﹁申し子謹﹂の構造
中世期に流行した物語の類型に︿申し子謹﹀があり︑﹁花
世の姫﹂を初めとして﹁築島﹂﹁文正草子﹂﹁毘沙門の本地﹂
コ寸法師﹂﹁浄瑠璃十二段草紙﹂等々幾つか挙げること
ができる︒︿申し子﹀とは︑子宝に恵まれない者が神仏に
祈願し︑その加護によって生まれた子供の事である︒ここ
では︑主に︿申し子の女性﹀を取り挙げて︿申し子﹀の特
質を考えてみたいと思うパ
⇔
ハあよ そこで︑﹁花世の姫﹂の話を基本型にとって論を進める 伊 藤 千 世ことにする︒まずこの話の筋を時間の流れにそって分析してみると︑ 口駿河国の和田の一門豊後守守隆夫妻は︑富も地位もあ る者であったが︑子宝には恵まれず︑わびしい生活を していた︒ 回子宝のない事を憂いていた夫妻は︑観音に願かけをす る︒ 固或る夜︑北の方が︑梅の花一輪︑自分の膝の上に落ち るという示現夢を見る︒︵願いが︑叶えられた事を知 る︒︶ 囚九・十月過ぎて女子が誕生︒名前は夢のお告げの謂わ れから︑花世と名付けられ︑大切に育てられる︒ 国姫君九歳の時︑実母が死ぬ︒ 回姫君十一歳の時︑継母が来る︒
一59−、一
O
●
.
回姫君十四歳の時︑継母の嫉みにより姥が峰に捨てられ
る︒ 回山に入った姫君は︑山姥に助けられる︒山姥より花米︑
うば皮︑小袋を貰う︒
回姫君は︑山姥と別れを告げ︑山姥の教え通り姥皮を身
に着けて山を下り︑やがて中納言殿の屋敷で手水湯を
沸かす釜の火焚き女として雇われる︒
囮姫君は︑中納言の末息子に見初められ契りを結ぶ︒
回中納言の奥方は︑この事をいみ嫌い︑嫁競べの席を設
け︑兄嫁と比べさせてうば皮を着た醜怪な姥︵姫君︶
を追い出そうとする︒
囮姫君は︑この難題を姥から貰った小袋から金銀財宝を
得て解決し︑嫁として認められる︒
回宰相殿︵中納言の末息子︶と共に幸せな結婚生活に入
る︒ 回父や乳母と再会し︑両一門は末長く繁栄する︒継母は
行方知れずとなる︒
というように︑話が展開されており︑回ー回︵Aブロック︶
国〜回︵Bブロック︶囮ー回︵Cブロック︶と区切ること
ができ︑話に一つの難点ができると次の過程で少しつつ良
い方向に向かっていく傾向にある︒この事を小松和彦氏は︑
どのような複雑な物語であっても︑この︿欠損﹀とく充 足﹀という対立に還元することができ︑個々の説話は︑ ︐この錯綜した組み合わせから成り立っているにすぎな ひぱ いのである︒といっている︒つまり物語は︑︿充足﹀か︿欠損﹀で始まり︑それが物語の中で位置が変化し︑やがてどちらかの状況で話が締め括られるということである︒ この考えを基本としてAブロックからみていくと︑守隆夫妻は︑口のプロセスで何の不自由もない裕福な暮らしをしていたが︑︿子宝がない﹀という︿欠損﹀の中で生活しており︑この事を憂いていた彼等は︑回のプロセスでみられるように観音に申し子をする︒他の︿申し子謹﹀でも︑申し子をする人々は︑ある程度現在の生活にゆとりのある者が︑子宝のないことを憂いて神仏に︿申し子﹀をすると ぱユいう型をとっている︒また︑これは︑﹁浄瑠璃十二段草紙﹂では︑ 子種のなきいはれを語りて聞かせ候ふべし︒たかの沼 と申す所に池あり︒かの池の深さ八万由旬なり︒汝が 丈を申せば十六丈なり︒この大蛇多く人を取り︑生物 鳥類を亡ぼしたるにより︑汝に子種はなきそよ︒矢矧 の長者に生るることは︑かの池のほとりに観音堂あり︒ この御堂に貴き御僧一人まします︒かの池の主生仏せ
よとて︑夜昼法華妙典を行ひ︑汝に回向し給ふ︒かの
一60一
御経を聴聞したりし功力により︑ほどなく矢矧の長者
に生れたり︒汝が夫の源中納言は︑人もなき高き峰に
すむ鷲という鷹なり︒大空の鳥の数を亡ぼすといへど
も︑鞍馬を立ちまはり︑朝夕霊仏霊山の鐘の声︑御経
を聴聞したるにより︑公家大名と生まるるといへども︑
その因果により子種はなし︒
或いは﹁長谷寺霊験記−第四貞範祈當寺生長谷雄卿興家 ハはべ門事ーー﹂で
一門短命ニシテ子孫無シ︒家業ト云︑門葉ト云︑我家
既二絶ヘナムトス︒貞範此ヲ歎テ︑當寺二参籠シ︑我
文道ヲ以テ家ヲ興ス息一人︑ト祈請シケレバ︑百日二
