臨床の腕を上げたいと願いながらも，それが 容易にはかなわないと日々感じている若手臨床 家のために，不遜なタイトルであることを承知 の上でお話させていただく。本講演の目的は 「臨床の腕を上げたいなら研究活動に従事する のがよい」 と伝えることにある。また，そうす ることがなぜ臨床スキルを高めるかを，説得力 の乏しい自分の経験談をまじえつつ，研究活動 という営みを解剖し臨床との共通性を解き明か す，正確に言えば，理屈をこねることにある。 Ⅰ．あなたの上司は，なぜあなたに 研究発表をするよう勧めるのか？ あなたがこの学会で，上司に勧められて研究 発表をしようとしていると想定してみよう。上 司はどうして，あなたが学会発表をすることを 望むのだろうか？ 「一度はやっておくべきだ」 「何事も経験だ よ」 は，まず考えられる上司の言いようではな いだろうか。上司はあなたに，人前で話すこと の経験値を高めてほしいと思っているのかもし れない。また，「うちの病院のアピールになる」 も考えられる。あなたの上司は，あなたのこと だけでなく，組織におけるあなたのプレゼンス を考えてくれているのかもしれない。さて，「学 会発表をすると臨床スキルがあがる」 ことを理 由に学会発表を勧めた上司はいただろうか。私 は，この考えに賛成であるが，その説明は，と ても長い話になりやすい。だから，上司はつい 「まぁいいから」 で済ましてしまいがちである。 あなたの，やさしいが忙しすぎる上司にかわっ て，私があなたにその理由を伝えたい。 Ⅱ． 学会発表って意味あるの？ 研究で名を 成したいだけでしょ？ と思うあなたへ 卒後 4 ， 5 年ほど，私もこんなふうに思って いた。一方で，私は，患者に対する誠意は人一 倍あるつもりなのに治療の成果がいま一つ，と いう，臨床の腕に問題のある医師であった。事 実，私の治療は成功と失敗がはっきり分かれた が，私の臨床の最大の問題は，失敗ケースの失 敗を挽回できなかったことにあった。先輩に泣 きつくことばかりで，必死に本を読んだりセミ ナーに通ったりしたが，腕は上がらなかった。 私の腕のなさの原因を看破した先輩は，私に， なぜきみは失敗するのかちゃんと考えているの か，という厳しい指摘もそこそこに，「情報を 整理できていない」 「治療戦略を立てていな い」 ことを指摘した。落ち着いて，座って，考 えて，言うべきことをメモにしてみろ，とも。 行動しながら考える私にはこれがとても難し い！世の中には，意識せず練習せずに情報を整 理し，治療戦略を立てられる人がいる。彼らは 天分の臨床家なのだ，とうらやんで，自分を慰 めたものである。 さて，学会発表とは，臨床経験から得られた 情報を整理し，治療戦略とその成果を詳らかに して，専門家たちと意見を交わすものである。 「情報を整理できていない」 「治療戦略を立てて
〈教育講演〉
土屋 賢治*
研究は臨床の役に立ちますか？
はい，たちます。**
児童青年精神医学とその近接領域 60（ 3 ）；365─367（2019） **浜松医科大学子どものこころの発達研究センター **〒431-3192 静岡県浜松市東区半田山1-20-1 **e-mail: tsuchiya@hama-med.ac.jp ** 2018年10月13日，東京大学本郷キャンパス内において開催 された第59回日本児童青年精神医学会総会 「教育講演」 で ある。 ─ 97 ─ 365男性よりも女性に有効か」 などについて分かっ ていることを洗い出す（エビデンスのチェッ ク）。たいてい，私たちは頭の中に詰め込んだ 既知をもとに情報収集を行い，可能性のある選 択肢を絞ったうえで，「この患者は女性で，30 歳代なので，××治療が有効である」 といった 仮説を立て，治療に着手する。さて，説明なし に患者に治療をするわけにはいかないので，私 たちは患者と＜何か＞，つまり 「あなたの○○ 病をどうやって治すか」 という共通の疑問をシ ェアしつつ××治療の有効性をプレゼン，つま り情報の発信を行うことになる。患者にまつわ る臨床情報を網羅し，病気を計測し，その結果 と意味を患者に公開したうえで，あなたの病気 の治し方が分かったと思うのだが，どうですか， と議論を投げかける。ここまでの流れ，つまり 「情報を集め」，「情報を発信する」 という一連 の作業は，研究も臨床もまったくパラレルなの である。