聖霊女子短期大学紀要第48号(2020)
「思う」と「考える」の間
杉 浦 太 一
* はじめに 日本語を母語として齢(ヨワイ)を重ねてきた。「齢」とは『大言海』によると「世延(ヨハヒ) の義か、世間(ヨアイ)の義か…」とある。いずれにせよ人生のことで、歯が生えてきて一回生え かわり、そして抜け落ちて終わり、そしてこれが神の掟、そんなイメージの「レイ」と読む漢字に われわれの祖先はトータルな人生の感慨をこめて「ヨワイ」という意味を重ねて使ってきたわけで ある。漢字では「歯」だけでも「年令」や「人生」を表わすようだから、歯に人生を重ねる考え方 は漢字によってもたらされたものだろうが、我々はさらにそれを「ヨワイ」と読み重ね、二重読 みをしながら、まだ文字をもたなかった時代の人生観もしっかり残してきたようである。いわゆる 「音・訓」の二重読みであるが、日本語を母語として育ったものにはごくあたり前な感じだが、よ く考えてみるとこんな不思議はないともいえる。もし「齢」という文字記号が人生という意味だけ であったなら、あえて「ヨワイ」という訓読みを重ねる必要はなかったのではないだろうか。から だに馴染んだ言葉をすてきらず当初はそうであっても、長い年月、世代交代の中で消えていくのが 普通ではないかとも考える。今でこそ「ヨワイ」の意味は言語辞典にたよるほど希薄になり、「齢」 を「トシ」と読むほうが多くなっているが、我々はまだ「ヨワイ」を捨てきらずにいる。いうまで もなく「日本語」という言語は、かつて無文字文化であった列島に大陸から「漢字」なる文字が入っ てきて、その漢字に多くを学びつつ、なおかつそれと実に奇妙な関係を築きながらでき上がってき た言語なのである。何がどう奇妙なのかは昨今の他言語との比較研究や内外の日本文化論の展開で 少しずつ明らかになってきているようにも思うが、逆に不思議の輪も広がっている気もする。なぜ 我々は「ヨワイ」を捨てきらずに来たのか、そこには列島に住みついた人々の、今の日本語の核を つくった人々の人生観、死生観が張り付いているように思われる。「この世・あの世」の「世」の 概念である。この小論でわたしはそんな日本語の不思議の一端に触れてみたいと考えている。 第1章 「文字」という記号 ⑴ 「文字」とは何か 大上段に「文字」を論じるつもりも資格もない。ただ日本語の構成要素である「漢字」「かな」 の絡み具合を考える前提で一応押さえておかなければならないように思う。いうまでもなく「文 字」とは「書かれたことば」である。旧石器時代の洞窟壁画にあるように人は大切な何かの印象 を刻印しはじめる。印象とは[im・press]、刻印とは[ex・press]漢字でも英 語でもその構造が同じであることに今更驚いたりする。つまりそれははじめ絵画的な印象(印象 の絵画化)であり、それが次第に簡素化・抽象化されてある線と形に収斂して「文字」となる。 これが「文字」の始まり、一般的にはそう考えられている。楔形文字・エジプト文字・甲骨文字、 * 本学教授文明の発祥地に文字が必ずあったわけではなさそうであるが、少なくとも文字をもたないところ に文明の発展はなかったようである。つまり「文字」が文明を動かす要にあったことは確かである。 なぜなら文字を書くことによって記憶が固定され、記録が受け継がれるようになったからである。 もちろん文字以前にもその必要、その試みはいろいろあったに違いない。先に述べた洞窟壁画な どもその現場であったであろうし、今日にも残る様々な祭儀など、世代を超えて伝えられなけれ ばならない事柄の記憶・記録の現場であったと思われる。しかし文字が生まれ、文字を使うよう になるとみるみる形骸化し、外側の形式だけがかたくなに遺され、意味が分からなくなっていく。 