満スル承和十一年五月十五日ノ夜ノ夢二︑御帳ノ内ヨ
リ十二三計ノ童子一人来テ︑貞範告テ日ク︒汝ガ一類
ノ先生ヲ案ズルニ︑近比ノ兵乱二︑一門皆官兵トシテ
多ク人ヲ害ス︒天皇世ヲ取テ後︑深ク是ヲ悔テ︑遍ク
勅ヲ下テ︑懐悔ヲ修セシメ︑放生會ヲ行フ︒一類勅ヲ
受テ︑至心ニザンゲスルニ依テ︑人間二生ジ︑今モナ
ヲ朝延二仕トイヘドモ︑殺生ノ飴業有テ︑門葉ノ一門
皆短命ニシテ︑子孫ナシ︒中ニモ汝ハ殊更二︑孕ル女
ヲ殺シテ罪業重シ︒見ヲ与ヘムトスルニ叫ハズ︒唯シ
汝ガ祈請懇ナリ︒我汝ガ子ト成ムト云︒
と書いてある事から︑仏教倫理における罪悪観からきてい ると考えられる︒つまり子供がない事は︑前世に悪事をした報い︑或いは︑後世を見てくれる子供︵人物︶がいないという事は︑来世︑あの世で自分が苦痛をうけてしまう︑家を守っていく者がいないという危機意識を意味してい ぱむ る︒もう一点には︑﹁わらしべ長者型﹂の話の流行からみても︑共同生活していた人々が︑中世に入るに従い家という存在︑血縁という存在︑個人という存在を意識し始め︑ ぱべ共同繁栄から個人繁栄を希求しだしたことによる︒ このようにして子宝がなく<申し子﹀をしたというプロセスから今度は︑団囚では観音の示現夢により子供が授かった事を知り︑子供が生まれ︿充足﹀を得る︒この場合
﹁夢告げにより子宝が授かった事を知る﹂という型を取る ぱア ︿申し子謹﹀が多く︑古くから夢が神秘性をもっているた
め︑神︑仏︑精霊︑異界とのパイプ的役割をしていたとい ハぱこう観念の反映によるといえよう︒夢見る人については女性︑
男性︑両者と必ずしも特定されていないが︑やや女性が巫
の性格を有するため優位のように思われる︒また︿申し子﹀を授かる夢を見る中で︑何かを証拠の品として貰う型が
ま あり︑それにちなんで︿申し子﹀の名前を付けている︒︵こ
の﹁花世の姫﹂では﹁梅の花﹂が膝に落ち︑それが機縁で
﹁花世﹂と名付けられる︒︶故に︑︿申し子﹀の命名には
①加護を受けた神仏にちなんで命名される場合︒
一61一
②﹁一寸法師﹂﹁針かづき﹂等のようにその奇妙な生ま
れたち︑体型からつけられる場合︒
とがあるようである︒この示現夢の点で︑他の祈願内容の
時には︑多くの主人公は不平不満をいったり︑素直に信じ
なかったりと︑ある種のデモンストレーションを行うが︑
この︿申し子﹀神託に関しては︑決して不平不満をいう者
はなく︑ありがたく信じ子供が生まれてくる時を待ってい
る︒これは︑それだけ︿申し子﹀を祈願することが︑当時
の人々にとって切実な願いであったという事を意味してい
るのであろう︒ここまでを︑Aブロックとして話を区切る
ことにする︒
Bブロックに話が進むと︑Aブロックまでは︑主人公は
︿申し子﹀ではなく︑その両親であったのが︑やっと︿申
し子﹀が主人公となり話が進行する︒この場合主人公が母
の死によりその娘へと移行されており︑これは︑父親の死
ではなく︑同性の潜存意識の移行がなされる中で︑その同
性者の望み︵娘の幸せ︶が昇華され娘へとゆだねられてい
る︒とにかく﹁花世の姫﹂は︑母を失うという重大な︿欠
損﹀が生まれた事から︑不幸︵新しい人生︶がもたらされ
てきているのである︒1度を過ぎた愛情からの切り離し
ーしかし︑まだ固のプロセスでは︑母の愛情の︿欠損﹀
を父が補なっていたが︑回のプロセスに進むと︑継母が来 る事によりそれも取りはずされ︑継母が︑悪の存在として登場するのである︒そして固から回のプロセスまでは︑この継母と花世の姫との激しい同性同志の葛藤があったはずであるが︑本文においては詳しく描かれてはいない︒こういう点には︑執筆者が重きをおいていなかったためであろう︒もしくは︑この点を強調しすぎると姫君の醜さがでてしまうためかもしれない︒尚二人の隠された葛藤は︑回のプロセスで完全に姫君の敗北となり︑継母の計画により姥が峰に捨てられる事になる︒ここにおいて姫君は十四歳︑完全に彼女の保護者がいなくなり︑不安と孤独の中におとされ︑残るは超自然社会に住む観音だけになってしまう︒團回のプロセスでは︑山であった山姥︵聖性11観音の化身︶に助けられ︑花米︵食料︶小袋︵財宝︶うば皮︵衣︶を貰い︑中納言の屋敷で働くことになる︒ここでの問題点として︑第一に年齢に注目したい︒彼女のこのさすらい︵苦難︶の旅は十四歳で始まっている︒︵他の多くの︿申し子の女性﹀ ばロも苦難が十三・四歳で始まっている︶この十三・四歳という年齢は︑女子でいえば厄年で︑現在ではこの観念は薄れてきているが︑過去においてはいろいろと儀式が行なわれる年齢で︑この儀式を行い乗り越えれたものが大人の女性 なユとなるとされていた︒するとここでの彼女の苦悩は︑やが ぱロて大人になる通過儀礼の一端として描かれ︑苦難は︑人生
一62一
における成人式として与えられていると考えられる︒いい
かえれば︑一つの生活段階から︑次の段階に移行する際に
は︑なんらかの儀礼とある種の試練を必要とし︑婚姻の前
提としても重要性をもっているといえる︒故に多くの︿申
し子謹﹀の女性の受難は厄年から始まるという事は︑何の
受難もなく成長してしまえば︑普通の人間と同じであり︑
受難があるから神の子として認められ昇華することがで
き︑︿申し子﹀として成長できるという事を意味している
のだろう︒第二に︑團のプロセスで山に入った彼女は︑そ
こで一種の霊力を授かったといえるのではないか︒山姥か
らの贈り物は︑所有者に不老長寿︑無限の富︑地位向上︑ ぱほ 外敵の消滅などの願いをすべて叶える宝物で︑如意宝とい
える物で︑普通の人間では手に入れる事のできない物であ
る︒また︑山から下りた後回のプロセスで︑中納言の屋敷
へ行き新しい人間関係を生んでいるため︑姥が峰で︑彼女
は身を清め山姥︵観音︶によって︑受福の刻印を押されて ヘロロきたといえる︒こうして刻印を押されてきた彼女は︑我が
身の危険を守ってくれるうば皮を着て︑中納言の屋敷で︑
火焚き女として働く事になる︒この仕事を彼女にさせる目
的としては︑火に︑聖なる物を守る︑すべてを清めるとい
う純潔の観念や水に︑洗い清めるという観念があったため えめ であろう︒次に匝の過程で︑宰相に見初められ回の過程で︑ うば皮を脱ぐ事により真の姿を現して︑嫁の座を獲得する︒ところで︑何故回の過程まで姫君はうば皮をかぶっていなくてはいけなかったのであろうか︒山姥が姫君に諭しているには︑真の配偶者にあうまでの危険を防ぐためである︒これを文字通り解釈するならば︑ ①汚い様相をしていれば危険から逃れることができる故 にかぶる︒ ②彼女を今保護することのできるものは観音だけである が︑この観音は他次元存在者であるため︑この加護を 受けやすくするために彼女も他次元に入るためか ハぱび ぶる︒ということがいえる︒しかし︑果してこの二点だけであろうか︒もう一点︑ ③姫君の内面の美しさを真の美しさ︑人間性の高さを際 立たせるために︑表面的な美しさを隠す必要性のため にかぶる︒ということもあったのではないかと思う︒そしてこのかぶり物を抜ぐことにより︑巫女性を脱却し現次元に帰するの ベコである︒またこの脱ぐという行為について︑関敬吾氏は︑ 変装ないしは蛙その他の皮をかぶり︑これを脱ぎ捨て て結婚するということは︑成年式・成女式の儀礼の反 映と見る︒
一63一
図1
幸福度
時間の流れ
といっている︒とにかくこうして彼女の苦難は終わった事
になり︑Bブロックを区切りとする︒
回ブロックに入ってからは︑すべてがめでたしめでたし
で︑継母だけが悪事の報いという事で姿を消させられるだ
けで︑一門の繁栄を示して︿充足﹀の型で話は終結してい
る︒最後に︑三男の宰相だけが︑姫君の真の姿を理解でき
たため︑彼女の夫となり︑一番の福利を得た事から︑末子
繁栄説話型をとっているといえる︒
以上の主人公の行動の流れと幸福度を図式化すると図1
のように示すことができる︒この図は人が︑胎児←乳児←
幼児←少女︵少年︶←青年←成人←死と変容していく中で
通過儀礼として︑苦難︵貴種流離︶が待ちうけているとい
う考えを根本に作成してみた︒
この図1から︑姫君は回回回のプロセスの中で流離を行っ
たため︑幸福を得たという事ができる︒つまり終わりが︑
︿充足型﹀になる型は︑必ず人生における低迷期間が︑通
