一 理論の旅とその再現
中国語圏において︑ エドワード・W・サイード︵
Edward W. Said, 1935‒2003︶ は ポ ス ト・ コ ロ ニ ア リ ズ ム 理 論 の 第 一人者で重鎮︑また公共知識人である︒この事実は︑彼の 学術思想︑人道的関心︑そしてその政治理念の伝播と深い 関 係 が あ る︒ 彼 は 一 九 八 三 年 に 書 い た 名 文
「移 動 す る 理 論
」︵
“Traveling Theory”︶ に お い て︑ 理 論 や 概 念 の 伝 播 ││彼の比喩を借りるならば︑ それらの
「旅
」││は︑ 往々 に し て
「明 確 に︑ 繰 り 返 し 出 現 す る パ タ ー ン
」が 見 ら れ る︒このパターンは四つの段階に分けられる︒⑴
「原点
」︵
“point of origin”︶︑ す な わ ち︑ 観 念 が 生 ま れ︑ ま た 言 説 の 領域に入り込む環境︑⑵観念が原点から他の時空までを通 る距離︑⑶新たな時空において移植の理論や思想に対峙す る一連の条件││それは受容的︑或いは抵抗的である可能 性がある︑⑷新たな時空における︑新たな使用者による変 容 ﹇
Said 1983: 226‒27﹈︒このパターンとその四つの段階を 示した後︑サイードは続けてルカーチの名著
『歴史と階級 意識
』︵
Georg Lukács,History and Class Consciousness, 1923︶を 例 と し︑ そ の 中 に お け る 物 象 化︵
reification︶ 理 論 の 旅 と 変容について説明した︒ サイードによると︑ハンガリー・ブダペストの革命家と してのルカーチの理論には︑この
「直接的に政治に介入す る闘士
」︵
“a directly involved militant”︶という見方が見られ る︒ そ の 理 論 は フ ラ ン ス・ パ リ に
「旅
」を し た 後︑
「政 治 的 中国語でサイードを再現する ──一人の研究者兼翻訳者としての観察と反省── 単 徳 興 ︵訳=劉霊均 ・ 善野真太郎︶
●●●●●
論 説 ││││││││││││││││││││││││││││││││││ 政治 ・ 文化からみた新たな中米関係
にコミットした学者
」のゴールドマン ︵
Lucien Goldmann︶ に 影 響 を 及 ぼ し︑
「学 術 的 に 実 用 化
」﹇
Said 1983: 234﹈ さ れ︑
「学 術 化
」︵
“academicization”﹇
Robbins 1992: 6 5﹈︶ さ れ た︒ こ の 現 象 は ゴ ー ル ド マ ン の
『隠 れ た る 神
』︵
Le Dieu caché, 1955︶ に 顕 著 に 見 ら れ る︒ 一 九 七 〇 年︑ ゴ ー ル ド マ ンがイギリスを訪問した際︑ルカーチの理論はさらにケン ブ リ ッ ジ の
「文 学 研 究 者
」︵
“a literary scholar”﹇
Said 1983: 237﹈︶ レ イ モ ン ド・ ウ ィ リ ア ム ズ︵
Raymond Williams︶ と い う
「革 命 闘 士 ⁝⁝ で は な く 思 索 に 没 頭 し た 批 評 家
」︵
“a reflective critic … rather than a committed revolutionary”﹇
Said 1983: 238﹈︶ に ま で 伝 わ っ た︒ こ の 理 論 は 彼 に よ り さ ら に 変 容 し︑
『唯 物 論 と 文 化 の 諸 問 題
』︵
Problems in Materialism and Culture, 1980︶において再現された︒ ブルース・ロビンズ︵
Bruce Robbins︶はサイードのこの 叙 事 を︑
「理 論 の 堕 落
」︵
“the fall of theory”﹇
Robbins 1992: 6 4﹈︶ と 名 付 け ︑ さ ら に 自 ら 精 密 な 描 写 を 提 供 し た ︒
「こ の 叙事を緩慢な堕落に描写することも可能である︒つまり革 命的マルクス主義︵ルカーチ︶から︑学術的マルクス主義 ︵ゴールドマン︶ ︑自己批判的学術的マルクス主義︵ウィリ アムズ︶ ︑ 最後には自己批判的学術的反マルクス主義 ︵フー コ ー︶ ︑ ま た は 反 マ ル ク ス 主 義 的 な 自 己 批 判︑ 或 い は ポ ス ト 構 造 主 義 ま で 至 っ た の で あ る
」︒ し か し な が ら︑ 彼 も
「こ の 読 み 方 で は︑ 堕 落 で は な く 昇 華 と 考 え る 人 も い る だ ろ う
」﹇
Robbins 1992: 72n26﹈ と︑ 全 く 反 対 の 読 み 方 が あ ると憚りなく語って い
﹀1︿
る ︒ サイードの描写及びロビンズが構造した描写では︑もと も と ラ ジ カ ル な︑ 介 入 的 な 理 論 は︑
「旅
」を し︑ 相 違 す る 時間と空間に移植され︑現地の
「新たな条件
」に馴化され れ ば︑ 元 来 の 力 や 威 力 を 失 う こ と を 暗 示 し て い る よ う で あ
﹀2︿
る ︒このような直線的な叙事が招く誤解を避けるため︑ サ イ ー ド は
「移 動 す る 理 論 に 関 す る 再 考
」︵
“Traveling Theory Reconsidered”︶ を 書 き︑ 自 ら の
「偏 見
」を 反 省 し ﹇
Said 1994b: 251﹈︑ さ ら に 再 び ル カ ー チ の 理 論 を 例 と し︑ アドルノ ︵
Theodor W. Adorno︶ とファノン ︵
