日本の学校における在日朝鮮人教育の史的展望−「筑豊高校生連盟」事件の提起したもの− [ PDF
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(2) 激するような言動をし、東京などを中心に朝鮮人生徒への暴. の背景を糾明するよう数回の「警察抗議」を行った。また、. 行事件が頻発していることなどにも言及した。. 九州朝鮮中高級学校の教員たちは、A君らを英雄視する在校 生らを諌め、 「田川地区高校生活指導連絡協議会」 (以下生指 協)などと今後の対策などに付いて協議した。. 4 「筑豊高校生連盟」の結成 「筑高連」は、田川を中心に、飯塚、直方、中間など筑豊 地区の公私立の高校9校から会員を募り、「表向きは『筑豊. b 日本の学校や教師など. の高校生間の親睦を計る』と称しつつ、『朝鮮人をのさばら. 「筑高連」の動きは事件発覚以前から一部の教員たちによっ. さない』ことを、活動の主たる目的として」結成された。そ. て察知されていたが、具体的な対応は、発覚後のことになっ. の組織の結成に関与したとみなされる団体に反共活動を主た. た。生指協は、事件発覚直後、「①生徒宅を家庭訪問し、父. る目的とした「九州自由学生同盟」があり、その上部組織に. 母を交えて話合う。②全校生徒に在日朝鮮人の歴史的な位置. 「日本自由学生同盟」があった。(西村、1974). や朝鮮人差別の不当性について指導する③生徒会、スポーツ などで生徒交流を進め、朝鮮中高級学校と各生活指導員の定. 「筑高連」は同年2月ごろから結成準備がなされ、4月23日、. 期的な会合をもつ―との方針を決め」 (毎日) 、校外補導を強. 田川郡の公民館で約130人の会員を集めて結成された。. 化、下旬には筑高連の解散を指導する方針を打ち出した。他 の教育団体の対応は遅かったが、5月の下旬ごろより、田川地. 5「筑豊高校生連盟」と朝鮮高校生襲撃計画. 区三教組、田川支部同研、同和教育関係者などの会議や報告. 「筑高連」は1970年代の在日朝鮮人に対する排外思想を背. 会などが持たれるようになっていった。. 景に、学生の右翼が関与し、日ごろ対立している朝鮮高校生 を襲撃するために作られた。日本学校の生徒と朝鮮学校の生. c その他―市民集会、警察など. 徒との対立や反目は恒常的なものであり、朝鮮学校の生徒た. 以上のような学校や教師たちのほかに、市民集会や運動. ちに対する反発や憎悪の根底に、抜きがたい在日朝鮮人に対. 体の動きがあった。特に、6月 3日に田川市で行われた「第. する差別と偏見があった。 田川地区の高校教員梅野巌夫氏は事件の「加害者」をめぐ. 一回民主教育と在日朝鮮人の人権を守る市民連合会(代. る法廷でこのような筑高連の会員たちについて、「筑高連に. 表・岩田英一郎田川地区労議長) 」は、長時間にわたって話. 所属している生徒たちを見ますと、そのほとんどが学校生活. し合いが持たれ、 「差別に反対し、異民族排外、軍国主義に. の中で疎外されている生徒です。 」と述べた。 (西村、1977). 反対する民主教育をすすめる」ことなど前向きな意見が多 く出された。 (芝、1977). 6「加害者」とされた少年たちとその処遇 第3章 二人の追跡者―西村豊行と芝竹夫について. 「筑高連」事件における「暴行」は、以上のような組織によ る「朝高生襲撃」を未然に防ぐことを目的として行われた。. 1 西村豊行の場合. 朝鮮高校生たちの中には排外主義的な日本人の襲撃に対する. 西村豊行氏(1937年生まれ)は、「筑高連」事件発生直後. 不安や恐怖があった。 