイト内のzojājī と‘enabī という語には各々2つの意味が含まれている。1つは目の構 造に関係し、前者は硝子体、後者は虹彩である。もう1つは各々「ガラス製のもの」「葡萄か らできたもの」という意味である。また、目に関連するとも解釈できる語を用いたのは、第 1 メスラーの「nūr-e chashm 目の光」の連語とも考えられる31) 疑問符を残しはしたものの、目の構造の知識を持つハーフェズが、詩的表現として haft khāne-ye chashm「目の七つの部分」という語句を用いたことに対して、読者はなんら違和感を 覚える必要はないとハーンラリーは控えめながら主張している。 目に関する表現であることは認めながらも「家にはカーテンが必要であるように、この七つ の家のカーテンとはカーテンのように目の上に覆いかぶさったり持ち上げられたりする瞼を意 図する」と解釈する学者もいる32) つまり、ハラヴィーの説くように、このベイトに用いられている大半の語は 2 つまたはそれ 以上の意味をもち、目に見える実物を意図するとも、比喩的表現であるとも読み取れるため、 読者がどの意味を採用するか―音楽用語とみなすか、それとも絵画用語とするかあるいは数を

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使ったレトリックとみなすか33)―などによって単語どうしの連関も異なり、幾通りにも解釈が

可能となり、解釈の振幅度が非常に高くなるということなのである34)

次に第 2 メスラーを見ていくことにしよう。

2.2. 第 2 メスラー[keshīdeʼīm be ta∆rīr-e kārgāh-e khiyāl]をめぐる議論

kārgāh は、絵を描く時や機織や幕作りに使われる「仕事場」という意味で、画家や芸術家の アトリエのイメージに近い。また、このkārgāh は絹や錦といった上質の布を織ったり模様をつ けたりする場所と限定して解釈する学者もいる35) 次に ta∆rīr という語については、辞書によれば「書く」「描く」「毛筆により姿形を描いた細 い線」という意味であることを踏まえ、比喩表現「装飾する」という意味に解釈したり、「絵や 図柄」ととらえたりする研究者が多い36)。おそらくは掛け軸のような「書かれたもの」や、タ ペストリーのような絵すなわち「描かれたもの」を壁から吊るすことによって「装飾」となる という解釈であろう。 音楽を想起させる連語という観点から解釈を試みるサッジャーディーは、ta∆rīr を「書くこと、 清めること、線を描くこと」としながらも、声を転がす歌い方である「タフリール唱法」とい う解釈の可能性を呈示した37) ファルザードは、第 2 メスラーにおいても他の研究者と全く異なった意見をもつ。ハーフェ ズ詩集の 12 の版のうち 11 までが採用しているbe ta∆rīr の部分を、唯一の版に依拠し sa∆argah (早朝)とすべきであると唱え、その理由を次のように述べる。 私の版以外すべての版がbe ta∆rīr を採用しているのはご覧の通りである。そしてこの語は あまり注目されることもなく、深い意味もないとみなされてきた。そもそも keshīdan-ne be

ta∆rīr または be ta∆rīr keshīdan とはどういう意味なのか。・・・ta∆rīr とはペルシア語大辞典

Loghat-nāmeh)によれば「毛筆により描かれる細い線」であるが、これでは関連性もなく、 全く意味をなさない38) しかし、まさにこのペルシア語大辞典の表す意味もしくは多少意味を拡大させ、より多くを 包含すれば、このベイトのta∆rīr の意味の説明は可能となるとハラヴィーは主張し、次のよう に他の研究者らとほぼ同じ見解を唱えた。 ta∆rīr には「線影を描くこと」「絵画の周囲を装飾すること」「本に金箔などで彩飾するこ と」という意味がある。いかなる言語においても、言葉の意味が拡大し、多くを包含するよ

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うになるという規則に従い、この語も意味が拡大し、より多くの意味を持つようになり、少

