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ブック 1.indb

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製鉄技術の伝来とた

たら製鉄

わが国への製鉄技術の伝来 「 鉄 は 産 業 の コ メ 」 と い わ れ る よ う に、 あ ら ゆ る 産 業 に 不 可 欠 な 素 材 で あ る と い っ て も 過 言 で は な い。 鉄 鉱石を還元し、炭素の含有量を調整して、機械部品、建築資材などとして使用する。国家の工業力は鉄の生 産量に比例するなどともいわれる。 鉄は銀や銅に比べ地表に多く存在する。存在量では、酸素、 ケイ素、アルミニウムに次いで多い元素であ る。しかし、存在量が少ない銀や銅よりも鉄の発見と利用が遅れたのは、鉄の 精錬がはるかに困難を伴うも のであったからである。鉄の融点は一二〇〇 ℃ 以上。この温度を得るために、大量の燃料と送風装置をもつ 炉の建設を実現しなければならなかった。 議論の前提として、鉄には、 錬鉄、 鋼、 銑鉄の三種類があることを知っておかなければならない。三者は それに含まれる炭素の量で決まる。 錬鉄、 鋼、 銑鉄のそれぞれの炭素の含有量は、 約〇 ・ 一 % 、一 ・ 七 % 以下、 四 % 以下と考えればよい。この炭素含有量でそれぞれ異なる性質が生じる。 錬鉄は柔らかく加工しやすい。 鋼は 硬さとともに靭性、すなわち粘りをもつ。 銑鉄は硬いが脆く 鋳造しか加工手段がない。 製鉄技術は紀元前一五〇〇~二〇〇〇年頃、ヒッタイトで生まれた。これがインド、中国、朝鮮半島を経 て弥生時代中期以後わが国に伝えられたと長谷川は指摘してい る (1 ( 。それ以前の鉄器はすべて朝鮮半島からも たらされていたという説が有力である。 古事記には、 「応神天皇(在位二七〇 ~ 三一〇年)の御代に百済より 韓 か ら か ぬ き 鍛冶 ・卓素が来朝した」とあるが、 これは後の時代に追記された内容で、年代特定に信憑性がないという指摘もある。平野は、五世紀の初め新

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羅から 銑鉄を使った 鋳造技術が伝わるとともに、五世紀後半以降、百済から鍛冶による 錬鉄生産が伝わった と指摘している。韓鍛冶とは後者を指し、日本国内での砂鉄や鉄鉱石などの鉄資源の開発を行ったことを示 し た (( ( 。 中世になると、鉄の生産はもっぱら砂鉄を原料とするようになり、良質の砂鉄の産地である中国地方に生 産地が集中した。朝鮮半島から鉄鉱石を輸入するとともに技術者を招き、製鉄技術を学ぶ段階から、国内で 採取される砂鉄の利用へとどのように転換していったのかは十分に解明されていない。 砂鉄製鉄の技 術革新と衰退 室町時代までは「野た たら」と言って、山の中 ほ どで風のよく通る斜面などに炉を築いて製鉄が行われて きた。炉は恒久的なものではなく、一定の回数使用後、別の土地に移って新しい炉を建設した。いわば炉を 使い捨てる製鉄方法が行われてきた。技術者は砂鉄や 木炭などの資源を求めて場所を転々とした。 しかし、日本刀の需要が急増し、また釜、瓶などの民生用鉄製品の需要が著しく伸びた。た たらの生産性 向上が求められ、炉の大型化や ふいごの改良が行われた。その結果、江戸時代になると、雨が降っても濡れ ない 高 たかどの 殿 と呼ばれる建物を築き、その中に炉を設けて鉄を作るようになった。生産現場の固定化であり、こ れを「永代た たら」と呼んだ。 た たらの操業は湿気を嫌う。炉やその周辺に湿気は大敵である。そのため、炉を置く地面を深さ約三メー トルまで深く掘り下げ、 炭で起こした熱風によって乾燥と防湿対策が施された。高殿の建造、 炉の下部構造、 ふいごや水車などの送風技術など、概ね江戸時代中期にあたる十七世紀後半には周辺の技術が確立し、 銑鉄 と 鋼の生産体勢が整った。

