所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性
白
杉
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一
郎
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も も も も も ね も へ も へ かって私は、大塚久雄﹁氏の構威された前期的商業資本という概念の﹃無概念性﹄﹂について、﹁氏は近世の産業資本の も も も ね コ立確にさきだつ時代に支配下であった商業資本を、封建時代一いなさらにはそれ以前一!の商業資本と無差別に、前期
的資本の範疇に一括されるが、9この種の近世商業資本は封建的商業資本とは異り、初めから産業資本の成立に謝して,阻止的であったのではないのではないか。それが最初から保守的な一面をもつていたことは事實であり、時の経過とともにそ
の側面を次第にあらわにし.産業資本め確立期においては明瞭に反動化するに至ったことは事實だとしても、それを初め’
から反動的なものときめてかかるのは非歴史的ではないか。﹂との疑問を提出しておいた︵﹃近代資本主義の成立と商業
一・所謂大塚重曹批判の根本問題﹄、彦根三三論叢、昭和二十三年十二,月、三三一三四頁︶。ここに素描されている私の疑 問を、もうすこし詳しく展開してみたいと思う。大塚氏が﹁前期的商業資本﹂とよぶのは、産業資本の成立にさきだつ商業資本のことである。それは産業資本の成立以
︵註︶後すなわち﹁十八世紀にいたって明白に現れてくるかの近代的商業資本]に封灯するものである。
謡畠いわゆる前期的商業資本は、琵業資本に⋮封立するものとしては、高利貸資本とともに﹁前期的資本﹂なる範疇に一括される。氏は 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一所謂﹁,前期的商業資本﹂の無概念性 二・ い・♪o ﹁資本は所謂前期的費本一商業資本および高利貸資本1一なる形能煽においτは、費本家的生塵方法の登場以前にすでに存在し た。いなもむしろ、かかる形態における資本は、歴更上もつとも古くから存在したところの猛悪の自由な存在梯式であったのである。か くのごとくして、前期的資本すなわち商業資本および高利貸資本は、資本家書生琵方法したがって資木家趾愈以前の存在をしめすもので あるが、さらにまたをれは資本家祉會以前に重いでのみ存在しうるものである。資本家山口壼方法の一般化およびそれにもとつく身内市 場成立の以前においてのみ存在しうるものである。甥言すれば、それは資本家早雪濟体制の成立とともに潜えさらねばならぬのである。 資本の本塁の形態たる窪業資本の確立邊秩の中にそれは没落を余儀なくされるか、さもなければ琵業資本ないし近代的な商業資本・利 カ も ロ 子付資本への範隣的轄化をとげなければ’ならないのである。以上のごとく、それが資本家的融會以前にのみその本來の生存の地盤を有 すること、そのことからして、かかる資本は資本の本甲の彩態たる毒筆資本一−その循環の一部が凋立化せしめられたる近代的商業資本 ならびにそれらの再生麓・流通羅臼を媒介する利エ﹂附資本をもふくめて⋮1より匿呈しτ特に﹃前期的﹄費本とよばれるにふさわしいも のである。﹂と︵﹃所讃罰期的資本なる範疇に就いて﹄亀﹃近代資本主義の系譜﹄一−二頁︶。 このように、大塚氏の見解においては、いわゆる前期的資本は概念としτは産業資本の成立にさきだつτ一切の資本を濾括するはすで あるが︵﹃前期的資本の歴史的性格﹄、﹃近代化の歴史的趨点﹄五三一五四頁至論︶。氏が問題としでいるのはもつばら﹁封建的な前期的資 本﹂である。すなわち、﹁本鞘、封建的基礎過崔にその根接を有し、しかして初期資本主義時代にはこれに相幸するところの封難的な地 も ら し 盤の残澤の上に足場をもつことによって多かれ少かれ幾存し、ついに製、建的なるものをすみすみにいたるまで止揚するところの正常的産 ∼ 業革命にいたってその生涯をおわるところの前期的・資本︹商業資本・高利貸資本︺﹂である︵﹃初期資本主嚢に於ける所輸賄﹁濁占﹂に就い て﹄、﹃系譜﹄四六頁︶。 虜 も も 別の個所で臓、こうもいわれている。 ﹁そもそも前期的資本とは、周知のように、.資本寒生重したがって琵業資本の確立致鮪に、かつ も む 以前にのみ,その本來の繁榮期をもつところの﹃資本範陰﹄でめるQかさねτ直載に規呈すれば、﹃本望の資本﹄すなわち産茱資本なら も へ し びに近代的な商業資本および利子付資本が﹃資本制生琵麺挫﹄の上に立つに封比しテ、、 ﹃前期的資本﹄すなわち前期的商業資本および高
殉
履
も セ も む 利貸貸本は、むしろ資本主義的ならぬ﹃封建的生壼通盆﹄の上に本志的な足場をもつものである。﹂と︵﹃株式書芸叢生史論﹄、上、二六 −二七頁︶。一見られるごとく、氏の見解においでは、近世にはいって・しかも隠男貸本の確立するまでの時期一いわゆるマニュフ セ リ セ ヤ アクチユア時代一の商業資本が、封建時代のそれと無差別に・ ﹁封建的な繭期的資本﹂とされているのである。前期的商業資本と近代的商業資本との加蓬は、前者が﹁非合理的一投機的︵維至重的には不等債交換︶﹂であるに封し
て、後者が[,合理的11経堂的︵維濟學的には等債交換二であるところにあるとされている○.系照臨﹄一〇二一三頁︶。 一層詳しくは、別の個所で、前期的商業資本としての﹁前期的商品取引費本は如何にして徐蒲郡佃を作出するのであるか﹂と
カ へ 問うて、氏は答えている。 ﹁直裁に表現すれば、それはまで流通行程の内部においてのみおこなわれる取,引、換憂.ロすれば も も へ も 購買および販賞によって作られ、.次に最終の取引たる六甲によって實現されるのであって、いわば商人の騨.譲渡利澗﹄として作毘されるのである。他の語をもつてするならば、伴産物の交換せられる分量比例が偶然的・投機的であり、非等領
へ も 的であることによって、異った讃地方における生産、風格聞の差額をば商人は肖己のものとして抽患するのである。このゆ えに、﹃商業上の利潤なるものは輩に商略および欺麟として現れるのみでなく、大抵この原因から生するのである。﹄いわ ヘ セ ぬ ば︸つの法則蘭な款嚥である。﹂しかして、﹁右のごとき⋮⋮利潤作出の非法則的姓格からして、商業資本の強力的・掠奪的性格をまた導き出される。商業資本の支配下にあっては、干和的な交易は客観的事清の如何によっては突如として暴力
的掠奪に豹恕しうるのであって、﹃商業資本は何時・何庭にても暴力的掠奪−1例えば海上私署捕や奴隷の掠奪や植民地
