• 検索結果がありません。

体操競技における技の難易性に関する考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "体操競技における技の難易性に関する考察"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

103

体操競技における技の難易性に関する考察

一               ヽ 佐  野     淳 (1987年10月15日 受理)

Eine Betrachtung凸ber das Schwierigkeitsproblem

●●

von der Ubungen im Kunstturnen Atsushi Sano

In den Wertungsvorschriften des Kunstturnens werden die Schwierigkeitswerten an jede ●●

Ubung verteilt. Z.B. Salto rw. mit 1/1 Drehung in den Stand ist B-Teil und Salto rw. mit 2/ 1 Drehungen in den Stand ist C了Feil, wobei man beurteilt, daB Salto rw. mit 1/1 Drehung in den Stand leichter als Salto rw. 2/1 Drehungen in den Stand ist. Aber der Schwierigkeitsgrad der Ubungen verandert sich in den Wertungsvorschriften regelm&Big mit der Zeit. Z.B. fruher war Salto rw. mit 1/1 Drehung in den Stand wohl C-Teil, aber jetzt ist B-Teil. Die Staldergratsche

am Reck war fruher C-Teil, aber jetzt B-Teil. Am Pferdsprung wurden die alien Sprunge mit dem einarmigen St伽z im Jahre 1985 in eine hohere Wertstufe als die gleichen mit dem St伽z beider Hande eingeordnet. Ab 1987 ist schon diese Artikel weggestrichen. Diese

Schwierig-keitswerten gibt es nicht eigentlich von An fang an, sondern von uns Menschen verteilt werden, was sich in der Entwicklungsgeschichte der Wertungsvorschriften zeigt. Die "Schwierigkeit" ist neben der "Kombination" und "Aus紬hrung" ein der Taxationsfaktoren bei der Bewertungen der Ubungen. Die HSchwierigkeit" als Taxationsfaktor wurde zum erstenmal in die neuen Wertungsvorschriften anlaBlich der 13. Weltmeisterschaften 1954 in Rom einge紬hrt. A-,

B-und C-Teil, d.h. die heutige Klassi丘zierung des Schwierigkeitsgrades entstand seit 1956. D-Teil wurde erst in den Wertungsvorschriften 1985 eingestuft.●

Demgegen凸ber ist allgemein festzustellen, daB das Problem um die Schwierigkeit der Ubung nicth nur aus dem Einstufen des Schwierigkeitsgrades als Taxationsfaktor vervorge-rufen ist. Wir m凸ssen auch die Schwierigkeit bei der Ausfiihrungen der Ubungen

berucksich-tigen. Die "Schwierigkeit" als Taxationsfaktor ist der Wertbegriff bei der Bewertung der Ubungen und von der Schwierigkeit bei der Ausf肋rung der Ubungen unterschieden zu werden. Wir formulieren diese Unterschied folgendermaBen ;

(2)

Mate-●●

rial bei der Bewertung der Ubungen, d.h. Wertbegriff.

2. Schwierigkeit bei der Ausf肋rung der Ubungen : Diese bedeutet im allgemeinen unsere

Gefuhle fur die Schwierigkeit von der Ubungen. Oberbegriff der HSchwierigkeit" als Taxationsfaktor.

Wir mochten die erste "schematische Schwierigkeit" und die letzte "Schwierigkeit unter die Aspekte der Bewegungsfertigkeit" nennen. Dann gehoren A-, B-, C- und D-Teile zu die ersten Kategorie. Die folgende Probleme gehoren zu die letzten ; HDiese Ubung fallt mir

schwer !"りIch halte nicht diese Ubung f伽Ieichter" usw.

Die Ubungen werden im allgemeinen heute unter die Aspekte der 〃Bewegungsstruktur" betrachtet, die erst von der Russen behauptet wurde. "Bewegungsstruktur" besteht aus der

Phasenstruktur und dem Bewegungsrhythmus (nach Meinel, K.). Mit anderen Worten hat sie

die zeitliche, raumliche und dynamische Komponenten. Aber sie zeigt nur die冬uBerliche Struktur der Ubung. Kaneko, A. teilt die Struktur von der Ubung vom Standpunkt der modernen Bewegungslehre in 2 Komponenten ein ; die bewegungsmorphologische und bewegungstechnische Komponente. Der Schwierigkeitsgrad von der Ubungen wird jetzt von der bewegungsmorphologischen Komponente bestimmt.

Jedoch kann die Gesichtspunkt der Bewegungsstruktur als Kriterium der Schwierigkeit bei der Au占fuhrungen der Ubungen nicht gelten, weil die Schwierigkeit bei der Ausfuhrung der Ubungen hangt im wesentlichen ab vom Grad der Bewegungsfertigkeit. Die Bewegungsstruk-tur stellt den Aufbau einer Bewegungsgestalt dar. "Die einfache BewegungsstrukBewegungsstruk-tur" bzw. "die komplexe Bewegungsstruktur" zeigt nur die Art der Struktur der Bewegung. "Die komplexe Bewegungsstruktur" bedeutet nicht immer die Schwierigkeit bei der Ausfuhrung der Ubungen. So ergibt sich daraus, daB die Schwierigkeit von der Ubungen (die schematische Schwierigkeit) und die Schwierigkeit bei der Ausfiihrungen der Ubungen nicht identisch sind.

Zum SchluB sei hervorgehoben, daB die Ubungsstruktur oder die Bewegungsstruktur von der Ubung in Hinsicht der Ubungsschwierigkeit immer neutral ist. Daraus muB man die beiden unterscheiden. Diese Auffassungen seien fur die Methodik des Turntrainings als

unentbehrlich.

描 口

体操競技には移しい数の技が存在している。もちろん,これらの技はすでに存在していたのでは なく,われわれが生み出してきた文化の所産であり,これからも生み出し続けていくであろう。人 間がこの非日常性の驚異的な運動(16-S.lO ff.)とかかわりをもっていることは,歴史のページを播

(3)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 105 くまでもなく首肯しうるものである。これらの多数の技を目の前にして当然起こる問題は,どの技 がむずかしくどの技がより簡単であるのかということ,その技にどのような名称をつけるかという こと,またグルーピングにより技の体系を確立すること,そしてこれらのことによって,指導や評 価に役立てようとすることである。今日,技と言われるものはチャンピオンスポーツとしての体操 競技から学校でのスポーツ教材としての器械運動に至るまで広範な領域で取り上げられている。確 かに,技の名称の問題はJAHNの体操術語(Turnsprache)に始まり,近代体操術語の統一を成し 遂げたKUNATHを経て,現在技の専門用語(Terminologie)として一応のまとまりを見せている し(16-S. 32ff.),また技の体系も現在では東欧圏の構造体系論(strukturelle Systematik ; 1-S. 54) の立場からの体系化が問題を含みながらも(16-S.238)一応定着していると言える。技の体系化と は,いわば技の分類による整理であり,技の分化発展を捉えて指導や評価,さらに研究の拠点を提 供するものである。しかしどのような技がむずかしいのか,とか技群間の難易の関係の問題などに ついては,十分な科学的研究のメスが入っていないのが現状にあるように思う。それはまず,技の 難易問題には気づいてはいるものの,その問題性の不明確さ故の結果であるように思う。確かにこ の間題には多くの複雑な要因が関係している。しかし,"むずかしい"とか"やさしい"といったいわ ゆるこの技の難易問題は現場で常に大きな問題圏を構成しているものであるし,現実には非常に重 要な科学的命題として捉えられるものでなければならないものである。 この場合の"むずかしい"とか"やさしい"ことの一般的な意味は,あることを理解したり成し遂 げたりすることの困難さであり,同時にその複雑さも表している。われわれの世界ではこの意味は, 技の成就の可否に関係づけられてコーチや選手,また,審判員の間で取り上げられる。その技が"で きない"ときには"むずかしい"と判断し,できればそれは"簡単な技"だとして定立される。しか し,同じ技でもある人にとっては"むずかしい"こともあれば"やさしい"こともある。一体,われ われは何を基準としてそう言っているのであろうか。何が問題となっているのであろうか。 本研究ではこの技の難易問題を取り上げるものであるが,それはこの問題圏を明確にし,技の難 易の認識に資するべく,これからの研究の足場となるような基礎としての先行研究として理解して いただきたい。簡単な技とむずかしい技との境界は,一見理解されているようで実際のところ不明 瞭な点が多い。本研究は,技の構造論(Struktur der Ubung),運動類縁性(Bewegungsverwandt-schaft),技の体系論(Systematik)を考慮しつつ(16-S. 160)実践的問題性把握の必要から,運動 学的立場(AspektederBewegungslehre)に立っている。まずは,技の難易の問題とは何なのかを 明らかにし,そしてその問題点を考察していこう。

