Title
謝花昇年譜草稿
Author(s)
田港, 朝和
Citation
沖縄史料編集所紀要(1): 101-125
Issue Date
1976-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7622
Rights
沖縄県沖縄史料編集所
謝
花
昇
年
譜
草
稿
参
考
文
献
〉
『 沖 縄 県 史 』 16 新 聞 集 成 「 政 治 経 済 1 」 大 里 康 永 『 沖 縄 の 自 由 民 権 運 動 』 ( 復 刻 本 ) 『 琉 球 新 報 』 明 治 三 十 一 年 ∼ 四 十 四 年 沖 縄 史 料編
集
所
蔵
比 嘉 春 潮 『 沖 縄 の 歴 史 』 ( 一 九 五 九 年 版 ) 『 沖 縄 県 史 』 11 「 上 杉 県 令 巡 回 日 誌 」 太 田 朝 敷 『 沖 縄 県 政 五 十 年 』『
沖
縄
県
統
計
書
』
沖
縄
史
料
編
集
所
蔵
『
沖
縄
時
論
』
第
二
十
七
号
沖
縄
史
料
編
集
所
蔵
新 川 明 『 異 族 と 天 皇 の 国 家 − 沖 縄 民 衆 史 へ の 試 み 』 『 沖 縄 県 史 』 18 新 聞 集 成 「 教 育 」田
港
朝
和
◎
一
八
六
五
年
(
慶
応
元
)
一
歳
九 月 二 十 八 日 、 島 尻 郡 東 風 平 間 切 東 風 平 の 申 級 以 上 の 農 家 の 七 人 兄 弟 ( 男 四 、 女 三 ) の 長 子 と し て 生 れ た 。 父 の 名 は 勝 太 郎 と い い 、 母 は 優 し い 人 で 、 人 々 に 親 し ま れ 、 謝 花 昇 の 少 年 時 代 の 向 学 心 を 、 農 村 の 封 建 的 な 慣 習 か ら た え ず ま も っ て く れ た と い わ れ る 。 ◎ 一 八 六 八 年 ( 明 治 元 ) 四 歳 十 一 月 、 当 山 久 三 、 国 頭 郡 金 武 間 切 並 里 で 父 政 助 、 母 ウ シ の 長 男 と し て 生 れ る 。 姉 ・ 妹 ・ 弟 二 人 の 五 人 兄 弟 で あ っ た 。 一 101 一◎
一
八
七
七
年
(
明
治
十
)
=
二
歳
こ の こ ろ 、 按 司 地 頭 義 村 御 殿 に 奉 公 す る 。 大 里 康 永 は そ の 著 書 に お い て 「 謝 花 の 奉 公 に 行 っ た 年 は 正 確 に は わ か ら な い が 、 一 般 に 片 頭 を 結 っ て か ら で な い と 奉 公 で き な い 制 度 に な っ て い る の で 、 お そ ら く 一 三 歳 の 時 だ と 想 像 さ れ る 」 と 述 べ て い る が 、 こ の = 二 歳 は 当 時 の 慣 習 か ら し て 数 え 年 の = 二 歳 と み る の が 妥 当 で あ る 。 と す る と 、 一 八 七 七 年 が = 二 歳 の 時 期 に あ た る 。 な お 、 大 里 の 著 書 に 付 さ れ て い ろ 「 謝 花 昇 関 係 年 譜 」 で は 、 一 八 七 八 年 を = 二 歳 と し て お り 、 ま た 新 里 恵 二 も 同 じ く 一 八 七 八 年 を 一 三 歳 と し て い る 。◎
一
八
七
九
年
(
明
治
十
二
年
)
一
五
歳
三 月 、 廃 藩 置 県 ( 琉 球 処 分 ) が お こ な わ れ る 。 沖 縄 県 と な り 、 初 代 県 令 に 鍋 島 直 彬 が 任 命 さ れ る 。 ◎ 一 八 八 〇 年 ( 明 治 十 三 ) 一 六 歳 二 月 、 県 庁 内 に 会 話 伝 習 所 を 設 立 、 「 沖 縄 対 話 」 に よ っ て 共 通 語 を お し え る 。 六 月 、 会 話 伝 習 所 を 師 範 学 校 と な す 。 ◎ 一 八 八 一 年 ( 明 治 十 四 ) 一 七 歳 五 月 、 二 代 県 令 上 杉 茂 憲 来 任 す る 。 七 月 二 十 日 、 間 切 か ら 選 抜 さ れ 、 強 制 的 に 師 範 学 校 に 入 学 さ せ ら れ る 。◎
一
八
八
二
年
(
明
治
十
五
)
一
八
歳
十 月 二 十 一 日 、 太 田 朝 敷 ・ 岸 本 賀 昌 ・ 謝 花 昇 の 三 人 に 東 京 留 学 の 辞 令 が 渡 さ れ る 。 沖 縄 師 範 学 校 生 徒 東 京 留 学 申 付 二 辞 令 如 左但
各
通
師
範
学
校
生
徒
全
全
東
京
留
学
申
付
候
事
但 在 学 期 三 ケ 年首
里
士
族
太 田 朝那
覇
士
族
岸
本
賀
東
風
平
間
切
平
民
謝
花
敷
昌
昇
一 102 一東 京 在 学 中 為 学 資 一 ケ 月 金 拾 円 給 与 候 事 十 月 二 十 六 日 、 伊 江 朝 沢 、 今 帰 仁 朝 蕃 に 東 京 留 学 の 辞 令 が 渡 さ れ る 。
首
里
中
学
生
徒
華
族
伊
江
朝
永
弟
伊
江
朝
沢
全
今
帰
仁
朝 敷 三 男 今 帰 仁 朝 蕃 東 京 留 学 ノ 辞 令 書 ヲ 渡 ス ⇒ 十 一 月 二 日 、 伊 江 朝 沢 が 病 身 を 理 由 に 東 京 留 学 を 辞 退 し 、 か わ り に 高 嶺 朝 教 が な る 。 華 族 伊 江 朝 沢 東 京 留 学 被 命 候 処 病 身 二 付 御 断 之 願 ヲ 出 ス 則 チ 許 可 ア リ 首 里 士 族 高 嶺 朝 教 東 京 留 学 辞 令 ノ 御 請 書 ヲ 出 ス 十 二 月 二 十 八 日 、 学 習 院 の 漢 学 科 に 入 学 。◎
一
八
八
三
年
(
明
治
十
六
)
一
九
歳
四 月 、 上 杉 罷 免 さ れ 、 岩 村 通 俊 県 令 と な る 。 七 月 、 学 習 院 で は 試 験 ご と に 一 番 に な る と い う 優 秀 さ で 、 別 則 中 学 の 三 級 に 進 級 す る 。 ◎ 一 八 八 四 年 ( 明 治 十 七 ) 二 〇 歳 三 月 、 学 科 ・ 体 操 と も に 成 績 優 秀 の た め 助 教 と な る 。 こ の 年 、 当 山 久 三 、 金 武 小 学 校 の 第 一 期 生 と し て 卒 業 す る 。◎
一
八
八
五
年
(
明
治
十
八
)
二
一
歳
六 月 、 専 門 学 校 へ 入 学 す る た め 、 学 習 院 を 中 途 退 学 し 、 東 京 山 林 学 校 へ 入 学 す る 。 坤 林 第 一 一 四 号東
京
山
林
学
校
へ
入
校
志
願
者
特 許 ノ 義 二 付 御 届 沖 縄 県 平 民 謝 花 昇 義 山 林 学 志 願 二 付 当 省 所 轄 東 京 山 林 学 校 二 致 入 学 度 旨 ヲ 以 願 書 ヲ 付 シ 特 二 該 県 令 ヨ リ 校 長 へ 照 会 ノ 趣 モ 候 処 素 ヨ リ 校 則 モ 夫 々 有 之 義 ニ ハ 候 得 共 右 ハ 他 県 人 ト 難 同 視 場 合 モ ア リ 且 該 県 下 学 的 上 一 般 ノ 奨 励 ト モ 可 相 成 ノ 美 事 二 付 合 格 ノ 如 何 二 不 拘 員 外 生 ト ナ シ 特 別 ヲ 以入
校
差
許
候
条
右
様
御
聞
置
相
成
度
此
段
及
御
届
候
也
明 治 十 八 年 六 月 四 日農
商
務
卿
伯
爵
西
郷
従
道
太
政
大
臣
公
爵
三
条
実
美
殿
こ の 東 京 山 林 学 校 は 、 農 商 務 省 東 京 山 林 学 校 一 103 一と 称 し 、 山 林 局 の 管 理 下 に あ っ て 山 林 に 関 す る 学 術 的 な こ と と 実 技 が 重 で あ っ た 。 開 校 は 明 治 十 五 年 十 二 月 一 日 で あ る 。
◎
一
八
八
六
年
(
明
治
十
九
)
二
二
歳
七 月 、 東 京 山 林 学 校 と 駒 場 農 学 校 が 統 合 さ て れ 、 東 京 農 林 学 校 と な る 。◎
一
八
八
七
年
(
明
治
二
十
)
二
一
歳
