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時代劇の愉しみ方
木
場
貴
俊
︻はじめに―どたばた勝負―︼ 時間がない。何か書いてほしいと依頼がきたのが、締切六日前。さて、困った。 あれこれ悩んでいたところ、昨年︵二〇一八︶の一般公開で話した内容でもよい、というこ となので、それを中心に書き綴ってみたい。 昨 年 一 一 月 二 三 日 の 日 文 研 一 般 公 開 は、 東 映 太 秦 映 画 村 と 長 岡 京 市 の 共 催 で﹁ 京 都 と 時 代 劇﹂をテーマに催された。私はそこで﹁歴史学研究者が語る時代劇の愉しみ方﹂というタイト ルの講演を行った。近世の怪異について研究をしている私が、何故このタイトルなのかといえ ば、時代劇好きなのが周囲にバレたからである。 一九七九年生れの私は、同世代と比べると時代劇をよく見ている。必殺シリーズや影の軍団 シ リ ー ズ、 ﹃ 雲 霧 仁 左 衛 門 ﹄︵ 山 﨑 努 版 一 九 九 五 ︶ と い っ た、 ダ ー ク ヒ ー ロ ー、 ピ カ レ ス ク、 荒 唐 無 稽 な 作 品 が 好 み で、 逆 に 大 河 ド ラ マ は あ ま り 見 な い。 最 近 も﹃ 江 戸 の 牙 ﹄︵ 一 九 七 九 ︶ のDVDボックスを入手して見たばかりだ。時代劇は、私にとって研究対象ではなく、あくま で趣味にすぎない。だから講演のタイトルも﹁歴史学を研究している時代劇愛好者が語る時代 劇の愉しみ方﹂が正しかった。21 ︻学生に時代劇をどうぞ︼ 実は、講演の骨子は、二〇〇九年から大学で行っている講義が元になっている。 時代劇が衰退、あるいは滅亡の危機と言われて久しい。実際、いま地上波で新作を連続放送 し て い る の は N H K︵ 大 河 ド ラ マ と 土 曜 夕 方 枠 ︶ だ け で あ る。 ﹁ 時 代 劇 は お 年 寄 り 向 き ﹂ と い うラベルが貼られて以降、若年層をターゲットにしていたテレビ局は時代劇を作らなくなった ︵現在は若年層のテレビ離れが進み、テレビ番組自体が存亡の危機にある︶ 。その結果、時代劇 を 見 た こ と が な い 若 年 層 が 大 半 な の が 現 状 だ。 だ か ら、 時 代 劇 を 見 て 知 る﹁ 常 識 ﹂ ︱ 例 え ば、 町奉行所の同心は黒い羽織を着て十手を持っている︱がわからない。さらには、忠臣蔵も言葉 しか知らない学生がほとんどである。 そこで、せめて食わず嫌いならぬ、見ず嫌いはやめてもらおうと、講義の数コマを使って時 代 劇 を 取 り 上 げ て い る。 そ こ で は、 時 代 劇 と は 何 か を 知 っ て も ら い︵ 講 演 で 話 し た 内 容 ︶、 そ の上で時代劇と史実を比較している。前者では、登場人物がわかりやすいテレビ版﹃座頭市物 語﹄やアニメ﹃佐武と市捕物控﹄を一話分見せている。後者は忠臣蔵と赤穂事件、寛政の改革 ︵﹃鬼平犯科帳﹄ ︶、新吉原などを扱っている︵講義一五回全てを使ったこともある︶ 。 ︻時代劇とは一体何か?︼ 近 代、 新 劇 の 対 と し て 旧 劇 と 呼 ば れ た 時 代 物 の 中 か ら、 映 像 化 さ れ た も の を﹁ 時 代 劇 映 画 ﹂ と称した。映画という当時最先端の文化表現で作られた時代劇は、今なお﹁現代﹂の空気や観 客のニーズを読み取り、その時代に合った表現作りがなされている。批判があった二〇一二年 大河ドラマ﹃平清盛﹄の暗めの映像も、デジタル・ハイビジョン化に対して試行錯誤した結果