過儀礼としておかれており︑この期間に主人公は物事を開
拓したり︑人間形成を高め︑次の福の期間に備えている︒
そして︑この再生期間を経て︑受福をもたらす人物︵救済
者︶となる︒この仮説を︑もう少し他の︿申し子潭﹀で考
察してみることにする︒
一64一
口
ベロぽまず﹁文正草子﹂を同じく構造分析してみると︑
国常陸国の鹿島大宮司に仕えていた﹁雑色﹂の文正は︑
正直者で忠実に奉公していたが︑ある時大宮司に追方
される︒
回放浪するうちに﹁つのおか﹂の磯の塩屋で手伝いをす
るようになり︑遂には独立して塩焼を始め︑しばらく
の間に富を得て﹁長者﹂となり名前も﹁文正つねおか﹂
と改める︒
回富を得たものの子宝に恵まれず︑その事を大宮司に指
摘され︑鹿島明神に祈願し申し子をする︒
回蓮華︑蓮御前の二姉妹が授けられる︒
固彼女達はすばらしい女性として成人する︒
固彼女達は田舎人でありながら﹁女御の位﹂を希望して︑
大宮司の子息や国司からの求愛を拒否する︒
回その国司が上京し︑関白殿下の子息の二位中将に噂し
たため中将は見ぬ恋にあこがれ︑遂には小間物遣に身
をやつして常陸国に下る︒
回文正の館に到着した中将は︑優雅な言葉を並べた物売
の口上で館にとどまる事ができる︒そして姉の蓮華御 前と契る︒ 回中将の正体が大宮司によってあかされ︑姉を連れて上 京︒ 囮中将から妹の存在を聞いた帝は妹を参内させる︒やが て彼女は女御となり︑一門は栄華を極め︑繁栄する︒と結んでいる︒この話も︿欠損﹀から始まり︵父・文正の流離から始まる︶︑︿充足﹀で終わるという︵一門の繁栄︶型である︒ここでの主な人物の行動を図2で示してみると蓮華・蓮御前の二人は︑﹁花世の姫﹂のように自らが行動するのではなく<申し子﹀が流離する仕事を口回のプロセスでみられるように肉親の文正が生前に︑或いは回團のプロセスでみられるように︑姉の夫となる中将に委託している︒そして︑彼女達はというと︑囹回国の前半のプロセスにおいて︑この話の表面ではみられないが︑激しい家庭間の葛藤がありその間︵彼女達の精神的苦難︶は︑仏堂にこもって身を清めたりして︑自らを静止状態不動の位置で時の来るのを待っている︒いうなれば再生状態に入っているといえよう︒そしてこの再生状態から︑円熟した境地になる頃中将に見い出されその時から救済者・福徳者として存在するようになる︒この話からもまた︑必ず︿申し子﹀達は︑苦難の道があって︑それによって洗礼されて︑救済者
となるといえよう︒
一65一
幸福度 図2
⑤④
r一
巴
﹂⑨⑧ ゜﹄⑨⑧
命 ・⑩
⑦o
ro−
O⑧↓
o\
時間の流れ
へぱ 今度は︑﹁築島﹂でなぞってみることにする︒これを前
と同じように構造分析すると︑
口平清盛が︑福原遷都の後︑平大納言時忠の議を受け︑
輪田泊を築こうとする︒ 回工事がうまく進まず︑安倍泰氏に占わせると三十人の 人柱が必要であるという卦が出る︒国人柱を集める事となる︒囚最後の一人に修行者︑難波入江三つ松の刑部左衛門国 春が捕らわれる︒
aかつて国春夫婦の間には子がなく悲しんで︑鞍馬の多
聞天に申し子を祈願した︒
b一女を設けて︑名月女と名付けた︒
c名月女十四歳の時︑丹羽国小川の庄能勢の藤兵衛家包
に見初められ︑家に連れ帰られてしまう︒
d国春夫妻悲しみのため︑妻は死に︑夫は修業者となっ
て名月女を探すため諸国を行脚する事となる︒
固父の難を聞いた名月女は︑夫の留守中に逃れて来て︑
父の身代りを申し出ようとする︒
回夫家包も名月女の後を追って来て︑妻と共に国春の身
代りを申し出る︒
回清盛︑この愁訴を受け入れ︑国春一人を助けて︑二十
九人を海中に沈めさせようとする︒
固清盛の童︑松王建児︑二十九人の命の身代りを申し出
て受け入れられ一万部の法華経と共に海中に沈められ
る︒回工事はめでたく成功する︒
一66一
回名月女は吉祥天女の化身︑松王は大日如来の化身︑清
盛は地蔵菩薩の化身で︑人柱の救助︑島の成就のため
現れたのであった︒
という︿充足型﹀で終わっている︒これを図式すると︵図
3︶
図3
父
女 湘
b㌦麹・
欧⑭
