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修士論文「絵画−起き上がる景色」松本玲子

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        2012 年度 多摩美術大学大学院美術研究科 修士論文

2012, Master Thesis, Graduate School of Art and Design, Tama Art University

絵画――起き上がる景色

Picture ― A Sight Which Is Just Rising Up

松本玲子

Reiko Matsumoto

学籍番号 31112038

Student ID Number 31112038

所属 博士前期(修士)課程 絵画専攻 油画研究領域

Oil Painting Field, Painting Course, Master Program

(2)

 

目次

序文

4

Ⅰ. リンゴの傷―絵画へ向かう始まり

1. 隔たり 6

2. ここにある身体 8

3. 実感へ向かって 9

Ⅱ. 叙述としての絵画

1. 対象と移しとることの間 13

2. 途中から始まる絵画 16

3. 散文(プローザ)と限定づけること 17

Ⅲ. 起き上がる景色

1. 標識図 21

2. 疑問的に在る絵画 24

3. 目に起こる重力 25

結びにかえて

27

図版一覧 28

参考文献 29

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空を飛ぶ者に見えるのは、道が風景のなかを進んでゆくさまだけであり、彼の目には、 道はまわりの地勢と同じ法則に従って繰り広げられてゆく。道を歩いてゆく者だけが、 道の支配力を知る!. ―――― W・ベンヤミン

        

              

! ヴァルター・ベンヤミン、浅井健二郎編訳 「一方通行路」『ベンヤミンコレクション 3 記憶への旅』所収 筑摩書房 p29 2008 年    図 1 松本玲子「黒目を注ぐ、あそこからここまでの空(揺れるものすべて)」      2012 年 キャンバスに油彩

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序文

ここで語られるのは、絵画に像やある種の運動が発生するその瞬間、つまりものの現れかたについてである。 絵画には何かが現され、現に現れている。現れているから、絵画となるのだろう。作者の誰もが何かが現れて くることを願い、企図し、観客の誰もがそれを目にすることを期待する。絵を描くとはこのこと、、、、をつくることだけ だ、と言ってもいい。絵を見るとは、それらを何度も眼差しによって再生させることだ、と言ってもいいかもしれ ない。しかしこの論が狙うのは、絵画という場ではその背面に、もっと何か発生させない力が働いているので はないか、という視点、描くとはその力に向かおうとする行為であり、その力とともに在ろうとすることなのでは ないか、という視点を持ち込むことなのだ。なぜなら、この現れるという一見シンプルな現象/運動は、描くと いう行為の選択と堆積の結果であって、厳密に形作られていても、それらはまず目指される像へ向かう運動、 筆致やストロークの束として現れるからだ。そしてこの束はいつも、成立させない力、つまり意図を破る力を同 時に持っている。 運動の束はそのまま像になり、また像と接するものにもなる。つまり、この運動体は絵画の空虚、空気の部 分――ものでも抽象でもない不分明な部分――と関わる。そして私は、この空虚の部分を問題にしている。 なぜなら、絵の中でものたちはみな、いつもどこにいようとその場所の中にすっかり取り囲まれた者たちのよう に、この空虚の部分と接しているからだ。そして現実と異なるのは、この絵画の中の「空虚」は何よりも作者が イメージを探っていく、その手探りの痕としての現れだということだ。この手探りの痕――タッチ、線など――は 連なって行き、やがて草木や路や人という、具体的なイメージを支えるものになる。私たちは絵画と向き合うと き、イメージをイメージとして、色を色として見ているのではない。本当はこの、イメージの支えられかたを見て いるのだ。 私は絵画をつくりながら何かを集めようとしている自分を感じている。そしてそれはつねに、場所とそこに居 合わせたもの、というモチーフに終始している。それはある大気の中の存在、ある状況の中の存在というモチ ーフに関わる。私にとって風景とは、果てしなく広く閉ざされた内部のことで、私はその内部の非常に限定さ れた場所に生きている。何かに浸されているような日々の通り道が束の間に見せる、一瞬の景色のようなもの を、絵画の中で求めて、そして現に見ている気がするのだ。その感覚はどのようなものなのだろうか。

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始まりは剥げかけたパオロ・ウッチェロのフレスコ画や、精巧な彫刻が摩擦で失われてしまい、くぼみだけに なってしまった古代のレリーフを見たことだった。その姿は、膨大な歳月がいつしか基底こそをもういちど蘇生 させようとする、あるいは始まりの基盤がどんなに覆いつくしても吹き返し、等化を迫ってくる――、そんな力 の中に留まろうとするものの姿だった。それでは、それは場所に閉じ込められた姿だったのだろうか。剥離し たフレスコ画も均 な ら されたレリーフも、基底に繋がれながら、しかしコブのように起き上がっている。私はまさにそ のことを、見たのではないか。 さらには、セザンヌ、ジャコメッティの絵画、ロッソの彫刻、キルヒナーやベーコン 、といった作家たち、世 界を築こうとした作家たちの絵画や彫刻の中で起きていること、があった。それぞれの作家の目指したものは まったくちがう。しかし、通じるものがある。彼らの絵画では、絵画はなかなか始まらない、、、、、、、、、のだ。「姿」は容易に 姿を持たせてもらえない。見えるものになったとしても、また初めからそこにいたとしても、それは束の間そうあ、、、、、、 るようであり、、、、、、、まだ行く先があるような様子をしている、、、、、、、、、、、、、、、、、、。そしてそれ故に、イメージ(像)は唯一の在り方として画 面に現れているようである 。彼らの絵画には、それと分かる事物が現れるその以前と以後に、あるいは背 後の中間地帯として常に、それ自体リズムとベクトルを持った「大気」のようなもの――が存在し充満し、画面 の向かう先を探っているのだ。イメージはその厚みをくぐって現われ、また、その厚みを持つことで見えうるも のになる。 本論考では、こうした成り立ちを持つ作品群を念頭において、論を進めて行きたいと考えている。何が今 も絵画に向かわせるのか。絵画はどのように、いつ始まるのか。イメージはどのような姿をしているのか。そし てこうした問いを貫く、絵画においてものの現れとは何か、ということについて追っていきたい。

図 2 作者未詳 レリーフ作品 図 3 パオロ・ウッチェロ 「ノアの燔祭」(部分) 図 4 パオロ・ウッチェロ 「ノアの燔祭」(全体) 著者撮影 1447 年 フレスコ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ) 以下、図 3 に同じ。

