マルクス主義の一源泉としてのフォイエルバッハ
唯物論の確立
岩 松 繁 俊
l▼
マルクスの学問体系の形成過程において︑フォイエルバッハの唯物論がはたした役割がいかに大きかったか︑につ
︵ 1 ︶
いては︑ここであらためて諭ずるまでもないであろう︒本稿は︑このような︑マルクス主義の一源泉としての意義を
もつフォイエルバッハの唯物論が︑どのように成立したかを明確に把握することを目的とする︒
ところで︑マルクスに重要な彫哲をおよぼしたフォイエルバッハの思想は︑マルクスの思想形成の過程からみてあ.
︵ 2 ︶
きらかなように︑一八四一年に初版をだし︑四三年に第二版をだした﹃キリスト教の本質﹄︑一八四三年公刊の論文
︵ 3 ︶
集﹃最新ドイツ哲学と時事評論のためのアネクドータ﹄に掲載された﹁哲学改革のための暫定的提言﹂ ︵一八四二年
︵ 4 ︶
執筆︶および一八四三年に出版された﹃将来の哲学の根本問題﹄にしめされたそれであった︒いうまでもなく︑フォ
イエルバッハは︑かれ自身の思想の歴史をもち︑かれ自身のきびしい思索の歴史をもっている︒その悪戦苦斗のドキ
ュメントは︑﹃キリスト教の本質﹄以前にも︑また﹃将来の哲学の根本問題﹄のあとにも︑数十の著書論文としての
マ ル ク ス 主 義 の 一 源 泉 と し て の フ ォ イ
‡
・ ハ ッ ハ 唯 物 論 の 確 立
≡
経 蛍 と 経 済
とされている︒したがって︑
フォイエルバッハの思想自体の研究は︑それだけでひとつの大きな思想上の課題である
9
マルクスの学問体系の形成に究極の関心をもつわれわれにとっては︑その形成にふかい影響をあたえたかぎ
りでのフォイエルバッハの唯物論に考察を限定するのはやむをえないことであろう︒のみならず︑フォイエルバッハ し
か し
︑ において︑唯物論が確立したのは︑右にあげた三著においてではなく︑それらよりも前に﹃ハレ年誌﹂に発表された
﹁ へ
l
ゲル哲学批判﹂においてである︒したがって︑本稿の主題は︑この論文に集中されるであろう︒
( 1 )
マルグス主義の源泉については︑有名なレ 1 ニシの指摘がある︒かれによれば︑その源泉は︑ドイツ古典哲学とイギリス
古典経済学とブラシス社会主義である︒レ 1 ニシ﹃カール・マルグス﹄岩波文庫版︑一八ページ︒しかし︑乙れにたいして
フランス唯物論とブォイエルバッハの唯物論が加えられなければならない︒務台理作﹃哲学概論﹄一一入│九ページ︒本稿
は︑ブォイエルバッハ唯物論をかかるものとしてとりあっかう︒
( 2 )
マルグスがフォイエルパツハから︑何時︑何を学んだか︑については︑マルグス自身を論ずるさいにとりあげる予定なの
で︑ここではふれないが︑マルクスがフォイエルバッハから顕著な影響をうけるのは︑一八四三年︑﹃キリスト教の本質﹄
第二版︑がでてからであるようにおもわれる︒しかし︑司 g ロ
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∞・にしめされる見解は︑あまりにも断定的である︒フォイエルバッハの影響の有無や程度いかんについ
ては︑多くの問題があり︑別に検討されなければならない︒たとえば︑ォイゼルマン﹃マルグス主義哲学の形成﹄第一部︑
森 宏
一 訳
︑ 一
一 一
一 一
一 一
l 一
一 一
一 一
一 ペ
ー ジ
参 照
︒
マ ル
グ ス
が ︑
﹃ドイツ︑プ一フシス年誌﹄への寄稿をもとめるために︑フォイエルバッハにあてて書いた一八四三年一 O 月 二 O 日ごろの手紙は︑そのひとつの手がかりとなるであろう︒なお︑この手紙の日付について︑メーリングは︑一 O
月 一 一 一
一 一
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﹃ マ ル グ ス 年 譜 ﹄ に お い て
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出 色
‑Y ∞ ‑mNU において︑乙
れ を 支 持 し て い る ︒
エシゲルスは︑その﹃ル 1 トグイッヒ・フォイエルバッハと古典哲学の終結﹄のなかで︑ ﹃キリスト教の本質﹄がマルグ
スにいかにふかい影響をあたえたかについて︑つぎのようにのべている︒﹁この本︹﹃キリスト教の本質﹄︺が︑乙の門へ 1
グル哲学からの︺解放にどれほど大きなはたらきをしたかは︑それをみずから体験したひとでなくては想像することさえで
きないであろう︒その感激は一般的であった︒
1 l
われわれはすべて瞬時的にはフォイエルバッハの徒であった︒﹂当
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もちろん︑マルグスは︑ 一入四三年以前にも︑フォイエルバッハをたかく評価し︑かれについてしばしば言及している︒
た と え ば
︑
﹃ ア ネ グ ド
1 タ ﹄
(一人四三年)に収録されたマルグスの﹁シュトラウスとプォイエルバッハとの審判者として匂
(一入四二年一月末執筆)のなかで︑思弁的神学者および哲学者を批判して︑つぎのようにのべている︒