それでもあるものは後付けで意味が再注入されたり、開き直って、意味が分からないからこそ尊 い、とばかり、もっぱら形に意味を乗せ、それが伝承されてきたりした。それぐらい「文字の力」 は絶大で、からだを張って、時間をかけて、人々が大勢で創りだし、積みあげてきた経験をたっ た一語・一行で片づけてしまう、そんな力をおそらく原初の言葉は持っていたに違いない。聖書 にも「ことばは神であった」(ヨハネ福音書)と記されている。その解釈は「ロゴス」に片寄っ ているが、モーゼの「十戒」のように神が文字として石板に出現したほどの圧倒的な威厳・尊厳、 それ自身であったように思う。漢字の起源となった甲骨文字は占いの手段以前におそらく神の啓 示そのものであったのではないだろうか。字を書いて火にくべる以前、火に焼かれた骨のひび割 れから神の意志を読み解く想像力を人々は備えていたわけである。そんな文字の祭儀で栄えた古 代中国の「殷」が滅び、その記憶を具えた一群がこの列島に渡ってきた、という話がある。もち ろん歴史的に検証された話ではない。しかし千年の時を経て、その後中国大陸で意味の記号=漢 字として整理されたものが列島に入ってきて何が起こったのか、を想像してみたいわけである。 ⑵ 「漢字」という記号 漢字は後漢の時代、国を治めるために整理された文字である。許慎による『説文解字』が漢字 学の基本であることや、漢字の字義の多くは今に至るまでそれに依拠していることはよく知られ ている。いうまでもなく中国の歴史は夏・殷・周の古代から中華人民共和国の現代まで4千年、国 として、領土として、人口としてなど等、日本のスケールを遙かに凌駕している。しかし目を凝 らしてその流れを俯瞰してみると、それは漢字を操る人々を中心に、そこにさまざま文化・習俗 の人々がなだれ込み、国を興しては滅び、興しては滅びしてきた歴史のように見えてくる。今 現在の中国でいえば、総人口14億、そのうち漢字で繋がっている人々は9億弱、それでも英語の 4億を超えて世界一であることは確かだが、話ことば(発音)も入れて繋がっているかといえば、 それは50にも分かれているらしい。大雑把にそれはもっと圧縮されて北京語とか広東語とかで分 類・区別されているわけだが、歴史的に漢字ひとつの読み方、熟語のイントネーションは北から 南から人々が入り混じり、抗争し、覇権を争った分だけ複雑に入り組んで、あるものは変化し、 あるものは消え、あるものは新たにつくられてきたわけである。中国語は19世紀に始まった形態 言語学(論)から云うと「孤立語」に分類されている。書き言葉としての漢字には欧米語にある ような性や数はなく、日本語にもあるような格変化・語尾変化もなく、もっぱら漢字はむき出し のままの意味を抱え込んでひたすらその並べ方の変化と状況で修辞的なニュアンスを伝え合う言 語として発展してきたわけである。中国語は文字(文語)的には「視覚言語」でありながら、口 語的には「聴覚言語」である、という言い方もあるかもしれない。漢字の意味は圧倒的に「会意」 と「形声」の2つの要素で組み立てられているが会意を担うのは「偏」や「旁」「冠」「脚」といっ た部首だけではなく、音を表わす部分にもかぎりなく意味を含めようと試みられている。例えば 「神」という字、「示偏」に「申」で会意・形声だが、申は「稲妻」の意味を持ち、「不可知な自
