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03 特 特集 Kitasato 歓びとともに 輝ける歴史を次代へ 集記念すべき一日の様子を皆様に紹介していく 02 特集 Kitasato 年 11 月 5 日 北里研究所の創立記念日にあたるこの日 北里研究所創立 100 周年 北里大学創立 50 周年の記念式典

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Academic year: 2021

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北里柴三郎が考案した嫌気性菌培養装置 誌名「雷(いかずち)」について 北里柴三郎は生前、その人柄から「ドンネル (ドイツ語で der Donner =雷おやじ)」と呼ばれ、多くの門下生の畏敬と信頼を集めていました。 常に厳格な姿勢で学問追究に取り組んだ北里のスピリットを象徴する 言葉として、「雷(いかずち)」を本誌タイトルとしました。

THE KITASATO INSTITUTE MAGAZINE

No.15 いかずち

THE KITASATO INSTITUTE

MAGAZINE

2014.02

学校法人 北里研究所 広報誌     No.15 ー未来科学の創造ー 2012年 北里大学創立50周年 2014年 北里研究所創立100周年 発行日/ 2 014年 2 月1日 発行/学校法人 北里研究所  企画・編集/学校法人 北里研究所 総務部広報課 〒108-8641 東京都港区白金 5-9-1 TEL03-3444-6161(代) E-mail:ikazuchi@kitasato-u.ac.jp http : //www.kitasato.ac.jp 本誌掲載記事・写真の無断転載、複写を禁止します。

【特集】Kitasato100 × 50

歓びとともに、輝ける歴史を次代へ

[未来のトビラ]

臨床の最前線を拠点に、心血管病の再発予防をめざす

シルクロードの国に、精神看護の種を蒔く

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03 特集 【特集】Kitasato100 × 50

歓びとともに、輝ける歴史を次代へ

北里逍遥 新北里大学病院(相模原キャンパス) 未来のトビラ - 1ー最先端の研究現場からー 臨床の最前線を拠点に、 心血管病の再発予防をめざす 北里大学医療衛生学部・大学院医療系研究科 准教授 北里大学医学部 特任准教授 東條美奈子 未来のトビラ - 2ー最先端の研究現場からー シルクロードの国に、精神看護の種を蒔く 北里大学看護学部 教授 出口禎子 これ我が学問なり 人生も研究も、うまくいかない時の 努力こそが成長の糧になる 北里大学薬学部長 伊藤智夫 北里 DNAー北里の遺伝子を継ぐ者たちー 大切なことは、まず行動し、 その場でベストを尽くすこと ネクストスタンダード代表  マグロ船式 人材コンサルタント/研修講師 齊藤正明さん キタサトピックス 柴三郎のキセキ 血清療法確立の道を拓いた 破傷風菌の純粋培養装置 02 12 14 16 18 20 22 23 C O N T E N T S

歓びとともに、輝ける歴史を次代へ

【特集】Kitasato100 × 50

2013年11月5日、北里研究所の創立記念日にあたるこの日、

北里研究所創立100周年・北里大学創立50周年の記念式典、記念講演会、記念祝賀会が、

多くの北里関係者および各界からの来賓の方々を集めて盛大に催された。

学祖・北里柴三郎が私費を投じて研究所を開設して以来、

わが国の生命科学の発展とともに歩んできた北里。

その輝かしい歴史を振り返りつつ、次代へのさらなる飛躍の決意を新たにした、

記念すべき一日の様子を皆様に紹介していく。

K ita sa to 10 0 × 50

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念 な が ら 欠 席 だ っ た が 、 ご 本 人 よ り 届 い た 祝 福 の メ ッ セ ー ジ が 総 合 司 会 の 根 本 美 緒 氏 に よ り 代 読 さ れ た 。 祝 福 は 音 楽 の 感 動 と と も に   そ の 後 、 ス テ ー ジ に は 北 里 大 学 北 里 会 文 化 会 の 合 唱 団 と 交 響 楽 団 が 登 壇 。 北 里 大 学 創 立 50周 年 を 記 念 し て 2 0 1 2 年 11 月 に 完 成 し た 校 歌 「 生 い の ち 命 の 北 ほ く し ん 辰 」 を 、 作 曲 ・ 編 曲 者 で あ る 千 住 明 氏 の 指 揮 の も と 披 露 し た 。 客 席 最 前 列 に は 同 曲 の 作 詞 者 で あ る 俳 人 の   ま ど か 氏 も 列 席 。 日 本 最 高 峰 の ホ ー ル で 、 現 代 日 本 を 代 表 す る 作 曲 家 の タ ク ト に よ り 演 奏 さ れ る 壮 大 な 調 べ に 合 わ せ て 北 里 大 学 関 係 者 も 合 唱 。 ホ ー ル は 一 体 感 に 包 ま れ た 。 演 奏 終 了 後 に は 、 北 里 大 学 の 岡 安 勲 学 長 が 式 典 第 一 部 の 閉 会 を 告 げ た 。   短 い 休 憩 を は さ ん で 始 ま っ た 式 典 第 二 部 は 、 一 流 音 楽 家 に よ る 贅 沢 な リ サ イ タ ル の ひ と と き 。 一 人 目 は 数 々 の 有 名 オ ペ ラ に 出 演 す る 注 目 の ソ プ ラ ノ 歌 手 、 小 林 沙 羅 氏 が 登 場 。 透 き 通 っ た 歌 声 が ホ ー ル に 響 き わ た っ た 。 続 い て 国 際 的 に 活 躍 す る ト ッ プ ヴ ァ イ オ リ ニ ス ト 、 千 住 真 理 子 氏 が ス テ ー ジ に 立 ち 、見 事 な 演 奏 で 来 場 者 を 魅 了 し た 。 盛 大 な 拍 手 と ブ ラ ボ ー の 声 と と も に リ サ イ タ ル は 終 演 。 来 場 者 の 胸 に 感 動 の 余 韻 を 残 し つ つ 、 記 念 式 典 は そ の 幕 を 下 ろ し た 。 04 05 特集 特集 1 0 0 0 名 以 上 が 集 ま っ た 記 念 す べ き 日   穏 や か な 秋 晴 れ に 恵 ま れ た 2 0 1 3 年 11月 5 日 、 東 京 都 千 代 田 区 に あ る 東 京 国 際 フ ォ ー ラ ム ・ ホ ー ル A に お い て 、 北 里 研 究 所 創 立 1 0 0 周 年 ・ 北 里 大 学 創 立 50周 年 の 記 念 式 典 が 行 わ れ た 。 こ の セ レ モ ニ ー は 2 0 1 0 年 4 月 よ り オ ー ル 北 里 体 制 で 進 め ら れ て き た 創 立 記 念 事 業 プ ロジ ェ ク ト の 中 核 行 事 と な る も の で 、 北 里 研 究 所 の 各 キ ャ ン パ ス の 教 職 員 、 学 生 ら 約 90名 が 、 運 営 ス タ ッ フ と し て 数 ヶ 月 前 よ り 準 備 に 取 り 組 み 、 こ の 日 の 開 催 に 臨 ん だ 。   当 日 、 ホ ー ル 前 の ロ ビ ー に は 北 里 の 過 去 か ら 現在 ま で を パ ネ ル で 紹 介 す る コ ー ナ ー や 、 北 里 柴 三 郎 と 恩 師 の 胸 像 、 各 種 資 料 ・ グ ッ ズ の 配 布 コ ー ナ ー も 設置 。 ホ ー ル 内 で は 入 念 な リ ハ ー サ ル が 繰 り 返 さ れ 、 万 全 の 態 勢 で オ ー プ ニ ン グ の 瞬 間 を 迎 え た 。   正 午 の 開 場 と と も に 会 場 に は 卒 業 生 や 在 校 生 と そ の 父 母 、 教 職 員 を は じ め 、 官 公 庁 ・ 関 連 大 学 ・ 企 業 関 係 者 な ど 多 く の 来 賓 が 続 々 と 来 場 。 旧 知 の 友 や 師 弟 同 士 が 再 会 を 喜 び 合 う シ ー ン も あ ち こ ち で 見 ら れ 、 式 典 の 祝 祭 ム ー ド は に わ か に 高 ま っ た 。   ス テ ー ジ の 正 面 と 左 右 に 設 置 さ れ た 3 面 の 大 型 ス ク リ ー ン で は 、 開 会 前 よ り 、 こ の 日 の た め に 制 作 さ れ た 記 念 映 像 「 未 来 科 学 の 創 造 」と メ ッ セ ー ジ ム ー ビ ー を 上 映 。 北 里 の 歩 み を 振 り 返 る と と も に 、 北 里 大 学 卒 業 生 や 教 職 員 か ら の メ ッ セ ー ジ が 公 開 さ れ た 。   午 後 1 時 、 北 里 研 究 所 の 藤 井 清 孝 理 事 長 の 挨 拶 で 式 典 は ス タ ー ト 。 初 め に 北 里 柴 三 郎 の 時 代 か ら 深 い 関 係 で 結 ば れ て い る ド イ ツ 国 立 ロ ー ベ ル ト ・ コ ッ ホ 研 究 所 所 長 の ラ イ ン ハ ル ト ・ ブ ル ガ ー 氏 、 慶 應 義 塾 長 の 清 家 篤 氏 、 東 京 大 学 医 科 学 研 究 所 所 長 の 清 野 宏 氏 の 3 名 の 来 賓 よ り 祝 辞 を い た だ い た 。 ま た 、 来 場 が 予 定 さ れ て い た 安 倍 晋 三 内 閣 総 理 大 臣 は 公 務 の た め に 残 ■出席者数:1,031 名 ■来賓氏名(登壇された方) ロー ベルト・コッホ 研 究 所 所 長 Reinhard Burger 氏/ローベルト・コッホ研究所所長夫人 Regine Burger 氏/慶應義塾長 清家 篤氏 /東京大学医科学研究所所長 清野 宏氏/ ドイツ大使代理:公使 Claus Auer 氏/慶應 義塾大学医学部長 末松 誠氏/北里研究所 評議員会議長 寺島 福秋氏/北里大学 PPA 会長 浅子 修氏/北里大学同窓会会長 長 屋 信博氏 北里研究所創立 100 周年・ 北里大学創立 50 周年記念式典 ドイツ国立ローベルト・コッホ研究所所長ラインハルト・ブルガー 氏「北里研究所とコッホ研究所は今日においても特別なパート ナーです。それぞれの研究所の創始者の発見や功績を見つめる ことは、自分たちの仕事の目標や刺激となるでしょう」 校歌の作曲・編曲者である千住明氏。2012 年の初演に引き続き、 今回も北里大学学生による演奏を指揮した 千住真理子氏は、「アメイジング・グレイス」ほか国内外の名曲を、 愛器ストラディバリウスで演奏し聴衆を魅了 ウィーン在住のソプラノ歌手、小林沙羅氏はシューベルトの「野 ばら」など 5 曲を美しい歌声で披露 慶應義塾長 清家 篤氏 「私たち慶應義塾大学の医学部には、福澤諭吉先生と北里柴 三郎先生の二人の理念が継承されています。今後も両校が連携 しながら、医学の発展に貢献できることを願っています」 東京大学医科学研究所所長 清野 宏氏 「北里研究所と北里大学、慶應義塾大学医学部、東京大学医 科学研究所は、北里柴三郎先生を創立者として仰ぐ『Greater Kitasato Family』として、協力していきたいと思います」 K ita sa to 10 0 × 50 K ita sa to 10 0 × 50

