萩原朔太郎の詩における本文改訂の意味とその効果
一
、
﹁
愛
憐
詩篇
﹂について
( 住 l v 萩原朔太郎は大正五年に、﹃感情 ﹄ ﹁詩集のはじめに﹂において、 次のように語っている。 いちばんいい詩はいちばん若い時に作った詩でなければならな い、といふ西 洋人の言葉は 、絶針に うたがふことのできない事 責である。とりも直さず﹃いちばんいい﹄といふ 言葉は 、 詩 の 方では﹃いちばん感情に豊富な ﹄と い ふ 意 味 に 外 な ら な い か ら 。 朔太郎の代表作というと﹃月に吠える﹄や ﹃ 青 猫﹄が浮か ぶ が 、 一 番若い時に作った詩といえば 、 ﹃純情小曲集﹄の﹁愛憐詩篇 ﹂なの で あ る 。詩集の発表こそ 他の代表作が出た後、四番目であるが初出 という点では創作された当時既に世に出ている。よ く見ると 、創作 五 日 n u H ド 目 μ u m, ‘
4 7公
ノオトと初出と詩 集ではそれぞ れ変化があり 、 作者自 ら 一 番いいと 述べているはずの詩に書き変えが ある事 実 は 、 一 体なにを 示す も の なのか 。 荻原朔太郎 の 第 四 詩集﹃純情小曲集 ﹄ は、大正 一 四年八月に新潮 社から出版されている。これは ﹁ 愛 憐 詩 篇 ﹂ 一 八 編 と 、 ﹁ 郷土望景 詩 ﹂ 一O
編と いう二部構成による 詩集で 、前者は大正 二 年から 三 年 、 後者は大正 一O
年 か ら 一 五年に発表された作品からなる。成立期を 異 に す る 、 これらの詩 群には 互 い を 直接 に意識した 形跡はな い 。 ﹁ 愛 憐 詩 篇 ﹂ は朔太郎の最も若い頃 の 詩であ り 、感 傷的な作 風 で 青春の想いを う たいあげている。対して ﹁ 郷土望 景詩 ﹂ は故郷 、埼 玉県前橋市の風物を標題に過去を思い出す内容である 。 二 つ の 詩群 の共通性としては文語調であることと、 一 人称で描かれていること があげられる 。 また、﹃愛憐詩篇ノオト ﹄ には﹁愛憐 詩篇 ﹂の 一 ム ハ 作品と 、 ﹁ 郷土望景詩 ﹂の﹁ 公園の椅 子 ﹂ 一 作品の草稿があり、﹃純 η ︿ υ︽ 住 2 ) 情小曲集﹄における 二 つの詩群は同根から発せられたものとも 言わ れ て い る 。 し か し 、 一 編のみの草稿ではこれらが同じ源からの発想 とは 言 い き れ な い 。 こ の 論 で は特に﹁ 愛 憐詩篇﹂に 着 目 し 、そ れ ら の作品の制作時 、 発表時 、 詩集発表時においての変化について考察 してみようと思 う 。 まず、﹃純情小曲集 ﹄ にある﹁愛憐詩 篇 ﹂ は大正 一 四年に 詩集と し て 世 に 出 る 前 に 、 三 度は作者の目を通 っ て いる。詩を創作した 当 時に書かれたとみられる朔太郎の習作集 ﹃ 愛憐詩篇ノオト ﹄ 第 八 巻 、 第九巻には、前に述べたように詩集に入っている 一 八 作 品 中 、 二 ハ 作品 ま で の 草 稿が記されている 。 こ れ は 大正二年四月から翌 三 年 一 二 月にか け て の 作 で 、 ﹁ 愛憐詩篇 ﹂の詩 では最初の形になる 。なお 、 ここに記されていなかった詩には、 詩集での 題で﹁静物 ﹂ ( 初 出で は ﹁ 室 内 ﹂ ) と 、 ﹁ 再 舎 ﹂ ( ノ オ ト の 題で ﹁ 初 秋 ﹂ ) の 二 編 が あ る 。 二 度 目は、初出 の際である。一八編の詩は次にあげる雑誌におい て、発表されてい っ た 。 ﹃ 朱繁 ﹄ 大 正 二 年 五 月 ﹃ 創 作 ﹄ 大 正 二 年 八 月 大正二年九月
二
月
大正三年五月 六月 七月 大正三年五月 ﹃ 詩 歌 ﹄ ﹃ ア ラ ラ ギ ﹄ 大正 三 年 一O
月 一 一 編 そ し て 三 度目 、制 作 ・ 発表から十数年を経て詩集﹃純情小曲集﹄ 出版となる。こ の 二度にわたる発表と 習 作集とでは 、 それぞれが多 少な り とも変化してお り 、 作 者は習作集から雑誌発表 、 詩集 出 版 へ と幾度 か 、 書き変 えをした 事 実 が み え る 。 そ の中には 、 い く つ か の 共通した 事項に基づく 変化が あ る 。二
、
観念の否定と﹁私
﹂
﹁
自
分
﹂表現減少
六編 三 編 一 一 編 一 一 編 一 一 繍 三 編 一 一 編 一 編 ﹃愛憐詩篇ノオト﹄と初出の発表 、 または﹃純情小曲集 ﹄ の 詩 の 表現を比較してみると 、 書き変えには共通した動きを 読 みとること ができる。それらは詩の中に登場する ﹁ 私 ﹂ や ﹁ 自分﹂という表現 の否定から発している。 ( 注 3 )H
﹁ 初 夏景物 ﹂ ︹ 以後、標題 にはノオ トでの題名を あ げ 、 題 の 書 き変えがあ っ た 時 は丸括弧内に変化し た 題 を 示 す 。 ︺( 小曲 集 ﹁ 初夏 ︽ 注 4 V の印象 ﹂ )では 一 二 行自に 二 度 の 書 き変えがなされている。 我れひと、三しんにあき らかに交 歓 な す 、 ( ノ オ ト ) われひと¥あきらかにしんに交歓す。(初出) ひとびとのかげをしんにあきらかに 映像す 。 ( 小 曲 集 ) ノ オ 卜と初出 に は 、 ﹁ 我れ ﹂や ﹁ わ れ ﹂ が表されてい る が 、小曲 集になると 主語は﹁ ひとびと の か げ ﹂ に 変 っ て い る 。詩の内容と し て も 、 ﹁ 我れひとと交歓する﹂と、 ﹁ひとび と のかげを映像する ﹂ と で は 意味が大きく異なる。まず、﹁われひと と ﹂ という 表 現 で は3
4
一﹁ 我 ﹂ と そ の 他 の﹁ひと﹂がイメ ー ジできる。この後に﹁交歓なす﹂ と続くのだから、﹁ひと ﹂ は﹁我﹂の相手という立場にな り 、 ﹁ 我 ﹂ は一人き り で居るのではなく、人との交わりを持つ動きが想像でき る 。 ﹁ 交 歓 ﹂とは 、たがいにうちとけ楽しみあうと いう意味をもっ ている。つまり、こ の 最 後 の 一 文 でそれまでの部分に﹁我 ﹂という 前向きな存在がいたことになるのだ。しかし、これが﹁ひとびと の かげ﹂であったなら動いているものは、第 三 者 同 志であることにな る。しかも、﹁映像す ﹂ という結びでは、それまでの描写も全てち がうイメージになり 、 六行自のせっかくの ﹁ わが手﹂にも﹁我﹂は 前向きに存在せず 、 冷静にこの風景を眺めている存在となる。詩の 視点も 一人称から三人 称へと変ってしまう。 同 ﹁ 地 上 ﹂ ノオトと初出の四行目より八行目までは小曲集において、削除さ れ て い る 。 われは友を呼び 友は遠き静物をよぷ りんりんと光る空気に ものみなは音なくめざめ わが行くところに鋭く透銀す この部分を失うことにより、この詩から ﹁ 友﹂という存在が 事実 上 、 消 さ れ る 。 二 、 三 行自にあるように地上の愛するものの伸長す る様子も、﹁めざめ﹂を省いて ﹁ な ζ み ﹂ ( 一
O