Frantz Fanon︶ という背景が異なる二人の批評家の文脈と著書において︑ どのように全く異なった風貌を呈したかという正反対の例 を挙げた︒もともとラジカルな︑介入的な理論はアドルノ に お い て は 社 会 と 全 く 無 関 係 と な り﹇
255‒58﹈︑ フ ァ ノ ン に お い て は 反 植 民 の 政 治 闘 争 の 武 器 と な っ た﹇
258‒65﹈︒ サイードはわざとこの正反対の例を挙げ︑先の論文の誤解 を招く可能性を改め︑さらに理論の旅における複雑さ︑予 想 の 難 し さ を 明 ら か に し た︒ 彼 は︑
「理 論 と し て 大 事 な こ とは旅に出ることである︒いつも限界を超え︑移動し︑ま るで追放された状態を維持するようである
」と指摘してい る ︵
“The point of theory therefore is to travel, always to move beyond its confinements, to emigrate, to remain in a sense inexile”
﹇
264﹈︶ ︒ こ の よ う な 実 例 か ら︑ 外 来 理 論 に 接 触 し︑ さらに受け入れる人も︑何もかもに追従し︑受動的に理論 家を追いかけるわけではないということがわかる︒寧ろ︑ 異なる人は異なる時空と環境︑文化背景や知識の文脈によ り︑人︑時間︑空間︑事件に基づいて理論を吸収したり運 用したりし︑理論家を
「一つの領域や地域から異なる領域 や地域まで引っ張る
」︵
“pulling him from one sphere or region into another”﹇
265﹈︶のである︒言い換えれば︑理論の受容 者と使用者は主動的︑積極的︑強制的に︑ひいては強力に 引っ張りあうことができるのであり︑ただいたずらに受動 的に︑消極的に︑弱腰で︑服従するのではない︒ ミ ラ ー は
「境 界 を 越 え て ││ 理 論 の 翻 訳
」︵
J. Hillis Miller, “Border Crossings: Translating Theory”︶において︑さらにサ イ ー ド の 理 論 の 旅 の 論 点 を 変 更︑
「翻 訳
」し︑ 理 論 の 翻 訳 を行う中で︑その中に必然的に歪み︑変異︑変化などの現 象が現れることを指摘し︑それを平然と扱い︑さらに歓迎 し て い る︒
「理 論 は 新 た な 言 語 に お い て ど れ ほ ど 詳 し く︑ 正 確 に 翻 訳 し て も︑ そ の 翻 訳 は 必 然 的 に 歪 み を 含 ん で い る︒理論の形成は一つの仮説であり︑この仮説は有効な異 なる状況に改めて仮定し︑定位することができ︑様々なテ クストに応用できる
」﹇
Miller 1993: 2 ﹀3︿4
﹈︒ 筆者も
「理論之旅行/翻訳
」において︑サイードが
「再 現
」に関する議論における執着と観察を指摘していた︒本 文と密接に関連するため︑以下に引用する︒
「再 現
」は サ イ ー ド が い つ も 心 に か け て い た 議 論 で あ る︒ 早 期 の
Orientalism︵
1978︶ に お け る 西 洋 の 東 洋 ︵ 実 は 中 近 東 ︶ の 概 念 に 対 す る 批 判 か ら︑
Covering Islam︵
1981︶ に お け る 欧 米 の メ デ ィ ア と 専 門 家 が 決 定 し た イ ス ラ ム 世 界 へ の 見 解 に つ い て の 分 析 や︑
Representations of the Intellectual︵
1994︶ に お け る 弱 者 の 代弁者としての知識人がどのように弱者と自己の定位 を 再 現 す る か︑ そ し て 回 想 録
Out of Place︵
1999︶ に お ける自己の人生の再現などがわかる︒また︑再現は知 識︑論述︑権力関係だけに関わっているのではなく︑ サイードの次のような観察は注目すべきである︒つま り︑再現者は他人を再現すると同時に︑自らも再現し た︒この点については︑オリエンタリズムに対する批 判 に お い て す で に 見 ら れ る が︑
Representations of the Intellectualに お い て は︑ さ ら に 知 識 人 は 他 人 を 代 弁 / 再現するたびに︑自分のことをも代弁/再現するとい う こ と が わ か る︵
vx, 11, 12, 14, 113︶︒ こ の 観 察 を 次 の ように連想してもよいだろう︒つまり︑知識を伝達す る翻訳者と文化的生産者として︑原作と原作者を再現 するとき︑自らをも再現したのだ︒ ﹇単
2009: 274﹈ 簡単に言えば︑ポスト・コロニアリズムの論述の創始者 として︑サイードの理論は様々な言語に翻訳され︑多様な
コンテクストに伝播し︑多様な状況や論述に応用されてき た︒ここで︑私たちもサイードの理論の旅に関する論述を 借 り て︑
「彼 の 道 を 以 て︑ 還 っ て 彼 の 身 に 施 す
」こ と で︑ そ の理論の中国語圏における旅と伝播の状況を観察してみよ う︒これらを全て翻訳によって分析しなければならない︒ これより大きく三部に分ける︒第一部では︑中国語圏にお けるサイード作品の翻訳の状況について説明し︑またその 中国語訳本について総合的に観察︑分析し︑概括的に紹介 する︒第二部では︑筆者はサイードの翻訳者︑研究者︑イ ンタビューの聞き手という多重の立場を持つものとして︑ 特 定 の テ ク ス ト ││
Representations of the Intellectual││ の 異 な る 中 国 語 訳 に つ い て︑ 訳 本 ご と に 説 明 し︑ 異 な る 時 間︑空間や文化的条件において︑同じ原作に対する様々な 再現を検証する︒第三部では︑さらに幅広い文化の翻訳と いう視点から︑中国大陸と台湾の研究者のサイードに関す る論述を略述する︒
