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パウロとイエスの邂逅について

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(1)

パウロとイエスの邂逅について

その他のタイトル St. Paul's Encounter with Jesus Christ

著者 川? 幸夫

雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要

巻 31

ページ 79‑91

発行年 1998‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/16234

(2)

によ

つて

シュックイ根本的に異なった新しい宗敦的事態が出来したといふことが剰すと て

は︑

パウ

ロと

イェ

スの

避逗

につ

いて

イエスの説いた

﹁稗

の一

輻音

薔約の終末観とは たイエスの最初の宣敦において︑に表明されてゐるといへよう︒ かについてはさまざまな見解があらうが︑﹃マルコ偲﹄に牧録され

キリスト教の根本精紳が最も端的

ョルダン川でヨハネによって洗證を

受けたイニスは直ちに荒野へ送られ︑四十日に亙るサクンの誘惑を

天使の庇護のもとに切抜けたのち︑故郷のガリラヤに蹄つて﹁稗の

謳音﹂について︑次のやうに述べた︒

﹁時は充てり︑稗の國は近づけり︒汝らは悔改めて︑幅音を信ぜ

(1 ) 

よ。」

(lfor..l~p

eg(6E8p含

ka rJ rr ws v 

{ ,a u

へ 配

a2 0o e)e o fr  

‑ r a v o e [ ‑ r e , , c a ,   1 r e u ‑ r e u e ‑ r e  

eJ

J 

‑ r i j

,   & 

a r r e l / < t J . )  

(Marc••1•

15 ) 

この宜敦の前段をなす﹁時は充てり︑紳の國は近づけり﹂

にお

奮約との到比においてキリスト教の革新的な意義をどこに求める

︒ハウロとイエスの超垣について

七九

(685 

ころなく告知されてゐる︒ここで﹁時﹂を表示するために使用され

E8

p合といふ語はもともと季節を意味し︑生命の宇宙的なリズ

ムの循環とともに巡る時を指すが︑時充ちた時とは︑海邊に集まつ

てきた大勢の群衆に向つてイエスが瞥噺を使って説明したやうに︑

(2 ) 

良い畑に蒔かれた変や芥子種が豊な結寅を迎へた﹁牧獲の時﹂(︵

E8  po s  1 : 0

c l    

Oe p, aμ ou ) 

! l ほかならない︒イエスの語るところでは︑

天國の畑には良い種だけが蒔かれたのに︑﹁悪魔﹂ぎヘミ

Po io gが来て

毒変も蒔いたので︑畑には毒変も混つて育つことになる︒しかし未

成熟な段階では双方の謳別が紛らはしいので︑牧獲の時が来るまで

は育つにまかせ︑いざ牧獲といふ時になって﹁まづ蒋変を抜集めて

燒彿ふ﹂ことが定めとなる︒かくしてイエスは﹁牧獲の時﹂が審判

とを明白にする︒ の場となることを示し︑それが終末観的見地から語られてゐたこ

(5 ) 

﹁牧獲は世の終りで︑刈る人は天使であ﹂

O ep w μ or ;

;  

U UI J ' l'

i e

a

a宙

ud ga og .o i6 5o ep [0 3

〜 ふ

r e J . o t

e t  g

.︶ 

(6 ) 

り︑更にこの天使たちを遣る者はほかならぬ﹁人の子﹂

(c

o

dg To ct

J I   I 

(3)

にとどまつてゐるといふ反論が根強いかも知れぬが︑ てゐることを楯に執つて︑イニスの場合にも依然として終末は未来

自身の立つ生ける現在として賓現されてゐる︒

﹁神の図は近づけり﹂なのである︒

﹁誹の國﹂とは誹の支配騰制が確立された或る特定の領域を意味し

てゐるのではなく︑誹への正しい信仰に貫かれた民衆の現賓の生の

なかに神の強い力の活動が顕著に認められ︑それが一定の擦りをも

つやうに意識された情態を指してゐるやうに思はれる︒しかしイニ

スの宣数においては﹁紳の國﹂に開しては﹁近づけり﹂と表現され

﹁近

づけ

り﹂

﹁時

は充

てり

なのであり︑ Jのことの自覺が

がら

﹁汝の言ふとほりだ︒汝に向つて私はいはう︑汝らは人の子

が全能なる者の右に坐り︑天の雲に乗って来臨するのを見ることで

(9 ) 

あらう﹂と閲髪を入れずに答辮したほどである︒

ダニエルが開近に迫り来る未末に想定した終末の日は既にイニス ストか﹂と問ひかけられた際に﹁ダニエル書﹂の幻像を反復しな

夜の幻のなかで見たといふ﹁天の雲とともに﹂現れる﹁人の子のや

(7 ) 

うなもの﹂に自らを重ね合はせてゐたのは疑う餘地がなく︑自らに

も誹の國の全櫂が父なる紳から委託されてゐることを確信してゐた

に違いない︒このやうに見るならば︑イニスの地上における日日の

(8 ) 

活動は﹁すべて預言者の書を賓現するために行はれた﹂と解繹され

るのは嘗然であり︑それゆゑに︑やがてユダの奸計に陥つて嘆れの

身となったイエスが大司祭カイヤペーから﹁お前は神の子たるキリ dp

g )

であると告げられたが

この時のイエスはダニニルが

ついで神の﹁一廊音を﹂ただ﹁信仰する﹂といふこと る︒その最初に掲げられたのは自らの罪を直裁に﹁悔改める﹂とい 別の場面でイェスによ

( 10 )  

つて﹁⁝⁝既に紳の國は汝らの許に到り着いてゐる﹂︵安

pag

o g

g

翌 吝 均

i p

g 忌 ぶ

TO50e

︶ と 述 べ ら れ た や う に

るといふ仕方での近さを物語るものといへよう︒かくして歴史的時

開の中でイニスが立つてゐる現在は︑天より公現したメシアによっ

て最後の審判が行はれ︑萬人の信仰の正邪が裁断されて︑員理が隅

なく明るみに出てしまった時であり︑終末の賓現はまた永遠なるロ

( 11 )  

