とグレート・ウェスタン鉄道会社
著者 菅 一城
雑誌名 經濟學論叢
巻 62
号 4
ページ 483‑518
発行年 2011‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013617
【論 説】
1880 年代南ウェールズにおけるダウライス 製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社
1)菅 一 城
は じ め に
本稿は,1880年代の南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社(Dowlais
Iron Company)
とグレート・ウェスタン鉄道会社(Great Western Railway)の関係 を事例に,大量生産に伴う大量輸送への転換の過程を示すものである.ダウ ライス製鉄会社は南ウェールズ山間部の都市マーサー・ティドヴィル(あるい はマーサー)を中心とする製鉄産業集積の代表的企業で,いち早く鋼鉄の大量 生産に着手したことでも知られ,グレート・ウェスタン鉄道会社はロンドン からイングランド西部およびウェールズに及ぶ鉄道網を展開した幹線鉄道会 社であった.そして,1880年代は,ダウライス製鉄会社にとって鉄道輸送力 が生産競争の最大の課題だった時期である.これまで筆者は,グラモーガン州公文書館所蔵の
1850
年代から1870
年 代までのダウライス製鉄会社の受信書簡綴りを用いて,地元鉄道会社や鉄鋼 商による同社の製品輸送の実態を明らかにし,産業集積の機能を検討してき た2).同社の受領書簡のうち 1850
年代までのものは,所有者ゲスト一族と経1) 本稿は科学研究費補助金(課題番号:若手研究(B)20730235)の助成を受けた研究成果の 一部である.
2) 拙稿「1860年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会社と地方鉄道会社」『経済学論叢』(同
志社大学)第60巻第4号,97-133頁;同「1870年代南ウェールズにおけるダウライス製鉄会 社と鉄鋼商フォレスター商会」『経済学論叢』(同志社大学)第61巻第4号,75-114頁.
営幹部とのあいだの往復書簡を中心に,産業革命期の企業経営ならびに地方 名望家の政治活動を示す史料として編纂されているが,編に漏れた
1860
年代 以降については十分に活用されていない3).また,1850
年代半ばに同社の所 有と経営が分離して以降は,ほぼ取引先からの受領書簡に限られ,性格も異 にしている.同社の受領書簡は,年ごとに発信者名順・受領日順に綴じ込まれ,たとえ ば本稿の対象期間の末年
1889
年ならば,筆者の確認で998
社からの10,494
通の書簡が残され,これが11
冊の書簡綴りにまとめられている.この発信者998
社の多くは鉄の購入者であるが,1社当たりでもっとも多く書簡を発信し たのは顧客ではなく,複数の顧客への貨物輸送を手配する鉄道会社あるいは 鉄鋼商であった.興味深いのは,多数の書簡を発信してダウライス製鉄会社 の貨物輸送を手配する業者が入れ替わりつづけたことである.つまり,1860 年代はその時期に誕生した地元鉄道会社であるブレコン・アンド・マーサー 鉄道会社が中心となり,1870年代にはその時期にブリキ板金工業が勃興した 南ウェールズ沿岸部の鉄鋼商フォレスター商会が多くの貨物輸送を手配した.1880
年代に抜きん出て多くの書簡をダウライス製鉄会社に発信したのがグ レート・ウェスタン鉄道会社であり,上記の10,494
通のうちでは年間357
通 を占める.では,なぜ
1880
年代にグレート・ウェスタン鉄道会社がダウライス製鉄会 社の貨物輸送を編成するようになるのだろうか.これが本稿の最初の論点で ある.ただし,1870
年代にフォレスター商会が貨物輸送を編成するなかでも,輸送手段として地方鉄道会社とともにグレート・ウェスタン鉄道を利用した 点には留意する必要がある.つまり,ここでの論点は,幹線鉄道がなぜ鉄を 輸送したのかではなく,なぜ貨物輸送を手配するに至ったのかである.なぜ ダウライス製鉄会社は,ロンドンに本社を置く幹線鉄道会社に鉄の輸送を委
3) Elsas, M. (ed.), Iron in the Making: Dowlais Iron Company Letters, 1782-1860 (Glamorgan County Record Office, 1972).
ねるようになったのか,そして幹線鉄道会社から多数の書簡が発信されたこ とにどのような意味があったのだろうか.
18世紀の設立から
20
世紀初頭に総合製鉄会社GKN
となるまでのダウライ ス製鉄会社の歴史に立ち入ることは避けるが,本稿の事例の位置づけを明確 にするために,ここではジョーンズによる社史に依拠して,1880年代の位置 づけを確認しよう.この研究は1870
年から1900
年までを同社の「鋼の時代」とし,その章の第
1
節として「鋼の大量生産」に言及している4).1880
年代は,1870
年代に始まった鋼生産が本格した時代である.鉄製レールの市場が事実 上消滅したことを受けて1883
年に鉄製レール生産が停止され,主力商品は鋼 製レールとなった.1882年には高炉17
基が稼働し,年間で銑鉄186,234
トン,スピーゲル(鉄とマンガンの合金)
25,163
トンを生産し,それぞれ1
トンを生 産するのに2
ポンド9
シリング8
ペンス,4ポンド3
シリング1
ペンス(石炭 ならば2
トン2
ハンドレッドウェイトと3
トン17
ハンドレッドウェイト)を消費し たが,これらはそれ以前に比べて大幅に低い水準とされる.この銑鉄とスピー ゲルを70
年代末に新設された製鋼工場で鋼製レールに加工し,週5,000
トン を生産した.さらに,鉄製レール生産に従事していた人員を振り替えて,錫 工場が設けられ,1885年に鋼製枕木の工場も新設された.また,1889年には シーメンス・マルタン式平炉2
基も増設されている.このように,1880年代 の鋼の大量生産は,鋼の生産量の拡大とともに鉄から鋼への生産転換,鋼生 産の価格競争力の強化として評価されている.他方,通常は大量生産と結び 付けて考えられる製品の標準化を伴うものではなく,受注に応じて多種多様 な規格の製品の生産がつづいた.この点は第3
節で詳述する.なお,本稿が用いる書簡の多くは鉄と鋼を区別せず,鉄製レールの生産停 止後も「鉄のレール」の呼称を用いたが,これは鋼製レールと考えられる.
さらに,議論の背景として,1870年代には,鋼鉄生産に必要な鉄鉱石はスペ
4) Jones, E., A History of GKN, vol.1, Innovation & Enterprise, 1759-1918 (Macmillan, 1987), pp.289- 302.
インに所有する鉱山から調達する一方,燃料の石炭は近傍に所有する炭鉱で 確保し,余剰分を売却する体制が確立している.1880年代を通じてこの体制 は維持され,製鉄会社は鉄とともに石炭の供給者でもある.
