【書評】Jacques Proust, "L'Europe au Prisme du Japon. XVle-XVille siècle. Entre humanisme, Contre-Réforme et Lumières, Albin Michel", 1997, 315p.
全文
(2) それへの寄稿一. 技 芸 の記述 、 哲 学史 、 同 義 語 な ど一. や編 集 作 業 へ の従 事 が 、後 の デ ィ ドロの. 作 家 な らび に 思 想 家 と して の 活 動 に重 要 な 意 味 を 持 った こ とを 明 らか に した。 ま た 、 そ の作 業 の 前 提 と して 、19世 紀 後 半 に 出 た アセザ ・ト ゥル ヌー版 『全 集 』 の せ い で 、 それ ま で相 当水 増 しさ れ て い た 、 デ ィ ドロの 『百 科 全 書 』へ の寄 稿 項 目を 、 デ ィ ド ロの 弟子 の ネ ー ジ ョ ンの証 言 に 戻 っ て 再検 討 し、 始 め て適 正 な 規 模 に 限定 す る こ とに 成 功 した 。 また 、 この著 作 に は、 マ ル ク ス主 義 的 な研 究 の影 響 も顕 著 で 、『百 科 全 書 』運 動 を担 っ た階 層 を 、そ の寄 稿 者 や 読 者 の階 層 分 析 を 行 う こ とで 特 定 し よ う とも して い る。 た だ し、 そ こで も、 フ ラ ンス革 命 に先 駆 す る進 歩 的 な ブル ジ ョ ア ジー の運 動 とい った 結 論 に 短 絡 す る こ とな く、 『百 科 全 書 』 の ク ロス ・レフ ァ レ ンス な ど の う ち に 、 保 守 的 カ トリ ックや 専 制政 治 とい う共通 の 敵 に 、 さま ざ ま な 内部 対 立 を 保 存 しな が ら対処 す る、 多 元 主 義 的 な 統 一 戦 線 的 政 治 を読 み取 る な ど、 柔 軟 な 読 み を 展 開 し て い る 。 ク ロス ・ レ フ ァ レ ンス は また 、読 者 に一 方 的 に知 識 を 植 え 付 け る の で は な く、同 一 の問題 に 対 して別 の立 場 ・視 角 か らの回 答 が あ る こ とを 示 す こ とで 、読 者 を そ の対 立 の 中 に巻 き込 み 、 項 目の 著 者 ら との 対 話 の 中 で 自ら の立 場 を 選 ぶ よ うに仕 向 け る効 果 もあ る。 こ う した 点 に プル ース トが 着 目 した 背 景 に は 、 安 易 な啓 蒙 主 義 観 や 、 レーニ ン主 義 の知 識 注 入 論 へ の批 判 が あ った よ うに 思 わ れ る。 そ の 後 、1963年 よ りモ ンペ リエ 大学 文 学 部 の教 授 とな り、86年 に退 官 す る まで 、 日本 の研 究 者 を 含 む 多 くの18世 紀 フ ラ ンス の 研 究者 を 育 て て き た。 そ の20年 を越 え る教歴 に お い て 、何 らか の 形 で プル ー ス トの指 導 を 受 け た 日本 人 留学 生 の数 は、 私 を含 め10人 は 下 らな い と思 わ れ るが 、 そ の中 で も初 期 の弟 子 で あ る市 川 慎 一 、 鷲 見 洋一 、 さ ら に は 、 弟子 では な い が 、 プル ース トと深 い 友 情 で 結 ばれ た 日本 の18世 紀 フ ラ ンス 研 究 の 第一 人者 、 中川 久 定 ら との 交 流 が 、今 回 の著 作 の機 縁 とな った こ とは い うまで もな い 。 博 士 論 文 後 、 プ ル ー ス トの 研 究 は 、 マ ル クス主 義 的 な傾 向 か ら離 れ 、 フ ー コ ー の 『言 葉 と物 』 (1966年)の. 知 の考 古 学 的 な 読 み 、 さ らに は 、 主体 に よっ て語 られ な い の に 、 そ の 問題 の立 て方. や 答 え 方 を常 に 既 に決 定 して い る 「 語 られ な い もの(non-dit)」(ア. ル チ ュセ ール)を テ クス トの. うちに 読 み取 る読 み へ と進 ん だ 。 また 、 名 著 『透 明 と障 害 』 で知 られ るル ソー研 究 の泰 斗 ス タ ロ バ ンス キ ー と合 同 ゼ ミを 行 うな ど、 この 時 代 に急 速 に 広 ま っ た 、 ヌ ー ヴ ェル ・ク リテ ィ ッ クや 記 号 論 、 精 神 分 析 的 読 解 な どに も挑 戦 した 。一 方 で 、堅 実 な研 究 者 ら し く、 そ う した多 様 な読 みを 含 む200年 に 及 ぶ デ ィ ドロ読 解 の歴 史 を 、 『デ ィ ドロの読 み(Lectures de Diderot)』(1974年)と い う著 作 に編 集 して発 表 して もい る。 プル ー ス トはそ こで 、 テ クス トが作 者 か ら相 対 的 に 自立 し て い る こ とを認 め 、 デ ィ ドロの 多 様 な 読 解 の 可能 性 を承 認 しな が ら、 読 み が 、 同 時 に 、時 代 と も 深 く関 わ る こ とを 示 して 、『百 科 全 書』 の デ ィ ドロ同様 、読 み の森 の 中 で 、読 者 自 らが道 を拓 いて い く よ う誘 って い る。 新 た な読 み の方 法 論 の摸 索 と ク ロス ・レフ ァ レンスへ の着 目がそ れ こそ 「 交 差 」 す る と ころ で 生 まれ た の が、プ ル ー ス ト独 自の 読解 法 で あ る 「 交 差 読 み(lecture croisee)」 で あ る。 この読 解 法 は、 本 来 異 質 な テ ク ス ト同 士 の 交差 とい う、 い わ ば異 化 効 果 に よ って 、単 独 の テ クス トの考 察 か らは 見 え て こな い 「 語 られ な い もの 」 を 露 に す る よ うな読 み で あ るが 、 プル ース トに お い て は、.
(3) 『百 科 全 書 』 研 究 者 と い うこ と も あ って 、 この読 み が テ クス トと図版 との 「交 差」 に も生か され て い る。 そ う した 読 み の傑 作 と して 、 日本語 に も訳 され た 「『百 科 全 書』 か ら 『ラ モ ー の 甥 』 ヘ オ ブ ジ ェと テ クス ト . 」( 鷲 見洋 一 訳 、『思 想』 第724号(1984年)岩. 波 書 店 、 所 収)が あ る。. そ こで は、 従 来 ほ とん ど着 目 され な か った 『百科 全 書 』 のデ ィ ドロ執 筆 項 目 「 靴 下 編 み機 」 を取 り上 げ て 、 本 来 徹 底 した 分析 と総 合 に よ って 明晰 判 明 に了 解 され るは ず で あ る靴 下 編 み機 の動 き が 、 デ ィ ドロの細 心 な 注 意 に も関 わ らず テ クス トに お い て 明証 的 に 再 現 で きな い とい う、驚 くべ き事 実 が 「語 られ る」 こ とに な る。 しか し、 この項 目でデ ィ ドロが 格 闘 し敗 北 した こ とはけ っ し て無 駄 で は なか った 。 後 の傑 作 『ラモ ーの甥 』 で 、 この奇 人 のパ ン トマ イ ム を テ クス ト化 す る の に、 そ の修 行 が 大 いに 役 立 った か らで あ る。 と こ ろで 、 この よ うに 読 解 法 に触 れ るの は 、 それ が プル ー ス トの読 み の特 徴 だか ら とい う こ と も あ るが 、な ん とい って もそ れ が 、『日本 の プ リズ ム に 映 っ た ヨー ロ ッパ 』で 、読 解 の武 器 と して 利 用 され て い るか らで あ る。 そ の 点 に つ い て は後 述 す る と して 、 そ うした読 み の集 成 と して 『オ ブ ジ ェ と テ ク ス ト(L'Objet et le texte)』(1980年)が. 編 集 され て い る こ とを 一 言述 べ て お こ う。. 上 で 述 べ た 『思 想 』 に 載 った 論文 は この 中 か ら採 られ て い る。 こ うした 読 解 と並 行 して 、 プル ース トは 、 デ ィー ク マ ンや ヴ ァル ロ ー と と もに編 者 とな っ て 、 エル マ ン社 か ら新 た に 決 定版 『デ ィ ドロ全 集 』(共 編 者三 人 の頭 文 字 を取 ってDPVと. 略 称)を. 出. す べ く尽 力 した 。 そ の 刊 行 は1976年 に始 ま り、 プ ル ー ス トが 担 当 した 巻 な ど当初 か な り順 調 に 出 版 が 進 ん だ が 、 デ ィ ー クマ ンが病 気 で倒 れ 、 プ ル ー ス トが 編 者 か ら抜 け た こ と もあ っ て、 そ の後 は ペ ー スが ダ ウ ン し、 現 在3分 の2ほ. ど刊行 され た と ころで 滞 って い る。 いず れ にせ よ、 こ こ で. 確 認 して お きた い の は 、 デ ィ ー クマ ンや ヴ ァル ロー とい った 一 回 り以 上 年齢 が上 の研 究 者 と と も に 、 他 の 研 究 者 を 差 し置 い て 、 プ ル ー ス トが編 者 に選 ばれ 、 質 の 高 い 批 評 版 を提 供 した こと で あ る。 この よ うに 、 プル ース トは この 時代 に 、研 究 者 と しての 多 彩 な 能 力 だ け で な く、組 織 者 と し て の手 腕 も存 分 に 発 揮 した 。 彼 は また 、 『百 科 全 書 』 に 関 わ る総 合 的 な 仕 事 も この 間継 続 して行 って い る。 代 表 的 な もの は 、 日本 で も平 凡 社 か ら出 版 され た プル ー ス ト監 修 『フ ラ ン ス百 科 全 書 絵 引』(1985年)で を 中 心 に した 『百 科 全 書 』 抄 は 副産 物 と して 『ユ ー トピアの 周 縁 一. 、 この 図版. 『百 科全 書』 図版 の批 判 的. 読 解 の た め に--(Marges d'une utopie. Pour une lecture critique des planches de 'E l ncyclopedie)』(1985年)を 生 み 出 し、 この 頃 か らプ ル ー ス トは本 格 的 にい わ ゆ る図 像学 の 分 野 に 乗 り出 して い った 。 『日本 の プ リズ ムに 映 った ヨ ー ロ ッパ』 に もそ の成 果 が 生 か され て い る。 同時 に 、 彼 の 『百 科 全 書 』 研 究 で 興 味 深 い の は 、寺 島 良安 の 『和 漢 三 才 図 絵』 を初 め とす る 、 日 本 、 中 国、 イ ス ラ ムな ど の百 科 事 典 へ の 関心 で あ る。 そ れ らを デ ィ ドロの 『百科 全 書 』 と比 較 す る 中 で、 プ ル ー ス トは 、 知 識 や そ の総 体 に つ い て の見 方 が文 化 に よって い か に 相違 し、 また 、歴 史 的 に いか に変 化 す るか を 捉 え よ うと して い る。 96年 末 に パ リに新 国 立 図 書 館 が オ ー プ ン した が 、 そ の 開館 記 念 に 「世 界 の す べ て の 知(Tous les savoirs du monde)」. と題 され た 展 覧 会 が 開 か れ た 。副題 は 「シ ュメ ール か ら21世 紀 ま で の 百.