的神学者および哲学者諸君に私は忠告する︒もし︑あるがままの事物に︑すなわち真理に改めていたろうと欲するならば︑
従来の思弁哲学の概念と偏見とから諸君を解放せよ︑と︒そして諸君にとって真理と自由とへの道は︑火の川(フォイエル
H バッハ)を通る以外にはないのである︒プォイエルバッハこそ現代の浩罪界なのだ︒﹂当
2W0
・ 回 PTω ・ ミ ・ マ ル グ ス ・
の ル タ
1 ﹂
エ シ グ ル ス 全 集 ︑
一 巻 ︑ 二 九 l
一 一
一 0
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ジ ︒
( 3 )
マ ル グ ス が ル 1 グへあてに一入四三年三月一一一一日付の手紙によって︑マルグスがプォイエルパツハの﹁提言﹂から非常な
J感銘をうけたことがあきらかである︒ただし︑かれは︑このときすでに︑プォイエルパッハにたいし︑若干の不満をもって
いた︒すなわち︑かれはその手紙のなかで︑﹁フォイエルバッハのアフォリズムは︑私には︑かれがあまりに多く自然を︑
あまりに少なく政治をひきあいにだす点では正しくないようにおもわれることのべている︒富山円以開ロ
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マルグス主義の一源泉としてのブォイエルバッハ唯物論の確立
﹁ 思
弁
経 営 と 経 済
四
( 4 )
マ ル
ク ス
は ︑
一九三一一年アドラッキーによって紹介された﹃一八四四年の経済学・哲学草稿﹄において︑ブォイエルバッ
ハをきわめて高く評価して︑つぎのようにいう︒﹁実証的な批判一般︑したがってまた︑国民経済学にたいするドイツの宍
証的な批判は︑その真の基礎づけを︑フォイエルバッハの諸発見におうている︒にもかかわらず︑かれの﹃将来の哲学﹄と
﹃ ア
ネ グ
ド 1 タ ﹄ 誌 上 の ﹁ 哲 学 改 革 の た め の 提 一 一 一 己 と に た い し て
l l
しばしばこれらの労作をだまって利用しながら
l l
あ
る者はつまらぬ嫉妬心から︑ある者はほんとうに腹をたてて︑その抹殺のため本式の陰謀をくわだててきたようである︒宍
証的な人間主義的および自然主義的批判は︑まさにフォイエルバッハからはじまる︒へ 1 ゲルの﹃現象学﹄と﹃論理学﹄以
来︑真の理論的草命をうちにふくんでいる唯一の著作であるフォイエルバッハの諸著の影響は︑もの静かであるが︑それだ
けまた︑より確実︑より深刻であり︑より広汎︑より持続的でもある︒﹂冨史
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開 22 ﹀
Z 4
回 P
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・ 印 ・ ∞ ナ 城 塚 登 ︑ 田
中吉六訳︑岩波文庫版︑
また︑一入四四年秋にマルグスとエシゲルスが共同で執筆した﹁聖家族﹂において︑エシゲルスは︑フォイエルバッハに
たいして敬意をはらいつつ︑つぎのようにいっている︒﹁しかし︑だれがいったい
P体系
dの秘密を暴露したか︒フォイエ
ルパッハだ︒だれが概念の弁一証法を︑哲学者だけに知られている神々の戦いを︑ほろぼしたのか︒フォイエルパッハだ︒古
いがらくたの︑また
P無限の自己意識
dのかわりに
H人間の意味
p l
こういうと︑まるで人間には︑人間であること以前 !
に 別 の 意 味 ︑ が あ る か の よ う だ ー ー な ど を お か な い で ︑
H人間
dをおいたのはだれか︒フォイエルバッハだ︒そしてフォイエ
ルパッハだけだ︒かれはもっと多くのことをしているよ冨 ω 日 ロ ロ 仏 開 ロ
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一 一
一 一
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・ ・ 8 ・訳︑全集︑二︑九四ページ︒ N ω
マルクスの学問的出発点が︑
( 1 )
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ゲ ル 哲 学 で あ っ た よ う に
︑ ベ ル リ ン 大 学 に お け る マ ル ク ス の 先 輩 と し て の フ ォ イ
a
ー
エルバッハにとっても︑ その学問的出発点は︑ ヘ l ゲル哲学であった︒ マルクスがベルリン大学へ入学した一八三六
ヘ l ゲル没後すでに五年目であったにもかかわらず︑巨大な体系であるヘ l ゲル哲学はそのときもなお︑ドイ
( 2 )
ツの学界を風腕していたのである︒ 年
は ︑
とはいえ︑ベルリン大学で︑全盛期のヘ i ゲルから︑直接︑講義を︑きいたフォイエルバッハのばあい︑そのヘ l ゲ
ル へ
の 傾
倒 は
︑
マルクスのばあいよりもはるかにふかかった︒ 一八二八年一一月二二日︑かれは学位論文﹁統一的・
その手紙のなかで︑ ロ 0
河 川 江 戸