然の力」を喚起させる力をもっている。「朝」という文字は「昇る日」と「落ちていく月」がバ ランスをとって分りやすい会意文字だが、それに「水偏」をつけると「潮」となる。その場合の 朝は音であると同時に重要な意味を担った記号となっている。外から新しい言葉が入ってきた時、 それが重要な概念であるほど漢字人間はひたすらその音に近い同意語を探し回る。玄奘三蔵がイ ンドから持ち帰った梵語の経典、それを漢訳して仏教が広がっていったわけであるが、音だけに シフトした翻訳では、到底仏教の持つ宗教的奥義は表わせなかったに違いない。 ⑶ 記号の世界観 漢字の起源は4千年の昔に遡るが、2千年たって、漢の時代、いわゆる「意味を伝える道具」 として整理された。しかしその道具は「伝える」機能より意味と音を同時に喚起させる力の方が 強いものとなった。「書」という芸術が存在するが、それはその歴史と重なる。漢以前、獣骨や 金属に鋭い刃物で刻印された文字が、紙に筆で書かれるようになる。紙はどこまでも頼りなく、 筆はその手を容赦なく映す。必然、白い紙の上に、ある意味と音を併せ持った「文字」が、筆を 持つ手を正直に映しながら表われるわけである。英語のスペルを筆で書いても書にはならない。 手は写せるかもしれないがその語彙/vocabularyはたとえ名詞であってもつながりの ある文脈の一部で、そこに漢字のような完結性が喚起されないからである。そう、漢字という文 字は完結しているのである。その完結性の根拠はおそらく「記号」としてのイメージ喚起力、言 い換えれば「記号の世界観」である。文字が意味や音を表わしたサインを超えて一つ一つ完結し たリアリティーをもっていること、そう再度言い換えることができるかもしれない。要は漢字に 限らず古代文字が基本持っていた「象形のオーラ」がそこに残っているということだろうか。「書」 に戻って言うなら、墨を整えて心を準備し、おもむろに筆を手に紙に向かうとき、そこに人は「今 自分が向かうべき世界や境地」に見合った詞(ことば)を選び、その文字(ことば)と対峙する のである。漢字という文字は他の言語、特にアルファベットの音で括られた言語以上の独立・完 結した視覚的世界観をもっているわけである。例えばギリシャ語でもラテン語でもアルファベッ トで音を表わし、語幹のイメージを接辞(affix)等で広げ(屈折させ)てその意味を構成 する。先に上げた英語の[im・press]のように。しかし漢字は「部首」の中に象形のリ アリティーを秘めており、いくら簡素化されてもとの形が失われても「イ偏」は「人偏」、「犭偏」 は「獸偏」なのである。 第2章 発酵する日本語 ⑴ 日本語の形成 日本語には他の言語には見られない大きな特色がいくつかある。私がその第一に挙げたいのが 「音・訓」の2重よみとその使い分けである。通常、文明の衝突がおこった時、大が小を、強が 弱を呑み込む形になる。その力関係で両者がまさり合い、変形することはあっても、弱・小が受 け止めた強・大を呑み込んで、しかもその中核たる言語(意味・概念)を栄養にして自らの言語 を創りあげる、そんなことがありうるのだろうか、という思いである。もしありうるとしたらそ こに既に力のある言語が存在していたからではないかと考えるのである。文字体系をもたない意 味で「無文字」でありながら、強力な文明文字をうけとめて、それを2重読みすることなど、そ れ以外ありえない気がするわけである。 列島に整理された文明言語としての漢字が入ってきたのは1世紀ごろであるといわれる。特別 根拠のある話ではなさそうだが、水稲を軸に列島のあちこちに勢力集団が生まれ、末端の位置づ
けとはいえ大漢帝国の変革の波はおそらく様々及んでいたであろうし、そもそも列島の諸勢力に しても元は大陸からの渡来集団だから、かれらが大陸の動向に敏感なアンテナをもっていたこと は想像できる。であればなおさら機能的に整理された言語はそのまま受け入れるのが筋ではない だろうか。青銅器から鉄器への移入・切りかえにみるように文明は上から下へそのまんま流れ込 み、そしてそれがその世界を変えていく。確かにその時代日本語は黎明期を迎えていた。よく例 に出されるように今ではすっかり「和語」として定着している「うめ(梅)」とか「うま(馬)」 とかはその時代の名残とも考えられる。