2 1 世 紀 功 地 学 教 育 に む け て
( 3 )
‑地 学教 育 の 社 会学
桐 座 圭 太 郎
(20 03年1 0月2 0 日受 理)
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キ ー ワ ー ド: 学 習 指導 要 領、 科 学 史、 理 科 教 育、 地 質 学、 科 草リテ ラシ
r
Key w o rds : n atio nal c u r ric ulu m standa rds, h istory of s cienc e, s cienc e edu c ation; ge ology, s cienc e litera c y
1
.は じ め に
人 類は自 然の 一 部で あ る が、 一 方 人 類は地 球に 地 球の シス テ ム が持っ自 然の 回 復 力を越え た変 化 を 強い て い る。 地 球と共 生 する という
考
え̲がある
・が、 現 実 的に は地 球 環 境と経 済の バ ラ ン ス を 考え ることで あ っ た り、 災 害に 強い
社
会をつくる な ど であ っ たり する。 学 校 教 育は、 次 世 代の社 会を担 って いく人を育て るシ ス テ ムで あり、 上 記の問 題な どに、
一 人 一 人が自 分の 意 志を持 っ て社 会 的にか カiわ れ る よ う にするこ と が重 要な目 的で あ ろ う。
そのた めに は、 意 志 決 定や行 動に必 要な実 際 的に 使え る科 学 的な知 識や能 力
.( 科 学リテ ラ シ ー) が 必 要と な る。 地 学 教 育を広い意 味でと ら え れ ば、
し地 球に 関 する科 学リテ ラ シ ー を育て る教 育だ と考 え ら れ る。
し か し、 学 習 指 導 要 領に従う当来1\意 味で の現 在
の地 学 教 育は、 科 学リテ ラ シ ー を想 定し た もの で は ない。 学 習 指 導 要 領は、 1 95 8年 ( 昭 和3 3年) の
改 正 から法 的 拘 束 力を持っと さ れ ( 山 崎、 1 98 6) 、
系 統 的で到 達し う る学 習 内 容が提 示さ れて き た。
し か し内 容は今日 まで あ ま
り
変 化してお らず、‑ 料 学リテ ラ シ ー に必 要と さ れ る もの とのギ ャ ッ プ が‑̀ ひ どくな っ て い る。
亭
た学 習 指 導 要 領は最 低 基 準 と さ れ な が らも、 教 科 書 検 定な ど を通じて上 限と して嘩
能IL て きた。 実 際、 最 低 基 準を示 唆 する文 言と上 限を規 定 する文 言の比は、 お お よ そ2 : 1で あ る という。 従 って 、 学 習 指 導 要 領は、 地 学 教 育 を硬 直 化さ せこそすれ、 複 合 的な問 題に柔 軟に対 応で き る環 境を提 供 して いない。学 習 指 導 要 領は、 系 統 的な学 習を前 提とするの
・で、
子
供た ちの学 習 ・ 学 力 観に つ い て も その よ うな もの を想 定して い る。 「 新 しい学 力 観」 で は、 興 味・ 関J[▲、に重き を置き、 知 識 ・ 理解は結 果と し て身に つ く と して、 教え るの で は な く支 援 する こ と と さ れ る。 し か し、 例え ば小 学 校3 、 4 年 生に 太 陽や月を予 備 知 識な しに観 察さ せ れ ば、 アリス ト テ レ ス の 天 動 説か らコ ペ ル ニ クス の地 動 説に な
るの に約1 8 0 0年か か っ たこ と. を
考
え れば、 天 動 説に到 達 するのが や っ とで あ ろ う。 に もか か わ らず、 その よ う な単 元 構 成にな っ て い るの は、 子 供らの 観 察と は そ のよ うな もの だ と い う 学 習 観か ら釆て い る ら しい。 小 学 校で は子 供ら しい こと が重 要な の だ ろ う か。 中 学 校3年で コ ペ ル ニ ク ス 時 代の
地
動 説を習 っ て も、 現 在の 膨 張 宇 宙 論な ど を結 局わか ら な か っ た り興 味を持てないま まで終わ っ た ら、 学 校 教 育は無 責 任だ ということに な ら ない だ ろ う
か。
こ の論 考の 目 的は、 学 習 指 導 要 領を越え た地 学 教 育、 あるい は その成 果 を 取'
り 入れ た斯
い
、学 習 指 導 要 領の構 築を目 指して、 現 在の地 学 教 育に関 わ る様々 な圧力
の構 造を解 明 するこ とに ある。 そ の根 本で あ る学 習 指 導 要 領は、 時 代を反 映して大 き く変 化して お り、 絶 対 的な もの で は ない。E 純 粋 な科 学と して の地 球 惑星科 学の視 点で は な く.、 教 育に直 接 的 ・. 間接 的にか か わ る様々 な人々 の利 害 や思 惑が ぶ つかり 合 っ て 貯 余 曲 折を経て き た と.い う社 会 学 的な要 因が大きい. 今E) の スタ イ ル甲 学 習 指 導 要 領に なっ て5 0年 近く経ち、 教 育 界 全 体が 学 習 指 導 要 領を前 提と し た価 値 観や秩 序か ら成り 立 っ て い る よ うに見え る。 実は学 習 指 導 要 領を、