節目を祝して

大いなる歴史の

晴れやかに、

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06 07 特集 特集

次代を拓く者たちへメッセージを発信

科学未来フォーラム

〜世界の人々に役立つ薬を日本から〜

記念式典に引き続き、東京国際フォーラム・ホールAにおいて学校法人北里研究所主催・朝日新聞社共催による記念講演会 「科学未来フォーラム〜世界の人々に役立つ薬を日本から〜」が開催された。 前半は、北里大学特別栄誉教授で多くの有用抗生物質を発見した功績を持つ大村智氏と、 大阪大学免疫学フロンティア研究センター教授でインターロイキン(IL-6)の発見などで知られる岸本忠三氏による基調講演。 後半は、この2名によるトークセッションが行われ、来場者は真摯に語られる貴重なメッセージに熱心に耳を傾けた。   微 生 物 の 中 に は 、 感 染 症 を 引 き 起 こ す 厄 介 な も の も あ り ま す が 、 多 く は 河 川 の 浄 化 や 耕 地 の 肥 沃 化 に 役 立 っ た り 、 人 の 体 に ビ タ ミ ン や 養 分 を 供 給 し た り す る な ど の 良 い 働 き を し ま す 。 ま た 、 微 生 物 が 作 り だ す 制 限 酵 素 は 分 子 生 物 学 の 発 展 に 多 大 な 貢 献 を し て い ま す し 、 ペ ニ シ リ ン の よ う な 抗 生 物 質 は 多 く の 命 を 救 っ て き ま し た 。 現 代 の 多 く の 医 薬 は 微 生 物 が 作 る 化 合 物 を も と に 開 発 さ れ て い ま す 。   私 た ち の グ ル ー プ は こ れ ま で に 12属 、 53種 の 新 し い 微 生 物 を 見 つ け 、 そ こ か ら 4 7 1 種 類 の 化 合 物 を 分 離 し 、 構 造 決 定 し ま し た 。 こ の う ち 26の 化 合 物 が 医 薬 品 や 農 薬 、 研 究 用 化 合 物 と し て 世 界 中 で 使 わ れ て い ま す 。   そ の ひ と つ で あ る エ バ ー メ ク チ ン は 、 1 9 7 9 年 に ア メ リ カ の メ ル ク 社 と の 共 同 研 究 で 見 つ け た も の で 、 そ の 誘 導 体 の イ ベ ル メ ク チ ン は 当 時 は 珍 し い 動物 専 用 の 薬 と し て 世 に 出 ま し た 。 注 射 一 回 で 動 物 の 体 内 の 寄 生 虫 を ほ ぼ 1 0 0 % 駆 除 で き 、 フ ィ ラ リ ア 退 治 の 特 効 薬 と し て 、 ま た 、 牛 の ダ ニ の 駆 除 薬 と し て も 大 ヒ ッ ト し ま し た 。   さ ら に 、 こ の 薬 は 思 わ ぬ 力 を 持 っ て い ま し た 。 ブ ヨ に よ っ て 人 に 感 染 し て か ゆ み を 生 み 、 や が て 失 明 に 至 ら せ る オ ン コ セ ル カ 症 と い う 病 気 が ア フ リ カ や 中 南 米 に 蔓 延 し て い た の で す が 、 そ の 予 防 と 治 療 に 非 常 に 有 効 だ っ た の で す 。 ま た 、 蚊 に よ っ て 媒 介 さ れ る リ ン パ 系 フ ィ ラ リ ア 症 に も 抜 群 の 薬 効 を 示 し ま し た 。 2 0 1 2 年 に は オ ン コ セ ル カ 症 で 1 億 1 6 0 0 万 人 、 リ ン パ 系 フ ィ ラ リ ア 症 で 1 億 5 0 0 0 万 人 に こ の 薬 が 投 与 さ れ て お り 、 根 絶 に 向 け て 多 大 な 成 果 を 上 げ て い ま す 。   私 た ち は 薬 を 探 し 出 す だ け で な く 、 ゲ ノ ム 解 析 な ど の 基 礎 研 究 に も 力 を 入 れ て い ま す 。 過 去 20 年 間 で 私 た ち が 見 つ け た 化 合 物 か ら 6 つ を 選 ん で 調 べ て み る と 、 こ れ ら を 使 っ て 研 究 し た 学 術 論 文 が 年 間 平 均 1 2 4 9 報 も発 表 さ れ て い ま す 。 こ の 数 字 は 微 生 物 の 作 る 薬 が い か に サ イ エ ン ス に 貢 献 し て い る か を 物 語 る も の と 言 え る で し ょ う 。   抗 体 を 用 い た 治 療 は 、 多 く の 免 疫 難 病 の 患 者 を 救 う と と も に 、 さ ま ざ ま な が ん に 対 し て も 行 わ れ て い ま す 。 こ う し た 医 療 の 起 源 は 1 2 0 年 前 の 北 里 柴 三 郎 ら に よ る 抗 体 の 発 見 に あ り 、 そ の 後 、 そ の 構 造 の 解 明 な ど を 経 て 抗 体 薬 が 実 用 化 し ま し た 。 21世 紀 の 薬 の 半 分 以 上 は 抗 体 薬 に な る と も 言 わ れ て い ま す 。   私 が 免 疫 学 の 研 究 を 始 め た 頃 は 、 な ぜ 抗 体 は で き る の か を 解 明 す る こ と が 中 心 課 題 で し た 。 私 た ち は 、 免 疫 の 働 き を つ か さ ど る 細 胞 は リ ン パ 球 で あ り 、 T リ ン パ 球 が B リ ン パ 球 に 指 令 を 出 し て 抗 体 が 作 ら れ る こ と を 突 き 止 め ま し た 。 そ の 指 令 す る 分 子 が 「 イ ン タ ー ロ イ キ ン 6 ( I L |6 )」 で す 。   こ の I L |6 を 調 べ る と 、 肝 臓 の 細 胞 に 働 い て 急 性 期 タ ン パ ク を 作 っ た り 、 体 の 健 康 に 欠 か せ な い ア ル ブ ミ ン の 生 成 を 止 め た り す る な ど 、 さ ま ざ ま な 細 胞 に 多 様 な 機 能 を 発 揮 す る こ と が 分 か り ま し た 。 関 節 リ ウ マ チ 患 者 の 関 節 炎 で は 大 量 の I L |6 の 産 生 が 見 ら れ 、 骨 が 吸 収 さ れ る ほ か 、 い ろ い ろ な 自 己 免 疫 性 疾 患 に 深 く 関 係 し て い た の で す 。   そ こ で 私た ち は 、 I L |6 を ブ ロ ッ ク す れ ば 治 療 に つ な が る と 考 え 、 そ の 受 容 体 に 対 す る 抗 体 を 作 り ま し た 。 こ れ を 大 手 製 薬 会 社 が 実 用 化 し た 薬 は l 0 0 カ 国 以 上 で 承 認 さ れ 、 売 り 上 げ は 年 間 1 0 0 0 億 円 に も 上 り ま し た 。 現 在 、 関 節 リ ウ マ チ を は じ め 、 若 年 性 特 発 性 関 節 炎 、 キ ャ ッ ス ル マ ン 病 な ど 多 く の 疾 患 治 療 に 使 わ れ て い ま す 。 ま た 、「 な ぜ I L |6 を ブ ロ ッ ク す る と 病 気 が 治 る の か 」 な ど メ カ ニ ズ ム の 解 明 は 課 題 で し た が 、 こ れ に 関 し て も 、 こ こ 5 ~ 10年 の 研 究 で 明 ら か に な り つ つ あ り ま す 。   「 ノ ー ベ ル 賞 級 の 仕 事 を し て も 教 科 書 に 一 行 残 る だ け だ が 、 人 を 育 て れ ば 自 分 の 考 え は 拡 大 再 生 産 さ れ る 。 だ か ら 人 を 育 て る の だ 」 と は 私 の 恩 師 の 言 葉 で す 。 こ の 研 究 を 通 し て 、 薬 と と も に 、 優 れ た 研 究 者 が 育 っ て く れ た こ と は 私 の 喜 び で す 。