ゴスが紳とともに在つたと語られる﹁始め﹂の反復であることが柄

最初の宜教の前段において︑イェスはダニエル書の預言が完全に

賓現されたことを告知したが︑後段に移ると一轄して︑かかる新し

い事態に郎應して︑人閲がいかなる仕方で劉慮すべきかを明示し︑

厳しく決断を迫つてゐる︒イェスが求めた事柄は極めて鼠純であっ

て︑すべての人にとつて行ふにこれほど容易なことは無い筈であ

ふことであり︑

である︒救ひに至るべき條件はこれだけであって︑そのためには世

俗的な願望に逆らつて日日善行を積むために苦しい克己心を貫くこ

とも命じられず︑非人閲的なまでに苛酷な苦行を織績したり︑煩瑣

な學識を振りかざして岐路に難澁するなどして︑親鶯のいふ﹁難行

. , " ︵

1 2)  

の陸路﹂を顕示することにはいかなる債値も置かれてをらず︑努力 乎として明かになったのである︒

a

誹の闊が汝らの周りを取園んでをり︑汝らは既にその中にゐ

﹁既

に﹂

fr r[ ke u

と完了形で事態が示された表現は

八〇

(4)

パウ

ロと

イニ

スの

避返

につ

いて

終に無限大に到逹することはありえないやうに︑律法の行為をとほ の緊張が強制されることも︑特殊な方法を習得することも課せられることはなかった︒このことこそ律法的倫理の無力化を宣言するも

( 13 )  

﹁律

法の

終﹂

のであり︑後に︒ハウロによって概念化されたごとく︑

も ︒

su dP ou

が完成したことを告げるものであった︒

メシアの降臨が未来の約束にとどまり︑現在における現寅の出来

事とはなってゐなかった薔約の世界においては︑現在から未来を遮

断してゐる非連績性を律法の寅賤をとほして連績化することが試み

られてきた︒そこで課せられてゐた律法の賓賤は︑有限で不完全な

人閲が自らの善意志を稜動して獲得した成果を限りなく積重ねるこ

とによって紳の義認を得ようとする絶え閲なき努力への信頼に基づ

くものであった︒しかし有限量をいかに涯しなく加算していつても︑

して紳による義認を勘請しようと願ふことは︑後に︒ハウロによって

苛借なき批判を浴びたやうに︑人閲の自己偽賄が産み出した幻想に

ほかならなかった︒ましてや終末に来臨すべき紳の子が人閲の姿を

纏ったイエスとして目前に現れ︑現在と終末との閲に隔りがまった

く失はれた場が開かれ︑全存在が眩ゆい員理の光に照らし出された

時に臨んで︑もはや紳の面前で自己の不十分さを取繕ほうとする人

開的な慮りは一切何の用をも果し得なくなったのである︒

求めて下されたのではなく︑ イニスの登した﹁悔改めよ﹂といふ命令は決して個々の人閲が犯した具證的な悪業を取上げて︑人閲としての良心に目覺めることを

アダムより織承して来た原罪への無知ることを知る謙虚さを保つてさへをれば︑ によって顛倒された自己意識を悉く棄去ることであり︑自己が律法に立脚した善人であることを疑ほうとしない自惚の根元を断てといふ要求であった︒イニスのいふ澄

Ta uo

笛とは人閲が自分自身に到

して抱攘してゐるすべての見解と想念︑およびそれらを産み出して

ゐる﹁自らの精稗

(u oo g)

を愛革すること﹂を意味する︒自らを是

認するが如き心の在り様を更改することは過去ったすべての思ひな

し︑善意と自負の悉くに邪念が混入してゐたことを﹁後悔するこ

と﹂

であ

り︑

/¥ 

且つまた未来への自戎を含めつつ︑自己意識の根源に

潜む原罪のゆゑに自らの善意志そのものの無力なることへの怖れに

も聯なるのである︒かくしてもし﹁悔改めよ﹂といふ言ひつけに背

いたならば︑﹁良い果賓を結ばない木は︵斧で︶悉く切られて︑火中

(U ) 

に投ぜられるであらう﹂とイニスに告げられたやうに︑

R

・オット

ーのいふ﹁戦慄すべき紳秘﹂

m y s t e r i u t m r e m e n d u m

の威力が如何

ほどのものかといふことに直面した時には︑もはや後悔しても時閲

の不可逆性を思ひ知らされるだけであらう︒このやうに﹁行為の

( 15 )

法 ﹂  

vo μo s lp r  eu

を強制されることからはまったく無縁な形で﹁悔

改め﹂が主張された時︑そのやうな﹁信仰の法﹂

pd Po sr {o ae S

入るためには︑超人的な霊性に恵まれることも必要なければ︑類稀

なほどに強固な意志を錬磨することもまったく求められてゐない︒

イニスの宜敦は終末の寅現である﹁稗の國﹂がむしろ喜ぴをもたら

すことを告知せんとしたのであり︑ただ自らが決して善人に非らざ

﹁紳の國﹂に入る道であ

(5)

く︑律法の世界では未来に想定されてゐた﹁紳の國﹂が既に到来し

てをり︑罪人の立つてゐる歴史的現在が永遠に充ち溢れてゐるとい

ふ悦ばしき昔信である︒その﹁汝らは一瞬昔を信ぜょ﹂

(r (O Te

‑ r e

i v  

i

e u a r r e ) . [ <

p . )

といはれる

としてゐる誹の審判を前にして︑律法の行為のために必要となる時

閲が麿絶されたといふ現朕を知つて︑一切の人閲的思議を放棄する

ことであり︑只管に稗の恩寵に鎚つて︑それを受容れることにほか

ならない︒信仰とは人閲の意志の産物なのではなく︑人閲の所行と

は無闘係に︑飽くまでも稗の無償の愛による賜物であり︑人閲の意

志によって左右できるものではありえない︒ところでこの聖句にお

r

t 1 ' l ' e u e c v

の封象となる

eo ar rO .w

vが到格で示されてゐな

けら

れて

ゐる

が︑

その前に﹁中に﹂を表示する如uといふ前置詞がつ

それはおそらくrミTeさから他動詞的性格を消

すためであらう︒動詞の到象が到格で示されると︑働きの主髄と封

象とが主客に二分されて︑その閲に差別と空隙が残るのを避けよう

とする意圏が働き︑﹁信仰する﹂といふ働きが信ずる者と信ぜられ

るものとの深い内面的な一致の上にはじめて成立べきものである︑

といふ理解を踏まへて語られたものと思ほれる︒ い

だけ

でな

く︑

いて

は︑

﹁信

仰﹂

ま ︑ , "

