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田中一村と戦後日本画壇 : 院展への挑戦

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(1)

田中一村と戦後日本画壇 : 院展への挑戦

著者 森下 麻衣子

雑誌名 文化學年報

号 62

ページ 546‑563

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027757

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田中一村と戦後日本画壇 : 院展への挑戦

著者 森下,麻衣子

雑誌名 文化學年報

号 62

ページ 546‑563

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027757

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田 中 一 村 と 戦 後 日 本 画 壇

│ 院 展へ の 挑 戦│

森 下

麻 衣 子

は じ め に 戦後

単身 奄美 に渡 り︑ 亜熱 帯の 動植 物を 描い たこ とで 知ら れる 田中 一村

︵明 治四 一年

〜昭 和五 二年

︑本 名 孝︒ 幼少 期 から 昭和 二二 年春 まで 米邨

︑以 降を 一村 と号 すが

︑本 論で は便 宜上 生涯 を通 じて 一村 とす る︶ は︑ 画壇 にそ の名 をほ と んど 現さ ない 画家 であ りな がら

︑現 在最 も注 目さ れて いる 画家 のう ちの 一人 であ る︒ 彼の 作品 は存 命中 は世 に出 るこ と はな かっ たが

︑死 後メ ディ アに 取り 上げ られ ると

︑日 本中 で大 反響 を 呼 んだ

!

︒画 壇 を 離れ

︑奄 美 と いう 当 時 最 も中 央 から 遠い 場所 で︑ その よう に人 々を 惹き つけ る独 特か つ斬 新な 画風 を築 いた こと は非 常に 驚く べき こと であ る︒ 一村 は 作品 の持 つ魅 力と 共に

︑そ の反 俗的 な生 き方 も大 きく 取り 上げ られ

︑﹁ 画 壇を 捨て たす ご い画 家

"

﹁ 孤 高 の画 家

# と い う言 葉で 語ら れる こと も多 かっ た︒ しか し︑ 近年 の調 査・ 研究 によ り︑ 奄美 に渡 るそ の直 前ま で公 募展 に繰 り返 し出 品 して きた 詳し い状 況$

︑同 時 代 の画 家 と 関 わり を 持 って い た%

こ と も 明 らか に な って き た︒ 当 時の 画 壇・ 画 家 との 影 響関 係が あま り明 らか では ない 一村 にと って

︑注 目す べき こと であ る︒ 本論 では

︑こ うし た調 査・ 研究 に基 づい て︑

︽ 岩戸 村︾

︻図 1︼ を取 り上 げ︑ 田中 一村 と戦 後日 本画 壇と の関 わり を考

― 546 ―

(4)

察 する こと とす る︒ これ は奄 美に 渡る 直前 の昭 和三 三年 の再 興第 43回 院展 に出 品し た作 品で ある が︑ 現在 では モノ クロ 写 真し か残 され てい ない

︒資 料と して 不十 分で ある にも 関わ らず これ を取 り上 げる のは

︑こ の作 品は 彼が 世に 問う た数 少 ない 例で ある こと

︑ま た彼 自身 の言 葉に よっ て︑ その 時点 での 人生 最高 の自 信作 であ ると 語ら れて いる 作品 であ るこ と によ る︒ この 作品 にお いて 彼が 何を 成そ うと した のか を考 察す れば

︑一 村の 作品 の理 解が より 一層 深ま る可 能性 が高 い

︒ 先行 研究 では

︑こ の作 品を 院展 出品 作と 突き とめ た大 矢鞆 音氏 が︑ 院展 で同 時期 に活 躍し てい た今 野忠 一︵ 大正 四年

〜 平成 一八 年︶ 作品 と関 わり を持 って いる こと

︑両 者の 作品 が構 図の 取り 方や モチ ーフ を単 純化 する 描き 方に おい て共 通 する こと を指 摘し てい る!

︒ また

︑山 西健 夫氏 は︑ この 作品 にそ の後 の展 開を 占 う 上で 重 要 な要 素 が 含ま れ て い ると し

︑そ れが 大き な近 景と 遠景 には 対比 があ るこ と︑ 逆光 が目 立つ こと

︑そ して 花を 風景 と対 等の モチ ーフ とし て扱 って い る点 であ ると 述べ てい る"

︒ これ らの 先行 研究 は︽ 岩戸 村︾ の持 つ一 村の 画業 にお ける 重要 性を 示し てお り︑ 本論 はこ れら 先行 研究 に大 いに 依っ て いる

︒特 に大 矢氏 は同 時代 の画 家か らの 影響 関係 を示 して おり

︑大 いに 参考 にし た︒ しか し︑ 未だ 充分 に論 じ尽 くし て いる とは 言い 難い

︒そ こで

︑本 論で はも う一 度

︑︽ 岩 戸村

︾の 特 色︑ 一 村の 作 画 に おけ る ね らい を よ り具 体 的 に 考察 し

︑そ れが どの よう な影 響の もと に生 まれ たも のな のか を再 検討 して みた い︒ 以下 の手 続き を取 る︒ 第一 章は

︽岩 戸村

︾に 関す る情 報︑ その 当時 の一 村の 状況 など を提 示す る︒ 第二 章で

︑大 矢氏 の 指摘 する 今野 忠一 作品 との 関係 につ いて 検証 し た 後に

︑院 展 に 出品 す る に あた っ て︑

︽ 岩戸 村

︾で ど のよ う な 点 を意 欲 的 に 取り 組 ん だか

︑こ の 作 品 の構 想 の 基と な っ たと 考 え ら れる 二 作 品︽ 山 村 六 月

︾︻ 図2

︼︽ 山 村 六 月

〜北 日 向 に て

︾︻ 図 3︼ と比 較し 考察 する

︒第 三章 では 当時 の日 本画 壇を 概観 し︑

︽岩 戸村

︾が どの よう な影 響の もと 制作 され たの か を見 る︒ 特に

︑日 展で 活躍 して いた 京都 の巨 匠・ 堂本 印象

︵明 治二 四年

〜昭 和五

〇年

︶か らの 影響 の可 能性 を提 示し

― 547 ― 田中一村と戦後日本画壇

(5)

て みた い︒ その こと によ って

︑一 村は 当時 の日 展・ 院展 の動 向を つか んだ 上で

︑自 らの 作品 にそ れを 取り 込み

︑そ の作 品を 院展 に 挑戦 的に 送り 出し てい るこ とを 明ら かに する

︒ 第一 章

︽岩 戸 村

︾に つ い ての 情 報 まず

︑︽ 岩 戸村

︾一 村の 制作 当時 の状 況を 説明 する

︒ 一村 の画 業は

︑幼 少期 から 南画 を描 いて い た 第

!

