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172309_XP_天理大学学報第227輯(体育編)

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Academic year: 2021

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研究ノート

自由民権期における警察武術についての一考察

―民権結社の活動と警察剣術―

A Study on the Police Bujutsu (martial arts) in the period of

“The Liberty and People’s Rights Movement”

The relation between the activities of the associations of

“The liberty and people’s rights movement” and the police bujutsu in Japanese

Meiji era

Akira Yuasa Abstract

This paper aims to study that the police had promoted Bujutsu (martial arts) in the period from around 1889 to 1890. It was also the same period that “the liberty and people’s rights movement” as the resistant movement to the Meiji government had activated.

In this paper, I examined descriptions in “The history of police” that the police headquarters of 47 all over Japan local governments published in detail, and elucidated the actual situation of police martial arts between the same periods.

The results of this study were as follows :

1.The associations of the liberty and people’s rights movement made use of martial arts for cultivating the offensive spirit to the government. The police that had the role to maintain public order would weaken the power of the resistance by enticing the excellent players and coachers of martial arts away from the associations.

2.As a method to entice the martial artists, the police often sponsored many fencing meets and employed the excellent players and coachers. The police sometimes sponsored the meeting of the national scale and picked out the excellent martial artists.

3.The police and government advertised the promotion situation of martial arts in the police as the public order maintenance organization by using the media such

天理大学体育学部 Faculty of Health, Budo and Sports Studies, Tenri University

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は じ め に 筆者は「自由民権運動と武術についての一 考察」(『武道学研究 第32巻第2号』日本武 道学会)において,自由民権運動の結社にお ける武術受容の実態についての検討を通じて, 武術が民権運動推進のために積極的に活用さ れたことを明らかにするとともに,警察武術 は民権運動への対抗策として確立されたので はないかという仮説を呈示した。 本研究は,自由民権期における全国都道府 県の警察側の武術の実態について明らかにす るものである。ここでいう自由民権期とは, 通常,民選議員設立建白が出され,国会の開 設が要求された明治7年(1874)から,実際 に国会が開会された明治23年(1890)までを 指す。 この時期における警察武術と民権運動との 関係について論究した先行研究としては,長 谷川昇注1)や中村民雄注2)の研究があるが,長 谷川は愛知県,中村は東京・警視庁を対象と したものであり,その対象地域や警察機関が 限られており,当時の全国の警察における武 術実施の動向は明らかではない。 そこで,本研究では全国の各都道府県警察 本部発行の『警察史』(全47都道府県)にお ける,「巡査教習所」や「巡査の教養」,「警 察における武術」に関する記載内容から,警 察が組織的に行った武術訓練開始の時期や, 実施の形態などを詳細検討し,警察武術の全 体像の解明を試みるとともに,警察武術とく に剣術の推移と民権運動との関連について考 察した。 全国47都道府県の『警察史』を詳細に検討 し,以下を抽出し,一覧表および推移図を作 成し,これを基礎資料として全国の警察にお ける剣術訓練の実態や推移について考察した。 ! 剣術が警察官の初任者教習や,現任警 察官に対する教養訓練として,はじめ て組織的に実施された年月日。(別表 1) " 「巡査教習所」等,教習機関が設置さ れた年月日。(別表1) (なお,巡査教習機関の設置年月日に ついては,設置が決定された法令の発 布日,教習規則等の制定日,実際の開 所日のうち,最も早い年月日について 記載した。) # 講習会や研修会の設立時期。(表6) (この講習会や研修会は,警察武術の 推進のために設置された任意の組織で あるが,加入が半強制的に義務づけら れていた。) $ 巡閲規則等における剣術に関する事項。 (表7) また,山下素治著『明治の剣術 鉄舟・警 視庁・榊原』(新人物往来社 1980)に掲載 されている明治10年代の新聞記事から,警視 庁管内の道場,試合に関する記述を一覧表に 作成し,これをもとに明治政府のメディア戦 略と警察剣術の振興との関係について考察し た。(表8∼表11) 1.巡査教習機関の設置と武術採用の時期 日本の警察における巡査教習機関としては, 明治12年7月,東京警視本署(明治7年東京 警視庁として設置,明治10年内務省警視局直

as newspapers carried the situation of training and the meeting of the martial arts. The interest of people was guided to the police martial arts, as a result of public opinion instruction by the media.

4.I conclude that this strategy of the police and government is considered to be a form of “The monopoly of the violence” proposed by Norbert Elias and the other sociologists.

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轄東京警視本署,明治14年に警視庁として再 設置)に「巡査教習所」(開所は明治13年1 月)が設けられたのが嚆矢である。そして, この巡査教習所において「課業ノ外ニ撃剣及 捕縄方法ノ一課ヲ設ケ,余暇ヲ以テ適宜ニ之 ヲ練習セシム」(「教習所規則」警視本署達節 録 明治13年1月19日 内閣記録局編『法規 分 類 大 全』第 一 編 警 察 門 明 治25年 所 収)というように,課外とはいえ剣術が警察 制度上はじめて正式に位置づけられた。 明治12年1月頃から,東京警視本署や所轄 の各署・屯所において,剣術の稽古や試合が 行われるようになったことは当時の新聞紙上 でも多く採り上げられているが,このような 東京警視本署における剣術の復興は,平常勤 務の傍ら余暇を費やして行われており,建て 前としては業務外の余暇活動であった。巡査 教習所の設置によって,この業務外の剣術訓 練を軽減し,たとえ課外であっても巡査教習 期間内の教養科目として,教習制度の一環と して剣術を位置づけた意義は大きい。東京警 視本署の巡査教習所が設置された後,地方に おいても巡査教習機関を設ける府県が相次い だ。 表1は,巡査教習機関を設置した道府県, 武術訓練(「撃剣」)を実施していた道府県の 数を,年度別に集計したものである。表2は, 「巡査教習規則標準」(内務省令第一二四号) が制定された明治19年以前に実施されていた 道府県別一覧である。また,図1は,年度ご との府県数を積算して,その推移を示したも のである。(図1の横軸の目盛りの数字の位 表1 教習機関設立と撃剣採用の道府県数 表2 教習機関の設置と撃剣採用の実態 (「巡査教習規則標準」制定以前) 年(明治) 教習機関 撃 剣 11 0 0 12 1 2 13 4 4 14 3 4 15 4 3 16 0 3 17 2 2 18 1 2 19.1―3 1 1 19.4―12 21 11 20 3 3 21 1 1 22 0 0 23 0 0 24以降 0 4 不 明 6 7 府県警察 巡査教習機関 府県警察 撃 剣 設立年月日 実施初年 年 (明治) 月日 年 (明治) 月日 1 警視庁 12 7.14 1 警視庁 12 2 2 福 井 13 4.23 2 島 根 12 7 3 滋 賀 13 4.23 3 福 井 13 4.29 4 熊 本 13 4 4 滋 賀 13 4.29 5 千 葉 13 9.30 5 千 葉 13 9.30 6 埼 玉 14 9 6 愛 知 13 7 岐 阜 14 10.5 7 山 梨 14 3 8 福 岡 14 12.5 8 埼 玉 14 9 9 京 都 15 3.3 9 岐 阜 14 10 10 山 口 15 9.21 10 福 岡 14 12.5 11 静 岡 15 10 11 愛 媛 15 10.2 12 愛 媛 15 10.15 12 静 岡 15 10.3 13 和歌山 17 3.10 13 山 口 15 12.2 14 兵 庫 17 14 宮 城 16 6.01 15 新 潟 18 3.16 15 兵 庫 16 6 16 神奈川 19 1 16 群 馬 16 8.12 17 秋 田 17 3 18 和歌山 17 6.25 19 長 野 18 2.24 20 新 潟 18 3.16 21 神奈川 19 1.31