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ロ 巳
40
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F E 2 E E
にそえて︑長文の手紙をへ l
ゲ ル
へ 送
り ︑
( 3 )
ヘ l ゲルにたいする深甚の敬意と崇拝をささげている︒ 並日偏的・無限的理性について﹂
そのフォイエルバッハも︑やがてへ l ゲル哲学にたいする深刻な疑問のゆえに︑悪戦苦斗の思索を開始する乙とに
なる︒そののち全生涯にわたってつづくところのフォイエルバッハの思想の歩みは︑母胎であり︑出発点であったヘ
l ゲル哲学からの脱却の過程‑へ l ゲルにたいする批判と克服の過程であったということができる︒マルクス主義の
形成に重要な影響をおよぼしたのは︑このような過程にあるフォイエルバッハであったのである︒したがって︑われ
フォイエルバッハのヘ l ゲル哲学にたいする批判と克服の過程に︑もっぱら注目しなければならないであろ
う︒ところで︑この過程の最初にあらわれたかれの苦斗の産物︑それは﹁ヘ 1 ゲル哲学批判﹂にほかならない︒
わ れ
は ︑
三九年﹁ハレ年誌﹄出巳ロ
2 Z E E σ 位 ︒ F O
円宮門含
E S F 0
4 ﹃
2 8 5 E 3 ロ ロ 仏 関 口 ロ 巴
に掲載されたこの論文は︑
へ l ゲル哲学にたいして自己を明確に決定的に主張した︑ いわばか ォイエルバッハがはじめて自己の立場を確立し︑
れの思想の決定的転回点をかたち"つくるものである︒
したがって︑われわれの考察は︑乙の論文に集中されなければならない︒
は︑全巻をあげて︑ へ l ゲルを批判する︒し
﹁ ヘ
l ゲル哲学批判﹂ N
ロ 同 開 ユ
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品 ︒ 同 問
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マ ル
グ ス
主 義
の 一
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唯 物
論 の
確 立
五
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経 告 と 経 済
一 六
かも︑その全巻はヘ i ゲル哲学の始源にたいする批判に終始している・のである︒
﹁絶対的哲学﹂であると誇示するところのへ i ゲル哲学は︑その誇示の自己 ﹁哲学の理念の絶対的実現﹂であり︑
証明のために︑特定の有限な哲学がそこからはじめるところの前提をもたない︑と宣言する︒ ヘ l ゲル哲学における
始源は︑じつは︑前提ではないというのである︒なぜなら︑その始源は︑
( 4 )
らである︒純粋な有は﹁純然たる無規定性﹂︑
﹁ 純
粋 な
有 ﹂
︻凶
ω ω
ロ ニ ロ
o ロ 印
︒ 山
口
であるか
﹁始源そのもの﹂であるから︑とこからはじまるという乙とは︑前提
( 5
)
をもたないということにほかならないというのである︒
フォイエルバッハは︑哲学が始源をもうけなければならないということそのことが︑すでに前提であると
し か
し ︑
論じ︑さらに︑そのことによって前提をもうけたことになったとしてもかまわないではないか︑と論ずる︒
﹁ 私
の 前
提はただたんに形式的︑外見的なもので︑じつは何ら前提ではないのだということを︑あとから証明してもさしっか
( 6 )
え な
い で
は な
い か
︒ ﹂
あ る
︒ したがって︑問題は︑哲学には前提があるかどうかということではなく︑それが何からはじめるか︑ということで
﹁有の概念あるいは抽象的な有からはじめている︒﹂ へ l
ゲ ル
は ︑
( 司 ︒ ロ
σ
円ω の Y
ヴF P C ‑ ω
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∞ ド
訳 ︑
一七ペ!
日 ン )
﹁なぜ︑私は在在そのもの︑ つまり現実的な在在をもってはじめえないというのか︒あるいはまた︑存在は思惟
されるかぎり︑論理学における対象のように私を直接に理性へとつれもどすのだから︑なぜ理性をもってはじめない
の か
︒ ﹂
( 開
t o
ロ 品
川 凶
)
フォイエルバッハは︑哲学の始源は︑ ﹁普遍的・絶対的に必要な始源﹂
﹁哲学がはじめるべき始源は︑特殊の意義︑すなわち︑それ自体あるいは学的に最初のものという意
へ i ゲルの始源を批判することは︑
( ω
・ 一
ω ω
・ 一八ページ)でなければならな
い と
主 張
す る
︒
義をもっているのである︒﹂(印・ 3 ド一七ページ)したがって︑ ヘ i ゲルの始源
'
司
,
'
である﹁純粋有﹂︑
﹁ 抽
象 的
な 有
﹂ ︑
﹁有という概念 L
が 普
遍 的
︑
絶対的に必要な始源であるかどうかを批判するこ
とにほかならない︒
フォイエルバッハは︑ へ l ゲルの始源を︑ へ l ゲル以前の哲学︑とくにフィヒテの﹁知識学﹂品目︒当
2 8 5 与え2
・
