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「ヴフテマス」に関する考察

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「ヴフテマス」に関する考察. Author(s). 福田, 隆真. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 33(2): 165-176. Issue Date. 1983-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4900. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 「ヴフテマ ス」 に関する考察. 福. 田. 隆. 真. 1.は じ め に. 今日のデザイン教育をはじめとする造形教育全般の中 で, 基礎から専門への移行を通しての教育 が, ひとつのシステムとして確立されている. 特にそのシステムは, 高度な専門教育において, 基 礎と専門への移行が重要な役割を持ち, しかも, 基礎部門への実験的 教育が2 0世紀になって様々な 観点より追求されてきている。 その最も代表的なものが, バウハウスの予備課程であっ たといえる . バウハウス自体は, 1 92 0年代の芸術運動を担って, 内部の対立を招き, 結果的に短命でありなが らも, 多くの成果を造形教育の分野にもたらした。 グロピウスの目差す造形実験工 場に近づきつつ も, カンディ ンスキー, モホリ・ナ ギー, イ ッテン, アルベ ルス等の予備課程の成立は, 基礎 -- 専門という造形教育に重要な意味をもたらした.またバウハウスはモ ダンデザイ ンのメ ッカとなり, 合理主義と精神主義の2つのアプローチをデザイ ン教育にもたらしたことも, 今日意義深いことで ある. バウハウスが, 合理主義と精神主義を造形教育にもたらした例とするならば, 同様に, 構成 主義の混乱の中 で, 造形教育を実験的にとり組んだ例として, 同時代のソヴィ エトの ヴフテマスが 考えられる。 ヴフテマスの概念は, バウハウスの概念のよう に統一されていなかったが, それは, 革命直後ということもあり, プロレタリアの文化が発展するように, 不断の修正を条件としていた し, 内部での構成主義者と生産主義者の対立ということも教育方針に影響をもたらした. バウハウ スとヴフテマスは, それぞれ社会体制, 組織の異なる状況 で, 同時代に, 基礎 -- 専門のシステム を実験的に試みた造形教育機関 であっ た。. 2. ヴ フ テ マ ス の 成 立 と 背 景. バウハウスが1 920年代の芸術運動に関わりながらデザイン教育を中心とする造形教育の展開を 提示したことは今日 でも造形教育において重要な意味を持っていることは, 周知の通りである. し かし, 一方, バウハウスと同時代に教育研究機関としてソヴィ エトで行なわれていたヴフテマスの 教育内容については, 革命後の芸術運動に比べ明らかにされていない点が多い. i i tevenno -tekhni ter ヴフ テ マ ス (Vkhutemas ) は,Vyssh cheski e Mas ski eの 略 e mhudozhes. } 一般には 高等芸術工房と訳されている ヴフテマスの設立は 革命直後であり その前身は で1 , , . , , , Svoma 自由工房 ) ス ヴォ マス( であり スヴ s マスを引きついでより組織的に造形教育を開始し ォ , , たものである. 正式には192 0年11月 29 日, レ ー ニ ンの 命 を 受 け て ス タ ー ト した と い え る。 さ ら に, i t 1 927年には ヴフテイン (Vkhu e n 93 0年ま で続いた。 , 高等芸術技術研究所) と改組・改称され1 165.

(3) . 福. 田. 隆. 昌. ヴフテマスは, 1920年に第1および第2ス ヴォ マスの統合として誕生し, 当初は実業家ストロガ ) ノフの学校とモスクワの絵画, 彫刻, 建築の学校を縮少したものという状態であっ た2 . )のもとに帝政体制の廃止された学校組織を基礎に1 ス ヴォ マ ス は I Z03 91 8年にモスクワに設 立され第1ス ヴォ マスと第2ス ヴォ マスと称された. このことは革命後のソヴィ エトの全ての芸術 家の代表者を結合させるという意味をもっ ていたと考えられる. そこには, マレー ヴィ ッチ, タト リ ン, ヤ ク ロ フ, エ ク ス タ ー な ど が ス タ ジ オ を も っ て お り, 学 生 は そ れ ら の ス タ ジ オ に 出 入 り す る. ことで, 各々 の芸術的な概念を知ることができた. マレー ヴィ ッチを初めとする各々のスタジオが ) 視覚的芸術の形式的側面に重要性をおいたのに対し, 美術と建築の結合を強調する動きがあっ た4 . 結果的には, マレー ヴィ ッ チのような精神面を重んじる純粋美術と応用的側面の強い建築とが, 後 には結合され, ヴフテマスを設立するのであるが, スヴォ マスはそれま での実験的な素地をつく っ たといえる. スヴォ マスだけ でなく, 革命後の芸術教育については, 全般的な改革が構想され, そ のために, ルナチャ ルスキーは191 7年, レーニンのもとで, 教育人民委員をつとめ, ルナチャ ルス ) キーの協力者であるマンスロフが人民委員会の内部に造形芸術部門 (IZO) を設立した5 . こ の I ZOの活動は, 大規模な発想のもとに, 芸術教育の改革を提示した. その大綱は次のよう になっ ている.「第一には, 職業としての芸術教育は上級学校から下級学校に至るま での異なる等級 の学校の全体網の中に芸術教育の水準がしっ かりと浸透し続けること, 第二には, 学校における標 準的な芸術教育, 第三には, クラ ブ単位のものや文化センターやその他の学校で成人のために行な )と いう こ と であ っ た こ の こ と に よ り I ZOは学校教 われる芸術教育はI Z O に よ っ て 創 ら れる」6 .. 育, 社会教育の両面に渡って, 芸術教育の改革を打ち出したのである. I ZOのこうした動きとともに, 1 920年のはじめには, ス ヴォ マスの 内部からも芸術制作のため の統合的研究機関の再編成を望む声もあり, ルナチャ ルスキーの個人的関心からも, ヴフテマス成 立の動きが人民委員会によ って承認され, 12月に成立のはこびとなっ たのである. 