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置は,各年度末を示している。たとえば,目 盛りの数字位置は12月末日であり,11から12 の間が明治12年を表している。)教習機関の 設置府県数と,撃剣採用府県数が明治16年∼ 19年3月までの間と,明治20年∼23年の間で 4ないし5府県数の差があるものの,両者の 推移は同様のカーブを示している。このこと は,撃剣はおもに教習所等の教習機関の「術 科訓練科目」として実施されていたことを示 唆していよう。 明治19年1月∼3月と,同年4月∼12月の 間で,両者ともに急増しているのは,明治19 年(1886)4月,「巡査教習規則標準」が制 定され,「教習所」等,新任巡査の教習機関 の設置が各道府県に義務づけられ,その教習 正科目として武術(とくに「撃剣」)が採用 されたためである。(明治20年∼23年までの 両者の差は,本来は教習所等が設置されてい たにもかかわらず,規則等の史料の記載がな く,教習所で撃剣が科目として採用されてい たかどうか確認できなかったためである。) この「巡査教習規則標準」には,剣術の訓 練を巡査に課することは義務づけられていな いが,この規則標準をもとに各道府県独自で 制定された教習規則には,剣術を教習科目と して採用することを明文化しているものが多 くみられる。つまり,警察における剣術は, この明治20年代初頭までに,つまり本稿でい う自由民権期に制度的に整備されていったと いえよう。 2.自由民権期における警察武術の振興 表1,表2にみられるように,明治19年に 「巡査教習規則標準」が制定され巡査教習所 図1 教習機関・撃剣採用の推移

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の設置が義務づけられる以前にも,各府県で 必要に応じて任意に教習機関が設置されてお り,明治12年(1879)に内務省警視局・警視 本署が「巡査教習所」を開設したのをはじめ, すでに16府県が教習機関を設置していた。ま た,21府県では撃剣が,現任あるいは新任巡 査の教養訓練として実施されていた。そもそ も巡査養成機関は,国会期成同盟が結成され (明治13年・1880)民権運動が活発化するな かで,讒謗律・新聞紙条例(明治8年1875) に加えて「集会条例」(明治13年)が制定さ れるや,法令を執行する際の知識を警察官に 学習させるために設けられたものであり,こ の教習機関の設置そのものが民権運動への対 抗を前提としていたという。(『和歌山県警察 史』第一巻 1983,『埼玉県警察史』1974 参照)。 ここでは,今回検討した警察資料をもとに, 警察側の教習機関の設置・武術の奨励と,民 権運動との関係をみることにする。表3は, 各道府県の民権活動の活発さの度合いをみる ために,!建白書・請願書参加数(すなわち 国会開設運動への参加者),"民権結社の数, #自由党の党員数,のそれぞれ上位10府県を 抽出したものである。 表4の一番左の列には,上記!∼#の上位 10にあがった府県が記載されている。「◎」 は!∼#のすべてにあがっている県,「○」 は!∼#の中の二つにあがっている府県, 「△」は一つだけにあがっている府県である。 ◎○△合わせて19の府県を民権活動が盛んな 府 県 と し た 場 合,こ の19府 県 の う ち8県 (42.1%)で,「巡査教習規則標準」が制定 される以前から巡査教習所等の教習機関を開 設し,また13県(68.4%)で剣術を警察官の 訓練に採用している。また見方を変えると, 「巡査教習規則標準」制定以前に教習機関を 設置している府県の53.3%,また剣術を訓練 に採用している府県の65%を民権運動が活発 な府県で占めている。このことからおおよそ ではあるが,民権運動が活発な府県は,早期 から教習機関を設置し,撃剣を奨励していた ことが示唆される。 また表5は,自由民権運動が暴力化し激化 事件が生じた府県での,巡査教習機関の設置 や,撃剣訓練実施との関係を表したものであ る。この表5から,激化事件発生府県におい て,「巡 査 教 習 規 則 標 準」制 定 の 明 治19年 (1886)4月8日までに,巡査教習機関の設 置された県数は事件発生府県12府県中5県 (41.7%)でありそれほど多くはないが,撃 剣 を 巡 査 の 訓 練 に 採 用 し た 県 数 は10県 (83.4%)にのぼっている。以上の考察から, 民権運動が活発な府県の中でも,とくに激化 事件が発生した県では,比較的早い時期から 新任や現任の警察官の訓練として撃剣を積極 的に採用していたことが明らかになった。 3.巡査の帯剣と剣術振興による民権運動の 弾圧 図1では,明治15年(1882)12月,太政官 達第六十三号が通達され全国一斉に巡査の帯 剣が許されると,教習機関が設置されていな い府県でも,明治19年にかけて撃剣の採用府 県数が増加している様子がわかる。これは, 現任警察官への剣術の奨励と見て取れよう。 たとえば,表6にあるように,警視庁や長 野県警では「演武会」という任意団体が結成 され,静岡,兵庫,和歌山の各県警では訓練 規則を定め武術訓練を義務づけている。ちょ うどこの明 治15年∼19年 に 至 る 時 期 は,改 正・集会条例等の法令により民権運動がきわ めて抑圧され,活動が先鋭化していく時期で あり,いわゆる「激化諸事件」が頻発した時 期でもあるが,この巡査の帯剣制度は,次第 に激化し暴力化する民権運動に対する示威的 効果をねらったものと考えられている。もち ろん,民権運動に対する弾圧という目的は規 則等には一切記載されてはおらず,「巡査帯 剣心得」にも,慎重な刀剣の扱いが要求され ているが,板垣退助が「巡査ニ剣ヲ帯バシメ, 又日夜武ヲ練熟セシムル如キハ皆人民ニ威武

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ヲ示シテ,政府ノ勢力ヲ盛ナラシムルノ手段 ニ非サルハナシ」注3)と痛烈に非難している ことからも分かるとおり,民権運動の側から は明らかに運動の弾圧として受け取られてい たといえよう。 4.警察武術の確立 つぎに,「巡査教習規則標準」制定以降の 動きであるが,図1の通り,明治21年(1888) には,全国ほとんどの道府県で「巡査教習所」 の設置が完了しており,撃剣については教習 の正科として位置づけられたといえよう。柔 術は撃剣よりも正科採用の時期が遅れたが, 明治21年の時点で19府県で,教習所正科また は現任警察官教養として実施されていたこと が確認された(表1参照)。よって,明治20 年代前半には,剣術を中心として警察武術が ほぼ確立されたといえる。以後,巡査教習規 則が改定されるごとに,柔術も教習所正科に 採用する府県が増加し,教習科目上武術が占 める比重が大きくなっていく。 また,表7からもわ か る よ う に 明 治20年 (1887),「警察巡閲規則」(内務省訓令第三 六号)の発令を受けて,地方においても巡閲 規則等が制定され,武術の実施状況が検閲さ 表3 民権運動の活発な意見 !府県別建白書・ 請願書参加者数(上位10) 【参考文献】『自由民権革命の研究』 江村栄一著 法政大学出版局 1984年 表4 民権運動と警察武術との関係 "全国の民権結社数(上位10) 【参考文献】『週間朝日百科日本の歴 史100自由・民権・国権』色川大吉編 朝日新聞社 1988年 #自由党の党員数(上位10) 【参考文献】『困民党と自由党』色川 大吉著 揺籃社 1984年 民権運動の活発な府県 教習所設置府県 剣術採用府県 千 葉 ◎ 警視庁 △ 警視庁 △ 神奈川 ◎ 滋賀・福井 ○ 島 根 △ 茨 城 ◎ 熊 本 滋賀・福井 △ 高 知 ○ 千 葉 ◎ 千 葉 ◎ 長 野 ○ 埼 玉 ○ 愛 知 静 岡 ○ 岐 阜 山 梨 栃 木 ○ 福 岡 △ 埼 玉 ○ 埼 玉 ○ 京 都 岐 阜 広 島 △ 山 口 福 岡 △ 岡 山 △ 静 岡 ○ 愛 媛 福 岡 △ 愛 媛 静 岡 ○ 滋 賀 △ 和歌山 山 口 新 潟 △ 兵 庫 宮 城 △ 宮 城 △ 新 潟 △ 兵 庫 福 島 △ 神奈川 ◎ 群 馬 △ 秋 田 △ 秋 田 △ 群 馬 △ 和歌山 島 根 △ 長 野 ○ 東 京 △ 新 潟 △ 神奈川 ◎ 府県数 19(a) 15(b) 8(c) 20(d) 13(e) 割 合( % ) a/c 42.1% a/e 68.4% b/c 53.3% d/e 65.0% 順 位 府 県 参 加 者 人 数 1 高 知 48,392 2 千 葉 32,015 3 広 島 26,394 4 岡 山 25,204 5 神奈川 23,555 6 長 野 23,536 7 静 岡 20,000 8 福 岡 13,358 9 滋 賀 12,530 10 茨 城 12,263 順 位 府 県 結 社 数 1 高 知 127 2 茨 城 99 3 神奈川 97 4 新 潟 76 5 静 岡 74 6 宮 城 62 7 千 葉 57 8 栃 木 55 9 福 島 48 10 埼 玉 45 順 位 府 県 党 員 数 (明治17年) 1 秋 田 428 2 栃 木 315 3 神奈川 268 4 群 馬 212 5 千 葉 183 6 長 野 178 7 埼 玉 148 8 島 根 121 9 茨 城 112 10 東 京 82

