なぜ「子ども」と「あそび」のデザインか
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(2) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. 図4 コドモ・コミュニティ・センター(キッズルーム)のイメージイラスト デザイン:東京学芸大こども未来研究所建築部 デザイン監修:鉃矢悦朗 イラスト:俵聡子 画像引用:東京学芸大こども未来研究所 HP. 3.子どもという概念 筆者は「子どものためのデザイン」に取り組んできたという気持ちは薄 く、どちらかというと「ヒトのためのデザイン」「ヒトの未来に向けたデザ イン」に取り組んでいる[注3]と紹介された方が居心地良い。 「子ども」と「未来」は同じような意味を持つ言葉だと学芸大こども未来 プロジェクトがスタートしたころ村松泰子氏[注4]より聞いた。 子どもの可能性 子どもへのビジョン 子どもに向けて、、 未来の可能性 未来へのビジョン 未来に向けて、、 上記のように並べると、非常に近い意味で使われることも多い。筆者の中で 「子ども」という対象とした場合を「乳幼児」「中学生まで」「未成年」など 年齢で判別する使われ方も存在する。筆者は、この子どもという概念の混同 を回避するために「子どものためのデザイン」という表現を避けている。 3)取り組み事例:鉃矢悦朗「一人でも多くの人に、快適 な暮らしを ─ 車いす用の洗えるクッションのデザ イン開発 ─ 」産学官連携ジャーナル 2014年1月号. https://sangakukan.jst.go.jp/journal/journal_contents/ 2014/01/articles/1401-04/1401-04_article.html. 4)村松泰子 元学芸大こども未来プロジェクトメン バー、元東京学芸大学学長(2010-2014)、東京学芸大 学名誉教授. また、子どもと大人は、切り離されたものではなく、グラデーションのよ うにつながっている。どこから大人なのか、どこまでが子どもなのか。子ど ものような面を持つ人もいる。教育支援者に向けた講習などで出会う大人が 「子どもの発想ってすごいよね」という発言をする。ここに違和感があり、 その原因を考えると、思春期に「もう、子どもじゃないんだから、、」「子ど もみたい(軽蔑気味)」といったような子どもからの脱却を強いるような. 13.
(3) 14. 特集:なぜ、子どものためのデザインに取り組むのか. 言葉によって、グラデーションが途切れ、あるいはギャップとなり、子ども の気持ちを封印した大人となっているのではないだろうか。だから「子ども の発想ってすごいよね」という発言をし、自分を大人側の価値に立っている 人間としてポジショニングする。「子どもがすごいのではなく、あなたがそ のすごいと言われたアンテナを失ったのだ」と筆者は言いたい。大人という 呼び名に安住し、面白がるアンテナを失った人は、未来に期待する気持ちは 小さい。 筆者が子どもという概念を再解釈するなら「未来の可能性を期待するヒ ト」だろう。デザインという行為は、未来の可能性に参加する行為である。 デザインを行う際には、与条件の観察から面白いところを探す、あるいは、 面白がるアンテナを研ぎ澄まし、創るヒントを探している。この作業が「未 来の可能性を期待するヒト」そのものかもしれない。. 4.自己生成の背景 前出のヒトとして活動している筆者が、自己のデザインをしてきた。以下 に、5項目を挙げて自己生成の背景を描き出したいと思う。. 4.1. 両親の影響. 「つくることが遊びだった幼少時代」と言える筆者の両親はモノをつくる. ことは得意だった。両親は家庭菜園というには大きすぎる畑で野菜をつく り、風呂は薪で炊く。父は、大工のように、モノをつくる。繊細に作る。母 は、絵がうまく、裁縫、編み物、料理が得意、かつ大胆につくる印象が残っ ている。 プラモデルも、自分で作ったものと、父の作ったものの違いは大きかった。 接着剤ははみ出ない少量で圧着させ、バリは処理してあるなど、父の作った プラモデルはいつもきれいだった。我が家にペーパークラフトで車が作れる 図が入っている本が来た。子どもの頃の私にはとても挑戦する気にもなれな いもので、2歳年上の兄が苦労して作ったものを見て、これは父に作っても らいたいと強く思った。ある日から父がその本の中からロールスロイスのシ ルバーゴーストを作り始めた。本に載っている図の3倍の大きさのものを作 るというのである。工作用ボール紙が少しずつ加工され、木工用ボンドで積 図5 父の作成した工作用ボール紙製のシ ル バ ー ゴ ー ス ト の モ デ ル。 お よ そ 40年前に作成。全長300mm 前後。製 作者蔵。. み上げられたボール紙を紙やすりで削り丸いタイヤを作っていく。子どもに とってはとても長い数日だった気がする。最後にシルバーのスプレーペイン トで仕上げた。父は子どもたちにくれるわけでもなく、今も棚に飾ってある。 筆者は子どものころクリスマスプレゼントにドライバーセットや、鋸やトン カチなど大工道具セットをもらった記憶がある。父は子どもに触らせない工 具をいくつか持っていた。ショックドライバー、モンキーレンチセット、よ く切れる鋸、鉈、はんだ鏝、鋤、鍬、砥石などを覚えている。それらを使っ て、電気器具のコンセントプラグやスイッチの修理、同部屋の兄との間につ くるパーティションのセッティング、固着したねじがショックドライバーに よって動き出す瞬間など、薪割り、鍬を研ぐ様子、畑に畝を作る様子、その ような父の姿、やり方を見ていたことが自己生成の背景の一つである。 「エツロー!家じゅうの雨戸閉めておいて」遠くからでも母の声はよく聞 こえた。このような家のお手伝いをとおしてモノゴトの原理や塩梅などを体 得した。雨戸は簡単には戸袋からは出てこない。引き出す最初の一枚は、開 けたときの最後の一枚で、狭い幅の中に押し込まれたものなのである。一枚.