微生物の力を人類の福祉と健康のために

免疫難病治療への新しい時代の到来

おおむら・さとし/山梨大学学芸学部卒業。東京理科大学大学院理学研究科修士課程 修了。1965年北里研究所入所。熱帯病のオンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の特 効薬イベルメクチンをはじめ数々の抗生物質・生物活性物質の発見で世界的に知られる。 遺伝子操作による新規化合物の創製など、世界に先駆ける研究にも精力的に取り組み、 この分野の発展に貢献。ヘキスト・ルセル賞、日本学士院賞など受賞多数。2012年文化 功労者。日本学士院会員。 北里大学特別栄誉教授

大村 智

きしもと・ただみつ/大阪大学大学院医学研究科博士課程修了。日米を拠点に一貫して 免疫学の研究に取り組み、インターロイキン6(IL-6)を発見。研究を発展させた成果を、 世界 100カ国以上で使われる抗体医薬(トシリズマブ)の開発につなげる。大阪大学総 長ほか、総合科学技術会議議員、千里ライフサイエンス振興財団理事長などの要職を歴 任。朝日賞、恩賜賞・日本学士院賞をはじめ国内外で数多くの栄誉を受ける。1998年文 化勲章受章。日本学士院会員。 大阪大学免疫学フロンティア研究センター教授

岸本 忠三

トークセッション

「若手研究者へのメッセージ」

―― 大 村 先 生 は 微 生 物 、 岸 本 先 生 は 抗 体 と 、 い ず れ も 北 里 柴 三 郎 が 切 り 拓 い た 分 野 を 大 き く 発 展 さ せ た 研 究 者 で す 。 お 二 人 が そ れ ぞ れ の 道 に 進 ん だ き っ か け は ? 大 村   最 初 は 北 里 研 究 所 で物 質 の 構 造 解 析 を し て い た の で す が 、 他 人 が 見 つ け て き た も の を 研 究 す る よ り 、 ま ず 、 自 分 で 新 し い も の を 発 見 し た い と 思 っ た こ と が 転 機 で し た 。 周 囲 は 微 生 物 学 や 医 学 の 関 係 者 が 多 か っ た の で 、 化 学 を や っ て き た 自 分 の 力 を 活 か す 余 地 が あ る と 感 じ た の で す 。 岸 本   私 は 学 生 時 代 に 内 科 の 講 義 を 受 けた 山 村 先 生 の 影 響 が 大 で す 。 ま た 、 当 時 の 医 学 界 で は 内 分 泌 学 が 脚 光 を 浴 び て い ま し た が 、 み ん な と 同 じ こ と を や っ て も 大 変 だ と い う 思 い も あ り 、 そ の 後 、 免 疫 学 の 権 威 で あ る 石 坂 公 成 先 生 の も と で 研 究 を す る こと に し た の で す 。 ―― 研 究 者 に と っ て 、 師 と の 出 会 い は 重 要 で す か ? 大 村   は い 。 道 元の 言 葉 に 「 正 師 を 得 ざ れ ば 学 ば ざ る に し か ず 」 と い う 言 葉 も あ り ま す 。 私 が 思 う 良 い 先 生 と は 、研 究 業 績 は も ち ろ ん 、 人 柄 が 優 れ て い て 、 誠 実 さ と 熱 意 、 思 い や り が あ る こ と 。 私 の 恩 師 の マ ッ ク ス ・ テ ィ シ ュ ラ ー 教 授 は す べ て を 備 え た 人 で し た 。 岸 本   自 分 に 合 う 先 生 は 、 大 学 で は 講 義 を 通 じ て 知 る こ と が で き ま す 。 私 も 自 分 が 教 授 に な っ て か ら は 講 義 を 大 切 に し ま し た し 、 そ こ で 熱 心 に 話 し を 聞 く 学 生 は 、 う れ し い こ と に 私 の 教 室 に 入 っ て き ま し た ね 。 ―― 北 里 柴 三 郎 は 実 学 の 重 要 性 を 説 い て い ま す が 、 お 二 人 も そ れ を 意 識 し ま す か ? 大 村   私 は 子 ど も の 頃 、 祖 母 に 繰 り 返 し 「 人 の た め に な る こ と を し な さ い 」 と 言 わ れ て 育 ち ま し た 。 だ か ら 、 人 の 役 に 立 つ 成 果 を 上 げ た い と 常 に 考 え て い ま す 。 そ れ を 目 指 し て 独 自 の 研 究 を す れ ば 、 失 敗 し て も 、 必 ず 宝 に な り ま す し 。 岸 本   自 分 は 逆 に 、 役 に 立 つ か ど う か よ り 、「 ど う し て 抗 体 が で き る の か 」 と い っ た 基 本 的 な こ と に 関 心 を 持 ち ま し た 。 意 識 せ ず と も 正 し い こ と を や っ て い れ ば 、 い つ か 役 に 立 つ の で は と 思 い ま す ね 。 ―― 大 村 先 生 は 国 際 的 産 学 連 携 の 先 駆 け で も あ り ま す が 、 大 学 に と っ て 産 学 連 携 で 重 要 な こ と は ? 大 村   大 学 は や は り 基 礎 研 究 が 大 切 。 私は応 用 研 究 ば か り や っ て い る よ う に 思 わ れ る かも し れ ま せ ん が 、 実 は 半 分 は 基 礎 研 究 で す 。 基 礎 と 応 用 の 人 が デ ィ ス カ ッ シ ョ ン す る こ と で 互 い に プ ラ ス に な る と 思 い ま す 。 岸 本   大 学 は 無 駄 と 思 わ れ る 取 り 組み の 中 か ら 、 思 い がけ な い 成 果 を 生 み だす 場 所 で も あ り ま す 。 目 先 の 成 果 に と ら わ れ て 同 じ よ う な 研 究 を し て も 、 い い も の は 出 て こ な い で し ょ う 。 ―― 最 後 に 、 今 後 へ の 期 待 も 込 め て 若 者 へ の メ ッ セ ー ジ を 。 大 村   若 手 に 期 待 で き る こ と が あ っ た ら 、 私 がや っ て い ま す が ( 笑 )。 そ れ は さ て お き 、 ひ と つ 言 え る の は 、 自 然 はさ ま ざ ま な 可 能 性 を 秘 め て い る と いう こ と 。 自 然 を よ く 見 つ め る こ と が 大 切 で す 。 岸 本   世 の 中 に 治 ら な い 病 気 は た く さ ん あ り 、 や る べ き 研 究 も ま だ ま だ あ り ま す 。 ど う ア プ ロ ー チ す る か は そ れ ぞ れ の 発 想 次 第 だ と 思 い ま す 。 登壇者:大村 智氏、岸本忠三氏 コーディネーター:朝日新聞社科学医療部編集委員 田村建二氏 K ita sa to 10 0 × 50 K ita sa to 10 0 × 50