こ の 年 、 政 府 の 条 約 改 正 案 が も と で 自 由 民 権 運 動 家 を 中 心 に 反 対 運 動 が 起 こ り 、 そ れ が 三 大 事 件 建 白 運 動 に 発 展 、 東 京 は そ の 政 治 運 動 の 渦 中 に あ っ た が 、 東 京 に は 、 そ の こ ろ 四 十 数 名 の 沖 縄 出 身 留 学 生 が い た 。 留 学 生 の ほ と ん ど が 旧 支 配 階 級 上 層 の 子 弟 で 、 か れ ら は こ の 政 治 運 動 に 刺 激 さ れ て 「 復 藩 論 」 に 熱 中 、 し か し 謝 花 昇 は 「 沖 縄 人 は 日 本 国 民 と し て 其 の 統 治 に 服 従 す る を 以 て 幸 福 な り 」 と 反 対 し て コ 意 学 業 に 勉 励 」 し た と つ た え ら れ る 。 ◎ 一 八 九 〇 年 ( 明 治 二 十 三 ) 二 六 歳 九 月 、 東 京 農 林 学 校 が 帝 国 農 科 大 学 に な る と そ の ま ま 農 科 大 学 に 進 学 。 農 学 を 専 攻 す る 。 十 一 月 、 当 山 久 三 、 国 頭 郡 の 羽 地 小 学 校 で 教 鞭 を と る 。 こ の 年 、 東 京 に お い て 沖 縄 青 年 会 創 設 。 謝 花 昇 は 、 そ の 機 関 誌 の 編 集 員 に え ら ば れ る 。 こ の 年 、 当 山 久 三 、 師 範 学 校 を 卒 業 す る ( 二 一二 歳 ) 。 ◎ 一 八 九 一 年 ( 明 治 二 十 四 ) 二 七 歳 七 月 十 日 、 優 秀 な 成 績 で 帝 国 農 科 大 学 を 卒 業 す る 。 卒 業 論 文 「 讃 岐 国 糖 業 実 況 及 び 其 改 良 策 」 九 月 二 十 六 日 、 沖 縄 最 初 の 学 士 と な っ て 帰 郷 。 郷 里 東 風 平 の 人 々 は 薦 旗 を 立 て て 彼 を 迎 え る 。 早 速 、 奏 任 に よ り 沖 縄 県 技 師 に 任 命 さ れ る 。 沖 縄 人 最 初 の 高 等 官 。◎
一
入
九
二
年
(
明
治
二
十
五
)
二
八
歳
一 月 九 日 、 第 八 回 九 州 沖 縄 八 県 連 合 共 進 会 委 員 に 命 ぜ ら れ る 。 七 月 、 知 事 奈 良 原 繁 赴 任 す る 。 こ の 年 、 中 村 十 作 ・ 城 間 正 安 は 宮 古 島 の 人 頭 税 廃 止 104運 動 を 指 導 組 織 し 、 奈 良 原 知 事 に そ の 制 度 改 革 を 訴 え る 。
◎
一
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三
年
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二
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二
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歳
一 月 、 当 山 久 三 、 羽 地 小 学 校 か ら 郷 里 の 金 武 小 学 校 に 転 勤 剃 ( 二 六 心 歳 ) 。 三 月 十 八 日 、 宮 古 農 民 の 訴 え に よ り 、 奈 良 原 知 事 は 蔵 元 ・ 村 番 所 の 機 構 を 改 革 、 吏 員 の 定 員 を 減 じ 、 名 子 、 御 蔭 米 、 宿 引 女 の 廃 止 と 予 算 協 議 会 の 設 置 等 を 内 訓 し た 。 と こ ろ が 、 士 族 殊 に 現 職 吏 員 の い や が ら せ や 銀 願 に あ っ て 、 制 度 改 正 の 実 施 を 保 留 す る 。 九 月 八 日 、 泉 崎 村 農 事 試 験 場 で 開 か れ た 沖 縄 私 立 勧 業 会 で 「 甘 蕪 … 敷 地 に 就 て 」 演 説 を お こ な う 。 九 月 十 五 日 、 沖 縄 最 初 の 新 聞 『 琉 球 新 報 』 が 那 覇 区 字 西 の 民 家 で 創 刊 。 創 刊 者 は 藩 王 尚 泰 侯 の 四 男 尚 順 を 中 心 と す る 旧 支 配 階 級 の 子 弟 た ち で あ っ た 。 尚 順 、 高 嶺 朝 教 、 護 得 久 朝 惟 、 豊 見 城 盛 和 、 太 田 朝 敷 の 面 々 。 十 一 月 、 経 費 を 宮 古 島 内 全 農 家 = 当 り 二 、 三 銭 酸 出 し 中 村 十 作 ・ 城 間 正 安 ・ 福 里 村 の 西 里 蒲 ・ 保 良 村 の 平 良 真 牛 の 四 人 が 代 表 と な っ て 制 度 改 革 を 政 府 ・ 議 会 に 請 願 す る た め 上 京 。 十 二 月 一 日 、 内 務 部 第 三 課 勤 務 を 命 ぜ ら れ る 。 こ の 年 、 郷 里 東 風 平 の 豪 農 長 田 家 の 娘 清 子 ( 十 六 ) と 結 婚 す る 。 清 子 の 兄 秀 雄 は 後 に 「 沖 縄 倶 楽 部 」 に 参 加 経 済 的 援 助 を お こ な う こ と に な る 。 こ の 年 、 従 七 位 。 ◎ 一 八 九 四 年 ( 明 治 二 十 七 ) 三 〇 歳 一 月 、 宮 古 農 民 代 表 ら 政 府 に 島 政 改 革 の 建 議 書 を 提 出 す る 。 一 月 十 一 日 、 国 頭 地 方 の 杣 山 巡 視 の た め 出 張 。 十 余 日 に わ た っ て 今 帰 仁 、 本 部 両 間 切 の 杣 山 を 巡 回 す る 。 報 告 書 「 国 頭 地 方 本 部 間 切 杣 山 の 景 況 」 。 五 月 、 本 部 間 切 を 代 表 し 大 城 盛 三 郎 、 玉 城 甚 五 郎 ら 三 十 名 は 「 杣 山 開 墾 不 許 可 被 成 度 義 に 付 歎 願 」 書 を 県 当 局 に 提 出 。 105七 月 、 首 里 の 有 力 な 士 族 二 十 八 組 二 百 余 人 の 開 墾 願 を 却 下 。 九 月 ご ろ 、 開 墾 事 務 主 任 を 罷 免 さ せ ら れ る 。 後 任 に 知 事 腹 心 の 黒 川 佐 助 が な る 。 こ の 年 、 土 地 整 理 調 査 委 員 会 設 置 。 こ の 年 、 政 府 は 内 務 書 記 官 一 木 喜 徳 郎 を 「 旧 制 度 運 用 の 実 情 と 人 心 の 傾 向 等 調 査 」 の た め 沖 縄 に 派 遣 。
調
査
報
告
コ
木
書
記
官
取
調
書
」
◎
一
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三
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歳
一 月 、 宮 古 農 民 代 表 ら 帝 国 議 会 、 政 府 に 「 宮 古 島 島 費 軽 減 及 島 政 改 革 の 件 」 を 提 出 す る 。 十 一 月 、 当 山 久 三 、 金 武 小 学 校 を 辞 職 す る 。◎
一
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三
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歳
六 月 、 『 沖 縄 糖 業 論 』 ( 五 十 五 頁 ) を 自 費 出 版 。目
次
緒 言 第 一 章 糖 業 の 沿 革 第 二 章 気 候 及 土 性 1 地 位 2 気 候 3 地 形 及 土 質 第 三 章 耕 地 1 山 林 原 野 と 耕 地 の 関 係 2 耕 地 と 庶 作 反 別 の 関 係 3 耕 地 と 農 民 の 関 係 4 庶 作 地 と 農 民 の関
係
第
四
章
栽
培
第
五
章
製
造
第
六
章
収
甑
及
収 支 計 算 1 蕪 作 反 別 と 収 獲 物 の 関 係 2 収 支 計 算 第 七 章 販 売 第 八 章 改 良 の 要 点 第 九 章 糖 業 に 関 す る 慣 例 規 約 沖 縄 の 輸 出 額 は 砂 糖 が 七 九 ・ 六 % ( 明 治 二 十 六 年 ) も し め て お り 、 砂 糖 の 消 長 が 県 下 一 般 の 盛 衰 に 関 わ る ほ ど 重 要 な 産 業 で あ る こ と を 指 摘 し 、 台 湾 が 「 我 帝 国 の 版 図 に 帰 」 せ る と 「 我 砂 糖 の 価 額 」 に 変 動 を き た す こ と は 明 ら か で あ り 、 し た が っ て 、 台 湾 と 拮 抗 す る 覚 悟 で 糖 業 の 振 興 を 計 画 す る こ と が 目 下 の 急 務 で あ る と 「 緒 言 」 は 述 べ て い る 。 こ の 年 、 尚 寅 外 七 人 の 発 起 で 「 公 同 会 」 を 結 成 。 そ の 目 的 は 尚 家 を 世 襲 の 沖 縄 県 知 事 と す る 特 別 制 度 を し く こ と で あ っ た 。 太 田 朝 敷 が そ の 著 『 沖 縄 県 政 五 十 年 』 で 述 べ て 106い る 次 の 回 想 の 部 分 に 相 当 す る 。 明 治 二 十 九 年 か 三 十 年 の 頃 、 開 化 党 の 長 老 株 の 間 に 起 つ た の は 、 尚 泰 侯 を 本 県 知 事 に し て 貰 い た い と い う 問 題 で 、 こ れ に は 頑 固 党 の 多 数 が 賛 同 し た の で 、 公 同 会 と い う 団 体 を 組 織 し 、 遂 に 政 府 に 請 願 す る と い う 運 動 に ま で 移 っ た 。 