一 番 否 定した くない の は教 員か もし れ ない。 そこ で以 下で は、 (2) 政 治に ほ ん ろうさ れ る学 習 指 導 要 領、 (3) 検 定がもた らす 硬 直 化し た教 科 書、 (4) 科 学 者 ・ 教 員の組 織の論理 や利
害
、 (5) 地 学 教 育の学 習 観 ・ 指 導 法の 問 題 点の順に考 察 する。 さ らに (6) 双 方 向 型の情 報 社 会に お け る科 学リテ ラ シ ー 、 とい う視 点か ら地 学 教 育の将 来 性 を論 じ る。 科 学 (理科) 教 育は、 長らく 国 家と そ の 体 制に乗 っ た科 学 者 ・ 教 員に よ って上 意 下 達 式
に行わ れて き た。 し か し、 情 報 公 開 法が出 来、 イ
ンタ ー
ネ
ッ トが発 達 することで双 方 向 型の情 報 社 会に な り、 市 民の権 利や行 政へ の参 画の意 識が高 ま声
と ともに1 科学
リ テラ シ ー の必 要 性が理 解さ れて き た. 従 っ て、 1地 学 教 育 も 上 意 下 達 式か ら、 市 民の科 学リテ ラ シ ー を意 識し た琴
方 向 型の ものへ変 化さ せて いく 必 要が あ る。
こ の論 考は、 自らの こと を さてお い て、 地 学 教 育 関 係 者に つ い て の不 満や批 判を述べた だ けの も の か も‑・し れ ない。 認 識に つ い て も 反 論 もあ る だ ろ
う。
.そ れで もな お、 地 学 教 育 を 取 り 巻 く 社 会 学 的 な要 因を無 視し たり、 肯 定 的に捉え る限.り、 地 学 教 育の二閉 塞 感は消えず 将 来が見えて こない ことを 強 調し た い。 相 席 ・
̀
刑 座、 1円 座 ・ 相 馬 (1 9 9 3) は、
今 回の論 考と同 様の テ ー マ で考 察し た が、 こ の10 年 間で教 育を取り巻 く 状 況は変 化して
お
り、 20 0 4 年の学 習 指 導 要 領の改 訂を期に再 考 察 することに した。2
.政 治 に ほ ん ろう さ れ る 学 習 指導 要 領
国 家 はt
i
lん ら かの意 図を持 っ て教 育を行う。 日 本は、 明 治5年の学 制 以 来、 中 央 集 権 的な教 育 体 制を保 持 して い る が、 その中でも 科 学 技 術 振 興に より 軍 事 ・ 経 済 力を
高め る方 向と、 国 家 意 識を高 め る た めの修 身 ・ 道 徳 教 育を強め る方 向が交 互に 現れて い る。 すな わ ち学 習 指 導 要 領そ の.もの が社 会 学 的な存 在であ る。2 ‑1
国 家
の誕 生
と地 学 教 育
一産
業 革 命とフ ラ ンス革 命の 前に は今日的な国 家 は存 在し ない。 従 ‑ て† 科 学は個人
の もの で あ っ た。 し か し国 家 成 立 後は、 経 済 圏の膨 張と軍 事 的 要 請によ って科 学が国 家の支 援を う け る よ うに なった。 職 業と して の科 学 者の誕 生と、 科 学 教 育の は じ まりで あ る。 贋 川 (1 9 7 3) はこれ を科 学の 体 制 化と呼ん だ。
・ 地 学 分 野の高 等 教 育 は、 近 代 国 家 成 立と ともに 始ま っ た。 軍 隊を近 代 化 する た めの 一 環と して、
資 源の確 保を め ざ して鉱 山 学 校な ど が作ら れ た。
フ ラ ン ス で は、 啓 蒙 思 想の た め宗 教の影 響が少な く 科 学が盛ん だ っ たの で、 フ ラ ン ス 革 命の 前の 1 7 83年に鉱 山 学 校が作ら れて い た。 フ ラ ン
̲X 革 命 後、 他 国か らの反 革 命 干 渉に よ る戦 争の た め、 1 7 9 4年に は軍 事 目 的に競 争 入 試とカ.リ キ ュ ラ ムを
導 入し た現 在で もト ッ プ エ ]) ‑ ト校で あ るエ コ ー
ル ポ リテク ニ ク ( 砲工学 校) が作 ら れ、 そこ で自 然 科 学と数 学を学び鉱 山 学
校
な どの専 門 分 野に準
学 する よ うにな っ た。
こ の 頃の地 球 科 学は、 現 在の学 習 指 導 要 領で重 要 七 位 置を占め る地 層 累 重の 法 則が確 立して い っ た頃で あ る。 地 層 累 垂の法 則は、 1 8世 紀 末に ドイ
ツ の フ ライ ベ ル グ鉱 山 学 校の ヴ ュ ル ナ ‑ が提 案し た.。 ヴ ュ ル ナ ー は、 玄 武 岩も水か ら
堆
積し た とい‑ 2 0 8 ‑
21世 紀の地学 教 育にむ けて
う 水 成 論 者であ っ た が、 火 成 論 者 も 根 拠があ っ た わ けで は ない ( 都 城、 1 996)。 地 層 累 重の 法 則は、
フ ラ ン ス の キ ュ ビ エ な どの化 石の研 究で層 序 学と して進 展して い った.