(4) 科 事 典 と図 書 館」 とな って お り、 そ の名 の通 り、職 業 や 称 号 を 記 した シ ュメ ール の 粘 土 板 か ら、 古 代 ギ リシ ャ ・ロ ーマ 、 中世 ヨ ー ロ ッパ 、近 代 ヨー ロ ッパ、 中 国、 日本 な どの博 物 誌 や 百 科 事 典 を 経 て、 現 代 のCD-ROMや. イ ンタ ー ネ ッ トまで 、5000年 にわ た る知 の集 成 ・整 理 ・普 及 に 向 け た. 壮 大 な事 業 が 、 パ ノ ラマ の よ うに 呈 示 された 。 そ の 図録 に プ ル ース トも寄 稿 して い るの だ が 、 こ の展 覧 会 そ の もの が、 思 うに 、 少 な くと も こ こ10数 年 来 彼 が 行 って きた 研 究 の 集 団 的 開 花 と見 な せ る ので は な か ろ うか 。 この よ うに 、18世 紀 研 究や 批 評 理論 へ の関 心 を通 じて 養 わ れ た、 読 解 法 、 博 識 、 視 野 の 世 界 大 の広 が りと、 そ れ を支 え る語 学 力が 、 た びた び訪 れ る機 会 が あ った 日本 へ の 深 い 関 心 と結 び つ い た とこ ろに 、 本 書 は成 立 した 。 しか し、 も う一 つ 重 要 な 動 機 が あ る。 そ れ は18世 紀 あ る い は近 代 の文 学 思 想 研 究 に お け る ヨー ロ ッパ 中心 主 義 へ の批 判 で あ る。 そ こで 思 い 出 され る の が 、 第9回 国 際18世 紀 学 会 で プル ー ス トが 行 った 「18世紀 の東 西 関 係 」 と題 す る全 体 会 で の 報 告 で あ る。 そ こで彼 は、 四 書五 経 の一 つ で あ る 『大学 』 が 、 当時 の 特 殊 な 政 治 的 思 想 的文 脈 で い か に 欧語(仏 と露)訳. され た か 、 そ して 、 そ こに 中 国 とい う異 文 化 へ の ヨー ロッパ 的 対 応 が どの よ うに 現れ て. い るか を 見 事 に 分析 して 見 せ た 。 そ の上 で、 現 在 の啓 蒙 研 究 が ヨー ロ ッパ に偏 り、世 界 的視 野 に 欠 け る こ とを 鋭 く批 判 した。 本 書 は プル ー ス ト自身 に よるそ う した 批 判 の 実 践 で あ り、 ま た 回答 で もあ る のだ 。 それ で は、『日本 の プ リズ ムに 映 った ヨ ー ロ ッパ』の 内 容 の 検 討 に 移 ろ う。 この 著作 は大 き くい え ば二 つ の部 分 に 分 け られ る 。 い わ ゆ る キ リシ タ ン文 化 ・南 蛮 文 化 を 扱 った 部 分(Ⅰ-V)と 蘭 学 を扱 った 部 分(Ⅵ-Ⅶ)で. 、. あ る。 た だ し、 プル ー ス トは 、 後 に 見 る よ うに 、 この二 つ の 時代. を統 一 的 な一 時代 と して 捉 え る。 この 時代 区 分 には 当 然 な が ら異 論 もあ ろ うが 、 こ こで は と りあ えず 、 本 書 が キ リシタ ンの 時 代 と蘭学 の 時代 とを 統 一 的 に 扱 お うとす る野 心作 で あ る とだ け い っ て お こ う。. プ ロ ロー グ こ こで プル ース トは 、 ポー ル ・ク ロー デル を 引 用 しな が ら、 本 書 の テ ーマ を 限定 して い る。 主 題 は、 日本 で はな く、 「日本 の プ リズ ムに 映 っ た ヨー ロッ パ」だ と。そ して 、 これ ま で16∼18世 紀 の 日本 と西 洋 との 関係 史 を扱 った 西洋 側 の研 究 に は ヨ ー ロッ パ 中 心 主 義 的 欠点 が あ る と批 判 す る。 そ の欠 点 とは 、 そ れ らの研 究 が基 本 的 に、 進 ん だ 西 洋 が 遅 れ た 日本 に 与 え た影 響 な ら びに 日本 の 受 容 の仕 方 を 問題 に して きた とい う、啓 蒙 的 片 務 的 姿 勢 に あ る。 だ が 、 そ う した弱 点 は 西 洋 側 だ け の も ので は な い。 「キ リシ タ ン宗 門の伝 来 は … …伝 統 思 想 の否 定 者 と して 、 新 し い 世 界 観 ・人 間 観 の提 示 者 と して、 庶 民 の精 神 的解 放 者 と して 、 あ る い は 科 学 的知 見 ・合 理 精 神 の 播 種 者 と し て の役 割 を 演 じた」(『日本 思 想 体 系25 キ リシ タ ン書排 耶 書 』所 収 の海 老 沢 有 道 「解 説」 よ り) と、 キ リシ タ ンや 南蛮 が 日本 に果 た した 役 割 を 美 化 しが ち な 、 日本 側 の研 究 に も通 底 す る。 これ ら の研 究 は い わ ば 、西 方 か ら来 た 光 が東 方 の 薄 明 に ど こで は ね返 さ れ 、 どこ まで 届 い た か とい う、 作 用 の影 響 や結 果 ばか りを肯 定 的 な もの として 捉 え 、 西 洋 の作 用 に対 す る 日本 の反 作 用 の うち に.
(5) 西 洋 の 肯 定 面 も否 定 面 も読 み取 る よ うな 努 力 を して こなか った 。 そ れ ゆ え 、 「日本 の プ リズ ム に 映 った ヨ ー ロ ッパ」 が新 た な 主題 とな る わ け で あ る。 光 へ の反 作 用 に は屈 折 や 回折 や 反 射 、 乱 反 射 な ど さ まざ まな もの が あ ろ うが 、 プ ル ー ス トは プ リズ ムの スペ ク トル効 果 に着 目 して、 そ こに 光 自身 が プ リズ ム とい う他 者 を通 じて なす 自 己告 白を 見 よ うとす る。 しか も重 要 な こ とは 、 光 が 自己 自身 の うち に 留 ま る 限 り、 ス ペ ク トル と い う色 の 層 は析 出 されず 、 したが って 、 自己 の 特 徴 を 真 に認 識 す る こ とな く、 た だ単 に闇 に対 す る光 と して 自己 中心 的 に 自己 主 張 す るだ け に終 わ る こ とで あ る。 そ れ ゆ え、 ヨー ロッ パ の 自己認 識 に 他 者 は 不 可 欠 な のだ 。 た だ し、 プ ル ー ス トに お い て も 、 これ まで の 日欧 関 係 史 の研 究 者 同様 、 西 洋 と 日本 との文 化交 流 の 同 じ諸 相 が 、対 象 と して扱 わ れ る点 に 変 わ りは な い 。 た だ 、 それ を 作 用 と して で は な くむ し ろ反 作 用 と して、 しか も と りわ け 、 プ リズ ム現 象=自 己認 識 の場 と して扱 う点 に 独 自性 が あ る。 そ こか ら 当然 対 象 の限 定 が な され てい く。 プル ース トは 「キ リシ タ ン」、 「 南 蛮」 な ど と呼 ば れ る 全 体 的 対 象 か ら、 と りわ け 、 当 時 の ヨ ー ロッ パ の 全体 的対 外 戦 略 の中 で の イ エ ズ ス 会 の布 教 活 動 の位 置 、 そ して 、 そ の よ うに 不 可 避 的 に 当 時 の ヨ ー ロ ッパ を背 負 わ ざ るを得 な か った イ エ ズ ス会 の多 面 的 作 用 に 対 す る 日本 側 の反 作用 を 、取 り上 げ る。 この よ うに 、 対 象 の 限定 の うち に も彼 独 自 の視 角 は 貫 か れ て い る。 対 外 戦 略 は 、宗 教 、政 治 、文 化 、 芸 術 な ど多 岐 に渡 る が 、 さす がr百 科 全 書 』 研 究 者 な らで は の 関 心 の広 さ、博 識 、多 様 な方 法 を 駆 使 して 、 プル ー ス トは種 々の テ ク ス トや 図 版 、 絵 画 な どを交 差 させ 、 ヨ ー ロ ッ ッパ の スペ ク トル を 読 み解 い て い く。 どんな 読 解 が 具 体 的 に な され るか は各 章 の 紹 介 に譲 る と して、 上 の視 角 か ら彼 が と りわ け重 視 し、 これ まで の 研 究 で は 軽 視 され て きた テ クス トや 図 画 の名 が こ こに 挙 が って い るの で 、 それ を紹 介 して お こ う。 そ れ らは 、 イ エ ズ ス会 士 の受 け た教 育 カ リキ ュラ ム、 フ ロイ ス の 『日本 史 』、 ヴ ァ リニ ャー ノ の 『天 正遣 欧使 節 記 』(日 本 で は そ れ を ラテ ン語 に訳 した デ ・サ ンデ の 名 を 冠 して一 般 に知 られ る)、 日本 で の布 教 上 の質 問 に対 す る ヨー ロ ッパ の決 疑 論 者 ・神 学博 士 ヴ ァス ケ ス の回 答 、 西 洋 と 日本 の近 世 の芸 術 交 流 を扱 っ た最 近 の展 覧 会 で の図 録 な どで あ る。 これ を見 て も、 プ ル ー ス トの視 野 の広 さが わ か るが 、 驚 異 的 な の は、 そ れ らを 、 そ の 背景 に あ る ヨー ロ ッパ とい う全 体 的 エ レメ ン トと関 連 させ た 上 で 、 ス ペ ク トル を 読 み 解 い て い く一 貫 した 姿 勢 で あ る。 そ れ は特 に 、 安 易 な比 較 に 陥 りが ち な 絵 画 の 分析 に お いて 、 そ う した 比 較 を排 し、 「イ エ ズ ス会 派 」 に も蘭 画 に も共 通 す るエ レメ ン トと して フ ラ ン ドル の 版 画 が 存 在 す る こと を示 し、 さ らに、 日本 の プ リズ ムに 映 った そ の ス ペ ク トル の うち に、 フ ラ ン ドル 絵 画 ひ い て は西 洋 古 典 絵 画 の未 見 の可 能 性 を 読 み 取 ろ うとす る点 に 現 れ て い る。 プル ー ス トに よれ ば 、 そ の 可能 性 は、 絵 画 の領 域 に 留 ま らず 、 地 図 法 、 遠近 法 的 視 覚 の 獲得 、舞 台演 出、 解 剖 学 、博 物学 に 及 ん で い る。 こ の辺 か ら、18世 紀 、 特 に 蘭 学 を 捉 え る視角 へ と話 は移 る のだ が 、 興 味 深 い の は 、 そ の視 角 か ら見 え て くるの が 、 杉 田玄 白 『蘭 学 事 始 』 に あ る よ うな異 学 摂 取 の労 苦 や 、 そ こに現 れ る と予 想 され る和 魂 洋 才 的 歪 み で は な く、 む しろ 、権 威 や伝 統 、 ドグ マに 囚 わ れ ず 、 西洋 医学 の革 新 的 本 質 の み を 析 出 させ る、 日本 の プ リズ ム の性 能 の 良 さで あ る点 で あ る。 これ は 、 西洋 人 か らの あ り が た い 日本 評 だ が 、 他 方 で 、 日本 の プ リズ ム の実 利 性 や 技 術 偏 重 の 浅 薄 さ は 、 われ われ には 宿 年.