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れるようになり一層の管理強化が行われるよ うになった。 5.警察における剣術の独占化 (1) 撃剣試合の開催による剣術の独占 本稿冒頭で示した拙稿において,明治6年 (1873)に困窮士族救済の目的で始めた撃剣 会(撃剣興行)は,不平士族反乱を危惧した 政府から禁止されたが,西南戦争(明治10年) の後,全国各地で再開されたが,会を重ねる 毎にその魅力が失われ,その一部は民権結社 による政治集会の客集めのための前座役に変 質していったことに言及した。中村注4)も, 明治12∼13年頃からは撃剣会はただ見せるだ けのものから次第に一種の合同稽古や団体武 者修行のようなものに変質しはじめたと指摘 している。中村は,その理由として警視庁が 巡査の撃剣稽古を奨励し,撃剣会の看板であ った実力のある剣術家が引き抜いたためだと している。また,杉江注5)は,『日本武術名家 伝』(名古屋版 明治35年刊)に収録されて いる「名誉賛成員の略伝」の章に記載されて いる178名の武術家の履歴について詳細に検 討した結果,明治18年(1885)に開催された 弥生社撃剣大会の前後から,武術家と警察の 交流が活発になっていることを明らかにして いる。これらの中には,警察の剣術教師に転 身した者,門下生を巡査教習所に派遣した者, 警視庁から地方警察署に派遣された者など 様々であるが,警察主催の剣術大会に参加し 技量が認められて警察入りした剣術家なども 確認されたことを報告している。 この弥生社撃剣大会については『明治の剣 術 鉄舟・警視庁・榊原』(山下素治著)に 詳しいが,警視庁が明治15∼19年まで毎年秋 に,東京・本郷の向が丘弥生町(現在東京大 学構内)に設けられた警視庁所管の弥生社 (舎)において開催された大会である。同著 によれば,初回大会は明治15年11月25∼26日 の両日に行われ,警視庁官吏(巡査本部およ び府下各警察署,巡査屯所の警部,巡査,監 獄署看守など)および憲兵から選抜された剣 表5 激化事件発生府県と撃剣訓練 府 県 激 化 事 件 年 (明治)西暦 月 備 考 早期(※)に教習機 関を設置した府県 早期(※)に撃剣訓 練を実施した府県 1 秋 田 秋田事件 14 1881 6 ○ 2 福 島 福島事件 15 1882 11 3 新 潟 高田事件 16 1883 3 ○ ○ 4 愛 知 名古屋事件 16 1883 12 1886年8月まで ○ 5 群 馬 群馬事件 17 1884 5 ○ 6 岐 阜 加茂事件 17 1884 7 ○ ○ 7 神奈川 武相困民党事件 17 1884 8 1885年1月まで ○ ○ 8 茨 木 加波山事件 17 1884 9 ○ 9 静 岡 駿豆貧民党事件 17 1884 9 1885年5月まで ○ ○ 丸山教み組事件 17 1884 1887年まで 静岡事件 19 1886 6 10 埼 玉 秩父事件 17 1884 11 ○ ○ 11 長 野 飯田事件 17 1884 12 ○ 12 大 阪 大阪事件 18 1885 11 事件発生府県12府県に対しての県数(%) 5(41.7%) 10(83.4%) 早期に教習機関を設置した府県, 撃剣訓練を実施した府県に対しての割合(%) 5/16(31%) 10/21(48%) 不明分を除く府県の総数 41 40

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術熟達者と,これに若干名の陸軍尉官と山岡 鉄舟門人が参加出場し,1日目は番外2組を 含め30組,2日目は番外2組を含め65組の試 合が行われた。第2回大会は,明治16年11月 4日に開催され,試合出場者は警視庁巡査を 中心に宮内省官吏,憲兵らの他に,千葉,茨 城,埼玉,群馬,静岡の「撃剣御用掛」(撃 剣教師)や巡査2,3名ずつが参加しており, 撃剣78組,槍術43組が行われた。第3回大会 は明治17年11月8日に行われたが,この大会 は警視庁主催の最初の全国的撃剣大会で明治 剣道史上最も有名な大会である。前回も他県 剣客の参加はあったものの近県に限られてい たが,今回は福岡,岡山,兵庫,京都などの 遠隔府県からそれぞれ3∼4名ずつ合計20数 名が参加した。参加者の顔ぶれも,当代の名 剣士がずらりと顔を揃え,さながら日本一を 競う様相を帯びていたという。試合の組み合 わせも,番外9組を含め57組の試合が行われ た。(第4回,第5回の大会については同著 に記載はない。) 上記の第1回弥生社撃剣大会の第1日目に は,明治天皇も行幸される予定であったが急 表6 講習(会)・研究(会),武術訓練規則等 表7 巡閲規則等における武術の検閲 都道府県 巡閲等規則上の特記事項 1 大 阪 「検閲内規」(19.12.9内達甲第二号) に,第一課長が行うべき検閲項目とし て「巡査撃剣又ハ其他ノ教育」があげ られている 2 山 形 「巡査検閲規則」(20年2月 庁第十 号)で,柔剣術の習熟度を試験 3 群 馬 「巡査検閲条規」(20.6.28訓令甲第一 三三号)に撃剣のみ記載「考試細則」 (38.5.23訓令甲第五四号)に「武術 の練否」の条目あり 4 秋 田 「巡査検閲条規」(20年 庁第四九号) に,検閲試験として武術(撃剣・柔術) を課している 5 愛 媛 「巡査監督及訓練規程」(警々訓第三 二三号 30.10.2)には,「警察署分署 所在地以外ノ巡査ヲ召集シタル時ハ… 武術ヲ訓練スベシ」とある 6 岐 阜 「巡査監督訓練規則」(33.1.10訓令第 四号)に毎月2回の召集訓授の際,「武 術其他緊要ノ事項ヲ研究」することを 義務づけている 7 石 川 「警察巡閲規則施行細則」(32年)に は,巡閲項目として「武術の熟否」が あげられている 都道府県 講習(会)・研究(会)等 規 則 等 年 月 (明治) 1 静 岡 「巡査講習所規則」 (規第五四号) 「巡査講習会規則」 (規第六十号) 15.10 16.12 2 兵 庫 「篠山警察署撃剣規則」 16.6 3 警視庁 「演武会規約」 18.8 4 長 野 「演武会規則」 「武術練習規程」 18.8 41.1 5 神奈川 改正「巡査講習所規則」(庁 達甲第一号)「同 細則」(規 丙第一号) 22.2 19.1 6 埼 玉 「警官撃剣講習所規約」 25.8 7 鳥 取 「警察官吏研究会規則」 28.10 8 奈 良 「文武講習会規則」 (訓令甲第一五号) 33.3 9 愛 媛 「巡査講習会規則」 (松山署) 「文武研修会概則」 (訓第三七七号) 「巡査訓練規程」 (訓第二六号) 33.4 35.11 38.1 10 福 島 「巡査講習規則」(訓示第六 号)に撃剣のみ記載 34.4 11 秋 田 「巡査講習規則」(警察部訓 令) 34.12 12 愛 知 「文武講習会規則」 (田原警察分署) 「文武研修会規程」 (知立警察署) 34 43 13 宮 城 「武術練習規定」 37.4 14 香 川 「文武講習会規程」 37.8 15 鹿児島 巡査文武講習会 39.6 16 長 崎 「文武講習会規則」 「警察官吏講習規程」 39.12 45.6 17 山 口 「巡査講習規則」(訓令四第 四七五) 40.6 18 岐 阜 「文武研究会規約」 (多治見署) 42.6

