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「投機の倫理学」の検討 : 20世紀初期アメリカ投機論より

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Academic year: 2021

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(1)「投機の倫理学」の検討 ── 20 世紀初期アメリカ投機論より──. 越 田 年 彦. Ⅰ はじめに. ムローン問題の顕在化により,株式・為替市場 から逃避し,行き場を求めて商品先物市場に流. 21 世紀 に 入 り,サ ブ プ ラ イ ム ローン 問題,. 入したことがあるといわれている.この点につ. 原油・穀物価格の高騰,欧州債務危機といった. いて,同白書は 1 バレル= 125.5 ドルの原油価. 世界経済を震撼させる出来事が続発している.. 格(2008 年 5 月時点)のうち,通常の需給によ. こうした経済の擾乱に陰日向に関与しているの. り説明できる部分が 74.7 ドル(60%)で,残り. が投機である.. の 50.8 ドルは実需以外の要因であるとして投機. サブプライムローン問題においては,低所得. 的取引の可能性を示唆している(経済産業省,. 者向け住宅ローンの調達資金として発行された. 2008,19 頁) .. CDO(Collateralized Debt Obligation,債務担保. 欧州債務危機においても同様であって,EU. 証券)は投機的な金融商品として売買されてい. 加盟国の国債価格の低下(利回り上昇)は EU. た事実が顕在化した.世界の金融機関やヘッジ. 各国の財政事情の悪化や情報の秘匿といった問. ファンドは高率のレバレッジをかけて CDO を. 題が根底にあるとはいえ,こうした債券価格の. 売買することにより投機的利益の獲得を図って. 変動には投機マネーが大きな要因となっている. いたのである.. と推測される.あるいは,これに乗じて投機筋. また,原油・穀物価格の高騰に関して, 『通商. が多大の資金を投入して利ざや稼ぎを図ってい. 白書』 (2008 年版)によれば,2000 年 4 月から. ることは間違いないものといわれる.. 2008 年 4 月までの間に,原油価格は 4.4 倍,鉄. こうした金融資本主義経済における危機的な. 鉱石及 び 石炭 は 4.9 倍,小麦価格 は 3.4 倍,ト. 諸問題の続出に対して,投機に対する批判が大. ウモロコシは 2.6 倍に値上がりしたという(経. 変強くなっている.2010 年 6 月オバマ大統領. 済産業省,2008,18 頁) .特に,2008 年は,あ. は カーネ ギーメ ロ ン 大学 で の 演説 で,金融危. まりの高騰から,生活や産業活動に深刻な痛手. 機をもたらした経済を「バブルと債務と金融. を被った世界中の人びとが,窮状を訴えようと. 投機(financial speculation)に依存していた」. 各地で抗議行動や示威運動を行った.日本でも. と見なしたうえで,金融危機の震源地である. 7 月,日本全国 20 万隻 の 漁船 が 燃料価格高騰. ウォール街は「貪欲さと無責任さ(greed and. による苦境を訴えて一斉休漁している(朝日新. irresponsibility)」に立脚していた,と述べて. 聞,2008 年 7 月 13 日) .こ う し た 原油高,穀. 金融規制の必要性を訴えた1).2011 年 7 月ロー. 物高の背景には,株や債券,為替に投資してい. マ法王ベネディクト 16 世は食糧さえもが投機. た投機マネーが 2007 年 7 月以後のサブプライ. 対象になっている事態を道徳原理の剥奪された.

(2) 14. (14). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). 状態と見なしたうえで, これに批判の声を上げ,. 券取引であれ,投機は賭博であるとする批判も. 規制を求めるべきであると訴えている2).ベネ. 根強かった.しかし,これに対して,同時期の. ディクト 16 世の声明は明らかに投機に対する. アメリカでは,投機は賭博と異なるうえ,価格. 倫理的観点からの批判であるが,オバマ大統領. 安定機能やリスク負担機能があるとしてこれを. のそれも倫理的な視点からの批判が伏在してい. 擁護する主張も活溌に論じられたのである.. るといえるだろう.. そこで本稿は,20 世紀初めのアメリカにお. こうした投機に対する倫理的批判は 19 世紀. ける,投機に対する様々な主張のうち,倫理的. 末から 20 世紀初めのアメリカにおいても大変. 観点から投機を論じた学説を取り上げる.特に,. 強かった.この点について,その背景から説明. 経済学的な視点ばかりではなく,倫理的な観点. したい.. からも投機を擁護した H. C. エメリーの投機論. アメリカはこの時期,証券市場での株式投機. と投機に対する倫理的批判を展開した J. A. ラ. が活況を呈していた.1901 年は投機が過熱し. イアンの投機論を考察の対象とする.エメリー. た年であったが,この年,ニューヨーク証券取. は「投機の倫理学」の演題で講演を行い,ライ. 引所 で 取引 さ れ た 株式 は 上場,非上場合計 で. アンは同じく「投機の倫理学」というタイトル. 252 億 7232 万ドルに達した.これは取引所に. で論文を公表しているのであるが,両者の投機. よって取引が認められた銘柄の額面総額の 3 倍. に対する倫理的評価は基本的には正反対の関係. に上る.また,個別企業を例にとれば, セント・. にある.そこで,二人の倫理的評価がどこで違. ポール社の場合,発行株数が 55 万 8 千株であ. いを見せるのかを明確化したい.加えて,ある. るのに対して,年間の取引株数は 1270 万株と. 行為の道徳性,倫理性とは,行為における動機,. 22.75 倍 に 達 し て い る(Pratt,[1921]1975, p.. 意志,帰結,行為の形式(行為そのもの),そ. 67) .こうした倍数の数値は投機的売買の興隆. して行為者の性格,から判断される3)ことから,. を充分に推測させるものである.. エメリーとライアンの倫理的判断は投機行為の. 綿花 や 穀物,コーヒーな ど を 扱 う 商品取引. 諸契機のどこに着目したものなのかを解明す. 所での投機的な先物取引も発達を遂げていた.. る.これは現代の投機行為に関する倫理的評価. シカゴ商品取引所は現物市場での取引から発. を考察するうえでも意義のある分析であろう.. 達するが,1865 年には先物取引を開始してい. 第Ⅱ節では,エメリーの投機論を取り上げる.. る.1870 年には,先物取引を執行する目的か. エメリーは投機の経済的機能を肯定的に評価す. らニューヨーク綿花取引所が開設される (高橋,. る立場から,投機に対する倫理的批判が的はず. 1978, 12─14 頁) .その他,ほぼ同時期に,ニュー. れであることを主張したのであった.そこで,. ヨークコーヒー砂糖取引所,ミネアポリス商業. この点を詳述するとともに,エメリーが投機行. 会議所,ニューヨーク 鉄鋼・金属取引所 な ど. 為のどこに倫理性,道徳性の判断基準を設定し. 様々な商品を扱う取引所が設立され,先物取引. たのかを明確化する.. が本格化したのである.. 第Ⅲ節では,当時カトリシズムの立場から研. こうした投機の広まりに呼応して,批判も強. 究者,社会改革者として活躍していたライアン. まりを見せる.例えば,農作物価格の下落が生. による,投機の倫理的批判を取り上げる.ライ. じるとそれは商品先物市場での空売りに帰因す. アンはエメリーの投機論を吸収しつつも,エメ. るとして商品先物取引が批判の対象とされた.. リーとは異なり,投機は社会に悪徳をもたらす. また,証券市場では,仮装売買や株式の買い占. として投機の倫理性を問題視した.そこで,ラ. めといった不公正な取引が支配しているとして. イアンの主張の特徴をまとめるとともに,ライ. 批判された.そして,商品先物取引であれ,証. アンについても投機のどの点に倫理的な問題点.