(4) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. 目を引き出すために、押す、引く、揺らすなどして、なんとか隙間をつく り、摩擦をなくすのである。二枚目、三枚目は良いのだが、四枚目あたりに なると暗い戸袋の中に手を差し込んで、全体を手前の敷居に引き寄せる必要 がでてくる。さらに、季節が良いと蚊や蛾がたくさん寄ってくるのでそれら 作業を急いでやらなければならない。そして、最後は上げ猿と落し猿と呼ば れる木製雨戸の鍵である。上げ猿が上がらない、上げ猿の上がりが悪く、落 ちてこないように差し込む箱(猫と呼ぶらしい)が差し込めない、落し猿が 下がらない、など不具合が常に起こる。どこに原因があるのか、雨が降った からか、乾燥しているからか、対応はできるのか。雨戸の開け閉めだけでも モノゴトの原理に関する問いと判断が無数にあった。 筆者の育った家は、薪でお風呂を沸かしていた。台所に近い位置で、外空 間に通じていた。風呂を沸かすお手伝いは火や熱と遊ぶ経験となった。燃や す薪や枝だけでなく、家で出る燃やせるごみは、火ばさみと呼ばれるトング のようなもので炉の中に入れる。ノートや書類なのか重なった紙が一気に燃 えないこと、空気が必要なことなど、炉内を覗き、火ばさみで突っつきなが ら理解していった。ナイロンストッキングを燃すとどうなるか、ウールを燃 すとどうなるのか、キャラメルの箱はどう燃えていくのか、カレンダーのよ うな厚い紙はどのように燃えるのか、石は燃えないのか、ガラスは溶けない のか、なぜ、青白い火が生じたのか、黒い煙が嫌な臭いは何が原因か、燃え 図6 叔父から教わったあそび「動くつま ようじ」は「あそびのたねずかん」 に掲載した。. カスはどんものなのか。毎回が小さな実験だった。 母から裁縫や編み物は、姉と兄が興味をもったころに少し遅れて弟の筆者 がやり方を教えてもらった。小学生3年生ぐらいだろうか、棒編みの長いマ フラーは自慢の一品だった。母のミシンや編み物は、かなり見ていたような 記憶がある。約20年前、筆者が娘の幼稚園スモックをミシンで縫い上げたの を妻にも驚かれたことを覚えている。小学生のころ新学期に持っていく雑巾 を縫う程度で使っていたミシンだが、スモックづくりのために新たに購入し たミシンでも難なく扱うことができた。 記憶に濃い部分を上記に抽出した。両親の日常にものづくりがあり、その プロセスを見て、真似て、実験して学んできたのだと再確認した。. 4.2. 叔父のこと. 母方の叔父は、ユーモアに満ち、ときどき家に泊まりに来ては筆者、姉、. 兄の3人を虜にしていた。叔父は、教育の世界で言われる、親でも、先生で も友達でもない「ナナメの関係」[注5]の大人である。ときどき遊びに来 ると様々な経験を実姉である筆者の母を含め笑わせながら、話してくれる。 親指が取れる手品にはじまり、タバコの包み紙や、マッチでのあそびを筆者 ら子どもたちに見せてくれた。マッチの頭と頭を燃やしながらくっつけるこ 図7 叔父から「銀紙でつくる蜘蛛」は図 画工作のコンテンツ「銀紙彫刻∼虫 ∼」として筆者の授業で学生に伝授 している。 5)親でも教師でもない第三者と子どもとの新しい関係= 「ナナメの関係」/引用:子どもを守り育てるための 体制づくりのための有識者会議 文部科学省. https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/ 040/toushin/07030123/002.htm#top. 6)叔父から伝授されたあそびなども数多く掲載した書籍 東京学芸大こども未来研究所 著「あそびのたねずか ん」東京書籍株式会社 2016. とを初めて教わったのも叔父だと思う。勝手に動くつまようじの手品(図 6)、銀紙でマッチの軸をロケットのように飛ばす技、銀紙で蜘蛛をつくる (図7)など、今でも使っているあそびの基本[注6]がこの叔父からの伝 授である。さらに、叔父は大学時代のレスリングの技など体を使ってじゃれ 合ってくれた。関節の限界やテコの原理で決められる経験など、体の痛みで 何かを学んだ。和室がいい塩梅で体を使ったあそびの環境だったのだ。 叔父がいなくても筆者は成長したであろう。しかし、叔父がいなかったら 現在の筆者には成っていない。両親とは違う「ナナメの関係」だから教わる あそびがあった。. 15.
