■アブストラクト
1996年の保険業法改正による保険自由化から20年が経過した。損害保険事 業においては,金融システム改革法を含む一連の保険業法改正,これに多大 な影響を与えた日米保険協議,独占禁止法適用強化の象徴となった機械保険 連盟事件等を経て,事業の内容に大きな変化が生じることになった。
保険自由化の結果,損害保険業界では商品を巡る競争が激化し,ローコス トオペレーションの進展と相まって,大規模な統合・再編の動きが生じ,現 在は⚓メガ損保にまで至っている。また,負の側面として保険金支払い漏れ 事件が生じ,これは後の保険募集制度改革に繋がることになった。
そして現在,損害保険業界は自由化によって生じた様々な変化に加え,
ERM 経営や国際的な保険監督の枠組み等,新たな課題に直面している。
■キーワード
保険業法改正,日米保険協議,独占禁止法の適用強化
⚑.はじめに
保険自由化に関して,記録として残されたものは表面的な結果に留まって いる。これらは全体の中のごく一部にすぎない。自由化前,実体的監督主義 の名の下で損害保険業界内において何が行われていたか,自由化を目指す保
*平成29年⚖月⚒日の日本保険学会関東部会報告による。
/ 平成29年⚙月⚔日原稿受領。
損害保険事業における自由化の進展と 現在の課題
栗 山 泰 史
険審議会の議論の過程で損害保険業界はどのように考えていたか,日米保険 協議は自由化にどのように影響したかといった保険自由化に関わる具体的な 事実の多くは,当時,これに関わった保険会社等の組織内非公表文書,また は,個々人の記憶とメモ等に残されるのみといっても過言ではない。
筆者は,1991年⚑月から1998年⚓月までの約⚗年間をいわゆる MOF 担1) として過ごし,この間,二度にわたって社団法人日本損害保険協会(以下,
損保協会)における協会長会社の事務局業務に従事した。そして,この時に,
保険業法改正と日米保険協議が同時に進行した。本来は,同様の業務に当た った多くの人から事実を聴取し,オーラル・ヒストリーとして構成すべき内 容であるが,以下では自らの経験をベースにできる限りのことを記すことで 保険自由化前後のプロセスを動的に描きたい。併せて自由化後20年を経た現 在の損害保険事業の課題について述べることとしたい。
⚒.保険自由化前の損害保険事業
⑴ 法的枠組み
①自由化における結節点
保険自由化にはいくつかの結節点が存在する。1996年⚔月の保険業法の改 正,同年12月の日米保険協議の決着,いわゆる金融ビッグバンの下で行われ た1998年12月の金融システム改革法の施行,概ねこの三つである。
1996年に改正される前の保険業法は漢字とカタカナによって表記されてい た。当時,カタカナは古い保険制度の象徴とされ,カタカナをひらがなに改 正することによって保険制度全体が新しい体系に生まれ変わることになると いうのが行政と業界に共通する認識であった。改正前の保険業法は,どこか を変えれば他も変える必要が生じるという点で部分的な改正が困難であった。
シンボリックにいえば,カタカナがひらがなに変わることによって,以降は 時々の状況に応じた部分的な改正が可能になった。現実に96年の全面改正以 1) 当時の大蔵省(現在の財務省)の英訳 Ministry of Finance の頭文字を取り,
金融機関,保険会社の大蔵省担当者を⽛MOF 担⽜と称した。
降,保険業法は臨機応変に改正されている。従って,保険自由化前の法的枠 組みを振り返るに当たり,1996年⚔月の保険業法改正を結節点として,その 前後で区切ることとしたい。
②自由化前の法的枠組み
自由化前の法的枠組みとしては,①保険業法(政省令を含む),②損害保 険料率算出団体に関する法律(以下,料団法),③保険募集の取締に関する 法律(以下,募取法)の三つが柱となっていた2)。具体的には次の三つの規 定が生保を含む保険事業の根幹を支えていたと考えている。第一に独占禁止 法の適用除外,第二に保険募集に関する規制,第三に資産運用(財産利用方 法書)に関する規制である3)。
第一の独占禁止法(以下,独禁法)の適用除外には,全面的適用除外と部 分的適用除外という二つの区分が設けられていた。前者は,海上保険,航空 保険,自賠責保険,地震保険4)にのみ適用され,後者は,⽛保険又は再保険 の取引に関する数量の決定又は制限⽜や⽛保険約款の内容の決定(保険料率 に係るものを除く)⽜といった表現で適用除外が定められていた。
さらに,これに関しては料団法が重なり合っている。この法律によって料 率算出団体による共同行為を規定する一方で,独占禁止法の適用除外等に関 する法律によって当該団体による共同行為は独禁法の適用除外になる旨が定 められていた。保険業法,料団法,独禁法におけるこうした規定は,損害保 険事業における商品規制を厳格に行うことを目的としていた。
そもそも,保険事業における消費者保護を考える場合,二つの視点が必要 になる。一つは保険契約者を保険会社の破綻から守ることである。もう一つ は不適切な募集を排除することである。損害保険事業における商品規制によ
2) 他には,外国保険事業者に関する法律。
3) 他には破綻処理。破綻会社が生じた場合,それが保有する契約を大蔵大臣の 命令によって他の損害保険会社に強制移転するという措置が柱になっていた。