征服てう姿をもしめし江のである。ヒと︵﹃所謂前期的資本なる端部に就いて﹄、﹃系譜﹄九.政︶o また、いうQ ﹁商業資木は、軍に流通の表面において、市場形態の未−焚蓬より生する不届煩交換開係を利して、利潤を抽出する。すなわち、未だ低度なる地方的分業しか存在せす、商贔・貨幣維濟は未護達であって、したがって等煩交換閥
駈謂﹁前期的商業資本﹂の無概念挫 三 齢所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 四 . −
係︹一領値法則︺の確疏なく、不等債の交換が支配的であるというごとき流通機構、客観的にはかかる機構を通じて、母
親的には商人の商略ないし欺隔によって、封建的除剰生塵物の嚇部をば、いわば寄生的に、 ︹前期的︺利潤・貨幣の形態 で抽出するのである。﹂と︵﹃初期資本主進に於、ける所謂﹁猫占﹂に就いて﹄、﹃系譜﹄四七頁︶。二
おもうに、商業資本というものは、いくら近代化したと二ろで、純粋に﹁合理的H経警的﹂すなわち﹁等債交換﹂的に
なるものではなくて、﹁下限理的一投機的﹂すなわち[、ボ等債交換﹂的なところを残すものだといわなければなるまい。マルクスは書いている。﹁商人資木の運動はOi毛一O、であるから、商人の利潤は第︸には流通過程の内部にのみおこる
取引によって作られる、したがって購買と販費の二つの取引によって作られる、そして第二にそれは最後の取引すなわち
販萱によって實現される。したがって、それは護渡利⋮覇︵<Φ﹃一二鴇ΦN犀β傷窟,◎甑ジ℃No噛蹄qOo灘鋤麟①昌鋤臨。嵩︶であろ。生薩物がその慣偵で壊費されるかぎり、純粋の巣立した商業利潤は一見したところでは不可能であるように思われる。安く買
って高く隣るということが、商業の法則である。したがって、等憤の交換ではない。棚商つた諸人晶はみな言値であり・
したがって貨幣であり・質から見ればひとしく二黒的跨働の炎現であるというかぎりにおいて、商業のなかには泥岩の概
念がふくまれている。しかし、これらの商晶はみな和等しい債、値のなきさというわけではない。生産物が交換される量的比例は、さしあたっては遅く偶然的である。生産物は、それが一般に交換されうるもの・すなわち同一の第三者の表現で
あるかぎり、晶晶形態をとる。縫績的におこなわれる交換と交換のための規則ただしい再生産とは、次第にこの偶然性を
止揚する。しかし、さしあたっては、生産者および蓋付者たちに薄してではなくて、贋者の媒介者すなわち貨幣学徳を比
較して茅額を手に入れる商人に注してである。商入は彼の運動そのものによって等便性︵諺①ρ三くp。一①濤︶を確立する。﹂と ,、 (『
?{論﹄第三巻第四篇第二十章﹂。これはけっして、いわゆる前期的資本についていわれたことだなどといいのがれる
︵註︶, ことを許さないであろう。 謡 レー商ンは、商業資本の分林に封ずる力法上の注意をあたえτ、いっている。 ﹁いうまでもなく、實際、買占業者の利潤はしば しば大量墨描質の上値と小販費の償値との差額にはけっしτとどまらない、iそれは産集資本家の利潤がしばしば勇進勢賃の擦除よb なるのとまさに同橡である。それにもかかわらす、薩業資木家の利潤を説明するためには、我々は勢働力がその實際の三値て販費される ものと假”糊しなければなら82。これと同檬に、買占業者の役割を説明するためには、我々は、生産.朝の買入と販費とが彼等には製品交換 の一般的法則によっておこなわれるものと假走しなければならぬ。商業資本の麦配のこの紹園芸原因のみが、商業資本が管轄においてと り且つきわめてありふれた詐欺も不國にそのなかに見受けられる︵このことはなんら疑の余地がない︶ところの挿々雑多の形態を理解す るための鍵をあたえうるのである。これと二二の二度をとること、i通常ナロードニキがするように一すなわち﹃クラーク﹄の職⋮着 を指摘するにとどまり、かっこれを基礎にしTこの景象の輕濟的性質の問題を全く二親することは、俗流紳濟學の見地にとどまることを 意味する。﹂と︵﹃ロジァにおける資本宝義の叢展層岩波文庫版、下、四三頁︶。ーレ三脚ンのこの注意にしたがって豊田四縣氏が、大 塚史學のナロード昌キ的誤謬を指摘し、つぎのごとくいっているのは、正富である。﹁﹃大塚史學﹄は、 ﹃前期的﹄資本︵商業資本。高利 貸資本︶も産業資本もともに、利潤を得て異るための商品の購入という一般的公式に包括される伺型の乱書現象であることを理解しな いQだから、商業利潤を⋮肌なる﹃商略﹄や﹃儒幽﹄や﹃﹁鵜上戸強制﹄によって説明し、その紅熟的本質を見ようとしない。商業資本は大 量的販貞の債値と小販賢の償値との差額から利潤を引き愚すものであるから、あくまで生謡物一の買入と販萱とは商贔交換の一般的法則に おいτおこなわれるということを前艇として利潤の形態を説明セねばならぬ。小商品生薩者に偏する商業資本の支配は、このような経濟 的原囚i分散的な小門賢に封ずる犬量的な大竃費の.純終濟的優越惟にもとついτうち立τられるのだ。﹂と︵﹃准’曽終濟.契學の根本問 題﹄ 五六百執︶O同様に、産業資本確立以前の・すなわち財謂前期的な商菜資本といえども、純粋に﹁非合踊的11投機的﹂すなわち﹁不
所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 五所覇鯛﹁凡罰湘朋的商業ハ資本﹂の聴慨へ芯性 六
等償交換﹂的とのみはいいきれないのであって、﹁合理的H劇論的﹂すなわち﹁等偵交換﹂的の側面をももっといわなけ
ればなるまい。 なるほど、マルクスは書いている。 ﹁商業製本が黒砂馬験態にある共同体の生産物交換を媒介するかぎ り、商業利潤は輩に詐欺と隔着へq①σ9。く。昌①讐p事々乱曲、吋亀目蝕︶としてあらわれるばかbでなく、大部分はそれらから牛じてくるのである。⋮⋮未護展歌態にある共阿依の4∵産方法ぱ商&資本が除剰生難物の厭倒的部分を占有するという結
果をもたらす。それは一部分は商人資本が、その生産がまだ本質的には使用債値にむけられており・かつその終柔組織に
とっては一縦に流通にはいる生彫物部分の販責:一したがって一般に生詰物のその興業での販資1が第二欠的の亜要性
しかもたないような諸共同体問の介入者であるからであり、一部分はかくのごとき初期の塗産か法においてぱ商人が取引
する除剰牛産物の・王要所有者すなわち奴隷実有者や封建領tや國家’たとえば躯洋の専制君主︶が享樂的の富を陳列し、 商人はこの富に罠をかけるからである、⋮⋮。したがって厭﹂倒四則気配灌をもつた商業資本︵国曽p畠07犀簿O国論貯忌σ①﹃≦δ− 強①pユ①﹃瓢ゆ誕の。プ糊津︶はいたるところに盗掠の制度︵虫poQ<舞①ヨニ嘆℃三口αo﹃β資職︶を呈示する、そしてその官展もまた新蕉、雨時代の商業民族において暴力的な盗掠や海上掠奪や奴隷掠奪や︵殖民地における︶征服と直接にむすびついてい
