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清朝統治下台湾における初等教育財政 : 日本植民地時代との比較

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Academic year: 2021

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(1)清朝統治 下 台湾 にお け る初等 教育財政 日本 植 民地 時 代 との比 較. 山. 田. 美. 香. 研究 の 目的 本 研 究 で は 清 末 の 教 育 財 政 と 日本 植 民 地 時 代 の 教 育 財 政 を比 較 検 討 す る。 同 時 に 、 台 湾 の 教 育 が 、 そ の 後 日本 の 教 育 行 政 に よ っ て どの よ うに 変 化 した の か を 検 証 す る も の で あ る。 そ れ は ま た 、 日本 的 な 植 民 地 統 治 の あ り方 を再 検 討 す る こ と で も あ る。 日本 的 な植 民 地 主 義 に 基 づ く台 湾 統 治 の あ り方 が どの よ うな 方 法 で財 源 を 確 保 して 実 施 され た の か を研 究 す る。 最 近 、許 佩 賢 が て一 」(2004)、. 「日本 統 治 初 期 近 代 学 校 の 創 設 と地 方 社 会 一 公 学 校 の 経 費 問 題 を 中 心 と し. 「 台 湾 近 代 学 校 の 誕 生 」(2001)を. は じめ と して 、 学 校 が 近 代 化 され て い く上 で 学. 校 経 費 が どの よ うに 工 面 され た の か を読 み 解 く研 究 成 果 を発 表 した 。 筆 者 も 中 国 近 代 化 の 過 程 に お い て 教 育 の 近 代 化 は 国 家 の近 代 化 と並 行 して 行 われ 、 同 時 に行 財 政 の 近 代 化 と期 を一 にす る こ とか ら、 近 代 学 校 経 費 の 問 題 の 重 要 性 を認 識 して い た 。 少 な く と も清 朝 体 制 下 に あ っ た 中 国 大 陸 で は どの よ うに 近 代 学 校 経 費 が 拠 出 され るの か は 各 地 域 社 会 に お い て 死 活 問題 で あ っ た。 科 挙 時 代 に 要 した 学 校 経 費 に比 べ て近 代 学 校 に 必 要 と され る 経 費 は 莫 大 で 、 必 ず 新 た な教 育 税 が 徴 収 さ れ る な ど住 民 の 負 担 は 強 ま っ た か らで あ る。 そ れ ゆ え台 湾 にお け る近 代 学 校 の普 及 、 近 代 学 校 に 対 す る 住 民 の 率 直 な 意 識 ・視 線 の考 察 に は 学 校 経 費 を論 じ る必 要 が あ る の だ が 、 許佩 賢 が 研 究 す る ま で は 学 校 経 費 の 統 計 資 料 の 紹 介 に 終 始 した 。 許佩 賢 は 、 李 明 仁 ・張 人 潔 と 『台 湾 学 産 的 源 流 与 定 位 』(教 育 部 中 部 弁 公 室 専 題 研 究 計 画 期 末 報 告 書 、 国 立 政 治 大 学 歴 史 学 系2001年11月)を. 発 表 して い る。 こ の 報 告 書 は 、 清 朝 統 治 時 代 か ら. 日本 統 治 時 代 を 経 て 、 戦 後 国 民 党 政 権 時 代 の3時 代 の 学 校 経 費 を論 じて い る。 清 朝 時 代 の 地 方 志 を は じめ とす る 史 料 、 日本 統 治 時 代 の 総 督 府 公 文 類 纂 、 新 聞 資 料 、 戦 後 国 民 党 の 資 料 な ど を駆 使 して 教 育 経 費 の 変 遷 を 明 らか に した 。 報 告 書 に お い て許 は 、 日本 の 「 官 僚 、 旧慣 調 査 会 員 は非 常 に 努 力 して こ の財 産 の 性 質 を明 らか に した 」 と述 べ て い る1)。 日本 型 植 民 地 政 府 の 被 統 治 者 か らの 税 徴 収 の 方 法 は 如 何 な る も の な の だ ろ うか 。 清 朝 時 代 の 「 公 」 的 な 学 租 が 総 督 府 に 接 収 され 、 「 官 」 の 教 育 経 費 とな っ て い く状 況 を 本 稿 で は 更 に 詳 し く 論 じ る こ とに す る。 台 湾 総 督 府 公 文 類 纂 か ら、 清 末 か ら 日本 統 治 時 代 へ の 移 行 過 程 に お い て 、 清 末 の 教 育 資 産 が どの よ うに植 民 地 時 代 で 利 用 され た の か を論 証 し、 ア ジ ア にお け る 日本 の 教 育 近 代 化 の 一 形 態 を 明 確 に す る。.

(2) 1.清. 朝 統 治 下 台 湾 に お け る学 租 の 出 所. 1897年10月15日. 「 前 政 府 時代 ノ公 費 徴 収 取 調 書 」 で は 、 「旧 政 府 時 代 ニ オ イ テ 県 又 ハ 堡 里 等 ノ. 経 済 ニ 属 ス ル 公 費 ヲ以 テ 支 弁 シ タル 事 業 」 と して 清 朝 時 代 地 域 社 会 で負 担 され て き た 公 費 と して 教 育 ・福 祉 事 業 を 挙 げ て い る。 調 書 で は 教 育 ・福 祉 事 業 に 用 い られ た 経 費 の 賦 課 及 徴 収 方 法 を 調 べ て い るが 、 「 教 育慈 善 ノ二 事 業 共 に勧 義捐 ノ 田園 及 金 員 若 クハ 当 時 ノ行 政 者 ヨ リ抄 封 ノ 田園 ヲ 充 当 シ 之 ヲ支 弁 セ シ ニ 由 リ当 管 内 ニ 於 テ ハ 別 ニ 賦 課 ノ方 法 ア ル ナ シ 」 と、 同 じ清 朝 統 治 下 に あ っ た 中 国 大 陸 と全 く 同 じ教 育 経 費 の確 保 の 仕 方 が な され 、 地 域 社 会 で そ の違 い は ほ とん ど見 出 せ な い 。 義 学 、 書 院 な ど教 育 機 関 は地 域 の有 力 者 で あ る郷 紳 の 寄 附 や 行 政 官 に よ っ て 費 用 が 負 担 され 、 そ の負 担 の詳 細 は各 教 育 機 関 に 違 い は あ っ て も 、 そ の違 い は どの 地 域 に も 多 か れ 少 な かれ 見 られ た こ とで あ っ た 。 ・学 租 の 種 類 台 湾 に お け る 学 租 は 、 各 府 県 及 び 庁 に お け る儒 学 、 書 院 、義 学 の 経 費 を 支 出す る基 本 財 産 と し て2つ 挙 げ られ る とい う2)。1つ. は学 租 、捐 金 、 も う一 つ は 土 地 、建 物 で あ る。 学 租 、 つ ま り教. 育 税 と して は 、 「 挙 人 江 呈輝 等 が 稟 申 し、 衆 船 行 ・入 港 諸 船 載 貨 の料 に応 じ徴 収 した 。 しか し今 は 廃 止 した 」3)。学 租 は 、 そ の 徴 収 方 法 が 儒 学 に よ り異 な り、 書 院 祖 は 納 付 期 は6月 、10月 の2 期 で あ っ た 。 不 納 の場 合 は 監 督 官 庁 へ 通 告 し監 督 官 庁 にお い て 徴 収 、 佃 人 に 強制 して納 入 させ る 、 ま た は場 合 に よ り滞 納 者 を 留 置 す る、 不 納 の場 合 は 契 字 に 制 裁 を 定 め 、 小 作 で き な い よ う契 約 し た。 捐金 、寄 附 につ い て は 、1898年2月. 、台湾総 督府 主任収 入官 吏が 「 清 国 政 府 時 代 各 種 事 業 を人. 民 の 寄 附 に 当 て た も の は 少 な く な い 。 『財 務 行 政 の発 達 幼 稚 な 時 代 』 に 行 政 の 財 源 を 寄 附 に 仰 ぐ の はや む を え な い。 当 時 、 寄 附 の 金 額 が 一 般 租 税 の 収 入 に 比 べ て い か な る割 合 に な るの か は 記 録 が 今 日な い が 、 そ の 収 入 が 重 大 な も の で あ るの は疑 い な い 」 と述 べ て い る4)。 ま た 寄 附 の 区別 、 収 集 の 方 法 は 様 々 で 「 基 本 財 産 ノ ミ ヲ以 テ 其 ノ費 用 ヲ支 弁 セ ル ニ 足 ラ サ ル 場 合 ニ ハ 主 任 者(海. 東 書 院 ノ監 院)、 ニ ヨ リソ ノ事 情 ヲ其 上 長 官(道 台)ニ. 具 申シ其許 可 ヲ得 タル. 後 一 冊 簿 ニ ー 序 文 ヲ 写 シ其 ノ勧捐 ヲ求 ムル ノ理 由 ヲ 明 シ ー ニ誠 意 ノ人 ヲ選 択 シテ 富 豪 ノ紳 士 或 ハ 当 時 行 政 官 吏 ヲ訪 レシ メ之 ヲ示 シ其 義 掲 ヲ勧 誘 ス 」 と、 こ の あた りは 同 じ清 朝 支 配 下 の 中 国 大 陸 で も経 費 の 不 足 に 関 して は 詳 細 な 規 程 を もつ 書 院 が 少 な か っ た こ とか ら珍 しい5)。 た だ し経 費 の 不 足 が 起 こ る こ とが 海 東 書 院 に代 表 され る官 立 大 規 模 書 院(小 規 模 の 個 人 経 営 の 書 院)な. どで は. 毎 年 限 られ た 学 生 が 在 籍 す る のみ で 大 幅 な経 費 不 足 に 陥 る 事 態 は あ りえ な か っ た 。 土 地 は 、1「 官 荘 及 抄 封 田其 他 没 収 等 の 官 有 地 、2民. 間 紳 士 の捐 地 及 掃 金 に 依 て 購 入 せ る 土. 地 」 で あ る6)。 つ ま り、 住 民 同 士 で 土 地 を め ぐっ て裁 判 沙 汰 に な り清 朝 に没 収 され た 土 地 、 地 域 住 民 の うち 有 力 者 で あ る郷 紳 が 寄 附 を した 土 地 が 学 租 とな っ た。 た とえ ば 、 明 志 書 院 の 試 算 を例 に 取 る と、 「 金 包 里 大 ニ 坪 庄 」 の 年 収 大 租 銀71円64銭 を 呉 姓 、.