19世紀後半の英国製鉄業の変化は,大量生産技術の革新競争あるいは伝播 の事例として経済史家の関心を集めてきた5)
.しかし,先行研究によれば,
本格的な鋼生産の国際競争のさなかにダウライス製鉄会社が直面した課題は,
港湾から隔絶された立地条件,つまりスペインから鉄鉱石を搬入し,国内海 外の各地に製品を搬出するための沿岸部との輸送の不利であった6)
.大量生
産はどのように輸送網に支えられ,あるいは制約されたのだろうか.グレート・ウェスタン鉄道会社は
19
世紀前半に設立され,ロンドン・パディ ントン駅とイングランド南西部ならびに南ウェールズを結んだ幹線鉄道会社 であり,一般には標準軌に対抗して広軌の軌間を採用した会社として知られ るが,ここではダウライス製鉄会社との接続に限って同社の路線の発達を概 観しよう.1838年に操業を開始したグレート・ウェスタン鉄道は1841
年に イングランド西部を代表する港湾都市ブリストルに到達した.同社の輸送網 は,同じく広軌で1850
年に開通した南ウェールズ鉄道に乗り入れることに よって南ウェールズに延伸した.一方,1853年に山間部のマーサーに最初に 延伸したのはヴェイル・オブ・ニース鉄道であった.南ウェールズ鉄道とヴェ イル・オブ・ニース鉄道の2
社はともに1863
年にグレート・ウェスタン鉄道 会社に吸収され,マーサー駅も同社の鉄道網に組み込まれた7).その後もグ
レート・ウェスタン鉄道会社は南ウェールズで地方鉄道会社の買収や路線の5) た と え ばHyde, C. K., Technological Change and the British Iron Industry, 1700-1870 (Princeton University Press, 1977); 安部悦生『大英帝国の産業覇権:イギリス鉄鋼企業興亡史』(有斐閣,
1993年)など.
6) Jones, pp.295-300. また地方史研究でも,1880年代の貨物輸送の急増がこの地域の物流にそ
れまでにない圧力を加えたことが指摘されている.Pollins, H., The development of transport, 1750-1914 in Williams, G. (ed.), Glamorgan County History, vol.5, Industrial Glamorgan (Glamorgan County History Trust, 1980), p.453.
7) Pollins, pp.447-449.
開発をすすめ,とくに
1870
年代後半には,マーサー駅周辺でタフ・ヴェイル 鉄道やラムニ鉄道と共同運行路線を開通した8).同社はイングランド南西部
でも路線網を支配し,さらにバーミンガム,オクスフォード,シュルーズベリー などイングランド中部の都市を結ぶ路線も確立し,大規模な路線網を展開し た.このような路線の発達も1880
年代にダウライス製鉄会社がグレート・ウェ スタン鉄道を頼った一因であろう.グレート・ウェスタン鉄道会社のうちダウライス製鉄会社に書簡を発信し た部署は多岐に亘る.本社が所在するパディントン駅の総支配人事務所,貨 物支配人事務所,会計事務所,本線の中間に位置するスウィンドン機関区,
ニューポートの南ウェールズ保線区事務所,カーディフ地区貨物管理事務 所,沿線各駅の貨物部などである.このうち,本稿で用いるのはダウライス 製鉄会社の最寄り駅の1つであるマーサー駅貨物部,カーディフ地区貨物管 理事務所,ダウライス製鉄会社に石炭と鉄を発注するスウィンドン機関区か ら
1880
年代に発信された約2,000
通の書簡に限る.もちろん,両者の情報交 換は書簡に限られたわけではなく対面交渉も行われた.また,2,000通の書簡 のなかには返信の催促状や書類受領の礼状など形式的な書簡も含まれている.さらに,全てが手書き書簡であり,判読が困難なものもある.しかし,当時 の貨物輸送の実態を如実に示す書簡も数多く,19世紀前半までの同社の受領 書簡とは性格を異にするものの,第一級の史料である.
以下,第
1
節では,車票を中心に1880
年代のダウライス製鉄会社とグレー ト・ウェスタン鉄道会社による貨物輸送の概要を示し,これが,1870年代ま での貨物輸送と比較して,「標準化された」輸送体系であったことを示す.第2
節と第3
節では,この輸送体系が直面した2
つの限界を示す.第2
節では,遅配の事例を中心に,貨物量の増加に対する鉄道会社の輸送能力の対応を検 討する.第
3
節では,貨物情報量の増加に対する鉄道会社と製鉄会社の情報8) MacDermot, E., History of the Great Western Railway, vol.2, 1863-1921 (Great Western Railway Company, 1931), p.631.
管理の限界を検討する.終節では,これらの考察を踏まえて大量生産の到来 期における情報管理の意味を検討する.
1 車票の意味
グレート・ウェスタン鉄道会社から多数の書簡が発信され,情報伝達が頻 繁に行われた理由は,ダウライス製鉄会社の貨物輸送を編成することが複雑 だったためではなく,次節以降に示すように,貨物輸送が編成通りに実現し ないことがあったためである.日常的に膨大な量の貨物が輸送されるなかで,
書簡を用いた情報伝達による問題処理は相対的に少数だったはずである.し かし,次節以降で多様な問題の事例を検討するには,この輸送体系が想定す る本来の手順を理解する必要がある.本節では,グレート・ウェスタン鉄道 会社によるダウライス製鉄会社の貨物の輸送業務を概観する.
1. 1 製鉄会社と鉄道会社の取引関係
1880年代のダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社の取引関 係は次のように大別できる.つまり,第
1
は,ダウライス製鉄会社のための 貨物の搬入・搬出をグレート・ウェスタン鉄道会社が請け負うものであり,第
2
は,グレート・ウェスタン鉄道会社がダウライス製鉄会社から鉄と石炭 を購入するものである.前者の製鉄会社の輸送業務の請負については,さら にダウライス製鉄会社が必要とする鉄鉱石などの物資の搬入とダウライス製 鉄会社からの製品の搬出に分けられる.まず搬入物資を概観しよう.さまざまな書簡に記載されているものは,お もに鉄鉱石である.鉄鉱石の出発地のほとんどはグラモーガン州西部の港湾 都市スウォンズィーである.しかし,同州東部内陸部のマーサー近傍のラン ドア発の記載もあり,製鉄会社間で余剰物資を融通する習慣が続いたもので あろう9)
.その他に目立つのは鉄工所・炭鉱の構造資材であるレンガ,砂,
9) 拙稿「1860年代」105頁.
