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中 央 協 約 か ら 見 る ス ウ ェ ー デ ン の 労 使 関 係

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(1)

はじめに

本稿の目的は︑二つある︒一つは︑スウェーデンの労使関係の

実態を︑特に︑産業を超えた中央レベル︵国レベル︶で行われて

きた労使関係の実態を描くことであり︑もう一つは︑中央レベル

が推進したとされる﹁連帯主義的賃金政策﹂の実態を協約から明

らかにすることである︒

何故︑労使関係なのか︒スウェーデンについて︑その多くの

人々の共通理解として存在するのは︑スウェーデンが市場経済を

基礎としつつも︑効率的に市場を規制する事によって︑比較的良

好な経済パフォーマンスと国民の豊かな暮らしの両方を戦後一貫

して達成してきた国だという点ではないだろうか︒その中でも︑

労働市場に関する規制を主に担ってきた主体は︑労働者と使用者

であり︑その二者の間において雇用をめぐる様々なルールが取り

決められてきたのである︒こうした諸活動そのものが労使関係で あるから︑スウェーデンの労使関係がどのような規制を労働市場

に対して行ってきたのかを明らかにすることは︑我々が︑社会民

主主義国家の代表としてであれ︑コーポラティズムの代表として

であれ︑市場を効率的に規制してきた国家と言われているスウェ

ーデンを理解するための有効な接近方法の一つなのである︒ま

た︑後に触れるように︑労使関係がスウェーデンの経済政策にと

って非常に重要な役割を担っていた点や︑組合の組織率が世界の

中でも非常に高いという事実を考えると︑スウェーデンという国

家を理解する上で労使関係を知ることは非常に重要なことだと思

われる︒

ただ︑労使関係の実態を描く事を目的に︑雇用に関する様々な

規則を明らかにしようと思っても︑その対象は数多くある︒そこ

で︑本稿では賃金に注目して議論を進めたいと思う︒なぜなら︑

理論的に雇用関係を考えた際にも︑経験的に労働を考えてみた際

にも︑賃金こそが労働問題における最も重要な要素だからであ

︹ 研 究 ノ ー ト ︺ 中 央 協 約 か ら 見 る ス ウ ェ ー デ ン の 労 使 関 係

西 村 純

︵ 社 会 学 研 究 科 産 業 関 係 学 専 攻 博 士 課 程 後 期 ︶

― 1 ―

(2)

る︒

ところで︑少しでもスウェーデンを調べたことのある者なら︑

何故︑今更中央レベル︵国レベル︶の労使関係を調べるのかとい

う疑問をもたれる方も多いのではないかと思う︒周知の通り︑混

乱の八〇年代を経て九〇年代には︑中央体制は︑その役目を終

え︑現在では産業別の労使関係を頂点とした労使関係が構築され

ている︵

Ki je llb er g 1992

︑篠田

2001

︶︒そうした疑問に対する答

えは︑二つである︒一つ目は︑現在を知るためには過去を知らな

ければならないから︑中央レベルの労使関係を明らかにする必要

があることと︑二つ目が︑こちらがより重要なことであるが︑ま

だ︑誰も中央から職場交渉にまでいたる労使関係の四層構造の関

係性を明らかにしていない中で︑どうして現代の変化が語れるの

か︑という素朴な疑問を心から拭い去ることができないからであ

る︒

各論に入る前に︑スウェーデンの労使関係における本稿の対象

を図示しておきたいと思う︵図1︱1︶︒下図のように︑本稿で

取り上げている範囲は︑スウェーデンの労使関係全体のごく一部

である︒しかしながら︑労使関係の国際比較を行なった際に︑ス

ウェーデンの特徴としてまず紹介されるのが︑中央レベルの労使

関係である︒したがって︑この中央レベルの労使関係をきちんと

理解することが︑スウェーデンの労使関係を理解するための第一

歩である︒

本稿の構成は次のようになっている︒まず︑1章では︑スウェ

1−1

労使関係の階層と変化

出所) Kijellberg( 1992); EIRR (1981 e); Rehn & Viklund( 1990); Martin

(1995) ;篠田(2001)より作成

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 2 ―

(3)

ーデンの労使関係に関する研究として代表的な研究を取り上げ︑

その問題点を提示する︒次に2章では︑スウェーデンにおける組

合の位置付けを確認し︑労使関係がどういう役割を期待されてい

たのかを確認する︒そして︑3章︑4章︑5章において︑国家レ

ベルの労使関係が何を決めていたのかを明らかにする︒その上

で︑しばしばスウェーデンの特徴とされてきた産業を超えた国レ

ベルの労使関係の役割を明らかにすると共に︑彼らが行ってきた

連帯主義的賃金政策が︑その賃金政策が持っていた理念とはかけ

離れたものになっていたことを述べる︒

.

先行研究 1︱1.労使関係論的視点の欠如

スウェーデンの労使関係に関する先行研究はいくつか存在して

いる︒代表的なものとしては︑稲上︵

1994

︶︑宮本︵

1999

︶︑篠田

2001

︶︑猿田︵

2003

︶などがあげられよう︒また︑猿田

2003

2005

︶において日本人によるスウェーデン研究の文献研

究はされつくされている感がある︒したがって︑ここでこれらの

文献レビューをわざわざ書くことの必要性はあまりないと思われ

る︒ここで指摘しておきたいことは︑四人の研究者に共通するこ

ととして︑スウェーデンにおける労使関係の重要性を認めつつ

も︑労使関係研究の伝統的作法がとられていないことにある︒伝

統的作法とは何なのか︑それはつまり︑ルールに着目して議論を

進めるということである︒ 確かに︑福祉国家や資本主義の有り様は重要なテーマである︒

しかしながら︑徹底的な事実の解釈なしに︑それらの壮大なテー

マを述べることができるのかと問われれば︑おそらく不可能と言

わざるを得ないであろう︒ただ︑ここで生じる疑問は︑皆が労使

関係の重要性を説くにも関わらず︑何故これまで労使関係の研究

が行われてこなかったのか︑という点である︒

1︱2.労使関係論的視点とその問題

では︑今まで労使関係的研究が行われてこなかったのかと言わ

れれば︑そうではない︒これまでに読んだ限られた論文や著作の

中からではあるが︑唯一労使関係の作法を意識的に用いてスウェ

ーデンの労使関係を研究しようとしたのが

Olsso n

1990

︶であ

る︒

Olsson

はダンロップとフランダースの枠組みに依拠しなが

ら︑ルールに着目することで労使関係を解き明かそうとした︒そ

の点では︑日本のスウェーデン研究の視点とは趣が異なったもの

となっている︒

Olsson

流のルールの分析とは︑

漓構造的背景

Stru ctu ral co n tex t

︶︑

ur es rti ope pr al ct ru St

構︵質特の造︶︑

澆交渉 の背景︵

ne got ia tion cont ex t

︶︑

se ia egot n f o s es oc pr Sub- -

交︵程過渉

tio n

︶の四つを調べることであり︑そして︑それを通じてルール の体系︵

Rule Re gime

︶を明らかにしようとするものであった

Ol ss on 1990

︶︒

Olsson

1990

︶から判断すると︑まず︑

漓はスウ

ェーデンに存在する複数の労働者の代表と経営者の代表といった

― 3 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(4)