日本の地 学の高 等 教 育は、 1 8 70年に設 置の工部 省に、 18 7 3年に、 後に アイ ンシ ュ タ イ ン も学ん だ
スイス の チ ュ ー リッ ヒ工科 大 学に な ら っ て6年 制
の 工学 寮が作ら れ、 土 木、 機 械、 電 信、
・造 家、
化
学 及び溶 鋳、 鉱 山の6学 科が設 置さ れ た ことに は じ ま る (1 8 85年に 工学 寮は東 大に吸 収さ れ た)0 1 87 7年に江 戸 幕 府 以 来の開 成 学 校を母 体と して法、
文、 理、 医 学 部か ら な̀
る東 京 大 学が誕 生して、 理 学 部に化 学、 数 学 ・ 物理 および 星、 生 物、 工学、
そ して地 質 学 及び採 鉱 学 科が設
置
され
た。 教 科 書を使 っ た高 等 教 育は欧 米よ りも5 0年は ど遅れ た だ けで、 教 科 書が あ っ た た めに効 率よ く欧 米に追い
つ い た ( 贋 川、 1 9 7 3) 。' 学 校の他に 」 政 府 機 関と して1 8 82年 地 質 調 査 所、 1 8 91年の濃 尾 地 震を契 機
に1 8 92年 ( 明 治2 5) に震 災 予 防 調 査 会がっ く ら れ た。 後 者は、 1 92 3年の関 東 大 震 災を契 機に1 92 5年 ( 大 正1 4年) 東 大 地 震 研 究 所と な る。 こ・の よ うに
地 学 教 育は、 鉱 山 学、 地 質 学、 災 害 科 学か ら は じ ま っ た。
以 後、 戦 前は、 鉱 山と石 油 産 業が地 質 学を支え
て い た。
与
れ らを
さ さ え る基 礎と して岩 石 学や層
序 学が大 学で教え ら れ た。一 方、 戦 後の 高 度 成 長 期か ら 日本 列 島 改 造の時 代は、 鉱 山 学がすた れ、
土 木 地
質
学が発 展して い っ た。2 ‑2
依 ら し む
べし
、知 ら し む
ペか ら ず
戦 前は、 地 質 学を含め た科 学 技 術 振 興が計ら れ た が、 初 等 中 等 教 育は必 ず し も そ れ と歩 調を合わ せ た わ けで は ない。 科 学は、 その合
蛭
性ゆ え に権 力 者に嫌わ れ る運 命に あ る。 1 8 71年 ( 明 治5年)に学 制がひか れ、 洋 学 者た ちの啓 蒙 思 想を反 映し
て、 t
物理、 化 学、 生理 が誕 生し た。 し か し、 1 8 79 年に天 皇の侍 講が仁 義 ・ 忠 孝の教 育を政 府に提 案
して状 況は 一 変 する。 時の総理大 臣 伊 藤 博 文は、
「 教 育 儀」 を著し た が、 大 衆を教 育に よ り思 想 的
に抑 圧 することを
考
えて いた'。 そ れ ら を受けて、1 88 6年 ( 明 治20年) に 出 来た学 校 令で、 物 理、 化 学、 生理 は 理科と して統 合さ れ授 業 時 間は半 減し た。 代わり た 修 身が登 場 し た。 そ して1 89 0年、 教
育 勅 語が誕 生し た。 戦 後の 一 時 期を除い て、 学 校 教 育の ど こかに
こ
「 依ら し む べ し、 知 ら し む べ か らず」 という体 質が あ るの は、 こ の時以来で あ る。こ の よ う な考え は大 学にもお よん だ。 18 8 9年に 帝 国 大 学 令がセき た. 大 学は国 家の た めのもの と さ れ国が直 轄 する国 立 か 基 本と なっ た。 ドイツ を 訪れ た伊 藤 博 文が、 私 立にする と反 国 家 主 義 的に な り国 民 思 想を動 揺さ せ る と学んで き た か らで あ る。 2 00 3年の 国 立 大 学 法 人 法も、 戦 後 続い て き た 大 学の国 家 権 力か らの独 立を奪お う とする意 図が 見え隠◆れする。
2 ‑3
手 引 き と し
て の学 習 指 導 要 領
戦 前に は、 学 習 指 導 要 領にあ た る もの と して教 育 要 目が あ り、 教 育 勅 語が目 標と さ れ た ( 永 井、 1 99 3)。 文 部 省 訓 令と して 「 何々すべ し」 と いう 命 令 調の もの であっ た。