(3) 何 姓 が 相 争 い 控 告 、 清 朝 が そ の 土 地 を没 収 して 書 院 の 公 費 に 充 て た とい う7)。 ・書 院 の 収 支 管 理 文 石 書 院 で は 、 書 院 の 収 支 は 、 「1885年、 通 判 程 邦 基 は 暦 来 書 院 の 積 欠 及 び 大 小 賓 興 欠 項 を 整 理 す 。 逃 亡 死 亡 す る も の は そ の 子 孫 に 追 徴 に耐 え る 者 は酌 量 追 徴 し、 多 寡 等 しく な け れ ば 前 帳 簿 を抹 消 し、 納 め る款 項 は城 内 で 租 を 納 め 院 費 用 に し、 新 た に 章 程 を立 て 毎 年 歳 科 両試 は 旧 生1等 、 新 生 案 首2名. を こ の 年 の 董 事 と して 管 理 させ る 」 とい うよ うに 、 地 域 の科 挙 及 第 者 を 理 事 と して. 管 理 させ て い る8)。 「1897年3月 調 学 田 園祖 及 学 租 現 在 収 入 高 一 覧 」 で は 、 地域 で 科 挙 及 第 者 が収 支 を 管 理 した 時 代 か ら、 「 今 は 普 通 の 官 租 と同 一 に徴 収 し地 方 庁 で これ を保 管 す る よ うに な っ た が 、 地 方 庁 に よ っ て は 国庫 の収 入 に繰 り入 れ た もの もあ る 」 と記 され て い る。1900年 澎 湖 庁 総 務 課 長 高 津 慎 に よ る と、1899年12月20日. 学 第2071号. 「 学 租 取 扱 規 程 」 制 定 に よ っ て 旧 文 石 書 院 の付 属 財 産 は 地 方 庁. で 取 り立 て 、 も し くは 支 払 い をす べ き だ が 、 旧慣 習 の ま ま 理 事 に 管理 させ 本 庁 の 管 理 の 外 に 属 す も の も の も あ っ た とい う9)。 表1に. は 、 各 書 院 の 管 理 者 を示 した。 最 終 的 な 帳 簿 管 理 者 は 各 県 の 最 高 行 政 官 で あ る知 府 レベ. ル で あ る こ とが 分 か るが 、 実 際 に 管 理 す る の は 地 域 の官 学 教 授 や 書 院 理 事 で あ っ た 。. ・. これ ら書 院 の もつ 学 田租 で 農 作 物 の 収 穫 を得 た 佃 人 に 対 し、 出納 官 吏 が 人 を 遣 わ して 徴 収 す る か 、 或 い は 佃 人 が 自 ら納 税 して い た 。 出 納 官 吏 に は様 々 な者 が な っ た 。 奎 楼 書 院 の董 事 は 、 書 院 に 関係 あ る郷 紳 の 公 議 に基 づ き任 免 され た が 俸 給 は支 払 われ な か っ た 。 ま た 義 塾 の 出 納 を 主 とす る塩 局 は道 台 の 管 下 に 属 し、 た だ 義 塾 の み 管 理 す る わ け で は な か っ た の で 義 塾 管 理 の み に 限 っ た 報 酬 は な か っ た。 た だ し海 東 書 院 の 監 院 に つ い て は 道 台 の 任 免 に係 わ る な ど の職 に あ っ た た め 、 毎 年 度120両 が 支 払 わ れ て い る 。 崇 文 書 院 の 収 租 を 司 る知 府 の 禮 房 は 知 府 の 任 免 に係 わ る が 、 多 数 の禮 房 の房 吏 で そ の 数 も不 明 で あ り俸 給 も特 別 に 給 与 され な か っ た 。.

(4) つ ま りこれ ら学 租 徴 収 に 関す る名 誉 職 に 関 して は 、 無 給 で官 僚 、 有 力 者 が名 前 を 連 ね る も の で あ っ た 。 しか しそ の 下 で働 く書記 、 そ の 他 雇 人 の 給 料 は海 東 ・崇 文 書 院 は共 に1ヶ. 月3元 と彼 等. の 生 活 を保 証 す る た め 必 要 で あ っ た。. 2.植. 民地 政府 に よる学租. こ れ ま で 教 育 ・福 祉 事 業 に 用 い られ た 経 費 へ の賦 課 は 学 租 と して 、 総 督 府 が 管 理 す る よ うに な っ た 。 そ の 具 体 的 な 状 況 は 、 許 に よ る と次 の よ うに 徐 々 に 関 連 規 定 を 定 め る と い う形 式 を と っ た10)。 様 々 な 問 題 を抱 えつ つ 学 租 に 関 す る 制 度 が 確 立 す る ま で に は 、 日本 が 台 湾 を 統 治 後 、10 年 の 月 日が 流 れ て い た 。. 1895年9月. 。「 官 租 収 納 取 扱 心 得 」 に よ っ て 、 大 租 、 小 租 を 官 租 と して 処 理 す る。 しか し学 田 、. 義 渡 田 は 官 租 徴 収 の 際 に納 め る が 国 家 収 入 で は な く地 方 庁 の 収 入 とす る。 1897年12月 。 訓 令163号. 「 官 租 収 納 取 扱 心 得 」 が 改 訂 され る。 学 田、 義 渡 田 を官 租 か ら削 除 、 訓. 令161号 で 社 団 ・財 団 の 収 入 は 個 人 の 収 入 と規 定 、 慣 習 に よ っ て 処 理 し、 各 県(庁)が. 収支規. 定 を定 め る。 1898年 。 各 県 の学 租 財 産 を調 査 し、報 告 書 を作 成 し総 督 府 に提 出 した 。 各 県 で 学 租 取 扱 規 程 を 制 定 す る。 台 北 県 学 租 取扱 規 程 、 台 北 県 学 租 取 扱 規 程 施 行 細 則 が 公 布 され る。 1901年 。 民 政 長 官 に よ る台 湾 全 島 共 通 の 「 学 租 取 扱 規 程 」 訓 令424号 が 公 布 され る(各 県 で 学 租 事 業 の 歩 調 が 異 な っ た が 、 土 地 調 査 事 業 ・廃 県 置 庁 の 行 政 が 進 展 した た め)。 臨 時 台 湾 旧慣 調 査 会 が成 立 した。 書 院 は非 営 利 目的 の 公 益 私 法 人 とな る。 1902年 。 「 学 租 取 扱 方 法 心 得 」 訓 令13号 が 公 布 され る。 他 の 法 規 と協 調 が 求 め られ る 。 土 地 調 査 事 業 が 完 了 し、 学 租 地 の財 産 登 記 、 移 転 、 租 佃 等 は 土 地 調 査 規 則 に よ っ て 定 め られ る。 学 租 の 納 付 期 限 、 換 算 率 を 定 め る。 1903年 。 各 県 を 単 位 と しな い 台 湾 全 島 レベ ル の 学 租 財 団 の雛 型 が成 立 す る。 1906年 。 学 租 財 団 成 立 が 成 立 す る。 「 学 租 財 団 所 属 財 産 取 扱 規 程 」 訓 令102号 。. 1905年1月30日. 宜 蘭 庁 長 中 田直 憬 は 、 地 租 税 則 改 正 に よ り従 来 貸 下 の 学 租 地 貸 下 料 調 査 の うえ 、. 新 し く学 租 は 地 租 、賦 課 税 、 租 額 の 合 計 を徴 収 し、 地 租 及 び 賦 課、 税 は 学租 財 団 に収 め る も の と定 め た11)。そ して 今 後 学 租 は す べ て 金 納 と決 定 した 。 1906年 に は 清 朝 統 治 下 で 教 育 経 費 と して 用 い られ た 学 租 は す べ て 学 租 財 団 に 接 収 され た。 た と え ば学 租 財 団 に接 収 され た 書 院(廟)に. 年 々 納 め られ る 義 捐 金 な ど も多 くが 国 語 伝 習 所 、 軍 隊 、. 台 南 地 方 裁 判 所 な ど の 土 地 ・資 産 に 用 い られ 、 残 され た 書 院 も本 来 の 使 用 者 にお い て た だ修 理 監 督 され る に す ぎ な く な っ た 。.

(5) こ の ほ か 、 寄 附 は学 租 の 重 要 な 収 入 源 で あ った が 、総 督 府 は 国 庫 に 関 わ る寄 附 に 関 して 、1901 年12月 勅 令 第226号(台. 湾 総 督 の 受 納 の 手 続 き)、1902年4月. ・建 物 の 寄 附 を 受 納) 、1903年12月 府 令 第82号(国 工 事 材 料 寄 附 受 納 に 関 す る件)を 台 湾 地 方 税 規 則(1898年7月 第9条. 府 令 第27号(国. 庫 経 済 に属 す る土 地. 庫 経 済 に 属 す る用 途 指 定 の 土 地 建 物 労 力 及 び. 定 め た 。 ま た 、 地 方 に 対 す る寄 附 は 、1898年7月. 律 令 第17号 、 金 穀 物 件)、1903年4月. 府 令 第31号. 地 方税制 度 、. 「 台湾 地 方税 規則. に よ り寄 附 す る も の の うち 見 積 も り価 格500円 以 下 の 物 件 は庁 長 が 受 納 す る 」、1903年4月. 訓 令 第88号 、1905年11.月 府 令 「 地 方 経 済 に 対 す る 一 切 の 寄 附 を 国 庫 経 済 と同 様 庁 長 が 取 り扱 う」 と定 め られ 、 これ ら寄 附 は 各 県 各 庁 で 受 納 され た。 しか し管 内 書 院 は1895年 の 日本 統 治 後 廃 滅 し、 寄 附 の 由来 は 旧記 、 人 民 の口 碑 に よ る の み で 正 確 に把 握 す る こ とは で き な い とい っ た 問題 も あ っ た12)。今 後 寄 附 を教 育 費 の 重 要 な 収 入 源 に し よ うに も、 清 朝 時 代 、 地 方 官 の 奨 励 に よ り郷 紳 が 寄 附 に応 じた の は法 的 に規 定 され た も の で は な く、 一 時的 な もので あった. 。. ま た 、 台 南 に お け る海 東 書 院 、 崇 文 書 院 、 蓬 壷 書 院 の 学 租 ・義 蔵 、 義 塾 、 育 嬰 、 抄 封 産 業 につ い て 問 題 が 発 生 した13)。 調 査 す る と、 佃 人 が そ の 資 産 を 隠 す た め 、 ま す ま す そ の後 の 公 的 資 産 の 管 理 が 難 し く、 土 地 は 荒 れ て しま っ て い た。 蓬 壷 書 院 は 大 甲 社 の 園 税 と して 毎 年64円 を納 め た た め 、 この2年. 間、大 甲. 庄 民 、 四 鯤? 庄 民 で 書 院 に 税 を 納 め に 行 く人 が い な い。 互 い に 税 の こ とで 争 い 、 裁 判 所 で控 訴 す る な ど住 民 が 旧来 の 学 租 負 担 を しな く な り大 き な 騒 ぎ と な っ た 。 結 局 佃 人 ら は租 金 を納 め た が 、 当 人 の 言 い 値 で 、 た だ 地 元 民 の み が この 詳 細 を知 っ て い る状 況 で あ っ た。 そ の た め蔡 国 琳 ・蔡夢 熊 ら は 日本 人 を派 遣 し誠 実 で 頼 れ る 人 に状 況 を逐 一 調 査 して も らい 、 佃 人 が 公 的 資 産 を隠 さ な い よ う指 導 して も らえ な い か との 内 容 の 伺 い 書 を だ して い る。 この よ うに 学 租 に 対 す る法 令 、 規 則 な どが 整 備 され て い く 中 、住 民 の接 収 方 法 に対 す る 不 満 、 接 収 の不 徹 底 な どが 発 生 した 。 つ ま り清 朝 ま で の 書 院(廟)管. 理 方 法 が 日本 統 治 後 は 全 く違 う様. 相 を 呈 した 。 新 しい 統 治 者 で あ る総 督 府 が 統 治 初 期 の 台 湾 で 地 元 住 民 に抵 抗 に あ っ た り、 学 租 を 接 収 す る際 に 何 らか の 強 制 力 を 用 い た こ と は否 め な い。 そ の 点 、 総 督 府 が どの よ うな 手 段 で 学 租 接 収 上 の 問 題 に対 処 した の か を 述 べ た い。. ・官 租 と学 租 総 督 府 は統 治 初 期 、 清 朝 時 代 に複 雑 に分 類 され て い た 租 に 関 して 管 理 を簡 易 化 す る た め 、 一 般 官 租 と して 一 括 りに した 。 そ の た め 、 も と も と学 租 で あ っ た もの が 一 般 官 租 に 繰 り入 れ られ た 。 た とえ ば 、 善 堂 とい う地 域 住 民 の 福 祉 機 関 も一 般 官 租 と 同等 の 扱 い を した こ とに 対 して 、 意 見 が 出 され た14)。た だ し地 元 資 産 と して認 め られ る た め に は 地 元 住 民 の働 き か け が 重 要 で あ っ た 。 「1873年に な り、 知 県 厳 金 清 自 ら1,000円 を 借 捐 し1,000石 を購 っ た 。 紳 商 業 戸 を奨 励 し捐 穀 を.

