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地域開発と国連

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地 域 開 発 と 国 連

聞き手:田中 冨志雄*

    古 河 幹 夫

† * 長崎県立大学大学院経済学研究科長 †長崎県立大学東アジア研究所長 古河:私どもの長崎県立大学で今度新しく東アジア研究所を発足させました。機関誌として『東ア ジア評論』というものを作ろうということになり、今回のようなインタビューも含めて掲載 していくことにしました。それで、初回のインタビューでどなたがいいかということになり、 いくつかの案が出たのですが、ちょうど大学院の研究科長の田中先生が、国連の関係のお仕 事でウィーンに十年くらいおられたもので、 小野川:ウィーンはどちらにおられましたか。 田中:UNIDO(国連工業開発機構)です。 小野川:UNIDO におられたのですか。いつ頃までですか。 田中:ええと、1990 年までいました。 小野川:90 年まで、そうしますと、まだ UNIDO が元気だった頃ですね。 田中:もう今は元気ないです。 小野川:私も 90 年代の中頃、一時ウィーンに住んでいました。その頃はひどいことになっていま したよね。ニューヨーク、ジュネーブに次ぐ第 3 の国連本部といわれるウィーンで UNIDO は中心的な国連機関のひとつですが、どんどんお金がなくなってきて人を削らざるを得なく なり、ウィーンの国連機関に勤めている職員のアパートが片っ端から空くような状況になっ て・・・。ただ、今また UNIDO が息を吹き返してきつつあるようですね。 田中:ああそうですか。 古河:田中先生の示唆もあり、国連の関係のお方にインタビューするのはなかなかいいアイデアじゃ ないかということで今回お邪魔した次第です。現在非常にグローバル化しつつある世界にお いて国連にはいろんな意味で期待がありますし、国連と地域開発の関連などについて少しお 話を伺いたいと思います。 小野川:はい、お役に立てるのであれば。 古河:最初にこの地域開発センターのミッションと主な活動についてです。すでに出されている刊 行物に記されていますが、国連システムというものは一般の人びとには案外複雑なものです。 それで、国連システムとの関係での位置づけを含めて、少しお話いただければと思います。 小野川:UNCRD(国連地域開発センター)は設立されたのが 1971 年ですから、ちょうど 38 年前

〈インタビュー〉 国連地域開発センター所長 

小野川 和延

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になります。戦後 20 年余りが経って、世界的にもあるいは国内でも経済開発が大きく進んで いた時代です。そういう経済開発の進展の一方で、地域的にアンバランスな状況が出てきま した。例えば、新産工特の指定を受けた太平洋ベルト地帯では景気も非常によくなって豊か になってきたものの、ひとたび内陸の方に入っていきますと、依然として開発から取り残さ れた地域がありました。日本のみならず他の国でもこの問題は共通です。経済発展に伴って 豊かになってくる地域と、取り残されていく地域がどうしても出てしまう、そのギャップを なんとか埋めることができないかというのがこの地域開発センターの「地域開発」に込めら れた意味だったのです。国連ではこの「地域」という言葉をアジア地域、アフリカ地域といっ た意味の「地域」としてよく使用しますが、国連地域開発センターの「地域」が意味すると ころは、いわゆるサブナショナル、一つの国の中での地域、中部地域だとか、九州地域だと かという地域を意味しており、そういう地域間の格差を埋めていくための支援というのがこ のセンター設立の背景にあった目的だったのです。     50 年代後半から 60 年代はアフリカ独立の年であり、またアジアという地域がまだいわゆ る本当の途上国だった時代ですね。アジアは今のシンガポール、バンコク、香港のような成 長した地域ではなく、まだまだ途上国だった時代であり、そしてアフリカはどんどん旧宗主 国から独立していっていた、そういう状況の中でこれから経済的な発展を遂げていこうとい う国々に対して、地域開発のあり方を示していきたいということだったのです。     この中部地域、ここは戦争で焼け野原になり何もなくなってしまったにもかかわらず、戦 後の復興のプロセスの中で都市開発であれ、 知多半島の農業開発であれ、工業開発であれ、 いずれもが非常にうまくいって、元気な地域 でした。そういった成功の経験は、今お話 をしたようなその当時の途上国、あるいはこ れから経済開発を進めていこうとする地域に とってきっと役に立つのではないかと思われ たわけです。     国連という大きな枠組みのなかでは、平和 とか国の安全保障というテーマももちろん大 きな話題ですが、一方で、途上国に対する経 済開発の支援や人道的側面からの社会的アプ ローチといった形で、国連が果たしている役 割もまた大きいものがあるわけです。その中 の柱である経済的、社会的発展を、具体的な地域開発ということで進めていく組織としてこ のセンターが設立されるに至ったわけです。 古河:このセンターの活動内容は研修、調査研究、助言、情報ネットワークの確立が主要なものと されていますが、柱になっているのは途上国の中堅的な行政官の育成・研修というように考 インタビューに応じる小野川センター所長