行目)からの表現と な る 。 一 三 行目の 一 文 、 輝ゃく 上 し も 輝 く な ん ( 注 S ) 愛 物どものう へ に わ が 手 を伸べんとす これにある ﹁ わが手 を伸べる ﹂ 行為も 、 削除部分が現存すれば ﹁ わ れは友を呼 び ﹂ ﹁ 友は遠き静物をよぶ ﹂、 そ し て 我 は 、 ﹁わが手を伸 べる﹂のよ うに共同 作業的意味合い を含 むのだが、削除され た こ こ で は 、 ﹁ わ れ ﹂ 一 人の動きとうけとられる。 ま た 、 二 ハ 行 目 には次のような変化がある。 ( 削 除 ) ( 削 除 ) も の 、 ( 読 点 ) みよそこはかとしんしんと愛する者は伸長し ノオトでは ﹁ 者 ﹂ という表現で あるのに 、初出では ﹁も の ﹂ に 変 っ て い る 。これにより 、 ﹁ 者 ﹂という漢字が請け負う﹁人 ﹂ の存在 は ﹁もの﹂という暖昧な存在となる。 ﹁ わ れ ﹂ 以外の同格 の立場は完全 に見あた らなくなり 、そ の詩において ﹁ われ﹂の持つ絶対的存在は 他にな くなるのである。 日 ﹁ 涙 ﹂ この詩もノオトと初出にはある の だ が 、小曲集では 最後の二 行 、 次の文が削除されている。 ( 初出) たれかはあだに思ふべき。
( 句 点 ) な る な ら やんごとなくも流れしは我の我らの涙されめや この削除部分は前に述べられた ﹁ 自 分 の 一 涙 ﹂ という詩の内容を重 内 ペ υ複、補強している。 ﹁ 涙﹂という詩は 、削 除部分に至るまでに ﹁ 我 ﹂ とう表現を四度使用している、もともとがかなり主観的な作風 の 詩 で あ る 。 ゆ え に ﹁我 の 我 ら の 一 涙 ﹂ ( 初 出 では﹁我の我なる 一 涙 ﹂ ) に 見 られるように 、 ﹁ 自 分 ﹂ に関する表現を減らす目的か ら削除はなさ れ た 。 同﹁涙 L
i
(
削除) 心 一 悲 一 、(読点 );:
i
さはさりながらこの固またこころ 一 哀 一し く 四行目の ﹁ こ こ ろ 夏 し く﹂(ノオト)が初出 では﹁ここ ろ 悲 し く ﹂ に書き変えられている。 ︹ 説 明 は 肘 で 行 う 。 ︺ 回無題(小曲集﹁金魚﹂) 六 行目の ﹁ 我 の哀しさ﹂(/ オ ト ) は 後 に 、 ﹁ 我の悲しさ ﹂ ( 小曲 集)に変っている。 さ く り の 花 は 咲i
さ き (i
淵t
て 小 守ほ 曲 品こ 集 車ろ )i
な ベ ど も す 、ι aJJ 企 ロ ー ﹄f
かくばかり嘆きの淵に身を投げすて 初 出 と 小 曲 集 は 、 こ こ で 改 行 、 六 行 目 と あ わ せ る 。 ド F A O ゴ ヅ , たる我の哀しさ ︹ 説 明は 的 で 行 う 。 ︺ 肘﹁ さ くら ﹂ ( 小曲集﹁楼 ﹂ ) こ の詩も側の コ 涙 ﹂ 、 国の﹁金魚﹂と同じ漢字の変 化が九 行自に 見られる。﹁哀しき﹂(ノオト)から﹁悲しき﹂(小曲集)へ。 い と ほ し ゃ あ い しな ま も が 春 ち の に 日 哀i
悲 の し ( ま き 小 ひ も 曲 る の 集 と ど を ) き ( み 初 つ 出 め ) fこ る 我 初 出 と 小 曲 集 で は 、 九 行 目 に 続 け て 書 く 。 あらぬを ﹁ 哀しい ﹂と いう言葉は ﹁ 悲しい ﹂ と同じく 、 カ ナ シイと読む が 意味としては趣がちがう。 ﹁ 哀 ﹂ には次 の ような意味があ る 。 哀 ① あ わ れ む 。 聞かわいそうに思う。不慨に思う。いたむ。 伺いつく しむ ( 愛 ) 。 情 をかけ る 。 ②あわれ。あ わ れ み。いたましい感じ。 ③かなしい。かなしむ。かなしみ。 ﹁ 悲 ﹂ では次 の 通 り で あ る 。 悲 ① か な し い 。 せつない 。 ② か な し む 。 肘なげきいたむ。 n h u同 慕 い い た む 。 ③ か な し み 。 ﹁ 悲 ﹂ はその音のとおりかなしいという意味だが、 ﹁ 哀 ﹂ の文字 ではかなしいというよりもあわれむ内容の意味が濃い。﹁あわれむ﹂ とはかわいそうに思ったり、同情する事なので、 ﹁ かなしい ﹂ に 比 べてより自己的な 言 葉 に な る 。 つ ま り 、 ﹁ 哀しい ﹂ という言葉を用 いていた時には ﹁ 自 分﹂という存在がより詩の中に意識されていた と 言 える。たった 一 字のちがいだが 、あわれむ趣向の強い文 字 = 反 ﹂ が ﹁ 悲 ﹂ に意識的に置き換えられているのだ。このように 、 三 編 の 詩においてもノ オト、初出、そして小曲集へと﹁自分 ﹂ ﹁ 私 ﹂ に 関 する表現が減少してきている事実がわかる。 朔太郎は ﹁ 詩 とは何ぞや ﹂ を論理的にあきらかにする為に、 ﹃ 詩 の 原 理 ﹄ という詩論を出している。この論は ﹁ 詩 ﹂ というものを、 人々に説明する目的において書かれたもので 、 私的な見解を述べた 論ではなく、朔太郎において公的と見なした内容で説明されている。 普通に 刊行されている詩 書の如く 、軍に韻律 音譜の註であった り 、 名詩の解説的 批判であったり、初筆者 の 入 門的 手引であっ たり、或は濁断的詩論の主張であったりするものとは、全然内 ( 注 6 ﹀ 容 が 異 っ て ゐ る 。 内容としては 、 次のように示している。 自分は この書物に於て、次に関する根本の問題を解明した 。 即 ち詩的精神とは何であるか、文撃のどこに詩が所在するか、詩 の表現に於ける根本の原理は何であるか、詩と他の文曲目子との関 係はどうであるか、そもそも詩と 言 はれる概念の本質は何であ る か 1 l l これらは、いずれも﹃詩の原理﹄序文より引用したものである。 この﹃詩の原理﹄は昭和 三 年に第一書房から刊行されており、朔 太郎はこの論を仕上げるのに ﹁ 約 一
0
年聞を要した。﹂と記してい る。昭和 三 年から 一O
年遡ると、大正七年になる。その聞に発表さ れ た 詩 集 と し て は 、 一 年繰り上がるが大正六年の﹃月に吠える﹄、 大 正 一 二 年 の ﹃ 青 猫 ﹄ ﹃ 蝶を夢む ﹄、そして大正 一 四 年 の ﹃純情小曲 集 ﹄ と な る 。 実 際 に 序 文 に も 、 この思想をまとめる篤には、それよりもずっと永い問、殆ど約 十年間を要した。健脳な讃者の中には、ずっと昔、自分と室生 犀星等が結束した詩の雑誌﹁感情 ﹂ の橡告に於て、本書の近刊 虞告が出てゐたことを知ってるだらう。 と あ る 。 ﹁ 感情﹂は大正五年六月から八年 一 一 月まで出されていた 雑誌である。また、大正 一O
年 三 月には、前橋在住の詩人歌人たち と﹁文芸座談会 ﹂ を設 け 、八月まで 一 五回にわたって主に ﹁ 詩の原 理﹂について語っていたという事実もある。朔太郎は前にあげた四 つの詩集を手掛けながらも常に、﹁詩とは 何ぞや ﹂という疑問につ いて考えていた事がわかる。 ﹃詩の原理﹄内容論によると 、芸術には ﹁ 自 我 ﹂ す な わ ち 温熱 の 感である主観的態度と ﹁ 非我﹂冷たくよそよそしい感の客観的態度3