セメントなどである.他には圧延機,油,穀物の記載例もあり,これは食料 あるいは構内の輸送手段である馬車馬の飼料であろう.これらはいずれも
1870
年代までにも記載例があり,引き続き鉄道によって製鉄会社の業務に必 要な多様な物資が搬入されたことが確認できる.搬出物資については,本稿が用いる書簡ではしばしば 「 鉄 」 とのみ記され る.しかし,ブルーム(塊鉄)
,
銑鉄,スピーゲル,鋼と明記される場合もあり,また,鉄棒,鉄板,鉄球,ボルト,L字型金具,T字型金具,枕木,そして 何よりもレールと明記される場合も多い.「鉄」は,このような鉄製品の総称 と考えられる.鉄以外の金属では,錫の記載例もある.金属以外で多いのは 炭鉱が産出する石炭とコークスである.また,製鉄の過程で生まれた廃棄物 である石炭殻,鉄鉱石の製鉄ダストの記載例もある.少数ながら石板,肥料,
農産物,糠などの記載例もあるが,これらは製鉄会社間での余剰物資の転売 あるいは誤配品の転送であろう.書簡では貨物の詳細が明らかでないように,
貨物の宛先,荷受人も明らかではない.荷受人の企業名が明記された場合でも,
経営者個人の姓を冠するのみの社名では業種を推測することが難しい.社名 に業種が示されているのはほぼ板金会社に限られ,ブリトン・フェリーのヴィ リアーズ板金会社,ガワートンのフェアウッド板金会社,ゴーセイノンのダ インヴァー板金会社など南ウェールズのブリキ板金会社
10
社余りへの板金加 工原料としての鉄の輸送が確認できる.板金会社以外では同じく南ウェール ズのポンタクウマーに所在するファルドン炭鉱会社へのレールの輸送の記載 例もある.ただし,宛先地だけを確認すれば,南ウェールズ以外にもロンドン,バーミンガムなどイングランド各地に製品が発送されていたことが確認でき る.
次に,グレート・ウェスタン鉄道会社がダウライス製鉄会社から物資を購 入する場合を考えよう.グレート・ウェスタン鉄道会社はすでに幹線網の敷 設を終えていたが,支線などの延伸,標準軌や鋼製レールへの転換などレー ルを必要とした.また,重要だったのは鉄橋の建設資材とする鉄板と金具類
であった.鉄と並んで重要だったのは石炭であり,半年の長期契約のもと,
機関車用の燃料の他に,同社が所有する各種の蒸気船,据置型の揚水機の動 力源として定期的に配送された.また,グレート・ウェスタン鉄道会社から ダウライス製鉄会社に物資を譲渡する場合があり,これは中古の客車を譲渡 する事例である.ダウライス製鉄会社は独自に機関車を所有したので,製鉄 所の構内あるいは近傍での従業員の移動が用途と考えられる.ただし,鉄や 石炭の販売が日常的に頻繁に行われていたのに対して,客車の譲渡は隔年
1
回程度の頻度である.このように,ダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会社の関係は,
鉄の輸送サービスの需要者と供給者という単純な機能分担では理解できない.
ただし,このような相互依存的な関係は,1870年代までのダウライス製鉄会 社と地元鉄道会社あるいは鉄鋼商との関係にも共通し,グレート・ウェスタ ン鉄道会社との関係に固有のことではない.
1. 2 列車の編成
次に,貨物輸送の手順を概観しよう.1870年代までの地方鉄道会社や鉄鋼 商による貨物輸送と
1880
年代のグレート・ウェスタン鉄道会社による貨物 輸送が大きく異なっていたのは以下の点である.1870年代まで地方鉄道会社 や鉄鋼商がダウライス製鉄会社に多数の書簡を発信した理由の一つは,輸送 を編成する手続きが煩雑だったためである.つまり,受注生産の鉄に応じて 列車編成が発注され,注文に応じて宛先までの列車を編成し,経路を設定し,運賃を提示する必要があった.さらに鉄道会社と製鉄会社のどちらが所有す る貨車を用いるのか決め,これも運賃の算定に影響を及ぼした.しかし,グ レート・ウェスタン鉄道会社は,全国的な路線網を有する幹線鉄道会社であ り,定時の運行時刻表と運賃表に基づいて列車を運行し,配送手続きははる かに簡便であった.ダウライス製鉄会社は鉄道会社の貨車に貨物を積み込み,
最寄り駅に引き渡せば,鉄道会社が然るべき列車に貨車を連結して発送した
からである.このことは以下の書簡から確認できる.
昨日付の電報に重ねて返信します.貨車
25788
号と2171
号は12
日午後5
時30
分 に急勾配線を降下して当駅に到着し,連結可能な最初の便つまり13
日(土曜日)午後
1
時15
分の便で発送し,15日の月曜日に荷受人に引き渡されています.こ のとおり,この貨物は遅延してはおりません.10)この書簡は,荷主ダウライス製鉄会社による照会に対する回答だが,受注 による列車編成ではなく定時の列車編成によって貨物を輸送したことを示し ている.他の書簡では午前
10
時の便,午後5
時10
分の便が確認できる11).
また,別の書簡では,列車に貨車を連結させる時間として午後1
時の時刻が 示され,これは午後1
時15
分出発の便のためと考えられる12).逆に,随時の
列車編成を示す書簡は見当たらない.この新方式において重要な役割を果た したのは,後述する貨車車票であった.さて,貨物の発送から到着までの過程を理解するために,再度,製鉄所と 駅の位置関係を確認しよう.マーサーが位置するグラモーガン州の北東山間 部では,南部沿岸部に向けて南北に走る河川とその流域を分けて南北に走る 山陵が並び,つまり南北に走る渓谷が東西に並ぶ.マーサーはタフ渓谷の最 奥部に位置し,南西には名画『我が谷は緑なりき』の舞台ロンダ渓谷がある.
ダウライス製鉄会社は,マーサーではなく,そこから北東に
2km
登った山村 ダウライスに大規模に鉄工所と高炉を展開した.また,同社が所有するクム10) Glamorgan Record Office, DG/A/1/552 J. Williams, Goods Department, Merthyr Station, Great Western Railway to Dowlais Iron Company, 20th November 1886.(以下,グレート・ウェスタン 鉄道会社からダウライス製鉄会社への書簡はDG/A/1/552 J. Williams to DIC, 20th November 1886 というように略記する.)
11) 午前10時の便についてはDG/A/1/552 J. Williams to DIC, 14th September 1886など,また午後 5時10分の便についてはDG/A/1/552 J. Williams to DIC, 20th November 1886など.ただし,曜 日や行き先による違いは判明しない.
12) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 1st September 1888.