Ⅰ.技の難易問題

かつて,東京オリンピックの時にウルトラCと言われていた技は,超最高級難度の非常に立至空 しい技を表す代名詞であった。厳密に言えば,採点規則で難度は当時A, B, Cの三段階とされてい

(4)

たから,ウルトラという接頭語が付されていた技は,この規定上のC難度(C-Teil)の技を凌ぐ技 を意味していたことになる。しかし,実際の採点上はウルトラCではなく,難度Cとしてしか捉え られなかったのである。いわば,ウルトラCというものは,当時の日本体操界が戦略的意味で造り 出した難度表現なのである(24-S.731)。長い間,この表現は人々に親しまれてきたが, 1985年の採 点規則の大幅な改訂により,難度表に正式にC難度の技を上回るD難度の技が設けられたのである 7-S.6),これは,時代の流れのひとつの現れであるとともに,現在の技の評価により適合した形を 提供しようとする意図からの改訂であると思われる。しかし,実際のところは飽和状態にあったC 難度内の技を是正することが目的であったのである(24-S.731)。詳しいこの間題の考察は次章で扱 われるが,今この内容からだけでもここで指摘しておきたいことは,競技の世界で問題となってい るむずかしさ,すなわち,難度(Schwierigkeitsgrad)というものは自然界の原理や法則のように 外界の絶対的な拘束力によって縛られているのではなく,われわれが創り出し認め合っている類の ものなのだ,ということである。このことは採点規則のこれまでの変遷を見れば首肯できよう。 しかし,技のむずかしさ(難易性)はこの採点規則の難度表でのみ問題となるものではない。難 度表のむずかしさ(難度)は,いわば,むずかしさの段階を意図的に作り出したものなのである(71 S.5)。それは,競技のためのむずかしさのランク付けなのであり,むずかしさに拘束力を与えたも のと理解されよう。この難度としてのむずかしさは,選手やコーチの目標となる対象であるし,ま た,競技会での審判の判定評価の資料ともなるものである。したがってそこでのむずかしさ,すな わち技の難易は練習の観点からではなく,優劣決定の判定資料に他ならないのである。だからこそ, そこで問題となるのは技を習得したり,教えたりするときの技のむずかしさとは一線を画されて,技 の運動形態的構成要素(16-S.177ff.)から言われるむずかしさ(16-S.160)となるのである.この 技の運動形態的構成要素からのむずかしさ,すなわち,技の難易性はいわば図式的なものと理解で きる。ここではこれを図式的難易性と呼んでおきたい。そこでは,運動想像力による創作活動とし て空想的な技や想像的な技も組み立てられる。言い換えれば,例えば過去や現在の「新技」の考案 に見られるように(22, 25, 26, 29)想像の中で技を自由に操ることも可能なのである。したがって, この図式的難易性は技そのものの可能性を図式として捉えた要素を問題にした難易性とも言えるの である(19-S.105f.),これに対し,できる・できない,上手・下手といった実践現場から問題とな るむずかしさも認められる。これは技の習得段階や,また習得された技の背後にある技能(Fer・ tigkeit)からのむずかしさに焦点が向けられている。つまり,その選手の身体的能力や感覚の良し 悪Lによって左右されるむずかしさである。これは,人間一般を対象にした難易性と個人を対象に した難易性を問題にするもので,図式的難易性に倣って,これを技能的難易性と呼ぶことにしよう。 これは,難度表の難度とは異なり,価値尺度を意味しない。言い換えれば,運動形態的構成要素に よるむずかしさは造り与えられるものであるのに対し,技能によるむずかしさはわれわれが塞堕亘 る中で生まれるものである。だからその都度むずかしさの程度を問題にしなければならないのであ る。

(5)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 107

われわれは図式的難易性と技能的難易性を比較して技の価値を評価するのである。例えば,肩の 柔軟性が要求される鉄棒の逆手背面車輪(Russenriesenfelge - Kerdemilidi-Riesenfelge am Reck) や"シュタルダー(Staldergratsche)", "エンド- (Endogrstsche)"等の運動構造(Bewegungs-struktur)を巡る問題では(15-S. 4)技そのものの観点なので,客観的な運動形態(Bewegungsform) を問題にしたむずかしさ(図式的難易性>難度)が,またそれを身体的資質や感覚の良し悪Lに影 響を受けながらも,それを実施する場面では,技能の観点からのむずかしさ(技能的難易性)が問 題になり,その熟練度を評価することになるのである。いずれにせよ,難度表の難度は図式的なむ ずかしさを表し,技能の高低は能力に支えられた実施上のむずかしさを表し,その出来具合に対し てわれわれの評価が加わるのである。器械種目の違いによるむずかしさの程度は(16-S.161f.),こ の図式的なむずかしさと実施の(人間一般を対象にした技能的難易性)むずかしさが問題とされる のである。例えば,床での倒立とつり輪での倒立はいずれも倒立には違いないが(運動形態の類似 性),そのむずかしさには程度の差が存在するのである(運動構造的相違性-技能的難易性の違い)。 すなわち床自体,つり輪自体の難度はそれぞれ分離して考えられそれぞれA難度なのであるが(図 式的難易性; 7-S.76.144),つり輪の倒立の方がはるかにむずかしい。それは,実施する人間側の問 題(技能的難易性)なのである。もちろん,この人間側の問題と技の構造との弁証法的関係が見逃 されてはならない。ここではその詳細には触れずそれを指摘するにとどめておこう。 また,われわれは技を指導したり習得したりする場合に,通常一般にやさしい技からむずかしい 堕へと段階を高めていく。その場合のやさしい技やむずかしい技とは,どう理解できるものであろ うか。これらの技を採点規則の難度の意味のむずかしさで理解して良いのだろうか。かかえ込み姿 勢から屈身そして伸身姿勢への姿勢変化は習得時の技の指導順序性を表しているのではなく,一種 の姿勢的簡潔性(Die haltungsmaBige Pragnanztendenz ; 20-S. 12)であり,技の発展性原理(33-S.117ff.)Iこ支えられた技の構造価値の繋がりを示しているのであり,したがってまず伸身姿勢から 技の習得が試みられたとしても,必ずしも技の習得の順序性の枠を超えることにはならない。この 場合のやさしい技,むずかしい技とは技の指導順序から言われていることなのであって,技の構造 価値の繋がりで言われていないことに注意しておくことが大切である。また,この問題圏には,ど のような手順で行ったら安全で感覚の取り込みが早いか,どのような手順と設備なら恐怖心を抱か ないか,どのような技からどのような順序で指導していくべきかといった内容が含まれるのである。 したがって,技のむずかしさ(難易性)の問題は指導に際して重要であることが示されるのである。 これまで見てきたように,技を巡る難易性の問題は広範にわたっている。そして大きく,技その もののもつむずかしさ(図式的難易性)とそれを実施するときのむずかしさ(技能的難易性)に分 類され,評価はその両者の比較から生まれるものであることが示された。金子も"体操競技のコーチ ング"の中で技の難易性の問題に言及しているが(16-S.158ff.),そこでは技の難易を左右し得る要 因が六つ挙げられている。難度表作成に当たっての基本的立場の形態構造要因,姿勢的簡潔性によ りむずかしさを左右する姿勢要因,技術に支えられた実施上のむずかしさに影響を与える実施要因,

(6)