それらがその音とともに列島に入ってきて、その音のま ま受け入れられたものであろうか。他には「木」や「手」もある。「木」は音で「ボク・モク」、 訓で「き・こ」であるが、音は漢音・呉音の違いで、訓は「かきくけこ」の段変化である。同様 に「手」の方も、音は「シュ・シュウ」であり、訓は「て・た」である。もちろん「あいうえお」 の50音表があったわけではないが、[ka]行、[ta]行の子音変化で極めて自然な感じである。 漢籍としての整理された漢字を受け取る以前、日本語の黎明期、そこにはおそらく既に漢字を訓 読みして理解する文化が存在していたのである。 「歴史」なるものが、中国の『史記』にしても日本の『古事記』にしても同じく、為政者の立場・ 目線でその正当性を謳いあげるものであったことは今更だが、言語もおそらく同じ目的・同じ過 程で整理される。列島に「倭の五王」なる勢力が出現し、強力に統一へ向かって進み始める。い うまでもなく大陸では後漢の後、三国時代を経て南北朝、南朝の宋に貢献した彼らは当然にそれ なりの文書を携えたであろう。自分たちの地位や身分を披瀝する必要から後の『古事記』につな がるような神話や先祖物語も大急ぎで整理する必然性も生まれたに違いない。記憶を集め、声で 記録する専門職が求められ、更にはその声をたどたどしく文字に置き変える作業も始まっていく。 その過程で漢字の意味と声の記憶とが絶えず重ねあわされる。そして漢字の意味を正しく理解す ることと、音で残された記憶を「音記号」で書き残す圧力が次第に高まっていったと思われる。 ⑵ 日本語の中の漢字 ベトナムや韓国がまだ漢字を保有していた頃、日本人旅行者が、現地で困ることはなかったと いう。聴覚障害者の「手話」のように、漢字の筆談で基本的な意思の疎通ができたからである。 そう、漢字は声の出番なしでも、文字で意思が吐き出せる優れものなのである。表情やジェス チャーが加わればもう合格点である。「ハノイ」とはベトナムの発音で「川内」のこと、「han oi」と言われても分らないが「川内」と書かれれば、その地理までわかってしまう。それは漢 字が強力な「意味記号」だからに他ならないが、それを日本に置き換えてみると[sendai] [kawachi]に分かれる。[sendai]は音で、[kawachi]は訓である。すべ ての日本語漢字にこの区別があるわけではない。先の「梅」のように後から「バイ」という音が 入ってきて「うめ」が訓のような顔をしているケースもあるが、訓を始めから持たないものもあ る。いうまでもなく「和語」の中にそれに当てはまることばがなかった場合であるが、それでも 我々はからだに馴染んでくるとその音に「する」をつけて「○○する」という「訓もどき」をつ くりだしてしまう。ここ2~ 30年年寄りも含めてよく使われるようになった「お茶する」など、 その良い例であろう。「茶(サ・チャ)」は平安時代薬として渡来、その後禅仏教(禅宗)の修行・ たしなみとして普及するが、庶民まで浸透するのは茶道の流行などあって江戸時代のことである。 そこまで文化に浸透しからだに馴染んで「お茶」は「点てる」から「たしなむ」「飲む」へ広が り、そして和語としての免許皆伝、ついに「お茶する」が登場したわけである。「愛する」とい うことばはまだ発展途上かもしれない。後漢の時代、許慎によって漢字のかたちと意味が一通り