バーグード炭鉱はダウライスから南東に
3km
の山稜上に位置した.次に鉄道 網である.グレート・ウェスタン鉄道はグラモーガン州西部の港湾都市スウォ ンズィーとニースから東部山間部に伸び,最後は長いトンネルを経て市街南 郊のマーサー駅に達した.ダウライス製鉄会社はマーサーに降下する急勾配 線を所有し,マーサー駅でグレート・ウェスタン鉄道と接続した.本稿が扱 う書簡の多くは,このマーサー駅貨物部(Goods Department, Merthyr Station)が 発信した書簡である.ただし,マーサー駅には北からブレコン・アンド・マー サー鉄道,南からタフ・ヴェイル鉄道,東からラムニ鉄道も延伸し,ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道も乗り入れた.グレート・ウェスタン鉄道 は
1870
年代後半にラムニ鉄道と共同で路線を延伸してダウライスに達し,こ こにも駅を置いたが,同駅からの書簡は扱わない.さて,ダウライス製鉄会社が鉄を発送する場合を考えよう.製鉄会社は,
まず出荷にあたって貨物の詳細を示した出荷通知(consignment note)を作成し,
これが発駅,着駅,荷受人が照会すべき貨物情報の基本となる.他方,製鉄 会社は鉄工所内で鉄道会社の貨車に貨物を積み込み,また積荷,宛先,荷受 人を記した貨車車票(permit)を貨車に掲出する13)
.積み込みを終えた貨車は,
製鉄会社の機関車に牽引されて急勾配線を降下し,山麓のマーサー駅で車票 の控えとともに鉄道会社に引き渡される.この際に貨物の数量・重量が計量 される(ダウライス駅には計量器があり,貨車ごと計量して貨車の純重量を差し引き,
貨物の重量を求めた)
.マーサー駅は,これに基づき作成した貨車車票を製鉄会
社が掲出した車票と並べて掲出し,然るべき列車に連結して発送する.着駅は,受領貨物を保管して荷受人による回収を待ち,あるいは荷受人宛 の支線へ送り,受領票に荷受人の署名を得る.この受領票はマーサー駅に返 送される.マーサー駅は,出荷通知,車票の控え,受領票に基づいて
1
カ月 分の運賃を合算し,製鉄会社に請求書を発送し,事後的に清算された.マーサー13) 日本国有鉄道『鉄道辞典』(1958年)は貨車車票の英語名称をfreight car labelとするが,本
稿では,機能から判断して,史料中のpermitに車票の訳語をあてる.
駅貨物部が判断できない事案に判断を下したのがカーディフ地区貨物管理事 務所(District Goods Manager’s Office)である.
ダウライス製鉄会社が鉄鉱石を受領する場合は,マーサー駅が上記の着駅 となる.つまり,貨物の受領を製鉄会社に確認し,発駅に伝達する.またク ムバーグード炭鉱からグレート・ウェスタン鉄道会社の各駅に石炭を搬出す る場合は,ダウライス製鉄会社が荷主,ラムニ鉄道会社のクムバーグード駅 が発駅,グレート・ウェスタン鉄道の各駅が着駅となる.なお,この際の石 炭発注部署はグレート・ウェスタン鉄道会社のスウィンドン機関区(Locomotive
and Carriage Department)
である.このように,グレート・ウェスタン鉄道会社による貨物輸送は,事前の列 車編成が必要なく,貨車に車票を掲出することによって輸送に必要な情報を 伝達した.これは,それ以前の列車編成と比べれば大量の貨物を簡便に処理 できる方法であり,大量生産における標準化に相当する,いわば「標準化」
された輸送体系であった14)
.
1. 3 鉄道会社による石炭の発注
貨物列車を随時に編成しなかったように,グレート・ウェスタン鉄道会社 による石炭の発注も「標準化」された定型に則って行われた.つまり,以下 の書簡が示すように,石炭は不足に応じて随時発注するのではなく,半年間 の総量契約に基づき,指定された駅に毎週一定量が配送された.
改めて連絡するまで,ダウライス炭坑から以下に示した駅に以下の量の石炭をご 配送ください.
パディントン駅 週
80
トン14) イェイツが鉄道会社における運行規則,時刻表,運賃表,報告書類,電報,帳票類による管 理を「標準化standardization」あるいは「系統的管理systematic management」と表現したのに 倣った.Yates, J., Control through Communication: The Rise of System in American Management (The Johns Hopkins University Press, 1989), pp.120-126.
ニース駅 週
100
トン ニュー・ミルフォード 蒸気船 週250
トン ホックリー 揚水機 週7
トン バークンヘッド 揚水機 週20
トン シュルーズベリー駅 週10
トンスウィンドン 残り15)
この書簡ではスウィンドンの配送量が明示されず総量が明らかでないが,
別の複数の書簡に「計
600
トン」と明記されている16).このような指示は年
に数回の頻度で更新された.また,上記の1885
年の書簡ではロンドン・パ ディントン駅からスウィンドンを経てシュルーズベリーに至る路線が配送先 となっているが,1888年以降はオクスフォード,ディドゥコット,サウゾー ルなどイングランド中部の諸駅にも配送するよう指示している.さらに1887
年の以下の書簡を契機に南ウェールズ路線も配送の対象となった.今週中のできるだけ早くに以下の駅に以下の量の石炭を発送いただき,その分ス ウィンドンへの配送量を減らしていただければ幸いです.
ニース
65
トングリン・ニース
7
トンアバデア
45
トンマーサー
15
トン別の供給源からこれらの駅への石炭配送が今週滞っております.17)
15) DG/A/1/546 W. Dean, Locomotive and Carriage Department, Great Western Railway, Swindon to DIC, 8th December 1885.
16) DG/A/1/552 T. Simpson, Locomotive and Carriage Department to DIC, 21st July 1886; DG/A/1/562 T. Simpson to DIC, 11th August 1888.
17) DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 28th November 1888. なお,この書簡は1回限りの配送を要請 しているが,翌日の書簡で依頼内容が定期的な配送に変更されている.DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 29th November 1888.
このように,グレート・ウェスタン鉄道会社では,各駅が石炭の不足に応 じて個別に発注するのではなく,スウィンドン機関区を窓口として一括して 毎週の定期的な配送量を示して石炭の配送手配を行ったのである.
1. 4 運賃の清算
1870年代まで列車編成に応じて随時に料金が算定・提示されたのに比べる と,運賃清算も標準化された.ダウライス製鉄会社は少なくともグレート・ウェ スタン鉄道会社の路線用に貨車を提供することはなくなり,運賃は輸送区間,
品目,重量の
3
点で決められた.このことは,スウォンズィーからその周辺 のブリキ板金工業の拠点だった小都市までの1
トンあたり運賃を提示した以 下の書簡でも確認できる.スウォンズィーから 鉄棒 銑鉄 条件
搬出 搬入 搬出 搬入 駅から駅まで 1荷最低4トン モリストン
9d 1/- 6d 9d
グレイス
1/- 1/3 1/- 1/3
ポンターダウ1/3 1/6 1/3 1/6
クムクリダッチ1/- 1/3 1/- 1/3
イスタリフェラ1/8 2/- 1/6 1/10
上記の運賃は,事前の通知なく変更することがあります.18)
貨物運賃が輸送区間,品目,重量の
3
点で一様に決められたことは例外的 な事例によっても確認できる.第1
に,運行前に運賃の算定をめぐって書簡 が往復されたのは1
例にとどまり,運賃が未設定の支線に関するものであ る19).この例では,つづけて,製鉄会社が「鉄」とする貨物について,鉄道
18) DG/A/1/521 J. Williams to DIC, n.a. 1880. ただし綴じ込まれた位置から6月11日から16日の あいだと推測される.
19) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 1st October 1888.
