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震災後のハイチを生き抜く人々 -- 2010年ハイチ大地震と復興への遠い道のり (フォトエッセイ)

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Academic year: 2021

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(1)

震災後のハイチを生き抜く人々 -- 2010年ハイチ大

地震と復興への遠い道のり (フォトエッセイ)

著者

浦部 浩之

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

203

ページ

28-31

発行年

2012-08

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003907

(2)

ハイチ・ドミニカ共和国の国境市 震災前の大統領官邸(2003年)

■ フォトエッセイ ■

震災後のハイチを生き抜く人々

─2010年ハイチ大地震と復興への遠い道のり─

写真・文

浦 部 浩 之

Hiroyuki Urabe

(3)

被災者のキャンプで埋まった高級住宅地区の中央広場 この広場は以前、富裕層の子どもた ちが自転車を乗り回すなどして華や いでいた(2003年) この老夫婦は日本のNGOによる緊急援助で震災直後を生き延びた 被災者の老夫婦が暮 らすテントの内部 (震災10カ月後)   二〇一〇年一月一二日 、 西半球の最貧国ハイチを首都直 下型の大地震が襲い 、 三一万人以上 ︵ 政府発表 ︶ もの人の 命が奪われた 。 全壊ないし大きく損壊した建物 ・家屋は 三〇万戸を超え 、 避難を強いられた人は総人口の約二割に 当たる二〇〇万人にのぼり 、 ただでさえ国民の五五 % が 一 日当たり一 ・ 二五ドル以下の極貧生活を送っていたハイチ は 、 ﹁ 史上最大の人道危機 ﹂ ︵ 国連高官発言 ︶ と言われるほ どの極めて深刻な事態に陥った 。   そのハイチに 、 被災者支援事業モニタリング・中間評価 ミッションの一員として足を踏み入れたのは 、 震災一〇カ 月後のことであった 。 空港からの道のり 、 目に飛び込んで きたのは 、 いたるところに立ち並ぶ被災者のテント 、 銀 色 のトタンとブルーのシートで補修されただけの家々 、 倒 壊 したまま放置されている建物の数々 、 そして道端のあちこ ちにうず高く積まれた瓦礫の山 。 報道写真で見てはいた が 、 無残に崩れた白亜の大統領官邸は震災の酷さを無言で 訴えかけてくるようであり 、 被災者のテントで埋め尽くさ れ た 高 級 住 宅 地 区 ペ チ ョ ン ビ ル の 中 央 広 場 は 、 前 回 二〇〇三年に訪れたときに目にした 、 この国にしては小奇 麗で華やいだ風景からすっかり変わり果てていた 。   ただ 、 想 像していたのとは異なることもいくつかあっ た 。 訪問前 、 なんとなく頭に浮かんでいたのは 、 物資の窮 乏と 、 打ちのめされて活気を失った町の光景 。 ところが 、 人々は路上や荷台に様々な品物を並べ 、 たくましく商売を 営んでいる 。 その傍らを多くの人が 、 大きな荷物を頭に載 せてせわしなく行きかう 。 人々の生命力というものを感じ た。   町中のいたるところに 、 一カ月後の選挙に向けた 、 上 質 なカラー刷りの候補者ポスターがあふれているのにも驚い た 。 けっこうな資金がかかっているはずである 。 スーパー には棚いっぱいに様々な輸入品が陳列され 、 高 級レストラ ンでは贅沢な食事も出されている 。 外 国からの援助関係者 がお得意様であろうが 、 ハイチ人の富裕層の利用も多い 。 この国に 、 お金も物も 、 ち ゃんとあるではないか 。 素朴な 疑問と矛盾を感じずにはいられなかった 。   とはいえ 、 苦 しい生活を送る多くの人のことを考えれ ば 、 差し当たり手を差し伸べないわけにはいかない 。 そ の

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アジ研ワールド・トレンド No.203 (2012. 8)