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えていいでしょうか。 小野川:必ずしもそういうことだけではありません。UNCRD も歴史を通じてその活動が次第に変わっ てきましたが、当初はどちらかというと、リサーチとトレーニングに重点がおかれていまし た。初期の頃から代々の所長さんは、元大学教員の方でしたので、このセンターにちょうど ポスドク (post-doctorate) の学生を集めて、三年間のトレーニング期間をそれぞれに与え、 研究や論文を書くといった仕事をさせる。そして彼らは、例えば大学なら大学へと帰っていく。 そういう大学の先生に対する、あるいはポスドクの学生たちを対象としての地域開発のトレー ニングとリサーチという部分がありました。ただフィールドとしてはやはり途上国の現場を 踏まえつつということでしたので、途上国からの研修生を受け入れてのトレーニングコース、 長い場合は一年以上のフェローシップをもらってこちらに滞在して、途上国としてそれぞれ の国々にあった地域開発のあり方の研究をするというケースも多かったわけです。     私がここにまいりましたのは 2002 年ですから、ちょうど 6 年半前になりますが、それよ りもう少し前からこのセンターの仕事の内容が変化してきています。いわゆるリサーチとい うところから、もっと途上国政府にとって具体的に役に立つようなことをやっていけないか、 と・・。例えば途上国政府の具体的な政策の立案や支援、そういったところを目指したよう な動きに、少しずつ変わってきている面があります。もちろん、先生がおっしゃったように 途上国の中堅クラスの人たちをトレーニングするということは、UNCRD の事業の大きな柱 として依然として残っています。例えば、JICA(国際協力機構)と協力して年間 10 本くら いのトレーニングコースを走らせているのも事実です。ただ、それに加えて、途上国の政策 立案の支援も具体的に始めているのです。

    UNCRD はファンディング・エージェンシー (funding agency) ではありません。要するに、 何かの事業を実施するためにお金をどんどん出すというような組織ではないのです。研修を 通じての人材の育成というのもひとつですが、新しい仕事の分野では各国の政策や計画の立 案をサポートし、各国と援助機関の中継ぎ役として触媒的な役割を果たすのが我々の主な仕 事です。これはお金のない組織の言い訳にもなりますが・・(笑)。     例えば、UNCRD は現在では途上国の政府のための政策立案の支援を行う際に、世銀やア ジア開発銀行といった国際的な資金の援助組織、あるいは二国間援助ですと昔の JBIC(国際 協力銀行、2008 年から JICA に統合)、スウェーデンの Sida やドイツの GTZ(ドイツ技術 協力公社)といった機関をできる限り呼び込んできて、一緒になってその実施をサポートし てもらうことを進めています。我々が提供できるのは政策立案の支援だけかもしれませんが、 それでもその際にドナーを一緒に巻き込むことによって、出来上がった政策が実際に実施さ れていくところにつながっていく、ということを意識しているのです。 古河:日本の戦後の目覚しい経済成長は多くの途上国から見ると非常に参考にすべきもので、その 経験を踏まえた開発支援は日本が現在の憲法条件の中で行いうる重要な国際貢献だと思いま す。広く国連システムの全体のことになりますが、国連システムの体制において特に社会経 済理事会はグローバル化のなか、その重要性はますます増していると思いますが、当初の国