期︵ 大正 四 年〜 昭 和六 年

︶︑ 南 画 との 訣 別 から 奄 美 に渡 る ま で の第

"

期︵ 昭和 六年

〜昭 和三 三年

︶︑ 奄 美に 渡 って か ら の第

#

︵昭 和 三 三〜 没 年︶ に︑ さら に 画 風の 変 化 から 各 期 に 前期 と 後期 を設 定す るこ とが でき る︒ その 区分 では

︑︽ 岩 戸村

︾は 第

"

期後 期に あた る︒ この 頃の 一村 は農 業で 自給 自足 し︑ 親 戚を 含む 三人 の支 援者 によ って 支え られ て絵 を描 いて いた

︒売 るた めの 絵は 描か なか った が︑ 絵を 描い て渡 し︑ それ に 値す る寸 志を 受け ると いう かた ちで あっ たと いう

$

︒一 村が その よう な状 況 に ある 中

︑か つ て通 っ て いた 東 京 美 術学 校 時代 の同 級生 たち は︑ それ ぞれ 画壇 で地 位を 得て いた

︒一 村に も心 境の 変化 があ った のか

︑戦 争が 終わ って しば らく 経 った 昭和 二二 年︑ 号を それ まで の米 邨か ら一 村へ と改 名し

︑公 募展 への 挑戦 を始 めた

︒以 下に 現在 判明 して いる 出品 歴 を載 せる

%

︒ 昭和

二二 年春

︑千 葉の 美 術展 に

︽入 り 日の 浮 島︾

︽ 四つ 手 網

︾︽ 崖 の観 音

︾を 出 品︑ 入賞

︒︽ 崖 の 観音

︾は 現 在 行 方知 れ ず︒ 青龍 展前 の腕 試し であ った とい う︒ 昭和 二二 年秋

︑川 端龍 子の 19第 回青 龍展 に︽ 白い 花︾ を出 品︑ 入選

︒こ れが 実質 的な 一村 の画 壇デ ビュ ーと 言え る︒

田中一村と戦後日本画壇 ― 548 ―

(6)

昭和 二三 年春

︑︽ 梨 花︾ をな んら かの 展覧 会に 出品 か︒

︵裏 に日 付と 住所 氏名 あり

︶ 昭和 二三 年秋

︑第 20回 青龍 展に

︽秋 晴︾ 落選

︒参 考作 品と して 出し た︽ 波︾ が入 選し たが 納得 でき ず︑ 入選 を取 り下 げ させ

︑龍 子の もと を去 る︒ 昭和 二八 年︑ 第9 回日 展に

︽秋 林︾ を出 品 す るも 落 選︒ 出 品票 に

﹁松 林 桂 月門 人

﹂と 記 す︒ 作品 は 現 在行 方 知 れ ず︑ 出 品票 があ るの み︒ 昭和 二九 年︑ 10第 回日 展に

︽杉

︾を 出品

︑落 選︒ 作品 は現 在行 方知 れず

︒出 品票 のみ 残さ れる

︒ 昭和 三二 年︑ 42第 回院 展に 出品

︵題 名は 分か らず

︶︑ 落 選︒ 作品 は自 ら焼 却︒ すぐ に改 作に 着手 する

︒ 昭和 三三 年︑ 43第 回院 展に

︽岩 戸村

︾と

︽竹

︾を 出品

︑落 選︒ 同年

︑奄 美に 渡る

︒ こ のほ か︑ 裏に 出品 票が あり

︑何 らか の展 覧会 に出 品し たと 思わ れる もの とし て︽ 黄昏

︾が ある

︒ これ

から も︑ 一村 が画 壇へ の執 着を 見せ

︑様 々な 公募 展に 挑戦 した こと が分 かる

︒こ れら は一 村に とっ ての 意欲 作で あ り︑ そ れ ぞれ に 考 察は 必 要 であ る だ ろ う!

︒︽ 岩 戸 村︾ は︑ 上 記し た 出 品歴 か ら 分 かる よ う に奄 美 に 渡る 同 年 に 描か れ た︑ 一村 にと って 最後 の公 募展 出品 作で あり

︑一 村自 身の 言葉 で自 らの 自信 作で ある と語 られ てい る作 品で ある

︒ 次に

︑︽ 岩 戸村

︾に つい て︑ 大矢 氏の 論考 に依 って 述べ る"

︒ 今回 筆者 が得 た伝 聞 情 報も 加 え て補 強 し た部 分 も あ る︒

︻図 1︼ は︑ 一村 の妹

・新 山房 子氏 の遺 品の 中か ら出 てき た 写真 で あ る︒ この 作 品 は 一村 の 親 戚で 支 援 者だ っ た 川 村幾 三 氏の 娘で ある 川村 不昧 氏の 証言 と︑ 三人 の支 援者 のう ちの 一人 であ る千 葉市 の医 師・ 岡田 藤助 氏の 家に 残さ れて いた ハ ガキ

︑そ して 院展 の事 務所 に残 され てい た出 品 票 から

︑出 品 し たの が 先 述 した 昭 和 三三 年 の 43第 回院 展 で あ り︑

︽岩 戸 村︾ とい う題 で︑ 現在 は残 って いな い︽ 竹︾ とい う作 品と 共に 出品 され たこ とが 分か った

︒院 展に 一人 が二 作品 を出 品 する こと は許 され てい なか った ため

︑︽ 岩 戸村

︾は 本名 の田 中孝 で︑

︽竹

︾は 田中 一村 の名 で︑ 両者 の出 品時 期を ずら

― 549 ― 田中一村と戦後日本画壇

(7)

し て搬 入し たと 考え られ てい る!