22 であった。伝統芸能と同様、時代劇も現在進行形の文化表現なのだ。 時代劇の講義で、まず学生に語ることは、 ﹁時代劇はフィクション﹂ 、そして﹁時代劇はエン ターテイメント﹂の二点である。歴史研究者の端くれなので考証の必要性は感じるものの、史 実を完全に再現することは不可能だし、そもそも娯楽なのだから荒唐無稽でも構わないと思っ ている。時代劇に求められるのは、 ﹁正しさ﹂よりも﹁楽しさ﹂である。 ただし、フィクション ≠ 史実、とするならば、時代劇は過去を舞台にした現代劇なのか、と いう問いも当然出てこよう。私はその問いに対しては、違うと答える。 そこで、時代劇を便宜的に二つに分けてみる。 ︵狭義の︶時代劇と歴史ドラマにである。 ︵狭 義の︶時代劇は、 過去に時代設定がされていても﹁現代人にも面白く感じる普遍的なテーマ性と作劇法﹂を 持ち、尚かつ﹁現代を舞台にすると、そのテーマ性を表現することができない﹂ドラマ と 定 義 す る。 例 え ば、 身 分 違 い の 恋 や 切 腹 を 通 し た 武 士 の 生 き 様 を 描 く も の な ど だ。 こ の 場 合、 史 実 で あ る 必 要 は な く 荒 唐 無 稽 で も 構 わ な い︵ 未 来 が 舞 台 で も 時 代 劇 と し て 成 立 す る が、 それはSFと呼ばれる︶ 。 むしろ先が読めない展開の方が面白い。 ﹃柳生一族の陰謀﹄ ︵一九七八︶ や﹃魔界転生﹄ ︵一九八一︶が好例だ。 一方の歴史ドラマは、 ﹁ドラマで再現する歴史﹂のことで、大河ドラマもここに含められる。 もう少し詳しく定義すると、 ﹁歴史そのものが含有している現代人にも面白いテーマ性・作劇法﹂を表現したドラマ となる。歴史ドラマで重要なのは、最初からネタバレしていることにある。大坂の陣で途中ど んなに豊臣方が有利でも最後は敗北するし、坂本龍馬は暗殺される。わかりきった結末までを
23 如 何 に ド ラ マ テ ィ ッ ク に 魅 せ る か が、 作 り 手 の 腕 の 見 せ 所 で あ る。 ︵ 狭 義 の ︶ 時 代 劇 も 歴 史 ド ラマも現代を舞台にしては描けない。時代劇は、やはり時代劇なのだ。 ︻あんた、この考証をどう思う︼ 最近SNSで時代考証をめぐって盛り上がることがよくある。少しでも史実と食い違えば炎 上騒ぎになる場合もある。ひと昔前の時代劇を見ると、その辺りはルーズで、スタッフには時 代考証ではなく﹁風俗考証﹂とクレジットされていることが多かった。これは、古く見せるた めの考証であって、厳密な史実の考証でなくてもよかったからだ。 現在は、大学教授らによる厳密な時代考証が行われている。だから現在の時代劇の方が時代 の再現度は高い。しかし、完全な再現は不可能である。そもそも時代劇はフィクションなのだ から、肩肘張らずに楽しく視聴すればよい。時代劇を語ることは、歴史を語ることと決してイ コールではない。考証とエンターテイメントのバランスは、程ほどがちょうどよい。 実 際 大 河 ド ラ マ で も、 制 作 上 の 都 合 や 視 聴 者 の 反 応 を よ く す る た め に 脚 色 が な さ れ て い る。 二 〇 〇 九 年 の﹃ 天 地 人 ﹄ で、 主 人 公 直 江 兼 続 は﹁ 愛 ﹂ の 字 の 兜 を 被 っ て い る。 こ の﹁ 愛 ﹂ は、 信仰する愛宕権現もしくは愛染明王の一字に由来しているが、ドラマのテーマは﹁義と愛に生 き た 直 江 兼 続 ﹂ で あ っ た︵ 当 時 の 愛 は 愛 執・ 愛 欲 な ど マ イ ナ ス の イ メ ー ジ で、 ﹁ 愛 し て い る ﹂ に相当する言葉は﹁お慕い申し上げる﹂ ︶。また、二〇一六年の﹃真田丸﹄では、豊臣秀吉の政 策を一括して﹁惣無事令﹂と表現していたが、これは中世史家の藤木久志が一九八〇年代以降 に用いた学術用語である。話数と放送時間が限られたテレビドラマにおいて、秀吉の政策を一 括してわかりやすく説明するための措置だろう。
