中国近現代女性服飾文化の変遷 : 上海を中心に
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(2) 取り除かれ、煩わしい衣冠も廃止され、女性をはなはだし. ・普及のスピードが非常に速かった。水泳は健康にいいス. く束縛する纏足などの習俗が次第に取り払われた。纏足が. ポーツとして流行し、当時の女性服は身体を出し部分が多. なくなったからこそ、ハイヒールが流行ができた。五四運. かったことのが、その最も良い証拠であった。. 動は女性解放運動に深い影響をもたらして、思想界の知識. 中国近現代(1840年∼1949年の間)に、社会状況の変. 人は男性のような便利な短い髪型を提唱した。この時期の. 化に伴って、服飾は大きな変化をした。本論文は1840年. 女性の服は体(腕)を少しだけで見せるようになって、ス. から1949年までの服飾の飾り、色彩、デザインの面の変. カートも短くなった。西洋からの縁飾りとボタンの使用も. 化について述べてきた。特別の歴史事件と風潮に関連して. 始まった。女学生は西洋の教育を受けて、西洋人と同じよ. 服飾の変化はどうのような特徴があったのかを明らかに. うな娯楽もし始め、社交界の基本知識も学んだ。西洋の流. した。婦女の生活から思想までの変化に従って、服飾の変. 行をしたがって、女性服、特に女学生の服の長さと形は少. 化も伴った。特に新たな思想と物が出現し続けた上海にお. しつつ変化した。無声映画が出てきたから、女性は映画女. いては、伝統的な女性から「都市新女性」への変化が、服. 優のファッションをまねることができるようになった。こ. 飾の面から見られた。. の時期西洋と東洋からの舶来晶に対して人気があったと. 服飾文化は従来重要な文化の一つであった。服飾の変化. 思われる。上海のさまざまな領域で女性の就職機会が開か. は各時代の社会状況を反映していた。特に女性の服飾の変. れていた。女性の職業は銀行員やコピーライター、秘書や. 化は中国近現代の服飾変化の重要な一部分であった。女性. 会計係、百貨店の店員や電話局のオペレーター、教員や医. の服飾は女性の身体を表現する言語であり、また政治社会. 師、看護師や薬剤師、ラジオのアナウンサーなどであった。. に対抗したり、及び新たな思想を表現するために、まず使. また理容師や切符の販売員、女性用品店の店員や運転手な. われていた。服飾は女性にとって非常に重要なものであっ. どが女性の新しい職業として紹介されている。女性の職業. た。. の増加は女性の社会的地位が上がったと考えられる。 民国中・後期、伝統的に妓女が活躍していた社交の領域 に、女学生をはじめとする一般の女性が進出し、固有の社. 主任指導教員 松田 吉郎. 会的地位を獲得していったのである。そうして獲得された. 指導教官 松田 吉郎. 女性の地位は、新たな都市環境で従来の男女関係を変動さ. せていた。1930年は旗抱の輝く時代であった。この時期 の旗抱は外国の生地とデザインとを結合し、裾の長さ、縁. 飾り、飾りなどにおいて変化し続けた。1930年代の旗抱 はほとんど体とぴったりとしたものであった。雑誌と新聞 に掲載された広告の多くが女性向けであり、女性は消費の 主体となっていた。広告や百貨店、新聞、雑誌が盛んにな ったので、大衆は流行服との接点が大きくなったことが分 かった。この時期、カレンダーが出てきた。女性は雑誌や 新聞、カレンダーで掲載された服をまねして、着用し始め た。雑誌や新聞と映画の女優が着た服と一般生活中の女性. が着た服はお互いに影響しあっていた。1940年代、服は また旗抱を主とし、旗抱はいろいろな場面で幅広く使われ た。便服と女学生の制服、工場の女工の制服とも旗袖であ. った。1940年の旗抱は主に膝下まで、簡潔なデザインで あった。婦女はみな便利な旗抱を着るようになり、旗抱は 日常的な普通の服になった。 民国中・後期にはr時装」という概念が出てきた。r時装」. というのは、最新流行の服のことであった。この時期、雑. 誌や新聞などでデサイソナーが描いたr時装画」は掲載さ れると同時にファッションショーも行われた。服飾の流行. 一283一.
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