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08 09 特集 特集 帝 国 ホ テ ル に て 記 念 祝 賀 会 を 挙 行   記 念 式 典 の 行 わ れ た 日 の 夕 刻 か ら は 、 帝 国 ホ テ ル 東 京 の 孔 雀 の 間 に お い て 大 規 模 な 記 念 祝 賀 会 が 催 さ れ た 。 会 場 前 に は 届 け ら れ た 祝 い の 花 が 列 を 成 し て 飾 ら れ 、 来 賓 と 北 里 関 係 者 を 合 わ せ て 8 0 0 名 以 上 を 数 え た 出 席 者 を 華 や か に 迎 え た 。   午 後 6 時 過 ぎ 、 和 や か な ム ー ド の 中 、 藤 井 清 孝 理 事 長 の 挨 拶 で 会 は ス ター ト し た 。 会 場 中 央 の ス テ ー ジ に 、 ま ず 登 壇 し た の は 、 北 里 と 深 い 関 係 に あ る 3 名 の 来 賓 。 ド イ ツ 国 立 ロ ー ベ ル ト ・ コ ッ ホ 研 究 所 所 長 の ラ イ ン ハ ル ト ・ ブ ル ガ ー 氏 、 日 本 医 師 会 会 長 の 横 倉 義 武 氏 、 慶 應 義 塾 大 学 医 学 部 長 の 末 松 誠 氏 か ら 、 温 か な 祝 い の ス ピ ー チ が 贈 ら れ た 。   続 い て 行 わ れ た の は 、 学 校 法 人 北 里 研 究 所 / 北 里 大 学 と ド イ ツ 国 立 ロ ー ベ ル ト ・ コ ッ ホ 研 究 所 の 学 術 交 流 協 定 更 新 の 調 印 式 。 両 機 関 は 1 9 8 8 年 に 交 流 を開 始 し 、 2 0 0 8 年 に 学 術 交 流 協 定 を 締 結 、 5 年 後 の 今 回 、 更 新 す る 運 び と な っ た 。 コ ッ ホ 研 究 所 所 長 の ラ イ ン ハ ル ト ・ ブ ル ガ ー 氏 と 藤 井 清 孝 理 事 長 、 岡 安 勲 学 長 が 署 名 を 終 え て 学 術 交 流 協定 調 印 書 を 高 く 掲 げ る と 、 出 席 者 か ら は 大 き な 拍 手 が 沸 き 起 こ っ た 。 北 里 ら し い 演 出 で 、 温 か く お も て な し   そ の 後 、 北 里 大 学 特 別 栄 誉 教 授 で 北 里 柴 三 郎 記 念 会 会 長 の 大村 智 氏 の 発 声 に よ り 、 全 員 で 高 ら か に 乾 杯 。 会 場 は 賑 や か な 交 歓 の 空 気 に 包 ま れ た 。 こ の 乾 杯 の グ ラ ス に 注 が れ た ビ ー ル は 、 岩 手 県 の 三 陸 キ ャ ン パ ス にあ る 北 里 大 学 感 染 制 御 研 究 機 構 釜 石 研 究 所 の ス タ ッ フ が 、 国 の 天 然 記 念 物 の 石 割 桜 ( 盛 岡 市 ) か ら 採 取 し た 酵 母 を 使 っ て 醸 造 さ れ た 「 福 ふくこう 香 ビ ー ル 」。 そ こ に は 東 北 復 興 へ の 願 い が 込 め ら れ て い る 。 ま た 、会 場 で は 北 海 道 八 雲 町 に あ る北 里 大 学 獣 医 学 部 附 属 フ ィ ー ル ド サ イ エ ン ス セ ン タ ー 八 雲 牧 場 で 、 牧 草 の み で 育 て ら れ た 安 全 ・ 安 心 な 牛 「北里 八 雲 牛 」 を 使 っ た 肉 料 理 も 振 る 舞 わ れ た 。” 北 里 に し か 作 れ な い“ こ れ ら 本 物 の 味 わ い は 、 参 加 者 か ら 大 好 評 を 博 し た 。   あ ち こ ち に 歓 談 の 輪 が 広 が っ た 会 場 で は 、 大 型 ス ク リ ー ン に 北 里 の 歩 み を ま と め た V T R が 映 し 出 さ れ 、 懐 か し い シ ー ン や 変 貌 す る キ ャ ン パ ス の 姿 に 多 く の 人 が 見 入 っ た 。   宴 も 終 盤 に 差 し 掛 か っ た 頃 、 会 場 を 盛 り 上 げ た の は 北 里 大 学 の 現 役 学 生 に よ る エ ン タ ー テ イ メ ン ト プ ロ グ ラ ム だ 。 最 初 に 登 場 し た の は 、 北 里 会 文 化 会 所 属 の 団 体 「 ハ ン ド ベ ル ク ワ イ ヤ 」 の 男 女 14名 。 ハ ン ド ベ ル の 美 し い 音 色 で 、 息 の 合 っ た 演奏 を 聴 か せ て く れ た 。 続 い て 北 里 会 体 育 会 チ ア リ ー デ ィ ン グ 部 「 A M U S E 」 の メ ン バ ー が 元 気 な 掛 け 声 と と も に 現 れ 、 ス テ ー ジ 上 で は つ ら つ と 躍 動 。 会 場 は 大 い に 盛 り 上 が っ た 。   こ の 学 生 た ち の パ フ ォ ー マ ン ス で 、 セ レ モ ニ ー の プ ロ グ ラ ム は す べ て 終 了 。 最 後 に 来 場 者 全 員 が 集 ま っ て 記 念 撮 影 を 行 い 、 北 里 の 歴 史 の 1 ペ ー ジ を 飾 る 晴 れ や か な 日 を 、 た く さ ん の あ ふ れ る 笑 顔 で 締 め く く っ た 。

祝福に包まれた、

上/ドイツ国立ローベルト・コッホ研究所所長  ラインハルト・ブルガー氏(中央) 「コッホ博士も宿泊した由緒あるホテルで、多くの友人に再会 でき嬉しい限りです。私たちも『Large Extended Kitasato Family』の一員として、記念すべき日をお祝いしたいと思います」 左/日本医師会会長 横倉 義武氏 「医学、薬学、看護学、医療衛生学、獣医学、海洋生命科 学、理学といったさまざまな医療分野における教育と医学研 究を担う学校法人北里研究所は、今後の日本の医療を担い、 築いていく大きな力になると確信しています」 右/慶應義塾大学医学部長 末松 誠氏 「北里研究所・北里大学、東京大学医科学研究所、慶應義 塾大学医学部が、それぞれの特長を最大限に生かしつつ、 さまざまな課題に立ち向かう強力なチームとして一致団結して いけるよう願っています」 K ita sa to 10 0 × 50 K ita sa to 10 0 × 50

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10 11 特集 特集

2012年度

 

■記念シンポジウム 2012年 10 月 21 日、白金キャンパスにおいて「近代医学の父 ― 北里柴三 郎」をテーマとする記念シンポジウムを開催しました。作家や学者など 6 名 のシンポジストを招いて、講演会と討論会を実施し、その模様は同年 11 月 24 日の朝日新聞にも掲載されました。 ■校歌の制作、発表、CD 作成 北里大学創立 50 周年を記念して、念願だった北里大学校歌「生い の ち命の北ほくしん辰」 を制定しました。作詞は俳人の まどか氏、作曲・編曲は作曲家の千住明 氏。2012年11月2 日、相模原キャンパスにおいて校歌完成披露発表会を開催 し、千住氏の指揮のもと、学生の演奏、歌唱により初演を行いました。また、 校歌の演奏と映像を収録した CD も作成しました。 ■特設 Web サイト開設 北里の学生や教職員、卒業生などが一堂に会する場として、記念事業サイト 「Respect Life」を開設。北里ゆかりの方たちから近況やエピソードなどのメッ セージを募集、紹介しています。記念事業キャラクター「キタちゃん&サトくん」 がキャンパス各所を訪ねて楽しく紹介するコーナーも人気を呼んでいます。 ■記念切手の発売 北里柴三郎ゆかりの品や写真、古い建物・校舎などをモチーフにした記念 切手を作成し、2012 年 9 月から販売を開始しました。1シートに 10 種類の 絵柄の切手がセットになっており、学内の売店や通信販売で扱っています。 ●その他 2012 年度は、懸賞論文の募集、記念事業キャラクター「キタちゃん&サトく ん」の制作、記念事業フラッグの制作と学内設置なども実施しました。