「加害者」とされた在日少年たちは、リーダー格であった. よりこの事件に取り組み、「筑高連」事件に関するすぐれた. A君(18歳)をはじめ、全員が逮捕され、A君以外の6人は福. ルポルタージュを書き残した。氏は、この事件は在日朝鮮人. 岡家庭裁判所飯塚支部より判決が下され、3人は「少年院送致」、. に対する日本の国家や社会の排外主義から起こったとし、マ. 残りの3人は「保護観察処分」となった。. スコミや教育現場の責任を問い、朝鮮高校生をめぐる裁判を 積極的に支援した。. 7 それぞれの対応 2 芝竹夫の場合 芝竹夫氏(1935年生まれ)は、1970年、田川市を中心に. a朝鮮総連、九州朝鮮中高級学校 「警察署との情報交換からしめだされた」 (芝、1977)朝鮮. 全国的に広がっていった国籍書換え問題を契機に在日朝鮮. 総連は、事件の背景に民族排外主義的な動きがあることを重. 人問題に取り組むようになり、 「筑高連」事件では教師の立. 視、独自に調査を始めた。また、 「加害者」ゆえに処罰はやむ. 場ですぐれた洞察を行なった。芝論文の意義は、事件当初. を得ないとしながらも、田川市の国籍書き換え問題で共闘し. から約 1 ヶ月の動向が教育関係者の動きを中心に詳細に記. た団体に協力を呼びかけ、警察の捜査姿勢を不満とし、事件. されていることにある。. 2.
(3) 可塑性に富むことなどを斟酌する」とし、原判決を破棄し、. 第4章 朝鮮高校生A君をめぐる裁判の展開. 「懲役2年6ヶ月」(未決拘留された450日を差し引いた1年3ヶ. ―法廷での18ケ月. 月)という実刑判決を下した。. 1 起訴されるまで この事件の首謀者とされた九州朝鮮中高級学校3年のA君. 第5章「筑豊高校生連盟」事件はどのように語られたか. は、事件当日の夜、帰宅途中で逮捕され、6月下旬に「逮捕監 禁致傷」で刑事起訴された。. 1 二つの記事 5 月 23 日に朝日新聞に掲載された「問われる人権教育の. 2「暴行」に至る経緯 A君の裁判は、暴行事件に関しては「公訴事実」を認めた. 姿勢―田川の集団暴行事件の背景と問題点」 、 と 6月 19日、. ところから、「『情状酌量』の面に限定して審理」された。. 20 日に毎日新聞(筑豊版)に掲載された座談会「朝鮮問題. (西村、1977)A君は供述調書の中で「暴行」に至る経緯に. を考える−筑豊高校生連盟の結成を機に」 〈上〉 〈下〉は、. ついて、日本人高校生たちが「筑高連」を組織し、朝鮮高校. この事件が当時の人々にどのように受けとめられ語られた. を攻撃しようという情報を得たので、会長のN君と何度か会. かをうかがい知ることのできる貴重な新聞資料である。. い、解散をうながした。しかし、聞き入れる様子がなかった ので、対抗手段としてN君たち幹部に暴力を加え、出ばなを. 2 朝日新聞の記事. くじこうとした、と語った。. この記事は既に朝鮮高校生による残酷な暴行事件として 社会問題化していたこの事件に新たなイメージを付け加え、. 3 地裁の判断. この事件の性格を規定していく上で大きな影響を与えた。. A君の審理には、以上のような「筑高連」関係の容疑のほ. それは、前書きの言葉を使えば、 「被害者の日本人高校生の. かに、7件の「別件」が加えられて行なわれた。裁判の主な. なかには未解放部落の子弟も含まれ」いるという事実と、. 争点は、「①筑高連結成の目的やその背後関係、②「リンチ」. 「日本人の民族的差別感情に悩む在日朝鮮人と部落差別に. の動機など」であり、「数人の証人を呼び『正当防衛性』に. 苦しむ未解放部落の子どもたちが、はしなくも対立感情む. 立証の方向をしぼりつつ、無罪をかちとっていく闘いとして. き出しの暴行事件を生む形」という解釈とから生まれるも. 