留 学 帰 り の 護 得 久 朝 惟 、 高 嶺 朝 教 、 豊 見 城 盛 和 の 諸 君 と 共 に 私 も 仲 間 入 り し た の だ が 、 当 時 鹿 児 島 新 聞 の 通 信 記 者 で あ っ た 佐 々 木 笑 受 郎 君 な ど は 、 冷 か し 半 分 の 態 度 で こ れ を 評 し 、 故 ら に 復 藩 論 と 名 づ け て 役 割 ま で 製 造 し て 新 聞 に 発 表 し た こ と が あ る 。 立 憲 政 治 も 既 に 十 年 近 く 経 て 来 た 時 代 で あ る か ら 、 こ ん な 請 願 が 採 用 さ れ な い 位 い は わ か り 切 っ た 話 し で 、 吾 々 は 人 心 を 転 換 さ せ る 適 宜 の 一 策 と し て 援 助 し た わ け だ が 、 こ の 問 題 に つ い て は 留 学 生 の 連 中 か ら も 手 厳 し く 攻 撃 さ れ た 。 こ の 運 動 は 当 然 の 結 果 と し て 、 有 耶 無 耶 の う ち に 消 滅 し て 仕 舞 っ た が 、 当 時 新 知 識 の 所 有 者 と 許 さ れ た 吾 々 ま で が こ の 運 動 に 参 加 し た の は 、 却 っ て 県 人 に 対 す る 信 用 を 傷 つ け る 以 外 何 等 の 効 果 も 持 ち 来 さ な か っ た の で あ る 。 適 宜 の 一 策 な ど と 理 く つ は つ け て も 、 少 く と も 思 慮 の 足 り な か っ た 責 は 免 か れ な い 。
◎
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七
年
(
明
治
三
十
)
三
三
歳
二 月 、 沖 縄 県 書 記 官 ・ 川 路 利 恭 ほ か 十 人 に 賞 与 。 最 高 は 川 路 の 百 五 十 円 、 最 低 は 謝 花 の 四 十 円 。 秋 、 公 同 会 メ ン バ ー 、 那 覇 ・ 首 里 各 二 人 、 五 郡 は 各 } 人 、 都 合 九 人 の 代 表 者 が 上 京 し て 政 府 に 請 願 す る 。 十 】 月 、 当 山 久 三 、 那 覇 尋 常 高 等 小 学 校 雇 教 員 と な る ( 月 俸 金 拾 二 円 ) 十 二 月 、 土 地 整 理 調 査 委 員 に 任 命 さ れ る 。 ◎ 一 八 九 八 年 ( 明 治 三 十 一 ) 三 四 歳 一 月 、 県 参 事 官 ・ 俵 孫 一 ほ か 七 人 に 賞 与 。 こ こ で も 謝 花 は 最 低 の 四 十 円 。 二 月 十 八 日 、 当 山 久 三 那 覇 尋 常 高 等 小 学 校 雇 教 員 を 107依 願 免 職 そ の 後 上 京 し た と お も わ れ る 。 三 月 十 六 日 、 沖 縄 県 農 工 銀 行 定 款 が 認 可 に な る 。 こ の 農 工 銀 行 の 創 設 に は 謝 花 も 設 立 委 員 と な っ て 努 力 し た と い わ れ る 。 定 款 は 七 章 八 十 三 条 か ら な っ て い た が 、 第 十 二 条 、 第 五 十 三 条 第 三 項 、 第 六 十 二 条 の な か の 区 . 間 切 ・ 島 ・ 村 の 五 字 が 削 除 さ れ て い た 。 そ れ は 、 こ の 区 間 切 島 村 が 農 工 銀 行 法 に 定 め る 市 町 村 と は 異 な る と す る 大 蔵 省 の 法 解 釈 に よ っ て い た 。 と こ ろ が 、 農 工 銀 行 の 株 金 の ほ と ん ど が 、 間 切 共 有 金 に よ る も の で 、 募 集 す る 株 金 は 単 に 其 不 足 を お ぎ な う だ け の も の と さ れ て い た 。 し た が っ て 、 こ の 法 解 釈 は 「 本 県 に 農 工 銀 行 を 設 立 し 得 る や 否 や 」 の 重 要 事 で あ っ た 。 三 月 三 十 日 、 高 等 官 五 等 と な る 。 四 月 二 十 四 日 、 沖 縄 県 私 立 教 育 会 ( 総 裁 県 知 事 奈 良 原 繁 、 会 長 師 範 学 校 長 小 川 銀 太 郎 、 機 関 誌 「 琉 球 教 育 」 ) の 常 集 会 に お い て 、 「 農 事 試 験 場 の 実 験 談 」 と 題 し て 講 演 す る 。 五 月 十 三 日 、 奈 良 原 知 事 上 京 。 目 的 は 、 地 租 改 正 ( 土 地 整 理 ) の 件 を 臨 時 議 会 に 提 出 さ せ る こ と と 、 農 工 銀 行 の 問 題 を 解 決 す る た め で あ っ た 。 六 月 五 日 、 第 十 八 回 砂 糖 審 査 会 の 褒 賞 授 与 式 が 開 か れ る 。 こ の 第 十 八 回 の 審 査 長 は 謝 花 で あ っ た 。 六 月 、 「 本 県 技 師 謝 花 昇 氏 は 従 六 位 に 昇 進 せ り 」 六 月 、 上 京 中 の 奈 良 原 の 尽 力 に よ っ て 、 区 . 間 切 . 島 ・ 村 も 農 工 銀 行 の 株 主 と な る こ と が で き る 、 と い う こ と に な り 、 こ こ に や っ と 定 款 の 確 定 を 見 る 。 六 ・ 七 月 ご ろ 、 黒 頑 派 の 領 袖 義 村 翁 清 国 福 建 州 に 於 い て 病 没 す 。 謝 花 昇 が 十 三 歳 の こ ろ 、 奉 公 し て い た 按 司 地 頭 で あ る 。 六 十 余 歳 で あ っ た 。 … … … 先 年 公 同 会 員 の 上 京 す る や 翁 も 亦 た 奮 起 し て 老 体 の 身 を 厭 は す 僅 か に 部 下 両 三 名 を 引 連 れ て 東 上 し 以 て 吾 か 所 信 を 争 は ん と 企 て た り 然 れ ど も 事 成 ら ず 帰 郷 の 後 ち 毫 も 屈 す る 色 な く 志 108
益 々 固 く し て 終 に 清 国 に 脱 走 し 死 し て 而 し て 後 ち 已 む に 至 る 。 七 月 十 七 日 、 「 株 式 会 社 沖 縄 県 農 工 銀 行 株 式 募 集 」 の 公 告 が 琉 球 新 報 に 載 る ( 設 立 委 員 長 大 木 房 英 ) 。
資
本
金
弐
拾
万
円
(
壱
株
金
弐
拾
円
)
八 月 四 日 、 奈 良 原 知 事 帰 県 す る 。 乙 の 日 、 午 後 二 時 か ら 南 陽 館 に お い て 歓 迎 会 が 開 か れ る 。 男 爵 尚 順 は 「 歓 迎 の 辞 」 で 、 地 租 改 正 ( 土 地 整 理 ) が 緒 に つ き 、 農 工 銀 行 定 款 が 認 可 さ れ た の は 、 奈 良 原 知 事 が 「 沖 縄 之 進 歩 に 就 き 常 に 着 眼 の 点 を 大 且 広 に 」 し て 熱 血 を そ そ が れ た 結 果 で あ り 、 深 く 感 謝 す る と こ ろ で あ る 、 と 述 べ る 。 発 起 人 は 伊 是 名 朝 睦 ・ 豊 見 城 盛 和 ・ 嘉 数 詠 顕 ・ 男 爵 尚 順 ・ 山 里 永 錫 ・ 護 得 久 朝 惟 ・ 今 帰 仁 朝 和 ・ 朝 武 士 干 城 ・ 斎 藤 用 之 助 ・ 肥 後 孫 左 衛 門 等 で あ っ た 。 こ の 年 の 夏 上 京 し て 憲 政 党 内 閣 ( 最 初 の 政 党 内 閣 ) の 内 相 板 垣 退 助 に 会 い 、 奈 良 原 の 沖 縄 か ら の 追 放 を 求 め た 、 と 大 里 康 永 は そ の 著 者 ( 復 刻 本 ) で 述 べ て い る が 、 琉 球 新 報 ( 四 月 ∼ 十 二 月 ) に は 、 記 事 と し て み あ た ら な い 。 謝 花 の 動 勢 は 奈 良 原 や 琉 球 新 報 側 に 注 目 さ れ て い た と 考 え ら れ る が 、 故 意 に 記 事 と し て と り あ げ な か っ た の だ ろ う か 。 十 一 月 十 五 日 、 琉 球 新 報 は 「 農 工 銀 行 重 役 資 格 人 名 」 を 掲 載 す る 。 定 款 に よ る と 、 頭 取 、 取 締 役 は 三 十 株 以 上 の 所 有 者 、 監 査 役 は 二 十 株 以 上 の 所 有 者 の な か か ら そ れ ぞ れ 選 挙 さ れ る こ と に な っ て い た 。 △ 那 覇 区 総 株 数 一 一 〇 二三
十
株
以
上
嘉 数 詠 顕 ・ 山 里 永 錫 ・ 他 県 人 の 平 尾 喜 三 郎 ・ 前 島 清 三 郎 ら を 含 む 十 五 名 二 十 株 以 上 は 六 名 △ 首 里 区 総 株 数 一 〇 九 三三
十
株
以
上
尚 順 ・ 高 嶺 朝 教 ・ 高 嶺 朝 申 ・ 伊 是 名 朝 睦 を 含 109む 十 一 名