諸アクターを意味しており︑次に

滷は︑各アクターの関係から生

み出される何らかの特質を意味しており︑ここでは賃金ドリフト

やその補

頡係てっなと象対な主が関やルバイラの間ンオニユい

る︒また︑

澆ー関ルバイラやンョシネはィデーコの間合組に主係

の推移を指しており︑最後の

潺は文字通り賃金交渉そのものを指 している︒

Olsson

の枠組みを図示すると以下のようになる︵図

1︱2︶︒

このように︑ルールの体系︵

Rule re gime

︶︑つまり︑労使関係

は︑当事者や彼らがおりなす交渉やその結果を規定する一方で︑

当事者や彼らの交渉やその結果から変化を促されるものであると

いうのが︑

Olsson

の視点である︒また︑外部環境よりも当事者

間の関係によって労使関係は変化すると主張しているところは︑

Olsson

の優れた点であろう︒ ただ︑ここでの問題点は︑ルールに関する

Olsso n

の理解であ

る︒彼自身の視点があくまでルールのプロセスを重視する︑すな

わち︑労使関係論的に言うと手続き的規則に偏重してしまってい

るため︑その関心がもっぱら︑交渉アクターとそれらがおりなす

賃金交渉に向っており︑結果的にアクターの説明︑アクター間の

関係︑交渉過程といういわゆる交渉形態に関する議論になってし

まっているのである︒確かに賃金ドリフトに関するチャプターも

存在しているがそこでの議論は︑賃金ドリフトが労働市場の需給

関係で発生しているものではないということを証明することに終

始しており︑賃金ドリフトの仕組み︑つまり︑実態的ルールが彼

1−2

Olsson の枠組み

出所) (Olsson 1990 ; 9)

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 4 ―

(5)

の関心からは︑外れているのである︒

こうした彼の視点によって︑自身の枠組みには︑交渉の

Outcome

というものが一応入っているものの︑その最も重要なものである

労働協約が彼の分析からは抜け落ちてしまっており︑結果的に︑

日本で行われているスウェーデン研究と大差の無いものになって

しまっているのである︒

1︱3.共通する問題点

以上をまとめると︑スウェーデンの労使関係研究の問題点は︑

それが労使関係論的に扱われていようがいまいが︑労使関係の最

も重要な産出物である労働協約の分析がほとんど行なわれていな

いことにあると言える︒労働協約の分析がなされていないことに

よって︑労使関係の縦の構造や横の構造の実態がほとんど明らか

になっていないのである︒そして︑当然のことであるが︑こうし

た問題点をそのままにしたままスウェーデンが変化したと言って

も︑その主張は︑曖昧模糊とした説明にならざるを得ない︒

協約ベースで労使関係を紐解く︑この当たり前の作業が今スウ

ェーデンの労使関係研究にとって最も必要とされていることなの

である︒ただ︑協約を扱う前に︑スウェーデンの労使関係を研究

する上でいくつか触れておかなければならない事柄は勿論存在す

る︒次章でそれらについて述べたいと思う︒ 2

.

スウェーデンモデル

スウェーデンに関する研究において必ずといって良いほど出会

う用語が︑スウェーデンモデルという語句である︒しかしなが

ら︑このあまりにも一般的な言葉に対する共通の理解は無く︑い

くつかの解釈が存在している︵稲上

1994

︶︒様々な解釈があるも

のの︑端的に言えば︑スウェーデンモデルとは︑スウェーデンの

特徴的な社会政策と経済政策の組み合わせを指すものである

Vi ss er 1996 ; 176

︶︒ここでは︑戦後のスウェーデンの福祉政策

や経済政策の基礎となり︑かつ労働組合の担うべき役割が定義さ

れたレーン・メイドナーモデルをスウェーデンモデルと見なし︑

議論を進めていくこととする︒

2︱1.レーン・メイドナーモデル

このモデルは︑LOのエコノミストであったレーンとメイドナ

ーの二人を中心にして考え出された︑戦後のスウェーデンが目指

すべき姿と︑その実現のための政府と組合の役割を示したもので

ある︒多くの論者がこのモデルの説明を行っているが︑本節では

モデルの発案者の一人である

Mei dne r

1997

︶に沿って︑このモ

デルの要点とそれを実現するために組合が何を求められていたの

かを明らかにする︒

メイドナーによるとレーン・メイドナーモデルが目指したもの

は︑大きく二つあった︒一つは︑完全雇用であり︑もう一つは︑

― 5 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(6)

平等︵

eq u ality

︶である︵

Me idne r 1997

︶︒ただ︑ここで重要なこ

とは︑二つの目標を達成しようとした際に生じるであろう障害を

回避した上で︑上の二つの目標を達成す

ることが目指されていた点である︒つま

り︑完全雇用を物価の安定性を損なうこ

と無しに実現し︑平等を効率性を損なう

こと無しに実現しようとしたのがレーン

・メイドナーモデルであった︒したがっ

て︑スウェーデンモデル︵レーン・メイ

ドナーモデル;筆者︶とは︑二つの相反

する目標を︑どちらかを犠牲にすること

なく︑同時に達成しようとする試みのこ

とだったのである︵

Me idne r 1997 ;

89

︶︒

そのために︑このモデルは組合にどの

ような役割を期待していたのか︒期待さ

れていた役割を示すと以下のようにな

る︒

表2︱1から分かるように︑組合は︑

賃金上げを抑制し適切な水準に維持する

ことを通じて︑インフレ無き完全雇用の

実現に対する重要な役割を期待されてい

る︒また︑平等を実現するために連帯主 義的賃金政策を実施して行くことも期待されているのである︒こ

のように︑レーン・メイドナーモデルにおける労働組合とは︑単

に労働者の代表者であるという単純なものとしてではなく︑国家

の経済問題に対しても取り組んでいくべき主体であるという位置

付けに置かれていると言える︒こうした労働組合の位置付けの高

さは︑このモデルの特徴の一つと言えよう︵

Ahl en 1989

︶︒

では︑そのためには︑組合にとってどのような組織が必要だっ

たのか︒上のような目的を達成するためには︑産業間の利害を調

整し︑スウェーデン産業全体をコーディネートするための組織が

必要不可欠である︒故に︑このモデルを実現しようとすれば︑必

然的に︑産業を超えた組合連盟であるLOの役割が重要にならざ

るを得ない︒そして︑偶然というべきか︑まさに絶妙のタイミン

グで︑戦後︑個別企業や︑産業間で連続的に生じる賃上げ競争に

手を焼いていた経営者側が︑賃上げの抑制を実現するために中央

交渉を持ちかけ︑それに連帯主義的賃金政策の実現を望んでいた

LOが応じたことで︑一九五六年から一九八三年までLOと経営

者連盟であるSAFの間で中央レベルの労使関係が行われるよう

になったのである︵

EI RR 1984, Ol ss o n 1990, M ar tin 1995

︶︒ 2︱2.スウェーデンの労使関係の特徴 2︱2︱1.そのエッセンス

前述のように︑スウェーデンにおいて労使関係が担う役割は非

常に大きなものである︒いくつかの数値でそれを確認してみよ

2−1

平等(Equality)

連帯主義的賃金政策

(Wage policy of solidarity)

出所)Meidner(1997)より筆者が作成 完全雇用

(Full employment)

調整された賃金政策

(Coordinated wage plicy)

目的 行為者 (Agent)

組合(Unions)

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 6 ―

(7)