(5) 16. 特集:なぜ、子どものためのデザインに取り組むのか. 4.3. つくることとの再会. 美術予備校と出会って、つくることに再び出会えた。それまでの間、小学. 校、中学校、高校と図画工作や美術の授業は受けていたものの、残念ながら 思い出はかなり少ない。現役でチャレンジした入学試験の立体構成が、本当 に久しぶりにモノを作った感覚があった。それまでの強いられた勉学とは全 く違う感覚だったのだろう。6時間の試験時間は、紙と向き合い、脳みそを フル回転させた愉しい時間だった(結果は不合格)。この入試がきっかけで、 つくることを、学びの中心に置く道へと進んだ。勉強という強いられた勉学 からの開放とつくることとの再会は、それまでの筆者が忘れていた好奇心と 行動力を取り戻させてくれた。 大学一年時にラフォーレ原宿で開催されたニューアート展にグループで参 加し夜中まで共に作る友人らと制作物について話し合い、精度の高い作品を 制作したことや、課題作品を参考作品にすべく工夫と努力をした学生の日々 は、現在の筆者をデザイン・建築への向き合い方を方向づけた。. 図8 椅子/原寸図前のスケッチ(ありが たく嬉しいことに父親の書斎に掛け られている。). 4.4. 建築はヒトの変化・成長と向き合ってつくる. 大学時代、建築というもの設計課題と多様な実体験を通して学んだ。設計. 課題は週一回のエスキースという時間にじっくりと担当教員と話す場を重 ね、アイデアを練り上げ形にしていく。課題にどう向き合って、何を考え、 何をしていたかを図面、スケッチ、模型などを通じて担当教員のエスキース を受ける(指導を受ける)。建築というモノの存在が何年でヒトの生活がこ れからどうなるのか、住宅の課題では、家族がどう変化していくのかという 今までの時間スケールでは考えていなかったことを指導教員に問われ、ヒト が変化・成長することを面白いと思うようになった。また、木という素材で 椅子をデザインし、自らの手で作り上げるという課題(図8、9、10)は、 設計と実体験が両方ある課題だった。つくることは机上の図面だけではな. 図9 椅子/原寸図前. い、難題とそれを突破していく面白さがあった。(もちろん、課題提出は余 裕など全くない日々だった。) さらに、建築実測という実体験は、図面という伝達ツールの重要性だけで なく、先人たちの住まい方や使い方の変化、オリジナルの建物の寸法の決め 方、作り方まで時間を飛び越えて考え、測るものである。当時は、この建築 実測の大切さなど理解できなかったのだが、後になってボディーブローのよ うに効いてくる実体験であった。まちあるき、住まう人に学ぶことになる聞 き取り調査など、まちとヒトの暮らしの関係などを、その町の観察と人との 交流から、体得していった。そして建築もまちづくりも、新築も保存という 判断も、常に未来を描こうとしていることを理解し、時間を超えて考えなけ ればならない建築という面白さから抜け出ることのできない世界に入って いった。. 図10 椅子は、現在、本学の演習室で他の 椅子に交じって使用されている。こ の椅子の課題(担当教官:奥村昭雄、 小田原健、黒川哲郎)によって、鍛 えられた知見等は、実物を通じて今 の学生たちに伝えている。. 以上のようにヒトの変化・成長など、時間の流れを見る視点、頭で考え、 手(体)でつくる重要さ、自分たちが置かれている時代を客観視する観点と いったデザインする際の大切な感覚を上記のような建築トレーニング等から 獲得していった。. 4.5. 東京学芸大学と東京学芸大こども未来研究所. 2002年より東京学芸大学という教育系の大学で教鞭をとることを選んだ。. 立体や空間を教えるデザインの教員として着任し「環境・プロダクトデザイン.