会社がその詳細を照会した20)
.その結果として,マーサーからその支線まで
の「レール」の運賃が提示された21).この他には,事前の運賃照会への回答
を含めても2
件が確認できるのみである22).第 2
に,運行経路に関する書簡 も1
通しか確認できず,これもある板金会社への輸送経路を変更する一般的 な通知であり,特定の便に関するものではない23).これらを除けば,1880
年 代のグレート・ウェスタン鉄道会社の書簡に,事前に運賃や経路を伝達する 書簡は見当たらない.このような貨物輸送の編成は,1870年代までの方法と明確に異なる.運行 時刻表に基づく定時運行,運賃表と貨車車票,出荷通知,受領票など定型化 された帳票類への記入だけで輸送が実現し,製鉄会社と鉄道会社のあいだで 随時に書簡を交わすことなく輸送を実現できる「標準化」された輸送体系で ある.言い換えれば,1870年代の鉄鋼商のように製鉄会社と顧客の取引条件 の詳細を知らなくても,貨車車票を掲出するだけで大量の貨物を発送するこ とが可能な輸送体系である.
しかし,それならばなぜ年間数百通に及ぶ書簡が鉄道会社から製鉄会社に 発信されたのだろうか.
2 遅配の意味
前節では,1880年代のダウライス製鉄会社とグレート・ウェスタン鉄道会 社のあいだで実施された輸送の編成が随時の書簡の往復を要しなかったこと を示した.実際に多くの輸送はこの想定どおりに実現したはずである.それ にもかかわらず,年間数百通の書簡をグレート・ウェスタン鉄道会社が発信
20) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 6th October 1888.
21) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 19th October 1888.
22) DG/A/1/525 J. Williams to DIC, 30th September 1881; DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 13th August 1883. これ以外に照会への回答として賃金を伝達する書簡もあるが,いずれも支線宛,貨物が レンガや農作物,他社路線に接続するなど例外的なものと考えられる.また溶鉱炉から排出さ れる屑鉄について用途,転売価格,重量などを鉄道会社が照会する書簡もある.DG/A/1/546 C.
Boucher, District Goods Manager’s Office, Great Western Railway to DIC, 28th January 1885.
23)DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 25th January 1883.
したのはなぜなのか.それは,車票に基づく貨物輸送が想定どおりに実現し ない場合もあったからである.書簡はそのような想定外に事態に対応する手 段であった.
本節では,その一例として,増加する貨物量に鉄道会社の輸送能力が十分 に対応できなかった事例を示す.
2. 1 遅配とその処理
グレート・ウェスタン鉄道会社がダウライス製鉄会社に多数の書簡を発信 した一因は,貨物の到着が確認できなかったためである.
予定された貨物が到着しない場合,荷受人は鉄道会社に照会し,これを受 けて鉄道会社が製鉄会社に照会した.あるいは,荷受人が製鉄会社に照会し,
これを受けて製鉄会社が鉄道会社に照会する場合もあった.前節では遅延な く到着したことを報告する書簡を引用したが,遅延を報じる鉄道会社の書簡 も多数残されている24)
.また,鉄道会社から製鉄会社に対して,発送の事実
を照会する書簡もある25).
では,なぜ貨物は予定通りに到着しなかったのだろうか.ダウライス製鉄 会社の受信書簡綴りは
2
つの理由を示唆する.第1
の原因は,出荷の遅れで あり,第2
は輸送に予定以上の時間を費やしたからである.前者については,「問題の貨車は『至急』の車票が掲出されていましたが,24日の午後
4
時半 まで当方に引き渡されておりませんでした」という書簡で確認できる26).別
の書簡で,鉄道会社が遅延貨物の引渡し予定日時を製鉄会社に問いただして いるのも,遅延の原因が出荷の遅れにあることを示すものであろう27).
しかし,予定通りにマーサー駅に引き渡されていれば,遅延の原因は第2
の原因,つまり大幅な輸送時間の浪費に限られる.製鉄会社自ら「到着につ24) たとえばDG/A/1/521 J. Williams to DIC, 19th October 1880. 同様の書簡は1880年代を通じて 20通余りが散見される.
25) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 22nd May 1883.
26) DG/A/1/521 J. Williams to DIC, 26th June 1880.
27) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 15th February 1888.
いて連絡がありませんので,移動に異常な時間がかかっていると考えざるを えません」と指摘する書簡もある28)
.
では,なぜ輸送に予定以上の時間を費やしたのだろうか.遅延の原因を報 告する書簡は,筆者が確認した限りで
1880
年代を通じて約20
通あり,そ こで報告される原因は多岐にわたる.なかには,最寄り駅への貨物の到着の 通知を受けていながら荷受人が荷降ろしをせずに5
日間放置していた例もあ る29).このような例には他の問題に起因するものもあるので後述するとして,
ここでは唯一複数回報告された理由を確認しよう.それは路線の渋滞である.
(略)問題の貨車
7
両は(24日のうちに出発するには遅すぎる時間に到着したので)11
月25
日の朝に当駅を出発し,ハーウィンに到着したことが分かりました.しかし,不運なことに,当日は輸送量がきわめて多く,この鉄が石炭貨車の背後に閉じ込め られたこともあり,26日の夕方まで出発できず,同日夜半にニースに到着し,翌朝 に鉄工所に到着しました.(略)30)
鉄道路線の渋滞は,製鉄会社の製品搬出に影響を及ぼしただけでなく,製 鉄会社への資材の搬入にも障害となった.製鉄会社宛の砂の遅延を詫びる書 簡も「これは完全に交通量の問題によるもので,たとえば石炭殻などが大量 に発送され,全ての路線をふさいでいるのです」と説明している31)
.
さらに頻発した貨車の故障や列車事故も遅延の一因であった32).輸送中の
故障はしばしば過積載あるいは貨車の損傷として報告されている33).さらに
28) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 13th February 1883.
29) DG/A/1/521 J. Williams to DIC, 30th January 1880.
30) DG/A/1/552 J. Williams to DIC, 4th January 1886. このような路線の渋滞を理由として明記する 書簡は1886年と1887年に5通が散見される.
31) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 17th January 1883.
32) 貨物損傷の例としてはDG/A/1/525 J. Williams to DIC, 9th February 1881など,1880年代を通 じて5通が散見される.
33) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 6th July 1888. このような貨車の軽微な故障やその撤去の人員派 遣を要請する書簡は1880年代を通じて約20通が散見される.
1887
年以降,製鉄会社が所有する急勾配線と鉄道会社の本線の合流点がしば しば衝突事故の原因となり,そのような事故の結果である再発送作業も遅延 の原因として認識されている34).
このように,予定されたとおりに輸送を実現するには,鉄道路線の渋滞,
安全管理とともに製鉄会社の出荷の遅れも防ぐ必要があった.しかし,大量 生産に対応した「標準化」した輸送体系でも,路線の輸送能力の限界を超過 した貨物量は処理し,あるいは出荷に至るまでの段階での遅延を解消するこ とはできなかったのである.
2. 2 グレート・ウェスタン鉄道会社宛の貨物輸送の遅配
遅配の一つの典型例は,グレート・ウェスタン鉄道会社宛の石炭の配送で あった.前節に示したように,石炭の発注は毎週の定期的な配送量を示す形 をとったが,実際には,さらに以下のような書簡によって頻繁に微調整が加 えられた.