(6) の課 題 で あ り、 プル ース トの外 交 辞 令 に 喜 ん で ば か りは い られ ない 。 最 後 に、 プル ー ス トは 、 これ まで の 研 究 の 時 代 的地 理 的拘 束 へ の 批判 へ と進 み 、 研 究 対 象 を18 世 紀 や フ ラ ンスに 閉 じこめ るべ きで な い こ とを 強調 す る。 そ して、 本 書 が取 り扱 う16世紀 中葉 か ら18世 紀 末 ま で の時 代 が 、 フ ー コ ーが 知 の考 古 学 で い う よ うな意 味 に お い て 「時 代 の た だ一 つ の 単 位 」 で あ っ て、 それ を 恣 意 的 に細 分 す る こ とは許 され な い とす る。 こ の 時 代 を 分 か つ エ ピ ス テ ー メ論 的切 断(バ. シ ュ ラ ール 、 アル チ ュ セ ール)は 、火 縄 銃 とス コ ラ哲学 の 導 入 と、遠 近 法 と. 解 剖学 の発 見 に あ る。 そ の エ ピス テ ー メ の統 一 性 の 証 拠 と して 、 プル ー ス トは 、「南 蛮 」で も 「 紅 毛 」 で も、共 通 の二 つ のパ ラダ イ ムが 対 立 して い た こ とを説 く。 反 宗教 改革 対 ユ マ ニス ム、権 威 や ドグ マ対 啓 蒙 で あ る。 こ こに 、 本 書 の 主 題 は あ る。. 1 イ ソ ップ の微 笑 み 、 ア リス トテ レス の重 み 対 比 の 効 い た題 名 が面 白 い。 これ だ け で も蠱 惑 的 な の だ が 、次 の よ うな 印 象 的 導 入 部 が ま す ま す読者の関心をそそる、「 彼 らは 日本 人 だ った 、 しか し、 マ ンシ ウ ス、 ミカ エル 、 マル チ ヌス 、ユ リア ヌ ス と呼 ば れ て い た」。 お そ ら く天 正 少 年 使節 の こと な ど ヨ ー ロ ッパ で は ほ と ん ど知 られ て い ない だ ろ うか ら、 この 冒頭 部 で プル ー ス トは 、 「い った い こ の 日本 人 は誰 だ 」 と、読 者 の好 奇 心 を くす ぐ り、 ヴ ァ リニ ャー ノ に組 織 され た この少 年 使 節 の戦 略 上 の性 格 とい う主 題 へ 、 ぐい と読 者 を引 っ張 って い く。 そ こで、 この少 年 使 節 自身 が 、 設 立 間 もな いイ エ ズ ス 会 の 日本 で の 布教 の 華 々 しい成 功 を ヨ ー ロッ パ な ら び に法 王 庁 に宣 伝 す る 目的 で 、 生 まれ も育 ち も よ く語 学 も よ くで きる少 年 を 選 抜 して 、 ヴ ァ リニ ャー ノ が ヨー ロ ッパ に 送 り出 した使 節 で あ る こ と、 そ して 、彼 が 編 纂 し執 筆 した 『天 正 遣 欧使 節 記 』 も、 単 な る旅 行 記 で は な く、少 年 使 節 が ヨー ロ ッパ よ り持 ち 帰 った種 々 の品 と ともに 、 カ ト リッ ク教 会 に支 え られ て 栄 え る ヨー ロ ッパ を 、 美 化 して 日本 に伝 え 、 カ トリッ ク布 教 に 役 立 て る た め の戦 略文 書 で あ る こ とが 喝 破 され る(Ⅳ も参 照)。 そ して、そ の上 で 、『使 節 記 』に も登場 す る コイ ン ブ ラ大 学 の 教 養教 育 へ と話 題 を移 す 。そ こ こ そ 、布 教 の ため に 世 界 に 散 って い くイ エ ズ ス会 士 た ちが 、 語 学 を 中心 に 一 般 教 養 を 学 ぶ 場 な の だ。 そ こで は 、 ユ マ ニ ス ム的 な教 育 も行 わ れ て い た が、 プル ース トに よって 浮 か び 上 が って くるの は 、 む しろ 、 ス ア レス の名 に 代表 され る よ うな 保守 的 な ス コ ラ哲 学 教育 で あ る。 そ の保 守 性 は 、 記憶 を 重視 し、従 来 の解 釈 を 踏 襲 し、 三段 論 法 で相 手 を論 破 す る こ とを教 え込 む 点 に 現 れ て い る。 ま た 、 天文 学 で は、 コペル ニ クス の 新 説 は 無 視 され、 プ トレマ イ オ ス、 サ ク ラ ボ ス コ流 の伝 統 的 天 動 説 が教 え られ た。 つ い で 、話 は 日本 に持 ち 込 まれ た 書 物 や 日本 で 印刷 され た 書物 へ と移 る。 印刷 機 は 、 少 年 使 節 の帰 国 の 際 に 、 ヴ ァ リニ ャ ー ノに よ って 日本 に 持 ち込 まれ て い る。 持 ち込 み 図書 に は プ ラ トンや ア リス トテ レス が挙 が り、 出 版 書 で 代 表 的 な もの と して 『信 仰 の導 師 』、 『平 家 の物 語 』、 rエ ソ ポ の フ ァ ブ ラス(イ. ソ ップ物 語)』 が挙 が る。 中 で も 『イ ソ ップ物 語』 の人 気 はす さ ま じ く、キ リシ. タ ンは 禁 止 され た の に、 この 教 訓 物 語 の 方 は 、 江戸 時 代 に10回 以 上 も出版 され て い く。 そ れ で は 、説 教 や教 理 教 育 は ど の よ うに行 わ れ た の で あ ろ うか 。 そ こにザ ビエ ル 以来 か な りの.