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遽の取りやめで代行に北白川宮能久親王が臨 場されたのをはじめ,三条実美(太政大臣), 岩倉具視(右大臣),山県有朋(参議),井上 馨(参議),川村純義(参議),松方正義(参 議),大山巌(参議),香川敬三(宮内大書記 官),山岡鉄太郎(宮内省御用掛)などの政 府や宮内省の高官,さらには,地方官会議の ため在京中の諸県令,イギリス,ドイツ,支 那,韓国など各国公使なども臨席した。な お,2日目の参観者は陸軍将校達が主だった という。このように,弥生社撃剣大会は,た だ警察における剣術の振興という枠を越えて 宮中・政府・軍部・地方行政官・警察が一体 となった事業であり,いいかえれば国家をあ げた一大イベントであったといえる。一方, 地方においても各地の警察署においても同様 の撃剣大会が開催されたという記述が,各都 道府県『警察史』に散見され,明治15年から 明治19年にかけて警察剣術が組織的に振興さ れたことが,ここでも裏付けられた。 以上のように,明治12年頃から明治20年に かけて警察における剣術の振興は加速してい ったが,このことは見方を変えれば,撃剣試 合などイベントを通じて技量優秀な剣術家を 選抜し撃剣興行や結社(民権結社および反民 権的結社)から警察の側に,さらにいうなら ば国家に独占しようとする政府・警察の意図 が働いていたと考えることもできよう。(図 2参照) (2) メディアを通しての警察剣術の広報 前節で検討した弥生社撃剣大会は,山下の 前掲書に記載された当時の新聞記事を資料と して論述したものであるが,同書にはこの大 会以外にも警視庁剣術に関する新聞記事が数 多く収録されている。表8(後掲)は東京府 下の警察署と監獄に設置された撃剣場(道 場)の新築,開場の年月日の一覧,表9(後 掲)は警視庁構内撃剣場で開催された撃剣試 合の記事の一覧である。また,表10(後掲) は明治17年と18年に警視庁の各方面で実施さ れた撃剣会の一覧,表11(後掲)はその他の 警視庁剣術に関する記事で,全記事数は,144 である。(あくまで記事の数であり,同じ内 容の記事が複数紙に掲載されている場合も1 記事とした。) 山下が発見した記事以外にも多数の新聞記 事があったと想像されるが,なぜ東京の警視 庁剣術に関する記事がこのように多数掲載さ れたのかについては疑問のあるところである。 民衆にとって警察における剣術の実施状況が, そんなに興味関心があったものとも思えない。 佐々木注6)は,明治15年 以 降,現 在 の 内 閣 官 房機密費にあたる「内閣機密金」が存在した ことが確認できるといっている。この内閣機 密金の使途については,政府系新聞社や政府 系団体への補助金,太政官文書局長(のちに 内閣官報局長)の秘密費,岩倉具視の伝記資 料調査費が主要な部分を占めていた。このう ち最大のものは政府系新聞社への補助金であ り,政府が大幅に助成を強化したのは明治14 年の政変後,世論対策を念頭においていたと いう。 伊藤博文関係書類を集めた『秘書類纂』の 「財政資料 中巻」に記載されている「内閣 機密金勘定書」によると,明治18年(1885) 8月の機密金の使途は以下の通りであるとい う。 ○月例の支出 大東社補助金 600円 日報社補助金 975円 岩倉具視伝記資料調査費 70円 三条太政大臣御密用費 90円 図2 剣術家の警察への移動

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○一時金 忠愛社補助金 1万5000円 朝日新聞社補助金不足分充填 163円93銭9厘 岩倉具視伝記資料調査費立替分返済 89円43銭4厘 上記の「大東社」は大阪の政府系紙『内外 新報』(もとの『大東日報』)の発行母体,「日 報社」は東京の政府系紙『東京日日新聞』(毎 日新聞の前身)の発行母体である。また,「忠 愛社」は明治15年7月に,政府系新聞強化政 策の一環として創刊された『明治日報』の発 行母体で金700円の交付などの援助を行って いた(ただし,売れ行き不振のためこの1万 5000円の一括交付を最後に補助を打ち切られ, この年の11月に廃刊となった)。このように, 内閣機密金の大部分は政府系新聞社への補助 金に当てられていた。その目的は国策の広報 や反体制派に対する批判など世論の誘導や情 報戦略にあったといえよう。 表8∼表11における警視庁剣術に関する全 16新聞の記事数(N=101 ただし複数紙に 掲載の記事は除く)のうち,政府系新聞であ る『東京日日新聞』と『明治日報』の記事数 は全体の約39%(N=39)を占めている(表 に記載の全新聞数16紙)。とくに『明治日報』 は一紙で全記事数の約30%(N=30)の高い 割合を占めている。このことから,警視庁に おける剣術訓練は国家国民の治安を司る警察 機構が遂行すべき業務であり,政府も安定し た国民国家を形成するための国策として警察 剣術の振興を企図していたことが示唆される。 6.「暴力の独占」の一形態としての警察武 術の振興 明治7年(1874)に端を発する自由民権運 動は,国会の開設,地租の軽減,不平等条約 の改正などを目的に,同士らと連携して創設 した結社を活動の母体として明治の新政権に 対抗した政治的民衆運動であった。民権結社 の 総 数 は,新 井注7)の 明 治7年(14)か ら 明治23年(1890)までの(沖縄のみ1898年) 集計では,実に2055社にのぼるという。また 明治13年∼14年の2年間に全国で建白書や請 願を通じての国会開設運動参加者が約31万8 千人注8)に達したとされる。当初は,演説や 新聞・雑誌による言論活動が主体であったが, 讒謗律,新聞紙条例,集会条例などの制定に より言論活動の制約を余儀なくされると,結 社の側は懇親会や運動会という新たなイベン トをメインとして演説会はその一部とするよ うな新たな政治文化を生み出した。一部の剣 術家達は民権結社と関係をもち,撃剣興行的 な撃剣会を催し,イベント参加者の集客や演 説会の前に参加者の雰囲気を醸成する役割を 担うことになった。(図3参照) 明治14年(1881)の政変時に伊藤博文を中 心とする明治政府は,明治23(1890)に国会 を開設し,それに先だって憲法を制定すると の勅諭を発布し,国会開設・憲法制定まで約 10年の猶予を得たが,政府が意図するプロシ アにならった国家体制を確立するためには, その間に政府に反する主張をする自由民権運 動を徹底的に弾圧する必要に迫られた。 明治15年(1882)に,集会には許可が必要 とした集会条例に改正され,さらに集会時に 帯剣を許された巡査によって威圧行為をたび たび受けるようになると,民権運動側は暴力 をもって政府に対抗するしかないとする「腕 力論」を唱え過激化の方向に傾いていく(図 4参照)。この頃から各地の民権結社は文武 道場を設立し,政府打倒の気概をもつ青少年 の育成を図った。この政府打倒の気概をもつ 青少年の理想の姿は,かつて幕末維新期に活 躍し「壮士」と名づけられた幕末草莽の志士 であり,勇猛果敢を自負する民権青年はみず からも「壮士」と名のった。そして,この道 場で育った壮士達は各地の激化事件に参加し ていくことになる。 ノルベルト・エリアスは「文明化の過程と は,人間の感情や行動の自己規制がますます