る、カルタゴやローマにおいてそうであり、後にはヴェニス人やポルトガル人やオランダ入などのあいだでもそうであっ
’ た。﹂と︵前掲所︶。しかし、マルクスはこの種の商業資本についても、それが・﹁異った昏々の生産適格のあいだの差額を 搾取する﹂ことによって、同時に﹁商品言値の杢均と確定︵♪器ぴq蚕。び§駒臣民閃①2ωΦ詩録簿α2志学2毛①昌Φ︶に影響 ︵註︶をおよぼす﹂ということを見のがしてはいないのであるQ
も も め し 謡 ﹁マルク弘はここで、﹃商業貸本の猫撫せる喪達は、肚裡の一般的な紳濟的疲達と蓮比例する﹄⋮⋮という法則を、三界史的観点か ら實証するために、商業資本の利潤に言及している。そしで、、商人が紹濟的捜達が低く使用償値をめあてとしで生産をおこない・惰、値ど おりの生塵物の重鉢は從鵬的意義しかもつでいない御事体制聞の一かつ享樂的の交換を媒介しでいるかぎり、彼等の﹃利潤﹄は﹃輩に● 商略および翁面としてあらわれるのみでなく﹄、實際にもそうであったといっている。しかし、その際マルクスばけつしで、﹃高掌剥潤﹄ し ね の本質は﹃商略および儒賄﹄にもとつく、いわんや﹃儒朧﹄は商業資太−の﹃法則﹄︵大塚氏︶などとは、いっていない。大塚氏の誤りは、 一定の歴史的獲達段階における商業資本の﹃偶隔﹄性を指摘したことにあるのではなく、これを商業利弊に固有な木質としてしまったこ とにある。商業利澗も純輝濟學的に説明きれねばならの。L︵豊田四郎・前掲九一−九二頁︶。 三 大塚氏も、ある心地ではほぼマルクス溌の線にそって、いっている。 ﹁前期的資本が蝶って立つところの地盤は、商晶
・貨幣が擁護蓬であって、特に地方的分散諸市場馬下岡において不等債交換が支配的であるごとき流通機構であった。
が、これを他面から言いあらわせば、商晶・貨幣経濟が次第にその範拭を櫃幽し、密度を塘大しつつある進展の過程の、
いわば過程的歌態である。しかして前期的資本はまさにかかる流通・市場の護達を媒介し、もって曝露・貨幣経濟の進展
を促進するのである。ところで、かくして商品・貨幣経濟がその範域を撲止し、密度を塘たすることは、ほかならぬ等偵
交換關卜すなわち一市場一債値法則の確義への傾向を意味する。﹂と︵﹁初期資本・モ養に於ける所講﹁蜀占﹂に就いて﹄、 ﹃系譜﹄五一一五二頁︶。しかし、この思想を氏は堅持していない。ウエーバー的類型的な物の見方にわざわいされてであ 辱 る。 おもうに、現實に存在するものは純粋に類型的なものではなくて、もろもろの類型の複へほ沐であるのをつねとする。勿論、五爵を把握するためには類型を構成しなければならない。しかし、類型をもつて現行態と考えては大聞違である。い
わゆる前期的商業資本が多分に非合理的側面をもつことは否定さるべくもないが、しかし、だからといって、合理的側面
を全然歓如しているなどとはいえない。もしそうだとすれば、商業というものは歴史上なんらの進歩的な役割をもはたし
所⋮謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 七ワ 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念怪 . 讃
えなくなるであろう。いわんや、近世の所謂マニゴフアクチユア時代の商業資本は、純粋に封建的性格のものだなどとい
うことはできない。それが多分に封建的性格を有し忙ことは事實だとしても、それと同時に近代的性格をも併有していた
と考えなければならぬ。 −
おなじ商業資本にしても、純粋の封建的生塵方法を基礎とする場合と、近代的マニユフアクチユアを基礎とする場合と
では、その性格に寝違があるはすである。︵おなじことは、これらの生淀方法を悲礎とす6ものと、奴蘇制生産方法を基
礎とするものとの間にもいえるはすであるが、當面の閂題はそこまで湖及することを要求しないであろう。︶たとえば、
の
﹁それ︹商業資本︺はすでにはじめより潜在的に猫占的性質をもつていろのであるが⋮⋮中世末期より近世にかけてそれ
は露骨な猫占的買占資木⋮⋮としてあらわれた。しかして、かかる濁声の維持はまさに専制的支配を要求する。そこで商
業資本は必然的に専制龍義︵♪σωO一=畠冒。﹁昌二ω︶の政治的性質を露骨にしめすのである。﹂といわれる場合︵﹃所謂前期的資本 なる範疇について﹄、﹃系譜﹄二七百ハ︶、それはマニユプアクチユア時代の商業資本にも愛黙する。しかし、おなじような猫占的傾向にしても、ギルド的猫占と重商主義的猫占とは異るのであって、前者は純粋の封建的生産方法を基礎とする商
業資本の傾向として政治的には封建的政治的樺力とむすびつき、後者は近代的なマニユプアクチユアを嘉禄とする商業資
本の傾向として近代的アブソリューティズムとむすびつ−く。近代的アブソリューティズムが封建的性格を残しているとは も も へ も カ いえ純粋の封建的二二ではないのとおなじく︵くわしくは拙著﹃開封宅義倉批判﹄参照︶、 マニユフアクチユア時代における重商主義的商業資本の政治的性格を風声に封建的と規定してしまうことはできない。
大塚氏は、 ﹁いわば﹃封建就含昌に寄生し・しかしてその﹃脂肪﹄として上麿に凝辞するものであること、そのことから前期的資本が封建的槽力へ・土地領主へ心身せんとする傾向があらわれる。彼等はつねに資本家・商入たることをやめ
て土地所有者に生身し、あからさまな封建的標力者として封建的厭會体制の一環となる傾向をもつ。これもまた前期的資
本の根本的特質のHであり、しかしてその封建的性格・保守性・反動性がここにもっとも露骨に爵てくるのである。﹂と
いっているが︵前掲、﹃系譜﹄二八、頁︶、前期的資本について指摘されるこのような封建的性格は、マニユフアクチユア時 代の重商主義的商業資本については.竹縁性をもたないのである。事實、氏の場合においても、このような封建的な政治的性格をしめす商業資本の例は、tとして大陸とくにドイツに求められている。私は、すくなくともイギリスにおいて典型
的な護展をとげたマニユフアクチユア時代の重商主義的商業資本については、このような封建的性格を指摘することは無
理だと思う。もっとも、くりかえしいっておくが、マニユプアクチユア時代の商業資本も封建的性格を蚕然もたなかったわけではな
いのであって、政治的にもそれが結びつくアブソリユ1テイズムが封建的な側面をもつていたごとく、そしてそのがぎ