192 0年のヴフテマスの成立前から19 30年に至るま でのソヴィ エトの芸術運動は複雑多岐に渡っ ているが, その影響は ヴフテマスの教育方法にも微妙な変遷をもたらした。 ヴフテマスの公式な設 立は1 0年12月 であるが, その前身においてすでに社会的な正当性や理論的仮定は熟していた. 92 レーニンによって採択された人民委員会会議の決議案ではヴフテマスの目的は 「国家経済の利益の 7 )と簡略に述べている 芸術の有用性 社会的役割とい ために高度な芸術家を訓練することにある」 , . う問題は, 革命以来の重要課題であり, 芸術家の役割という 点でも社会における芸術の位置づけに よって「純粋芸 術」 「生産芸 術」の両極と その中間に介在する「実験室芸術」という3つの大きな流 , れが生まれてきた. こういっ た状況の中で, 学校教育における芸術教育の役割も, デザイナーとい う職能から, 生産芸術と実験芸術の対立をもたらすことになる。 元来, ソヴィ エト政府の命による ヴフテマスの目的は 「商業学校, 工業学校の指導者やデザイナーのように, 産業のための質的に高 8 )ということが義務づけられていた したがって 社会における芸術の有用性に 度な指導者の養成」 , . 直接結びつく芸術家 -- デザイ ナーの養成ということが, 設立当初の目的であったと考えられる が, ヴフテマスの内部 では, 芸術の有用性ということと, デザイナー養成という点について議論が 起 っ た。. まずそれは絵画の分野から生ずるところの純枠芸術の提唱者達によるものであり, 実践的な大衆 の要求に対する芸術によっ て提出される有用性の問題 である. 純枠芸術派の主張は, カンディ ンス lnkhuk キーによっ てなされた. カンディ ンスキーは192 0年にイ ンフク( , 芸術文化研究所)に芸術 ) その主張は 芸術の基本的要素を科学的法則によって基礎づ 教育の プロ グラムを提出しているが9 , , け, 芸術の総合についての理論を試みている. 芸術の基本的要素を科学的法則性によって捉える教 166. ヒ.

(4) . 「ヴフテマス」 に関する考察. 育方法は後に,ヴフテマスの基礎部門において導入される精神分析的方法に結びつくものであるが, カンディ ンスキーの見解が精神主義 的であるという理由から, インフクでは構成主義者によって否 0 } 彼の考えでは 芸術の有用性は 大衆の現実生活ではなく 個人の精神的生活に存在す 決された1 , , , . るものであっ た. また, 同 じく精神的有用性の立場から, シュ プレマティ ズムを主張する マレー ヴィ ッチの場合も, 実用芸術と純枠芸術の間に一線を画していた. 彼は1 92 0年に国営陶器工場のた 1 1 ) めに,カ ップとティ ーポッ トのデザインをしているが ,それらはあくま でも実用性という点からの 発想ではなくて, 非対象としての造形様式の立体化であり, デザインの源泉を, あくま でも純枠な 創造活動に求め, 芸術の普遍性を主張した. また, ペ トロ グラー ドにおいて1 28年ま 922年から19 1 2 ) 建築模型の制作をしている 「 ーポ テ でに, アーキテクトニクス」と題する ッ トにしても建築模 . ィ 型にしても, 実際的なデザインというよりはむしろシュ プレマブィ ズムの絵画を立体に表現したも のである. こう した方法で, 芸術の有用性を現実生活に近づけるという形はとりながらも, 彼の造 形方法は, 形態の本質に迫るものであり, ヴフテマスの基礎部門の教育において造形要素の分析と いう形で導入されたと考えられる. しかし, これに対して, 芸術家を, 芸術家 -- 技術家として捉える動きがある. 芸術家 -- 技 術家は 「芸術を生活の中へ」 というスローガンによって芸術作品の制作を転換させて, 現実の生活 それ自体を建設する動きである。 タトリンや熱狂的なコミュニストであるロ ドチェンコ等である. 彼らの考えによると,「芸術家は技術家となるべき で, プロレタリアートの生活に直接に利益をもた 1 3 〉としている 芸 らすために, 現代の産業において, 道具と材料の使用を習得しなければならない」 . 術の創造と産業の課程を同一視する考え である. これは, マレーヴイ ッチの非対象の考えとは逆 で, 芸術創造と生産活動の両者を対象としての創造とする 「対象主義」 である. この対象主義は, イン フクでカンディ ンスキーの プロ グラムが否決された後に大勢を占めた.しかし間もなく,「反 -- 対 4 } 象」 の動きが, 1 921年の夏から秋の間にインフクで出現してくる. いわゆる 「構成主義」 である1 。 構成主義の理論は, オシッ プ・プリク, タラ ブキン, アレクセイ・ガンらのマルキストの解説家 5 〉 「芸術を生活の中へ」というスローガンを押し進め 革命後の芸術と産業 達によって構築さ れた1 , . を社会建設の柱として打ち出したこの理論は 「芸術の死」を宣言し, 「芸術の空論的活動性から社会 1 6 )と進んで行っ た 構成主義の理論家 アレクセイ・ガンは構成主義の 的に思索された芸術労働へ」 , . 領域における理智唯物的生産の第一問題として次のように述べている. 「色彩, 線, 平面, 容積, 及び行動などの如き芸術の堅実なる唯物的にして, 形態的なる基礎を 保有して -- 思索を唯物的にするところの芸術労働は, 功利的なる活動性の条件の中に於て起っ た, 而して理智性唯物的生産は, 芸術表現の新らしき手段を啓示しているのである. 現実を反映するのでもなければ, 表現するの でもなく説明するのでもない, しかしこの 『未来の 社会の基石を建てすえ, 而してその一つの計画をもち, 又如何なる障害があっ てもその計画 を実行 する偉大なる力を持っている, 階級的主観としての, 組織力としての基石を打ち建てるところの』 能動的に行動する新らしき階級 -- プロレタリアの計画的問題を,現実的に建設し表現するのであ る.. そしてこれは実に今日に於ての事である, この プロレタリヤ革命が勝利を得, 而してその破壊的, 創造的運動が社会生産の堂々たる計画をもっ て組織されたる文化の中に鋼鉄の道を, 尚も遠くへ打 ち拓いてゆく今日 -- この今日に於ては, 色彩や線の技術者も, 容積的空間的物体の結合者も, 集 団行動の組織者も -- すべての者は幾万からの人間の集団の行動と建設の,普遍的事業に於ける構 1 7 )これは芸術の個人主義的な感情表現や様式を否定 し 社 成者とならなければならないのである.」 , 会主義と産業社会の結合を組織力として築きあげ, そのために芸術家と技術家の結束によっ て構成 167.