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Ⅰ. リンゴの傷―絵画へ向かう始まり

1. 隔たり

「セザンヌのリンゴは人を傷つける」と、イギリスの小説家 D・H・ロレンス!1は、彼が生涯で一度だけ世に出し た絵画集の序文に書いている。「セザンヌのリンゴは人々に苦痛の悲鳴をあげさせた!2」と。その傷はどのよう な痛みの感触を持つのだろうか。これから記述を始めるにあたって、私はまずこの傷を見ることから始めたい。 なぜなら、まずこのことが、今日まで続く、絵のなかで何かが立ち現れてくること、そしてそれらを組成すること に関する謎――絵はどのようにして発生し、絵となるのか(なぜセザンヌの絵は傷つけるという「行為」を持ちう るのか)――に加えて、今私たちの立つ地平がどんなに彼から隔たってしまったかということ、そして、その場 所から絵画を通して私たちは何を見たいのか、ということまでも同時に明らかにするからである。 そこには複数の感情が渦巻いている。セザンヌの絵がロレンスの時代の人々、そして続く現代の私たちをも 苦しめるとするなら、その第一の感情はいちばん認めがたく、しかし現実的には認めざるをえないあきらめに みちている。すなわちそれは、彼のようには現実の一つのリンゴ、山のある景色、人間についての、、、、作品を作る こと―−―ここでは技術的な話ではなく、態度として―−−が、もうできないように感じられるということだ。誰も が幾度も一瞥でだけなら経験しているものの景色を、「気分」ではなく一度きりだけ見えてくる在りようとして絵 筆で綴っていった――そのような、ものそのものに対してまさに対峙する時間を、彼は持とうとし、自らに課し、 一生をかけて守っていった。その選択その行為は、なぜだろうか、私たちから遠く隔たってしまっているように 感じられるのだ。しかし奥底で、その態度に冷静になれない羨望が残っているように私は感じる。なぜなら、 私たちには彼が行ったような探求を続けて行けるだけの「場」が、もはや、一見したところ無いように思えるか らだ。そしてそうだから、この探求を決着のつかないこととして、終わったことにしてしまっているようでもあるか らなのだ。 図 5 ポール・セザンヌ 「ショウガ壷と砂糖入れと林檎のある静物」 1890-94 年 キャンバスに油彩 private collection,on チューリッヒ美術館寄託

!1D・H・ロレンス(1885-1930) イギリスの小説家、詩人。代表作に『チャタレイ夫人の恋人』 『息子の恋人』 『黙示録論』など。 !2D・H・ロレンス、杉山泰 監訳・鎌田明子訳 「D・H・ロレンス絵画集序文」『D・H・ロレンス絵画集 別冊解説』所収 本の友社 1996 年 p.61 同書は以下 DHL と略記。

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探求を続けて行く場、というとき、この「場」という語には文字通り現代の私たちが生き、生活する都市という 場と、私たちを生かす身体としての場があてはまる。「今日の人間は自分の身体のなかで、K が城山の村の なかで生活するように生きている」と、W・ベンヤミンは彼のカフカ論!3に書いているが、このカフカ論でベンヤ ミンは、『城』の主人公 K にとっての、またカフカ自身にとっての身体を次のように記述する。「この身体は彼か ら滑り落ち、彼に敵対している」、「異郷――人間の異郷[身体]――が、彼の支配者になったのである」!4と。 ここでの「彼」とはまた今日の私たちである。「人間の異郷」とは、主体的に生きていると無意識にそう前提とし ている私たちの意識・行為を、圧倒的に外側から覆っている、この肉体と肉体に伴う反応/感覚のことである。 この肉体はふだん、意識と境の無いものにまでになっている。しかしベンヤミンが、「最も忘却されている異郷 とは、けれどもわれわれの身体、自分自身の身体なのだから」!5というように、一方で何かをしようとするとき、 あるいはまったく不意に、コントロールできない他者としての力を壁のように露にして思い出させる。それは、 私たちに結びついている「限界」のことであり、しかし忘却の彼方で支配しているものなのだ。そしてこの肉体 と付随する知覚は、近現代の時のなかで過酷なまでに変貌してきた。ロレンスがセザンヌの絵を前にして傷 を受ける側として描き出すのは、この「異郷」を持つ人間たちである。 わたしたちの世界は、幽霊やまがい物があふれている広大な墓場なのである。わたしたち はみんな幽霊なので、今までに一個のリンゴすら満足に触われなかった。おたがいどうしが 幽霊。わたしにとってあなたは、あなたにとってわたしは幽霊。あなたはあなた自身にとっ てすら影なのである。影とは観念、抽象化された現実、エゴという意味だとわたしは考える。 わたしたちは虚ろな存在であり、肉体は生きていない!6 こうした存在である人間は「実体のあるものに触れると傷ついてしまう」!7とロレンスはいう。ロレンスの描き出 す「わたしたち」は、近代以降の爆発的な技術の発展と生活の変貌、戦争による破壊などを生きてきた人間 たちだ。作ってしまったが最後、人々は、つまり私たちは、否応無しにそれらに馴染むことを求められる。一見 したところ私たちは技術を使いこなし、悲惨も 体からだを通り過ぎ、やはりこうして生きていくものだと納得をする。し かしそう納得した人間たちが日々感じ、考え、欲し、意識せず行動を選択していく際に支配されていくのが、 この幽霊のような身体なのである。

!3 ヴァルター・ベンヤミン、浅井健二郎編訳・西村龍一訳 「フランツ・カフカ 没後十年を迎えて」 『ベンヤミン・コレクション 2 エッセイの思想』所収 筑摩書房 2008 年 pp.107-163 !4 同、p.137 !5 同、p.150 !6 DHL、p.61 !7 DHL、p.61

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2. ここにある身体

アメリカの美学者、スーザン・バック=モースは『美学と非美学』!8という論において、近現代における身体の 感覚器官の疎外とそのショックがひき起こす、感覚器官側の「防御」反応、そしてその反動としての「代替空 間・代替リアリティ」の誕生――それはファンタスマゴリア、すなわちファンタジー、ヴェールをかけられた空間 のことである―−−について論じている。バック=モースは、私たちが論理にも意味にも先立ち、世界と言語以 前的に出会うようなものとして持つ感覚回路を、「共感美学システム Synaesthetic System」!9と名付ける。この 共感美学システムは、感覚することそのもの自体が世界へ開かれているという回路であり、外部世界によって もたらされた感覚・知覚が、記憶や感情、予想といった内的なイメージと結びつくような回路、つまり「経験」を つくりだし、深めるような感覚回路のことである。 ところが、19 世紀以降の近代世界がもたらした機械技術や戦争・戦場体験、あるいは産業と都市の活発さ といった過度のエネルギー(ショック)は、想像もつかぬほど強く苛酷な衝撃を伴ってやって来たのだった。衝 撃と脅威はそれに馴染むよう否応なく強要した。そのとき人間は生き延びるために、衝撃をまともに受けてし まわぬよう、共感美学システムの役割を逆転させてしまう。つまり、これまでそれが作動することで生きている 世界を身体に組み込ませ、身体の深くに響かせるものであったシステムを、防御装置として働かせてしまうこ とになったのだ。外部世界から方向をそらし、感覚を麻痺させ、過度に感じすぎないよう操作してしまう。そし てこのことは、苦痛を感じない存在を指向するよう、人間に残忍な要求を突きつけた。 19 世紀後半、身体のこうした防御を働かせることは一つの「技術」となり、次第に現代生活の「規範」となっ た、とバック=モースはいう。その結果、人間は次々と訪れる出来事を発展させ深めてゆくことができず、意識 には「ひとつづきの瞬間の繰り返しとしての時間区分」!10だけが立ち現われては消える、という事態が起こり始 めた。そこでは自分自身さえも時々に現れてくるもののうちの、相対的な一現象として扱われてしまうのだ。そ れは自らを感覚し経験するのではなく、対象として冷たい意識の中で眺めるということに近い。どのような経験 もここでは「そういうもの」として、あらかじめ想定されていたかのように回収されてしまうのだ。 さらに人はこのように感覚を部分的にしてしまい、断片的である世界や自己の存在を補完するものとして代 替世界を創造し、信奉するようになる。それは都市空間、広告、観光、ウォークマン、映像、といった陶酔空 間を目の前に過剰に繰り広げる。「ファンタスマゴリア」とはマルクスが広めたことばだが、そこはヴェールをか けられた世界であり、その商品や仕組みを作り出す者以外は、物理的な由来や過程を知ることがないまま、 現れたファンタジーや夢と自己同定をするよう仕向けられる。人はそこで突然、完全な姿(全体)、スペクタクル、 すべてがうまくいく世界を目にするのだ。現実のものごとや自分自身の根からは切り離された状態のまま。 いまも止まないこの代替空間の過剰さは、身体に完全に染み付いてしまった「防御装置」のなかで呼吸す ることの、一種の「反動」や「叫び」なのだろう。代替空間は、もう現実である。それに沿って心を躍らせない限 り、さまざまな感情から閉め出されてしまうかのようにさえ感じるような――。つまり代替空間とは生気に似たも のに触れる、安心のための刺激の場所なのだ。高揚や感動という言葉に符合する典型がそこに集められる。