(3) 「投機の倫理学」の検討(越田). (15). 15. を見出したのかを明らかにする.. の研究である.エメリーは『投機論』で投機の. 第Ⅳ節では,二人の投機に対する倫理的言説. 概念規定や賭博との差異化を試みたうえで,当. の共通点と相違点を論じる.特に二人の倫理的. 時のアメリカにおける証券取引所や商品先物市. 評価が相違する分水嶺が,投機の機能や帰結に. 場の生成や先物市場の役割,各州の投機規制法. 対する認識の差にあることを明らかにする.. 令の評価といった観点から投機の諸問題を経済. 第Ⅴ節 で は,二人 の 投機 に 関 す る 倫理的. 学的,法学的視点から考察したのである5).. 主張 は,ア メ リ カ で の 経済倫理学(business. こ れ に 対 し て,エ メ リーが 投機 を 倫理的視. ethics)の生成における先駆的業績として位置. 点から論じた著作がこれから紹介する「投機. 付けられることを論じる.また,二人が「投機. の 倫 理 学」( The Ethics of Speculation)で あ. の倫理学」で提起した議論は時代や地域を超越. る.これは 1909 年にエール大学シェフィール. した普遍性を持つことを明確化する.そして,. ド自然科学部(Sheffield Scientific School, Yale. 二人の倫理的評価が分かれる根拠が投機の機能. University)の 専門課程 ク ラ ス の 学生 を 対象. 的帰結の認識・理解にあることから,倫理的観. に エ メ リーが 行った 講演記録 で あ る.こ の 講. 点から現代の投機を論じる場合にも,特に,投. 演記録 は 他 の 4 人 の 専門家 が 論 じ た 講演記録. 機の機能に関する認識とその評価が議論のポイ. (ジャーナリズム,会計士,法律家の各倫理に. ントになることを論じる.. ついて)と一緒に収載されて,1910 年『日常. Ⅱ 倫理的批判からの投機の擁護~エメリーの 投機論. 倫理学』 (Every-day Ethics)のタイトルで公刊さ れた.そこで『日常倫理学』より,エメリーが 著した「投機の倫理学」の概要を紹介しよう.. 1.『日常倫理学』 ・ 「投機の倫理学」より. 始めに,エメリーは当時の世間の人々が投機. エ メ リー(Henry Crosby Emery, 1872─1924)は. に倫理など存在しないという通念を抱いてお. 19 世紀末から 20 世紀はじめにかけて,投機論の. り,そのうえで,投機に対する独断的な非難を. 分野では顕著な業績を持つ研究者であった .当. 行っていると言う.しかし,投機に対する根拠. 時,ニューヨーク証券取引所付エコノミストで. を欠いた非難はむしろ倫理的な裏付けを備えた. あるミーカーはエメリーを「おそらくアメリ. 投機の実現にとって障害となるとエメリーは考. カにおける投機に関する最も高位にある経済. え る.エ メ リーは,こ う し た 考 え を,商取引. 的 権 威」 ( Meeker,[ 1922]1975, p. 154)で あ. 一般に関する当時の倫理的議論という,より広. るとその業績を高く評価していた.当時の証. い文脈のなかで,次のように述べる.「商取引. 券・商品投機 に 精通 し て い た コーウィン グ も. (business)で,よ り 高貴 な 道徳的気風 を 達成. エメリーの研究は「この分野で権威あるもの. するための主要な障害の 1 つは,何らかの取引. として際だっていた」と評している(Cowing,. 行為(business practices)の本来の姿に関する,. 1965, p. 47) .ラ イ ア ン も,エ メ リーの 主著 た. 注意深い予備的な分析を行うことなく,その取. る『アメリカの証券・商品取引所における投機』. 引行為を公然と非難することである」(Emery,. 4). ( Speculation on the Stock and Produce Exchange of. 1910, p. 107).特に,人気作家や評論家が商取. 「疑 the United States,以下『投機論』と略する)を. 引に携わる実務家が必要とする制度や機能を非. いもなく,投機に関する,英語で書かれた最も. 難するものならば,実務家はこうした非難から. 完全 な 著作」 (Ryan, 1902, p. 337)と 評価 し て. 距離を置いてしまい,当該商行為の道徳的探究. いた.. を拒んでしまう,そのような傾向が存在する. こうした評価が表しているように,エメリー. というのである.しかし,エメリーはこれに対. の主要な業績は証券及び商品市場における投機. し て,「商取引 の 世界 に は 道徳性 が 存在 す る」.

(4) 16. (16). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). (Emery, 1910, p. 112)と の 主張 か ら,投機 を. も重要な機能」すなわち正機能(順機能)を果. 倫理的に擁護することによって,商取引として. たすのであれば,その行為は倫理的非難の対象. の投機の正当性を根拠づける必要性を訴える.. たりえないと主張しているのである.そして投. そのために,エメリーが重視するのは次の 2 つ. 機こそエメリーにとって正機能を担っている行. の視点である.. 為に他ならない.従って,それは倫理的批判の. 第 1 は,問題の取引に関する事実認識の必要. 対象たり得ない.これがエメリーが「投機の倫. 性である.エメリーは空売りを例にとってこれ. 理学」で言わんとする最も重要な主張なのであ. を説明する.商取引に疎い人にとって,空売り. る.. とは「売り手が買い手を騙している」 (Emery,. では,投機はどのような社会的正機能を果た. 1910, p. 109)行為 で あ り,道徳的非難 の 対象. すのであろうか.. となる.これが世間一般の通念である.しかし,. エ メ リーは,「全 て の 商取引 は リ ス ク が 関. 製造業者も未だに生産していない財を予め定期. 与 す る と い う 意味 で 投機的 で あ る」(Emery,. 的に売却しているのであり,証券市場や商品先. 1910, p. 114)と い う.何故,商取引 が 投機的. 物市場での同様の行為だけが非難の対象とされ. であるのかといえば,商取引が執行される際の. る根拠はない.エメリーにとって,空売りへの. 諸商品の交換価値を体現する価格とは変動を余. 非難は知識の乏しさ,事実認識の不全に由来す. 儀なくされるからである.商取引の執行の際に. るに過ぎない.. つきまとう価格変動リスクをエメリーは「投機. 第 2 は, 「道徳的判断の法廷」に持ち込まれる. 的リスク」と命名する(Emery, 1910, p. 115).. 社会的実践行為 は 何 であろうと, 「それが遂行. 投機的リスクの問題をエメリーは小麦の売買を. する機能という明かりに照らされた公正な審理. 例に取り上げる.. ( a fair trial in the light of the function which it. 小麦商人は小麦農家などから小麦を買い入. performs) 」 (Emery, 1910, pp. 110─111)で 評価. れ,これを製粉業者や輸出向けに売却する.す. されねばならないという点である.. なわち, 「彼はある市場で買い,これを別の市. ところが,社会の福利(the welfare of society). 場で売る」(Emery, 1910, p. 116).小麦商人の. のために何らかの機能を果たす制度が必要であ. 利益は異なる市場間の価格差から由来する商業. ると認めているのに,それが「道徳的見地から. 利得に他ならない.しかし,小麦商人にとって. 本来的に不正である」 (Emery, 1910, p. 111)と. 買い取り価格,売り渡し価格ともに変動を余儀. 非難されることがある.これはエメリーにとっ. なくされるために,投機的リスクが商取引の負. て,聞き入れがたい話である.エメリーがこう. 担となってのしかかってくる.エメリーによれ. した言説を展開する際において,念頭に置いて. ば,小麦商人に代わってこれを負担するのが投. いるのは私有財産制や株式市場である.プルー. 機者である.例えば,小麦商人が,小麦農家か. ドンは「私有財産は略奪である」 (Emery, 1910,. ら買い付けたものの,買付価格に比べて,輪出. p. 111)として私有財産制度を非道徳的である. 先での売却価格が下落すると予想した場合,シ. として非難する.しかし,エメリーから見れ. カゴ商品先物市場で,小麦の将来価格の上昇を. ば, 「こ の 制度(私有財産制~筆者挿入~)に. 予想する投機者との間で売り契約を結べばい. よって,社会に食物や衣類が提供されるという. い.これによって,売却時の価格下落により現. 最も重要な機能が行われているのであるのだか. 物市場で損失を被ったとしても,先物市場で損. ら,これを我々は道徳的に非難することはでき. 失をカバーすることができる.すなわち,小麦. ない」 (Emery, 1910, p. 112)と反論する.エメ. 商人にとって投機的リスクは投機者の側に移る. リーは,ある行為や制度が社会において, 「最. とともに,先物市場によってリスクのヘッジが.