(7) 紆 余 曲折 が あ った こ とが知 られ て い る が 、 プ ル ー ス トは 、主 と して、 ヴ ァ リニ ャ ー ノの 『キ リス ト教 信 仰 要 理(Catechismus chrisitianae fidei、. いわ ゆ る 『日本 ノ カテ キ ズ モ』)』(1586年)を 分. 析 す る こ とで 、 そ の特 徴 を浮 き彫 りに し よ う とす る。 彼 は、 こ の 日本 人 向け 教 理 問 答 書 に 、 完 全 な知 性 を備 え た第 一 原 理=唯 一 実 体=第 一 動 者 と して の神 、 精 神 実 体 と して の霊 魂 とい った ス コ ラ的 内実 を 見 出 し、 さ らに は 、 そ う した見 方 を疑 うこ とが で きず 、 結 局 、 日本 人 や 中 国 人 の 思 考 法 を受 け付 け な い 、 イ エ ズ ス会 士 の硬 直 性 を読 み取 って い く。 つ い で 、 コイ ンブ ラで学 び 、 か っ 、 そ こで天 文 学 を教 え た こ と もあ る ゴメ ス が 日本 に来 て も の した 『綱 要(Compendium catholicae )』(1585∼93年)の. 分析 へ と プル ース トは歩 を進 め る。 これ veritatis は 三 部 か らな る 著作 で 、 第. 一 部 が 『天 球 論 』、 第 二 部 が 『ア リス トテ レス霊 魂 論 』、 第 三 部 が 『カ トリ ック教 理 』 で あ る。 日 本 で は 、 『天 球 論 』 が 、 『二 儀 略 説 』 の種 本 と な り、 沢 野 忠庵 ・向 井 元升 の 『坤 天 弁 説 』 に も直 接 影 響 を与 え て 、近 代 科 学 以前 とは い え、 西 洋 の体 系 的 天 文 学 を 日本 に伝 え た画 期 的 著 作 と見 な さ れ て い る が、 プル ー ス トは これ は評 価 せ ず 、 む しろ第 二 部 が 、徹 底 して ス コラ的 に書 か れ て い る こと を示 して い く。 第 二 部 は これ まで 日本 で は ほ とん ど扱 わ れ て こな か っ た ので 、 こ の分 析 は 重 要 で あ る。 そ こか ら、 こ の 『霊 魂 論 』 が 当 時 の 日本 人 に は 了解 不 能 で あ っ た こ とが 暗 示 され る。 次 に 、 当時 ひ んぱ ん に行 わ れ た 仏 教 な ど との 宗 論 へ と話 は展 開す る。 イ エズ ス会 士 は コイ ン ブ ラ大 学 の ス コラ的 論 争 法 に従 って 宗 論 を 行 い 、 仏 教 の概 念 を ス コ ラ的用 語 で理 解 し よ うと した 。 そ れ は、 日本 人 不 干 斎 ハ ビ ア ンの 書 い た 『妙 貞 問 答』 の場 合 も同様 だ 。 プル ース トは 、 そ れ が 、 コイ ン ブ ラ の哲 学 講 義 の問 答 形 式 で 書 か れ て い る こ と、 第 一 質 料 、 精 神 的 実 体 、 属 性 、 本 質 と い った ア リス トテ レス ・ス コ ラ的 用 語 、 さ らに は 、存 在 とい う ヨー ロ ッパ 特 有 の概 念 を持 ち 出 し て い る こ と、 だ が 、 日本 語 で そ れ らを うま く説 明 で きず に終 わ っ て い る こ とを 示 す。 大変 興 味 深 い指摘だ。 か くして 、 キ リシ タ ンが 禁 止 され る と、 元 々 ヨ ー ロッ パ的 特 殊 性 を 帯 び た ア リス トテ レス は 消 え て し まい 、 た だ イ ソ ップだ け が 人 気 を 博 し続 け る こ とにな る。 古 代 ギ リシ ャ崇拝 や 西 洋 哲 学 崇 拝 に 冒 され た 眼 か らす れ ば 、 ア リス トテ レス が 理解 で き な い/か った の は 、 日本 人 が合 理 的 に 思 考 で きな い/か. った か ら とい うこ とに な ろ うが 、 それ に対 し、 プル ース トは 、全 く異 な る回 答 を. 与 え て い るわ け だ 。 問 題 は 、 ア リス トテ レス ・ス コラ の ヨー ロ ッパ 的 な 特殊 な 思考 法 に あ っ た。 神 や 世 界 や 霊 魂 を 語 る言 葉 、 論 理 、 問答 法 は本 来 もっ と多 様 で 柔 軟 で あ り うる はず な のだ 。 こ う して 、プ ル ース トは 思 い も寄 らぬ結 論 へ とわ れ わ れ を導 いて い く。 日本 の プ リズ ム を通 す と、 ア リス トテ レス が 特 殊 で イ ソ ップ が 普遍 とい う よ うに、 ヨー ロ ッパ 文 化 が 映 るの だ。 こ こに、 著 書 全 体 の 主題 が 、逆 説 的 な 対 比 と と もに 見 事 に浮 か び上 が る。. 豆 くだ もの の 中 の 虫 マ ラ ノ主 義 と エ ラ ス ム ス主 義 少 年 使 節 が 見 る ヨー ロ ッパ は理 想 的 な もの に しつ ら え ら れ て い た が 、 そ の 陰 に カ ト リ ッ ク に と って の 二 つ の 危 険 が 隠 れ て い た 。そ れ が 「 新 キ リス ト教 徒 」 と 「エ ラス ム ス主 義 」で あ る。 「 新 キ リス ト教 徒」 は 軽蔑 的 に 「マ ラ ノ」 と も呼 ば れ た 旧 ユ ダ ヤ教 徒 で 、 レコ ンキ ス タ後 に イ ベ リア.
(8) 半 島 か ら追 放 され た ユ ダ ヤ人 とは別 に、 形 式 的 に キ リス ト教 に 改 宗 して イ ベ リア半 島 に 残 って い た 。 プ ル ー ス トは彼 らの ポル トガル で の生 活 ぶ りを歴 史 的 経 緯 を お さえ な が ら詳細 に 描 くが 、 こ こで は 、彼 らが表 向 きは キ リス ト教徒 に な りな が ら、 実 際 は 先 祖 伝 来 の ユ ダヤ 教 の儀 礼 に 従 って 生 活 し、 そ の た め 「旧 キ リス ト教 徒」 に警 戒 され 、 とき に は虐 殺 され るな ど、 種 々の差 別 ・迫 害 を 受 け な が ら、商 売 に よる蓄 財 に 努 め て い た こ とを指 摘 す るに 留 め た い 。 問 題 は 、 彼 ら とイ エ ズ ス会 と の関 係 で あ る。 当初 会 は キ リス ト教 徒 を 新 旧に 区 別 す る こ とに反 対 して い た 。実 際 、 イ グ ナ チ ウ ス ・ロ ヨ ラの学 友 で第 二 代 の総 長 とな った ライ ネ ス は 「新 キ リス ト教 徒 」 で あ った。 こ こで 、 プ ル ース トは 、 マ ラ ノ主 義 とい うか 、 マ ラ ノ的 処 世術 を ライ ネ ス に 見 出 して い く。 そ れ は 、一 方 で 、絶 対服 従 の盲 目的 な信 心 で あ るが 、 そ の 裏 面 に は 、 盲 目的 な 信 心 を 装 うこ とに よ って 身 を守 る とい うマ キ ャベ リズ ム も潜 ん で い る。 また 、 彼 らの 多 くは 医 者 で あ った が 、 そ の 背 景 に は 、 医学 が こ の時 代 に 次 第 に権 威 か ら 自由に な り実 地 に 向か った こ とが 挙 が る。 プル ース トに よれ ば 、 この反 権 威 主義 こそ マ ラ ノ主 義 の最 大 の特 徴 な の だ 。 と ころ で 、 原 則 的 に イ エ ズ ス会 で は 聖 職者 が 医者 にな る こ とを 禁 止 して い た か ら、 慈 悲 施 設 を 作 れ ば 、 そ こに 会 の意 向 に反 して 「新 キ リス ト教 徒 」 を 引 きず り込 む 危 険 が生 じる、 ま さに 獅 子 身 中 の 虫 と して。 こ う して 、話 は ル イ ス ・デ ・ア ル メ イ ダへ と移 る。 有 名 な イ エ ズ ス会 の献 身 的 な 医 師 で 日本 の 南 蛮流 医学 の創 始 者 が 、 実 は この 「 新 キ リス ト教 徒」 だ った。 彼 は 日本 で 献 身 的 に 赤 ひ げ 的 活 動 に従 事 し、 日本 人 学 生 に 医 学 教 育 も施 す 。 日本 のイ エ ズ ス会 も これ を 最 初 全 面 的 に 支 援 す る。 さ て 、 そ の 際 の アル メイ ダの 姿 勢 で興 味 深 いの は 、 実 用 主義 、東 洋 や 日本 へ の偏 見 の な さ、 寛 大 さ で あ る。 そ して、 そ こに 反 権 威 主義 の マ ラ ノ性 を プル ース トは 見 る。 しか し、 聖 職 者 が 医 療 に 携 わ る こ とを禁 じる ロー マか らの 命令 で、 アル メ イ ダの 日本 で の赤 ひ げ 的 活 動 は 急 に終 止 符 が 打 た れ る。 これ だ け で も 、 イ エ ズ ス 会 の 活 動 を 肯 定 的 か つ 一 枚 岩 的 に 想像 しが ち な わ れ わ れ に は シ ョ ッキ ン グだ。 だ が 、 さ らに 驚 く こと は、 あ の ヴ ア リニ ャー ノが、 アル メイ ダの 死 ん だ1583年 のr日 本 事情 』 とい う報 告 書 で 、 この医 師 の事 績 に 一 言 も触 れ ず 、彼 が 献 身 した 施 設 も未 確 立 だ と批 判 して 、 アル メ イ ダ らが そ こに 、 ラ イ病 患 者 や 梅 毒患 者 、 キ リシ タ ンで な い もの まで含 む 貧 者 を 受 け 入 れ て い た こ とを抹 殺 し よ うと して い る点 で あ る。 しか も、そ こには 、イ エ ズ ス 会全 体 の 意 志 が 働 い て い た。会 は当 初 の 寛 大 さを失 い 、「 新 キ リス ト教 徒 」排 除 に躍 起 に な り出 した。1572年 に新 総 長 を選 ぶ際 に 、 「 薪 キ リス ト教 徒 」の 候 補 を 拒 否 した 後 、93年 に は な ん と 「純 血 令」 ま で設 け る。 しか も、 それ は1948年 まで 続 い た の だ 。83年 の ヴ ァ リニ ャ ー ノの報 告 に は、 「 新 キ リス ト教徒 」 の影 響 を系 統 的 に排 除 し よ うとす る管 理 職 の 姿 勢 が あ った の だ。 次 は エ ラス ムス主 義 だ 。 そ の 力 は ポル トガル では ス ペ イ ンの よ うに 強 くは な か った が 、 ス ペ イ ン同 様 、 「 新 キ リス ト教 徒 」に影 響 を与 え て お り、カ トリッ ク教 会 に とって は 不 倶 戴 天 の 敵 で あ っ た 。 で は 、 この時 代 に どんな エ ラス ム ス主 義 者 が ポル トガ ル に は いた のか 。 プル ース トは 、 そ の 面 々を 次 々 と紹 介 して い く。 そ の 上 で 、最 後 に あ の転 び バ テ レン、 フ ェ レイ ラを 登場 さ せ る。 プ ル ー ス トに よれ ば 、 彼 は.
