DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.36.30
理想的観察者モデル入門
―基本的な考え方と適用方法―
時 田 み ど り
目白大学保健医療学部
Introduction to Ideal observer model:
Basic concepts and applications to simple tasks
Midori Tokita
Faculty of Health Sciences, Mejiro University
An ideal observer is theoretical device that performs a given task in an optimal manner provided the available information and some specified constraints. Comparing the performance of the ideal observer to that of a test ob-server in the given task, one can infer characteristics and/or deficit in a system of the test obob-server. Ideal obob-server theory has been applied to a wide range of problems, such as perception, object recognition, category learning, memory, attention, decision-making, and others. Recent application of Bayesian statistical theory enables us to in-vestigate perceptual processes in more naturalistic and complicated scene and phenomena and to explore optical learning processes in many areas.
Here I first summarize the basic concepts and logic of ideal observer analysis and then briefly describe an appli-cation to a simple perceptual task.
Keywords: Ideal observer, statistical efficiency, Bayesian ideal observer, optimal action, Signal detection theory
1. は じ め に 基礎心理学における実験研究の目的は,外界の物理特 性と,観察者の内的表現,観察者の反応の間の関係を特 定することである。観察者の内的表現について理論を構 築する際には,物理特性が内的表現へと変換される過程, 内的表現から反応を生成する過程を特定し,これらについ てモデルを構築する必要がある (石口,2017; Lu & Dosher, 2013)。理想的観察者モデルは,所与の環境において, 最適な行動選択をする理論上のモデルである。適用対象 となる観察者(以降,適用観察者)と,理想的観察者の 反応を比較することによって,適用観察者の処理過程の 特性や,モデルそのものの妥当性を検討することが可能 となる。すなわち,Marr (1982)が述べるところの「計 算レベルでの脳の表現」を説明する処理機構の精緻化に 貢献する。その適用範囲は,視覚処理過程に関してのみ ならず,さまざまな感覚様相の,低次から高次まで,基 礎から応用までと,幅広い。最近では,多様な視覚処理 についての研究(Bittner, Schill, Mohd-Zaid, & Blaha, 2017; Lu, Tjan, & Liu, 2017)から,マンモグラフィー画像判定 における理想的観察者と既存の観察者との比較(Delakis, Wise, Morris, & Kulama, 2015),触覚におけるエッジ検出 機構の神経生理学的研究(Peters, Staibano, & Goldreich, 2015)まで,多岐にわたっている。また,ベイズ推定に よって理論化される理想的観察者Bayesian ideal observers の導入によって,現実の事象に即した,より複雑なモデ ルの構築が可能となっている(Knill & Richards, 1996)。
ヒトと理想的観察者の知覚行動の比較は,計算レベル の脳の表現にとどまらず,それらを体現する神経機構の 本質はどのようになっているのか,という問題に繋がる。 現に,理想的観察者モデルの適用によって,さまざまな 感覚様相についての神経生理学的な制約や特性が明らか にされてきている(Fetsch, DeAngelis, & Angelaki, 2013; Geisler, 2003, 2011; Knill & Richards, 1996)。