2013年度 

■記念式典・記念講演会・記念祝賀会 2013 年 11 月 5 日(北里研究所創立記念日)に、東京国際フォーラムにお いて Kitasato100 × 50 周年記念式典および記念講演会「科学未来フォー ラム〜世界の人々に役立つ薬を日本から〜」(朝日新聞社との共催)を開催 しました。また、同日、帝国ホテル東京にて記念祝賀会を挙行しました。 ■記念誌の刊行 2012 年に北里柴三郎特集を組んで好評だった雑誌「東京人」(発行・都市 出版株式会社)の刊行に続き、2013 年 11 月、同じく「東京人」の北里研究 所創立 100 周年・北里大学創立 50 周年特集号「生命科学の開拓者たれ」 を刊行。前号をこえる充実した内容で好評を博しています。 ■野口英世と北里柴三郎展 2013年 5 月 10 日から 19 日に神奈川県の横浜みなと博物館において、「野 口英世と北里柴三郎」展を開催。日本の細菌学の黎明期に偉業を成し遂 げた二人の師弟関係や足跡などを、多くの来場者に紹介しました。 ■その他 2013 年度は、国際水圏メタゲノムシンポジウムの開催、北里大学各部門に おける記念事業との連携の企画、記念グッズの制作、懸賞論文の表彰など も実施しました。 ●白金キャンパス 北里柴三郎記念館の整備 白金キャンパス北里本館内の北里柴三郎記念室を、新たに 「北里柴三郎記念館」の名称で新設予定。北里博士ゆかり の資料も充実させ、日本の医学研究史を学べる施設へと生 まれ変わります。 ●北里柴三郎博士学統 DVD 作成、テレビ放映 北里柴三郎の生涯を再現ドラマと貴重な資料でたどる「近代 医学の父 北里柴三郎〜雷(ドンネル)が私たちに託したもの 〜」と題した映像作品を制作し、2013年10月27日と11月30日 にテレビ放映しました。また、オリジナル映像「未来へ受け継 ぐ北里の学統」を入れてDVD化しました。 ●熊本県阿蘇郡小国町 北里柴三郎記念館の整備 北里柴三郎の故郷、熊本県小国町にある「北里柴三郎記念 館」の改修整備を 3 年計画で実施。2012年、記念館を構成 する 3 つの建物である生家、貴賓館、北里文庫を改修し、 2013年には北里文庫を利用した展示室リニューアルを完了。 2014年には庭園などを改修し、すべての整備計画を終える 予定です。 ●博物館明治村「北里研究所本館・医学館」の整備と「北里 柴三郎記念展」の開催 1915年に現・港区白金に建てられ、1980年に愛知県犬山市の 博物館明治村に移築された「北里研究所本館・医学館」の内 外装を、2010年に博物館明治村と共同で整備。リニューアル 終了後、同館内で「北里柴三郎記念展」を開催しました。 ●相模原市立博物館企画展「北里柴三郎展」の開催 2012年11月10日から12月16日に相模原市立博物館にて、北里 柴三郎の学統を紹介する特別記念展「北里柴三郎―伝染病 の征圧は私の使命―」を開催。博士の業績や歩みを伝える資 料やパネル、写真などを展示したほか、特別講演会や北里大 学薬学部の学生の監修による実験教室も実施されました。 ●相模原キャンパスの整備 < L1 号館、MB号館> 2010年、相模原キャンパスに一般教育部棟の機能を担う最 新施設 L1号館が竣工。また、2012年には東日本大震災によ り岩手県の三陸キャンパスから相模原キャンパスに移転した 海洋生命科学部のMB号館が竣工しました。 <新大学病院プロジェクト> 「成長する病院」を基本コンセプトとして、大学病院を最新の 設備を有する超急性期病院に生まれ変わらせる「新大学病院 プロジェクト」が進行中です。2014年5月開院予定の新病院 は特定機能病院として、救命救急・災害医療センター、周産 母子成育医療センター、集学的がん診療センターなどの特色 ある医療と高度先進医療を提供するととともに、地域の中核 病院や災害拠点として機能。最先端のエコ技術を幅広く導入 し、人と環境にやさしい病院を目指しています。 <臨床教育センター棟(仮称)> 北里大学が目標にする「高度なチーム医療を実践できる医療 専門職の育成」を支える全学的な臨床教育を推進するため に、新病院の竣工後に、旧大学病院跡地に臨床教育センター (仮称)の建設を計画しています。 <医療系学部新校舎> 医学部、看護学部、医療衛生学部の医療系 3 学部の学部横 断的な教育をサポートするとともに、臨床教育施設や大学病院 と有機的に連結させることで、より深化した教育・研究を可能に する環境の構築を目指し、新校舎の整備を検討しています。 ●北里研究所感染制御研究・教育基金の創設 北里研究所創立100周年を記念し、新たに「北里研究所感 染制御研究・教育基金」を創設。北里大学の重点施策の一 つである「感染制御」に関する研究・教育のさらなる推進を 図ります。 ●北里大学研究振興基金の拡充 未来の先端的研究を担う若手研究者の活動支援を目的に、 北里大学研究振興基金をさらに充実。生命科学分野におけ るめざましい業績を挙げた研究には資金を重点的に配分し、 その活動を促進します。 ●北里大学教育振興基金の拡充 学ぶ意欲と能力を備えた学生の経済的な負担を軽減するた め、北里大学教育振興基金を拡充。返還義務のない「給付 奨学金」などを大幅に増やしていきます。 ●北里大学学術国際交流基金の拡充と国際化の推進 「国際化教育プログラムの開発」、「留学生及び研究者、研修 生の積極的な派遣・受け入れの促進」、「海外留学生の生活 環境、経済支援などの基盤整備」をさらに進めることで、国 際的に活躍できる優れた研究者・高等専門職業人の育成・輩 出を目指します。 ●白金キャンパス整備計画(法人本部、薬学部) 白金キャンパスでは、薬学部校舎と北里本館の建て替え計画 を進めます。新校舎は、既存校舎との接続性を重視した低層 と高層の2棟で構成され、高層棟は上空へ延び「成長」をイメー ジした北里の新しいシンボルとなります。また、学生が多く集 い、イベントの開催も可能な広場を各棟に面して配置し、ブ リッジを併設して、学生のスムースな移動を可能するなど、高 いアメニティの確保と機能性を両立します。この広場は、備蓄 倉庫などを併設し、災害時の防災拠点としても機能します。 さらに、独立して外部から直接アプローチが可能となる「北 里柴三郎記念館」の整備や、医療系学部の教育、研究、臨 床環境の機能も備えた計画としており、2014年度より 2018 年度まで 3 期に分けて順次実施される予定です。 ●十和田キャンパス整備計画 十和田キャンパスでは、環境整備事業に先駆けて、2011年3 月に「十和田アリーナ」と名付けられた新体育館が完成して います。現在は、2014年6月下旬の竣工を目指して、旧体育 館の跡地を利用した、研究室、実習室、講義室、セミナー室、 管理部門を備える7階建ての校舎と、実習室、講義室、ロッカー 室を備える3階建ての2棟の校舎の建設が進められています。 実習室、講義室は低層階に配置し、学生の安全性、利便性 を考慮しています。 2013 年 11 月 5 日に開催された 「北里研究所創立 100 周年・ 北里大学創立50周年記念講演会」の 来場者から寄せられた、 北里研究所・北里大学に 期待する声をご紹介します。 ◆学祖の残した伝統を継承しつつ、地方と結びついた教育に力を入れてほしい。< 20 代男性> ◆実学の精神を後世にしっかりと伝えていってほしい。< 60 代男性> ◆北里大学から新しい薬が生まれることを楽しみにしています。< 20 代女性> ◆外国人留学生を増やすなど、グローバルに開かれた研究所、大学を目指してほしい。< 50 代男性> ◆難病の治療に役立つ取り組みを基礎研究レベルから進めてほしい。 < 70 代女性> ◆北里柴三郎先生の名に恥じない素晴らしい教育・研究の推進を望みます。< 40 代男性> ◆これからも、一般人も参加可能な講演会をたくさん開いてほしいですね。< 10 代女性> ◆病原菌に対する闘いに、引き続きまい進してほしいと願っています。< 50 代男性> ◆知識のみならず人の心を支える医療人、看護人の育成を望みます。< 40 代女性> ◆熱意ある研究者や教育者に対する支援を充実させ、日本一の生命科学医療系機関を目指してほしい。<30 代男性> ◆地域住民に愛される北里であり続けてください。< 50 代男性> ◆今回の講演会のような情報発信の継続を強く望みます。< 50 代女性> Voices for The Future

記念行事・イベント

1. 北里精神の継承と発展

2. 教育・研究・医療の充実

3. 学生支援の拡充と国際交流の推進

K ita sa to 10 0 × 50 K ita sa to 10 0 × 50

オール北里の力を結集し、

「Kitasato100 50プロジェクト」が

進行中

北里研究所創立100周年・北里大学創立50周年の節目を契機に、学校法人北里研究所は 2010年〜 2017年の期間、 「Kitasato100×50 プロジェクト 未来科学の創造〜 Pioneer the Next 〜」と名づけた周年記念事業を展開している。 「北里精神の継承と発展」「教育・研究・医療の充実」「学生支援の拡充と国際交流の推進」の3つの柱のもと、生命科学

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北里研究所創立から 100 年。

次代の病院が、いよいよ始動する。

北里研究所創立100周年にあたる本年5月、相模原キャンパスに、 地域医療の中核を担う待望の新病院、新北里大学病院がオープンする。 最新の医療設備と1033床の病床を備えたこの大型病院の建設は、 学校法人北里研究所が 2010年より取り組んでいる 北里研究所創立100周年・北里大学創立50周年記念事業の一環に位置づけられるもので、 2013年12月に竣工を終え、現在、開院に向けての最終準備の段階を迎えている。 次代の理想を具現化した新病院が、医療にどんな進化をもたらすのか。 地域住民のみならず全国の医療関係者が、熱いまなざしを向けている。