(5) 「投機の倫理学」の検討(越田). (17). 17. 可能となる6).小麦商人は商品流通に専心でき. 止めるうえで必要な取引仕法なのである.. る.一方,投機者は小麦の将来価格が自分の予. 第 2 は差金決済である.世間の多くは差金決. 想通り上昇したならば,同じ先物市場で売り抜. 済は価格に賭けているだけであるから,これを. けて投機的利益を得ることができる.. 用いる投機市場は倫理に反すると考えている.. 以上をまとめれば, 「投機者は第 1 に,現実. しかし,差金決済とは清算システムなのであり,. の商取引から生起する実際のリスクを引き受け. それ自体が本質的に不当である訳ではない.そ. て い る」 (Emery, 1910, p. 118)の で あ り,リ. もそも銀行間でも清算上行われているではない. スク負担機能を遂行しているのである.それに. か.. より,小麦商人,製粉会社は不可避的に生じる. 第 3 は,先物取引の証拠金である.確かに証. リスクをヘッジすることができる.エメリーは. 拠金だけで取引が可能であることから多くの悪. 次のように投機者を評価する. 「オープンな市. 行(much evil)はここから生まれるが,それ. 場を維持しているのは専門的投機者なのであ. 自体には道徳的汚点(moral taint)は存在しな. り,そこでは,商人や製造業者,資本の投資家. い.これはさしずめ,自己資金を元手に住宅ロー. がいつでも自分のリスクを投機者に肩代わり. ン(mortgage)を組むことと同じである8).. させているのである.こうした投機的市場が. 投機の手法に関して,これらの 3 点をまとめ. なければ,一連の商取引や投資は現在よりも. れば,「評判の取引所で規定の仕方で仲介業者. もっとリスクのあるものになっていただろう」. によって執行された契約は正真正銘の契約なの. (Emery, 1910, p. 121) .投機はリスク負担機能. であって,現代の信用制度や清算方法が使用さ. を果たすことにより,投機は経済社会で正当な. れているのであるから,それ自体が非道徳的と. 機能を果たしている.従って,投機を倫理的に. 呼ばれることはない」(Emery, 1910, p. 124).. 非難する言説は不当なのである.. さらにエメリーは投機市場に参加する投機者. 投機は価格変動の元凶であるから倫理的批判. を 3 つの類型に分け,投機を行ううえでの,そ. の対象となる,という言説に対してもエメリー. れぞれの倫理的資質を論じている.この点に説. はこれを拒否する.何故ならば,エメリーに. 明を移そう.. とって,価格変動は投機者の投機行為により引. 第 1 は,専門的投機者である.多額の資金を. き起こされるのではなく,逆に価格変動が投機. 擁して,専門的に投機に従事する人を指す.こ. 行為を呼び招くのであると主張するからである. れには 2 つのタイプがあって,正当に全うな投. 7) (Emery, 1910, p. 117) .投機者 が 価格変動 と. 機を行う者と風説の流布や買い占めなど不正な. いう経済の擾乱を引き起こす原因であるという. 手段を駆使する者に分かれる.エメリーによれ. 視点を持たない.この点での投機への倫理的非. ば,後者の人々によって,世間の投機に対する. 難は誤解に過ぎない.. 倫理的非難が醸成されていると見る.エメリー. 投機それ自体がこのように倫理的非難の対象. もこの点からの倫理的批判は正当であると考え. たり得ないのであるから,これから述べる 3 つ. る.. の投機の手法も非倫理的であるとは言えない.. 第 2 は,本業を持つ傍ら投機を行う人であ. 第 1 は,空売りである.先の例のように,小. る.こうした人々は「資産もあり判断力もあっ. 麦商人は小麦の買付時の価格に比べて,将来の. て,きちんと本業の仕事や専門職に携わってい. 売り渡し時の価格の下落が予想される時,先物. る一方で,投機的市場で十分稼ごうと自分たち. 市場でヘッジャーとして空売りを行って現物取. の財産の一部分を活用しようとする」(Emery,. 引での損失をカバーすることができる.このよ. 1910, p. 130).この人々の投機行為に伴う道徳. うに,ヘッジを行う場合,空売りは損失を食い. 性とは,「どれほど分別にもとづいて行動して.

(6) 18. (18). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). いるか,そして自分の資産の範囲内で行動して. 摘する.エメリーがこのように述べるのは,「経. いるか,そして,自分の主要な本業(calling). 済的幸福(economic welfare)はまさに勤勉の. に対する義務を行うのにどれほど支障を来して. 精神 に 依存 す る」(Emery, 1910, p. 135)こ と. いるのか,という問題」 (Emery, 1910, p. 130). を強調したいためであった.. に帰着すると主張する.すなわち,エメリーに よれば,分別をわきまえず,本業を等閑にして. 2.エメリーの倫理的言説の分析. 投機に夢中になるのならば,これから述べる第. エメリーの「投機の倫理学」を概観した.先. 3 のタイプに落ちぶれる危険性があるという.. 述の通り,ある行為に対する倫理的判断とは,. 第 3 は,資金も資質もないにもかかわらず. 行為の動機,意志,帰結,形式,行為者の性格. 投機に携わる人である.いわば,けちな賭博. から行われる.そこで,エメリーの倫理的言辞. 師(small gambler)であり,このタイプの人々. の特徴を考察するとともに,エメリーが行為の. に「我々は,投機に対する最も厳しい非難を見. 諸契機のうちのどれに着目して投機を倫理的に. 出すのである」 (Emery, 1910, p. 132) .そこで. 判断しているのか,この点を分析したい.. エメリーは投機と賭博の異同に関して次のよう. 第 1 に注目すべきことは,不正な取引方法を. に述べる.「私はいつも,経済的観点により通. 駆使した投機への倫理的批判は認めるものの,. 常の言葉の意味から,投機と賭博の大変明確な. エメリーは投機行為それ自体に対する倫理的批. 区別があることを主張してきた.しかし,損失. 判は的はずれであると主張している点である.. を受け止める資力に余裕がないために,自分や. この主張は投機行為の形式や帰結から判断した. 家族に深刻な被害を及ぼすまでに至る人や投. 倫理的評価である.エメリーによれば,「機能. 機行為が持つ最高度の危険性に対して必要な判. の明かり」に照らせば分かるように,投機者は. 断力を持っていない人によって投機が行われる. 商人や投資家などが負う価格変動に伴う投機的. のであるならば,こうした投機は道徳的見地か. リスクの引受という必要不可欠な機能を果たし. ら見て賭博になるのである」 (Emery, 1910, p.. ているとする.それ故に,倫理的批判の対象と. 132) .. ならないと主張した.この論法は有益な機能を. こうした賭博まがいの投機に関してエメリー. 遂行する行為の形式(行為そのもの)とそうし. が批判の俎上にあげるのがバケットショップ. た機能的遂行がもたらす結果の両者に倫理的評. (bucketshop)である.1870 年代より全米各地. 価の観点を設けていることを意味する.特に,. に族生したバケットショップは,大手の証券取. 行為の帰結に着目していることから,帰結主義. 引所や商品取引所の相場情報を伝達して,各銘. 的な倫理観を考察の視点にすえて投機を評価し. 柄の価格の上がり下がりに賭けるという賭博の. ているといってもいい.そして,この視点から. 機会を庶民に提供したのである.エメリーもバ. 投機を正当化しているのである.. ケットショップを「悪徳は極度に強化される」. 第 2 のポイントは,エメリーは帰結主義的倫. (Emery, 1910, p. 133)と し て 非難 の 対象 と し. 理観とは別個に,動機や意志をも善悪の基準に. た.. すえて,投機を倫理的に判断していることであ. 以上のメッセージをエメリーは講演のなかで. る.そのように言えるのは,エメリーが本業を. 若い学生に伝えたのである.講演の終わりの方. 持つ傍らで投機を行う類の投機者の道徳性を,. で,エメリーは学生に「信頼に足る地位にある. 「自分の主要な本業(calling)に対する義務を. 人は未だかつて証券賭博の誘惑が引き起こすリ. 行うのにどれほど支障を来しているのかという. スクを引き受けることはない」 (Emery, 1910, p.. 問題」(Emery, 1910, p. 130)か ら 論 じ て い る. 133)と忠告して,証券投機の持つ危うさを指. ことによる.すなわち,エメリーは「勤勉の精.