︒ そし て︑ これ らは 落選 した 後︑ 川村 宅に し ま われ て い たが

︑奄 美 行 きも 決 ま っ た昭 和 三三 年の 一〇 月頃

︑一 村が 突然 やっ てき て︑ 不昧 氏に

﹁こ れか ら絵 を燃 やす から

﹂と 告げ

︑二 人で これ ら二 点の 絵を 運 び出 し︑ 不昧 氏が その 内の 一枚

︽岩 戸村

︾を 写真 に収 めた 後に 一村 が鉈 で叩 き割 って 燃や した とい う︒ 絵は 畳一 枚ほ ど の大 きさ だっ た︒ その 後︑ 不昧 氏は 撮っ た写 真を 手判 に焼 き付 けた もの を 二 枚渡 し た が︑ 一村 に 大 き く引 き 伸 ばし て ほ しい と 言 わ れ︑ 四 つ切 大に 焼い たも のを 一枚 届け

︑一 枚は それ を奄 美に 持っ てい った もの と考 えら れる

︒焼 却し たも う一 点は

︑色 の無 い まっ すぐ な木 か竹 のよ うな 絵だ った らし く︑ これ が昭 和三 三年 のも う一 点の 出品 作︽ 竹︾ だっ たと 思わ れる

︒こ ちら が 写真 に残 って いな いの は︑ 不昧 氏が

﹁︵ 竹 のほ うを

︶写 さな くて いい の?

﹂と 一村 に尋 ねた とこ ろ︑

﹁こ っち は撮 らな く てい い﹂ と返 事が あっ たか らだ とい う"

︒ この 作品 に描 かれ てい るモ チー フは

︑一 村が 院展 に作 品を 出品 する 前の 昭和 三〇 年に 九州

・四 国を 旅行 した 際の 取材 に よる 作品

︽山 村六 月︾

︽ 山村 六月

〜北 日向 にて

〜︾ に 類似 し て おり

︑こ れ ら 二 作品 を 習 作と し て 構図 を 練 り︑ 本 画と し て︽ 岩戸 村︾ を描 いた とさ れて いる

#

︒岩 戸村 とは

︑現 在宮 崎県 西臼 杵郡 に 属 する 地 で︑ 一 村が 訪 れ た当 時 は 岩 戸村 と いう 名で 呼ば れて いた

︒︽ 岩 戸村

︾は モノ クロ でし か残 っ てお ら ず その 色 は 今 では 分 か らな い が︑ 唯 一こ の 作 品 を見 た こと があ る川 村不 昧氏 によ ると

︑︽ 山 村六 月

〜北 日 向に て

〜︾ より も

︑手 前 が もっ と 明 るく

︑後 ろ は 暗か っ た と のこ と であ る$

︒ また

︑︽ 山 村六 月︾

︽山 村六 月〜 北日 向に て〜

︾を 目に し︑ ある 人 か ら欲 し い とい う 声 があ が っ た が︑ 一村 は

﹁素 人に はわ から ない 絵だ から

﹂と 言い

︑そ の代 わり に牡 丹を 描い て譲 った とい う%

︽ 岩戸 村︾ がそ の前 年の 出品 作に 手を 加え たも ので あ るこ と も︑ ハ ガキ に よ っ て分 か っ てい る

︒岡 田 藤助 氏 の 家 族の 岡 田は る美 氏か ら︑ 一村 のハ ガキ のコ ピー を得 たの で︑ 大矢 氏の 調査 と重 複す るが

︑重 要な 資料 なの でハ ガキ の画 像と 全 文を 掲載 する

田中一村と戦後日本画壇 ― 550 ―

(8)

︻図 4︼ 昭和 三三 年一 月二 五日 付 御 依頼 の牡 丹の 表装 は二 月末 出来 の予 定 値段 は箱 共参 千五 百円 の予 算に 御座 いま す 私事

昨 年九 月よ り引 続き 出品 画の 改作 に全 力を あげ て居 りま すが

昨 年末 やっ とあ と二 ヶ月 位で 完成 の段 階ま で行 きま した

そ の外 もう 一点 墨画 の近 代化 を目 標と した 竹林 の図 を作 り この 二作 を問 ふこ とに した いと 今ま での 生涯 に経 験し たこ との ない 緊張 した 日々 を過 して 居り ます

休 みな くや って 八月 まで かヽ ると 思は れま すの で その 対策 に奔 走中 です が 先生 の御 芳志 はま こと に旱 天の 慈雨 にて 深く 々々 感謝 して 居り ます

一 月廿 五日

︻図 5︼ 昭和 三三 年七 月二 日付 昨 年の 出品 画︑ 昨年 九月 より 引続 き訂 正に 訂正 を加 へ本 日漸 く完 成し まし た 小生 五十 年の 生涯 の中 で初 めて の悔 のな き作 です

本 日限 りゑ かき をや めて も何 の悔 もな きま でや りま した

感 慨無 量で す 然し 院展 の理 想主 義と 小生 の絵 画観 念は 少し く相 違あ れば 必ず しも 入選 する とは 申さ れず 黙殺 の場 合は 其後 に展 示の 意思 無之 次第 に御 座い ます れば もし 御通 りが かり の節 御暇 が御 座い まし たな らば 御笑 覧下 さい

私 はも う一 点の 出品 画 竹︵ 七分 通り 出来 て居 ます

︶に かヽ る予 定で す 孝 七月 二日

︻図 6︼ 昭和 三三 年八 月一 五日 付 竹 の絵 も出 来上 がり まし た 御通 りが かり の節 御閑 御座 いま した ら御 笑覧 くだ さい

生 活の 為を 計ら ざる こと 一年 と八 カ月 にな りま すが それ もい よ

!