!8スーザン・バック=モース 「美学と非美学―ヴァルター・ベンヤミンの「芸術作品」論再考」 マーティン・ジェイ編、永井務=監訳 『アメリカ批判 理論の現在:ベンヤミン、アドルノ、フロムを超えて』所収 こうち書房 2000 年 p.385 !9バック=モースは「美学」の本来の分野は「芸術ではなくて、現実」であると言い、美学は「全感覚器官による認知の形式」であり、「感覚によって知 覚される」ものを表す、と記している。「共感美学システム」については本文中の説明にあるが、伝統的な主客の分離を超えたところではたらく「感 覚−意識の美学システム」とされている。 !10 同、p.398

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しかし一方でこの代替空間の氾濫は、人がどんなにこの世界に執着し、どんなに愛着を持っているかを物 語ってもいるだろう。身近なところを見れば、私たちは特別な経験だけではなく、何度も経験し目にしているこ とでも、記憶しようとする際ごく自然に写真を撮る。それはもはや人が何かを経験する際の当然の、おそらくは 義務や強迫観念にも近い身振りとなっている。私たちは楽しんでそれをする。写真を撮る行為には、「いま」 の経験を未来において、「過去」として確実なものにしておこうとする心理が含まれている、と言えるだろう。写 真は形をまとってくれ、見た目を正確に写すことに長けていて、そして対象を自分のものにできるからだ。また 何よりも写真の持つ独特の効果に人は期待を、いま以上のヴィジョンへの欲求を託している。つまり、私たち は目の前でいま起きていることを自分で摑むことに対して、いちど、、、諦めを選、、、、ぶ、―−−。これが、写真に限らずあ らゆる局面で防御装置を働かせている人間の、共通の振る舞いである。身体が持つ記憶に対してもまた同様 に。その代わりに手に入るものこそが、客観的事実の役割も望みも満たすのだ。所有可能になった私たちの 記憶、それを務める写真は記憶の代理品という以上に、記憶そのもの、そして記憶というツールになる!11 私たちは見ることを、単に記録や科学的な信憑性の次元、めくるめくものへの渇望とその補給としてのみ考 えるようになってしまったのだろうか。時折、自分の記憶の像はまるでカメラで撮ったようなものしか無いことに 気づく。どんなに目を凝らして見たものでもそうなのだ。そして代替空間を通して意識を働かせ、使いこなそう とすることが生きることになっている。しかし、私たちは自分自身の持つ「異郷」としての身体について、いまこ こでどんな批判も希望も語ることはしない。ただ、持って立つこの前提について多少の把握ができるだけだ。 こうして生きて活動することを任せきっている根幹部分、意識が起こるための場所であり、まずそもそも何かを 通過させる器官であるところが蒙ったことに対して、「目覚めた」(自覚した)状態でいるのはなんと困難なこと だろう。私たちはこの身体と感覚を、忘却のなかで限界付けられながら、伴っていく。

3. 実感へ向かって

ここまで私はセザンヌのリンゴを受け取る者としての私たち自身をみてきた。しかし傷のわけ、、は、まだ充分で はない。傷を受けるのは、そこで何かを知ってしまったからであり、本当は何か自分で見出したかったものを 見てしまったからであり、そこに辿り着く手段が自らには残されていない、あるいは別の道を探さなければなら ないと感じられること。その困難を感じることから来るのだろう。セザンヌの試みとわれわれが欲求しているもの の、その核をよく見なければならない。 セザンヌはものを見て描いた人である。このことこそが、あの震えと不均衡、微細な灰色彩、そして観客が前 もって期待するものに対する明らかな齟齬を、初めて絵画にもたらしたのだった。ただし、齟齬がセザンヌの 狙いではないのは明らかだ。何よりも彼は、新しく自分で始めたかったのだ。ロレンスはセザンヌのその長い 試みについて、熱く素晴らしい文章を書いている。少し長くここに書き留めてみる!12

!11スーザン・ソンタグは『写真論』(1977)において、プルーストが写真を単に「利用できる範囲での記憶の道具」と半ば蔑んで捉えていたのに対し、 写真は道具というより「むしろ記憶の発明であり、その置き換えなのである。」と述べている。 !12 以下、引用はすべて DHL, pp.59 82

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四〇年にわたる徹底的闘いの末に、セザンヌはやっと一個のリンゴを十分に知ることができ、 また、十分とはいかないまでも、一、二個の水差しを知るに至った。彼がなしえたことといえば それだけである。そんなことは些細なことに思えるし、また、セザンヌは失意のうちに亡くなって しまった。だがそれは重要な第一歩だったのだ。プラトンのイデアよりはセザンヌのリンゴのほう がずっと意義がある。セザンヌの描いたリンゴが墓の戸口を押しのけたのだ。 彼はわれわれ にチャンスを与えてくれたのであった。 セザンヌの画家としての初期の歩みは、自分が描くクリシェ(=紋切り型)との闘いの歴史で始 まった。彼の意識は新しいものの実現を願った。ところが彼のなかにあるできあいの精神が、 できあいの表現をするようにたえず彼に勧めるのであった。セザンヌは不遜ともいえるほど誇 り高かったので、記憶が溜め込まれた知的意識から生まれる、できあいのクリシェを認めること ができず、そのクリシェがキャンバス上に現れて自分を嘲笑しているように思えたので、もっぱら 自分がつくり出す形態 フ ォ ー ム を粉々に砕くことになったのである。ほんものの芸術家にとって、また、生 命あふれる想像力にとって、不倶戴天の敵はクリシェである。 何かを表現したいと思うと、その目的を達成するまでには、まずヒドラの頭をしたクリシェと闘わ なければならなかった。ヒドラの最後の頭は絶対に切り落とすことはできなかった。そのような クリシェとの闘いが、セザンヌの絵画に顕著に現れている。戦闘の砂塵は色濃く舞い上がり、 矛や盾の破片が四方八方に飛び散っている。セザンヌの模倣者たちがいまだに熱心に真似て いるのは、この戦闘の、砂塵と飛び散る武器の破片なのである。 追従者たちは爆弾まがいのご大そうな花火を仕かけているが、そんなものはほんものの爆撃とは 似ても似つかぬものである。 なぜなら、セザンヌの仕かけた爆弾は絵も何もかもを吹き飛ばして しまっているからだ。しかし、セザンヌの望んだことは表現だった、、、(傍点引用文ママ)のだとわたしは確 信している。セザンヌは迫真の表現をしたかった、、、、、のだ。ただし、生の真実に限りなく迫るような表現 をしたかっただけである。 闘いとはどういうものかを理解できる。それは、できあいの知的観念の支配から、および、強固な壁 のように立ちふさがって、われわれと生命との間の邪魔をするクリシェがぎっしり詰まった知的意識の 支配から逃れることである。闘いは長引いて、たぶん永久に終わることはないだろう。だがセザンヌは、 リンゴに関してはその闘いをやった。わたしは、セザンヌ以外にこれをやりとげた人を知らない。 図 6 ポール・セザンヌ 「りんごとナプキン」 1879-80 年 キャンバスに油彩 損保ジャパン東郷青児美術館 (東京)