戦 前へ の反 省か ら、 戦 後 教 育は 理想 を 追 求 する 形で始ま っ た。 1 9 47年 ( 昭 和22年) 、 その 改 訂 版
で あ、
る1 95 1年 ( 昭 和2 6年) の学 習 指 導 要 領は、 一
般 論 ( 試 案) であ り教 員の た めの手 引き と さ れ た。
教 員が指 導 計 画や指 導 法を発 展さ せ る こと を希 望 したもの であ っ た ( 永 井、 1 9 93)。・
その よ う な学 習 指 導 要 領の性 格は、 学 習 指 導 要 領の執 筆 者の組 織に現れて い る。 現 在は、 教 育 課 程 審 議 会 (3 0人ほ ど) で方 針 決 定さ れ ( 中 間 報 告)、
そ れ を文 科 省が学 習 指 導 要 領 策 定 委 員 会の原 案と して ま と めて いく。 さ らに現 在は指 導 要 領か ら独 立し た指
導 書
があ り、 その 作 成に は、教
員が協
力 者と して入る という ピ ラ ミッ ド型である。 一 方、 19 5 1年 ( 昭 和2 6年) の学 習 指 導 要 領の 執 筆 者11 人中の9人は小 学 校の教 諭であ り、 残り2人は文 部 官 僚であ る。 すな わ ち平たい組 織で書か れて い る。
2 ‑4
学 習 指 導 要 領
に対 す る政 治
の介 入
1 9 58年 ( 昭 和3 3年) の 改 正で は、 道 徳が誕 生 す る と ともに学 習 指 導 要 領は文 部 省 告 示と して官 報
に登 載さ れ、 法 的 拘 束 力 を 持っと さ れ た ( 山 崎、
1 9 86)。 1 9 51年 ( 昭 和26年) 改 訂の もの と比べ て、
子 供の発 達 段 階をモ デル化して、 学 年ご とに教 育
の 内 容と到 達 目 標 を 具 体 的に定め る という系 統 主 義に特 徴が あ る。 こ の スタ イ ルは、 以 後 現 在まで 続い て いる。
学 習 指 導 要 領が、 教 育 内 容を系 統 的に規 定し、
かつ 法 的 拘 束 力を持っという まうに変 化し たの は、
1 95 0年の朝 鮮 戦 争をき っ かけとする東 西 冷 戟 構 造 が原 因であ る。 戦 争を支 援 する た めに、 戦 前 型の 政 治 権 力 が復 活し、 「 教え子 を 再 び 戦場に 送 る な」 とい うス ロ ー ガン と と も共 産 党 色を強めて い っ た
日教 組と対 立 する よ うに な っ た。 1 9 56年.に地 方 教 育 行 政 法が成 立し、 教 育 委 員が公 選 制か ら自 治 体
の長の任 命 制にな り、 教 育は国 家の統 制の下に入 っ た。 教 科 書 法は廃 案に なっ た が、 文 部 省の施 行 規 則の改 正な どにより 実 質 的に教 科 書の検 定は強ま っ た。 1 96 3年の教 科 書の無 償 措 置 法と ともに広 域 採 択 制が導 入さ れ1 教 科 書の 画 一 化、 教 科 書 会 社の 寡 占 化が
獲
み、 実 質 国 定 教 科 書に近づいた ( 山 崎、 19 8 6)02 ‑5
高 度成 長 期
と理 科
の詰 め 込 み
1 9 58年 ( 昭 和33年) の改 正で は、 中 学 校 指 導 書、 が誕 生し た。 そこ に は、 科 学 技 術 教 育を振 興 する
こと が基 本 方 針の1 つで あ る と明 記さ れて い る。 1 96 0年の池 田 内 閣の所 得 倍 増 計 画を 卦 j・
,て、 1 9
6
1 年の文 部 省 予 算に は、・理科 教 育 施 設 整 備 費や大 学 関 係で も 原 子 力な どの 講 座や研 究 部 門の創 設 費が 大 幅に増え た。 工業 高 等 専 門 学 校が出 来たの もこの 時で あ る。 1 9 66 年に は高 校の多 様 化と 理数 系 学 科の設 置が計ら れ、 工業 科が大 幅に増え 理数 科が 創 設さ れ た。 昭 和4 3年の改 正で は 「 現 代 化」 が う た わ れ、 小 学 校に集 合や関 数が入る な どっ め こみ 教 育が行わ れ る よ うに な っ た( 永 井、 1
9
9 3). 1 9 77 年 ( 昭 和5 2年) の改 正まで 、 中 学 校3年 生 まで の一 理科の 授 業 時 間は戦 後 最 高の1 04 8時 間にな る。 ち な みた 内容