\tS_.tS__共同体
時間の流れ
幸福度
というようになる︒この図3からや︑本文にも
名月女と申すも︑ただ世の常の人ならず︒鞍馬の大悲
多聞天の御計らひによって︑吉祥天女の化身にて.島
をも成就︑人柱をも助けんために︑名月と現じ給ふなり︒
と書かれている事からも分かるようにこの︿申し子﹀は︑ 共同体福利の使命をもって生まれ︑その使命を果たす力を得るために苦難︵流離︶をし︑その苦難の一部を︑父︑夫に加担させている︒そして ﹁丹波の国の家包が︑舅が命に替はらんと︑思い切る こそやさしけれ︒禁野交野︑能勢の庄︑八百町を取ら するぞ︒舅を扶持し︑天下へもよきに宮づき申せ︒﹂ とて︑下し賜ふこそめでたけれ︒という事から︑彼女は︑共同体だけでなく︑苦難を加担させた代償として︑受福を授けている︒故に︿充足型﹀で終わる型は︑必ず︿申し子﹀が救済者となるために苦難の道がしかれているといえる︒また多くは︑正の方向に動く傾向があると考えられる︒
⇔
これまでの結果︿充足型﹀の︿申し子謹﹀は︑必ず貴種
流離を行うという型で描かれており︑
①運命に流されながらも積極的に行動を起こす者
②自分で静止状態に入る者
と︑いうように︑二つの話型に分ける事ができる︒ところ
で︑今まで見てきたものは︑︿充足型﹀︵以後α型とする︶
であったが︑図4でも示したように︑物語も︿欠損﹀で終
一67一
④家族への 幸福 ◎共同体への不幸︵災難︶ 神仏からの使命が失敗に終わる
◎共同体への受福 神仏からの使命 を成功させる︒
α型ー④﹁花世の姫﹂ ﹁文正草子﹂etC
α型ー◎﹁築島﹂ ︵本地物︶etCβ型1◎﹁浄瑠璃十二段草紙﹂
β型ー◎﹁弁慶物語﹂ ◎家族への 悲劇 わる負の性格をもった型︵以後β型とする︶があってもいいはずである︒そこで︑β型について考えてみたいと思う︒この場合︑仮にβ型ー◎を﹁浄瑠璃十二段草紙﹂β型ー◎を﹁弁慶物語﹂であると考察していくことにする︒ β型ー◎に入れる事ができるのではと思われる﹁浄瑠璃十二段草紙﹂を構造分析すると︑ 口三河国の国司の源中納言兼高夫妻は︑富と地位を得て いたが︑子宝に恵まれず︑わびしい生活をしていた︒ 回夫妻は︑峯の薬師に︑申し子を祈願する︒ 回願いが叶えられて一女が授り︑示現夢の謂われから︑ 浄瑠璃御前と名付けられる︒ 回姫君の十四歳の時︑金売り吉次と共に下って来た義経 と琴と笛の吹き合わせの縁で結ばれる︒ 国母の長者御前にこの事が知れ︑義経は彼女のもとから 去って︑奥州の道を歩む︒ 固義経︑駿河の吹上浦で︑重病に倒れ︑一人浜辺に取り 残される︒ 回姫君︑八幡大神の示現夢により︑義経が旅の途中重い 病気にかかったことを知る︒ 回姫君︑義経を尋ねて吹上まで旅をしていき看病する︒ 回義経︑本復する︒
匝義経︑姫君に本名を明かし再会を約束して別れ︑奥州
一68一
に旅立つ︒
回姫君︑義経の命で︑天狗によって矢矧の宿へ送り届け
られる︒
と結んでいる︒︵囚型とする︒︶︿申し子謹﹀の一般型は︿申
し子﹀をした一家或いはその共同体が利益を得るが︑ここ
ではその事について触れられていない︒この続きを異本
ばむでは更に書いているのでその流れを見る事にする︒
囮三年後︑義経の兵を率いて︑都に上る︒
回姫君を尋ねるために矢矧の宿に立ち寄る︒
回乳母の冷泉から次の話を聞く︒
姫君は義経と契り︑家を出て義経を介抱したという
ので︑母の長者御前に嫌われ︑家を追い出される事
となった︒そこで自分が姫君を補育してきた︒しか
し三ヶ年姫君は︑義経を待ち望んでいたが悲しみの
あまり死に︑今日が四十九日目だという︒
回義経︑姫君の墓所を参って︑和歌等の贈答から︑姫が
浄仏した事を知る︒
囮姫のために寺が建立される︒
囮母の長者御前に罰が下る︒
回義経京に上り︑平家を平らげて源氏の御代とする︒ ぱびと結んでいる︒︵回型とする︒︶また﹁じょうるりえんぎ﹂