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  「 人 は 血 管 と と も に 老 い る 」 と 言 わ れ る よ う に 、 心 臓 や 血 管 な ど 循 環 器 の 病 気 の リ ス ク は 、 加 齢 と と も に 高ま る 。 心 臓を 囲 む 冠 動 脈 が 動 脈 硬 化 を 起 こ し て 十 分 に 新 鮮 な 血 液 を 供 給 で き な か っ た り 、 慢 性 的 に 心 臓 に 負 担 が か か っ た り す る こ と に よ り 、 心 筋 梗 塞 や 狭 心 症 な ど の 心 不 全 が 引 き 起 こ さ れ る 。   近 年 、 カ テ ー テ ル 治 療 の 進 歩 に よ り 、 急 性 心 筋 梗塞 に よ る 死 亡 率 は 減 少 し た 。 術 後 の 入 院 期 間 も 短 く な り 、 早期 の 社 会 復帰 も 可 能 に な っ て き て い る 。 し か し 、 そ の 一 方 で 多 く の 先 進 国 で 大 き な 社 会 問 題 に な っ て い る の が 慢 性 心 不 全 の 増 加 だ 。   慢性 心 不 全 は 再 発 率 が 高 い た め に 入 退 院 を 繰 り 返 し 、 医 療 費 は 高 額 に な る 。 突 然 、 心 臓 発 作 を 起 こ し て 救 急 車 を 要 請 す る ケ ー ス も 多 く 、 こ れ が 医 療 現 場 を 疲 弊 さ せ 、 地 域 医 療 に も 深 刻 な 影 響 を 及 ぼ し て い る 。 こ う し た 問 題 を 解 消 す る た め に 、 循 環 器 疾 患 の 再 発 予 防 策 を 講 じ て い く こ と が 、 高 齢 化 が 進 む 現 代 社 会 の 大 き な 課 題 に な っ て い る 。   北 里 大 学 医 療 衛 生 学 部 准 教 授 で 循 環 器 内 科 の 専 門 医 で あ る 東 條 美 奈 子 は 、 循 環 器 疾 病 の 予 防 ・ 管 理 の た め の より 良 い シ ス テ ム づ く り を 目 指 し 、 臨 床 と 基 礎 の 両 面 か ら 研 究 に 取 り 組 ん で い る 。 研 究 内 容 は 多 岐 に 渡 る が 、 そ の ひ と つ が 相 模 原 に 拠 点 を 置 く 北 里 の 2 病 院と 地 域 の 診 療 所 の 連 携 に よ り 運 用 さ れ て い る 、 心 血 管 病 再 発 ・ 重 症 化 予 防 を 目 途 と し た 疾 病 管 理 支 援 シ ス テ ム に お け る 臨 床 研 究 だ 。   北 里 は 他 の 医療 機 関 に 先 駆 け て 「 循 環 器 病 予 防 医 学 」 を 提 唱 し 、 2 0 0 2 年 に 回 復 期 か ら 維 持 期 の 心 血 管 病 患 者 を 対象 と し た 世 界 初 の 疾 病 管 理 シ ス テ ム を構 築し た 。 こ れ は 、 主 に 急 性 期 治療 を 担 当 す る 北 里 大 学 病 院 心 臓 血 管 セ ン タ ー と 、 定 期通 院 に 対 応 す る 地 域 の 2 5 0 の 診 療 所 、 そ し て 定 期 検 査 や 疾 病 管 理 の 指 導 を 行 う 北 里 大 学 東 病 院 の 心 臓 二 次 予 防 セ ン タ ー が 三 位 一 体 と な り 、 心 血 管 病 予 防 の た め の 包 括 的 管 理 を 行 う も の で 、 現 在 、 4 5 0 0 名 も の 患 者 が 登 録 さ れ て い る 。   東 條 は こ の 膨 大 な デ ー タ を 用 い て 、 心 不 全 の 原 因 や 生 活 習 慣 と 発 症 の 因 果 関 係 など を調 べ 、 こ れ ま で に 多 く の 新 し い 知 見 を 明 ら か に し て き た 。   また 、 2 0 1 1 年に 北 里大 学 東 病 院 に 開 設 さ れ た 「 心 臓 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン 室 」 を 拠 点 と す る 臨 床 研 究 に も 、 患 者 の 協 力 を 得 な が ら 精 力 的 に 取 り 組 ん で い る 。 そ の 内 容 は 、 ト レ ッ ド ミ ル や エ ル ゴ メ ー タ ( ペ ダ ル 踏 み 運 動 器 ) を 用 い た 運 動 指 導 や 、 食 事 、 生 活 、 服 薬 に 関 す る 指 導 の 効 果 を 幅 広 く 検 証 す る も の 。 ヨ ガ を 採 り 入 れ た 独 自 の リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン メ ニ ュ ー の 開 発 ・ 実 践 や 、 疾 病 管 理 に 役 立 つ 新 規 機 器 の 開 発 の サ ポ ー ト も 行 っ て い る 。「 遠 隔 モ ニ タ リ ン グ シ ス テ ム 」 は そ の 一 例 で 、 こ れ は 患 者 が 自 宅 か ら 万 歩 計 や 血 圧 計 の デ ー タ を 携 帯 電 話 で 送 信 し 、 遠 隔 の 医 療 機 関 で の モ ニ タ ー を 可 能 に す る シ ス テ ム だ 。 東 條 ら が 実 証 テ ス ト を 行 っ た 後 、 実 用 化 さ れ た 。 こ の ほ か 、 心 臓 ・ 血 管 の 老 化 を 遅 ら せ る 薬 物 治 療 に 関 す る 研 究 で も 、 注 目 す べ き 成 果 を 上 げ て い る 。   「 心 臓 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン は 、 ま だ ま だ エ ビ デ ン ス ( 証 拠 ・ 根 拠 ) が 不 十 分 な 領 域 。 運 動 に し ろ 薬 物 治 療 に し ろ 、 患者 さ ん に な る べ く 負 担 を 掛 け ず 、 よ り 大 き な 効 果 が 得 ら れ る 方 法 を 明 ら か に し て い か な い と 」 と 東 條 は 目 標 を 語 る 。   北 里 大 学 東 病 院 の 心 臓 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン 室 は 、 日 本 全 国 か ら 医 療 関 係 者 が 見 学 に 訪 れ る ほ ど 知 ら れ た 存 在 だ が 、 2 0 1 4 年 以 降 、 さら に ス ペ ー ス と 設 備 を 拡 充 さ せ る 予 定 と な っ て い る 。 よ り 進 化 し た 施 設 か ら 生 ま れ る 東 條 の 研 究 成 果 に 大 い に 期 待 し た い 。 14 最先端の研究現場から 最先端の研究現場から 15 最先端の研究現場から

「循環器の病気は、医師が適切に介入することで予防できる点にやりがいを感じる」と語る東條 心臓リハビリテーションを受ける患者さんは、一度深刻な症状を経験しているだけ に病院スタッフへの信頼は篤い ヨガのインストラクター資格を持つスタッフが、心臓に負担をかけないオリジナルヨ ガを指導 北里大学東病院の心臓リハビリテーション室。最先端の設備とノウハウを導入し、チーム医療体制を基本に包括的な疾病管理を行う

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と う じ ょ う ・ み な こ / 1 9 9 5 年 山 形 大 学 医 学 部 卒 業 。 99年 同 大 学 大 学 院 医 学 研 究 科 博 士 課 程 修 了 。 医 学 博 士 。 同 大 学 医 学 部 附 属 病 院 を 経 て 、 2 0 0 0 年 北 里 大 学 病 院 病 棟 医 、 01年 北 里 大 学 医 学 部 研 究 員 。 03年 米 国 エ モ リ ー 大 学 医学部 に 留学 、 05年 に 復職 。 09年 よ り 現 職 。 11年 医学部 特 任 准 教 授 を 兼 任 。 専 門 は 循 環 器 病 予 防 医 学 、 心 臓 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン 。 北 里 大 学 医 療 衛 生 学 部 ・ 大 学 院 医 療 系 研 究 科 准 教 授 北 里 大 学 医 学 部 特 任 准 教 授

未来のトビラ 1 未来のトビラ 1

臨床の最前線を拠点に、

心血管病の再発予防をめざす

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  中 央 ア ジア の 内 陸 国 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン 。 古 く よ り シ ル ク ロ ー ド の 中 継 地 と し て 栄 え 、 壮 麗 な イ ス ラ ム 建築 群 な ど 世 界 遺 産 の 宝 庫 と し て も 知 ら れ る 。 面 積 は 日 本 の 約 1.2倍 、 一 人 あ た り の G D P は 世 界平均 の 20% 程度 だ が 、 近 年 の 経 済 成 長 は 目 覚 ま し い 。   2 0 0 4 年 、 独 立 行 政 法 人 国 際 協 力 機 構 ( J I C A ) は 、 同 国 へ の 保 健 医 療 支 援 の 一 環 と し て 「 看 護 教 育 改 善 プ ロ ジ ェ ク ト 」 を 立 ち 上 げ た 。 対 象 領 域 は 、 基 礎 ・ 小 児 ・ 成 人 ・ 母 性 ・ 地 域 ・ 精 神 看 護 で 、 こ の う ち 精 神 看 護 学 領 域 の 責 任者 を 務 め た の が 、 北 里 大 学 看 護 学 部 教 授 の 出 口 禎 子 で あ る 。   プ ロ ジ ェ ク ト が 目 標 と し た の は 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン で は 未 整 備 の 「 精 神 看 護 学 カ リ キ ュ ラ ム 」 を 作 り 上 げ る こ と 。 出 口 ら は ま ず 、 現 地 の プ ロ ジ ェ ク ト 参 加 メ ン バ ー に 、 自 分 た ち の 力 で カ リ キ ュ ラ ム 案 を 作 成 さ せ る こ と か ら ス タ ー トし た 。 既 存 の カ リ キ ュ ラ ム を 押 し 付 け る の で は な く 、 現 地 の 人 に 主 体 的 に 考 え 、 行動 し て も ら う こ と を 重 視 し た の だ 。   し か し 、 作 業 は い き な り 壁 に ぶ つ か っ た 。 も と も と ウ ズ ベ キ ス タ ン に は 、 先 進 国 で い う 「 メ ン タ ル ヘ ル ス 」 の 概 念 が 存 在 し な い 。 さ ら に 、 う つ 病 な ど の 精 神 疾 患 は 社 会 や 文 化 、 生 活 習 慣 が 密 接 に 関 係 す る の だ が 、 日 本 と ウ ズ ベ キ ス タ ン で は 、 病 気 の 背 景 が 大 き く 異 な る た め 、 両 者 の 話 が 噛 み 合 わ な い の だ 。   「 ま ず は 彼 ら が 使 う 『 忍 耐 』や 『 思 い や り 』 な ど の 単 語 を 、 一 つ ひ と つ 精 神 看 護 学 の 用 語 に 置 き 換 え る こ と か ら 始 め な け れ ば な り ま せ ん で し た 」   他 に も 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン 側 の メ ン バ ー か ら な か な か 本 音 が 語ら れ な い な ど 、 大 小 の 障 害が 立 ち は だ か っ た 。 だ が 、 共 同 で 作 業 を続け る う ち に 出 口 は 、 こ の 国 の 人 々 が と て も 情 に 篤 く 、 他 者 と 関 わ る 能 力 も 高 い こ と に 気 が つ い た 。ま た 、 一 度 関 心 を 持 つ と 吸 収 も 非 常 に 早 か っ た 。 互 い の 理 解が 進 む に つ れ 、「 最 初 の 1、 2年 は な か な か 成 果 が 得 ら れ な か っ た 」 プ ロ ジ ェ ク ト は 、 徐 々 に 軌 道 に 乗 っ て い っ た の で あ る 。   活 動 の 軸 に な っ た の は 年 に 1、 2回 の 現 地 へ の 専 門 家 の 派 遣 だ が 、 途 中 か ら さ ま ざ ま な 工 夫 も 採 り 入 れ た 。 そ の ひ と つ が テ レ ビ 会 議 の 導 入 だ 。 こ れ に よ り 互 い の 課 題 や 進 捗 状 況 の 確 認 が 容易 に な り 作 業 効 率 は 大 き く 向 上 し た 。 また 、 3年 目 に は ウ ズ ベ キ ス タ ン 全 土 か ら 80名 以 上 の 看 護 教 員 を 集 め て 精 神 看 護 学 セ ミ ナ ー を 開 催 。 両 国 の プ ロ ジ ェ ク ト メ ン バ ー は 自 信 と 絆 を 大 い に 深 め た 。 そ の 他 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン の メ ン バ ー を 日 本 に 招 い て の 長 期 研 修 も 多 く の 収 穫 を も た ら し た 。   開 始 か ら 5年 、 社 会 ・ 文 化 の 異 な る 2 国 の 協 働 で 進 め ら れ た 「 看 護 教 育 改 善 プ ロ ジ ェ ク ト 」 は 無 事 に 終 了 。 そ の 後 も 3年 に わ た り フ ォ ロ ー ア ッ プ を 行 っ た 。 完 成 し た 医 療 専 門 高 校 向 け の 「 精 神 看護 学 カ リ キ ュ ラ ム 」 は 現 在 、 看 護 教 育 の 現 場 で 活 用 さ れ 、 一 部 海 賊 版 が 出 回 る ほ ど の 評 判 を 呼 ん で い る と い う 。   「 私 が う れ し い のは 、 現 地 で 精 神 科 の 看 護 師 を 志 望 す る 若者 が 増 え た こ と 。 次 代 に つ な が る 貢 献 を で き た こ と が 何 よ り の 喜 び で す 」 と 強 調 す る 。   プ ロ ジ ェ ク ト 終 了 後 も 、 北 里 大 学 看 護 学 部 で 学 生 の 指 導 に 多 忙 な 日 々 を 送 る 出 口 。 今 、 新 た に 力 を 傾け て い る の が 、 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 学 童 疎 開 体 験 者 を 対 象 に し た 聞 き 取 り 調 査 だ 。 こ れ ま で に 25名 も の 高齢 者 に 直 接 会 っ て 、 戦 争 体 験 が そ の 後 の 人 生 に 及 ぼ し た 影 響 を 調 べ て い る 。   「 話 を 聞 く と 、 い じ め 、 寂 し さ 、 空 腹 、 さ ら に は 疎 開 中 に 家 族 を 亡 く し た 喪 失 感 や 、 自 分 だ け が 助 か っ た 罪 悪 感 な ど が 、 大 き な 心 的 外 傷 に な っ て い る こ と が わ か り ま し た 。 今 後 、 さ ら に 多 く の 体 験 を 聞 い て 世 の 中 に 発 表 し て い く 予 定 で す 」   フ ィ ー ル ド を 学 外 へ と 広 げ て 展 開 さ れ る 出 口 の 活 動 の 成 果 は 、 メ ン タ ル ヘ ル ス 領 域 を超 え て 、 幅 広 い 人 々 の 注 目 を 集 め る こ と だ ろ う 。 16 最先端の研究現場から 最先端の研究現場から 17 未来のトビラ 2 未来のトビラ 2 最先端の研究現場から

