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沖縄の教育をテーマに、ワークショップを取り入れた授業の試み-社会学的想像力の視点を得るために-: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Title

沖縄の教育をテーマに、ワークショップを取り入れた授

業の試み-社会学的想像力の視点を得るために−

Author(s)

盛口, 満; 宮川, めぐみ

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(15): 43-50

Issue Date

2013-03-15

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11781

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〈実践報告〉

沖縄の教育をテーマに、ワークショップを取り入れた授業の試み

―社会学的想像力の視点を得るために―

盛口 満・宮川 めぐみ

要 約 初等教育養成課程の理科教育を専門とするゼミにおいて、社会学的想像力をテーマと したワークショップを取り入れた授業を行った。その結果、沖縄という場における教 員養成の今後の課題や、例えば自然科学分野にも発展・応用できる問題点の確認を見 出すことができた。 キーワード:開発教育 ESD 学習支援 社会学的想像力 ワークショップ はじめに  筆者の一人、盛口は沖縄大学こども文化学科で理科教育を担当している。またもう一人の宮 川は東京の大学で教育・国際協力を専門としてきたが、3・11 の原発人災を期に沖縄に移住し、 現在は名桜大学の総合研究所の学外研究員に所属しながら、沖縄における教育問題の研究を始 めている。盛口が担当するゼミにおいては、通常、担当者の専門である理科教育に関する内容 を取り扱っているのだが、今回、宮川を授業に招き、社会・教育をテーマとする授業を行うこ ととした。これは、自然科学を学ぶ上でも、社会全般に向ける視野が必然であると考えたから である。また、この授業実践を通じて、東京での教育経験を有する宮川によって、同じ教職に 関わる学生においても沖縄の学生(または沖縄大学の学生)との差異が見いだせるかもしれな いと考えたためである。 Ⅰ・授業記録 Ⅰ-1・授業対象  2012 年 7 月 17 日に、沖縄大学こども文化学科の盛口が担当する基礎演習(2 年生対象 15 名) にて宮川が授業を行い、盛口がその記録を取った。なお以下の報告におけるMは授業者である 宮川の発言を、Sは、学生の発言を意味する。    Ⅰ-2.授業内容:導入  M「こんにちは。ご紹介頂きました宮川です。名桜大学総合研究所の“沖縄における貧困と 格差”を研究するチームの教育分野の研究員です。10 年ほど前はアフリカ・アジアでの教育協 力に関する研究・調査をしながら EFA(Education For All =すべての人に教育を)という 国際目標に取り組んでいました。今沖縄で、再びこの、EFA に取り組んでいると感じています。

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沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 EFA とは、同時に、単に学校というところに通えるようになればいい、ということではなく、 教育とは、学ぶとは人の人生にとって、何なのか、どのような教育こそが必要なのか、を問う ことでもあります。後にお話しするように、遠い国のある一人の子の状況を改善するためには、 実は日本でこそやるべきことがある、と気づくに至り、軸足を日本に移すようになりました。 どういうことか、少しお話しましょう」  M「みなさんは、ガーナという国を知っていますか?」  S「チョコレート?」 M「そう、チョコレートの原料のカカオで有名な国ですね。私は、そこを研究のフィールドの ひとつとしていました。ガーナの貧しい子どもたちは、チョコレートのような贅沢品など食べ たことがない一方、日本など先進国でみなさんがよく目にするチョコレートの原料の栽培など に児童労働として従事させられていました。日本で、バレンタインデーに“愛のプレゼント” の象徴として使われるチョコの背景には、そんな現状があるのです」 ――続いて、宮川から、カカオ栽培に従事する、児童労働への日本での誤解についての解説、 搾取労働と日本や先進国でのチョコレートの価格の問題についての解説がなされた。国家間の 力関係によって、不公正な貿易や政治の関係性が存在しており、遠く離れた国の、ある一人の 子どもが、学校に行けるようになるため、日本人としての役割は、現地での援助や「国際協力」 という以前に、必要なことがあると言うことが話された。それは、例えば日本や先進国の政治 決定であり、また、日本人の何気ない生活こそが、世界に住む人々にインパクトを与えている のであるということである。また、こういったテーマを扱う「開発教育」と「ESD」(持続可能 な開発のための教育)の紹介がなされた。自分たちの当事者性に気づき、援助―被援助の関係 性でなく、対等な関係性を築くこと、学ぶだけでなく、行動することで、世界をより平和でフェ アで、持続可能なものにしていくことができる……そのための教育実践がこれらであり、沖縄 が抱える課題も、ここで紹介した問題と構造的な共通点が多々あり、今後、沖縄の問題を考え ていく上でも参考にしてほしいという提示がなされた。 Ⅰ-3・授業内容:展開  M「では、授業の本題に入りましょう。今日は、教員志望である皆さんと、沖縄の教育・学 校について、一緒に考えたいと思います。みなさんの経験や日常、感性を存分に活かしてくだ さいね。私は研究のための研究はしたくないと肝に銘じています。研究では、まず現場に足を 運ぶことにしています」 ――以下、宮川から、沖縄島北部地域で教育委員会や各学校長、クラス担任の教員、PTA、区長、 相談員、発達障害児の支援員、カウンセラー、ソーシャルワーカー、地域コーディネーター、等々 をまわったところ、全員から「一番問題なのは学力です」と言われたこと、が紹介された。そこで、 なぜ、沖縄において、この学力問題が一番の問題として語られるのか? また、現在までの学 力支援策や推進策はこのままでいいのか? という問いが見えてきたこと、が話された。  M「皆さんも先生になったら必ず直面する課題ですので、今日は一緒に考えたいと思います。 これから、ある男の子のことを話すので、よく聞いていてください。単に聞くだけでなく、場 面をよく頭に描いてみて、想像力を総動員してください。どうしたら、その子が“学力向上” するのかを考えてみてください……というのが、課題です」