二 サイードの著書の 中国語圏における翻訳
サイードの著書には一つの流れがある︒一九六六年に初 め て 出 版 さ れ た
『コ ン ラ ッ ド と 自 伝 体 小 説
』︵
Joseph Conrad and the Fiction of Autobiography︶は︑ ハ ー バ ー ド 大 学 の 博 士 論 文であり︑その中からは︑他者と流亡者の論述︑逃亡と創 作︑文学と帝国の関係など︑のちの発展の様相が窺える︒ 彼ののちの論述も度々コンラッドに戻っている︒二〇〇一 年八月に筆者の三回目のインタビューを受けたとき︑彼は 次の学期には再びコンラッドについての授業を開講すると 言 及 し︑ そ し て
「コ ン ラ ッ ド を 回 顧 す る 本 を 書 く
」﹇ 単
2005: 655‒56﹈ と 話 し た︒ 一 九 七 五 年 に 出 版 さ れ た
『始 ま り の 現 象
』︵
Beginnings: Intention and Method︶ で は︑ そ の 繊 細な論理と広い視野を以て︑アメリカの学界における地位 を確立したが︑真に国際的地位を確立したのは︑一九七八 年 に 出 版 さ れ た
『オ リ エ ン タ リ ズ ム
』︵
Orientalism: Western Conceptions of the Orient︶ に お い て で あ る︒ フ ー コ ー の 知 識 や権力に関する論述を引用し︑西洋で主に論述されている 東洋像に対して挑戦した︒この本はポスト・コロニアリズ ムの基礎を定めた大作とされ︑各地の研究者に広く引用さ れ︑東洋と西洋の知識体系の固有の関連性を考え︑挑戦す る基礎として用いられている︒その後︑サイードの論述は 盛 ん に 出 版 さ れ︑ 国 際 学 界 に お い て 全 面 的 に 注 目 を 浴 び た︒中国語圏も例外ではなく︑アメリカの学術の動向に関 心を持つ台湾ではさらに注目を集めた︒ 台湾でサイードに注目していた研究者は︑外国文学研究 界に集中しており︑特に英米文学の研究者が多い︒その原 因は︑冷戦以来︑台湾とアメリカの文化・学術交流が密接
で あ っ た こ と に あ る︒ ま た︑ 現 代 文 化 思 想 を 紹 介 す る と き︑外国文学研究者は言葉に関して有利なため︑往々にし て学術の風潮をリードするものと考えられる︒その研究者 たちが論述の中でサイードの見解を引用し︑またサイード が人文学と社会科学の学界においてパラダイム・シフトを 起こしたポスト・コロニアリズム論述のなかで︑キーパー ソンであることも︑学界ではよく知られている︒しかし長 い間︑サイードの専門書の中国語訳は進まなかった︒これ は原文と訳本の出版のタイムラグの所為でもある︵特に難 解な学術著作はそうである︶が︑台湾の翻訳市場にも問題 がある︒学界では︑翻訳の仕事は偏見を受けたり︑過小評 価されたりしているため︑一部の研究者が翻訳して紹介す べき理論を知って︑翻訳と紹介の仕事に手をつけようとし てもなかなか進まない︒ましてサイードのように関心事の 領域が広く︑高い生産性を持ち︑知名度が高い研究者の作 品 を 翻 訳 す る 場 合︑ な お の こ と 真 剣 に 時 間 と 力 を 尽 く さ な ければならない︒ サイードの全著作を概観してみると︑その関心事の領域 の広さがわかる︒彼の数多くの著作を内容で分類すると︑ 文学及び文化︵九冊︶ ︑中近東及びパキスタン︵七冊︶ ︑音 楽︵三冊︶ ︑インタビューと対談︵六冊︶ ︑回想録︵一冊︶ 等に分けられ︑その数と種類の多さはまれに見るものと言 え よ う︵ 付 録
1「
サ イ ー ド の 著 作
」を 参 照 ︶︒ た だ し︑ 著 ける伝播史の変化を窺い知ることができるであ ろ
4﹀る︒前後を比べるならば︑サイードの思想の中国語圏にお 分析を行ったが︑長い時を経た今では︑状況も変化してい 湾のサイード現象︶という文章の中で当時の状況について ︵文芸欄︶の要請に応じて書いた
「台湾的薩依徳現象
」︵台 て︑筆者は二〇〇三年九月に
『聯合報
』の
「読書人
」副刊 作 品 も あ る︒ サ イ ー ド の 作 品 の 中 国 語 圏 で の 伝 播 に つ い がかかった作品もあれば︑未だに中国語訳がされていない 翻訳にはタイムラグが見られる︒翻訳されるまで相当時間 作が多く︑国際的に名高いにもかかわらず︑中国語圏での
︿
う ︒
「台 湾 的 薩 依 徳 現 象
」で は︑ サ イ ー ド の 作 品 の 中 国 語 圏 における伝播を二つの段階において分類した︒まずは
「只 聞楼梯響
」︵ただ聞く
楼梯の響き︶の段階である︒彼のポ スト・コロニアル論述が国際的に重視されてからは︑中国 語 圏 の 研 究 者 も 若 干 引 用 し た り︑ ま た 論 述 し た り し て い た︒しかしこのような発展は学術論文や一般の紹介だけに 過ぎず︑影響の範囲も主に学術界に限られ︑せいぜい文化 界に及んでいただけである︒台湾の翻訳業界の状況は芳し くなく︑書籍の市場は限られており︑また文学界︑文化界 の
「怠惰
」によって︑彼の作品を翻訳し紹介する者はいな かった︒それゆえ︑中国語圏では一九八〇年代からずっと サイードの名前が広く知られており︑学術論文でも引用さ れているにもかかわらず︑一般の読者は彼の専門書の整っ
た翻訳と紹介には縁がなかった︒そのため︑断片的な引用 しか得られず︑整った論述を読むことはできなかった︒こ の状況は一九九七年に筆者が台湾でサイードの
『知識分子 論
』︵
Representations of the Intellectual邦 訳
『知 識 人 と は 何 か
』︶ を 繁 体 字 で 出 版 し て か ら よ う や く 変 わ る よ う に な っ た︒この時点で︑彼の最初の専門書