`   と る﹁悔改め﹂と﹁信仰﹂が郎座に︑なんの抵抗もなく︑萬人に榮々

( 16 )

と開かれてゐる﹁易行の水道﹂となる筈であることが示されたので

ある︒この﹁汝らは悔改めよ﹂といふ一句につづけて︑更にイニス

は﹁

一幅

音を

信ぜ

よ﹂

と附

加へ

てゐ

る︒

今まさに開始されよう ﹁輻音﹂とはいふまでもな

イニス・キリストと遭遇した時の出来事の有無については︑︒ハウ 涯の消息を尋ねることにしたい︒ 前節において素略な仕方で描上げたやうに︑最初に行はれた宣敦の分析を通して︑イニスの宗数の骨子は一往見定めることができたと思ほれるが︑この一扁昔の革新的な意義を正しく把握して︑それを後代に搬承させる基を造ったのほイニスに直接随伴した十二使徒たちではなく︑イニスの同時代人でありながら生前に一度もイニスにまみえようと欲しなかった︒ハウロであった︒しかし原始敦會においてキリスト信仰が確立されてゆく過程において︑禰昔と律法との闘係をいかに把へるべきであるかを巡つては信徒の閲にさまざまな動揺があった︒更に奮約聖書のみならず︑禰昔書の記逃に到しても批判の手をゆるめないグノーシス派の攻勢を排除しながら︒^ウロ主義の採揮が決定的となるまでには︑イニスからみて第三世代乃至第四世代に賜する使徒後敦父を鰹て︑反グノーシス派の代表的護敦家であったニイレナイオスにいたる一世紀を越える論争を必要としたのである︒この閲の継緯を歴史的に辿ると本論文の眼目とするところからは.つれてしまふので︑ここではパウロに突稜したイニスとの避

ロ自身は現存する十敷通の書簡のなかではまったく言及してゐない

し︑またその際の髄験内容についても具儘的に振返へることはなる

べく避けてゐて︑僅に﹃nリント後書﹄において﹁自分はキリスト

(6)

てゐ

るが

︒ハ

ウロ

とイ

ェス

の避

逗に

つい

の内に在る一人の人閲︵d

p a n r : o v l v  Xpe

<1

ょ魚︶を知ってゐる︒この

人は十四年前に第三の天にまで引去られたことがある││・しかしそ

れが肉證の中に在つたままなのか︑それとも肉證を離れてなのかに

ついてほ私は知らないが︑紳はそれを知つてゐる︒⁝⁝この人は天

ra pd ae

00Sにまで引去られ︑そこで言表す術もないやうな言葉

dp p7 3p iP a3

が語られるのを聞いたが︑このやうな言葉は人閲

(17) に向つて語ることが赦されてゐない﹂といふ風に︑第三者的表現と

して︑距離を置いた仕方で語られてゐるだけである︒しかしながら

﹁︒ハウロの随伴者﹂といはれるルカの手になったといふ偉承が二世

紀にまで遡る﹃使徒行偲﹄においては︑パウロに到して起ったキリ

スト公現の出来事が一︱一度に亙つて繰返され︑所謂パウロの回心物語

といふ形を取って︑パウロの髄験内容とその後日諏にまで踏込んで︑

可成り詳細に記録されてゐる︒固よりルカによる描寓がどの程度ま

で史寅としての信憑性があるかについては解決困難な問題が残され

しかし﹃使徒行偲﹄の記述が﹃コリント後書﹄にある︒^

ウロの言葉と著しく麒甑するわけではないので︑細部に猜疑心を募

らせることはやめて︑三つの記事に共通する基本的要素を抽出する

こと

にす

る︒

ルカによる︒ハウロの回心物語は﹃使徒行偲﹄の九章の一節から十

九節︑廿二章の三節から廿一節︑廿六章九節から十八節に掲載され

てゐる︒このうち九章と廿二章とは二部構成をなしてゐて︑その前

半においては︒ハウロのキリスト證験が語られてゐるが︑後半ではア け

ナニアといふ主の弟子による︒ハウロヘの異教徒博道の使命の告知と︑

それによる︒ハウロの病氣恢復の物語が加へられてゐる︒これに封し

て廿六章では︒ハウロのキリスト證験のみで物語が打切られる形をと

り︑後日諏に営るところもキリストが直接.ハウロに語ったことにな

つて

ゐる

E・トロクメ著﹃﹁使徒行俺﹂と歴史﹄によると︑ルカが

記録した︒ハウロのキリスト證験の消息は︑たとヘルカの手が加はつ

てゐることが閲違ひないとしても︑パウロ直偲の原資料を忠貢に博

へてをり︑特に廿六章の記事は﹁︒ハウロ自身が書いたか︑或いは︒ハ

( 18 )  

ウロに指圏されて書かれた﹂ものと見倣しうる︒これに反して︑九

( 19 )  

章と廿二章の後半部はルカによる改作であらうと考へられると判定

されてゐる︒いづれにせよ︒ハウロの病氣恢復物語の方は本論文の課

題とは直接のかかはりを持たないので︑そこは考察の範園に含めな

いことにする︒さうすると三度繰返へされた︒ハウロの回心物語を構

成する基本要素は以下のやうに六つに分けることができる︒

まづキリストの公現が突猥して︑パウロの回心の場面が急展

開を見せるのに先立ち︑出来事の前燭れを整へる序曲として︑使

徒となる以前の呼名であったサウロによるキリスト教徒への苛酷

な迫害の情景が描かれてゐる︒サウロはユダヤ敦随一の律法學者

としての使命感に燃立つて︑各地の聖堂を荒し廻り︑イニルサレ

ムから逃れたキリスト数徒を追つて︑男女を問はず引捕へては牢

獄に入れたり︑殺すなどして︑﹁ナザレの人たるイニスの名に逆

つて

(r aiI700i)さまざまな事をするのを善いことp

Tddyo

(7)

