布川玲子先生のご退職に寄せて (岡田万嗣志村欣一 布川玲子十菱駿武教授退職記念号)
著者名(日) 熊 達雲
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 71
ページ 13‑16
発行年 2013‑03‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000506/
布 川 玲 子 先 生 の ご 退 職 に 寄 せ て
熊 達 雲
布川 玲子 先生 は一 九八 五年 四月 に本 学に 就職 され
︑二
〇一 二年 三月 をも って 退職 なさ いま した
︒本 学で 二七 年間 にわ たり 長い 学究 の生 活を 過ご され まし た︒ 私は 不勉 強の ため
︑ま た中 壮年 にな って 中国 から 日本 へ留 学に きて 途中 で就 職し たこ とも あり
︑先 生と 知り 合っ たの は一 九九 五年 本学 の非 常勤 講師 とし て赴 任す る直 前で した
︒今 は非 常勤 講師 を採 用す ると きに
︑書 面だ けで の 審査 で済 みま すが
︑私 が非 常勤 講師 とし て雇 われ たと き︑ 業績 の審 査に あた り実 物の 論文 の提 出が 求め られ たの み でな く︑ 模擬 講義 も要 求さ れま した
︒ま さに この 模擬 講義 のと き先 生に お目 にか かっ たの が最 初の きっ かけ でし た︒ 勿論 その 時は 布川 先生 の名 前を 知り ませ んで した
︒い まで も鮮 明に 覚え てい ます が︑ 模擬 講義 に与 えら れた テー マ は中 国の 改革 開放 政策 につ いて でし た︒ 講義 がお わり 学生 から の質 問を 受け ると き︑ さす がに 学生 から 質問 が一 つ もあ りま せん でし たが
︑一 番後 列に 腰か けて いた 中年 の女 性か ら質 問を 受け まし た︒ その 時︑ 外部 から の聴 講者 か と思 い︑ その 向学 心の 高さ に感 服し なが ら丁 寧に 答え まし た︒ 翌年 に助 教授 とし て採 用さ れ︑ 法学 部の 教授 会に 初 めて 出た とき
︑そ の質 問者 が法 学部 の唯 一の 女性 教授 の布 川玲 子先 生で あっ たこ とが 分か りま した
︒私 の答 えに は 先生 が納 得し たか どう か今 でも わか りま せん が︑ 私の 模擬 講義 には 反感 がな かっ たよ うで す︒ さも なけ れば
︑私 の
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採用 話に は先 生が 反対 する 行動 をと った かも しれ ませ ん︒ 同じ 職場 の同 僚に なっ たも のの
︑専 門の 違い もあ って
︑し ばら くの 間殆 ど付 き合 いの 機会 がな く︑ 日常 のご 挨拶 程度 にと どま って いま した
︒ 今世 紀に 入っ て︑ 法科 大学 院の 創設 とと もに 法学 科に は多 くの 若手 の新 鋭教 員が 採用 され
︑法 学科 では カリ キュ ラム の見 直し をは じめ 教育 改革 の機 運が 生じ まし た︒ その ため
︑専 門の 教育 科目 を担 当す る教 員は それ ぞれ 公法 学︑ 私法 学︑ 基礎 法学 とい った チー ムに 振り 分け られ 改革 の方 策に つい て検 討す るこ とに なり まし た︒ 末席 にい た筆 者 は丁 度︑ リー ダー であ る布 川先 生の 基礎 法学 のチ ーム に入 った ため
︑先 生と 直に 話し 合う チャ ンス が増 え︑ 先生 の 真剣 な業 務へ の取 り組 み方 を目 撃す るこ とが でき まし た︒ 二〇
〇八 年四 月よ り先 生が 自分 のご 提言 で新 設さ れた
﹁現 代社 会と 法﹂ の科 目を 担当 され て以 来︑ 毎年 前期 と後 期に 分け て一 名ず つ外 部講 師を お呼 びし て︑ 歴史 事件 や外 国と の関 係や 重要 な裁 判な どの 話題 を巡 り公 開授 業を 行 いま した
︒そ のな かで
︑と くに 日本 と中 国と の関 係に かか わる 公開 授業 に呼 ばれ て公 開授 業を しば しば 聴講 しま し た︒ 印象 に深 く残 って いる のは
﹁一 水会
﹂の 顧問 を務 めて いる 鈴木 邦男 氏に よる
﹁映 画﹃ 靖国
﹄上 映自 粛と 表現 の 自由
﹂と 題す る公 開授 業と 映画
﹁蟻 の兵 隊﹂ の上 映会 でし た︒ 映画
﹁靖 国﹂ は在 日中 国人 映画 監督 李纓 が日 本の 芸術 文化 振興 基金 から 助成 金を 受け
︑数 年に かけ て自 ら監 督︑ 撮影 した 記録 映画 です
︒映 画は 靖国 刀の 製作 職人 によ る靖 国刀 の製 作過 程を 中心 に靖 国の 日本 社会
︑歴 史︑ 文化 に おけ る地 位を 説明 しよ うと した もの で︑ 政治 色彩 があ まり 感じ られ ませ んで した
︒し かし
︑映 画が 完成 し︑ 日本 で 放映 する 運び とな った 頃は
︑小 泉純 一郎 元総 理が 靖国 神社 への 参拝 を繰 り返 すこ とに より 中国
︑韓 国な ど多 くの 国
と地 域か ら激 しい 反発 を受 け︑ 日中 関係