(6) 促 し、 穀 計49,000石 、 ま た 別 に公 金 を 出 して穀1,600石 を購 い3箇 所 に義 倉 を 建 設 し、 義 塾 を 附 した 。 『養 を 興 し教 を立 つ る』 た め 明 善 堂 の 旧屋 中央 の 室 に 『興 養 立 教 』 とい う四 文 字 が か か れ た扁 額 を 掲 げ た 。 捐 穀 の 一 部 を貯 蔵 し、 そ の ほ か で 大 租 小 租 を買 収 した 」 た め 、 普 通 官 有 地 よ り 生 じ る税 収 入 と同 視 す べ き で は な い と稟 請 が あ っ た 。 こ の よ うな 明 善 堂 の よ うな 慈 善 的 団 体 の租 穀 は 地 方 財 団 に 帰 す こ と に な った 。 慈 善 団 体 と して 認 め られ れ ば 、 国 庫 収 入 と見 な され ず 地 域 の 資 産 と して 認 め られ る か らで あ る。 しか し こ の 時 期、 学 租 も 官 租 も そ の 税 率 な ど は 変 わ ら な か っ た 。 た と え ば 「学 租 取 扱 方 」 (1902年1月. 訓 令 第13号)で. は 、 「1学 租 の 納 期 は 官 租 の 納 期 に よ る 、2学 租 の 納 品換 算 率 は官. 租 の 換 算 率 に よ る」 とい う よ うに 同様 の 処 理 が な され て い た。 1897年 台 南 県 知 事 磯 貝 静 蔵 の 伺 に は 「 官 の 管 理 に属 した も の 、 ま た は 適 当 な 管 理 者 が な い も の な ど はみ な 官 租 と して徴 収 した 。 性 質 上 国 庫 収 入 と な るべ き もの と地 方 費 に 充 て る べ き もの 、 ま た従 来 の 支 出 の ま ま にす る もの とに 区 分 され た 。1895年9月28日. 訓 令 第7号 官 租 収 納 取 扱 心 得 第. 1条 はそ の 性 質 如 何 に 関 らず 国 庫 収 入 とす べ き とい う もの で あ る が 、 県 政 上 そ の 影 響 を被 る こ と は少 な くな い 」 と記 され て い る15)。つ ま り初 期 の 段 階 で は 地 方 財 政 に影 響 が な い 範 囲 で 、 清 朝 体 制 下 ・明 治 期 の 日本 で 国 税 に相 当す る と考 え られ た も の は 基 本 的 に 国 庫 収 入 と した の で あ る。 こ の よ うな 暫 定 的 な 政 策 は 、1897年12月 訓 令 第161号. 「 社 団財 団 、 若 し くは 個 人 の 収 入 に 属 す. る金 種 で 従 来 便 益 の た め 地 方 に お い て 取 り立 て も し くは 支 払 い を な した る 旧 慣 あ る もの は 、 本 総 督 の認 可 を 得 て そ の 旧慣 を継 続 履 行 す る こ と を得 る。 取 り立 て 、 支 払 い に 関 す る規 程 は知 事 、 庁 長 が 定 め総 督 に認 可 を請 願 す る」 か ら も 明 らか で あ る16)。 そ れ で は ど の よ うに 学 租 を総 督 府 の 国 庫 収 入 と した の だ ろ うか 。 台 湾 学 租 由 来 取 調 書(1897年5月. 調)に. よ る と、 「 学 租 は 各 書 院 に理 事 を お き 、 管 理 させ た 。. 地 方 の 住 民 中 、 身 元 の確 実 な者 を選 び 命 じ請 負 業 と し、徴 収 事 務 は もち ろ ん 支 出 の 事 務 も併 せ て 担 当 処 理 させ た。 徴 収 方 法 は 毎 年6月、10月. の 両 期 に分 け て 、 学 田 は 定 穀 に よ り時 価 に換 算 徴 収. し、 貸 与 金 の 生 息 は 定銀 に よっ て 徴 収 した。 徴 収 高 は年 々 大 抵9割6分. で残 り4分 は 事 情 が あ り. 完 納 して い な い。 滞 納 者 は 引 きま わ しの うえ 鞭 杖 を加 え 、 獄 中 に 投 じ、 完 納 す る の を待 っ て 放 免 す る」 と、 地 元 の 名 士 に 請 負 業 を させ 、 ゆ るや か な 統 治 の も と徴 収 を 行 っ た が 、 滞 納 者 に は 厳 し い罰 則 を課 した の で あ る。 臨 時 土 地 調 査 完 了 に と も な い 、1901年12月. に 元 台 中 県 、 台 南 県 管 内 の 学 租 資 産 が確 定 した 。 し. か し統 治 後 基 本 的 な 土 地 調 査 が わ ず か 数 年 で 完 了 した と は い え 、 鳳 山 県 で は1895年 以 後 の 学 租 未 納 分 を1904年 よ り徴 収 原 簿 か ら削 除 した り、 不 納 、 欠 損 処 分 が 多 額 で あ っ た 。 鳳 山 県 で は 、1908 年 、 さ らに 多 額 の 取 り消 し、 不 納 、欠 損 等 の 処 分 を整 理 した が 、 そ の 間 不 明 な もの は少 な くな か っ た とい う。 そ の ほ か 統 治 初 期 の段 階 で は 、官 立 教 育 資 産 で あ っ た 儒 学 ・官 立 書 院 以外 の 教 育 資 産 は 地 元 住.

(7) 民 が 管 理 して い た。1898年 段 階 で は 、 儒 学 、 書 院 、 学 会 の財 産 は 各 地 の 学 租 規 程 に よ っ て 学 租 と して 扱 わ れ た が 、 社 学 、 義 学 の 財 産 は 一 庄 一 部 落 の 事 業 に 属 し、財 産 の 所 在 が 明 らか で は な か っ た 。 儒 学 ・書 院 とい う官 立 教 育 機 関 の 資 産 は 学 租 と して 処 理 され た が 、 そ れ 以 外 の教 育 機 関 の学 租 は 地 元 住 民 に よ る柔 軟 な 管 理 が 行 わ れ て い た の で あ る。 そ の 後1906年 に 学 租 財 団 に す べ て の教 育 関 連 資 産 、 経 費 が 接 収 され る ま で 各 地 で そ の 管 理 方 法 は様 々 で あ っ た。. ・祭 祀 と学 租 台 湾 で は 地 域 住 民 で 祭 祀 費 用 を 拠 出 し、祭 祀 費 用 を教 育 費 に 充 当 す る こ とが あ っ た。 しか し、 総 督 府 は 祭 祀 に 関 して は 、植 民 地 統 治 の 一 環 と して 否 定 的 に捉 え て い た17)。. 憲 政 の 下 信 仰 の 自 由 は 素 よ り憲 章 に 柄 然 た る所 台 湾 今 や 我 領 土 に 帰 し信 仰 の 自 由 を 享 有 す べ き は 勿 論 の事 な る も之 れ 等 清 国 よ り渡 来 せ る廟 宇 祠 堂 は 或 い は支 那 に於 い て 文 功 を顕 し或 い は武 勲 を奏 し或 い は 一 種 の 迷 想 よ り生 ず る 信 仰 心 に て 本 島人 に 向 て 日本 的観 念 を普 及 す るに 於 い て 寸 毫 も益 な く却 て 清 国 的 旧 台湾 観 念 を 固 執 せ しむ る の 害 な ん とせ ず。 ゆ え に政 略 上 よ り之 れ 等 の 廟 宇 を俄 然 破 毀 す る は 本 島 人 の慣 行 を 害 し穏 当 な る処 置 に あ ら ざ る べ き も其 の 基 本 た る 田園 を 陥 没 して 漸 次 其 基 礎 を薄 弱 な ら しむ る は策 を得 た る もの あ ら ざ る か 。 復 興 の 望 み あ る もの は さ らに 下 げ渡 す とす る も、 まず 政 府 に 於 い て 保 管 しか るべ し。. 1896年. 「 公 田租 田征 収 及 支 途 認 可 案 」 に よれ ば 、1896年3月12日. 、嘉義城 奎 閣文彦 社及 賓興 、. つ ま りこれ ま で 地 域 の 文 教 財 産 に充 当 して い た 収 穫 を 地 域 の 保 良 局 経 費 に充 て る こ とに な っ た18)。 当時 の 文 教 資 産 は 、城 奎 閣 文 彦 社 も例 外 で な く 、 地 域 の 祭 祀 費 用 に も充 て られ た 。 こ の 時 点 で す で に28年 間 、 毎 月10月 徴 収 し春 秋 祭 祀 の 費 用 と し、 賓 興 は 秀 才 の 福 州 へ の試 験 の旅 費 及 び 賓 興 公 銀 と して 約30年 秀 才 に 対 し34元 を贈 り続 け た。 これ を管 理 した の は本 城 の秀 才 紳 士 で 、 毎 年1人 が 輪 番 で 担 当 した とい う。 この よ うな公 共 財 産 は誰 の もの とい うの で は な く 「 一 種 の公 共 財 産 の 性 質 」 を帯 び る も の と して保 良 局 の 経 費 と した の で あ る。 こ の よ うに 日本 統 治 下 近 代 自治 制 度 の 導 入 に伴 い 、 役 所 創 設 に 必 要 とす る経 費 を 祭 祀 費 用 で 充 当 す る こ とに した。 そ して 祭 祀 は 基 本 的 に 禁 止 され るが 、住 民 の反 発 を 恐 れ 、 経 費 は 地 域 の 公 的 資 産 と した 。 資 産 の 使 途 は地 域 住 民 の 意 思 に 関係 な く用 い られ た と は い え、 地 域 社 会 の公 務 に使 われ た の だ っ た 。 そ の 後 、 地 域 の 祭 祀 費 用 の 一 部 は学 租 財 団 に接 収 され る の だ が 、1933年 に な っ て祭 祀 費 用 が 地 元 住 民 の み で負 担 で き な くな り、 今 度 は 学 租 財 団 が そ れ に対 して補 助 を 与 え る とい う情 況 も あ っ た 。1933年. 「 孔 子 廟 修 繕 工 事 顛 宋 報 告 」 に よれ ば 、 元 文 石 書 院 で あ っ た 孔 子 廟 は1928年 修 繕 後 、. シ ロ ア リ被 害 、数 字 の 暴 風 雨 の被 害 に よ りは な は だ し く損 壊 した とい う19)。.