二
十
株
以
上
は
十
名
△ 島 尻 郡 総 株 数 三 八 〇 六三
十
株
以
上
謝 花 昇 た だ 一 人二
十
株
以
上
具 志 保 門 ・ 上 原 堅 竹 ら 六 名 △ 中 頭 郡 総 株 数 一 二 四 六 ℃三
十
株
以
上
神 村 吉 郎 を 含 む 三 名二
十
株
以
上
は
五
名
△
国
頭
郡
総
株
数
一
五
〇
九
三 十 株 以 上 は 上 間 幸 助 た だ 一 人二
十
株
以
上
も
一
名
具 志 ・ 神 村 ・ 上 間 は 後 の 「 沖 縄 倶 楽 部 」 の 活 動 に 参 画 す る 人 達 で 、 謝 花 を 中 心 に こ の 農 工 銀 行 を 拠 点 に し て 、 今 後 の 諸 活 動 の 展 開 を 打 ち 合 わ せ て い た の か も し れ な い 。 十 一 月 二 十 五 日 、 農 工 銀 行 創 業 総 会 が 南 陽 館 階 上 で 開 か れ 、 重 役 が 選 挙 さ れ る 。 取 締 役 嘉 数 詠 顕 ・ 山 里 永 錫 ・ 謝 花 昇 監 査 役 高 嶺 朝 教 ・ 神 村 吉 郎 ・ 具 志 保 門 十 一 月 三 十 日 、 南 陽 館 に お い て 農 工 銀 行 頭 取 が 選 定 さ れ る 。 取 締 役 の 中 か ら 抽 せ ん に よ っ て 、 頭 取 に 嘉 数 詠 顕 ・ 常 務 取 締 役 に 謝 花 昇 が 選 ば れ る 。 た だ し 、 謝 花 昇 の 常 務 取 締 役 は 相 談 に よ っ た と い わ れ る 。 十 二 月 十 日 、 上 京 す る 。 上 京 の 目 的 は 「 氏 の 産 地 な る 島 尻 郡 内 の 百 姓 地 及 び 旧 地 頭 地 を 各 村 百 姓 共 に 永 久 独 占 せ し む る 請 願 労 々 運 動 の 為 」 で 「 美 濃 紙 十 帖 大 の 委 任 状 と を 」 持 参 し 「 島 尻 郡 総 代 の 資 格 」 で 上 京 、 そ の 旅 費 は 島 尻 郡 の 有 志 者 の 寄 付 金 に よ っ て お り 、 金 額 は 二 百 円 で あ っ た 。 そ し て 、 そ の ま ま 県 庁 を や め て 野 に 下 る 。 大 里 康 永 は 、 謝 花 の 退 職 の 情 況 を 次 の よ う に 述 110べ て い る 。 … … … 総 て の こ と 志 と 違 っ て 奈 良 原 の 暴 政 は い ぜ ん と し て 続 け ら れ 、 県 民 の 福 祉 は つ い に 守 る べ き 途 も な く 、 謝 花 は 憤 葱 と 落 胆 と を 禁 ず る 能 わ ず 、 か く て は 野 に 下 り 県 民 と 手 を 組 ん で 戦 い 、 そ の 与 論 を 作 興 し て 反 動 的 支 配 者 を 追 う に し か ず と 決 意 し 、 一 八 九 八 ( 明 治 三 一 ) 年 一 二 月 、 つ い に そ の 官 職 を 辞 し て 野 に 下 っ た の で あ る 。 ま た 、 太 田 朝 敷 は 次 の よ う に 回 想 し て い る 。 … … … そ の 四 十 万 県 民 中 唯 一 人 の 高 等 官 た り 学 士 た る 謝 花 技 師 は 、 県 庁 で 余 り よ い 待 遇 を 受 け ず 、 為 め に 種 々 の 不 平 が こ ん が ら が っ て 、 明 治 三 十 一 ・ 二 年 の 頃 遂 に そ の 職 を 辞 し 、 島 尻 郡 の 有 志 者 を 集 め て 県 当 局 に 対 す る 反 抗 運 動 を 起 し た 。
◎
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歳
昨 年 十 二 月 初 め 上 京 し た 謝 花 は 「 他 府 県 出 身 の お 役 人 様 方 を 幾 名 程 } 味 」 し 「 相 談 役 及 び 斡 旋 人 」 と し て の 協 力 の も と に 請 願 運 動 を お こ な っ て い る よ う で あ る 、 と に が に が し そ う に 琉 球 新 報 は 報 じ て い る が 、 又 同 じ 日 ( 一 月 九 日 ) の 別 項 に は 「 謝 花 昇 の 運 動 に 関 す る 怪 報 」 と 題 し 、 「 在 京 の 某 氏 」 よ り の 「 私 信 」 と し て 「 多 年 全 県 下 の 人 民 か 切 望 し 来 り た る 土 地 整 理 を 延 期 せ し め ん と 」 運 動 し て お り 、 そ れ は 「 今 回 諭 示 免 官 と な り た る 腹 い せ 」 の た め か 、 と 述 べ 、 さ ら に 「 斯 る 運 動 を な す に 至 り て は 実 に 奇 怪 至 極 沙 汰 の 限 り 狂 気 の 沙 汰 」 で あ る と 、 非 難 し た 手 紙 を 載 せ て い る 。 琉 球 新 報 の こ の よ う な 非 難 ・ 中 傷 は 、 謝 花 の 県 庁 在 職 中 の 行 動 に た い し て 、 記 事 と し て と り あ げ て お こ な っ て お ら ず ( 四 月 ∼ 十 一 月 ) 県 庁 を 辞 め た 直 後 、 す な わ ち 十 二 月 以 後 露 骨 に し か も 精 力 的 に お こ な う よ う に な っ た と み ら れ る 。 こ の 上 京 中 田 中 正 造 と 接 触 す る 。 一 月 ご ろ 、 東 京 で 「 沖 縄 倶 楽 部 」 が 結 成 さ れ る 。 発 起 人 は 謝 花 昇 ・ 当 山 久 三 ・ 神 谷 正 次 郎 ら で あ 111っ た 。
設
立
趣
意
書
今 や 自 治 の 制 度 は 施 さ れ 地 租 の 改 正 は 着 手 せ ら れ ん と す 本 県 の 情 態 亦 昔 日 の 観 に あ ら さ る な り 此 時 に 方 り 我 県 民 た る も の は 各 其 従 ふ 所 に 応 し て 宜 し く 尽 す へ き の 力 を 蜴 し 一 意 専 心 百 般 事 項 の 改 善 発 達 を 促 し 以 て 大 に 本 県 の 福 利 を 計 ら さ る へ け ん や 而 し て 此 目 的 を 達 せ ん と す る に は 朝 野 の 差 別 を 問 は す 職 業 の 異 同 を 論 せ す 同 心 相 求 め 同 声 相 応 し て 以 て 提 携 共 進 す る に 如 く は な し 因 て 我 輩 同 志 相 謀 り 一 の 倶 楽 部 を 組 織 し 雑 誌 を 発 刊 し 時 に 一 堂 に 相 会 し 相 互 の 交 情 を 温 め 諸 般 の 問 題 を 研 究 し 互 に 知 識 を 交 換 し 協 心 鐵 力 以 て 其 実 を 挙 け ん と す 希 く は 此 挙 を 賛 助 し 入 会 せ ら れ ん 事 を 同 時 に 機 関 誌 『 沖 縄 時 論 』 を 創 刊 す る ( 四 十 余 ぺ ー ジ ) 一 月 十 三 日 、 沖 縄 県 農 エ 銀 行 設 立 委 員 ( 委 員 長 大 木 房 英 ) で 取 扱 っ て い た 事 務 が 取 締 役 に 引 き 継 が れ る 。 二 月 、 選 挙 法 施 行 案 が 「 衆 議 院 議 員 選 挙 法 申 改 正 法 律 案 審 査 特 別 委 員 会 」 に 付 託 さ れ 、 定 員 は 宮 古 、 八 重 山 を 除 く 二 区 三 郡 か ら 二 名 で 「 但 し 沖 縄 県 に お い て は 勅 令 を 以 て 施 行 の 期 日 を 定 む 」 と い う 案 が 決 定 、 衆 議 院 に 提 出 さ れ 通 過 す る 。 こ の こ と に 関 し 、 琉 球 新 報 は 三 月 十 二 日 号 の 記 事 「 議 員 選 挙 法 改 正 案 」 で 「, 同 法 案 の 規 定 は 沖 縄 県 民 が 当 然 享 有 す べ き 参 政 権 全 部 の 七 分 五 を 剥 奪 す る 」 こ と で あ り 、 こ の 法 案 に 反 対 の 意 を 表 明 し て 「 完 全 な る 参 政 権 」 を 得 る こ と に 努 力 し な け れ ば な ら な い と 述 べ 、 こ の 法 案 の 「 不 公 平 の 規 定 を 見 る に 至 る は 本 県 島 尻 郡 東 風 平 間 切 の 人 謝 花 昇 氏 の 運 動 狂 奔 に 依 れ り と 云 へ ば 氏 は 取 り も 直 さ ず 沖 縄 県 民 参 政 権 の 大 部 分 を 剥 奪 す る 事 に 尽 力 し 県 民 の 幸 福 を 希 望 せ さ る の 人 と し て 官 民 共 に 之 を 記 憶 せ ざ る へ か ら ず 」 と 論 難 し た 。 こ れ を 読 ん だ 謝 花 は す ぐ に 三 月 十 四 日 に 次 の よ 112う な 取 消 の 記 事 を 掲 載 し た 。 … … … 記 事 中 小 生 に 関 す る 事 項 は 事 実 相 違 の 廉 有 之 候 の み な ら ず 投 票 の 方 法 に 付 衆 議 院 と 貴 族 院 と の 議 不 相 合 選 挙 法 全 部 廃 案 に 相 成 候 に 付 此 全 文 を 掲 け て 御 取 消 相 成 度 候 也 . ・ … … . 三 月 六 日 、 当 山 久 三 と と も に 東 京 か ら 帰 県 。 さ っ そ く 沖 縄 倶 楽 部 の 組 織 化 の た め に 地 方 遊 説 に で か け る 。 四 月 五 日 、 沖 縄 県 農 工 銀 行 営 業 を 開 始 。 四 月 十 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 二 号 発 行 。 広 告 文 に 「 … … … 私 利 を ふ て 権 勢 を 媚 び る 好 物 横 行 し て 社 会 衆 民 の 為 め に 赤 心 以 て 直 個 に 公 利 正 道 を 振 興 す る 仁 人 義 士 に 至 り て は 実 に 少 し … … 我 等 藪 に 沖 縄 時 論 を 発 刊 し 熱 誠 殉 公 の 正 気 を 鼓 し て 威 勢 を 揮 ら ず 声 利 を 貧 ら ず 一 直 前 往 衆 民 の 為 め に 妊 邪 を 排 し 平 民 的 進 歩 主 義 の 先 鋒 と な り 以 て 大 に 其 幸 福 を 企 図 せ ん と 欲 す 是 れ 我 等 平 生 の 大 願 望 な り 」 と 、 沖 縄 倶 楽 部 の 方 向 性 と 沖 縄 時 論 発 刊 の 意 義 ・ 目 的 を 宣 伝 し た 。
目
次
○ 世 の 有 意 者 に 激 す ○ 謝 花 兄 に 与 ふ ○ 政 治 家 談 片 ○ 県 庁 移 転 問 題 ○ 土 地 整 理 同 盟 会 規 則 ○ 其 他 数 件 と こ ろ が 、 琉 球 新 報 が こ の 第 二 号 に つ い て 「 謝 花 氏 同 臭 味 の 人 々 の 設 立 に 係 る 沖 縄 倶 楽 部 機 関 雑 論 ( 誌 ) 沖 縄 時 論 第 二 号 は 産 月 に 後 れ て 此 程 漸 く 生 れ 出 て た り 其 紙 数 の 僅 か に 十 頁 に し て 表 装 な く 印 刷 の 不 十 分 な る 事 は 其 難 産 の 程 想 ひ 遣 ら れ 其 論 す る 所 其 記 す る 所 は 未 た 之 を 論 評 す る に 足 ら ず 」 と 評 し て い る と こ ろ か ら 時 論 は 広 告 文 の 意 気 込 み ほ ど に は 、 そ の 内 容 は 充 実 し て い な か っ た と い え る 。 四 月 、 土 地 整 理 法 実 施 さ れ る 。 五 月 二 十 一 日 、 南 陽 館 で 開 か れ た 俵 孫 一 参 事 官 の 送 別 の 宴 で 「 惜 別 兼 攻 撃 演 説 」 を お こ な う 。 琉 球 新 報 は 「 送 別 会 場 に 於 て 主 人 の 位 置 に 在 る 一 113者 が 場 所 を 構 は ず 礼 儀 を 顧 み ず 正 賓 に 対 し て 攻 撃 の 演 説 を す る は 蓋 し 宇 宙 に 歴 史 あ り て 以 来 謝 花 氏 を 以 囑 矢 と な す 」 と 非 難 し た 。 七 月 、 「 活 版 印 刷 営 業 並 諸 官 衙 役 場 学 校 御 需 用 之 筆 紙 墨 類 其 他 一 切 ノ 諸 品 」 を 販 売 す る 「 南 陽 社 」 を 開 業 す る 。
印
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人
具
志
保
門
八 月 十 三 日 、 旧 留 学 生 第 二 回 茶 話 会 主 催 の 通 俗 学 術 演 説 会 で 弁 士 の 一 人 に 選 ら ば れ て 演 説 を お こ な う 。 琉 球 新 報 は 謝 花 昇 の 演 説 を 次 の よ う に つ た え て い る 。 … … 開 口 一 番 余 は 御 茶 話 を な し て 諸 君 の 清 聴 を 汚 さ ん と て 余 か 沖 縄 に 対 し 尽 さ ん と す る 精 神 と 主 義 は 在 官 の 時 よ り 在 野 の 今 日 に 至 る ま で 始 終 一 貫 し て 替 ら ず と て 代 議 士 選 出 の 必 要 の 事 、 並 に 之 か 為 め に 上 京 し て 運 動 し た る 成 行 を 語 り 更 に 歩 を 進 め て 目 下 着 手 中 の 土 地 整 理 事 業 の 事 に 及 び 当 局 の 行 為 に 啄 を 容 れ ん と す る や 学 術 の 範 囲 を 脱 し 政 談 に 渉 る の 虞 あ る を 以 て 幹 事 は 注 意 を 与 へ た り し か ば 氏 は 乃 ち 話 頭 を 転 し て 然 ら は 県 庁 施 政 の 沿 革 を 語 ら ん と て 置 県 以 来 の 県 庁 の 歴 史 を 略 述 し 各 知 事 の 行 為 を 批 判 し 進 て 現 今 の 知 事 の 行 為 に 及 び 談 将 に 政 治 に 渉 ら ん と す る を 以 て 幹 事 は 再 ひ 注 意 を 与 へ た る に そ 又 も や 氏 は 話 頭 を 転 し て 前 弁 士 豊 見 城 氏 の 演 説 中 首 里 那 覇 の 盛 衰 は 全 県 に 影 響 す る を 以 て 其 隆 盛 発 達 を 図 ら さ る へ か ら す 云 々 の 語 を 捉 へ 来 り て 之 に 反 駁 を 加 へ た る 後 ち 余 は 全 県 の 為 め に は 寧 ろ 首 里 那 覇 の 衰 微 を 希 望 す と 言 ひ 放 ち 進 て 公 同 会 を 罵 り 会 員 の 行 為 を 誹 諦 し て 人 身 攻 撃 を 始 め た り し か は 全 く 茶 話 会 の 趣 意 と 相 反 し 甚 た 穏 な ら さ る を 以 て 幹 事 は 聞 く に 堪 へ ず 又 も や 注 意 々 々 と 連 呼 し た り し か は 謝 花 氏 は 終 に 演 説 を 了 ら ず 憤 然 と し て 演 壇 を は 引 退 き た り き … : : : 八 月 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 三 号 発 行 。 こ の 三 号 か ら 「 政 治 雑 誌 」 と し て 内 容 も あ ら た 114に 「 従 来 最 も 善 良 な る 沖 縄 県 民 が 深 く 心 に 思 ふ て 未 だ 口 に 発 せ ざ る 総 て の 事 を ば 我 等 は 其 代 表 者 と し て 利 を 貧 ら ず 威 を 畏 れ ず 独 立 不 羅 の 精 神 を 以 て 正 義 公 論 を 主 張 し 当 さ に 沖 縄 の 正 気 を 発 揮 し て 盛 ん に 気 烙 相 吐 き 申 候 」 と 強 い 決 意 を 新 聞 広 告 に 出 し た 。
目
次
O 琉 球 記 者 に 一 矢 を 酬 ふ ( 参 政 権 問 題 に 就 て 琉 球 記 者 に 痛 撃 を 加 へ て 剴 切 ) 〇 一 蟹 一 笑 − 聖 廟 一 件 に 関 し て 開 化 一 派 の 暴 を 諾 る ○ 同 窓 会 報 を 評 す ○ 其 他 種 々 琉 球 新 報 も 「 第 二 号 に 比 す れ ば 印 刷 、 体 裁 、 記 事 に 至 る 迄 遙 に 優 れ る 事 は 菰 に 断 言 す る を 愕 ら ず 」 と 評 し な が ら 、 琉 球 新 報 に む け て 書 い た 、 参 政 権 問 題 を あ つ か っ た 「 琉 球 記 者 に 一 矢 を 酬 ふ 」 と い う 論 説 に 対 し て 「 失 笑 噴 飯 録 沖 縄 時 論 記 者 の 誤 迷 論 」 と 題 し て 六 回 に わ た っ て 論 陣 を は り 反 論 を お こ な っ た 。 こ の 第 三 号 を 契 機 に 『 沖 縄 時 論 』 と 『 琉 球 新 報 』 は お 互 に 論 敵 と し て こ こ に 顕 在 化 し 、 琉 球 新 報 は 、 沖 縄 倶 楽 部 の 活 動 に 注 目 し 、 そ の 都 度 新 聞 の 記 事 と し て 取 り 上 げ 攻 撃 ・ 反 論 す る こ と に な る 。 こ の 三 号 か ら 、 沖 縄 時 論 は 発 行 日 を 七 の 日 と 決 め 、 月 に 三 回 発 行 す る 。 こ の 三 号 か ら 沖 縄 で 発 行 す る よ う に な り 編 集 陣 容 を 整 え る 。 編 集 長 は 諸 見 里 朝 鴻 一 で あ っ た 。 諸 見 里 は 琉 球 新 報 関 係 者 と 思 想 的 に 対 立 離 反 し て い る と こ ろ へ 、 謝 花 昇 の 誘 い が あ っ て 共 鳴 「 客 分 」 と し て 参 加 、 南 陽 社 の 社 員 と な っ て 時 論 執 筆 の 中 心 と な る 。 