1969年にフィリピンのキャピタル社日本支社の契約につき当時の安田火災海上 保険株式会社に対して大蔵省が下した包括移転命令がその適用例である。
4) 地震保険に関する法律に規定する家計向けの地震保険に限定される。
って,⽛事故が起こらないかもしれない⽜という経営の楽観主義による保険 会社間の過当競争を回避し,保険契約者を保険会社の破綻から守る体制が構 築されていたのである。
第二の保険募集規制は,不適切な募集の排除を目的とするものである。こ れに関しては,第二次大戦前は主として業界内の自主規制によって維持され ていたが,1948年に募取法が制定されることにより,以降は法定の規制とな った。募取法の柱は,圧力募集の禁止等の行為規制と生命保険募集人の一社 専属の二つである。商品規制が主として損保事業を対象としたものであるの に対し,募集における行為規制に関しては生損保共通であるものの,一社専 属制は生命保険募集人のみを対象とするものであった。損保においては商品 規制,生保においては募集規制という枠組みが設けられていたのである5)。
第三の資産運用に関する規制に関しては,国内株式30%,外貨建資産30%,
不動産20%など,保有する資産の種類ごとに総資産額に一定の比率を乗じた 額を上限とする資産運用比率規制が存在した。そして,これをベースに個々 の保険会社の資産運用の方法を具体的に規定した財産利用方法書について大 蔵大臣の認可を必要とすることで資産運用を厳格に規制することになってい た。これは保険契約者に対する保険金支払い責任を確保することを目的とす るものであり,当時の大蔵省による⽛箸の上げ下げにまで⽜という保険会社 経営への介入を資産運用の面で可能にした6)。
⑵ 実体的監督主義の下での損害保険業界の実務
①行政と業界の関係
当時の大蔵省は実体的監督主義に基づき監督を行っていた。これの特色は,
保険業法等の法律を根拠としながらも,一方で法的根拠のない通達や担当官
5) 募取法は1996年の保険業法改正時に保険業法に吸収された。
6) 財産利用方法書は1996年の保険業法改正によって廃止となったが,資産運用 比率規制は2012年の保険業法施行規則の改正まで続くこととなった。個別会社 ごとの規制を廃止する一方,一種の指標のような形で規制が継続された。
による裁量的な指導によって個々の保険会社の細かな活動にまで行政が介入 するというものである。この最大の狙いは保険会社の破綻から保険契約者を 保護することであり,これを象徴するのが護送船団行政という言葉である。
こうした中,保険会社は経営の重要課題に関し,大蔵省の担当官に事前に 打診し,議論を重ねた上で判断を仰ぐための組織的対応を行った。そこで配 置されたのが先に記した MOF 担である7)。損害保険業界の場合,経営全般 にかかわる事項を担う企画部門,保険の認可に関する業務を担う商品部門を 中心に,募集制度,損害調査,経理・財務等,部門別に人材が配置されてい た。
ただし,こうした組織的対応は一部の大手保険会社に限定され,また,大 手保険会社においても当時の厳しい規制の環境下では個別会社の特色を発揮 する必要性は必ずしも高くなかった。また,大蔵省においても個別会社ごと に対応するよりも損害保険業界としての統一的見解をベースとした行政が望 ましいことが多かった。このような経緯から行政と個々の保険会社の中間的 存在として活用されたのが損保協会であった。従って,業界としては協会長 会社8)を中心として大蔵省との折衝の場が築かれていた。
②業界委員会による共同行為
損保協会は,2012年⚔月⚑日から一般社団法人に改組したが,それまでは,
公益法人としての社団法人であった。社団法人は,公益事業とともに会員の ための共益事業の二つの事業を行うが,自由化前の損保協会は共益事業を中 心とする団体であり,これを担っていたのが各種の委員会組織である。事業 の全般にかかわる企画委員会,保険種類ごとに設置された商品委員会,その 他,募集制度,損害調査,総務,経理,財務,広報等,業務分野別に委員会 7) これによる⽛過剰接待問題⽜が社会問題化したが,筆者の経験上,これは陳 情を実現するためのものではなく対等に議論するための⽛土俵づくり⽜であっ たと考えている。当時の官民の関係において,対等に議論する土俵を作るため には,前提として友好な人間関係の形成が必要であった。
8) 東京海上,安田火災,三井海上,住友海上の⚔社が,保険自由化の進展当時,
損保協会長会社を輪番制で担っていた。
が存在し,そのメンバーは各保険会社が担った。そして,損保協会の職員は それら委員会の事務局を担い,損保協会の組織もまた委員会に対応した体制 となっていた。損保協会は,まさに業界における共同行為の場であった。
中でも力を発揮していたのは自動車,火災,新種の商品別に設置された委 員会であり,商品に関わる基本的なルールの多くが,委員会によって業界共 通のものとして決められていた。当時,料団法の下で約款と料率に関して共 同行為が認められていたのは自動車・火災・傷害のみであった。しかし,保 険業法の中に独禁法適用除外が設けられていたこともあり,あまり深く独禁 法上の問題を吟味することなくその他の種目についても業界委員会を中心と して様々な共同行為が行われていた。
損保協会の委員会を通じた業界としての共同行為は,保険商品だけでなく,