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連憲章の中での安全保障に関する断固たる決意・組織に比べるとその位置づけはちょっと弱 いのではないでしょうか。目下ダボスで行われています世界経済フォーラムにおいて、ドイ ツのメルケル首相が社会経済理事会について体制強化の必要があると発言したことを最近の 新聞が報じています。途上国の地域開発を積極的に支援するという点から見て、国連が備え る経済社会開発に対する支援のシステムについても、もしお考えがありましたら、お願いし ます。 小野川:そういう必要性は確かにあるのかもしれません。国連は大きな組織であり、その活動内容 が当然にしていくつかの機関で重なってくる場合もあります。したがって国連は「ひとつの 国連」という思想を現在推し進めています。さまざまな国連機関はそれぞれの目的をもって 設立されているものですが、お互い関連しあうところは協力し合って、ひとつの国連組織と して事業を効率的に展開していこう、ということです。     一方でそういう支援というのは、必ずしも国際連合という組織の中でのみ行わなければい けないということではないと思います。国連というものが果たす役割とは別に、例えば二国 間の援助として各国政府が支援を行っています。さらに、例えば、会社などの民間組織の中に、 あるいは一人一人の個人、NGO だとか、そういうクループの人たちの中にも、やはり途上国 に対する支援をしたいという善意の活動があるわけです。それぞれ自分自身にとってやり易 いところ、あるいはやらなければならない立場から、いろいろなアプローチがなされて、そ れで全体としての途上国支援になってくるということでいいのではないかと思います。国連 としては当然こういった機関、組織との連携をうまく進めていかなければなりませんし、そ ういう視点からの検討というものも必要といえるでしょう。 古河:最近ポール・ケネディーというアメリカの経済史家が『人類の議会』という新しく刊行した 著書の中で、国連の開発機関に向けられる批判として 2 点を挙げています。一つは最善な努 力をしてもこの世界で最も貧しい、最低のランクにいる 10 億の人びとを援助する能力がな かったこと、二番目は主にアジアを除き、世界各地の何億もの家族の目覚しい生活の水準の 向上にほとんど何の役割も果たしてなかったということです。少し厳しい評価を紹介してい ますが、この辺についてはどうお考えでしょうか。 小野川:確かにそういう指摘が当たっている部分もあるとは思います。国連の組織というのは決し て最善の条件下で動いているとか、全て効率的にうまく動いていっているというものではあ りません。しかしながら、地球レベルでの環境問題への対応とか、西暦 2000 年に出された ミレニアム・ディベロップメントゴール(MDGs)のような一つの共通目標を設定していく ことは、国際社会全体に関わっているような国連組織でないと、打ち出すことが不可能だろ うと思います。ローカルな問題ならば、それぞれの政府、日本政府なら日本政府で目標を掲 げてやっていくことは可能でしょうし、それによって、アフリカのどの国のとか、南米の特 定の国の、とかの開発目標を設定することも可能かもしれません。ただ世界全体をどういう 方向へ持っていこうかとか、世界が共同して達成しようとする目標を設定するためには、国 連という組織以外では難しいところがあります。その上で、合意した目標をうまく達成して