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セザンヌがクリシェと闘うとき、そこには闘いが生まれるある必然、、、、があった。それは、画家が陥るマンネリズム や自己撞着への嫌悪よりもいっそう強く、とてつもなく大きなものだ。つまり無視できない「実体」、「実物」があ り、それを目の前にしてそこから、、、、はじめている、という事実である。彼がどんなに画面上で自分の行為を正当 づけようとしても、目の前に現にあるモチーフとそれを映す目や感覚・直観は、正直さへとセザンヌを駆り立て ていく。常にいま置いた一筆が、次に顔を上げて視野に入るものたちに審判される。正確にはその時々のも のの姿と直観に。これはいわゆる「目に見えるとおりに描く」という、似せることや、方法としてすでにある形式 に合わせていくような話では全くないのだ。それは遠くおぼろげな確信に促されながら、頭の中につきまとう、 あの見栄えの良さを約束されたかのような形式から逃げ、辿れているかもわからないような道をいくような行為 である。セザンヌはこのことだけしかやらなかった。そして、彼の絵の始まりや進行を助けたのも、彼を叩きの めしたのも、これらモチーフを見るということ、目の前にするということだった。 けれどもセザンヌはこの果てしない闘いを続けて行けるだけの実感を、絵画そのものの中に持っていた。こ れもまた、いやこれこそ、強力な事実である。描いている自己を離れて広がるその絵画の現実、絵画にしか 分からない進行が、確かに、彼を助けたのだ。 私たちが彼と断絶しているのは、モチーフを見続けるという行為と方法である。そしてこれは大きな断絶であ る。今日の人間にとってのモチーフ、つまり手にしたいものは、その現代の身体・感覚回路に現れて来るのと 同様に、より瞬間的なもの、名の付けようもないが繰り返し経験していることという、散漫的で「印象」としてしか 留めておくことができないものへ(あるいは隠れた制度というような、そもそも不可視のものへ)と変貌していると いえるからだ。それは何よりも私の実感である。作り手はそれを絵の中で実感できるもの、実体のあるものにし たいのだ。しかしいったいどこにその成立地点があるのだろう?そして誰が私たちをクリシェに陥らぬよう審判 してくれるのだろうか?なぜならモチーフとなるその経験は制作へむかう時間のあいだ、いつも遠く離れた別 次元にいるのだから。それは容易に改変されてしまう場所にいるのだから。それにもかかわらず、そのイメー ジを見たいと思い、出来るのか、何が出来るということなのかも分からずに、人は手を動かし始めるのだ。 ところがここで、対象とするものは違っていても、そこから、それを通して、とりわけ絵画にすることで得たいと 思っていることは、実はセザンヌの絵に現れていることと同じなのではないか、ということが明らかになり始める。 それはつまり、セザンヌの絵画に確かにある、「事物に辿り着く」という感覚である。そこには絵画として隠れず にある、瞬時にわかる事物の像とともに、それが「ようやく見えた」という感覚を伴うのだ。「事物に辿り着く」と いう感覚。描かれたものが、見えるということの多重性を纏 ま と いながら、ひとつの実在性を生み出す。つまり絵画 にそうした感覚があるということ。それをセザンヌの絵によって目の当たりにし、呼び覚まされてしまったのだ。

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事物を見るということをいちど断念した者たちに、それでも、この感覚こそをもういちど自ら作り上げたいという 願望が残された。この章で回り道をしながら、ようやく私たちは今日まで続く絵画の一つの足場に辿り着く。 ロレンスの言う、「乱打され、たたき壊され、傷ついたクリシェ」!13が描かれたセザンヌの絵画を目にしたとき、 しかし観客は、何かこちらに襲いかかってくるような「イメージからの眼差し」を得ることはできない――、そん な印象を受ける。ドイツの小説家ローベルト・ヴァルザー!14の表現を借りるなら、セザンヌの「自明のことを不 可解とみな」し、がたがたと「山岳化」!15された景色のなかで、私たちは事物に到る 、、 のだ。視界が徐々に開け ていくかのような感触。またさらに、事物に到るとともにそれらは取り巻く灰色彩の、互いに接し合う連なりのほ うへ広がっていく。観客はリンゴやサント・ヴィクトワール山を中心に認めながら、あらゆる経路を歩きまた引き 返して来る。初めに目にした光景と振り返ってみる景色との間には、山道を歩いた者だけが知る中身――形 としてひとかたまりにみえるものは消え、色彩や筆触がそれ自身として、また周りと連なりながらあるさま――と、 引いて見て変わらずそこに「像」として姿を見せている景色とがある。その異なる次元/遠近が結びつき、こ の姿が現れている、という事実に対する、ある奇妙な不可思議さが存在する。像のほうへ歩いて行き、帰って きたあとで、そのものを知ったはずであるのに、ある「汲みとれなさ」や微かな不一致を同時に抱えてしまうと いうことである。それにもかかわらず、この行き来の最中に、絵画のなかで「何か」を見るということの何かその もの自体がある。そしてセザンヌから遠く離れた、隔たった場所から試みようとしていることは、この、「何かそ のもの」を見出しうる行き来の道がいかにして浮かび上がって来るのか、その作品を導く力を組成する法則と 作用とをひとつずつ見出していく、ということなのではないか。 図8 ポール・セザンヌ「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」1904-06 年 キャンバスに油彩 ブリヂストン美術館 (東京)

!13DHL, p.72 !14 ローベルト・ヴァルザー (1878-1956) スイスのドイツ語詩人、作品に『タンナー兄弟姉妹』など。 !15 ローベルト・ヴァルザー、飯吉光夫=編訳 「セザンヌ考」『ヴァルザーの詩と小品』所収 みすず書房 2003 年 p.118

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Ⅱ.叙述としての絵画

1.対象と移しとられることの間

書くとは、生の「他の流れに合流するひとつの流れ」であり、「それ以外の機能はない」!16と哲学者ドゥルー ズは言う。絵を描くことを叙述の一形態と考えるとき、絵画のエクリチュールは事物の何ごともなく在る表面に 向かって、そして表面からこそ、その内部の力と他との拮抗について捉えていこうとする行為だと言える。作 家は言うならば、その中で働く力に自らを預けたいという願望をつねに抱いている。 自己の経験をもとにして描くことを試みる。その私自身の制作について考えてみたい。見たこと(場所、もの、 ひと、取り巻くすべて)の中で働いている、ある「分からなさ」が、そしてもしかしたらその中の根源的な力関係 が与える何かが、絵に向かわせる。それは写真を撮る時の衝動のように、ある一場面・印象に向かうときもあり、 また、生まれてから何百回も見ているような何でもないものが、突然目につくようになる 、そんなことから始ま ることもある。制作に向かうのは、解き明かしたいという思いかもしれないし、描いて留めておきたいという記録、 記憶の行為ともいえる。Ⅰ章で述べたように、見る行為と作品化へと向かう行為との、その間の距離は今や日 付も季節も超えて広がり、私は半ば過去のイメージ、及びその時点で起きた反応と、今現在のこの場所の光 景との狭間で、一つの「見たこと」を組み立てようとしているかのようだ。 しかし絵を描くという行為はいつも、描くという行為の度に必ず、記憶の中の見たことを対象としてきたので はなかったか。再現描写的な絵画を制作し、どんなに近くにモチーフを置いて見つめ続けたとしても、画布 に向かう際は目の前の世界は画布だ。手の行く末を見守るかぎり、その時間は対象を眼差すことはできない。 短い記憶が色を、線を、体の動きを、さっきまで見ていた対象になぞらせる。しかしそれは記憶であるために、 描けない(=消えてしまう)という短い恐怖がわずかに起こる。そして「見る」と「描く」の距離がより遠くなるとき、こ の対象のなぞり、、、はもっと大摑みなものとなる。見たことも細部は朧げで、しかしその中のどこかが突出して来る ような、そんな凹凸を持つ記憶が、描くことの端緒を与えるのだ。