佐 々 木 笑 受 郎 が 参 画 す る の も こ の 三 号 あ た り か ら で あ っ た 。 八 月 二 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 四 号 発 行 。 第 三 号 に 引 き 続 き 「 琉 球 記 者 に 一 矢 を 酬 ふ 」 の 本 論 と 那 覇 港 が 「 海 外 貿 易 要 衝 」 の 地 と し て 認 め 115ら れ 開 港 す る こ と を 祝 っ て 開 催 さ れ る 予 定 の 九 月 二 日 の 「 開 港 祝 賀 会 」 ( 発 起 人 ・ 伊 是 名 朝 睦 ・、 尚 順 ・ 斎 藤 用 之 助 ら ) に た い し 、 反 対 す る と い う 論 説 が お も な 内 容 で あ っ た 。 九 月 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 五 号 発 行 。 第 四 号 に ひ き つ づ い て 那 覇 港 の 「 開 港 祝 賀 会 」 を 非 難 し た 論 説 が 載 っ た 。 沖 縄 時 論 が 「 開 港 祝 賀 会 」 に 反 対 し 非 難 す る 理 由 は 、 日 清 戦 争 の 勝 利 と お な じ ほ ど に 「 国 家 的 な 大 慶 事 で あ る 条 約 改 正 実 施 の 祝 賀 会 が 他 府 県 に お い て は 開 ら か れ て い る に も か か わ ら ず 、 こ こ 沖 縄 で は 開 か れ ず 、 た ん な る 地 方 的 な 那 覇 港 開 港 を 祝 っ て い る 。 こ れ は 「 国 家 的 精 神 の 発 達 」 を 阻 害 す る も の で あ る 、 と い う こ と で あ っ た 。 こ れ に た い し 、 琉 球 新 報 は 「 沖 縄 時 論 の 剛 腹 」 と 題 し 、 「 他 府 県 の 例 は 如 何 な る 事 と 錐 と も 之 に 同 化 せ さ る へ か ら ず と 謂 ふ に 類 し 不 見 識 の 至 極 に し て 沖 縄 を 愛 す る 所 以 に あ ら さ る な り 」 と 沖 縄 の 独 自 性 を 主 張 し 、 「 沖 縄 の 幸 福 を 増 進 せ ん か 為 に 那 覇 開 港 の 祝 賀 会 」 を 開 催 す る も の で 「 之 に 賛 同 し た 官 民 は 則 ち 善 良 の 官 民 」 で あ り 、 こ れ に 反 対 、 あ る い は 中 傷 す る 者 は 「 則 ち 本 県 の 幸 福 を 希 望 せ さ る 不 良 の 暴 漢 」 で あ る と 反 論 し た 。 十 一 月 十 七 日 、 謝 花 昇 ・ 当 山 久 三 ・ 喜 舎 場 朝 賢 ・ 仲 程 某 の 四 人 、 参 政 権 運 動 及 び 浮 掛 地 償 金 廃 止 運 動 の た め 上 京 す る 。 十 二 月 三 十 一 日 、 謝 花 ら 帰 県 。 十 二 月 当 山 久 三 は 二 十 七 名 の 第 一 回 布 畦 移 民 を 送 り 出 す 。 『 沖 縄 県 統 計 書 』 ( 沖 縄 県 内 務 部 ) に よ る と 『 沖 縄 時 論 』 の 頒 布 先 は 、 県 内 は も ち ろ ん 、 東 京 府 と 長 崎 と そ し て 遠 く 台 南 で あ っ た 。 頒 布 先 の 東 京 府 は 当 然 と し て 理 解 で き る が 、 長 崎 そ し て 台 南 と い う の は ど の よ う な 関 係 あ る い は 人 が い た の だ ろ う か 。 県 内 の 購 読 者 は 新 教 育 を う け た 人 た ち が 主 で 、 こ れ ら の 人 た ち は 地 方 の 小 学 校 教 師 な ど を 116
し て い て 、 彼 ら を と お し て 、 謝 花 ら の 思 想 が 浸 透 し て い っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 各 番 所 に は 無 料 で 送 付 し て い た よ う で あ る 。 ◎ 一 九 〇 〇 年 ( 明 治 三 十 三 ) 三 六 歳 一 月 二 十 八 日 、 沖 縄 県 農 工 銀 行 通 常 株 主 総 会 と 臨 時 総 会 が 開 か れ る 。 通 常 株 主 総 会 は 議 案 で あ る 第 二 期 営 業 報 告 が 原 案 ど お り 可 決 さ れ て 終 り 、 ひ き つ づ い て 臨 時 株 主 総 会 が 開 か れ 「 新 商 法 実 施 の 結 果 定 款 を 変 更 せ さ る の 不 已 得 に 在 る を 以 て 第 一 条 よ り 第 二 十 条 迄 は 原 案 通 り 異 議 な く 」 可 決 さ れ た が 「 第 二 十 一 条 ( 重 役 の 数 を 制 限 し た る 条 f 琉 球 新 報 明 治 三 十 一 年 四 月 に 数 回 に わ た っ て 掲 載 さ れ た 定 款 で は 第 二 十 二 条 に な っ て い る ー 引 用 者 ) に 至 り て 突 然 謝 花 昇 氏 外 二 人 の 発 起 に て 改 正 案 を 提 出 」 し た た め に 「 菰 に 至 り て 議 論 百 出 是 迄 静 粛 な る 議 場 は 忽 ち 討 戦 場 と 変 し → 時 非 常 の 雑 沓 」 を き わ め た 。 謝 花 ら が 提 出 し た 「 改 正 案 」 と は 、 本 島 三 郡 か ら 各 一 名 つ つ 、 首 里 那 覇 か ら も 各 一 名 つ つ 重 役 を 選 出 す る と い う こ と で あ っ た 。 こ の 改 正 案 の 提 出 で 「 貧 欲 飽 く な き ケ チ な 爺 、 野 心 諺 勃 た る 乱 暴 の 壮 士 、 餓 へ た る 政 治 家 、 痩 せ た る 実 業 家 二 区 三 郡 の 隈 々 よ り 先 き を 争 ふ て 突 進 し 来 り そ れ に 局 外 の 自 称 策 士 俗 吏 の 弥 次 馬 共 走 せ 加 は り た り け れ ば 株 主 の み の 小 せ り 合 に て 止 ま る べ き 筈 の 事 件 を ぱ 思 も 寄 ら ぬ 辺 に ま で 波 及 」 さ せ 「 競 争 は 益 々 激 烈 と な り 幾 分 の 魂 胆 は 行 は れ 幾 多 の 策 略 は 画 か れ ぬ 実 に 是 沖 縄 近 時 の 大 問 題 」 と い わ し め る ま で に 拡 大 ・ 問 題 化 し て い っ た 。 と こ ろ で 、 農 工 銀 行 法 は 一 八 九 六 年 に 制 定 さ れ 、 一 八 九 八 年 一 月 の 静 岡 農 工 銀 行 を 最 初 と し て 各 府 県 農 工 銀 行 が つ ぎ つ ぎ と 創 設 さ れ て い っ た 。 そ し て 一 九 〇 〇 年 八 月 の 阿 波 農 工 銀 行 が 最 後 で あ っ た と い わ れ る か ら 、 沖 縄 の 農 工 銀 行 の 創 設 は 決 し て お そ く は な か っ た と い え る 。 農 工 銀 行 の 業 務 は 農 工 業 の 改 良 発 達 の た め に 、 117 、 ■
不 動 産 抵 当 に よ る 年 賦 貸 付 、 定 期 貸 付 、 公 共 団 体 に 対 す る 無 抵 当 貸 付 を お こ な う こ と で あ っ た 。 と こ ろ が 、 資 金 難 に お ち い っ た 農 銀 は 、 は や く も 一 八 九 九 年 ( 明 治 三 十 一 ) に は 日 本 勧 業 銀 行 ( 一 八 九 六 年 日 本 勧 業 銀 行 法 は 成 立 し 、 地 主 金 融 機 関 と し て 勧 銀 は 創 設 さ れ た ) の 系 列 下 に 組 織 さ れ 、 代 理 貸 付 を す る に い た り 、 地 主 層 は 農 銀 を 支 配 す る こ と に よ っ て 、 地 方 の 中 小 農 民 ( 小 地 主 ・ 上 層 農 民 ) を 支 配 す る 可 能 性 を 得 る に い た る 。 そ し て 府 県 農 工 銀 行 の 支 配 が 争 点 と な り 、 政 争 の 場 と な っ て い た 。 そ れ は 沖 縄 に お い て も 例 外 で は な か っ た と い え る 。 沖 縄 で も 選 挙 ・ 被 選 挙 権 が 施 行 さ れ る と い う 法 令 も 制 定 さ れ る に い た っ て い た か ら 、 農 銀 役 員 選 挙 を め ぐ っ て い ろ い ろ の 思 惑 が 露 顕 し て い っ た と 考 え ら れ る 。 明 治 三 十 年 代 の 初 期 に お い て 、 沖 縄 に お け る 勢 力 分 野 を ほ ぼ 三 つ に 区 分 で き る の で は な い か 。 