(7) 「投機の倫理学」の検討(越田). (19). 19. 神」を善とする倫理観を設定したうえで,この. 議論と同様に注視しなければならない別の論点. 観点から投機に携わる行為主体の心性を判断す. が潜んでいる.それは『投機論』における投機・. るという方略を採り,これにもとづいて本業を. 賭博差異論からの修正を意味するからである.. 蔑ろにした投機者を倫理的非難の対象としたの. 『投機論』において,(ア)投機は売買行為であ. であった.こうした倫理的規準は,自分の本業,. るが,賭博はそうではない, (イ)投機は売買. 天職に従事する義務との関連から論じているこ. 差額の取引であるが,賭博は一定の金額のやり. とから,行為主体の動機や意志に善悪の判断基. 取りである, (ウ)投機は商品生産や流通にお. 準を措定する倫理観と見なすべきである.すな. いて発生する不可避的な経済リスクの引き受け. わち,‘人は本業に専心するべきである’ といっ. であるが,賭博は人工的に創出されたリスクの. たような道徳的義務への遵守を動機に措定して. 引受である,といった 3 つの観点から投機と賭. 行為すれば,それは正しい行いと見なされる.. 博は差異化される,と主張した.ところが,「投. エメリーはこのような論法で倫理的判断を下し. 機の倫理学」において,エメリーは「必要な判. ていると推測できる9).. 断力を持っていない人」による投機を賭博視す. 本業に専心する行為主体の心性に善性を認め. る差異基準を付け加えている.これはエメリー. る倫理観は周知のように,ウェーバーが明らか. と同時代の金融専門家であるウッドロックやプ. にしたプロテスタンティズムの召命思想を想起. ラット(どちらもウォールストリートジャーナ. させる.ウェーバーは「神によろこばれる生活. ル編集者を歴任)が主張した,知的要素の有無. を営むための手段はただ 1 つ,各人の生活上の. による投機・賭博差異論と同じ立論である.. 地位から生じる世俗内的義務の遂行であって,. ウッドロックは投機においては「理性的に行. これこそが神から与えられた召命(Beruf)に. 動することができるように自分が行っているこ. ほかならぬ」 (ウェーバー,1920,訳 110 頁)と. との知識」 (Woodlock,[1909]1929, p. 78)が. 述べ,とりわけ,カルバン派が地上で神の栄光. 要件となるのであり,賭博とはそれを欠く点で. を増すために勤労に励む姿に,カトリシズムと. 異なると主張した.プラットは, 「投機者は取. は異質の,世俗内的な禁欲的倫理と合理的経営. 引しようと企てている企業の収益力や経営条件. の原初を認めたのであった.そして,勤労や営. を研究して」売買を遂行するが,株式投資での. 利活動を支えた,こうした価値合理的な動機づ. 賭博者の場合は, 「十分な研究を行うのではな. けが救いの確証という宗教的意味を剥脱した後. く,運を信じて,売り買いを行う」とする(Pratt,. でも 20 世紀初めのアメリカの精神風土に投影. 1903, pp. 43─44).こ う し た 差異論 に 対 し て,. されていることをウェーバーは指摘しているの. エメリーは,『投機論』では,行為者の資質や. である .従って,エメリーが使用する「本業」. 意図といった主観的な基準から両者を区別する. や「勤勉の精神」といった言辞にプロテスタン. ものとして,これを批判していたのである.確. ティズムの残滓が付着していることは充分に想. かに,エメリーは「投機の倫理学」でも,「投. 定可能であろう11).. 機と賭博の大変明確な区別があることを主張し. 第 3 として,エメリーは投機を行う行為者の. てきた」と述べることから,自分が立てた従前. 資質,性格からも倫理的に論じている点を挙げ. の差異基準を放棄してはいない.しかし,新た. たい. 「資力に余裕がない」人, 「家族に深刻な. に別の差異基準を設けてきたことから,従来の. 被害を及ぼすまでに至る人」 , 「必要な判断力を. 自説との整合性や両者の差異基準の関係性が論. 持っていない人」の投機は賭博に等しいとし. 点として浮上する.これに対するエメリーの説. て,倫理的に問題視したからである.. 明はない.察するに,従来からの自説は堅持し. 実は,この主張には行為の倫理性を考察する. つつも,若い学生向けの倫理的戒めという意味. 10).

(8) 20. (20). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). を込めて講義を行う必要性から,このような新. 始めとする相場操縦は公正な競争や取引を阻害. たな差異基準を取り入れたものと推察する.こ. するものとして市場内倫理の規制の対象としな. のように考えれば,投機に関する従来の自説と. ければならない12).エメリーは,売買仕法や相. 学生向けの訓戒という 2 つの条件が「投機の倫. 場操縦に関する議論を展開する際には,市場内. 理学」を構成する基調なのである.. 倫理の観点から投機を是々非々の立場で臨んで. 第 4 として,エメリーが倫理的批判を行う議. いたのである.. 論は市場内倫理の視点から行われていることに. それに対して,投機及び先物取引は賭博であ. 注意したい.. るとしてこれを倫理的に批判して,先物取引規. 市場における競争や取引に関する倫理には 2. 制を制定するのは市場外倫理の好例である.こ. つあって,1 つはこれらを公正かつ円滑にする. れに対して,エメリーは,原則として投機は賭. ための倫理であり,市場内倫理と命名すること. 博ではない,投機は価格変動の元凶ではないと. ができる.例えて言えば,徒競走において,ど. の立場から,投機に関する市場外倫理の設定を. の走者もフライングをしてはならない,コー. 拒否したのである.. ナーでは走者の内側から追い抜いてはならない というルールがそれに該当する.これらが確保. Ⅲ 投機への倫理的批判~ライアンの投機論. されねば不正な行為を行った走者が勝ってしま. 1.「投機の倫理学」より. う.市場競争において,こうした不正を防ぐの. 20 世紀初頭のアメリカにおいて,投機を倫. が市場内倫理である.. 理的に批判した代表的な論客として,ライアン. もう 1 つは,市場での競争や取引それ自体を. (John Augustin Ryan, 1869─1945)を挙げたい13).. 規制する倫理であり,いわば市場外倫理と命名. その理由として,ライアンは学問研究,キリス. することができる.例えば,児童労働の規制は. ト 教 の 布教,社会的 な 改革運動 な ど の 多岐 に. 市場外倫理の例である.あるいは日本の場合,. 渡って活躍するなど,その業績が傑出している. 武器輸出三原則を支える倫理観もそれに当た. からである.. る.. ライアンの経済思想を一言で言えば,カト. エ メ リ ー が 空 売 り,差金決済,証拠金制度. リシズムの立場から資本主義経済の弊害を倫. といった取引仕法に関して, 「それ自体が非道. 理的視点から矯正することと要約することが. 徳的と呼ばれることはない」 (Emery, 1910, p.. できる14).その視点は投機論に関しても一貫し. 124)とした言及や他方で,相場操縦が行われ. ている.1902 年, 『国際倫理学誌』 (International. る証券市場は「明らかに悪徳の発生源となって. 「投機の倫理学」 (The Journal of Ethics)にて,. いる」 (Emery, 1910, pp. 126─127)といった言. Ethics of Speculation)を投稿し,現状の投機に. 説に注目してみよう.ここで用いられる倫理的. 対して批判的な論説を公にする.以下,ライア. 言辞は市場や競争を円滑化,公正化するための. ンの投機に関する議論を紹介したい.. 市場内倫理を含意していると考えることができ. まず,ライアンは投機者を価格変動から利益. る.エメリーの立場からすれば,空売りはヘッ. をすくう経済行為を行う者と規定し,投資家や. ジ機能を持つ先物市場での取引において不可欠. 取引業者(trader)との違いを明らかにする.. な取引仕法である.また,差金決済は経済的効. 投資家は配当を目的にして永続的に株式を取得. 率化を図るための清算方法に過ぎない. 従って,. するのであり,取引業者は,例を製粉業者に取. これらはむしろ市場での取引や決済を円滑化す. れば,小麦を小麦粉に転換する.投資家の利益. る機能を果たしているのであり,市場内倫理に. は生産的ビジネスに自分の資本を投下した見返. 抵触するものではない.しかし,風説の流布を. りであり,取引業者の利益は生産的及び社会的.