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た たらの技術が確立した江戸時代は戦のない時代である。日本刀の需要は急減し、それに代って鍬や鋤な どの農具、鉄釜や包丁などの民生用鉄製品の需要が増えた。 たら製鉄   ケラ押しと ズク押し た たら製鉄とは、砂鉄を 木炭で還元して 銑鉄や 鋼を得るわが国の伝統的な製鉄技術である。 た た ら 製 鉄 に は 二 つ の 方 法 が あ る。 「 ケ ラ 押 し 」 と「 ズ ク 押 し 」 で あ る。 ケ ラ と は 鋼 の こ と で、 ケ ラ 押 し とはケラを多く含んだ生成物を得る方法である。粘土で築いた長さ約三メートル、幅約一メートル、高さ約 一 ・ 二 メ ー ト ル の 舟 形 の 炉 に、 ま ず 低 融 点 の 籠 こも り 砂 鉄 と 木 炭 を 入 れ て 燃 焼 し、 ふ い ご で 空 気 を 送 っ て 炉 の 温 度を上げる。少しずつ 真 ま さ 砂 砂鉄の配合を増していき、ケラをゆっくりと成長させ、三昼夜、七〇時間操業し た後に、炉を壊してケラの塊を取り出す。 原料の 真砂砂鉄は花崗岩に一~二パーセント含まれており、岩を切り崩して水を流しながら比重差を利用 し 砂 鉄 を 採 取 し て い た。 こ の 採 取 法 を 鉄 か ん な 穴 流 し と 呼 ん で い る。 余 談 だ が、 鉄 穴 流 し は 大 量 に 土 砂 を 流 出 し、 下流の水田地帯に大きな被害を与えていた。司馬遼太郎は、 八 や ま た の お ろ ち 岐大蛇 を 素 すさのおのみこと 戔鳴尊 が退治する神話は、大蛇に たとえたた たら技術者を追い払う農民願望ではないかと推論している。技術の行使による環境負荷の問題が すでにこの時代にも顕在化していた。 話を戻そう。一回の操業で使う砂鉄一三トン、 木炭一三トンに対し、ケラは二 ・ 八トンしか取れなかった。 そのケラを砕き、最も品質のよい部分を玉 鋼として日本刀などの高級刃物の素材とした。 ズク押しは、ズクと呼ばれる 銑鉄を多く含む生成物を得る方法である。 ケラ押しの場合と ほぼ同じ方法で あるが、チタンを多く含み溶けやすく浸炭しやすい性質がある 赤 あ こ め 目 砂鉄を原料に使い、原料挿入から出銑ま

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で四昼夜を要した。また、溶けた状態で炉の下部から取り出した。こうしてできたズクは選別され、鍛冶に よって脱炭され包丁鉄に、また、 鋳造されて鉄瓶や鉄釜などが製造された。 一子相伝の ケラ押しにせよ ズク押しにせよ、 炉内の温度をうまく制御しないと生成物の品質が損なわれる。炉の構造、 炉に使用する土の選別、砂鉄や 木炭の投入のタイミングなどが重要である。これらは 村下と呼ばれる技師長 がすべて取り仕切った。 た たらの操業には「一釜、二土、三 村下」という言い伝えがある。釜は炉のことである。 村下の談による と、炉の寸法の決定、送風管の位置と角度の加減が肝心であったとい う (( ( 。一七八四(天明四)年に著された 『鉄山秘書』によると、 「砂鉄は良くても元釜悪ければ鉄涌かず」とあ る (( ( 。元釜とは炉の下の部分であり、特 に土の選別が重要であると述べている。土選びは 村下の秘伝中の秘伝であった。また、操業時の砂鉄や 木炭 の投入のタイミングは、炎の色や勢いなどから 村下が長年の経験と勘を頼りに指示を出した。 今 日 の 感 覚 か ら す る と、 村 下 間 の 情 報 交 換 が あ れ ば 一 層 た た ら の 技 術 が 発 展 し た よ う に 思 え る。 し か し、 村下の任は一子相伝で、しかも技術の伝承は口伝であり文書など一切残さなかった。技術の漏洩に相当な神 経を使っていたのである。 村下は最高の尊敬を集めた反面、代償も大きかった。た たらの操業は三日から四日間、不眠不休で行われ る過酷なものであり、長時間炎を見つめ続けるために失明する者も多かったという。また、た たらの操業に 三回失敗すれば解任される掟もあり、毎回、極度の緊張を強いられる職であった。 このように、新しい海外の技術情報に接することもなく、国内の情報交換も極めて限定された中で、独特