の3割
削 減が問題
に な っ た 1 99 8年
度の もの で は6 40 時 間で あ る。た だ し地 学 分 野の内 容に大き な変 化は ない。 地 球 科 学そのものが戦 前と変わ らず、 大き な変 化は、
1 96 8年の プレ ー ト テク.ト ニ クス の確 立まで待た な け れ ば な ら な か っ た。 ま た宇 宙 天 文 分 野で も、 膨 張 宇 宙 論や ビッ グバ ン モ デルが確 定し たの は、 や
は り 1 96 0年 代で あ る。
む
〔
ろ問 題なの は、 1 9 58年 ( 昭 和33年) の◆改 正の頃の単 元が、
■今日 まで学 年は移 行して も残 っ て
い ること̀
で あ る。 19 6 8年の プ レ ー トテ クト ニ クス 以 降の改 正で
も
、 噴本
(20 00) の ま と め'に よ れ ば、
地 球 科 学の進 展を反 映一し た単 元が登 場し た形 跡は
ない。 後に論 じ る ように、 プ レ ー ト テ ク ト ニ クス が登 場し な か っ たの は、 政 治
家
・ 官 僚の意 向で は なく、 科 学 者 集 団の政 治 思 想が 理由で あっ た。‑ 2‑6 戦後 教 育
の精 算
と 理科 離
れ憲 法と教 育 基 本 法の改 正 論 者で あ る中 曽 根 康
弘
を首 相とする内 閣が誕 生し、 1 98 2年に臨 時 教 育 審 議 会が作ら れ た。 今日の大 学 から小 学 校まで の教 育 改 革の ル ー ツ は大 方 こ こ にあ る。 社 会 科 教 科 書 批 判や道 徳 教 育の必 要 性が説か れ る 一 方、 人 材 育 成の 観 点か ら教 育の 自
由
化が議 論さ れ た。 その よ う な流れの 中で 「 新しい学 力 観」 の19 8 9年 ( 平 成 元 年) の 改 正が行わ れ、 小 学 校1、 2年 生か ら 理科 が消えて生 活 科が登 場し、 国 旗や君が代を社 会 科 や特 別 活 動で指 導 する ものと な った ( 永 井、 1 9 93)0「 新しい学 力 観」 で は、 知 識 理 解は結 果として 身に つく力と さ れ、 興 味 ・ 関JL、や意 欲 ・ 態 度を重 視 する よ うに.な っ た。 実 験や観 察が強 調さ れ、 教 員は教え るの で は なく 支 援 する存 在と な っ た。 知 識理解を とりわ け必 要とする理 科の苦 境が は じ ま'1
た占
2 ‑7
辻棲 あ わ
せ の平 成
1 0年 改 正
の学 習 指導 要 領
1 99 8年 ( 平 成1 0年) の改 正の キ ャ ッ チ フ レ ー′.ズ は 「 ゆ と り教 育」、 「 生き る力」 で
あ
る。 「 総 合 的 な学 習の 時 間」 の登 場で、 戦 後 すぐの 昭 和22年の 学 習 指 導 要 領が目 指 して い た もの と似た雰 囲 気が あ り、 あ る方 面か ら は歓 迎された。 し か し、 理科 離れ が深 刻に な っ て い たの で、 内 容が 3割 削 減さ れ たこ とで 「 学 力 低 下 論」 を引 き 起こし た。 後に 論じ る ように、' 難 しい所を た だ削 除し た た め、 論 理がつ
な
が ら ない という問 題が発 生し た。 例え1ば、
小 中 学 校 の 地 層の学 習か ら、 袴 曲や断 層、 造 山 運 動な ど が高 校に移さ れ た が、 日本の多くの露 頭の 地 層が傾い て い る事 実と は
合
わず、 観 察学
習を困 難に して L・、 る。 ま た中 学 校か ら イ オ ン が消え た■。
な ぜ こ の ような㌧学 習 指 導 要 領にな っ たのだ ろ う。 平 成1o年の学 習 指 導 要 領の場 合は、 平 成 元 年の 内 容か ら 3割 分 削 除し たもの を、 辻 接が合う よ うに 再 配 列し た もの にすぎ ない一。 学 習 指 導 要 領の策 定 委 員 会で は、 前 回 甲 学 習 指 導 要 領に赤 線で3割 分 を消して あ るもの が配 布さ れ、 「 残 っ た単 元の組 み替え を や っ てくだ さい」 か ら は じ ま っ た■という