(9) 「投機の倫理学」の検討(越田). (21). 21. サービスに対する支払いである.両者とも役立. 果たして,専門的投機者は市場のことに関して. つ物(utility)の生産者である.これに反して,. 優れた知識を有しているのであろうか.投機者. 「投機者は生産に何ら貢献しない」 (Ryan, 1902,. の介在により価格変動幅が縮減するのであろう. p. 336) .そもそも純粋に投機的な売買の場合,. か.もしも,取引業者や製造業者が投機者に価. 財の移転は何ら伴わず,差金決済で取引が完遂. 格変動リスクを投げずに,自分で引き受けたと. する.こうした投機契約は, 「本質的には賭博. すれば,どれほど損害を被るのか,それを明瞭. である」 (Ryan, 1902, p. 336)とライアンは断. にすることは困難なのではないのだろうか.加. 言する .. えて,有能な取引業者や製造業者が投機者と同. 投機や取引所の弁護者たちは,財が豊富にあ. じ知識や洞察力を持つことができない理由は何. る間に投機者はその財を蓄え,枯渇した時にそ. なのか,とも問う.. れを放出するとして,投機の需給調整機能を主. 仮に証券市場で投機的取引がなく,投資行為. 張し,投機の有益性を結論づけるが,こうした. のみであったとしても,証券市場は存在するで. 理由付けは思考の混乱を暴露している.取引所. あろうとライアンは考える.配当目的から証券. の本来の機能は現実の財貨の売買を実現するこ. は購入されるのであり,そのために,十分適切,. となのだが,実際の取引所では生産的な取引は. かつ安定した価格で取引されるはずである.そ. 純粋な投機的取引に従属した状態にある.繰り. もそも投機者の売買対象にもならず,証券取引. 返すが,投機は財を分配するわけでもない,財. 所に上場されていない多くの証券が存在するの. を生産過程に投入するわけでもない. それでも,. はこの点を例証するものである.. 15). 「何らかの社会的サービスを遂行しているので. ライアンはエメリーの議論を暗に批判しつ. あろうか?もしも,そうであるならば,投機は. つ,以上のように投機の経済的機能を理解し. 道徳的に善なるものであるという仮定が生じる. た.そこで,ライアンは,再度次のように自. であろう」 (Ryan, 1902, p. 337)と述べて,投. 問する.「投機は何らかの社会的サービスを遂. 機の社会的経済的機能の問題に論を移す.. 行しているのか?」これに対して,ライアン. ここでライアンはエメリーの議論を取り上げ. は「正しい答えは,否定的であるようだ」と. る.ライアンの言葉を借りれば,エメリーは『投. 判断する.「投機のよき特徴(それは疑わしい. 機論』を通じて「組織化された投機は,合法的. が)」も「悪き特徴(それは重大であり,間違. 取引に対して多大なサービスを提供している」. いない)」によって,相殺されてしまうと見る.. (Ryan, 1902, p. 337)と言う.ライアンが咀嚼. 「従って,それが果たすいかなる経済的,社会. したエメリーの議論を要約すれば,小麦商人は. 的機能からしても,組織的な投機を道徳的に. 輸出向けの小麦価格の下落という価格変動リス. 善(morally good )であると見なす理由はない」. クがあるために,投機者に先物市場で小麦を売. (Ryan, 1902, p. 340).. ることにより, リスクをヘッジできるのであり,. ライアンは,投機におけるゼロサム性(一方. 投機者は価格変動リスクを引き受けているので. の得は他方の損である)も問題視する.取引所. ある.そして,こうした議論を踏まえて,ライ. の取引では,卓越した相場師(big operators). アンは組織的投機の機能を「変動する価値が生. と 門外漢 の 大衆(the outside public)が 対峙. む大幅なリスクの引受け,価値変動の極小まで. する.前者は相場を知り抜いたプロの投機者で. の縮減,生産物や証券向けの現実的な市場の提. あり,後者は市場の複雑さを知らなければイン. 供」 (Ryan, 1902, p. 338)の 3 点にまとめる.. サイダー情報に頼ることもできない大多数の投. しかし,ライアンは,こうした議論には投機. 機参加者である.結局投機的取引は,プロの相. 者に対する過大評価が潜んでいると指摘する.. 場師が素人の大衆をカモにして利益を得る形で.

(10) 22. (22). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). 成り立つ.これを例証するように,一般大衆や. 発表する.当該株を買っていた大衆投機家はパ. ちっぽけな取引者が大損して取引所を見捨てた. ニックに陥り,株を売り放つ.放出された株. 場合,けちな投機者(small fry)が新たに取引. は大株主が買い集めてますます株式所有を増や. を始めるまで,投機的活動は抑制されるとい. す.株価は下がり,先程の重役達は買い戻して. う(Ryan, 1902, p. 339) .こうした点から「組. 儲ける.. 織化された投機制度は社会に疑わしい利益をも. 次は,仮装売買(wash sale)である.相場師. たらすばかりではなく深刻な公共悪(serious. が特定の銘柄の株価を下げるよう売り浴びせる.. public evil)も生み出している」 (Ryan, 1902, p.. それと同時に別の仲買人を通じて買い注文を入. 339)と主張する.. れる.こうして活発な売買が行われていると思. 更に,ライアンは投機に参加する個人の心理. いこんで大衆投機者が参入する.株価が高く. や資質も考察の対象とする.まず,投機にのめ. なった時に売り抜ければ利益を得ることがで. り込むと,急に金持ちになれるという希望を持. きる.その他に,ライアンは相場操縦として,. つことによって,勤勉(industry)や倹約の心. プール(pool 複数 の 相場師 が 協同 し て 特定 の. (thrift)を 挫 い て し ま い,偶然 の 神 の 信奉者 にしてしまうと言う(Ryan, 1902, p. 340) .ま. 銘柄の株を買うまたは売ること)やコーナー (corner 買い占め)などを挙げる.. た,投機者の道徳的な性格について,ライアン. ライアンは以上の相場操縦を次のように総括. は,投機者 は 専 ら 賭博者 の 精神(the spirit of. する. 「それらはすべて非道徳的(immoral)で. gambler)で行動しているものと考える(Ryan,. あり,そこから生じる利益は詐欺的(dishonest). 1902, p. 341) .特に,投機を生業としている投. である」 (Ryan, 1902, p. 343) .. 機者の精神性はプロの賭博師の活動を特徴づけ. 問題は,こうした「非道徳的」で「詐欺的な」. るものと同じであると見なす.この観点から. 相場操縦がごく普通に駆使されているのではな. も,投機と賭博の相同性が指摘される.ただし,. いかと言う点である.ライアンは,「ニューヨー. ライアンによれば,賭博は次の 5 つの条件の下. ク証券取引所側は数ヶ月前,当取引所の取引の. では非道徳的でないという. (ア)賭博に参加. 50% は価格の操縦を意図していると断言して. する者が負けても財産を処する権利を持ってい. いる」(Ryan, 1902, p. 344)という話題を紹介. る. (イ)不正も暴力もない. (ウ)勝率は誰に. する.そして,取引所での取引を通じて授受さ. でも同じ. (エ) 「自分の生存条件(condition). れるカネは問題のある手法を駆使する側に入る. や本業(calling)の義務に支障のない程度のリ. ようになっているとライアンは判断している.. スクを負担する」 . (オ)実定法で当該行為が禁. 以上,ライアンは投機の倫理性を,その機能. 止されていない(Ryan, 1902, p. 345) .そして,. や帰結,それを担う個人の心理や資質,その売. ライアンは,この 5 条件は投機にも当てはまる. 買仕法といった角度から考察してきたが,こう. という.. した点を受けて,次のようにまとめる.. ライアンが特に倫理的批判の対象として取り. 「経済的厚生の側面から見ると,非生産的な投. 上げるのは,取引所で行われている相場操縦. 機組織全体は十中八九役に立たない.社会的厚. (manipulation)である.これには,まず風説. 生の側面から見ると,それは重大な悪徳を生む.. の 流布(false reports)が あ る.1900 年 の 春,. そして,道徳的側面(the side of morality)か. 著名な製造業は配当が直ちに支払い可能であ. ら見ると,その取引は気をつけなければならな. る,と報告した.それにより株価は上昇する.. いほど,詐欺的な方法で行われている」 (Ryan,. そこで重役やその知人らは当該株式の空売りを. 1902, p. 346).そして,投機に多大な時間を費. 行う.そして次に配当は保証されないと公式に. やす人にとって,詐欺的な投機行為を避けるこ.