(8) 当 地 方 民 の 寄 付 の み で は 到 底 目的 を 果 た せ な い た め 、1930年 、 学 租 財 団 よ り1,000円 、1931年 初 に 庁 地 方 費 に よ り1,000円 の 補 助 の 予 定 が あ っ た 。 寄 付 金2,300円 を 募 集 し、 総 額4,300円 で修 繕 す る こ と に な った 。 しか し予 算 節 減 の 方針 で 庁 地 方 費 補 助 は500円 に減 額 、 工事 費1,681円46銭. 、. 工 事 設 計 及 び 監 督 は澎 湖 庁 土 木 係 、 現 場 監 督 は 管 理 人 ・信 徒 ・有 志 者 、材 料 は 競 争 入 札 と最 も廉 価 に 落 ち 着 き 、 書 院 の 建 築 物 の 維 持 が 可 能 とな っ た とい う。 こ こで は す で に 旧 教 育 機 関 と して の 機 能 を失 っ た 地 域 の 共 有 財 産 と して の 孔 子 廟 が あ る。 清 朝 時 代 教 育機 関 が 有 した 教 育 資 産 は 日本 人 に よ り総 督 府 の資 産 、 そ の 後 学 租 財 団 資 産 と して 活 用 され た が 、 こ の 事 例 で は 、 元 所 有 者 が 学 租 財 団 ・地 方 政 府 に 経 費 補 助 の 申 請 す る と補 助 が 出 され た。 これ は 、 総 督 府 の 地 域 住 民 へ の 迎 合 と も理 解 で き る。. ・大 租 と小 租 と佃 戸 台 湾 で は清 朝 時代 か ら学 租 に 限 らず 、 地 租 に は 大 租 と小 租 の 区 別 が あ っ た。 こ こで い う大 租 と は地 主 の 下 で 小 租 、 佃 人 を抱 え 、 小 租 か ら年 租 を 得 る者 を指 す 。 小 租 とは佃 人 に耕 作 を させ 、 そ こ か ら佃 人 か ら年 租 を得 る者 を 言 う。 大 租 、 小 租 は そ の よ うな 台 湾 独 自の もの で 、 中 国 大 陸 で は こ の 形 態 は 宗 族 内 部 で み られ た が 、 そ れ に 対 応 す る言 葉 は な か っ た。 1904年6,月 、 学 租 財 産 の 大 部 分 を 締 め る大 租 は 消 滅 し、 公 債 証 書 が 下 付 され た。 清 朝 統 治 下 で も地 租 収 支 簿 に 相 当す る1887・1888年. 「 鱗 冊 簿 」 に は 、 大 租 を載 せ ず 小 租 だ け掲 載 した とい う。. 小 租 戸 が 実 質 的 な 地 主 とな っ て い た た め で あ る(台 南 は 状 況 が 違 っ て い た が)。 総 督 府 に よ る 土 地 調 査 は1898年 に行 わ れ1903年 に 完 了 、 そ の 翌 年 か ら土 地 清 冊 、連 名 簿 、 帰 戸 冊 、 官 租 帰 戸 冊 、 荒 地 清 冊 な ど を改 訂 し、徴 税 に備 え た20)。土 地 調 査 委 員 会 、 大 租 調 査 委 員 会 は住 民 の 正 当 な 権 利 と大 租 を認 め る と同 時 に 、 「 一 地 二 主 」 の 弊 害 を一 掃 す る た め 、 大 租 を 安 価 で 買 い 受 けた21)。 1906年 の 大 租 の 廃 止 ま で 、 大租 か ら学 租 の 徴 収 は 徐 々 に 廃 止 され た。1904年6.月20日 「 大 租 谷 寄 帳 よ り削 除 申 請 に 関 す る件 」(案)に. 財 務局長. は、 「 大 租 谷 記 帳 に 際 して の 学 租 登 録 、 削 除 申請. に 関 す る調 査 を した 。 学 租 財 団 が有 す る権 利 は 小 租 権 で 大 租 権 で な い の で 大 租 削 除 の 申 請 を し、 土 地 に対 す る 人 民 の管 理 を 取 りや め 、 ま た 土 地 台 帳 等 に谷 数 訂 正 の 手 続 き を履 行 す る 」 と記 され て い る。1904年7月2日. には 「 学 租 財 団 所 属 大 租 削 除 申請 に 関 す る件 案 」 で 、 大 租 削 除 申請 に 関. して 、 学 租 徴 収 原 簿 と対 照 し、 登 録 漏 れ 、 錯 誤 等 が あ る場 合 申請 をす べ きで 、 学 租 徴 収 原 簿 に よ っ て従 来 か ら徴 収 して き た も の は 削 除 の 申請 を なす べ き で な い 、 た だ し大 租 は 削 除 す る と も記 さ れ て い る。 そ の 後1906年 大租 が 廃 止 され 、 学 租 財 団 所 属 財 産 取 扱 規 程(訓. 令 第102号)に. よって 、学租 の. 大租 は政 府 よ り補 償 され た 。 しか し 当初 は 清 朝 の 土 地 売 買 の慣 習 に よ っ て 、 小 租、 つ ま り業 主 は丈 単(± 二 地 測 量 票)を 有 し て い た が 、 大 租 も小 租 もそ れ 以 上 の 書 類 をや り と りす る こ と も な く 、丈 単 の整 理 、つ ま り清 単 を.

(9) して も 大 租 、 小 租 の 詳 細 が 不 明 な 場 合 も あ っ た 。1902年 南 投 土 地 調 査 局 派 出 所 事 務 官 小 柳 重 造 に よ る と次 の よ うに不 明 な 箇 所 が 多 か っ た とい う22)。. 八 筐 冊 ニ 抄 按 ヲ 区 分 シ 甲 数 地 番 ヲ 登記 シ ア ル モ□ 原 簿 ニ ハ 甲数 地 番 等 ノ見 ル ヘ キ モ ノ ア ラサ ル ノ ミナ ラ ス 現 ニ 徴 収 シテ ア ル 小 租 額 ハ 宜 応 大 小 佃 人 、 管 理 者 トノ間 ニ 於 テ 田 園 ノ 甲数 若 干 ニ 対 ス ル 小 租 額 若 干 トシ テ 納 租 ノ契 約 ヲナ シ又 大 小 佃 人 ト佃 戸 トノ間 ニ 於 テ ハ 清 丈 ノ 甲数 地 番 ヲ以 テ 区 分 ヲナ サ ス 数 地 番 ノモ ノ ヲ合 併 シ或 ハ 一 地 番 ヲ 分 割 シ テ 随意 ニ耕 作 納 租 セ シ ム ル ヨ リ其 区 域 ハ 混 合 錯 雑 且 佃 戸 ー 其 当時 ノ佃 戸 名 ヲ 以 テ 直 ニ 清 丈 ノ地 番 ニ 対 セ ン トス ル モ 探 索 ス ル ニ 由 ナ シ. 同様 に 、1902年 馬 柴 堡 第 ∼ 派 出 所 事 務 官 須 田綱 鑑 は 、 総 督 府 に よ る 調 査 で は清 朝 時 代 の 書 院 資 産 の 出 所 を 把 握 で き な い と書 い て い る23)。. 嘉 慶 年 間 に 鹿 港 の 地 方 紳 士 有 志 の 義 捐 で 文 武 廟 を建 設 し、 これ が 基 本 財 産 で 大 小 租 権 の 買収 を した 。 文 武 廟 の 剰 余 で 、 文 士 養 成 を 目的 とす る 書 院 を 設 立 した 。 しか し 当時 、 そ の財 産 の 区分 を 明 らか に しな か っ た 。1902年2月. 文 武 廟 付 属 の す べ て の 大 小租 権 を鹿 港 公 学 校 基 本 財. 産 に 寄 付 す る と願 い 出 た 。 彰 化 庁 と交 渉 の うえ 、 買 収 当時 の 契 字 記 載 の名 義 に よ り区 分 を 明 らか に し、 取調 べ を した 。 書 院 名 で 小 租 権 を 買収 した こ とは な か っ た が 、 大 租 権 買 収 に そ の 名 義 を 用 い た も の を発 見 した。 なお 契 字 が あ っ た の で 、 従 来 発 給 して き た 収 章 の名 義 で そ の 所 属 を 認 め る ほ か は な い 。 本 年1月 臨 調 第2477号 通 牒 に よっ て将 来 学 租 財 団 に 編 入 され るが 、 ま だ そ の 手続 き を履 行 して い な い。 現 在 は 、鹿 港 街 長 に お い て 管 理 し、 普 通 大 租 と 同 じ処 理 を して い る。. 1903年 ?? 派 出所 事 務 官 は 、 小 租 ・大 租 の 納 租 の混 乱 を記 して い る。 文 書 の 最 後 に は 、 小 租 戸 の納 租 に つ い て 「 学 租 は 大 租 戸 が 納 め た と記 入 して い い の か 」 との 照 会 が あ っ た24)。小租 戸 の 甲 数 ・学 租 額 と も に 不 明 で あ るの で 、 大 租 額 に包 含 した とい う事 例 で あ る。 この 点 は 、1904年 臨 時 台 湾 土 地 調 査 局 編 印 『清 代 大 租 調 査 書 』 で も 明 らか で あ る。. 曾 文 渓? の 園 地 は 従 来 学 租 を 付 帯 して い た 。 乾 隆 年 間 開墾 に従 事 す る者 が い た が 常 住 して い な か っ た 。1860年 呉 順 記 、 陳 豊 記 な どが 、道 轅 に 対 して 開 墾 を請 願 した の で12月 に許 可 し、 1甲 銀1元. の租 を徴 収 し海 東 書 院 の 費 用 に 充 て た 。 これ に よ っ て 呉 、 陳 の 両 姓 は佃 戸 を 召集. して 土 地 を分 け 、 毎 年 そ の 収 穫 高 の 二 八 の 大 租 を 収 得 す る こ とを 約 束 した 。 道 報 は1891年 、 さ ら に施 丈 して 大 租 戸 に 対 して 執 照 を下 付 し、 地 租 は 別 に 徴 収 し な い と は い え 、 学 租 の うち に 包 含 した 。 そ の 後 地 形 の変 化 で執 照 に 該 当す る 実 地 の境 界 が な くな り、子 ど も も執 照 を紛.