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いくためには、各国の協力、すなわち資金的な支援や物資の提供が必要になってくるのです。 国連というのはフレームですから、その参加国の具体的な貢献がない限り、期待されるとこ ろをそのまま成し遂げるというふうにいかない場合も当然あるでしょうね。 古河:所長さんのバックグランドの一つは環境工学ですね。今おっしゃったように、特に地球的な 環境問題の面から考えみれば、国連憲章という国連が出来たときには予想しなかった問題で はないかと思います。しかし、地球的レベルの環境問題の取り組みでは、72 年の第 1 回のス トックホルム、92 年のリオ・デジャネイロ(サミット)は非常に大きな役割を果たしました。 もし国連という組織がなければ、取り組みはもっと弱いものになっていただろうと考えられ ますが、この点でいかがでしょうか。 小野川:各国内での環境問題はそのままにしておいても、やがてその地域の人はその問題に気づく でしょうし、何かのアクションを取ることになるでしょう。これは日本の公害問題の歴史を 見ても明らかなところです。ただ世界的な地球環境問題になりますと事情は違います。ご指 摘があったように、もし国連がなければ、あるいは国連の流れの下に出来上がった、例えば IPCC といった世界的な取り組みがなければ、地球的スケールでの環境問題に一体どんな形で 人類がアプローチできるのか。このように考えていくと、やはり国連というものが果たす役 割には大きいものがあると思います。 古河:国連というシステムの不十分さというのはいろいろな面から指摘されているし、改革案もず いぶん出ています。ところで、少し話題が変わりますが、UNCRD はラテンアメリカなどに もセンターがあり、所長さんの活動としては、海外出張が多いともお聞きしましたが。 小野川:多いか少ないかは受け止め方次第ですが、こういう仕事をしていますと、一般の方よりは 当然多くなります。どのくらいでしょうか、多いときには、例えば三週間続けて毎週どこか に出ていることもありますが、平均的に言えば、月に一度くらいではないかと思います。     UNCRD はコロンビアのボゴタにラテンアメリカ・カリブ海事務所を持っています。それ からケニアのナイロビにアフリカ事務所、神戸に防災をやっているオフィスが一つあります。 そうして全体の本部はこの名古屋にあって、本部がアジアをカバーするという形になってい ます。ただ、ラテンアメリカ、アフリカはなかなか遠いですから、何かのついでに寄ること にしています。せいぜい年に一回、下手をしますと、二年に一回くらいしか行けません。ただ、 向こうからもやってきますから、毎年顔は合わせていますが。 古河:所長としてそういったコーディネーションの役割を果しておられるのですね。途上国の方は こちらで研修を受けて母国に帰られて、非常に母国の人たちにも喜ばれるというようなエピ ソードみたいなものがもしありましたら、一つか二つ紹介していただけると、イメージが膨 らむのではないかと思いますが。 小野川:UNCRD の行う研修は相手国に出かけていって行う研修と、こちらに招待して行う研修と の二つのタイプに分かれます。こちらで行う研修、すなわち日本なりケニアなりで行う各国 からの参加者が集まる研修の場合は、例えば二ヶ月のトレーニングが終わると皆さん自国に 帰って行かれるわけですが、そのまま放っておきますと物事は大体動いていかないものなの

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です。我々はトレーニングをやる際に、アクションプログラムというものを参加者の皆さん に作っていただくようにしています。要は、トレーニングに参加する際、できるだけ主体的 に参加し、かつ自分の国の問題に照らして具体的に考えてもらうために、帰国したときに何 をやっていくのかということを考えながら参加してもらうためです。ところが、研修から帰 国すれば当然彼ら一人一人にとってその国の現実があり、二ヶ月いなかった間の山積みの仕 事が待っているわけですから、それを片付けなければいけない。ですから、ついつい学んだ こと、ここで議論したアクションプログラムのことを忘れてしまうことになりかねないので す。このため、我々はフォローアップのミッションを派遣しています。こちら(日本)から 出かけて行きまして、研修生が作成したアクションプログラムのフォローアップのディスカッ ションをする。そのディスカッションをするときに、ここに研修に来ていた人たちの同僚、上 司の人たちなども集まって、それを議論します。その方々が議論することによって、彼らが 学んだ内容というものが相手国の機関全体にきちんと染み渡っていくことが狙いです。また、 我々も一緒になって現地で議論し、考えることによって、たんに一人の個人(研修生)が作っ たアクションプログラムにとどまるのではなく、国として、政府としてそれをサポートして いく方向に持っていこうとしているわけです。参加者個人にとってのメリットだけではなく、 参加者が考えたものがその実現に近づいていくということが重要であり、それを支援したい と思うのです。 田中:私の場合は、UNIDO にいたときは工業開発が主でしたね。主に研究と調査でした。例えば、 発展途上国に行って工業開発をどうしていくのかとか。研究はもちろんでして、本はいっぱい 書かせられました。おっしゃられたようなフォローアップはあんまりできませんでした。実 のところ、工業関係の工場はほとんど稼動していないですね。特にアフリカ、南米、アジア では計画通り稼動している工場はそんなに多くはありません。アジアではインド、マレーシア、 中国、昔のビルマ(ミャンマー)の小さい製鉄所くらいですね。しかも一年に一回か二回トレー ニングコースを受けて、そのようなことの連続でしたね。当時の私としてはやらなきゃいけ ないことは、先進国と途上国の代表を集めて生産量をどうするかといったコンサルテーショ ンとか、そういうのをやらされました。今の UNIDO はたいぶ変わったと思いますけど、私が いた頃は調査と研究、オペレーションが中心でした。途中からたいぶ変わりました。東ヨーロッ パが崩壊して、そのとき日本政府から東ヨーロッパの環境問題について、資金は出すからで きるだけプロジェクトを作ってくれって言われて、一所懸命に手伝いさせてもらったことが あります。 小野川:田中先生と私の間には一つ接点があるかもしれませんね。私はここ UNCRD に来る直前に、 ハンガリーの Regional Environmental Center for Central and Eastern Europe (REC: 中 東欧地域環境センター ) という組織におりました。名前は「環境センター」となっていますが、 環境問題というよりは、いわゆる 89 年の東西の壁の崩壊後の中東欧地域の民主化とか、ある いはこれらの地域をどう西側へ傾斜させるかという話が本当の課題でした。このセンターが 発足した際、以前 UNIDO におられた方が REC の日本特別基金事務局長として座っておられ