(9) 「新 キ リス ト教 徒」 の 家 系 で 、 な ぜ か 「 純 血 令 」 の後 で イ エズ ス会 士 に な るの に成 功 して い る。 リス ボ ン とマ カオ で 正統 的教 育 を受 け 、1609年 に 日本 に 来 た 。 打 ち続 く迫 害 の 中英 雄 的活 動 を 続 け るが 、33年 に捕 縛 され 、穴 吊 りの刑 で転 んだ 。 か くして 、 フ ェ レイ ラは沢 野 忠 庵 とな り、 キ リ シ タ ンを取 り締 ま る側 と して そ の後 の半 生 を 送 る こ とに な る。 プル ー ス トは 、 そ の転 向 の人 生 を 彼 の祖 先 の ユ ダ ヤ人 の それ と重 ね 、 さ らに は 、 エ ラス ムス 主 義 と も関連 づ け る。 忠 庵 の著 した 排 耶 書 『顕 偽 録 』 に プル ー ス トは細 か い 考 察 を 施 す が 、 そ こか ら浮 か び上 が る忠 庵 の キ リシ タ ン批 判 の基 本 的特 徴 は、 教 義 の 内部 矛 盾 を 暴 くこ と、 教 義 と実 践 との乖 離 を示 す こ と、 良 識 との 矛 盾 を突 くこ と、 神 学 の最 大 の権 威 で あ る ア リス トテ レス と教 義 との矛 盾 を暴 くこ と、 聖 書 との 矛 盾 を突 くこ と、 徳 川 政 権 に と って の 危 険 性 を 示 す こ とな どで あ る。 そ して、 そ の 論 じ方 の うち に プ ル ー ス トは 、 ル タ ーの 予 定 説 を 批 判 した 『奴隷 意 志論 』 の議 論 を筆 頭 に 、 エ ラス ムス との類 似 性 を 読 み 取 って い く。 実 生 活 で も忠庵 は ポ ル トガ ル の マ ラ ノ的 生 き方 を 選 ぶ 。 医者 とな り、長 崎 で 東 イ ン ド会 社 の 医 師 か ら西 洋 医 学 を学 び 、 南蛮 流 外 科 の創 始 者 とな り、 弟 子 を残 す 。 弟 子 は後 に 将 軍 家 の 侍 医 に す らな って い く。 これ は さ しず め ヨー ロ ッパ な ら、 国 を飛 び 出 して オ ラ ンダ な ど で 医 学 を 修 め 、 ど こか の 王候 の侍 医 とな っ て 出世 す る とい った 生 き方 で あ る。 神 学 的 議 論 も加 わ る の で難 解 な と ころ もあ る が、 プル ース トが この章 で述 べ た い こ とは 明確 だ。 そ れ は 、 日本 の プ リズ ムに 映 っ た アル メ イ ダ な らび に フ ェ レイ ラ とい うス ペ ク トル の うちに 、 マ ラ ノ主 義 とエ ラス ムス 主義 の ヨー ロ ッパ を読 み 解 くこ とだ 。 そ の 力業 の詳 細 を 知 るに は 実 物 を 読 む しか な い 。 た だ 、 こ こで い っ て お きた い こ とは 、彼 らを 美化 した歴 史 に はな い 、 イ エズ ス 会 、 い や 、 ヨー ロ ッパ の 、重 い リア リテ ィが そ こに 畳 み込 まれ て い る こ とで あ る。 そ して 、 そ の 眼 か ら見 る と、 フ ェ レイ ラ の棄 教 は特 異 な 事 件 で は な く、 当 時 の ヨー ロッパ の陰 の 風 景 の うち に 溶 け 込 む 暗 い 日常 事 と映 る。 ただ こ の陰 の ヨ ー ロ ッパ こそ実 は無 視 で きな い現 実 で あ った 。 そ れ が 、 後 の ナ チ の ホ ロ コー ス トに も通 じる問 題 を 内包 す るが ゆ え に。. ヴ ア ス ケ ス博 士 へ の 諮 問. Ⅲ. フ ェ レイ ラ の棄 教 は 日本 人 に は な じみ の薄 い決 疑 論 的(casuistique)問. 題 を 抱 えて い た 。 こ れ. は 、 イ エ ズ ス会 と西 洋 の 神学 者 との 関 係 の 問題 な の で、 日本 側 の研 究 で は ほ とん ど扱 わ れ た こ と のな い 問 題 で あ る。 イ エ ズ ス会 が 日本 管 区長 とい う幹 部 の 棄 教 を 会 の 名 誉 に 関 わ る重 大 問題 と考 え て 、 な ん とか彼 を 教 会 の うち に取 り戻 そ う と画 策 した こ とは よ く知 られ て い る が 、 そ の背 後 に は 、彼 の棄 教 を ど うい う事 例(cas)と. 見 るか 、共 同体 は どん な場 合(cas)に. 個 人 に死 に直 面 す る. こ とを要 求 で き るか 、 また 、 フ ェ レイ ラ は どの共 同体 に 属 した か 、 も し彼 が教 会 に復 帰 した 場 合 そ の処 遇 を ど うす べ きか とい っ た、 決 疑 論 上 の難 題 が 控 え て い た 。 本 章 で 扱 わ れ る の は 、 こ の フ ェ レイ ラ問題 を含 む 日本 へ の布 教 上 の諸 問 題 へ の 決 疑 論 的 回 答 シ ス テ ム とい うヨ ー ロ ッパ で あ る。 こ う した 問題 に対 応 す べ く、 日本 の イ エ ズ ス 会 も当然 聴 罪 司祭 用 の教 科 書 を 備 えて いた 。 だ が、 『ニ コマ コス倫 理 学 』 に依 拠 す るそ うした 教 科 書 で は 、布 教 上 の諸 問題 に十 分 対 応 で きな か った 。.
(10) とい うの も、『ヨー ロ ッパ文 化 と 日本 文 化 』で フ ロイ スが 報 告 す る よ うに 、同 じ状 況 で も 日本 人 と ヨー ロ ッパ 人 とは 正反 対 に 考 え行 動 す る こ とが あ るか らで あ る。 フ ロイ ス は 日本 に は 日本 の文 化 的一 貫 性 が あ る と考 え て い た よ うで 、 日本 人 の異 質 な行 動 様 式 を冷 静 に記 述 し、 そ れ に 性 急 に 宗 教 的道 徳 的 批 判 を 下 す こ とは 控 えて い る。 この よ うに 、 これ まで あ ま り試 み られ た こ との な い 、決 疑 論 関 係 文 書 と フ ロイ ス の テ ク ス ト これ は比 較文 化 の 名 著 と い う視角 か ら普 通 読 まれ が ち で あ る との 「 交 差 読 み 」 か ら、 プ ル ー ス トは別 の ヨ ー ロ ッパ の スペ ク トル を浮 か び上 が らせ る。 ヨー ロ ッパ 中心 の習 俗 に 対 応 した 前者 と 、 日本 の習 俗 に 直 面 す る後 者 、 そ して 、両 者 の 間 に 開 い た深 い溝 、 さ らに は 、 そ れ を 埋 め て 布教 し よ うとす る試 み、 そ こに、 また 思 い もか け ぬ ヨー ロ ッパ が姿 を見 せ る。 フ ロイ ス らイエ ズ ス会 士 に とっ て特 に 問題 だ った の は 、 プ ル ー ス トに よれ ば、 処 女 性 、 堕 胎 、 殺 人 、結 婚 、子 供 を め ぐる 習俗 だ 。 そ れ は ヨー ロッ パ とは全 く異 質 で、 そ れ に ど う対 処 す れ ば よ い か は 、実 に深 刻 な問 題 だ っ た。 その 他 者 が 、文 明 と呼 ん で い い よ うな体 系 性 を 示 す が ゆ えに な お さ ら。 そ して、 プル ー ス トは 、他 の 修 道会 が安 易 に 日本 に布 教 に来 る こ とに ヴ ァ リニ ャー ノが 反 対 した理 由 の うちに 、彼 の狭 量 さで は な く、 この理 解 しが た い 日本 文 化 の他 者 性 の認 識 を 見 出 して い く。 イ エ ズ ス会 士 は 、 日本 人を 理解 し よ う と、 日本 語 を学 び 日本 人 の習 俗 への 同化 に 努 め て きた が 、 そ れ が 、 キ リス ト教 の戒 律 を 犯 し布 教 の使 命 と矛盾 す る恐 れ が あ る ほ ど、 日本 で の 布 教 は難 しい 。 キ リシ タ ンや キ リシ タ ンの 領主 もキ リス ト教 の 戒律 を守 る こ と と 日本 の習 俗 に 従 う こ と との 問 で 矛盾 を抱 え て い た。 こ うして 、 ヴ ァ リニ ャ ー ノは ロー マ の指 示 を仰 ぎな が ら も、 こ れ に で き るだ け慎 重 に 対処 し よ うとい う姿 勢 を 示 す こ とに な る。 これ と対 照 的 な の が 、 イ エ ズ ス 会か ら こ うした 問題 を諮 問 され た 、 ヨー ロッパ 在 住 の決 疑 論 者 ヴ ァス ケス の 、無 頓 着 で 形式 的 な 対応 で あ る。 これ は 手稿 と して 、 国立 マ ドリ ッ ド歴 史 古 文 書 館 に所蔵 され て い る の が 、1955年 に 発見 され 、60-61年. に 刊 行 され た が 、 これ ま で 日本 の研 究 で は. ほ とん ど取 り上 げ られ て い な い 。 さて、 プル ース トに よ る と、 ヴ ァス ケス は典 型 的 な ス コラ神 学 者 で、 文 献 学 的知 識 は 豊 富 だ が 、 布教 現 場 の こ とは 何 も知 らな い 人物 だ った。 プル ー ス トは 、 ヴ ァス ケス に 課 され た決 疑 論 的 問 い一. 結 婚 、 高利 貸 し、殺 人 、 捕 虜 の扱 い と. 戦 争 の 法 、 異 教徒 の信 仰 実 践 と偶 像崇 拝 、 病 人 の 告 白 ー とそ れ へ の 回答 を詳 細 に考 察 す るが 、 は っ き りい って 、 こ う した 議 論 に 慣れ て いな い 多 くの 日本 人 に は 、頭 が痛 くな る議 論 で あ る。 そ れ ゆ え ここで は 、 プル ース トが 、 問題 の背 後 に 公 会 議 の決 定 や トマ ス神 学 、 ス コラ的 論 証 法 な ど が あ る こ とを 取 り上 げ 、 ヴ ァス ケス の 回答 が そ う した 「ヨ ー ロ ッパ」 を 担 った もの で あ る こ とを 示 して い る点 だ け 強 調 して お きた い。 ただ 、 次 の 問い と回 答 の セ ッ トは 、 イ エ ズ ス会 系 神 学 者 ら しい便 宜 性 を 示 して い る もの と して 、 ここに 紹 介 して お こ う。 問い:「. 日本 で は 野 生 の ぶ ど うで作 っ た葡 萄 酒 で聖 別 して も よろ しい で し ょ うか 。 た とえ、 葉. や実 が 小 さ くて 、 で き る葡 萄 酒 が 少 し薄 くて、 ポ ル トガル の 葡 萄 酒 で 割 らな い と長 く保 存 が効 か な い と して も、 そ れ は 同 じ色 、 同 じ香 りで あ り、 野 生 のぶ ど うは ヨ ー ロ ッパ よ りも成 長 す る よ う に 思わ れ ます 。 少 な く とも、 船 の 到 着 が不 確 か な場 合 は、 野 生 のぶ ど うの 葡 萄 酒 を ポ ル トガ ル の.