ニース駅で石炭が不足しております.パディントンあるいはスウィンドンではなく 明日ニース駅に石炭を発送してください.また,週
100
トンの配送を維持してくだ さい.パディントンへの配送は,これから3
日のあいだ見合わせてください.35)このような至急の石炭配送の催促状は頻繁に,つまり年間
20
通から40
通 ほど発信された.とくに上記の書簡のような鉄道駅への配送ではなく,蒸気 船炭あるいは揚水機炭の催促状が多い.おそらく鉄道蒸気炭の場合,鉄道会 社による駅間の調整がある程度行われ,蒸気船などの場合はそのような調整 が困難だったと考えられる36).
34) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 1st September 1888. このような事故の報告は1887年以降に集 中し,5件が確認できる.
35) DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 8th July 1886.
36) ただし,蒸気船炭が不足したので鉄道蒸気炭で代用しなければならなかったという苦情の書 簡もある.DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 29th May 1886.
反対に石炭の余剰が生じると配送が停止され,再び不足すると配送が再開 された.
ニース駅で石炭が余っております.改めて連絡するまで同駅への配送を見合わせ,
代わりにその分の石炭はスウィンドンにお送りください.37)
今月
9日付の当方の書簡と 10
日付のお便りに関して申し上げます.先週のサウゾールの消費量が予想より多かったので,今月
19
日付で同駅への石炭配送を再開して ください.38)つまり,グレート・ウェスタン鉄道会社は,各駅の石炭庫で調整するとと もに,炭鉱からの配送量を調整することによって,石炭保有量を管理してい たのである.このような柔軟な石炭配送を実現するためには,迅速な石炭輸 送を実現しなければならなかった.そこで鉄道会社が重視したのが,製鉄会 社が所有するクムバーグード炭鉱に石炭運搬車を確保することであった.
昨日付の当方の書簡に関して申し上げます.万一ダウライス炭坑に貨車がなかっ た場合に備え,ブリトン・フェリーの蒸気船用の石炭を運搬するために炭坑に回 送するものと特別に表示して,本日貨車
3
両を回送しました.39)鉄道会社が石炭の安定的な供給を実現するために貨車の確保を重視してい たことは,上記のような個別緊急時の配慮だけでなく,石炭輸送の繁忙が予
37) DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 28th May 1886. このような石炭配送の一時的な見合わせを指示 する書簡は年間10通から20通が散見される.
38) DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 17th April 1888. このような再開配送を指示する書簡は年間に 4~5通が散見される.ただし,一般的な配送量を指示する書簡などに併記される場合を含ま ない.
39) DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 3rd June 1886. このような貨車の回送を知らせる書簡は年間5 通前後が散見される.
想される時期に予め貨車を確保する対応からも確認できる40)
.
しかし,鉄道会社が貨車確保に努力しても製鉄会社がこれに応じたわけで はない.以下は,積み残し貨車の台数をあげて鉄道会社が製鉄会社を非難し た書簡の一部である.
(略)先週金曜日までに十分な数の貨車をご用意しましたが,迅速に積み込みを進 めておられないことが,以下の記録からご理解いただけるはずです.
日付
積載量
貨車 備考到着 積載 積載待ち
4
月11
日 イースター月曜日で休業4
月12
日14
両14
両4
月13
日113t 19cw 17
両13
両18
両4
月14
日135t 13cw 18
両15
両21
両4
月15
日165t 2cw 3
両19
両5
両4
月16
日44t 4cw 5
両計
458t 4cw
昨晩貨車
8
両をスウィンドンよりダウライスに回送しました.毎日,貨車8
両を 定期的に回送します.これで週380
トン運搬できるはずです.また,ダウライス 駅宛の石炭を運搬する貨車で週70
トン,蒸気船炭の貨車が週250
トンで,合計で 週700
トンとなり,1週間分の契約料を100
トン超過します.これで契約期間の 残りの部分で生じた遅延分を補うことになるはずです.41)別の書簡も「この
3
週間にわたり,貴社が自社の貨車には積み込みをすすめ,当社の貨車への積み込みを進めていないのが原因と思われます」と製鉄会社 による石炭積載の遅延を非難している42)
.これらの書簡や多数の催促状から
40) DG/A/1/562 T. Simpson to DIC, 13th October 1888.
41) DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 19th April 1887.
42) DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 10th September 1886.
石炭の遅延は慢性的であったこと,またその一因が出荷の遅れにあったこと が確認できる.
このような遅延はグレート・ウェスタン鉄道会社が鉄を購入する場合も同 じであった.この鉄道会社は
1880
年代に鉄橋の架設資材として大量の鉄板・金具を購入した.1886年
4
月の書簡は「残念ながら2
月27
日に仕様書をお 送りしたチャーウェル川第1
号橋梁の資材がまだ届いておりません.(略)遅 延なく全ての資材を発送されるようご尽力ください」と早急な発送を求めて いる43).このような催促状も毎年 10
〜20
通が残されている.このように,グレート・ウェスタン鉄道会社は,自ら路線の遅延の影響を 被り,製鉄会社による鉄・石炭の出荷の遅れを改善するよう求めつつ,とく に石炭輸送については貨車の確保という形で遅延に備えた.
前節で示したように車票による運行管理は大量輸送に対応した「標準化」
した輸送体系の特徴であったが,路線の輸送能力を超えた貨物に対応できず,
また製鉄会社の生産から出荷の過程を管理できるものでもなかった.鉄道会 社と製鉄会社の頻繁な書簡の交換は,このような事態に対応するものであっ た.
3 誤配の意味
前節で示したのは,貨車車票で対応できない事態に貨物輸送が直面した事 例である.では,車票の運用あるいは車票自体に問題はなかったのだろうか.
第
1
節で示したように,車票を用いた貨物輸送は,時刻表に基づく定時運 行と,貨物の種別,重量,輸送距離に基づく運賃表とに結びついたものである.他方,ダウライス製鉄会社による鉄生産は大量生産をすすめながらも標準化 せず,発注に応じて多様な仕様と数量の鉄製品を多様な顧客に随時供給した.
そして,標準化の伴わない大量生産は,管理すべき貨物情報の大量化を意味 した.
43) DG/A/1/552 T. Simpson to DIC, 1st April 1886.
1870年代にダウライス製鉄会社の貨物輸送を編成した鉄鋼商フォレスター 商会は,取引仲介業務の延長として輸送を手配したが,1880年代のグレート・
ウェスタン鉄道会社は貨物輸送サービスのみを提供した.鉄鋼商は製鉄会社 とその顧客の契約の全容を把握したが,鉄道会社は貨物がどのような契約に 基づいて発送されたのか知る立場になかった.しかし,運賃の事後清算の段 階では,たとえば運賃を荷主と荷受人のどちらが負担するのか,など車票に ない情報が必要となる.本節は,貨物量の増大ではなく,それに伴う貨物情 報量の増大に「標準化」された輸送体系がどのように対応したのかを検討する.
3. 1 物流管理の限界
まず車票の運用から始めよう.車票の運用は,全ての貨車に車票が掲出さ れることが前提となっている.しかし,これに遺漏があったことが以下の書 簡で確認できる.なお,以降に例示する書簡でもしばしば確認できるように,
発信済みの電報を確認するため同じ内容を記した書簡は数多く散見され,本 稿の事例における情報伝達の一つの特徴といえる.