‑ 210 ‑
報 告が あ る。 その3割は、 様々 な調 査で 得 点 率が 低い所が選ば れて い る。 その 際、 文
内
省か ら 「 高 校1年は中 学 校4年と考えて ほ しい」 との発 言 もあ っ た とい う。 指 導 書の作 成で は、 協 力 者を含め た3 0 人 くらい の委 員が、 個々 の単 語や概 念を入れ る入 れ ない で議 論が白 熱し た とい う。 し か し、 し ょせ ん専 門 家な ら途 中が飛んで い て もス トー リ ー は読 み と れ る が、 知 識や概 念に乏しい子 供た ちにと̀っ
て は細 切れの単 元の寄せ集めであ る。
いずれ にせ よ、 内 容が減 っ た た めに暗 記が容 易
に な っ た。 例え ば中 学 校1年で は、 火 成 岩は安 山 岩と花
南
岩に限 定さ れ、 珪 酸 濃 度を横 軸にと っ た 火 成 岩の分 類 表は な く な っ た。 確かに こ の 分 類 表 は、教
員に教え る力ない こと も あ り、 高 校 入 試に 出る か ら暗 記 する だ けの もの にす
で に な っ て いた。 教 員 養 成 系の学 生た ち が、 お国 自 慢の よ う.に暗 記の た めの語 呂 合わ せ を披 露し あ っ て い たこと が あ る。 だ か
ら
と言 っ て、 安 山 岩と花 繭 岩に限 定 すれ ば、 ま さ しく 覚え る だ けに な る。考え方を学ば せ る こと を重 視 する な ら、 条 件と して 、 ′
マ グマ が冷え る と エ ネルギ ー 附に安 定な鉱 物にな る、 その マ グマ と鉱 物の化 学 組 成は違う、
重い鉱 物は重 力の た め沈 降して その場か ら無く な る、
. こと を与え れ ば、 残 っ た マグマ 組 成が その 分 だ け変 化 すること ば考え ら れ る だ ろ う。 従 っ て玄 武 岩か ら流 紋 岩へ ば連 続 的に変 化し、 分 類は人 為 的に区 切 った もの だ とい うこと が わ か る。 せ めて、
考え方 を
学
ぶ」分 類
の意 図 を納
得できる ようにす るの に、 こ の教 材が適して.い る か ど・う かを 議 論 すべき だ ろ う。 これ らの こと な しに は、 学 習 指 導 要 領に残 っ た‑iマ グマ の粘 性 に よ っ て 火 山の形や噴 火 様 式が異な ること1 1は そ れ こ そ覚え る だ けに な る。
2 ‑8
産 学官連携
の科 学技術振 興
の時代
へ1 99 8年■
( 平 成1 0年) の 改 正の学 習 指 導 要 領に対 して は、 後 継 者 教 育に危 機 感を高めて い た 日本 物 理学 会 ・. 日本 化 学 会や、 リ ー ダ ー や高 度 技 術 者 不 足に悩む産 業 界か ら批 判が相 次 ぎ、 つい に2 0 00年 1 0月に大 島 文 部 大 臣は、 イ 学 習 指 導 要 領は最 低 基 準で あ
り
上 限は撤 廃 する」 との 見 解を新 聞に発 表 し文 部 省H P に も 掲 載さ れ た。 さ らに は 2 00 2年の 正 月 明けに遠 山 文 部 科 学 大 臣が、 「 確か な学 力」「 学びのす すめ」 を軸とする 20 02 ア ピ ー ル を発 表 し、 最 低 基 準であ る こと を明 文 化し た。 2 0 04年に
‑は上 限 規 定を取り去る学 習 指 導 要 領の改 訂が行わ れ る。 大 学 も、 2 00 4年4月に は国 立 大 学 法 人と な り、 産 官 学の連 携によ る科 学 技 術の振 興が最 重 要 課 題と な る。
3
.検 定 が も た ら す 硬 直 化 し た 教 科書
‑検 定 教 科 書は学 習 指 導 要 領を具 現 化し たもの で あ り、 文 部 科 学 行 政の現 場 へ の浸 透に大き な役 割 を果た して い る。 ゆ えに教 育 問 題が教 科 書 裁 判や 偏 向 教 科 書 問 題と して現れ る。 検 定の き び し さ ゆ えに、 教 科 書 会 社は不 合 格を恐れて あ た り さ わ り のない教 科 書をつく る とい う悪 循 環に陥る。