れ落

ち﹂

ほとんど意識を失って︑夢見心地の情態で︑サウロは次のや

︵二

六︑

一四

eg

Td ga

§p os (2 2,

7)もしくは︑

電光に打たれた﹁サウロは地面に倒れ﹂

梵ふ

v

r i j v  

(9 ,  4 ) :  

﹁われわれ一行全員は地面に倒

う ﹂

(9 ,3

~2) "岱

o iJ  

05pauooP6Sig

(2 2, 6)

もしくは

勝つて輝く光が天から射して﹂

照した﹂月

P0

‑ rp a

< / J ev   al

k

(9 3, ):  1 Ce p, aq

r p&

a

, 

1 1: e p l  iμ e  (2 2, 6)

︑もしくは﹁私︵サウロ︶と私の随伴者たちを取園んで

眩ゆいばかりに照した﹂

ro pe uo

pu

oo s( 26 ,1

3)

﹁太

陽に

0

av oO ev on :e puiaprpdT7g

﹁サウロを取園むやうにぴかつと

p

へ 2

令吝

II μe

:·…•Ea~TO0sq50~ らを終末観的現在に立つてゐる主として顕示する氣持をはつきりと打出してゐると考へられよう︒

﹁天よりの光﹂のなかから地上に倒れたサウロに向つて自らが何

者であるかを證したこの言葉につづく文言は最初の二つの記事で

は大同小異であって︑九章では﹁いざ起きよ︑それから町に入れ︑

さうすると汝がなすべき事柄が汝に向かつて告げられるであろ

︵九︑六︶と誌され︑廿二章では︑イニスの答を承けて︑パ

ウロが﹁主よ︑私は何をしなければならないのでせうか﹂と尋ね

たのに到して︑主は﹁起きてダマスコヘ往け︒彼の地にて︑汝の

なすべきこととして定められたすべての事について︑汝に語られ

1

U

⁝ 哀

ig (2 6, 13

)

つて

ゐる

場合

には

﹃ヨハネ偲﹄でも何度か見られるやうに︑自

(9 ,3

;2 2 

̀ 

6

) 

﹁天より︵強力な︶光が出て﹂食

5S

w u o fJ p   go5 

.  

﹁私

は⁝

⁝で

ある

(2 2,   6) : ~µepar;:

μ bn ; r ;:   (2

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13 )

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て︑

﹁突

如と

して

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Pu 7S

国 ダ マ ス コ に 近 づ い た 時

~

︵ ニ ニ

11 :e pl μe a7 Jμ pp ta v 

だと自分で考へてゐた﹂︵二六︑九︶︒さうして自分がこのやう

なことを行ってゐたのを﹁大祭司も︑すべての長老も證言するに

違 ひ な い

﹂ 五

︶ と 告 白 し て ゐ る

このやうに荒狂つてゐた時︑

⇔ ィ エ ル サ レ ム の 北 東 約 二 百 キ ロ

に位置するダマスコにゐるキリスト教徒を捕縛して︑男女にかか

はらずイニルサレムに曳連れてきて︑慮罰を加へるために︵九︑

二︶﹁大祭司連らの全櫂と委任を受けて﹂︵二六︑

コに

赴い

た︒

﹁正

午の

頃に

0

)

ダマス

( 20 )  

うに語りかける﹁槃﹂

何故に汝は私を迫害するのか﹂

くは﹁サウロよ︑

﹁サ

ウロ

よ︑

サウ

ロよ

サウロよ︑何故に汝は私を迫害するのか︒刺針

のついた突棒を蹴らうとしても︵ミ

pd s

UT Pa ia Kr

{ C

ee v)

︑お前

には

無理

だぞ

(2 6, 14

)

この墜を聞いたサウロは︑竪の持主がおそらくイニスである

ことを半ば了解しながら︑﹁主よ︑あなたは如何なる方ですか﹂

(T ig el

K 念

g )

と問うたのに向つて︑主は﹁私は汝が迫害す

るイニスなのだ﹂

('

Er

w

et μ, 'l r; ao us B  v  a u  oe c6 ,m s. )

と答

へた

が︑

ここまでは三つの記事はほぼ同じ文面になってゐる︒ここでイニ

('

Er

e

lμ , 

⁝⁝︶といふ文形で強く語

r tμ e 

ou.6,m~;

(9 

4

ぶ 〜 2, 7)

もし

溶ぷを聞いた︒ 八四

(8)

パウ

ロと

イニ

スの

避逗

につ

いて

格があらうかと尻込みする︒ハウロを奪ひ立たせて︑

﹁往

け︑

私が

ら︑やはり石撃ちに賛同した︵廿二︑二0)やうな自分にその資 る

であ

らう

基︑つくのかを説明しようとして︑ わざわざ︒ハウロを揮んで自らを現はしたイニスが如何なる意圏に

﹁いざ起きよ︑そして汝の足に

て立て﹂と言ったのに引績いて逢に長い文を示してゐる︒

﹁私が汝に現れたのは︑汝が私をどういふ風に見たかといふこ

とと︑これから私が汝に現れて示すことになってゐるさまざまな

ことについて證人となることによって︑汝を私の召使とすること

を意闘したためである︒私が汝を︵イスラエルの︶民衆や異邦人

の許に派遣するのは︑彼らの眼を見開かせ︑暗闇から光へ︑サタ

ンの櫂力から紳へと立蹄らせ︑更に私への信仰によって彼らが罪

の赦しや浄められた人人への仲開入りが授けられるためであるが︑

てあ

るの

だ﹂

二章を見渡すと︑パウロが異邦人への使徒となる使命は︑

光の輝きに遭つて目が見えなくなった情態で﹂︵廿二︱‑︶ダ

マスコヘ連れてゆかれ︑三日閲飲食を断った後に︑アナニアによ

つて告げられたことになってをり︑更に廿二章では︑それから後

にイニルサレムに蹄った︒ハウロが紳殿に入って祈つてゐる時に

﹁忘

我の

情態

に﹂

證人であるステ︒ハノの血が流された時︑その傍に立つてをりなが

笞 岱 0T

o g

陥つてゐると主が現れ﹁嘗て主の

﹁か

︵廿

一六ー一八︶︑と︒ここで醗つて九章と廿 汝が彼らの手から逃れられて必ず救ひ出されるやうに手筈を整ヘ ︵廿二10)と告げてゐる︒しかるに廿六章では

八五 ﹁自分たちの衣服をサ っ 記憶が足枷となったのは︑﹁その顔容が天使の顔容とそつくりにな

た﹂

ステ

︒ハ

ノに

つい

てで

あり

︑ いかに唆かされたからとはいヘ

( 23 )  