整理されたわけだが、その時代おびただしい数の造語が生まれてくる。春秋戦国を通して漢字が 周辺民族に広がり、新しい漢字の機能的需要が高まったからで、後漢の人々は意味と音の組み合 わせの法則で次々とそれに応えていったわけである。それと同じことが明治維新の日本で発生し た。波のように押し寄せる欧米語を前に、幕末・明治の日本人はそこに漢字を当てはめていった わけである。[religion]の「宗教」など、失敗作?もあるが、[economy]・「経済」[culture]・「文 化」など、中国に逆輸入された漢字がたくさんある。[love]が「愛」である。西欧思想の中核 概念だから、さっそくそれに「する」をつけて使い始めたわけであるが、翻訳文から抜け出て文 章語としてなんとか定着した感じはあるが、口語的には平成以降の若者を除いてまだまだの感じ である。このように日本語の中で漢字は音読みの対峙概念から訓読みの共生概念へ変化する可能 性、法則をもっているように思う。対峙概念から共生概念へ、漢字をこのように二重に使い分け ることが、日本の言葉としての特徴を強め、ことばで「思い」「考える」2つの道を切りひらい たのかもしれない。 ⑶ 発酵する日本語 日本語は基本的に「共感言語」だと思う。言葉に口語と文語が分かれてあるのは、「場」や「状況」 に生きる人間と、物事と対峙して問題を解決、答えを出していかなければならない人間、誰でも この2つの「現実」を常に突きつけられているからに他ならない。口語はよりよく状況を生きる ために「共感」「一致」をつくりだす必要から、文語はしっかり問題を見つめ、それを解決しな がら自身の一歩を歩み出さなければならない目的から。人間はそれをことばでやるのである。時 に言葉はウソを含んで他者と共感・共鳴するために使われ、時に真実を精査する道具として一歩 踏み出すために使用される。これはどんな言語においても同じであるが、どちらにシフトしてい るかの違いはさまざまあるように思う。欧米語の場合は明らかに後者にシフトしながら発展して きたようである。自然現象まで[it]を立てなければ文章が成立しない言語と、「主格」を銘 記するとかえって野暮になる言語の違いである。たしかに日本語ほど「共感」「共鳴」に強いこ だわりを持ち続けてきた言語はないのかもしれない。今話題の、日本語における、「曖昧さ」の 功罪・裏表のジレンマ、これなどは一方では「おもてなし」の「クール・ジャパン」生み、他方 では「忖度」の責任者不在の袋小路をつくりだしている。雌雄同体のアメフラシのようなもので、 それが日本語・日本文化の根っこにどっかり安愚楽をかいているから厄介である。しかしその「曖 昧さ」の奥にあるものはことばによる他者との共感・共鳴、魂の響きあいである。日本文学の古 典に準拠していうなら「もののあわれ」を感じ合う感性、とでもいおうか、日本がその国家・言 語の黎明期、『古事記』と並んでそのアイデンティティーの発露、『万葉集』を編まざるを得なかっ たわけがここにある、と私は考えている。『万葉集』やそれに続く『古今集』に顕著なのは、「歌 づくり」における様々な約束事である。「枕ことば」「掛詞」「序詞」「縁語」など、更には「本歌 取り」や「見立て」「歌まくら」等、「隠しことば」や 「隠題」 といったゲーム感覚、クイズまが いのものまである。和歌の世界も平安貴族の教養的アイテムから武士僧侶の求道的アイテムへ、 更には有閑階級の遊戯的アイテムへどんどん変質・零落していくが、和歌本来の在り様は「だれ かとの共鳴」ではないだろうか。書き言葉になって歌は不特定多数者を想定するようになったが、 「万葉」以前は、それこそ即興で歌垣をつくって気持ちや思い、こころを共鳴し合って、今ここ に生き合う者同士(状況―内-存在としての人間)の生きる喜びを分かち合う装置であった、と 私は考える。先に挙げた「枕ことば」や「掛詞」等、無文字時代の文語、すなわち神の言葉の共 有、リズムを生み出す「韻」等と同様、それらがイメージの共有に大事な効果を果たしていたよ