患者と治療方法について合意ができな いならば，情報収集の不足（およびそれに伴う 治療戦略の設定の失敗），または情報発信の不備， どちらかが生じているはずである。 Ⅳ．臨床の腕を上げるために 漫然と治療の経験値だけを積み上げても，適 切に情報を集めることができなければ適切な仮 説・治療戦略を立てることができない。適切な 仮説・治療戦略がなければ患者を納得させるの は容易ではなく，治療成果も危ぶまれる。 そこで私は，適切に情報を集める練習，情報 を発信する練習を積むことをお勧めしたい。も ちろん，日々の臨床の中でその練習をすればよ い。ただ，相手が患者である以上，あなたと患 者との相性であるとか，結果を出さなければい けないプレッシャーであるとか，さまざまな雑 音に翻弄され，案外と練習は進まない。臨床に 追われていると，情報を集める時間も限られて しまう。私は，あなたに，研究の時間を無理や りにでも作って練習することをお勧めしたい。 学会発表に向けた準備のためのわずか 3 カ月で もいい。 いない」 当時の私にとって，学会発表はめんど くさいミッションの一つに過ぎなかった。まし てや，研究活動にいそしむこと，論文を書くこ となど，ひま人のすることだと思っていた。あ なたはどうだろうか？ Ⅲ．研究の構成要素・研究と臨床の共通項 研究活動から細かなディテールを取り払って しまうと，その構成要素は 「（科学的）情報を 集めること」 と 「（集めた）情報を発信するこ と」 の 2 つに整理できる。情報を集めるとは， これから知ろう・探ろうとしている＜何か＞ （例えば，統合失調症患者には乳がんが発生し にくいか，など）の周辺に関する情報をしらみ つぶしに集め，＜何か＞について分かっている こと（たとえば，乳がんの年齢ごとの有病率な ど）と分かっていないことを整理し仕分けるこ とを意味する。この仕分け情報をそのまま発信 したものが総説（レビュー）と言われる発信形 式である。一方，分かっていないが知りたいこ と（たとえば，統合失調症における乳がんの発 症率の地域格差，など）を計測し，その結果と 結果の意味を公開したうえで，知りたいことが 分かったと思うのだが，どうですか，と議論を 投げかけるのが原著（オリジナル）と呼ばれる 発信形式である。喚起された議論を経て，＜何 か＞の周辺には，新たな分かったことが積みあ がっていく。研究活動とはこのようなものであ ると，私は理解している。議論に足る発信がで きない場合，情報収集の不足（およびそれに伴 う課題設定の失敗），または情報発信の不備， どちらかが生じているはずである。 臨床も同様に 「情報を集めること」 と 「情報 を発信すること」 から構成されている。臨床に おける情報収集とは，病歴を取り，現在症を拾 い集め，診断することから始まるが，ここに私 たちの知りたい＜何か＞が立ち現れる。最も一 般的な＜何か＞といえば，「この患者の○○病 をどうやって治すか」 という疑問である。そこ でさらに情報収集，たとえば 「○○病と診断さ れた患者に××治療が有効か？」，「××治療は 児童青年精神医学とその近接領域 Vol. 60, No. 3 ─ 98 ─ 366
たちの発信がどれだけ 「暗黙の了解」 を前提と した発信をしているか，気づくことになる。同 僚たちへの情報発信ですら不備があるのだから， 精神医学をほとんど知らない患者に向けた情報 発信に不備が頻繁に生ずるのは，ある意味当然 なのだ。不備を減らすためには，練習をしなく てはならない。学会発表のためのパワーポイン トは，その格好の練習の場である。論文はもっ と高度でち密な練習ができるはずである。 利益相反開示 発表に関連し，開示すべき COI 関係にある企業 などはない。 文献検索，エビデンスの収集を通じ仮説を形 成するトレーニングは，臨床現場でとっさの時 にどのような手段でエビデンスにアクセスすれ ばよいかを身につけさせてくれる。一度，一つ のテーマについて徹底した情報収集をしてみる とよい。世の中のエビデンスの質が，案外もろ いと気づくことになるだろう。私たちがこれま で 「鉄板の常識」 と思っていたことにさえ，必 要な疑いをもつことの意義が見えてくる。そう すれば，一つしか思いつかなかった治療戦略に， 代替仮説としての別個の治療戦略を着想できる かもしれない。さらに，集めた情報，治療戦略 を整理して発信の準備をしてみよう。パワーポ イント資料を作って，同僚に見せてみよう。私 ─ 99 ─ 教育講演 2019 367