器械の構造性の違いからむずかしさを問題にする器械構造要因,技の組み合わせ方により難易性に 影響を及ぼす組み合わせ要因,そして演技の流れという視点からむずかしさを問題とする演技構成 要因。しかし,形態構造要因と組み合わせ要因,演技構成要因は単位としての技,その組み合わせ, そしてそれらによって構成される演技を捉えており,課題性が明示されるところから,いずれも図 式的に問題化されうる。それは,競技において共通理解を持つために是非とも必要な技の構造知識 なのである。これらが競技において,とくに規定演技との関係において重要な問題であることはす でに指摘されている(15-S.4-7.)ォこれに対し姿勢要因と実施要因はその図式的な難易性と実質的な 技能的難易性を問題にしなければならない。すでに述べた技能的難易性の問題は技習得時の難易性 を示すもので,金子はそれを"技の指導法"のところで取り上げている(16-S.235ff.)< しかしなが ら,本論文では,技の構造を取り巻く難易性とそれを実施し習得する際の難易性を"技の難易性の問 題"としてまとめるものである(図1参照のこと)。 いずれにせよ単にむずかしいと言っても,どの次元でのむずかしさなのかをはっきりと認識して おかなければ不毛の議論となりかねないことを知るべきである。難度表の難度の問題を指導上の難 易性の問題で解決しようとしたり,技の構造や器械の構造上の違いに無関心であれば,どこかに矛 盾を作り出すであろう。本論を展開するにあたって,この区別は明確にされるであろう。それは技 の評価や指導に寄与する技の難易問題を的確に捉えていくためである。ここではその問題性を指摘 するだけにとどめ,詳細な考察は次章以降に譲りたい。

(7)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 109 } _._ -*> ⅠⅠ.技の難易性と運動構造 技のやさしさやむずかしさ,すなわち技の難易性にはいろいろな問題領域が存在することが指摘 され,その問題領域は大きく二つに分けられることが示された。そして難度表の難度としてのむず かしさ(難易性)が,そのうちの一領域の問題点であることも明らかとなった。現在,難度表の難 度は運動形態的構成要素の立場からまとめられているものが多く(16-S.160),この間題をさらに追 究していくには,これに関連ある運動構造(cTpyKTypa aBH>KeHHH-Bewegungsstruktur ; 16-S. 236) も考慮せずにはいられない。本章では,まず技の図式的難易性に焦点を絞り,技のむずかしさ(難 I 易性)と難度,それに運動構造との関係を明らかにしていきたい。 1.採点規則における技の難度と難易性 チャンピオンスポーツとしての体操競技(Kunstturnen)における採点規則(Wertungsvor-schriften)の役割は,競技において優劣を決定することにある。したがって,そこで示されている ものはすべて価値付けに向けられたものである。どの技やいずれの演技がすぼらしいかを,決めら れたある尺度によって判定しようとするものなのである。 採点規則は大きく二つの内容に分けられる。一つは審判活動を遂行していくうえでの諸規則(7-S. 9-39, 57-62),他は実施される具体的技を分類整理してそれを価値づけた難度表(7-採点規則は大きく二つの内容に分けられる。一つは審判活動を遂行していくうえでの諸規則(7-S. 40-55, 64-241)である。現在,難度表は量的にかなりのものであり,その位置づけの重要性を物語っている。 また現在の競技では,難度(Schwierigkeit)は構成(Kombination),実施(Ausflihrung)と並ん で採点要素(Taxationsfaktoren)の重要な柱となっている(7-S.17)。難度がこのように体操競技 において重視されているのは,何と言っても,実施される内容を客観的に,統一的に捉える必要が あるからであり,人によってその捉え方がまちまちであっては客観的な評価とならないからである。 つまり,そこでは"姿勢規定によって浮き彫りとなる技(Ubung)の運動実施の空間一時間的規定性 が問題(15-S.4)とされるべきなのである。その中核的内容が技のむずかしさの程度,すなわち技 の難度なのである。例えば,後方伸身宙返り一回ひねりより後方かかえ込み二回宙返りに難度を上 位に位置づけることによって(7-S.86,89),その価値評価の統一を図ろうとするのである。 それでは,この難度は採点規則の中でどのような変遷を辿ってきたのであろうか。採点規則の中 の"採点規則の成立と変遷(7-S.4-6)にこの経緯が略述されている。それによると,第二次世界大 戦前の競技の規則はあって無きに等しく,統一的・包括的な規則からほど遠く,客観的・統一的な 採点など行われていなかったのである。しかし戦後初のオリンピック大会である1949年第14回ロ ンドン大会では,この競技事情は内外の厳しい批判を浴びることになる。これを契機として, 1949 年に現れた<CodedePointage>の中では,難度,構成,実施の採点要素がまず考慮された。しか し,その中では実質的難度はまだ取り上げられていなかったのである。難度がはじめて採点規則に 取り上げられたのは,包括的ではあるが, 1954年のローマでの第13回世界選手権大会のために作成

(8)

された新しい規則においてであった。難度が今日のように区分けされるようになったのは,種目別 決勝競技を採用した1956年のオリンピックメルボルン大会以降であった。当時は,すでにA-B Cの三段階方式を採用していたが, 1985年の大幅な採点規則の改訂まで難度においては基本的変更 は見られなかった。もちろん,難度表の難度格付けの中身は,体操競技の発展に応じて修正は加え られていたが-。現在では周知のように難度はA-B-C-Dの四段階とされている。 D難度(D-Teil) を設けた一番の理由は,技の発展と選手の技能の向上によりむずかしい技への積極的な挑戦に拍車 がかかり(20-S.18f.),最高級難度の技が陸続と現れ,競技上C難度の中でもランクづけを必要とすヽ るものがでてきたからである。したがって, D難度の技といっても,これまでなかった技が位置づ けられているというわけではなく,それまでC難度の技の中でもさらにむずかしいとされる技が位 置づけられているのである。それに伴い A-B-Cの各難度の技の格付けにも若干の修正がなされ ている。 さて, A難度はやさしい基本的な技であり, D難度は最高級難度のむずかしい技であるとされて いるが,すでに指摘したように,技の発展によって難度の中身は修正が加えられてきたので,過去 のA'B'C難度の技と現在のそれとの間には違いも見られる。過去床運動における後方伸身宙返り 一回ひねりや鉄棒の後方かかえ込み二回宙返り下り,いわゆるシュタルダー(後方開脚浮腰支持回 転倒立)などはC難度の技であったが(6-S.46,119, 110),現在ではB難度の技になっている(7-S.86,234,214)< また, 1985年の採点規則では,跳馬の片手着手の技が取り上げられ,同じ跳び方 でも片手着手の場合は1ランク上に価値づけられた(7-S.34)。しかし, 2年ほどでこの規則は削ら れ1987年から次のように改訂されたのである(1LS. 1)< "片手着手の跳馬は,難度(Schwierigkeits-grad)では価値が減じられる。すなわち,それは両腕の支えによる同じ跳躍と同様の難度の程度を もつのである"と。おそらくこれは当初FIGの技術委員会が他の片手による技(片手倒立,片手車 輪など)と同じように,跳馬においても片手で着手するのは両手着手よりもむずかしいと判断した ためであろう。しかし,現実はそうではなく,予想以上に片手着手の跳び方が出現してしまったの である。これは FIGの誤算とでもいうべきものであろう。このように技の難度が修正されるとい うことは,難度が演技を評価するための要素,すなわち技の価値(Wert)を表していることになり, したがって価値基準が変更されたことを意味するのである。 ここで問題となるのが,技の難度とその難易性である。一般にこの両者の区別は明確になされて いない。むしろ,同義と捉えられることさえある。しかし,この両者の意味するものは,厳密に言 えば区別されなければならないのである。ここに,両者の意味するものを明確にしておこう(図1参 照): <難 度>;採点規則において,演技を評価するための採点要素のひとつ。 A-B-C-Dのラン クがあり,技のむずかしさの程度を表し採点評価のための規格化された資料となる。ま た,このむずかしさの程度は同時に技の価値を有している。すなわち,この場合の"む ずかしさ"は価値概念と理解される。

