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現代韓国における歴代大統領の選出過程と地域主義-嶺南・湖南地域を事例に-

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島根県立大学総合政策学部総合政策学科 卒 業 研 究 題 目 現代韓国における歴代大統領の選出過程と地域主義 -嶺南・湖南地域を事例に- 所 属 江口伸吾准教授 総合演習 入学年度 平成19年度 学籍番号 11071156 氏氏名名 高橋昌也 指導教員 江口伸吾准教授 提 出 日 平成22年12月15日

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要約 大韓民国(韓国)は8つの道と1つの特別市、6つの広域市という行政区分がなされており、 地域毎に文化や方言といった地域性が見られる。しかし、嶺南地域(慶尚道、釜山、大邱、 蔚山)と湖南地域(全羅道、光州)の間には地域性とは異なる、「地域主義」と呼ばれる対立 が存在し社会問題化している。地域主義は双方の地域が反目しあうだけでなく、大統領選 挙や国会議員選挙時に、それぞれの地域において特定の候補に得票が極端に集中するとい う形で現れ、一方の地域から擁立された候補が当選した場合、もう一方の地域を冷遇、差 別する政治が行われてきた。 この地域主義の原因は諸説あるが、本稿では1960年代に地域主義が発生したと考える。 その説を論証するため、国民によって直接投票が行われた歴代大統領選挙の結果や当時の 政策、地域主義に関して書かれた韓国の論文、書籍などの資料を用いて原因を見いだした。 研究の結果、「慶尚道」、「全羅道」という道単位の地域概念は日本による植民地時代 から根付いたものであり、19世紀以前から地域主義が伝統的に存在していたとは考えられ ないこと、1960年代からの政治、経済活動によって地域主義が作り出されたということ、 現在も大統領選挙、国会議員選挙時に地域毎で特定の候補者に集中して投票するという形 で地域主義が存在していることが分かった。 21世紀に入り、盧武鉉が地域主義の解消を公約に大統領に就任した。だが、その政策は 地域主義の解消にはほど遠く、結果的には政治的混乱を引き起こしただけであった。一般 生活の中では感じる事が尐なくなった地域主義も選挙になると大きな力を見せつける。そ の問題を解消する必要性を最も認識しているのが政治家であると同時に、地域主義を解決 できないでいるのも政治家である。

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[目次] 要約 目次 1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 2 本論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 (1) 地域感情と地域主義s・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 ① 地域の概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 ② 地域感情の概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 ③ 地域感情の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 ④ 地域感情から地域主義への変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 ⑤ 地域主義の原因とその弊害・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 (2) 地域主義解消の挑戦と現実s・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 (3) 解消案s・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 3 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 4 注釈・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20

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1 1 はじめに 最近、日本では地方分権が進むにつれ、地域性、とりわけ県民性を題材とした書籍、テ レビ番組などを目にする機会が増えた1)。隣国、韓国においても日本と同様に地域性いう ものが存在し、ソウルと釜山を題材にしたテレビ番組を目にすることがあるが、それ以上 に深く、社会問題となるほどの地域性が存在している2)。それは日本でいうお国柄、また、 ソウルと釜山のライバル意識といったようなものではなく、“地域主義(지역주의)”と呼 ばれる形で現われるものである。本稿では嶺南(釜山・大邱を中心とする慶尚道)・湖南地 域(光州を中心とする全羅道)の地域主義を取り上げるが、この2つの地域においては、歴 代大統領選挙時にそれぞれの地域出身である候補者に集中した投票が行われるという形で 地域主義が現れる。長年、嶺南地域の候補者が大統領に当選、就任してきたが、その結果、 大統領をはじめとする政治家は自身の支持基盤(地域)にのみ投資し、地域間経済格差、民 主政治の遅れをもたらした。1987年に民主化が達成され、1998年に湖南地域を支持基盤と する初の大統領も経験した韓国政治であるが、いまなお社会問題として残り、政治に大き な影響を及ぼしている。 この地域主義に関する研究は韓国においても日本においても数多くなされてきた。だ が、それらの研究では原因を1960年代~70年代の政治にあると述べておきながら、解消す る方法を家庭の初期教育やメディアの報道などから見出そうとしており、政治的方法(政 策)によって解消策を求めるものはない。日本における研究では地域主義の成立原因すら も現在の韓国では否定された意見を引用したものが多い上、地域主義を解決済みであるか のように記されたものまである。 本稿は、韓国国民によって直接投票が行われた歴代大統領選挙の結果、当時の政策、 地域主義に関して書かれた韓国の論文、書籍などの資料を用いながら、実際に嶺南、湖南 地域の国立博物館、光州広域市の5・18記念公園、5・18民主墓地への訪問、蔚山・光州出 身者の聞き取り調査を第一次資料として用い、以上の問題がいまだに存在している理由を 考察すると共に、選挙制度の改革、地域主義解消政策(首都機能移転計画)といった政治的 解消法についても考察する。