進められた。」(西村、1977) 「組織内部では、A君たちの行. のである。この解釈は「筑高連」事件の「被害者」 、および. 動を支持する意見、批判的な意見があり、」「結論を出すに. その他の会員に被差別部落出身生徒が含まれるとしても連. はまだ時間を必要としたが、ひとまず、司法権力に対して結. 盟自体が被差別部落出身生徒の集団ではなかったという意. 束することにした」。(西村、1977)「弁護側の立証段階に. 味で事実に反していたが、この記事は、このような認識が. 移った」第10回公判からは、「関係者に対する尋問の大部分. 既に当時この事件に関っていた日本人たちに受け入れられ、. を、日本人高校生の朝鮮観や民族観、とくに在日朝鮮人に対. 説得力をもっていたことをも示すものであった。. する理解と友好関係に当てた。」(芝、1977)が、司法側は、 この事件における加害性を日本人に問うことはなく、判決文. 3 毎日新聞の記事 この座談会では、事件から約 1ヵ月、 「筑高連」事件の「加. にも反映されなかった。 福岡地裁飯塚支部での初公判は1971年9月10日、公判は16回、. 害者」とされた生徒たちの家裁判断が行われる段階での、. 判決は1973年2月16日であった。判決は、「被告人を懲役二年. 朝鮮総連や朝鮮学校、部落解放同盟、高教組、この事件に. 以上四年以下に処する。」というものであった。弁護側は判. 良心的に関った教師などの見解がわかりやすく整理されて. 決を不服として控訴した。. いる。①朝鮮総連や中高級学校、②部落解放同盟、③高教 組の関係者の論点を整理すると次のようになる。. 3 高裁の判断. ①朝鮮総連や中高級学校は事件の当事者であることに遺. さて、高裁の判断も、基本的には原判決を妥当なものとす. 憾の意を表しながらも、この事件が政治的に仕組まれたも. るところから行われた。「筑高連」事件の暴行事件について. のであるとして在外公民の立場を再度強調し、立場の教育. は「犯情は悪質であってその刑責は相当に重い」が、「朝鮮. を徹底させることを確認した。さらに当事者の朝鮮高校生. 人高校生らが不安をかきたてられていたので、その出鼻をく. については最後まで責任をもっていくことを明言した。②. じくための先制攻撃として本件犯行はなされたものであるこ. 部落解放同盟は連盟会員の中に被差別部落出身者がいるこ. と、被告人は前科がないこと、被告人は現在二〇歳に達し、. とを重く見ていたが、彼らの加害性を問うことよりも、支. 3.
(4) 配階級の分裂支配によって犠牲者同士が反目していること. やく全県的なものへと向かいつつあった。. を重視し、日本の学校の教師たちに同和教育の推進を呼び かけた。③高教組は、事件を民主教育の破れと受けとめ、. 4 再び「筑豊高校生連盟」事件について. 日本の学校に在籍する在日朝鮮人の子どもへの取組みと同. 「筑高連」事件は 70 年代初頭の福岡の日本人教師たちに. 時に、 「筑高連」会員などのような学校が放り出した子ども. 在日朝鮮人問題への対応が急務の課題であることを痛感さ. たちへの取組みを確認した。. せたという意味で、福岡の日本の学校における在日朝鮮人 教育のはじまりと位置づけられる出来事であった。にもか かわらず、この事件は当時の筑豊の教育をめぐる状況や事. 3 両新聞の記事から読み取れるもの 「日本人の民族的差別感情に悩む在日朝鮮人と部落差別. 件解釈などの影響などによって、事件の本質である日本人. に苦しむ未解放部落の子どもたちが、はしなくも対立感情. の民族差別と排外主義、さらには在日朝鮮人に対する日本. むき出し」にした「暴行事件」という構図は、暴行を受け. 