図 9 松本玲子「something to fall, something to remain」 キャンバスに油彩、2012 年

!16 ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ、江川隆男・増田晴彦訳 『対話』 河出書房新社 2008 年 p.81 ドゥルーズはこの箇所でまた、「書くことはそ、、、、、、

れ自身のうちに自らの目的をもっていない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。それはひとえに生が個人的な何かではないからである、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」とし、「エクリチュールの目的とは生を非個人 的な力能の状態に運んでいくことである」と書いている。

(14)

描くことの端緒――。描く対象は描き出すそのずっと以前には、そのものに接したときに覚えた感覚(視覚的 に突出した断片、あるいは反対に非-像的なもの)だけがクリアで、具体的なものの輪郭はぼやけている。だ が、描き現していこうとする意志がそこに一つのヴィジョンを持とうとするのだ。これは志向しているものを再意 識する、「反省」という行為といえる。そこにはすでに、作り手が多少なりとも自分の手段として知ってしまって いる、これから進行して行くだろう「感じ」と、全く未知のこととが混在している。 描くことに慣れた目はしばしば、何かを経験している最中でさえ、絵を描くことを前提にものを見てしまって いることがある。それは一方で、自らが作品で達成したいものへ至る手がかりをつねに探している態度なのだ が、他方で単に図像処理的な眼差しで捉えてしまっている、ということがある。それは世界を道具化すること、 やりくり、、、、の思想であって、自身の絵画の形式に感覚器官を合わせてしまうこと、今目の前で起きていることに 当て嵌めを行い、捕まえるということを先送りにしてしまうという側面を持つ。 しかしよくよく考えてみると、この行為はけっして単純な話ではないのだ。つねに、道具化と探求の境界は 曖昧である。そしてまた、同時にある事実を明らかにもする。それは、語弊を恐れずに言えば、絵画がつねに 事物を歪めて、つまり歪めるという機関を持つことで自らを存在させようとするものである、ということだ。「機関」 とは自然エネルギーを動力エネルギーに変換するものの総称でもある。作り手はそれぞれにこうした機関を 持っていて、それはものを見ることでその時々に変化をし、更新されて行くが、いつでも自分の限界や描くと いう手法の持つ限界を超えない。そしてもうひとつ。誤って作者自身を一つの型、、、、のみ、、の、置換装置に固定して しまうほど、またそうした心理や習慣に導いてしまうほど、絵画は何も起こさない空間、次こそは何も描くことが できなくなる空間であるかもしれず、また現実は何ごともなく平凡で神秘的で、相変わらず何も掴めないものと して広がっているのであるのかもしれないからだ。ウィレム・デ・クーニングの言葉が静かに木霊する――。 芸術が私を平和にするとか純粋にするとは少しも思えない。私はいつも卑俗なメロ ドラマの衣装を着せられているように感じている。私にとっては、屋外の美術も屋内 の美術も―あるいは一般的に美術は―居心地のよい場所ではない。その場所のど こかに、素晴らしい考えが眠っているだろうということは知っている。しかしそこに入っ ていこうと思うたびに、私は無力感に襲われ、横になって眠りたくなる!17 図 10 松本玲子「閉じる層、駆ける」 キャンバスに油彩 2010 年

!17 ドリー・アシュトン、南條彰宏訳 『ニューヨーク・スクール』 朝日出版 1997 年 p.241 に引用されたデ・クーニングの言葉。

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作者は語る手だてを求めている。しかし、ものを見ていても一つの語でしか語れない状態はクリシェの状 態であり、審判を失ってしまった状態といえるだろう。そしてこの言葉もまた、正確には正しくない。絵画がい つも最終的に、その絵固有の「顔」を持つものだとしても、顔はあらかじめ受け取られるものではなく、また正 しい方法があるわけでもないからだ。われわれは次のトピックで絵画の具体的な現われかたを見て行くが、絵 画とは一つの、意図が破られてい、、、、、く経、、験、、別のものにされてい、、、、、、、、、く実現のあり方、、、、、、、なのだ。 作り手の生の中で体験された光景というのはそのまま現れることはできない。その光景は消されていく。もう 手にすることはできないと感じるほどに。その体験に由来した初めのなぞり、、、の一筆は、ひとつの目覚めにも似 た小さな衝撃、また、ある取り返しのつかなさ、を感じさせる。それはもうすでに作り手からは切り離された破片 なのだ。結局、生の中の体験は絵画の生を開くためのきっかけにすぎない。そして、経験を描くと一語で言っ ても、その一瞬限りのことを組成しようとする途端に、あらゆる次元が同時に立ち現われてくるのだ。その一景 色のなかにあるすべての事物(空、地、樹木、小屋 )が等しく動きを持っており、すべてが同じ重要さで迫っ てくるからだ。空の広がりかたは、雲の速度は、土の厚さは、そこにかかる樹木の影は 、というように。意 図したことを達成するためではなく、このことのほうの途方もなさに気づくために、作者は自分に保存していた 僅かな記憶や印象を画面に与えているかのようだ。絵画の中で記憶の景色は、その在りようを新たに求めて くる。あるいはむしろ絵画が自らをはたらかせるため、作者を絵画のうちで生きさせるため、媒介物として外部 を許容しているようである。 画布に向かい、この迫ってくるものを感じた時点で作者はひとつの抵抗に出会っている。これは意図への 否定として現れるのだが、決して壁のように跳ね返すのではなく、むしろ作者に反響する。反響のこだまはす でに作者の内に棲みついている。そして作者はこの反響の中でもう一度、分からなさに会い、また再び絵画 の仕方で組み立てていくことを試みる。画面に置かれた実際の線の物質感はつねに作者の想像を裏切り、 かつ想像以上の力を持つ。 絵画の現実の始まりとともに初めの夢想は終わる。ここで意図する者としての作者は半分消え、つくる者とし ての作者が登場するのだ。 図 11 松本玲子「ノートⅥ:熱ばかりがそばに」 キャンバスに油彩、オイルパステル 2011 年