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――宮川から、次のような事例が紹介された。“沖縄県北部の、ある町の小学 6 年生の男の子、 りくと(仮名)。忘れ物が多く、必要な道具など、まずもってこない。朝ごはんは、たいてい食 べていない。筆箱のなかには、短い鉛筆が一本。鉛筆も削ってこない。宿題は、プリントやド リルはほとんどやらない。頑張りノートを 2 ページ分、自分で考えてやってきなさい、という 課題に対して、教科書を書き写してくる。テストは全科目、10 点から 30 点のことが多い。理 科は特に苦手。ここのところ、休むことが増えてきた。この学校は、学力テストで、国語、算 数の点数が県平均を下回っているため、「次は県平均、その次は全国平均へ」が強く言われている。  M「これは、仮名にはなっていますが、ある方からきいた、ほぼ、事実通りのことです。  さて、みなさん、りくとが学力向上していくためには、どうしたらいいと思いますか?あな たならば、何からはじめますか?」  S「学習意欲がみられない様子が見られる。授業に、りくと君が興味をもってくれるためには、 まず興味を持ってくれそうな教科を見つけて、その教科に対して面白い授業を展開して、それ をほかの教科にも広げていくということをしたらよいのではないか」  M[丁寧な先生ですね。なぜ、そう思ったの?]  S「ノートに教科書を丸写し……というのは、自分もそうだったから。興味はなくて、単に いわれたから、やっているだけ。おもしろい授業を受けた記憶もない。勉強をしろといわれる だけだと、ついていけない。だから、先生がおもしろい授業を作っていけば、その子のために なるんじゃないかと」  S「朝ごはんをまずは、毎日食べてもらうこと」  M[ごはん。別の角度ですね。それはどうして?]  S「どんなことをするにしても、おなかが減っていたら、やる気が出ないと思う」  M[ではどうやって、食べてもらうようにする?]  S「親と話すのが一番かなと思います」  M「なるほど。親、という関係者がでてきましたね。このことは、またあとで考えてみましょ う。ほかにはどうでしょう?」  S「鉛筆と消しゴムをプレゼントする」  M[誰から?]  S「それが問題。どの立場から考えるかが、わからないから……」  M[先生、学校側として考えてみましょうか]  S「なら、学校からプレゼント」  S「校長先生から(笑)。一人にあげたらひいきになるから、みんなにあげる」  S「まずは一本ずつ……」  M「なるほど。一本ですか。厳しいですね。国際協力のプロジェクトでも、消耗品を一回だ け配る援助というのは、やりそうになるんだけど、実は、すぐになくなって終わってしまうか ら困りものなんです。現地で手に入らないような高級な文具を配布するようなことも、やりた くなってしまいがちなのですが、配る側の自己満足の危険性が大です。それから、一人だけだ とえこひいきになる、という意見も、確かに、日本の学校文化の中では、発想されそうなこと ですね。必要な子に手厚くすることは、公平性の保証ではないのかどうか? 皆に同じことや ものを提供せねばと思うことで、必要な子への支援が手薄にならないよう、注意が必要かもし れません。さて、ほかにはどうでしょうか」