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2 2 本論 2-(1)地域感情と地域主義 2-(1)-① 地域の概念 地域というのは単純な物理的空間である以上に、生活方式や信念、または価値観などを 含む生活世界を意味する3)。すなわち、地理的に隣接地域と区分する単位という意味だけ ではなく、生活、文化などで同質性のある空間領域を示すものであり、そこから派生する 感情的同質感ないし、運命共同体的属性を持っているともいえる。 2-(1)-② 地域感情の概念 地域感情というものは地域を基礎とし、それぞれの地域に対して否定的、偏見的な心 理状態を意味する。特に、韓国における嶺・湖南地域の地域感情は“個人が自身を嶺南人、 または湖南人に統一化させることで、相手側に対して否定的、偏見的な心理状態を持って いる”といえる。または、“地域的によって区分されている人々の間に存在する集団絶対 感”と定義される4) この地域感情は個人的な次元の感情であるというよりは、その人々が属した集団の影 響を受けたために起こったと見ることができる。集団絶対感に基づく集団意識はその集団 (地域)の結束力と成就をもたらすだけでなく、その集団内の社会的統合を可能にするとい う長点がある。その一方で、集団間の緊張感や対立を助長させ社会全体の統合を阻害し、 断絶と分裂を引き起こす原因にもなる5)

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3 2-(1)-③ 地域感情の成立 (図1) 嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)地域の位置 韓国における地域感情は三国時代(新羅・百済・高句麗)に根源があるという意見が韓国 における研究の中でもかつて多く見られた。しかし、三国時代まで遡ることは無意味であ るという意見が現在の韓国では支配的である6)。一方で日本においてはこの問題に対する 理解がなされておらず、地域感情の根源を三国時代から見出そうとする記述が多くの書籍 や論文に見られる7)。そもそも、嶺南地域を支配した新羅は都を現在の慶尚北道慶州市に 置いていたが、湖南地域を支配した百済は都を全羅道ではなく、現在の忠清南道扶餘郡に 置いていた。この点からも嶺南地域と湖南地域が対立する要因になりえるとは言い難い。 さらに、嶺南地域と湖南地域の対立が近代以前から存在していたという意見を否定す るのは以下の理由からである。高麗(918年-1392年)の初代国王である王建(ワンゴン)は死 の4か月前に後継の王が守るべき10つの教訓を残した7)。そこには湖南地域の人々の登用 を避けなければならないという記述がある。しかし、高麗時代初期を除いて、湖南地域出

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4 身者の中央政界への登用は特に制限されていない。もちろん中央の王室と地方との間での 軋轢はあったようであるが、特定地域への目立った差別はなかったようである。さらに、 11世紀には朝鮮半島全土を五道両界(北界・東界・西海道・交州道・楊黄道・慶尚道・全 羅道)に分け、慶尚道・全羅道という呼称もあらわれるが、この両地域が反目しあったと いう記録はない。そもそも高麗時代には、三国時代以来の郡県制が中身を変えながらも維 持され、道単位の地域は政治的、社会的意味を持たなかった8) 李氏朝鮮時代・大韓帝国時代(1392年-1910年)においてはそれぞれの地域がそれなりに社 会的意味を持つようになった。道ごとに地域性を表した文献も多く現れ、『朝鮮王朝実録』 の中には“旧百済の地(湖南地域)には百姓が多く、人心が薄弱で盗賊が群起し、下剋上の 風潮がある。” と9代王、成宗(ソンジョン)と学者、孟賢(メンヒョン)のやりとりが残さ れている。だが、湖南地域は朝鮮半島でも最大の穀倉地帯として重視されていただけでな く、湖南人を称賛する文献も多い。壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)では湖南人の豊臣軍に 対する義兵の目覚ましい活躍がある。14代王、宣祖(ソンジョ)は「もし湖南が無ければ、 国家も無い(若無湖南 無是国家)」と称賛し、18代王、顕宗(ヒョンジョン)も湖南を「優れ た賢人と節義の郷(最名賢節義之郷)」と述べている9)。つまり、湖南地域に対する偏見は李 氏朝鮮時代において両班(貴族)の間で語り継がれていたにしても、それほど凝り固まった ものではなかったといえる。李氏朝鮮時代後期にはむしろ、安東両班(慶尚北道の安東を 家門発祥の地とする一族)の没落と、嶺南人排斥が目立った。そもそも李氏朝鮮時代は漢 陽(ソウル)を中心とした中央集権であった。そこでの権力闘争は道(地域)よりも家門発祥 を表す安東金氏、全州李氏といった本貫、すなわち郡・県単位の地域葛藤であった。文 官・武官の科挙試験の合格者は圧倒的に京畿地域(ソウル・京畿道)に占められていた。そ の他の地域は、人材登用や処遇の面で多尐の差があったとしても、それが現在の地域葛藤 に繋がるとは考えづらい。圧倒的な中央集権国家であった李氏朝鮮王朝下において辺境と みなされる地域というと、むしろ咸鏡道(北朝鮮北東部)や済州道であった10) 日本による植民地時代(1910年-1945年)には、湖南地域が朝鮮半島最大の穀倉地帯であっ たために、日本による土地収奪、搾取が最も酷かった地域である。湖南地域における小作 人比率:77%、日本人の土地占有比率:43%は他の地域に比べて突出している11)。だが、 工業化に関して言えば、主に現在の北朝鮮地域を中心として開発が行われたため、湖南地 域のみならず、嶺南地域や済州島においても遅れていた。では、なぜ湖南地域の人々は差 別的な境遇に置かれることになったのであろうか。当時の朝鮮半島は、人口の流動が激し