しずつ「絵を描くこと」「素描すること」という意味にも用いられるようになったのである。

例えば「ユークリッドのta∆rīr」という表現は、ユークリッドの幾何学図形が描かれている書

をさす。しかし、この意味も徐々に廃れてきており、今日では ta∆rīr といえば「描写、記述

(negāresh)」という意味で用いられる。この negāresh という語の意味の変遷も ta∆rīr という

語のそれと類似点がみられる。negāresh は元来「絵を描くこと」という意味で、この語から 「画家 negārgar」「絵画の館 negārestān」等の派生語が生まれたが、今日では「書くこと」と いう意味を表す。ta∆rīr(と negāresh)は「絵を描くこと」から「字を書くこと」へと意味が 変化したのではないかと私は想像する。・・・12 世紀の詩人アンヴァリーの作品にも naqsh-e ta∆rīr(描いた絵)という表現の用例も見られるうえ、ハーフェズ自身も別のガザルで次のよ うにこの語を用いている。 おお、愛しい人は去り、泣き濡れる目の中に かの人を思い描いてもそれは水に描いた絵にすぎず(ガザル31)

’afsūs ke shod delbar o dar dīde-ye geryān

ta∆rīr-e khiyāl-ē khaª-e ū naqsh-e bar āb ast

このベイトの内容に注目すれば、確信をもって、ハーフェズにとってのta∆rīr の意味も「絵

を描くこと」であったと判断することができる39)

そしてハラヴィーは前述の通り「このベイトに用いられている大半の語は 2 つまたはそれ以 上の意味をもち、目に見える実物を意図するとも、比喩的表現であるとも読み取れるため、読

者がどの意味を採用するかによって単語どうしの連関も異なり、幾通りにも解釈が可能となり、

解釈の振幅度が非常に高くなる」という主張に基づき、kārgāh-e khiyāl で「人間の想像力」、ta∆rīr-e kārgāh-e khiyāl で「想像の仕事場に描かれた絵」すなわちここでは「愛しい人の顔」を示唆する とみなす。 サッジャーディーは、khiyāl という語はアラビア語では khayāl と発音され、思考、姿、幻影 のいずれの意味をも有すると指摘し、khiyāl という語を一種キーワードであるとみなした40) そして同じくkhiyāl に注目し、ハーフェズ作品における khiyāl という語の研究に積極的に取 り組んだのがラッザール(‘Ali-Akbar Razzār)である。ラッザールはハーフェズの詩における khiyāl の 10 の意味を、該当する代表的なベイトを挙げながら次のように分類した。1-「思い、 思うこと、思想」2-「無意味な想像、妄想(特に動詞の pokhtan, bastan をともなう)」3-「心」

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4-「目的・希望」5-「夢の中で見られる姿形」6-「水や鏡に映し出される姿形」7-「想像、想 像上の世界」8-一種のイーハーム(=各語のもつ意味の重層性)41)9-「眠られぬ様子、または 覚醒状態」(イーハームをともなう)10-「想いを寄せる人の幻または心に描く姿」という分類 である42)。いずれも、想いを寄せる相手の現実の姿形ではなく、触れることも確かめることも できない幻・映像・夢や空想の中での姿等に関して用いられている点がkhiyāl という語の特徴 といえるものの、厳密な線引きの難しい分類であるように思われる。

ラッザール同様、khiyāl という語に着目し、それを含んだ kārgāh-e khiyāl や naqsh-e khiyāl 等

の表現をハーフェズが多用した点に注目した研究者の1 人が、アラヴィー(Partow ‘Alavi)で

ある。数多のガザルの中のkhiyāl のヴァリエーションから彼が引き合いに出した例を見てみよ

う。

私は夜明けまでそなたの面影の絵を

眠れぬ目の工場で描き続けた(ガザル 320) naqsh-ē khiyāl rū-ye to tā vaqt-e ≠ob∆dam

bar kārgāh-e dīde-ye bī khāb mī-zadam

そなたはそなたに思いを寄せる者からは眠りを奪い

自分の面影を夢という夜盗の集団には見せて責めた(ガザル 433) khāb-e bīdārān bebastīyo ān gah az naqsh-e khiyāl

tohmatī bar shabravān-e kheyl-e khāb andākhtī43)