う︒まず︑組織率であるが︑近年落ちてきていると言われてい

るものの︑二〇〇四年時点で七七%である︒この数値は︑EU平

均が二五%なので︑その数値が抜きん出ていることが良く分か

る︒団体協約が規定している範囲︵

Co llectiv e B arg ain in g C o v er-

ag e

︶は︑九二%で︑これもEU平均の六六%を大きく上回って

いる︒そして︑一九九〇年以降分権化が進んだと言われている労

使関係であるが︑労使関係の集権度は五六%となっており︑これ

もEU平均の三四%と比べると︑際立っている数値であろう︒一

方で︑ストライキ指標は︑EUが九%なのに対してスウェーデン

は三%と低くなっており︑紛争は︑ほとんど起こっていないよう

である︒また︑男女の賃金の差は︑八五%であり︑性別による賃

金格差が少ない国としても知られている︒特に強調すべきは団体

協約がカバーしている範囲であろう︒九二%ということは︑スウ

ェーデン国内のほぼ全部の企業が何らかの団体協約の制約を受け

ているということになる︒このことは︑先のレーン・メイドナー

モデルで与えられていた役割と共に︑労使関係がいかに国内産業

に影響を与えているかを良く表している︒

ところで︑そうした重要な役割を担うべき労使関係には︑いく

つかの特徴が存在していることが多くの研究者から指摘されてい

る︒スウェーデンの労使関係の特徴に関して述べている

La sh

1985

︶︑

Olsso n

1990

︶︑

Kijellb erg

1992

︶を参考にすると︑

!

高度に集権的な労使関係︑

"労使自治︑

#産業平和︑

$連帯主義

的賃金政策の四つが︑主な特徴として浮かび上がってくる︒これ らの特徴は︑上の数値とも整合的である︒そして上の四つと共に

必ず出てくるのが︑一九三八年にサルチオバーデンで結ばれた基

本協約︵サルチオバーデン協約︶と先に紹介したレーン・メイド

ナーモデルである︒サルチオバーデン協約によって支えられなが

"労使自治と

#イよにルデモーナドメ産・ンーレ︑が和平業っ

て支えられながら

$連帯主義的賃金政策が︑

!の集権的労使関係

によって実現されてきた︑もしくは実現を目指してきたのが︑ス

ウェーデンの労使関係のようである︒

"に関しては文字通りの意

味なので特に説明を要さないであろう︒政府の介入を極力避け︑

自分たちのルールは自分たちで決めるということである︒以下で

は︑

!高度に集権的な労使関係︑

#の産業平和︑そして︑

$の連

帯主義的賃金政策に関して若干の説明を加えたいと思う︒

2︱2︱2.高度に集権的な労使関係

まずは︑図1︱1を思い起こされたい︒スウェーデンが通常の

国と異なる点として︑まずはじめに強調される事柄は︑産業を超

えたレベル︵中央レベル︶で労働協約が締結されていたというこ

とである︵

Ka tz 2000

︶︒もっとも︑この集権的な労使関係は︑時

代とともに終焉を迎えるのではあるが︑ただ︑ここで押さえてお

かなければならない点は︑集権的労使関係の時代であっても︑そ

の集権のされ方に違いがあった︑ということである︒

勿論︑スウェーデンに存在する中央レベルの組合連盟は︑ブル

ーカラーの代表であるLO以外にも存在する︒その他に代表的な

ものとしては︑ホワイトカラーの代表であるTCO︑ホワイトカ

― 7 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(8)

ラーの中でも︑主に大卒が所属するSACOがある︒この三つの

中に民間部門も公共部門もそれぞれ統括されている︒以上の三つ

が︑集権的労使関係を担ってきた主要なアクターである︒したが

って︑それぞれのアクターの力関係によって︑集権的労使関係の

様相は︑時代毎に異なっている︒戦後から一九八〇年代までのス

ウェーデンの労使関係︑特に賃金交渉形態の動きは大きく区分す

ると︑一般的に︑一九四六年から一九五五年までの第一期︑一九

五六年から一九六五年までの第二期︑一九六六年から一九七三年

までの第三期︑そして︑一九七四年から一九八三年までの第四期

という風に︑四つの時期に区分することができる︵

Ol ss on 1990

︶︒

大まかな特徴としては︑まず︑第一期は︑LOとSAFが賃金

交渉に関してほとんど関与しなかった時代︑すなわち︑賃金交渉

が産業レベルで行われていた時代である︒そうした時代を経て︑

LOとSAFが中央協約を締結し︑そしてそれを定着させた時代

が第二期である︒また︑この時期は︑LOの組織率が九〇%を超

え︑かつ︑労働市場全体におけるLO傘下の組合員の占める割合

も極めて高かったことから︑SAFとLOの間で結ばれる協約が

労働市場全体に与える影響力が最も高かった時代であった︒更

に︑こうした交渉形態の中央集権化とSAF︱LO協約の労働市

場全体に与えていた影響力の大きさに加えて︑賃上げが生産性や

経済状況を考慮に入れて行われていたことから︑第二期は︑スウ

ェーデンモデルの黄金時代と呼ばれている︒しかしながら︑この

SAF︱LOの独裁体制は︑一九六六年の公共部門へのストライ キ権の容認による公共部門の組合の勢力拡大によって︑崩れるこ

ととなる︒一九六六年から︑一九七三年にホワイトカラー組合の

交渉カルテルであるPTKが誕生するまでの第三期は︑労使関係

の中央集権化は維持されているものの︑それまでのSAF︱LO

の独裁体制から︑SAF︱LOと公共部門の二つの集権的な労使

関係が並立する時代︑と特徴付けることができる︒そして︑一九

七四年から一九八三年まで︑LO︑PTK︑公共部門という三つ

のセクターで強力な組合が誕生し︑各々が賃上げ競争を行う﹁複

数の中央集権的労使関係︵

Mu lti-p o lar cen tralism

︶﹂が展開されて

いくことになるのである︒この時期が第四期である︵

Olsson

1990

︶︒

このように︑一九五〇年の半ば以降のスウェーデンの労使関係

は︑賃金交渉が基本的に国レベルで行われていたという意味で

は︑極めて中央集権的である︒しかしながら︑時代と共に︑労働

者側のアクターが増加し︑一九七〇年代の半ばからは︑民間のブ

ルーカラー︑民間のホワイトカラー︑公共部門において︑複数の

中央集権的労使関係が並立する時代へと変化していくのである︒

それぞれの組合の力関係の推移の基準の一つとして︑それぞれの

団体が︑全組合員数の何割を占めていたのかを見てみると︑戦後

最大の組織はLOであることは間違いないが︑一貫してホワイト

カラー系の組合の比率が高まっていることが分かる︵表2︱

2︶︒このことは︑LOの労働市場への直接的な影響力の低下を

端的に物語っていると言えよう︒ 中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 8 ―

(9)