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5 い時代であった。嶺南地域の人々は新天地を求めて日本へ渡ることが多い一方、湖南地域 の人々はソウルや忠清道を目指したといわれる。当時、著しく発展を遂げていたソウルで はわずかな職場や商権をめぐって争いが絶えなかった。酷薄な都市で、貧しい湖南地域の 人々は親睦会や同窓会などの扶助組織に結束せざるをえなかった。そのような湖南地域の 人々の姿は、ソウル・忠清道の人々に差別的なイメージを植え付ける原因となった。また、 朝鮮総督府は道単位の行政を重視したこともあって、道という観念が社会的、行政的に支 配的な地域単位として根付いたのである12) 2-(1)-④ 地域感情から地域主義への変化 道という観念 、そして道に基づく地域感情が根付いたのは日本による植民地時代であ ると述べることができるが、当時からその地域感情が政治に影響を及ぼしていたとはいえ ない。1990年のアンケート調査によると92%もの人々が1960年代以降に嶺・湖南における “地域主義”が生じたと考えているためである13)。さらに、1991年に行われたアンケート 調査でも38.2%の人々が朴正煕(パク・チョンヒ)政権から単なる地域感情から、政治的、 社会的に影響を及ぼす“地域主義”へ変化したと考えている14)。そこで本章では1960年代 以後、とりわけ朴正煕政権に地域主義が生じたということを客観的にするため、中央選挙 管理委員会 歴代選挙情報システム(ウェブサイト)の歴代大統領選挙、地域別得票率をも とに検証する。

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6 【検証方法及び注意事項】 ① 歴代大統領選挙毎に検証する 直接選挙が行われていない初代、8~12代、無効となった4代は除く ② 得票率(%表示)は有効投票数と候補者得票数を比較したものである ③ 地域割は道および特別、広域市(旧 直轄市)で分けられている ソウル 第2代(1952年~) 釜山(プサン) 第5代(1963年~) ※1962年以前は慶尚南道 大邱(テグ) 第13代(1987年~) ※1986年以前は慶尚北道 仁川(インチョン) 第13代(1987年~) ※1986年以前は京畿道 光州(クァンジュ) 第13代(1987年~) ※1986年以前は全羅南道 大田(テジョン) 第14代(1992年~) ※1991年以前は忠清南道 蔚山(ウルサン) 第15代(1997年~) ※1996年以前は慶尚南道 初代大統領選挙は、1948年5月10日に実施された総選挙で当選した国会議員による選挙 (間接選挙)であるため地域別得票結果はない。初めて大統領の直接選挙制が導入されたの は、1952年8月5日に行われた第2代大統領選挙である。この選挙では自由党の李承晩(イ・ スンマン)の圧勝に終わった。李承晩政権は12年にもわたる独裁政治を行った結果、1960 年4月19日のクーデタ(四・一九革命)で政権崩壊し、アメリカへ亡命した。その後張勉(チ ャン・ミョン)政権が登場するも、1961年5月16日に軍部が起こすクーデタによって政権崩 壊する(五・一六軍事クーデタ)。そして、五・一六軍事クーデタで実質的指導者であった 朴正煕が政治のトップに立つことになる。朴正煕は自身の政権奪取を正当化するために軍 人を退役し、民間人として大統領選挙に出馬した。その選挙が1963年10月15日に行われた 第5代大統領選挙である。この選挙では朴正煕と尹潽善(ユン・ボソン)の2人が他の候補者 に得票で大差をつけた。後に朴正煕は嶺南地域で支持を集める一方で、湖南地域で票を取 れなくなる。対する尹潽善は湖南地域において絶大な支持を集める金大中と同じグループ に属していた。だが、この選挙では湖南地域において朴正煕が尹潽善より多くの得票を得 ている一方で、 尹潽善が嶺南地域においても3割から4割程度の得票を得ている。このよ うに、まだこの当時、特定の候補者に極端に偏った得票という傾向はみられず、嶺南・湖 南において、政治に影響を及ぼす地域主義が存在しているとは言い難い(表1)。

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7 (表1) 第5代大統領選挙における地域毎の候補者別得票率 ※朴正煕(民主共和党)・尹潽善(民政党)のみ切り出し その4年後、1967年5月3日に行われた第6代大統領選挙における朴正煕と尹潽善の得票 率を見ると、湖南地域においては朴正煕が僅差で敗北している。そしてさらに4年後の197 1年4月27日に行われた第7代大統領選挙結果は以下の通りである(表2)。