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の芸術がある。ここでいる温 熱 の 感 と は 、 自らの感情(意志を含め て)の事で、主観的態度は感情的態度と 言 い換えることができる 。 ま た 、 朔太郎は 整術上の主観主義とは 、 感情や意志を強調 する態度を 言 ひ 、 客 観主義とは情意を排し 、 冷静な知的の態度によって 、 世界を無 関心に観照する態度を言ふ。 このように定義づけた上で、 ﹁ 詩は音楽と同じやうに情熱的で、熱 風的な主翻献を高調する﹂文学だと述べている。すなわち、詩は情熱 的で、熱風的な感情や意志をうたったものと き P え る の で あ る 。 ﹁ 愛 憐詩篇 ﹂ (特に﹃愛憐詩篇ノオト﹄における)にある詩は 、 自 ら の 感情をのびのびとうたった詩が多い。自分の感情や意志を素直にう たいあげるこの行 為は 、前述によると 主観 的行為にあた り 、 そ れ は 朔太郎自身が位置づけた詩の代表的要素と 一 致 す る 。 ﹃詩の原理 ﹄ 内 容 論 、 一 、 二 、 三 章 における論の主張はここでは詩と非常に う ま く対応して見られる。 では、主観派の文 学世界と客観派のそれとではどうちがうのか。 客観派からみ てみると、彼 らの文学世界において人生は 一 つの実在 ﹁ あるもの ﹂ である。自然人生 の実相 を 見 、 真 実を観照し、存在 の 本質を把握することに客観派文学世界 の 意 義はあると見なす 。つま り、実際の ﹁ あるがままの世界 ﹂ に対してあるがままの観察を行 う のである。自分本位の感情 を 意 識 せ ず 、 自分が冷 静だと判断 するあ る所の地点、現実からまわりの世界を見て 意 義や価値を理解しよ う と す る 。 ー""""""1 対して、主観派文学の世界は人 生 は ﹁ あ る も の ﹂ ではな く 、 ﹁ あ るべきもの﹂でなくてはならない。現 実 の 世 界 は 、 悪や虚偽にみた さ れ た 不 満 だ ら け の 世界 で ある 。 本 当 の 人生は決 し て こ の よ う な醜 いものではなく、それらを超越し た ﹁ 観念の世界 ﹂ に あ る と 信 ず る 、 それが主 観派の考 えである 。 こ の ﹁ 観念 ﹂ と は 芸術上 、 ど れ ほ ど重 要な要 素 か 、 朔太 郎は次 の よ う に 言 っ て い る 。 套術は そ れ の 理念に向 っ て、呼 び求め る所の祈稀 であり 、或は こ の 不 満 な る 現貧苦から脱れる ための 、悲痛 な情熱の絶叫であ る。それは何等﹁認識のため ﹂ の 表 現でな く 、 情意の 燃 焼する ﹁ 意 欲 の た め ﹂ の 萎 術 で あ る 。 ( 引 用 文中の そ れとは 、 ﹁ あ る べ きもの ﹂ を 指 している 。 ) 祈祷 と は 、 正しく﹁あるべきもの ﹂ の 世 界を求める 声 で あ る 。 ここまで、観 念 や祈祷が感情 の表現と深 い関わりが あ る 事 を示 し て き た 。 しかし、ここで 一 つ の 疑 問 が 浮 か ぶ 。 ﹁ 月 光 と 海 月 ﹂( 初出 ﹁ 月光と祈掃 ﹂ ) の 祈 祷 部 分 、 二 ニ 行目から 一 七行目までは小曲 集 に おいて削除されているのだ 。 これは何故 だろ う か 。 ( 一 三 行目の 点線 のみ初出で 削除 ) ﹃ 、 マリヤよ 聴 き 、 はやはやわが信願をき﹀届け ハ ロ
ひ す ゐ 、 ﹄ 姦翠のくらげを輿へしめてよ 大正六年五月に﹃文章世界﹄第一 二巻第五号に発表された朔太郎 の詩論﹁三木露風一派の詩を放追せよ﹂に注目したい。 この論で朔太郎は、三木露風一派が新しく起こした象徴詩に強い 批判を浴びせている。以下、引用すると長くなるので要約して述、へ る。三木露風一派は観念風の象徴詩を創造した。その詩の特長は哲 学らしいものや、思想らしいものを詩中にとりこむ点である。しか し、この特長は 一 時もののこまかしにすぎず、本当は詩の中に何も の か が 、 ﹁ あるらしく見えた ﹂ と表現すべきである。 三 木氏らはこ れら ﹁ ら しきもの﹂の影を実在するかのように見せるため、無理に 語法を転倒したり、わざと内容を不鮮明にしたり、感情を正直に宣 叙することを避けたりして、極めて暖昧不得要領に中途半端な物の 言い万をする工夫をし、それを象徴とした。また表現は不自然で窮 屈で少しも自由なリズムが 出ない。そ の上に例の﹁ごまかし ﹂ が正 直な感情を抑制しているために、まるでどこにも人をひきつけるよ うな強い力が流れていないものとなる。 このように詩の中に観念や象徴などの﹁ごまかし ﹂ を入れて、さ も何かの真実を知っているようにうたう知ったかぶり作風を朔太郎 は否定した。詩をつくるとは正直な感情を重んじることとし、自ら を室生犀星と共に ﹁ 感情中心 主 義﹂であると公言した。取って付け たような ﹁ 観念 ﹂ や﹁象徴﹂を入れるより、感情を純粋にうたった 方がよいと言うのだ。また、詩で人をひきつける強い力は正直な感 情の表現であるといってやまないのは、この詩論を発表した同年に 朔太郎の代表作﹃月に吠える﹄を出し、文壇でかなりの評価を得た その自信からだと見る。これから、経過を追ってみると次の様に三 度の変化が見られる。
O
大正 二 、 三 年﹁月光と海月 ﹂ をノオトに作成。この時は純粋 に主観的態度で詩作を行う。ゆえに ﹁ 観念の世界 ﹂ を 求 め 、 祈 祷 を 尊 ぶ 。O
大正六年 三 一木露風一派の詩を放追せよ ﹂ を発表。当時あま りの観念を第 一 とする観念主義にあてられ、観念を主張する ことに否定を感じる。O
大正一四年詩集小曲集を発表する際、あからさまな観念をし めす部分、祈祷を削除する。 ﹃詩の原理﹄では 、正しくあるべき世界は﹁観念の世界 ﹂にある と定義づけていたが、作者も論の序文で述べていたようにあくまで 公的な詩論として作成したのであるから、その内容と 一 致しない作 風で詩が発表されても格別おかしなものではない。むしろ、そのよ うな変化こそが自然な場合もある。観念の否定に基づいて、それを 求める祈穏という考え自体を消してしまおうとした動きも矛盾とは 言 い き れ な い 。 次のような事も述べられている。 イ デ ヤ 主観とは﹁観念﹂であって、自我の情 意が欲求する最高のも エ ゴ の、それのみが異質である所の 、員 の規範されたる 自我 で あ ハ 同 dる。故に ﹁ 主観を高調する ﹂ とは、自己の理想や主義やを掲 イ デ ヤ げて観念を強く主張することであり イ デ ヤ ヱ 主観は ﹁ 観 念 ﹂ で あ り 、 自我 で あ る 。 ﹁ エ ゴ ﹂ とはもともと、ラテン語で 一 人称単数の人称代名詞のこ とだが、ここでの意味としては 二 つ 考 え ら れ る 。 エ ゴ ①認識、意欲 、 行動なとの主体として、 他 と 区 別 さ れ る 自 分 。 自 己 。 自 我 。 ②自分本位の考え方や態度。 ま た ﹁ 自 我 ﹂ (じが)でも調べてみると 自我①自分。自分自身。 ②哲学 で、対象の世界と区別された認識、行為の主体であり、 しかも体験内容が変化しても同 一 性を持続して、作用、反 応、体験、思考、意欲の働きをする意識の統 一 体。我(わ れ ) 。 ェ ゴ 。 ③自分に対する意識。主に肉体と切り離して心理的、精神的 な意味で用いられ、精神分析では、人間の行動を現実に適 応させるものと規定している。 このような意味となり、﹁ 自 我 ﹂ とはつまり、 ﹁ 自分 ﹂ や ﹁ 自己 ﹂ をさす 言 葉 と み な す 。 ﹁ 三 木露風 一 派の詩を放追せよ ﹂ の論で 、 観 念主義 、観 念を否定した行為は、この 一 文にみられるように朔太郎 においては ﹁ 自分﹂という表現の否定へとつながるのである。そう すると前述したノオ卜、初出、小曲集の 書 き変えに、なぜ ﹁私 ﹂ ﹁ 自分 ﹂ という 表 現が減 っ て い っ たかは、明らかにな っ て く る 。
三
、表面上の
書き変え
、
字面の意識