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な製鉄技術が経験的に培われ継承されていった。

ヨーロッパにおける製鉄技

術革新と幕末の大砲

鋳造

ヨーロッパにおける製鉄技 術革新 大 陸 か ら 朝 鮮 半 島 を 経 由 し て 伝 え ら れ た 製 鉄 技 術 が、 砂 鉄 を 使 っ た わ が 国 独 自 の た た ら 製 鉄 に 転 換 さ れ、 土着技術化していった時代、ヨーロッパでは大きな製鉄技術の革新が行われた。ヨーロッパの 精錬技術の変 遷を振り返ってみよう。 初期のヨーロッパでは、鉄鉱石を 木炭で還元し、半溶融の 鋼や 錬鉄を得ていた。 鋼になるか 錬鉄になるか は、原料となる鉄鉱石の種類、すなわち産地で決まった。また、この時代の特徴として、手工業的作業に依 存しており小規模少量生産でしかなかった。これは、 銑鉄を経ず 鋼や 錬鉄を 精錬する方法で、 直接 精錬法と 呼ばれた。送風も原始的な手押し、または足踏み式の ふいごが使われた。 ところが、十五世紀頃、ヨーロッパでライン川の下流とマース川にはさまれた地帯に 高炉が登場した。レ ンガや石で高い炉を築き、水車によって強い風を起こして炉に吹き込んだ。これによって一一〇〇 ℃ 以上の 高温が得られた。 高炉の利点は、いったん 銑鉄を得て、再度加熱酸化することで純度の高い 錬鉄が得られる ことにあった。 高炉を用いて 銑鉄を得、次いで 錬鉄を得るこの方式は、前述の 直接 精錬法に対し 二段 精錬法 と呼ばれた。 銑鉄製造という中間工程を経るが、 高炉は鉄の 大量生産の道を拓い た (( ( 。 産業革命期になると製鉄技術に数多くの技 術革新がおきた。第一の技 術革新は、 高炉の燃料としてそれま で使用していた 木炭から 石炭(コークス)に切り替えたことである。十八世紀のイギリスでは、鉄の需要増

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大 に 伴 っ て 木 炭 の 原 料 と な る 木 の 伐 採 が 進 み、 森 林 資 源 の 枯 渇 が 看 過 で き な い ま で に な っ て い た。 そ こ で、 イギリス・シュロップシャー州 コールブルックデールで製鉄業を営む A ・ダービーが 石炭を蒸し焼きにした コークスを利用する 高炉製鉄を試みた。一七三〇年頃のことである。 石炭の豊富なイギリスには福音となる 技術であっ た (( ( 。 それ以前にも、 石炭を利用する製鉄方法の試みはあったが、蒸し焼きした時、 石炭に含まれる硫黄などの 不純物が鉄を毀損させ、失敗を重ねていた。ダービーは、ビール工業などで使われていたコークスを利用す ることを思いついた。コークスには不純物が ほ とんど存在せず、 高炉製鉄に適した。これには幸運もあった。 ダービーが用いた 石炭は、たまたま良質なコークスになりうる強粘性炭であったのである。そして、最初水 車を、次いで 蒸気機関による強力な送風装置を使って高品質な 銑鉄を生産するようになった。イギリスにお ける 高炉製鉄の ほ とんどの現場でコークスが使用されることとなったが、一方、ヨーロッパ大陸では、十九 世紀中頃まで 木炭 高炉による製鉄法が継続した。 第二の技 術革新は、 二段 精錬法の第二段階である 銑鉄から 錬鉄の製造時においても 石炭を使用するように なったことである。一七八三年、製鉄業者の H・ コートは 石炭を燃焼させた反 射炉によって 錬鉄を製造する 方 法 を 考 案 し た。 反 射 炉 は 燃 焼 室 と 精 錬 の た め の 炉 床 が 別 に な っ て い る こ と に 特 徴 が あ る。 石 炭 を 燃 焼 し、 燃焼室で発生した火炎や熱を側方の炉床に集中させ、 石炭含有の不純物が溶融した 銑鉄に入らないようにす ることができた。溶けた 銑鉄から炭素が除去され、 錬鉄に変化する。それを炉の開口部から鉄の棒を差し込 んでこねて引き出す。これをパドル( puddle, 「攪拌」の意)法と呼ん だ (( ( 。 錬鉄を棒状、板状に加工する際、それまではハンマーで叩いていたが、 コートはロールとロールの間を通 して成型する方法を考案した。 蒸気機関がロールの回転動力となった。今日の 圧延技術はこれを起点にして

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