"

終 りま す 戦時 中の 十年 の遅 れを 取り 戻し たと 自信 して おり ます が 又 感慨 を禁 じ得 ませ ん 搬入 は廿 五日 です

八 月十 五日

― 551 ― 田中一村と戦後日本画壇

(9)

七月 二日 のハ ガキ によ って

︑作 品の 改作 に九 月か ら七 月︑ 十か 月の 制作 期間 があ った こと が分 かる

︒こ の作 品︑ つま り

︽岩 戸村

︾に 一村 は十 カ月 とい う時 間を 費や した ので ある

︒さ らに ハガ キに 見る

﹁小 生五 十年 の生 涯の 中で 初め ての 悔 のな き作 です

﹂﹁ 感 慨無 量で す﹂ とい う言 葉か らは この 作品 が 自分 の 持 って い る 力 を出 し 切 った 自 身 作で あ る こ とが わ かる

︒﹁ 戦 時中 の十 年の 遅れ を取 り戻 した と自 信し てお りま す﹂ とい う言 葉に

︑何 かこ れま でと は違 う意 欲が 窺え る︒ 一 月二 十 五 日の ハ ガ キに

﹁墨 画 の 近 代化 を 目 標と し た 竹 林の 図 を 作り

こ の 二 作を 問 ふ こ とに よ っ て

﹂と あ る よ う に

︑も う一 作の

︽竹

︾も 何か 新し いこ とに 取り 組ん だ意 欲作 であ るこ とが 知ら れる

︒こ ちら は写 真に 撮ら なか った こと や

︑七 月二 日の

︽岩 戸村

︾の 完成 に見 られ る一 村の 安堵 感の 吐露 から

︑や はり

︽竹

︾よ りも

︽岩 戸村

︾が 一村 にと って 重 要な 作品 であ った と考 える こと がで きる

︒ 以上

︑︽ 岩 戸村

︾に 関す る情 報を 述べ た︒ 次の 章で は︑ 作品 に描 かれ てい るこ とを 論じ てい きた い︒ 第二 章

︽岩 戸 村

︾に お け る一 村 の 挑戦 さて

︑こ の作 品を 描く 時︑ 一村 はど の点 にお いて 意欲 的で あっ たの だろ うか

︒こ の絵 は﹁ 多く 見ら れる 花鳥 画と はち ょ っと 趣が 異な る﹂!

﹁ 気負 いの よ う なも の が 感 じら れ る﹂"

と い われ る

︒筆 者 も また

︑そ れ ま で一 村 が 描い て き た もの と の違 いを 見い だせ る︒ この 違い を生 み出 した のは 何か

?大 矢氏 は︑ 一村 より も先 に院 展で 活躍 して いた 今野 忠一 作品 との 関わ りを 述べ てい る

︒こ こで もう 一度 両者 のつ なが りを 確認 し︑ 差異 を検 証し

︑︽ 岩 戸村

︾の 特色 を明 らか にし てみ るこ とに する

︒ 昭和 三三 年︑ 一村 が落 選し た院 展に おい て︑ 日本 美術 院賞 次賞

・大 観賞 とそ の年 新設 され た文 部大 臣賞 をあ わせ て受 賞 した のが 今野 忠一 の︽ 老樹

︾︻ 図 7︼ であ り︑ 展覧 会場 の中 で も一 村 は 川村 不 昧 氏 と共 に 時 間を 惜 し むよ う に こ の作

田中一村と戦後日本画壇 ― 552 ―

(10)

品 を 見 続け た と いう

!

大 矢 氏 は︑ 今 野忠 一 作 品の

︽晩 彩

︾︵ 一 九五 四 年

︶︑

︽ 暮 秋︾

︵ 一 九 五 五 年︶

︑︽ 残 雪

︾︵ 一 九 五 六 年

︶を 挙げ

︑そ れら と︽ 岩戸 村︾ がと もに 手前 に視 点を 置い て対 象を 大き くク ロー ズア ップ して 捉え

︑中 景・ 遠景 は単 純 化し て大 手に 描写 する

︑大 胆で シン プル な構 図で ある 点で 共通 して いる と述 べて いる

"

︒ 確か に︑

︽ 暮秋

︾︵ 一九 五五

︶︻ 図 8︼ と︽ 岩戸 村

︾を 見 比べ て み ると

︑ま ず 丸 を 連ね る よ うな 木 の 描き 方

││ 氏 の言 う とこ ろの 単純 化で ある

││ がよ く似 てい る︒ また 構図 の面 にお いて も︑ 前景 と後 景が 大き く分 かた れて いる 点︑ 画面 左 にま っす ぐに 立つ 木と 植物 を配 する 点は よく 似て いる 上︑ この 作品 に限 って は水 平に 描か れる 池と 田︑ そこ に光 が当 た るよ うに 描か れて いる 点︑ 木と 植物 のグ ラデ ーシ ョン を伴 う彩 色な どが 似通 って いる こと から

︑影 響が あっ たこ とは 充 分に 考え られ る︒ しか しそ れと 同時 に両 者は 全く 異な る性 質を 持っ てい るこ とも 見て とれ る︒ まず

︑今 野忠 一作 品に 比べ て一 村の 作品 は花 が極 めて 近く に描 かれ てい る︒ 今野 作品 は遠 く高 い視 点か ら俯 瞰し てお り

︑個 々の モチ ーフ が画 面の 中に 溶け 入る のに 対し

︑一 村の 作品 は個 々が それ ぞれ 主張 して いる

︒ま た左 や画 面下 の植 物 は︑ 白く 縁取 りが され てい るし

︑背 景の 木も 今野 作品 のも のは それ ほど に立 体性 とい った もの は感 じら れな いの に対 し て

︑一 村 の樹 木 は 入道 雲 の よ うに も く もく と 立 体を 意 識 し て描 か れ てい る

︒さ ら に言 え ば

︑画 面 左の 植 物 モ チ ー フ は

︑一 村の 作品 のほ うが 今野 作品 より もも っと 画面 の垂 直の 線を 意識 して 描い てい る︒ これ ら︑ 視点 や︑ 個々 のモ チー フ

︑垂 直の 線の 存在 など の差 異を 考え たと き︑ 今野 忠一 とは また 別の 影響 を考 える のが 妥当 と考 える こと がで きる

︒ ここ で︑ もう 一度

︑一 村が 院展 出品 に向 けて どの よう に画 面作 りを して いっ たの かを より 明確 に知 るた めに

︑こ の作 品 の前 段階 であ る二 作品

︽山 村六 月︾

︽ 山村 六 月〜 北 日向 に て〜

︾と の 比 較 を行 う こ とと す る︒ こ の比 較 に よ り︑ 一村 の なそ うと した 方向 性が はっ きり する こと にな る︒ まず

︽山 村六 月︾ と︽ 岩戸 村︾ を見 比べ てみ る︒ 描か れて いる モチ ーフ はほ ぼ同 じで ある

︒両 者と も左 に植 物を 極め

― 553 ― 田中一村と戦後日本画壇

(11)