り、封建的な側面をもつていた。しかし、この時代のアブソリューティズムをもつて﹁封建的絶封主義﹂などと規定する
ことは︵たとえば﹃近代化の歴史的起獣﹄一四〇一四一頂参照︶、ただしくないハ前拐拙著第三章典一節参照︶。けだし、それはけっして輩なる封建電槽力ではなく、近代的市民的勢力の封建的勢力との愛協によって威渇したものとして封建的
な側面を残してはいたが、書展段階からいえばどこまでも近代に屡するものであったからである。
四大塚氏かいわゆる初期資本主義時代の商業資木に近代的性格を認めることを拒否すろのは、それがマ晶ユフアクチユア
に基礎をおいていることを確認せす、それとマニユフアクチユア的産業資本との關係をもつばら野立の側面においてのみ
考察することに毒害する。すなわち、氏は、いわゆる初期資本主義時代における商業資本と産業資本との吉言について、
つぎのごとくいっている。 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 九◎
所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一〇 ﹁古い形態の商業資本は費本宅義︹生産︺の重富にさきだつで、むしろかえつで資本室義の夫護達の時期に整いてすでに、いなその時期 にこそ、本丁的な繁榮をとげているものであり、かつその畿達は資木辞義︹生産︺展開の一の前提條件をなしたものである。ところが、 資本主義すなわちその撚い手としでの産業資本が次第に展書してくると、こんどはがえって次第に自らのよつτ立っている地盤をほわく すされ、それにともなつτ、はじめは自らが支配しでいた琵⋮業資本の利害にかえって從崩せしめられて⑰き、聾極におい⋮しは琵業革命と も も も も ともに、古い形態の商業資本としτは完全に没落するか、あるいは謹業資本に完全に屈服せしめられて近代的な商業資本に韓化するとい うこととなるのである。こうしで、商業資本と琵業資本とは、勃然に相開蓮し相絡みつつも、赦會的にみて、かかる露一二aハ、hよ︶︹ぞヒの關 係に立つのであって、この害者の碁立ないし叢書は黙想革命にいたるまでの初期資本宝義の特質をかたちすくっている。﹂と︵﹃十七世紀 に於ける東印度貿易と新大陸貿易との樹立﹄、﹃系譜﹄一三入頁︶。
ここに﹁古い形態の商業贅、本﹂とは、いわゆる初期資本主義時代1すなわちマニユフアクチユァ時代i一の重商主義
的商業資本にほかならないQそれについて注意すべきは、それが﹁はじめは自ら﹂産業資本を﹁支配していた﹂r阿れ
はた六下の認めるところであるーーばかりでなく、マニユプアクチユアを﹁自らのよって立っていろ地盤﹂としていたこ
と!これは氏のはっきり認めていない黙である一iである。マニユフアクチユア時代の重商宝遅的商業資本は、直接的
ではないにしても、すくなくとも間接的・國民維済的にはマニユフアクチユアを存立の根抵にしてい忙。したがって、そ
れとマニユフアクチユア的塵業資本との關係は軍に封立相克のそれではなくて、和書依存の側・mをもち、前者が後者の利
害を代麦するという局面をもつたのである。もっとも、氏もまた爾者の關係を軍に封立柑克と見たのではなくて、すくなくとも維過的には相五依存の鯛面のあった
ことを嘗める。しかし、氏においては南者の栢五依存關係はどこまでも流通部面にかぎられるのであって、近世初期の重
商主義的商業資本がマニユフアクチユアを自己の嫁って立つ生・産的地盤としたこと、そしてそこにかかる商業資本の近代的性格が讃みとられなければならないということは、氏の承認しようとしないところである。すなわち、氏は別の個所に
P亀 いっている。 ﹁近代資本宅義的な生産下館、その至休廟社い手としての蓬業資本が歴史の舞台の上に初めて登場し驚とき、それはひろく展悶された前 も も 期的商業資本を見出し、しかしてこれをます﹃販路の問題﹄のゆえに自已の存在の前提として承認し、これに依存せねばならなかった。 も も また藤來の商茉貸本の側にわいても、商品取引の量が資本主義野生謹形熊の膳開によって撞写せられることは一罎有利であった。しか ね い セ も も も も も カ して、そのかぎりにおいて、爾者の・商業資本仁悪業謡本との・縛過的な相充依存關係と結びつきとが成立した。このことは初期資本t へ も も も も も 義時代を涌⋮じてけ一の特性をかたちづくっている。しかしながら、他面においてこの爾者は努極において歪く相容れないぎチ煮︵^7ラ︵︸条・﹃ の關係にある。というのは、前期的商業資本の嶽って立つ生葦簾地盤はそもそも封建的なそれであり、産業資木のそれは輯建的とはおよ し も も へ ね も そ相容れない押元的に異るところの資本t装的なそれであったからである。このゆえに、重苦の利害轍七三的には一致し結びつくもので も あったにもかかわらず、究雄にむいて衝突せざるをえなかった。ことに蓬業装本が、その生際的某礎としてのマニュ7アクチユァが、全 齢師に展開してくるときそれは遽けが穿なる。したがつ天この商業資木と塵土資本との蟄は初期資本妻時代を通じて含つの特 もセ る ロ ももヵ 質であって,結局正常的三業革命の紳過の後に、野業資本の勝利と、商業資本の從驕と完全な近代化とをもって絡りをつげるにいたるの である。﹂と︵﹃初期資本主義にむける産業脊︹本と商業資本との塗立﹄、﹃系譜﹄一六三−六四頁︶。
産業革命にさきだつ・近世のいわゆる﹁前期酌商業資本の撲って立つ生産的地盤﹂を一律に封建的ときめてかかるの
は、あやまりである。地理的大護見によって成立してきた近世実世界商業とむすびついた商業資本は、すでに、封建的
﹁前期的﹂商業資本とは異った性格をもつていた。それは資本・E義的生塗形態の前提であると同時に、その嚇結であっ
し た。 ﹁奮來の商業資望﹂は資本主義的生実形態の展開とともに、それに臨じて、漸次、自己を墾.賞せしめていった。 ﹁完 セ 全な近代化﹂は産業革命をまたなければならなかつ江としても、近代化の過程はすでに近世の開幕とともにはじまって’いる。近世における﹁商業資本と産業資木との・経過的な和五依存叢叢と結びつき﹂は、なるほど,販路を契機として成立
へ ね もしたものではあった。しかしながら、販路は近代的な資本至善悪戯生産過程の構成契機である。その側面から見てゆけ
所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一一 ¢ 、轡 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 =一