『コンラッドと自伝体 小説
』の出版から︑すでに三一年︑彼の国際的名作
『オリ エンタリズム
』の出版からも一九年︑さらに原作の出版か ら も 三 年 の 歳 月 が 経 っ て し ま っ て い た︒ こ の 初 め て の サ イード作品の中国語訳は︑その年の台湾の二大主要紙の大 賞 ││
『中 国 時 報
』の
「開 巻 十 大 好 書
」︵ 良 書 ベ ス ト
版 さ れ た︒ サ イ ー ド の 多 数 の 作 品 と 比 べ る と ま だ 足 り な
Covered Islam︵ 邦訳
『イスラム報道
』︶などの中国語訳が出 訳
『文 化 と 帝 国 主 義
』︶︑
『遮 蔽 的 伊 斯 蘭
』︵ 二 〇 〇 二 ︶
Culture and Imperialism8 1『文 化 與 帝 国 主 義
』︵ 二 〇 〇 一 ︶︵ 邦 よう
」と期待した﹇ ﹈︒
Out of Place: A Memoir〇〇〇︶ ︵ 邦訳
『遠い場所の記憶
』︶︑ る
」でありながら自分の観点を持ったサイード研究を進め
Orientalism︵ 邦 訳
『オ リ エ ン タ リ ズ ム
』︶︑
『郷 関 何 処
』︵ 二 がら︑
「次の新しい段階の発生を期待し︑
「木を見て林も見
『知 識 分 子 論
』︵ 一 九 九 七 ︶︑
『東 方 主 義
』︵ 一 九 九 九 ︶ の作品に新たな見解を示すべき
」で︑自身の論述を立てな 筆者が
「台湾的薩依徳現象
」を書いていた際︑台湾では の研究者も
「我々の発言の立場から︑サイードその人とそ で出版されていったのである︵詳細は後述する︶ ︒ る
」ようにすべきである
」と呼びかけた︒一方︑中国語圏 認められ︑そのあと相次いで中国と台湾で繁体字と簡体字 な︑ 信 憑 性 の あ る 翻 訳 や 紹 介 が 必 要 で︑
「木 を 見 て 林 も 見 取った︒この本で彼の作品はようやく学界や文化界に広く 全なものではないため︑筆者も文章の最後に
「さらに完全 と
『聯 合 報
』の
「読 書 人 最 佳 書 奨︵ 文 学 類 ︶
」││ を 勝 ち サイードの多元的で豊かな論述に対し︑これらの翻訳は完
108 0︶ 聞きかじった話を聞くより遥かにましだ
」﹇ ﹈︒ た だ し ︑ ひいては誤表現を通して理解する必要がなく︑もともとの なった⁝⁝少なくとも全書が読めて︑二次的伝達︑再現︑ はようやく名高いサイードの一部の代表作が読めるように の よ う に 述 べ て い る︒
「こ の 段 階 に お い て︑ 中 国 語 の 読 者
2007 0: 8よ か っ た
」﹇ 単 ﹈︒ 筆 者 は こ の 段 階 に つ い て ︑ 以 下 らっただけでなく︑市場の反応もよく︑評判も売り上げも 付 け︑ こ れ ら の 翻 訳 は
「し ば し ば 台 湾 書 評 界 の 大 賞 を も 化 さ れ て い た と い う こ と で︑
「西 学 が 東 に 漸 む
」段 階 と 名
すす二年目だった回想録
『郷関何処
』もある︶がある程度可視 かったが︑少なくとも重要な論述やジャンル︵出版されて
この文章の発表から︑すでに一一年の時が経ち︑この間 にサイードの作品の中国語訳が中国と台湾で多数出版され た︒これらの翻訳作品を表にすると︑その普遍性と種類の
多さ︑そして広く重視され続けていることがわかる︒これ は現代の海外の理論家や思想家のなかでは珍しく︑中国と 台湾において最も重視され︑翻訳されている現代の文学や 文化批評家の一人であることは間違いないであろう︵付録
2「
サ イ ー ド 作 品 の 中 国 語 訳 一 覧
」を 参 照 ︶︒ こ の 一 覧 表 では具体的に彼の著作の中国語圏における伝播史と︑受賞 歴と評価について見ることができる︒この表により︑少な くとも以下のようなことが判断できる︒ まず︑サイードの作品は合計二六冊であり︑その翻訳の うち繁体字中国語に翻訳されたものは一四冊︑簡体字中国 語に翻訳されたものは一八冊である︵一九九九年に北京で 出 版 さ れ た
『賽 義 徳 自 選 集
』は 含 め な い ︶︒ サ イ ー ド の 作 品において︑五〇%以上は繁体字中国語訳があり︑六〇% 以上は簡体字中国語訳があることがわかる︒これは前述の
「只 聞 楼 梯 響
」と
「西 学 東 漸
」の 二 つ の 段 階 の 後 に︑
「急 起 直 追
」︵ 急 ぎ 追 い か け る ︶現 象 が 現 れ て い る︒ 例 え ば︑ 二 〇 〇 三年から二〇〇六年までは︑毎年二冊の新たな翻訳が出版 され︑二〇〇九年にはなんと四冊も出版されている︒さら に︑原作を出版して間もなく中国語訳が出版されたものも ある︒ 次に︑他の言語と異なる点は︑中国語圏は政治的要素や 歴史的背景により︑二つの主要な出版地を形成しており︑ 異 な る 書 体 ││ 台 湾 は 伝 統 的 な 正 字︵ 繁 体 字 ︶︑ 中 国 は 簡 体 字││を用いている︒市場の区分により︑外国の出版社も 中国語翻訳の版権を繁体字版と簡体字版に分け︑二重の利 益を受けられるようになっている︒同じ作品でも︑台湾と 中国の翻訳者が同じ場合もあれば︑翻訳者と版が異なる場 合もある︒ これにより以下のようなパターンが見られる︒
⑴ 中国と台湾で同じ翻訳者により翻訳され︑書名も同 じもの︵筆者が訳した
『知識分子論
』︑
『権力︑政治與 文化薩依徳訪談集
』など︶ ⑵ 中国と台湾で同じ翻訳者により翻訳されているが︑ 書名が異なるもの︵彭淮棟が訳した繁体字版
『郷関何 処薩依徳回憶録
』は簡体字版で出版された際︑より 元の書名に近い
『格格不入薩依徳回憶録
』となって いるなど︶
⑶ 中 国 と 台 湾 で 異 な る 翻 訳 者 に よ り 翻 訳 さ れ て い る が︑書名は同じもの︵蔡源林と李琨が訳した
『文化與 帝国主義