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2.途中からはじまる絵画

画面に置かれた筆致は遥か先の意図のもとに置かれている。それは予感を指しているのだが、しかしそれ 自身だけですでに何ものかを体現している。作り手はこのタッチ、ストロークと遥か先のイメージとの間で行為 する。 毎朝家のドアを開け外へ降りて行くと、途中の景色ばかりが目に広がる。信号は点滅し木々はすでに風で 揺れている。昨日から続く今朝がもう始まっているのだが、風景の一部に投げ出された私はまだ馴染みきれ ずにいる。また、いつも通る道、いつも通る木の下は、その通る時間ぶんだけの途中の景色を目に映す。始 まりの一筆、それは始まった時点で、画面の中では確かに最初の一筆なのだが、しかしすでに何ものかの流 れの中に接続された「途中」としてまず現れる。あるところ、、、から始まったこの腕ひと動きぶんの単位は、その先 のものへと向かおうとして次々と新たな単位を繰り出し組成させようとする。まっ白な雪に深く覆われた街を彷 徨い歩き、そのまぶしい光の反射と進みづらい道の上で、しかしゆっくりと建物の輪郭や位置関係が分かり始 めてくるように、タッチやストロークはものの位置の付箋としてはたらき、そして同時に雪の散らばりの一片とも なり、また雪解けの水になって他の流れと合流する。散逸し様々な立場の一員となるこのタッチ、ストロークの 単位は、決して一定・均一ではなく、飛躍と従属との間を様々に行き来する。そして、いつしか増殖していく 毎に、この絵の持つ固有の進行のテンポ、その当のものになっていく。このテンポ、この息づかいは、形が誕 生し作品が完成するだろう未来にまで浸透する。それはイメージの心臓・母体となるのだ。 視覚的に現れながらリズム的な役割をも担うこの単位は、自らがリズムであるために当然、現れることでその 拍子を刻み、それは増えて束を形成する。その様はものに近づくときの探りやためらいのさま、形の形成過程 のさま、そしてそれらが纏う空気のさまである。この束は自らがどのような運動を持つものであるか自覚してい るために、一方で形の組成の役を担いながらも、まず自分自身の抱えている運動性のために半ば自動的に 拡散を要求していく。両義性を孕んだこの束の進行は、自らのこの両義性のために、不規則で時として遅々 としたものとなる。そこに介入する手は、目指したい形に添うよう束を導こうとしたり、まだ早かったと元の筆の 積み重ねに戻り、むしろ新しい道を見出したりと、この自動的で自由なリズムの単位に、待つことや中断、従 属や加速という別のテンポを加えている。

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こうした迂回路を経るような進行は、形の組成と自動的な運動性という関係性だけのために起こるのではな い。むしろこの関係性・両義性が、このひとつの単位の持つ様々な次元、色彩・線・物質性(質感)においてそ れぞれ同時に進行し、交じり合っていくためにもたらされるのだ。隣り合う色彩が浸透し混ざり合うことは、絵 具という物質の溶解であり、線の容貌の変態である。単位が増える度に束の内部での浸透や重なり、厚みは 様相を変え、やがて束の性質そのものを始めと違うものにしていく。そしてそれは散逸した他の束との響き合 いも変える。たとえ描き加える作者の意識に色彩・線・質感についての優劣があったとしても、描き進めるとは、 この複数の領域がその度ごとにそれぞれ展開されていくことであり、横断されていくことなのだ。そしてこの横 断によって、絵画の進行とはつまり線的なものではなく、置かれたもの同士が関係し合うそのエネルギーが次 の(可能なあらゆる)連関へと飛ぶようにして画面上を巡り、徐々に根が張られていくものであるということが明 らかになる。 ところで、私たちはものの現われかたを見ていこうとしているのだが、まさにここで、意図が破られていく、、、、、、とい う経験が発生している。作者が展開するのでもなく、記憶が展開するのでもなく、絵画がモチーフを展開する という事態が。いま絵画に点在している行為の痕、手の単位、束とリズムが、彼ら自身で自らの関係と法則を 見つけて行き、つまり自己認識を経て、次の広がるべき場所へ向かって行くのだ。進むための「手」を差しの べるのは作者の手なのだが、この手は画面に押し付けられるのではなく、まるで奥で響くもののために画面と いう平面に孔をあけているようでもあるし、流れようとしているもののために水流を増す水を注いでいるようでも ある――。 あるイメージに接続され、その途中からはじまった絵画はいま、その流れから頭をもたげて、浮かび上がろう としているようである。

3. 散文(プローザ)としての現れと限定づけること

19 世紀の初めに、こうした作品の生成に関して、その道行きに意識の主客を超え自然との類似を見て取っ た芸術哲学があった。ドイツの詩人ノヴァーリスと批評家 Fr・シュレーゲルに代表される初期ロマン主義の芸 術理論である。そして 20 世紀の思想家 W・ベンヤミンは彼らの芸術理論を、『ドイツ・ロマン主義における芸 術批評の概念』!18という博士論文に著している。ベンヤミンは「芸術作品は一つの批評として現れる」とする初 期ロマン主義の芸術理論に多くの啓示を受けていた。 初期ロマン主義の人々が取り上げる芸術作品とは文学作品、とりわけ詩作品と小説(ロマン)のことを指す。 そして絵画表現もある種の「言語活動」とみなした場合、ここには多くの参照点が見出せる。

!18 ヴァルター・ベンヤミン、浅井健二郎訳 『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』 筑摩書房 2001 年 この論文においてベンヤミンは初期 ロマン主義を、のちに様式化してしまい内面性の重視や理想主義・神秘主義傾向をもつとされるいわゆるロマン主義とは明確に区別している。 むしろ彼らの試みを作品生成および批評の際に起こる認識の問題、芸術というものの「理念」など、作品が形成されるということの核の運動や法 則性を、初めて客観的に捉えていこうとした活動として考証し、論じている。

(18)

初期ロマン主義者とベンヤミンに共通している精神は、芸術作品を作者の自己表現とは見なさず、それ自 体生命を持つもの、精神の諸法則性がみえる場所として捉えていたことだ。彼らは、作品はどこかにある「芸 術」という形式を目指すのではなく、作品が自分自身で「反省」!19という自己に由来した運動をくり返し、やが て自らの「そうでなければならない」在りようをみつけるもの、と考えていた。「芸術」とはそのようにして出来た ものの総体の名前なのである。詩の韻律形式や絵画ならば遠近法などに沿うのではない。個別の問題や状 況から始まった作品が、ありうる様々な描写を試み、動員し、それ自身の経路をたどり、具現化するということ。 その最中に、作品が自らを産出して行くエネルギーである「反省」が、絶えず今描き(書き)加えられた一つの ストローク、一つの色のライン(一語、一行のことば)による、画面の響き合いや変化する動勢(他の文との相関 図の変化)を外から捉え、次の一筆へ、そしてまた次の段階へと連関・飛躍・行き来が続き、次第に作品の意 識が高まること。ノヴァーリスは芸術の、この自己を形成する存在(本質)こそが、「ポエジー」であると考えたの だ!20。それはまさに、作品が何かを摑み取ろうとする、その高まるエネルギーにほかならない。そして彼らは、 こうした作品生成が起こるたびに人は新たに、古代にまで遡る詩歌の発生、その始源の行為と同じ地平に立 っていると考えていたのだ。ベンヤミンは論考中に下記のシュレーゲルとノヴァーリスの言葉を引いている。 「すでに存在したことのあるものが、なぜ再び新たに生成してはならないことがあろうか? 別な仕方で、というのは自明である。」!21 「われわれの内部にはある種の文学が、つまり、他のもろもろの文学とはまったく異なる 性格を持つと思われる、ある種の文学が存在する。というのも、それらの文学は必然性 の感情をともなっているのだが、しかしそれにもかかわらず、それらの外的な原因はまっ たく存在しないからである。人間にとっては、まるで自分がある会話をしていて、なにか 未知の精神的存在がある不可思議なやり方で自分を動かし、最も明瞭な思想さえをも 展開させてくれるかのように思われるのだ。」!22 あることを巡る会話のなかで、対象は言葉によって次々と新たな面を反射させていく。しかしそれは未知の 道行きであり、だからこそ、そのエネルギーはまだ全貌なく無限なものとして現れ、感じられる。原初の詩歌発 生と同じ地平に立つとはつまり、この生き生きとしたものと未知との内に立つことだ。 (私は文学作品に対するこの理論に絵画への類似を感じて援用してしまったが、次の言葉も、完全には絵 画の要素に還元できないのを自覚しつつ、用いることを許してほしい。)