ノオト、初出、小曲集の書き変えを比較すると、句読点や漢字を ひらがなに変えるなどの単調な変化が多く見られる。例えば 、漢 字 をひらがなに書き変えてある場合 。 ﹁ こ﹀ろ﹂(小曲集﹁こころ ﹂ ) 何に←なに、 ← な に に ( 二 行目) 歩 む ← あ ゆ む ( 八 ) 悲 し ← か な し ( 一O
)
淋しき ← さ び し き ( 一 四 ) ﹁ 女 よ ﹂ 彩 ら れ ← い ろ ど ら れ ( 二 ) 白粉 ← お し ろ い ( 三 ) 勿 れ ← な か れ ( 六 、 八 、 一 一 ) 指先 ← ゆ び さ き ( 七 ) 機ぐる ←く す ぐ る ( 八 ) 近 く ← ち か く ( 一 一 ) 我 が ← わ が ( 一 一 ) 故 に ← ゆ ゑ に ( 一 四 ) 悲し ← か な し ( 一 五 ) 逆にひらがなを漢字に変えてある場合 。 ﹁ みちゆき ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 夜汽車 ﹂ ) -40一ありあけ←ありやけ←有明( 二 ) し ら み ← 白 み ( 四 ) す ぎ ず ← 過 ぎ ず ( 一 二 ) ﹁ こ﹀ろ ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ こ こ ろ ﹂ ) 物 い ふ ← 物 言 ふ ( 一 三 ) ﹁ さ く ら ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 楼 ﹂ ) あ そ ぶ ← 遊 ぶ ( = 一 ) これらのような変化は ﹁ 愛憐詩篇 ﹂ 全一八編のうち、初出 ﹁ 室 内 ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 静物 L) の 一 一編を除いて全ての詩に見ることができる 。漢 字をひらがなになおすことにより、その 言 葉の持つイメージは幾通 りかに拡がる。﹁さびしき﹂は、﹁寂しき﹂にも﹁淋しき﹂にもとれ る 。 ﹁ あを﹂は﹁青﹂と﹁蒼﹂のように、﹁おもい﹂は﹁思い﹂や ﹁ 想 い ﹂ に 。 ﹁ ひ と り ﹂は﹁ 一 人 L でも﹁ 独り ﹂でもよ い 。詩の 世界 は作者だけでなく、受け手である読者の感性によってもつくられる の で あ る 。 また、中にはノオトと小曲集との表記が同じで、初出のみが異な る書き方になっている場合がある。 ﹁ み ち ゆ き ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 夜 汽 車 ﹂ ) 咲きて←さきて←咲きて( 一 八 ) ﹁ こ 、 ろ ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ こ こ ろ ﹂ ) 夕闇←夕やみ←夕闇(六) 無題(小曲集 ﹁ 金 魚 ﹂ ) すて←捨て←すて ( 五 ) ノオトでの表記を初出発表時に書き変え、さらに小曲集発表の時に 初出の作品をもとに改稿した結果とも 言える。しかし 、一四編もの 詩から、同じ形式の変化が読みとられることより、小曲集の書き変 えは初出ではなく、ノオトをもとに行われたのではないだろうか。 句読点の変化についても同じように説明できる 。 ここで言う句読 点とは、各行の最後に多用されたもので、ノオトには存在せず初出 になって初めて現れ、小曲集では殆どがはずされているという特殊 な変化が見られる部分である。例として﹁花鳥﹂より、二行目から 七行目までを初出における形であげてみる。 花鳥の日はきたり、 日 は め ぐ り ゆ き 、 都に木の芽ついばめり。 わが心のみ光りいで、 み を しづかに水脈をかきわけで、 いまぞ岸べに魚を釣る。 ここで見る読点は小曲集によると、一つも見あたらない 。 これらは 小曲集発表の際にノオトの原稿をもとに書き変えがあったのか 。ま たは初出を発表した雑誌社での編集、印刷段階において、作者以外 の者の手が加えられたか、いずれかであろう。その際の真実は明ら かではない。しかし、詩人が手を加えられた状態で発表を続けてい くとも考えられない。詩は特に文字 一 つ一つの意味が大きく、それ だけに作者も慎重に考えているはずである。全一八編中、句読点の 変化が見られるのは次の九編で、発表した雑誌は﹃創作﹄に七編、
4
1
﹃ 詩 歌 ﹄ に 一 一 編 、 ﹃ ア ラ ラ ギ ﹄ に 一 編とわかれている。(変化がない 詩は﹃創作﹄に他 三 編 、 ﹃ 朱 繁 ﹄ に 六 編 あ る 。 ) 題 名 は / オ ト に よ る 。 ﹁ 月 光 と海月 ﹂、 ﹁ 一 課 ﹂ 、 ﹁ あ り ぢ ご く ﹂、無題(初出﹁き の ふ け ふ ﹂ ) 、 ﹁ 地 上 ﹂ 、 ﹁ 花 鳥 ﹂ 、 ﹁ 春 日 ﹂ 、 ﹁ 初 夏 景 物 ﹂、 ﹁初秋﹂以上九編 発表した月 日 は 、大 正二年八 月 から三年 一
O
月。その聞に変化 の な かった詩も発表されており 、時間的な統 一 はなされ ていない 。 ﹃ 創 作 ﹄ をとり あげてみる と、大正 二 年の八月に﹁ありぢごく﹂を発表 。 九月に変化 の な か っ た 一 一 編 発 表 ( ﹁ 緑 蔭 ﹂ ) 。 一 一月にも変化 の な い 詩を発表( ﹁ 漬溢 ﹂ ) 。 大 正 三 年五月に ﹁ 春 日 ﹂ 、六月に ﹁ 初 夏 景 物 ﹂ ﹁ 地 上 ﹂ ﹁ 花 鳥 ﹂ を 発表。七 月 に変化のない 一 一 編 発 表 ( ﹁ 室 内 ﹂ ) 。 こ のように変化の有無は 、 互い違いになってい る 。もしも、編集者な ど の 手 が 加わ っ た場合、同じ出版社で同期間に統 一 された表 記 で 出 されていないのは不自然である。また、もう 一 つの可能性として印 刷所で手が加え ら れ た事も考え られる。同 じ出版社だからとい っ て 一 つの印刷所に全ての仕事を任せるとは限らない。しかし、その場 合句読点の変 化 は 有りうる としても 語句まで が印刷上の作 業で変わ るだろう か 。 そ れ は考えられない事 で、小 曲集がノオトと似た形と な る のは事実から見ても 、 作者の手によるものであろう 。朔太郎が 句読点を多用し、発表したのは 、 視覚か らく る イ メ ー ジの実験のた めと私は判断する 。 踊 字 に つ い て は 、 ノ オトや初出に用い ら れている 。 それが小曲 集 では同字の反復により表記されてお り 、踊 字は存在 しない 。 ﹁ み ち ゆ き ﹂( 小曲集 ﹁ 夜汽車 ﹂ ) 『 司 司 可 女 ご ﹀ ろ←女 ごころ ( 一 四 ) し の﹀め← し ののめ(一ムハ) 他の詩にも多く見られるが 、 例外 として次の三箇 所のみが初出 に お い て 略さない形に 書き変えら れ て い る 。 ﹁ 緑 蔭 ﹂ ち ﹀ ←ち ち ( 初出 ) ( 三 ) ﹁月光 と海月﹂( 初出 ﹁ 月 光 と 祈 祷 ﹂ ) ふるへつ﹀←ふるへつつ( 一 九 ) ﹁ 春日﹂( 小曲集 ﹁ 洋 銀 の 皿 ﹂ ) さ﹀くれて← さ さ くれて(四) こ のように統 一 された 変化は、どのような判断で実行されたので あろうか 。朔太郎 は大正六年 一 二 月 に ﹃ 詩歌 ﹄第 七巻 第 一 一 一 号 に お い て ﹁ 言 葉 の 問 題 ﹂ と い う詩論を発表 している 。それによると 、現 在新らしい 詩壇に よ っ て 試 み られて い る 表現は四 つ あ り 、 一 つ め に 観念派 の 表 現 、 二 つめには支那語 ( 漢 語 ) による韻の利用があげら れ る 。