ば、業者の相亙依存關係は、國民意濟として杷握されうる近代的な資本主義心礎生産過程のなかにその根曳をもつてい
る。國民経濟的には,初期資本主義時代の重商主義的商業資木は、マニユフアクチユアを生産的基盤としているといって
よい。爾者の利害の一致が﹁絆過的﹂であったことは、事實である。しかし、それが経過的たらざるをえなかつ仁のは、
爾者の擦って立つ生産的地盤か異ったからではない。近代的な資本宝義的生岸形態の爽展が、かつては産業資本が﹁自己
も らの存在の前提として承認し・これに依存せねばならなかった﹂商業資本を、産業資本に依存し領事するにいたらしめたの
は、あたかも、木來的には商業資本と両立しが難い封建的生産方法が獲展してゆくにつれて商業資本と結託していったの
とーー逆ではあるがi同様の論理なのである。商業資本と産業資本との焚展の乾熱法的關係は,大塚氏の叙饗している
とおりである。しかし、このような陶係か成立するについては、その根抵に、達者が共通の地盤一すなわちマニユフア
クチユアーの上に立っていたというところがあったのでなければならない。その局面から見て、私は、いわゆる初期盗
︵註︶木主義時代の商業資本に近代的性格が認めらるべきであると鋭署するのである。
註 この点は、從來、大塚更學批剣においτあまり問題にされてこなかった。林健太鄭氏がこの点に注意し、 ﹁近世初頭の障碍資本の 役割を一般的な商業資本の概念規定をもつて、すなわち大塚氏式の﹃前期的資本﹄の規走をもつて、かたづけることはできない﹂という にいたつア・いるのはb一つの泄歩だつたと思う︵同氏﹃西洋近世史の根本問題﹄、唯物史槻、二、一九四八年四月篭八二頁︶。 氏はまた、こうもいっている。﹁近世初頭の置去資本は、事實,そのものとして封建肚會を婁草し、新しいものを生み出す作用をし も カ も たのである。それは過渡的な存在であったとはいえ、しかもなおそうである。そして、そのかぎりにおいて、それは封建宝義に野抗する ﹃ブルジョアジー﹄の一翼であり、ある特定の時代においてはその主流でさえあった。それはけつしτバビロニアの・また古代ローマの 商柔資本とは岡一ではない。我々は、マルクス・エンゲルス・レーニンの歴史叙遮の中で、﹃ブルジョアジー﹄が語られるとき、そこに はしばしば商業資木かその中にふくまれているのを見る。﹂と︵同八七頁︶。 ’ 飼なお、同氏の一﹁商業資本の優位性はマニユプアクチユア時代にはしかく乱軍に排除されるものではなく、むしろマ禺ユファクチユ ア時代には一その技術的基礎の挾隙のゆえに;その時代を通する宿命であり、それは忍業革命によつではじめて排除されるものであ る﹂という認識も︵同入八頁︶、適確である。 五
要するに、私は、近世のマニユフアクチユア時代の商業資本を,封建的生産方法iさらには奴慧鮮紅滞方法−一を基
礎とするものと無差別に、﹁前期的商業資本﹂という語で一括するのは、あやまりであると思う。﹁前期的﹂という限定
セ た へ も が、産業製本の確立にさきだつという意味であるならば、近代的な﹁前期的商業資、本﹂が−i私はそれを重商・モ義的商業 , ①資本とよびたいのであるが︵拙著﹃近世西洋経濟史研究序溌﹄ =ハ四頁その他︶−1ありうるわけである◎これはもう
封建的生産方法を基礎とするものではなくて、近代的なマニユプアクチユアを基礎としているが、まだ岸業資本に從属す
るにはい九っていない。この種の商業資本iその典型は外國貿易に從事する商業資本であるが−1は、内部維済的・資
②本的には必ずしもそうではないが、外部経濟的︵剛民直示的︶・政治的にはむしろ産業資木を追尋に從騰させている。産
業資本は、マニユフアクチユア的形態をとっているかぎり、このような限界をもつのであって、この限界を超克すること
が塵業資本の確立にほかならないのであり、それは工場制慶の確立をまってはじめて可能となるのである。
註① 大塚氏もはじめは私が霞商二義的と特徴づけるような近代的商業資本の存在に留意したようである。しかし、氏がその後これを 護喫せしめることなく放棄するにいたったのは、それが﹁質業資本︵したがって近代資太・﹂王義︶の席史的形成に際し﹃前期的資本﹄がそれ 自体として何等か主体的意義をもつた﹂というふうな考えにもとづいて構成され︵﹃系譜﹄序文二頁︶、﹁一方b純粋型前期的資本の循⋮環 と、他方、本機の﹁産業︺資本それ自身の循環と繭者を輕過的にそのうちにふくみつつ、これによって殉者より㎜鷹匿別せられる⋮⋮特 殊歴史的な循環形態をもつ資本﹂というような規定をあたえτ、個別資本内部における爾資本機能の結合に電点をおいたためではないか 所謂﹁前期的商業費本﹂の無概念牲 一三所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一四. と考えられる︵﹃所謂前期的資本たる範疇に就いて﹄、﹃系譜﹄四=一頁︶。奇くのところ、このような概念をもつて把撮される現實熊は、 精々、﹁問屋制による家内工業支配の乳業資本建玉能を出戸にそなえたマニユプアクチユァ﹂一いわば問自制マニユプアクチユアといっ たものでしかありえないであろう。 大塚氏は、この段階においては、右に述べたごと♂、商柴素本と立業資本との﹁共棲的關係﹂を、主としτ,一個別資本内部における 爾資本機能の﹁共生体的叢論﹂においでとらえて、いっている。﹁資本書生蓬が未だマニユファクチユア無形能喝をとるかぎりにおいでは、 それは未だ古き封建的基礎過程を、すなわち前期的資木存在の地盤・前提蔓立件をすみすみまで揚棄しつぐすにはいたらないために、初 も も も 期資本主義の時代においでは、前期的資本が多かれ少かれつねに残存し.その利澗の分前にあでかるのである。それのみではない。初期 も ぬ も も 資本宅義においては、特にその早期においては、前期的資本は商品生簸・流通の援大を足場として量的に増大さえしつつbかっ淺柴資・本 と緊密にからみあい結ひついτ現れる。なセかなれば、玉出嚢本︹マニユファクチユァ所有者︺は,國内市場の未成熟・前期的市場形態 る の置土な残存の⑰えに、﹃販路﹄・實現・の剛凹題については、罰期的資本の存在を.小可敏な前提とせざるをえないし,また前期的資本にも、利 も へ も も も へ 潤抽出の可能性・地盤の事大りゆえに・西霞資本︹マニユファクチユァ︺のある蹉度の展開は一慮有利なる條件たるからである。かくし て、初期産業資本︹マニユプアクチユァ︺は一度前期的惇日本と和解し互に。ミ身しつつ現れてくるのみならす、 それ自身蓬楽資本櫓能と ともに前期的資本機能をもその循環の中に七二するところのいわば共生体︹砿鴇三蓋。お︺として存在する。例えばそのことは、この時代に おいでマニユフアクチエァ資本が亀寄生的商館資本の小商品生産交配の形態たる問屋制家内工業と結びついてあらわれでいるのみなら す、さらに一部はあらわに前期的貸大・機能を包零しでいることによっても知りうるであろう。私はかつτがかる循環形態をしめすところ の資本を﹃初期.其本﹄︵序亀三︶坤ドニ︶とよび、これを初期資本主義分析の基本的概念なりとした。﹂と︵﹃初期資本主義に於ける所謂﹁猫 占﹂に意いτ﹄、﹃系譜﹄五七一五八頁︶。一しかしながら、初期資本主義時代の特徴としτ重要なのは・商業資本と塵業資本とが濁立 も セ へ た しながら・しかも緊密な連繋をたもち、瀧害的に﹁共生休的﹂ないし﹁共捷的﹂な開係をもつていることであろう。氏はこの側面を全然 看拠しているわけではないが、そこに重点をおいでいないように思われる。