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ました。     環境問題への取り組みは、人間活動との関連のもとでの純粋な環境問題を捉えたアプロー チが主体ではありますが、意外なところで政治の一つの道具というか、材料として使われる 場合もあります。ご承知のとおり、1989 年 12 月の米ソ両首脳間のマルタ会談をもって戦後 長く続いた東西冷戦構造は終わりを告げました。しかしその後、ヨーロッパの、ひいては世 界の政治体制にとって、西欧のすぐ東側に位置する、北はバルチック 3 国(エストニア、ラ トビア、リトアニア)からチェコ、スロバキア、ハンガリーを経てユーゴ、ルーマニア、ブ ルガリアといったバルカン半島の国々にいたる 15 の中東欧の国々が、社会主義体制を維持す るのか、西側の自由主義体制に移行してくるのかが政治的にも経済的にも大きな関心事項と なってきます。西側から見れば、フリーになった(自由化された)これらの国々の民主化を どう進めるのか、が大きな政治的テーマだったわけです。     それを支援する仕事はやらなければならないが、ではどうやればいいのか、何のテーマが いいのかが問題です。その検討の中で浮き上がってきたのが環境というテーマでした。旧体 制の中東欧地域では大気汚染や水質汚濁、軍の駐屯地跡地の土壌汚染といった数々の公害問 題があったことも事実ですが、それに加えて、環境問題というのは旧東側においても、比較 的に議論することが自由にできたテーマだったのです。つまり、社会主義体制の中でも比較 的やりなれていた問題でもありました。また環境問題は我々一人一人の日ごろの生活にリン クするものですから、市民の関心を集め易いことも事実です。そのテーマを使えば、トップ ダウンではなくて、ボトムアップでその地域に新しい動き、市民を中心とした意思決定プロ セスといったものを作り上げていけるのではないかと期待されたわけです。そのことにいっ たん成功すれば、その後でまた政権が社会主義に戻ろうと自由主義に移行しようと、その地 域そのものはしっかり民主化の道を歩いていくと思われたわけです。 田中:その考えでいくと、先の話も大きな政治の流れの中で理解したほうが分かりやすい・・。 小野川:そうですね、当時と今では UNIDO もまた少し違うでしょうが。UNCRD としては、エネル ギー、省資源といったようなところから UNIDO と一緒に仕事できないかと現在考えています。 日本政府はシーアイランドでの G8 サミットで、当時の小泉首相が「3R」という概念を打ち 出しました。いわゆる「リデュース、リユース、リサイクル」です。廃棄物から見ると分か り易いのですが、まず廃棄物の発生を抑え(リデュース)、それから、例えばビール瓶などといっ た製品の再利用(リユース)を図り、さらにそのままでは再利用できないものはガラスのペレッ トなどとして資源としてのリサイクルを行う、という「3R」です。日本は資源の少ない国で すから、政府は一所懸命この3R を推進しようとしています。     この3R の考え方の中で、そもそもゴミを出さないというのが一番効果のあるものです。ゴ ミを出さないというのは、家庭の中でゴミを出さないこともありますが、いわゆる製造業の生 産プロセスにおいても、限られた資源をできるだけ有効に使用しエネルギーもできるだけ有 効に使うことができれば、CO2の発生も減るし、消費する鉄などの資源も有効に利用されます。 つまり、環境にもよいことと合わせて、限られた資源を有効に利用することに経済的なメリッ