(11) 葡 萄 酒 と割 っ て も よろ しい で し ょ うか 、 か りに 混 ぜ 合 わ せ の 分量 が後 者 よ りも前 者 の 方 が 多 い と して も」。 答 え:「 そ れ が ヴ ィネ ガ ー で な けれ ば 、全 然 構 わ ない 」。 ヴ ァス ケ スが 大 真 面 目に 答 え る割 に は 、 この 答 え は秘 跡 へ の ユ マ ニ ス ト的 風 刺 と も取 られ か ね な い も の で あ る。 が 、 いず れ に せ よ、 こ こに 、 現場 で 生死 を 賭 け て 問 題 と格 闘 す る フ ロイ ス や ヴ ァ リニ ャー ノ と、 現 実 を 「普 遍 的」 教 義 に 合 わ せ よ う と腐 心 しつ つ 、 と きに 無頓 着 に 便宜 的 回 答 を 行 うヴ ァ ス ケ ス ら ヨ ー ロッ パ の 神 学 者 との 間 の 、埋 めが た い意 識 のズ レは は っ き りと看 取 で き よ う。 そ して 、 この 決 疑 論 とい う装置 も また 日本 に映 る ヨー ロ ッパ のス ペ ク トル な の だ。. W 信 仰 劇 、 世 俗 劇 、 栄 光 劇 こ こで 、 「劇」 は リプ レゼ ン テ ー シ ョン(上 演 、表 象 、代 表 な ど)と 同 じよ うな意 味 で使 わ れ て い る と思 わ れ る。 した が って 、 この章 で は狭 義 の劇 だ け でな く、 図 画 な どが広 く扱 わ れ る。 既 に1で 述 べ た よ うに 、 天 正 少年 使 節 は イ エ ズ ス会 の布 教 戦 略 に 基 づ く使節 で あ っ た が 、 本 章 の 主題 は 、 そ の うち で も、 日本 人 に キ リス ト教 ヨー ロッパ を 理 想 化 して伝 え る とい う戦 略 と関 わ る。 少 年 使 節 が ヴ ェネ ツ ィ アで 受 け た歓 迎 、 な らびに 、 ヴ ァ リニ ャー ノに よる そ の物 語 化 は ま さ に そ うした 戦 略 の 具体 化 で あ った 。事 実 、 イ エ ズ ス会 は、 教 育 に 演 劇 を取 り入 れ て 生徒 の信 仰 や 道徳 の 高 揚 に 既 に 多 くの成 果 を挙 げ て お り、 当然 なが ら会 は 早 くか ら 日本 に もそれ を導 入 して い た 。 既 に1560年 代 に は 祝祭 日に船 井 な どで受 難 劇 な どの宗 教 劇 が 大 々的 に 演 じられ て い た。 そ う した 宗 教 劇 の い くつ か を 、 少年 使 節 は1585年 に コイ ンブ ラ で も見 る こ とに な る。 プ ル ー ス トは そ うした 様 子 を 具 体 的 に 活写 す る 。 そ こか ら、 プル ース トの筆 は 「日本 の反 宗 教 改革 芸 術 」 へ と進 ん で い く。 プ ロテ ス タ ン トが 、 聖 母 や 聖 者 へ の 信 仰 、聖 体 へ の キ リス ト現 前 、 ペ テ ロの優 越 性 な どを 攻 撃 した こ とか ら、 反 宗 教 改革 の 側 で は 、逆 に 、 これ らを 主題 とす る芸 術 を創 造 す る こ とに 力 を 注 い だ 。1590年 に少 年 使 節 が 帰還 した 際 に は 、 多 くの装 飾 物 や芸 術 作 品 が ヨー ロ ッパ か ら もた ら され 、 布教 戦 略 に奉 仕 す る 。 こ うして 、 そ の 後 の イ エ ズ ス会 の 刊行 本 を 、 そ う した 舶 来 の銅 版 画 が 飾 って い く。 ま た 、一 方 で 、 1583年 に 来 日 した ジ ョバ ン ニ ・ニッ コ ロは長 崎 を 中心 に 「イエ ズ ス会 派 」 と もい うべ き南 蛮 画 の 一 派 を 開 き、 多 くの 絵 画 や版 画 を 生 み 出す と と もに、 た くさん の弟 子 を 育 て て い く。 プ ル ー ス ト は 、 こ うした 銅 版 画 や 絵 画 に現 れ た 「日本 の反 宗 教 改 革 芸 術 」 とい うス ペ ク トル の うち に、 例 に よ って ヨ ー ロ ッパ 全 体 の 芸術 運 動 を読 み解 い て い く。 初 め に 、 図 画 の 紹 介 とそ の モ デ ル の指 摘 が 来 る。 こ こで は 、 既 に 多 くの研 究 書 で 明 らか に な った ものを プル ー ス トは 利用 す る に 留 ま っ て い る。 圧 巻 は そ の後 だ 。 モ デ ル を 発 見 した り、類 似 物 を比 較 す る に 留 ま らず 、 プ ル ー ス トは 、 こ の 「イ エズ ス会 派 」 とい うモナ ドの うち に 、16世 紀 西 洋 絵 画 の宇 宙 を捉 え よ うとす る か らだ。 こ こ で、 プル ー ス トは 『百 科 全 書』 の 研 究 者 ら し く、 テ クス トとイ メ ー ジ とを 「 交 差 読 み」 して い く。 テ ク ス トは 『天 正 遣 欧 使 節 記 』 で あ る。 彼 は そ こに 、 カ トリ ッ クの ヨー ロ ッパ 都 市 生活 の 享 楽 ・繁 栄 と田園 の牧 歌 性 ー が 理 想 化 され て 描 か れ て い る の を見 出す 。 そ の 戦 略 に沿 って 、 少 年.