も も し 私は、重商主義的と特徴づけらるべき・マニユプアクチユァを祉量的生藻的基礎としでいる慧味において琵業資本と共旗酌.繭係をもつ ね も へ た・近代的商業資本の存在を宝張するけれども、明言しτおくが、それが工業資本の歴.史的形成に際して宅休的意義をもつたなどと主張 するものではない。また・それはマニユファクチユァを共礎としており、したがって産業資本とのあいだに舞温的な﹁侠血的關係﹂をも っと考えはするが、それはどこまでも國民心量的に見ての話であって、この資本そのものの内部で産業資ナ的磯能と商業資本的機能とが 結合されている点に震点をおいてなのではない。重商主義的商業資本は﹂本質的には内部約濟的・資本的にではなくむしろ外部豊野的 モ も も も カ も も ︵國民緯濟的︶・政治的にマニユファクチユァを墓礎とした商業資本なのであっア、、産非資本形成の﹁土体的推進力﹂とはいえないにして も も も も も も、その客観的條件創出の推進力であったというのが、私の童張せんとする要点なのである。 大塚氏は、初期資本というような瓶念を放簗するにいたった後においても、私が近代的・重商通義的と特徴づけるようなマニユプアク も も も め も む へ も も も も セ し た も も チユァ時代の商業資本を・方法論的にはそれ以前の商茱資本とともに前期的商業費本の範疇に一括するけれども、具体的な史實を泊求す も も セ し も ソ も るにあたってはそれに近代的な性格を認めることを余儀なくされτいることは、注口さるべきである。﹃近代漱洲紹濟史序説﹄に見られ る﹁窮民的商入唐﹂という面前の構成がそれである。しかし、その場合にも、上述のごとき方法的見地の不確立のゆえに、この範疇の近 代性がもひとつはっきり確認されるにいたっていないのである。 騒② 本意的マニユプアタチユァ時代が商業資本演義時代とか重商主義時代♪、辱どとよばれるのは。はじめから産業資本家斜生麗者に 議して・1i彼簿が自分を絆−篤しないで直接に﹁輪呂商﹂とむすびつこうとするところからーー下露的態度をもつてのぞむ問屋制商業資本 ではなくて、 ﹁乱逆商﹂というような形をとってあらわれる・外國貿易に忌事する商業資本に注目してのことでなければならないQ大塚 氏は、ある初期の論文のなかに、﹁いうまでもなく、商業鶴木の麦藁的であることと、マニユファクチユァの支配的であることとは、 上げ享量?準正ではない。反磁に、マニユファクチユアの支配的であることは、つねに、商業資本の支配的てあることを意味する。十七世 紀および十八置古前牛のイギリス・オランダがしばしば﹃義塾資本宅義﹄とよげれτいることに注意せよ。﹂といつず、いる︵﹃所謂前期的 資本なる範疇に幽いで﹄、﹃系譜﹄四韻ー四三頁︶。ここにいう商渠資本が問屋制商業資本を基軸とするような所謂前期的資本であるなら 所謂﹁前期的商業資本﹂の無橿念佐 一五 ■
所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一六〇 ば、この立言は背理であろう。そうではなくτ、それを外土貿易に從事す呂電野老菱的乱塾資本の意に解するならば、この立言は貢翼な 虞理をいいあでたものといってよいであろう。しかし、氏は、この種の商業資本を範聴化しなかったところがら、その後の研究にむいて この見地を堅持しデ、ゆくことができなかった、いな忘却してしまうのである。
いうまでもなく、重商主義的商業資本に注目した場合にも、.陛業資本の確立iすなわち牽業革命i以前の商業資本
が保守的な性搭をもつていたことは否定しがたい。そして、産業資本の確立期においては、それが明瞭に反動化してきた
ということは、否定することのできない事實である。しかしながら、それが最初からなんらの進歩的な役割をもはたすこ
①
となく、’最初から墨守的反動的であったとなすのは、非墜史的であろう。歴史上のある段階において進歩的な役割をはたしたものが、雁史の進展とともに次第に保守的となり、ついに反動的となりおわるのは、歴史の辮誰法である。産業資本
形成の主体的推進力だとされる中産的生産者居についても、氏白身が、その分解がようやく顯著となりはじめる﹁十七濫
紀後牛頃より、そもそも産業資本形成への推進的t記号をそのうちに内織するはすの中産的生産者層がかえって漸次に保
守的性格をしめしはじめ、それはまずます張まり、ついに産業革命期にいたって全く反動的な性格をとって馬鍬の生産事
情にしがみつこうとするようになる﹂といっている︵﹃近代資本主義獲達史に於ける商業の地位﹄、﹃系譜﹄一〇〇頁㌔こ こに見ちれるような柔軟にして具象的な見方が、どうして商業資本に⋮封しては拒否されたのか、私は理解にくるしまざる②
をえない。根ざすところは畢尭雁史號であろうが、ともあれ私は、 ﹁商業資木というものに封ずる犬塚氏の把握がはなは .目零緋誰法的であるように思われる﹂という林健k郎氏の評言︵﹃歴史における主体の問題﹄、﹃世界﹄、一九四七年二月、\