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トも出てきます。これをウィンウィン (win-win) のアプローチと呼んでいますが、このような 形に持っていかないと、環境が大切だという哲学だけでは人の心はそう簡単に動いてくれな いのですね。そういうアプローチを 3R にかけて今展開しようとしています。こんなテーマで すと、国連の中では UNIDO あるいは IEA などの組織との連携が一つの柱になっていきます。 この 3 月に予定されている日本での3R の会議に UNIDO にも出席するよう声をかけています。 田中:ああ、そうですか。UNIDO の投資事務所は日本では東京の青山にありますが・・・。 小野川:国連の組織の中に一番多く出先機関を持っているのはやはり UNDP(国連開発会議)ですね。 各国において国連の大使館のような役割も果たしていますから、ほとんどの国に事務所があっ て、かつ資金を提供しての事業の実施といった具体的な仕事もしています。それ以外の国連 の組織はアジアとか、アフリカとか、東アジアとか、地域全体をカバーするオフィスが多い のです。UNIDO も本部はウィーンにあり、バンコクにアジア地域をカバーする地域事務所が あります。プロジェクトオフィスをアジアではベトナムなどに持っていますが、難民問題で 活動する UNHCR などといった組織を別にすれば、現地で実際に手を動かして仕事を実施す るというのは多くの国連組織にとって必ずしも得意なことではないのです。しかし UNCRD の場合は、できるだけ地域に入っていく形の具体的な仕事をやりたいと思っています。そう いう意味で、ウィーンに本部があってなかなか現地各国と一緒に仕事をやりづらいような組 織にとってみれば、UNCRD との連携もメリットがあるのでは、ということを一つの誘い水に、 新しい連携を模索してみたいと思っています。 古河:私たちの大学がある長崎は歴史的に東アジア、特に中国などと非常に関係の深いところです。 「地域開発センター」のお仕事から見られて、長崎、あるいは東アジアとの協力という点での 期待や注文が、もしありましたら、この際お聞きできればいいと思いますが。 小野川:長崎に限ったことではありませんが、どこの地域でも「国際化」という話をよく聞きます。 世界はグローバリゼーションのまっただ中ですから、「国際化」という言葉が取りざたされる のはある意味で当然のことです。ただ、「国際化」という言葉が具体的に何を意味するのか、 どういう意味の国際化なのかというところが詰まってないところが多いのではないでしょうか。     途上国、たとえばアジアの国々を考えるとき、日本は先進国ですから、途上国の経済的に困っ ている人たちに何か援助をしてあげたいという気持ちを持つ方がおられます。こういった国 境を越えての連携をすすめる、というのももちろん国際化のひとつです。また、日本に来ら れる外国人が増えてきていますから、そういう外国人の方々が日本で暮らしやすい環境やサー ビスを提供できるようにする、というのも地域の国際化でしょう。多くの旅行者に日本を訪 ねてもらうためには、必要な情報がわかりやすく提供されることが大切です。往々にして「国 際化」という言葉が用いられますが、どんな目的でどんな行動をしようとかというのが今一 つクリアでないように思えます。キーワードとしての「国際化」は響きもよく魅力があるけ れど、そこにとどまらず、自分の地域が目指す「国際化」とは何なのか、そのためにはどん な施策が必要なのか、といった議論が具体的に進められていくことが大切だと思っています。     長崎は、最初に日本が開国したときから、あるいはそれ以前から、外の世界に対して開か