(9)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 Illl <難易性>;一般的な意味で技のやさしさやむずかしさを表すもので,その程度は比較により相 対的に決まる。原則的に価値は含まれない。難度の上位概念。 つまり,採点規則で問題となる"むずかしさ"は,われわれがその技を実施する際の"むずかしさ" とは異なり,規則としての価値が与えられているのであり,その限りにおいて,価値概念の性格を 持ちうるのである(20-S.18f.)t われわれが技を実施する際, "この技はむずかしい"と感じる場面 では規則としての価値ではなく,技とわれわれ人間との対決場面における現実問題としての"塑堅 さ"が言われているのである。 それでは,難度と難易性の関係はどのようになっているのだろうか。難易性が難度に影響を与え ているのか,その道なのか,それとも相互に影響を及ぼしているのか。難易性が技のもつむずかし きだとすれば,それは技が発生した時に同時に持ち合わせていた技成立の因子と理解することがで 旦互。すなわち,むずかしさというものは技の重要な特性ということになる(16-S.157),言い換え れば,技は"むずかしさ(難易性)"をもって発生すると言えようか。しかし,問題はこの"むずかし さ(難易性)"がどのような性質のものなのか,ということである。マット運動の伸膝前転にしろ,秩 棒のけ上がりにしろ出来るようになるためにはそれなりの練習を積まなければならない。練習を積 むということは,そこに技のむずかしさの克服があり,熟練性(Virtuositat; 7-S.27,62; 31-S.20 f.)を増すことに繋がるのである。KUNZの実施したけ上がりと現在のけ上がり,またHAFNERの 実施した両脚旋回と今日のすっきりした体線の伸びた両脚旋回,ソ連選手による初めての片手車輪 1978)と現在の片手車輪,床での後方かかえ込み二回宙返りの今昔,そこではむずかしさはどのよ うに問題とされるべきであろうか。よく技術革新,技術の進歩ということでこの間題の説明がなさ れるが(33-S.117ff.),この技術革新によって二つのことが起こることを忘れてはならないだろう。 一つは,言うまでもなく,技術開発による技の発展であり(20-S.10ff.),もう一つは,誰もが出来る ようになる技の浸透である。今日,多くの選手によって実施されるようになっている鉄棒での開脚 背面飛び越し(トカチェフ)や三回宙返り下り,片手車輪,また床運動や平均台での後方伸身宙返 り三回ひねり(28-S.25,26,34,35,36)などは,その技術の解明によって人々に広まったことを意 味するもので,いわば技の浸透現象が起こったのである。この技の浸透現象の特徴は,技の課題や 技術が明確になっていること,諸条件が整えば誰でも実施可能であること,である。言い換えれば, そこでは技の難易性に対するわれわれの認識に変化が起きたことを示しているのである。難度の価 値基準の変更や加点での独創性の価値の喪失(19-S.106)は,この技の浸透状況に基づいて成され ていると考えられる。したがって,技の難易性が浸透具合に左右されるのであれば,われわれの認 識のうえでは難度は難易性の従属変数ということになる。 しかし,技のもつむずかしさ(難易性)はこのように変化していくものなのであろうか。確かに 技の発生当初はむずかしい技であっても,それが出来るようになり,さらに熟練度を増せば,それ ほどむずかしいという感じは受けない。系統発生(Phylogenese)の観点であろうと個体発生 (Ontogenese)の観点であろうと,技はわれわれの中に浸み込み難易性に影響を与えているかのよう

(10)

に見える。だからと言って,技のもつむずかしさが変化したと理解できるのであろうか。難度が格 下げとなったから難易性も下がったと言えるであろうか。例えば,いくら技術(Bewegungstechnik) が解明され指導方法が確立されたとしても,それが浸透している地域とそうでないところでは当然 技の出来・不出来に差が出てくる。その場合,浸透している地域ではその技は難なく習得されるが, 浸透していない地域では依然としてその技はむずかしいのである(20-S.18f.)ォ また,個体発生の観 点から見ても,初心者はたとえ最新の技術情報("Wie"-Informationen; 19-S. 102)が与えられた としても課題をひとつひとつ解決していくことには変わりはないのである。技術情報を持っている か持っていないかの差は,技習得の時間の短縮と回り道をせず正しい技の習得という差となって現 れるが,基本的な要所は押さえていなければならないのである。このことは,技のもつむずかしさ (難易性)が基本的に変化しないことを意味している。むしろ,その難易性は技発生当初のままであ るが,技術を適用し慣れることによる人間の技に対する適応能力の可塑性に影響を与えているので ある。技は人間が実施するなかで発生し問題化されるものであるが,常にその技を初歩から学ぼう とする者がいる以上,技そのものの難易性は一定で発生当初のむずかしさを保有していると見るの が妥当であろう。したがって,例えば練習を積むことによりその技が容易にこなせるようになった ということは,その一定のむずかしさをわれわれの能力が克服したことを意味しているのである。わ れわれが難度に価値を与えるということは,技の難易性に対してではなく,技と対峠するわれわれ の可塑的能力に対してである。このように考えてくると,難度とは技の一定の難易性に対するわれ われの可塑的能力の尺度と理解できるであろう。だからそこに優劣の差が生まれてくるのである。 2.運動構造を巡る問題 体操競技,あるいは器械運動で言われる技というものは,その特性として, "非日常的驚異性"と "姿勢的簡潔性" (16-S.10-15)を備え, "収敵性"をもつ独自の運動形態として定立されるものであ る(16-S.156f.)。さらに,技は"練習すれば,いつの日か成功するであろうが,そう簡単にはもの にならず,さらに苦労を重ねて目標に達したあとも,練習すればするほど,運動の熟練性が増して いくような深さをもっているような運動でなければならない"(16-S.157)のである。すなわち" 技術性を内包し,その技術の習熟によって,その熟練性が高まるような特性をもたなければならな い"(16-S.158),しかし,一体このような技は具体的にどのように問題にされてきたのだろうか。し ばらく,この間題に目を向けてみよう。 技とはいかなるものかを明らかにするために,これまで数多くの諸研究がなされてきた。そこで は,体操競技(器械運動)における技術と指導方法の観点に立って行われてきた(2-S.297ff.; 3-S. 281f. ,この技の解明に対しては,歴史的に見ると解剖学,生理学,神経学,物理学などの専門諸科 学からの貢献が大きかった。それらは,スポーツ教師の経験的知識を補い,技の技術や指導法の改 善に役立つものであった。とくに医学者のF.A.SCHMIDT,生物学者のMATTHIAS,生理学者の ZUNTZやKRESTOWNIKOW,整形外科のSPITZY,さらには生物学者のE. KOHLRAUSCH

(11)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 113

らの諸研究は間接的に影響力を持つものであったし,その後彼らの研究は, A.TIER, H.BRAUN, W. KOHLRAUSCH, 0. SCHMIDT,それにNOCKER, HOCHMUTH, TITTELらによって継承 拡大されていったのである。この自然科学者たちの研究成果に対し,スポーツ教師たちは大いに注 目してそれを利用し始めたのである。 とくに,ドイツの体操専門家であるKUNATHは1920年代に,撮影されたフイルムを基にして 技の連続図を描き,技術の視点に立って運動経過を正確に研究することに着手したのである(3-S. 282 。この先駆けとなったのは物理学者のKOHLRAUSCHであり,彼は物理学の研究に際して特 別の装置(感光板と対物レンズが撮影中に回転する)を用いて連続撮影を行ったのである。その後, 光跡撮影や普通の映画撮影を用いてHANEBUTHが器械運動における運動創作の諸法則を巡り 研究を行った1953年から1954年にかけて,ライブツイッヒ・ドイツ体育大学(DHfK)では体操 の技を研究するのにより正確な研究方法(高速度映画撮影,重心の計測等)によって量的分析の改 善に乗り出したのである。というのも,生物科学の一つであったバイオメカニックス(Biome-chanik)をソ連の研究者であるDONSKOJ.D.らが1950年になって,スポーツ・バイオメカニック ス(BiomechanikdesSports)という形でスポーツの研究において重視し始めたからである。日本 においては,こうした影響を受けて徐々に技の研究に取り組むようになり,技の科学的研究が推進 されるようになったのである。また1960年に東独のMEINELが"運動学(Bewegungslehre)"(23) を発表したことにより,バイオメカニックスとは異なる"モルフォロギ- (運動形態学 Mor-phologie der Bewegung)"的な技の研究も行われるようになった(2トS. 115f. ; 33-S. 127f)。