その他の分野でも広く行われていた。損害調査分野では,業界としての標準 となる損害調査に関わる約款解釈や各種の対応が行われていた。保険の募集 分野でも同様に,代理店としての種別と個人資格をベースとしたノンマリン 代理店制度が作られていた。 保険会社や代理店の監査についても同様に,
損保協会としての監査制度が設けられていた。保険会社の経営に関わる重要 な事項は大蔵省が検査する一方で,契約規定等の実務に近い部分については,
保険会社で長年営業現場を経験してきた各社のベテラン社員が OB になった 後,損保協会の監査人に登用されて検査を行う態勢になっていた9)。
③業界委員会の意義と限界
損保協会の委員会体制によって各社の商品,損害調査,募集,その他多く の分野での共同行為が生み出す規律によって,保険の歴史上,繰り返し見ら れる保険会社間の破滅的な競争が発生し得ない状況がつくり出されていた。
そして,当時の大蔵省は損保協会の委員会を上手に活用した。知識・ノウハ
9) ノンマリン代理店制度や損保協会による業務監査は,いわゆる業界団体の自 主規制機能に近い性格を有するものであったが,これらは証券業界のように自 主規制機関として制度的に確立されたものに発展することなく,保険自由化と ともに消滅することになった。
ウを持った各社社員が英知を結集し徹底的に議論を重ね,一定の妥協を経て 生み出される委員会の場での結論は,大手会社等,特定の保険会社に過度に 肩入れすることのない中立的な性格を持つため,大蔵省が護送船団行政を実 施する上での重要な糧となった10)。
しかしその一方,保険会社の協調のゆえに競争が減少し,経営の非効率性,
商品の画一性,資産運用の保守性等の弊害が生じ,結果的に,保険契約者の 利便性が阻害されるという事態が生じた。さらに,大蔵省による規制や業界 委員会を通じた協調が,社会全体の自由化の進展の中で各社の手かせ,足か せと感じられる局面が次第に増えていったことも一つの事実であった。
⚓.保険自由化を巡る動き
⑴ 保険自由化に至る動き
損害保険事業に対する規制は,1990年代の初めころから見直しを求められ るようになった。その動きを,①保険業法の改正,②日米保険協議,③行政 の変化,④独禁法の適用強化の⚔つに分けて記す。
①保険業法の改正
1980年代の終わり頃,わが国にも⽛自由化・規制緩和⽜の動きが全産業分 野に生じることとなり,金融・保険もその例外ではなかった。銀行,証券の 場合,それまでの制度の抜本的な見直しが金融制度調査会の場で行われてい た。銀行・証券の相互参入に係る⽛銀・証問題⽜,普通銀行・長期銀行・信 託銀行の在り方に係る⽛銀・銀問題⽜が主要なテーマである。
そして,銀行,証券に保険を加えて銀証保の三位一体で議論すべきという 問題意識から,1989年に設置されたのが保険審議会総合部会(以下,総合部 会)である。ここでは,人口の高齢化,金融の自由化・国際化,金融制度改 革の動き等が保険事業を取り巻く環境の変化であると捉え,①保険事業の役 10) 損保協会の委員会以外にも様々な業界組織が存在する。具体的には,自動車 保険料率算定会,損害保険料率算定会,機械保険連盟,船舶保険連盟,損害保 険事業総合研究所,地震再保険,自研センター,損保リサーチ等。
割,②保険会社の業務範囲の在り方,③保険経理の見直し・ディスクロージ ャーの整備,④保険会社形態の在り方11),⑤保険募集の在り方,⑥保険事業 の監督の在り方の⚖項目が検討の対象となった。
総合部会は,1990年⚖月⚑日に⽛保険事業の役割について⽜,1991年⚔月 26日に⽛保険会社の業務範囲の在り方について⽜と題する報告書を取りまと めている12)。総合部会報告書の⽛保険事業の役割について⽜は全体の審議の 総論にあたるもので様々な提言が行われた。当時の損害保険業界が注目した 項目には従来の補償中心の業界が金融事業に発展していく道筋を示すものが 多かった。後にバブル経済として総括されるものの,その頃は損害保険業界 において積立型の保険が急成長し,それまで限界金融機関という位置付けに あった損害保険業界が金融機関として一定のプレゼンスを発揮する可能性が 垣間見えたからである。
その後に公表された⽛保険会社の業務範囲の在り方について⽜において,
⽛保険事業・商品の特質は,保障(補償)・貯蓄・資産運用・金融仲介の⚔つ の機能が結びついている点にある。⽜とされ,金融仲介機能までもが保険機 能の一つに加えられたことで,益々その思いは強いものになっていった13)。 損害保険業界においては,積立型商品の先に生命保険事業を置き,それを梃 子にして金融事業を展望するという流れが生じたのである。
こうした動きは,生命保険業界においてはさらに顕著なものであった。同 報告書における⽛保険商品と金融商品,保険事業と他業態との金融仲介面で の同質性が高まっている。また,欧米各国では,保険事業と他業態との同質 化が進んでおり,銀行等との間で相互参入の動きが見られる。金融制度の見
11) 生命保険業界を中心とする相互会社の在り方を検討するものである。
12) 他に,総合部会の下にワーキング・グループとして⽛国際問題小委員会⽜と
⽛保険経理小委員会⽜を設置し,それぞれ⽛外国保険事業者の取扱い⽜及び
⽛保険経理の見直し・ディスクロージャーの整備⽜について並行して報告書が 取りまとめられた。
13) 当時の安田火災は⽛総合金融機関化⽜を戦略として打ち出したが,こうした 流れを受けた動きであった。