』︶ ⑷ 中国と台湾で異なる翻訳者により翻訳され︑書名も 異なるもの︵王宇根が訳した
『東方学
』と王志弘など が訳した
『東方主義
』など︶ 第三に︑中国と台湾が長い間隔てられていたことで︑イ デオロギー︑知識産出条件︑表現方法や固有名詞がそれぞ れにおいて発展してきた︒そうした主流のイデオロギー︑ 市場のニーズや読者の習慣に適応するため︑異なる表現方
式があるのも当然のことである︒同じ訳者の翻訳でも︑こ のような区別によって表現を変える必要がある︒本文の固 有名詞や表現方法だけでなく︑作者名や書名まで異なるこ と も あ る︵ 作 者 サ イ ー ド の 名 前 が
「薩 依 徳
」「薩 伊 徳
」「薩 義 徳
」「賽 義 徳
」な ど と 異 な っ て 訳 さ れ て い る こ と が 最 も 顕 著な例であろう︶ ︒ 第四に︑中国でも台湾でも中国語訳の作品があるという ことから︑異なる出版社の共通の興味が見られる︵出版社 で考えると︑北京の三聯書店と台北の立緒文化が最も熱心 で あ る ︶︒ 中 国 語 訳 が 一 種 類 し か な い 作 品︑ 例 え ば 台 北 で 出 版 さ れ た
『佛 洛 伊 徳 與 非 欧 裔
』︵
Freud and the Non-European邦 訳
『フ ロ イ ト と非
‒ヨ ー ロ ッ パ 人
』︶ や︑ 北 京 で 出 版 さ れ た
『人 文 主 義 與 民 主 批 評
』︵
Humanism and Democratic Criticism邦 訳
『人 文 学 と 批 評 の 使 命 ││ デ モ ク ラ シ ー の た め に
』︶ な ど か ら︑ 現 地 の 出 版 社 の 特 定 の テ ー マに対する趣味や市場への配慮が窺える︒
第五に︑このような翻訳作品の中で︑政治評論は北京で 出 版 さ れ た
『従 奥 斯 陸 到 伊 拉 克 及 路 線 図
』︵
From Oslo to Iraq and the Road Map邦訳
『オスロからイラクへ
』︶しかな い︒前述のように出版社の特定テーマへの興味や市場への 配慮を反映したものと考えられ︑また時事関連の政治評論 は︑時が経つと価値がなくなり︑一般の中国語圏の読者に 興味を持たせることが難しいためだと考えられる︒ 第六に︑代表的な作品やジャンルの中国語訳が出版され たあと︑まだ出版されていない作品は︑ほとんどが重要だ が難しい学術作品や前述のような時効のある政治評論であ る︒そのため二〇一〇年から︑サイードの作品の中国語訳 の 出 版 は 停 滞 し て い る と 見 ら れ る︒ 二 〇 一 三 年 に 至 り︑
『来 自 第 三 世 界 的 痛 苦 報 導 愛 徳 華・ 薩 義 徳 文 化 随 筆 集
』︵
Reflections on Exile and Other Literary and Cultural Essays︶ が ようやく出版さ れ
﹀5︿
た ︒言い換えると︑この現象は作品の内 容 の 深 さ︵ 難 し い 作 品 や 人 気 の な い 作 品 な ど ︶︑ 読 者 の 興 味や市場の方向性などと関連している︒ まとめるならば︑サイードはまず傑出した研究者として 中国語圏に出現し︑その後さらに政治の主張や人道主義的 配慮のある公共知識人として注目を集めた︒中国語圏にお いて人気がなかった音楽理論や評論は︑サイードの名の下 で注目が集まり︑中国と台湾でも出版されるようになった と 言 わ れ て い る︒ 中 国 と 台 湾 の 出 版 社 が 重 視 す る こ と に よって︑サイードの作品が中国語で再現されることには︑ 数多くの翻訳者の尽力が不可欠であろう︒ サイード本人が述べている
「理論の旅
」という概念でそ の作品や理念の伝播を対照させてみると︑その旅の起源は アメリカで︑英語によって伝播し︑中国語圏の研究者や翻 訳者を介して︑地理的には太平洋を渡り︑文字も英語から 中国語になり︑中国と台湾では簡体字と繁体字で別々に出
版され︑さらに広く中国語圏に影響を与 え
﹀6︿
た ︒全体的に言 えば︑中国語圏におけるサイードの紹介は︑最初はかなり のタイムラグがあったが︑それは学術翻訳を重視していな い台湾では一般的な現象であった︒しかし︑サイードが中 国語圏に紹介されると︑その学術的地位や公共知識人とい う役割と︑中国語圏の出版社によるプロデュースやマーケ ティングによって︑文化界及び一般読者に大きな反響を与 え︑そのあとの翻訳と紹介も相対的に積極的になった︒そ れはすべて中国語圏における彼の作品の紹介の主な傾向か ら窺える︒ 主要な傾向と言えば︑もちろんサイードが国際的に有名 なポスト・コロニアリズムの基礎を定めた研究者として認 識されたことである︒それは彼が最初に名を挙げた役割で あり︑それにより彼は長い間学界でパラダイム・シフター としての声望や地位を守り︑関連する論述においても不可 欠な地位を占めるようになった︒例えば︑台湾の学界にお いて︑サイードを研究する動機は知識への追求にあり︑特 に外国文学の学界ではマイノリティ文学やカルチュラル・ スタディーズに応用され︑西洋の主流的視点に挑戦するた めである︒
『オリエンタリズム
』や
『文化と帝国主義
』などの 代表的作品の翻訳からこのような傾向が窺える︒関連する 論述において︑サイードの名前が出なくとも︑その学説は 深く人々に影響を与え︑西洋の主流的論述に挑戦する基礎 と し て 用 い ら れ︑ 反 主 流 的 論 述 の サ ブ テ ク ス ト︵
subtext︶と なった︒ ま た︑ 公 共 知 識 人 と し て の イ メ ー ジ も 一 つ の 傾 向 で あ る︒彼は中近東︵特にパキスタン民族︶の欧米における代 弁者となり︑欧米の主流メディアの偏見的視点に抵抗し︑ 自ら︑そして他の弱い民族のために権益をもとめた︒この イメージはすでに広く知られていたが︑中国語圏でそれが 明らかになったのは初の翻訳