て 近く に置 き︑ そこ から 山村 の風 景を 見て いる

︒左 手前 に伸 びる 植物

︑家 屋の 屋根

︑そ の間 に稲 が植 えら れた 水田 があ る

︒︽ 岩 戸村

︾に は画 面下 にも カラ スノ エン ドウ にも 似た 植 物が 生 い 茂る よ う に 加え ら れ 変更 さ れ た︒ また 右 の 画 面下 部 中心 にい る人 物は 省か れ︑ 田が 画面 のよ り上 部 に 描か れ た︒ や や分 か り に くい が

︑︽ 岩 戸村

︾の 画 面 上部 に 階 段 状の も のが 見ら れる

︒こ れは

︑︽ 山 村六 月︾ の中 段に 描か れて いる 棚田 の線 であ る︒ 従っ て︑

︽岩 戸村

︾の 田の 向こ う︑ 棚田 の 手前 に描 かれ てい る疑 わし き黒 雲の よう なも のは

︑︽ 山 村 六月

︾に お い ても 同 じ 位 置に あ る 田の 畔 に 立つ 樹 木 だ と考 え る こ とが で き る︒ しか し

︑合 理 的 な遠 近 感 を無 視 す る か の よ う に 極 端 に 大 き く 手 前 に 描 か れ る よ う に な っ て い る︒

︽山 村六 月︾ は花 が極 めて 近く に描 かれ てい る以 外は 自然 な遠 近で ある のに 対し

︑︽ 岩戸 村︾ は先 ほど 述べ たよ うに 田が 浮 上し て描 かれ

︑樹 木が 前に せり 出し て描 かれ てい る上 にそ れら がど れも はっ きり と描 かれ てい るた めに

︑焦 点が どこ に ある のか が分 から ない

︒植 物の 手前 から 家屋 や田 を見 降ろ して いる はず であ るが

︑そ の向 こう の木 は水 平か 見上 げる か しな けれ ばこ のよ うに は見 えな いし

︑そ もそ も木 の近 くに 寄ら なけ れば この よう に巨 大に は見 えな い︒ 視点 がい くつ か 設定 され 組み 合わ され 合理 的な 空間 の表 現と は言 えな い︒ そし て左 端の 植物 と田 は︑

︽ 岩戸 村︾ にお いて は垂 直 と水 平 の 直線 を 意 識 し︑ 白い 縁 取 りを ほ ど こさ れ た︒ こ れ によ り

︑垂 直と 水平 の線 が画 面を 支配 し︑ より 画 面 が整 理 さ れた

︒ま た

︑左 端 の 植物 は

︑︽ 山 村六 月

︾で は 控え 目 に 開 いて い た葉 が︑

︽ 岩戸 村︾ では 右斜 め上 に向 かっ て鋭 く伸 びて いる

︒こ の変 化が 加え られ たの は︑ おそ らく

︽山 村六 月︾

︽岩 戸 村︾ に共 通し て見 られ てい る右 下家 屋の 屋根 の特 徴的 な線

││ 右上 から 左下 に向 かっ て︑ 途中 角度 を変 化さ せな がら 伸 びて いる

││ の反 復を 作る ため であ ると 考え るこ とが でき る︒ その 線は 上に 向か うに つれ て崩 れな がら くり 返し 現れ て いる

︒︽ 岩 戸村

︾の 画面 下に 付け 加え られ た︑ 互い 違い に 繁る 植 物 も︑ 左下 の 屋 根 の交 差 す る線 の 反 復を 見 せ る ため に 描か れて いる と考 える こと もで きる

︒ 次に

︑モ チー フの 描き 方を 見 るこ と に する

︒画 面 左 端の 植 物 は︑

︽ 山村 六 月︾ と︽ 岩 戸村

︾を 見 比 べる と

︑︽ 岩 戸 村︾

田中一村と戦後日本画壇 ― 554 ―

(12)

の ほう が︑ 茎に どの よう に葉 がつ いて いる のか の前 後関 係が 分か り︑ 立体 的で ある

︒茎 を縁 取る 白い 線は その 前後 関係 を 浮立 たせ る逆 光と して 表さ れて いる

︒ま た︑ 田の 畔の 木も 手前 に引 き寄 せら れ︑ その 木の 葉の 塊は 立体 感と 量感 が表 さ れて いる

︒画 面右 から 向け られ た光 によ って それ が浮 立た され てい る︒ 垂直 と水 平が 不自 然に 見え る画 面の 中︑ 不自 然 に手 前に 引き 寄せ られ たモ チー フの その 個々 が持 って いる 立体 性︑ 前後 関係 によ って

︑画 面に は現 実に ない 空間 が作 ら れて いる

︒ 以上

︑︽ 岩 戸村

︾に 加え られ た変 更は

︑水 平垂 直 の線

︑モ チ ー フを 極 端 に 大き く 近 く描 く こ と︑ 反復 す る 線︑ モ チー フ の立 体感

︑強 い逆 光︑ それ によ り現 れる 非現 実的 な空 間で あっ た︒ これ は︽ 山村 六月

〜北 日向 にて

〜︾ と︽ 山村 六月

︾を 比較 する とよ り明 確で ある

︒︽ 山 村六 月︾ は色 紙サ イズ

︑︽ 山村 六 月〜 北日 向に て〜

︾は 絹本 でそ れよ りも 一回 り大 きな 作品 であ る︒ まず 色紙 に︽ 山村 六月

︾を 描き

︑次 によ り一 層プ ラ ンを 詰め なが ら︽ 山村 六月

〜北 日向 にて

〜︾ を描 いた と考 えら れる

︽ 山村 六月

〜北 日向 にて

〜︾ は︑ モチ ーフ の極 端に 大き く 近く 描 く とい う こ と はし て い ない が

︑左 端 手前 の 植 物 は一 本 縦の 線と して 生き るよ うに 整え られ てい る︒ また

︑田 と家 屋の 屋根 が水 平に なり

︑手 前の 植物 の葉 もそ れに 方向 性を 合 わせ るよ うに 横に 広が った

︒茎 の立 体感 もそ の色 彩の 階 調 によ っ て 表さ れ て い る︒ 棚田 が 階 段状 に 描 かれ て お ら ず︑ 網 目の よう な形 状を 見せ