(6) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. 研究室」という前任の伊藤清忠の研究室名や授業等を引き継いだ。授業や演 習は、「環境とデザイン」という全学向けの講義では身近にあるデザインに ついてスライドを交えて解説し、「デザイン基礎」など美術科向けでは、そ れまで高校の美術で教わってきた「色と形」のデザイン観を解体・再構築す るようなことや、素材と向き合って作る課題などをやってきた。 大学教員としてスタートしてすぐの2005年に(株)おもちゃ王国との産学 連携の「学芸大こども未来プロジェクト」に立ち上げ[注7]からかかわり 主要メンバーとして活動したことが、「子ども」や「あそび」にフォーカス を当て実践的研究をすることにつながった。前出のプロジェクトは、2009年 から特定非営利活動法人東京学芸大こども未来研究所を設立し、東京学芸大 学の「知」である子どもに関わる「ヒト」「モノ・コト」「コミュニケーショ ン」を社会に還元する活動を行っている。 このプロジェクトや研究所の活動と東京学芸大学が筆者を「子ども」や 「あそび」に直接つないでくれた要因である。当初からプロジェクトと研究 所のモットーとなっている「あそびが最高の学び」というフレーズは、筆者 が現在もデザインをする際、目標設定の重要なポイントとなっている。 研究所の活動に「こどもパートナー講座」[注8]というものがある。こ の講座の講師を行うと前後に行う他の講座の先生の講座を講師はこっそりと 拝聴することができる。筆者はこの機会を利用し、相川充、松田恵示、鈴木 聡などから、心理学、社会学などの視点からの「子ども」を愉しく学ばせて もらった。. 5.おわりにかえて 以上のような背景が筆者の自己生成に寄与していた。小さなころからの体 験や、家庭の環境などを再確認するとともに、両親のものづくりの姿が日常 にあったことと、現在の筆者の職業とが結び付いた。モノをつくる、治す、 そして、お手伝いをするという当たり前にあった家庭内での日常や、両親の 傍らで見ていた体験が筆者には大事であったのである。筆者にとって図画工 作や美術の記憶は薄い。これは、家庭内体験が図画工作や美術の時間よりも ダイナミックなモノづくりとなっていたからかもしれない。 筆者が幼少の時からすでに50年の歳月が過ぎ、社会の変化とともに家、家 族、暮らしというものも大きく変化している。マッチを使う機会も減った。 たき火も日常から消えた。そしてタブレットやスマホが登場し、それらを使 う時間が増えるだけでなく、暮らしの隙間時間さえもそれらを見つめる時間 が浸食してきている。便利になった家で、手伝う家事も無く、親を見ればモ ニターかスマホを見ている。家族の何気ない風景は子どもにどう映っている のだろうか。家でのお手伝いや、身近な家族の活動を真似ることで、体験的 7)参考:正木賢一、鉄矢悦朗、山田修平、宮坂雄悟、嶽 里永子、新名佐和子「学芸大こども未来プロジェクト 立ち上げ企画展の報告とその考察」東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系第58集 67-80 2005. 8)こどもパートナー:「こどもと関わり合う力」を身に つけることを目標とする基礎的なベーシック講座で す。こどもの特性と健全な育成についての素養を持つ とともに、自らも子どもとともに生涯学習を実現しよ うとする活動に参加する意思を持つ人のための認証で す。講座は、4時間で構成され、主な内容は「教育支 援者とは」「こどもの理解」「こどもを取り囲む環境」 「こどもとの接し方」です。引用:教育支援人材認証 協会 http://jactes.or.jp/about01/. に学ぶ時間は確実に減っている。 これから成長していく子どもたちは、何に目を止め、はじめての挑戦につ なげていくのだろう。子どもを取り巻く日常の環境の中に大人のつくる姿が あることは、子どもが一つでも多くの挑戦の機会を創出する。これら大人の つくる姿は、子どものためのものではない、大人が素直に愉しんでいるから 日常に存在するのである。子どもが気づく気づかないにかかわらず、ものづ くりの姿、ヒトが工夫する風景が日常にあることが大切なのだ。. 17.
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