では︑国から固までのプロセスは囚型とほぼ同じであるが︑ この後が︑ 回姫君は︑悲しみのあまり菅川へ身を沈める︒ 回長者悲しんで︑誓願寺において︑姫の佛果菩提を弔う ため︑十王堂を建立︑中尊に子安廷命地蔵井に十王を 安置︑義経・浄瑠璃の像を籠置いて仏事勤行する︒と結んでいる︒︵回型とする︒︶このいずれも申し子である姫君が︑受福を得て幸せになったとは書かれていない︒囚型はまだしも︑国型回型では︑姫君は︑家族関係も潤滑にいかなくなり︑義経とはあうことができないという不幸がおおいかぶさり︐傷心のあまり自殺︑或いは病気にかかり亡くなるという型になっており︑せっかく<申し子﹀をして幸せな家庭生活を築いてきたのに︑義経の出現により︑それは壊され︑家にも共同体にも福利が授かる事なく悲劇な結末で終わっている︒では一体彼女は︑何のために︑神仏によってこの世に生を受けさせられたのか︒︿申し子﹀たる所以は何であったのだろうか︒ここで考えられる事は︑彼女は︑自分を犠牲にして義経を助けるという使命をもっていたという事である︒なぜなら︑この二人の運命を図式すると︑図5のようになり︑彼女が不幸になるたびに︵苦難が与えられるたびに︶義経に受福が与えられ︑不幸・苦難の置換が姫君と義経の間でおこっているからである︒姫 ハぱおり君は﹁御曹子島渡り﹂の吉祥天女と同じ役目をしていると
一69;
幸福度 図5
時間の流れ
いえる︒結局︑この話の真の主人公は義経であり︑彼が神
仏の加護を受ける価置をもった人物だったという事を示す ため︑彼女を︿申し子﹀としたのでは︑︵身分ある女性としたのでは︶ないかと考えることができる︒故にβ型ー囚を負の性格をもった話であるという仮説は︑不都合となる︒ ば 今度は︑β型ー日と仮定した﹁弁慶物語﹂について考えてみることにする︒この話を構造分析すると︑ 田熊野の別当弁心は︑四十過ぎても子供が授からないの で︑若一王子に申し子を祈願する︒
回とびの羽を一つ賜る夢を見る︒
回女房懐妊し︑三年過ぎて生む︒
囚生まれた子が︑鬼子のようであったため深山に捨てら
れる︒
固都に五条の大納言と申し上げる人が子供が授からない
事を悲しんで若王子に申し子をする︒
回大納言︑若王子の示現により︑この子を拾いあげ︑若
一と命名して養育する︒
團若一が七歳の時︑比叡山の西塔の伯香の竪者慶俊の御
坊へ上る︒
回学門︑詩歌 管弦とその才を発したが︑乱暴を働くた
め一山の訴訟となる︒
囮自ら剃髪し︑武蔵坊弁慶と名乗り下山する︒
回弁慶諸国をいさかい修業に赴く︒
⑫弁慶︑三回義経と出会い︑三回とも負ける︒これを機
一70一
縁に主従の契りを結ぶ︒ 六月十五日−北野の社旦
七月十四日−法勝寺
八月十七日−清水寺
囮清盛これを聞き︑穏やかでないと思い弁慶を捕らえよ
うとする︒
回弁慶この難︑智略によって逃れる︒
囲義経と共に京の都で悪行を繰り返した後奥州に下る︒
というようになる︒彼は︑回囚のプロセスでみられるよう ハなあソに︑生まれた時から厄介者であったらしく﹁自剃り弁慶﹂ ハはのシ﹁橋弁慶﹂においても同じような話を載せている事から︑
弁慶という人物は︑鬼子として生まれ山中に捨てられると
いう運命を持っており︑生まれた時から︑苦難をしいられ
た人物であった︒そして彼は︑山に捨てられるたびに︑山
に上るたびに︵比叡山︶1愛情というものから切り離さ
れるたびにー怪力︑智恵を授かり大きくなる人物として
描かれている︒しかし︑多くのものに迷惑をかける弁慶は︑
︿申し子﹀としては︑相応しくなく<申し子﹀としての宿
命が解けなくなる︒それでは︑一体彼は何のために生まれ︑
苦難を得たのか︒この本文に
さて武蔵房思け口口口災︑ゑいざんを︑おい出されて︑
ゑせ者の名を︑得たる上は︑日本國をまわりて︑いさ かい修行を︑はしめんに︑我朝に︑弁慶ほどの者なく は︑大唐へわたり︑七御門の内を︑闘謹して︑まわら んに︑武蔵程のものなくは︑道心おこして︑成佛せん 若又︑吾朝なりとも︑弁慶ほどの︑ものあらば︑現世 当来迄も︑ちぎりなん︒と書かれている事や話の流れから︑彼の苦難︵厄介者とはじぎ者にされる運命︶︿申し子﹀としての役目使命は︑義経を助ける事であると考えられる︒具体的に言えば︑ ①自分より一ランク上の義経︵超貴種︶を助けるために︑ そのかわりの苦難をしいられ︑その使命を果すため︑ それに見合うだけの力を身につけるために申し子でな