︑雲 はよ り細 かく なっ た︒ これ は田 と雲 のか たち が︑ 相似 する かた ち・ 反復 を見 せる よう に変 更 が加 えら れた もの であ る︒

︽ 山村 六 月〜 北 日向 に て〜

︾に は

︑上 記 し たよ う な︽ 岩 戸村

︾の 特 色 を︑ 徐々 に 作 り 上げ て いく その 途中 段階 を見 て取 るこ とが でき る︒ 一村 は︑ この よう な画 面の 中に おけ る実 験的 な試 みを 行い なが らも

︑自 分が 実際 にス ケッ チ旅 行に おい て取 材し たモ チ ーフ を頑 なに 守り

︑植 物や 家の かた ちに 変更 は加 えつ つも

︑そ のモ チー フが 持っ てい る特 徴を 損な って いな い︒ 架空 の 場所

︑実 際に は存 在し ない 植物 や家 屋を 描く とい うこ とは して いな いの であ る︒ 一村 が南 画と 訣別 して から 長年 に渡

― 555 ― 田中一村と戦後日本画壇

(13)

り 取り 組ん でい たの は︑ 風景 にお いて も植 物に お い ても

︑写 生 で あり

︑そ の 姿 勢 はこ こ で も守 っ て いる

︒こ れ も ま た︑

︽岩 戸村

︾の 特色 の一 つで ある と思 われ る︒ とこ ろで

︑こ のよ うな 画面 の作 り方 はそ れま での 一村 の作 品に は無 かっ た︒ とは いえ

︑今 野忠 一の 影響 だけ で作 られ る も の でも な い︒ そ こで

︑こ の 作 品 がど の よ うな 状 況 で描 か れ た のか

︑影 響 し た の は 何 だ っ た の か を 次 の 章 で 考 察 す る

第三 章 一村 と 戦 後日 本 画 壇 一村

が展 覧会 に出 品し てい た頃

││ 昭和 二二 年頃 から 昭和 三三 年頃 まで の日 本画 の動 向は どの よう な状 況だ った のだ ろ うか

︒そ れを 簡単 に見 てお くこ とと する

︒ 戦争 が終 わっ て︑ 一番 はじ めに 展覧 会が 開か れた のが

︑昭 和二

〇年 一〇 月の 青龍 社展 であ る︒ そし て︑ 昭和 二一 年三 月 には 日展 が︑ 九月 には 院展 が開 催さ れた

︒昭 和二 三年 1月 には 同級 生の 橋本 明治 や加 藤栄 三ら の結 成し た︑ 当時 でい う とこ ろの 近代 化・ 世界 性を 目指 す美 術団 体で ある 創造 美術 展︑ 同年 5月 には さら に前 衛的 な運 動を 行っ たパ ンリ アル 展 が開 かれ てい た!

︒ この よう な運 動の 背景 には

︑日 本画 がそ の存 在意 義や 行く 先 を 非常 に 問 われ て い た時 代 だ っ たと い うこ とが 挙げ られ る︒ 創造 美術 は洋 画に 近づ きす ぎで ある とい う批 判も され たが

︑パ ンリ アル とと もに

︑や がて 日展 や 院展 にも 影響 をお よぼ す運 動と なり

︑日 本画 の中 に強 い色 彩や 抽象 表現 を取 り込 む原 動力 にな った

"

︒ さて

︑こ のよ うに

︑一 村に とっ て挑 戦す る公 募展 がい く つ もあ る 中︑ ま ず挑 戦 し た のは 川 端 龍子 の 主 催す る 青 龍 社︑ 次 に日 展︑ 最後 が院 展で あっ た︒ おそ らく 青龍 社に 出品 して いた 昭和 二三 年頃 はパ ンリ アル や創 造美 術な どが 主導 する 動 向に 興味 はな かっ たの では ない かと 思わ れる

︒し かし

︑こ のよ うに 公募 展へ の出 品を 繰り 返し 模索 する うち に︑ 時代

田中一村と戦後日本画壇 ― 556 ―

(14)

の 流れ と無 関係 でい られ なく なっ たと 考え られ る︒ 昭和 三〇 年前 後か ら特 に日 展と 院展 に︑ 幾何 学的 な画 面の 処理 など によ る抽 象絵 画を 取り 入れ よう とす る動 きが 顕著 に なっ た︒ 例え ば昭 和 三一 年 に 堂本 印 象 は︽ 意識

︾︻ 図 9︼ を︑ 昭 和三 二 年 には

︽無 明

︾︻ 10図

︼を 出 品 した の で あ る︒ こ の頃 の堂 本印 象は 大家 とし てそ の地 位を 確立 して いた にも 関わ らず

︑西 洋の モン ドリ アン に見 られ るよ うな 抽象 表現 を 日本 画で どの よう に表 現す るか に取 り組 み始 めた

︒そ れが 当時 の日 展 で は大 き な 騒ぎ に な った

!

そ の 他 に も︑ 日展 の 堂本 印象 の周 り│

│つ まり 京都 の画 家た ちに

︑何 らか のか たち で抽 象絵 画を 取り 入れ よう と苦 心し てい る傾 向が あっ た

︒院 展に おい ても 同様 であ った

︒昭 和 三〇 年 の 40第 回院 展 に 出品 し た 酒 井亜 人 の︽ 樹︾

︻ 11図

︼は 奨 励賞 と 白 寿 賞を 受 賞し てお り︑ 同じ く昭 和三

〇年 の出 品作 であ る斎 藤倭 文緒

︽樹 木︾

︻ 12図

︼︑ 今野 忠一

︽暮 秋︾ は日 本美 術院 賞・ 大観 賞 を受 賞し てい る︒ それ ぞれ

︑モ チー フの 単純 化を 行い

︑幾 何学 的に モチ ーフ を配 置し た作 品で ある

︒こ れら に賞 が与 え られ てい るこ とか らも 分か るよ うに

︑こ れら はま だ改 善し てい く必 要が ある もの の︑ 日本 画に とっ て必 要な 挑戦 であ る と評 価さ れて いた

"