(11) 「投機の倫理学」の検討(越田). (23). 23. とは不可能であり,すなわち,取引所の投機に. に批判の対象となる,という論法である.. 参加してしまえば,その意志がなくとも,道徳. ライアンはこの論法にもとづいて,エメリー. 的に問題のある行為に従事してしまうのである. とは正反対に,投機は「深刻な公共悪」を生み. と言う.確かにライアンによれば,賭博と同様. 出していると主張する.こうした帰結主義的な. に投機それ自体は非難されるべきではない.し. 判断基準にもとづく倫理観がライアンの基本的. かし,問題のある取引所組織に関わったり,個. な思想であり,「道徳的」という語のいくつか. 人を危険に陥れることから,投機が合法的であ. は,この文脈で使用されている16).また,ライ. ると公言されるべきではないと見る. 「投機に. アンはプロの相場師が素人の大衆投機者から利. はいつも非道徳性の影が覆っている」という. 益を奪っているという点を根拠に組織化された. (Ryan, 1902, p. 346) .従って,投機の性格や影. 投機制度は深刻な公共上の悪徳を生み出すと批. 響を知り抜いていて,立派な道徳的本性を持っ. 判していた.すなわち,投機の持つゼロサム性. ている者は投機などに関与しない.. (ある投機者の利益は別の投機者の損失である). 「投機の倫理学」を締めくくるに当たり,ラ. を倫理的観点から問題視する17).このような見. イアンは端的に,「投機は悪か?」と問う.こ. 方も行為の形式や帰結という観点から投機を倫. れに対して,概念的には答えられないものの,. 理的に批判していることを意味している.. 「制度としての投機は経済的には,疑わしい効. 第 2 の特徴は,投機を行う行為者の性格の視. 果しか持っていない,社会的には重大で影響力. 点からも投機を倫理的に批判していると推測で. のある悪徳を生み出す,道徳的には,非常に多. きる点である.先に紹介したように,ライアン. くの詐欺的な取引や活動で活気づいている」と. が投機は勤勉や倹約心を挫くと主張しているこ. 答える.そして「投機は最もよく見ても,道徳. とに注意したい.この言説の裏には勤勉や節約. 的に問題がある」と述べて論を閉じる(Ryan,. 心を備えた性格に善性を求める道徳観が伏在し. 1902, p. 347) .. ており,この道徳観からライアンは投機を批判 していると考えることができる.. 2.ライアンの倫理的言説の分析. 第 3 の 特徴 は,ラ イ ア ン も 偽報告 の 流布 や. 以上のライアンの倫理的言説について,特に. 仮装売買 と いった 各種 の 相場操縦 を 非道徳的. その倫理的批判が投機行為のどこにスポットを. (immoral)や 詐欺的(dishonest)と い う 価値. 当てたものなのかに注目して,その特徴を指摘. 的用語を用いて倫理的に批判している点であ. したい.. る.ライアンにおける,これらの語は,プロの. 第 1 の特徴は, ライアンもエメリーと同じく,. 投機者集団が不公正な取引方法を用いるために. 投機行為の形式,投機行為の帰結の視点から倫. 投機市場の公正さや円滑さが損なわれている事. 理的に投機を論じているという点である. 「何. 態を糾弾する意味を含んでいる.ライアンは,. らかの社会的サービスを遂行している」 ならば,. 「道徳的」,「非道徳的」という言葉を専ら相場. 「投機は道徳的に善なるものである」といった. 操縦の場面で頻繁に使用している.先述のよう. 主張から判明するように,ライアンも善悪の判. に,相場操縦は市場内倫理を損なう行為である. 断基準を行為の機能的遂行(すなわち,行為の. ことから,ライアンにおいてもかなりのウエイ. 形式や行為の結果)に求めている.投機が経済. トで市場内倫理の視点から道徳性,倫理性を問. 的社会的に問題を持つことなく機能し, 従って,. 題視しているのである.. 社会に有益に貢献するのであるならば,投機は 正機能を果たしているのであり,道徳的に善と. Ⅳ 二人の主張の共通点・相違点. して把握される,その逆であるならば,倫理的. エメリーとライアンによる,倫理的観点から.