人の加害性、あるいは日本人教師の教育課題が意識されは. た「筑高連」幹部の中に被差別部落出身者が含まれるとこ. したものの、結果として福岡の日本の学校における在日朝. ろから生まれた解釈であり、両者は民族は異なるものの支. 鮮人教育の歩みに大きな影響を与えることができなかった。. 配階級の分裂支配の犠牲者という部落解放運動のひとつの. また、日本人教師たちがA君ら在日朝鮮高校生に最後まで. 視点から生まれた。田川地区の「同和」教育では、 「筑高連」. より添うことができなかったことも残念なことであった。. 事件が、以上のような対立の構図で語られ、両者の連帯が 〈主要引用文献〉. 今後の部落解放の課題として提示された。. ・西村豊行「負性としての排外主義」(『解放への照準』 収集、1977年、社会評論社). 4 西村論文の表現をめぐって. ・西村豊行「福岡・田川事件の真実―告発された『朝高生. 西村豊行氏の「福岡・田川事件の真実―告発された『朝. 襲撃計画』」(『部落解放』1974年 3月号). 高校生襲撃計画』 」が、1974年、雑誌「部落解放」3月号に 掲載される際、文章の一節が改竄されるという出来事があ. ・芝竹夫『迫害のなかの連帯』、たいまつ社、1977年. った。このことは、 「筑高連」事件に関し、部落問題や同和. ・芝竹夫「『筑豊高校生連盟』事件」(『部落解放史ふく おか』第 51・52号、1988年). 教育に関る人々がどのように評価したかを示すものとして. ・徐京植「『エスニック・マイノリティー』か『ネーショ. 看過できないものであった。. ンか』」(『半難民の位置から―戦後責任論争と在日朝 鮮人』、影書房、2002年). 第6章 福岡の日本の学校における在日朝鮮人教育への道. ・中島智子「多文化教育としての在日韓国・朝鮮人教育」 (駒井洋監修・広田康生編『多文化主義と多文化教育』. 1 田川地区の学校や教師たち. 所収、明石書店、1996年). 福岡県同教は、1974年 10月、田川市内の各校を会場にし. ・小沢有作『在日朝鮮人教育論―歴史篇』、亜紀書房、1973. て行われた「第 13回福岡県同和教育研究大会」の分科会で. 年. はじめて「在日朝鮮人問題」を取り上げた。報告は芝氏ら. ・ 『福岡県教組 30年史』 、1982年 2月 葦書房. 田川地区中高の教師たちが行った。. ・『パランセ−在日韓国・朝鮮人教育 13 年の歩み』、福岡 県同和教育研究協議会、1993年. 2 嘉飯山地区からの発信. 〈その他〉. 1976年 9月、嘉飯山県立高校在日朝鮮人(朝鮮籍・韓国籍) 生徒の進路保障委員会は、各校在日朝鮮人の卒業生 16人にア. 1 地裁、高裁の判決文は、福岡地方裁判所飯塚支部にて. ンケートを発送し、卒業生たちの不信に満ちた厳しい言葉を. 閲覧した。. 励ましと受けとめて在日生徒への取組みを開始した。. 2 朝鮮高校生をめぐる裁判の供述調書、公判の証言はす べて前掲西村論文からの引用である。 3 以上のほか、芝竹夫氏、西村豊行氏、卜部哲生氏、横. 3 福岡県同教の取り組み 福岡県同和教育研究協議会が組織的な取り組みとして研究. 川輝雄氏、梅野巌夫氏、金光正氏にインタヴューを行なっ. 集会を始めるのは1980年からのことであった。「筑高連」事. た。また、嘉飯山地区朝鮮文化研究会の初期の活動などに. 件から9年、筑豊から発信された在日朝鮮人教育の課題はよう. ついては、卜部哲生氏、藤本良一氏の協力を得た。. 4.
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