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特集にあたって (特集「英語の世紀」の地域研究)

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Academic year: 2021

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特集にあたって (特集「英語の世紀」の地域研究)

著者

川上 桃子

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

178

ページ

3-4

発行年

2010-07

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004457

(2)

アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)

3

  日本における 「地域研究」 は、長 らく、 特定の発展途上国の政治 ・ 経 済・社会現象を対象に事実解明型 の問題設定を行い、現地語を駆使 してフィールドワークや文献調査 を実施し、その成果を日本語で発 表する、というスタイルによって 成果を積み上げてきた。アジア経 済研究所が発行する 『アジア経済』 や研究双書シリーズは、このよう な地域研究の成果の発表媒体とし て、一定の役割を果たしてきた。   だが、日本の発展途上国研究の ありかたには、近年、様々な変化 が生じている。地域の固有性を重 視する総合的なアプローチから縦 割型の研究専門領域との接合性の 重視への変化、一国研究から国際 比較・地域間比較への研究潮流の シフト等、変化の様相はさまざま であるが、本特集では、このよう な変化と深いかかわりを持ちなが ら 生 起 し て い る 新 た な 現 象 と し て、日本の地域研究における「英 語で論文を執筆する」という発信 方法の急速な浸透に注目し、これ が発展途上地域の研究にどのよう な影響をもたらしつつあるのかを 考えてみたい。

日本の地域研究と 「英語の世紀」   水村美苗は『日本語が亡びると き   英 語 の 世 紀 の 中 で 』( 筑 摩 書 房   二〇〇八年)のなかで、英語 が「普遍語」としての地位を獲得 しつつある今日、 日本語による 「読 まれるべき」文学は亡びつつある のではないか、という衝撃的な問 題 提 起 を し た。 だ が、 「 日 本 語 が 亡びるとき」は、社会科学の分野 においてこそ、足早に近づきつつ あるのではないか。   むろん、日本人研究者が日本語 で研究成果を発表しなくなる日が くるとは考えられない。これまで がそうであったように、これから も、日本語による発展途上国研究 の成果は着実に積み重ねられてい くだろう。だが、長期的な視点で みれば、 個々の研究者にとって 「日 本語で書くこと」の意義が大きく 低下するような事態は十分に考え られる。   もとより米国および欧州発の研 究潮流の影響力がきわめて強い社 会科学の分野では、英語をデファ クト・スタンダードとする高度に 統合化された世界規模の学術市場 が出現しつつある。電子ジャーナ ルの普及や研究資源としてのイン タ ー ネ ッ ト の 重 要 性 の 高 ま り と いった研究インフラ面での変化と あいまって、一部の英文ジャーナ ルを頂点とする階層的な構造への 統合の潮流は、日本の地域研究に も着実に押し寄せつつある。



語 で の 発 信 」の 趨 勢 と 揺 ら ぐ 研究 コ ミ ュ ニ テ ィ の 多元性   英語で研究成果を発表すること の最大のメリットは、読み手が飛 躍的に増えることにある。英語の 学術マーケットは、圧倒的な書き 手と読み手の数を有し、 ここから、 日々新たな概念や分析枠組みや実 証 分 析 の 成 果 が 生 み 出 さ れ て い る 。こ の 活 気 に あ ふ れ た 学 術 コ ミ ュ ニ ティ に 参 加 し 、 自 ら の 分 析 や 思 考をより多くの読み手に向けて発 信したいと考えるのは、研究を志 す者の自然な願望であろう。英語 が、国境を越えた社会科学の知識 蓄積の共通言語としての地位を独 占しつつある以上、英語での成果 発信の重要性は明らかである。   だが、英語で論文を執筆すると いうことは、単に使用言語の切り 替えにはとどまらないより根源的 な 問 い を 地 域 研 究 者 に つ き つ け る。吉野耕作が本号の巻頭エッセ イ の な か で 指 摘 し て い る よ う に、 言語の切り替えは、出版文化、研 究 者 の ネ ッ ト ワ ー ク な ど の パ ッ ケージの全体に関わる問題だから である。   何語で書くかをめぐる研究者の 選択は、 「誰に向けて書くのか」 「研 究成果に対する評価づけを誰に委 ねるのか」をめぐる判断と不可分 である。英語での発信の趨勢の広 がりが日本の地域研究にもたらす 影 響 が、 「 読 み 手 の 数 の 広 が り 」 というハッピーな帰結にのみ収斂 しえない理由はここにある。加え て、 「 英 語 で の 発 信 」 が 研 究 現 場 への成果主義の浸透とそのものさ しとしての欧米の著名ジャーナル の威信の高まりといった制度的な 要因と結びつくとき、その影響は さらに複雑なものとなり、様々な 問題をはらむことになる。   具体的には、たとえば「英語で の発信」重視の行き過ぎは、学術 コミュニティの多元性を失わせる 可能性を持っている。日本語をは じめとする「ローカル」な言語で

特集

英語

世紀

地域研究

――特集

地域研究

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アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)