Copyright 2017. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: Faculty of Health Sciences, Mejiro
University, 320 Ukiya, Iwatsuki-ku, Saitama 339–8501, Japan. E-mail: [email protected]
本稿では,このように有用性の高い理想的観察者モデ ルについて,入門ガイドとなるような解説を試みる。ま ず,その理論的背景と適用研究例を紹介する。次に基本 的な考え方と適用の利点について解説する。最後に,初 歩的な適用方法を解説する。 2. 理論的背景と適用例 (1) 理想的観察者分析の経緯 理想的観察者分析の起点となる統計的効率 statistical efficiencyという考えは,信号検出理論を基礎として,も ともとは通信の分野で発展してきた。ヒトの感覚系への 適用は,フォトンノイズの測定や,光受容体の効率に関 する研究から始まる。物理的な光の強度を一定にしても, その光が網膜の光受容体に到達するか否かは,フォトン ノイズ1によって決定されるため,ヒトのパフォーマンス もノイズに依存すると考えられる。そこで,Rose (1948) は,純粋にフォトンノイズのみに依存したパフォーマン スを示す仮想的な装置を考案して,視覚系における理想 的観察者 ideal observerとし,実際の観察者との比較を 行った。以降,感覚系のパフォーマンス研究へ応用され るようになる (Barlow, 1957)。Tanner & Birdsall (1958) は, 論文“Definition of d′ and η as Psychological Measures”のな
かで,統計的効率ηを信号検出理論の枠組みの中で再定
義し,ηを指標とする理想的観察者分析を確立した (Gold, Abbey, Tjan, & Kersten, 2009)。初期の適用対象は,主に, 低次視覚処理過程の研究であった。その後,刺激にある 程度大きな外部ノイズを加えることにより,低次の視覚 処理過程で生じる内部ノイズの影響を取り除く方法が導 入された。これにより,理想的観察者の成績が測定しや すくなり,理想的観察者とヒトの課題成績との比較にも 適用されるようになった(Barlow, 1978)。さらに,処理 プロセスの中に,課題成績を制限する内部ノイズを仮定 することによって,中次・高次の視覚処理過程の検討へ と適用範囲が広がった(Geisler, 1989, 2003, 2011)。 (2) 適用例 理想的観察者分析の適用例として,コントラスト感度 の測定(Kersten, 1984),ドットによる鏡映対称の検出 (Barlow & Reeves, 1979),ランダムに空間配置されたドッ ト数の識別(Burgess & Barlow, 1983),ランダムドットの 運動方向の識別(Watamaniuk, 1993), 3次元物体の脳内表
現に関する研究(Liu, Knill, & Kersten, 1995),文字の読み の検討(Legge, Klitz, & Tjan, 1997),テクスチャーによる 面形状の復元(Knill, 1998), 3次元対称構造の検出(薬師 神・石口,1998),運動による3次元構造の復元とその統 計的効率(田中・石口,2000),奥行き傾斜知覚における 両眼視差と運動視差の統合(田中・石口,2002),線画 刺激を用いた物体認知(池田・石口,2002), 3次元凹凸 曲面上における対称パターン検出(池田・石口,2004) 等が,挙げられる。また,眼球運動を伴う顕在的注意と 潜在的注意の最適な配分の検討 (Eckstein, 1998),読唇術 による会話の検討(Conrey & Gold, 2006),ワーキング= メモリの処理容量モデルの再構築(Sims, Jacobs, & Knill, 2012),線分の方位情報統合におけるサンプリング特性 (Tanaka & Ishiguchi, 2006),内部ノイズを算定した要約 統計量推定におけるサンプリング特性(Tokita, Ueda, & Ishiguchi, 2016)等,さまざまな認知過程の検討にも適用 されている。さらに,マカクザルにおける空間コントラ スト感度の発達的検討 (Kiorpes, Tang, Hawken, & Movshon, 2003)など,比較認知研究への適用もみられる。 (3)適用範囲の拡張 従来の統計的効率分析から,ベイズ推論を導入した予 測性の高い近似モデルの構築まで,理想的観察者モデル を用いた研究手法は大きな広がりを見せ,適用の目的や その範囲も多様化している。中でも,特に有効性が期待 されている研究対象として,以下の 3点が挙げられよ う。 ①複雑な自然環境を対象としたモデルの構築 従来の理想的観察者分析においては,実験室内での統 制された刺激を対象とする検出・識別課題で得られた データとの比較が主であった。しかし,ベイジアン理想 的観察者モデルの導入によって,より複雑な現象や事象 を対象とする検討も可能になっている(Geisler, 2011)。 これまで,自然画像を用いた輪郭線の処理過程の検討 (Geisler & Perry, 2009),自然画像動画の速度予測に関す