一 つ は 、 奈 良 原 を 中 心 と す る そ の 腹 心 の 部 下 や 寄 留 商 人 の 勢 力 、 二 つ は 沖 縄 の 旧 支 配 階 級 上 層 、 三 つ は 、 謝 花 ら 沖 縄 倶 楽 部 の 勢 力 と で あ る 。 と こ ろ が 農 銀 の 創 設 の 際 、 奈 良 原 は そ の 腹 心 の 部 下 を 重 役 と し て 乗 り 込 ま せ よ う と し て 、 旧 支 配 階 級 上 層 の 猛 烈 な 反 対 に あ っ て す で に 失 敗 し て い た と い わ れ 、 し た が っ て 謝 花 ら 沖 縄 倶 楽 部 と 旧 支 配 階 層 と が 農 銀 の 重 役 選 挙 を め ぐ っ て 相 対 立 し 、 ま た 各 間 切 地 方 を ま わ っ て 票 集 め に 狂 奔 し た の で あ る 。 そ し て そ れ ぞ れ 二 区 三 郡 か ら 一 人 つ つ の 候 補 者 を 立 て 、 旧 支 配 層 は 「 二 区 三 郡 有 志 連 合 派 」 ( 一 名 「 老 年 派 」 と も よ ば れ た ) と 名 乗 り 、 琉 球 新 報 に は 謝 花 を 中 傷 す る 記 事 を し き り に の せ 、 ま た 県 庁 に 務 め て い た 仲 吉 朝 助 は 出 張 の 名 目 で 国 頭 地 方 を ま わ り 、 各 間 切 長 ら の 抱 込 み に 奔 走 し て い た 。 一 方 そ れ に 対 抗 し て 、 謝 花 ら も そ の 機 関 誌 沖 縄 時 論 ( 第 二 十 号 ) に 候 補 者 名 ( 一 名 「 壮 年 派 」 と よ ば れ た ) を 載 せ て 宣 伝 し 、 連 合 派 に 対 す る 反 118
論 等 を 書 い て 、 両 者 は 「 感 情 的 」 な 争 い に ま で 発 展 し て い っ た 。 沐 縄 倶 楽 部 の 候 補 者 は 、 取 締 役 に 首 里 か ら 高 嶺 朝 申 、 那 覇 渡 久 地 政 島 、 島 尻 謝 花 昇 、 申 頭 神 村 吉 郎 、 国 頭 当 山 久 三 ら で 、 監 査 役 に は 、 外 間 完 薫 、 具 志 保 門 の 二 人 で あ っ た 。 旧 支 配 階 層 ら 二 区 三 郡 有 志 連 合 派 は 取 締 役 に 、 首 里 伊 是 名 朝 睦 、 那 覇 嘉 数 詠 顕 、 島 尻 上 原 堅 竹 、 中 頭 神 村 吉 郎 、 国 頭 宮 城 貞 秀 、 監 査 役 に 山 里 永 錫 、 高 嶺 朝 申 を お し て い た 。 神 村 と 高 嶺 は 両 方 か ら 推 さ れ て お り 、 神 村 な ど は こ の 時 点 で は す で に 沖 縄 倶 楽 部 か ら 遠 の い て い た と 考 え る の が 妥 当 だ し 、 神 村 に 固 執 し て い た 謝 花 ら は そ の 運 動 の 弱 さ 、 拙 さ を 露 顕 さ せ て い た と い え る 。 三 月 十 一 日 、 第 二 回 農 工 銀 行 臨 時 株 主 総 会 が 南 陽 館 で 開 か れ る 。 役 員 選 挙 が お こ な わ れ 、 結 果 は 老 年 派 ( 二 区 三 郡 有 志 連 合 派 ) の 大 勝 利 で あ っ た 。 三 四 二 二 二 取 老
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こ の 選 挙 で 大 勝 利 を お さ め た 二 区 三 郡 有 志 連 合 派 は 、 き ら に 追 い 打 ち を か け る よ う に 、 琉 球 新 報 に 謝 花 ら を 調 刺 し た は が き 投 書 や 記 事 を の せ た り 、 ま た 「 沖 縄 県 農 工 銀 行 株 主 諸 君 二 告 ク 」 と い う 次 の よ う な 特 別 広 告 を だ し た 。 吾 々 は 銀 行 を 政 事 運 動 に 濫 用 せ ん と す る 野 心 者 輩 を 我 が 経 済 界 よ り 退 治 し 銀 行 の 基 礎 を 蟄 固 な ら し む る 為 め 公 正 に し て 実 業 に 熱 心 な る 諸 士 を 重 役 に 推 し た る に 予 期 の 如 く 株 主 諸 君 の 賛 同 を 得 右 候 補 者 大 多 数 を 以 て 当 選 せ る は 吾 々 が 諸 君 と 共 に 満 足 す る 所 な り 然 れ と も 所 謂 窮 猟 猫 を 噛 む 彼 野 心 者 輩 は 自 今 例 の 毒 筆 毒 舌 を 逞 ふ し て 種 々 の 妨 害 を 試 み つ ㌧ あ り 諸 君 の 明 敏 な る 必 す や 彼 等 の 好 策 を 冷 笑 に 付 せ ら る ㌧ を 信 す 。三
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志
者
三 月 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 二 十 一 号 、 二 十 七 日 第 二 十 二 号 、 四 月 七 日 第 二 十 三 号 発 行 。 農 工 銀 行 役 員 選 挙 に 関 す る 論 評 ・ 記 事 が ほ と ん ど で あ っ た よ う で あ る 。 こ の 役 員 選 挙 に お け る 「 法 人 株 の 個 人 代 理 は 無 効 」 で あ る の で 、 し た が っ て 投 票 も お の ず か ら 無 効 で あ る と 主 張 し て い た 。 こ の 法 人 株 と い う の は 間 切 共 有 金 に よ っ て 購 入 さ れ た 間 切 所 有 の 株 で あ っ た か ら 、 間 切 長 一 個 人 の 権 限 で 投 票 す る こ と の 不 当 性 を 主 張 し た の で は な い か と お も わ れ る 。 そ こ で 、 謝 花 ら 沖 縄 倶 楽 部 は 取 締 役 を 相 手 ど っ て 訴 訟 を お こ す に い た っ た 。 こ の こ ろ 、 役 員 選 挙 で 敗 れ た 直 後 、 謝 花 昇 は 「 田 舎 地 方 遊 説 」 を し た ら し く 琉 球 新 報 の 「 投 書 欄 」 は 、 沖 縄 倶 楽 部 が 「 肺 結 核 」 に か か り 「 新 ツ 120ベ ル ク リ ン の 療 法 」 を う け る た め に 資 金 あ つ め に 「 地 方 遊 説 と は 出 掛 け た る 次 第 」 な り 、 と 皮 肉 っ た が 、 お そ ら く 謝 花 の 地 方 遊 説 の 目 的 は 投 票 の 不 当 性 を 説 き 、 今 度 の 選 挙 が 無 効 で あ る こ と を 力 説 し て 、 協 力 を 要 請 す る た め で あ っ た ろ う 。 四 月 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 二 十 四 号 発 行 。 お も な 目 次 ○ 干 渉 を 論 じ て 県 民 に 警 告 す ○ 学 事 の 奨 励 ○ 金 持 に な る 妙 法 ○ 第 二 号 の 同 窓 会 報 批 評 ○ 農 工 銀 行 の 取 締 役 愈 よ 訴 へ ら る ( 其 事 実 詳 細 に 記 せ り ) ○ 農 工 銀 行 改 正 定 款 と 農 工 銀 行 法 と の 抵 触 ○ 漫 湖 の 舟 遊 〇 一 筆 集 、 琉 球 新 報 の 「 く さ く さ 録 」 は 次 の よ う に 時 論 を 評 し て い る 。 … … 沖 縄 時 論 を 評 し て 朝 報 的 な ど と 云 ふ も の あ る が 是 れ 髄 か に 誤 れ り 朝 報 は 官 民 の 差 別 な し 時 論 は 然 ら ず 其 区 画 の 存 す 所 甚 だ 意 味 あ り 之 を 研 究 す る 又 本 県 の 為 じ や 四 月 二 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 二 十 五 号 発 行 。 “ 「 共 有 金 処 分 に 関 す る 大 疑 問 」 と い う 論 説 を 掲 載 。 琉 球 新 報 は た だ ち に こ の 問 題 を 取 り 上 げ 、 県 民 に か わ っ て 「 当 局 者 」 ( 県 庁 ) に 問 い た だ し た と こ ろ 、 こ の 疑 問 は 「 時 論 記 者 が 疎 漏 杜 撰 の 観 察 よ り 来 れ る 誤 解 」 と 「 邪 推 妄 想 」 か ら 出 た も の で 「 疑 問 と す る に 足 ら さ る 」 も の で あ る 、 と 五 回 に わ た っ て 反 論 を 掲 載 し た 。 こ れ は 、 農 工 銀 行 重 役 選 挙 問 題 と そ の 裁 判 に た い す る 反 撃 で あ っ て 、 政 敵 で あ る 謝 花 ら 沖 縄 倶 楽 部 へ の 徹 底 的 な 攻 撃 で あ っ た 。 五 月 二 日 、 株 主 当 山 久 三 、 前 監 査 役 具 志 保 門 の 二 人 は 嘉 数 詠 顕 ・ 山 里 永 錫 、 謝 花 昇 の 三 重 役 を 相 手 取 り 、 三 月 十 一 日 に 開 か れ た 農 工 銀 行 総 会 の 決 議 と 重 役 予 選 投 票 無 効 判 決 請 求 の 第 一 回 公 判 が 、 那 覇 地 方 裁 判 所 で 開 か れ た 。 五 月 四 日 、 第 二 回 公 判 。 被 告 弁 護 士 前 島 清 三 郎 は 担 121