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沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013  S「りくとは、長いこと勉強から遅れている。算数ができない、理科ができないと思ってい るはず。宿題に関しては、彼ができるレベルや量のものを出して、それが提出されたら、“ここ はできたね”といったように、きちんと声かけをしてあげる。そうして、ちょとずつ、できたっ ていう達成感を作っていくことが必要だと思う。」  M「そんな風に、子どもに寄り添う先生になってくださいね」  M「では、ここで、この課題をさらに掘り下げて考えるために、グループワークをしましょ う。配布した A3 の紙を横にしてください。一番上に、りくとが困っていることを、項目にして、 並べて箇条書きで書いてください。書き切れなかったら、別の紙に書いてください。想像した ことが入っていてもかまいません」 ――グループワークを行う。4 人ほどのグループごとに、「りくとが困っていること」を項目に して書く。項目を書き終わったら、次に、なぜその困ったことが起こるのか、その原因を予想 して下に書く。さらに、その原因はなぜおこったのか、予想できることを下に継ぎ足して書い ていく。もう、これ以上、下に展開できない、というところまで続ける。この間、授業者は机 の間を回り、作業の進捗をみながら、助言を行っていた。一定時間後、発表を行う。授業者がグルー プごとに書かれた用紙の内容を読み上げる。例えば、「宿題ができない」という項目に続いて、 →「やり方がわからない」→「教える人がいない・(並行して)幼少期に文字の触れ合いがなかっ た・( 並行して ) 学力がついていかない」→等々。  M「皆さん、よく掘り下げてくれました。皆さんの仮説はかなり的を射ているように思います。 何か問題が起こったときは、こんなふうに、大元の原因まで掘り下げて、改善策を考えるよう にしてくださいね。原因をこうして掘り下げていくと、状況を理解した的確な改善策が導出さ れやすいのです。最初に、皆さんが出してくれた意見は、即効的な対処方法が多かったですね。 しかし、親に朝ごはんを食べさせてくださいと何度も言っても、できない個々の背景を汲まな ければ無理かもしれないということが、考えあっている中から見えてきました。また、宿題の レベルを個人にあわせて……というのは、いい方法でしたが、これも掘り下げると、先生は仕 事が忙しすぎて難しい、という課題がみえてきて、単に先生に期待し続けるだけでは厳しい、 という側面が見えました。先生の立場からは、過配があれば、となる。そうすると、問題解決は、 しくみや財政的な問題にまで発展します。わたしたちは、単に表面的な課題だけみて、問題を なんとかしようとするのではなく、問題の根源にあるものを的確にとらえ、対策を立てる必要 があります。地域も交えて、立場を超えて、柔軟に力を貸しあうことが必要なこともあります。 私が今、回っている地域では、家庭環境が厳しい子、発達障がいのある子が、最も、しんどい 子になりやすいようです。こうした状況は、地域によっても異なるでしょう。私は、その「し んどい子どもたち」の学習支援を立ち上げようと計画しているところです。日本の公教育は、 競争的な側面が大きすぎる、と言われていますが、競争的、排除的な志向ではなく、ノーマラ イゼーション、インクルージョン、という方向で教育を考えていきたいと思っています。一番 しんどい子が楽になるような学校や地域を作り上げていくことで、誰にとっても優しい、安心 して学べる学校・地域が生み出されていくのではないでしょうか。  グループワークで考えたように、例えば、りくとの学力は、家庭環境にも関係があると考え られたし、その家庭環境は社会の中の状況とも連動しています。つまり、りくとの学力向上を 考えたとき、学校の中だけでは問題が解決しえないことが分かったと思います。結局、問題の