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2010年ウズベキスタンの医療専門高校を訪ねた出口。 5年のプロジェクトとその後のフォローアップを合わせた8年間で、同国への訪問は10回を超えた 完成した精神看護学の 教案プログラムやセミ ナー資料。両国の共同 作業の賜物だ 教員として精神看護学の指導を担当。学生には「患者を理解するには、 まず自分を理解すること」と説く

シルクロードの国に、精神看護の種を蒔く

「実習病院の不足など日本の精神看護教育にも多くの課題がある」と 出口は指摘する 看護の道を目指すウズベキスタンの若者たち。公用語はウズベク語だ が、教育現場ではロシア語も多く使われる で ぐ ち・ さ ち こ / 1992 年 玉 川 大 学 文 学 部 教 育 学 科 卒 業。 94年 同 大 学大学院文学研究科修士課程修了。 98年日本赤十字看護大学大学院看護 学研究科博士課程修了。看護学博士。北里大学病院、東邦大学医療短期 大学講師、東京慈恵会医科大学看護学部准教授などを経て、 2005 年 より現職。専門は精神保健学、精神看護学。 北 里 大 学 看 護 学 部 教 授

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終始一貫

追い求める

学問の面白さとは

これ我が学問なり

18 19 これ我が学問なり これ我が学問なり   な ぜ そ の 分 野 の 学 問 を 志 し た の か 、 理 由 は 人 そ れ ぞ れ で あ る 。 北 里 大 学 で 薬 学 部 長 を 務 め る 伊 藤 智 夫 が 、 若 き 日 に 薬 学 を 志 し た 理 由 も ユ ニ ー ク だ 。「 も と も と は 生 物 学 に 興 味 を 持 っ て い た の で す が 、 ず っ と 研 究 を 続 け る こ と が で き て 、 し か も 世 の 中 の 役 に 立 つ 分 野 は 何 だ ろ う と 考 え た 時 、 生 物 学 よ り 薬 学 だ と 思 っ た の で す 」   そ ん な 理 由 か ら 東 京 大 学 の 薬 学 部 に 進 学 し 、 大 学 院 ま で 進 ん だ 伊 藤 は 、 卒 業 後 「 世 の 中 の 役 に 立 つ 」 べ く 製 薬 会 社 の 研 究 所 に 就 職 し た 。   伊 藤 の 専 門 分 野 で あ る 薬 物 動 態 学 は 、 薬 の 種 と な る 化 合 物 を ヒ ト に 投 与 し た 時 、 体 内 で ど の よ う な こ と が 起 こ る か を 、 試 験 管 内 の 実験 デ ー タ と コ ン ピ ュ ー タ を 使 っ て 予 測 す る 研 究 で あ る 。 自 分 で 実 験 を 行 い 、 モ デ ル を 組 ん で 予 測 す る こ と が 、 製 薬 会 社 で の 仕 事 に つ な が っ た 。 5年 半 ほ ど 勤 務 す る 中 で 開 発 を 担 当 し た 「 ヒ ポ カ 」 と 「 ロ ー ガ ン 」 は 現 在 も 使 わ れ て い る 製 品 で あ る 。「 開 発 に 30年 以 上 携 わ っ て も ま っ た く 日 の 目 を 見 な い 研 究 者 も い ま す 。 そ れ は 本 人 に 責 任 が あ る の で は な く 、 不 運 と し か 言 い よ う が な い も の 。 私 は よ ほ ど 運 が 良 か っ た の だ と 思 っ て い ま す 」   在 勤 中 、 伊 藤 は 研 究 の た め 2年 ほ ど 米 国 に 派 遣 さ れ た 。 そ こ で 、 薬 剤 学 の 世 界 的 権 威 で あ る カ ン サ ス 大 学 の タ ケ ル ・ ヒ グ チ 教 授 と 出 会 う 。 教 授 か ら ま ず 言 わ れ た の は 「 博 士 の 学 位 を 取 る た め に 大 学 院 へ 行 き な さ い 」 と い う こ と 。 欧 米 で は 博 士 号 を 持 っ て い な い と 研 究 者 と し て 認 め て も ら え な い の で あ る 。 そ こ で 、 同 大 学 の 大 学 院 に 入 学 し た 伊 藤 だ が 、 博 士 号 の 取 得 前 に 任 期 が 終 わ り 、 日 本 に 帰 国 せ ざ る を 得 な く な る 。「学 位 を 取 る た め に 再 び 渡 米 し た い 」 と 会 社 に 懇 願 し た が 認 め て も ら え ず 、 結 果 的 に 退 社 し て 米 国 に 戻 っ た 。「 そ の 半 年 後 、 ヒ グ チ 教 授 は 心 臓 発 作 で 亡 く な り ま し た が 、 私 は そ の ま ま 博 士 研 究 員 を 3年 ほ ど 続 け 、 さ ら に 米 国 の 製 薬 会 社 に 就 職 し よ う と グ リ ー ン カ ー ド ( 永 住 権 ) も 取 得 し ま し た 」   何 社 か の 面 接 を 受 け た も の の 、 な か な か 就 職 先 が 決 ま ら な い 中 、「 父 親 が 心 臓 を 患 っ て 、 い つ 何 が あ る か わ か ら な い か ら 日 本 に 帰 っ て 来 て ほ し い と 母 に 泣 き つ か れ 、 帰 国 し ま し た 。 そ の 時 、 北 里 大 学 か ら 助 教 授 と し て 来 な い か と 声 を 掛 け て も ら っ た の で す 」   そ し て 、 製 薬 会 社 の 研 究 員 と は 違 う 形 で 「 世 の 中 の 役 に 立 つ 」 ため に 、伊 藤 は 北 里 大 学 の 一 員 と な る こ と を 決 め た 。 1 9 9 0 年 の こ と で あ る 。   そ れ か ら 四 半 世 紀 近 い 歳 月 が 過 ぎ た 。 2 0 0 8 年 に薬 学 部 長 に 就 任 し た 伊 藤 だ が 、 同 学 部 の 教 育 体 制 が 4年 制 か ら 6 年 制 に 切 り 替 わ る 時 期だ っ た た め 、 想 像 を 超 え る ほ ど 多 忙 な 日 々 を 送 る こ と に な る 。「 休 日 も 仕 事 を し て い る 状 態 で 、 こ の ま ま で は 自 分 が 駄 目 に な っ て し ま う と 感 じ 、 最 近 は 若 い 頃 に 興 味 を 持 っ て い た 生 命 の 起 源 や 進 化 、 歴 史 、 文 化 人 類 学 な ど の 本 を 読 ん で い ま す 」   そ ん な 伊 藤 に は 、 忘 れ ら れ な い 言 葉 が あ る と い う 。 か つ て 勤 務 し て い た 製 薬 会 社 の 社 訓 で 、「 得 意 の 時 に 油 断 を す る な 。 失 意 の 時 に 落 胆 す る な 」 と い う も の 。「 人 生 も 研 究 も 、 山 あ り 谷 あ り 。 う ま く い か な い 時 に 諦 め ず 努 力 す れ ば 、 次 に 現 れ る 山 の 高 さ が 違 っ て 来 ま す 。 努 力 を 糧 に し て こ そ 、 成 果 が 生 ま れ る の だ と 思 い ま す 」   過 去 の 成 功 を 「 運 が 良 か っ た 」 と 説 明 す る 伊 藤 だ が 、 そ の 陰 に は 並 々 な ら ぬ 努 力 が あ っ た こ と は 言 う ま で も な い 。