(5) . 福. 田. 隆. 昌. 主義者を設定したものである. さらに, 構成 主義の基本原理として, a, テクトニク (創造活動) b, フ ァ クトウーラ (創造方法) C, コ ン ス ト ラ ク シ ョ ン 8 ) の 3 つ を 挙 げて い る1 .. これらの構成主義の理論はあまりにも性急であり, 構成主義者は工業技術の未成熟のために制作 が未熟なものに終わり, 思想的には, 機能的であっ たものを, 前世紀の唯物論の概念構造に帰着し 9 ) やがて ソヴィ エト政府による政治的イ デオロギーのために たということ で混乱を内在させた1 , . , 構成主義はソヴィ エト国内では軽視され, ヴフテマスの姿も伝説化さ れた. 構成主義の芸術家がソ ヴィ エトからヨーロッ パに移り, 芸術上の主義として再生されたが, ヴフテマスの構成主義による 造形教育は短命に 終わったといえる.. 3 . ヴフテマスの組織 1920 年 の ソ ヴィ エ ト 政 府 の 命に よ っ て 設 立 さ れ た ヴフ テ マ ス は, そ の 目 的 を 次 の よ う に 示 して い. る.「商業学校, 技術学校のディ レクターやデザイナーのように, 産業のための高度 で質的に高い芸 2 0 )すなわち 革命直後の芸術教育の改 術家を訓練するための専門芸術高等技術, 産業教育研究機関」 , 革の一環として, 同時に, 産業と芸術の結びつきにとり組んだと考えられる. 前述のように, ヴフ テマスは, 第1, 第2スヴォ マスの合併によっ て設立された教育研究機関 であるが, そこには 主と して, 2つの部門があった. そのひとつは芸術部門 (絵画, 彫刻, 建築) であり, もうひとつは, 1 ) 木 工 金 工) で あ た 実 際 に は ヴフ テ マ ス の 産 業 部 門(印 刷, テ キ ス タイ ル, セ ラ ミ ッ ク ス2 っ . , , ,. 主たる機能は, 画家と建築家の養成であり, 同時に,産業部門での新しい種類の芸術家の養成であっ た. このことは同時代の バウハウスが, 建築家の養成を最終目標としていたにもかかわらず, 各種 デザイナーの養成を結果的に行っ たことと類似している. ヴフテマスは, その組織を貫く, 概念的な観点として芸術の相互浸透を している古典的分 野とデ ザインの訓練の結合という観点をも っていた. 芸術とデザインの統合という観 点は, バ ウ ハ ウ ス に も見られることであり, 初期のバウハウスにおいては, 手工芸という観点 で, 両者の統合を計ろう 2 ) ヴフテマスの組織においてこの考え方は 専門分野における垂直と水平(縦の面と横 としていた2 . , の面)という形 で現われた. まず大きな組織として, 学部という独立した形 で, 次のものを置いた, 印刷・複写, 絵画, テキスタイ ル, 彫刻, セラミッ クス, 木工, 金工, 建築. これらの学部は更に 各々 の セ ク シ ョ ン を 設 置 して い た. 印刷 . 複 写 -- 1. グラ フ ィ ッ ク ・ ア ー ッ 2. 印 刷 技 法お よ び 技 術. 絵画 -- 1. 絵画 (教育的分野) 2. 記念碑的絵画 (壁画, フレスコ画) 3. 装飾絵画 (舞台芸術, 映画, 記念祭のためのデザイン) テ キ ス タイ ル- -- 1. 織. 2. 捺染と染色 彫刻 -- 1. 記念碑的彫刻 168.