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れたところです。歴史的に見ますと、日本の中 で唯一外に対して目を持っていたところといっ ても過言ではありません。そういう意味からす ると、「国際化」というものをもう少し具体的 な形にした、かつ継続的に進んでいくような形 で、いわばこれが地域にとっての「国際化」な のだというようなことを、日本のほかの地域に 対して見せていただけるような役割を果たして いただくことができたら、と思います。それは きっと、日本のあちこちの地域にとって、具体 的に参考になる話になるのではないかと思いま す。     UNCRD もいろいろな試みをやっています。例えば、(パンフレットを示しながら)このグロー バルパートナーシッププログラム、意図するところは似たようなものです。地域の人びとが 何かいいことがしたいと思っておられても、具体的にどうすればいいか、はわからないのが 通常です。どこで何ができるのか、そのために大体お金がいくらかかるだろうか、自分たち の気持ちを誰に話をすればいいのか、その辺がぜんぜん分からないわけですね。そこで私ど もはこういうパンフレットを作りました。環境、防災、研修などさまざまな分野ごとに分類 して具体的な事例を提示しています。例えばこれは生ゴミコンポストセンターの設置の事例 ですが、これをバングラデシュでやろうとすると大体いくらくらいお金がかかるかとか、タ イで家庭排水の浄化施設のようなものを作ると予算がいくらかかるか、と。このように具体 的なケースを目に見えるような形で皆さんにお示ししますと、地域の篤志家の人たちが、で は支援してみようか、という気持ちになってくるのです。ライオンズクラブとかローターリ クラブとかの組織の方々は国際貢献のための募金をやっておられますが、従来はそのために 上部機関に、日本代表のところにそのお金をポンと「いいことに使ってください」と提供し ていたことが少なくなかったのです。これでは、集めたお金がどう使われているかが見えて きません。ところが、私どもと一緒になってこういうことをやっていくと、どの地域でどん なことがなされるのかが一目瞭然です。かつ相手国の地元では、名古屋のライオンズクラブ が寄付してくれたといったパネルみたいなものが表示され、市長さんからきちんと感謝状が 届いてきます。そうすると、自分たちがやったことが具体的にわかり、どう評価されている かということもわかってくる。そうなれば、またもう一度やってみようということにもなれ ば、何回かやったあとには、ちょっと現地にも行ってみようか、という話にもなってきます。 現地の人たちは「ああ、あの人たちがやってくれたのか」と歓迎しますから、いつの間にか、 お互いの中に相互の交流が芽生え、しっかりとした理解が形成されることにもつながってき ます。私たちはこれもまた地域社会のひとつの意味での国際化だと考えています。     一方で、これは我々 UNCRD にとってもありがたいことなのです。国連機関が、「こんなこ UNCRD グローバル・パートナーシップ・ プログラム パンフレット