次に 三 つ めとして、支那 語又 は外来語としての漢 字を か り 、 ある種の複雑な観念 を 表現する方法。朔太郎の考えによると 、 漢 字は 、 そ の 象形 文字としての視覚の上から 、 詩の讃者に 射 し て 特 別な趣味 と観念とを 働きかける 能 率 を も っ て ゐ る 。 と あり 、朔 太郎自 身はこ の方法に反対だ と 言 っ て い る。そし て 、四 つめの方法に観念によって日本 語を取り 扱 わ な い 、 日本語の独立性 を尊重する 表現 をあげている 。この表現によ る 詩形は 、朔 太 郎 が 当 時起こしていた方法である 。言葉を調子から分 離して 直接 リ ズ ム に -写して 行 くことにより 、 ﹁ 耳で讃む詩 ﹂ を作ろうとするものだ。そ のポイントは 、 出 来得るだけ日本語から支那語や そ の他の外来語 を 騒 逐 す る 。 出来るだけ漢字を排斥する。(私の詩はできるだけ平偲名を使っ てゐる)何故ならば漢字は日本 語のもつ音 楽とそ の 特別な リ ズ ムの純性を破壊する危険をもってゐる か らである 。 と述べられている 。 これにより、朔太郎が詩の中の漢字をひらがな になおしていく変化ゃ、外来語をそのまま取り入れない点の説明は つ く 。 ﹁ 愛憐詩篇﹂に見られる外来語は、次の箇所である。 ﹁ みちゆき ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 夜汽車 ﹂ ) ニ ス ← に す ( 小 曲 集 ) ( 八 ) ﹁ 女 よ ﹂ ゴ ム ← ご む ( 五 ) ﹁ 緑 蔭 ﹂ せ り い ← せ り い ( 小 曲 集 ) ( 一 二 ) ち﹀←ちち(初出)←ちち(小曲集)( 三 ) えにしだ ← えにしだ(小曲集)(四) さ ぶ ら ん さふらん ← 泊夫藍(初出) ← さふらん(小曲集)(七) ゑねちゃ ← ゑねちゃ(小曲集)(九) かあにばる←かあにばる(小曲集)(九 ) ( 住 7 ﹀ ( び い ど ろ : ← び い ど ろ ) ( 一 一 二 ) ﹁ 初秋﹂(初出﹁再舎 ﹂) ﹃ O 号 ← ふほをく(小曲集)(四) -43 朔太郎は外来 語 に対し、徹底した ひらがな表記 を心掛 け て 書 き変 え を し て い る 。 当 時、外来語は生活に溢れ 、 詩歌中にも頻繁 に 用 い られているが、その表現は作者によ っ て 様 々 で ある 。朔 太郎に多少 なりとも影響を与えたと恩われる白秋や杢太郎の詩を 見 て み よ う 。 ( 注 8 ) 北原 白秋 ﹁ 邪 宗 門秘曲 ﹂ よ り 二 行目 か ら 五 行 目 。 ま っ せ じ ρ し ? 一 っ き り し た ん ま は ふ われは思ふ、末世の邪 宗 、 切支丹でうすの魔法。 ︿ ろ ふ ね か ひ た ん こうまう ふ か し ぎ こ ︿ 黒船の加比丹を、紅毛の不可思 議闘 を 、 い ろ あ か に ほ ひ と 色赤きびいどろを、匂鋭きあんじゃべいいる、 信んはん さ ん と め じま あ 勺 き ちん た 南蜜の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍舵の酒を 。 ( 注 9 ) 木下杢太郎 ﹁ 金粉 酒 ﹂ よ り 二 行 目 か ら 六 行 目 。 オ オ ド ヰ イ ド ダ ン チ ッ ク 同 州 立 ﹄ 仏 冊 ︿ H 冊 門 山 由 口 四 三 N 5 r e こ が ね う さ け 黄 金浮く酒 ごぐ わ っ ご ぐ わ っ リ ケ エルグラス お お 、 五 月 、五月、小酒蓋、 ア ス テ ヱンドグラス わが酒舗の 彩 色 波 璃 、 まち あ め む り さき 街にふる雨 の 紫 。 え れ き ぴ ろ う ど 白秋は他に ﹁ 越 歴 機 ﹂ ﹁ 天 鶴繊 ﹂ など外来語に漢 字を当ては め 、 フリ ウ ト ひらがなの読みをつけて表記している。杢太郎も﹁竪笛 ﹂ など漢字 を当てて、それにカタカナの 読みをふって 書いて あ る 。杢太郎は ま た、外来語をそ の ままの原語で作 品中に用 いる表現も 行って い る 。 聞き慣れない 外来語を作品に用いる時、その言葉に適した漢 字 を当 て は め る と 、 言 葉 の 内容は くみとり易い。しかし 、 詩に用いる 言 葉 としては随分 異質の 存 在 と な り 、 詩論 ﹁ 言 葉の問題 ﹂にあ っ た第 三 の 表 現のよ う に 、あらぬ観 念 をも働 きかけて しま う。朔太郎はその
点において、十分に考慮している。外からやって来た言葉を作品に 用いるには、まず自らの感覚にひき入れ、自分の詩に適した形に調 整してから使用する。この理由として、詩論第四の表現に﹁日本語 の独立性の尊重 ﹂ をあげているが、それだけとは考えられない。作 品を見てもわかるのだが、朔太郎は字面にも注意して書き変えをし ている。﹃詩の原理﹄には、絵画を見るような客観的観照は小説に 類する芸術であって、詩に類するものではないと主張しており、ま ( 注 叩 ) た大正六年 二 月に ﹁ 護費新聞﹂に出た詩論﹁叙事詩的傾向の詩を 排す ﹂では 、古代の叙事詩や河口情詩に生命感や意義を感じられない のは、言葉を外観的に美しく飾り立てたことにあると批判している。 このような意見から見ると、 一 言 葉の外観を気にすることに反対の立 場である。だが、実際に朔太郎の詩を言葉の美術として眺めてみる と、ノオトよりも初出や小曲集の方が整って見える。第四の表現に あげられていたように、漢字からひらがなへの書き変えは意図どお り行われているが、逆のひらがなから漢字への書き変えも詩の中に は見られるのである。それは、ひらがなが多く用いられているとこ ろに効果的に存在する。読者がひらがなの多さに気付く前に、さり げなく漢字を含めてあるのだ。例として﹁さくら﹂(小曲集﹁楼 ﹂ ) より二行目から四行目をあげておく。 一 し た 一 楼の 一 下一に人あまたつどひ居ぬ
i
前
除同
を て あ そ んJむ 一 み 一 われも楼の木の下に立ちて 一 見 一 た れ ど も オ ン また、踊字の室田き変えや、外来語の使用統 一 などは音からみると、 どのように表記しても影響はない。これをわざわざ書き変えている のは、明らかに作品としての見た目も考慮している為である。結果、 朔太郎は﹁愛憐詩篇﹂においても﹁文語でありながら、文体そのも ( 注 目 ) のは平明な口語脈に移行している ﹂ 作品であると評価されるのであ る 。4
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もう一点、注意してみると朔太郎に影響を及ぼした恩われる詩人 に山村暮烏の存在がある。大正四年当時の画期的な表記の作品﹃聖 三稜波璃﹄は字面を非常に意識してつくられたもので、直接字面に 関しての朔太郎の意見はないものの、内容や音の使い方に関しては ( 設 u v 吉 岡く評価した詩論が存在する。 八 往 日 ) 山村暮烏 ﹃ 聖 = 一 稜 破 璃 ﹄より﹁熔 印 ﹂ と﹁風景純銀もざいく│﹂ = 一 行 目 か ら 一 一 行 目 。 風 景 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはないちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな かすかなるむぎぶえ いちめんのなのはな 熔印 あをぞらに 銀魚をはなち にくしんに 音 被 を 植 ゑ 。 朔太郎の詩はアクセント面、リズム面、情緒面でも音楽的である。 しかし、本人が言い放つほと美術的(外観を観照する芸術)な面が ないとは一吉えない。字面などの見た目も意識されたからこそ、﹃月 に吠える ﹄ や﹃青猫﹄を出したあとでも﹁愛憐詩篇 ﹂ は存在し、朔 太郎の初々しさの残る 自由な感情を 読者は受け入れたのである。