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根本的な解決を考えると、問題の背景の丁寧な理解……授業のテクニックや「教育学」と呼ば れる分野の範囲にとどまらない、社会に対する理解、が必要だということがわかります。例え ば、学力も、不登校も、本人の怠けの問題と、単純に捉えることはできません。ひょっとする と、親の収入の安定、が、つきつめたら大きな要因かもしれない。では収入が安定しないのは、 ただ親の努力不足なのでしょうか? これも、ひょっとすると、東京の国会議事堂での決定 ……、例えば、正規労働者を減らしやすくする、という政策決定が、貧困家庭を増加させ、り くとのような子どもたちの学力問題に覆いかぶさっている可能性があるわけです。その子自身 や、その子の家庭に、“がんばれ”や、“早寝 早起き 朝ごはん”といった声掛けを繰り返し、 朝食をチェックし、叱咤したり表彰するだけでは問題は解決しないことも、少なくありません。 むしろ追いつめられてしまう子や家庭もあるのです。一人の子どもに「ちゃんと寄り添う」こ とで、問題の本質は、初めて見えてくるのです。皆さんが教員になったとき、「目の前のその子」 の、点数や字の書き方、態度ひとつの意味を、想像力を働かせ、考えていけるようになってく れたら嬉しいです」 Ⅰ-4・授業内容:まとめ  M「これまで具体例でみてきたものを、整理してみましょう。“パーソナル イズ ポリティ カル”という言葉があります。個人的な悩みと見えて、実は社会的な問題が潜んでいたり、つ ながっているかもしれない……という考え方です。このように考えることで、社会的な問題と して、共に解決していこうと思えるようになります。また、このように、ミクロな問題を、社 会や歴史とつなげて考えていくことを社会学的想像力、といいます。逆に、問題を私事的な方 向に着眼しすぎる方向は、悩みを個人の問題として分断し、根本的な解決から遠ざけてしまう 危険も含んでいるのです」 ――ここで、学力は、決して個人の努力のみで形作られるものではないという視点の説明とし て、ブルデュ-の「経済資本」「文化資本」「社会関係資本」について、宮川から話がなされた。 日本においては、近年格差社会と言う言葉をよく聞くようになった。それまで「弱者」として 支援を受けるはずの対象だった人が、いつのまにか「敗者」と呼ばれるようになり、切り捨て られる対象となってきている。一例をあげると、最近の生活保護バッシングにみられるように、 “環境のせいにせず、自分の努力で何とかしろ”といった批判がある。その一方、「勝者」とさ れる人が、所与の環境に関係なく自分だけで頑張ったのかどうかは問われない。さらに、国際 間、国内ともに、パワーを持つ人が政策決定に影響力をもち、お金と権力のある人に有利な政 策が生み出されやすい。このような問題意識は、沖縄の置かれてきた状況、沖縄の子どもたち や家庭の課題を考える上で、必須の視点であろうことが話された。また、これらと関連する身 近な例の一つとして、我々自身が、地域の学力問題に共に取り組むのではなく、我が子だけは、 相対的に有利な地域の学校へ進学させようとすることにより、学校や地域は衰退し(そもそも 選択できる家庭は全てではないため)、強者と弱者を分ける作用が強化されていくという現象に ついても話が及んだ。  M「教育と現実の社会の関係を再考し、皆さんが携わろうとしている教育実践を考えるとい うことで、別の角度から考えてみましょう。学んだことが、現実の生活や社会にどう役立って いるのか、という視点です。  先日、沖縄では慰霊の日を迎えました。沖縄ではとりわけ重要な、平和学習を例にしましょう。