﹁彼がモー七や誹を演す言葉を吐いた﹂と偽證した連中が町から追

放されたステ︒ハノに石を投げて殺す直前に︑

( 24 )  

ウロと呼ばれた若者の足許に置いた﹂のを受取り︑その番をした揚

( 25 )  

句に﹁ステパノの殺害に賛同した﹂ことであった︒これはステ︒ハノ な信念の震となったのである︒就中その最たるものとしてパウロの 汝を遠くにゐる異邦人の許に遣はすのだから﹂主が直接︒ハウロに命じた形になってゐる︒このやうに考察してくると︑サウロに到するイニス公現の理由説明に闘しては︑三つの

︵廿

二︑

ニ︱

)と

﹃使徒行偲﹄における三ヶ所の記述を分析し︑比較することをと

ほして︑パウロに封するイニス公現の情景が六段階に整理され︑そ

の詳細が明かになったところで︑そこから問題貼をいくつか採上げ

て︑若干の検討を加へることにしたい︒

まず

最初

に︑

ユダヤ敦における最も櫂威ある律法學者として知ら

れてゐた︒ハウロがキリスト信仰に入る直前まで︑キリスト敦徒に到

して非理非道に趨り︑暴虐の限りをつくしてゐたといふことである︒

勿論このことのゆゑを以て︒ハウロが無頼の輩であったといふのでは

なく︑聖なる律法を護持しようとする熱意のあまりに︑過度に崇高 記録はほぽ一致してゐるとみてよいであらう︒

(9)

パ︐

︑の

いっ

たや

うに

によって難詰されたやうに︑﹁常に聖霊に逆つて﹂ゐるために﹁項

が硬直してをり︑心にも耳にも割證を受けてゐない人人﹂の所行で

あり︑かくしてサウロも彼らと同じく﹁義人を賣飛ばし︑殺害する

者﹂たちの先陣を切つてゐたのである︒このやうな行吠はキリスト

教徒の側から見ればそこに善意志のかけらも見出せないことになり︑

紳の恩寵に浴する資格ほ皆無の情態といへる︒したがつて彼はステ

﹁汝らは天使たちの命令によつて定められた

律法を受取ってをりながら︑やっぱりそれを遵守しなかったのだ﹂

と断罪されるよりほかはなかった︒それにも拘らず︑イニスは彼の

悪業のすべてを見通してをりながら︑自らが復活のロゴスとして公

現すべき相手にサウロを揮んだのである︒

次に︑廿二章と廿六章で︑キリスト公現の時刻が﹁正午の頃﹂と

されてゐるのに注意を排ふ必要があらう︒

﹁正午﹂といふ時刻に大きな哲學的意義を見出した思想家として

ほ誰しもニイチェの顔を想浮べるであらう︒彼にとつて正午

(d er Mi tt ag )

とはディオニュソス的生命の象徽である太陽が南中してツ

アラトウストラの頭上に逹し︑影の最も短い︑光に溢れた瞬閲であ

るが︑ツァラトゥストラにとつて降注ぐ陽光は一切の時を飛散させ︑

怖るぺき永劫回蹄の相の下で世界をニヒリズムの完成態として照ら

し出す働きをする︒

﹁永

遠の

湧出

る泉

と化した正午はそのまま﹁晴朗の氣に溢れつつ身の毛のよだっゃぅ

( 28 )  

な正

午の

深淵

﹂ ( h e i t e r e s c r   h a u e r l i c h e r   Mittags

  , A

bg ru nd ) 

1 2 .  

(B ru nn en e   d r  Ewigkeit) 

にこ

する︒しかし一切が倦み疲れて睡りこけるやうな静けさのなかで︑

﹁灼熱する宵銅︑稲妻を学んだ雲︑膨れ上る乳房と同じゃうに⁝⁝︑

自分の星を求めて︑稜情期に狂ふ矢となって⁝⁝︵運命に到する︶

勝利を迎へるぺ<熾減に向けて用意萬端整へ了った俵借なき太陽

の 意 志

]( gl ei ch g l i . i h e n d e m   Er ze

̀ 

 

bl it zs ch wa ng re r  Wo lk e  u nd   sc hw el le nd em   Mi lc

h  , E

ut er :‑

⁝⁝

ei n  P f e i l   b r i l n s t i g   na ch   se in em   St er ne

 "

│⁝

⁝ ei n  u n e r b i t t l i c h e r   So nn en

  , W

i l l e ,   z um e   V rn ic ht en   b e r e i t   im   Si e g en ! )

が最高度に溢れてゐるのが﹁大いなる正午﹂で

( g e s

e   , ある︒しかしそれは静けさを破る﹁祝輻された電光の時刻﹂

gn et e  St un de   de s  B l i t z e s )  

. . . ¥ J

して

白口

ち二

の秘

1

暉守

け出

iナ

ノ︒

その

f

sc hw er t と

なっ

て︑

﹁あっといふ閲に燃攘がる火焔﹂

(L au fe nd e Fe ue r)

とな

( 30 )  

つて﹁炎の舌で告知する者たち﹂︵<臼

k i i n d e r n : i i t   Fl am me n  ,  Zu ng en

)が現れ︑﹁さまざまな事が歴歴と顕はにならずには措か

(31) 

ない

﹂ (d a s o l l   v i e l e s   o f f e n b a r   we rd en

!)