本日次のような電報をお送りしました.当駅構内の貨車
32525
号,32526号に積 載されたレールについて,どこに発送するのか電報でお知らせください.また本 日中に車票をお送りください.44)貨車
18390
号は車票のないままゴーセイノンに到着しておりました.この貨車はダインヴァー板金会社に到着しております.(略)45)
また,車票の掲出に誤りがある場合もあった.たとえば,しばしば誤った
44) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 18th April 1888.
45) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 19th January 1888. このような書簡はとくに1887年以降に多く,
この3年間で約20通が散見される.
宛先が車票に記載された46)
.また,貨車の両側に掲出されていた車票の宛先
が異なっていたこともある47).さらに,発送手順に誤りがある場合もあった.
つまり,出荷通知よりも先に実際の貨物が到着していたため,出荷通知と車 票の照合ができなかった着駅が車票を処分した事例である48)
.車票やその控
えの催促状も多数散見される.その多くの原因は単純な手違いであろうが,結果として貨物輸送に不可欠の情報が伝達されていなかったことになる.
問題は車票の運用にとどまらなかった.未到着貨物の照会に対するマーサー 駅の回答を参照しよう.
レスター社宛鉄骨,貨車
22108
号 6月20
日付1805
便標記の貨車が当方への引き渡しが確認できません.いつ急勾配線を降下させたの かお知らせください.49)
この書簡は,製鉄会社が発送したと考える貨物について鉄道会社で発送が 確認できないと回答している.同じように,発送を確認していない貨物の到 着も確認されている.
ポート・タルボット駅が貴社の製鉄所からリオ・ティント社宛の鉄を積載した貨
車
44085
号を9
月13
日に受け取ったと申しております.しかし,当駅ではこれが確認できません.そのような記録をお持ちでしょうか.もしもお持ちならば日付 と便名をご教示いただけるようお願いします.50)
46) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 26th February 1889.
47) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 14th January 1889.
48) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 11th October 1888.
49) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 26th June 1888. このような書簡は1880年代を通じて散見される が,とくに1888年は多く4通ある.
50) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 6th November 1888. 物資の到着を確認しないまま製鉄会社に搬 入した例もある.DG/A/1/529 J. Weaver, District Goods Manager’s Office, Great Western Railway to DIC, 31st December 1881.
51) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 9th August 1888. このような書簡は1885年以降に散見されるよ うになり,80年代後半の5年間で約10通が散見される.
52) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 5th May 1888.
53) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 30th August 1889.
また,貨物の発着以外についても,以下のような書簡が散見される.
7
月13
日あるいはその前後に貴社の製鉄所に到着し,石炭を積載していた貨車454
号の受領を確認できるでしょうか.お差し支えなければ,この貨車の所有者と 発送人の氏名,住所をお知らせください.51)では,なぜ鉄道会社は貨物の発着,そして発着貨物の詳細を把握していな かったのか.ある書簡は「2日付の当方の電報と貴社のご返信でご指摘の貨 車の番号は,誠に申し訳ございませんが,当方の貨車確認係が確認しそびれ ておりました」と単純な見落としであると説明している52)
.また,
別の書簡は,製鉄会社の最寄り駅がダウライス駅とマーサー駅の
2
つあることによる混乱 を指摘し,また荷受人としての製鉄会社の到着確認にも遺漏があったことも 指摘している53).
このように,理由は単純であったが,車票による貨物情報の管理に遺漏が あり,鉄道会社と製鉄会社はともに貨物の発着や所在を正確に把握していな いことがしばしばあった.それは以下に見るような問題を生みだした.
3. 2 誤配とその処理
車票の運用や貨物の発着確認に遺漏があったとすれば,貨物輸送に支障は なかったのか.実際には,多くの書簡が貨物輸送の混乱を伝えている.
グレート・ウェスタン鉄道会社貨車
6142
号標記の貨車はモリストンのボウフォート板金会社から石炭殻
7
トン8
ハンドレッ ドウェイトを積載し,7日付で貴社に引き渡しております.運賃は1
トンあたり3
シリングで,計
1
ポンド2
シリング2
ペンスを2
月分請求書に記載しております.この貨車は実際にはマーサーに到着しておりません.(略)54)
貨車
18390
号についての21
日付の貴社のお便りに重ねて返信いたします.この貨車はダインヴァー板金会社ではなくルイス・アンド・サンズ社に配送されていた ことがわかりました.この件についてはしかるべくお手配ください.55)
本日以下のような電報を送りました.4月
14
日の252
便,ガーナス板金会社宛の鉄 棒104
本を積載した貨車24805
号について,荷受人はこの貨物について一切関知し ないとのことで,受領を拒否しています.至急,電報で対応をご指示ください.56)このような誤配はなぜ生じたのだろうか.残念ながら,誤配の原因を報告 する書簡は多くない.しかし,「担当者は,この貨物にその旨の車票が掲出さ れていたと申しております.間違いなく,貴社の車票が当社の車票よりも正 しい(貨車は双方の車票を付けていたはずですので)と担当者が考えたもので,こ の車票に従ったものです」と車票の誤りを報告する書簡もある57)
.車票は,
正しく運用されていれば効果的な情報伝達手段であったが,単純な見落とし や誤りを防ぐために十分な工夫が施されなければ,貨物の多少にかかわらず 一定の頻度で誤配が生じたはずである.
では,車票の扱いについて鉄道会社はどのように認識していたのか.ここ で別の誤配の一件を参照しよう.第一報は「当該貨車はその旨の車票が掲出 されていたので」誤配先に到着したと報じ,「訂正済みの車票」の送付を求め た58)
.これに対する製鉄会社の返信は確認できない.しかし,鉄道会社の続
伸は「当方ではなく貴社が車票を掲出していると理解していることで何ゆえ54) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 19th March 1883.
55) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 27th January 1888.
56) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 26th April 1888.
57) DG/A/1/529 J. Williams to DIC, 26th April 1882.
58) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 23rd October 1889 .
非難されるのか分かりかねております」と応じた59)
.また,次の続伸も「特
別にご依頼がないかぎり,貴社の鉄を運ぶ貨車の車票を当方が付け替えるこ とはありません」と応じた60).おそらく,製鉄会社が発駅による車票確認の
責任を問うたのに対して,鉄道会社は荷主が掲出した車票に従うという原則 から,製鉄会社の非難に対する当惑を表明したものであろう.発駅は,荷主 の掲出した車票を確認する立場にあったが,あくまで車票の掲出は荷主の責 任であり,発駅が並べて掲出する車票は荷主の車票に従うものであった.言 い方を換えれば,鉄道会社は製鉄会社の誤りを正す立場になく,それどころ か鉄道会社も単純な誤りを繰りかえしたことはすでに見たとおりである.なお,上記の書簡は「訂正済みの」車票つまり新しい車票の作成を求めて いるが,これは,当初の輸送業務と別に転送を請け負って別途運賃を請求す ることを意味している.このことは,ある書簡が,到着済み貨物の出荷通知 の訂正を拒み,転送の有無を問いただしたことからも確認できる61)
.なお,
誤配された貨物が転送されたのは,それでも納期に間に合った,あるいは納 期の調整が可能だった場合に限られた.たとえば誤った目的地に向けて船積 みしてしまった場合は,転送ではなく再発送が手配された62)
.