(12) 24. (24). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). の投機をめぐる議論を総括してみよう.総じて. スクを投機者に投げてリスクをヘッジする,投. いえば,エメリーは投機は倫理的批判から免れ. 機者は投機的リスクを引き受ける,という投機. ると主張するのに対して,ライアンは投機は倫. の機能的貢献の議論への疑念を持っている.ま. 理的批判の対象となると主張しており,両者は. た,差金決済での投機取引は賭博であるという. 投機に関して異なる倫理的評価を下している.. 見方を持っている.このように,投機の機能や. しかし,子細に検討してみると両者の議論の間. それがもたらす帰結に関する認識や理解の違い. にはいくつかの共通点も見られる.. が倫理的評価の相異に連なっていくものと考え. 第 1 の共通点は,どちらも証券取引所で行わ. られる.. れる相場操縦を倫理的に批判している点であ. 以上を総括すると,次のように 2 人の議論の. る.エメリーは仮装売買を「徹底的に非道徳的. ポイントを要約することができるだろう.. な も の( thoroughly dishonarable) 」 ( Emery,. エメリーは相場操縦による不公正な取引方法. 1910, p. 129)と 批判 す る な ど,相場操縦 を 非. は市場内倫理の観点から規制する必要を指摘す. 道(iniquity)であるとしている.同様に,ラ. るが,差金決済や空売りといった売買方法に対. イアンも投機市場での不正な取引方法を道徳的. する市場内倫理の設定の必要は認めていない.. に問題視した.このように,二人とも市場内倫. また,投機は経済的機能を果たしているので市. 理の観点を以て相場操縦のような不正な投機取. 場外倫理の設定は不当であると考えた.一方,. 引を倫理的に批判したのである.. ライアンは,仮装売買などの相場操縦は勿論の. 第 2 の共通点は両者ともに帰結主義的な倫理. こと,差金決済といった売買仕法への問題性を. 観に立脚して議論を進めているという点であ. 抱いたことから,市場内倫理の適応範囲はエメ. る. ある行為が社会に貢献しているのかどうか,. リーよりも広くなっている.そして,投機は経. 他者の利益を損なうことがないかどうかでその. 済的社会的弊害を生起することから市場外倫理. 行為の善し悪しを評価する倫理観は ‘他人に迷. の設定を主張したのである.. 惑をかけるな’ という普遍的な倫理公準を含意 していることから,時代を超越して人々が最も. Ⅴ まとめ. 了解し合えるものである.エメリーもライアン. 本稿ではエメリーとライアンの,投機に対す. もこの基準に立って倫理的議論を展開したので. る倫理的言説の特徴と両者の主張の異同を試み. ある.. たのであるが,こうした考察の意義を次の 2 点. しかし,両者ともに帰結主義的な倫理観に立. から明らかにしたい.そのうえで,エメリーと. 脚する視点を持つにもかかわらず, エメリーは,. ライアンの議論で浮かび上がった論点を投機が. 投機は社会に対して機能的な貢献を果たしてい. 興隆する現代に投げ掛けてみたい.. るから倫理的批判は不当であると考え,ライア. 第 1 は,二人の考察がアメリカにおける経済. ンは有害な影響を与えるために倫理的に悪徳で. 倫理学(business ethics)の生成のうえで学問. あると考える.この点に両者の見解の分水嶺が. 的先駆性を持つという点である18).. ある.. タウシュによれば,経済倫理学がアメリカで. 二人の倫理的判断がこのように相異するの. 学問的に注目されるのは 1920 年代後半からで. は,投機行為に対する認識や理解が異なってい. は な い か と い う.タ ウ シュが,「数年前 か ら,. るからである.エメリーは,投機がリスク負担. ‘経済倫理学’ という興味深い社会経済現象が生. 機能,ヘッジ機能を果たすとともに,賭博とは. 起したのである」(Taeusch, 1932, p. 273)と述. 異なる経済行為であるとする認識がある.これ. べるように,この時期に,ハーマンス『経済の. に対して,ライアンは事業者が自身の投機的リ. 倫理学』(1926),リー『経済倫理学』(1926),.

(13) 「投機の倫理学」の検討(越田). (25). 25. タウシュ『専門性と経済倫理学』 (1926) ,ホブ. 1910, 513 頁)であり,「取引の實際は凡て差金. 19) ソン『経済と倫理』 (1929) など,経済倫理,. 賣買」(天野 , 1910, 525 頁)に他ならないから. 職業倫理に関する著作が相次いで公刊されたか. である.その弊害を天野は次のように述べる. 「而して其弊たるや之を大にしては國の生産力. らである. タウシュの見方が適切であるとすれば,エメ. 貯蓄力を消磨し,之を小にしては賭博に關係す. リーとライアンの論考は,当時はまだ学問的分. る人々を害するに止まらず.之か爲め投機奢侈. 野として未だ明確に注目されていなかった経済. の風自から社會の全般に及び未た賭博に關係せ. 倫理学の先駆的試みの 1 つとして評価すること. ざる幾多着實なる人民を誘惑して此弊風に感染. ができる20).エメリーが『日常倫理学』で言っ. せしむるの影響測り知るべからざる者あり」 (天. た「商取引の世界には道徳性が存在する」とい. 22) 野,1910, 525 頁) .. う言説は経済倫理の存立の可能性を主張したも. 天野にとっては,当時の日本は産業資本にお. のと解釈することができるからである.そして. ける資本蓄積や生産力の向上が課題であるの. これを前提に試みた投機の倫理的吟味は経済倫. に,それに不可欠な国民の貯蓄資金が投機的資. 理学の範疇に属する試みとして位置付けられる. 金として流用されているという経済政策上の問. であろう.ライアンの場合は,投機に限定せず,. 題意識が根底にある.それに投機の広まりによ. 独占企業の株式の過剰発行は非道徳的か,とい. る精勤や倹約といった美徳の毀損という倫理的. う追究のように,経済活動全般を倫理的視点で. 批判が重なっているのである.. 考察している.このことからライアンの業績も. これに対して,投機を賭博視する発想を批判. 経済倫理学 の 対象領域と重なっているのであ. し,倫理的批判を不適切であると主張したのは. る.. 田口卯吉である.田口は,米商會所での取引は. 本稿では,エメリーやライアンによる投機の. 空相場(空売り空買い)であり不實商(差金決. 倫理的考察を取り上げた限りだが, 実のところ,. 済)であり,それは賭博であるから世の美風を. 19 世紀末から 20 世紀初頭のアメリカでは,エ. 損なうとの世間の批判に対して,「素より,博. メリーやライアンの他にも経済行為の倫理的考. 奕と為さんと欲するの主意にあらずして全く商. 21). 察を行っていた論者は少なからず存在した .. 業上止むを得ざるの正理に基づくものなるに於. この事実を考えれば,アメリカにおける経済倫. いてや」と主張する.そのうえで,「只だ世に. 理学が,タウシュの言うように,1920 年代後. 米商會所の餘獘を目撃し併せて米商會所の本体. 半から生成したとしても,それはエメリーやラ. をも排斥するもの多し」と反批判を展開する(田. イアンなどによる,それ以前からの連綿とした. 口,1887).. 知的蓄積を土台にして成立したのである.. 田口にとって,投機は賭博の意図を持って行. 第 2 に,二人による投機の倫理的考察や問題. われてはいないのであり,商業上,結果として. 提起は地域や時代を超えた普遍的意義を持つ,. 類似してしまうだけのことに過ぎない.従っ. という点である.この点を天野為之と田口卯吉. て,取引所で投機を行う主体は,賭博への関与. 両氏による論争を事例に明らかにしてみたい.. を動機としているのではないから倫理的批判の. 明治期,投機 を 倫理的視点 か ら 痛烈 に 批判. 対象には該当しない,と言うのである.田口は. し た 代表的論客 が 天野為之 で あ る.天野 は 株. 倫理的判断の観点を帰結ではなく,もっぱら動. 式・商品取引所について, 「夫れ現時の取引所. 機や意図に求めていると言えよう.そして,帰. は是れ大賭博塲たりとは萬民の認むる所」 (天. 結の観点から,投機の倫理的評価を下すならば,. 野 , 1910, 512 頁)と主張する.その根拠として,. 「餘獘」でしかない賭博の要素ではなく,「本体」. 「賣買高の殆んど全部は賭博的空賣買」 (天野 ,. としての米商會所の機能に焦点を定めて行われ.