﹁首

斬り

刀﹂

da sR ic ht ︑

﹁大いなる正午﹂は人類に近づいてくる︒

﹃かくの如くツァラトゥストラは語った﹄の中で繰返し現れる

﹁大いなる正午﹂の員相を嘗座の闘心に引寄せて以上のやうに素描

してみたが︑それをパウロヘのキリスト公現の場面に封比させるな

らば︑高貴なるイニスのキリスト数をユダヤ人特有の劣弱者のルサ

ンチマンの宗敦に愛造し︑生と大地に到する憎悪の念で塗り潰した

元凶と極めつけて︑仇敵のごとく罵倒された︒ハウロと︑自らを﹁紳

を無

みす

る者

﹂ de rG o t t l o s e

と高らかに宜言したニイチェとの閲に︑

八六

(10)

パウ

ロと

イニ

スの

避逗

につ

いて

質に驚くべき照應が見出されることに氣がつくであらう︒太陽がパ

ウロの頭上に高く輝き︑苛酷な光線の矢に充ち溢れた碧空のもと︑

灼熱の大地に突如として電光が燦く︒本営のところダマスコヘと急

いでゐたサウロの行路が睛天に恵まれてゐたかどうかは定かではな

いが︑冬期以外には雨は降らぬ筈のシリアといふ土地のことであり︑

しかも天候が急愛したことは明かである以上︑天空には﹁睛朗の氣

に溢れ﹂てゐたに相違あるまい︒但しディオニュソス的生の舞踏者

であるツァラトゥストラにとつてほ﹁大いなる正午﹂の季節といヘ

ぽ員夏でなくてはならなかったのに封して︑ダマスコに近づいたサ

ウロの季節が特定できないのは残念なことである︒とはいへ︑

の弟子たちに到して︑依然として恐喝と殺害の氣持が吹荒れてゐ

( 32 )  

た﹂サウロには︑燒けつくやうな夏の日の熱氣がふさはしい︒また

﹁炎の舌﹂の替喩は直接.ハウロにほ結びつかないが︑﹃使徒行博﹄

の書出しのところで︑イニスが昇天した後︑ペテロを中心として多

くの信徒が集つてゐたが︑五旬節

(P en te ko st e) ー ド イ ツ 語 で は

聖霊降臨祭

(P fi ng st en

) ー̲の日に︑つまりそれはもう夏といつて

よからうが︑﹁突然天から︵念念

e 5 E T O 0

0

go o) 烈 風 で も 吹 い

てきたやうな騒めきがして︑彼らが坐してゐる家屋全憫に響渡り︑

そ れ か ら 火 の や う な も の が 敷 々 の 舌 に 分 れ て

︵ぎ︵ミ

pe p

ら な

pe ua [ ri

思 o g

r e

〜 せ

P舎︶︑一人一人の上に止つたのが見えた︒彼らは皆

聖霊に浦たされて︑御霊に宜べられるままに︑各人が異なる外國語

( 33 )  

で話し始めた﹂といふ記事が見られる︒このことから尖端が細かく

﹁ 主

八七

の思想の知られざる秘密を探索することに成功してゐる︒彼は﹁自 ての使命を託された︒ハウロにおいてであるといへよう︒ 舌状に分れた火の形象が営時オリエソトから北アフリカに及ぶ各地の諸言語で行ほれた宣敦活動を表示してゐることが知られるので︑聖霊から出た﹁炎の舌﹂が本格化するのはむしろ異邦人の使徒とし

呼びかけた後︑息絶えた︒シュレヒクによると︑

ニイ

チェ

ところでニイチェ文獣學の進展に劃期的な貢獣を果したシュレヒ

タには﹃ニイチェの大いなる正午﹄といふ優れた小冊子があるが︑

( 34 )  

彼は﹁精霊の出没する時閲﹂

Ge is te rs tu nd

e としての﹁正午﹂の系

譜を古代からニイチェにかけて調べ上げることによつて︑

然に敬虔の念を懐いてゐたギリシア人やローマ人たちにとつては:・

⁝夏の日の森や山地で過す正午の時聞は紳々が顕現するための時聞

であり︑それは今日でもなほ何となく無氣味な氣配を漂はせてゐ

る﹂と述べて︑﹁正午になるとヘカテーが出現し︑ニンフたちが踊

り︑サチュロスたちは峡谷の木陰から姿を見せ︑精霊たちが走廻

( 35 )  

る﹂といった事例を︑さまざまな詩句を典攘にしながら列學してゐ

るが︑更に正午の時刻がゴルゴクの丘でイニスの森刑が行ほれた場

面でも重要な役割を演じてゐることに燭れてゐる︒イニス慮刑の時

( 36 )  

閲割に閥しては共観輻昔書の記述は一致してをり︑﹁朝の九時頃﹂

( 37 )  

にイエスを十字架につけ︑正午から﹁太陽が光を失って﹂地上が一

面に賠くなって午後三時まで績いた︒︱︱一時になると﹁聖所の幕が上

( 38 )  

から下まで裂けて二つになり﹂︑イニスは大盤で叫んで父なる誹に

丁度正午に﹁長時

(11)

閲に亙る日蝕が組込まれ︑キリストの死去にいたるまで持績する﹂

( 39 )  

といふことは﹁営日の正午が夜に愛貌してゐる﹂ことを示してゐる

のであって︑このことは紳が自らの紳性を顕示する時刻に墓が開か

( 40 )  

れて死者が復活することに通じてゐるといふことである︒員萱が直

ちに員夜中に接績してゐるといふことも﹃かくの如くツァラトゥス

トラは語った﹄のなかで何度も繰返されるテーマであった︒このや

うに見てくるならば︑サウロに封するイニス公現の時刻が﹁正午の

頃﹂であったのもまことに宜なる乎と思ほれる︒

﹁正午﹂と並んで︑これに劣らず注意さるべきことは﹁天よりの

大いなる光﹂の出現が﹁突如として﹂路

ai pu 7S

起ったといふこと

が強調されてゐることである︒時閲の流れを断切る突稜的な事態を

( 41 )  

表すこの言葉はプラトンにおいて敷ケ所にその用例が見出されるが︑

いづれも肉盟との混合情態から浄化されて︑純粋に知性的となった

霊魂が認識の方向を現象界より全面的に轄回させ︑イデアをそれ自

髄として直観する場面で用ゐられてゐる︒また︒ハウロよりも約二百

年時代が下るプロティノスにおいても︑叡知界の更に彼岸に休らっ

てゐる一者を︑純粋に叡知的となった霊魂がほんの一瞬だけ垣閲見

( 42 )  