数多のガザルの中のこうしたkhiyāl のヴァリエーションでは、「ありとあらゆる心境、状態に おいてさまざまな姿形、像を思い描くことを妨げるため、愛しい人の面影を目の仕事場に描い た」というのがハーフェズの主旨であると結論づけることができよう。 ガザル 297 の第 5 ベイトの難しさは個々の語が複数の意味をもつことであると既に指摘した ハラヴィーは、「この芸術家の思考回路や絵筆の動きを示すのは難しく、近代キュービズムが想 起される」44)とも語る。換言すれば、詩人が頭の中で思い描いたものを表現した言辞を通して、 詩人の思考回路の基本線を明らかにするのは難しいということである。しかし、詩人の思考回 路を明らかにするヒントを得、さらに詩の真意に近づくためには、ハーフェズの他のガザルに 類似の描写を見つけ、比較検討する以外に方法はないとし、彼も 5 つのベイトを引き合いに出 している。ここでは、既に他の研究者の見解を紹介した際に引用した 2 つのベイト(ガザル 29 と 320)を除いた、残りの 3 ベイトも挙げておく。

(14)

かの人の姿の図は不思議、いくら拭っても(ガザル 59) わが目から洗い流されることはない

dāram ‘ajab ze naqsh-e khiyālash ke chon naraft

’az dīde’am ke dam be damash kār-e shost o shūst

このベイトでは、詩人は、愛しい人を思い描いた図を自分の眼の中に描く。つまり、自分 の眼が愛しい人を見たので、彼女が眼前にいなくても自分の想像が働く場所で彼女の顔を創 りあげることができるのである45) 私の目の玉座は君の面影の宿る場所 今こそ祈りの時、私の王よ、君の居場所に君がいないことのないように (ガザル 411) shāh-neshīn-e chashm-e man tekye gah-ē khiyāl-e tost

jā-ye do‘āst shāh-e man bī to mabād jā-ye tō

私がかの人の面影という隊列の方へ目という黒と白の馬を引いたのは

かの名高い騎士が戻るのを望んだため(ガザル 235)

be pīsh kheyl-e khiyāl-ash keshīdam ablaq-e chashm bedān ’omīd ke ’ān shahsavār bāz āyad 46)

いずれも、愛しい人の姿が真っ先に飛び込んでくるのは恋する者の目であり、その目の中に愛 しい人の面影は焼きついているという、恋人にとって「目」の果たす重要な役割をうたったも のである。ハラヴィーはこれらの例を以下のように分析する。 これらのベイトにある「愛しい人の姿を描く」という意図は、「自分の想像の中で愛しい人 の顔を作る」ということである。ガザルの雰囲気を生む言葉はどれも同一あるいは似た語が 選ばれている。khiyāl(想像または想像力)は基盤となる語で、すべてのベイトに登場してい る。chashm と dīde(目)もすべてのベイトで同様に用いられている。いずれも、「目を閉じ て愛しい人に思いを寄せる」「泣きながら愛しい人の姿を思い浮かべる」という描写である47)

ザルヤーブ・ホイーは先行研究を讃えたうえで、ta∆rīr-e kārgāh-e khiyāl という表現にはエザ ーフェの倒置が用いられており、本来はkārgāh-e ta∆rīr-e khiyāl であると指摘する。khiyāl(想像

(15)