(10) 失 し、 土 地 は わず か に 幾 分 か 残 存 す る の み と な った 。 領 台 後 は ほ とん ど廃 滅 した 。 弁 務 署 に お い て 現 大 租 戸3名. に対 して 甲 数 を 見 積 も り、 地 位 等 級 を二 二 則 と し、 甲数1甲. につ き学租. を負 担 させ た 。. 次 の 事 例 は 小 租 戸 に 関 す る もの で あ る。. 元 車 路 土 敦 派 出 所 管 内 台 南 庁 仁 徳 北 里 山坎 脚 の 学 租 地(蓬 台 書 院跡)の. 業権者 、学租 財 団、. 住 民 、 区 長 、委 員 、 現 工 作者 、 土 地 に 縁 あ る者 を召 集 した。70年 前 、 何 家 の一 族 で 土 地 の 営 業 権 を争 い 、政 府 は没 収 して 蓬 台 書 院 の 業 と した 。 書 院 の理 事 ・黄 景 奇 が 管 理 し王瑞 が 納 税 者 と な り、 長 ら く耕 作 者 よ り租 谷 を徴 収 した。 領 台45年 前 、 徐 が代 徴 し、 領 台 後 は現 工 作 者 が 直 ち に 台 南 庁 に 納 付 した。 王 瑞 は 各 耕 作 者 の 収 穫 の4、 耕 作 者 は6を 得 て 、 王 瑞 は 年 銀80 元 を書 院 に納 め て い た 。 当 地 方 は 小 租 と佃 戸 の 収 穫 の 割 合 を 折 半す る が 、 学 租 地 に 限 り水 害 の た め4、6の. 割 合 と して い た 。 学 租 地 の 業 権 の 契 字 類 は新 旧 問 わ ず1人. と して 所 有 す る者. は な か っ た 。ま れ に咸 豊 以 降 、 作 成 した 杜 買 字 あ る い は 典 契 字 が あ る とい っ て もい ず れ も 白 契 で 業 権 を売 買 した もの で は ない 。 現 佃 人 等 に 関 して は 一 人 と して 業 種 権 を主 張 す る者 が な く、 祖 父 の 時 代 か ら耕 作 す る か 、 も し くは 前 佃 戸 よ り譲 受 され て 全 く佃 人 と して耕 作 す る に す ぎ な い。. 3.総. 督 府 に よ る個 人 資 産 の 封 鎖. 台 湾 で は 伝 統 的 に 質 入 を し、 そ の 後 経 済 的 余 裕 が で き て質 取 をす る場 合 、 原 契 、 つ ま り契 約 書 と質 入 物 が 返 還 され る の み で 、 そ の ほ か の 証 拠 書 類 が 作 られ な い 。 台 湾 の慣 習 で 、 質 入 原 主 よ り 直接 質 取 原 主 に 対 しそ の 前 に 提 供 す る原 契(ま た は これ に対 す る財 物)の 贖 回 をな す 場 合 は 、 た だ 原 契 の 還 付 を 受 け る だ け で 、 照 執 ま た は領 収 証 を発 行 す る こ とは 稀 で あ っ た。 そ の た め 、総 督 府 が 個 人 所 有 の 資 産 と学 租 とが 不 明 瞭 な ま ま 、 個 人 資 産 を凍 結 、 封 鎖 した こ と もあ っ た 。 1902年. 「 学 租 財 団 家 屋 還 附願 に 関 す る 回 答 の件 」 に よれ ば 、 蔡 粛 記 とい う人 物 は 、 安 平 県 か ら. 抵 当物 の 請 戻 し贖 回 を した。 元 海 東 書 院 所 属 財 産 の管 理 はす べ て 台湾 道 台衙 門 で行 っ て い た。 蔡 は衙 門管 理 の 海 東 書 院 生 息 項 下 の銀 を借 用 し、 後 に道 台 衙 門 は 軍 事 費 の 必 要 か ら抵 当物 を処 分 す る こ とに な っ た 。1894年 台 湾 道 陳 文 騒 が この 家 屋 を 民 間 に公 売 す る こ とに な っ た。 そ こで 下 級 行 政 官 衙 の 安 平 県 に命 じ、 謝 壽 昌 が 家 屋250銀 と出 示 し、 蔡 が 質 取 した。 質 入 主 の 蔡 の 安 平 県 に 対 す る関 係 は 質 取 主 の 道 台 衙 門 に対 す る の と異 な る とこ ろ が な い と判 断 され た25)。 この 際 に 、 蔡 提 出 の願 書 に 添 付 され た1894年 安 平 県 よ り贖 回 した原 契 を謄 写 した も の 、 海 東 書 院 よ り発 給 した 執 照 、 そ の ほ か の証 拠 書 類 を調 査 した。 該 家 屋 は 領 台 前 、 空 屋 で 、1895年9月. 、.

(11) 日本 が 統 治 した 当時 、 蔡 祖 芬 は 隣 家 に住 居 し、1898年10月 現 住 所 に 転 居 した 。 蔡 粛 記 一 家 は 昔 時 資 本10万 を 要 す る富 商 で 付 近 の 家 屋 は 多 く 同 人 の所 有 に 属 して い た とい う26)。 蔡 祖芬 一 家 は1897年 日本 籍 を得 て 、1901年2月. 以 降 家 賃 に12円 を賦 課 す る 旨 が 台 南 弁 務 署 か ら. 通 達 され た。 そ こで は じめ て海 東 書 院 の 資 産 と して 蔡 の 家 屋 が 公 認 され た ら しい27)。 「 官 封 家 屋 解 封 嘆 願 書 」 に は 、 蔡 祖芬 、 台 南 市 第 五 区街 長 ・郭 炭 来 が 台 湾 総 督 児 玉 源 太 郎 宛 に 3棟 の 蔡 の 家 屋 が 封 鎖 して6年 続 い て1901年7月. も た つ と して 、 そ の封 鎖 を 解 く よ う請 願 が な され て い る28)。. に は 、 台 南 市 第 五 区 南 廠 社 魚 行 口街 、 元 台 南 市 第 六 区街 長 ・葉 正 徳 、 元 台 南. 市 第 七 区街 長 ・董 錦 川 が 蔡 祖芬 の 資 産 の 証 明 を行 っ た 。 「 現 海 東 書 院 が 管 理 す る娼 妓 身 体 検 査 所 は1895年 官 兵 の 上 陸 で 封 鎖 され 官 有 物 とな っ た が 誤 りで あ る。 第 二 公 学 校 経 費 とな っ た が 、 以 上 の 家 屋 は 蔡 祖芬 の先 父 が 遺 した 業 で あ る こ とを こ こ に 証 明す る」。 こ の植 民 地 統 治 初 期 の 混 乱 に よ っ て 官 有 物 とな っ た 私 産 に つ い て 、 蔡 が 可 能 な 限 りの証 拠 書 類 、 地 元 住 民 の 請 願 書 、 証 明 書 を添 え て請 願 した 結 果 、 総 督 府 は 蔡 の個 人 所 有 を認 め た。 こ こか ら総 督 府 が 、 学 租 に 関 す る法 令 ・規 則 を整 備 しつ つ 、 富 商 個 人 の 権 利 を 認 め た 様 子 が 分 か る。. 4.政. 策 の変 化. 学 租 に 関 す る 法 令 、 規 則 の 整 備 が 徐 々 に進 ん だ こ とで 、 過 渡 期 に は 納 租 先 が 毎 年 異 な る な ど の 不 都 合 が 生 じた。 1897年 当 時 、?董 堡 及 び 各 堡 の税 徴 収 は嘉 義 支 庁 が 行 っ て い た 。 陳 順 徳 は 嘉 義 支 庁 に お もむ き 1年 分 を完 納 した 。1898年1月. 租 金 を 完 納 し よ う と嘉 義 に 赴 く途 中 、 土 匪 に 遭 い 、 強 奪 され た 。. 再 び 租 銀 を整 え嘉 義 に お も む き上 納 し よ う と思 うが 、 再 び 匪 賊 に 遭 うの を恐 れ 、 嘉 義 に 行 っ て 上 納 しな か っ た 。 そ こ で 台 南 県財 務 部 に 上 納 し よ う とす る が 許 され な か っ た。 財 務 部 か らは2ヶ 月 待 っ て も返 事 が な い 。 郵 便 局 か ら発 送 し上 納 し よ うとす るが 、2ヶ 月 して嘉 義 局 よ り転 送 され 、 納 入 す る こ とが で き な い 。 の ち に 土 匪 が い な い と聞 き 、 再 び 嘉 義 支 庁 租 税 係 に 赴 き上 納 しよ う と す る と、 租 税 係 長 は こ の 税 務 は?董 弁 務 署 所 轄 に改 定 され た の で 弁 務 署 上 納 を願 い 出 る よ うに と 言 わ れ た29)。 陳 順 徳 が 海 東 書 院 へ 納 め た 納 入 金 は98.37円 で あ っ た が 、 海 東 書 院 の納 租 人 は 次 の よ うで あ っ た。 ・李 少 青 な ど3名 . 121 .1152甲 、 地 租51.352、?. 税 金121,115. 備 考  1896年 度 分 未 納 金84.87円 の 追 徴 ・陳 順 徳 な ど3名  98 .3068甲 、 地 租41,585、? 税 金98,308 ・林 勝 興  6 .8736甲 、 地 租2,908、? 税 金6,874 ・載 成 康 ? 税 金3 ,600 陳 順 徳 以 外 に も複 数 の 納 租 人 が い た の だ が 、 最 大 の 納 租 人 で あ る李 少 青 に は未 納 金 が あ った 。.