る幸運に恵まれるといふ場面で語られた用例が若干見出される︒か

くして

af aへ ︑ pg s

といふ語は︑ギリシア哲學においては最高度に叡

知的且つ稗的な︑存在全髄の第一原理となるものに到する紳秘的直

観が成立つ極めて稀な場面で登場する光輝ある用語なのであり︑紳

格化された趣を呈してゐる︒ルカが﹁天よりの大いなる光﹂の出現 の様子を

ae a{ pu 7S

と表現した時︑この語の哲學的含蓄にどれほど

通じてゐたのかは不分明であるが︑現前せる員賓在の直知といふ貼

しかし﹁突如として﹂員理の光に包まれたといふことは︑

イニ

の出現がパウロにとつてもまったくの不意打ちであり︑それに到す

るいかなる準備も整つてゐなかったことを示してゐる︒律法の立場

では最大限に善行を盛してゐたにも拘らず︑キリスト敦的観貼に立

てばサウロは極端な罪人であり︑輻昔に封する完全な無知の暗闇に

沈論してゐたのである︒ダマスコに向つてゐた彼の頭上に披がる正

午前の光は寅は個りの自己認識から差してゐた虚妄の闇であったの

であり︑彼を打ち倒した電光は︒ハウロ紳學の影響下に書かれたとい

はれる﹃ヨハネ博﹄が語ることになるやうに︑まことに﹁光は暗き

( 43 )  

に照

る﹂

光が彼を照らした時︑罪人サウロが立つてゐた︑死に到るべく規

定されてゐた歴史的現在が永遠なる稗の現前の場となった︒゜ハウロ

Pをと表現し︑その自身はこの瞬閲を自らの書簡のなかで﹁今﹂

G F)  

﹁今﹂は﹁律法から離れ﹂たところに開かれたと語ってゐる︒この

やうな︒ハウロの﹁今﹂こそイニスの宜敦で掲げられた﹁時充ちた時﹂

を反復するものにほかならない︒天上からの強力な光に取園まれ︑

瞬閲の現成の衝撃に遭つて︑パウロは地上に打ち倒された︒このこ

( ) ( 4 6 )  

とはバウロの﹁外なる人﹂が壊され︑﹁わが内に宿る罪﹂によつて

( 47 )  

肉の奴隷となり︑﹁死の鶴﹂となってゐた﹁われらの薔き人がキリ (Td

S5UTi0kog

ぶ 苫

{u eS )

ので

あっ

た︒

において︑見事な照應を見せてゐるのには驚きを禁じえない︒ 11

I I  

(12)

パウロとイエスの避逗について

( 48 )  

ストとともに十字架に付けられた﹂といふことを指してゐる︒かく

( 49 )  

して﹁律法の行為﹂

lp ra v6 μo u

の櫂化であったサウロが

( 50 )  

依りながら律法に死んだ﹂

らく見居けたところで︑イニスはサウロに向つて語りかけ︑自らが

誹の子であることを證したのであらう︒

イニスがサウロに神の子として語った時︑イニスはもはや地上に

おいて人性を纏った︑愛肉せるロゴスとしてではなかった︒イニス

が受取った人性は既に十字架の上で死んでゐたのであり︑それゆゑ

に人閲の姿を現して︑地上で宣敦活動をしてゐたナザレの人イニス

の同時代人となる機會を︒ハウロがもつことはなかった︒パウロが思

的な死を死ぬことによって︑死より復活した憲としてのキリストで

あった︒それゆゑにサウロは肉の相を纏ったイニスと一度も會はな

かったが︑主の槃を聞いた時はその盤の持主が主であることが直に

分ったのである︒これに反してイニスの同時代人として︑地上に現

れた主と絶えず接鯛してゐた十二使徒たちは主の人性に惑はされて︑

イニスが誹の子であるといふ確信がしばしば動揺し︑イニスの方で

も自らが紳の子であることを露はに示さうとはしなかった︒

以上のごときパウロのイニスとの避返をめぐつて︑近代といふ不

信仰の時代の唯中にあって︑員正な仕方でキリスト信仰を成立させ

る條件を見出さうとして苦難の道を辿ったのがキェルケゴールであ

る︒彼は罪人の道を極限まで歩んだ︒ハウロに現成した永遠の現在 ひもかけなかった仕方で避逗を果したのは︑十字架上で一切の人閲

︵ぎ ご志 葵こ 志念 令応

0 8

ov ) 

のをおそ ﹁

律法

化といふ出来事を﹁キリストとの同時性﹂

Ch ri st o) と表現し︑このパウロの場合が近代人にもキリスト信仰

を可能にする範例となるものであり︑

八九

したがつて﹁キリストとの同

( 51 )  

時性﹂こそ近代人である自分にとつて﹁私の生涯を賭けた思想﹂

de r  Ge da nk e  m ei ne s  Le be ns

と表明してゐる︒本論文の出稜貼は

賀は︒ハウロのキリスト紐瞼の本質的意義をキェルケゴールの思想を

捩貼として考察を試みるところに置かれてゐたのであるが︑その機

會はまたいつの日か突如として訪れることであらう︒

註(1)同じ箇所は、Vulgata諄では••

Qu on ia m  i mp le tu m  e s t   te mp us ,  e t   ap pr op in qu av it   r

eg nu m  De i.

;  p oe n i te m i ni ,  e t c r   e di t e  E va n  ,  g e l i o , "  

C.   We iz sa ck er

繹で

は , , d i e Z ei t  i s t   e r

I t un d  <

l a s   Re ic h  G ot t e s  he rb ei ge ko mm en ,  t hu t  B uB e u nd   gl a u be t   a n 

< l a s   Ev an   ,  ge li um ."

となってゐる︒マルコ博のほかにイニスが宣数した﹁神の

禰昔﹂を記録してゐるのはマクイ傭︵四︑一七︶のみであるが︑そこでは﹁汝らは悔改めよ︑なぜならば天國が近づいたからである﹂

(M e3 uo

c[ 悶

.f rr

k

er

iB a0

和ぶ尽

D

g

苓o

思.