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強化・細分化されてゆく」過程のことであり, それは「社会が国家という形態に組織され, 広い地域にわたって物理的暴力が独占化・集 権化される」ことによって起こるといってい る注9)。このエリアスの「暴力の独 占 化」の 立場に立てば,明治前半期はまさに日本が近 代国家として確立してゆく文明化の過程であ った。国民は感情的で粗暴な行為・行動は文 明人として忌み嫌い慎むべきこととして自己 規制すべきであり,国家の側からすればあら ゆる物理的暴力を独占することが近代国民国 家の形成の上に必要不可欠のものであったと いえよう。しかしながら,エリアスの文明化 の過程論だけでは,これまで論じてきた民権 運動の弾圧やそれと関係して行われた警察に おける武術振興の問題を明らかにできないと 考える。 木村直恵注10)は,国家による「法の維持」 という観点を導入しないと明治前半期,とり わけ明治20年前後の国家と民衆との関わりを 説明できないといっている。木村は,マック ス・ヴェーバー,カール・シュミット,ヴァ ルター・ベンヤミンらの思想に共通する「国 家は,自らの法を維持するために,あらゆる 〈暴力・政治的なもの〉を排他的に独占す る」という考え方に基づいて次のようにいう。 少々長くなるが,まさに筆者がここでいいた いことを論じているので『青年の誕生――明 治日本における政治的実践の転換』(新曜社 1998 pp.109―111)から引用する。 国家は,自らの法を維持するために, あらゆる〈暴力=政治的なもの〉を排他 的に独占する,というよく知られた考え 方がある。(ヴェーバー『職業としての 政治』,カール・シュミット『政治的な ものの概念』,ベンヤミン『暴力批判論』 など)。これは言い換えれば,国家と法 の存続に対して異議を唱えるものはすべ て,〈暴力〉,あるいは〈政治的なもの〉 と呼ぶことができるということである。 それゆえ国家がある対象をなんらかのか たちで弾圧するとき,それは自らに異議 を唱える暴力的・政治的存在だと認識す る身振りによってなのである。これはす なわち明治二十年において,「壮士」の 実践に暴力性・政治性が認められていた ことを意味する。「壮士」の実践――近 代的な政治的実践のあり方に全く回収さ れることなく,「運動会」によって,「悲 憤慷慨」によって,そして暴力的である ことによって,すなわちその意図によっ てではなくその存在自体において政治的 領域へと割り込み,あらゆるものに異議 を申し立てるあの実践は,国家に対する 〈暴力〉だったのである。 ベンヤミンによれば,このような〈暴 力〉の脅威は,そこで為される具体的な 実践の効果に関するものではなく,その 行為が法的・政治的な諸関係を永続的に 確定したり,修正したりすることができ ることに由来するものである。言い換え れば,〈暴力〉の,法措定的な機能の側 面こそが既にある国家と法にとっての脅 威の源泉なのである注11)。明治二十年代 初頭は,これに対し少し奇形的な条件を 持っている。そこには政府があったが, いまだ法はなかったのである。それゆえ, 図3 民権運動の変質と武術受容の変容 図4 武術の暴力性の増大

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憲法発布前の段階において国家と暴力と のあいだには現れる構図は,既成の国家 と法に対抗する暴力というある意味で安 定した構図ではなく,未だ定まらない法 秩序の確定行為に〈暴力〉が割り込み, その確定権を奪回したり攪乱したりしか ねない,非常にきわどく不安定な図柄, 〈暴力〉がもっともラディカルに先鋭化 しうるように見える図柄を描くのだ。し かも,ここにおいて現れた〈暴力〉の姿 は,見知らぬかたちをしたものではなか った。 「壮士」の実践,いや「壮士」の存在 そのもの,それは「壮士」がしばしば自 覚的にアイデンティファイしようとした ように,幕末・維新的な政治的主体の有 り様を受け継ぎ,またそれを想起させず にはいられないようなものであった。す なわち明治政府をつくり,今まさに法を 制定しようとしている者たちを模したか たちで彼らは現れるのであり,いまや自 らの法を打ち立てることによってその起 源を隠蔽し,正当性を確認しようとして いる権力に,自らの過去の似姿がその猥 雑な起源もそっくりそのまま露呈させて 迫りくるという状況が現出されたのであ る。 木村が描いている時期は,大日本帝国憲法 が発布される目前の明治20年,保安条例が制 定され,新聞紙条例・出版条例が改正された ころ,つまり自由民権期の最終期にあたるが, ここに論じられている状況は,これまで筆者 が論究してきた明治10年代後半もほとんど変 わらない状況にあったものと思われる。 民権結社において行われていた剣術は,防 具着用の上行われる竹刀剣術,当時のいい方 でいえば「撃剣」であり,戦闘としての実用 性は極めて薄いものといえる。にもかかわら ず,政府・警察側は民権結社の活動を弾圧す る傍ら,警察剣術を振興するというかたちで 剣術を警察側に独占化しようとしたのであろ うか。木村の論によるならば,民権結社にお ける剣術訓練は,板垣退助が批判するように, 「尠シク文事或ハ才智アル者ニハ金力ト権力 トヲ授ケテ之ヲ政府ノ手ニ附ケ,又貧窮士族 ノ如キニハ,授産金杯ヲ与ヘテ之レヲシテ背 カシメサルノ手段ヲ施シ,常ニ当路者(ママ) ノ目的トスル処ハ施政ニ非スシテ,人民ノ元 気ヲ減殺」注12)しようとしている政府や,「或 ハ陸軍ヲ拡張シ,或ハ無用ノ憲兵ヲ置キ,或 ハ巡査ニ剣ヲ帯バシメ,又日夜武ヲ練熟セシ ムル」注13)官憲に異議を申し立てた上のこと であった。 また,民権結社だけではなく当時広く行わ れていた撃剣が防具着用・竹刀使用による危 険度が低いものであったとしても,「精神ノ 確固ニシテ且其技倆ノ妙,身体ノ強以テ他日 我カ用ニ供ス可キモノヲ養成スル」(凌霜館 設立の目的「村野常右衛門自叙文」注14))た めにとか,「短刀直入的の壮烈鬼神を泣かし むる底の刺客養成」注15)(自由党・有一館設 立の目的 「内藤魯一演説」)するためにと いう目的をもっている限り,政府にとっては 恐れ排除すべき「暴力」として映ったのでは ないだろうか。今や政府側の一員として新し い国家の建設のために邁進する政府や警察の 高官の多くは,かつては幕末の志士・壮士で あり,江戸や地元の撃剣道場で倒幕・維新の 志をもって竹刀を振るっていたであろうと思 うからである。(図5参照) お わ り に 筆者は,ここ10数年来,図6(後掲)に示 したような構想をもって研究を進めている。 これまでの近代武道史研究は,剣道ならば剣 道,柔道ならば柔道と,種目毎の歴史研究が 主であった。また,研究対象としての時代や 領域もごく限られたものが多く,いいかえれ ば時代的にも領域的にも点的あるいは直線的 な研究が主であったように思う。一方,政治 史や文化史,あるいは社会史的研究も,歴史 史料の厳密な吟味という研究方法に制約され

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て,人間・文化・社会・政治をトータルな視 点で見るという歴史的研究がなされないまま であった。いまや,点的・直線的な視点を越 えて平面的あるいは空間的な視点での研究を めざさなければならないと思っている。 図6の研究構想は,およそ以下のようなも のである。主たる担い手が武士であった武道 は,明治時代に入って日本が近代国民国家と して形成されていく過程で,近代国民国家に ふさわしいかたちに変容する必要があった。 武術はその発生が人を殺し,人を傷つける闘 争技術であったがゆえに原初的に極めて強い 暴力性を内包している。国家の安定を保持す るためには国家はすべての暴力を独占する必 要があり,政府は警察武術を振興することに よって,暴力性をもったままの武術を利用し ようとした組織(民権結社など)から優秀な 武術家や指導者を引き抜くことによって,反 政府的組織の弱体化を図った。一方,武術家 の中からは,武術から暴力性を排除して近代 国家にふさわしいかたちの武術に変質させよ うとする動きが始まった。その嚆矢が嘉納治 五郎の創始した「講道館柔道」であった。剣 術においても同時期に山岡鉄舟(宮内省御用 掛)を中心に政府や宮内省の高官達によって 暴力性を排除した剣術理念が形成されはじめ る。その後,明治22年に大日本帝国憲法が制 定,翌23年には大日本帝国議会が開設され, ようやく日本も近代国民国家として歩みはじ めたが,真の国民国家として世界の認めると ころとなるには国民・国家のアイデンティテ ィの確立が必要であった。この新たに発明さ れた「日本の伝統としての武術」は,このア イデンティティの確立のための,いいかえれ ば国民統合のための一つの文化装置のはたら きをした。この間,警察武術のみならず民間 にも武術の受容者層は拡大し,日清戦争終結 年の明治28年(1895)武術の総合団体で全国 的な組織である「大日本武徳会」が結成され た。その後,「武術」は「武道」という名の 国民文化として確立し「発明された伝統」が 現在まで存続することとなる。 上記の研究構想の上では,拙稿「自由民権 運動と武術についての一考察」は,民権結社 における武術の実態とその暴力性について明 らかにしたものであり,それに続く本研究は, 自由民権期における警察武術とりわけ剣術の 実施状況の詳細を検討し,警察剣術の振興は 民権結社の暴力的活動を制約し,国家による 「暴力の独占」の一形態とみなしうることを 図5 民権運動の法に対する反抗〈=暴力〉と弾圧の構図