3 ‑1
官 僚 化 し た 教科 書検定
教 科 書 検 定の硬 直 性が 一 番 現れ たの が、 平 成1 0 年 度の高 校 生 物Ⅰで あ る。 こ の時は、 「 進 化」 とい う言 葉が使 用さ れ た教 科 書は軒 並み不 合 格にな っ た。 その中に、 学 習 指 導 要 領 策 定 委 員で あ る東 大 教 授が監 修し た教 科 書 も 含ま れて い た。 その東 大 教 授は、 「 生 物 学で は、 生 物は進 化 する こと が前 提で あ る。 従 っ て、 進 化の機 構や分 子 生 物 学の こ と は高 校 生 物ⅠⅠに 回し た が、 生 物Ⅰで進 化の 概 念 を根 底 す.るの は当 然で あ
畠
の で、 あ えて 生 物Ⅰの 学 習 指 導 要 領に書か な か っ た」 とい うコ メ ン トをし た。
こ の出 来 事は、 教 科 書 検 定が、 いか に杓 子 定 規 に
行 わ
れて い る かを 表して いる。 そうな っ た理 由の1 つ は、 密 室の検 定が長ら く批 判さ れて た上、 情 報 公 開の 時 代にな り、 検 定 意 見は言 葉で なく 一 覧 表と して渡さ れ る よ うにな っ たこ とに あ る。 批 判を恐れて、 検 定 意 見か ら調 査 官の私 的な見
廟
が 消え た。 その た め検 定は文 言の 一 致 レ ベ ルの形 式 的なもの に な ら ざ る を得 ず、 そ れ だ け学 習 指 導 要 領や指 導 書の文 言の重み が増し た。嘩
定が行 政の 手 法に似て い る例を示そ う。 筆 者が書い た高 校理科 総 合B の教 科 書の火 山 活 動の単 元で、 玄 武 岩に対して は不 要とい う検 定 意 見がつ き、 安 山 岩と花 南 岩に は な か っ た。 玄 武 岩が ダメ な 理由で思い っくこと は、 中 学 校の新 学 習 指 導 要 領で は火 山 岩と深 成 岩は代 表 的なもの 一 つづっ扱 うこ とにと ど め るに変わ っ たことであ る。 そこ で
「 高 校で あ っ て も中 学 校の学 習 指 導 要 領に従う の か、 その場 合、 日
永
政 府 公 認の岩 石と は安 山 岩と花 繭 岩 なのか」 と聞い た。 答え は、 「そ うで す。
高 校1年は中 学 校4年 生 と考え てくだ さ い」 で あ っ た。 高 校の教 科 書が中 学 校の 学 習 指 導 要 領に従 っ た り、 代 表 的な岩 石を国 家が選 定して い た と は知 ら な か っ
キ
. 日本の行 政で は、 条 文の少ない基 本 法を実 質町
に運 用 する た めに様々 な通 達 七 縛 っ ていく 手 法が用い ら れ る。 通 達は国 会 審 議 も 不 要で 行 政 官が自 由に書け るの で し ば し ば法に違 反 する
こともあ る。 今 回の検 定は、 ま ざに こ の通 達 を口 頭で伝え た よ う なもの で あっ た。 た だ し玄 武 岩と 流 紋 岩はカ ツ コ 書きにする ことで
穣
定は合 格し た。実は その程 度で あ るか、 これ が多く な る と不 合 格
に な る。
権 威に関 する話 題が もう1 つ あ る。 件の教 科 書 か ら検 定 後 誤り が見つ か っ た。 検 定 意 見に対 する 修 正と共に誤り を直せ る か と問い合わ せ た所、 修 正は、 明ら か な誤 植を除い て、 検 定 意 見がつ い た 所に限る とい う返 答であ っ た。 ある 人の説 明に よ れ ば、 その よ う な修 正を受け入れ る と、 調 査 官が 誤り を見
逃
し た ことになり、 検 定 制 度の権 威にかか わ る と して検 定 審 査
会
で問 題にな る という。 3 ‑2教 科 書 会 社 が ブ
レ ーキ を か け る
平 成1 4年か らの中 学 校の教 科 書で、 誤 っ た概 念 を与え るト書き方が目に つ く。 例え ば、 マ グマは地 中 深 くで融けて い る もの だ、 とし
,
' う記 述が あ る。
これ だ と地 球 内 部は ど こ でも 常に融けて いる こと・