『知識人とは何か
』において である︒この本はBBCでの六回にわたる講演からなり︑ ここでサイードは︑彼の知識人に対する理念と論述を述べ ている︒この本は中国と台湾で何度も版を重ね︑広く重要 視︑ ま た 討 論 さ れ た︵ 詳 細 は 後 述 す
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る ︶︒ こ れ に 対 し︑ こ の役割と密接に関連する
「政治評論家
」としてのサイード について︑英語圏では異なる時期における政治評論集が見 られるが︑中国語圏では一冊の中国語訳しかない︒時勢の 変化は早いため︑一部の政治評論が現地で忘れられてしま うだけでなく︑他の言語環境における編集者や読者の興味 を引くこと自体が難しいといえよう︒
「自 伝 を 書 く 者
」と し て の サ イ ー ド に つ い て は︑ 作 品 の 中にストーリー性があるため︑一般の読者にも比較的受け 入れられやすい︒彼の回想録は出版されて二年目に台湾で 翻訳が出ており︑一般人がサイードの青少年期の回想への 興 味 を そ そ ら れ た た め︑ 広 く 受 け 入 れ ら れ る こ と に な っ
た︒興味深いのは︑中国と台湾において同じ翻訳者が異な るタイトルを採用していることである︒台湾で出版された 訳本のタイトル
「郷関何処
」は出版社が決定したものであ り︑ 原 書 名
「Out of Place」と は 若 干 意 味 が 異 な る 意 訳 で あ る︒ し か し︑ こ れ は 唐 代 の 詩 人 崔 顥 の 名 作
「黄 鶴 楼
」の
「日暮郷関何処是
」︵日暮郷関何れの処か是れなる︶という 詩を想起させることにより︑流亡者の身分やその行き場所 がなく果てしないイメージを強調し︑さらに中国文学の伝 統と繋げることで︑個人の感懐や文学感情による売り上げ を伸ばすことが狙いであった︒これに対し︑北京の出版社 は︑翻訳者が最初に直訳した
「格格不入
」という題を用い ることで︑さらに忠実に︑原作で強調されている流離と寄 る辺のないイメージに則 っ
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た ︒こうした事例は︑中国と台 湾におけるサイード作品の異なる受容と拒否︑及び変化の 様相を具体的に呈している︒ 以上︑サイード作品の中国と台湾における翻訳状況につ いて︑巨視的な視点から観察と論述を行った︒次節では筆 者が翻訳したサイード作品を例とし︑微視的な視点から観 察を行い︑また個人の経験や感想を示すことによって︑サ イードの作品の中国語圏における翻訳の実情について説明 しようと思う︒ 三 一人の翻訳者・研究者・聞き手の 経験から
筆 者 が 中 国 語 訳 し た サ イ ー ド の 作 品 は︑
『知 識 分 子 論
』と
『権力︑ 政治與文化薩依徳訪談集
』の二冊であり︑ 翻訳者︑ 研究者︑聞き手という三つの役割を兼ねることにこだわっ ている︒その目的は︑ 中国語圏にこの有名なポスト ・ コロニ アリズムの巨匠︑ そして公共知識人を︑ できる限り紹介する ことにある︒翻訳の実践者と研究者という二つの立場を持 つ 筆 者 に と っ て︑
『知 識 分 子 論
』を 翻 訳 す る こ と は︑ サ イ ー ド研究を推進し︑筆者のサイード研究をはじめただけでな く︑ 筆 者 の 翻 訳 の 理 論 と 実 践 に お け る 転 換 点 と も な っ た︒ 筆 者 は 翻 訳 す る こ と に よ り︑ 長 年 に わ た り 累 積 し て き た 翻 訳 の 経 験 や 理 念 を 実 践 し︑ 二 重 の 文 脈 化︵
dual con tex tu ali-zation︶と い う 理 論 を 形 成 し た︒
『知 識 分 子 論
』の 簡 体 字 版 の あ と が き に お い て ︑こ の こ と に つ い て 次 の よ う に 述 べ た ︒ 翻訳というものは︑ただ原作自体の翻訳に止まるべき ではない︒関連する文化的︑歴史的背景も紹介し︑読 者に翻訳から原作の要旨を理解させ︑また一方ではそ の他の関連情報から作者及びその創作背景を知らせる べきである︒これにより原作︑作者及びその文脈の関 連 性 や 原 作 誕 生 ま で の 事 情 を 理 解 さ せ︑
「こ の 人 を し
て こ の 文 あ り
」︑
「こ の
「歴 史
」「文 化
」を し て こ の 文 あり
」ということを理解させるのである︒さらに文章 が別の文化に翻訳︑移植される過程で︑本来の意味以 外にも︑ 対象言語 ︵
target language︶ や対象文化 ︵
target culture︶ に お い て ど の よ う な 新 し い 意 味 が 派 生 し︑ ど のような反応を引き起こしたかも理解させるのだ︒⁝ ︵中略︶ ⁝元の意味を移し変えることはもちろん重要だ が︑
「義︵ = 異 ︶ を 敷 衍 す る
」こ と も ま た︑ 二 つ の 文 化が出会い︑相互に影響した結果であり︑観察するに 値する︒ ﹇単
2002: 154‒55﹈ この三つを兼ねた役割は︑筆者の背景と密接に関連して いる︒学術の面から言えば︑筆者の研究領域はアメリカ文 学史︑欧米文学︑文化論とアメリカ少数民族文学︵アジア 系アメリカ人文学︶に及んでいる︒これらは欧米の主流の 知識体系に関連し︑また新興文学やポスト・コロニアリズ ム理論に関連するものである︒翻訳の面から言えば︑筆者 は大学院生時代から専門書を多数翻訳︑出版し︑その中に は イ ン タ ビ ュ ー で 有 名 な
『ザ・ パ リ・ レ ビ ュ ー
』︵