(12) この よ うな 管轄 機 関 、 納 付 先 の度 重 な る変 更 は 税 収 入 の 減 収 を も もた ら した。. 5.各. 庁 にお ける調査結 果. 1903年 財 務 局 税 務 課 渋 谷 辰 四 郎 の調 査 に よ る各 庁 の学 租 徴 収 上 の 問題 を述 べ る30)。 苗栗 庁 苗 栗 庁 で は 、 田畑 は 地 租 名 寄 帳 に よ り、 そ の他 は 業 主 査 定 簿 に よっ て 学 租 の所 在 を調 査 した 。 学 租 地 で 申告 書 の な い も の で も地 租 名 寄 帳 等 に記 載 が あ れ ば 申告 漏 れ な し と認 め た 。 一 石 換 算 率 は 官 租 と同 一 で な い 場 合 は 、諭 単 に 基 づ く と した 。 土 地 調 査 区域 外 に あ る庄 園 に は渓 谷 に 沿 っ て 多 くの 田畑 が あ っ た。 そ の付 近 に あ る建 物 敷 地 、 池 沼 を調 査 した。 土 地 調 査 区域 外 の 土 地 で は 、 地 籍 規 則 施 行 細 則 に よ り、傾 斜 地 に 甘 藷 、 番 薯 を植 え付 け た 開 墾 地 が 土 地 台 帳 に 登 録 す る必 要 が あ る と認 め られ た 。 台中庁 台 中 庁 で は 、 学 租 収 納 簿 及 び1902年 修 正 の 学 租 徴 収 原 簿 とも 大 小 租 の 区分 が な かっ た 。 堡 落 、 甲数 、 地 目の 記 載 が ない も の もあ る。 業 主 が 申告 書 を提 出 した 場 合 、 学 租 財 団 は各 庁 で 租 額 記 載 の 有 無 を調 査 しな か っ た 。 学 租 徴 収 原 簿 の 写 しは 実 地 調 査 の 際 、 土 地 調 査 局 派 出所 に送 付 した。 学 租 取 扱 主 任 に よ る と、 庁 下 に あ る学 租 は こ と ご と く大 租 権 で 小 租 権 は な い との こ と。 しか し 「 兼 善 集 」 に よれ ば 白沙 書 院 所 属 に 多 く小 租 権 が あ り、 「 魚 麟 冊」 を点検 す る と白沙書院 が 小租 権 を有 す る と認 め られ た 。 「 兼 善 集 」 に あ る庄 名 は 「 魚 麟 冊 」 に な い も の も あ り、 ま た庄 名 が あ っ て も書 院 田 の 見 当 た らな い と こ ろ が あ っ た。 「 兼 善 集 」 に 記 した 庄 名 と 「 魚 麟冊 」 の庄名 と同 じで な い も の も あ る。 そ の 土 地 に熟 知 した 者 に 取 り調 べ を して い な い の で 判 明 が 難 しい 。 の ち に 財 務 局 長 の 巡 回 に よ り再 度 調 査 した が 判 明 しな い と こ ろ が あ った 。 旧 来 の 学 租 収 納 簿 等 は住 民 の 申 告 に よ り作 成 した も の で 、 共 業 地 は各 自 が そ れ ぞ れ 租 額 を 申告 した た め重 複 した もの が あ る。 同 様 に 旧来 の 学 租 調 査 簿 は 不 完 全 で 、 土 地 調 査 、 学 租 調 査 も 困難 で あ っ た 。 学 租 地 の あ る と こ ろ は 大 抵 特 定 の 場 所 で 、 そ の 土 地 に 行 け ば 調 査 が 可 能 で あ る。 学 租 徴 収 原 簿 は 不 備 とは い え 、 徴 収 しな い 、 滞 納 の 弊 習 が あ る と こ ろ に は厳 重 に督 責 を加 え た 。 しか し以 前 の未 納 に 対 して 吏 員 を 派 遣 し調 査 した と こ ろ 、納 租 及 び賦 課 物 件 の 所 在 が 不 明 で徴 収 の 方 法 が な い の で 、 欠 損 処 分 の稟 申 を した 。 彰化庁 彰 化 庁 で は 、 学 租 徴 収 原 簿 は書 院 別 で は な く堡 別 に 作 成 され 、学 租 取 り扱 い 上 不 便 で あ っ た 。 ま た 、 学 租 徴 収 原 簿 は 申 告 書 に よ り謄 写 した もの で 照 合 して い な い 。 土 地 調 査 局 よ り白沙 書 院 所 属 の 土 地 を借 入 試 田 申告 書 と照合 した と ころ 、 学 租 徴 収 原 簿 に記 載 漏 れ が あ った 。 学 租 財 団 の有 す る大 租 権 は従 来 の 租 額 を 申 告 書 に記 載 した 。 総 督 府 通 達 に 対 す る 馬 芝 堡 ・安 東 庄 等 の 申告 書 に は 、 文 開 書 院 所 属 の小 租 地 は 管 理 人 荘 士 哲 の.

(13) 民 大 租 と な っ て い た 。 文 開 書 院 の 建 物 ・敷 地 は 鹿 港 公 学 校 建 物 ・敷 地 に査 定 され た もの も あ る。 そ こ で 行 政 上 の処 置 で 文 開 書 院 に 帰 属 す る よ う相 談 した。 ま た 文 開 書 院 の質 取 の 土 地(1838年2 月 施 候 軽 、 施 候 信 、 施 至 垣3名. が 、 水 租 谷116石9斗. 余(現 今 収 入 は173石 余)に. よっ て 、656員. を 文 開 書 院 よ り借 り入 れ た)お. よ び 水 租 谷 の 申告 書 の 謄 本 送 付 法 な ど を相 談 した。 学 租 徴 収 後 の. 現 金 は 学 租 取 扱 主 任 で徴 収 し、 収 入 官 吏 に保 管 させ た 。 斗六庁 斗 六 庁 で は 、 雲 林 県 設 置 の 際 、 県 官 と地 方 紳 土 が 協 議 し、 崇 文 書 院 の 財 産 中 、 芦 竹 に あ る大 租 権 を分 割 して 龍 門 書 院 に 帰 属 す る よ うに した 。 領 台 後 、 管 理 人 が 書 院 の 財 産 を 斗 六 公 学 校 に寄 附 した 。 往 時 崇 文 書 院 よ り龍 門 書 院 に 権 利 移 転 の 証 拠 と した 書 類 は 混 乱 して い た た め 存 在 しな い 。 寄 附 願 、 理 由 書 と称 す べ き も の は あ る。1902年9月20日. 大 租 管 理 人 李 固 ? 、 鄭 春 芳 が 斗 六公 学 校. 財 産 に編 入 した 該 財 産 を龍 門書 院 帰 属 とい うが 、 何 ら証 拠 が な い の で 権 利 の 移 転 を認 め な い と し た。 大 租 管 理 人 李 固? は1900年 よ り崇 文 書 院 の財 産 に 対 し事 務 管 理 をす る にす ぎず 、 処 分 権 を持 た な い 。 ゆ え に 該 財 産 は 学 租 に編 入 す べ き も の と認 め た 。 塩水 港庁 塩 水 港 庁 で は 、 従 来 よ り学 租 を納 め な い佃 人 に は 廃 耕 、 つ ま り耕 作 を認 め な か っ た。 新 た に耕 作 を 行 う者 は 、 資 産 あ る保 証 人 を立 て な けれ ば許 可 しな い よ うに した 。 そ うす れ ば 将 来 学 租 の 取 り こぼ しが な い 。 廃 耕 地 の 処 置 を尋 ね る と、 公 告 して 耕 作 者 を 募 り、 ま た 土 地 所 在 の住 民 を勧 誘 す るが 応 じ る者 が い な い。 も し従 前 の租 額 よ り6割 、7割 減 じ た租 額 な らば 耕 作 す る者 が あ る が 、 従 来 の 賃 借 地 に影 響 を 及 ぼ す の で しば ら く廃 耕 の ま ま に して住 民 の意 向 を試 す 。 学 租 徴 収 上 の 成 績 及 び 現 金 保 管 の 状 況 。 未 納 額2,480余 円 の うち360円 は 青 木 重 三 郎 、 関 矢 兵 工 両 人 へ 貸 し下 げ た1898年 半期 養 魚 池 の貸 下 料 で あ る。 当 時 両 人 は 納 付 延 期 の 出願 を した が 許 可 を 与 え な か っ た 。 そ の後 、 両 人 が ひ そ か に 養 魚 池 の使 用 権 を地 元 住 民 に 譲 渡 し、住 民 が 両 人 の名 義 で 納 租 した 。 関 矢 兵 工 は 内 地 に帰 り、 青 木 重 三 郎 も台 南 を去 り居 所 が 判 明 しな い の で徴 収 の 見 込 み が な い よ うだ 。 徴 収 の 方 法 を講 じれ ば 徴 収 で き る よ うだ とい っ て も、 す で に他 人 へ 貸 下 げ 中 な の で 策 の施 し よ うが な い 。 蕃薯 草寮庁 蕃 薯 草 寮 庁 で は 、 学 租 財 団 が 小 租 権 を有 す る土 地 に対 して丈 単 ま た は契 字 が な い 場 合 は 、 者 者 等 に調 査 した 。 鳳山 庁 鳳 山 庁 は 全 島 中 、 学 租 地 の 最 も多 い と こ ろ で あ っ た 。 従 来 の 学 租 徴 収 原 簿 は 不 備 で 納 入 告 知 書 を発 行 して も送 付 で き な い もの が 多 い 。 昨 年 以 降 、 学 租 を整 理 して 実 地 調 査 の 上 に新 た に徴 収 原 簿 を 作成 した 。 しか し徴 税 を主 眼 と して お り、 大 租 、 小 租 の 区 別 の記 載 が な か っ た 。 学 租 徴 収 原 簿 に 大租 小 租 の 区 分 な く 、 八 筐 冊(甲 数 は 台 湾 数 字 で 記 載 した も の で 見 づ らい)は 腐 食 し調 査 の.