ヘ i ゲルの方法が:::本質において︑あるいはすくなくとも︑
Z F B
におけるそれと関連づけ︑
﹁ こ
の 関
連 は
︑
と こ
ろ で
︑
フィヒテの﹁知識学﹂においては︑
す で に 証 明 さ れ て い る
﹂ 一 八 ペ ー ジ ) と 論 ず る
︒
﹁最初にが仰が
h
h いが了げのみ在在するものが︑結局はそか印船に
に お
い て
︑
フィヒテの方法であるということによって︑
( ω
・ 一 ω ω
w
( 開 V O ロ 円 四 ω )
かくして︑終りが始源にもどるということ︑ゆえに学の道筋は循環であるということが︑﹂
証明されているのである D 体系でないものは哲学でないとされる思弁哲学においては︑終りが始まりと むかつてもそうなり︑
なる循環運動は︑必然的帰結である o なぜなら︑体系は終りが始まりとなる円環でなければならないからである︒し
( 7 )
﹁思弁的体系的哲学の頂点﹂なのである︒したが ﹁もっとも完全な哲学体系﹂であり︑
( 8 )
へ i ゲルの始源は︑真の哲学の始源ではない︒
つぎに︑乙の理由を︑さらにくわしく︑体系的思惟と思惟そのものとの区別をあきらかにすることによって検討し
﹀
﹀
︑
︑ カ
4 字
︑
へ l ゲル哲学乙そは︑
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︒
﹁ 体
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思 惟
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にすぎ
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( ω
‑ G ナ一九ページ)体系的思惟は︑殺示する思惟であり︑または思惟の絞示である︒思惟そのものと峻別
されるべき体系的思惟あるいは思惟の絞示は︑思惟にたいしてどのような関係にあり︑またどのような作用をなすの
﹁私が自分の思想を絞示するとき︑それによってその思想をめ聞のなか山うっすのである︒私のなかで
で あ
ろ う
か ︒
同時的であるところのもの︑継起全体をおおうと乙ろの洞察が︑ここでは順次的なもの︑ となるのであるこ(開
ロ σ o
円 宮
)
マ ル
グ ス
主 義
の 一
源 泉
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フ ォ
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唯 物
論 の
確 立
七
般
経 営 と 経 済
このように︑裁示品目︒ロ
R ω
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口 ロ
m ロ
J ¥ 、
は︑同時的な思想を︑時間的継起的なものとするから︑裁一示すべきものたる思
想は︑はじめ存在しないものとして定立され︑殺示によってはじめて成立させられる o したがって︑殺示以前に在在
する思想は捨て去られ︑思想でないもの︑無規定なものが始源とされる︒ ﹁私は銭示すべきものを︑在在していない
ものとして定立し︑私はそれを限の前に成立させ︑殺一不以前にそうであったところのものをそれから拍象し去る︒だ
から︑私が始源として定立するもの︑ それは最初は純然たる無規定にほかならない︒私はそのものについて︑なお何
も知っていない︒││絞示された知識がはじめて知識となる o だから私は︑厳密にいえば︑始源という概念をもって
のみはじめることができる︒というのは︑私がどんな対象を定立しようとも︑まさに始源においては︑始源一般の本
性をもつからであるこ(何回出口含)﹁殺示は絞示以前に知られであるものを捨象する D 絞示は絶対的な始源たるべきで
あ る
︒ ﹂
( ω
・ M g w
三 0
ペ ー ジ )
このように︑体系的な思惟あるいは裁示が︑ へ i ゲルにおいては絶対的始源でなければならないが︑この始︑源は絞
示以前のすべてを捨象したものであるから︑純然たる無規定でなければならないことになる︒ところで︑
こ の
始 源
は ︑
裁示以前のものを捨象したものであるから︑宣︿の始源ではありえない︒銭示における始源は︑思惟における始源とは
﹁思惟は思惟の殺示に先きだっ︒殺一不における始源は︑殺示にとってのみ最初のものなのであ なりえないのである︒
‑ ‑
‑ ‑
・ r
・
って︑思惟にとってはそうではない︒﹂(開
t o
ロ 仏 ω )
殺示における始源が思惟にとっての始源でないのは︑前述のように︑殺示がそれ以前の思惟を捨象しているからで
あるが︑さらに厳密にいえば︑捨象するのは︑捨象されるものをすでに前提しているのである︒殺示は思惟のなかに
つねに現在すると乙ろの思想よりも後のものであり︑最初の殺示といえども︑じつは︑思想を前提しているのである︒
前提しながら︑これを捨象して︑絶対的始源を詐称する D
こ こ
に ︑
へ l ゲルの始源の虚偽の秘密がある︒この虚偽の
唱砂
'
1 ‑
.