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沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 平和学習は全国で、戦後一貫して行われているはずです。では、世の中は、だんだん平和になっ ているでしょうか? 教育はどのような力や影響力があるのでしょう。みなさんの受けた平和 教育と、沖縄の現状には、どのような関係があったと思いますか? あなたの受けた平和教育と、 あなたの今の生活、家族の生活は、どんな関係がありますか?  平和教育、人権教育ときくと、“またか”“飽きた”と思う人が少なくないですよね。目的は 達成していないにも関わらず、ですね。どうでしょうか? 私の出会ってきた首都圏の教員養 成課程の学生でも同様でした。しかし、皆さんは、先生になったら今度は一転“する”側にな るわけですね。どうしましょう……。  もうひとつ。よく耳にする言葉の一つ、“○○を繰り返してはならない”という言葉がありま す。この○○にはどんな言葉が入りますか?」  S「戦争」「いじめ」「同じ過ち」  M「そうですね。公害や原発事故もありますね。また、〇〇すべき、という言い方もよくあ ります。しかし、この“○○を繰り返してはならない”と言う言葉を何度も耳にしてはいるも のの、いや、耳にしたせいでかえって、オオカミ少年のように、聞いても全く気にならなくなっ ているということはないでしょうか?ここに、何か教育を問い直す必要を感じます。先生自身 が“自分は飽きていたけれど、やらなきゃいけないからやる”という意識で“毎年のルーティ ンワーク”に陥り“教えたつもり”になると、子どもたちは“分かったつもり”の反応をします。 まるで共同幻想です。学校とは、そういう危険に満ちています。先生自身が、真に理解し、なぜ、 目の前の“この子たち”に“今”、“ここで”伝えるのか明確に自覚しているだろうか、内容は 目の前の“その子どもたち”の発達段階や状況に応じた、適切なものだろうか、もう一度考え てみたいところです。  慰霊の日に寄せて、地域で作文が張り出されていて、その中に“日本は平和だから……”と 何人もが書いていました。子どもどころか、大人も書いていました。沖縄はオスプレイ配備の 問題の真最中で、国内で原発問題も収束していない中、本当に“日本は平和”でしょうか。“戦 争は二度としちゃいけない。だから友達と喧嘩はしません……”という高学年の子の作文もあ りました。これは、子どもの喧嘩と戦争とは全く異質なものであると教わっていない、平和の 本質、戦争の本質を、事実を基に教わっていないということでしょうか。現代の戦争は、尽き 詰めれば、先進国同士の資源や利権をめぐる争いが主原因です。○○族と××族の戦争をとっ てみても、それは戦わせあわされている。決して単なる宗教や意見の違いだけではありません。 ましてや、実は、私達、先進国の国民の暮らし方が、アフリカの内戦の原因になっているのに。 事実も構造も扱わずに〇〇はやめよう、〇〇すべき、と復唱することで終わってはいないでしょ うか。“教えたつもり”“知っているつもり”ではないでしょうか。平和学習の目的はそれでい いのでしょうか。このままでは 70 年にわたって平和学習をしても、戦争がなくなる社会にする 力に、教育はなり得てはいないのではないでしょうか。  レジュメに紹介した、ドイツ人の発言があります。“日本では、子どもたちが環境教育の発表 を立派にするけれど、翌日からの行動は全く変わらないのが不思議だ”……というものです。 ドイツだったら、環境について学習したら、翌日から子どもたちの行動が変わるというのです。 日本の教育では、本当の意味の行動力、自分で考えて、行動を変容させる力……というものが、 育ちにくいのはなぜでしょう?   教科の学習も同じことです。算数も問題の解き方を習い、速さを競うが、なぜそうなのかをじっ くり考えるようになりにくい。国語なら“作文の最後に○○と書いておけば点数をもらえる” と思わせてしまうようなあり方を、私たちは作っているのではないでしょうか? みなさんが