(12) 使 節 の 帰 国 祝 い に京 で の 大 パ レー ドも挙 行 され た の だ。 そ して 、 プ ル ー ス トは、 「イ エ ズ ス会 派 」 の西 洋 風俗 画 もま た、 この 戦 略 に 沿 って い る と見 なす 。 この 点 は 、従 来 、安 土 桃 山 の華 麗 な 文 化 との共 通 性 か ら、 日本 の 大 名 な どむ しろ注 文 す る側 の趣 味 に よ る と考 え られ て きた が 、 彼 は そ こ にむ し ろ描 く側 の戦 略 を 読 み 取 る のだ 。 プル ー ス トは テ クス トと交 差 させ る 図版 と して 永 青 文 庫 に あ る二 つ の 西洋 風 俗 屏 風 を 選 ぶ 。 こ こで も、彼 は 図版 に即 した精 緻 な解 説 を展 開 して い る。 そ こには 美 術 批 評家 と して の プル ー ス トの技 量 が 示 され て い る が 、 この書 評 で はそ の 紹 介 を 省 く。 プル ース トの 分析 が 示 す の は 、 この二 つ の屏 風 が い くつか の部 分 を合 成 した パ ズ ル で あ り、 そ の諸 部 分 の モデ ル が 、 ガ レ、 ヘ ー ム ス ケル ク、 サ デ レル 、 デ ・ボ ス と、一 様 に16世 紀 後 半 の フ ラ ン ドル の 版 画 家 ー 多 くは イ タ リア で活 躍 し た の でFiamminghiと. 呼 ば れ た ー であ る点 であ. る。 「ア ン トワー プを 通 じて後 期 ル ネ サ ン ス ・イ タ リア全 体 が 、 日本 の 門 戸 に この と き現 れ た の だ 」。だ が、そ れ は 単 な る版 画 の登 場 では な い 。田 園 画 とい う、当時 ヨー ロ ッパ 全 体 で 流 行 した 感 性 の潮 流 が 、 イ エ ズ ス 会 の 徳 化 戦 略 に 乗 って登 場 した の だ。 プ ル ー ス トはそ の系 譜 を ジ ャ コ ポ ・ サ ン ナ ツ ァッ ロの 『アル カ デ ィア』(1502年)辺. りか ら辿 っ て い る。 田園 の 調和 、空 想 的 建 築 、狩. 猟 がそ の 中 心 テ ーマ で あ る。 そ れ こそ 、 フ ィア ン ミンギ た ち が イ タ リア で学 び 、 版 画 に 実 現 した こ とで あ った 。 次 に 、 有 名 な 「レパ ン ト海 戦 屏 風 」 が 分析 され る が 、 これ も図版 に即 した 解 説 とな って い るの で 、 こ の書 評 で は 、結 論 の み 簡 潔 に 紹 介 す る に 留 め た い。 こ こで も、 図 版 に 交 差 す るテ クス トは や は り 『天 正遣 欧使 節 記 』 で あ る。 元 々古代 ロ ーマ とカ ル タ ゴ との戦 いを 描 い た もの を 元 に この 海 戦 画 は 描 か れ た が 、 そ れ を 広 め る こ とで イ エ ズ ス会 が期 待 しのは 、 プル ース トに よれ ば 、 普 通 考 え られ が ちな武 士 好 み の 尚武 の精 神 で は な く、 「ど うか わ れ わ れ の 日本 に お い て も 、 ヨ ー ロッ パ にお け る と同 じよ うに 、 キ リス トの教 え が栄 え、 そ の力 に よ って 、 謀 叛 を こ と と しや す い 日本 人 の心 が 和 らげ られ 、 日本 に お いて この よ うに絶 え間 な く行 わ れ る多 くの 戦 争 が熄 ん で 、 キ リス ト教 の国 々に お け る よ うな 平 和 と静 安 とを、 い つ の 日か わ れ わ れ も楽 しむ こ と が で き ます よ う に」 とい う、 キ リス ト教 の下 で の平 和 の戦 略 で あ った 。 しか し、 現 実 に は 、 この絵 か ら秀 吉 は 自 分 が法 王 の 配下 に され る恐 れ を 抱 き、徳 川 幕 府 は 自分 た ちが トル コ と同 じ目に 合 う悪 夢 を見 た。 ヨー ロ ッパ の 栄光 は 、 日本 に と って恥 辱 とも敗 北 とも読 まれ るわ け で あ る。 キ リシ タ ンが 生 み 出 した諸 芸 術 が 、 イ エズ ス会 の文 化 戦 略 と結 び つ け られ て 、 こ こま で統 一 的 か つ 総 合 的 に論 じ られ た こ とが 果 た して これ ま で あ った のだ ろ うか 。 南 蛮 美術 と して エ キ ゾ チ ッ クに 鑑 賞 され が ち な屏 風 に も、 「イ エ ズス 会派 」 の一 貫 した プ ロパ ガ ンダが あ り、 しか も、 そ れ に 、 イ タ リア ・ル ネ サ ンスや フ ラ ン ドル 版 画 が 複 雑 に 引 証 され て い た とは。 こ こに は 、 プル ー ス トが 鋭 く抉 り出 した よ うに 、 キ リス ト教 の下 で の平 和 と繁 栄 とい った 、 日本 に最 終 的 に 拒 否 され た イ エ ズ ス会 的 ヨー ロッ パ が確 か に透 け て い る よ うだ 。 だ が 、 同 時 に 、 ア ル カ デ ィアへ の 憧 憬 や 華 麗 な もの好 き とい っ た 、 当 時 の鑑 賞 者 の世 俗 的 欲 求 も あ った よ うに 、評 者 は 思 う。 い ず れ に せ よ、 この章 で の プル ー ス トの 分析 の冴 えは 見 事 で 深 い 。 た だ 、 芸術 を あ ま りに政 治 に 引 きつ け 過 ぎて い る とい う批 判 が あ りうる だ ろ うが 。.
(13) V 始 ま りの物 語 この章 で は、 聖 書 あ る いは 公 教 要 理 とい うヨ ー ロッ パ が 問題 とな る。 一 般 に 旧教 の 側 は 新 教 と 比 べ て聖 書 を重 視 しな い と され るが 、 もち ろ ん イ エ ズ ス会 士 とて聖 書 の権 威 を 否 定 す るわ け で は な い。 た だ 、 そ の俗 語 訳 あ るい は 俗 人 に よ る使 用 に は 、 か な り慎 重 な 対 応 を 取 って い た 。 日本 で は ヨー ロ ッパ で と 同様 、 宗 教 劇 用 に聖 書 の一 部 が俗 語 訳 され る形 で 日本 語 化 が進 め られ た。 つ い で、 プル ー ス トは ヴ ァチ カ ン図 書 館蔵 の バ レ ト写 本 を 分 析 す る。 バ レ トに よる この 日本語 訳 聖 書 は 、 サ ブ タイ トル に 日葡羅 の三 言語 が使 わ れ 、本 文 は 日本 語 が 中 心 とは い え 、主 要 な概 念 は ポ ル トガル 語 で表 され て い る。 さて 、『妙 貞 問 答 』に見 られ る よ うに 、聖 書 の文 意 は 信 者 の 意 識 の うち で ひ どい変 質 を蒙 りや す い 。著 者 ハ ビア ンは 旧約 聖 書 につ い て ほ とん ど知 らず 、 ア リス トテ レス の天 球 論 を聖 書 のそ れ と 思 い込 ん で い る し、堕 罪 を極 度 に劇 的 に も して い る。 また 、 キ リス トの 生涯 につ い て も ど こ ま で きち ん と認 識 して い た か怪 しい。 キ リス ト教 の天 国 と仏 教 の 極楽 な ど異宗 教 間 の類 似 概 念 も混 同 され や す くな っ て い る。 この よ うに 、 聖 書 を 欠 い て い る 日本 人 キ リシ タ ンは、 迫 害 に よ って 宣 教 師 とのつ なが りを 失 え ば、 混 濁 した 信 仰 に 落 ち 込 み か ね な い 危 険性 を有 してい た 。 そ れ ゆ え、 既 に ザ ビエル の段 階 か ら 日本 人 向け の 公 教 要理 を確 立 す る ことが 急 務 で あ った 。 こ う して 『カ テ キ ス ム ス ・ロマ ー ヌ ス』(1566年)を. 元 に 、 日本 人 向け の 公 教要 理 が作 られ て い く。. いわ ゆ る 『ど ち りな き り した ん 』(国 字 本 、1591あ る いは92年)で. あ る。. こ こで プル ース トは 話 題 を 、 主 題 で あ る隠 れ キ リシ タ ンへ と移 して い く。 バ テ レン追 放 の後 、 日本 人 信 徒 は 隠 れ キ リシ タ ン と して 、 洗 礼 を 行 う 「お水 方 」 な どの役 割 を 設 け 、 独 自組 織 を作 り 上 げ て い った 。 そ して 、 彼 らは 苦 難 、迫 害 、殉 教 とい っ た記 憶 で結 合 す る集 団 とな って い っ た 。 あ る報 告 に よ る と、 長 崎 な どで キ リシ タ ンは数 千 人規 模 の贖 罪 の苦 行 の大 行 進 を敢 行 して い た ら しい 。 そ れ が 迫 害 の 時 代 に な る と、拷 問 な どが キ リシ タ ン信 者 の想 像 力 を さ らに刺 激 し、 キ リス トの 苦 痛 や 殖 教 者 の 苦 痛 と一 体化 した い とい う二 重 の欲 望 を 生 み 出 し、 殉 教 に 拍 車 を掛 けた と プ ル ース トは 考 え る。 さて 、 い よい よ分析 は 『天地 始 之事 』 へ と移 る。 これ は 、 土 地 ご とに 数 々 の変 容 を経 なが ら隠 れ キ リシ タ ンの 間 に伝 承 され て き た土 着 化 した聖 史 で あ る。 田北 耕 也 に よる と、現 在 八 種 の異 本 が 残存 す る が 、 プ ル ー ス トは ボ ー マ ー に よっ て独 訳 され た 、 田北 の い う 「 久 一 本 」 に基 づ い て 、 そ の読 解 を進 め て い く。 プ ル ー ス トは夫 人 と協 力 して 独訳 か らの重 訳 で あ るが 、『天 地 始 之 事 』の 仏訳(本 章 の末 尾 に抜 粋 掲 載)も. 出版 してい る。 久 一 本 は 、 田北 に よる と、他 の写 本 に ない 説 明. 的 付加 が 多 い ら しい。 事 実 、 評 者 が参 照 した 『日本 思 想 体 系25』 所 収 の版 と本 章 末 の抜 粋 を 比 較 す る と、後 者 の 冒頭 の 「人 間 の創 造 」 の部 分 が 前 者 に は ほ とん ど欠 け て い る。 た だ し、 そ れ 以 外 は共 通 して い る部 分 が か な り多 い。い ず れ に せ よ、『天 地 始 之 事 』に は テ ク ス ト ・ク リテ ィ ック上 の 問題 が あ る こ とを 、最 初 に付 言 して お こ う。 『天地 始 之 事 』 は 、 旧約 や 新 約 の聖 書 に 示 され た 聖 史 を 、 隠 れ キ リシ タ ン風 に 簡 約 に ア レン ジ して い る。 それ は 、概 ね 、天 地 創 造 、 堕 罪 、 ア ダ ムの 子 らの放 浪 、 ノア 、受 胎 告 知 、 エ リザ ベ ツ.