このような流れの中でソ連においてまず"運動構造CTpVKTVpa ABH>KeHHH という概念が取り上げら れた(16-S.236)。これを契機に,東欧圏でもこの観点から技の特徴を捉えようとする傾向になって きた。とくに,ソ連においては,この"運動構造"の概念を用いて技の分類・体系化にも取り組むよ うになり,能率的な技の習得に貢献するような研究が発表されるようになったのである。そのなか でも,ソ連のUKRAN.MX.の"体操人のトレーニング(1958)がドイツ語に翻訳されたのを契機 に(1960),ドイツでも技の構造上の類似性が注目され,これまで以上に"技の運動構造(Bewegungs-struktur)"に関心が向けられたのである(32-S.72)。そして,西欧・東欧を問わず技の体系化が技 のコーチング上不可欠な問題領野となっていった(16-S.236),これらの体系化は, "技の運動経過 に鋭い洞察を加え,技の運動構造を明らかにしながら,技の相互関係や系統性を論じ'(16-S.236) ていることが前提である。もちろん,体系化の努力は技の出現以来よく知られたことであり,すで にTAHNやGUTSMUTSも彼らの時代の運動財を体系的に整理しようとしたのであるし,若干の 中断はあったもののこの努力は今日まで続いている(LS.54),もちろん分類整理の視点は同じでは ないが--。今日の体系化の特徴は,したがって体系化そのものではなく,その体系化が"運動構造 (Bewegungsstruktur)"によっているということである。この体系化が,いわゆる"構造体系論(die strukturelle Systematik ; 1-S.54ff.)"と呼ばれているものである。また,この"構造体系論"に対 し,方法論上の観点から"方法論的体系論(die methodische Systematik ; 32-S. 72ff.)"も言われ

(12)

ている。それらは基本的に構造から技を体系化するのか(BUCHMANN/RIELING; 4),指導方法 から体系化するのか(HEROLD/GOHLER; 13)という違いに基づいている(36-S.214),さらに 今日でもこれらの体系化を巡ってその改善を図る論文も幾つか発表されている(30, 34, 36)< いず れにせよ, "運動構造(Bewegungsstruktur)"の概念は,今日,技の体系化にとって重要であり,技 を理解し,指導方法や術語の問題に寄与していく重要な概念であるのである。それでは,この"運動 構造(Bewegungsstruktur)"とはどのように理解されるものなのであろうか。 "運動構造(Bewegungsstruktur)"とは MEINELによれば局面構造(Phasenstruktur)と運動 リズム(Bewegungsrhythmus)の概念の内容から成立している(23-S. 147-148),すなわち,空間一 時間的分節(raumlich-zeitliche Gliederung)と力動一時間的分節(dynamisch-zeitliche Gliederung)

によって表される概念であり,視覚によって知覚できる運動経過と観察者が運動覚(Bewegungs-smn)や運動系の分析器(motorische Analysator)の助けにより運動共感(Mitvollziehung der Bewegung; 23-S. 165-166)によって知覚できる力の入れの過程の増減,緊張と脱力等をその内容に 持っているのである。一方, SCHNABELは(35-S.777)外延定義で運動構造は"--空間的,力 動的側面を持つ。すなわち,空間一時間的生起の構造化においても,力経過の構造化においても現れ る"とし,内包定義では"運動経過の組み立て(Aufbau),すなわち,行為目標の依存性において,冒 的,形態,秩序に関して相互に関係づけられている局面の全体プロセスの分節性"と捉えている。ま た, RIELINGは空間的経過(raumlicher Verlauf)と時間的経過(zeitlicher Verlauf)それに力 動的経過(dynamischer Verlauf)の関係から運動構造を捉えている。 tOpfelによれば(38-S.

1631)運動の空間的経過は, "運動はどこで行われるのか?""運動はどこへ向かっているのか?""運 動の振幅は規定の座標点に対してどのくらいの広がりがあるのか?"が問題であり,時間的経過とは "いつ始まるのか?""どのくらい続くのか?""どのくらいの速さで経過するのか?"に関心があり, 力動的経過は"運動の空間的,時間的経過によって規定されるインパルスの繋がり,インパルスの持 読,インパルスの強度"(38-S.163)と理解される。いずれにせよ,これらの定義の中で重要な成分 は,空間的成分と時間的成分,それに力動的成分である。これらの三つの成分のいずれが欠けても 運動構造の概念の内容とはならないのである TOPFELは運動構造の概念を図式化して示してい る(図2; 38-S.164)。 これらの諸成分は緊密な関係にあり,相互に影響を及ぼし合うもので,運動によって到達される 経 目的によって規定されるとともに-,互いに機能的な関係 を持っているのである(38-S.164)。このような概念の内 容をもつ運動構造は具体的に,空間一時間的経過,すなわ 的経遮-⇒タ㈱現象 ち運動経過は機能局面による分節化(RIELING; 34-S. 114)によって,また力動的経過は速度や力の入れ,イン 過・-・.内的原図 パルスの伝導,力積保存の法則等のバイオメカニックス 図2         的概念を用いて表される(30-S.27)。とくに,この運動

(13)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 115 斗 の力動的関係は捉えることがむずかしく,部分的にしか測定できないので,その記述はたいていは 運動の外的現象像の解剖学的,生理学的な説明になっている(38-S.164)。 ところで,このような運動構造の拠点によって明らかにされた技の運動構造は,われわれに何を 教えてくれるのであろうか。もちろん,技がどのように成り立ち,どのように実現するのかを示し てくれるが,このような運動構造は技の課題性とその技術性が明確に打ち出されていない。金子は そこに技のこれまでの生成過程や技を変化させていく時代的エネルギーが含まれていないことを指 摘し(16-S.238),固定された技の運動形態的な課題性と時代の流れによって変化していく課題の解 決法としての技術性を明確に区別する意味で,技を捉える拠点をこの運動構造の立場に準拠しなが らも,課題と機能という関係から,技の構造を運動形態的構成要素と運動技術的構成要素に分節化 した(16-S.176ff.)。技の発展という観点から,この金子の捉え方は十分納得の行くものであると思 われる。もちろん,そこではいわゆる"運動構造"が技の理解にとって有効な視点となっていること には変わりはない。またこのような分節化による技の課題性とその技術性の明確な区別は,それが 構造研究であるのか技術研究であるのかを明確に区別できる根拠となっている。技の「現在のとこ ろ(zurZeit)」の認識は,その技術性によって改革されるのであり,運動構造はそのことを十分考 慮して解明されることが必要なのである。 3.技の構造と技の難易性 これまで,運動構造を巡っての問題を概観してきた。ここでは,このような運動構造をもつ技が 難易性とどのような関係にあるかを明らかにしていきたい。 ⅠⅠ章(1)で考察されたように,技そのものの難易性は一定で,その程度はわれわれの可塑的能力に よると考えられた。この観点から見ると,運動構造には技の難易性判断の要素は含まれないことに なる。言い換えれば,運動構造自体は難易性の観点では一定・中立ということになる。以下このこ とについて考察を加えてみよう。 競技の世界では難度が技の難易性の尺度であることはすでに述べられた。その難度判定の基準は 運動形態的構成要素とわれわれの経験である(16-S.160)。例えば,床運動の前方倒立回転とびをA とすれば,前方宙返りをB,さらにそれにひねりや左右軸回転が加わればC,Dとして認めるように である(7-S.80,83,85),もちろん,これは一つの基準にすぎない。それでは,難度表ではさらに 具体的にどのような基準で難度を決めているのであろうか。表1は難度表で読み取れる難度判定の 基準の一部を挙げたものである(順不同)。 これらに見られるように,難度判定の基準には非常に多方面にわたるものがあるのである。つま り技の構造(運動形態的構成要素)によるものもあれば(A. B.C.D.E. F.),われわれが規則とし て決めたもの(H. K.),時代の流れの中でのわれわれのもつ価値評価からのもの(G. I. J.)が入り 混ざっているのである。したがって,単に技の構造からだけでその技のむずかしさを取り上げては いないことがわかる。逆に言えば,技のむずかしさは技の持つ構造とそれを実施する人間が対峠す