ただ︑本稿では︑そ

の対象をもっぱらブル

ーカラーの団体である

LOに限定している︒

その理由としては︑ま

ず︑LOが︑それでも

なおスウェーデン最大

の労働組合組織であっ

たこと︒次に︑ホワイ

トカラーや公共部門の

組合が︑LOとSAF

の間で結ばれる協約を

参考に自身の協約を作

成している部分があっ

たからである︒故に︑

LOは︑スウェーデン

の労働市場の大部分に

対して︑直接的に︑も

しくは︑間接的に影響

を与えていた︑と言う

ことができる︒こうし

た事情を考えると︑ス

ウェーデンの労使関係 を見る際に︑まず︑LOを把握しなければならにことに関して

は︑異論の無いところだと思われる︒

2︱2︱3.産業平和

スウェーデンの特徴の一つとして労使紛争の少なさがあげられ

ることが多いのであるが︑では︑そのような平和的な労使関係は

どのような制度を担保として実現しているのか︒一つの理由とし

て︑労使が良好なパートナーシップ関係を構築しているというこ

とが挙げられよう︒しかしながら︑平和的な労使関係が︑労使の

当事者の良心に従うことによってのみ実現しているわけではな

い︒そこには︑法的な制約︑協約上の制約︑そして︑制度上の制

約が存在しているのである︒まず︑法的制約から述べよう︒

スウェーデンが労働市場に対して法的規制をほとんど行ってこ

なかったことは︑有名な話である︒一つの例として︑最低賃金法

さえないという事実は︑この国がいかに労働市場を労使自治によ

ってコントロールしようとしていたのかを表していると思われる

Vi ss er 1996

︶︒とはいえ︑いくつかの重要な法規制が行われてい

ることもまた事実である︒その代表的な一つが︑一九二八年に制

定された団体交渉法である︒この法律によって︑協約締結期間中

に起こった紛争は全て違法である︑ということが定められた

Ma rt in 1995

︶︒これが︑産業平和に対する法的制約である︒

ただ︑ここで重要なことは︑協約締結期間中の紛争が違法なだ

けであり︑故に︑労使交渉中の紛争は合法ということになる︒こ

れは︑ごく自然なことなのだが︑では︑そうした事態を避けるた

2−2

組合員数の推移(年金受給者と自営業者を除く) (千)

Total

% 100 100 100 100 100 100 出所) (Visser 1996 ; 185)

NO 1,380 1,760 2,103 2,767 3,350 3,431 Other

% 6.5 2.3 2.4 1.0 0.6 0.6 NO

90 40 51 28 21 22 SACO

% 1.3 2.6 3.5 4.3 6.5 8.1 NO

18 46 74 120 219 280 TCO

% 13.3 19.1 23.6 31.8 33.1 33.7 NO 184 363 496 881 1,109 1,156 LO

% 78.9 76.0 70.5 62.8 59.8 57.5 NO 1,088 1,338 1,483 1,739 2,002 1,972 1945 1955 1965 1975 1985 1992

― 9 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(10)

めにどのような仕組みを築いていたのか︒次に︑協約上の制約を

見てみよう︒

協約上の制約であるが︑協約上の制約は主に二つある︒一つ

は︑一九三八年に結ばれたサルチオバーデン協約であり︑もう一

つは︑その年々で締結されていた中央協約である︒

まず︑サルチオバーデン協約であるが︑これは︑スウェーデン

の労使関係の基本的性格を規定した協約と理解されており︑その

中で︑労使自治の原則︑経営権の範囲︑労働組織化の自由︑労使

協調的で平和的な交渉手続きの重視などの重要項目が労使の間で

確認された︵稲上

1994, Vi ss er 1996

︶︒確かに︑サルチオバーデ

ン協約は労使関係に関わるいくつかの重要なルールを取り決めた

ものであるが︑それ以上にここで重要なことは︑労使関係に対す

る取り組み姿勢として︑無責任な方法で︑第三者や社会を傷つけ

るような無用な紛争を起こしてはならないということをこの協約

を通じて示した点にある︵

Re hn & V ik lund 1990 ; 313

︶︒このよ

うに︑この協約で労働者と経営者の労使関係に対する基本的態度

に関して︑労使のお互いが確認しあったということが︑ここで押

さえておかなければならない点であろう︒とはいえ︑いくら法的

に規制し︑協約で取り組み姿勢を確認したとしても︑それだけで

紛争がなくなるとは考えにくい︒そこで重要になってくるのが︑

中央協約であり︑制度上の制約である︒

後にも触れるが︑中央協約は︑そのほとんどの事項が勧告︵

rec-

omme nda tio n

︶であり︑そこに強制力は存在していない︒ただ︑ その中でも強制力を持っているものの一つが︑協約の締結期限で

︒度うよみて見を約協央中の年七七九一︑てしと例︒るあ !

1.2SAFとLOは︑中央協約で定められた条項を適応す

るための全産業における交渉が︑可能な限り迅速に終了

できるように︑そして最低でも一九七七年の六月一七日

までには︑終えられるよう︑全力を尽くす︒

上で述べた期日までに産業で交渉がまとまらない可能性

がある場合は︑SAFとLOの共同の行動を通じて

th rough jo in t ac tio n b y S AF an d L O

︶︑解決する︵

EIRR 1977 ; 4

︶︒

この文面から分かるように︑中央協約が産業別協約の締結期限

を定めることで︑各産業において協約が途切れることが無いよう

に工夫されており︑この事を通じて︑団体交渉法で定められてい

る︑﹁協約期間内﹂という条件を常にクリアすることができるよ

うになっているのである︒

最後に︑産業平和を担保している制度上の制約とは︑ストライ

キの資金を組合の上部団体であるLOが︑ロックアウトの資金を

経営者の上部団体であるSAFが︑それぞれ基金として管理して

いる点である︒戦前に︑SAFがまず始めに︑そして︑LOが遅

れて︑それぞれ基金を設立しており︑例えば組合の場合︑労働者

の賃金の数パーセントが︑自動的にその基金へと徴収される仕組 中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 1 0 ―

(11)

ー制ロや合組別業産︑てっよに度金基たしうこ︒るいてっなとみ !

カル組合が︑自由に争議行為を行えないようにしているのであ

る︒これが︑産業平和を維持している制度上の理由である︒

このように︑法律によって協約期間外の紛争を違法とした上

で︑紛争の資金をお互いの頂上団体が管理する事を背景に︑協約

によって︑労使関係が常に協約期間内にある状態にすることを通

じて︑スウェーデンは︑紛争を回避する仕組みを作り出していた

のである︒したがって︑スウェーデンの産業平和は︑法と協約と

制度が互いに有効に関連し合うことで︑意図的に実現されていた

ものである︑と言うことができよう︒

2︱2︱3.連帯主義的賃金政策

前述したレーン・メイドナーモデルの二つの目的のうち︑その

一つである調整された賃金政策というのは︑LOとSAFが産業

を超えた国家にとって適切な賃上げ率を実現していくという意味

で理解しやすいのであるが︑もう一つの連帯主義的賃金政策とい

うのは︑やや難解な政策である︒特にスウェーデンの賃金格差の

是正の達成と相俟って︑単なる平等主義的賃金政策と解釈され︑

本来この政策に込められていた意味がないがしろにされている場

し主詳し少を念理の策政金賃的義帯連のこ︑はで下以︒るあが合 "