直しに当たっては,利用者利便の向上を図る観点から,制度としては,保険 事業を含めた各業態間の幅広い相互参入が可能になることが望ましい。⽜と いった記述は生命保険業界にとって金融事業における大きな発展をもたらす ものとして受け止められたと思われる。生損保両業界ともに金融事業を展望 したものの,生命保険業界が直接的に金融との融合を展望したのに対し,損 害保険業界はまずは生命保険事業に進出し,その先のステップとして金融を みていたのである。
その一方で,商品・料率の自由化に関して,損害保険業界は算定会制度に 代表される旧来の制度を可能な限り継続すべきとの考えであった。企業分野 における段階的な自由化は時代の流れとして受け入れる一方で,個人分野で の算定会制度や大蔵省による認可制の維持等は契約者保護のために必要と考 えたのである。最終的に,そのすべてが受け入れられることはなかったもの の,総合部会での場では一定の激変緩和措置を獲得することになった。
総合部会での議論は,その後,1992年⚖月の保険審議会答申⽛新しい保険 事業のあり方⽜としてまとめられ,1996年⚔月にこれをベースに保険業法改 正が行われた。ここでは,生損保相互参入,保険仲立人制度の導入,算定会 制度の見直し,商品・料率の届け出制の導入等が実現した。ただし,法改正 の後,日米保険協議の結果がさらなる法改正をもたらすことになったこと,
また,保険業界の金融他業態への参入に関しては金融ビッグバンと称された 大きなうねりの中で1998年⚖月に成立した金融システム改革法の下で実現す ることになったことに留意する必要がある。
②日米保険協議
保険業法の改正に関する項目のうち,特に,商品・料率の自由化,生損保 の相互参入に焦点を絞って,日米両国政府による二国間協議として行われた のが日米保険協議であり,この協議によって損害保険業界の思惑は大きく壊 れることになった。すなわち,緩やかな進展を目指していた商品・料率の自 由化は急激なものになり,生命保険事業への参入に関しては第三分野におけ る後退を余儀なくされることになったのである。
日米保険協議に関して記す際,より大きな⚓つの枠組みを認識することが 必要である。すなわち,①国内(unilateral=保険業法改正),②二国間
(bilateral=日米保険協議),③多国間(multilateral = GATT ウルグアイラ ウンド)である。
保険は長くローカルマーケット(国内に限定される市場)を中心に運営さ れてきた。例えばある人が自動車保険を付保する場合,アメリカの保険会社 に直接付保することはできない。つまり,通常の商品のように⽛輸入⽜がで きないのである。これはわが国の保険業法による規制の結果であり,逆に日 本の保険会社の⽛輸出⽜も多くの場合,各国の規制によって禁止されている。
二度にわたる世界大戦の反省から設けられた多国間協議 GATT の場では,
関税を中心に⽛モノ⽜の貿易に関する議論が行なわれてきたが,ウルグアイ ラウンド以降,⽛サービス⽜の自由化が議論されることとなり14),⽛サービ ス⽜の一環として,金融,保険分野の自由化も取り上げられることとなった。
1986年に始まった GATT ウルグアイラウンドにおいて行われた保険自由化 の議論は,まさに保険の輸出入をどう実現するかという⽛クロスボーダー取 引⽜を巡る議論であった15)。そして,この課題は,総合部会における保険業 法改正という国内(unilateral)での議論が活発に行われていた頃,それと 並行する多国間(multilateral)の議論として登場したのである。
しかし,多国間での課題はそれほど大きな議論を招くことなく収束し,そ の後に生じた二国間(bilateral)での日米保険協議こそがわが国の保険制度 に根本から影響することになった。原則に立ち返れば,保険はローカルな色 彩が強い事業であること,国内における外国事業者への差別的な取り扱いは なかったこと16)から,保険に関する国際的協議は GATT での議論のように 14) GATS(General Agreement on Trade in Services)⽛サービス貿易に関する
一般協定⽜の枠組みで議論が行われた。
15) 結果的に,GATT が WTO に衣更えする中で,マリン,航空,国際間輸送
(M.A.T)の⚓分野に関しては国境を越えた保険取引の自由化が実現した。
16) 逆に第三分野商品に関しては外資系生保のみが販売していたが,この背景に は国内生保の自粛があった。
限られた課題になるはずである。それにも拘わらずアメリカが,当時行われ ていたわが国における保険制度改革の議論に強引に関与してきたのは,当時 の二国間の関係が大きく影響していた17)。
日米保険協議は,日米間の貿易摩擦の激化に伴い,自動車,政府調達,保 険の優先⚓分野を筆頭に,1993年⚗月以降,様々な産業分野別に関して行わ れた⽛日米包括経済協議⽜の一つである。日米保険協議において様々なこと が協議の対象になったが,大きな区分としては主要分野の規制緩和と第三分 野における参入条件の⚒つを挙げることができ,合意時期は1994年と1996年 の二度に及んでいる。まず,⽛94年合意⽜において,①届出制・標準料率・
自由料率の拡大,②ブローカー制度の導入,クロスボーダー取引の認可,③ 第三分野の激変緩和措置導入が合意され,日本側はここで協議は終了したも のと認識していた。