る理想的観察者とヒトの比較(Burge, & Geisler, 2015)等 に適用され,興味深い知見が得られている。今後,さら に,自然画像や日常的事象を対象とした研究への適用が 期待される。 ②手がかり統合Cue Integrationにおけるモデル構築 生体が,外界の特徴を推測し,それに基づき最適な行 動選択を行うためには,外界に存在する複数の情報を効 果的に統合する必要がある。情報源は,同一の感覚様相 内である場合も,異なる感覚様相間の場合もある。これ らの情報の統合過程について,ベイジアン理想的観察者 1 所与の時間に所与の空間で放射あるいは吸収される フォトンの数は確率的であり,ポアソン分布に従う といわれている。光量が多くなるほどフォトンノイ ズは大きくなる。
モデルを用いた検討の有効性が指摘されている(Landy, Banks, & Knill, 2011)。視覚情報と触覚手がかりの統合過 程(Ernst & Banks, 2002),視覚と聴覚の空間定位のモデ ル化(Alais & Burr, 2004),オプティカルフロー情報と頭 部位置の情報統合過程 (Issen, Huxlin, & Knill, 2015) 等で, 興味深い知見が得られている。 ③学習・発達過程の検討 理想的観察者モデルの学習・発達研究への適用には, 2つの方向性が考えられる。1つには,学習を,情報利 用効率の向上として捉え,統計的効率の変化を学習効果 の指標とする方法である。高次のカテゴリー学習におけ る情報の利用 (Kittur, Holyock, & Jummel, 2006),周辺視 のクラウディング効果低減の学習(Sun, Chung, & Tjan, 2010)では,統計的効率やそれに準じる値を指標とし て,学習過程の検討を行っている。2つ目は,学習は, 所与の課題おいて精度を向上させていく過程であるが, これを事後確率分布のパラメータの更新とする考え方で ある。新しいデータを事前確率とすることによって,事 後確率分布が変化するが,この変化を学習と捉えるので ある。知覚学習のみならず,運動制御の学習についての 適用も期待されている(Kersten & Mammasian, 2009)。 また,Kemp & Xu (2008)らは,乳幼児の物体認知の発 達に関する先行研究に,ベイジアン理想的観察者モデル を適用し,物体認知の発達過程の解明を試みている。 3. 理想的観察者理論の基本的特性 上記では,理想的観察者モデルの多様な適用例を示し てきた。次に,これらに共通する3つの基本的な特徴を 解説する。なお,Table 1に,頻繁に用いられる用語とそ の計算式を挙げる。 ①信号検出理論による最適判断基準の定式化 先にも述べたように,理想的観察者は,当該の課題に 対して,与えられた情報と制約のもとで,最適水準の成 績をおさめる仮想的装置である(Geisler, 2011; Kersten & Mamassian, 2009)。選択が最適であるためには,「最適化 とはなにか」を定義する必要があるだろう。ここでの最 適化とは,単に,より多くの正解を出力することを意味 しない。外界への適応過程において,生体にとっての期 待損失を最低限に押さえるという,生態学的な妥当性を 内包する出力である。したがって,理想的観察者の最適 化には,選択行動の帰結を予測する損失関数が重要とな る。この「最適化」を定義する最適判断基準は,信号検 出理論の枠組みで定式化される。 ②ベイズ統計的な確率モデルの導入 現実世界の現象・事象には,確率的な変動が内在す る。したがって,それを表現する数理モデルとしては, Table 1.
Ideal Observer model equations.
用語 計算式 条件つき確率 p(x|y)=p(x, y)/p(y) 周辺確率 p x( )=
p x y dy( , ) ベイズ規則 p(s|x)=p(x|s)p(s)/p(x) 信号ノイズ比(等分散) d′snr=(μs−μn)/σ ZとPの関係 z P p( ): =(1/ 2 )π
x∞e-x2/2dx 識別感度 d′perf=z(PFA)−z(PH) ROC (不等分散) z(PH)=(σn/σs)z(PFA)−[(μs−μn)/σs] d′(2AFCの正答率) d′2afc= 2 ( )z pc 最適決定基準(信号検出理論) β={[L(FA)−L(CR)]⁄[L(Miss)−L(Hit)]}[P(SV)⁄(P(ST)] xCI=ln β/d′perfI統計的効率 E=(d′perfT/ d′perfI)2
2AFC (two-alternative forced-choice)は,2者強制選択法を,ROC (receiver operating characteristic)は,受信者操作特性 を示す (Adapted from Kersten & Mammasian, 2009; Macmillan & Creelman, 2008).