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8 (表2) 第7代大統領選挙における地域毎の候補者別得票率 ※朴正煕(民主共和党)・金大中(新民党)のみ切り出し 第7代大統領選挙では現職大統領の朴正煕、そして 尹潽善と同じグループに属する金大 中の2人が圧倒的な得票であった。この得票率を地域別で見ると、嶺南地域においては朴 正煕の得票率が金大中(キム・デジュン)の約3倍、湖南地域においては金大中の得票率が 朴正煕の約2倍となっている。このように1963年から1971年のわずか8年間で嶺南、湖南地 域で特定の候補者が集中した得票を得る傾向になりつつあることが見て取れる。その後、 第13代大統領選挙(1987年12月16日)までの17年間は統一主体国民会議(통일주체국민회의) と呼ばれる機関によって間接的な大統領選挙が行われたため、上記のような地域毎の候補 者別得票率は存在しない。 ちなみに1963年から1997年までの歴代大統領である朴正煕、全斗煥(チョン・ドゥファ ン)、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)は全て嶺南地域を支持基盤とする大統領 である。第15代大統領選挙で勝利し、就任した金大中が湖南地域を支持基盤とする初の大 統領である。この第15代大統領選挙(1997年12月18日)における地域別得票率を見ると、地 域毎の得票率が特定の候補者に極端に集中していることが分かる(表3)。

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9 (表3) 第15代大統領選挙における地域毎の候補者別得票率 ※李会昌(ハンナラ党)・金大中(国民会議)のみ切り出し 第15代大統領選挙では、湖南地域(光州広域市、全羅南、北道)における金大中の得票率 が極端に高い。光州広域市にいたっては金大中が97%以上の得票率を得るという異常事態 である。同じく全羅南、北道においても92%を超えている一方で李会昌(イ・フェチャン) の得票率は5%にも満たない。対する嶺南地域(釜山広域市、大邱広域市、蔚山広域市、慶 尚南、北道)においては李会昌の得票率が金大中を大きく上回っている。 そして、中央選挙管理委員会歴代選挙情報システム(ウェブサイト)の歴代大統領選挙、 地域別得票率の中で閲覧可能な最新の資料は2002年12月19日に行われた第16代大統領選挙 のものであった(表4)。

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10 (表4) 第16代大統領選挙における地域毎の候補者別得票率 ※李会昌(ハンナラ党)・盧武鉉(民主党)のみ切り出し この結果をみると、またもや湖南地域における得票率の特異性が目立つ。光州広域市、 全羅南、北道では盧武鉉(ノ・ムヒョン)の得票率が90%を超えている一方、李会昌の得票 率はわずか5%程度にとどまっている。対する嶺南地域においては李会昌の得票率が高い。 蔚山広域市を除く、釜山広域市・大邱広域市・慶尚北道・慶尚南道では李会昌の得票率が 65%を超えている一方で盧武鉉の得票率は20%近くの低い水準である。 ただ、嶺南地域のなかでも蔚山広域市においては目立った得票率は見られない。蔚山 は嶺南地域を基盤とする政治家によって開発された。嶺南地域を支持基盤とする政治家の 恩恵を最も受けてきた地域であり、そのような政治家がいなければ現在もなお農村であっ たと言われる地域においてなぜ特定の、嶺南地域を支持基盤とする候補者に集中した得票 率が見られないのだろうか。その理由として挙げられるのは、蔚山は工業都市という面か

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11 ら、他地域からの流入者率が高く、市民平均年齢が韓国で最も低い。よって、地域という 概念に縛られない住民が多いためと思われる15) ちなみに、地域対立登場以降の歴代大統領出身地・政党とその支持基盤を見てみると やはり嶺南地域を支持基盤とする者が多い(表5)。特異なケースとして、盧武鉉大統領は 嶺南地域出身であるが、地域主義を否定的に捉え、解消するために自身は支持基盤を持た なかった。(※ただし、金大中の後継者であるために、実際には湖南地域における得票率 が高い。) 盧武鉉大統領の方針はこれまでの大統領とは異なり、地域主義を考慮しない点で評価 できる。しかしながら、地域主義を考慮しないこと、すなわち支持基盤を持たないことに よって、盧武鉉政権は大きな支えを持つことができなかった。実際、第16代大統領選挙当 時に所属していた新千年民主党を離党し、開かれたウリ党を結党した後には湖南地域にお ける支持をも失ってしまった16) 韓国では地域主義が政治に絡むことを問題視する国民が多い一方で、地域主義を考慮 せずに政治を行うと大多数の支持者を得ることが難しくなるというパラドックスも抱えて いる17) (表5) 朴正煕以後の歴代大統領の出身地と支持基盤 2-(1)-⑤ 地域主義の原因とその弊害 地域主義が政治に影響を及ぼすことは決して望ましいことではない。なぜなら、「○○ 地域を支持基盤とした候補者」ということだけにとらわれ過ぎるあまり、政策の善し悪し を判断せずに投票する可能性が高いためである。 ただ、韓国においては“議員が党に属するのではなく、党が議員に属する”といわれ