!19初期ロマン主義において反省運動はその思想の根幹をなしている。初めにある何かを感じている状態は「思惟」の段階であり、次に   その感覚および感じる自己について考える状態は「思惟の思惟」の段階、つまり理性の段階とよばれる。さらに「思惟の思惟の思惟」   の段階となると、思惟する主体と思惟された客体という二重化が生まれ、以降反省は無限に連関を広げる。これは空虚な終わりの無   さではなく、この反省連関の広がりそのものが自らの認識の形式をまさに生み出している、そのような活動として捉えられている。 !20 ベンヤミン、前掲書、p.131 ベンヤミンは文中で「反省は、芸術においても、一切の精神的なものにおいても、根源的にして構築的なものなので ある。」と言い、ノヴァーリスの言葉を引いて以下のように続ける。「宗教は「心が 己れ自身を感覚する」ことにおいてのみ発生するのであり、 そしてポエジーについては、ポエジーは「ひとつの、己れ自身を形成する存在[本質]である」と言えるのだ。」 !21 同前、p.188 に引用された Fr・シュレーゲルの言葉 原典は『青年期シュレーゲル著作集』 第二巻 !22 同前、p.195 に引用されたノヴァーリスの言葉 原典はハイルボルン編『ノヴァーリス著作集』 第二巻

(19)

ベンヤミンはこの論の最終章で、「ポエジーという理念とは、プローザ(Prosa:散文)にほかなら」ず、「ポエジ ーとは、もろもろの芸術のなかに存在するプローザである」!23という初期ロマン主義の批評基盤を見出す。ど んな外的制約も受けず、詩はまず散文として立ち現れる。そして立ち現れた散文たちは次第に、彼ら自身で、 自らのリズムを「互いのうちへ移行しあい」、「結合しあって、ひとつの新たなプローザ的統一体になる」!24のだ。 もしここに、一つの絵画組成のモデルを見て取ることが許されるならば、それはこうした言葉に対応するので はないか。「散文」とは繰り出される筆致やストローク、そして色彩の一つ一つであり、その重なりや混じり合い である。一枚の平面図のなかに連立するその単位や束たちの間で、ある連関がそのつど見出され、エネルギ ーが変化をくり返しながら循環し始めるとき、そこにポエジーが、作品自身の鼓動が生まれている――、と。 制作の最中でも、まだ具体的な姿ではなく絵具の現象である部分が、時にふと説得力をもち、次はその部 分を中心にして、絵が新しい景色を持ちはじめることがある。この論の主題である空虚の部分、イメージへの 手探りの接近のための、まだイメージになっていない一筆一筆は、けっして手の痕跡に終わらないのだとわ かる。それらは形、色彩の広がりと、様々な連関がこれから生まれる場所と、エネルギーの回路とを同時に準 備する、そのような運動の広がりである。 しかし絵画のポエジーの核が生まれうるこの時間は、絵を始める以前に「何か」を現したいと意図してからそ のことに近づくまでの、大きく複雑な中間地帯である、ということもまた明らかだ。予感のなかにある最終地点 のために始まりながら、運動として活発化していくものと形体になろうとして切り込むものがあり、また次の段階 ではその二つは再び一つの場所に同居しているものとされて、新たな筆がどちらかの断絶でも継続でもなく 加えられる。作者の想定したものを超えて生成が始まるとき、それこそが絵画の始まりだろう。そのエネルギー と、生まれる断片や段階一つ一つの明滅が失われず、むしろ互いを反映する、そのような全貌を見出すこと を画面上の断片たちは要求する。問われるのはその成立地点である。

図13 松本玲子「a pine tree soak the city slowly」紙にインク 2012 年

!23 同前、pp.212-214

(20)

初期ロマン主義者が見出した芸術の理念、それはそのつど新しく生き生きとした生成の連関が起こることと 同時にまた、言うならば、未知の行き先に向かう不安、行き着く場が果たしてあるのだろうか、という不安定性 とともに、この生成連関を生きることを意味している。過去においても未来においても、こうした作品生成のた びに起こる揺らぎ。それは信頼に足る「場」を失ったところから制作を始めた者にとって、より複雑な意味を帯 びて響く。ここでは純粋に絵画と作者の間に起こるプロセスの揺らぎから更に、客観的な視点による、成立に 対する根拠の部分が不安に加えられる。証明することの困難さ、その足場の無さと言えるだろうか。実在性を 求めながら、そしてその感触を感じながらも、つねに投げ込まれる根拠のなさと顔をつき合わせての進行が 続く。描き出す以前も、最中も、そして以後もまた。 初期ロマン主義者は、反省運動がやがて一個の作品として存在するようになることを、作品が自己局限(限 定づけ)をおこなうこと、と言った!25。それは連関の広がりの減少や後退ではなく、植物のように、作品の内部 で循環を密にしていく時間の始まりである。過程で起こったあらゆる生成活動が響き合う地点に行き当たる、 作品がひとつの居所を見つけるということに近いだろうか。 絵画は筆が積み重ねられ密になるものであり、その増殖や配置が形作ることである。しかし、手の中で姿が 次第に整えられていくという感覚と同時に、それはどこかいつも、摑み取るという感覚に近い。あるいはいつ の間にか摑み取っていたという感覚に。描くという行為はその過程がすべて、対象を組み立てるという建設的 なものに繋がるとともに、それはつまり、じっと待つ行為でもあるのだ。描き綴り、描き加えたものをつねにまた 土台にしながら。 絵画のこの「見えなさ」とは何か。作者が絵の成立地点を、根拠の無さと隣り合いながらも、見出せたと感じ るとき、そこで絵画に見ているものとは何だろうか。私たちはここで、運動の発生とともにもうひとつ、像の現れ について見なければならない。その後に初めて、絵画というものにはたらき、循環する何かが見えてくるはず だからだ。

!25 同前、pp.148-150、及び p.152

(21)