うに思うし、まさに言葉が重なり合い、イメージが喚起された瞬間こそが歌のいのち(さび)で あったのではないだろうか。『万葉集』の編纂過程はよく分らないが、呼び合い歌いあう現場に 文字を心得た者が書き取る係で配属されたとも聞く。言葉が重なり合って心が響きあう。イメー ジが共有されて「懐かしさ」「哀れさ」「愛しさ」「さびしさ」などが醸成され、喚起する。これ こそが日本語の本質であり、その意味で日本語は他の言語に増して「発酵する言語」なのである。 第3章 「思う」と「考える」の間 ⑴ 段落・語尾に曖昧な日本語 「日本語はとうふである」といった言語学者がいた、外山滋比古である。はたまた哲学者の鶴 見俊輔は「日本語で議論はできない」と言い放った。前者はどこで切ってもいい「段落の問題」で、 後者は主語と語尾があいまいであることへの嘆き?である。確かに欧米語など、いわゆる格・数 に厳格な言語(屈折語)では、段落は勝手に決められるものではなく、段落支配の文脈がしっか り押さえこんでいる。ところが日本語は一丁のとうふをどう切ろうが、またそれをどう並べよう がそんなにやかましくない。段落は日本語において書き手の大雑把な段取りで、それ以上でも以 下でもないからである。「議論」はといえば先にも述べた「曖昧さ」が問題となる。基本的に「対 峙」する方向に発展してこなかった日本語だから結論もお互いずれる部分は呑み込んで、とりあ えず前へ進めるために手を打つ形となる。つまり言葉の不足をからだで補う、そんな感じとなる。 ところがからだで補い合う関係は話し言葉を共有する地域社会に限定される。それを越えるもの は手紙やお触れで、もっぱら文書でおこなわれてきた、それが明治維新までの言文不一致の実体 である。ところが開国・明治になるとそれではやっていけない。欧米並みに議会で、議論で、決 議して…というと「標準語」と「言文一致」が急務となる。そこで慌てて、それなりの「日本語」 が作られ学校で一斉に教えられるということになった。たかだか20 ~ 30年の話で、いまさらビッ クリだが、それが可能であったのは、100年も前に、オランダ語の医学書『ターフェル・アナト ミア』の翻訳書が出せるほどの力を日本語が持っていたからに他ならない。つまり、日本語は「文 語」的には欧米のレベルをすでに持っていたわけで、従ってその「言文一致」は限りなく文語= 書き言葉にシフトしたところに落ち着くことになる。しかしこの書きことばにシフトしてでき上 がった日本語は、100年の時を経て今われわれに深刻な言語障害をひき起こしているように思う。 特に口語=話ことばにおいて重篤で、政治家や官僚の「真摯に受け止めて」「鋭意努力する」といっ た薄っぺらな常套表現に至っては、「何をか言わん」の気持になる。現代において話し言葉と書 き言葉の両方をもたない言語はない。かつて文字をもたなかった言語集団も音表文字という「音 記号」を手に入れ、その書き言葉を形成してきた。そしてそれぞれの文芸・文学の深いレベルか らその個性やアイデンティティーを発信したりしている。「話ことば」は基本的に人と人を繋ぐ コミュニケーション・ツールであり、その関係が深まるほど簡素化され、隠語化される傾向を持 つ。共感言語の日本語などでは最終的に音声さえいらなくなるほどである。それに対して「書き 言葉」は「書く」ことにより自己が内面化され、物事が対象化されて、「個」を深め、「物事の正 体」を暴く方向にその力は発揮される。だから「話す」「書く」は単なる言葉の音声化・文字化 でないことは勿論だが、そのバランスがとれてナンボ(いくら)、なのではないかと私は考える。 かつての無文字社会には優れた彫刻や絵画など、文字洪水の中で溺れかかっているわれわれ現代 人をびっくりさせる宝がたくさん埋もれている。岡本太郎が上野の国立博物館で縄文土器を発見 したようにである。文字は決して文明を前へ進めたのではなく、人間を状況の外へ連れ出し、芸 術とは別のやり方で世界を俯瞰する道を切りひらいただけのように思う。