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明らかにしたものである。両研究とも,二次 史料を含めできる限り多くの歴史資料を収 集・吟味し,それを数値データとして利用す る歴史社会学的方法をとった。歴史社会学的 方法といっても,その方法論が確立している わけではなく,両研究は歴史学的研究を補完 する意味で数値化したデータを利用し,歴史 資料の解釈や数値データの考察にあたって社 会学的命題を適用したものである。数値デー タの扱い方や社会学的命題の理解不足など, 不備な点もあるが,あわせて今後の課題とし たい。 表8 東京府下警察署・監獄署の撃剣場新築,開場の年月日(新聞掲載分) 注 本郷,芝愛宕町,高輪,浅草田町などの各警察署では,明治12・3年頃撃剣会が行われた記録があり,すでに撃剣場 が存在していたことを示す 年 (明治)西暦 月 日 場 所 新 聞 名 12 1879 2 警視第四方面第一分署(後の小川町警察署)巡査屯所(神田橋外一丁 目) 東京日日 12 1879 4.23 警視第三方面第一分署(後の牛込警察署)管内麹町区富士見町 郵便報知 12 1879 5.02 警視第三方面第三分署〔後の四谷警察署〕管内四谷伝馬町新一丁目旧 屯所構内 郵便報知 他 12 1879 6.04 警視第六方面第一分署〔後の富岡門前警察署→深川警察署〕の巡査合 宿所,深川富岡門前山本町 東京絵入 12 1879 7.03 警視第五方面第三分署〔後の浅草松清町警察署(明治14年廃止)〕 東京絵入 12 1879 10.30 警視局警視本署〔明治十四年一月十四日警視庁となる〕 郵便報知 他 12 1879 警視第三方面第四分署〔後の新宿警察署〕 東京絵入 13 1880 2.07 警視第二方面第五分署〔後の品川警察署〕大森村南原町 読売 13 1880 2.15 警視第五方面第五分署〔後の千住警察署〕 読売 13 1880 3.10 皇居前,西丸下の巡査教習所 東京日日 15 1882 4.07 和泉橋警察署 東京日日 他 15 1882 4.19 牛込神楽町巡査屯所〔後の牛込警察署〕 東京横浜毎日 15 1882 5.23 本所元町警察署 東京日日 15 1882 7.13 板橋警察署 郵便報知 15 1882 7.13 千住警察署 時事 15 1882 9.30 市ケ谷監獄署 時事 他 15 1882 10.05 石川島監獄署 読売 他 16 1883 3.17 警視庁構内撃剣場(改築) 時事 他 16 1883 10.31 水上警察署,築地明石町 明治 他 17 1884 1.09 吾妻橋警察署 明治 17 1884 6.28 浅草猿屋町警察署 自由灯 17 1884 12.15 京橋巡査屯所,木挽町一丁目 読売 18 1885 1.15 芝愛宕町警察署 東京日日

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表9 警視庁(局)構内撃剣場におけ撃剣試合(新聞掲載分) 年 (明治)西暦 月 日 内 容 等 新 聞 名 12 1879 10.30 大警視大山巌列席の下,府下六方面各警視分署より選抜の撃剣熟達 の警部,巡査300余名を集めての盛大な式典。ついで撃剣大会が催 される 郵便報知 12 1879 11.19 第二回大会 朝野 12 1879 11.27 第三回大会,竹刀の長さを規制 郵便報知 他 12 1879 12.11 臨時撃剣会,有栖川宮熾仁親王,大警視大山巖出席 郵便報知 他 13 1880 1.20 稽古始,大警視,府下剣客出席 朝野 他 13 1880 1.26 第二回撃剣会 東京曙 13 1880 4.26 臨時撃剣会 朝野 13 1880 11.09 久しく中断後の撃剣会 東京曙 14 1881 5.10 樺山警視総監出席 東京曙 14 1881 5.25 警視総監,陸軍将校ら,榊原,千葉,桃井,斎藤ら出席 読売 他 14 1881 6.23 韓人の覧に供す 東京曙 14 1881 7.14 不明 東京曙 14 1881 10.13 故川路大警視三年祭 東京曙 14 1881 11.09 憲兵本部から 東京曙 14 1881 12.17 榊原鍵吉出席 東京曙 他 15 1882 1.28 不明 明治 (庁舎改築のため休業) 16 1883 3.13 撃剣巡査抜擢試合会 明治 16 1883 3.17 撃剣場改築開場 時事 他 16 1883 3.23 春季撃剣大会 時事 他 16 1883 5.12 山岡鉄舟,渡辺昇,鷲尾隆聚ら出席 東京日日 他 16 1883 6.29 守衛掛撃剣会 明治 16 1883 11.27 山岡鉄舟,籠手田安定ら出席 郵便報知 他 16 1883 12.6 高山峰三郎(滋賀県警)対逸見宗助(警視庁)の有名な試合があっ た 朝野 17 1884 3.14 松崎浪四郎が参加,真貝虎雄と対戦する 読売 他 17 1884 7.09 暑中稽古納会 明治 17 1884 10.27 撃剣世話掛試合会 明治 17 1884 12.4・5 不明 郵便報知 他 18 1885 1.15 撃剣始 絵入朝野 他 18 1885 1.18 臨時撃剣会,山岡鉄舟出席 東京日日 18 1885 1.25 在京著名剣客ら出席 郵便報知 他 18 1885 3.11 不明 郵便報知 他 18 1885 3.17 撃剣世話掛試合会 明治 18 1885 3.26 貴顕,外国人ら出席 東京絵入 他 18 1885 5.05 籠手田安定出席 郵便報知 他 18 1885 7.09 不明 郵便報知 18 1885 9.11 警視庁,春風館合同撃剣会。大迫警視総監,綿貫副総監,山岡鉄舟, 浅利義明,渡辺昇,籠手田安定ら出席 改進 他 18 1885 10.27 第一方面撃剣会 明治 18 1885 11.05 故杉持八郎追善撃剣会 東京日日 18 1885 12.07 不明 郵便報知 18 1885 12.17・18 撃剣納会 今日 19 1886 1.19 不明 東京絵入 19 1886 2.26 登級試験試合会 絵入朝野 他 19 1886 3.25 春季大撃剣会 郵便報知 他 19 1886 5.19 不明 郵便報知 19 1886 6.15 三島警視総監出席 東京絵入 他 19 1886 7.15 暑中稽古納会 郵便報知 他 20 1887 10.19 撃剣試験会 東京絵入 20 1887 11.16 不明 東京絵入 20 1887 12.20・21 撃剣納会 東京絵入