(14) 26. (26). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 1 号(2012 年 7 月). るべきであるとも主張しているのである.. や そ れ を 実現 す る 意志,(エ)投機者 の 性格,. 田口のこうした投機擁護論は 1900 年(明治. という 4 つの観点から行われていた.そのなか. 33 年)に天野為之が先述の批判を精力的に主. でも特に重要な観点は投機がもたらす帰結であ. 張した際にも変わることはない.田口は天野の. ろう.エメリーは投機はリスク負担やヘッジ. 投機批判を「経済論と云はんよりは寧ろ道徳論. など社会において有益な帰結をもたらすとして. と云ふべきもの」と規定したうえで, 「余輩近. 倫理的批判は不当であると主張した.ライアン. 日世の名士が経済上の問題を議するに当り,常. は投機は結果として様々な弊害をもたらすとし. に道徳問題を提出するを怪むものなり」と主張. て倫理的に批判した.このように,二人の投機. する.田口にとって, 「善を為せ悪を為すなか. に対する倫理的評価が根本的な点で相異するの. れ」や「品行を慎み信義を重んぜよ」といっ. は,投機が経済社会においていかなる帰結をも. た「道徳的訓言」は「経済上 の 救治策 と し て. たらすのか,その帰結をもたらすうえでどのよ. は 一箇 の 価値 な き こ と」に 過 ぎ な い(田口,. うな機能を果たしているのか,といった ‘事実. 1900a) .天野の投機批判はこの種に属するもの. 認識’ の違いに帰因する23).この論点の構図は. だというのである.こうした批判に加えて,田. 現代でも同じである.投機の経済的機能及びそ. 口は自分と天野の見方の違いを次のように総括. れがもたらす帰結をどのように認識し,理解す. する. 「天野為之氏の観察にては,取引所の売. るのかは投機の倫理的評価において決定的な契. 買は一種の賭博なり,余輩の観察にては取引所. 機なのである.. の売買は最も発達したる取引なり,天野氏は其. とりわけ,倫理的判断基準を投機行為の帰結. 實物を授受せざるの故を以て之を賭博なりと云. に求めるうえで,重要な論点の 1 つが投機の価. へり,余輩は其實物を授受せざるの故を以て,. 格安定機能の問題である.投機に価格安定機能. 之を最も発達したる取引なりと云へり」 (田口 ,. を認める学説はエメリーもこれを評価するよう. 1900b) .. に24),投機を是認する立場からは広く支持され. 以上,天野為之と田口卯吉の論争のポイント. ている.例えば,M. フリードマンは次のよう. を紹介したが,二人の主張はエメリーとライア. に述べる.. ンの議論のそれと重なることに注目したい.天. 「一般に,投機は安定をそこなうというより. 野為之が投機による奢侈の蔓延やそれによる弊. もむしろ安定に寄与しているように思われる.. 風の危険を指摘する問題意識は,ライアンが投. もっともこの結論を確信を持って立証しうるほ. 機は倹約心や勤勉の心を萎えさせると主張した. ど十分詳細に証拠を分析していないが.投機は. 議論を彷彿させる.田口卯吉が経済問題を倫理. 一般的に不安定化をもたらすものであると主張. の枠組の中で論じる設定それ自体を拒否する主. する人々は,その主張が投機業者は損をするも. 張は,エメリーが「機能という明かり」のもと. のだという主張とほぼ等しいことをほとんど認. で正当に評価される事象が道徳的見地から非難. 識していない.というのは,一般に投機が不安. されることを憂う思考と同じである.このよう. 定化要因となりうるのは,平均して投機業者が. に,エメリーとライアンの議論は投機を倫理的. 通貨の価格が低いときに売り,高いときに買う. に考察するうえで地域や時代を超えた普遍性を. 場合にかぎられるからである」(フリードマン,. 持つことから,現代の投機を論じる場合でも貴. 1977,訳 176 頁).. 重な手がかりとなると考える.. しかし,こうした認識や理解と対立する学説. 特に,2 人による投機の倫理的考察は, (ア). や見解もある.例えば,入江成雄は先物市場の. 投機の形式(投機行為そのもの) , (イ)投機が. 実態として,「いわゆる思わくが作用し,価格. もたらす帰結,(ウ)投機を行ううえでの動機. がさらに下落を続けると予想する人たちは商品.

(15) 「投機の倫理学」の検討(越田). を売り急ぐことになるから,価格下落は拍車を かけられる.価格上昇の場合でも同様のことが 言え,価格が上昇したからといって,供給量は 必ずしも増加するものではない.それ以上に価 格上昇が続くと予想する人たちは,供給をひか えることになり,価格上昇はいっそう激しいも のとなるであろう」 (入江,1978,9 頁)と述 べて,投機の価格安定機能を認識せず,これを 疑問視する. 投機を擁護する学説の多くは投機の価格安定 機能を論拠の 1 つにすえる.従って,投機を擁 護し,投機の倫理的批判を不適切とする立論は 入江のような主張に対して批判的言説を構築す る必要がある.では,どのように論を展開する のであろうか.このように,投機の倫理的評価 の問題とは,価格安定機能の認識や理解を初め として,投機の諸機能に関する認識や理解,評 価の問題が密接不可分に関わってくるのであ る.. 参考文献 American National Biography, Vol. 17, Oxford University Press, 1999 Angel, J. J. & McCabe, D. M., “The Ethics of Speculation”, Journal of Business Ethics, 2009, pp. 277─286 Aristoteles., Ethica Nicomachea, edited by I. Bywater, Oxford, 1894.高 田 三 郎 訳『ニ コ マコス倫理学』(上)岩波文庫 2007 年 9 月 Cowing, C. B., Populists, Plungers, and Progressives: A Social History of Stock and Commodity Speculation 1890─1936, Princeton University Press, 1965 Emery, H. C., Speculation on the Stock and Produce Exchanges of the United States, Studies in History, Economics and Public Law, edited by the Faculty of Political Science of Columbia University in the City of New York, Vol. 7, Number 2, 1896 Emery, H. C., “Speculation”, in Every-Day Ethics, New Haven, Connecticut, Yale University Press, 1910 Feeman, F. N., “The Ethics of Gambling”, International Journal of Ethics, Vol. 18, No. 1,. (27). 27. Oct., 1907, pp. 76─91 Friedman, M., Essays in Positive Economics, University of Chicago Press, 1953. 佐藤隆三, 長谷川啓之訳『実証的経済学 の 方法 と 展開』 富士書房 1977 年 4 月 Hume, J. F., Art of Investment, New York, D. Appleton and Company, 1888 Kant, I., Kritik der praktischen Vernunft, 1788.波 多 野精一,宮本和吉,篠田英雄訳『実践理性批 判』岩波文庫 2008 年 10 月 Mill, J. S., Utilitarianism, 1863.伊原吉之助訳『功 利主義論』世界 の 名著 中央公論社 1967 年 8 月 Meeker, J. E., The Work of the Stock Exchange, 1922, Reprint Edition, 1975, By Arno Press Inc. Pratt, S. S., The Work of Wall Street, New York, D. Appleton and Company, 1903, 1912, 1918, 1921 Ryan, J. A., “The Ethics of Speculation”, International Journal of Ethics, Vol. 12, No. 3, Apr., 1902, pp. 335─347 Ryan, J. A., “Is Stock Watering Immoral?”, International Journal of Ethics, Vol. 18, No. 2, Jan., 1908, pp. 151─167 Taeusch, C. F., “Business Ethics”, International Journal of Ethics, Vol. 42, No. 3, Apr., 1932, pp. 273─288 Weber, M., Die Protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus, 1920.大塚久雄訳『プ ロ テ スタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩 波文庫 2000 年 5 月 Weber, M., Max Weber: Ein Lebensbild, J. C. B. Mohr, 1926.大久保和郎訳『マックス・ウェー バー Ⅰ』みすず書房 1963 年 9 月 Woodlock, T., “The Ethics of Speculation”, in 1909 Investment Digest and 1929 Annual Stock Forecast, By William D. Gann, 1909, pp. 77─79 朝日新聞 2008 年 7 月 13 日朝刊 天野為之『経済策論』実業之日本社,明治 43 年 入江成雄『市場経済 と 商品価格』投資日報社版, 昭和 53 年 5 月 経済産業省『通商白書 2008 』平成 20 年 9 月 越田年彦「アメリカにおける投機・賭博差異論の 検討 1886─1922 年」 , 『経済学史研究』 ,2012 年1月 高橋弘『米国商品先物市場発展史』東洋経済新報 社,昭和 53 年 5 月 田口卯吉「米商會所論第二」 『東京經濟雑誌』第 17 號,明治 20 年 12 月 25 日 田口卯吉「取引所改革問題 第 1 」 『東京經濟雑誌』 第 1041 號,明治 33 年 8 月 4 日 田口卯吉「取引所改革問題 第 2 」 『東京經濟雑誌』 第 1042 號,明治 33 年 8 月 11 日 .

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