くてはならない︒ ②義経の家来は︑常陸坊海尊を始めとする四天王︑佐藤 兄弟等︑智略に勝れた豪傑ぞろいであったとされてい るため︑その統率者である弁慶は︑並はずれた人物に へ 形成されなくてはならなく申し子にした︒という二点が挙げられる︒また彼を愛情の欠損という関係で図式した図6で分かるように︑義経の出会いによって弁慶は前とはかわって救済者の位置に達している︒以上の事から︑弁慶の厄介的な性格も︑右の二点を際立たせるためには必要であり︑必ずしも負の性格とみることはできない︒ 以上の事から悲劇的な結末を持つ﹁浄瑠璃十二段草紙﹂︑
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・
図6
幸福度
時間の流れ
共同体に災難をもたらす﹁弁慶物語﹂は︑負の性格をもつ
β型であると仮説をたてて考えてきたが︑完全なるβ型だ
という事ができなくなった︒つまりβ型に存在する︿申し
子﹀は︑自分を犠牲にして貴種を浮び上がらせる救世主と
して描かれているため︑ある地点でどうしても負から正へ
置換してしまうからである︒結局︿申し子﹀は苦難という
通過儀礼を経て必ず誰かに何か福利をもたらさなくてはい
けないという特質をもっているからであろう︒故に︑人々
は神仏に祈願し子供を得ようとするのであろう︒
四
さてこうして︿申し子謂﹀をみてきて次の事柄が考えとしてまとめられるだろう︒
ω︿申し子謂﹀には︑大きく分けてα型とβ型の二種類
が存在する︒α型は︑苦難︵流離︶の末︑自分に危害
を与えた者以外は︑自分に関係する人々︵夫︑父等︶
に受福を与え︑末長く一門子孫繁栄の約束をさせかつ
福徳者となる型である︒これに対するβ型は︑︿申し子﹀
より一ランク上の貴種が存在し︑この者に受福を与え
るために自分を犠牲にし︵苦難を肩代り︶︑その者を
より際立たせるという役目をもった型である︒一般的
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にα型が広く流布されており︑β型は特異な例であま
り示すことができない︒
②︿申し子﹀達の多くは︑自己を確立するためには︑長
い苦難︑自己への長い静かな集中期間が必要であり︵子
供の時代から自分自身になるために︶それに耐えて最
高に完成された福徳者・救済者或いは救世主となる︒
つまり苦難の道が通過儀礼という型で必ず話の中に折
り込まれている︒
③α型に関しては︑︿申し子﹀がなぜ幸せになれたかと
いうのは︑﹁花世の姫﹂に例をとるなら︑彼女がもっ
ていた生活を破壊させたために幸せになれたといえ
る︒安定した生活をしていた時︑彼女は意志をもたな
い主人公であった︒しかしそれがくずれ出すにした
がって彼女は︑その運命に流されながらもその中にお
いて︑努力し仕事をし︑自分で行動し始めている︒意
志をもって自分自身で状況を整え出しているためであ
ろう︒市古貞次氏は︑中世小説の主人公を
特に女主人公は︑物はかなくたをやかな人間︑管絃
に達し︑源氏︑萬葉︑古今︑伊勢物語に通じてはゐ
るが︑意志のない美しい人間に描き上げられるのが
常である︒そこには個性は殆ど認められない︒むし ハぱカザ ろ人形だといった方が當ってゐる︒ といっている︒もちろん︑たおやかな面も有しているが︑その裏には前で述べたように︑土壇場の強さをもった︑ただ流され或いは耐えているひ弱な女性ではなく︑それをはね返すだけの力をもった女性として存在していると思う︒ 以上これらの結論から︑︿申し子﹀に対する中世の人々の熱い思い入れーこういう人物と巡り遭い受福を受けたいーが︑︿申し子語﹀として形成され︑世の人々の楽しみとなったと思われる︒また︑︿申し子譜﹀は︑一時期︿申し子﹀を零落させている事から︑真に美しい︑素晴らしい人間とは何かという人間の価値を問うており︑古代から中世にかけての人間の価値基準の変化を暗示している︒その事が下剋土の中で生きている中世の人々に好まれた所以のような゜気がする︒
ω ﹃室町時代物語大成第十﹂︵角川書店 一九八二︶の中に編纂 注