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12 るほど党の力が弱く、しばしば分裂や統合を繰り返している18)。それにより政策に一貫性 が無く、有権者は政策の善し悪しを判断しようにも出来ないという現実がある。それが更 に地域主義を助長する原因となっているとも言えるであろう。 前章(2-(1)-④ 地域感情から地域主義への変化)では、1960年代初頭には地域感情が政治と 結びつく地域主義として現れなかったのに対し、わずか10年足らずの間に特定の大統領候 補者の得票率が嶺南、湖南地域に二分されるようになったことが明らかになった。ではな ぜ、このような短期間に地域感情が地域主義へと変化したのだろうか。ここでは1960年代 から1990年代にかけての政治・政策をもとに地域主義成立の原因を探ってみる。 1945年に日本の植民地支配から解放された朝鮮半島は北緯38度線を境に南朝鮮をアメリ カ軍、北朝鮮をソ連軍が占領した。そして、統一することなく1948年に大韓民国と朝鮮民 主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した。1948年当時、北朝鮮には日本による植民地支配時 代に建設された多くの工場や発電所があった。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争により、 大半は廃墟と化したが、ソ連や中国をはじめとする東側諸国の支援により、急速に復興を 遂げ、計画的に工業化を進めていた。一方の韓国は、もともと穀倉地帯であった湖南地域 をはじめ、多くの地域は開発されておらず、60年代まで世界最貧国であり、その後も1970 年代中盤までは韓国が北朝鮮に比べ経済的に不利であった19) また、東西冷戦下の韓国では北朝鮮工作員による諜報活動やテロ行為、軍事境界線で の衝突が度々起こっており、現在以上に北朝鮮の脅威にさらされていた20) 韓国、北朝鮮ともに建国以後、自国の正当性を主張すべく経済的に有利に立とうとし ていた。韓国は1963年まで国内政治が混乱し、戦後復興もままならない状況であったが、 朴正煕の登場により、飛躍的に戦後復興、経済成長することになる。これが後に「漢江の 奇跡(한강의 기적)」と呼ばれるものである。そして朴正煕以降、韓国では経済成長を成 し遂げるために数多くの開発、投資が行われた(表6)。

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13 (表6) 1960年代から1980年代に行われた政策および開発事業 (※ 地名は2010年6月30日現在のもの) 1960年代~1980年代においては嶺南地域を中心とした開発・投資が行われ、まさに「慶 尚道天下」とでもいえるような偏りが現れている。1962年2月1日に特定工業地区(石油化学 団地)に指定された蔚山に続いて、1973年に出された産業基地開発促進法によって浦項・ 亀尾・昌原など、東南海岸工業ベルトをなす重化学工業団地が造成された。交通網の整備 も、首都圏とこの東南海岸工業ベルトを結ぶ鉄道や道路建設に力点が置かれた。1970年代 を通じて重化学工業投資の集中した嶺南地域は韓国最大の重化学工業地帯に変貌した。 これに対して湖南地域では開発の遅れから人口流出と過疎化が深刻な問題であった21) 湖南地域の人々は故郷を離れ、ソウルを目指したものの、ソウルでの生活も楽なものでは

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14 なかったようである。1979年11月にソウル特別市庁が低所得層の出身地域別分布を調査し た結果が下の表である(表7)。 (表7) ソウル市低所得層の出身地域別分布 (※ %表示) 嶺南地域に対する集中した開発、投資に伴う嶺南地域の人々の経済状況の向上、一方で 湖南地域の人々の経済状況の悪化が、単なる地域感情から政治に影響を及ぼす地域主義へ と変化したのではないだろうかと考えられる。嶺南地域の人々は「慶尚道天下」の政治を死 守しようとし、湖南地域の人々は「慶尚道天下」の変化を望む。これは人間の自然な考え方 ではないだろうか。また、韓国は日本以上に中央集権国家である。嶺南地域出身の大統領 時代には官僚のほとんどが嶺南地域出身者で占められ、逆に金大中大統領時代には官僚の ほとんどが湖南地域出身者で占められた。これは、自身の地域を支持基盤とする政治家に 投票し当選すれば、利益誘導が図られるということである。そのような社会では地域毎で 特定の候補者に票が集中するということも想像に難くない。ちなみに、政治のみならず、 企業においても同様の傾向がある。自動車や家電で有名な三星(サムソン)グループは嶺南 地域出身者を、アシアナ航空や錦湖(クムホ)タイヤで有名な錦湖グループは湖南地域出身 者を優遇するというのは公然の秘密である22)。それほど韓国では中央集権的な考えがいま だに残っているのである。 また、その他にも湖南地域の人々が嶺南地域を忌避する理由には大統領選挙、国家政 策の地域偏重以外に、ある事件が関わっていると思われる。それは、1973年、湖南地域を 基盤とする金大中を国家安全企画部(KCIA、現:国家情報院)が拉致した事件、1980年に 全羅南道光州市(現、光州広域市)での民主化運動を鎮圧すべく軍隊が投入され、多数の市 民が虐殺された事件23)である。政府、軍部など、国家エリートが嶺南地域出身者で固めら れていた時代、このような事件が湖南地域住民の嶺南地域に対する否定的イメージを持つ きっかけにならなかったとは言い難い。