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表10 明治17・18年警視庁「方面撃剣会」等の撃剣会例(新聞掲載分) 年 (明治)西暦 月 日 場 所 新 聞 名 掲 載 日 17 1884 1.14 水上署 明治 15 17 1884 1.29 吾妻橋署 明治 30 17 1884 2.01 本郷署 明治 2 17 1884 2.27 深川富岡門前署 明治 28 17 1884 3.20 品川署 絵入朝野 他 18(予報) 17 1884 3.25 麹町巡査屯所 郵便報知 25 17 1884 3.27 本所元町署 絵入自由 28 17 1884 3.27 板橋署 時事 26(予報) 17 1884 4.05 下谷巡査屯所 東京日日 5 17 1884 4.21 水上署 明治 22 17 1884 4.23 四ツ谷署 明治 24 17 1884 4.29 小石川署 明治 25(予報) 17 1884 5.22 和泉橋署 明治 23 17 1884 5.24 赤坂署 東京絵入 他 25 17 1884 5.3 吾妻橋署 自由灯 30 17 1884 6.18 吾妻橋署 明治 15(予報) 17 1884 6.30 深川富岡門前署 自由灯 他 7.01 17 1884 7.09 芝愛宕町署 明治 9 17 1884 7.15 深川八名川町署 自由灯 16 17 1884 7.22 浅草猿屋町署 自由灯 他 23他 17 1884 7.26 吾妻橋署 明治 25(予報) 17 1884 7.28 麹町巡査屯所 明治 30 17 1884 11.15 麻布署 明治 16 17 1884 11.28 小石川署 明治 19 17 1884 12.13 水上署 時事 8(予報) 18 1885 1.28 芝愛宕町署 明治 25(予報) 18 1885 1.28 麹町巡査屯所 明治 他 27(予報) 18 1885 2.05 麻布署 明治 5 18 1885 3.06 坂本町巡査屯所 今日 6 18 1885 3.24 富岡門前署 東京絵入 25 18 1885 4.02 麻布署 明治 3.31(予報) 18 1885 4.16 芝愛宕町署 明治 17 18 1885 4.20 久松町署 明治 21 18 1885 4.30 小石川巡査屯所 郵便報知 他 5.01 18 1885 5.11 本郷署 東京日日 他 12他 18 1885 5.14 麻布署 東京日日 他 12(予報) 18 1885 5.21 和泉橋署 絵入自由 他 21 18 1885 5.25 下谷署 明治 23(予報) 18 1885 6.09 芝愛宕町巡査屯所 東京絵入 9 18 1885 6.11 水上署 東京絵入 13 18 1885 6.22 牛込署 東京絵入 他 23他 18 1885 9.22 小菅集治監 絵入朝野 23 18 1885 10.10 石川島監獄分署 東京絵入 他 11 18 1885 10.22 小石川署 明治 他 23他 18 1885 10.22 品川署 今日 23 18 1885 10.26 麹町署 郵便報知 27 18 1885 10.27 警視庁撃剣場第一方面撃剣会 明治 28 18 1885 11.09 坂本町署 絵入自由 10 18 1885 11.13 浅草猿屋町署 郵便報知 12(予報) 18 1885 11.20 高輪署 郵便報知 18(予報) 18 1885 11.24 四ツ谷署 絵入自由 25 18 1885 11.25 猿屋町署 東京日日 他 26他 18 1885 11.26 本郷署 絵入自由 26 18 1885 12.04 下谷署 郵便報知 他 5他 18 1885 12.08 久松町署 東京絵入 9 18 1885 12.1 富岡門前署 東京日日 他 10他 18 1885 12.15 以降 各署(例小石川署,下谷署,小川町署,高輪署,千住署,久松町署など)撃剣納会

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表11 警視庁武術関係記事 新 聞 名 記載年月日 記 事 内 容 明治 西暦 月 日 読 売 12 1879 1.21 本郷元富士町の四方面第三分署(のちの元富士町警察署)では巡査方が寄 って一昨日より剣術の稽古を始められました。 郵 便 報 知 12 1879 2.07 近来各方面の巡査は何れも撃剣の術に勉強せしゆゑ大警視より道具料とし て金円若干を下附されたりと。 東 京 日 日 12 1879 2.18 此ごろ警視各方面の巡査はその分署内にて撃剣の稽古を催され,既に四方 面一分署(のちの小川町簾署)にては神田橋外一丁目の巡査合宿所に稽古 場を設けられたりきと。 郵 便 報 知 12 1879 4.30 去る廿三日警視第三方面第一分署管内招魂社(同年六月四日靖国神社と改 称)の裏手なる警視局御用地に於て開場せし撃剣道場の模様を聞くに,当 日正午頃迄に会集したる人員は三百有余の多きに及び七,八組の地稽古終 りたる後ち一組宛の五本勝負あり,剣客斎藤弥九郎氏が其優劣を鑑定れん したるが余程面白き手合ひも多かりし中に桧垣権少警視と赤羽二等警視補 の立合は両虎一臠(小切れの肉)を争ふに似て孰れも技芸が顕はれたり, 此後は毎月三回宛三本勝負とか五本勝負とかの試験があり,又有志の者は 警察官に係はらず誰でも出場することを許さるゝよし,当日斎藤氏が朗読 したる祝文をも得たれど,紙幅限りあれば残念ながら略しぬ。 東 京 日 日 15 1882 3.20 警視庁にては撃剣は中絶し居たるが,此ほどより盛んに庁員をして演習せ しめらるゝよしにて,各屯所より撃剣熟達の者十名程を選びて教授掛とな し,二名は当直として本庁内に詰めさせ,八名は毎日各屯所へ派出して教 授せしめらる。 朝 野 15 1882 10.10 昨日江口巡査本部総長より各屯所長へ左の通り諭達せらる。屯所詰巡査撃 剣ノ儀ハ職務上有益ナルヲ以テ従来執行致来候処当今公務ノ側無レ洩修業 可レ為レ致此旨諭達候事。 郵 便 報 知 16 1883 1.08 撃剣奨励府下の巡査をして爾後益々撃剣に熟達せしめんが為今度警視庁巡 査本部に於て撃剣熟練の者二十余名を監督に撰び交る々々(く)各巡査屯 所を巡視して剣道を奨励せしむる旨を此ほど同本部より内々へ内達されし といふ。 時 事 16 1883 1.27 巡査撃剣前号にも記載せし如く撃剣は巡査の常務の一つに加りし如くにな りしにや,従来大抵稽古は月に五回なりしも此程来撃剣は巡査の職務には 最も有用の技なれば精々勉強可ノ致との口達にて,今後は各屯所とも甲当 直の日は乙の分,乙当直の日は甲の部と隔日に正午より五時まで撃剣に勉 強することに定まりし由。 東 京 日 日 16 1883 1.31 撃剣奨励巡査の撃剣を猶ほ一層奨励せらるゝよしにて,府下各屯所の撃剣 日には方面監督が臨場することに定められたりと云ふ 有喜世新聞 16 1883 1.07 警視庁にては益々撃剣を盛んならしめんため更に撃剣熟達の者を雇入れ, 同庁本部詰となし,時々各屯所へ出張せしめて巡査の撃剣を奨励さるゝと。 明 治 16 1883 3.17 巡査抜擢去る十三日府下巡査の内より撃剣熟達の者数十名を警視庁に於て 試合ありし,其内より抜擢して今度各巡査屯所へ一名或は二名宛を置かれ, 専ら該術を勉強せしめらるゝよし。 開 花 16 1883 5.13 今度警視庁にて撃剣教師を雇ひ入れらるゝに付其技に達したるものを試験 せられし処旧名古屋藩士真貝虎雄氏が撰抜せられ,巡査一同の教授に充て らるゝよし,氏は幕府の頃より有名なる撃剣家にて維新の始め奥羽征討の 際同藩の正気隊長となり官軍に応じ出兵に戦功ありしに,平定の後は名古 屋に帰郷せしに,図らず病痾(やまい)の為め久しく床に就き,身体大に 疲労せしかども漸く全快にて,此程状況せられしが,其強壮なることは尚 昔日に異ならざるゆゑいよいよ(く)同庁ヘ雇入られしと聞く。 朝 野 16 1883 6.10 剣は一人の敵なり学ぶに足らずと言ひし男(楚王項羽)もあれど近頃撃剣 の流行昔に復へり勉強する人多く,目今府下各警察署にて其術に上達し已 に免許を受けて一道場の師範ともなり得べき警部,巡査二百数十名ありと ぞ。 朝 野 22 1889 5.12 今度折田総監(平内)より目下熱心に従事する撃剣,柔術は昨今に至り急 務にあらざれば毎月一回若しくは二回と定めて施行すべしと此頃内訓あり し由なるが,之が為め各警察署にては撃剣費に関する費用を余程減少した りと。 読 売 24 1891 3.14 巡査の剣,柔両術に費す時間を転じて悉く執務時間となし……。