(6) . 「ヴフテマス」 に関する考察. 2. 教育的彫刻 (将来の彫刻の教師の養成) セ ラ ミ ッ ク ス -- 1, 彩 色 陶 器 2。 ガ ラ ス. 3. 粘土 木工 ・ 金 工 -- 1。 コ ン ス ト ラ ク シ ョ ン (生 産 デザイ ン). 建. 2. コンポジション (材質, 外観, 仕上げ) 築 -- 1. アカデミック グルー プ. ( 1 9 2 0-2 6 ). ーュ ー アカ デミー. 2. ニューリサーチグループ ラ ボラ トリ ー モ デ ル ス タ ジ オ 建. 築 -- 1. ハ ウ ジ ン グ ( - ‐ 1 9 2 6 3 ) 0. 2. 公共建築, 産業複合体 3 } 3. 公 共 空 間 の 計画 と デ ザイ,ン2. こうした学部の組織 で更に重要なことは, 各々の専門分野に直結 する基礎部門(Ba ion) i s s c Divi を設けていたことである. このことは, バウハウスの予備課程同様に, 造形教育の基礎 -- 専門と いう構造を形成する発端となっ たのである. この基礎部門は, 4つの分野に分かれており 各々 が , 次のような専門分 野 (学部) と関連性をもっていた. 1. グラ フィ ッ ク -- 印 刷 ・ 複 写 2, 平 面 ・ 色彩 -- 絵 画, テ キ ス タイ ル 3. ヴォ リ ュ ー ム -- 彫刻, セ ラ ミ ッ ク ス. 4. 空間 -- 金工, 木工, 建築 これらの基礎部門の受講は, 学生の専門に関係なく, 全学生に義務づけられ 192 , 0年から1925年 までは2年間後に 193 0年ま では1年間の期間を要した。 その他にヴフテマス全体の組織としては , 4 ) ここでは全ての学 f ラブファク(Rab ak)と呼ばれる1年間の作業準備 のための教育部門があった2 . 生に 対しての義務ではなかった。 ヴフテマスの教育機関としての概略は以上のような状態 であっ た しかし, ヴフテマスも1926年 . 以降は再組織されヴフテイ ン (Vkhu i t e n , 高等芸術技術研究所) に生まれ変わっ た. ヴフテインは 1 9 30年ま での4年間続いたが, 基本的にはヴフテマスの組織, 体制, 教授陣を受けつぎ 教育原理 , も大差ないものであった. しかし, その教育システムはヴフテマスのような実験的なとり組み方は 少なくなり,t段々と伝統的な教育方法へと変化して行き, 特に, 画家の養成という方向に修正され た,そのため,基礎 -- 専門という構造の中からデザイナーの養成という方向は低い位置におかれ , 1 9 30年には閉鎖されるとともに, 発展的な解消という形をとり, レニングラー ドのヴフテイン (ヴ フテマスの再組織としての ヴフテインとは異なっ た研究所で,1 922年に ペ トログラー ドに創設され て いた も の) と, モ ス ク ワ の 絵 画 と 彫 刻 学 部 と の 合 併 に よ っ て レ ニ ン グラ ー ドに プ ロ レ タ リ ア 美 ,. 術研究所が設立された. 更に1 932年には, 再組織され, 絵画・彫刻・建築研究所と称さ れた。 また, 建築の部門 では, ヴフテインの建築学部と, モスクワ高等技術学校の建築部門の中から 高等建築 , 建造研究所が設立さ れ, 19 33年以来, モスクワ建築研究所と呼ばれている.. 169.

(7) . 福● ,田 隆 昌. 4. ヴフテマスの基礎部門について バウハウスの教育においてその特徴のひとつに予備課程がある. 同様に ヴフテマスにおいても設 立当初から特徴があり,基礎 -- 専門というカリキュラムの構造を創り出した役割として基礎部門 がとりあげられる. 基礎部門は1920年から1925年ま では, 2年間, その後1930年の閉鎖ま では1年間に短縮された が, 全学生に義務づけられたコース であっ た. バウハウスの予備課程が半年間であるから, ヴフテ マスの基礎に対する教育は, 重要な位置にあっ たといえる. しかも, 学生数からその規模をみても, 5 } それに して 1920年の設立当時におい ては25 00名, その後1929年には150 0名に縮 少されたが2 , も, バウハウスの学生数が当初1 920年で78名, 192 4年に89名 であり, 最高の時の1 92 9年におい 6 ) ヴフ テ マ ス の 規 模 の 大 き さ を 物 語 っ て い る て も 170名 であ っ た こ と か ら も2 , .. ヴフテマスの基礎部門の芸術的基盤は, ヴフテマス以前の構成主義, シュ プレマティ ズムの芸術 家によって形成さ れてきたものを受けついでいる. シュ プレマブィ ズムの二次元的表現が芸術にお ける精神性を凝縮する結果となり, その反動として, 精神性を捨象した, より現実的で, 工業, 産 業との結びつきを強める方向で, 三次元的表現に向かったタトリン, ロ ドチェ ンコ等の芸術的基盤, これら両者の統合という形をとっ たともいえる. ヴフテマスの組織で, 基礎部門を設置することは, 革命以前のアカデミ ックな芸術教育の方法を 改革することであり, イ ーゼルを中心としたアカデミーの絵画教育において生じていた階級の上下 による教育を否定することであっ た. そのことによって, ヴフテマスは, 全ての学生が文化的かつ 芸術的な平等を獲得することができた. また同時に, 従来までの狭い領域での専門教育をとり除き, それぞれの専門領域で, 生産的かつ芸術的な交流, 相互間の影響をもたらすことになっ た.そういっ た組織上の改革だけではなく, 芸術創造のための基本的要素を研究するという科学的方法が導入さ れた. これらの基本要素は, バウハウスでも予備課程で始められていたことでもあるが, 色彩, 空 間, 面積, ヴォ リュームなど知覚的視覚的な要素であり, また, それらの法則性であるところの芸 術的構成, 視覚言語に対する客観的な方法である. これらの方法論の精神的支柱となっているもの は,1920 年 当 時, イ ン フ ク に 属 して い た カ ン ディ ン ス キ ー の 考 え が 直 接 ヴフ テ マ ス に 関係 し て い る.. 芸術に対するイ デオロギー論争の盛んな時, 彼は芸術教育全国協議会で次のように報告している. 「最近2つの重要な進行が現われてきた.ひとつは芸術の各々の分派内における深い洞察力で,各々 の分野の本質と価値を理解することはもちろん, それらの範噂を分析する傾向にある. そして同時 に芸術の首尾一貫性の進行である. それら自身の深部にある問題を研究することによって, 同じ問 題が解決されるような手伝けをもって方法を習得していくために, 個人の芸術が隣接する訓練を興 7 } 味をもって観察することは自然な現象となってきている.2 」このことは, 芸術教育において, 芸術 の相互依存を研究することと同じく, 芸術に対する調査研究と実践のための実験的方法を導入する ことを示唆している. また, カンディ ンスキーは, 芸術教育に, 芸術の普遍的原理の認識を説き, 人間の精神的肉体的構造における反応の観点から, 表現媒体の分析という方法を提示した. この方 法は, ヴフテマスの基礎部門の提唱者であるラ ドフスキーによって実践され, 科学的な息吹をもた ら した. ラ ドフ ス キ ー の 実 践 は 精 神 分 析 的 方 法 と 称 さ れ, 彼 の 同 志, ドク チ ャ エ フ, ク リ ン ス キ ー, に よ っ. て採用された. ラ ドフスキーによれば, 精神分析的方法の重要性は 「創作活動の主体は知覚するも 2 8 )と のの解釈であり, 心理学的分 析の必要性が個 人レ ベ ルの技術を取得する意味でも必要である」 170.