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15 2-(2) 地域主義解消の挑戦と現実 前々章(2-(1)-④ 地域感情から地域主義への変化)において、盧武鉉は地域主義を否定的 に捉え、解消すべく、自身は特定の支持基盤(地域)を持たなかったと述べた。では、盧武 鉉は特定の支持基盤を持たないという以外に地域主義を解消すべく行動しようとしたこと があるのだろうか。 1980年代後半、韓国は金泳三、金大中、金鐘泌(キム・ジョンピル)の「三金(サムキム)」 と呼ばれる3人の金という政治家がそれぞれ自身の出身地である慶尚南道、全羅南、北道、 忠清南、北道を中心として大きな支持を集めていた。盧武鉉はその中の1人である金泳三 によって後押しされ、1988年4月に政界進出した。当時は民主化をすでに迎え、大統領直 接選挙によって選ばれた盧泰愚が政権を握っており、安定した政治に思われた。だが、上 記の3人の有力政治家は盧泰愚の強力なライバルであり、「一盧三金(イルロサムキム)」と いう対立構造が民主正義党、平和民主党、統一民主党、新民主共和党という4党構造を生 み出した。その結果、盧泰愚率いる与党・民主正義党は国会での単独過半数を獲得できず、 不安定であった24) そこで盧泰愚は金泳三、金鐘泌の2人に3党合同を持ちかける。そして1990年1月に3党 が合同し、民主自由党が成立した。この時、金泳三が同党のナンバー2となり、政治の弟 子である盧武鉉も入党するかに思われたが、金泳三の行動を「個人的な政治的野望を叶え るための行動である」と非難し、決別した。盧武鉉は金泳三と同じ慶尚南道の出身である にもかかわらず、湖南地域を基盤とする金大中の軍門に下った。地域を問わず政治活動を することは地域主義の解消を目指すという信念からであろうが、金大中も他の政治家と同 じく、地域主義を盾に支持を得る政治家だったがために、結局、盧武鉉の野望は頓挫する。 1990年代、政治家のみならず、一般市民の間にも地域主義が根強く存在していた。そのよ うな時代に地域主義を否定的に捉える盧武鉉は異端として捉えられ、釜山市長選挙や国会 議員選挙に落選し続け、2003年に大統領に就任するまでの間、苦杯を舐め続けた25) 盧武鉉は大統領選挙に「地域主義解消」を公約に出馬し、当選した。そして、当選後に 掲げた政策が「地域主義解消のための首都機能移転計画」である。この計画は忠清道の燕岐 (ヨンギ)・公州(コンジュ)地域に「行政中心複合都市」通称、世宗(セジョン)特別自治市を

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16 建設するというものであるが、2004年に憲法裁判所から違憲判決が出された26)。この問題 は違憲判決により鎮静化したかに思えたが、李明博政権になった現在、再び議論が活発に なっている。 だがここで、「地域主義の解消と首都機能移転」の関連性があるのかという点に疑問を 持つ。そもそも、地域主義として問題になっているのは首都と地方の間ではない。地方と 地方の間の問題である。首都と地方の格差を埋めるための政策は以前から行われており、 それは現在の広域市(道に属さず、道と同列の権限を持つ市で、釜山・大邱・仁川・光 州・大田・蔚山の6市)という地方自治体に現れている。盧武鉉は地域主義をどうしたかっ たのか、政策を見るとはなはだ疑問である。 地域主義を問題視する一方で適切な政策を行わずに国民をますます混乱させているの は盧武鉉の失策、もしくは「地域主義の解消」を選挙に利用したとしか言いようがない。 2-(3) 解消策 前章(2-(2) 地域主義解消の挑戦と現実)においては盧武鉉が「地域主義の解消」を掲げな がらも、適切な政策を行っていないことに注目した。だが、盧武鉉は地域主義を解消でき る選挙制度について「現在、提案されているのが、圏域別の比例代表制、ドイツ式の比例 代表制などのようなものだ」とした上で、現行の小選挙区制を維持するとしても、圏域別 比例代表制やドイツ式の政党名簿制を導入するのが望ましいとの認識を示している27) 韓国の総選挙の選挙制度は日本の衆議院選挙と基本的には同じ小選挙区中心の並立制 であるが、日本と異なるのは、韓国の並立制は小選挙区と比例代表制が完全に相互に独立 しているということである。よって、重複立候補は許されず、当然、惜敗率に基づく復活 当選もありえない。また、比例代表制では全国が1つの選挙区であり、ヘア式の最大残余 方式により議席が配分される。比例代表制での議席の配分を与るには、3%以上得票しな ければならないという法廷阻止条項も存在している点である。現在の韓国における、並立 制でありながらも小選挙区制と比例代表制が完全に相互に独立している選挙制度では、小 選挙区制のデメリットである2大政党にとって有利になるという点、特定の地域に基盤が あれば一定の議席を確保することができるということから地域主義がさらに深刻になる可 能性がある点だけでなく、比例代表制のデメリットである小党分立の可能性をも抱えてい