秘 密
を ︑
フォイエルバッハは︑ 媒介的ということばで表現している︒ ﹁銭示は︑あとになってはじめであらわれると
︽同
ω
ω F
向 日
a z o
‑ ‑ u
円 ︒ ω
乙ろの︑しかし内的に思惟のなかにつねに現存するところの思想を必要とする︒絞示は即自・対白的に媒介的なもの
である︒したがってまた︑絞示において最初のものは︑断じて直接的なものではなく︑定立された
︹真に︺最初のものは思組規定によって もの︑依存的なもの︑媒介されたもの︿ 2
日 比
g = 2
である︒というのは︑
l l
みずからを銭示し︑時間的に展開するところの哲学よりも前に︑かっ︑それから独立して︑それ自身によって確固
として存在するところの思想規定によって││規定されるから o ﹂
( ω ω ‑ M B I g
‑ 三 Oi 三一ページ)すなわち︑み
ずからより以前の思想を捨象しつつ︑じつはそれを前提するところの銭示は︑
( 9 )
である︒それにたいして︑思惟は直接的ロロ日芹
Z F R
その前提のゆえに︑媒介的宮立芯
‑ g
円
である︒それは︑哲学として必然的︑理性的な前提以外に︑
いかなる偶然的不条理な前提ももたないという意味において︑直接的である o ﹁思惟は自己活
4 1
コ ペ り に お い
て︑ひとつの酌駒市附活動である︒いかなる他人も私のかわりに思惟することはできない︒私は自身を通じてのみ思想
の真実性を確信する o ﹂
( 印
ω ・ 3
ω 1
8 ・二一ページ)
このように欺踊的な始源は︑必然的に︑抽象的でなければならない︒﹁先のものは後のものをすでぺ 44
ル バ ペ
︒
し か
し ま
た ︑
m m 印印に最初のものであるこの前提されたもの(すなわち後のもの)が︑さらにまたそれ自体として
ヘ i ゲルは︑それ自体としては宮門巳の何回何ら
剛 院 一 円
ω 問
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ω o
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巴 あ
ら わ
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け れ
ば な
ら な
い ︒
こ う
い う
方 法
の 結
果 ︑
実在性をもたない規定を自立させるのである o ﹂
( 印
‑ N 8
・ H Z
h ロ
︒ 件
︒ ・
三 Ol 三一ページ)
かくて︑体系的思弁的哲学の頂点であるヘ l ゲル哲学が︑抽象的な﹁純粋有﹂をもってその哲学をはじめるのは︑
その体系的思惟の必然によるのである︒体系的思惟は思惟そのものではない︒したがって︑ヘ l ゲルの始源は︑真の
哲学の始源ではない︒
マ ル
グ ス
主 義
の 一
源 泉
と し
て の
プ ォ
イ エ
ル パ
ツ ハ
唯 物
論 の
確 立
九
経 蛍 と 経 済
四 O
真の哲学の始源は︑思惟そのものの始源である︒乙の始源はいかなるものであろうか︒そもそも始源というものは︑
われわれがどうしても捨象しえないものでなければならない︒﹁むしろわれわれがどうしても捨象しえないものが始
源ではないか o
﹂ (
∞
‑MOナ三二ページ)ヘ!ゲル哲学もこのことを知っている︒しかし︑その論理学における始源は︑
真の始源ではない︒﹁論理学がそこからはじめる有は︑一方では現象学を︑他方では絶対的理念を前提としている︒
有(最初の︑規定されない)は︑終りにあたってとり消され︑魚川︑・
h
始源にすぎないではないか︒われわれは論理学の内部においても︑また︑ 学もまた現象学ではないか︒有はゆわや柏町 ω 始源として証示される︒だが︑それなら論理 w
仮象と真理とを分裂に遭遇するではないか D
な ぜ
︑ 民
始源からはじめられないのか o ω ︿
﹂ ( 印 印
‑ M
D A
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‑ 三
二 ペ
ー ジ
)
フォイエルバッハは︑真の始源をあきらかにするために︑さらに思弁哲学への批判をおしすすめてゆく︒﹁かくて︑
山山われはここに︑学問のちょうど入口のところで︑フィヒテ哲学のばあいと同忠矛盾を見るではないか︒そこでは︑
純粋自我と経験的現実的自我との矛盾︑ここでは︑純粋有と経験的現実的有との矛盾を見るではないか︒﹁純粋自我
はもはや自我ではない︒﹂純粋な︑空虚な有もまたもはや有ではない o
﹂ (
∞
‑M8・三四ページ)すでにととに︑われ
( 叩
)
へ l ゲルの﹁有と無との統一﹂
﹁有は存在する物と同一である o 君がその物から有をとり去るのは︑
その物からすべてをとり去るのである︒有はそれ自身として分離されない︒有はめ恥 ω 概念ではない││すくなくと われはフォイエルバッハがいおうとする有 H 始源を読みとることができる︒かれは︑
( 刊
)
を批判したあとで︑つぎのようにいっている︒
も悟性にとっては有はすべてである o
﹂ (
∞
‑ M
O ?
三 五
ペ ー
ジ )
そもそも︑証明するということはどういうことであるか︒ ﹁証明するとは︑反駁することにほかならない o
﹂ (
∞
‑ M
︒?三五ページ)したがって︑
るのであるよ
( ω
・ N
O
︺
J 三五ページ)しかるに︑ ﹁自己の対立物との統一においてでなく︑自己の対立物の反駁において真理は成立す
﹁感官的実在にたいする反対者︑現実の悟性にたいす へ l
ゲ ル
は ︑
4
・
e
で秘密にしている﹂が︑はじめから︑
﹁ 有
と は
︑
本質とは︑
理念のことである
o
﹂( ω
・ ピ
0 ・
四 0 ページ)
﹁ 有
は
•
る反対者をもってはじめている o
﹂ ( ∞
‑ M O ?