確率モデルが妥当である。理想的観察者モデルは,最適 水準の成績を収めるために,ベイズ理論の手法を用いる。 sを外界の特徴,xを感覚器に入力されたデータとする。 xは,観察者に与えられている情報であり,外界の特徴 sは,与えられておらず,推測しなければならない。こ れをベイズ推論で定式化すると,以下の通りになる。 p(s|x)=p(x|s) p(s)/p(x) p(x|s)は,sをもとにして,特定の感覚が生成される尤 度を示す。p(s)は,外界の特徴間における統計的構造を 示す。p(x)は,sを含まないので,xが与えられた下では 定数である。これらをもとに,ベイズ式に則り,特定の 感覚入力xが与えられたとき,外界の特徴sを推論する事 後確率p(s|x)がモデル化される。ベイズ推定は,知覚過 程のほか,推論,意思決定,カテゴリー化等,多様な認 知過程の解明に適用されている(Knill, & Richards, 1996; 石口,2012)。 ただし,識別・検出・同定をはじめとする実験室内で の統制された課題では,外界の特徴 sの統計的構造は, 実験者によって決定される。実験者が,事前確率を一定 とした場合,尤度のみによって事後確率が決定されるこ とになる。 ③理想的観察者と適用観察者の比較 理想的観察者分析においては,理想的観察者と適用観 察者との成績を比較する際に,統計的効率ηという指標 を用いることが多い(Pelli, 1990)。統計的効率は,利用 可能な情報の中で,適用観察者が使用している情報の割 合と考えることできる。そして,統計的効率が100%を 超えた場合,その理想的観察者モデルは,適用観察者の モデルとして妥当でないことが示唆される(統計的効 率の算出方法の詳細については,石口(2017),薬師神 (1999, 2002) を参照のこと)。総計的効率以外にも,両者 の比較において,課題に即したさまざまな指標を用いる ことできる(Kittur et al., 2006; Sims et al., 2012)。多くの 場合,それらの指標は無名数として表現されている。 理想的観察者の成績を産出する際,それらの値が解析 的に得られればよいが,複雑な確率過程を含むために解 析が困難な場合には,シミュレーションを利用する。ま た,理論の妥当性やデータ予測性の検証や,実験調査等 が困難な場合にも,シミュレーションを使用することが できる。 4. 理想的観察者モデルの適用の利点 理想的観察者モデルと適用観察者の成績を比較にする ことの主な利点は,以下の4点である。 ①適用観察者の成績低下要因の特定 特定の課題状況における成績を評価する場合,2つの 可能性に注意する必要がある。1つには,適用観察者の 処理過程が,与えられた情報を効率的に利用することが できないために遂行が低下した可能性である。もう1つ は,課題に内在した情報の不適切性に起因する可能性で ある。しかし,統計的効率によって,この2つの成績低 下要因を分離することができる。もし,情報の不適切性 に起因するのならば,理想的観察者の遂行レベルも同様 に低下するため,統計的効率はそれほど低下しない。一 方,適用観察者の処理過程に原因がある場合には,理想 的観察者と比較して,適用観察者の統計的効率は低下す ると予測される(Geisler, 2003; 薬師神,1999)。 ②課題内容に依存しない指標の利用 閾値や反応時間の指標は,検討の対象とする機構の感 度や処理能力の指標とはなりえるが,その指標間の比較 は困難である。統計的効率を用いれば,理想的観察者と の比較において,適用観察者がどの程度,各課題に内在 する情報を用いているのかを示すことが可能となる。し たがって,難易度の異なる課題間の成績の比較,異なる 課題間の成績の比較,あるいは課題を遂行する処理機構 の比較が可能となる。 ③モデル間の妥当性の比較検討 理想的観察者は制約に基づいて導出されるので,どの ような情報が利用可能なのか,また,最適とは何かと いった制約を特定することで,複数のモデルを設定する ことができる。また,複数のモデルの予測値を,適用観 察者の結果と比較することによって,モデルの妥当性を 検討することも可能となる。適用観察者の行動の背景と なる処理過程について,複数の仮説が成り立つ場合,各 仮説に基づいてモデルを構築し,モデルの予測と適応観 察者の行動とを比較することによって,より適切なモデ ルを採用することが可能となる。 ④対象処理機構の定性的・定量的な基準の提供 最適化を仮定して定性的・定量的な予測を行うことそ れ自体が,感覚・知覚機構を検討する際の起点 starting point となる(Kersten & Mammasian, 2009)。なぜなら, 生体は,生存に重要な課題について,可用なavailable情 報を最適利用するメカニズムを進化させている可能性が 高いからである。最適に近いが,最適ではない行動(準 最適行動suboptimal behavior) は,観察者が行った知覚的 な課題への解法に,何らかの欠陥があることを示してい る。これは,発達や学習のメカニズムを考えるうえで,理 想的観察者の成績が,重要な基準となることを意味する。 また,知覚システムは,観察者が,学習した最適方略以