二三、頁︶に、同感を表するものである。 . 羅① 豊出四郎氏も、機業資本の確立にさきだつ近匿的商業資本の一それ以前の商業資本との凪敏密な愛別においてではないがll歴 引史的弛歩性につい71・、いつτいる。 ﹁琵業資本がいまだ手工業的横瀬のヒに党っており、野蟹な中世的諸關係によってからまれているよ うな未熟な護蓮段階においでは、商業資本が産業資本H小難業に射して﹃掲立優勢的に﹄糞達しτいる6勿論、その支配は高利貸・債務 奴隷・古註・商略・⋮偽満・掠奪などによって直接生塵者に醸してより破廉恥な︵産業資本よりも︶搾坂と堅迫とを加えている。だからと いって、商業資本そのものが、謬論資本の稜蓮のどんな段階においても、そうであるとはかぎらない。また、それが露華資本碧小螢業の それ以上の青毛を﹃阻止﹄する﹃反動性﹄をもつなどとはいえない。封建制の胎内にむい叩、自亀的に形成される意業農本の襲逮を﹃阻 止﹄し黙讃するものは、けっして流通上の﹃支配者﹄ではなくしτ、生産上の支配署すなわち基本的な生痙手段たる上地の所有者であ る。すなわち樹建的大土地所有者とその魅力である。商業資本は彊業資本の形成に⋮話して﹃阻止的﹄・﹃反動的﹄てあるどころか、促溝的 も も も も であり進歩的である。それは⋮⋮論理的にも康史的にも資本制生蓬の.面罵歓な前論條件をつくる。﹄と︵﹃瀧會輝濟史墨・の根本問題﹄、七 三−七四頁︶。 し も また、いう。﹁このように、商業資本は資本制生産の形成を促進する歴史的前提條件であることを忘れτはならない。すなわち、商業 資本は男望財産を集積し、大規模な市場を紺織し、交換便値のための生塵という性絡を生塵諸休制にあたえることによって、琵業資本の 前提條件をつくb出す。⋮⋮それにもかかわらす、商業資本が善業資本の形成を﹃阻止し﹄・﹃反動的﹄であるかのように見えるのは、商 業濡話と産着資本との捜達は艮比例し、しπがって孤立的・分散的な小商品生産の段階︵小親模な嶺桜とこれに照湿する小規模な立場︶ においては、小商口m生産一1産業資本に封ずる商業資本の黙思濟的な意味での黙思的・猫占的な支配がふるわれるからである。また、依然 としで手工業生琵の技術の上にとどまっているマ論ユプアクチユアの段階においては、商業資本は小声管を騙捺することができす、商業 資本と密接不離に結合しτいるからであ届。このような産業資本の未告達の段階を、賃勢働と資太−という封立の闘観点からではなく﹃商業 資本⋮封麗業資本﹄という封立の遡⋮点から見れば、商業資本が麗業資本の形成を阻止するかのように見えてくるのは雷然である。﹄と︵同 三Q一三一頁︶。 このような見地からして豊則氏は、大塚史學が﹂商業資本と産業藍本とが密接、小可分霊的に結合し・中世素的諸晶帯の怒号や商業資本 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 , 一七 ◎
ゼミ ・所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一八 の網の月が資本家的搾坂や勢働の駄馬化や生馬手段の集中などを陰蔽しでいるマニユプアクチユア時代についで、商業費本と窟業資本と の密接な結合を分析し、中世紀的獲搾や商業資本的搾取によって隠隠されている差業資本そのものの矛盾を暴露すべきであるにもかかわ らず、繭者をきりはなして鋼立せしめ・産業資木は進歩的であるが商業資本は反動的であるとなしているのは、あやまbである、と常張 する︵詞三〇、三四頁︶o , 氏は、こうもいつτいる。﹁=ユプアクチユァの基本的特徴の一つは、︹商業資本と︺産業資本との霧接た結査ということだ。爾者の 襲達は反比例するが、産業資本の段階的識展という前向きの見地に立つとき、小管業の段階においては卒業資本に釈して商業資本が駆倒 え 的に支配し、大工業の段階においτは琵業資本が商業貸本を目則り法則の下に屈服し,マエユプアクチユァの段階ては酌者が緊密にから みあっているのである。それゆえ、 ﹃大塚史學﹄のまえに涯業資本t義の序説・系譜を究明するという謀題があたえられているとき、隆 業資本と商業資本とが密接にからみあい、皇臣資本がいまだ手工業的技術の上に立っているこの時代の瞥働と資本との基本的茎立こそが 暴露されなければならぬ。しかるに、 ﹃大塚史學﹄は、折角豊雷な史料を渉聾しながら、附子斗雀の見地に立つマルクスの理論を方法論 を し も も へ とし一、徹峻させすに、商業”虻木荏﹃問屋制家内工茱﹄と昏昏資本U﹃マニユプアクチユァ﹄とをきりはなしで﹃町立﹄させてしまう。﹂と ︵伺六八一六九頁︶〇 一 かくして遣出氏か、大塚史學に診ける商業資本の歴史的甦毒性の否定のよつτきπる蜜蝋を.この史學が﹁資本主義の原始蓄積期を ﹃資本﹄と擬勢働との敵到的封戸の形成の時期ではなく、窟、兼藤本と商業貸本との潰立抗禁の時代として﹂把握したところに︵同七七頁︶ iしπかって、この史學が、﹁資木制生産における世襲の祉曾酌弱質と坐琵の結”天の資本家的所有との矛盾・勢働者階級と資本家階級 との強⋮封的嚇甲立のか2一りにしウ.⋮ーバi・マントゥ・アンゥインなドことともに資+い制鍵歳崖㍑旋か尤晩只大[と流博迦H商業蜘穴木との﹃退嬰﹄をお く﹂ところに︵同四九頁︶−i求め牢、いるのは、全く正しい。 しかし、豊巨魚が大塚史學における商業資本の至剛的側面の無親を指摘割ることを急ぎすぎに結泉、益業資本の確立以前の商業資本の む も も もっていた保守的側面葬ややもすれば瘡過するの.畑象におちいっているのは、ゆきすぎである..氏は、﹁商業資本も謹業資本も、ともに O
即値を増殖する資本としτ伺型の纏濟現象であり、同一の紳濟法則に服ずるものである﹂︵同三〇頁︶という側面を弧調ずるあまり、二 つの資本の測湿った側面ω.確認をないがしろにする傾向がある。したがって,蓬柴資本が商業資本よりも膳更的によb高次のものであるこ と、このことゑ買証することによって費業謡本主義の庵、史的進歩的側衝をうきぼりにしようとしたところに大塚史書の.功績があることが 十分に﹂評償されていない。 氏はいう。 二体⋮⋮︹大塚︺氏は小生産者の素点に立ちつつ、 ﹃紹濟﹄の.法則上とは別に商業資本の支配が﹃爾肺﹄・﹃掠駕﹄,﹃ギル ド﹄・﹃猫型﹄的性格をもつことを強調するあまり、漆柴資本の搾取があたかもこのようにうしろめたいものではなく、いなむしろ、倫理 的な﹃徳性﹄をもつで讃美されるものであるかのような印象をあたえるロがつねである。しかし、商業資本の﹃芝配﹄もやはら純紹濟的 法則にもとづいている。小商畜生澄に照鷹する小規模販費と擢大しつつある市場との矛盾は、商業資本の大規填な販伽買によってはじめて 解決される。それゆえ、商業資本は等償交換を前提とし、大資本が小資本を臓卸するという純継濟的法則にもとついマ、小商口眺生産者を 魅倒するのだ。たとえ、現實にむいては、商業資本も罷業資本の直接生濠ゐ着から﹃儒購﹄・﹃掠奪﹄をおこなうとはいえ、:・⋮悪業資本も 同業資本も資本という同型の紅濟現象に濁するということ、それを資本の到三朔たる去勢働の観点からとら、割ることが大切なのだ。この 見地から見れば、・ここにいう﹃ギルド﹄的精紳。﹃壁心﹄的﹃特出﹄的弓紳なるものは一般に資本家︹的︺所有者の精神てあり、資木家 的既有者03一不臨の傾向であることが暴露される。﹂と︵局一二六⋮二七頁︶。 商葉資本が蔭業写本と全く異った、秤済外的孔叡のみに從記するものではないこと,また迦に滝業資本といえども商集資本に類似する猫 占的傾向をもたぬでないことが指⋮摘され⋮しいるのは,杢く正しい。しかし、蓬業資本は封建的造湖一封建的土地所染やギルド的野占 1に黙する闘雫においで亀商業資本よりもよら虫敢であ夢、より徹底酌であったことを見おとしア、はならない。木瀬的.蓄秋時代の商菜 資本も起業資本を庇護しつつ、調建的繕事とたたかった。そして、そこに、商業資木の歴史的推、歩性の承認されなければならない根芋が ある。し.かし、商業資本はこの闘雫において産業資木よりも怯儒であり不徹底であった。このことを承認することは、なにも、産業資本 を讃美するということにはならない。淺業資本の商業資本にまさる革命的進歩性を承認したうえで、その歴史的限界鞄指摘することこそ 所謂︸、前期的商業資本﹂の無概急性 一九