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構 成 さ れ る 研 究 コ ミ ュ ニ テ ィ に は、それぞれの社会の切実な問題 に発する問いかけや、現実認識を めぐる論争、実証研究の積み上げ のなかから共有されるにいたった 固有の着眼点、さらにはそれを操 作化するための固有の概念の蓄積 があり、それが個々の研究者の問 題関心のありかたや分析アプロー チをめぐる創意工夫を下支えする 栄養分としての役割を果たしてい る。   だが、こういったローカルな研 究土壌のなかから育った研究者が 英語の学術界の階層構造に向けて 発信するとき、ローカルなレベル では極めて切実な問題意識に基づ く研究や、英語に翻訳されていな い先行研究に依拠する分析や、翻 訳の難しい概念を基礎とする研究 成果が正当な評価を得ることには しばしば困難が伴う。 地域研究が、 着想や手法や題材の多様性を独特 のバイタリティの源泉としてきた ことを考えるとき、英語の学術市 場への参入の代価は大きい。   また、研究の国際化の道筋には 複数の可能性があることも忘れて はなるまい。発展途上国を研究す る日本人研究者のなかには、韓国 語や中国語、インドネシア語、タ イ語のようなローカルな言語での 発 信 を 通 じ て 、現 地 の 研 究 者 コ ミ ュ ニティとの対話をしてきた伝統が あ る。 研 究 者 間 の 濃 密 な 対 話 に、 現地語を用いて参加できるだけの 語学力を身につけることは、地域 研 究 者 の あ こ が れ で あ る。 「 英 語 での発信」 志向の行き過ぎは、 この よ う な か た ち で の 研 究 者 間 の 対 話 を 細 ら せ る 事 態 を 招 き か ね な い 。

発 展 途 上 国 を め ぐ る 研 究 コ ミ ュ ニティの多元的な発展へ向けて   本特集では、専門領域と研究対 象地域を異にする九人の研究者た ちが、それぞれの研究の現場で起 きている「英語の世紀」現象のあ り よ う や、 こ れ に 対 す る 研 究 コ ミュニティの反応、そして英語で 書くことをめぐる自分自身の経験 や考えをつづったエッセーをお届 けする。この九篇のエッセーから は、英語で書くことが研究者にも た ら す 世 界 の 広 が り とと も に 、 英 語 で 書 く こ と に 伴 う 複 雑 な 力 学 や 、「 英 語 で の 発 信 」 が 内 包 す る 様 々 な 困 難 が 浮 か び 上 が っ て く る 。   言語選択の問題は「何を、どう 書くか」という問題そのものであ る。私たちにとって書くというこ とは、しばしば慣れ親しんだ母語 でしか表現できない複雑さを記述 する過程でもある。本特集のなか で 塩 田 光 喜 が い う よ う に、 「 言 葉 の湧き出る泉」の獲得は一回限り の経験であり、そのような泉の存 在こそが、 深い思索を可能にする。 他方で相沢伸広が言うように、複 数の言語での執筆可能性をもつこ とは、私たちに、研究課題の意味 を考えるうえでの複数の尺度を与 えてくれる。鶴巻泉子は、フラン ス地域研究の立場から、研究の英 語化が様々なレベルで研究者と社 会 の 関 わ り を 変 化 さ せ る こ と を、 コンテキスト性と読み手との関わ りという視点から論じる。   英語での発信はまた、研究者の キャリアのありかたと深く結びつ いた問題である。佐藤章は、研究 者の養成システムという切り口か ら、日本語の学術リソースの先細 りが若手研究者に及ぼしうる負の 影響に警鐘を鳴らす。大原盛樹は アメリカの学部を軸とする縦割型 のキャリア形成システムが、地域 研究者の育ちにくさの背景となっ ていることを指摘している。 英語、 日本語、中国語で多数の業績をあ げてきた台湾の経営学者・劉仁傑 は、台湾における英語ジャーナル 中心主義の弊害を鋭く指摘してい る。東アジアの国々で日本留学組 研究者が置かれている苦境に対し て、日本側からの取り組みを求め る劉の問いかけに、私たちはどの ように応えることができるのだろ うか。   宇佐見耕一は、英語とは異なる か た ち で、 国 境 を 越 え た 学 術 コ ミュニティの共通言語としての役 割を果たしてきたスペイン語の現 状に焦点をあてた。日本経済史の 中村尚史のエッセーからは、豊か な研究の土壌を持つ日本経済史の 研究者が、海外の日本研究者との 出会いから受けた刺激が活き活き と伝わってくる。クー・ブーテッ クは、母語ではない英語で「必然 的に」執筆してきた自らの言語体 験をもとに、日本人研究者にとっ ての英語で書くことの意味を論じ ている。   英語で執筆することで開かれる 国境を越えた活発な相互交流の磁 場 は、 私 た ち を 強 く ひ き つ け る。 だが、英語で発信することが、自 動的に地域研究の国際化やその水 準 の 向 上 を 意 味 す る わ け で は な い。本特集が、学術コミュニティ の使用言語という問題の次元を越 えて、地域研究のグローバル化に 対する複眼的な視座を提供するこ とができるならば幸いである。 ( か わ か み   も も こ / ア ジ ア 経 済 研 究所技術革新と成長研究グループ)

参照

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荒神衣美(こうじんえみ) アジア経済研究所 地域研究センター研究員。ベトナム の農業・農村発展について研究しており、