(14)

表1. 難 度 判 定 の 基 準 注 釈 お よ び 例 A ● 回転 数 (左 右 軸 , 長 体 軸 , 前 後 軸 ) の そ れ ぞ れ の 回 転 数 の 増 加 に従 い,難 度 が高 くな る〇一 増 加 回宙 返 り→ 二 回 宙 返 り, 一 回 ひね り→ 二 回 ひね り0 B ● 空 間 的 広 が り (姿 勢簡 潔 性 も含 む) 空 間 的 広 が りの 大 きい もの ほ ど,難 度 が高 くな るO か か え込 み → 伸 身 , 屈 腕 → 伸 腕 , 閉 脚 → 開 脚 な ど C ● 支 点 の縮 小 化 の傾 向 倒 立 → 片 手 倒 立 , 車 輪 → 片 手 車 輪 , 単 棒 倒 立 な ど D ● ひね り と左 右 軸 回 転 の 合 成 化 ■宙 返 り→ ひ ね り宙 返 り, 二 回宙 返 り→ ムー ンサ ル ト E ● 複 数 の 技 の組 み 合 わ せ とそ の方 法 , ま テ ンポ宙 返 り+ 二 回 宙 返 り, 後 ろ宙 返 り即 前 方 宙 返 た技 の繰 り返 し回 数 り, シ ユ テ ク リB → シ ユ テ ク リB 三 回連 続 な ど F ● 握 り方 の 違 い に よ る難 度 の違 い 逆 手車 輪 → 逆 手 背 面 車 輪 (大 逆 手 車 輪 ) な ど G ● 運 動 方 向 (前 方 で あ る か後 方 で あ るか J . (希 少価 値 ) との関 係 を も って い る0 後 方 二 回 宙 返 等 ) に よ る評 価 り→ 前 方 二 回 宙 返 りな ど H ● 開 脚 姿 勢 で あ る か閉 脚 姿 勢 で あ るか に 一 般 に は 閉 脚 に 高 い 難 度 が 与 え ら れ て い る よ うだ よ る難 度 の違 い が , 開 脚 旋 回 の よ う な例 外 もあ る (B ●との関 連 ) 0 Ⅰ● ■ひ ね り (長 体 軸 回転 ) 技 よ り左 右 軸 回 難 度 表 に は明 確 に示 され て い な いが , 現 実 に は左 右 転 の技 の評 価 軸 回 転 の 技 を よ り評 価 す る時 代 性 が 加 わ っ て い る0 J ● 希 少 価 値 と して の評 価 独 創 惟 , 決 断 性 の 観 点 ○ 前 方 二 回宙 返 りな ど K ● 維 持 時 間, な ど 経 過 か , 瞬 時 倒 立 か , 二 秒 静 止 か, な ど るところで問題となっていると言えるのである。 "運動構造の違いによってむずかしさが異なるの だ"とする場合,その運動構造自体に内在するむずかしさというもののメカニズムが証明されなけ ればならない。一体,このむずかしさとは何なのだろうか。 例えばマット運動に例をとってみると,前転,伸膝前転,前方倒立回転とび,前方宙返りはそれ ぞれ独自の運動構造を持ち,それぞれ価値づけ(むずかしさの程度-難度)がなされている。しか し,その価値づげは人間自身によってなされたものであり,技そのものが元来持っているものでは ない。前転の構造が前方宙返りの構造より簡単でやさしいという根拠を定立することはどうしても できない。すでに見てきてわかるように,運動構造は技の特徴を表すが,それはただそのような構 造になっていることを示しているだけで,われわれの感覚にとってむずかしいのかやさしいのか,と いう内容を表してはいないと考えるものである。このように考えると,運動構造はその難易性にお いて一定・中立と言えるのではないだろうか。 一般に,行う対象がむずかしければそれはむずかしいとされる。例えば,鉄棒において逆手車輪-ひねり倒立経過一前振り(Aus Riesenfelge vw. : 1/2 Dr. z.触chtigen Hstand u. Vschwg. i. Hg)

より順手車輪-ひねり倒立経過一後ろ振り(Aus Riesenfelge rw. : 1/2 Dr.z.触chtigen Hstand u. Rschwg. i. Hg)の方がむずかしいのであれば,われわれは後者の方を高度な技であると判断する(採 点規則の難度では,前者がA,後者がBとなっている; 7-S.218)。その場合の判断図式は,後者の 運動構造が前者の運動構造よりも複雑だという前提に立っていると考えられる。しかし,なぜ後者

(15)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 117 の運動構造の方が複雑でむずかしいとするのであろうか。仮にこのように,運動構造自体に技の難 易性の基準を設定するとなると,次のような問題が生じる。前方系の技より後方系の技が,ひねり 系の技より回転系の技が,両手支持系より片手支持系の技の方がむずかしく,またはん転系の技よ り宙返り系の技,宙返りより宙返り転の方が構造が複雑だということが固定化されてしまうのであ る。確かにこのような捉え方が当てはまるものも数多い。しかし,これらの技は身体的条件やその 人の運動感覚によっても異なるし,個体発生の経過の中でもその感覚は変化する。また練習にかけ る時間量の違いやわれわれの価値評価等によっても異なるのである。構造自体にその複雑さとむず かしさを固定してしまうと,実施者としての人間側からのむずかしさとはならなくなる。一般に,練 習初期の段階では,前方系の技の方が後方系の技よりも感覚があり,恐怖心も前方系の方が少ない。 このままの形式で難度が立てられれば,後方系の方が難度が常に高くなければならない。ところが 床運動の後方二回宙返りはC難度で前方二回宙返りがD難度となっている(7-S.85.89),これはど ういうことだろうか。その"むずかしさ"に対するわれわれの感覚に逆転現象が起こったのである。 "むずかしさ"とはこのような要因も含まれることになるのである。このように,一見難度表の難度 はその構造からのみ決められているようであっても,ただそれだけでは決められていないのである。 いわば,技の運動構造は,われわれ人間の感覚と対峠するところで,その難易性を発生せしめるも 里と理解できる。図式的難易性とはこのような内容と理解したい。その意味で,難度表の難度は客 観的な難度判定の資料となるのである。以上のような考察から,われわれは以下のことを指摘する ものである。 1.難度は運動構造に基づく技の構造の価値評価の尺度であり,その限りで"むずかしさ"が論じ られる。 2.技の運動構造自体でそのむずかしさを問題にすべきではない。 3.技の運動構造は難易的に見て一定・中立である。ただし,その技の難易性を左右する可能性 を有している。 4.技の難易性は,運動構造を巡っての諸要因から起こってくる問題である。

III.技の指導と技の難易性

ここでは,技の習得時に問題となる技の難易性,いわば,トレーニング時の技の難易問題につい て考察するものである。       ′ \ 1.技の指導順序の問題性 ソ連の体操研究者UKRANはその著"体操人のトレーニング"において, "体操学習者のトレー ニング過程の最も特徴とする一つは,新しい体操運動の常時の系統的習得である" (39-S.98)と述 べている。このことは,今日ではよく知られた,常識となっている。またUKRANは,指導の問題 蝣蝣

(16)