しかし,いったん合意したものが再度,蒸し返されたのである。この時の 最大のテーマは第三分野問題であり,これに⽛94年合意⽜で一度は決着した 規制緩和項目が再度絡んでくることになった。すなわち,損保の生保子会社 に対する参入制限18),第三分野の激変緩和措置の撤廃の条件として,①リス ク細分型自動車保険の認可,②火災保険付加率アドバイザリー制度の拡大,
③届出制種目の拡大,④算定会の料率使用義務廃止,⑤差別化された商品の 標準処理期間内認可が上げられ,この⚕条件が満たされた後⚒年半後に激変 緩和措置は終了ということになった。これらが⽛94年合意⽜の補足的措置の 位置付けとされた⽛96年合意⽜の内容である。この⽛96年合意⽜は保険業法 が改正された1996年⚔月より後の12月時点での合意であったから,改正保険 業法は再度改正されることが必要になったである。
17) この辺りの詳細を記したものとして,山浦広海(2000)⽛日米保険協議と GATS サービス交渉 保険分野国際化の試練に直面して⽜⽝文研論集⽞。
18) 損保の子生保に対する第三分野商品の販売を制限,また,第三分野を販売す る既存生命保険会社の子会社化を制限するというもの。法律としては保険業法 附則121条として定められた。
③行政の変化
自由化・規制緩和のうねりの中,実体的監督主義に基づき通達行政や裁量 行政と揶揄された行政にも大きな変化が生じることになった。その契機とな ったのは1993年の行政手続法の制定である。その後,大蔵省を巡る過剰接待 問題を経て19)1998年に金融監督庁が設置され,併せて大幅な通達の廃止が行 われるとともに事務ガイドラインが策定されることになった。行政手続法の 制定は,日米構造協議という外圧の結果とみる見方があるが,筆者の経験上 は,外圧というよりも行政内部から新しい時代に即した行政の在り方を模索 する中で登場したものと受け止めている20)。
④独禁法の適用強化
改正保険業法や行政手続法等と並んで保険自由化前後の損害保険業界に大 きな影響を与えた法律は独禁法である。独禁法は1947年に制定された法律で あるが,保険に関しては保険業法等に適用除外が定められていた結果,損害 保険業界としては公正取引委員会(以下,公取委)よりも当時の大蔵省との 関係の中でこの法律を意識することが一般的であった。これに変化が生じる きっかけとなったのは,1989年に始まった日米構造協議である。
この協議においてアメリカは,公共事業の拡大や大規模店舗の規制緩和等 の要求をしたが,根本にあった問題意識は,株式の持ち合い,系列取引,貯 蓄投資バランスなどの日本の経済社会構造上の特色にメスを入れることであ った。そして,その主要な柱の一つが独禁法の適用強化であり,これに伴い 公正取引委員会は大蔵省の監督下にあった保険に関しても厳しい目を向ける ようになった。このような中で,損害保険業界を大きく揺るがすこととなっ たのが日本機械保険連盟事件である。
日本機械保険連盟は,1956年に機械保険と組立保険に関する保険会社の事 19) 1996年に制定された公務員倫理法の効果もあって,それまで保険会社側にお いて行政対応を担ってきた MOF 担という職務の性格は大きく変わることにな った。
20) 吉牟田剛(2013)⽝行政運営の転機としての行政手続法制定 議院内閣制に おける行政運営の改革メカニズム ⽞OUKA。
業者団体として設立され,主として再保険に関する共同処理を行うことを目 的としていた。これが,料率に関するカルテル行為を行ったという理由で独 禁法違反を問われ,1997年に解散するに至ったのが日本機械保険連盟事件で ある。損害保険業界は同連盟の解散を命じられただけでなく,最高裁まで争 ったものの54億円を超える課徴金を支払うこととなった。
この事件は,業界全体に共同行為に極めて慎重にならざるをえない状況を 作り出した。中でも損保協会の委員会の中核を形成していた商品,募集,損 害調査等の委員会は根本から存在理由を問われることになった。多くの委員 会が解散し,長年にわたって積み重ねられたルールや資料のほとんどが廃止 または廃棄されることになった21)。
⑵ 保険自由化後の動き
①競争の激化
保険業法改正と日米保険協議による自由化の進展,日本機械保険連盟事件 を契機とする独禁法対応,これらを要因にして,以降,損害保険各社は業界 委員会に依存することを止めて,独自の道を歩み始めることになった。そし て,最初の動きは競争の激化として現れた。競争の激化は,当初,商品・料 率の自由化に伴い保険商品の分野で生じ,ダイレクト系保険会社によるリス ク細分型自動車保険による大幅な保険料割引,大手保険会社を中心にした特 約の多様化による商品の差別化などが行われた。
この頃,世の中全体に株主重視の動きが生じ,保険会社はこの結果,利益 を増大させ,株主への手厚い配当と株価の上昇を強いられることとなった。
商品を巡る競争によって保険料が下げ基調にある状況の中で,利益を確保す るための唯一の道は経費の削減,すなわちローコストオペレーションである。
そして,損害保険各社はこれを推し進め,2000年代初頭の損害保険業界の大 21) 委員会活動の縮小とともに,船舶保険連盟の解散(1997年),ノンマリン代 理店制度の廃止(2001年),損保協会監査室の廃止(1997年)等が代表的な動 きとして挙げられる。