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17 る28)。ただでさえ韓国は地域主義が問題となっている上、政党の力が弱く、分裂、統合を 繰り返し、政策に一貫性がないため、現在の選挙制度が適切であるとは言えないだろう。 盧武鉉の退任後に就任した李明博も選挙制度改革の必要性に言及している。2010年1月 4日に行われた新年演説において、「排他的地域主義の緩和、対決政治の克服に向け、選 挙制度改革を年内に完遂すべきだ」と強調、中選挙区制の導入や比例代表の拡大も含めた 制度改革に強い意志を示した。これに対し、最大野党の民主党など野党側も、中選挙区制 の導入などの改革が必要だと賛同している。しかし、中選挙区が導入されれば、ハンナラ 党、民主党ともに基盤地域で議席を失う可能性が高いと見られているため、議論が進むか どうかは不透明である29) 金大中政権以降、韓国国民の中にも次第に「出身地域によって差別することの愚かさ」 を自覚する人々が増えてきたため30)、一般国民の意識変化は時間の経過によって解決され るのではないかと考える。だが、問題は上にもある通り、政治家が地域主義の解消のため の改革を推進するかどうかである。この問題がいまだに存在している原因として現時点で は制度上の問題としてとらえることもできるが、やはり政治家の意識変革が必要であると 考えられる。自身の利益、ポストを優先するか、利益の地域偏重の是正を優先するか。そ こに地域主義解消の大きな鍵があると思われる。地域主義をもたらした長年の軍事独裁政 権から民主政権に変わり、まもなく四半世紀を迎える。それまでに地域主義が韓国政治、 社会の過去の遺産なることが期待される。 3 おわりに 地域主義の問題は今日、韓国社会が直面している最も深刻な社会問題の1つと言える。 地域主義は1960年代以後、権威主義的政治政策が残した否定的な産物である。この研究で は、歴代大統領選挙の結果、国家政策を基に嶺・湖南地域の地域主義の成立と実態、解決 策について見てきた。 その結果見えてきたのは次の通りである。1. 道を主体とした地域感情自体は日本によ る植民地時代からである/ 2. 嶺・湖南地域の対立が政治に影響を及ぼし始めたのは1960年 代からである/ 3. 今もなお人々の間には尐なからず地域主義が根付いており、選挙時にそ

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18 の痕跡が見られる/ 4. 地域主義を選挙の票集めとしての利用、政治家による基盤地域の保 護が現在も地域主義が解消されない原因であるということである。 研究を進めるなかで興味深かった点は金大中の地域主義に対する態度である。彼は湖南 地域出身であり、地域主義によって苦難の人生を送ってきた人物である。にもかかわらず 自身が大統領に就任すると、かつて自身を苦しめた地域主義を、今度は嶺南地域の冷遇と いう形で利用、報復している。一般国民は金大中の大統領就任によって地域主義の解消が なされると期待したのにもかかわらず、実際には変化がないどころかさらに社会問題化し てしまった。 地域主義が政治に影響を及ぼすようになった当時に比べると、国内外の情勢は大きな変 化を遂げた。いまや、世界的な東西冷戦が終結しただけでなく、経済、軍事面競争せざる を得なかった北朝鮮の国内経済は破たんし、金正日体制の存続すら危ぶまれている。よっ て韓国は集中的に開発、投資し、国力を上げる事で北朝鮮よりも優位に立つという必要が 無くなった。そして、国内は高速道路、高速鉄道などの交通インフラの整備により、全て の地域が1日圏内、嶺南・湖南地域については半日圏内となり、両地域の人の移動、交流 が盛んになっている。地域主義が完全に解消されているとはまだ言えないが、金大中のよ うに湖南地域を支持基盤とした大統領、あるいは盧武鉉のように支持基盤を持たない大統 領を経験した韓国では、今後、地域主義が過去の産物となる日まで遠くないと思われる。 そして、李明博が今年述べた選挙制度の改革、政治家の意識変革により、この問題の早期 解消を期待される。 4 注釈 1) 岩中祥史『出身県でわかる人の性格』草思社、2003年。 2) 石坂浩一、舘野晢『現代韓国を知るための55章』明石書店、2001年、27-29項。 3) 김문조“한국지역주의의 형성과 성격”(1992):p102-104。 4) 고홍화 한국인의 지역감정,성원사(1987):p223。 5) 金東永“嶺・湖南 地域感情의 形成과 解消法案에 関한研究 –政治社会化過程을 中 5) 心으로-”(1994):p6-7。 6) 「【社説】さらば、地域感情」『中央日報』2002年8月22日(電子版)