を詳細に取り扱い,この方面の重要性を強調している(39-S.98ff.).ォ さらに,金子もこの問題領域 を運動学の立場から詳しく取り上げ,"われわれは各器械種目ごとに技の系統性について十分な認識 をもつことが技のコーチングに大きな意義をもつことを知る必要がある。言うまでもなく,技の系 統性はその技の構造的類縁性に基づいていなければならない" (16-S.240)として,技の構造理解に よる技の系統性の重要性を述べて,最近でも一連の著書でこのことは強調されている(17)<ドイツ においてもその指導書に見られるように,運動構造  や運動類縁性(Bewegungsverwandtschaft) による技の分類(31, 41),指導方法上の運動系列(Ubungsreihen)による技の系統的理解(5)は 重視されている。このように,技を指導する場合には技の系統性に目を向けることが重要であり,短 絡的なその場限りの技の選定は好ましくない。もちろん,このことは状況に応じた指導を排除する ものではない。われわれは技を殴階的に効率よくマスターすることを目指すのであり,技の体系化 とか技の系統性とは,このような観点からはじめて意味を持つのである。 例えばよく例に出される,鉄棒の"け上がり"と"車輪"で,どちらを先に練習させるべきかとい う問題(16-S.239f.)は,一体どのような解答を求めているのだろうか。教育上の問題で捉えようと しているのか,また基礎・基本と言う観点から,基礎-発展-応用という図式に合わせて考えよ うとしているのか(その場合,運動構造の観点から基礎・基本が言われなくてはならないが),さら にどちらが簡単か(簡単な方から身につけさせよう)と言うことからの解答を求めているのか。こ の間題には現在次のように答えるのが妥当であろう。すなわち, "どちらを先に練習すべきか"ある いは, "け上がりがマスターされてからではないと車輪は練習してはならないのでは!"という問い に対しては,何はさておき練習対象となる"け上がり"や"車輪"という目標技の運動構造の解明が 前提としてなければならないのである。そして,この構造を巡って基礎・基本が論じられることに なる。仮に, "け上がり"を"車輪"の基礎と考えているところでは,け上がりが不十分な出来を示し ても車輪を上手に回れる現状をどう考えるのであろうか(16-S.240)。そこで言われている基礎とか 基本というものは非常に暖味に理解されている(10-S.19),運動学の立場から言えば,基礎・基本 の技というものは,運動財の中に発展的中核技術(33-S.122ff.)が内包されているかどうかで決ま るのである。それは,形態発生論の立場から分化発展の芽を持たなければならないのであり(18-S. 39 ,そこから技の系統性が生まれることになる。ここにおいて初めて,技の段階的・順序的な指導 が問題になってくるのである。技の系統性に目が向けられるようになると,技の発展や技群間の関 係とかつながり,すなわち,その運動財が他の運動財と近い関係にあるのか絶縁関係にあるのか,下 位の(基礎の)運動構造は上位の(応用)運動構造へ発展していく条件を備えているのか(18-S.39) 等が浮き彫りとなってくる。どの技から教えたらよいか,どちらの技を先に教えるべきか,また基 礎技能,予備技,変形技,発展技(17-S.13)等をどのように用意するかといった問題はここから解 決されるのでなければならない。 したがって,技の指導は構造的類縁性の観点に立うた技の系統性に従うことが重要になってくる のである。例えば, "け上がりと車輪""前方倒立回転とびと後方倒立回転とび" (異質の形態と運動

(17)

w じ レ 琶 V 邑 H H J * > 佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 119 構造), "鉄棒の車輪とつり輪の車輪" "平行棒の倒立とつり輪の倒立(39-S.110)" (類似形態と異質 の運動構造), "平行棒の腕支持のけ上がりとつり輪のけ上がり(39-S.110)" (形態の非類似性と同 質の運動構造)の問題は,それぞれ技の系統性の立場から問題とされなければならない。また,少 年少女のトレーニングにおいて,どんな技を何歳ごろから教えるか,ということも単に生理学的,心 理学的な立場からではどうにもならないのであり,技の系統性からのアプロノーチが是非とも必要な のである。言い換えれば,技のトレーニングを巡っては,対象となる技の特性,発展性,問題性等 を抜きに科学的トレーニングは意味をなさないということである。 ここで用語の説明をしておかなければならない。これまでに,技の系統性とか体系化,順序性,段 階性,発展性などの用語で説明されてきた事柄は,いずれも技の繋がりということでも置き換え可 能な内容を有している。技の指導は,そのような(構造的な)繋がりを重視すべきだ,というのが これまでに述べた内容であった。しかし本論文では,これらの用語は大きく二つの観点から用いら れている。それは技の難易性を図式的難易性と技能的難易性に分けたことに起因する。 技は単にそれだけで存在しているのではなく,必ず他の技とのかかわりの中で問題となるもので ある。そして,そこに何かのつながりを兄いだす時に丞堕塵が問題となってくる。この系統性は一 定の原理・法則(ここでは運動構造の類縁性)に従って技をまとめようとすることであり,そこに はまとめようとするすじみちが明確になっていなければならない。そして,このようにしてまとめ られた組織全体を昼丞という。したがって,この体系では技が系統的に並べられているので,同属 の技とそうでない技が区別されていることになる。この拠点は技の発展を占う視点(17-S.llff.)を 提供することになり,ここ、で基礎技,応用技等が言われるようになる。ここまでは,技のもつ特性 を問題にしてまとまりを作ってきて(技の系統性,体系化),そこに問題性(発展性)を捉えたので あった。これに対し,実際に技を指導する場合には,これらの内容を状況に応じて組み立てていか なければならない。この状況とは,目標や生徒または選手の能力状態また練習環境等が考慮される ことになる。そこでは当然これまで図式的に捉えられてきた技の繋がり(系統性,体系化,発展性) を実践に生かすことが問題とされなければならないのである。つまり,方法論的な運動系列が問題 化されてくるのである。 "方法論的原則に従って秩序化されている,規定の技(目標技)の獲得につ ながるべき技の繋がり" (40-S.32)と理解される間接指導法(16-S.244)や, "目標技の運動構造に 従ってその構成要素を個々にトレーニングさせ,それらの部分を合成することによってその技を習 得させる"直接指導法(16-S.245)等が関係してくるのである。間接指導法では, "たいていはすで にできている簡単な技の部分から始め,目標技で終わる" (40-S.32)のであり,これによれば,易 から難への進歩がはっきりと知ることができるという。また,直接指導法も技の構成要素を段階的 に指導することが条件となる(16-S.245f.)。このように,実践面に移ると系統化された技にそのと きそのときの状況に応じて段階指導が生まれてくる。そこにどの技をどの技の後で指導するかとい う過度進が問題化されてくるのである。技の難易の問題,すなわち技能的難易性は,指導実践のこ の場面から呈示されてくるものである。 "基礎技がやさしいとは限らない""高度な技も段階を踏め

(18)

ばむずかしくはない"と言われるように,図式的に捉えられた技の繋がり(系統性,体系化,発展性) が必ずしも実践にあって(段階性,順序性)当てはまらないのは,技能的難易性問題の発生を意味 しているのである。 2.技の系統性と難易性の関係 技を系統的・段階的に指導し,そこに順序性が生かされてくると,一般に技の習得にとっては効 果的・効率的な面が浮き彫りとなってくる。すなわち,正しい道筋で正しい技術が習得されるとと もに時間が短縮され,将来に生かされるような技が身につくようになるのである。しかし, "技は系 統的に配列されているし,指導も段階的に順序良く行われているから技は正しく身につくはずだ" という論理は,系統的に技が用意されていると言っても,選手や生徒が技と対略して最も直接的に 感じる技の難易性問題が取り上げられていないのではないだろうか。基礎技には基礎技のむずかし さがあり,高度な技を実施するときにはそれなりのむずかしさを感じるものである。この間題は重 要であり,技の指導にあって指導者の関心から外れるものではない。すなわちむずかしさ(難易性) とはその技,その指導に固定的に備わっているような絶対的なものではなくて,技を実施するとい うその場面で問題となるということである。一般には基礎技であるからやさしく,高度な技だから むずかしいという認識があるが,果たして,このような公式は成り立つのであろうか。言い換えれ ば,導入技,基礎技,変形技,発展技,応用技等というものは,一体どのような根拠で言われてい ることなのであろうか。技のやさしさやむずかしさとはどのような関係があるのだろうか。 われわれが系統的に配列された技を順に段階を追って習得するということは, UKRANが一般教 育原理に倣って指摘しているように(39-S.102),"単純から複雑へ""容易から困難へ""既知から未 知へ"の実践を意味するものであるから,当然技の系統性とそのむずかしさの間には何らかの関係 があると見なければならない。また BORRMANNもそのリズム研究において(3),鉄棒の膝かけ 回転という簡単な技から平行棒の棒上宙返りという複雑な技へと研究を進めているが,そこでもや はり,やさしい簡単な技と複雑でむずかしい技という認識が支配している(3-S.284),しかしこれ まで見てきたように,本当に単純な技はやさしく,複雑な技はむずかしいのであろうか。 ここで言う単純,複雑という内容が一般的・日常的な意味で理解されている場合には別段問題は 起こらない。単純とはやさしいことであり,複雑とは入り組んだことを表すからである。しかし,技 の習得・指導ということになると事はそうはいかないであろう。その例はすでに挙げた通りである。 簡単な技でも初心者にはむずかしく,複雑で高度な技でも練習を積んで熟達した人にとってはそれ ほどむずかしいとは感じないのである。このように考えてくると,指導における技の単純,複雑と いうことの意味内容をここではっきりさせておかなければならなくなる。 指導やトレーニングでよく問題となるものには,一つは,学校での教材の選定の問題であり(10-S.20),また競技の世界では優秀な選手となるためにはどの技が基本的でどんな技を早く教え込ま なければならないか(16-S.239),という問題である。器械運動では,何学年にどの教材(技)を取