︶と

簡略

化さ

た形になってゐるばかりでなく︑﹁時は充てり﹂の句が削られたこと

によって薔約のダニェル書に現れた終末観との封比が分明でなくな

り︑

また

悔改

めと

一嘩

昔信

仰と

の結

びつ

きが

伏せ

られ

たこ

とに

よっ

て︑

律法と恩寵との閲に介在する深い裂目に蔽ひがかけられてしまひ︑微

温的な表現にとどめる意國が働いたかに思はれる︒それに封してイエス・キリストが誹の子たるメシアの資格で活動したことを張調するマ

ルコ博の記述はイニスにおいて髄現された終末の現在化に含蓄されて

ゐた

革新

的な

意義

を十

分に

偲へ

るも

のと

なっ

てゐ

る︒

(G le ic hz ei ti gk ei t  mi t 

(13)

( 2 )

マタイ傭一三︑三〇゜

( 3 )

同 一 三

︑ 三 九

( 4 )

同ニ︱‑‑︱

1 0

( 5 )

同一︱︱‑︑三九゜

( 6 )

1 1 1︑ 四一

( 7 )

ダニニル書七︑一三ー一四︒

( 8 )

マクイ博二六︑五六゜

( 9 )

同 二 六

︑ 六 三

( 1 0 )

︱ 二

︑ 二 八

( 1 1 )

ヨハ ネ博 一︑ 一︒

( 1 2 )

﹃数行信證﹄行巻︑岩波文庫版︱︱八頁︒

( 1 3 )

ロマ 書一

0

︑四

( 1 4 )

ルカ 博一

︱‑

︑九

( 1 5 )

ロマ 書一

︱‑

︑二 七゜

( 1 6 )

( 1 2 )に 同じ

( 1 7 )

コリ ソト 後書 一

1 1︑ ニー 四゜

(18)E・トロクメ著︵田川建三謁︶﹃﹁使徒行偲﹂と歴史﹄︵新数出版社

昭和四四年刊︶二七

0

頁 ︒

( 1 9 )

同 二 六 九 頁

( 2 0 )  L es   ac t e s  de s  a pO t r es  

Te xt e  t ra d u it   e t   an no te   par 

Ed ou ar d  De le be cq ue

の脚註において︑この箇所で

un e vo ix とだ け述 べて

これにつづく﹁一時的な失明情態﹂にまった<鯛れてゐないのは︑バ

ウロがあまりにも常軌を逸脱した事柄への信仰を自分の隧伴者に強要することを避けたからに違ひない、と述べられてゐる。(voir•

p. 12 6)  

(21)ギリツア人の聞ではよく知られてゐた格言(Delebeque•

o p .   c i t .   お よび

Le s a ct e s  d es

  apOtres•

I nt r o d.   de  M .  L .  Ce rf au x  e t   T ra d.   e t   no te e  d

 J•

Dupont•

p. 26 5)

であって︑抵抗の無盆なることを示す(J•

Dupont•

o p.   c i t .  

および

La

Bible•

No uv ea u T es ta me nt , 

J nt r o d.   p .  

J. 

Gr os je an ,  Te xt es  trad••

p re s e nt e s  e t a  nn ot es   p .  

J. 

Gr os je an   et  

M·Leturmy•

p ,   4 38

)︒突棒とは努役用の牛に封する鞭

として使はれるが︑牛がこれに刃向ふことは自らを傷つけることにな

るだけである︒パウロはこの格言を﹁イエスの名前に反抗することに

よって︑自分が陥つてゐた不法行為の情況﹂

(D up on t, o p .   c i t . )

特徽づけるために轄用した︒

( 2 2 )

使徒行博六︑一五゜

( 2 3 )

同 六

︑ 一

°

( 2 4 )

同 七

︑ 五 八

( 2 5 )

同 八

︑ 一

( 2 6 )

同 七

︑ 五 二

( 2 7 )

同七︑五一︱︱︒

( 2 8 )  

F ri e d ri c h  N i e tz s c he ,  A ls o  sp ra ch  

Zarathustra•

IV   : Mittags

  ;  B d. l I ,  S .  5 15  (ニイチェの作品からの引用はすべて

F ri e d ri c h Ni et

z  , 

s ch e ,  W er ke   in  d r e i 

Banden•

Hr sg .  v•

Ka rl   Sc h l ec h t a,   C•

Ha ns er   に依 る︶

( 2 9 )  

a.a.0••III"

Vo n  a l te n   u nd   ne ue n  Tafeln•

30   ; B d.

 I I ,  

S .   460 

│ 

4 61 .  

( 3 0 )   ( 3 1 )   ( 3 2 )   ( 3 3 )   ( 3 4 )   ( 3 5 )   ( 3 6 )   ( 3 7 )   ( 3 8 )   ( 3 9 )  

a.a.O••III"

Vo n  d er   ve rk le in er nd en   T

ug en d; d  B .  I I ,   S .   4 2 2 .   a.a.0••III"

Vo n  d en   dr e i   Bosen,

  2;   Bd .  I I , S .     4 3 9 .  

使徒行偉九︑一︒

同 二

︑ ニ ー 四

︒ Ka rl   Schlechta; 

Ni et zs ch es   gr o 1 3 e r   M i t ta g ,  S .   9 .   a .   a .  

0 . ,  

S.  3 5 .  

マルコ偲一五︑二五゜

ルカ 偲二 三︑ 四四

マクイ博二七︑五一︒k月I

Sc hl ec ht a;   a .   a .   0 . ,   8. 17 . 

九〇

(14)

パウロとイニスの避返について

( 4 0 )

マクイ博二七︑五二参照︒

( 4 1 )

P 

la to n  ;  Go rg ia s  5 23 E,   Sy mp os io n  2 10 E, o l   P i te i a  5 15 C  et   a l .  

( 4 2 )  

Pl ot in os

;  En ne ad es  V, 3 ,   5 ,   1 5;   V I ,  

7,  3 6 ,   1 8 . 

( 4 3 )

ョ→歪雙︑五゜

( 4 4 )

ロマ書三︑三︒

( 4 5 )

コリ ソト 後書 四︑ 一六

( 4 6 )

ロマ書七︑二

0

( 4 7 )

同七︑二四︒

(48)

同六︑六゜

( 4 9 )

同三︑二八︒

( 5 0 )

ガラテア書二︑一九゜

( 5 1 )  

S0 re n  Ki er ke ga ar d; D  er  Augen

bl ic k, i b   i e rs .

  v•

Ha yo   Ge rd es ,  Ge sa mm el te   We rk e,   34 .   Abteilung, 

S .  283, 

E•

Di ed er ic hs . 

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