撃 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 二〇 が、本當の歴史的熊度というべきであろう。そうでなければ、犬塚史學とはまさに湧の一−辮、業資本を商契資太の穴準にひきおとすこと によって後者を美化するという一誤謬におちいることになるであろう。 大塚史興が問題にしているのは、いうまでもなく、資木龍義の成書期である。豊田氏の大塚史學批判は、資本t義の成立期をもつばら ね む も し し も し し も 費本と勢働との野立の形成期としT.把撮すること・κ.要求するもののように見うけられろ。しがし,貸本と鱒働との樹立は、封建的なもの との闘雪にウいて形成されたのである。商榮資本の涯歩性とその限界も、資本と封建酌なものとの闘艀にかかわらせて、理解されなけれ ばならない。大塚史馳がbこの嗣饗における南案貸本の役割をほとんど全く認めていないのは、あやまりである。しかし、この圏贋にお ける産茉糞本の商業費本にまさる徹底性を指摘しようとしているものとして見るならば、それは腿史的償還の一面にふれでいるところが あるのである。それが封建的なものとの斗雫において實現された資本宅義の否定的側面を十分に認識しヴ、いないのは、いうまでもなく亀 ︵小︶ブルジョア的煽向である。しかし、この偏向のゆえに、それがふれている榎埋の一面を抹殺するのは、非料學的である。 し も も む も も も も いうまでもなく、旛史の埋解は後向きではなく前向雀でなげればならない。しかし前向きということは、時代を飛びこえるということ でばない。大塚史學が問題としでいるイギリスのマニユプアクチ藁ア時代の二戸に、十九随紀末のロシアに濁するレ事ニンの見解をその ままもちこむばかりでなくしこの史學における﹁至勝働者階級のための闘雫という点点﹂の歓如を非難したウなどするのは︵上掲一二六 頁︶、批判者自身の非科學的態度を暴露せるものといわなければなるまい。大塚古園をマルクス・レーニンの立場から批判するというこ とはもなにも、マルクスやレーニンの..q葉をくりかえしb前者の見解にこれを封置するということではないはすであるっ先兵の 冨葉をく りかえしでいただけでは、學周の進歩はない。大塚史學をマルクス・レー晶ンの立場から批剥するということは、それによってマルクス ・レーニンの‘略説がさらに深められ渡展せしめられるというと二ろがあってこそ、意昧をもつ。焚展のない批判は無意味である。批判が 革に先學の言葉のくりかえしにむわるならば、我々はそれによって一歩も前進するところがないからである。 騒④ 大塚史學がマルクスの厳念と年輪を飛訂している側面を高く評債し、これを蹄護する蟹江英一氏は、大塚氏における産業資本 と前期的全本との範疇的封立柔ないし固定化をマルクスの名においで支持して、いつTいる。﹁産業資本と前期的資本との鋼立は⋮⋮本源 「
的蓄積と關目しており、前壁は蕉生産方法を排除して本源的蓄積を完毒する力であるに反し、後者は奮生産方法を自己の前提として維 持し、したがって木源的蓄積を途行ずる力をはじめから飲姐しでいる。だからこそ、マルクスは﹃生飛者が資本家となる途がマニユファ クチユァ時代に存在する場合にのみ、近世的生産方法は獲早しうる﹄とわざわざ注意している⊃しと︵﹃大塚史學とそ0一批判﹄,入民評論 一九四八年五月、六二頁︶。 獲念ながら、私はマルクスがどこにこのような注意をあたえでいるのか知らない。しかし、いわゆる前期的 資本が蕉生産方法を自己の前提としτ維持する傾向をもつことは事賓だとしても、本源的蓄積を途行儲る力をはじめから鉄如していると いうのは、全くのところbマルクス説の誤解以外のなにものでもない。この誤解を批判するために、ここにふたたびマルクスの所説をく りかえすことは無用であろう︵拙著﹃近世西洋纏濟史研究序説﹄第三緊縮三章蓼照︶。 大塚氏の窟業資本と前期的︵商業︶資本との範購書通学を鰻批判的にμ丸容する堀汀氏は、また、それをもって流だちに﹁凝立・刀を代表 する産業貸本と崔m生産言言を代表する前期的資本との閏の葛藤としτ把握しようとする﹂ものだと解罪するが︵上掲六三頁︶、 そこにも 一︶またマルクス説の歪曲ないし短小化が指摘されなければならない。新しい生静力の撫三者とし⋮しの葎業資本が擁志してくるに際して、奮 生産騰係を代表しτこれを阻止したものが何でめったか、とつくリマルクスにきいて見るがよい。近世の商業資本は、産業資本の飛躍的 護慶期のころともなれば、これによって代表される生命力襲展の姪括に嬉化したけれども、飛業資本の創生期においてはむしろ封建的・ ギルド的生蓬闘係に封して新しい生産力を代表するところがあったのである。 ■ マルクスの所説は、さきにくわしく楡討したごとく︵前鍋拙著︶、大塚細則などとばくらべものにならない炉さと廣さとをもっている。 マルクス説でもつて大塚史學を批判しようとする意志のも乞に艦鍵しながら、その實、ミイラと為がミイラとなり、大塚史學をもつてマ ルクス説を二二するというような結渠におちいつではならない。大塚史學はたしかに、マルクス説から見でも、プラスとマイナスの側而 ク をもつτいる。我々はそのプラスの側戯を畿承雛記し,これを叢展せしめてゆかなければならない。しかし、プラスの側面はそのまま纒 承掻取さるべく、マイナスの側面から遊離しマ、宥在するのではない。批判されなければならないのけbマイナスの側両だけではない。プ あ も め ラスの側面も批到的に若江されるのでなければならない。そうでなければ、木に竹をつぐ誤りをおかすことと隔り、學問の黒羽は到底期 待できないであろう。 所謂﹁前期的商業資本﹂の無概念性 一二