規模な再編を経てついには⚓メガ損保22)の登場にまでつながることとなった。
②保険金支払漏れ事件
2005年から2006年を中心に生じた保険金支払い漏れ事件は保険自由化と因 果関係を有する事件といってよいだろう。厳密には,不適切な保険金不払い,
付随的な保険金支払い漏れ,請求勧奨漏れの⚓つに区分でき,それぞれ性格 や原因に相違がみられる。利益至上主義による不適切な支払い拒否が本事件 の中身と捉えられがちではあるが,実際には支払い保険金があると知りなが ら,またはその蓋然性が高いにもかかわらず請求がないことから保険金が不 払いとなっていたケースが多くを占めている。これに対し,金融庁の行政処 分は,生損保合わせて⚗回,28社に対して発出されている。
保険金支払漏れ事件で問題とされた事例の多くは,保険会社が自社の商品 に他社とは異なる特色を持たせるために特約を活用した商品開発競争を行い,
この結果,保険商品が複雑化したことによって生じたといってよい。商品を 巡る競争において,他社との差別化を図ることは正しい戦略である。しかし,
保険には,供給者である保険会社と需要者である保険契約者の間に大きな情 報格差が存在する。すなわち,情報の非対称性への適切な配慮なく商品を複 雑化したことが保険金支払漏れ事件の最大の原因であった。
情報の非対称性を埋める方策の一つが商品の共通化・標準化である。この 事件を経て,久しぶりに各社の商品部門が損保協会の委員会で議論を積み重 ねることとなり,こうした動きの中で,複雑化した保険商品の簡素化や約款 の平易化について一歩を踏み出すことになった。
さらに,募集分野においても保険金支払漏れ事件を契機に,損保協会をベ ースとした制度化の動きが生じた。保険契約者の保険に関する理解促進のた めには代理店による募集上の品質を向上させることが急務であるとの問題意 22) ⚓メガ損保の旧社名を記すと次のようになる。東京海上グループは,東京海 上,日動火災,日新火災。MS&AD グループは,三井海上,住友海上,大東京 火災,千代田火災,同和火災,ニッセイ損保。SOMPO グループは,安田火災,
日産火災,大成火災,第一ライフ損保,セゾン自動車,日本火災,興亜火災,
太陽火災。
識から,2011年に業界として統一の試験制度である⽛損害保険募集人一般試 験制度⽜を実施することとし,試験の合格を代理店登録の要件とした。これ については,公取委に相談したところ異論が出ることもなく,新しい時代の 業界としての共同行為を実現する上で高く評価できる出来事であった。
⚔.損害保険事業における現在の課題
⑴ 自由化以降の概括
保険自由化によって,損害保険業界は大きな変化を経験することになった。
商品・料率の自由化はローコストオペレーションを要求し,それの究極の形 として損害保険業界全体に合併・統合のうねりが生じることになった。また,
負の遺産として保険金支払い漏れ事件を惹起することにもなった。生損保相 互参入の結果として設立した生命保険子会社は,今や持ち株会社の下で損害 保険会社と併存することになり,グループ全体の収益に大きく貢献するとこ ろにまで成長している。
一方で,保険制度改革の一つとして大きな期待を浴びた金融事業への参入 は,全体としてみれば尻すぼみの状態に留まっているといえるだろう。当時,
損害保険業界に金融事業進出への希望を抱かせた積立型保険は今や見る影も ないほどの存在である。
他に,保険契約者保護制度は,それまでの護送船団行政を転換する上で極 めて重要な抜本的な制度改革であった。保険自由化以降,多くの生命保険会 社が破綻し23),損害保険会社も⚒社が破綻したが24),保険契約者保護制度は 全体としてみれば有効に機能してきたといえるであろう。
実体的監督主義による行政は,今では姿を大きく変え,法律に基づく監督 23) 植村信保(2008)⽝経営なき破綻 平成生保危機の真実⽞日本経済新聞社に詳
細。
24) 損害保険業界においては生命保険業界のような商品や運用を原因とする会社 破綻は第一火災を除いては生じていない。大成火災の破綻はフォートレスリー 事件という特異なケースによるものであり,生保の破綻とは根本的に性格を異 にしている。
指針と厳格な検査マニュアルに基づくルールベースの行政へと変化を遂げて いる25)。保険金支払い漏れ事件の際の保険会社に対する業務停止命令等の行 政処分は行政の形が事前規制から事後処分に変化したことを示す典型的な事 例であった。このような変化を経て,2017年に金融庁は⽛顧客本位の業務運 営に関する原則⽜を打ち出すことでプリンシプルベースを前面に出し,併せ て検査・監督のあり方にも大きく手を入れようとしている。実体的監督主義 からルールベースに変化した行政が,今,プリンシプルベースに踏み出そう としている。これがどのように展開するか,さらに一定の時が経過するまで 評価を下すことはできないというべきであろう。
保険自由化以降の全体の流れを概括すると以上の通りである。以下では,
保険自由化20年を経て生じた損害保険事業における現在の課題を個々の保険 会社と損害保険業界全体に分けて述べることで締めくくりとしたい。
⑵ 保険会社としての現在の課題
①海外・他事業への進出