(19)

佐野:体操競技における技の難易性に関する考察 121 り上げるべきかということが言われるが,その場合,その技はその学年にとっては"むずかしい"か "むずかしくない"かが主要な関心事となり(技の難易性; 10-S.20),前学年と当学年そして次学年 ∼ 丁書 とのつながりが重視されることになる(技の系統性)。また,体操競技では基礎技の習得が将来を決 定する立場から,トレーニング理論を取り入れ,トレーニング段階(基礎; Grundlagen,構築; Aufbau,達成; Leistung,最高達成; Hochleistung; 12-S. 14 : 8-S. 13f.)に沿って技能を高めよう

とするのである(8-S.45)。そこでは各技等が整理され,体力要因がとくにかかわる技と感覚重視の 摂とが目的に合うように組み立てられている(技の系統性; 9-S.31ff.57ff.)。しかし,この場合の技 の難易性はどこで問題となっているのだろうか。つまり技そのもののむずかしさ(図式的難易性)を 捉えようとしているのか,それとも技能的難易性を問題にしているのか。一般に多いのは技や教材 それ自体に難易性を捉えてしまうことである。例えば"この技はむずかしいから次学年で学べば良 い"とか"この技はこの学年にはむずかしい"と固定的に捉えたり(10-S.20),"あの選手は今ではむ ずかしい技をよくこなす","簡単な技しかできない"といったように対象として技を捉える等。しか し,学校体育でも見られるように,そのような捉え方は実践の中で変化を起こしているし(10-S.20), また,競技でもそれまでの認識からすれば革新的な認識が常識となっているのである(16-S.240f.)。 それらは,技の系統性に目が向けられるようになったからであり,その結果,力倒立が少年少女の タブーの技ではなくなったり, "前転とび"より"後転とび"が先に手掛けられることも不思議では なくなったのである。 これに伴って,むずかしさはどのような理解に変化したのだろうか。技の系統性に目が向けられ て技の運動構造が明らかにされるようになると,その構造因子の特性が注目されるようになる。例 えば,あん馬の両脚旋回では不安定要素をうまく取り入れることが両脚旋回に重要であることが明 らかになれば(14-S.399),それまでの安定要素の練習とは異なった練習とならざるを得なくなる0 そこでは技の実施のむずかしさに違いがでてきたのである(難易性問題の発生)。しかし,不安定要 素の克服と安定要素の克服にどう差を設けることができるのであろうか。また,マット運動の前転 が技の系統性の観点から見て,接転技群の前方系の技の基礎技であることが明らかとなったとして も(17-S.17ff.),果たしてその前転が伸膝前転,倒立前転,とび前転などの発展技・応用技よりやさ しいということが言えるであろうか。 Ⅰ章において,技の難易性は図式的難易性と技能的難易性に分節化された。またⅠⅠ章(3)では,図 式的難易性とは難易性の点では一定・中立であり,実質的難易性は技能的難易性に委ねられるとい うことであった。このことから言えることは,技の系統的配列による段階指導によって課される技 に順序があるとしても,技そのものの運動構造には難易は問題とされないが,そこに実施者がかか わることによって難易問題が生じてくるということである。図3はこれを図示したものである。 一般に言われている技のやさしさ・むずかしさは,練習対象としてのまた教材としての技を捉え ているのである。"け上がり"や・"前転""倒立"等は基礎としての技であるとともに簡単な技であり, また"宙返り""ひねり宙返り""車輪""二回宙返り"等は高度でむずかしい技である,という認識は

(20)

m 技 能 的 難 易 性 ( 能 力 の 違 い ) 単 純 A よ の 構 造 I 複 雑 ■D C ≠;∫,qg契髪室努照 雲努禦 那 覇 リ ー B +チ-.*r;ヤ禦 今野禦碧幣莞 、 ● 専 門 的 能 ■ ニ 雛 ′■酢%■グ/Zー汝m 展 的 ● 応 用 59 基 礎 的 身 体 的 ● 感 覚 的 能 力 (澄ま怨讐吾蓮い) 図3 技そのものの問題性を取り上げているのであり,言い換えれば技の運動構造に焦点が当てられてい るのである。すでに述べたように,このような認識は技の図式からの理解であり,そこで問題となっ ているのは図式的難易性である。体操競技の世界で考案される"新技"はこの図式的な観点に立って いると言えよう。図3からもわかるように,この場合の難易の度合いは一定でどれもそのむずかし さには差はない。したがって,技の"単純""複雑"ということは,技の運動構造から言われることで あって,相対的概念である"難易性"と直接的関係を持たない。 "単純""複雑"とは,構造上の違い を表しているにすぎないのである。しかし,われわれは最終的に技の難易を問題にする。それは,技 そのもののむずかしさ,すなわち技の運動構造ではなく,その根底のわれわれの技能習熟の差を言っ ているのである。すなわち,技のむずかしさはいずれも一定で同じであるけれども,高度な技Dは その土台に十分なレディネスや運動習熟がなければならないし,単純な技Aはそのレディネスや運 動習熟はD技より少なくて済むことになる。したがって,単純と言われる技Aと複雑な技Dの差 は,その技をマスターするのに必要なレディネスや能力の差なのであり,そのレディネスや能力の 豊富さが技のやさしさ・むずかしさを決定することになる。簡単な技でもむずかしく,複雑で高度 な技でも必ずしもむずかしさを問題にしない,ということはこのような関係から理解できる。さら に,姿勢要因や実施要因が関係してくれぽこのことははっきりしてくる。大切なことは,技A,B,C, Dにはその基礎にそれぞれに対応したレディネスや能力が求められているということである。技を 系統的に配列し,段階的に順序良く指導していくに際しては,技の図式的な観点からではなく,そ れを実現させるこのような諸要因がまず捉えられなければ,選手や生徒の観点に立った指導場面は 成立しないであろう。コーチや教師は簡単な技だと思っているのに選手や生徒にとってはむずかし い技となっていたり,その道の現象が起こる現実をわれわれは知らなければならない。技そのもの (運動構造的視点)の単純・複雑はそれを実施する際のやさしさ・むずかしさに必ずしも一致しない のである。言い換えれば,このような単純・複雑の理解の基に導入技や基礎技,発展技等の技の系

参照

関連したドキュメント

The equivariant Chow motive of a universal family of smooth curves X → U over spaces U which dominate the moduli space of curves M g , for g ≤ 8, admits an equivariant Chow–K¨

Some aspects of the asymptotic behavior of the approximation numbers (= singular values) of matrices in B ( C n 2 ) can be very easily understood by having recourse to the

We show how known nonconstructive lower bound proofs based on the Lov´ asz Local Lemma can be made randomized-constructive using the recent algorithms of Moser and Tardos.. We also

Dies gilt nicht von Zahlungen, die auch 2 ) Die Geschäftsführer sind der Gesellschaft zum Ersatz von Zahlungen verpflichtet, die nach Eintritt der

—Der Adressbuchschwindel und das Phänomen einer „ Täuschung trotz Behauptung der Wahrheit.

Zeuner, Wolf-Rainer, Die Höhe des Schadensersatzes bei schuldhafter Nichtverzinsung der vom Mieter gezahlten Kaution, ZMR, 1((0,

), Die Vorlagen der Redaktoren für die erste commission zur Ausarbeitung des Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches,

Radtke, die Dogmatik der Brandstiftungsdelikte, ((((