⑵ 「エクリチュール」の苦悩 共感言語としての日本語とは逆の立ち位置から口語と文語のバランスの問題に頭をなやませて いるのがヨーロッパである。ちょうどわれわれが先に述べた「言文一致」に舵を切り、「標準語」 のあり方に頭をなやませていた頃、ヨーロッパでも、言語に対する根本的な問いなおしの機運が 生まれていた。言語を「真理を明らかにする道具」 として絶対視するのではなく、広く文化の中 に位置づけて構造的に捉えなおそうとするものであった。真理を煮詰めていくような言語使用に ヨーロッパは疲れ、そしてスイスの言語学者F,ソシュール(1857~1913)が声をあげた。彼の 立ち上げた「記号学(semiology)」はヨーロッパ現代思想の魁として後々多様な展開をみせるこ とになるが、特に言語学の分野に大きなインパクトを残してきた。一人あげるとすれば「エクリ チュール(ecriture)」という概念をキーワードに当時のヨーロッパ言語の息苦しさに挑んだロラ ン・バルト(R.Barthes 1915 ~ 1980)であろう。このフランスの哲学者は戦後たびたび日本 を訪れ、真逆の日本文化に驚嘆し、『表徴の帝国』(1970)という本を書いている。「表徴」とは [signe=シーニュ]、訳語としては広くは「記号」であるが、あえて訳者の宗左近がバルトの思 いを受け止めて「表徴」としたようである。バルトはそこで「意味の帝国・西洋」と「表徴の帝 国・日本」とを対比している。日本の現代思想の旗手の一人である内田樹によれば「エクリチュー ル」とは「言語の第三の使い方」であるという。言語の第一の層はいうまでもなく「母語」、フ ランス語で「ラング(langue)」である。第二が「スティル(style)」、これは個人的な言語使用、 ことばの使い方。これだけで言葉は決まらずにもう一つ「エクリチュール」が必要だ、と言うの である。ところがそれがヨーロッパにはどんどん薄くなっている。しかしなんと日本には溢れて いるではないか、というわけである。いったいバルトが日本で発見したエクリチュール・表徴と は何であったのか。私は「感情・情緒」を熟成する思考のプロセスではないかと考える。バルト は枯山水の日本庭園に、仏教の悟りに、俳句の思索にはっきりとそれを認めるのである。日本語 を母語とし、日本文化の中で呼吸する者にはおぼろげに浮かび上がってくるものがある。まどみ ちおの詩を思い出す。「いわずにおれなくなる」という詩である。「いわずにおれなくなる こと ばでしかいえないからだ いわずにおれなくなる ことばではいいきれないからだ いわ ずにおれなくなる ひとりでは生きられないからだ いわずにおれなくなる ひとりでしか生 きられないからだ」。ことばは常にこの思い、この苦しみの中から一人一人の人間によって吐き 出され、いつも新しく生まれてくる。生きたことばとはそういうもので、これが失われたらもは やそれは干からびたただの記号となり、人を繋ぎ、大事な何かをそれで演出する道具とはなりえ ない、ということである。 (3) 「思う」と「考える」の間 「エクリチュール」とは「生きた言葉」でその言語集団が共有している「象徴的な感情・情緒 の熟成」である、と述べた。それぞれの文化の代表的な感情ゲル、ということもできる。「こと ばを生きる」とはひとりひとりの人間が自己の人生に重ねて日々思い悩む、つまり思考する過程 において、そこ(感情ゲル)からくみ取り、またそこに注ぎ返す、そんな営みをいうのではない かと思う。個人的な自覚や意識のあるなしに拘わらずある言語集団にはある種の気分や感情、あ るいはものの見方感じ方に関する共通項の泉があり、それをいつも涸らさないことがおそらくこ とばの生活にとって最も肝心なことなのかもしれない。 日本語が、言文一致と標準語の変革から、まだ未熟な言語であることは認めなければならない だろう。それを踏まえて戦後の日本語のひとつの傾向に、「思う」と「考える」の多用(化)が