されている赤木文庫蔵の﹃花世の姫﹂による︒
② 小松和彦﹁説話の宇宙一︵人文書院 一九八八︶
③ ﹃御伽草子﹂︵新潮日本古典集成 一九八〇︶に編纂されてい
るものによる︒
ω ﹃長谷寺験記﹂︵新典社善本叢書2 一九七八︶の鎌倉末期書
写長谷寺蔵本を底本とし︑句読点は私に付した︒
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㈲ 神仏に受福を祈願し︑それが叶えられるという証拠の品を神
仏から貰い︑それによって幸せとなる利益型の話︒
⑥ 古橋信孝﹁神仏の視界ー.︿申し子﹀の構造﹂︵﹁国文学解釈と
鑑賞﹂ 一九八一 十一月号︶
ω ﹁塵添境嚢紗・壕嚢⑨﹂︵臨川書店 一九六八︶の培嚢⑨の巻
二の四に多く諸例が見られる︒
⑧ この事に関しては︑西郷信綱氏が﹁古代人と夢一︵平凡社・
一九八六︶の中で︑江口孝夫氏が﹃日本古典文学夢についての研
究﹂︵風間書房 一九八七︶で諸例を挙げて述べている︒⑨注mに同じ
00@﹁浄瑠璃十二段草紙﹂の浄瑠璃御前・﹁築島一の名月女︑その
他﹃毘沙門天之本地﹂︵﹁室町時代物語大成第十こに編纂の慶応
義塾図書館蔵︶の天帝玉姫等々数多くの物語を挙げる事ができる︒
ω この事に関しては︑中山太郎氏が﹁日本民俗學・風俗篇﹂︵大
岡山書店 一九二五︶P59〜P61で諸例を挙げ述べている︒
02@Aファン・ヘネップ﹁通過儀礼﹂︵弘文館 一九八二︶で﹁通
過儀礼の図式は人生のある段階がら次の段階への通過︑あるいは
ある社会的階位から他の階位への通過に伴い︑通過を容易にし︑
あるいは通過の条件となるような一連の儀式に見られるのみなら
ず︑一般社会︑特定社会︑あるいは個人の利益のために用いられ
るいろいろな自律的体系の根底にも存在する︒﹂と︑述べている
論を参考︒
03@﹁別冊國文学・王朝物語必携﹂︵學燈社 一九八七 三十二号︶
の島内景二氏の﹁如意宝・如意宝珠﹂の説を参考︒
oo@﹁別冊國文学・王朝物語必携﹂︵學燈社 一九八七 三十二号︶
の島内景二氏の﹁山にのぼる・山からおりる﹂の説を参考︒
09@火を焚くという観念については︑岡田啓助氏が︑﹁﹃花世の姫﹂
と民間伝承﹂︵日本文学 一九七七︶で︑水の観念については︑
鈴木弘道氏が︑﹁御伽草子﹁鉢かづき﹂の変装趣向とその原拠﹂︵﹁奈
良大学紀要4﹂ 一九七五︶で述べている︒
06P ﹁季刊自然と文化ー︹特集︺かぶるー﹂︵日本ナショナルト
ラスト 一九八五 夏季号︶の中の﹁異界創出装置としての﹁か
ぶりもの﹂﹂の小松和彦の以下の発言︑﹁稜れを負った者たちが自
分自身を隔離の状態に置くために︑﹁かぶりもの一や傘をかぶっ
たりさしたりしたのとは逆の立場から︑貴人たちもまた﹁かぶり
もの﹂や傘を多用したらしい︒すなわち稜れた者や物と接触した
りそれを見たりすることで︑その稜れが移るのを恐れて︑﹁かぶ
りもの﹂をかぶることで宗教的な意味での囲いを作ったわけ
である︒
﹁かぶりもの﹂は日常生活に不可決な異界創出装置﹂を参考︒
08@関敬吾﹁関敬吾著作集圖昔話の構造﹂︵同朋社 一九八一︶
09@﹁御伽草子集﹂︵小学館 一九八〇︶に編纂されているものに
よる︒⑳ ﹃幸若舞一︵平凡社 一九八六︶に編纂されているものによる︒
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00@森武之助﹁浄瑠璃物語研究﹂︵井上書房 一九六〇︶の中の
熱海美術館蔵の上瑠斑による︒
㎝ 簗瀬一雄編﹁説話資料集︵第二冊ご︵碧沖洞叢書第六十一輯
一九六五︶の中で編纂されているものによる︒
㈱ ﹁御伽草子集﹂︵小学館 一九八〇︶に編纂されているものに
よる︒04@﹁室町時代物語大成第十二﹂︵角川書店 一九八二︶の中に編
纂されているものによる︒
㈱㈱ ﹁未刊・御伽草子集と研究二﹂︵未刊国文資料刊行会 一九
五二︶に編纂されているものによる︒
⑳ 市古貞次﹁中世小説の研究﹂︵東京大学出版会 一九八一︶
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