く見てみよう︒

連帯主義的賃金政策の理念の基になる出来事は︑既に戦前に起

こっている︒一九二二年のLOの大会において︑当時まだ︑高賃

金セクターではなかった

Metal

が︑当時既に高賃金セクターであ るにも関わらず︑LO内の組合で最も高い賃上げを行っていた建

設産業に対して不満を抱き︑LO内にいる組合セクター間の賃金

格差の是正の必要性を訴えたことが︑連帯主義的賃金政策の始ま

りと言われている︵

Swe n so n 1989

︶︒この意味では︑連帯主義的

賃金政策が賃金格差の是正を目指したものであったという解釈

も︑概ね間違いとは言えない︒ただ︑当時のLOには︑戦後に与

えられる傘下の組合をコントロールするための権限は何も与えら

れていなかったので︑LO自身が傘下の組合間の賃金格差を是正

しようというような動きは︑戦前には見られなかった︒

しかしながら︑レーン・メイドナーモデルによって︑理論的に

整理された時︑この賃金政策は︑単なる賃金格差是正以上の意味

を持つようになったのである︒

Mei dne r

1997

︶の記述から判断

すると︑連帯主義的賃金政策が目指したものは︑端的にいうと︑

産業横断的な同一労働同一賃金である︒したがって︑表2︱1に

あるように連帯主義的賃金政策の平等とは︑同じ仕事ならば産業

を問わず賃金は同じでなければならないという意味での平等であ

り︑異なる仕事には︑それ相応の差をつける事を当然ながら認め

ている︒故に︑より正確には︑平等︵

equa lit y

︶というよりもむ しろ公平︵

fair

︶という言葉が適切な賃金政策と言える︒ただ︑

連帯主義的賃金政策を理解する上で大切なのは︑この短い言葉の

裏に込められている思想である︒

こうした産業横断的な同一労働同一賃金という言葉に秘められ

ていた思想は︑労働者の賃金を企業の支払い能力や︑組合の交渉

― 1 1 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(12)

力の強さとは関係なく決定する事を通じて︑効率的経営を行って

いない企業︵平均的な利潤をあげていない企業︶に対しては合理

化を促し︑効率的経営を行っている企業︵高い利潤をあげている

企業︶に対しては︑追加的な利潤︵

ex tra p ro fit

︶を得る事を可能 にするというものであった︵

Vi ss er 1996

︶︒この政策には経済の

ろ込こと︒るあでのたいてれまめ埋がえ考ういと展発と化率効 !

で︑こうした連帯主義的賃金政策の理論において興味深い点は︑

金の賃︒るあで点るいて似と論理妻夫ブッェウ︑が策政金賃のこ "

決定に組合が有効に関与していく事を通じて︑スウェーデンの経

済を低賃金競争に頼ること無しに︑すなわち︑ウェッブ夫妻流に

言うと寄生的労働に依拠することなく︑産業を発展させていくと

いう発想を︑LOのエコノミストであったレーンとメイドナーが

持っていたという点は︑非常に興味深いところである︒

以上をまとめると︑連帯主義的賃金政策とは︑単に低賃金労働

者の賃金を上げるということだけではなく︑それを通じて国内経

済の発展を促すという︑平等主義と経済政策が組み合わさった賃

金政策と言うことができる︒そして︑このモデルが持つ経済政策

的側面に加えて︑同一労働同一賃金︑仕事の価値に沿った適正な

賃金格差というメイドナー自身の考えから判断するに︑賃金格差

の是正とは︑すなわち︑平等主義とは︑あくまでこのモデルの達

成の手段であり︑決して目的ではなかったのである︒低賃金労働

者の底上げは︑あくまで同一労働同一賃金を達成するために行わ

れる一つの手段であるということは︑理念としてこの政策を理解

︒けるあで点いならなばれなかおてえさおで上るす #

こうした理論を背に︑一九五一年の定期大会においてLOは︑

この連帯主義的賃金政策を行っていくことを決定する︒そこで採

択された報告書によると︑賃金政策の要点は︑職務の困難性や

個々人の能力︵

th e p erfo rman ce o f em pl oye e

︶によるものではない

賃金格差を無くすことであった︒そして︑その目的を達成するた

めに︑連帯︵相対的に見て高い賃金を得ている労働者が低賃金労

働者のために自らの要求を自粛するという意味での連帯︶に基づ

いた賃金政策を行っていくことを決定したのであった︵

Edgr en

1973 ; 40−41

︶︒この連帯の定義︑すなわち︑高賃金労働者に自

粛を促し︑低賃金労働者を優遇するという面が︑この賃金政策が

平等主義的と言われる所以であろう︒

最後に︑繰り返しになるがもう一度確認しておきたい︒連帯主

義的賃金政策には︑二つの要素が含まれていた︒その二つとは︑

一つが︑理念に込められていた経済政策的な要素であり︑もう一

つがそのための手段の一つとしての平等主義的な要素である︒前

者が効率性に対応し︑後者は平等に対応することで︑レーン・メ

イドナーモデルの目指した﹁効率性を損なわずに平等を達成す

る﹂という理論との整合性が保たれている︒ただ︑あくまでその

平等とは︑職務や能力以外の差で格差はつけないと言う意味であ

ったことは︑おさえておかなければならない︒ 中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 1 2 ―

(13)

.

中央レベルにおける労使関係

本章︑及び︑それ以降の4章︑5章の目的は︑二つある︒一つ

は︑中央レベルの労使関係が︑何を決め︑何を産業別交渉以下に

任せていたのかを一九七七年から一九八一年の中央協約から明ら

かにすること︒そして︑もう一つは︑これもまた中央協約を基

に︑前段で述べたレーン・メイドナーモデルで主要な位置付けに

あったLOが︑彼らの主要政策である連帯主義的賃金政策をどの

ようにして実現しようとしたのかについて考察することである︒

ただ︑その前に本稿で扱う当該時期の賃金交渉について︑前述し

たスウェーデンの労使関係の特徴との関係において︑指摘してお

かなければならない事をいくつか述べたい︒

3︱1.一九七七年〜一九八二年までの中央レベルにおける賃金

交渉

本稿の対象としている期間はごくわずかである︒しかしなが

ら︑この時期に行われた交渉は︑スウェーデンの労使関係にとっ

て実に示唆に富む出来事が多く起こった時期であった︒対象期間

は︑先程確認した時期区分で言うと複数の中央集権的労使関係が

展開されていた第四期である︒そこでの交渉ラウンドの特徴をま

とめると表3︱1のようになる︒

先に確認したスウェーデンの特徴との関係で言えば︑集権的労

使関係との関わりで言うと︑一九七七年と一九七八年ラウンドの PTKとの連携という点が︑興味

深い点である︒また︑労使自治と

の関係では一九八〇年ラウンドの

政府の干渉が︑更に︑産業平和に

関しては一九八〇年の中央レベル

での紛争発生︑及び︑一九八一年

をのぞく全てのラウンドで登場す

る仲裁委員会が注目すべき点であ

ろう︒交渉ラウンドで言うと︑ス

ウェーデンの労使関係の特徴を全

て逸脱した一九八〇年が注目すべ

きラウンドである︒以下では︑ま

ず︑一九七七年のPTKとの連

携︑及び︑仲裁委員会について簡

単に触れた後に︑戦後最大の紛争

となった一九八〇年の賃金交渉を

少し詳しく︑その後に行われた一

九八一年の賃金交渉を簡単に見る

こととする︒

3︱1︱1.PTKとの連携

一九七七年と一九七八年の賃金

交渉は︑ホワイトカラーの交渉カ

ルテルであるPTKとLOが共同

3−1

PTK との連携

×

× 出所)EIRR(1977 b、1978 a、1980 e、1981 b) 、Olsson(1990)より作成

政府の干渉

×

×

× 紛争

予告

×

× 政府の任命した仲裁委員会による仲裁

× 1977

1978 1980 1981

― 1 3 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(14)

戦線を張った年であった︵

La sh 1985, EI RR 1978 a

︶︒こうした連

携は︑見方によれば超集権的な労使関係が構築されたとも見るこ

とができる︒しかしながら︑労働市場全体へのLOの影響力とい

う観点からすれば︑少し異なった見方ができる︒この出来事が意

味する重要な点は︑もはやLO単独では労働市場を律することが

同う共な様のこに現︒るあでとこいとこたっあつつりなに能可不 !