Paris Review︶ も 含 ま れ る︒ そ の 一 方 で 翻 訳 に 関 連 す る 問 題 も 常 に 思 索 し て い る︒
『知 識 分 子 論
』を 翻 訳 す る 前 に︑ 聞 き 手 として︑筆者はすでに
『ザ・パリ・レビュー
』の手法を模 倣 し︑ 国 内 外 の 代 表 的 な 作 家 や 研 究 者 に イ ン タ ビ ュ ー を 行 っ て い た︒ そ の た め︑ サ イ ー ド と い う 特 に 優 れ た 研 究 者︑及び公共知識人の著書を初めて中国語に訳するにあた り︑この三つの経験と結びつけるよう努力したのである︒ 中 国 語 圏 に お け る 最 初 の サ イ ー ド の 専 門 書 の 翻 訳 に あ た り︑作者と書籍を全面的に紹介するだけでなく︑サイード の理論が
「旅
」をし︑中国語圏という異なる言語環境にお いて翻訳されるとき︑特色ある中国語訳を作り上げたかっ たのである︒当時︑思いもよらなかったのは︑様々な事情 により︑この本が三つの繁体字版と一つの簡体字版として 中 国 語 圏 で 流 通 す る よ う に な っ た こ と で あ る︒ こ の 節 で は︑この場合においてサイードの概念と理論が中国語圏で 伝播した状況と︑その複雑性について説明したい︒ 中国語圏がサイードの著書を待ちわびる状況の下︑筆者 は ハ ー バ ー ド 燕 京 研 究 所︵
Harvard-Yenching Institute︶ の 訪 問学者であった一九九四年の冬︑ ハーバード書店 ︵
Harvard Book Store︶ で︑ 出 版 さ れ た ば か り の サ イ ー ド の
『知 識 人 とは何か
』を見つけた︒これは彼によるイギリスのBBC の リ ー ス・ レ ク チ ャ ー ズ︵
Reith Lectures︶ で の 講 演 録 で あった︒序言とさらに六章からなり︑各章はもともと三〇 分程度の講演録であったため︑文章の長さも統一され︑言 葉も平易で︑さらに彼の研究者及び知識人としての長年に わたる観察と体験が記されていた︒彼は奥深い内容を理解 しやすい形式により︑長年にわたって関心を持っていた論 題を広く英語圏に発信したのである︒それゆえ︑筆者は翻
訳する際︑訳文への忠実さと流暢さを求め︑数回の改訂や 専門家による監修を行い︑アドバイスを求めた︒これは筆 者が翻訳するときに一貫した作業方式でもあった︒ 翻訳者︑研究者︑再現者としての筆者は︑この本の特別 なところは原作者の崇高な学術的地位と︑論題の関連性に あると考えていた︒また︑これはサイードの著書が中国語 圏において初めてのものとなるため︑ このテクスト ︵
text︶ 及 び そ の コ ン テ ク ス ト︵
context︶ を で き る だ け 明 確 に 中 国 語圏の読者に伝えたいと考えた︒言い換えれば︑研究者兼 翻訳者として︑翻訳と紹介の目的を達成するためには︑こ の本をただ翻訳するだけではなく︑この本をサイードの生 い立ち︑学術と思想の経歴や著書という文脈に置かなけれ ばならなかったということである︒この目的を達成するた め︑筆者は様々な資料を収集し︑訳書に六つのパラテクス ト︵
paratext︶を つ け た︒ す な わ ち
「序 論
」︑三 つ の 付 録︑ 中 英 索 引 と 英 中 索 引 で あ る︒
「序 論
」で は︑ サ イ ー ド の 生 い 立 ち︑ 研 究 の 発 展︑ 学 術 的 地 位︑ 公 共 知 識 人 と い う 役 割︑ そ し て こ の 本 の 重 要 性 を 紹 介 し︑ ま た 書 名
Representations of the Intellectualを 直 訳 の
「知 識 分 子 的 代 表
」や
「知 識 分 子 的 再 現
」で は な く︑ 大 胆 に
「知 識 分 子 論
」に し た 理 由 を 説 明 し
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た ︒
「附録一論知識分子││薩依徳訪談録
」︵知識人を論ずる ││サイードへのインタビュー︶ は︑ 筆者が翻訳脱稿の後︑ 一九九七年八月に自らニューヨークのコロンビア大学を訪 問し︑サイードに初めてインタビューを行った際の記録で ある︒東洋︑アジアと華人世界の目線で︑重要な論題を突 き詰め︑また彼も率直に質問に答えた︒後に筆者の質問に つ い て も 良 い 評 価 を 下 し て い る︒
「附 録 二 拡 展 人 文 主 義 ││ 薩 依 徳 訪 談 録
」︵ ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の 拡 大 ││ サ イ ー ド へ の イ ン タ ビ ュ ー︑
“Expanding Humanism: An Interview by Mark Edmundson with Edward Said”︶ は マ ー ク・ エ ド マ ン ド ソ ン︵
Mark Edmundson︶ が ア メ リ カ の 大 学 の 観 点 か ら の︑彼の代表性について行ったインタビューである︒この 二つの付録は︑中国語圏と英語圏の研究者によるサイード への異なった質問と関心を示しており︑中国語圏の読者の 参 考 と な る も の で あ る︒
「附 録 三 薩 依 徳 專 書 書 目 提 要
」︵ サ イ ー ド 著 書 目 録 ︶ は︑ サ イ ー ド が 一 九 六 六 年 か ら 出 版 した著書の図書目録を列挙し︑また簡要な説明をつけたも のである︒これにより︑中国語圏の読者に︑原作者の長年 にわたる研究領域及び学術と思想の経歴について理解させ る一方︑この最初の中国語訳
『知識分子論