(8) . 「ヴフテマス」 に関する考察. 述べている. ラ ドフスキーの提示した具体的な教育方法と して, 数学的な方法をとりあげている. それは, 建築家の仕事を刷新し, また, 基礎部門において, 空間の知覚について数学的な方法, 数 量的な構造, 組み合わせの理論を導入した. ラ ドフスキーの協力者であるクリンスキーは 「とくに ラ ドフスキーにより基礎が築かれた新しい教育体系の手法の創造がしっかりと実を結んだ. その教 育体系の手法を実現させる提案の第一の展開により, とくに数量的な構造という課題の基礎ができ 9 )と 述べ て い る 上 っ た」2 .. 1 923年には, ラ ドフスキーの提示した精神分析の方法が基礎部門のすべてに採用され, 建築学の 教育 と とも に ヴフ テ マ ス の 目 玉 と な っ た。 基 礎 部 門 での 実 践 は 主 と して, フ ァ フ ォ ルス キ ー に よ っ. て行なわれ, その主たる目的は, 図形デザイン(特に抽象的図形構成) , 色彩学(審美学的, 光学的, 化学的特性を含むもの) , 空間的数量の3つの教育の結合で, その中でも, 図形(画法)と色彩につ いては結合される形をとっ た。 基礎部門の組織は, 前述のように4つの分野に分かれており, ①, グラフィ ック. ②, 平面・色. ③, ヴォ リ ュ ー ム ④, 空 間 であ っ た. こ の う ち, ヴォ リ ュ ー ム と 空 間 の 分 野 は, 1920 年 当 初 は 統 一さ れて, ヴォ リ ュ ー ム・空 間 の 分 野 であ っ た が, 1925 年 よ り, ヴォ リ ュ ー ム と 空 間 の 2 つ 彩. に分かれた. これら4つの分野は, それぞれの専門に対応しており, グラフィ ックが印刷 o 複写, 平面o色彩が絵画とテキスタイ ルに関連しており, 1920年の段階 では, ヴォ リューム・空間が, 彫 刻, セラミックス, 木工, 金工, 建築の5つの専門分野に対応していた. しかし,19 25年の段階で, ヴオ リ ュ ー ム と 空 間 が 2 つ の 分 野 と して 分 か れ, ヴォ リ ュ ー ム の 方 は 彫刻 と セ ラ ミ ッ ク ス, 空 間 の. 方が木工, 金工, 建築の各専門分野と対応する形をとっ た。 以下, 4つの分野についての内容の概 0 ) 略 であ る3 .. ,. . 1 ) ①。 グラフ ィ ッ ク ・ フ ォ ー カ ス3 担 当 者は, エ フ ィ モ フ, フ ァ フ ォ ルス キ ー, キ ー ゼ レ フ, ミ ト ゥ ー リ ッ ヒ, パ ヴリ ノ フ, ロ ドチ ェ. ン コ であ る。. このフォ ーカスの役割は, 教育内容にあるところの造形要素についての認識を深めることであっ た。 その基本として, 学生達は, 最初に生理学の概念を与えられた. パ ヴリノフの方法としては, 図形学を客観的な認識で分類し, さらにそれを統合化させるという理論であっ た. 客観的認識が体 系として結論づけられ, 組織されるような見解を示したと同時に, 多くの点で(周囲の環境の中で) 客観的特殊性が現われていた。 このフォ ーカスでの目的は, 空間 (平面的空間) の認識であり, 単一の対象から出発した. 素材 のひとつとして, ヌー ドのデザインが行なわれ, 学生達は石膏の人体象を模刻 し, 次にこれを光に よ っ て 平面 処 理 をほ どこ す と い う 手 順 を 踏 ん だ. こ の こ と に よ っ て, 表 面 に お け る ヴォ リ ュ ー ム の. 習得がなされた。 パヴリノフの考えによるフォ ーカスは, 芸術表現の対象に図形学やデザイン技術 を含み, フォ ーカ スの終了 時に, 対象の現実性を把握する観点を持つことであっ た. ファフォ ルス キーによって構成された現実性の表現では, 対象の本質を理解することと同じであり, 対象と空間 の関係は,芸術のスタイ ルを決定し, 同時に,時代感覚によって形づくられた造形ということになっ た。 ②。 平面 ・ 色 彩 ・ フ オ ー カ ス 担 当 者は, ポ ポー ヴ ァ, ヴェ ス ニ ン, オ ス メ ル キ ン, フ ェ ドロ ー ヴ ァ, ク リ ウ ン, ドゥ レ ヴィ ン, ウ ダ ルツ ォ ー ヴ ァ, エ ク ス タ ー であ る. 171.