一 二
五 ペ
ー ジ
)
﹁だから︑哲学ないしは論理学が︑ みずからを証明しよう
とおもうならば︑合理的経験あるいは悟性
111
これが哲学ないし論理学を否定し︑これのみがそれと矛盾するーーを
(MM) 反駁しなければならぬ︒そうでない場合には︑すべてその証明は倍性にたいしては︑ど乙までも主観的保証たるにと
どまる o
﹂( ω
・ MO
ア 三 五
l 三六ページ)
しかるに︑ヘ l ゲルの証明は︑まず第一に︑形式的な︑不真面目な芝居にすぎない︒その理由はこうである︒すで
にのべたように︑有は︑ 一方では現象学を︑他万では絶対的理念を前提している︒ところで︑ここで絶対的理念だけ
をとりあげてみるのに︑ それが絶対的真理であることの疑いのない確実性で
ある︒それは自分自身を真なるものとして前提する︒それが他者として定立するものは︑本質においてすでにまた理
念を前提するのである︒かくて証明はたんに形式的なものにすぎないこ
( ω
・ N o
p
三八ページ)﹁絶対者の証明は:・
:・本質上︑原理上︑たんに形式的な意義しかもたないのである o
﹂( ω
・包∞・三七ページ)思惟者としてのへ l ゲルと ﹁絶対的理念
l
l 絶対者の理念
l
1 ー は
︑
記述者としてのヘ l ゲルとが矛盾している以上︑証明されるべき絶対的理念は︑すでにはじめから前提されている︒
したがって︑その証明は︑とまかしの芝居にすぎない︒﹁証明はひとつの必要事であった︒:::しかし同時に︑証明
は絶対的理念が真理であることの内的確実性にとっては︑ひとつの無用事であった︒乙の無用な必要︑乙の欠いても
よいところの欠いてはいけないこと︑あるいは欠いてはいけないと乙ろの欠いてもよいこと︑という表現がへ l
ゲ ル
の方法なのである D だから始まりが終りで︑終りが始まりなのである︒また︑だから有がすでに理念の確実性であり︑
直接性における理念にほかならないのである o
﹂ ( ∞ ∞
‑ N
o u
‑ ‑
0 ・三九ページ)
こ の
よ う
に ︑
ヘ l ゲルの証明は︑不真面目な芝居にすぎない︒ ﹁ 理 念 は ま だ
vそれが自分であることを自白しない
マ ル
グ ス
主 義
の 一
源 泉
と し
て の
フ ォ
イ エ
ル パ
ツ ハ
唯 物
論 の
確 立
四
そ ・ れ・
自 ・
体・奴
l こ・ 1I!.~
お・首
l '・と
エ ・ 経
蚕 演
で あ る
四 ( 開 t o
ロ 仏
ω )
しかし︑かりにその証明がそれ自身として真であったと仮定しても︑な
﹁哲学の領域での証明は︑純粋思 ぉ︑つぎに︑対立物にとっても真であることがあきらかにされなければならない︒
想にたいする感性的悟性の矛盾が征服されること︑思想がみずからにとってのみではなく︑それの対立物にとっても
また真であるところにのみ成りたつ︒﹂
( ω
・ ピ
0 ・
四
0 ページ)
( 恰
)
﹁経験的日具体的な悟性直観の有との︑直接的︑非媒介的︑反扱的な矛
盾であり︑そのうえ︑理念の寛容︑理念の卑下にほかならず︑したがってすでにそれ自体において︑これから証明さ
れるべきものである︒ゆえに︑わたしは︑力づくによってのみ︑超越的作用によってのみ︑現実的直観との直接的絶縁
によってのみ︑知的直観とおなじく論理学のなかにはいりこむことになる︒だからへ l ゲル哲学には︑デカルトおよ
びスピノザをはじめ近代哲学全体にわたってくわえられるのとおなじ非難がくわえられる︒すなわち︑感性的直観と
の無媒介的絶縁という非難︑哲学の直接的前提という非難がそれである o ﹂
( ω
・竺ブ四 Ol 四一ページ)すなわち︑
論理学の有は︑感性的存在と無媒介に絶縁状態にある︒論理学の有と感性的存在との矛盾が解決されるどころではな
と こ
ろ で
︑
ヘ l ゲルのいう論理学の有は︑
い︒したがって︑論理学の有の実在性は依然として証明されていないのである︒
( 叫
)
ところで︑論理学の始源である有のもうひとつの前提である﹃現象学﹂は︑乙の非難にたいして抗弁してくれるで
あろうか︒フォイエルバッハは︑つぎに︑
乙のものと私念﹂をするどく批判する︒感性的意識から出発して︑意識が経験をつみ︑しだいにより高い境地へ︑ ﹃精神現象学﹄の検討をはじめる︒かれは︑第一章﹁感性的確信︑または
つ
いに絶対知の境地へ到達する過程をえがく﹃現象学﹄において︑感性的意識は︑たんなる私念にすぎないとされる︒
感 性 的 意 識 は ︑
間にわけでかんがえてみると︑ ﹁このもの﹂をもっとも具体的︑実在的であるようにおもいこんでいるが︑
﹁いま﹂と﹁ここ﹂は︑直接的無媒介的なものではなく︑媒介された一般者である︒ ﹁乙のもの﹂を空間と時