四、語句や言葉の変化による意味のちがい
書き変えの中には、用いられる言葉によって詩のイメージが異なっ てくる場合が多い。詩には作者の精神が反映されており、言葉を大 切に選ぶ詩人の心のゆらぎが、そこには見られる。 ﹁ みちゆき﹂← ﹁ 夜 汽 車 ﹂ ( 一 ) ﹁ み ち ゆ き ﹂ には、道を行くことや旅をすること、そこに至るま での経過、手続き、前おきの意味があるが、それとは他に駆け落ち をも示す言葉である。女と夜汽車でどこかへ向かう、という詩の内 容からこの題名は駆け落ちを示唆している。この 言 葉が小曲集では ﹁ 夜汽車 ﹂ に変化しているのはどういうことか。久保忠夫氏が詳し ( 注 目 ) く述べているが 、 当時朔太郎は ﹁ エレナ﹂という洗礼名をもっ女性 に想いを寄せていた。その女性と自分の行く末を思って、このよう な題をつけたのではないか。初出にある﹁人妻﹂という表現も、朔 太郎の妻ではなく、他人の妻であるエレナにはぴったりとあてはま る。その上、エレナと関わりのある私生活と詩作の時期(大正 三 年 前後)も合致している。 ︹こ れ は 後 に 日 記 で 一 証 明 す る 。 ︺ 朔太郎は書 き変えを行ううちに、 ﹁ 二 ﹂ で述べたように﹁自分﹂という表現に は否定的になっている。駆け落ちのような私的内容の 言 葉は、でき るだけ避けようとして﹁夜汽車﹂に変えたのである。それを証明す る表現が同じ詩の中にある。 旅びとの眠り ← 旅びと司凶眠り(小曲集)(六) ノオトの表現では、この﹁眠り﹂という 言 葉の主は 、私で あり、女 であり、他の旅びと達である。しかし、 ﹁ 旅 び と 日 凶 ﹂ になると ﹁ 眠 り ﹂は旅びとと、夜 汽車のものとなる。勿論﹁旅びと﹂の中に は、私と女は存在するのだが表現としては 二 人の存在は薄く、暖昧 なものになる。そして、かわりに夜汽車という言葉の印象を強めて いるのだ。これにより、﹁夜汽車﹂という表現は肯定され、掛け落 45一ちの雰囲気は隠される効果をもっ。 ﹁ 緑 蔭 ﹂ 仲らひ ← 語らひ←かたらひ( 一 二 ) す ず し く も ← さ び し く も ( 一 七 ) ここでも﹁みちゆき ﹂ と同じような変化がみられる。初めは二人 の関係の近さを感じる ﹁ 仲らひ ﹂ という表現が、後に﹁語らひ ﹂ と う会話を示す言葉に変わっている。﹁仲らひ﹂には、人と人との仲、 間柄、交情、交際、などの意味があることから、ノオトでは、 ﹁ 二 人の交際﹂という意味ありげな表現であった事が分かる。 一 七行自 の表現も同類の﹁冷たい ﹂ 雰囲気であるが、言葉から受けとるイメー ジは随分異なる 。 ﹁ 春 日 ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 洋 銀 の 皿 ﹂ ) 泣くわれぞ ← 呼ばへるわれぞ( 三 ) ﹁ 泣く ﹂ という言葉からは自己愛を感じるが、﹁呼ばへる ﹂ に な ると自己ではない他の(第 三 の)存在が現れる。この詩では、ずっ と何かを探しているのだが、その探している私 の 状態が 三 行日の表 現の仕方によ っ て、異なってくる。﹁泣きながら ﹂ 探している悲観 的 な 状 態 な の か 、 ﹁ 呼び求めながら ﹂ 探している前向きな状態なの ふ M ﹁ 漬 遁 ﹂ 飛びも行けり←すきも行けり 。 ( 一 九 ) ﹁ 飛ぶ﹂と﹁すぎる ﹂ では、その行動をおこしている主体の立場 が違う。﹁すぎる ﹂ という表現は、特別寄るつもりはなかったが、 偶然やって来たというような意味あいを濃くもっ。表現がノオトに くらべて淡白なのである 。 ﹁ 女 よ ﹂ 小曲集において、次のような表現になっている。 を(削除) 乳 房 置 も て 指 先 も て 吐 息 も て ﹁ 指 先 ﹂ と ﹁ 吐息 ﹂ は魚のようであろうが、かぐわしかろうが、 女性だけのものではなく、詩中の男性も持っている。しかし、 ﹁ 乳 房 ﹂ は女性のみを表す言葉であり、男性にも、朔太郎にもあり得な い存在である。そのことを強調するために﹁を ﹂ を 用 い て 、 ﹁ 乳房 ﹂ を独立したものにしている。ノオトでは、これらは全て同一線上で あった 。 ﹁ 月光と海月 ﹂ ← ﹁ 月光と析幡 ﹂ ←﹁月光と海月 ﹂ ( 一 ) ﹁ 海 月 ﹂ から﹁析議 ﹂ に 変 わ っ た の は 、 二 二 行自から一七行自に かける祈構部分を強調したい為。 ﹁ 析橋 ﹂ が再び ﹁ 海月 ﹂ に 変 わ っ たのは、祈祷部分が削除され詩の象徴的な部分が薄くなり、題名の みが浮いた感覚になるのを避けるためである。 ﹁ 地上 L 者 ← も の ( 一 ム ハ ) コ 一 ﹂ で 述 べ た 通 り 、 ﹁ 自分﹂表現の否定から 生 じた変化である 。 また、読者のイメージを拡げる効果もある( ﹁ 三 ﹂ 参照) 。 つねに眺望す。←おだやかに観望す。(初 出)( 二
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)
﹁ つ ね ﹂ と﹁観る ﹂ は積極的、﹁おだやか L と﹁眺める ﹂ は消極 46的なイメージをおこさせる。表現としてはお互いに打ち消しあ っ て よ く 似 たものになっているが 、 詩の内容 上﹁ 地上に 伸 びるも の ﹂ を 見守る 立 場では、後の表現 の 方が適して い る 。 ﹁ 初夏の景物 ﹂← ﹁ 初 夏 の 印象﹂( 一 ) 我 れ ひ と ﹄ ( 略 ) 交 観 な す ( 一 二 ) ← ひとびとのかげを ( 略 ) 映 像 す 。 一 二行目のちがいは﹁ 二 ﹂に述べた通りだが 、 こ のちがいが題名 にも影響を与えている。﹁映像﹂という架空のはかない存在は、はっ きりと﹁物﹂のような言葉におかれるより、﹁印象 ﹂ という暖昧な 表現の方に近く、適している。こ の 詩の中で大きく書き変えてある の は 、 題 名 と 一 二 行自のみであるから互いを意識して変え ら れたの は 明 ら か で あ る 。 また、﹁愛憐詩篇﹂の共通点の一つに時の描写があげられる 。 室 田 き変えがあった部分は次の四点であり、いずれももとの題名であっ た 。 ﹁ 五 月 ﹂ ← ﹁ 旅 上 ﹂ 無題 ← ﹁ き の ふ け ふ ﹂ ( 初 出 ) ← ﹁ 利 根 川 の ほ と り ﹂ ﹁ 春 日 ﹂← ﹁ 洋 銀 の 皿 ﹂ ﹁ 初 秋 ﹂ ← ﹁ 再 舎 ﹂ 詩の中に書かれている描写もあわせると、実に一四編にわた っ て 時は描かれている。 ﹁花鳥﹂花鳥の日 ﹁ 春 日 ﹂ │ うすき日 ﹁ 初夏 景 物 ﹂ │ 五月 ﹁ 初 秋 ﹂ │ 春夏 ﹁ 五 月 ﹂ ! 