(9) . 福. 田. 隆. 昌. このフォ ーカスでは, 色彩に関連した予備課程であり, 造形要素としての色彩を対象とし, 色と 形, 色と表面, 色と ヴォ リュームに ついての 表現効果についての実験が行なわれた. 造形要素とし ての色彩の関心は, 構成の分野にあり, 色彩 構成と同時に, 受講生は, 物理学, 心理学, 生理学に よる科学的立場からの色彩の概念を教授された. このフォ ーカ スの仕事には様々 な具体案があり, 表面空間の複雑な構成を扱う画法技術よりむしろ, 簡単にヴォ リュ ームや平面空間を扱うものを導 入した. これは絵画の技法としての色彩と比較されるものである. 例えば正方形の表面の色彩研究に着手するトレーニングは, 色の方向, 光り方, リズム, 調和, 不調和について分析を行っ た. これはコントラストの点から色彩構成を行う方法とは逆の方法 であ る と 同 時 に, ク リ ウ ン, ドレ ヴィ ン な どの シ ュ プ レ マ ブィ ズ ム の 芸 術 家 に よ る 影 響 であ る と 考 え ら れ る. こ の フ ォ ー カ ス では, そ れ ぞ れ が ス タ ジ オ の シ ス テ ム に な っ て お り, 絵 画 的 な 空 間 の ト レ ー ニ ン. グとしての色彩構成(ポポー ヴァ, ヴェ スニン) , 光による形態表現(オスメ ルキン) , 光の解説(フ ェ ペ ドロー ヴァ) , マッスとス ースの構成(ウダルツォ ーヴァ) , マッスのリ ズム:自然形から抽象へ(エ クスター)の各工房での教育が行なわれた. これらの教育の中で, 1921年 (あるいは 1922年)に作 成さ れ た ウ ダノいソォ ー ヴ ァ の プロ グラ ム を 見 る と 以 下 の よ う に な っ て い る .. 概略 目的:自然における形体と色彩の相互関係の発見と絵画における二次元平面の色彩による形体の 表現. この プロ グラムは全ての学部の学生に義務づけられる. このプロ グラムは絵画を専門とする 学生にとっ て基本的科目であり, 主たる目的は, 簡潔 で芸術的な形体を創造する研究計画に焦 点があてられており, 他の全ての学生にとっても基礎として重要である. 方法:自然の複雑な実現化と知覚される印象の構成 (絵画化) による表現. これは, 絵画によ っ て成し遂げられる. 3つの基本的課題 i. 2次元的な絵画表面の特質を周 囲の3次元的絵画のいづれかに移し変える 絵画表現の色 . 彩の構成的バランスの問題を理解することは, 絵画を創作する包括的なシステムの理解だけ でなく, コンポジショ ンそれ自体の理解に役立つ. i i . 再現:すなわち,ひとつの3次元形体のイメージの表現.すでに知られている絵画表面の特 質を考慮 して, 3次元的形体を絵画に表わす. i i i . 問題を深く堀り下げる:絵画表面の空間表現に の課題の最後には, 空間の構成的な深さ へ の達成のためこの方法がとられる, すなわち, それまで表現されてきた空間の表現の3次元 的表現の総合として, 絵画に再現する.. 教育計画 A. 絵画表面の色彩の特質についての研究. 方法:カラースポット. 課題:自然の絵画的表現. 課題 No .1: プレ ドミナント, カラースポットを考慮して絵画表現に関する色彩とバランスの コ ン ポジ シ ョ ン 172.

(10) . 「ヴフテマス」 に関する考察. 4つの練習: 1. コ ン ポジ シ ョ ン の プ レ ドミ ナ ン ト, カ ラ ー ス ポ ッ ト の 表 現. 2. カ ラ ー ス ポ ッ ト を 出 発 点 と し た コ ン ポ ジ シ ョ ン の 構 成. . 2と同じだが, 生物を絵画表現するのが目的となる.. 3. 4. 1, 2 の 原 理 を と り 入 れて, カ ラ ー ・ レ リ ー フ の 表 現. 特徴:カラー・レリーフは, 空間における外形の位置を習得する一方, 基礎的な色彩と色の感覚 的強さとを変換することによって達成される. B.. 形体の外形における動的なヴォリ ュームの表現と色彩の発展. 課 題 No .2 : コン ポ ジ シ ョ ン を 中 心 と した ヴォ リ ュ ー ム の 表 現.. 方法:色彩によって表現された表面の動きの発展によってできた ヴォ リュームとその集合の形 の対比. 練習1:いろいろな表面の動きとそれぞれをとり 囲むカラーシルエッ トを考慮 して, 画面と ヴォ リ ュ ー ム の 並 置. 練習 2, 3お よ び 4 : 異 っ た 平 面 での ヴォ リ ュ ー ム の コ ン ポ ジ シ ョ ン。 C.. 絵画表面における空間の絵画的表現. 課題 No .3:与えられた中心に関連し, それぞれの中心に従って表面のコンポジショ ンを決定 する空間の奥行きの表現. 2 } 方法:平面の限界を考慮に入れ, 周囲から見える平面を利用して, 奥行きを発展させる3 . ③. ヴオ リ ュ ー ム o フ ォ ー カ ス こ の フ ォ ー カ ス は, 1920 年, ヴォ リ ュ ー ム・ス ペー ス・フ ォ ー カ ス と して 出 発 し, 1925 年 か ら ヴォ リ ュ ー ム・フ ォ ー カ ス と ス ペ ー ス・フ ォ ー カ ス に 分 か れ た.統 合さ れて い た 時 の ヴォ リ ュ ー ム・フ ォ ー カ ス の 担 当 者 は, ラ ヴィ ン ス キ ー であ っ た。. このフォ ーカスでは, 学生は特に, ヴォリュームと周囲の空間, 空間を組織するうえで中心的存 在となるヴォ リュームについての総体を学習しなければならなかった. また, 3つの寸法 (立体と しての) を測定する表現方法によ って, 空間を形成する組織は建築との関連性をもちヴォ リ ューム の総合的組織となっ た, この総合的な組織としての, 最初の共同作業で, 学生達は, いろいろな立 体の寸法を調査し再構成した. 例えば, 幾何学的な立体で, 立方体, 円柱を造り, 水平線, 垂直線 の交差によって, ヴォリ ュームの指導がなされた. さらに次の共同作業としては, 学生達は, 様々 な種類の板を用いて, 立体を造り, その中で幾何学の活用と, 相互依存の役割, 全体との相互関係 などの指導がなされた。 そして最後の段階では, 建築とヴォ リュームの学習が行なわれた. ④, ス ペ ー ス , フ ォ ー カ ス. このフォ ーカスは, 美術教育の一貫したシステムのうえで重要な位置を占めており, 空間構成の 特質と原理の研究にあった, 後の専門との係わりあいは別にして, 全ての学生に, 建築的な思考の 初歩を導入するという点でヴフテマスの 基礎部門の中 でも重要視されていたといえる. 1920年当 初, 担 当 者 と して は, ラ ドフ ス キ ー, ク リ ン ス キ ー, ドク チ ャ エ フ が い た. 学 部 で は 1924 年 か ら は, 色 彩 研 究 と して ク リ ュ シス, フ ァ ニ チ ャ ー・デ ザイ ン と して, リ シ ツ キ ー が 1925 年 か ら, ま た ロ ド. チェ ンコが金属構成などを担当している. 173.