24 ちなみに時代考証の対極に位置する作品を紹介しておこう。必殺シリーズ第二二作﹃必殺仕 切 人 ﹄︵ 一 九 八 四 ︶ だ。 こ れ は 仕 事 人 で も 活 躍 し た、 中 条 き よ し 演 じ る 三 味 線 屋 勇 次 を ス ピ ン オフさせた作品で、京マチ子、小野寺昭、高橋悦史、芦屋雁之助ら大物俳優がキャスティング されている。しかし、舞台となる江戸はトンデモないことになっている。ピラミッドがあった り密林の王者やシャモジ曲げ少年が現れたり、 ﹃江戸城の菊﹄ ︵ベルサイユのばら︶が流行った り⋮。これもまた歴とした時代劇なのである。 そもそも歴史研究は、現代とは異なる常識を持った世界を知ること、過去という異文化との 交流に他ならない。時代劇も海外ドラマを見るような心持ちの方が楽しめる。 ︻国境無用︼ い ま 地 上 波 で は 昼 や 夕 方 に 時 代 劇 の 再 放 送 を し て い な い︵ U H F 局 は 除 く ︶。 し か し、 衛 星 放送やCSでは旧作が毎日放送され、新作も少なからず制作されている。これらの一番の視聴 者はシルバー層だ。一方、時代劇はネット配信もされている。テレビ離れが進んでいる若年層 が偶然見てハマる可能性もゼロではない。時代劇は、世代を超えて楽しまれてきたが、それは 基本的には変わっていない。若年層はこれからも時代劇を一コンテンツとして触れていくだろ う。時代劇好きな若い人たちも少なからずいる。 とはいえ、新作が作りづらいという意味で、時代劇は現在苦境に立たされている。これにつ いては、春日太一﹃なぜ時代劇は滅びるのか﹄ ︵新潮社、二〇一四︶に詳しい。 ﹃斬、 ﹄︵監督塚 本晋也、二〇一八︶のような快作も作られているが、単発の映画ではないテレビの連続ものは 現在NHK以外では作られていない。そもそもお金のかかる時代劇に対して、今の番組制作予
25 算は削られる一方である。作られなければ、視聴されないし、スタッフが培ってきた技術や知 識の継承もままならず、作ること自体もそのうち困難になる。負のスパイラルである。 しかし、世界に目を向けると時代劇は新たな局面に入っている。近年、日本で作られたもの と遜色ない時代劇が海外でも作られているのだ。 ﹃沈黙︱サイレンス︱﹄ ︵監督マーティン・ス コ セ ッ シ、 二 〇 一 六 ︶ や﹃ K U B O ︱ 二 本 の 弦 の 秘 密 ︱﹄ ︵ 監 督 ト ラ ヴ ィ ス・ ナ イ ト、 二〇一六︶などが、その代表だ。時代劇に理解のあるクリエイターが、潤沢な海外資本を使っ て、専門のスタッフや日本人役者を雇用して作っている。つまり、日本でなくても日本の時代 劇 を 作 る こ と が 可 能 に な っ て い る の だ︵ ﹃ パ シ フ ィ ッ ク・ リ ム ﹄ が 歴 と し た﹁ 怪 獣 ﹂ 映 画 だ っ た よ う に ︶。 こ こ に 時 代 劇 作 り の 活 路 が あ る と 思 う。 海 外 資 本 と 提 携 し て、 本 格 的 な 日 本 の 時 代劇を作ればいいのだ。長期間雇用・拘束し、役者にみっちり演技指導を、スタッフに技術を 仕込む。時代劇が生き残る現実的な方法だと思うのだが、どうだろうか。 ︻おわりに―語りて候―︼ これまで好き勝手に書いてきたが、言いたいことはただ一つ。時代劇は面白い。 で き れ ば 、 そ の 面 白 さ を 知 っ て い る 人 は 、 他 人 に も 伝 え て ほ し い 。 時 代 劇 が 存 続 す る た め に は 、 ま ず 興 味 を 持 つ こ と が 大 事 。 良 く も 悪 く も S N S は そ の た め に 便 利 な ツ ー ル だ 。 は じ め は 自 分 が 楽 し み 、 そ し て 同 好 の 士 を 増 や す こ と 。 初 心 者 に は 優 し く 手 解 き を 。 ま ず は そ こ か ら だ 。 ︵附記︶ ︵ 狭 義 の ︶ 時 代 劇 と 歴 史 ド ラ マ の 区 別 は、 作 家 の 京 極 夏 彦 さ ん と の 会 話 か ら 導 き 出 さ れ た も のです。この場を借りて御礼申し上げます。また、各見出しは、必殺シリーズのサブタイトル
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にちなんでいます。どのオマージュかわかってもらえると、少し嬉しいです。
まずはこれまで、あらあらかしこ。