貨物輸送の混乱は誤配にとどまらなかった.それはなぜなら鉄の発送には 納期,宛先,荷受人だけでなく貨物の仕様,数量など多様な条件が関わって いたからである.ある催促状は,必要な発注済み資材の仕様を次のように列 挙している.
別紙一覧のとおり発注済の鉄板が大至急必要です.至急十分な量を発送するよう お手配ください.
発注済の鉄板
59) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 4th November 1889.
60) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 5th November 1889.
61) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 23rd August 1889.
62) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 25th February 1889.
発注
55237
番7
フィート4
インチ×2
フィート2
インチ×3/16
インチの鉄板700
枚 発注57335
番6
フィート6
インチ×1
フィート9
インチ×3/16
インチの鉄板200
枚5
フィート7
インチ×1
フィート9
インチ×3/16
インチの鉄板400
枚5
フィート4
インチ×1
フィート9
インチ×3/16
インチの鉄板200
枚7
フィート4
インチ×2
フィート5.5
インチ×3/16
インチの鉄板500
枚7
フィート4
インチ×1
フィート7.5
インチ×3/16
インチの鉄板200
枚63)この書簡は鉄道会社が製鉄会社から鉄橋の架設資材を購入した事例で,多 様な規格と数量で発注を行っていることが確認できる.当然ながら,これら の規格や数量を満たすことが製鉄会社には求められた.ある書簡は,受領し た鉄板の伸張率が要求する水準に達していないと苦情を申し立てている64)
.
また,別の書簡は「長さ18
フィート8.5
インチ ×1フィート4.5
インチ ×5/8 インチの鉄板1
枚を受領しましたが,発注した長さは20
フィート0.5
インチ です」と寸法の誤りを指摘している65).
当然ながら,他の顧客も鉄の数量,仕様を注視したはずだが,鉄道会社を 通じて照会されたのは,輸送中の紛失の可能性もあった数量不足の場合が多 かった.ある書簡は「荷受人は鉄板が
1
枚足りないと申しております.(略)輸送の途中に転落することはありえません.問題の鉄板が何らかの理由で取 り残されていないかお知らせください」としている66)
.では,なぜ貨物が不
足するのだろうか.鉄道会社は,別の書簡でも「鉄板が貨物から転落あるい は盗難される可能性は低いといってよいと考えます」と説明している67).し
63) DG/A/1/546 W. Dean to DIC, 30th October 1885.
64) DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 24th February 1887.
65) DG/A/1/569 T. Simpson to DIC, 15th April 1889.
66) DG/A/1/521 J. Williams to DIC, 12th May 1880. このような貨物の不足を報じる書簡は1880年 代を通じて約20通が散見される.
67) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 25th March 1889.
かし,この書簡の正否は定かではない.少なくとも石炭については盗難の可 能性を指摘する書簡がある68)
.また,貨物の不足の原因が転落であったこと
を示す書簡は見当たらないが,拾得貨物の報告がある69).
しかし,本稿は,転落や盗難より大きな問題として貨物の数量管理が徹底 していなかったことを指摘する.ある書簡は,過積載の貨物を積み直し,別 の貨車に取り分けた経緯を不足の理由の可能性として説明している70)
.また,
別の書簡では,荷受人の貨物受領が杜撰であることを説明し,荷受人の数え 漏らしの可能性を示唆している71)
.しかし,それ以上に貨物の数量管理が徹
底していなかったことを裏付けるのは,貨物過多の事例である.スウォンズィーのヴィヴィアン社の工場宛の鉄棒
2476
本を輸送した20
日付の968
便について申し上げます.貨車30979
号には間違いなく鉄棒2488
本が積載されて おり,全てヴィヴィアン社に引き渡されたとのことです.ご確認ください.72)このような貨物の過不足の全体像を描き出すことは困難だが,このような ことが頻繁に生じていたことは次の書簡から確認できる.
5
日付の1690
便について,29日付の当方の書簡に対する31
日付のお便りの返信 として申し上げます.荷受人が鉄棒を数えた結果は以下の通りと聞いております.4340
便20
本多い1529
便15
本少ない11853
便21
本少ない差し引くと
16
本少ないことになり,貴社の数字と荷受人が出した数字に大きな差68) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 4th April 1888.
69) DG/A/1/552 J. Williams to DIC, 22nd September 1886.
70) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 5th February 1883.
71) DG/A/1/562 J. Williams to DIC, 15th June 1888.
72) DG/A/1/534 J. Williams to DIC, 6th March 1883. このような貨物の過剰を報告する書簡は1880 年代を通じて約5通が散見される.
があるのが分かります.貨車に積載した本数を詳しくご確認の上,当方までお知 らせください.73)
最後に,誤配,仕様の違い,数量の過不足などの貨物情報管理の問題があ る程度まで鉄の輸送に固有の問題であったことに留意する必要がある.すで に見たように,石炭配送の場合には,遅延が慢性化していたが相対的に誤配 の報告例は少なく,1880年代末に限られる74)
.石炭の配送は,定期的である
ことが多かったこともあろうが,数量の過不足が問題になることはなく,宛 先の誤りのみが問題となった.しかし,鉄の場合は定期的な配送は少なく,また宛先だけでなく,正しい仕様の製品を正しい数量だけ輸送することが求 められた.車票による貨物情報の伝達では,このような膨大かつ詳細な情報 管理を徹底できず,しばしば混乱を招いたのである.それゆえに,石炭と比 較して,鉄の輸送においてとくに深刻な問題となった.
3. 3 清算処理
貨物の詳細についての追跡的な情報交換がもっとも煩雑に行われたのは,
予定通りに輸送されたかどうかを問わず,事後清算の段階であった.もっと も理解しやすいのは未払い分が見つかった場合あるいは請求額として合意さ れていない経費を追加請求する場合である.もっとも多かったのはグレート・
ウェスタン鉄道会社から他社路線に接続した場合の他社分の請求である75)
.
また追加請求以外に,清算に必要な貨物の品目,輸送区間,重量の情報の遺 漏を補足する照会も多い.たとえば,鉄板の枚数は判明しているが重量が不 明であれば照会の必要があった76).貨物の錫が箱に入っていたかどうか問い
73) DG/A/1/569 J. Williams to DIC, 5th January 1889.
74) DG/A/1/557 T. Simpson to DIC, 20th September 1888; DG/A/1/569 T. Simpson to DIC, 17th July 1889.
75) DG/A/1/546 J. Williams to DIC, 31st July 1885など,1880年代を通じて約5通が散見される.
76) DG/A/1/552 J. Williams to DIC, 7th December 1886.