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母親は乳幼児を抱え、朝から夕方までずっと自分の仮設住宅が建設されていくのを眺めていた 日本のNGOにより建設された仮設住宅。広さは18平方メートル 孤児院で、配給された水を飲む子ども。この孤児院は地震で全壊し、トタンとビ ニールの応急処置でしのいでいる 点で 、 草の根の活動が果たす役割はやはり大きい 。 たとえ ば水分野での支援 。 震災前の時点でハイチでは五八 % の 人 が安全な水にアクセスできていなかった ︵ 国 連 ︶ 。 ある村 の湧水場を訪れてみると 、 同じ水源の水を 、 飲用水の汲み 取りにも家畜の水やりにも洗濯にも使用している 。 衛生的 によいはずがない 。 別の村では 、 いくつかあった給水ポン プが地震で軒並み破壊され 、 ようやく復旧を終えたところ であった 。 安全な水の供給は 、 じつは教育の改善にも関係 する 。 誰にでもできる水汲みは 、 途上国では一般に子ども の仕事だ 。 もし水を得るために何キロメートルもの道のり を往復しなければならないのであれば 、 学校に通うことも できない 。   現場には様々な苦労もあるようだ 。 仮設住宅はいまだ不 足し 、 各所で建設が進められている最中である 。 で は 、 完 成した住宅に 、 誰から入居させていけばよいのか 。 あるN GOでは 、 乳幼児や高齢者のいる世帯を優先させるなど 、 一定の基準を定めていた 。 ところが人々はその条件を満た すために 、 知り合いの赤ちゃんや老人を知人から借りて家 族を装い 、 虚偽の申請をしようとするのだという 。   震災二年後の二〇一二年一月 、 ハイチのことが気になっ て 、 ドミニカ共和国側から国境地帯に入ってみた 。 ドミニ カ側がダハボン 、 ハイチ側がオウァナメントゥという町 。 川一本で隔てられている 。   毎週月曜と金曜に 、 ドミニカ側に市 が立つ 。朝 早く か ら 国境を越え て 集ま っ て くる人 、人 、人 。 押し合 い へ し あ い だ 。 怒声も飛び交う 。 ハイチでは人口圧と貧困による環境破壊 で農業生産システムが破綻しており 、 食糧のかなりを輸入 に依存している 。 牛 肉や鶏肉 、 卵 、 コ メ 、 野菜 、 バ ナナと いった農産物から菓子類や炭酸飲料にいたる様々な物資が ここで買い付けられ 、 ハイチに運ばれてゆく 。 他方でハイ チ人は衣類や靴 、 食器類などを 、 安 値でドミニカ人に売っ ている 。 な お 、 農産物のなかではニンニクが 、 ハイチ側か らドミニカ側へ供給される例外的な品目のひとつらしい 。   不思議な光景を目にした 。 ハイチ人の女性が 、 おそらく ドミニカ人を相手に 、 コ メを売っている 。 ドミニカ共和国 はコメの生産が盛んで 、 その自給率は九七 % ︵ 二〇〇七年 F A O ︶ 。 そ れ に 対 し 、 ハ イ チ で は 、 農 業 の 停 滞 に

(5)

ハイチ人はドミニカ人に衣類や靴などを横流しして現金を得る コメとニンニク を売るハイチ人 女 性。Miamiの 文字がコメ袋に プリントされて いる 川の手前がドミニカ共和国、向こう側がハイチ。写真左300メートルほどのところに 橋があるが、混雑を避けて、多くの人が素足で川を渡ってゆく 一九九〇年代半ば以降の関税引き下げ ︵ それにともなう穀 物輸入の急増 ︶ が追い打ちをかけ 、 コメの自給率は二二 % にまで低下している 。   女性の売るコメの袋には ﹁ マイアミ ﹂ の文字がプリント されている 。 話によると 、 ハイチに届いた良質なコメと 、 粒が砕けて商品価値のなくなったドミニカ産のコメとが 、 おおむね一対二の比率で取引されるのだそうだ 。 ﹁ 国境の あちこちで密輸が横行している 。 ハイチの兵士もドミニカ の兵士も 、 賄賂を受け取って密輸は野放しだよ ﹂ 。   ドミニカの農業生産は 、 少なからずハイチ人の労働力に 支えられている 。 ダハボンでコメとレモンを生産している あ る 農 家 の 場 合 、 収 穫 の 時 期 な ど の 繁 忙 期 に は 、 一 日 二五〇∼三〇〇ペソ ︵ 六∼七ドル ︶ の賃金で 、 数人のハイ チ人を雇うという 。 ドミニカ人の六割程度の賃金ですむ 。 ﹁ 誰かハイチ人に声をかければ 、 すぐに知り合いとかを引 き連れて ︵ 国境の ︶ 向こう側からやってくるよ ﹂ 。   二〇一二年六月現在 、 ハイチ国内にはまだ五七五カ所の キャンプに約三九万の被災者が暮らしている 。 二〇一〇年 七月時点の一五五五カ所一五四万人に比べると減ってはい るが 、 震災から二年半を経て今なお 、 復興への道筋は見え ない 。 そうした国で 、 人々は必死に日々を生き抜こうとし ている 。 うらべ ひろゆき/獨協大学 国際教養学部教授 専門はラテンアメリカ地域研究・政治学。 ラテンアメリカにおける民主主義や地域安全保障に関心。 2010年11月、特定非営利活動法人ジャパン・プラットホー ムからの委嘱でハイチを訪問。

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