︒ 一村 の︽ 岩戸 村︾ に見 られ た特 徴︑ つま り大 きな 近景 と遠 景を 対比 する 構図

︑樹 木の 単純 化し た描 き方

︑植 物や 湖の 配 置な どが 共通 して 院展 の今 野忠 一作 品に 見ら れる こと は既 に第 二章 で指 摘し たと おり であ る︒ そし て︑ 今野 忠一 作品 に 見ら れな かっ た特 徴の いく つか

││ つま り逆 光や 量感 の表 現に より 個々 のモ チー フの かた ちが 際立 って いる 点︑ 幾何 学 的 な 線に よ る 画面 の 構 成︑ 反 復す る 線 やか た ち は︑ 堂本 印 象 に 見ら れ る 絵画 か ら の影 響 で あ ると 考 え るこ と が で き る

︒一 九五 七年 の堂 本印 象の

︽無 明︾ と一 村の

︽岩 戸村

︾を 比較 して みる と︑ 垂直 の線

︑水 平の 線が 共通 して

︑画 面を 支 配し てい るこ とが 見て とれ る︒ 堂本 にお いて は色 彩の 面の ひと つひ とつ

︑一 村に おい ては 個々 のモ チー フが それ ぞれ に 際立 って いる 点も 両者 に共 通す る特 色と して 確認 でき る︒ また

︑家 屋と 植物 に見 られ るよ うな 相似 した 角度 を伴 う斜 め の線 が相 似と なっ て画 面に 現れ てく る点 は︑ 堂本 印象 の一 九五 六年 の︽ 意識

︾に おい ても 見ら れる

︒堂 本の 場合

︑画

― 557 ― 田中一村と戦後日本画壇

(15)

面 中心 やや 左に 段に なっ た線 が見 え︑ それ が何 度か 表れ てお り︑ 堂本 から 幾何 学的 な線 での 遊び とも いえ るこ の表 現を 得 たの では ない かと 考え られ るの であ る︒ もち ろん

︑日 展の 東京 の画 家や

︑院 展の 画家 にも

︑抽 象的 な表 現へ の取 り組 み を見 せた 画家 はい た︒ また

︑当 時︑ 抽象 表現 の大 家モ ンド リア ンは 雑誌 にお いて も広 く紹 介さ れて おり

︑一 村は 直接 西 洋の 画家 を学 習し うる 状況 にい た︒ しか し日 本画 家で ある 一村 が︽ 岩戸 村︾ にお いて 行お うと した こと は︑ 自ら が長 年 磨い た写 生を 画面 上に 活か す術 とし て抽 象表 現を 取り 入れ ると いう こと であ り︑ それ は︑ 同じ く日 本画 家と して 抽象 表 現に 取り 組ん でい た堂 本印 象と その 周辺 を視 野に 入れ て の こと だ っ たと 考 え ら れる の で ある

︒堂 本 の 行っ た こ と は︑ 他 の画 家の 抽象 表現 が色 彩や 形態 の純 化に 留ま った のに 対し

︑画 面を 明確 な線 やか たち で構 成す ると いう

︑他 と一 線を 画 すも ので あっ た︒ 一村 が︽ 岩戸 村︾ で取 り入 れた のは

︑色 彩や 形態 の純 化で はな く︑ 自分 が実 際に 見た モチ ーフ や風 景 を︑ 画面 の中 に構 成す る方 法だ った ので ある

︒ お わ り に 以上

︑一 村の 同時 代の 日本 画壇 から の影 響を 考察 した

︒画 壇を 去っ た一 村で ある が︑ 彼の 作品 は︑ 当時 の画 壇が あっ て こそ 描け た作 品で あっ たと 言え る︒ ここ で︑ 一村 のハ ガキ をも う一 度見 ると

︑八 月二 五日 の

﹁戦 時 中の 十 年 の遅 れ を 取 り戻 し た と自 信 し てお り ま す が﹂ と ある

︒こ こに

︑一 村の 同時 代へ の流 れに 追い つき

︑同 時代 の画 家た ちが 取り 組ん でい たこ とを 自分 も獲 得し よう とし た

︑あ るい はそ れ以 上の こと をや ろう とし たと いう 一村 の自 負が 窺え る︒ しか し︑ この

︽岩 戸村

︾は

︑そ のよ うな 一村 の自 信を 裏切 り︑ 落選 に終 わっ てし まっ た︒ 七月 二日 のハ ガキ の﹁ 院展 の 理想 主義 と小 生の 絵画 観念 は少 しく 相違 あれ ば﹂ とあ るよ うに

︑一 村は おそ らく 自分 の取 り組 みが 院展 の方 向性 とは

田中一村と戦後日本画壇 ― 558 ―

(16)

違 うこ とに 気づ いて いた

︒し かし

︑そ れで もこ の作 品を 院展 に送 り込 んだ ので ある

︽ 岩戸 村︾ は焼 却し たが

︑一 村は その 写真 を奄 美に 持 って い っ た︒ その こ と が 意味 す る よう に

︑一 村 は奄 美 に も この 同 時代 の画 家か らの 影響 を持 って いっ たに 違い な い︒ 奄 美に お け る作 品 に は︑

︽ 岩戸 村

︾で 一 村が 意 図 的に 作 り 上 げた 構 図の 取り 方や モチ ーフ の描 き方 が︑ より 巧妙 に仕 組ま れて いる はず であ る︒ 奄美 での 作品 を理 解す る上 での 手が かり と した い︒

# 註 湯 原 か の 子

﹃ 絵 の な か の 魂 評 伝

・ 田 中 一 村

﹄︑ 新 潮 選 書

︑ 二

〇 六 年

︑ 八 頁

$ 松 本 邦 揮

﹁ 発 掘 画 壇 を 捨 て た! す ご い 画 家"