』をこの広い文 脈に置くことで︑この本と以前の著作との関連と︑その特 別な意義を知らしめたのである︒また︑この本にはもとも と索引が無かったため︑中国語版では特別に中英索引と英 中索引を作成した︒読者が便利なように︑内容と固有名詞 を調べるためだけでなく︑名詞の翻訳の参考に資するため でもあった︒なぜなら中国語圏の翻訳業界は往々にして翻
『知識分子論』繁体字版初版の表紙と目次(台北:麦田出版、1997)
『知識分子論』簡体字版初版(北京:三聯書店、2002年)、
再版(北京:三聯書店、2007年)の表紙と目次
訳 の 名 詞 を 統 一 し て い な か っ た た め︑ 長 い 間 非 難 さ れ て き て い た か ら で あ る︒ サ イ ー ド 本 人 の 知 名 度 や 原 書 の 重 要 性 の み な ら ず︑ 中 国 語 圏 に お け る 初 め て の 翻 訳 と し て の 仕 事 や 多 大 な 尽 力 も 認 め ら れ︑ 出 版 の 後︑ 一 九 九 七 年 度 の 台 湾
『中 国 時 報
』と
『聯 合 報
』の 二 大 主 要 紙 の 年 度 大 賞 を 獲 得 し た︒ こ の こ と か ら︑ こ の 本 の 中 国 語 訳 が 中 国 語 圏 に お いて重視されたことがわかる︒ こ の 本 の 簡 体 字 版 の 翻 訳 権 は 北 京 三 聯 書 店 が 取 得 し た︒ 出 版 社 は 繁 体 字 版 の 存 在 と そ の 表 現 方 法 を 知 り︑ 台 湾 の 訳 本 を そ の ま ま 採 用 す る こ と に し た︒ 筆 者 は そ れ に 喜 ん で 同 意 し︑ 繁 体 字 版 の 出 版 社 も 楽 観 的 で あ っ た︒ し か し な が ら︑ 中 国 と 台 湾 は 長 年 に わ た り 隔 て ら れ て お り︑ 政 治︑ 文 化︑ 思 想︑ 専 門 用 語 な ど に か な り の 差 異 が 見 ら れ︑ 出 版
の際の状況からも中国と台湾における異なった文化生産の 場面や対応の方式が見受けられた︒まず︑北京三聯書店は 中国社会科学院研究員の陸建徳氏に特別に校正を委任し︑ 主に固有名詞を中国大陸に通用する表現に改めた︒その過 程で︑編集担当者も書名の
「知識分子論
」を
「知識分子的 代表
」や
「知識分子的再現
」に修正するかどうかについて 筆者に質問し︑筆者はこれについて
「序論
」ですでに説明 し て お り︑ し か も こ の 書 名 が 短 い 中 国 語 に︑
「知 識 人 に 関 する議論
」と
「知識人サイードの経験
」という二つの概念 を含めたと説明し︑出版社に認められた︒また簡体字版の 読者にさらにこの本の中国語訳の重要性と影響について理 解させるため︑筆者は
「二重の文脈化
」の原則に沿って︑ 簡体字版のためにあとがきを書き︑この本が台湾で出版さ れた状況の一部始終︑特に台湾の文化界と学術界において 重視されていることを説明した︒興味深いのは︑中国と台 湾において︑作者サイードの名前の中国語訳までも異なっ ていることである︒簡体字版の
「薩義徳
」はその
「正義
」「義 理
」「大 義 凜 然
」な ど が 強 調 さ れ て い る よ う で︑ 繁 体 字 版 の
「薩 依 徳
」は
「佛 洛 依 徳
」︵ フ ロ イ ト︑
Sigmund Freud︶ の 訳に則っており︑また
『論語
』述而の
「志於道︑據於徳︑ 依 於 仁︑ 游 於 藝
」︵ 道 に 志 し︑ 徳 に 拠 り︑ 仁 に 依 り︑ 芸 に 遊ぶ︶という言葉を想起させる狙いもあった︒簡体字版は 二 〇 〇 七 年 に 表 紙 を 変 え︑ 三 聯 書 店 が 出 版 し た ほ か の サ イ ー ド の 著 書 と 共 に
「薩 義 徳 作 品 系 列
」︵ サ イ ー ド 作 品 シ リ ー ズ ︶ と し︑ 写 真 家 リ ー ボ ヴ ィ ッ ツ︵
Annie Leibovitz︶が 撮影したサイードの写真を表紙にしたことで︑書店でかな りの注目を集めた︒ サイードは二〇〇三年に他界した︒この傑出した研究者 で あ り 公 共 知 識 人 を 記 念 し︑ そ し て 市 場 を 区 分 す る た め ︵ 当 時 簡 体 字 版 の 値 段 は 繁 体 字 版 の 約 四 分 の 一 ほ ど で あ っ たため︑台湾の大学生や大学院生は簡体字版をよく買って い た ︶︑ 台 湾 の 麦 田 出 版 は 増 訂 版 の 出 版 を 決 め︑ 翌 年 に 出 版 し た︒ 増 や し た 二 つ の 付 録 の う ち の 一 つ は︑
「附 録 三 永 遠 的 知 識 分 子 薩 依 徳
」︵ 永 遠 な る 知 識 人 サ イ ー ド ︶ で あ る︒ 作 者 が 他 界 し た 後︑ 筆 者 は そ の 一 生 を ま と め︑
「永 遠 な る 知 識 人
」と 評 価 し︑ 敬 意 を 表 し た︒ 従 来 の
「附 録 三 薩 依 徳 專 書 書 目 提 要
」を
「附 録 四
」と し︑ ま た 一 九 九 七 年 か ら 二 〇 〇 三 年 ま で の 著 書 目 録 を 追 加 し た︒
「附 録 五 薩 依 徳 年 表
」︵ サ イ ー ド 年 表 ︶ で は︑ 伝 記 的 資 料 を ま と め︑ サ イ ー ド の 一 生 に お け る 個 人︑ 家 庭︑ 学 術︑ 政 治 な ど の 重 要 な 事柄について整理した︒読者はこれにより彼の生い立ちを はっきりと理解し︑また著書目録を相互に参照することが できる︒前述の三つのバージョンを見てみると︑麦田出版 の初版において︑テクストとパラテクストのページ数はそ れぞれ一三四ページと八八ページであり︑後者はすでに書 籍全体の四割をしめている︒簡体字版にはさらに二ページ
『知識分子論』増訂版の表紙と目次(台北:麦田出版、2004年)
『知識分子論』経典版の表紙と目次(台北:麦田出版、2011年)