にな る。・ し か し、 地 球 内 部 条 件で の岩 石の安 定 関 係の 実 験や、 地 震 波で地 球 内 部 構 造を精 密に解 析 するマ ン ト ル トモ グラフ ィ 「 が発 達して、 マ グマ が常 時 存
在
する場は どこ にもない こと が わ か っ て き た。 もう 一 つの例は地 震の 分 布で あ る。 各 社の 教 科 書に あ る 日本 列 島の地 震の分 布 図は、 こ こ2 0 年く らい の デ ー タに よ る もの なの で、 大 地 震が心 配されて い る南 海、 東 南 海、 東 海 地 震の震 源 域が 空 白にな? て い る。 文 面に よ っ て は地 震が ない地 域だ と誤 解 する可 能 性が あ る。 空 白だ か らこそ、次に大 地 震が想 定さ れ ること が伝わっ て い ない。
これ らの誤りの原 因と して3 つ のサ ー ス が考え ら れ る。 1) 教 科 書に か か わ る人々 に専 門 家と し
て の能 力が足り ない 、 2) 検 定に合 格 する た めの
教 科 書 会 社の前 例 主 義、 3) 論理 をつ く す こと は 子 供た ちに は難しいという誤 っ た学 習 観、 で
奉
る。教 科 書の誤り が プ レ ー ト テク トニ クス や マ グマ 関 連 に多 い のは、 プ レ ー ト テ ク ト ニ クス を 否 定 し た時 代やこ そ れ以 前の 物理化 学を否 定 し た時 代 ( 都 城、 19 92) に 関 係 する。 後に論 じ る よ う に、 現 在40才 以 上の人は、 政 治 的な 理由で これ らの 分 野を き ち っ と学んで いない可 能 性が あ る。 地 震 学
の進 歩や社 会の 関 心の高ま り は、 こ こ2 0年は ど特
に 阪 神 大 震 災 以 降 急 速で あ る。 いずれ にせ よ、 教 科 書にか か わ る人々.は、 教わっ て い ないとい う言
い訳はでき ない。
教 科 書 会 社が検 定 不 合 格を恐れて、・ 自 主 規 制を し たの だ と し た ら、 モ ラ ルの 低 下だ と言
わ
ざ る を 得ない。 不 合 格の リス ク を下 げるに は、 内 容や文 面まで前 回の検 定で合 格して いる教 科 書の もの を ま ね す るのが確 実で あ る。 教 科 書 検 定で苦 労して き た教 科 者 会 社が、 身を持 っ て集めて き たノ ウ ハ ウ で あ り 「 生き る力」 なの で あ る。 し か し、一 転
して教 科 書 会 社が学 習 指 導 要 領や教 科 書 検 定を権 威づ け る ことで、
‑ 教 科 書 執 筆 者に編 集 方 針を正 当 化して押 しつ け るの‑で あ れ ば、 教 科 書 会 社が民 営
で あ る一必 要は な く な る。
わ ざ と、 子 供た ちに わ か り やすく書 く、 観 察や 実 験を重 視 する という配 慮か ら、 簡 略 化し
た
可 能 性が あ る。 し か し、 もし そ う だ とす れ ば、 後に論 じ る よ うに、 専 門 家の 持つ子 供た ちの学
習 観が お か しいと して批 判さ れ な く て な ら ない。3‑3
教 斜
の縦割 り 主 義 と 伝 統的 な 教材
理 科で プレ ー ト テク ト ニ クス が否 定さ れて いた 時 代に、 小 学 校5年の光 村 図 書の 国 語の教 科 書で、
説 明 文の単 元と
ーして1 91 2年の ウ エ ー ゲ ナ ー の大 陸 移 動 説が扱わ れて いた。 筆 者が知る限り、 昭 和50 年 頃に はすで に あり、 平 成1 3年 度まで使わ れて い た。 大 学 生に対して プレ ー ト テク ト ニ クス を どこ
で知 っ た か とい う調 査 をし た と ころ、 こ1
.の教 材で ある という 答え が多か っ た。
問 題は、 科 学と して誤 っ て お り、 国 語を勉 強 す るは ど誤 っ た概 念が刷り込ま れて し.ま うことに あ る。
一 般に、 人は最 初に獲 得し た概 念を変え るの
が難しい。 その後、 プレ ー ト テク ト ニ.クス を勉 強 して も、 刷り込ま れて い る
大
陸 移 動 説と して再 構.‑ 2 12 ‑