田 中 一 村

﹂ 芸 術 新 潮 ア ー ト ニ ュ ー ス 一 九 八 五 年 一

〇 月 五

〜 五 五 頁

% 湯 原 か の 子

﹃ 絵 の な か の 魂 評 伝

・ 田 中 一 村

﹄︑ 新 潮 選 書

︑ 二

〇 六 年

&

大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︒ ' 青 龍 社 で 活 躍 し て い た 画 家

・ 時 田 直 善

︑ 同 級 生 の 加 藤 栄 三 と の 交 流 が あ っ た こ と が 分 か っ て い る

︒ 大 矢 鞆 音

﹃ 田 中 一 村 豊 穣 の 奄 美

﹄︑ 日 本 放 送 出 版 協 会

︑ 二

〇 四 年

︑ 一

〇 七

〜 一 二 九 頁

︑ 一 五

〜 一 五 三 頁

︒ ( 大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 四 頁

︒ ) 山 西 健 夫

﹁ 田 中 一 村 様 式 形 成 へ の 模 索

﹂︑

﹁ 田 中 一 村 新 た な る 全 貌

﹂ 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 一

〇 年

︑ 千 葉 市 美 術 館

︑ 二 四 八

〜 二 四 九 頁

* 大 矢 鞆 音

﹃ 田 中 一 村 豊 穣 の 奄 美

﹄︑ 日 本 放 送 出 版 協 会

︑ 二

〇 四 年

︑ 一 四 六 頁

︒ +

﹁ 田 中 一 村 新 た な る 全 貌

﹂ 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 一

〇 年

︑ 千 葉 市 美 術 館

︒ , 青 龍 展 の 画 家

・ 時 田 直 善 氏 と の 交 流

︑ 加 藤 栄 三 と の 交 流 に つ い て

︑ 大 矢 氏 が 述 べ て い る 他

︑ 村 田 隆 志 氏 が そ の 論 考 に お い て

― 559 ― 田中一村と戦後日本画壇

(17)

松 林 桂 月 か ら の 影 響 を 考 察 し て い る

︒ 大 矢 鞆 音

﹃ 田 中 一 村 豊 穣 の 奄 美

﹄︑ 日 本 放 送 出 版 協 会

︑ 二

〇 四 年

︑ 一 五

〜 一 五 三 頁

︒ 村 田 隆 志

﹁ 田 中 一 村 と 近 代 南 画

│ 小 室 翠 雲 と 松 林 桂 月 双 璧 の 間 で

﹂﹄ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 九

〜 二 一 頁

"

大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 一

〜 一 五 頁

# 大 矢 鞆 音 氏 談

$ 川 村 不 昧 氏 談

% 大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 二 頁

︒ 山 西 健 夫

﹁ 田 中 一 村 様 式 形 成 へ の 模 索

﹂︑

﹁ 田 中 一 村 新 た な る 全 貌

﹂ 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 一

〇 年

︑ 千 葉 市 美 術 館

︑ 二 四 八 頁

&

川 村 不 昧 氏 談

︒ ' 同 右

︒ ( 大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 二 頁

︒ ) 山 西 健 夫

﹁ 田 中 一 村 様 式 形 成 へ の 模 索

﹂︑

﹁ 田 中 一 村 新 た な る 全 貌

﹂ 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 一

〇 年

︑ 千 葉 市 美 術 館

︑ 二 四 八 頁

* 大 矢 鞆 音

﹁ 論 考: 田 中 一 村

︑ 団 体 展 へ の 挑 戦

│ 日 展

・ 院 展 作 品 を 中 心 に

﹂ 田 中 一 村 展 展 覧 会 図 録

︑ 二

〇 八

︑ 奈 良 県 立 万 葉 文 化 館

︑ 一 二 頁

︒ + 同 右

︒ ,

﹁ 近 代 日 本 画 史 を 俯 瞰 す る! 戦 後 日 本 画 の 名 作 展 一 九 四 五 年

〜 一 九 七

〇 年

﹂ 一 九 九 一 年

︑ 茨 木 県 近 代 美 術 館 -

﹁ 戦 後 日 本 画 の 革 新 運 動 パ ン リ ア ル 創 世 記 展

﹂︑ 一 九 九 八 年

︑ 西 宮 市 大 谷 美 術 館 .

﹁ 華 麗 な る 変 動 堂 本 印 象 の 世 界 展

﹂ 展 覧 会 図 録

︑ 茨 城 県 天 心 記 念 五 浦 美 術 館

︑ 二

〇 三 年

︑ 五 九

〜 六

〇 頁 / 日 本 美 術 院 百 年 史 巻 八

︑ 財 団 法 人 日 本 美 術 院 発 行

︑ 一 九 九 九 年

田中一村と戦後日本画壇 ― 560 ―

(18)

1 《岩戸村》

2 《山村六月》紙本彩色、色紙、27.0×24.0×cm、昭和30年、田中一村記念美術館蔵

― 561 ― 田中一村と戦後日本画壇

(19)

3 《山村六月〜北日向にて〜》絹本着色、額装、50.2×40.3 cm、個人蔵

4 昭和33年1月25日 図5 昭和33年7月2日

6 昭和33年8月15日

田中一村と戦後日本画壇 ― 562 ―

(20)

7 《老樹》今野忠一 昭和33年 佐 久 市 立 近 代美術館蔵

8 《暮秋》今野忠一 昭和30年

9 《意識》堂本印象紙本着色、120.0×

165.0 cm 昭 和31年 京 都 府 立 堂 本 印 象 美術館蔵

11 酒井亜人《樹》酒井亜人 昭和30 年

12 《樹木》斎藤倭文緒 昭和30年 図10 《無明》堂本印象 昭和32 年

― 563 ― 田中一村と戦後日本画壇

図 1 《岩戸村》
図 4 昭和 33 年 1 月 25 日図5昭和33年7月2日
図 7 《老樹》今野忠一 昭和 33 年 佐 久 市 立 近 代美術館蔵 図 8 《暮秋》今野忠一 昭和 30 年 図 9 《意識》堂本印象紙本着色、120.0× 165.0 cm 昭 和 31 年 京 都 府 立 堂 本 印 象 美術館蔵図11酒井亜人《樹》酒井亜人 昭和30年図12《樹木》斎藤倭文緒 昭和30年図10《無明》堂本印象 昭和32年― 563 ―田中一村と戦後日本画壇

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