人生も研究も、

うまくいかない時の

努力こそが

成長の糧になる

研究室のドアには、学生からもらったカードや思い出 の写真を貼ったボードが吊り下げられている 1984年カンサス大学での故 タケル・ヒグチ夫妻(日系二 世)と右はベトナム人大学院 生(元 南ベトナム政府軍兵 士)。伊藤にとって、ベトナム 戦争の名残りや、イラン・イ ラク戦争の影響、湾岸戦争 の影は、米国生活における 極めて印象深い体験だった 学生たちには「『正解』とは自分が作るもの。限界までやり抜 いてたどり着いたものが『正解』」という話をよくするという 伊 藤 智 夫 ( い と う ・ と も お ) / 1 9 7 9 年 東 京 大 学 薬 学 部 卒 業 、 81年 同 大 学 大 学 院 薬 学 系 研 究 科 修 士 課 程 修 了 、 87年 カ ン サ ス 大 学 大 学 院 博 士 課 程 修 了 。 薬 学 修 士 、 M . S . 、 P h . D . 。 山 之 内 製 薬 ( 現 ア ス テ ラ ス 製 薬 ) 株 式 会 社 、 カ ン サ ス 大 学 博 士 研 究 員 を 経 て 、 90年 北 里 大 学 薬 学 部 助 教 授 に 着 任 。 97年 教 授 、 2 0 0 8 年 よ り 現 職 、 学 校 法 人 北 里 研 究 所 理 事 。 「教師をしていて一番嬉しいと感じるのは、 学生が私を乗り越えてくれること。より大 きな目標に挑戦してほしい」と伊藤は語る

(11)

こ ろ で 意 味 が な い こ と は わ か っ て い ま し た が 、『 行 か な か っ た ら お 前 の 書 類に は 二 度 と は ん こ を 押 さ な い 』 と 脅 さ れ 、 仕 方 な く マ グ ロ 船 で 赤 道 ま で 行 き ま し た 」   約 40日 間 に わ た る 体 験 で は 、 予 想 通 り 鮮 度 保 持 剤 の 開 発 に つ な が る 成 果 は 何 も 得 ら れ な か っ た 。 し か し 、 齊 藤 さ ん は 大 き な 宝 物 を 持 ち 帰 っ た 。 そ れ は 、狭 い 船 内 で 同 じ メ ン バ ー と ず っ と 働 か な く て は な ら な い 漁 師 た ち の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 術 。 過 酷 な 労 働 を 続 け な が ら も 楽 し い 会 話 を 絶 や さ ず 、 他 の 人 に 対 し 否 定 的 な 意 見 は 言 わ な い 。 船 長 は 部 下 た ち の 長 所 を 積 極 的 に 褒 め る こ と で 「 働 き や す い 職 場 づ く り 」を 実 践 し て い た 。   一 般 企 業 で も 応 用 で き る か も し れ な い と 思 っ た 齊 藤 さ ん は 、 ま ず 自 分 の 会 社 で 試 そ う と 考 え た 。 親 会 社 か ら も 問 題 視 さ れ て い た 所 長 が 会 社 を 退 社 し た の を 機 に 、 齊 藤 さ ん は マ グ ロ 船 で 学 ん だ こ と を 社 内 に 伝 え 、 好 感 触 を 得 る 。 や が て 、 そ の ノ ウ ハ ウ を 講 演 や 著 書 に よ っ て 社 会 に 広 め よ う と 、 土 日 を 利 用 し て 活 動 を 始 め た と こ ろ 大 き な 反 響 が あ り 、 つ い に 起 業 す る 決 意 を 固 め た 。   現 在 は 年 間 約 2 0 0 回 の 講 演 を 行 い 、 移 動 の 合 間 に 原 稿 を 執 筆 す る と い う 多 忙 な 生 活 を 送 っ て い る 。 ス テ ー ジ に 立 つ 齊 藤 さ ん は 、 ヘ ル メ ッ ト に 雨 合 羽 と い う 船 員 の コ ス チ ュ ー ム 。 派 手 な 身 振 り と 手 振 り で 熱 弁 を 振 る う 。「 最 初 は ス ー ツ 姿で し た が 、 受 講 者 の 反 応 を 見 て 喜 ば れ る も の を 追 求 す る う ち に こ う な り ま し た 。 会 社 に 言 わ れ て 嫌 々 参 加 し て い る 人 た ち に 居 眠 り さ れ な い た め の 工 夫 で も あ り ま す 」   大 学 時 代 は 学 園 祭 ( 漁 火 祭 ) の 実 行 委 員 を 務 め 、 3年 生 の 時 に は 実 行 委 員 長 と し て 陣 頭 指 揮 を と っ た 。 圧 巻 の 行 動 力 は そ の 時 に 養 わ れ た の か も し れ な い が 、「 当 時 は あ ま り に も 自 分 勝 手 だ っ た の で 、 皆 か ら 嫌 が ら れ て い ま し た 。 突 き 進 む の は 得 意 な の で す が 、 後 先 を 考 え な い 、 空 気 を 読 ま な い 、 そ ん な 実 行 委 員 長 で し た 。『 こ う す る と 嫌 われ る ん だ な 』 と 学 ん だ こ と は 多 く 、 そ れ ら は い ま の 仕 事 で も 役 立 っ て い ま す 」   他 人 へ の 心 配 り を 徹 底 す る た め に 齊 藤 さ ん が ポ リ シ ー に し てい る の は 、「 ま ず 行 動 す る こ と 。 初 め か ら 計 画 を 立 て た り 、 考 え て動 く と 、 独 り よ が り に な る 場 合 が あ り ま す 。 相 手 が 『 何 に 反 応 し て 喜 ん で く れ る か 』 を 感 じ 取 り 、 そ れ に 合 わ せ て 行 動 す る こ と を 大 切に し て い ま す 。 嫌 々 な が ら 乗 っ た マ グ ロ 船 の 船内 で も そ う で し た が 、『 今 い る 場 所 で ど う す れ ば ベ ス ト を 尽く せ る か 』 を 追 求 す れ ば 、 結 果 的 に う ま く い く こ と が 多 い 気 が し ま す 」   学 生 時 代 の 「 気 づ き 」 や 、 研 究 者 時 代 の 凄 ま じ い 体 験 は 、 現 在 も 齊 藤 さ ん の エ ッ セ ン ス と し て 活 き て い る の で あ る 。   子 ど も の 頃 、 水 族 館 で 深 海 魚 に 魅 せ ら れ 海 洋 学 を 志 し た 若 者 が 、 い ま は マ グ ロ 船 で 学 ん だ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 術 を 講 演 や 執 筆 活 動 で た く さ ん の 人 々 に 伝 え て い る 。   北 里 大 学 水 産 学 部 水 産 増 殖 学 科 の 卒 業 生 で あ る 齊 藤 正 明 さ ん は 、 バ イ オ 系 企 業 の 研 究 所 に 就 職 し 、 生 魚 の 鮮 度 保 持 剤 の 開 発 に 携 わ る こ と に な っ た 。 一 見 、 理 想 的 な進 路 の よ う に 思 え る が 、 実 は 就 職 先 が い わ ゆ る ブ ラ ッ ク 企 業 だ っ た 。「 所 長 の 独 裁 政 権 の も と 、 ど ん な 理 不 尽 な 指 示 に も 従 わ な け れ ば な ら な い 職 場 で し た 。 あ る 日 、『 鮮 度 保 持 剤 の 開 発 を 一 気 に 進 め る た め に 、マ グ ロ 船 に 乗 っ て 来 い 』 と 命 令 さ れ た の で す 。 実 験 環 境 が 整 っ て い な い 船 に 同 乗 し た と

北里の遺伝子を

継ぐ者たち

北里DNA

活 躍 す る

卒 業 生

20 21 北里の遺伝子を継ぐ者たち 北里 D N A 北里の遺伝子を継ぐ者たち 北里 D N A

大切なことは、

まず行動し、

その場でベストを

尽くすこと

ネクストスタンダード代表 マグロ船式 人材コンサルタント/研修講師

齊藤 正明

さん

2000年3月 北里大学 水産学部 水産増殖学科(現・海洋生命科学部 海洋生命科学科) 卒業 約40日間のマグロ漁に同行し、それまで「仕事はつまらなくて当然」 としていた自身の仕事観が180度転換した 十数人の社員研修から1,000人以上を相手にする講演まで、幅広いセミナー・ 講演を3日に2日のペースで精力的に行っている 2011年にはTSUTAYA 主催の講師オーディションでグランプリを受賞した齊藤 さん。講演で全国を飛び回るかたわら、合間を縫って執筆活動を行っている 齊 藤 正 明 ( さ い と う ・ ま さ あ き ) / 東 京 都 出 身 。 在 学 中 は 井 田 齊 教 授 ( 当 時 ) に 師 事 。 学 生 時 代 に 教 授 の 知 り 合 い の 漁 師 に 何 度 か 漁 船 に 乗 せ て も ら い 、 漁 を 体 験 。「 揚 げた 網 の中 に 標 識 の 付 い た 海 亀 が い て 学 校 に 報 告 し ま し た 。 マ グ ロ 船 に 乗 せ ら れ た 時 と は 正 反 対 の 非 常 に 楽 し か っ た 思 い 出 で す ( 笑 )」 。 船員が2年間一度も地上に降りることのないマグロ船もあるという。その ような環境で人間関係をうまくこなすにはコミュニケーション術が重要

参照

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