(14) 用 に 耐 え な い もの が 多 い 。 契 字 類 は 、 往 時 理 事 が 取 り扱 っ た 際 に 大 抵 紛 失 し、 現 今 わ ず か に存 在 す る の み で あ る。 丈 単 は 売 買 上 契 約 数 あ るの み で あ る。 書 院 の 建 物 ・敷 地 の よ うな 業 主 権 の 明 ら か な も の に 申告 書 を提 出 させ て い る。 しか し田 園 の よ うに 業 主 権 の 区分 が 明 らか で な い も の は 土 知 調 査 局 派 出所 よ り回 送 され た 申 告 書 に 理 由 書 を添 付 し提 出 され た も の が 多 い 。 大 小 租 の 区 分 に つ い て は 、 学 事 取 扱 主任 と とも に そ の 地 を取 り調 べ た 。 大 抵 、 管 内 学 租 地 の 業 主 権 は住 民 に あ っ た 。 土 地 調 査 局 台 南 出 張 所 で 申 告 書 を 点 検 し、 学 租 地 の住 民 の業 主 権 は 丈 単 に よ っ て認 定 した 。 学 租 未 納 金 の 督 促 に 出 張 した 際 、納 租 人 が 元 楽 局租 取 扱 者 に よ る領 収 証 を発 見 した。 もっ と も 領 収 書 の 月 日は不 明 で あ った 。 も し彼(元. 楽 局 租 取 扱 者)が. 引継 ぎ後 に ひ そ か に徴 収 した か 、 ま. た は 納 租 人 と共 謀 し領 収 証 の年 月 日を 欺 き 、 そ の 金 額 を 山 分 け した の で あれ ば 犯 罪 で あ る。 犯 罪 の有 無 は 、 徴 収 して い な い 時 点 を調 査 し、 も した だ ち に そ の 引継 ぎ を して い な い とき は稟 申の 上 、 相 当 の 処 分 をす べ き もの と認 め た 。 ま た1納 租 人 及 び 土 地 と も に不 明 、2納 租 人 と同 一 の 氏 名 の者 が い て も 土 地 が な い 、3納 租 人 と同 一 氏 名 の 土 地 が あ る が 学 租 の 土 地 が な い 場 合 、1が 極 め て 多 く、2,3は. 少 な か っ た 。1、. 2に つ い て は 学 租 徴 収 原 簿 か ら削 除 す る ほ か な い が 、2は 調 査 を要 す る。 学 租 徴 収 原 簿 に 誤 記 が な い よ うに した い が 、 多 数 の 納 租 人 、 土 地 と もに 不 明 と な っ て い る。 学 租 徴 収 の難 し さは 、 地 位 の優 劣 、納 租 人 の 経 済 力 、 人 心 の 良否 、 そ の ほ か の 要 因 が あ る。 各 地 方 同 一 で は な い 。 地 位 が 劣 り水 害 が多 く納 租 人 が貧 困 な と こ ろ は 、 強 制 力 を用 い て 徴 収 す る こ とが 多 い 。 しか しそ の 効 果 は 半 分 に 至 らな い の で 一 概 に論 ず る こ とが で き な い 。 そ こで 徴 収 の た め に① 納 付 期 限 、 ② 滞 納 処 分 、 ③ 督 責 、④ 保 証 人 を 立 て る な どの 対 策 を採 るべ き だ と した。 ①. 徴 収 に緩 慢 が あ る と、 納 租 人 の脳 裏 に 大 き な影 響 を 与 え る。 滞 納 の 弊 習 を 醸 成 し、徴 収 し よ う と して も徴 収 で き な い こ とが あ る。 住 民 は 蓄 欲 が 少 な く、 学 租 を納 付 しな い た め に 余 裕 あ る 分 も消 費 して余 す と こ ろ が な い 。 徴 収 す る とき は 納 租 人 に苦 痛 を感 じ させ ず 、 学 租 財 団 が損 失 を受 け る こ とが な い よ うに す る。. ②. 学 租 も官 租 同様 、 滞 納 処 分 法 を準 用 す れ ば 学 租 の 整 理 上 便 利 で あ る。. ③. 学 租 に 関 す る事 務 は 特 別 事 務 で あ る よ うに 思 わ れ て い る。 納 付 の義 務 を重 ん じる 者 は納 入 告 知 書 に よ り指 定 の 期 日内 に 納 付 す る とい っ て も これ らは 少 数 で 、 た い て い は 督 責 に よ り初 め て 納 付 す る もの で あ る。 そ こで 地租 等 の 督 促 の 順 序 で 学 租 滞 納 者 を 督 責 す る。. ④. 学 租 財 団 の小 租 権 に 対 して 佃 人 、 使 用 者 に 十分 の 私 産 を有 し納 租 上 危 険 が な い と認 め た 資 産 家 の 納 租 保 証 人 を 立 て る。 大 租 、 水 租 収 納 受負 人 を設 置 し、 徴 収 ・納 付 を扱 う。 収 穫 の 時 期 は 、佃 人 等 が も っ と も納 付 しや す い 時 を選 ん で 徴 収 す る。 しか し受 負 人 に対 して は 監 督 を 要 し、 徴 収 金 か ら給 与 を与 え な い とい け ない 。 未 納 者(土 裁 判 所 に 訴 求 して 土 地 を競 売 し学租 に 充 て る ほ か は な い 。. 地 所 有 者)に. 対す る最後 の手段 は.

(15) 以 上 か ら各 庁 で は 徹 底 して 実 地 調 査 を 行 い 学 租 の 所 在 を 確 認 し、 徴 税 を行 っ た の だ が 、 地 租 名 寄 帳 、 業 主 査 定 簿 、 土 地 台 帳 な どの 整 合 性 が な か っ た 。 学 租 収 納 原 簿 は 申告 に よ り作 成 した もの で 、 学 租 徴 収 原 簿 も不 完 全 で あ っ た。 当該 地 で 調 査 して もそ の詳 細 は 分 か らず 、質 取 の 資 産 の 処 分 や 学 租 の 分 割 後 証 拠 とな る 書 類 が な い ま ま 、公 学 校 へ 財 産 を移 転 した。. 6.公. 学 校 の普 及 一 住 民 へ の 経 費 徴 収 の 配 慮 ー. 既 に 大 勢 が指 摘 す る よ うに 、 台 湾 各 地 に 現 存 す る 元公 学 校(現. 国 民 小 学)を 訪 問 す る と、 日本. 統 治 時 代 の 郷 土 教 材 と して 学 校 史 が 授 業 の 教 材 に利 用 され て い る31)。校 史 室 に は 日本 時 代 の 学 校 ・教 員 ・児 童 の 写 真 を 中 心 に 書 類. 、 教 科 書 、 楽 器 、 そ の 他 教 具 な どが 保 存 展 示 され て い る。 ま た. 学 校 の 隣接 地 に は 廟 、 宗 族 廟 な どが あ り、 一 見 して これ ら廟 が 旧教 育 機 関 経 費 を拠 出 した 地 域 の 共 同財 産 で あ っ た こ とが 分 か る。 中 国 大 陸 で も学 租 と して廟 の 資 産 が 近 代 学 堂 の 経 費 とな っ て い た。 しか し中 国 大 陸 で は 、 宗 族 所 有 の こ の廟 の 資 産 を利 用 して 、 宗 族 が 自発 的 に 宗 族 立 の 小 学 校 を設 立 す る な ど 自 らの 宗 族 子 弟 の 出 世 を意 識 して 小 学 校 を設 立 した 。 台 湾 で は 総 督 府 が 旧教 育 機 関 の 学 租 を 強 制 的 に利 用 し近 代 学 校 を 設 立 した 。 そ の た め統 治 初 期 は 日本 語 を普 及 す る た め に 必 要 な 国 語 伝 習 所 が 真 っ 先 に 開 校 した が 、 そ れ はす べ て 廟 の 建 物 、 資 産 を利 用 して 設 け られ る。 そ の 後 国 語 伝 習 所 が 公 学 校 に 改 組 され る と、 そ の ま ま 国語 伝 習 所 の経 費 は公 学 校 経 費 とな る な ど、 清 朝 時 代 の 教 育 資 産 で 安 価 に 近 代 学 校 を設 立 した経 緯 が あ る。 1906年 以 後 、 清 朝 時 期 の 教 育 資 産 は す べ て 学 租 財 団 に 接 収 され るが 、 そ れ で は 不 足 し、 大 半 は 日本 か らの 国庫 負 担 で 賄 わ れ た 。 こ の 結 果 、 就 学 率 を 見 る と、 中 国 が1949年30%程 に 比 べ て 、 台 湾 で は100%近. 度 で あ ったの. い 。 中 国 大 陸 で は 清 朝 、 北 京 政 府 、 南 京 国 民 政 府 が 小 学 校 普 及 を郷. 村 の 自弁 とす る と法 令 で 定 め た が 、 台 湾 で は 日本 政 府 が 巨額 の 投 資 を行 っ た 。 ま た 、 中 国 大 陸 で は 小 学 堂 設 立 の 際 に 旧教 育機 関 ・廟 の 資 産 が あ っ て も小 学 堂 費 用 に 転 用 され る こ とを嫌 う住 民 が い た こ とか ら小 学 堂 経 費 に調 達 で き な か っ た 経 緯 が あ る 。 しか しそ の 実 、 台 湾 ・中 国 大 陸 ど ち らで も住 民 に 様 々 な 教 育 費 負 担 が 課 せ られ て い た 。 住 民 の 教 育 費 負 担 につ い て は 許 佩 賢 の研 究 で既 に 明 らか で あ る の で 、 こ こ で は個 別 の 事 例 につ い て 述 べ て い く。 台 湾 で は 、 日本 統 治 時 代 、 税 徴 収 も複 雑 ・多 様 化 した こ とで住 民 の負 担 が 増 え た 。 この よ うな 事 情 を 配 慮 して 、1897年. 「 学 田租 下 付 並 ニ 学 田 ヲ 以 テ 教 育 費 ニ 充 用 スル 件 ノ上 申 」 で も、 住 民 の. 感 情 を 逆 な で しな い よ う学 校 普 及 す る こ と の重 要 性 が 認 識 され て い る。 まず 「 本 島 ノ将 来 ニ於 ル 本 国 語 並 ニ普 通 教 育 ヲ計 ル ニ ハ 貧 富 ノ子 弟 ヲ 区 別 セ ス 」 と して 、 貧 富 の 差 に よ っ て 就 学 で き な い 子 弟 が 出 な い よ う配 慮 す る こ とが 記 され て い る。 ま た 、 「巨 多 ノ学 田省 ミ然 ル ニ 之 ヲ国 庫 ニ 収 入 シ 更 ニ 新 費 用 ヲ徴 シ 彼 等 ノ負 担 ニ 帰 セ シ メ 候 テ ハ 人 民 ノ感 情 ヲ傷 ヒ終 ニ 学 童 ノ進 歩 ヲ妨 ケ 候 」 と.

(16) して 住 民 の学 校 観 を よ くす る必 要 を説 い た32)。 た だ し十 分 に 産 業 が 発 達 して い る わ け で も な く 、 税 収 入 が 期 待 で き な い た め 、 「学 田 園 ニ シ テ 当管 内 ニ 設 立 セ ラ レ タル 各 学 堂 左 記 ノ所 属 ノ之 ニ ツ キ テ ハ 当 県 ノ教 育 基 本 財 産 トシ テ 貝 業戸 ヲ 定 メ ー 定 ノ? 銀 ニ ヨ リ年 ノ豊 凶 ニ カ カ ワ ラス 二 期 又 ハ 三 期 ニ 分 ケ テ 徴 収 ス ル 」 と新 た に 教 育 財 源 を農 地 か ら確 保 し、 豊 作 ・凶 作 に拘 らず 強 制 的 に 確 保 す る な ど の措 置 が 図 られ た 。 結 局 の と こ ろ 、 住 民 感 情 を配 慮 に入 れ る とい い な が ら も、 何 らか の 収 入 源 を必 要 とす る以 上 、 強 制 的 な財 源 確 保 が 必 要 と され た 。 そ の 点根 津 は 、 日本 の 財 源 確 保 の 方 法 と して 次 の3点 を 挙 げ て い る33)。 「 第 一 は受業 料収入 を学校経 費 の主 要 な地位 にお くもの」 「 第 二 は 、 ま ず 受 業 料 徴 収 を原 則 と し、 従 来 の 小 学 校 内 貯 蓄 銭 で 補 充 し 、 不 足 を 委 託 金 及 び 学 区 内 募 金 で 賄 う もの 」 「 第 三 は、第 二 の 場 合 に お け る 不 足 を委 託 金 及 び 学 区 内 割 賦 で 賄 う もの 」 「 受 業 料 と寄 付 金 で 学 校 経 費 を支 弁 し よ う とす る も の 」 で あ る。 さ らに 、 「明 治6(1873)年7月. に 地 租 改 正 条 例 が 布 告 され 、 一(中. 略)一 。 地 租 改 正 事 業 が着 手 ・進 行 す る事 態 の な か で 、学 校 経 費 に 関 して も、 地 価 に 賦 課 す る 方 向 に 沿 っ て 県 の 方 針 が 実 施 され つ つ あ っ た 」 とい うよ うに 台 湾 で も 土 地 調 査 が 進 む に つ れ 、 地 価 に学 校 経 費 が 賦 課 され る状 況 に な っ た34)。しか し 日本 統 治 時 代 に な っ て す ぐ に農 地 の 収 穫 量 が 格 段 に増 え るわ け で も な く、 統 治者 が 変 わ っ て 土 地整 備 が な され 、 経 済 力 は 変 わ らな い 住 民 に 余 分 な負 担 が の しか か っ た。 1897年 度 前 期 地 租 徴 収 成 績 表 に よ る と地 域 に よ っ て 大 き く納 税 率 が 異 な る こ とが 分 か る。.