(力))が、さまざまな絵が描かれるkārgāh(アトリエ)に喩えられているとみなすのである。 また、ハーフェズを含む大半のペルシアの伝統的古典詩人は、友や恋人の面影の映る場所は目 の中とみなす点をも触れ、改めて読者の注意を喚起する48) 以上、第 1 節と第 2 節ではメスラー毎に研究者の意見をまとめてきた。ここまでたどりつい てようやく今、ベイト全体の意味をまとめる段階に到達したと思われる。 2.3. ベイト全体の解釈 世界的に権威があり、また信頼に値すると定評のあるハーフェズ詩集を編纂したことで知ら れる碩学ガズヴィーニー(Mo∆ammad Qazvini)は、ある論考の中で、意外にもこのベイトを次 のように解釈、発表した。 今や愛しき君はここにいて、私は君に再び会うことができた。さあおいで、目から流れる 血の涙の七層の膜を想像のアトリエに広げ、もう別離という苦痛を思うことから解放されよ うではないか49) これに対し、第 1 ベイトの内容から判断して第 5 ベイトの描写は愛しい人との再会を願う者 の気持ちをうたっているのであり、まだ結ばれてはいないという判断の下、以下の 2 通りの解 釈を呈示したのがアラヴィーである。 1-君と別れ、血の涙で花柄の幕のように飾られ描かれた目の七層の幕で、さまざまな想像を 生み出すアーティストのような存在の「想像の仕事場」を私は覆った。つまり、幕で姿形や 像がさまざまな想像により生まれてこないようにしたということである。私はただひたすら、 君と結ばれることを思い描き、再会を望んでいるのだ50) 2-私の想像力は君の面影を、君と結ばれるという図を、自らの仕事場に描き、それを大事に 保持している。この君を思い描いた絵が埃をかぶったりしないよう、目の七層の小花のつい た布を被せた。そうすれば、君の絵姿は私の想像力のアトリエでより長く保管されるし、他 の妄想や余計な絵図が浮かんでくることもない51) このアラヴィーの見解が、明らかに本章でみてきた学者たちの意見・解釈に近い。つまり、 ガズヴィーニー以外の学者すべてが「詩人はまだ愛しい人に会えていない」「結ばれていない」 と解釈しているのである。

(16)

ファルザードは、ハーフェズ詩集に採録すべき語に差異はあったものの、やはりまだ結ばれ ぬ思いを抱くベイトとして、いたって簡潔な解釈を発表した。 夜明けだ、あなたを思い続け、私は眼から血の涙を流している52) ファルザードの意見に対し、鋭い指摘をし続けたハラヴィーも「血の涙を流す」という描写 に関してはファルザードの解釈に同意を示し、さらにハーフェズの言辞の選定の意図を反映さ せつつ、最終的に以下の解釈を示した。 愛しい人よ、さあおいで。そして誰もこの秘密を知ることはないと確信するがよい。なぜ なら、そなたが来るであろう私の想像の仕事場では、赤い小花模様の散る(血の涙が滴る) 七重のカーテンを吊るしたからだ53) もしこの絵図を少し遠目から見るならば、我々にも、目を閉じ涙を流しつつ愛しい人の顔を描 こうと努める、哀れな詩人の姿が思い浮かぶのではなかろうか。 ザルヤーブ・ホイーも次の 2 通りの解釈を提示する。 1-おいで。私は想像のアトリエに目の小部屋にかけられた色とりどりの模様のあるカーテン を引いた(=瞼を閉じた)。なぜなら、お前の面影を目に宿すと私は常に涙を流し、血の涙を 流すことになるから。この血の涙があの赤い小花模様の布に模様を描いたのだ。つまり、お 前を思う悲しみに打ち沈み、血の涙を流し、目も瞼も血に染まっているということである54) これは、第 2 メスラーの前置詞be を意味の上では dar(~の中、~において)に置き換え、

keshīdan は naqsh kardan(模様を描く)とした解釈である。一方、keshīdan を「カーテンを吊る す」と解釈すると、以下のような別の解釈も可能になるとしている。 2-おいで。私は目の色とりどりの花模様のカーテンを、想像力が活動するアトリエに吊るし、 そなた以外の人が目に入らないよう、そなた以外の人を思い描かぬように、そなただけがそ のアトリエに描かれるようにした55) このザルヤーブ・ホイーの 2 番目の解釈が、直後の第 6 ベイトの主旨とも合致した、的を射た 最も適切な説明となりうると筆者は考える。