戦線は︑一九八〇年︑一九八一年の両ラウンドでは行われること

は無かったし︑また︑一九八一年の交渉ラウンドでは︑LOがそ

の年の三月に協約を締結する一方で︑PTKは︑協約を締結せず

にその後も交渉を続け︑LOから遅れること二ヶ月の一九八一年

の五月に︑SAFとの間で協約を結んだのであった︵

EI RR 1981

a, 1981 d

︶︒

このような事実から考えると︑PTKとの連携は︑LOの労働

市場への支配力の低下︑すなわち︑労働市場全体を規制する力の

低下を端的に物語っていたと言えよう︒

3︱1︱2.仲裁委員会

一九八一年以外の各交渉ラウンドで登場するのが仲裁委員会で

し命表公の側合組と側営経︑れさ任てっよに府政︑はれこ︒るあ "

ている主張を考慮に入れつつ︑両者が妥協できる条件を提示する

ことで︑労使が紛争を起こすことなく︑新たな協約を結べるよう

に働きかける機関である︒まず︑彼らが任命されるのは︑労使の

話し合いがこじれた時である︒一九七八年の交渉では︑労使のど

ちらかが紛争の予告を行わずとも政府が任命を行っているので︑ その任命はもっぱら政府の独断に任されているようである︒した

がって︑これが起これば︑任命されるといった決まりは無いよう

である︒

例えば︑戦後初めて賃金交渉がこじれた一九七七年の交渉ラウ

ンドでは︑三月九日に労使が中央交渉を一旦中止した後に︑イエ

テボリの地方裁判所判事であるステンバーグを長とする仲裁委員

会が発足した︒彼らは三月一四日から行動を開始し︑四月三日に

仲をの初最るすと率げ上賃の約協分半の率げ上賃たし求要の合組 #

裁案を提示した︒ただ︑この案は経営側に拒否され︑四月五日に

交渉は二度目の中断となった︒その後︑LOが傘下の組合に四月

二三日に現在締結している協約を終了するように推奨し︑傘下の

組合に対して残業の禁止を宣言したことを受けて︑仲裁委員会

は︑再び交渉に戻ることを強く要求し︑自身も四月三〇日に最終

案としてLOとPTKのそれぞれに三・四%と二・三%の賃上げ

率を提示した︒ところが︑五月四日にSAF︑LO︑PTKの三

者が提案の受け入れを拒否し︑お互いが︑ストライキとロックア

ウトを宣言したのであった︒このことを受けて︑仲裁委員会は一

九〇九年以来の大紛争を回避するために︑最終的な仲裁案を五月

一〇日に発表した︒この提案が︑若干組合よりの内容だったこと

からLOは︑しぶしぶではあるがそれを受け入れることを決定

し︑それを受けて︑最初は反対していたSAFも受け入れること

を決定したのであった︵

EI RR 1977 a, EI RR 1977 b

︶︒

ところが︑PTKがこの案を拒否したことから︑LOも︑もう 中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 1 4 ―

(15)

一度交渉しなおすことを決定し︑もはや仲裁委員会にはどうする

こともできない事態にスウェーデンの労使関係は陥ることとなっ

た︒この行き詰まりを打開できる可能性を持っている者は︑労使

の代表者のみとなり︑紛争の危機にさらされるものの︑お互いの

代表者が紛争を回避するために粘り強く交渉を進めることで︑よ

うやく五月二六日に一九七七年協約が締結される運びとなったの

であった︵

EI RR 1977 b

︶︒

このように︑一九七七年の交渉ラウンドは︑仲裁委員会の役割

と限界を教えてくれる貴重な交渉ラウンドである︒まず︑彼らの

役目は︑労使が妥協できる条件を提示することである︒しかしな

がら︑上で見たように︑それを受け入れるかどうかは労使に任さ

れており︑仲裁委員会それ自体に強制力は無かったようである︒

ところで︑この仲裁委員会と産業平和との関係において重要な

のは︑仲裁委員会によって労使の良好な社会的パートナーシップ

が保たれている部分がある︑ということと︑しかしながら︑最終

的な責任は労使の当事者にあるという点である︒中央レベルの労

使によって産業レベル以下の産業平和が維持されていることは︑

先の産業平和の箇所で述べたことであるが︑では︑中央レベルに

おいては誰が担っていたのかと問われれば︑それは中央レベルの

労使自身なのである︒とは言うものの︑仲裁者の仲裁によって労

使の良好な関係が維持されていた部分があるという事実も︑見逃

してはならない点であろう︒ 3︱1︱3.一九八〇年の交渉ラウンド

スウェーデンの労使関係にとって︑この一九八〇年の賃金交渉

は︑最も重要な交渉ラウンドである︒まず︑労使関係の特徴とい

う視点から見ると︑産業平和︑労使自治の原則がこのラウンドで

破られた点が重要である︒また︑この交渉ラウンドによって︑S

AFが中央体制からの離脱を考え始めたという点で︑中央集権的

な労使関係との関係においても︑一九八〇年は︑無視できないラ

ウンドなのである︒

まず︑交渉ラウンドに入る前に︑一九七九年に起こった再交渉

に関して簡単に触れる必要がある︒これは︑一九七八年の協約で

定められた﹁協約の見直し条項︵

re-o p ene r cl aus e

︶﹂によって引

き起こされたものであった︒詳細は物価補

頡の項で述べるが︑そ

の内容は︑一九七九年の消費者物価指数が︑五%以上上昇すれ

ば︑組合に再交渉の権利を与えるというものであった︒そして︑

一九七九年八月にその上昇率が五%を上回るという予測がされる

と直ぐに︑LOは交渉の準備を開始した︵

EI RR 1979 a

︶︒その予

測どおり︑消費者物価指数の上昇率が五%を上回ったので︑LO

とSAFの間で再交渉が行われることとなった︵

EI RR 1979 b

︶︒

一九八〇年の交渉ラウンドにおいて︑この出来事が問題なの

は︑一九七八年協約の終了時期が迫り新たな協約の締結に向けて

お互いが交渉を行わなければならない正にその時に︑有効期間が

終了しようとしている協約の再交渉を行なわなければならない事

態に陥ってしまったことであった︒本来ならば一一月から次の新

― 1 5 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(16)