Ⅲ. 起き上がる景色

1. 標識図

ここまでみてきたことは、イメージが現れることへの期待である増加の運動、連関を見出しそれを破り、そ してまた組み立てる、そうした運動と関係していた。最終章ではこれまでみてきた運動が孕む、作り上げて 行くための行為であるのにその妨害・制御にも感じられるもの、像を成立させないような行為であるもの、そ れに似た力や作用について考えたい。絵を分からなくする、絵が見えない予感がする、そうした妨害はあ からさまに暴力的な容貌をしているものと、心地よさを醸すもの、沈黙しているものと、様々である。私はイメ ージを見たいと求めているが、同時に手を動かし増えていくことで、何もかもが等しくなってしまうこと、記憶 の中でも確かに働いていた主視点が崩れてしまうことがある。そしてそれこそが自分の求めていたこと、、、、、、、、、、、、、、、だ、と 何故だか親近感すら覚えるのだ。作り手が求めているのは以下に語るような制御の困難さを、絵に対する 誠実さの証としてどのように自分に持たせるか、その自分なりの「飛び出し」を抱えることなのではないか。 そして、その制御から再び像が顔を出す生成の集束点が見出されたとき、それはどのような状態なのだろう か。 ジル・ドゥルーズはフランシス・ベーコン論『感覚の論理』!26の中で、標識図(ダイアグラム)という言葉、それ が意味する行為と絵画現象について章を割いている。ダイアグラムとはベーコンの絵画でしばしば人物た ちが負わされている、あの溶け出したような、前ぶれもなく突如分解しはじめてしまったような部分のことを 指す。それは確かに「筆、箒、スポンジあるいは布切れで拭い去られ」、「拭去され、一掃され、皺をつけら れたり、さらにはまた再び覆い隠されたり」した、激しい揺さぶりの作用によってできている。ポロックの例も 引かれていることから分かるように、ダイアグラムとはある行為によって自動的に出現した絵画性、その空間 性や運動性のことなのだ。ドゥルーズはこの著作全篇にわたってベーコンの言葉とともに、絵画が形体を持 ちながら、しかし物語や因果話から解放され、乗り越えられている状態がいかに成立するのか、という問題 を追求している。それは絵画に像が描かれているけれども、そこから、つまり像が何ものであるか分かった 上で物語的に絵が語られるのではなく、絵画は、像がそこにいること「そのこと自体」をいかにしていうことが できるか、という絵画の事実性についての問いである。そして、ダイアグラムとはまさにこの絵画の事実性に 関わる要素なのだ。 デッサンをするとき「調子をつける」とよばれる、あの量感と空間を同時に生み出して行く手法がある。しか し調子をつけることは、ものを通過する光と影や立体感の表現であり、ものを拠り所にしている。ダイアグラ ムはそれ自体では何も形象的なものを生みはしないもの、単に絵具との行為の現象であり、むしろ形をつ くることなど拒否したものとしてある。しかし、ドゥルーズはこのダイアグラムをセザンヌが絵を進めていく際の 単位、「モチーフ」に相当するものとしている。一見したところ、ベーコンとの差に驚くが、たしかに、セザンヌ が自分を感光板にして預けた、色彩という次元を体現するものである「モチーフ」は、その一つ一つは筆の ひと塗り、四角いひとつであって、何と分かるものではない。しかしそれが点在し集積していくと、その呼吸 はセザンヌのものへの近寄りかたとなり、半分だけの重なりや微妙な色彩の接続がものを示唆し、やがて実

!26 ジル・ドゥルーズ、山懸煕訳 『感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論』 法政大学出版局 2007 年 pp.93-104

(22)

体のある量感を持つにいたる。セザンヌの作品の幾つかは、近づく途中で示唆に満ちた色の次元だけに なっているものと、描くことが進みすぎて色だけの世界へ戻っていってしまうかのような印象を与えるものが ある。しかし重要なのはここで観る者が、集合し離散し秩序付けられることでものを生み出すこの単位をた どること、そのリズムを感じることで、イメージより先に、、、、、、、、直接絵画的経験に接続しているということだ。ドゥルー ズはそのように考えた。ダイアグラムとは「単なる心理的な 経 験エクスペリアンスではなく、真に絵画的な 実 験エクスペリアンス」なので ある。 対象を直接眼差してはいないベーコンのダイアグラムは、暴力的なまでに手の欲するダイアグラムとなる。 それはますます像を生み出すことを困難にするような現れである。しかしむしろ眼差すものが無いことで、 目は過剰さを要求するのかもしれない。ダイアグラムとは純粋に現れの準備の地帯であり、同時に無の、不 毛の地でもある。像は先送りにされている。期待の場であり、もう終わってしまっている終焉の場である。ドゥ ルーズはこのダイアグラムを「一種の破局である」という。 あらゆる芸術の中で、おそらく絵画こそが、それ固有の破局を必然的に、また「ヒステリックに」取り 込み、かくて無鉄砲な前方への逃走として自らを形成する唯一のものである。他の諸芸術にあっ ては、破局は付随的にすぎない。しかし画家はといえば、彼は破局を経験し、混沌と四つに組み、 そこから脱出しようと試みる!27 この非図像的な混沌をいかに捉えるか、そこにこそ今日の画家たちの差異が生じるだろうと彼はいう。こ こから立つやり方が、作者の語り方――別の著作でドゥルーズは作者の唸り方、、、という表現をしている!28―― なのだと。それは「来るべき絵画の秩序」に関する態度であり、この「破局との関係」に関する態度の表明な のである。

図 14 ポール・セザンヌ Le Jardin des Lauves 図 15 ポール・セザンヌ The Black House キャンバスに油彩 キャンバスに油彩 1906 年 フィリップス・コレクション (ワシントン) Private Cllection

!27 前掲書、『感覚の論理』 p.96

(23)

この混沌この破局は、絵を前にしたものたちに突きつけられる強烈な現実、抵抗力である。未だ現れてい ない形・像は、ここでは幻想のようなものだ。だから、像が生まれるには必然的に遅れが生じるし、この力と 闘い、この力を借りて戯れなければ姿を持ちえない。この地帯に対象を組成しようとする行為は、そのまま、 物質と労働のあいだ、現実と想像のあいだ、絵画経験と図像経験のあいだ、連続性と非連続性のあいだ、 飛躍して絵画の生と死のあいだの問題にまで横たわる、中間世界の無限の複雑さがある。ベーコンは彼の ダイアグラムを初期は全面に、そして次第に部分的に用いている。それはベーコンのダイアグラムが抱える 「叫び」が、他との色面との落差を産出してもっとよく響くように、そして密閉された空間でのその唐突性が 重要であったからだ。ベーコンのダイアグラムは視覚的に再び統御されることで、解体され行くことの体現 そのものになる。 私たちにはそれぞれにこの破局を希望し様々な力の危機を抱え込んで、始まっている絵画の求めるイメ ージの居場所を、手の行為と目とでみつけていくということが残っている。ダイアグラムという言葉はここで、 手が目を先導するという視座をもたらした。これは作り手の経験という外側からの作業を拒み、本当に作る ことを要求する。それはまるで作品にしたいと感じた瞬間が、人にふいに訪れた時のように、絵画の中でも ふいに訪れる瞬間を待つかのようだ。一度手放すこと。それこそがいま起きている現れに類似を見出す機 会を与えるのだ。そしてその場所はいつも、どこかにあるだろう、ということしか言えない。ダイアグラムはそ れ自体で運動性も拡張性も持っている。しかし私の狙いはあくまでそこから、それと共にこの世界の事物と 似た像をもとうとすることなのだ。外の世界の姿こそが絵画にリズムの飛躍と転調をもたらし、そして人に想 像の飛躍を、絵画経験に留まったまま、為すからである。 図 16 フランシス・ベーコン「ある風景の中の人物」 キャンバスに油彩 図 17 フランシス・ベーコン「ファン・ゴッホの肖像のための習作Ⅵ」 1945 年 テート・ギャラリー (ロンドン) キャンバスに油彩 1957 年 ブリッジマン・アートギャラリー (ロンドン)

図 9  松本玲子「something to fall, something to remain」 キャンバスに油彩、2012 年
図 12  松本玲子「walk across the emptiness」  紙にインク、鉛筆  2012 年
図 13  松本玲子「a pine tree soak the city slowly」紙にインク  2012 年

参照

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