︑日 韓関 係が 険し くな った 時期 でし た︒ した がっ て︑ 一部 の右 翼は 映画
﹁靖 国﹂ を反 日の 映画 と決 めつ け日 本で の上 映を 妨害 する 行動 を展 開し
︑芸 術文 化振 興基 金が 助成 金を 出し たこ と で日 本政 府の 責任 も追 及す る動 きが でま した
︒布 川先 生は まさ に世 論の 険悪 なこ の時 期に
︑右 翼の
﹁一 水会
﹂の 顧 問で ある 鈴木 邦男 氏を お呼 びし て︑ 公開 授業 をし たわ けで す︒ 公開 授業 の聴 講の 誘い を受 けた 筆者 はテ ーマ を見 た とた ん︑ 何を 話し てく れる かな と一 抹の 不安 を抱 えな がら 映画 を鑑 賞し
︑鈴 木氏 の講 義を 聴き まし た︒ 鈴木 氏の 講 義内 容に はす べて 納得 した とは いえ ない もの の︑ 表現 の自 由と いう アプ ロー チで 映画
﹁靖 国﹂ を見 るこ とは 頷け ま した
︒勿 論︑ 鈴木 氏が この 映画 に対 し寛 容な 態度 をと った のは
︑映 画の 内容 その もの が右 翼の 鈴木 氏か らみ ても 反 日で はな いこ とに よる とこ ろが 大き かっ たか らで はな いか と推 測し ます
︒そ れは とも かく
︑布 川先 生が この よう な 方法 で学 生に とて も見 るこ との でき ない
︑議 論の 渦の 真っ ただ 中に 置か れて いる 映画 を鑑 賞し
︑事 実の 真相 を理 解 する チャ ンス を与 えた こと には 感心 しま した
︒ 二〇
〇〇 年以 後︑ 本学 では 自費 で留 学に 来る 中国 人学 生が 少し ずつ 増え てき まし た︒ その 中に 法学 科に 入る 学生 も年 によ って は多 数い まし た︒ 留学 前に 母国 で日 本語 の勉 強時 間が 足り なく
︑日 本語 がま だ今 イチ であ るう えに
︑ 日本 の法 律や 法制 度に 全く 触れ たこ との ない 留学 生が
︑進 学後
︑い きな り日 本の 法律 を勉 強す るこ とに はや や無 理 があ りま す︒ 留学 生の 苦労 を減 らし
︑彼 らの 向学 に少 しで も役 立た せる ため に︑ 法学 科で は二
〇一
〇年 度か ら﹁ 日 本の 法と 文化
﹂の 科目 を新 設し
︑布 川先 生と 筆者 が担 当す るこ とに なり まし た︒ それ を機 に︑ 布川 先生 と同 じク ラ スの 授業 を担 当す る機 会に 恵ま れま した
︒こ の授 業の 狙い は日 本の 法律 や法 制度 の基 礎知 識の 学修 を通 して 日本 語 の﹁ 聴く
︑話 す︑ 読む
︑書 く︑ 訳す
﹂力 を向 上さ せて いく こと にあ りま す︒
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その 目的 に少 しで も近 づけ るた めに
︑布 川先 生は ヒヤ リン グ力
︑朗 読力 の向 上に
︑筆 者は 日本 語文 法へ の理 解力
︑ 翻訳 力の 育成 に取 り組 む分 担を しま した
︒留 学生 に日 本の 法律 と文 化を 理解 して もら うた めに
︑布 川先 生は 教科 書 の内 容を 分か りや すく
︑丁 寧に 説明 する 以外 に︑ 様々 な新 聞記 事の 切り 抜き や小 資料 を配 って 説明 に努 めま す︒ 筆 者も 先生 の援 助を 受け て殆 ど毎 回の よう に履 修生 に教 科書 の内 容を 中国 語に 訳す 宿題 を課 して
︑時 間外 の勉 強を す る習 慣を つけ るよ うに 努め まし た︒ 最初 の頃
︑宿 題の 多さ に苦 言を いっ てく る学 生も いま した が︑ 段々 慣れ てき て︑ 宿題 を出 すこ とを 忘れ た場 合に 進ん でそ れを 要求 する 学生 がで てき まし た︒ 基本 的に は学 生自 身の 努力 のお かげ で すが
︑布 川先 生の 教え 方の 工夫 もあ り︑ この 授業 を通 して 日本 語の 上達 とと もに 日本 の法 制度 や文 化に 対す る理 解 力が 日に 日に 上が りま した
︒履 修生 の進 歩を 見て 微笑 む先 生の 笑顔 がと ても 印象 的で した
︒ また
︑布 川先 生は 教室 内の 授業 に力 を入 れる のみ でな く︑ 留学 生の 日本 社会 全体 のこ とへ の理 解を 深め るた めに
︑ 地元 の農 園見 学や 景勝 地へ のミ ニ旅 行も 催し まし た︒ 交通 手段 を解 決す るた めに 布川 先生 はい つも 関係 機関 と意 思 疎通 し︑ 協力 と援 助を 頼む のに 細心 な計 画を 組ん でく れま した
︒枝 にい っぱ い実 って いる 金桜 園の ブド ウを 初め て 目の 当た りに した 履修 生の 歓声 を聞 き︑ 昇仙 峡の 美し い紅 葉に 心打 たれ た留 学生 の感 動の 様子 を見 た布 川先 生の 顔 には いつ も満 足な 喜び があ ふれ てい まし た︒ 退職 後に キャ ンパ スに 出て こな くな った 布川 先生 に対 して
︑留 学生 の履 修生 たち から
﹁布 川先 生は どう なさ って いま すか
﹂と よく 近況 を聞 かれ ます
︒こ れは 留学 生た ちか らの 布川 先生 への ご褒 美で はな いか と私 には 聞こ えま す︒