しい協約についての交渉を開始しなければならなかったのである

が︑その前に︑この物価上昇補

頡分を決めるための交渉を行なわ

なければならなくなったので︑その結果︑両当事者は︑中央交渉

の開始を遅らせざるを得なくなってしまったのである︒

こうした複雑な状況を生んだ理由は︑﹁協約の見直し条項︵

re-

ope ne r cl aus e

︶﹂が具体的な数値を決めずに交渉開始の基準だけ

を定めていたことにあった︒交渉は一二月まで続き︑結局一九七

九年の一一月から︑時給に〇・四八クローナ︵

48 or e

︶を上乗せ することで妥結したのであった︵

EI RR 1980 a

︶︒こうした遅れに

伴って︑次の中央協約締結のための中央交渉に関する具体的な要

求も示されず︑この年の労使交渉は︑双方が一九八〇年三月二三

日に政府の予算が発表されるまで態度を保留する︑という事態に

陥ってしまったのであった︵

EI RR 1980 b

︶︒

そして︑交渉自体も︑それまでは何とか保たれていたSAFと

LOの友好関係を崩壊させる事態となった︒急速に上昇する物

価︑失業率の増加︑国際競争力の低下といった︑スウェーデン経

済の深刻な状況は︑労使を正反対の立場に追いやったのであった

EI RR 1980 e

︶︒LOが︑一一・五%の賃上げを要求する一方

で︑SAFが望んだ賃上げ率は︑〇・五%であった︒両者の大き

な隔たりは︑労使の自主的な交渉によって解決することはでき

ず︑政府の任命した仲裁者が︑仲裁にあたることとなった︒しか

しながら︑仲裁者が提示した案は︑LOにとって受け入れ難いも

のであり︑LOはその案を拒否し︑ストライキを行ない︑SAF もロックアウトで対抗したのであった︵

EI RR 1980 c

︶︒

こうした混乱を経て︑ついに政府が︑直接SAF側に対して二

つ宣言を行ったのであった︒その内容とは︑

!もし︑仲裁委員会

の仲裁案が受け入れられないのであれば︑政府は法的規制を伴う

所得政策を行なうということ︑そして︑

"ここで中央交渉体制が

再のへ党義主主民会社︑らか党政系義主主民会社非︑ばれす壊崩 !

び政権が移ることになる可能性がある︑というものであった

EI RR 1980 d

︶︒この政府からの︑ある種の労使関係への干渉と

も思われる出来事を通じて︑SAFは︑自身の態度を一八〇度転

換させ︑仲裁委員会の新しい仲裁案を受け入れ︑LOと協約を結

ぶことに合意した︒そして︑五月一〇日に︑一四ヶ月の新たな協

約が結ばれたのであった︒

このように︑一九八〇年の賃金交渉は様々な出来事を経験した

ラウンドであった︒まず︑政府による間接的な干渉という出来事

は︑スウェーデンの特徴であった労使自治の原則に一つの大きな

を︒渉干たしうこ︑らがなしかしるあでか確はとこたえ与を撃打 "

引起した背景には︑政権交代を望むLOの半分意図的ともいえる

SしとOL︑たま︒いならなはて逃見をとこういとたっあが動行 #

AFの間で紛争が起こったことによって︑SAFに︑中央体制を

維持するメリットが少なくなっていることを気付かせることにな

ったという点で︑このラウンドがその後の労使関係に与えた影響

うでえ言と︑たっあの︒もいき大に常非はよ $ ェ関使労のンデーウ中スる見らか約協央係

― 1 6 ―

(17)

3︱1︱4.一九八一年の交渉ラウンド

一九八〇年のラウンドを見た以上︑次のラウンドを見る必要が

あるであろう︒このラウンドが始まる際にLOは︑LOは社会的

責任を担う組織ではなく︑傘下の組合員にのみ責任を持つ組織で

ある︑ということを宣言した︵

EI RR 1980 g

︶︒ところが︑表3︱

1を見れば分かるように︑前年とはうって変わり︑この年の交渉

は驚くほどスムーズに︑そして︑平和裏に進められた︒この点

は︑LOが︑公の発言では上のようなことを言いつつも︑実際に

はある程度協調的な行動をとったことを意味していると言える︒

しかしながら︑これをスウェーデン的な労使関係の復興と見な

してはならない︒この時︑既にSAFは次の一九八三年のラウン

ドは中央交渉を行わずに︑産業別交渉からスタートさせることを

決定していた︵

Ol ss on 1990 ; 52−53

︶︒そして︑事実︑この年を

最後にして︑交渉は分権化されていくのである︒最後の中央交渉

が︑最も平和裏に︑仲裁委員会を経ることなく締結されたという

のは︑まことに皮肉なことである︒

小括

以上の事実から分かることは︑一九七八年協約で定められた協

約有効期間中に再交渉を公式に認める﹁協約の見直し条項︵

re-

ope ne r cl aus e

︶﹂の締結や︑政府の干渉などの出来事によって︑

このわずか五年の間にスウェーデンの労使関係の特徴からのいく

つかの逸脱が生じていたことである︒本稿の関心からは逸れる

が︑一九八一年協約を最後にして︑ヨーロッパの中でも稀有な存 在であった中央集権的労使関係が終焉したということを踏まえる

と︑対象としている一九七七年から一九八一年の期間とは︑中央

体制が崩壊へと向っていく重要な時期であったと言えよう︒

しかしながら︑今ここで重要なことは︑そもそも中央協約で何

が決められていいたのか︑ということと︑中央協約から見えてく

る連帯主義的賃金政策とはどの様なものなのか︑ということの二

点である︒以下では︑協約内容に立ち入ることで︑これらの疑問

に答えたい︒

3︱2.中央協約の内容

スウェーデンが極めて集権的な労使関係を構築していたことは

非常に有名なことである︒にも関わらず︑そこで取り結ばれる協

約の内容が紹介されたことはほとんど無い︒文献レベルでは協約

の項目が紹介されることはあっても︑不思議なことにその内容に

デいーェウス︑が陥欠たしうこ︒な少外案はのもたっ入ち立でま !

ンの労使関係が印象としてしか語られない主な要因となっている

のは明白である︒中央集権的と言われる労使関係は︑一体賃金の

何を何処まで決めていたのか︒また︑連帯主義的賃金政策の担い

手であったLOの賃金政策は協約上どのように表現されていたの

か︒

以下︑協約の内容を順次見てみよう︒

― 1 7 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(18)

3︱2︱1.その項目

中央協約の主な項目は︑三つある︒まず︑

!産業全体に適応さ れる賃上げ原資︵

Ge ne ra l sc ope

︶︑そして

"産業毎に自由に使う ことができる賃上げ原資︵

Indus tr ia l n egot ia tion ki tti es

︶︑そして

#

頡条項である︒最後の補

頡条項は︑

漓低賃金労働者への特別補 頡︑ 滷賃金ドリフト補

頡︑ 澆物価補

頡の三つが代表的な項目であ

る︒

!と

"

EIRR

かとるす断判ら説の解の︑はい違︑

!が全産業

の全労働者に適応される賃上げ原資であるのに対して︑

"は︑各

産業で自由に使い道を決めることができる︑つまり︑場合によっ

てはその賃上げ対象にはならない者も存在する可能性がある

ma y not ne ce ss ar ily be di st ribut ed on an ac ros s- th e- boa rd

︶賃上げ原

資のことのようである︒更に︑産業毎に自由に使うことができる

賃上げ原資は︑残業手当などにあてることができる他︑出張の経

費︵

trav el expe ns e

︶や作業服への補助金︵

wo rk in g clo th es su b si- di es

︶などの必ずしも賃金ではない事柄にも使うことが許されて いる︵

EI RR 1981 c ; 6

︶︒

各年度の賃上げ率︑

!︑

"の賃上げ額︑そして︑物価補

頡の算

出方法をそれぞれ示したのが表3︱2である︒

このように︑中央レベルでは︑賃上げ原資︑物価補

頡とそれ以

外の補

頡れでルベレ央中︑りおてら条め定がンイラドイガの項具

体的な賃金表が作成されているわけではない︒また︑物価補

頡を

除けば︑あくまで賃上げ原資の総量と補

頡条項の基準を決定して

いるのみであり︑その配分方法は︑産業レベルに任されている︒

3−2

中央協約の主要項目と妥結額

(低賃金労働者への補頡、賃金ドリフト補頡は除く)