(17) 1897年. 「 地 租 額 其 他 取 調 表 」(嘉 義 県 庁)で. は 地 租 納 税 率 は8割. な い者 が 少 な か っ た こ とが 分 か る。 これ らの 堡 で は1年. を越 して い る よ うに 、 納 税 し. を二 期 に分 け 納 税 して い た が 、 前 期 で 納. \ 、. 税 しな か っ た 者 も後 期 に は 完 納 して い る。 た だ し上 述 した よ うに地 域 格 差 が 大 き か っ た 。 日本 統 治 か ら30年 を経 た1926年 に な っ て も 、 「当街 財 政 ノ 基 礎 ハ 未 タ 強 固 ナ ラ ス 且 ツ 地 方 産 業 及 商 工 業 不 振 ノ為 街 民 ノ大 多 数 ハ 極 メ テ 低 級 ノ生 計 ヲ営 ミ随 テ 担 税 力 甚 タ 貧 弱 ニ シテ 年 々 ノ 歳 入 ヲ 以 テ 歳 出 ヲ償 フ能 ハ サ ル ノ状 態 」 で 、 決 して 地 域 の経 済 力 は 豊 か で は な か っ た35)。 そ れ で も 中 国 大 陸 に 比 べ 、 台湾 で は 学 租 が 学 租 財 団 に 統 括 され 、 そ の 資 産 が 初 等 教 育 普 及 に還 元 され る こ とは ほ とん どな か っ た が(学 租 財 団 規 程 で は 教 育 会 な ど費 用 負 担 に用 い る と書 か れ て い る)、 教 育 費 が 他 の 行 政 費 に 振 り替 え られ る こ と な く、 独 立 して 用 い られ た の は 特 記 す べ き こ とで あ る。 中 国 大 陸 で 教 育 費 独 立 運 動 が1920年 代 を 中 心 に提 唱 され 、 教 育 費 を行 政 費 と一 線 を画 し、 教 育 普 及 を行 うよ う訴 え られ た が 、 そ の 成 果 は財 政 難 の 中 で な か な か 実 現 で き な か っ た 。. 7.経. 費 の補 助. 1890年 代 の 国 語 伝 習 所 の 開 設 、 そ して1900年 代 公 学 校 が 次 第 に 開 校 して い く と、1910年 代 、20 年 代 に は 僻 地 に も公 学 校 あ る い は そ の 分 校 の 設 立 が 申請 され る よ うに な る。 総 督 府 は 地 域 住 民 に 公 学 校 申請 を 要 請 した が 、 公 学校 を歓 迎 す る地 域 の 有 力 者 の 存 在 も あ っ た 。 そ れ ぞ れ の 地 域 で は 地 理 的 ・経 済 的 環 境 が 異 な り、 生 活 に 事 欠 く地 域 の住 民 が積 極 的 に 公 学 校 分 校 の 設 置 申請 を した とは 考 え られ な い が 、 各 地 か ら地 元 住 民 の 公 学 校 設 立願 が続 々 と提 出 され た 。 日本 で も 学校 申請 願 が 経 済 的 に 余 力 が な い 地 域 か ら も出 され た 状 況 は 同 じで あ る。 1908年12月 、 和 美 線 公 学 校 下 見 ロ分 校 設 置 の 願 い 出 に よれ ば 、 「 本 校 ヲ距 ル 里 預 ニ シ テ 幼 年 者 ノ通 学 ニ 不 便 ナ ル ノ ミナ ラ ス 西 方 一 帯 ハ 海 岸 ニ瀕 シ 冬 期 砂 風 殊 ニ 烈 シ ク 為 ニ 多 大 ノ 欠 席 者 ト半 途 退 学 者 トヲ 出 サ シ ム ル ハ 新 教 育 普 及 上 誠 ニ 遺 憾 トスル 」 と、 劣 悪 な地 理 環 境 か ら分 校 設 立 の 必 要 性 を述 べ て い る36)。調 書 に よれ ば 、 和 美 線 公 学 校 の 状 況 は 次 の 通 りで あ っ た 。. 1学 年2学 級  男110名 、 女10名 下 見口 庄 、 十 五 張 牽 庄 、 下 犂 庄 、新 港 庄 、 泉 州 暦 庄 戸 数  1,624戸  人口8,527人 、 学 齢 児 童2,571名(男1,408名. 、 女1,163名). 収 入  1ヵ 年 予 算235円30銭 、 設 置 区域 負 担 支 出  220円 、 物 品 費(140円). 5庄 で 公 学 校 が 設 立 され て い た が 、 学 齢 児 童 の 多 さに 比 べ て 収 容 人 数 が 少 な か っ た 。 就 学 率 は 20%ほ. どだ と計 算 で き る。. 台 湾 で も宗 族 間 で 学 校 設 立 の 問 題 が 生 じて い る。1913年12月 南 投 庁 長 に よ る と次 の よ うな 状 況.

(18) が 明 らか で あ る37)。 分 校 設 立 の 新 庄 は、 公 学 校 一 里 にす ぎ な い が 、 中間 に 渓 流 が あ っ て 雨 期 に は 交 通 が 寸 断 され る。 ま た 宗 族 間 の 問題 も あ り、 新 庄 地 方 は 洪 姓 の 者 、 草 鞋 ? 地 方 は 李 姓 の者 が 多 く 、 そ れ ぞ れ の 有 力 者 が 譲 らず 、 す べ て に わ た っ て 問 題 が 生 じて い る とい う。 さ ら に草鞋? の 区 域 の ほ うが ほ か の地 域 に 比 べ て 生 活 上 余 裕 が あ る な どの 地 域 格 差 も あ っ た。 さ しあ た り校 舎 に仮 用 す べ き建 物 は 廟 宇 とい う祭 祀 に用 い られ る場 所 で 学 校 と して は不 適 で あ るが 、衛 生 上 、 訓 育 上 支 障 な い と され 、経 常 収 入7,360円(授. 業 料60円 、 負 担 金7,300円)普. 通 家 税5,318円 で 経 営 が な され た 。. 同 様 に校 舎 の 問 題 は 、1908年12月 、 彰 化 庁 で も 「 現 況 上 民 力 ノ負 担 ニ 考 へ 該 費 用 ヲ節 減 シ教 授 上 差 支 ナ キ 限 度 ニ 於 テ 之 ヲ建 築 シ 」 と公 学 校 校 舎 の 新 設 につ い て は 消極 的 な 見 解 しか 述 べ て い な い38)。 そ の 一 方 で 学 校 運 営 全 般 に経 費 が 不 足 して い た た め 補 助 金 の 申請 が 出 され て い る。 「 其 建築 費 其 他 必 要 ナ ル 設 備 費 ノ如 キ設 置 区域 内 ニ 於 テ 甘 ン シ テ 之 ヲ負 担 シ殊 ニ 大 庄 ニ 在 リテ ハ 特 殊 ノ寄 付 ヲ 為 シ 両 分 校 共 ニ 既 ニ 予 算 ノ認 可 ヲ経 目下 徴 収 中ニ 有 之 又 敷 地 ノ如 キ モ 区 内 人 民 ヨ リ進 ンテ 寄 附 ヲ願 出 ツ ル 等 同 地 方 人 民 ノ意 向ハ 専 ラ設 立 ノ 日一 日モ 速 ナ ラ ン コ トヲ期 待 シ ツ ツ ア ル 」 と して 新 校 舎 建 設 の た め に 庄 民 が 力 を合 わせ て い る状 況 を 記 して い る。 そ の うえ で 、 「 教 員 俸 給 ノ如 キ ー 般 地 方 税 経 済 上 教 諭 ヲ配 置 シ 難 キ御 事 情 ノ為 御 認 否 ノ如 何 ニ 関 スル カ 如 キ コ トア リテ ハ 甚 タ遺 憾 ノ至 リナ ル ヲ以 テ 斯 ル 場 合 ニ 於 テ ハ 止 ム ヲ得 ス 総 テ 訓 導 俸 給 ノ額 ニ 依 リ尚 能 ハ サ ル ニ於 テ ハ ー 分 校 ニ 付 訓 導 一 人 及 雇 教 員 一 人(月 額 十 二 円)ニ 対 スル 俸 給 予 算 額 御 配 賦 」 と切 羽 詰 っ た 台 所 事 情 を 述 べ、 補 助 金 の必 要 性 を 力 説 して い る39)。 実 際 に 補 助 金 は給 付 され た の だ が 、 そ れ で も こ の よ うな 個 別 の補 助 金 請 願 に 対 す る 給 付 は 中 国 大 陸 で は ご く一 部 の 小 学 校 に戦 時 色 が 強 くな っ て か ら認 め られ た に 過 ぎ な か っ た 。 中 国 大 陸 で は 国 家 主 義 的 な 政 策 の も と国 民 養 成 を 図 る手 段 と して 戦 時 中 補 助 金 が 交 付 され た が 、 台 湾 で は 統 治 を 円 滑 にす るた め 初 期 か らこ の よ うな補 助 金 の 要 請 が 認 め られ て い た 。 住 民 側 か ら補 助 金 が 必 要 で あ る理 由 を明 確 に した 上 で 申請 、 そ れ に対 し総 督 府 が公 学 校 の 存 在 意 義 を評 価 す れ ば 補 助 金 を 給 与 した 。 そ れ が 波 及 効 果 とな り台 湾 全 土 で 近 代 学 校 が普 及 す る よ うに な っ た 。. 8.1930年. 代 の 旧 教 育 機 関・ 書 房 の 役 割. 1930年 代 に入 っ て も総 督 府 は 旧教 育:機関 で あ る 書 房 を 、 改 良 書 房 と して 従 来 の 書 房 とは 一 線 を 画 し認 可 した書 房 と して そ の 存 在 を認 め た 。 同 時 に 日本 語 教 育 を推 進 す る者 に対 して は補 助 金 を 交 付 した。 学 租 財 団 の 資 産 とな っ た の は 官 立 大 規 模 書 院 、 儒 学 な ど比 較 的 多 くの 資 産 を有 した教 育機 関 資 産 の み で あ っ た 。 地 域 住 民 の 就 学 した 零 細 経 営 の 書 房 は 、 日本 統 治 中期 ま で 経 営 が 許 可 され 続 け、 接 収 す べ き 資 産 も有 せ ず 、 ま た 充 分 に数 的 に整 備 され て い な か っ た 公 学 校 に 代 わ っ て地 元 住 民 に.

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