あるように思う。とくに書きことばで自己の意見や思想を表現しようとするときそれは重複しな いように語尾につけられる。この小論においても然りであるが、内実が明々白々の事実であるな らばつけずに言い切ることもある。しかし自分の思いの吐露であったり自分の感情や欲求にまみ れた意見であったり、はたまた思索途中の未完な思想であったりすれば、自ずと語尾は不安定に なる。それに日本文化の慣習・癖で謙譲の意識も働く。昔の手紙文、「候う」のリメイクだろうか。 おそらくそんなこんなであるときは「思う」で、あるときは「考える」で文章を括るようになっ てきたものであろう。主語の銘記のあるなしや、語尾の括り・まとめの頼りなさは日本語の宿命 かもしれないが、グローバル化の流れに添えばできるだけ文章を安定させる意味でも、それらは 大事なポイントになるのではないかと考える。では一体その「大事なポイント」とは何だろうか。 この小論において考察してきた日本語の特徴を踏まえて言うなら、「思う」は「エクリチュール」 関連、「考える」は「漢字」を前にした時の「音・訓二重読み」関連だろうか。 「言葉には、紡ぎ出す言葉と、織りなす言葉がある」とは誰のせりふであっただろうか。人間は 言葉で「考え・思う」生き物である。しかし思いをまとめる言葉に2つのレシピがあり、無意識 にどちらかを選んでその作業に臨んでいる。まとまらない思いをスッキリさせてくれる「ことば 探し」と、意味を組み立てて「ことばに思いを代弁させようとする試み」と、である。国語学の 中村明が「じっくり…」が「考える」で、「一瞬」が「思う」だといっている。「頭である時間をか けて行う理知的な思考」と「心に瞬間的に浮かぶ情緒的判断」の違いとも。そして彼はその根拠に、 井伏鱒二の小説『鯉』の一文「不安に思ったのか、暫く考えた後で」をとりあげて、「それぞれ の動詞の置き換えが利かない」ことを指摘している。もっとこのような分析や研究がほしいもの である。中村の指摘は文中での使用だが、文の括りの場合はかなり思惟的であり、それがまた日 本語の曖昧さを助長している感じもある。まずは語尾の安定を模索していかなければならない。 おわりに 言語学や国語学を研究する立場でもないのに、読みかじり、消化不良な知識を集めてあえて日本 語について考えてみたわけである。いつものことながら書いてみると納得・満足よりも新たな課題 や調査の必要ばかりが目につく。どの章も尻切れトンボの感じが否めない。それでもあえて挑戦、 の裏には、七十代半ばにさしかかって後がないというちょっとの焦りと、末期状態の悲鳴があちこ ちから聞こえてくる現代文明の状況である。今朝の新聞(19.5.22朝日)に「人間の細胞 拒絶し ないブタ」という小さな記事が載せられていた。人間の臓器をブタに造らせる研究の成果だという。 「豚は臓器のサイズが人間に近いため、iPS細胞を使って、体内で人間の移植用の臓器をつくる 研究がすすめられて」おり、慶応大学のチームが脾臓と胸腺をとり出したブタでそれに成功した、 という内容であった。拒絶反応を出さないでヒトの臓器をつくるブタの話である。遺伝子の組み換 えや遺伝子検査が産業化され、科学的知見と営利活動の間にあるべきチェックがどんどんおかしく なってきている。たまに国会中継や政治討論など聴いていると、無味乾燥な意味記号の応酬で、聞 くに堪えない状況である。話しことばから[taste]や[texture]が失われたら、も うお終いである。「話ことば」の日本語をしっかり考えたい。 参考文献 ① 『日本語 語感の辞典』中村明 岩波書店 2010 ② 『表徴の帝国』ロラン・バルト 宗 左近訳 ちくま学芸文庫 1996 ③ 『日本語と日本文化』外山滋比古他 朝日新聞社 昭和53年