(17)

おわりに これまでの考察を経た今、再度このガザル 297 を第 1 ベイトから順に読み返してみよう。想 いを寄せる人に会えるかもしれない、結ばれるかもしれないという期待と、再会かなわず孤独 に悩み苦しむ不安と寂しさで、ベイト毎に心が激しく上下に揺さぶられるのを感じる。 本論考を執筆するにあたり、ペルシア語を精妙に操る高名で学識に富んだイランの研究者た ちの論考を再読・精読する機会を得たこと自体、筆者にとっては大きな収穫であった。とりわ け、最後に示したザルヤーブ・ホイーの解釈はたいへん理解しやすく、最初に自分で通り一遍 の訳をつくった段階と比べると、ハーフェズとの距離がさらに縮まり、ハーフェズをより深く 識ることができた。 しかしながらまだ僅かな疑問が残る。 2 章第 3 節で解釈を紹介した際、ハラヴィーは「七重のカーテンを吊るした」、ザルヤーブ・ ホイーは「目の(七つの)小部屋にカーテンを引いた(=瞼を閉じた)」としていた部分である。 両者ともほぼ同じ見解であるものの、ザルヤーブ・ホイーは「目の七つの膜」を「瞼」である と解釈したため、微妙な差異を生じている。筆者はザルヤーブ・ホイー説をとりたい。なぜな ら、このベイトを見聞きした人たちが一様に医学的な知識であろう目の七つの部分の名前(強 膜、脈絡膜、網膜、視神経の一部、虹彩、角膜、結膜)に親しんでいたとはとても思えないか らである。この「目の七つの膜」には別の意味がこめられているように思えてならないのであ る。 最後に、ザルヤーブの上述の解釈を借用し、筆者の考えを[ ]を用いて付け加えることによ って、一つの試みとして、読者を選ばない解釈を示しておきたい。 おいで。私は目の色とりどりの花模様のカーテン[=涙]を、想像力が活動するアトリエ[=]に吊るし[=涙が眼前を覆ったということ]、そなた以外の人が目に入らないよう、そなた 以外の人を思い描かぬように、そなただけがそのアトリエに描かれるように[=愛しい人だけ が自分の目に映るように]した。 詩人は瞼を閉じては涙を流し、愛しい人のことを思い出している。涙で目の前がぼやけた時、 目に光が入る。眩しい。すると涙と光の偶然のいたずらにより、眼前が虹のような七色に見え、 まるで目というアトリエに装飾を施したかのようである。

(18)

1) 本文および注における翻字への転写、カタカナ表記については、ハーフェズの時代以前の人名・作品名には 古典的表記を、それ以降のもの(現代の研究者氏名や書名等)に関しては、現代ペルシア語の音に近いと思 われる表記を用いた。ただし、詩人「ハーフェズ」の雅号とガザル本文の転写(アラビア語部分を除く)、 その他古典表記に従うと現代のペルシア語の音からあまりにかけ離れて不自然に感じられる場合に限り、現 代ペルシア語音に近い転写・カナ表記を採用した。 2) 例えば、彼の有名なカスィーダ(頌詩)にある「乱れた荒野(dasht-e moshavvash)」という表現は、ハーフ ェズ特有の言語感覚に基づく組み合わせの例の1つといえよう。 3) 筆者もこうした研究の伝統にしたがい、これまで 5 つの「ハーフェズ詩注解」を試みてきた(『東京外国語 大学論集』68,70,72,75,77 号)。