外のやり方で課題を解く場合のあることが示される。 5. 理想的観察者モデルの適用方法 理想的観察者モデルの適用例と,その基本的な考え方 及び主な利点を解説してきた。では,実際,どのように して理想的観察者モデルを適用するのか。ここでは,単 純な課題を例として,理想的観察者モデルの適用方法を 紹介する。まず,Kersten & Mamassian (2009)の解説を 基に,理想的観察者モデルに共通する要素を説明する。 次に,信号検出理論を用いた識別・検出課題についての 手続きを解説する。 (1) 理想的観察者モデルの3つの要素 Figure 1に,理想的観察者モデルを構成する4つの変数 と,主な要素とその関係を示す。理想的観察者モデルは, 1) 生成モデル,2) 課題 (パフォーマンスを含める),3) 最 適化選択方略を知る理想的観察者の,3つの要素で構成 される。理想的観察者は,外界の状態S=s,観察される データX=x,与えられたデータをもとに取られる選択行 動A=a,選択行動aをとったときの損失L(s, a)の,4つ のランダム変数によって定義づけられる。Figure 1に示 すとおり,各変数は矢印の方向に影響を及ぼす。例え ば,照明から離れたところにある照明スイッチの状態を 予測するとしよう。実際のスイッチの状態sは未知であ るが,照明からの明かりxが観察される。そして,観察 される照明の明るさ xから,スイッチの状態を予測a し,予測aと実際のスイッチの状態sとによって,L(s, a) が決定される。あるいは,遠方にあるターゲットを目が けてボールを投げる,という行動を考えてみよう。ター ゲットの位置を状態s,観察者が見積もるターゲットの 位置をx,ボールをどの程度の力で投げるかといった行 動選択をa,aと実際の位置sによって,L(s, a)が決定さ れる。 次に,各要素について,詳細にみていく。 ①生成モデルThe Generative Model
生成モデルは,事前確率分布を想定して,観察データ を新たに生成するモデルである。その枠組みは,ベイズ 統計理論によって支えられている。ここでの生成モデル は,外界の状態Sが,観測されるデータXをどのように 規定するかといった,その統計的構造についての制約を 与える。外界の物理現象についての観察者の内的表現を 規定する,と言い換えることもできる。定式化すると, 状態sについての事前確率p(S=s)と,状態sが与えられ たときにデータxが観察される確率,p(X=x|s)となる。 一般的には,状態sと観察データxとは多次元で構成さ れ(s=(s1, s2, s3, . . .),x=(x1, x2, x3, . . .)),両者は,複雑な 依存関係にある2。 上述の照明スイッチの例では,事前確率は離散的な 2つの値についての確率を表現するのみの簡単なものと なる。一方,ターゲットを目がけてボールを投げるとい う例では,生成モデルは,連続的で複雑な確率分布で構 成されることになる。ターゲットまでの距離を見積もる には,外界の複数の情報を統合する必要があるからであ る。 実験室内での統制された課題では,実験者が事前確率 を特定する場合が多い。すなわち,状態sが与えられたと きの観察データxの確率分布は,データの中に組み込ま れ,データが与えられる際の尤度となる。換言すると, 心理物理実験においては,生成モデルは,実験者が操作 する刺激提示の確率的な表現と考えることができる。 ②課題要求 課題は,観察者に課する要求の違いによって,2つの
Figure 1. State and observation spaces in an ideal ob-server model: Capital letters, S, X, A, and L represent random variables, and the arrows indicate how they influence observation one another (Adapted from Ker-sten & Mamassian, 2009).