(11) . 福. 田. 隆. 昌. こ の フ ォ ー カ ス の 目 的 と し て は, 空 間 的分 野 の 統 合 と い う こ と に あ り, ト レ ー ニ ン グも 全 て こ ,. の観点からなされた. そして, トレーニングは周囲の環境と, 研究者の視点から見た空間構成とい うことに重点がおかれた. トレーニングは, 立体の正面図から入り, 体系化, 立体化へと進んだ. 学生達は, トレーニングを通して, 限定された空間の中 での奥行きや形の予知, 表現ということを 習得した. 以上のように, 基礎部門の組織は, ヴフテマス 全体と同様に, 大変に複雑になっていて, 学生達 の学科の習得は単独のフォ ーカスという形では行われず, 相互作用と補完という形 で行なわれた. 他の一般的な指導は, 国家としての共同作業の形をとり, 伝統的な個人主義 への抵抗に直面した. この共同作業の精神は. 狭小な専門家気質の厚い壁を取り除き, 文化的統一の認識を促進すること にあっ た. 研究目的とは別個に, この精神は, 具体的なヴフテマスの活動の中に生かされ, 基礎部 門における研究, 生産主義者の集 団的な活動, 出版, 展覧会, そして, 産業と同 じく 流通機構との 接触等がヴフテマス全体の活動として行なわれた. こういっ た共同作業の中で生かされる芸術家の モデルは他人と伴に働くことを準備され, 厳密な論理に慣れているオリジネイターとして見出され ていた. ヴフテマスの教育の芸術家像は, 芸術技術者, あるいは, 芸術構成家として描かれていた. それらの芸術家の プロフィ ールは, 創造的感覚にすぐれており, 開発, 発明等のアイ デアの能力を 持ち, 批判的態度をそなえた人間像として想定さ れた. しかし, これは ヴフテ マスの統一 見解 では なく,生産主義者の反対もあり ヴフテマスの評議会は,「芸術と生産デザインの分離のような区別は, 3 3 )という警告を出し 実験室芸術派との対立を 回避することを ヴフテマスの任務と性質を歪める」 , 試みた. しかし, こうした芸術と生産デザインの造形に対する価値の二重基準は, ヴフテマス全体 の脅威を招きその打開策として,建築学部の切り離しということも試みられたが,結局は,基礎 -- 専門という造形教育のシステムが芸術と産業の統合の中に組み込まれなかっ たといえる. 同様のことは, 基礎部門の教育内容にも共通する対立であり, 造形芸術の分析的方法, 造形の諸 4 3 }と 要素の分析等は, 「目的なしの研究分野」と規定される傾向にあり, 「産業とは全く無縁である」 いう批判をまぬがれない状況となっ た. 基礎部門の設立当初は, 画法の習得と デザインの要素の分 析という教育内容により, 産業との結びつきを持ってはいたが, 目的なしの基礎部門は, 革命後の 産業社会の建設という大綱からすれば, 技術家の養成という点から軽視, 批判の対象 であった. こ の傾向は1 92 0年代中頃より強まり, 基礎部門の分 析的方法は, 画法やデザインの教育としては価値 を制限され, 192 8年には, 基礎部門は縮少され翌年には拘束力を失い, 実質的に閉鎖された.. )王. i i l t 1)Szymon Boiko, Vkhutemas ‐Gardei n Rus s a :New Pe r spec ves (Los Ange es , The Avant ,1910-1930 Count t ) p.78 に よ り 英文 表記 を 参考 した. ry Museum ofAr ,1980 i i butoa l l i IVchutemas l la435 i l p.46 tor 2)Lar sa Zadova r as a de ,Uncont ,Casabe , 1978 , Apr . ベ ルグ を責任者として発足し 3)教育人民委員会の-部門である造形芸術部門の略称,「 画家のシテレン 1 1 8年4月 9 , た. そ の 内 部はさ らに 大きく 2 つの セ クシ ョ ン - - シテ レ ン ベ ル グを責 任 者 とす る ペ トロ グラ ー ド・セ クシ ョ ン. と, タトリンを責任者とするモスクワ・セクションに分けられたが, さらに地方にも支部が設けられていた. 詩 人の マヤ コ フ ス キ ー, アリ ト マン, ブー ニ ン ら は前 者に, マ レー ヴィ ッ チ, ロ ドチ ェ ン コ な どは 後者に属 して い た.. イ ゾは教育, 展覧会, 出版, 作品購入などのさま ざまな分野での仕事に責任を負わされていたが, その中でも ロドチェンコを責任者とする美館館局と購入基金が設置され,36の美術館が新しい美術のためにつくられて, そ 174.