今や,⚓メガ損保のいずれもが持ち株会社化している。かつて絶対的な柱 であった国内損害保険事業が今では相対化され,生命保険,ヘルスケア,リ スクマネジメント,アセットマネジメント等,様々なグループ会社が損害保 険会社と併存する形で持ち株会社の下に配置されている。
このような中,本格的に海外進出と他事業進出が行われている。海外進出 に関しては,2004年の三井住友海上によるアビバのアジア事業の買収(500 億円)を皮切りに,東京海上によるアメリカのフィラデルフィア(2008年,
4987億円),損保ジャパン日本興亜によるバミューダのエンデュランス
(2016年,6394億円)等26),かつての時代では考えられなかった大型の買収 25) 2008年にベターレギュレーションの下でプリンシプルとルールの適切な組み
合わせが標榜されたが,全体としてはルールベースの行政といってよい。
26) 他に,東京海上によるイギリスのキルン(2007年,1061億円),デルファイ
(2011年,2050億円),HCC(2015年,9400億円),損保ジャパンによるイギリ スのキャノピアス(2013年,2050億円。後に2017年⚙月⚑日付で本年度中の売
が続々と実現している。こうした海外進出は今後も拡大する方向にあり,現 時点では収益にも大きく貢献している27)。
また,他事業への進出に関しては,SOMPO ホールディングスによる介護 事業がある28)。同社は⽛⽝安心・安全・健康のテーマパーク⽞を構築します⽜
をスローガンにして,保険事業に拘らない事業領域の拡大を目指している。
②ERM(Enterprise Risk Management)経営
保険自由化以降,損害保険会社は様々な経営課題とそれに伴うリスクを抱 える時代になっている。このような中,必須になっているのが ERM 経営で ある。ERM の定義について,金融庁は,⽛潜在的に重要なリスクを含め,
保険会社の直面するリスクを総体的に捉え,保険会社の自己資本等と比較・
対照し,更に,保険引受けや保険料率設定等のフロー面を含めて,事業全体 としてリスクをコントロールする,自己管理型のリスク管理を行うこと。⽜
としている。また,損害保険事業総合研究所が立ち上げた ERM 経営研究会 は,ERM 経営という用語を用い,これを⽛各社の経営理念・ミッションな どを前提として,とるべきリスクと許容しうる損失を定め,健全性を確保し つつ収益性の維持向上を図り,企業価値の継続的な拡大を目指す経営のこ と。⽜29)と定義づけている。
そして,金融庁は,2015年度より,保険会社がリスクとソルベンシーの自 己評価に関する報告書(ORSA レポート)を作成した上で金融庁へ提出す る取組みを開始し,同レポート等をもとに,保険会社の ERM 評価を行い,
2016年より結果を公表している30)。こうした官民の連携によって ERM は一 却を発表),三井住友海上によるイギリスのアムリン(2015年,6350億円)等。
27) 鈴木智弘(2015)⽛わが国損害保険会社の国際化 新たな成長とリスク管理 の観点から⽜⽝保険学雑誌⽞629号に詳細。
28) ワタミ株式会社と株式会社メッセージの介護事業を買収。それぞれ,2015年 に SOMPO ケアネクスト株式会社,2016年に SOMPO ケアメッセージ株式会 社に商号変更。
29) ERM 経営研究会(2015)⽝保険 ERM 経営の理論と実務⽞きんざい。
30) 2016年⚙月15日付で⽛保険会社におけるリスクとソルベンシーの自己評価に 関する報告書(ORSA レポート)及び統合的リスク管理(ERM)態勢ヒアリ
層,重要性を増すことになるであろう。
⑶ 損害保険業界としての課題
損害保険業界としての課題という観点では,①国際的保険監督規制,②共 通化・標準化,③保険募集制度改革の⚓点が重要であると考えている。
①国際的保険監督規制
これに関しては,1994年に保険監督者国際機構31)が設立され,以後,各国 における保険監督の調和化・近似化に向けた作業が着々と行なわれている。
具体的には,1997年の⽛保険基本原則32)⽜の制定,⽛国際的に活動する保険 グループの監督のための共通の取組み(コムフレーム)33)⽜に関する検討,
⽛システム上重要なグローバルな保険会社(G-SIIs)34)⽜に関する検討が重要 な課題となっている。
こうした国際的な動きには金融庁も大きくコミットしており35),損害保険 ングに基づく ERM 評価の結果概要について⽜を金融庁 HP に公表。
31) IAIS(International Association of Insurance Supervisors)の邦訳。この定款
⚒条には,⽛保険契約者の利益および保護のために,公正・安全かつ安定的な 保険市場を発展させるべく,保険業界に対する効果的かつ世界的に首尾一貫し た規制および監督を促進させ,世界的な金融安定化に寄与する⽜と記されてい る。
32) Insurance Core Principle 各国の法律や規制が扱うべき必要不可欠な項目を 定めたもので,すべての保険会社を対象とする。
33) ComFrame(コムフレーム)は Common Framework for the Supervision of Internationally Active Insurance Group の略語で,IAIS が国際的に活動する保 険グループ(IAIGs)を監督する枠組みとして検討中。2020年実施を目指してい る。IAIGs は規模および国際活動により選定されるが,日本の保険グループで は損保メガ⚓社と第一生命が対象となる見込み。