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とをしたらいいですよ」という絵を描いているだけでは、相手国の人たちは飽きてしまいます。 「国連はまたペーパーワークをやっている」と。それじゃ意味がありませんね。たとえ小さい 事でも、本当に地域の問題が良くなってくる、解決にむかっていく、ということが重要です。 そういう具体的な成果を見れば、彼らも UNCRD と一緒にやったらいろいろなことが動き出 すという気持ちになってくれ、どんどん一緒に動いてくれるようになってきて、結果として、 私たちのやる仕事がいろいろな国に広く受け止められるようになってきます。     私たちは地域との連携を通じて、地域の人に対して国際化のための活動の場を提供します が、私たち自身も地域の人たちとの協働・活動を通じて相手国から信頼や協力を受けること ができるようになるわけです。これは UNCRD が展開する地域の国際化を目指した活動のひ とつの事例ですが、是非、長崎としても一つの国際化のパターンを生み出していただければ、 と思います。そして他の地域の人もそれを見習っていく、ということになればいいですね。 古河:今おっしゃったのは言ってみれば、顔の見える等身大の問題共有・解決としての取り組みで すね。ある研究者は「第三の国連」ということを述べています。第一というのは国連の加盟 国総体を示している、第二とは国連の総会、安保理、事務総長、経済社会理事会等とその下 にある国連諸機関を指します。第三とは世界のさまざまな地域の多くの NGO や専門家集団な どを指します。NPO や諸団体は国連システムを中心としつつ国連との協力・連携の中でグロー バルな問題の解決を協力して進めていく。この「第三の国連」という側面が重要になりつつ あると考えてよろしいですね。 小野川:ええ。国連でもグローバルコンパクト (Global Compact) というアイデアを進めています。 古河:ええ、このグローバルコンパクトは確かアナンさんが提唱したものですね。 小野川:はい、アナン前事務総長が提唱しました。今の藩基文事務総長もそれを継承するとしてい ます。国連の活動を展開していくにあたって民間企業との連携を進めていこうという趣旨の ものです。日本では 70 ~ 80 の会社がグローバルコンパクトに関与しています。これだけ 世界がクローバル化していっているわけですから、企業といっても自分たちの国の中だけで 活動するのではなく、世界レベルで事業活動を展開している企業が増えてきました。世界レ ベルで経営をやっていこうとすると、治安、健康、労働者の質などあらゆる問題が影響を及 ぼしてきます。自社の製造する製品の品質にも関わるし、あるいは売れ行きにも関わります。 私企業といえども世界の問題を考えざるを得なくなりつつあるのです。したがって、直接ビ ジネス活動だけではなく、それを支えるような社会の問題に対して、公的な組織だけではな く私企業にも目を配っていただこう、国連と一緒になってやっていっていただこう、そうい う視点からグローバルコンパクトの考え方が提唱されているわけです。安定した社会という のはグローバリゼーションの流れの中、ビジネス社会にとって活動を続けていくための必須 の要素であり、また国連という組織から見てみても価値観を共有できるものですから、世界 的な企業とのタイアップを通じて同じゴールに向かって協働を進めていく、ということにな ると私は思います。NGO も大きなプレーヤーの一つですから、連携できる相手方なり、対象 を広げていって同じ目的の達成に努力するということですね。

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古河:そういう意味では、特に 60 年代に強く打ち出された途上国の開発問題において、非同盟運動 や UNCTAD(国連貿易開発会議)を中心とした南北問題の考え方からすると、やはりちょっ と柔軟になって、世界的な市民社会を考えて、協力の中でやっていこうという、かなり成熟 したスタンスになってきたと捉えていいのでしょうか。 小野川:89 年に冷戦構造が終結を迎えたことを契機として、世界の主要な問題が東西から南北に変 わってきたと私は考えています。92 年のリオデジャネイロ・サミットは、数多くの首脳が参 加する大変ハイレベルのサミットになったわけですが、あわせて気候変動問題や生物多様性 条約への署名を開始する場ともなり、世界の関心が地球レベルでの環境問題に変化していく きっかけとなりました。これは、地球レベルの環境問題に対処していくためには、途上国の 環境問題への対処能力をどう高めていけるかという課題に立ち向かう必要が出てきたことを 意味します。     そのためには北から南に対する技術と資金面での支援が必要ですが、併せてこれは、北側 からの支援は支援ではなく、今まで南から資源の搾取を重ねてきた北側の国からのいわば補 償だという議論を南の諸国に引き起こすきっかけともなりました。気候変動問題の主たる原 因は生産、消費活動から排出される CO2ですが、これは産業革命以来、北の先進諸国がその 多くを排出してきたものです。北の国々が問題の原因を作っておきながら、その問題の影響 を砂漠化、渇水、海水面の上昇といった形で受けるのはまず南の途上国や島嶼国だ、という 被害者意識が南の国々にはあります。このような議論を通じて、92 年リオのサミットを契機 として世界の政治問題が、東西問題が南北問題に変わってきた、このような問題の本質の変 化が世界に生じてきたと私は考えています。 古河:どうも今日はお忙しいところありがとうございました。 (2009 年 2 月 2 日収録)

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