五月の朝 ﹁ さ くら ﹂ まひるとき ﹁ みちゆ き ﹂ あ り あ け 、 し の の め ﹁ 月光 と 海月 ﹂ │ 月光 ﹁ 涙 ﹂ とき 、 こ の 日 ﹁ あ り ぢ ご く ﹂ 夏の日 無題 1 きのふ け ふ 、 今 日 ﹁ 線 蔭 ﹂ 朝 ﹁ 演透 ﹂ ひるすぎて ﹁ 地上 ﹂ 日 時の描 写 によって、これらの世界がほんのふとした瞬間をとらえ であることがよくわかる。そして、時という存在は ﹃ 詩 の 原 理﹄の 中で次のような立場をとっている 。 ﹁ す べての主観的人生観は時間 の賞在にかか っ ている﹂、主観主義に属する代表芸術は 音 楽であり 、 音楽は文学界で 示 すと﹁詩 ﹂ に 一 番近いものとなる 。 ま た ﹁ 音 楽は 即ち時間に属し ﹂ とも言ってい る 。 要 約 す れ ば 、 主 観的 要 素 の 中 に は、音楽、詩、時間が存在する 事 と な る 。 ﹁ 愛憐詩篇 ﹂ において題 名の時の描 写 の みが書き変えられた の も 、 ﹁ 自 分﹂表現 否定の一 部 として、あか ら さまな主観的表現を減らす目的によるも の と み る 。 ﹃ 詩 の 原 理 ﹄ に基づく書き変えを 、 もう 一 箇所みるこ と が で き る 。 ﹁ こ ﹀ ろ ﹂ ( 小 曲集 ﹁ こころ ﹂ ) 一47
ためいき ←恩ひ 出 ( 五 ) こ の 変 化 は詩の内容から見ると、憂柵惨な雰囲気を漂わす ﹁ た め い き ﹂ と いう言葉 を 、 ﹁ 恩ひ 出﹂に変 えたことで、暖昧な 表現にして イデ ヤ ある。し か し 、 理由はイメージを拡げる効果のみでなく 、 ﹁ 観 念 ﹂ の 規程にも関係している 。朔太郎は詩論の中で 萎術(表現)は、かかるイデヤに封 するあこがれであり 、 勇躍 副 司 で あり 、 も し く は 圃 閣 で あ り 、祈祷であ り 、或は絶 望の果敢なき慰め │ 悲しき玩 具 で あ る に す ぎ な い 。 と述べている。この ﹁ 一 嘆息ごこそがためいきを示す 言 葉 で あ り 、 d e -T 物 v i l l i -1 1 1 1 1 後 の 、﹁ 観 念 ﹂ 主義 を 否定する精神に影響 さ れ て 、書き 変えとなっ た 。 嘆息 ︹ 歎息 ︺ たんそく なげいてためいきをつくこと 。非常に な げ く こ と 。 他 に 、 同じ 意味だ が漢字の視覚的働き ( ﹁ 一 ご 参照)を考 えて 、 書き変えたものがある。 ﹁ 月光と海月 ﹂ ( 初 出 ﹁月光と析樽 ﹂ 小曲集﹁月光と海月 ﹂ ) 捕へん ← 捉 へ ん ( 三 ) ど ち らもとらえる 、っかまえる の 意 。 ﹁ あ り ぢ ごく ﹂ ( 小 曲 集 ﹁ 蟻 地 獄 ﹂) ( と ん よ く)たんらん 食 慾 ← 貧 斐 ( 小 曲 集 ) ( 四 ) 欲の深いこと の 意 。 手足 ←手 脚 ( 九 ) どちらも、あしを意味する 。 虫 ← 轟 ( 一 一 ) ﹁ 轟 ﹂ は ﹁ 虫﹂の本字体である。 ﹁ 演 遺 ﹂ (人間)下りゆく←降 り行く ← 降 り て ゆ く ( 三 ) (砂)降ち来る←落ち来る←落ちきたる(五) こ こ に 用 い ら れ た 三つの漢字は 、 どれもよく似た ﹁ お り る ﹂ 又 は ﹁ お ち る ﹂ 内 容 だが、特に ﹁ 降 ﹂ は 高 い 所 か ら 低い所 へおりる意 味 合いが強く、砂丘をおりて行 く立場から い う と 最も適した漢字であ る。人間が ﹁ 降りる﹂ならば、生物 で もない砂を主に する動詞 は 同 じ ﹁ 降 ﹂ を 用 い る よ りも他の漢字を用い た 方が違和感はない。砂は 人間の脚の指にくずれ落ちているのだから 、 ﹁ 降 ﹂ の 意 味か ら み れ ば オ ー バ ー な表現になりかねない。 48
-五
、
心理状況における作風
の
変
化
ここまで 、 ﹁ 愛 憐詩篇 ﹂の書き変えを もとに 、 二 、観念 の否定と﹁私 ﹂ ﹁ 自 分 ﹂ 表現の減少 三 、 表面上の書 き変 え 、 字面の意識 四 、 語句や 言 葉の変化による 意 味のちがい を述べて き た 。 作品に見える作風 と 、 ﹃詩の原理 ﹄ に 記 されて い る 詩論とは、ところどころに矛盾がみ え る。作風は意識せず と も作者 の心理状態に大きく影響を・つけていることから、最後に年を追って 朔太郎の心理を 中 心に作風を照 らし合 わせてみよ う 。大正三年 一 月 一 日から二月六日における、三三日間のみ日記が現 存している。この時期はノオト第九巻を作成しつつ、 ﹁ 愛憐詩篇﹂ の詩を発表(初出)している時である。また三年間におよぶ東京生 活を切り上げ、帰郷して迎えた新年であり、屋敷の一隅の小建物を 改造し、自分の書斎をつくろうとしている経緯もある。以下、ポイ ︿ 注 凶 ﹀ ントとなりそうな部分を表記する。 大正三年 一 月一日 ﹁何となく気分のいい年始である。たしかに今年は 期待に報いられると恩ふ。自分は第 一 にロマンチッ クを欲して居る。﹂﹁栄光我が身の上にあれ ﹂ ﹁私は自分といふものがいとしくてたまらない。﹂ ﹁ 私 は 私 自 身 に 懸 を し て 居 る の だ 。 ﹂ ﹁わが心は何物をかを欲して居る。しかもあまりに その物は輪画を敏いて居る。 ﹂ ﹁ 我が彼等の中にあるは茨の中に白百合の咲けるが 如 し 。 ﹂ 新しい室の出来 上 る日を待つのは春を待つ心である 。 ﹁ 若さのすぎやらぬまにわが道を見出ださざるべか ら ず 。 ﹂ 一 月 一 二 日﹁窓掛けの出来上って来るのが待遠でたまらない。﹂ 一 月 一 八 日 W は欲しい 一 月 一 九日部屋の完成を待つ 麗らかな日がつづく 月 日 一 月 六 日 一 月七日 一 月八日 一 月 九 日 ﹁ 私はかうしてはいられない 。 ﹂ 一 月 二
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日 ﹁ ア ヱ ・ マ リ ヤ 、 彼 女 の 上 に 嗣 一 帽 を 垂 れ 給 へ ﹂ 一 月 二 三 日 ﹁ 音楽舎の件につき S 子 、s
氏 等 に 通 信 を 愛 す 。 ﹂ ﹁今の我には詩想全く澗れたり。 ﹂ 一 月 二 四 日 ﹁ S N 子 よ り 返 信 来 る 。 ﹂ ﹁これを機舎として二度彼と通信をなすことをやめ ん 。 ﹂ 一 月 二 五 日 演 奏 会 の 日 ﹁ S 子 はたうとう来なかった 。 ﹂ 一 月 一 一 六 日 ﹁ 虚偽の生活である。すべては空庖である 。 ﹂ 一 月二七日﹁中央公論小山内の ﹃ 同じこと﹄を讃む 。 ﹂人生の 国 県 理 を み る 。 ﹁ 何 か 起 り さ う で 何 も 起 ら な い 。 ﹂ 新しい部屋が完成し、気分がいい 。 一 月 二 九目新しい生活は始まらない。 ﹁やっぱりそこには何もなかった 。 ﹂ 空 虚 で あ る 。 一 月 = 一O
日﹁彼女とのことを考えると耐えがたい自己憎悪の念 に 悩 ま さ れ る 。 ﹂ ﹁ も は や 二 度こんな馬鹿気たたはむ れ に 手 を 出 し て は い け な い 。 ﹂ 一 月 三 二 日自己の改造をしたい 。 ﹁ ああどうかして呉れ、早 く だ れ か 来 て 助 け て 呉 れ 。 ﹂ 三 一日夜いよいよ新生活が始まる時機がきた 。 二月一日機舎なんでものはない。しかし、生活に新しい建築 が 必 要 。 深い絶望と希望。生き甲斐のある生活を送りたい。4