34) リーマンショックを契機に,G20と金融安定理事会(Financial Stability Board) が⽛システム上重要なグローバルな金融機関(G-SIFIs)⽜に対し新たな規制を 課すこととしたが,それを受けて IAIS はシステム上重要なグローバルな保険 会社(G-SIIs)⚙社を指定,2022年⚑月から国際資本規制を課すこととなった。
現時点で日本には該当する保険会社はない。
35) 平成28事務年度金融行政方針⽛Ⅵ.国際的な課題への対応⽜を参照。
業界でも損保協会を通じてその動きを注視するとともに提言等を行っている。
経済のグローバル化の中で,国際的な監督に関する動向が,今後の損害保険 業界,中でも⚓メガ損保に大きな影響を与えることは確実である。
②共通化・標準化
機械保険連盟事件を契機として,損害保険業界としての共同行為は大きな 制約を受けることになった。ここで問題と感じられるのは損害保険業界内に おいて共同行為についての過度の委縮が見られることである。
損害保険事業は,保険という商品が大数の法則を基本とするものであるた め,競争関係にある会社が一定の範囲において共同で料率算出作業をしない 限り,そもそも事業が成り立たないという特性を有している。また,料率算 出の基礎として担保内容を標準化する必要があるとともに,保険契約者によ る保険商品の理解促進すなわち消費者政策の観点から標準約款を必要とする 事業である。保険としての特性と消費者保護の観点から,保険業法に明記さ れた地震保険や自賠責保険等,限定的に列挙された分野だけでなく,時々 刻々の状況変化の中で共同行為が必要になるのが損害保険事業なのである。
諸外国の実情36)を概観すると,当然に必要な共同行為はなされている。ア メリカにおいて,約款と料率に関しては,各州の認可を得て設立されるアド バイザリー団体が担っており,その代表が,ISO(Insurance Services Office)
という株式会社組織である。わが国のように特定の保険種目のみに限定され ることなく幅広い保険種目において情報を提供している。これが容認される 最大の理由は,保険会社の業務が効率化されることによる保険料の低減効果 と新規参入が活発化することによる保険会社間の競争の促進効果である。さ らに,アメリカにおいては,事務システムの分野においても非営利団体であ る ACORD という組織が存在し,事務システム上の共通化・標準化を実現 している。
EU においては,標準約款の作成と純率に関するアドバイザリー・レート 36) 損害保険事業総合研究所(2010)⽝欧米主要国における保険規制,監督,市
場動向について⽞。
の算出が,包括的に競争法の適用除外とされてきた。その後,標準約款に関 しては,2010年に対象から外されたが,これは標準約款の作成が保険固有の ものではなく,その他の分野を含む消費者政策全般に関わるものであるとの 観点からの措置で,保険における標準約款の必要性自体を否定するものでは ない。
これら諸外国の現状を見ると,自由化以降のわが国の損害保険業界は,本 来,損害保険事業に必要な共同行為から距離を置きすぎていたのではないだ ろうか。過度に独禁法を意識して萎縮することなく必要な共通化・標準化を 進めることは,保険会社・代理店の業務の効率化につながり,結局のところ,
保険契約者の利益につながると認識すべきであろう37)。
③保険募集制度改革
1996年に保険業法が改正され,保険自由化が実現した。しかし,その際に,
保険募集に関しては保険仲立人制度が導入されたものの代理店を中心とする 保険募集人に関しては改革が先送りされることになった。
保険自由化によって,商品は多様化・複雑化し,それが大きな要因となっ て生じたのが保険金支払い漏れ事件である。保険業法の改正が行われた1996 年からおよそ10年を経た頃の出来事であった。これを契機に金融審議会の場 において保険募集のあり方についての議論が行われ,その結論をもとに改正 保険業法が2016年に施行され,新しい保険募集ルールが登場することになっ た。このルールの柱は,保険募集人一人ひとりに意向把握・確認義務,情報 提供義務を課すこと,代理店に体制整備義務を課すこと,そして,比較推奨 販売を行う乗合代理店に追加的な体制整備義務を課すこと,この三点であ る38)。
1996年の保険業法改正によって保険会社の経営のあり方は根本から変化す
37) 栗山泰史(2017)⽝変わり続ける保険事業 保険業界の明日を考える⽞保険 教育システム研究所に詳細。
38) 栗山泰史(2017)⽝保険募集制度の歴史的転換 募集改革の経緯・狙い・展 望⽞保険教育システム研究所に詳細。
ることになった。それから20年の時を経て,ついに保険募集制度が改革され ることになった。保険業法の柱が保険会社経営と保険募集についての監督と するならば,1996年に始まった保険制度改革は2016年に至ってついに完結し たのである。新しい保険募集制度の下で代理店を中心とする保険募集人がど のように変化するか,保険自由化から20年を経た今,これは最も重要な保険 業界としての課題といえるだろう。
(筆者は丸紅セーフネット株式会社常勤監査役)