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先生になったら、どうしたいとおもいますか?  教育現場で“命の大切さ”という言葉もよく耳にしますね。大人がよく使うこの言い方は、 どれだけ子どもたちに影響を及ぼしているでしょう。先日、野田総理が、今回のいじめ自殺に 接して、この“命の大切さ”を日本中の子どもたちに向けて、テレビ番組で訴えていました。 いわく“弱い者いじめは、絶対にいけない。相手がいやがることをやってはいけない、相手の 立場にたち、その痛みを感じる心をもってもらわないといけない。”と。私は画面を見ながら愕 然としました。これが“オスプレイ配備はやめてくれ。構造的差別だ、沖縄の痛みと苦しみを わかってくれ。”という切実な声に全く耳を貸さず、原発再稼働反対の声も無視した総理の言葉 であるわけです。いったい、そういった二枚舌の大人の言葉は、子どもに響くのでしょうか?  むしろ本心でない嘘の言葉を聴かせる弊害を危惧します。子どもは本質を受け取る力があり ます。これでまた“はいはい『命は大切』でしょ”と感想文に書くようになるかもしれません。 原発事故後、東日本で“子どもは未来、命が一番大切だなんて嘘じゃないか。大人は僕たちの 命より守りたいものがあるんだ”という子どもたちの悲痛な声をききました。「命の教育」と声 高に叫ぶ前に、私たちは、言葉以上に、大人の有りようそのものが子どもたちに伝わるのだと 肝に銘じなくてはなりません」 2.考察    今回福島で起きた原発人災の教訓は、私達は「与えられた情報」からのみ、「合理的に判断」 しては判断を誤り、まさに「致命的」な過ちにつながるということである。私達にとって明ら かになったことは、外側にあるものとしての与えられた情報だけでなく、さらには人間の視点 だけでもなく、また自分の生きている時間的スパンだけでもなく、それらの情報や視点を総動 員させて、さらには最終的に内なる感性で「正しいと思うこと」を嗅ぎ分ける力が、「いきる」 ためには必須であるということである。  教育というのは、せんじ詰めれば人が人を育てるという営みである。つまり、教員という仕 事は、「いきる」ということと直結せざるを得ない。つまりは、教育においても総合的な判断が きわめて重要となると言うことである。教育において、自分の目の前の、1人の小さな子ども に丁寧に寄り添うことで、その子が、いま、そうである理由や、社会のありようがみえてくる という視点が欠かせないということが、今回の授業実践を行うことで、授業者である宮川にし ても、記録者である盛口にしてもあらためて確認できた。グループワークに取り組む中で、学 生たちから「りくとは友達がいるのかな?」「学校は楽しいと思っているのかな?」「放課後は どうやって過ごしているのだろう?」というつぶやきや質問が、次々にあがった。最初に配った、 りくとの情報には、敢えてそういった要素は書かれていない。自分たちでこれらの要素に気づ き、着眼することは、子ども自身の学校生活、ひいては学力課題の解決を考え、見守る際に不 可欠だ。子どもの気持ちや立場に思いを馳せられる、今回の受講生の柔らかな感性が活かされ ることを期待したい。  これまで宮川が 10 年間授業を担当してきた首都圏の大学では、親や先生の期待通りに懸命に 育ち、「今どき安定した職業」として教職を志望する ( 実際は相当異なるのだが……) 学生によく 出会った。「学校的価値観」を疑わず、教師とは、中立で正しい知識を教え、正確に再生産する ことが役目で、だから、はみ出す子どもは、正しく更生させ、正しく尊敬される先生になりたい、 と入学したての四月当初に、希望を語る学生も少なからずみられた。むろん、それまで彼らが 受けてきた教育こそが彼らをそう育てたのだ。しかし、そのような学生であっても、授業でひ

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沖縄大学人文学部紀要 第 15 号 2013 とつひとつ解きほぐしていくと、本来の彼らの感性が戻ってきた。そうなれば「全体の幸福や 経済発展のために、弱い人の犠牲はやむを得ない」などと、さらりと言ってのけることは少な くなる。それと比較して、今回の沖縄大学こども文化学科の学生には、そのような「解きほぐし」 のプロセスは不用であることが感じられた。これは、個々の学生の経験という面もあるのかも しれないが、沖縄という場の力が影響している可能性もある。この点は、今後、さらに明らか にしていきたいと考えている。  今回の授業において、受講者全員が沖縄県内出身者であることから、彼らの経験を踏まえな がら論じることを授業に取り入れた。それは、沖縄の持つ背景の特殊性や固有の課題を踏まえ ると有意義なことであったとおもう。と同時に、普段の大学の授業の中において、沖縄の教育 や社会を相対化する視点を受講生に投げかける必要を感じる。実際、宮川の行っている小学生 の学習支援において、支援の必要な子どもたちの学習状況をみると、東京で考えられた要領を、 そのまま沖縄で適用させようとするのではなく、もっと沖縄のもつ背景や特徴に配慮のある指 導や支援があったら、と感じることが少なからずあるからである。  今回、宮川が授業で学生に伝えた「教えたつもり」「知っているつもり」という観点や、「当 事者性」という視点は社会問題に限らず、例えば自然科学に関しても当てはまる問題であるだ ろう。例えば、「学校では、生物多様性が大切だと教えながら、なぜ、その学校では、目の前の 個性あふれる子どもたち(生物)を、画一的な型にはめようとしたり、線で区切ったり、相対 評価をして、優劣をつけたりするのだろう?」という問いを持ち、理科の授業を考えていく必 要があると思うのである。 参考文献 石川結貴(2011)『子どもの無縁社会』中央公論新社 加藤彰彦 編(2010)『沖縄子ども白書』ボーダーインク 志水宏吉・高田一宏 編著(2012)『学力政策の比較社会学(国内編)』明石書店 ブルデュー , P.・パスロン , J.-C. 宮島喬訳(1991)『再生産論 教育・社会・文化』藤原書房 「開発教育協会」ホームページ(http://www.dear.or.jp/)2012 年 11 月 20 日  「持続可能な開発のための教育の 10 年推進会議(ESD-J)」ホームページ (http://www.esd-j.org/)2012 年 11 月 20 日

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