ー
ー
四二ページ)
このように説くヘ!ゲルにたいして︑フォイエルバッハは︑つぎのように批判する︒すなわちへ i ゲルの ζ の説明
によっては︑普遍的なものが実在的であることは証明されない︒はたして︑個別的なものは非実在的であるのか︒
ー「
4 院
﹁こ乙そのものは消え失せることなく︑家や樹などが消え去っても︑依然として乙の乙乙はあり︑
そして家であると同様に樹でもある︒そこでこの場合にもまた︑このものとはあきらかに媒介された単純性または普
出肋である o ﹂ところで︑言葉は私念よりもいっそう真実なものである︒したがって︑われわれは︑自分の私念する感 へ l
ゲ ル
に よ
れ ば
︑
党的存在を言葉で表現する乙とはできない︒われわれは普通的なものだけを表現する乙とができ︑普遍的なものが真
に実在するのである︒ ﹁普遍的なものは感覚的確信の真理であって︑言葉はただこの真理のみを表現するよ
( ω
・ ピ
ド
わたしの兄弟はヨハンといいアドルフという︒しかし︑かれ以外になお無数の他人がまた︑
ヨ ハ
ン ︑
ア ド ル フ で あ り ︑
そう呼ばれる︒ではそのことから︑わたしのヨハンは何ら実在ではないということになる苧たろうか︒ ヨハンであるこ
と 品
目 ︒
同 o g
ロ ロ F o =
が真理だということになるだろうか︒﹂
( ω
・日ド四二 l 四三ページ)そもそも︑言葉というも
﹁感性的意識にとっては︑すべての言葉が名であり︑固有名詞である︒感性的意識にとっては︑言葉 の は 何 な の か ︒
はそれ自体としてはまったくどうでもかまわぬものであり︑最短の道によって感性的意識の目的を達成するためのた
んなる記号にすぎない︒ここでは言語はまったく無関係のことである o ﹂
( ∞
‑ M
一ド四三ページ)言葉は︑このように︑
まったく問題外である口感性的ず識の立場にたつわれわれは︑言葉の問題にわずらわされることなく︑卒直に真実を
﹁感性的意識にとっては︑まさしく いささかも動揺するものではない︒
言語は︑非実在的なもの︑空虚なもの門 HSZ 古宮古 ω である︒だから︑個別的存在はいいあらわしえないということ
によって︑どうして感性的意識が反駁されたとみとめなければならないのか︑あるいは反駁されなければならないの 認識する︒言葉によって︑感性的確実性は︑
マ ル
グ ス
主 義
の 一
源 泉
と し
て の
プ ォ
イ エ
ル バ
ッ ハ
唯 物
論 の
確 立
四
経 営 と 経 済
四 四
か︒感性的意識はまさしくそのことに言語の反駁をみとめはするが︑感性的確実性の反駁をみとめない︒そしてこの
点では︑感性的意識は自己の領域において完全に正当である︒そうでなかったら︑われわれは︑生活において物のか
わりに言語を食としてゆくことができようよ(∞
‑ M S w
四三ページ)したがって︑﹁現象学﹄第一章は︑独断的な思
﹁だが︑意識はまよわされえない︒それは依然として個別的事物 畑出の自然的意識にかんする言葉の遊戯にすぎない︒
( 旬
)
の実在性を固執する︒:::感性的荏在︑このものは︑消えうせる︒が︑他の存在がそれにかわってあらわれ︑やはり
このものとなる︒自然はこ ω 個別的なものを反駁するものの︑しかし︑ただちに訂正する︒自然はそれのかわりに伽 ω 個別的なものをもってくることによって︑反駁を反駁するのである︒そして︑だからこそ︑感性的在在が︑山佐伯 M
意識にとって存続的な不変の存在なのであるよ
( ω
・ピデ四三 l 四四ページ)
かくて︑フォイエルバッハは︑明確に断ずる︒﹁感性的な個別的存在の実在性は︑われわれにとってはわれわれの
血をもって確証された真理である︒﹂(印・竺ド四三ページ)
このようにして﹃現象学﹄もまた︑論理学の有の実在性を証明することができなかった︒なぜならば︑すでにのべ
たように︑証明するとは︑反駁する乙とであり︑したがって︑ヘ l ゲルのいう論理学の有の実在性を証明するために
は︑感性的意識の対象である存在を反駁しなければならないのであるが︑﹁現象学﹄は感性的存在を反駁していない
か ら
で あ
る ︒
﹁ヘ!ゲルは︑感性的意識の対象であり︑かっ︑われわれにとって純粋思惟と区別された対象であるようなここを
反駁するのではなく︑論理的ここ︑論理的いまを反駁するのである o かれは︑乙れがある品宮口
z g
ロという思想を︑ Z
乙のものたらしめるもの
5 2 8 5 ω
を反駁する口かれは︑泰弘引に hhr けひとつの(理論的)実在性として白川白され
るような個別的在在の不真理性を指摘する o
﹂ (
∞
‑ M
一ナ四五ページ)
. .