物価補頡

基準を超えれば一定額 が支払われる 再交渉方式

基準を超えれば一定額 が支払われる 定められた算式による

賃上げ率は EIRR の試算による。また、この数値には、General scope、Industrial negotiation kitties、低賃金労働者への特別補頡、賃金ドリフト補頡の全てが含ま れている。

**

仮に全員に一律で支払われる場合、どれだけの金額が加算されるかという視点で 算出

出所)EIRR(1977 b、1978 a、1978 b、1980 e、1980 f、1981 b、1981 c)より作成 Industrial

negotiation kitties**

10 ore

×

15 ore 1981 年 10 ore 1982 年 10 ore General scope

50 ore 1978 年 27 ore 1979 年 45 ore

75 ore 1981 年×

1982 年 18 ore 期間

12 ヶ月 18 ヶ月 14 ヶ月 24 ヶ月 賃上げ率

5%

6.8%

7.1%

1977 1978 1980 1981

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 1 8 ―

(19)

したがって︑位置付けとしては︑産業全体の賃上げを安定化させ

るという︑諸外国の多くでは政府が担っているような役割を期待

されていたと見るのが適当であろう︒

また︑その内容で注目すべき点は四つある︒一つ目は︑賃上げ

率が比較的安定しているということである︒こうした賃上げ率の

安定化は︑中央レベルの重要な役割であるので︑まず︑押さえて

おかなければならない点である︒但し︑この賃上げ率は︑常に経

営側からすると割高感があったことは留意されたい︒

二つ目は︑一九七八年協約には産業レベルで自由に使うことが

できる原資が無いこと︒よって︑一九七八年協約は︑他と比べる

と中央集権的な協約であったと言うことができる︒

三つ目は︑一九八一年協約における産業全体に適応される賃上

げ原資と産業毎に自由に使うことができる賃上げ原資の全体の賃

上げに対する比率の少なさである︒

EIRR

の試算によると︑前者 は︑〇・五%の賃上げに相当している︵

EI RR 1981 b

︶︒このこと

はつまり︑この年の大部分の賃上げは︑低賃金補

頡と賃金ドリフ

ト補

頡と︒るいてし味意をこにるいてれわ行てっよ補

頡には︑適

応労働者を定める基準があるので︑この年の協約では︑補

頡の対

象となる基準以上の賃金を得ている労働者︵すなわち︑高賃金労

働者︶は︑協約上ではほとんど賃上げが行われないことになる︒

このように︑一九八一年からの二年協約は︑労働者が今得ている

賃金額によって︑労働者個々人の賃上げ額が大きく異なる協約と

なっているのである︒したがって︑この年のLOの狙いは︑賃金

︒にるえ言とたっあ正是の層一の差格 !

四つ目は︑物価補

頡あデーェウス︒るでに式方渉交再るけおン

の労使関係の文脈上で重要なことは︑この再交渉が妥結できなけ

れば協約を破棄することが出来ることが協約に明記されていたこ

とである︒これはすなわち︑組合側にとってはストライキを行っ

ても良いということを意味し︑経営側にとっては︑協約で定めら

れた賃上げを行う義務を果たさなくても良いことを意味してい

た︒このことは︑協約期間中は平和的な労使関係を構築するとい

う産業平和の原則から逸脱するものであった︒

次章からは︑中央協約におけるもう一つの重要事項である︑各

種補

頡をう思とうよべ述態条実のそていつに項︒ 4

.

頡条項

協約のもう一つの特徴が︑各種補

頡条項である︒補

頡条項には

二種類あり︑一つは︑全労働者が対象となる補

頡条項であり︑も

う一つは予め定められた特定の層にのみ適応される補

頡条項であ

る︒物価補

頡賃別特のへ者働労金低が︑りまはてあに者前補

︵以下低賃金補

頡︶︑賃金ドリフト補

頡︵以下ドリフト補

頡︶は後

者に該当する︒まず︑物価補

頡に関するルールを見た後︑節を改

めて低賃金補

頡を︑そして章を改めてドリフト補

頡を見ることに

する︒

― 1 9 ―

中央協約から見るスウェーデンの労使関係

(20)

4︱1.物価補

物価補

頡方れらめ定が額払支︑法出は算のそでルベレ央中︑て

いた項目のうちの一つである︒これは文字通り︑労働者の実質賃

金の低下を防ぎ︑生活水準を維持し︑生活を安定化させるために

導入された補

頡組もな要重てっとに合︑ではで味意のそ︒るあの

であったと言える︒この補

頡あ一九一︑がるでは明不は細詳︑七

年から既に何らかの制度が出来上がっており︑以後一九五二年ま

で続いている︒一旦一九五七年に復活するが︑それ以降無くな

り︑一九七七年から一九八三年まで再度導入されていたものであ

る︵

Ol ss o n 1990

︶︒このように︑本稿の対象期間は︑物価補

頡が

再度導入され︑そして立ち消えていく時期と重なっている︒そし

て︑表3︱2のように︑その算出方法はこの短期間で数度の変更

がなされている︒

まず︑一九七七年協約の算出方法は︑至極単純な方法である︒

それは︑一九七七年一月から一九七七年八月の間に消費者物価指

数が︵以下CPI︶が八%以上上昇すれば︑各産業に

25 or e

支払われるというものであった︒

次の一九七八年に締結されていた二年協約のルールは︑一九八

〇年の交渉ラウンドの項で触れた︑後に問題を引起すことになる

再交渉方式である︒その内容とは︑まず︑一九七八年の一月より

もCPIが七・二五%以上上昇すれば再交渉を行うことができる

というものであった︒同様に一九七九年は︑一九七八年一二月よ

りもCPIが五%以上上昇すれば再交渉を行うことができること となっていた︒このルールがどのような問題を引起したかは︑先

に見た通りである︒

再交渉方式による余分な賃金交渉の発生︑そして︑その交渉が

もつれたことへの反省からか︑一九八〇年協約では以前の方式に

戻されることとなる︒一九八〇年の三月から一〇月のCPIが五

七一ポイント以上︵

EIRR

の試算によると二・七%の上昇︶にな れば︑

30 or e

が支払われるというものになった︒

最後に︑一九八一年協約であるが︑この算定方式は非常に複雑

であり︑難解である︒そのエッセンスを言うと︑ある係数を求

め︑その係数を実際の賃金にかけることで補

頡額を決定するとい

うものである︒まず︑係数の算出方法であるが︑対象となる期間

のCPIを一年目︵一九八〇年一二月〜一九八一年一二月︶は八

・九%︑二年目︵一九八一年一二月〜一九八二年一二月︶は六・

五%と定め︑その基準と実際の上昇率の差に六五%をかけたもの

が係数となる︒その係数を︑一年目であれば︑SAFとLOの作

成した統計で示されている一九八一年の第二四半期の産業全体の

平均賃金にかけて算出される額が補

頡となる︒同様に二年目は︑

一九八二年の第二四半期のそれが用いられる︒また︑CPIから

は︑暖房︵

h eatin g

︶︑燃料オイル︵

fu el g as

︶︑調理用ガス︵

cooki ng ga s

︶︑そしてガソリン︵

pe tr ol

︶などが除かれることになってい

る︒ 中央協約から見るスウェーデンの労使関係

― 2 0 ―

参照

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