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月 日夢の中の生活のこと。 ﹁ 新しい生活とはこんなものであらうか。私は偽 ら れ た 気 が し て な ら な い 。 ﹂ ﹁どうかしなくてはならないと恩ふ。自分はもうこ の 上 この田舎に住むこと が 出 来 な い 。 ﹂ 日記の中の﹁彼女﹂﹁ S 子 ﹂ ﹁ S N 子﹂は ﹁ 四﹂で述べたエレナの こ と で 、 S はエレナ の 新しい姓(嫁さ先 )の 頭文字で あ る 。 ﹁ W ﹂ は宅
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印 コ ( 女 性 )の事 とみる 。 ま た 、 一 月三日、七日にみられる 心境は同じく﹁四 ﹂ の﹁春日﹂(小曲集 ﹁ 洋 銀 の 皿 ﹂ ) の 三 行目にあ る﹁泣く﹂という表現にみられるよう、自己愛からくるものである 。 一 一 月四日 一 一 月 五 日 朔太郎は﹁愛憐詩篇﹂にある詩をつくっていた当時、常に何か (﹃詩の原理﹄でいうことろのイデヤ)を求めて日々を送っていた。 しかし、その何かとはまだ詩論で規定さ れる ような、具体的 なもの ではなく、自分で何を欲しているのかわからないまま、苦悩してい る。何らかの変化を求めるあまり、自ら全ての家具を調整し、理想 的空間(新しい部屋)を作ることに熱意をそそぐが、出来上がった 空間を見ても欲する心とあせりは消えなかった。何かを求め欲する 心は実際に、大正 三 年五月に発表された ﹁ 春日 ﹂ ( ﹃ 創 作 ﹄ に 発 表 ) 、 ﹁月光と祈橋﹂(﹃詩歌﹄に発表)にもあらわれている。﹁春日 ﹂で は ﹁洋銀の皿はいづこにありや﹂と皿を探し、 ﹁ 月光と祈梼﹂では ﹁ く らげを輿へしめてよ﹂とくらげを求めている。これら二編の詩が同 時に五月に発表されていることから、ノオトに創作されたのはそれ 以前で あることがわかる。つまり、日記で苦悩している時期と 、 発 表された詩の作風は 一 致するのだ。これら何かを得られない 不安 は そ の後も朔太郎の心に深く根ざし 、 大 正 六年に発表 の ﹃ 月 に 吠 え る ﹄ にも大きな影響をあたえる。例えば 、 ﹁ 青樹の梢を あ ふさて ﹂ で は 愛を求めており、﹁雲雀の巣﹂では生 臭 いほどの生を描 写し 、暖昧 ( 桟 凶 ) な何かを求めている。これらの飢餓感は﹁愛憐詩篇 ﹂と同じ 心にあ るとみられる 。 求めて得られないものは、次に価値のないものとして朔太郎は受 け止めようとする。長い期間、求め続けても 一 向に 得られな い理想 の 世 界 。 これを第一に掲げてはいるが、何を象徴 しているのかはっ き りしない観念主 義は、朔太郎にと っ て 痛にさわる 存在であっ た 。 しかし、世間は 三 木露風らの観念主 義 に 新たな詩の世界 を見たと 注 目する。朔太郎の苛立ちはついに詩論 ﹁ 三 木露風 一 派 の 詩を放 追 せ よ﹂であらわになる。観念主義の否定である。 観念は 否定しても 朔太郎 の何かを得られぬ不安は 、 なくなるわけ で は な かった。大 正 一 一 年に出版のアフォリズム﹃新しき欲情﹄に おける ﹁ 夜汽車の窓で﹂には、 ﹁ 愛憐詩篇﹂の﹁みちゆき ﹂( 小曲集 ﹁夜汽車﹂)と同じ内容がのべられている。即ち 、 どちらもイデ ヤ の ある理想の世界へ行きたいが、その方向がわからずどこか へ 流 さ れ るという不安が底には流れている。 アフォリズム ﹁ 夜汽車の窓で ﹂より抜 粋 いづこへ、いづこへ、私の汽車は行かうとするか。 そして 大正一四年﹃純情 小曲 集 ﹄ として﹁愛憐詩篇 ﹂ を発表。そ 50こには上達した詩人のなせる書き変えの他に、現在の自分の主義か ら反する観念を求めていた部分の書き変えも行われた。さらに 四 年 後の昭和三年には詩論﹃詩の原理﹄の出版がある。ここで注意して おきたいのは第四章 ﹁ 抽象観念と具象観念﹂である。真の芸術家と は何を求めているのか、自分自身においてもわからないものだと、 過去の自分の行動、心境を認めようとする動きがここではみえる。 まず、芸術とは ﹁ 主 義﹂のように 一 つの主張を掲げて説明できる ものとは違い、人間の生活のようにありとあらゆる要因によって成 り立つものである。このように芸術を考えてた上で、次に芸術家に つ い て 記 し て い る 。 義術家は彼自身のイデヤについて、自ら反省上の自覚を持たな い。換言すれば警術家は、何を人生について情欲し、イデヤし てゐるかを、自分自身に於て意識してゐないのである。 つまりイデヤとは、全く説明、議論がなくとも、気分上の意味とし て芸術家の意識にあるだけでよいのである。意図としては、朔太郎 自身が何を求めていた(る)のかわからない言動を、ここで肯定化 しようとしているのだ。自分自身でもいいわけを 言 い、納得してい るように受けとられる。またその上、朔太郎の述べるイデヤは ﹁ 観 念﹂の文字を離れ、 ﹁ 夢 ﹂という文字におりたった。芸術家の生活 はもはや﹁観念を掲げる生活 ﹂ ではなく、﹁夢を持つ生活 ﹂ である とし、中でも詩人のイデアは ﹁ 夢 ﹂ を夢みることであると表するの で あ っ た 。 イデヤ 朔太郎が求めていたもの、それは本当に﹁夢 ﹂ な の か も し れ な い 。 人によっては、那珂太郎氏のように朔太郎の詩はながく読むには耐 えられないものがあると 言 う。那珂太郎氏が語るには、人生に対し て 漠 然たる畏怖の念と好奇心 を あわせ持つ、年少の 一 時期には独特 の魅力があるが、成人に向け多くの事を経験すると共に朔太郎の詩 ︹ 盆 口 ) への興味は醒めてしまうと。このように感じるのは、朔太郎が彼自 イ デ ヤ イ デ ヤ 身の夢を追っていたからである。その夢は朔太郎のみを満足させる イデヤ ものであって、他の者にはまたそれぞれ別の夢が存在するからなの だ。逆に 言 えば、朔太郎が他人の詩や論では納得いかなかったのも この為だと考えられる。 イデヤ 書き変えは﹁ 夢﹂に対する朔 太郎の意識の変 化 によって、あらわ れたものである。何かを求めて止まない、この試行錯誤が各詩にう イデヤ つされている。私がみつけた萩原朔太郎は、﹁夢﹂を求め続けた詩 人 で あ っ た 。 ( 注 l ) ﹃ 感 情 ﹄ ・ 第 一 巻第 二 号 ﹁ 詩 集のはじめに ﹂ よ り 荻 原 朔 太 郎 大正五年六月 二 七 日 感 情 詩 社 ( 注 2 ) 安藤靖彦氏の説による﹃群像日本の作家叩 代表作ガイドよ り ( 注
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各表記を比較検討する際など、引用した資料名を示す必要 が多くあるため、次のように略して記す。 習作集﹃愛憐詩篇ノオト ﹄← ノ オ ト 雑誌に初めて発表←初出 荻 原 朔 太 郎 ﹄ -51詩集﹃純情小曲集﹄←小曲集 ( 注 4 ) 詩の行の読み方について、行をとっているものは全て、題 名も含めて前から行数として数える。 ( 注 5 ) 詩の書き変え部分において、原則点に﹃愛憐詩篇ノオト﹄ を基本として表記する。点線は雑誌における初出発表で﹃愛憐 詩篇ノオト﹄と異なる箇所。波線は﹃純情小曲集﹄が初出で発 表時の表記と異なる箇所を記す。点・波線とも横には変化した 形の語句を表記。なお、外来語のように表記が重なってしまっ た場合は、本文を優先し、資料名を丸括弧に入れて一 不 す 。 ( 注