保 金 五 千 四 百 四 十 円 十 九 銭 を 請 求 す る 。 五 月 十 七 日 、 『 沖 縄 時 論 』 第 二 十 七 号 発 行 。
目
次
論
説
○ 共 有 金 処 分 に 関 し て 琉 球 新 報 に 寄 す雑
報
○ 記 臆 ( 憶 ) す べ き 五 月 十 日 ○ 農 工 銀 行 訴 訟 弁 護 料 ○ 弁 護 料 は 訴 訟 費 用 に あ ら ず ○ 大 里 間 切 の 小 学 校 分 離 の 事 件 ○ 稲 作 景 況 ○ 公 園 の 議 を 賛 す ○ 農 工 銀 行 株 主 に 告 く ○ 大 清 潔 法 彙 報 続 ○ 乾 隆 四 年 御 支 配 奉 行 よ り 申 渡 条 々 覚 ○ 裁 判 傍 聴 録 ○ 越 来 間 切 会 議 員 間 切 長 の 違 法 処 分 取 消 を 請 求 す ○ 所 有 権 の 復 回 出 願 に 就 き ○ 金 武 通 信 ○ 国 頭 郡 に て は 七 八 年 前 よ り ○ 南 阿 戦 争 の 講 和 条 件 ○ 志 賀 矧 川 の 貧 富 差 別 談 ○ 外 国 種 と 台 湾 種 と の 製 糖 比 較 ○ 御 製 軍 歌 O 重 要 物 産 同 業 組 合 法 〇 一 筆 集 雑 報 の な か の 「 記 臆 ( 憶 ) す べ き 五 月 十 日 」 は 、 皇 太 子 の 御 慶 事 ( 結 婚 ) は 大 い に よ ろ こ ば し く 、 そ し て そ れ を 記 念 し て 奥 武 山 を 公 園 と す る こ と は 「 太 佳 々 々 」 と 祝 福 し 、 「 鳴 呼 我 皇 室 萬 歳 萬 々 歳 」 と 歓 喜 し て い る 。 ま た 、 「 農 工 銀 行 株 主 に 告 く 」 に お い て 、 訴 訟 の 理 由 を 次 の よ う に 述 べ て い る 。 吾 僑 は 事 を 好 む も の に 非 ず 、 又 争 を 好 む 者 に 非 ざ る な り 、 然 り と 錐 も 、 吾 循 は 主 義 を 以 て 社 会 に 立 つ 者 、 主 義 の 為 に は 如 何 な る 窮 苦 、 災 難 も 敢 て 事 と せ ず 、 死 た も 尚 ほ 辞 せ ざ る な り 、 代 言 せ ば 主 義 と 共 に 生 き 主 義 と 共 に 死 す る 者 な り 、 夫 れ 然 り 而 し て 臨 明 総 会 に お け る 会 議 の 全 体 が 不 法 に 行 は れ 銀 行 の 目 的 に 反 し た る も の と 信 ず 、 県 下 農 工 業 の 目 的 に 反 す る も の た る を 知 る も の な り 、 何 故 に 純 然 た る 民 業 に 官 吏 が 挙 て 干 渉 を な し た る ぞ 総 会 の 役 員 投 票 は 公 正 に 挙 行 さ れ た る 規 其 122結 果 役 員 は 遺 憾 な き 人 物 が 予 選 さ れ た る か 一 考 を 要 せ ず し て 識 別 す る を 得 ん 吾 循 は 会 の 決 議 が 不 法 に し て 銀 行 の 目 的 に 反 し た る を 信 じ た る が 故 に 、 其 決 議 に 屈 従 す る を 恥 じ る も の な り 公 共 事 業 の 為 看 過 す る を 得 ざ る な り 、 然 り 而 し て 其 不 法 を 正 す は 、 裁 判 所 の 公 判 を 公 平 な る 裁 判 を 仰 ぐ の 外 途 な き を 信 ず 、 故 に 訴 訟 を 提 起 し た り : : 六 月 一 日 、 第 三 回 公 判 。 六 月 六 日 、 中 間 判 決 。 被 告 人 代 理 請 求 の 通 り 来 る 廿 日 ま で に 保 証 金 五 百 円 を 供 托 す べ し 七 月 二 日 、 最 終 弁 論 開 か れ る 。 七 月 四 日 、 「 本 訴 は 棄 却 す 訴 訟 費 用 は 原 告 の 負 担 と す 」 の 判 決 が で て 、 原 告 当 山 久 三 ・ 具 志 保 門 ら 「 沖 縄 倶 楽 部 」 の 敗 訴 と な る 。 八 月 ご ろ 、 諸 見 里 朝 鴻 は 南 陽 社 を 辞 め て 上 京 す る 。 十 一 月 六 日 、 軍 人 招 魂 祭 が 南 陽 館 で お こ な わ れ る 。 こ れ は 明 治 二 八 年 か ら こ の 年 九 月 ま で に 病 死 あ る い は 事 故 死 し た 沖 縄 出 身 軍 人 の 霊 を 慰 め る た め で あ っ た 。 県 ・ 郡 の 官 僚 や 太 田 朝 敷 、 高 嶺 朝 教 ら と と も に 発 起 人 に 謝 花 昇 も な る 。 『 明 治 三 三 年 沖 縄 県 警 察 統 計 表 』 に よ る と 、 こ の 一 年 間 の 『 沖 縄 時 論 』 の 発 行 部 数 は 、 管 内 一 五 、 四 七 一 管 外 七 二 九 計 一 六 、 二 〇 〇 で あ る 。 ◎ 一 九 〇 一 年 ( 明 治 三 十 四 ) 三 七 歳 農 工 銀 行 重 役 選 挙 で 敗 れ た 沖 縄 倶 楽 部 の 同 志 は 、 自 己 の 生 き 方 を 求 め て 海 外 へ 出 て 行 き 、 あ る い は 過 去 の 生 活 に も ど り 倶 楽 部 の 活 動 は 不 可 能 な 状 態 に あ っ た 。 そ の 中 で 謝 花 昇 も 活 動 に 財 産 を つ か い は た し 、 生 活 の 逼 迫 の な か に あ り 、 山 口 県 に 職 を 得 て そ こ に 赴 任 の 途 中 、 神 戸 駅 で 突 然 発 狂 し 、 沖 縄 に 帰 っ て 来 た 、 と い わ れ る 。 そ れ は 六 月 の は じ め ご ろ で あ っ た 。 そ の 状 況 を 琉 球 新 報 は 次 の よ う に つ た え て い る 。 123
一 時 民 間 に 呼 号 し て 田 舎 の 為 め 万 才 の 気 焔 を 吐 き し 全 氏 は 昨 年 農 銀 の 一 敗 以 来 味 方 散 乱 し て 兎 角 逆 運 の み 打 続 き し が 其 後 東 京 に 出 て 何 か 仕 途 を 求 め た る も さ て 心 事 は 蹉 陀 た り 易 く し て 思 ふ 様 に は 行 か ぬ が 浮 世 の 浮 き 沈 み 朝 夕 殿 誉 の 渦 中 に 俳 ふ て 快 々 楽 ま ざ り し に 此 が 原 因 と な り し か 神 経 疾 を 患 い 東 京 を 離 る る こ と と な り 過 日 入 港 の 金 沢 丸 よ り 帰 郷 し 専 ら 静 養 中 の 由 ◎ 一 九 〇 二 年 ( 明 治 三 十 五 ) 三 八 歳 病 床 。 貧 困 の 中 に あ り な が ら 、 二 十 四 歳 に な っ て い た 妻 清 子 は 夫 昇 の 看 病 に 昼 夜 精 根 を か た む け て い た 。 生 計 費 の 収 入 は な く 、 清 子 の 実 家 長 田 家 の 援 助 に よ っ て 生 活 を 営 ん だ と い わ れ る 。 ◎ 一 九 〇 三 年 ( 明 治 三 十 六 ) 三 九 歳 病 床 。 ◎ 一 九 〇 四 年 ( 明 治 三 十 七 ) 四 〇 歳 病 床 。 こ の 年 、 愛 児 昇 一 、 胃 腸 カ タ ル の た め 喪 う 。 七 歳 で あ っ た 。 愛 児 昇 一 の 死 に 際 会 し 、 彼 は 極 度 に 嘆 き 悲 し ん だ と い わ れ る 。 ◎ 一 九 〇 五 年 ( 明 治 三 十 八 ) 四 一 歳 病 床 。 ◎ 一 九 〇 六 年 ( 明 治 三 十 九 ) 四 二 歳 病 床 。 ◎ 一 九 〇 七 年 ( 明 治 四 十 ) 四 三 歳 病 床 。 ◎ 一 九 〇 八 年 ( 明 治 四 十 一 ) 四 四 歳 十 月 二 十 九 日 、 午 後 八 時 ( 大 里 康 永 に よ る と 午 前 八 時 ) 死 去 す る 。 そ の 後 、 明 治 四 十 四 年 九 月 十 一 日 に 太 田 朝 敷 . 仲 吉 朝 助 ・ 斎 藤 用 之 助 ・ 神 村 吉 郎 ・ 岸 本 賀 昌 ら が 発 起 人 と な っ て 「 謝 花 昇 の 追 悼 会 」 が ひ ら か れ た 。 124