2 状態 s の要素は互いに独立している場合もあるが, 必ずしもそうとは限らない。その場合は,sについて の事前確率は,sの要素間の共分散を考慮に入れるな ど,より複雑なパターンの規則性をモデル化する必 要が出てくる。これらのケースでは,実世界のデー タから,より妥当な生成モデルを構築すること自体 が重要な課題となる。
タイプに分けられる。1つ目は,与えられたデータに対 して,どのような決定を行うか,という課題である。例 として,シグナルの有無の検出,シグナルの同定,連続 量の推定を行う課題等が挙げられる。この場合,主たる 測定値は正答率(またはエラー率)または推定の精度に なる。2つ目は,目標を実行するか否かの値を決定する という課題である。主たる測定値は,正答率とともに, 課題遂行の帰結としての損失(あるいは利得)となる。 誤りであるか正解かが,損失を決定する。一般的に, エラー率 (1−正答率) は,損失関数として表現される。 結果の重要性の違いは,損失関数を特定することによっ て明示される(例として,ペイオフマトリックスについ て後述する)。損失関数は,実際の状態 s1, s2において, 選択行動a1, a2を行った場合の損失とされ,L(a1, a2; s1, s2) で表される。もし選択行動aが状態sの推定であった場 合は,a=sˆとなり,損失はsとsˆの差となり,L(sˆ−s)で 表される。 ③最適選択行動Optimal Actionまたは決定規則Deci-sion Rule 理想的観察者は,所与の課題遂行において,リスクを 最小限に抑えることのできる選択行動 a(x)を採用する。 期待されるリスクは,状態sと観察データxの両者を考 慮に入れて産出された損失と定義され,以下のように表 される。 R(a|x)=Σs, xL(s, a(x)) p(s|x) 所与の観察事象において,最適な決定規則は,R(a|x)が 最小となるような aを選択することである。多くの場 合,選択行動aは,信号状態xと単純な対応関係にある。 例えば,検出や識別課題においては,状態xは,二値な ので,選択行動は,シグナルが送られたか否か(あるい は,違いがあるか否か)の二者択一の決定となる。ま た,同定課題では,離散的な複数の値から,データxを 基に選択行動aを行うことになる。推定課題では,観察 事象xから,a=sˆとなりうる状態空間の値を推定するこ とである。もし,損失が,エラーにおいて大きく,正答 において小さければ(あるいはなければ),最適行動は, データxが与えられたときに,最も生起確率の高い状態 sを選択することを意味する。すなわち,最大事後確率
Maximum a posteriori (MAP)となる選択を行う観察者 が,理想的観察者である。最大事後確率は,以下のよう に表される。 a(x)=argmaxs p(s|x) この規則によって,最小の平均エラーを出力する。損失 を,状態 sと推測された状態変数sˆとの二乗誤差と定義 した場合には,最適な行動は,事後確率分布の平均値を 選択することに等しくなる。 (2) 理想的観察者モデルの2つのタイプ 実際に理想的観察者モデルの適用を試みる際,どの適 用例を参考にしたらよいか,戸惑うことがある。この問 題について,Kersten & Mammasian (2009)の分類が参考 になる。Kerstenらは,理想的観察者モデルの研究を, 便宜上,2つのタイプに分類している。1つは,狭義の 理想的観察者分析と呼ばれる適用方法である。この方法 では,適用観察者は,綿密に統制された実験室での課題 において,理想的観察者と成績を競うことになる。すな わち,理想的観察者が,所与の課題における定量的・定 性的な基準となるのである。両者のパフォーマンスの相 違は,統計的効率等の指標で表されることが多い。 2 つ目は,近似モデル,または成果のモデル perfor-mance modelとしての理想的観察者モデルである。前者 との主な違いは,事前確率分布を想定する生成モデルを 前提とする点である。理想的観察者は,この生成モデル について,最適な選択行動を行う。 理想的観察者モデルは,細部において“真”の生成モ デルとは異なるが,所与の環境のもとでの特定の課題に ついての最適化行動を示し,その行動の定量的な基準を 示すことができる。 ただし,実際に理想的観察者モデルを構築する際,排 他的に上記のうち一方を選択するというとではない。し かしながら,事前確率分布をどのように設定するか,と いった問題において,両者の違いを理解しておくことが 重要となる。 (3) 理想的観察者分析の適用方法 次に,基本的な課題について,理想的観察者分析の 適用方法を解説する。ここに紹介する識別課題は,上記 の分類における1つ目のタイプに該当する。実験例は, Tanaka & Ishiguchi (2006),楊・時田・石口(2016)を原 案としたものである。 Figure 2aに,状態空間Sと観察される刺激群Xを示す。 課題は,所与の傾きを持つN個の線分で構成された刺 激群を観察し,その刺激群が,状態空間にあるSv, STの どちらに由来するものかを判断するというものである。 単純化するために,Svを,垂直の線分(傾き v°,v=0) で構成される刺激群,STを,時計回り方向t°に傾いた刺 激で構成される刺激群とする。課題の遂行には,複数の 刺激の傾き情報を統合して,なるべく正確に平均方位を
推測するという,要約統計量表象,あるいはアンサンブ ル知覚ともいわれる認知過程が関与する。実験では,Sv, STを構成する刺激の数Nを操作して,情報の処理過程と その効率について検討する。また,δ=v°−t°を2種類設 定して(δ1, δ2, (δ1>δ2)),難易度の効果を検討する。 Figure 1に示されるとおり,理想的観察者とヒトの観 察者は,状態空間S,観察X,行動A,損失Lを共有する。 次に,理想的観察者の3つの要素について見ていく。 ①生成モデル 状態空間 Sは,刺激群Svと,刺激群 STの,2つの状態 で構成される。一般的に,2AFCの識別課題では,事前 確率は,実験者によってあらかじめ一定の値に設定され るが,本課題でも,2種の状態は等確率で存在するもの とする(P(S=s)=1/2)。 次に,Sv, STを構成する個々の線分に,等分散のガウ スノイズを付与する。Figure 2bに,ノイズを付与した2 つの分布 Sv+N(0, σ2),ST+N(0, σ2) と,判断基準 xcを示 す。付与されたノイズによって,個々の線分の傾きは変 動するので,Svに由来する刺激群であっても,平均方位 はSTに近似する場合がある。また,等確率でその反対 の現象も生じる。このノイズの大きさが,尤度を決定す ることになる。 ②課題 先に述べたように,観察者は,提示された刺激群を観 察し,その刺激が,状態 Sv, STの,どちらに由来するか を判断し,反応を行う。その際,「エラーを最小限に抑 える」という制約が重要となる。この制約により,エ ラーが損失Lとなることが明らかにされる。 実験者は,目的に応じて,2つの刺激提示方法のうち, どちらか一方を選択する。1つ目は,刺激群sV+noise, または刺激群sT+noiseのいずれかを呈示し,提示された 刺激が,状態SVとSTのどちらに由来するかの判断を課す 方法である。2つ目は,刺激群sV+noiseとsT+noiseを, 同時または系列呈示し,どちらの刺激が,時計回り方向 に傾いているか(すなわち,ST+noiseであるか)を判断 する方法である。判断基準のバイアスを検討する際に は,前者の提示方法を採用する必要がある。 ③最適化判断基準 事前確率をP(S=s)=1/2としたときの最適な決定規則 は,p(x|sV)<p(x|sT)のときにSTを選択するという規則で ある。この規則によって,エラーを最小に抑え,同時 に,損失を最小にすることができる。Figure 2aにおい て,2つの分布が交差する点のx軸の傾きxcが,最適判 断基準となる。すなわち,x>xcのときにSTを選択する ことを意味する。
ベイズ定理を用いた考え方では,エラーを最小限に抑 える方法は,事前確率を前提として,事後確率が最大と なるような選択行動をとることである。これは,p(sV|x)< p(sT|x)においてsTを選択することを意味する。事後確率 p(s|x)は,ベイズ規則に従い,事前確率と尤度によって 決定される。 本例では,判断基準xcが最適判断基準であった。しか し判断基準は,常に確率密度関数が交差する点とは限ら ず,事前確率とペイオフマトリックスの,2つの要因に よって移動する。判断基準が移動することにより,Hit とFAの関係が変化するが,この関係を図化したものが,