4) 底本はハーンラリー版(≈āfeż, Shams al-Din Mu∆ammad ibn Mu∆ammad; Khānlari, Parviz Nātel(ed.) 1374/1995

Divān-e ≈āfeż, Khārazmi.)とした。

5) アラブ韻律学に基づく韻律分析では、正確にはMojtas-e mosamman-e makhbūn-e ma∆zūf と称する。 6) molamma‘は、元来「多色使いの」という意味をもつ。パッチワークのようなデザイン・色合いを形容する 語と考えられる。 7) [Haravi 1369/1989: 1261] 8) [Sudi 1366/1987: 1739] 9) j の直後に続く母音が異なるため、より正確には「不完全な同綴異義語 jenās/tajnis-e nāqes)」と呼ばれる。 10) 「これはみんなお前らの邪心が促してつくり出したことであろう。が、なにはともあれ辛抱が大事。こんな ときにはまずアッラーのお力におすがりして・・・」(井筒俊彦訳『コーラン』第12 章「ヨセフ」第 18 節 より)の下線部分に由来する表現である。末弟ヨセフに嫉妬した兄たちが、ヨセフを荒野に連れ出し井戸の 底に投げ込んだ後、父ヤコブに「ヨセフは狼に食べられてしまいました」と嘘の告白をする。その時に痛恨 の極みに立たされた父ヤコブの口から出た言葉である。[Haravi 1369/1989: 1262] 11) Loghat-nāmeh-ye Dehkhodā. 12) [Haravi 1369/1989: 1262] 13) [Khaªib-Rahbar(ed.) 1374/1995: 411], [Sudi 1366/1987: 1741] 14) [Haravi 1369/1989: 1264] 15) スーディーによるハーフェズ詩集は、中世以降最も古く権威ある校訂・注釈書として知られてきた。しかし、 その後イランでさらに高い評価を受ける注釈書・研究書が登場するにつれ、その不完全な言及や誤りについ て多く指摘されるようになった。 16) 文学研究者、作家、現代詩人として名高い。文学サークル「四人組(rab‘e)」(20 世紀最大の作家サーデグ・ へダーヤト(™ādeq Hedāyat 1902-1951)が文学者ボゾルグ・アラヴィー(Bozorg ‘Alavi)、モジュタバー・ミー ノヴィー(Mojtabā Minovi)、マスウード・ファルザードとともに結成)との交流が知られている。ハーフェズ 詩集編纂という偉大な功績を残したことでも知られる。

17) ファルザードは「四人組」の活動を通してヘダーヤトと共著の作品をも発表した。 18) [Farzād: 781]

19) Haravi: “Naqdi bar Hāfeż-e Mas‘ud-e Farzād,” pp.101-102.

20) loc.cit.一方で、ハラヴィーはファルザードという権威に対する配慮もうかがわせ、次のようにファルザード

を弁護する。詩の中でもしこのparde が複数形であったなら、ファルザードもこうした推測をすることはな かったであろう。しかし、文法上単数の形をとっていても複数形を意図することもあり、文法上の誤りとは みなされない。

21) op.cit. pp.104-105.

22) Sajjādi: “Se∆r-e bayān-e ≈āfeż,” p.70, Niyāz-Kermāni: “Biyā ke parde-ye golrīz…,” p.109. 音楽用語と結びつけて 考察したのは、このサッジャーディーとニヤーズ・ケルマーニーのみである。

23) [Sudi 1366/1987: 1741]

24) Zaryāb-Khoyi: “Parde-ye golrīz,” p.111.