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別表1 警察武術の採用時期一覧(各都道府県警察『警察史』の記述から) 都 道 府 県 剣術(撃剣) 柔術(捕縄を除く) 巡 査 教 習 機 関※2 実施 初年 実 施 形 態 実 施 初 年※1 実 施 形 態 名 称 創設 年月日※3 武術の 規程上の初出 年 (明治) 西暦 月.日 年 (明治) 西暦 月.日 年 (明治) 月.日 年 (明治) 月.日 北海道 20 1887 7.01 教習所術科正科 24 1891 9.03 教習所術科正科 巡査教習所 (函館) 20 6.11 20 7.01 青 森 19 1886 6.03 教習所術科正科 33 1900 9. 教習所術科正科 警察教習所 19 6. 19 6. 秋 田 17 1884 3. 課 外(教 習 準 則 に よ る)19年 か らは教習所術科 正科 17 1884 3. 課 外(教 習 準 則 による) 19年からは教習 所術科正科 巡査教習所 19 5 19 5. 岩 手 20 1887 10.31 教習所別科術科 正科 20 1887 10.31 教習所別科術科 正科 巡査教習所 19 5.04 20 10.31 山 形 19 1886 6.23 教習所術科正科 31 1898 1.01 教習所術科正科 巡査教習所 19 6.23 19 6.23 福 島 21 1888 12.05 教習所術科正科 21 1888 12.01 教習所術科正科 巡査教習所 19 6.24 21 12.05 宮 城 16 1883 6.01 仙台警察等署員 勤務外(毎月1と 6の日) 巡査教習所 19 7.16 栃 木 24 1891 2.28 教習所術科正科 巡査教習所 20 9. 24 2.28 群 馬 16 1883 8.12 教習所術科正科 19 1886 8.12 教習所術科正科 巡査教習所 (明治13年7 月,巡査合 宿所で巡査 相互の研修 が な さ れ た) 19 7.15 19 8.12 茨 城 19 1886 10.01 教習所術科正科 不明 巡査教習所 19 6.04 19 10.01 埼 玉 14 1881 9. 教習所教習科目 (正科か 課 外 か は不明) 巡査教習所 14 9. 24 2.02 千 葉 13 1880 9.03 巡 査 教 習 所・演 習 所 教 習 科 目 (正科か 課 外 か は不明) 14 1881 11.04 巡 査 教 習 所・演 習 所 教 習 科 目 (正科か 課 外 か は不明) 巡査講習所 ・演習所 巡査教習所 (14.11.4) 13 9.03 14 11.04 警視庁 12 1879 2. 屯所詰巡査教養 16 1883 1. 巡査教養 巡査教習所 12 7.14 13 1.19 神奈川 19 1886 1.31 講習所講習 19 1886 1.31 巡査教養 巡査講習所 巡査教習所 (20.3) 19 1. 19 1.31 山 梨 14 1881 3. 巡査教養 (勤務外) 14 1881 3. 巡査教養 (勤務外) 巡査養成所 巡査教習所 (22年6月) 19 5.19 22 6.05 長 野 18 1885 2.24 巡査教養 41 1908 1.23 教習所術科正科 巡査訓練所 18 5. 新 潟 18 1885 3.16 警官講習所術科 18 1885 3.16 警官講習所術科 警官講習所 巡査教習所 (19.4.28) 18 3.16 18 3.16 富 山 19 1886 11.03 教習所術科正科 教習科目には「武技」とあり不明 巡査教習所 19 11.03 19 11.03 石 川 19 1886 9. 教習所術科正科 教習科目には「武技」とあり不明 巡査教習所 19 9. 19 9. 福 井 13 1880 4.29 講習所術科正科 (滋賀県時代) 巡査講習所 (滋賀県) (13.4.29) 巡査練習所 (19.5.5) 巡査教習所 (20.1.27) 13 4.23 13 4.29 静 岡 15 1882 10.03 講習所講習 16 1883 12.26 講習会講習 巡査講習所 巡査講習会 (16.12.26) 巡査教習所 (19.5.31) 15 10.03 15 10.03 愛 知 13 1880 巡査教養 13 1880 巡査教養 巡査教習所 19 4.24 19 4.24

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※1 勤務・勤務外を問わず,はじめて組織的なかたちで武術を警察官訓練に採り入れられた期日 ※2 「巡査教習所」など,警察官訓練機関(現任・新任訓練の両方を含む) ※3 教習機関の設置が定められた法令の発布日,「教習所規則」などの制定日,教習所等の開所日のうち,最も早い期 日を記載した 都 道 府 県 剣術(撃剣) 柔術(捕縄を除く) 巡 査 教 習 機 関※2 実施 初年 実 施 形 態 実 施 初 年※1 実 施 形 態 名 称 創設 年月日※3 武術の 規程上の初出 年 (明治) 西暦 月.日 年 (明治) 西暦 月.日 年 (明治) 月.日 年 (明治) 月.日 岐 阜 14 1881 10.05 教習所術科予科 (課外) 正 科 は19年4月 26日から 14 1881 10.05 教習所術科予科 (課外) 正科は27年11月 から 巡査教習所 巡査講習所 (19.3.30) 巡査教習所 (19.4.26) 14 10.05 14 10.06 三 重 滋 賀 13 1880 4.29 講習所術科正科 22年には教習所 「副科」(術科) 22 1889 6.21 教 習 所「副 科」 (術科) 巡査講習所 (13.4.29) 巡査教習所 (19.5.26) 13 4.23 13 4.29 京 都 警察講習所 巡査教習所 (19.5.5) 15 3.03 大 阪 19 1886 4.14 巡査教習所術科 正科 30 1897 7.27 教習所術科正科 巡査教習所 19 4.14 19 4.14 兵 庫 16 1883 6. 巡査教養 (篠山警察署) 32 1899 10. 教習所術科正科 巡査教習所 17 32 10. 奈 良 30 1897 3. 講習会講習 30 1897 3. 講習会講習 巡査教習所 (21.3.2) 21 2.28 和歌山 17 1884 6.25 巡査教養 巡査教習場 巡査教習所 (19.4.28) 17 3.1 17 6.25 岡 山 19 1886 8.09 教習所術科正科 19 1886 8.09 教習所術科正科 巡査教習所 19 8.09 19 8.09 広 島 19 1886 4. 教習所術科正科 19 1886 4. 教習所術科正科 巡査教習所 19 4. 19 4. 山 口 15 1882 12.18 巡査屯所術科 16 1883 2.05 練習場術科正科 (現任巡査教養) 巡査屯所 (10.8.17,1 5.9.21から 新 任 教 養 も) 巡査教習場 −現任巡査 (16.2.5) 巡査練習場 (18.3.13) 巡査教習所 (19.5.1) 15 9.21 16 2.05 鳥 取 20 1887 9.02 教習所術科正科 教習科目には「武技」とあり不明 巡査教習所 20 9.02 20 9.02 島 根 12 1879 7. 巡査教養 12 1879 7. 巡査教養 巡査教習所 19 6.08 16 10. 香 川 徳 島 愛 媛 15 1882 10.15 教習所術科正科 15 1882 10.15 教習所術科正科 巡査教習所 15 10.15 17 3.05 高 知 27 1894 4.02 教習所術科正科 32 1899 8.01 教習所術科正科 巡査教習所 19 6.14 27 4.02 福 岡 14 1881 12.05 教習所術科 (課外) 14 1881 12.05 教習所術科 (課外) 巡査教習所 14 12.05 14 12.5 佐 賀 19 1886 6. 教習所術科正科 か 31 1898 9.29 巡査教養 巡査教習所 19 6. 31 9.29 長 崎 19 1886 5.18 教習所術科正科 39 1923 12. 巡査教養 巡査教習所 19 5.18 19 5.18 大 分 熊 本 19 1886 5.18 教習所術科正科 21 1888 10.03 教習所術科正科 巡査教習所 13 4. 19 5.18 宮 崎 巡査教習所 19 8.17 鹿児島 37 1904 12. 教習所術科正科 37 1904 12. 教習所術科正科 巡査教習所 19 12.15 37 12. 沖 縄 巡査教習所 19 6.29

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参照

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