ROC (receiver operating characteristics)曲線である。信号 検出理論では,この判断基準と,信号(状態s)への感 度とを分離することができる。 判断基準の位置を規定する2つ要因について詳しく見 ていこう。一つ目の要因は,事前確率である。上述の課 題例では,状態sv, sTは等確率で出現したが,sTの出現確 率が,svよりも大きい場合には,最適判断基準は,xmの 方向へと移動する。すなわち,x>xmのときにsTを選択 することが最適な判断となる。 二つ目は,ペイオフマトリックスにおいてFAとMiss, または,HitとCRの損失(または利得)が非対称となる 場合である。例えば,SVを正常な状態,STを異常な状態 と仮定し,異常の検出が優先事項となるとき,sVに対し てFA反応をする場合よりも,sTの検出に失敗するという Miss反応に大きなペナルティーが課されるだろう。その 場合,最適判断基準は,xmの方向に設定されることにな る。一般化すると,2×2のペイオフマトリックスで損失 値が明示されると,最適判断基準の位置も決定される, ということになる。各々の損失をL(Hit),L(Miss),L(FA), L(CR),βを尤度比とすると,最適化判断基準xmは,以下
の式で求められる(Macmillan & Creelman, 2008)。
β={[L(FA)−L(CR)]⁄[L(Miss)−L(Hit)]}[P(SV)⁄P(ST)] xm=ln β/d′I この最適判断基準にしたがって選択行動を行う観察者 を,理想的観察者と設定することができる。 ④理想的観察者と適用観察者の成績の比較 理想的観察者の成績(Figure 2c),ヒトの観察者の成 績(Figure 2d),両者の比較によって得られた統計的効 率(Figure 2e)の図を示す。理想的観察者は,所与の生 成モデルにおいて,利用可能な情報を全て用い,最適判 断規則に従って課題を遂行する。Nを利用可能な情報の 上限とすると,理想的観察者の成績は以下の式で求める ことができる。
(
)
[
]
′perfI V T d = N μ -μ σ ヒトの観察者の結果は,Pcを正答率としたとき,信号 検出理論に従って,以下の式で与えられる。 ′ perfI c d = 2 ( )z p 次に,得られた理想的観察者の成績,d′perfIと,ヒトの 観察者の成績,d′perfHを用いて,統計的効率を算出する。E=(d′perfT/d′perfI)2
本例では,理想的観察者とヒトの観察者の比較から視 覚刺激の情報統合過程について,以下の3点が明らかに なる。1つ目に,課題の難易度は,理想的観察者の成績 d′perfI及びヒトの観察者の成績d′perfHに反映されているが, 統計的効率では,両者に差のないことが示されている。 このことから,ヒトの情報利用率は,課題の難易度に依 存しないことが示唆される。2つ目に,刺激数Nの増加 にともない,統計的効率が低下していることから,刺激 数が増えても,統合できる情報の量には限界のあること が示唆される。3つ目に,Nによって変動はあるが,統 計的効率は,およそ 40∼60%の範囲であることが示さ れ,ヒトの観察者は,関連情報の一部のみを利用して課 題を遂行していることが示唆される。 上記で設定した刺激条件の他にも,刺激提示時間を操 作することにより,時間軸にそった情報処理効率の変化 を調べることが可能となる。また,学習量と情報利用率 との関係を調べることにより,学習過程について検討す ることもできる。さらに,複数の理想的観察者モデルを 設定して,モデル間の比較を行うこともできる。 このように,統計的効率を指標として,さまざまな処 理過程についての検討が可能となる。 6. お わ り に 理想的観察者モデルの理論的背景と有用性を紹介し, その適用方法の入門ガイドとなるような解説を試みた。 しかし,豊富な研究成果や適用可能性を充分に伝えられ たとは,言いがたい。特に,近似モデルとしての理想的 観察者モデルの適用方法については,Kersten & Mamma-sian (2009)に,平易な解説があるので参照されたい。
理想的観察者理論は,神経科学や認知科学等の分野と 関連深く,また,情報処理アプローチとの親和性も高い (Thomson & Kristan, 2005)。他領域の計算技法や理論を 取り込むことによって,より現実場面に即した理想的観 察者モデルの構築が可能となる。現在,計算機能の高度
化や,ベイズ推論の導入によって,測定値やパラメータ の推定が容易になっている。このような環境において, 理想的観察者モデルは,生体の知覚・認知過程の解明を 試みる者にとって,強力なツールとなりうるだろう。
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