(14) 訪 問、 イエ スの 生 誕 、 洗 礼 、 割 礼 、三 博 士 の 礼 拝 、 エ ジプ ト逃 亡 、御 変 容 、神 殿 の イ エ ス、 ロー マ教 会 の創 設 、 罪 な き者 の虐 殺 、 ユ ダの裏 切 り、 ヘ ロデ に よ るイ エ ス の捕 縛 、十 字 架 刑 、 悔 い改 め た盗 賊 、 イエ ス の地 獄 落 ち 、復 活 と昇 天 、 マ リアの昇 天 、 最後 の審 判 か ら構 成 され て い る。 プ ル ー ス トに よ る と、 唯 一 の創 造 主 、 恩 寵 を得 るた め の 改悛 の 意義 、洗 礼 の意 味 な どを 、 そ れ は 保 存 して い るが 、教 義 の根 幹 に 関わ る改 変 もな され て い る。 例 え ば 、 人類 の原 罪 を購 うた め に 十 字 架 に掛 か った イ エ ス の 意 義 が 忘 れ られ 、 イ エ ス の せ い で ヘ ロデ に殺 され た赤 子 た ちに 責 任 を 感 じ て 、 イ エ スが 進 ん で殉 教 す る とい うよ うに 、 イ エ ス の死 が 日本 の伝 統 的 自死 の方 へ 転 意 して い る こ とな どだ 。 さ らに 、 そ こ で はむ しろ マ リア が 人類 の贖 罪 者 とな り、聖 霊 に代 わ り父 と子 を 媒 介 す る位 格 に 高 め られ て い る。 それ が 、 隠 れ キ リシ タ ンの マ リア観 音 信 仰 とい う、 いわ ば 基 仏 習 合 とい うシ ン ク レテ ィズ ム と連 関す る こ とを 、 もち ろ ん プ ル ー ス トは見 逃 さな い。 この よ うに 、『天 地 始 之 事 』 は教 義 上 は多 くの 問 題 を 持 つ が 、 プル ー ス トの慧 眼 は、そ う した 正 統 か らの ズ レだ け で な く、 キ リシ タ ン社 会 の絆 と もい うべ き暦 、儀 礼 、祈 薦 文 を維 持 す る とい う、 組 織 防 衛 上 の役 割 を もそ こ に見 出す 。 曜 日や 日課 もそ こに独 得 の仕 方 で規 定 され て い る のだ 。 日本 化 とい う点 で は 、 単 位 ・装 束 ・地 名 な どに そ う した変 化 が見 られ 、 そ の結 果 、 『天 地 始 之 事』 の舞 台 は全 く架 空 の 世 界 とな って い る。 そ して 、既 に述 べ た基 仏 習 合 だ。 と りわ け 、 阿 弥 陀 信仰 との習 合 は 、両 者 の 教 義 の親 近 性 か らほ とん ど不 可 避 的 で あ っ た。『天 地 始 之 事 』で は 神 が 何 度も 「 仏 陀 」 や 「仏」 と呼 ばれ て い る。 さ らに 、 プル ー ス トは そ こに 、空 海 や 日蓮 な どの 伝 説 が 紛 れ込 ん で い る こ と、 超 自然 的存 在 が 仏教 的 に表 象 され て い る こ と、 事 態 を 因果 応 報 や 業 と して 見 て い る こ とす ら見 出 す 。 習 合 は基 神 の 間 で も起 きる。 例 え ば 、 プ ル ー ス トは、 離 縁 の 印 と して 用 い られ た櫛 に 天 と地 を 結 ぶ 神 道 的 象 徴性 を見 出 して い る。 さ らに、 基 神 習 合 は い わ ゆ る浄 め と 洗 礼 との 同一 視 に も現 れ て い る。 こ こま で の分析 で も プル ー ス トの学 殖 と眼 力 に驚 か され る が、 他 の追 随 を 許 さな い彼 の 凄 さが 発揮 さ れ る のは 、 実 は こ こか らだ 。彼 は こ う した教 義 や 聖 史 の変 質 の うちに 否 定 的 な もの を 見 な い 。 む しろ、 そ こにinculturationを読 み取 る。 こ の言 葉 は か つ て の イ エ ズ ス 会総 長 ペ ドロ ・ア ル ペ(1907-1991)の. 造 語 で 、 「土 着 化」 とも訳 され るが 、incarnationを 意 識 した 言 葉 で あ る こ とか. ら もわ か る よ うに 、「福 音 の諸 文 化 へ の 受 肉」 と い うニ ュ ア ン スを 有 す る。プル ース トが ど うい う 意 味 で この 目新 しい 言 葉 を 用 いて い るか ー 少 な く とも アル ペ と同 じで は あ る まい は定 か で は な い が、 少 な くと も、 そ の宣 教 的含 意 は排 して、 あ る外 来 の文 物 が 土 着 化 とい う特 殊 を通 じて 新 た な普 遍 性 を獲 得す る とい うニ ュア ンス で使 って い る よ うだ 。そ して 、『天 地 始 之 事』 を 、イ エ ズ ス会 士 が 果 た そ うと して で きな か った 、そ う したイ ン カル チ ャ レー シ ョンの 見事 な産 物 と評 価 す る。 布 教 の初期 に神 を 「大 日」 と訳 して失 敗 した 苦 い 経 験 か ら、 イ エ ズ ス 会 は主 要 な用 語 は ポ ル トガ ル語 を そ の まま使 用 す る とい う戦 略 一. そ れ は また 旧 教 側 の 戦 略 そ の も の だ った ー を. 採 った が、 そ の 『どち りな き りした ん』 的 行 き方 は、 プル ー ス トに よれ ば 、 民衆 に よる教 義 の理 解 を 困難 に す る もの だ った 。 ここ で、 プル ー ス トは 驚 くべ き 「 交 差 読 み 」 を 展 開 す る。 な ん と 、1602年 に 北 部 イ タ リア の.
(15) ヴ ィチ ェ ン ツ ァで 出版 され た 公教 要 理 を 『どち りな き り した ん 』 と交 差 させ る のだ 。 ヴ ィチ ェ ン ツ ァで の 問題 は 、住 民 の一 部 が イ タ リア語 を解 せ ず 、 ドイ ツ語 の 方 言 を 話 して お り、彼 らが いか に信 仰 の基 本 を伝 授 す る か に あ った。 そ れ ゆ え、 この公 教 要 理 は ドイ ツ語 で書 か れ て いた が 、 神 学 的用 語 はす べ て イ タ リア語 も し くは ラ テ ン語 か らな って い た 。 例 え ば 、 こ ん な風 だ 。《Baz bil koden Christan ?--. Der da macht profession der Fede, und Leze de Christo.》. だ が 、神 父た ち を失 い 、 ポ ル トガル 語 や ラ テ ン語 の 意 味 もわ か らな くな った 、 隠 れ キ リシ タ ン に よる見 事 な イ ンカル チ ャ レー シ ョン とは 何 か 。 プル ース トは彼 らの うちに 「無 意 味 か ら意 味 を 生 み 出す 」 とい う離 れ業 を 見 出 す 。そ れ は 例 え ば 、 「 エ リザ ベ ツ訪 問」 を語 る箇 所 で 、い ざべ るな (エ リザ ベ ツ)と 丸 や(マ. リア)が あ べ 川 で 出 会 い 、 そ こで神 へ の祈. 文 を 作 った か ら、 そ れ を. 「あべ 丸 や 」 とい うの だ とい う箇 所 に 現 れ て い る。 この よ うな格 闘を 通 じて 、 隠 れ キ リシ タ ンは 仏 教 や 神 道 に 対 し自己 の アイ デ ンテ ィテ ィを維 持 しな が ら、 「キ リス ト教 化 さ れ た 仏 教 」 と も い うべ き 自分 た ち 独 自の 宗 教 を 創 造 した 。『天 地 始 之 事 』では 、丸 や や 神 が ま さに 仏教 の 菩 薩的 役 割 を 担 い 、 最 後 に は 万 人 が み な 神 の 「慈悲 」 に 目覚 め る こ とに な る。 『天 地 始 之 事 』 を 田北 耕 也 な ど 日本 の研 究 者 は 「キ リス ト教 の一 神 教 的 性格 、託 身 の玄 義 、 原 罪 説 、救 済 観 、 道徳 、世 界 性 等 の 保 存 」(『日本 思 想 体 系25』632頁)と. い う視 角 か ら考 察 しが ち で. あ り、 先 程 の 「あ べ 丸 や 」 の 話 な ど も 「 全 くで た らめ の よ うに 思 え る」(391頁 頭 注)と 一 蹴 す る が 、 プル ース トは こ うした 改 変 を 、過 酷 な状 況 下 で信 仰 に 意 味 を 見 出 そ うとす る、 イ ンカル チ ャ レー シ ョンの成 果 と して積 極 的 に 評価 す る。 欧 米文 明一 辺 倒 か ら文 化 多 元 主義 へ と い う流 れ か ら も、 この プル ース トの 視 角 は 重要 で あ る。 隠 れ キ リシ タ ンは や む を 得 な い状 況 で の正 統 か らの 逸 脱 で は な い 。 イ ン カル チ ャ レー シ ョン的展 開 な のだ 。 た だ 、 この 言 葉 に は ど う して も普 遍 が 特 殊 に 受 肉 す る とい うニ ュア ンス が つ きま とい、 ヨー ロ ッパ 中 心 主 義 を抜 け 出 て い ない うらみ が あ る の で は あ るが。 次 に 、 日本 人研 究者 か ら批 判 が 出そ うな点 を一 言 。 プル ース トは 、 主要 な宗 教 用 語 は ポル トガ ル 語 を そ の ま ま使 用 す る とい うイ エ ズ ス会 の戦 略 を否 定 的 に 捉 え て い る が 、 当時 と りわ け 少 年 使 節 帰還 以後 一. 南 蛮趣 味 は頂 点 に達 し、 外 来 語 を 一 知 半解 で 気取 って使 う者 が 現 れ 、 そ れ が. 「カ セ ッ ト効果 」(柳 父 章 『翻 訳 語 成 立 事 情』)を 伴 って 、 次 第 に 一般 庶 民 に も広 ま って い った 状 況 を考 慮 す る と、イ エ ズ ス会 の ポ ル トガル 語 多 用 の 戦 略 に は 、そ うした 南蛮 趣 味 に 乗 りつ つ 、「カ セ ッ ト効果 」 に よ って翻 訳 の壁 を乗 り越 え る と い う考 え もあ った とい え る ので は な か ろ うか。 い ず れ に せ よ、文 化 伝 達 と翻 訳 に 関わ る問 題 は 奥 が 深 い 。 この 点 で実 りあ る討 論 が 開 か れ る こ とを 評者 は期 待 した い。 最 後 に 、方 法 論 的 問題 を述 べ た い。確 か に 、『天 地 始 之 事 』 とい うイ ンカ ルチ ャ レー シ ョン も プ リズ ム と して機 能 し、 ヨー ロ ッパ を映 し 出す ので は あ るが 、 同 時 に 、 そ こに は ヨ ー ロ ッパ に よ る プ リズ ム 自体 の変 質 とい う、 プ ル ー ス トの方 法 の根 幹 に 関 わ る 問題 が存 在 す る。 む しろ 、文 化 衝 突 に は そ う した作 用 が不 可避 だ 。 プル ー ス トは 日本 を 、 あ る種 固定 した プ リズ ムあ るい は エ ピス テ ー メ と見 る こ とで、 そ こに ヨー ロ ッパ の ス ペ ク トル を 描 き出 した が 、 この章 で は 、 そ う した方.
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