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19 7) 石坂浩一、舘野晢、前掲書、27-29項。 8) 文京洙『韓国現代史』岩波新書、2005年、6-9項。 9) 韓国全羅北道東京事務所「全羅北道の紹介」 http://www.jeonbuk-tokyo.org/introduce.htm(2 9) 010年12月5日アクセス)。 10) 金容権『早わかり韓国を知る辞典』東海教育研究所、2005年、184-185項。 11) 愼鏞廈“日帝下의「朝鮮土地調査事業」에 대한 考察”(1977):p58。 12) 文京洙、前掲書、27-33項。 13) 김익기 지역감정 해소방안:사회조사결과에 근거하여,성원사(1990):p387。 14) 박은남 오늘의 지역감정실태,학민사(1991):p61。 15) 李洪植“地域感情에 對한 의식 調査 硏究 : 蔚山地域 中, 高等學生中心으로”(2002): 15) p12。 16) 木村幹『韓国現代史–大統領たちの栄光と蹉跌-』中公新書、2008年、233項。 17) 同書、230項。 18) KBSWORLD「政党の変遷 たびたび変わる党名」http://rki.kbs.co.kr/japanese/korea/progr 18) am_basicinfo_detail.htm?No=109(2010年11月20日アクセス)。 19)「援助される国からする国へ変わった韓国」『統一日報』2009年12月2日(電子版) 20) 滄浪号ハイジャック事件、東ベルリン事件、青瓦台襲撃未遂事件、李承福事件、大韓 20) 航空機YS-11ハイジャック事件、ラングーン事件、大韓航空機爆破事件 21) 文京洙、前掲書、130項。 22) 金容権、前掲書、184-185項。 23) 金大中事件、光州事件(5.18光州民主化運動) 24) 木村幹、前掲書、200-203項。 25) innolife.net「故盧武鉉前大統領はどんな人なのか」http://contents.innolife.net/news/list.php?a 25) c_id=1&ai_id=99139(2010年11月28日アクセス)。 26) 「【社説】機能もあいまいな政治妥協都市をつくるのか」『中央日報』2005年2月18日 26) (電子版)。 27)「盧大統領、「政権放棄してでも選挙制度変えたい」」『東亜日報』2005年7月30日 26) (電子版)。 28) 浅羽祐樹「韓国における政党システムの変容 –地域主義に基づく穏健多党制から2大 26) 政党制・全国政党化へ-」2009年、19,27項。

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20 29) 「小選挙区制の弊害 大統領「年内に改革」 中選挙区や比例拡大も議論高まる韓国」 26) 『しんぶん赤旗』2010年1月28日(電子版)。 30) 石坂浩一、舘野晢 前掲書、29項。 (図1) 韓国・北朝鮮・朝鮮半島の地図・白地図「韓国白地図(行政区分記載)」を加工。 (表1) 중앙선거관리의원회 역대선거정보시스템の情報を引用(日本語訳)。 (表2) 同上。 (表3) 同上。 (表4) 同上。 (表5) 木村幹、前掲書、本文を参考。 (表6) 네이버 지식iN 공업단지の情報を引用(日本語訳)。 (表7) 서울특별시「低所得民의 生活対策에 関한 基礎調査」(1979)。 参考文献一覧 -論文- 浅羽祐樹「韓国における政党システムの変容 –地域主義に基づく穏健多党制から2大政党 あ制・全国政党化へ-」2009年。 李洪植“地域感情에 對한 의식 調査 硏究 : 蔚山地域 中, 高等學生 中心으로”(2002)。 강상현“선거보도의 공정성과 지역성”(1993)。 金東永“嶺・湖南 地域感情의 形成과 解消法案에 関한研究 –政治社会化過程을 中心으2 あ로-”(1994)。 김민찬“선거에 나타난 지역주의의 형성요인과 특징에 관한 연구 –역대 대통령 선거를 중심으로-”(2002)。 김문조“한국지역주의의 형성과 성격”(1992)。 愼鏞廈“日帝下의「朝鮮土地調査事業」에 대한 考察”(1977)。 -書籍- 石坂浩一、舘野晢『現代韓国を知るための55章』明石書店、2001年。 岩中祥史『出身県でわかる人の性格』草思社、2003年。

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21 김익기 지역감정 해소방안:사회조사결과에 근거하여,성원사(1990)。 金容権『早わかり韓国を知る辞典』東海教育研究所、2005年。 木村幹『韓国現代史–大統領たちの栄光と蹉跌-』中公新書、2008年。 고홍화 한국인의 지역감정,성원사(1987)。 重村智計『「今の韓国・北朝鮮」がわかる本』三笠書房、2007年。 下斗米伸夫『アジア冷戦史』中公新書、2005年。 高崎宗司『植民地朝鮮の日本人』岩波新書、2002年。 崔章集『韓国現代政治の条件』法政大学出版局、1999年。 박은남 오늘의 지역감정실태,학민사(1991)。 文京洙『韓国現代史』岩波新書、2005年。 -ウェブサイト- innolife.net「故盧武鉉前大統領はどんな人なのか」http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id あ=1&ai_id=99139(2010年11月28日アクセス)。 韓国・北朝鮮・朝鮮半島の地図・白地図「韓国白地図(行政区分記載)」 http://www.abysse.co. あjp/korea/koreamap/bm-korea05.html(2010年11月20日アクセス)。 韓国全羅北道東京事務所「全羅北道の紹介」 http://www.jeonbuk-tokyo.org/introduce.htm(2010 あ年12月5日アクセス)。 KBSWORLD「政党の変遷 たびたび変わる党名」http://rki.kbs.co.kr/japanese/korea/program_ basicinfo_detail.htm?No=109(2010年11月20日アクセス)。 중앙선거관리위원회「역대선거정보시스템」http://www.nec.go.kr/sinfo/index.html(2010年12 あ月1日アクセス)。 東南アジアの政治経済「韓国の経済発展」 http://fps01.plala.or.jp/~searevie/new_page_25.htm(2 あ010年12月9日アクセス)。 네이버 지식iN 「공업단지」http://kin.search.naver.com/search.naver?sm=tab_hty&where=kin&qu あery=%B0%F8%BE%F7%B4%DC%C1%F6(2010年11月20日アクセス)。

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