•
"
~
﹁現象学﹄がとりあつかう存在は︑感性的意識の対象である存在とはまったく分裂し︑矛盾している
のである︒それは︑真の現象である感性的存在を対象としない︒ゆえに︑﹁現象学は現象学的論理学以外の何もので
いいかえるならば︑現象学と論理学とは﹁同一物に帰着するのである o ﹂
s t o
ロ 円
宮 )
し た
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て ︑
( 開 F O
ロ色白)も な
い ︒
﹂
か く
し て
︑
つぎのようにいうことができる︒現象学も論理学も︑感性的存在を反駁するどころか︑はじめから感性
的存在とは絶対的に絶縁しているのである︒ ﹁現象学または論理学:::・:は︑それみずからの直接的前提をもって︑
門 主 主
R E e B O ロ 己
S
ロ 円
吉 日
i i
媒介されない矛盾をもって︑感性的意識 116 したがってまた││確証ずみである
との絶対的絶縁をもって︑はじめるのである o ﹂ SZ
ロ ︻
宮 )
す な
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︑
のではなく︑島砕 ω 伽白 b ん M
M J μ h
品 目
印 か
ら は
じ め
る
o ﹂
( ω ω ‑ M 手
1 3 w
四五ページ)のであって︑その思想のなか
﹁思想の他在含
ω
﹀ ロ 品 ︒
同
ω ω
o g
からはじめる
で︑あらわれる斗争は︑いうまでもなく︑思想がその矛盾し分裂する相手たる感性的意識と存在とにたいしてはじめ
から勝利をうるように仕組まれているのである o したがって︑その反駁は感性的意識とその対象にたいする真の反駁
ではなく︑自己意識の内部での形式的な反駁にほかならない︒﹁思想が感性的意識を愚弄するユーモアは︑ここに由
来する︒しかし︑だからこそまた思想は︑自分の敵を反駁しえなかったのであるこ
( ω
・ピデ四五ページ)
したがってへ i ゲルの体系は︑感性的存在のない︑独断的思弁的体系にほかならない︒ ヘ i
ゲ ル
は ︑
﹁かれの哲学
的思索のそもそもの最初から︑絶対的同一性品目︒与 ω ︒ ‑
E g z g z g
件の前提をもってはじめた︒絶対的同一性の
理念︑あるいは一般に絶対者の理念は︑ へ l ゲルにとってただそれだけでひとつの客観的真理であった︒しかもたん
にひとつの真理であるばかりでなく︑絶対的真理︑絶対的理念そのもの1l絶対的な︑すなわち︑ これ以上うたがう
ととのできない︑すべての批判と懐疑とを超越した理念であった o ﹂ ( ω ‑ N 一少四五│四六ページ)
このように論じたあと︑ フォイエルバッハは︑ へ l ゲルの絶対者の理念を︑哲学史的に︑カント︑
フ ィ
ヒ テ
︑
L
ノエ
マ ル
グ ス
主 義
の 一
源 泉
と し
て の
ブ ォ
イ エ
ル バ
ッ ハ
唯 物
論 の
確 立
四 五
経 営 と 経 済
四
リングとの対比において評価する o ここでは︑乙れについて詳細に検討をくわえる乙とを省略するが︑簡単にいえば
と う
で あ
る ︒
フィヒテ哲学の観念論 H 主観的観念論においては︑ ﹁自然は客観化された自我︑自己によって自己の外に直観され
た精神﹂であり︑精神によって定立されたという意味での客観にすぎなかった︒それにたいして︑シェリングの自然
哲学においては︑自然は派生的なもの︑定立されたものではなく︑最初的なもの︑独立的なものであった︒自然は︑
観念論にとっては対象︑事象にすぎず︑自然哲学にとっては実体であり︑主観 H 客観(観念論では叡智が乙れにあた
る)である o しかし︑観念論は︑少しもそ乙なわれずに寄続していくものとされた︒そこで︑乙の矛盾を克服するた
めに︑述一訪問を主語に︑主語を述語に転換された︒すなわち︑絶対者は精神および自然であるとされた︒かくして︑絶
対者は︑絶対的同一性︑絶対的な主観日客観である o 自然は客観的な主観 H 客観であり︑叡智は主観的な主観 H 客観
である︒しかし︑ シェリング哲学の積極的意義は︑主観 H 客観としての自然を統一の概念としたかぎりにおいて︑統
一を再建したということにある︒ところが︑ シェリングの自然哲学 H 同一哲学における思惟と存在との統一は︑ただ
たんに思惟と想像との統一にほかならなかった︒批判の根源的条件である主観的なものと客観的なものとの差別が消
失し︑まったく無批判的となった︒
乙の哲学から出発したヘ l ゲルは︑絶対者のなかに︑倍性 H 形式原理をとりいれ︑否定的︑批判的なものを積極的 へ l ゲルの絶対者はシェリングのそれをたかめたが︑しかしなお︑形式はただたんに 本質的に導入した︒こうして︑
形式的な意義しかもたないとされた︒
ところで︑フォイエルバッハによれば︑
・:所与的なものであって︑哲学は本質的なものと非本質的なもの il すなわち︑表象︑感性等に固有の形式を付与す ﹁哲学には︑本来︑形式以外︑概念以外はなにものも属しない︒内容は・;
e
叫
'
酔
へ l ゲルにあっては るものーーのあいだの批判的区別づけを介してのみ内容を概念すべきである︒だから︑哲学は︑
批判的意義を有するにはちがいないが︑払
r h
﹂品目批判的意義を有するのではない o
( ω ω
・ M
M ‑ l l M M
‑
五 三
l
五 四 ペ
!
リ ン )