(12) . 「ヴフテマス」 に関する考察. 921年 3は,芸術文化の美術館と名づけられたことが特筆すべきこととしてあげられる.しかし,イゾは1 のうち1 1 34 9 7 4年9月, 美術出版社 P に至って, 有名無実の存在となってしまった.」 中原佑介, 美術手帖1 , i l t 4)Zh arkhと呼ばれる グループで, 教授機能はなかった, 前掲書1. v sku p 1 7年にソ連に帰国し, レーニンのもとで教育人民委員をつとめた. 彼の芸術に対する考 5)ルナチャルスキーは19 え方は画一的ではなく,幅広い芸術教育の改革のために適任であったと考えられる.「文化行政の責任者は芸術界 の諸傾向に対して公平な扱いをとるべきで政府要人の趣味が介入してはならない, 個々の芸術家, 個々のグルー 76年 プを自由に発展させるべきだという考えを抱いていた.」ロシア構成主義ノート, 美術手帖, 美術出版社,19 7月 p .90 , 6 6)前掲書2, P .4 7)前掲書1. p.78 ia i loped 8)GreatSov etEncyc , MACMILLAN,INC,1974 5-530. 9 20年4月, イ ゾによって設立された. カンディ ンスキーは非常に短い間, この研究所に所属し 9)「インフクは1 心理主義と非難されたプロ グラムを発表した. それは次の課題を提起していた. ①芸術の個々の領域の理論, ② 芸術の個々の領域相互の理論, ③モニュメンタルな芸術あるいは芸術全体の理論. このプロ グラムは受け入れら 7 6 れず, バビチェフのプログラムが採用された.」五十殿利治, ロシア構成主義ノート, 美術手帖, 美術出版社,19 年7月, p.62 imentin Ar t1863-1922 ian Exper l l s a Gray 1 )Cami 0 ,Londonl976 . p.248 , Thamesand Hudson ,The Rus 11 ) 前掲 書10 . p.248 12 ) 前掲 書10 . p,246. 0 2 4 )前掲書1 7 1 3 . P, 14 ) 前掲 書10 , p.248 15 ) 前 掲 書10 . p.248. 8 7 7年, 金星堂 p. 1 )アレクセイ・ガン著, 黒田辰男訳, 構成主義芸術論, 192 6 17 ) 前掲 書16 . p.98~P.99. 6によれば, これら3つの基本原理は次のように説明されている. 0 25 8 また前掲書1 1 8 )前掲書1 . p. 「テクトニックと云う言葉は, 地質学よりとられたものである, この言葉は, 地質学の中では, 地核から噴出し た噴出物の定義として用いられている. テクトニカと云う言葉は, 組織性と云う言葉の同意語である. 内的な体質から, 噴出したろところのものであ る,. ディ スシプリンとしてテクトニカは, 構成主義者を実際の上で新らしい内容と新らしい形式の綜合に導くべき 筈のものである. 構成主義者はマルクス的に教養された人間であらねばならぬ. 芸術の最後迄到究し, 現実的に, 産業的唯物を敢行させるものであらねばならぬ. 彼のテクトニカは道を導く星であり, 実験的実際的活動性の脳 髄 である.. 1 19 ) 1 8-p. p.1 テクトニカのない構成主義は, 色彩のない絵画と同じきものである.」( 「ファクトゥーラの我々の理解を検索するに概して現実から出発すべきものである. たとえば一例として鋳鉄を -- 即ち生産物質を取ろう. この鋳鉄から一つの物品を得んがためには複雑な生産課程が為される. 鋳鉄は溶解 される. 即ち火になった液体のかたまりと変わる. それから形を作る型に流し込まれ磨き部を通過し或は単純に 切りとられ, 機械部の中の旋盤機にかかり, そしてその後になって, やっと鋳鉄が物品になったと云い得るので ある. すべてこの過程がファクトゥーラである, 即ち物質の全的な仕事製作である, その物質のある一部の部分 の仕事製作ではない, ここで材料は, その原料品的な状態に於て理解されている. 材料の功利的な利用は -- 材 料の選択と製作である. そして製作の功利主義的性質はファクトゥーラなのである. より正確に云えば, ファク ) 2 2 2 0-p1 p1 トゥーラは製作される物質のオーガニックな状態, 或はその物質のオーガニズムの状態である.」( その もしテクトニカなるものが 能として理解すべきである 「コンストルクツイヤは, 構成主義の集合的な機 , , 中にイデオロギアと形式の関係を蔵し,そしてその結果として -- 致せる企図を与えるところのものであり,而 して, フ ァ ク トオ ー ラ なる も の が材料 の状態 である な ら ば, コン スト ルクツィ ヤ は, 建 造の プロ セ スそ の も の を. ) 1 2 3 展開するところのものである.」( p, 25 4年, P,1 9 7 1 9 )嶋田厚, デザインの哲学, 潮出版社, 1 2 0 )前掲書8. )セラミックスは, ヴフテマスでは陶磁器だけでなくガラス, 粘土など窯業全体を包括していた. 1 2 2 2 )芸術家と手工作職人の統合をグロピウスはバウハウスの宣言で述べている. ルー ドヴィ ヒ・グローテ他, 宮島久 1年, p. 13 9 7 雄他訳, バウハウス, 講談社, 1 175.

(13) . 福. 田. 隆. 員. 2 3 )前掲書1. p. 83 l t t 2 4 ) Workeピspr epa ra o r yFacu yと呼ばれ, 労働者の職業訓練部門とされている. 25 )前掲書2. p.4 6 26 26 )前掲書2 2 . p. 2 )前掲書1. p. 7 79 28 )前掲書2, p. 5 0 29 )前掲書2. p.50 la435 i l p.52-p.55 30 )E1enaJamaikina,Vchutemas:peruna grammaticavisiva,Casabel , 1978 , Apr. 31 0によれば, 基礎部門の各分野については,「教育集合体」と表わされているが, 前掲書 目こよると, 学 )前掲書3 i i i ) があり, 各分野は Focusと表現されている. 本稿では 部(department) と対応して基礎部門 (Bas cDi on v s フ ォ ー カ ス を用 い る. l i ia1907一30 ti 32 ) Thel smsofAr n Rus s e r egmur zynska , ga , 1977 , p,138一p,139. 80 33 )前掲書1. p. . ′4 3)前掲書30 55 . p. 参考文 献 1)二見史郎, 抽象の形成, 紀伊園屋書店, 1 97 0年 2)ゲルト・ゼレ, 阿部公正訳, デザインのイデオロギーとユートピア, 晶文社, 19 80年 0世紀の美術, 美術出版社, 19 3)カーリン・トーマス, 野村太郎訳, 2 7 7年 4)スペース・モデュレーター. 5 6 80年 , 日本板硝子株成会社, 19 5)マルセル・ブリョン, 瀧口修造訳, 抽象芸術, 紀伊国屋書店, 19 5年 7 l l 本稿の資料, Casabe 35に関し, 佐々木良子さん(私立遺愛女子高等学校)の協力を得た. ここに感謝の意を表 a4 します. (本学講師・函館分校). 176.

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