(19)

悲哀や苦悩を語り、人の心を揺さぶる、嘆きに似た声や慎み深さに覆われた荘重さにより、忍耐と慰めとい う教訓を与えてくれる。この音階は、人間の内面の感情、とりわけ愛や同情等を表すのに適している。シュ ール旋法による嘆きの声はごく自然で、悲しみに沈んだ心を慰めてくれる。また、シュールは年齢を重ねた 経験豊富な人間に喩えられる。つまり、物事が思い通りにならない時期に膝を抱えて悲しみ、悔し涙を流す 代わりに、ひたすら辛抱を重ね耐え忍び、やがては消えてしまう物質界になど執着すべきではないと教えて くれるのである。シュール旋法による歌声は、はるか祖先からつながるイラン人の感情や道徳倫理の完全な 例である。まるで、イラン人の神秘主義的魂を巧みに形づくったかのようである。[Khāleqi, Muzik 10th year, No.1:25-26.]

26) Sajjādi: “Se∆r-e bayān-e ≈āfeż,” p.70. 27) Zaryāb-Khoyi: “Parde-ye golrμz,” p.112.

28) ニヤーズ・ケルマーニーのみ haft khāne の部分について「七つの音階」という意見を示した。しかし、これ にchashm 「目」という語がエザーフェで付加されていることに関しては、ノーコメントである

(Niyāz-Kermāni: “Biyā ke parde-ye golrīz…,” p.109.)。

29) Sajjādi: “Se∆r-e bayān-e ≈āfeż,” p.70, ‘Alavi: “Barkhi az ma‘āni-ye ash‘ār-e ≈āfeż,” p.103. 30) [Khānlari 1374/1995: 1240]

31) [op.cit. 1190]

32) Zaryāb-Khoyi: “Parde-ye golrμz,” 112.

33) Niyāz-Kermāni: “Biyā ke parde-ye golrīz…,” p.109-110.

34) Haravi: “Naqdi bar ≈āfeż-e Mas‘ud-e Farzād,” pp.105-106. ハーフェズの他のガザルには parde-ye golrīz の類似表 現として「柘榴の花のような涙ashk cho golnār」「血のような涙 ashk-e khūnīn」という表現もみられる。 35) Zaryāb-khoyi: “Parde-ye golrμz,” pp.111-113.

36) [Sudi 1366/1987: 1741-42], ‘Alavi: “Barkhi az ma‘āni-ye ash‘ār-e ≈āfeż,” p.103. 37) Sajjādi: “Se∆r-e bayān-e ≈āfeż,” pp.70-71.

38) [Farzād 781]

39) Haravi: “Naqdi bar ≈āfeż-e Mas‘ud-e Farzād,” p.104. 40) Sajjādi: “Se∆r-e bayān-e ≈āfeż,” pp.70-71.

41) 「姿形」と「想像」の両方の意味をもつと考えられる状況で用いられた例と思われる。 42) Razzār: “≈āshie’i bar parde-ye golrīz,” pp.114-116.

43) ‘Alavi: “Ba‘zi az ma‘āni-ye ash‘ār-e moshkel-e Khājah Shams al-Din Mu∆ammad ≈āfeż-e Shirāzi.” p.105. 44) [Haravi 1369/1989: 1263]

45) [op.cit. 1264]

46) Haravi: “Naqdi bar ≈āfeż-e Mas‘ud-e Farzād,” pp.105-106. 47) loc.cit.

48) Zaryāb-khoyi: “Parde-ye golrμz,” p.112. 49) Qazvini: “Shar∆-e yeki az abyāt-e ≈āfeż,” p.40.

50) ‘Alavi: “Ba‘zi az ma‘āni-ye ash‘ār-e moshkel-e Khājah Shams al-Din Mu∆ammad ≈āfeż-e Shirāzi,” p,104. 51) op.cit., p.105.

52) [Farzād 782]

53) Haravi: “Naqdi bar ≈āfeż-e Mas‘ud-e Farzād,” pp.105-106. 54) Zaryāb-khoyi: “Parde-ye golrμz,” p.112.

55) op.cit., pp.112-113.

参考文献

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Shar∆-e Sudi bar ≈āfeż, Zarrin o negāh. Zaryāb-khoyi, ‘Abbās 1368/1989

(21)

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